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神々の格子 第14章 ゴシック的な結び:

錬金術と大聖堂
ジョセフ P. ファレル and スコット D. デ・ハート


ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル296ページ、オン・ライン電子籍:346ページより:

「中世の[解読不能]が、同じ肯定的な真実、エジプトのピラミッド、ギリシャの寺院、ローマのカタクーム(地下墓地)、そしてビザンチンのバシリカ(建築様式)と同じ科学的な土台を持つと知る事は私達にとって十分です・・・ヘルメス主義者達は・・・スピリット(霊)が解放され、文字が死ぬのは、その本と建物の衝突からであると認識するでしょう。」
E. キャンセリエット

cur deus homo、 または「何故、神-人?」と言う問いを彼が浮上させた時に、永続的な負債(借金)の錬金術のロジックを暴露したのは、聖者アンセルムでした。実際に、その忠誠的な弁明者は、何故、神が統一/宇宙的な権威の王座を離れ、惨殺(生贄)へと導かれる(神の)子羊に成るのかと言う彼自身の問いに答えました。彼の答えは:無限の罪は、無限の量の一致する裁きを必要とし;その裁きは、文字通り地球の土台を揺るがし;その(刑の)執行はとても無残で、太陽が暗闇の影の中に隠れる程だと言う事でした。人類は、感情を損なわれた神に対して神判にかけられていて、不服従の無礼を改善し、「本(帳簿)をゼロ・バランス(±ゼロ)」にするには、無限の価値の、完全に無垢な犠牲者が、偽りの神判の対象にされ、肉体的な拷問にかけられ、苦痛に満ちたゆっくりとした処刑の対象に成る以外は十分では無いと言う事でした。

私達は、この本のページの中で、尊敬された聖者アンセルムに対して、少々以上の反対論を上げ;尊敬はしていますが無防備なボソ程、ナイーヴでは無いのは、数千年までとは言わずとも、数世紀を超えて渡り、地上にとても乱雑に散りばめられた、文字通りにピラミッド的な証拠の山があるためです。好奇心旺盛で開かれたマインドのその弟子、ボソは、最終的にカンタベリーのアンセルムの血みどろのロジックによって、沈黙させられたかも知れませんが、もし彼が古代の遺跡を調査する機会が与えられ、神聖なマヤの文献を開き、機嫌を損なわれた、完全で最強の天界的な統治者(神)をなだめるために、血を流された無垢な犠牲者達の話しのそのエコー(響き)と共に、人間の歴史の比較的な研究を行って入れば、どれだけ異なって彼の師匠(アンセルム)に答えたでしょう?もしボソが未来を見ることができ、ほんの数世紀後に建てられた大いなるゴシック的な大聖堂を飾った錬金術的なシンボルを観る特権さえ持っていれば、どれだけ異なって、彼の師匠に答えたでしょう?

そのパンドラの箱のロジック的な蓋は、現代の研究のハリケーン的な風と共に一掃されました。この、元々の神秘的な箱は、単純で神学的な「最後の言葉」で、その昔、中世の疑っているトーマス(一般人)のマインドを満足させるのに十分だった言葉で、再び塞ぐ事は今、もう不可能です。21世紀の時の風、歴史的な調査、そして考古学的な証拠は、疑う余地無く、アンセルムの弁明(言い訳)の正当性に対して、疑いの声を浮上させます。恐らく、現代の不信者達に、更にもっと不穏なのは、既にもう目撃された様に、一度で最後の借り(借金)と償い(支払)の神学の上の、中世の弁明者の主張の、不道徳に見える訴えが、全く孤立化した、一度で最後の出来事に見えない事でしょう。慎重な調査が今明かすのは、アンセルムによって支持された、借金支払の儀式は、終わる事の無い生贄を要求しているこちら、またはあちらの神への、数多くの無垢な流血の中の、彼自身の好まれ血塗られた出来事以外の何ものでも無い事でした。紀元前33年、またはその頃の、エルサレムの丘側の周りでの、借金と支払の儀式(i.e. イエスの怒り)は、身の毛もよだつ歴史的に重要な出来事でしたが、それは間違いなく、借金の返済を要求している、気分を害された神お供えされた最初と最後ではありません。

もし、この対話におけるアンセルムの相手が、彼の弟子では無く、一人の無神論者であったなら、何故、博愛の神が、無礼から派生した感情をなだめるために、犠牲者達の流血の、非博愛の儀式を強調するのか?の様な、もっと厳しい問いを尋ねたであろう事は確かです。無垢な代理の被害者の死に対して、実際にどの様な、道徳的な価値が添えられているのでしょう?刑罰(生贄)が、表向きの罪よりも遥かに重い時、無礼はどの様に満足へと変えられるのでしょう?償い(返済)のための実際の欲求が、無礼に関するものより、推定された借金の支払い(罪の償い)により関係していて、不服従の無礼よりも遥かに重要である事は可能でしょうか?

