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キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第8章

CHRISTIANITY: AN ANCIENT EGYPTIAN RELIGION
AHMED OSMAN
キリスト教: 太古のエジプト的な宗教
アフメド・オスマン著

パート1

第8章 モーゼスの王族的な誕生


出エジプト記の冒頭の章、モーゼスの誕生の説明は、その話が、この場合、記述される以前に、長い口述的な伝統において、本当の出来事が歪められた代表的な例です。出エジプト記の最初の章は、混乱のじかの説明を記述します。それはモーゼスの誕生が、私達がエジプトの歴史的な文献から知る、その50年後に起こった出来事の数々と同時的と示唆し、明らかに矛盾的な明言を幾つも行います。私達は、始めに、その地が「イスラエライツ族で溢れていた(1:7)」と伝えられます。これは、彼の祖父、ヤコブが、彼の息子ユヤ(ジョセフ)と合同するために、66人のイスラエライト族を、カナーン(パレスチナ)からエジプトへと導いた旅の、10年、20年後に、モーゼスが生まれたと指摘する、その他の文献の全てと矛盾します。私達が、モーゼスの誕生の数十年後の出来事を扱っていると言う事は、「ジョセフを知らなかった」と言う、新たな王の現れへ言及する、次の行からも鮮明です。半世紀近く後に、第18王朝の王座に就いたホレンヘブの時代まで、ジョセフの事を知らなかった王があり得ないのは、ホレンヘブの以前の王達 - アケナーテン、セメンカーレ、ツタンカーメン、そしてアイが、私達が目撃する様に、ユヤ(ジョセフ)の子孫であったためです。次に来るのは、エジプト人達が、イスラエライト族をピトムとラームセスの宝庫の街々の建設の仕事に従事させ、その場における奉仕の全ての方法の、モルタルと煉瓦における縛り(服従)において、彼等の生活を苦しいものにしました(1:14)。これらの出来事は、再び、ホレンヘブの統治に年代測定出来ます。

この年代設定の、あやふやな本質は - モーゼスが丁度、生まれようとする時に - 統治していたファラオが、生まれて来るイスラエライト族の長男の全員を殺傷処分にする命令を出したと、私達が伝えられる時に、再び明らかに成ります。彼は産婆達に、こう指導しました:「貴女が、ヘブライ族の女の産婆に成る時・・・もしそれが男子なら、貴女は彼を殺しなさい。」当時、しかしながら、イスラエライツ族は2人の産婆しか有さなかったと言われ、その一人の名はシフラーで、そしてもう一人の名はプアーでした(1:15)。これは、再び、私達が、エジプトにおけるイスラエライト族の旅の初期における出来事について読んでいる事を示唆し、イスラエライト族の女性達のために、2人の産婆で十分であったと言う事です。ファラオが、個人的に産婆達に話せたと言う事実はまた、彼がその命令を与えた時に、彼が、エジプト本土の領土の前線の外の、イスラエライト族が住む事を許された、ゴシェンの街の近くに住んでいた事を示唆します。その産婆達は、ファラオの命令を行う事に失敗し、問われた時にこう説明しました、「ヘブライ族の女性達は・・・元気で、そして産婆が彼女達に来る前に産んでしまいました。」ファラオはその後、更なる勅令を出し「生まれた全ての息子は、貴女が川に流しなさい・・・」(1:22)と命じました。

あやふやな年代表にも拘らず、ファラオの敵対心の標的であり、彼が死を望んだその子供がモーゼスである事が明らかなのは、何故なら、彼の母親が、エジプト人とのハーフで、(王座の)後継者では無く、男子の子供が第18王朝への危険を体現したためです。モーゼスの実際の誕生は、出エジプト記の書の第2章の初めの部分にあります。彼の母親は、「レヴィ(族)の娘であった」と、私達は伝えられます。イスラエライト族の子供達の、全ての男子の新生児に対する危険に面して、彼女は3か月間、彼を隠しました。その後、彼女はそれ以上彼を隠す事が出来なくなり、彼女は「彼のために、紙草の小舟を用意し、それをスライムと漕調で塗料し、そしてその中にその子供を入れ;そして彼女はそれを、川の岸部の水草(葦)の中に置きました」(2:3)。ファラオの娘が、行水するために、川まで来た時、彼女はその籠(小舟)を見つけ、そして「彼女の従女に、それを取って来させました」(2:4)。彼女がその籠を空けた時、赤ん坊が泣いていて、彼女は彼を可哀想に思いました。「これは、ヘブライ人の子供達の内の1人だ、」と彼女は言いました。

