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合衆国の委員会 第6章より

Committee of States
合衆国の委員会

http://www.pdfarchive.info/pdf/S/Se/Seymour_Cheri_-_Committee_of_the_States.pdf


第6章: 兵士より:

・・・彼の眼は、電気的なセンサーの様に生気をおび、その取材記者の表情を伺いました。彼女がようやく笑った時に、彼は続けました。「ペンタゴンに話を戻して、私は、パットン将軍とフェラース将軍についての話を、貴女に伝えたいです。それには、彼等がどの様にして、パットン将軍を殺害したのかも含まれます。」

彼は前のめりに近づき、共謀者の様に、彼の肩をすぼめました。「フィリピン時代から、私を知る OSS [Office of Strategic Services ( CIA の前身)]の元軍曹が、キャニオン・カウンティーの私の自宅を訪れ、」彼の声は低く成り、押さえつけられ、「そして彼は、私が貴女に伝えようとしている事を確認しました。」その取材記者は、無意識に、その足台の上で前のめり成っている、彼女自身を見つけました。

「彼が私を訪問した当時、彼は A チームを組織し訓練する CIA の仕事のコンビネーションを含む、砂漠における CIA の使命に就いていました。A チームとは、暗殺部隊で、彼等は陸軍と共に働きました。其処にはフェニックスと言うコード・ネームによって知られた陸軍と CIA の間のプログラム(作戦)が存在していました。彼等は後に、幾人もの若者達を入隊させ、ヴェトナムに送り込み、ヴェト・コンの指導者達の幹部を見つけ出し暗殺するために、個人として訓練しました。」

シーモアがフェニックス・プロジェクトについて、彼に質問しようと試みると、彼は用心深く成り、そして話をパットン将軍に戻しました。「それは余談です。パットン将軍が知っていた事のために、彼等はまた、彼をも殺すつもりでした。彼にトラックでぶつかる事です。その戦争(第二次世界大戦)の前、1939年に、ボーナー・フェラース将軍は、中東における米国陸軍の、軍事アドヴァイザーでした。彼は准将将軍で沿岸砲兵隊の人でした。彼がその地位に任命されたのは、彼が素晴らしい筆者で、ドイツ人であり、有能な分析者で、そして彼は中東の戦況に助言するために、良く訓練されていたためです。その地域において、軍の軍事的な次官の全ては、フェラース将軍の操作、または指揮下にありました。

<中略>

「前にも言った様に、フェラース将軍は優れた筆者で、ウェスト・ポイント(士官訓練学校)の教授でした。彼はまた、30年代に、マッカーサー将軍がフィリピンに送り込まれた時に、マッカーサーの補佐官でした。ですから、長い話しを短くすると、ある日私は、ヴァージニア州の BOQ の私のルームメイトであるフランク・マッカーシー大佐と昼食に行こうと、マッカーシーのオフィスで座って待っていました。

「マッカーシーのオフィスは、マーシャル将軍のオフィスの直ぐ近くでした。私はドアの直ぐ横に座っていて、マーシャル将軍のオフィスの中を見ていたのですが、其処にはフェラース将軍がいました。彼と共に其処にいたのは、戦略部のオフィスのドノヴァン将軍でした。そしてドノヴァン将軍は机を叩いていて、そして彼等は何かについて熱く言い合っていました。

「その言い争いが熱烈だったのは、私は後で知ったのですが、ドノヴァン将軍は、OSS の作戦として、フェラース将軍をパラシュートでヨーロッパに送り込みたかったのですが、マーシャル将軍は、「駄目だ」と言い、フェラース将軍は禁じられているので、ヨーロッパへは行けないと言う事でした。マーシャル将軍は、フェラースが直ぐにワシントンを離れる事を望み - 彼(マーシャル)は彼(フェラース)に中国に行くか、オーストラリアのマッカーサー将軍の執行部に加わるか、彼が選択した方に行く事は出来るが、ワシントンに留まる事は出来ない、と伝えました。」

ゲイルの表情は内在的な苦しみを表現しました。「私にフェラース将軍が何故、中東における軍事アドヴァイザーの任務から解かれたのかが理解出来無かったのが何故なら、私が指令執行部訓練学校にいた時、私は彼の論文を読み、そして私達の全員が、武装戦闘と、それについて何を教えれば良いかを彼から学び、とても良い評価を得ていたためです。その後、私は、私の問いに対する答えを、私がオーストラリアに着いた時に知りました。」やや眉をひそめ、オーストラリア(の話し)には、直ぐに辿り着くと彼は言いました。

<中略>

「だから私がオーストラリアの G 4に到着した時、其処の連合軍の諜報工作部の司令官は、ウィットニー大佐でした。彼は私を知っていました。彼は彼の兵士達の殆どを、私がオフリー大佐とその他の士官達と共に組織化し指揮した、フィリピン人歩兵隊から、選抜しました。彼は最善の兵士達を選び、そして私が彼に彼等を送る役割を果たしました。

<中略>

「その2か月後にフェラース将軍が到着しました。彼は G-3戦略部門の主任に就任し、そして私は G-4戦略部門でした。ですから私達は、朝から晩まで共に働きました。私は、G-3作戦だったアール・マッケリー大佐と同室でした。私達のホテルは、特定の時間を過ぎると食事の施設が閉まってしまうので - 食べる事は私達にとって大問題でした。まあ、私達は24時間、夜遅くまで働いていましたから。物資制限のために、レストランも閉まってしまうので、私達は行けませんでしたが、ブリスベンのレノン・ホテルはそうではありませんでした。そのホテルには、其処に滞在し、食事をしたマッカーサー将軍と、私達の執行部の人達のための物資供給が有ったので、もし必要であれば夜の11時を過ぎても、食事をもたらす事が出来ました。