実際に、見物者達と次の被害者達の眼を満たす涙以外に、このドラマにおいて役割を果たしている道徳と純粋さは殆どありません。このドラマは、実質的な関連の全てにおいて、あらゆる人間的な道徳が欠けています;もし人がこのドラマから、何らかの道徳を掴みだすことが出来るとしたら、人はオスカー・ワイルド作のドリアン・グレーの絵のオルタナティヴ版を見ていると考えるかも知れず;彼の手、傷付きしわの寄った額、握りしめられた拳から血が滴っている、怒れる神の誤魔化しが、彼によって行われた罪よりもむしろ、世界の罪の全てが、彼の中に融合されるにおいて、博愛で純粋な、若い青年へと変化するのを見ている様だと思うでしょう。十分に奇妙な事に、ヴィクトリア女王時代の英国は、主人公が、彼の血への欲求から豹変し、ある邪悪なイメージへと刃を刺す事で、後悔いっぱいで死ぬ小説の文章において、不道徳を伝播していると、ワイルドは非難されました。アステカとアンセルムは、対照的に、血に飢えた神を癒すために死んでゆく無垢な処女/童貞と共に彼等のドラマのクライマックスを書き、そしてこれは、この世界をどうにかしてより良い場所にするとされました。その一つの件の場合、生贄的なドラマの運動へと設定したのは、捻くれた「スピリット的な経済」で;もう一つにおいては、捻くれた物理学で、そして両方が、人の魂を、永続的な奴隷のマインドセット(思考)へと変革しようとデザインされた、ある黒い錬金術(黒魔術)において一つに成りました。

「その世界は舞台ですが、その劇の配役はまずいです、」とオスカー・ワイルドは明言しました。この悲劇のためのその舞台は、静かな丘の側でも、子供部屋の内側に魔法的な肖像画のある、ヴィクトリア女王時代のネオ-ゴシック的な大豪邸などでも無く、むしろそれは、更にもっと不穏で疑われていない処です。この悲劇は、純粋に、そして単純に、負債(借金)のものです。道徳的な公正さ以上のものへの渇き(欲求)を持つ神々が;競争を排除(i.e. 独占)しようとする、満たす事の出来ない必要性を持つ神々が;脅迫と暴力以外のなにものでも無いものによって、財産の上の操作と所有権を確立する事を、神々が要求します。始めから終りまで、代償は展開させられ、借金を支払い、物理的な媒体(エーテル)を操作する、服従と生贄/犠牲の、身の毛もよだつ話しです。これが神々の格子の話しで、それは人間の歴史で、そして幾つものモニュメンツ(遺跡など)がそのグリッド上に記念碑として残されました!

そのグリッドは死んだのでは無く;その球体の魔法的で、そして錬金術(化学)的な音楽、そしてそれがそれと共に技術開発された、超-次元的な科学技術は死に絶えませんでした。それは西洋ヨーロッパの意外な場所において残り、息を奪うようなゴシック的な大聖堂の中で、不明瞭ではありますが、それらの中に彫刻された象徴性の、明らかに錬金術的な本質として生き残りました。彼が暴露しようと試みた、秘儀的で、錬金術的な意味の、大聖堂の、不明瞭で不透明、そして錬金術的な象徴を明かした人、謎に満ちた「フルカネリ」以上に、それらの象徴の不明瞭な本質をよく理解した人はいませんでした。その人の謎の中で私達が迷わない様に、しかしながら、私達は、彼の研究、またはむしろ、彼が解読する多くの象徴の一つの上に集中しましょう。

私達は、借金と生贄の「スピリット(霊)的な経済」を通して、物理的な媒体を操作しようとした、この試みにおいて、錬金術が機能していた事を目撃しました。ですが、生贄、錬金術、そして「スピリット的な負債(借金)」の実施が、アステカとモンテズマと共に死ななかったのは、そのグリッドのこの調査の後書きとして、人が更に遠くへと行く必要が無いのは、秘密裡に知覚された錬金術的な象徴性の背景の中で、更なるもう一つの生贄の儀式が、それらの大いなるゴシック的な大聖堂において展開されたためです。それらの大いなる、そびえ立つ、控え壁で強化された大聖堂は、多くが知る様に、グリッド上の点に意図的に配置/配列されましたが;多くが知らないのは、しかしながら、それらの中で、そしてそれらを通して使用された、不明瞭で錬金術的な象徴性の、計算された深さです。