この時点で私達は、モーゼスには一人の姉、ミリアムがいて、彼女は、この出来事の一連を遠くから眺めていて、此処でその御姫様に近づき、こう尋ねた事を学びます:「貴女のために、その子の面倒を見るために、ヘブライ族の女性達の中から、乳母を一人呼んで来ましょうか?」(2:7)。その御姫様がその提案に同意した時、モーゼスの姉は、彼女の母親を呼んできました。その御姫様は彼女にこう言いました:「この子供を連れて行き、そして私のために面倒を見れば、私は、貴女に給与を授けましょう。そしてその女はその子を連れて行き、そしてその世話をしました」(2:9)。その後、モーゼスが成長した後、彼の母は、彼をファラオの娘に返したと言われ、「そして彼は彼女(御姫様)の息子に成りました。そして彼女は彼の名前をモーゼスと呼びますが:彼女は、何故なら、私が彼を水の中から救い出したため、と言いました」(2:10)。

モーゼスの誕生にまつわるこの親しみのある説明は、幾つかの興味深い問いを浮上させます。さげすまされたアジア的な遊牧民の民族の中に生まれたヘブライ人の赤子が、強力なファラオに対してどの様な危険を現したのでしょうか?彼女の3か月の赤子を救おうと、懸命なその母親は、何故、ファラオの宮廷の近くで、紙草の小舟の中に彼を浮かばせたのでしょう?彼を救出し、彼を世話するために、彼の母親に戻した御姫様は誰だったのでしょう?何故、此処で、母親の元へ戻されたその子供の命は、その後、明らかな危険の下では無く成ったのでしょう?何故、エジプトの風習とは対照的に、未婚の御姫様がモーゼスを養子にする事が許され、そして彼を、彼女の息子として、宮廷の中へと迎い入れたのでしょう?

私達はその後、「成人した」モーゼスが、一人のヘブライ人を攻撃していた、あるエジプト人を殺害し、シナイ南部のミディアンに逃れ、其処でリューエルと言う名のミディアンの祭司の7人の娘達の一人、ジッポラーと婚姻し、彼の義理の父の羊の世話をする仕事に落ち着いたとされるまで、その逸話に隙間を有します。彼の遊牧的な生活は、燃え盛る藪の中で、彼に主が現れ、出エジプト記の書によると、彼にエジプトに戻り、モーゼスが生まれる数十年前から続いていた、厳しい迫害からイスラエライト族を解放する様に命令されるまで続きました。

数々の問いを浮上させる、その逸話の背後の歴史的な出来事への幾つかの手掛かりは、モーゼスの人生のその他の説明の中に見つけられます。ヘブライの法律と伝説の収集である - タルムードは - 西暦の初頭に年代鑑定され(ますが、モーゼス自身の時代まで遡ると信じられる、太古の口述の伝統から派生し)そしてユダヤ人達の早期の歴史の、権威的な源泉として、旧約聖書に二番目に次ぐ唯一のものとして考えられ - 彼の人生について幾つもの、更なる詳細を供給します。