「ですから私は、クリュター大佐とフェラース将軍と共に働く事によって、それ(ホテル)を利用し、彼等のために、G-3戦略のために・・・物資供給の計画のために、夜間、沢山働くために、其処に通いました。

「ある夜、私は彼に、「ペンタゴンのマーシャル将軍のオフィスで、ドノヴァン将軍といた時の事を覚えていますか?」と尋ねました。彼は「覚えている、」と答えました。そして私は、「私はあの時、直ぐ近くのフランク・マッカーシーのオフィスに座っていて、論議の全体を聞いていたのですが、何が起こっていたのか、私には解りませんでした、」と言いました。フェラース将軍はこう言いまいた、「そうだな、あれはとても興味深い状況だった・・・」私はこう言いました、「何が起こていたのか、教えてくれませんか?」そして以下が、彼の話しです:

ゲイルは背もたれに沈み、目を細めました。「フェラース将軍が中東にいた時、彼はドイツとの戦争を1942年に終わらせたであろう計画を、戦争省とホワイト・ハウスに提出しました。彼の計画は、既に400,000名の連合軍によって安全確保されていた、トルコと中東の航空基地に、米国において生産が始まったばかりだった、B24を供給する事でした。ドイツ陸軍は、その戦力の全体を、共産主義者達の赤軍に対して2,000マイル、ウクライナ国内へと進軍させましたが、物資供給ラインは、唯一、一つしかありませんでした。そしてドイツ人達は - 私達の軍事諜報の全てがこれを確認しましたが - ドイツ人達は、英国に侵略する意思が全くありませんでした!

地上の戦力に限って言えば、ドイツはヨーロッパの北部沿岸において、部隊を一つも持っていませんでした。そして私達がしなければならない唯一の事は、B24で、その唯一の物資供給ラインを爆撃する事で・・・ドイツ軍は、ウクライナにおいて、共産主義者達を相手に、完全に専心していて、2,000マイルの長さのたった一つの供給ラインしか無かったためです!ドイツは降服を余儀無くされたはずで、そしてその戦争は、1942年に終わっていたはずでした。

彼の眼は冷たくも、活き活きとしていました。「そしてそれがフェラース将軍の計画でした。そしてその計画が戦争省に届いた時、毛皮が飛びました(隠蔽されました)。フェラース将軍は、次の日に、中東における軍事アドヴァイザーの任務から解かれました。そしてそれは何故彼が、太平洋南西へと送られたかの理由です。

「ドイツに対して、その様に戦争に勝つ事に何の問題があるのでしょう?」と私は言いました。フェラースは、こう言いました、「ああ、彼等は、私の暗号を解読し、そしてウィンストン・チャーチルが、英国議会の下院において、OSS と共にでさえも、彼はフェラース将軍が、ヨーロッパの戦場に来る事を許さないと言ったからだ。」彼(チャーチル)はそれに彼が関わる事を、一切望みませんでした。彼はフェラース将軍の暗号を解読し、メッセージを途中で捉え、ホワイト・ハウスに圧力をかけました。

「私はこの全てを理解出来ませんでした。そしてその後、フェラース将軍はこ言いました、「まあ、彼等が知らなかった事は、私もまた、彼等の暗号を解読していたと言う事だ。そして私は、彼等が行った事を知っている。私は、チャーチルとルーズベルトが、ソヴィエト連邦の共産主義者達と取引を行い、ドイツを共産主義者達に与える代わりに、戦争の後に、中東を、英国の影響下に残す約束をした証拠を持っている。」彼は沈黙に至り、窓の外をぼんやりと眺めていました。

彼が再び口を開いた時、彼の声は遠くの様に聞こえ、冷めていました。「これが真実で、フェラース将軍が証言出来ます。彼は後にそれを書き記しました。私が語っている事は、誰も知りませんでした。これは、私がそれを行った人と交わした個人的な対話です。これらは、彼が私に伝えた事で、私はそれらを忘れません。」

「何故、彼等は、ドイツとの戦争を、終わらせたくなかったのでしょう?」シーモアが尋ねました。

「彼等はドイツを共産主義者達に渡す取引をし、そして彼等がその戦争を1942年に終わらせる事が出来なかったのは、ソヴィエトに当時、ドイツを倒す能力が無かったためです。

<中略>

彼の眼は内的にトンネルしました。「その情報はまたパットン将軍の妻にも伝えられたのは、何故ならパットン将軍は、フェラース将軍の良き友人であったためです。そしてパットンはそれを彼の日記に記述していました。それはパットンがベルリンの外12マイルにいた時に - 東部の前線において、赤軍がベルリンの外にいたために - アイゼンハワーが撤退せよ(譲れ)と命令した際に、パットンが暴露すると脅した情報でした。

<中略>

「そして私がたった今言った情報、暗号が傍受された事、ヤルタ会議の何年も前に、彼等がベルリンを共産主義者達に渡す取引していた事が、パットン将軍が持っていた情報です。ゲイルの表情には、呪いがあちらこちらに表現されていました。「彼はドイツにおいてトラックにぶつかられました。彼等は、彼を暗殺しました・・・」
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