私達は、彼の膨大な研究の中で、フルカネリによって指摘されたパリのノッテルダム(大聖堂)の浅さ浮彫りだけを検証しましょう。ある意味、それが彼の研究における鍵なのは、それがまた大聖堂の錬金術、そしてキリスト教の建て前の背後にそれらを隠す必要性が、もう必要では無く成り、そしてより客観的にそれらの象徴を検証するために、独立的な思考がそれ自体を解放し始めた時に、ヨーロッパの文学と芸術において最終的に弾け出した、より深い象徴性の鍵であるためです。

フルカネリは、アンセルムへの、錬金術的な答えでした。

もしくはむしろ、彼はフランスのゴシック的な大聖堂を飾った錬金術的な象徴の解読者でした。

フルカネリが彼の本の中で論議した、最初の浮彫りであり、象徴性である、パリのノッテルダムにおいて見つけられる浅さ浮彫りの、以下の不明瞭な本質を考えてみて下さい。

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パリのノッテルダムの不明瞭な浅さ浮彫り:天界の王?または中性的な錬金術?

その浮彫りは、有名なパリの大聖堂の、大いなるポーチの上に見つけられます。

最初に一目見ると、キリスト教徒の敬神の信者は、恐らくその浮彫りを、予想可能な方法で解読するでしょう:その人物は王座の上に座し、左手にセプター(王杖)を持ち、そして右手には - 一方は開いていて、もう一方は閉じている - 2冊の本を持ち、その奇妙な人物の膝の間には、一つの梯子があると解読するでしょう。これはキリストで、天界の王で、天界の王座の上に座し、聖歌の開かれた本を持ち、そして恐らく、アポカリプス(世紀末)において彼によって開かれる、閉じられた生命の本を持っている、と信者は提案するでしょう。その梯子は、恐らく、ヤコブの梯子で、それによって天界と地上は統合され、そして故に、キリストに相応しい象徴です。その人物が、この様に解釈される事が出来るのは、象徴者(石工/メイソン)の技の御蔭です。

ですが秘儀主義(神秘主義)において教育された人にとって、その象徴は、全く異なった解釈が可能です。その人物像の詳細な検証が明かすのは、慎重に浮彫りにされた中性性で、完全に男性的でも、完全に女性的でもありません。むしろそれは、同時的に男性的であり、女性的でもあります。その様なものとして、それは同等に錬金術的であると同時に、キリスト教の象徴であるのは、それが故に、錬金術がそれを理解した様に、物理的な媒体自体の象徴として機能するためです。フルカネリはその他の場所で、「そのスピリットは、この更にもっと矛盾的なアンチテーゼの前において不穏に感じる以外の事は出来ず:錬金術的な思考の松明(たいまつ)は、キリスト教的な思考の寺院をイルミネートしています(照らしています)、」と述べています。

この見解から、その浅さ浮彫り全体は、とても異なった定義においてそれ自体を解読させます。フルカネリは、その有名な大聖堂が、「フランスの大聖堂の殆どと同様に、祝福された処女、マリー(マリア)、または処女聖母に献身されている、」と述べます。しかしながら、これにおいてでさえ、秘儀的で錬金術的な重要性があり、そしてその大いなるポーチの浅さ浮彫りは、それを明かしています:

「誇り/尊敬の場所において、中庭を向き、錬金術は一人の女性によって体現され、彼女の頭は雲に触れています。王座の上に座し、彼女は左手に王族の力の象徴であるセプターを持ち、その間、彼女の右手は2冊の本を持ち、その一つは閉じられ(秘儀主義)、もう一つは開かれています(一般教義)。彼女の膝の間に支えられ、彼女の胸に対して寄りかかっているのは、9つの段階のある梯子で - scala philosophorum(哲学の段階)で - ヘルメス的な修行の、9つの連続的な機能の一連において、信者が有さなければならない、忍耐のヒエログリフ(象形文字/象徴)です・・・」