彼はそのエジプト人を殺害した後、メディアンでは無く、エチオピアに逃れ、其処の王座を乗っ取った、賢明なエジプト人の魔術師、ビ’ラムに対して、王の側で戦い、そして宮廷においてとても信頼を得て、その王がその後に死んだ時、モーゼス自身がエチオピアの新たな王に任命されたと言われます。モーゼスは「正義と公正さにおいて統治しました。ですが、彼女自身の息子が統治する事を望んだ、エチオピアの女王、アドニテ(エジプト語で Aden-it/アデン・イト)は、人々にこう述べました:「何故、この外人が、貴方達の上で統治し続けるのですか?」その人々は、しかしながら、彼等が敬愛したモーゼスを困らせませんでしたが・・・モーゼスは、彼等が与えた権力を自主的に辞退し、彼等の国から離れました。」彼がメディアンへと向かったのは、その後でした。

タルムードが、モーゼスのその出国が平和的であった事を示唆する間、コラーンの中のそれらの出来事の説明は、彼が逃れたのは、彼の命が脅かされたためであった事を示唆します:

そしてその街の
最も遠い側から
逃れてきた男が現れた。
彼は言った:
おお、モーゼス!長老達は
貴方を殺す事について
一所に話し合っています:
ですから貴方は、私の切実な
助言を受け、逃れて下さい。

SURA 28:20

タルムードはまた、モーゼスがエジプトの王座への危険を体現したために、彼の誕生の際に殺害されるはずだった事を鮮明にします。ファラオは、彼が王座に座っていた際に、大きな天秤を持った老人を見た夢を見たと記述されます。その老人は、エジプトの長老達と王子達を、その秤の一方に乗せ、そしてもう一方に子羊(i.e. 牡羊座)を乗せました。そしてその子羊の方が重い事が明らかに成りました。その王は、(聖書には登場しませんが) - 彼の祖国、エジプトに、エチオピアから逃れ帰った - 彼の助言者、ビ’ラムに、この奇妙な夢の重要性を尋ねました。ビ’ラムは、大いなる邪悪が、その国に待ち受けるでしょうと説明しました:「エジプトを破壊する、一人の息子が、イスラエル(族)に生まれるでしょう。」

モーゼスが3歳位の時に、その逸話はこう続き、彼の家族と、その領地の王子達が出席した宴会の際に、ファラオはモーゼスを彼の膝の上に乗せ、その際にその子は、彼の手を伸ばし、ファラオの王冠を取り、彼自身の頭に乗せたとされます。その王は、この行為には、何らかの不吉な重要性があると感じました。「どの様にして、このヘブライ人の少年を罰しましょう?」と、彼は尋ねました。

ビ’ラムは、その王の疑いを肯定しました。「その子供が幼いからと言って、彼が考え無しでその行為を行ったと思ってはなりません、」と彼は言いました。「おお、王よ、この従者が、貴方のために解釈した夢、天秤の夢を思い出して下さい。理解のスピリットは既に、この子供の中に植え付けられ、そして彼自身のために、彼は貴方の王国を奪うでしょう。」

何世紀も後に、これ等の出来事の、彼等の説明を記述した書生達は、事実を捏造したのでは無く、彼等が記載したものは、その記憶が何世代にも渡り口述で伝達され、それらの逸話が口伝えによって伝えられた時に必然的な、歪みと付け加えがあった、正真正銘の歴史的な出来事だと推測するのは納得出来るでしょう。上述の源泉からのモーゼスの逸話の主要な点は、彼が:

1)ヘブライ人の子供で、イスラエライト族の、エジプトへの旅の初頭に生まれ;

2)エジプトの王座への脅かしを体現し;

3)彼の命を救うために隠れ場所へと送られ;

4)後に彼の母親へと戻され、そして王宮の中で暮らし;

5)王に成り;

6)退位し、そして彼の命が再び脅かされた時に、メディアンへと逃れ;

7)そして、勿論、私達が後に学ぶ様に、唯一、一人(一つ)の神しか存在しないと信じました。

モーゼスの、歴史的な正体を確立するために、私達は、少なくとも上記された明言の大半に当てはまる個人(歴史上の登場人物)を探さなければなりません。それらが実際に全て当てはまる、その様な歴史上の人物は、唯一、一人しかおらず - ファラオ、アケナーテンです。

モーゼスの誕生の逸話を記述した書生達は、難しい仕事に面していました。彼等は、彼等の説明の中に、モーゼス自身に加えて、統治しているファラオと彼の女王、2人の未来のファラオ達と彼等の女王達、一人のレヴィ族の娘、実際にはモーゼスの腹違いの姉であった一人の姉、実際には血縁では無かったモーゼスの一人の兄弟、一人の乳母と、ナイル川に泳ぎに行き、そして見捨てられた赤子にであった「ハウス」を、(その逸話の中に)全て納めなければなりませんでした。これは、出エジプト記の書の第二章の、最初の10行へとまとめるには、大変な量の情報で、そしてその状況において、その書生達が、特に、登場人物達の多くは、聖書的な名前と、エジプト的な名前の2つを有していたので、その逸話における主要な登場人物の名前を記載しなかったのは、恐らく同感出来るでしょう。この削除を修正する事は、複雑な逸話をより単純にします:

アメンホテップ3世:    父親

女王ティエ:         母親

アケナーテン:       モーゼス

ネフェティティ:       ミリアム、アメンホテップ3世とシットアムンの娘、
               彼が王座を継承するために婚姻した、幼い後継者である姉。

レヴィの娘:        ジョチェベッド(エジプト語ではティイ)。
               彼女は、後に彼自身がエジプトを統治する、女王ティエの兄弟で、
               ユヤ(ジョセフ)の次男、アイ(エフライム)との彼女の婚姻を通して、
               女王ティエの義理の姉妹でした。ティイはまた、ネフェティティとアケナーテン
               (モーゼス)の両方の乳母でした。

アアロン:         ティイの息子で、旧約聖書の中で、モーゼスのレヴィ族の兄弟として
               描写されます。これは、しかしながら、血縁関係では無く、当時も現在の様に、
               乳母には「母親」の敬意的な称号が与えられ、そして彼女自身の子供達は、
               授乳された子供の兄弟達で姉妹達として見られた事実に基づいています。

御姫様:          女王ティエ、アケナーテン(モーゼス)の母親です。聖書的な逸話の中で、
               何故、彼女が、モーゼスを養子にした御姫様として現れたのかは、
               2つの理由が説明します。最初に、旧約聖書が最終的な形状を与えられた
               紀元前6世紀において、「娘」のための言葉と、「ハウス」のための言葉は、
               同一に記述され、どちらの特定の意味が意図されたのかについて、あらゆる
               コンテキスト(文脈)において、疑い(混乱)を創造しました。その書生にとって、
               ハウスが川へ行水に行き、モーゼスを救い、後に彼を養子にし、彼を宮廷で
               育てたと示唆する事は意味を成しませんでした。彼は故に「娘」と言う言葉を
               選択し - 私達が、ジョセフについての章の中で以前に見た様に - 「ハウス
               と言う言葉が、誰かの妻に言及する際の、エジプトの礼儀正しい習慣
               であった事に気付いていませんでした。成り行きとして、モーゼスを
               救ったのは、ファラオの「ハウス」である - 女王で - 
               示唆された養子縁組は、彼の、彼の実母への、安全な返還を表します。

アメンホテップと言う幼名を与えられたアケナーテン(モーゼス)は、アメンホテプ3世と女王、ティエの次男でした。トトメス(トート・モーゼス)と名付けられた長男は、現代のカイロの15マイル南の、行政的な首都であった、メンフィスにおいて、貴族の息子達と共に教育され、訓練されていた際の、不思議な状況の間に失踪しました。彼の運命は謎のままです。

彼の後の人生の私達が知っている事から、アケナーテン(モーゼス)は、彼の両親が、第二の新婚旅行として、ザルウの娯楽の湖で、船に乗りに行った9か月後の、紀元前1395年の後期に生まれたと推測するのは、合点がいくでしょう。私達は、アメンホテップ3世が、もし彼の妻の子供が男子なら、殺害せよと2人の産婆に命じ、そしてこの計画が失敗したなら、イスラエライト族の新生児の男子の全てを溺れ死にさせよと言う命令を下したと言う逸話を補佐する歴史的な証拠を有しません。実際に、強力なファラオが、その様な突飛な手法* を取ったと考えるのは立証する事が難しいです。