フルカネリが、その浅さ浮彫りの中性的な本質を注解した事実を超えて、その象徴は、ヴィシュヌーの最初の「3重化/三位一体」から直接取られたとする事もでき、その創始的な無は、その全く分別化されていない女性性の全てにおいて、元々の「3重化」の後に、彼に対して(彼の)上に立っています。

それは、「キリスト教的な大いなる働きの、正に面の上の」錬金術(化学/ばけがく)の「現世の大いなる働き(i.e. メイソン)の印し」であると、フルカネリは観測します。此処において描かれた処女の聖母は、「彼女の象徴的なヴェールを剥ぎ取られ」そして故に、

「彼のデザイン(計画)を更に遂行するために、プリンスパル(主要/主役)である、存在する全ての創造主によって使用された、創始的な実質の人格化以外の何ものでもありません。これが、この奇妙な形容の意味で(そして、実に、とても鮮明なもので)、それを私達は無原罪懐胎説(処女の妊娠)のミサ(集会)において読み、その文章はこう読めます:

「その主は、彼の方法/道において、その始まりに私を有し/神憑りしました。私は、彼があらゆる生き物を形成する前に存在していました。私は、地球が創造される前に、全ての永遠から存在していました。その底無し穴(アビス/アブズー)は未だに存在せず、そして私は既に想像されて/妊娠されていました・・・」

フルカネリにとって、その浅さ浮彫りは故にまた、親しみのある聖書の文章の、深遠に異なった錬金術的で、秘儀的な意味への手掛かりで、信者達によって帰された一般的な意味とは異なっています。

その意味は鮮明で:その処女の聖母は創始的な mater(母/物質)の象徴で、創始的な「mother(母)」、または matter (物質)で、錬金術(ばけがく)によると、その他全てが派生した、物理的な媒体(エーテル)です。ですから、中世の教会の教義に沿って、教会によって生贄的であると理解された儀式の実施において行われた「全質変化(ばけがく)」と呼ばれたもう一つの変格が行われた処である、その大いなる大聖堂を、錬金術的な象徴性が装飾するのは驚きでは無く、表向き(exoteric)の教義と儀式の背後にあるのは、恐らく機能しているであろう、隠された秘儀主義(esotericism)で、キリスト教的な象徴の背後で、再びそれ自体を再派生させ、それ自体を変装させる必要性から解放されるまで、時が熟すのを待っています。それらの象徴が錬金術的であり、フランスの最も有名なゴシック的な大聖堂に堂々と飾られている、正にその事実は、何らかのその他の事への証言で、つまり、錬金術的で、ヘルメス主義的なエリートが、数世紀を通したヨーロッパ全般を通して、それらの構築を監督し、指導してきたと言う事です。

彼の最も最近の、パリにおける調査の期間、彼の背骨をくすぐる様なチチェン・イッザへの巡礼と共に、少なくとも一つの事が、スコット・デ・ハートにとてもはっきりと明かされました;ノッテルダムと同時に光の街の暗いカタクーム(地下墓地)の中の両方において、彼は、神々の遊び場の隠された部屋への、人類の儀式的、そして錬金術的な行進の目撃者でした。この旅を行う時、そのカタクームの中に印された警告を心に留めるのは大事です:「Arrête! C'esticil'empire de la mort,」止まれ!此処は死の帝国である。

最後に、私達がまた目撃した様に、物理的な媒体のこの太古の見解には、より深い現実があり、その見解は、それがスピリット(霊)的な負債(i.e. 原罪/借金)と生贄/犠牲の儀式へと歪められる以前から存在し、そしてそれはその媒体が豊かさ/生産性に満ち溢れていて、その他全てが溢れ出した、創始的で中性的な「無」であると言う見解でした。それは創始的で「神聖な単純性」で、とても奇妙な象徴性のセットを創造した、生命の帝国であり、その象徴のセットに私達はこれらのページにおいて、端的に触れただけで、そしてそれらの表現と示唆の全体の幅は、まだ検証されていません。

ですがそれらの奥深さを検証するのは、もう一つの本の役目です。今の処、この役割、この調査、そしてその示唆のヒントは、完結しました。

Joseph P. Farrell

Scott D. de Hart

1notre dame

パリのノッテルダムの大いなるポーチの主要なアーチ

補足資料:オン・ライン電子書籍、302-303ページ

FIN

Joseph P. Farrell & Scott D. de Hart | Transhumanism, October 28, 2012
ジョセフ P. ファレル&スコット D. デ・ハート | トランスヒューマニズム(ばけがく)2012年



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