私達は、その幼い王子の生命の、その他の要素についての、事実的な証拠を有します。彼が生まれた時から - そして彼の人生を通して - 特に、上エジプトのテーベにおける国家的な神、アムン-ラーの、強力な神官階級(官僚)の中に、影響力の強い敵を、彼が持っていた事を私達は知っています。彼等の敵対心は、彼の両親に由来しました。エジプトにおいて、王はアムン-ラーの息子として考えられ、後継者(女子)とのその神の統合の結果として生まれるとされました。女王ティエは、後継者では無く、彼女はアムン-ラーの正妻として考えられる事が出来なかったので、彼女に生まれた男子は、アムン-ラーの息子として考えられる事が出来ず、故に正当な後継者ではありませんでした。更に加えて、女王、ティエ自身が、エジプト人とイスラエル人の混血で、もし彼女の息子が王座に就いたなら、これは非エジプト人で、非アムン派の、イスラエライト族との混血の王が統治する、新たな王朝を形成すると考えられました。私達は以前に、側室の息子であった、トトメス3世のために、彼の父が、正式な跡取りとして彼(トトメス)が確立される様に、神官達によって運ばれたアムン-ラーのイメージ(偶像)が、その王子を神の息子として選ぶ、養子縁組的な儀式を準備した際の、同様な場合に出くわしました。

アケナーテン(モーゼス)が、彼の幼少期と少年時代の早期の殆どを隠れながら過ごし - 彼が突然、十代半場に、テーベの王宮に現れるまで彼の事を全く聞かず - そして彼は、その後に彼女の夫であるアイと分かち合った彼女のお墓に、「大いなる乳母、神(王)の育成者、その王(アケナーテン)を育てた者」として描写されるティイによって、世話された事を私達はまた、知っています。

これ等の出来事の私なりの解釈は、女王、ティエの長男、トトメスの(不透明な)死の結果として、生まれたばかりのアケナーテン(モーゼス)が面している危険に彼女が気付いていて、彼の誕生の地であるザルウの宮殿から、水路によって繋がれた、ザルウを囲む肥沃な地、ゴシェンの、彼女の義理の姉妹、ティイと、その他のイスラエライト族の親戚に預けるために、始めから彼を脱出させる事を試みたと言う事です。彼女はその後、彼の幼少期の間、彼をザルウに留めた様で、彼が、メンフィス、またはテーベ** を訪れる事を許さなかった様です。

* アケナーテンについての情報は、公式な寺院の記録に現れる事が許されなかったので、彼の人生の逸話は、彼の死後すぐに、紀元前13世紀の初めに、イスラエライト族とエジプト人達の両方に間で、口述で伝達され始めたでしょう。これらの逸話は、口述における伝達の長い期間の後の、何世紀も後に、記述として残されました。

** 私が思うに、アブラハム-サラ-ファラオと、デーヴィッド-バツシェバ-ユライアの場合においての様に、モーゼスを救うための、ティエとティイの間の共謀は、旧約聖書に繰り返された逸話 - 2人の女性達の間の、子供の親権を争う論争において、彼が判断しなければならなかった、ソロモンの英知の原型を供給します。

もし、アケナーテン(モーゼス)が、その後、彼がアケナーテンに変えた、アメンホテップと言う幼名を授けられたなら、世界中が彼をモーゼスとして覚えているのは奇妙な様です。彼の正体と、彼の名前の起源はその後、第二次世界大戦の勃発の直前に出版された、物議をかもしだした本、モーゼスと一神教の中で論議し、モーゼスはエジプト人であったと主張した、心理分析の父、シグモンド・フロイドの注意を引きました。彼はまた、モーゼスの誕生の逸話が、歴史上のその他の大いなる英雄の幾らか(バビロンのサルゴン王など)の誕生についてのその他の太古の伝説の複製である事を証明しました。フロイドは、しかしながら、モーゼスの誕生と露出の神話は、その他の英雄達の逸話から、ある一つの本質的な要素において異なると指摘しました。モーゼスがエジプト人であった事実を隠すために、彼の誕生の神話は、彼が貧しい両親の下で生まれ、高い地位の一族によって救われたとするために、反転させられ:「モーゼスの場合、それはとても異なっています。此処において、最初の家族は、十分に謙虚であると確立されます。彼はユダヤのレヴィ族の子供です。ですが2つ目の家族 - 定番として、英雄が育てられる貧しい家族は - エジプトの王族と入れ替えられます。この通常の典型からの分離は、多くの研究者達に奇妙だと思わせました。」

イスラエライト族に法律を与えた者(モーゼス)が、もし実際にエジプト人であったなら、多くの神々とイメージにおける典型的な太古のエジプトの信仰の代わりにむしろ、彼の信者達に、一神教的な信仰を後に与えたのは奇妙だと、フロイドは指摘しました。それと同時に彼(フロイド)は、アケナーテンが彼の国に強要しようと試みた新たな宗教と、モーゼスに帰属される宗教的な教えの間の、大いなる類似性を発見しました。例えば、彼はこう記述しました:「ユダヤの信条はこう言います:「Schema Yisrael Adonai Elohenu Adonai Echod.」ヘブライ語の文字 d は、エジプト語の t の音訳で、e は o に成るので、ユダヤの信条からのこの文章は、「此処において、おお、イスラエルよ、私達の神、アテンは、唯一の神であります。」と成ると、彼は説明しました(i.e. adon=aton/aden=aten)。

フロイドは、アケナーテンが、彼の一神教的な政権の、厳しい本質のために、彼自身の信者達に殺害されたと言う結論に達し、その後、恐らくトトメスと呼ばれるアテン教の信者で、彼の高神官の一人が、既に(エジプト)東部の三角州のゴシェンに住んでいた、ヘブライ族を、彼の選民として選択し、出エジプト記の時代に、彼等をエジプト国外に導き、そして彼等にアケナーテンの宗教の教義を伝えたとしました。

モーゼスの名前について、彼はこう述べました:「モーゼスについて、私達の関心を最初に引き付けるのは、彼の名前で、それはヘブライ語においてモーシェ(Moshe)と書かれます。「それは何処から由来するのだろう?」「それは何を意味するのだろう?」と人は尋ねるかも知れません。

それは聖書の記述者が、ファラオの娘(御姫様)が、彼女が養子にした子供をモーゼスと呼んだのは、「何故なら私が彼を水(川)の中から引き出した(救った)ためです」と言ったと引用した際に、私達に信じてもらいたい事から由来しておらず、または意味もしていません。動詞として、ヘブライ語の言葉、m sh a は、「引き出す」、または「引き出す者」のどちらかを意味します。故に、聖書的な編集者によって与えられた説明に同意するためには、その名前は Moshe では無く、Moshui で、「引き出された者(救われた者)」でなければなりません。

フロイドは、モーゼスの名前の起源が、「子供」のための、太古のエジプトの言葉で、それはプター・モスやトト・モスの様な、多くのエジプト語の合成的な名前に見つけられると結論しました。その繋がりを語義的に辿るのは単純です。太古のエジプト語において、「子供」は子音の m と s で記述され - エジプト語とヘブライ語のどちらも、母音は発音されたにも拘らず、記述され無かったので - そしてもし、私達が Moshe から母音を取り外せば、私達には、m と sh が残されます。ヘブライ語の sh は、エジプト語の s と同義です。故に、そのヘブライ語の単語が、エジプトの言葉、mos に由来したと理解するのは簡単です( Moses の最後の「 s 」は、聖書的な名前の、ギリシャ語の翻訳に由来します。i.e. モーゼス=モーセ)。

mos と言う単語について、私は確かにフロイドが正しいと思いますが、アケナーテンに関して、私達が見る様に、唯単に、彼の名前を口にしただけで死刑に成った、彼の人生の終盤に時代からの、より広い意味を持つと、私は考えます。

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