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神々の格子 第11章: マ’アテリア・プリマ

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル245ページ、オン・ライン電子籍:、284ページより:

シュワラー・デ・ルービッツと、物理的な媒体のエジプト的な見解

「中国の賢者達はこう言いました:1は、常に3に等しいです。エジプトの賢者達は、彼等が幾何学(立体性)的な形状の起源において、三角形を置いたので、それぞれの線の起源にトライアッド(3重性/三位一体)を置きました。2つの単純化出来ないマグニチュード(度合/規模)は、必然的に3つ目を決定します。その賢者達は、それ以外を決して教えませんでした。」

「貴方はこれを、聖父、スピリット(霊/精霊)、そして息子、またはオシリス、イシス、そしてホルスとして解釈しますか?もしくは、ブラーマ(バラモン)、シーヴァ、そしてヴィシュヌーでしょうか?・・・貴方は、もし貴方が賢明で、道に迷わされる事を望まないなら、貴方はこう云うでしょう:1と2は、3です:これは、イメージを必要とする者達のために、
彼等が伝統の周りに集まれるように、そして「宗教(カルト)」と呼ばれるものによって、結ばれる様に、入門者/会員達によって体現されました。」
R. A. シュワラー・デ・ルービッツ

上記された私達の碑文への対応において、もしその賢者達が、ある種の創始的な「3重性/三位一体」への言及「以外は、決して何も教えなかった」のなら、すると、何故そうだったのかを、私達が尋ねるのには正当性があります。私達は何故、キリスト教だけでは無く、更に古く、(インドの)ヴィーダに、中国に、エジプトにおいて、3重性/三位一体を見つけるのでしょう?そしてそれは、世界グリッドと物理学に、どう拘わっているのでしょう?

これ等の問いは、エジプトのピラミッドを囲んでいる - 物理学と神話のコンテキスト(文脈)である - 宇宙学を思考する事によって答えられるかも知れず、そしてその他全てが派生し、そして彼等がそれと共に関連させる、神聖な科学が派生する、マテリア・プリマ(創始的な物質)のための彼等の言葉、マ’アットと言う一つの単語に集結されるかも知れません。

その問いは、もう一つの理由で重要性を帯び、つまり、もし人が、エジプト的な貢献、または世界グリッドの構成要素の特徴的な本質を、全体的に、そして完全に理解するためには、人はその背後にある宇宙学を理解しなければならないと言う事です。再び、唯単に、数字と技術開発を見ているだけでは、不十分です。人は、文献と、その文化的なコンテキストもまた、見なければなりません。

A.物理的な媒体とヒエログリフ的なシンボルの本質

20世紀において最も熟達された、秘儀主義の学者、レネー・シュワラー・デ・ルービッツよりも、エジプトの宇宙学の意味とスピリットへと、より深く追求する研究を行った人はいません。シュワラーは、殆どの人が始めない処から始め、つまりエジプトについての最も明らかな事実である:ヒエログリフ(象形文字)から始めます:

「それぞれのヒエログリフは、一般的な使用のための束縛された(限定的で)、習慣的な意味を持ちますが、それは、(1)それに関連させられる事の出来る全ての思考と、(2)個人的な理解の可能性を含みます。これはヒエログリフのカバラ的な特徴を説明し、そしてその記述において限定詞(名詞句の指示対象を決定する名詞修飾語の限られたクラスの1つ)を必要とします。」

ヒエログリフ(絵文字)に「関連させられる思考の全て」によってシュワラーが何を意味するのかを、彼は更に少々後に説明します:

「ヒエログリフの記述が、イメージ(絵文字)を利用する優越性/利点をヘブライ語の上に持つのは、勝手な脱線無しで、それぞれのサイン(絵文字)に内在的な性質(意味)と機能を示すためです。」

カバラ的な記述は秘密を保ちますが、固定化された概念によって表現不可能な、主要なアイデアを強調する事によって手掛かりを提供します。それは常に、一般的な事実を、思考:例えば地理的な場所、歴史的な事実、機能、職業に関連したジェスチャー、良く知られた神学的な形状、または神話でさえも含めて引っかける(連想させるフックとして使用し、複数の可能な意味を持つ転写の形状として使用します。

つまり、それぞれのヒエログリフ(e.g. 漢字)が体現するのは、その主要的な特徴が、その類推で、複数段階の本質である、「イデオロギー(思想)的」、または「概念的なコンプレックス(複雑性/構成)」であると言う事です。

1.ヒエログリフと物理的な媒体の類推的な本質

これが何を意味するかを理解するのが非常に重要なのは、エジプトの宇宙学においてヒエログリフ(象形文字)は、物理的な媒体(エーテル)のための、唯のシンボル(象徴)以上のものであるためで、それは実際の、その機能と現れであるためです。この章の少々後に私達が見る様に、エジプト人達は、インドの太古のヴィーダ的な文化がしたのと、大々的に同じような、物理的な媒体の見解を持ち、そして実際に、エジプト人達は、「創始的な切断」または分別化から結果する、元々の創始的な3重性/三位一体として、殆ど正に同じ方法において、その宇宙学/宇宙感を描写する形態的な隠喩を再産出します。故に、分別化が可能な物体の全ては、エジプト的な見解において、物理的な媒体から派生させられ、そしてそれは、勿論、ヒエログリフも含みます。ですがヒエログリフはまた、その産物であるよりも、更に物理的な媒体にもっとより直接的に関連しているのは、その媒体が、私達が以前の章において注目した様に、その本質において類推的で、つまり、繰り返された分別化の行程によって産出された全ては、その元々の原型の幾らかのシグニチャー(指紋/面影)を未だ保ち、特にその産物のあらゆるものの間で分かち合われた、重なり合っている機能に関して、未だに保っていると言う事実の打撃によってです。この感覚において、ヒエログリフは、シュワラーが観察した様に、特定的な機能の集合体に成る事を意味され;それらはサイコトロニック的な物体としてデザインされ - 私達があえて言うならば - それらの観測者達の意識を操作するためだけでは無く、物理的な媒体自体をも操作する、魔法的なタリスマン(護符/お守り)、または物体としてです。それらは、その様なものとして、それらの意図とデザインにおいて典型的に魔法的で錬金術(化学)的です。ヒエログリフが本質において類推的なのは、何故なら太古の見解における、形態的な隠喩において、その媒体自体は、類推的な本質であるためです。

シュワラーは故に、ヒエログリフを、それらの最も深い類推的な本質における、物理的な媒体の機能として見解します:

「ヒエログリフの意味を理解するためには、体現されている物体の性質と機能が求められなければならず、;もしサイン(文字)が複合体であるなら、その各部分の生きている意味が、その総合に入らなければなりません。」
(i.e. 「意味」=立+日+心+口+未)

これは形状構成における絶対的な正確性を仮定し、変形、または無視の可能性を排除します。また、観測されるべきは、シメトリー(左右対称性)は表現のモードの一つですが、美的感覚によるものでは無いと言う事です。

ヒエログリフと実際の媒体自体の間のこの親密な関係のために、シュワラーは、その深く類推的な本質から派生するそれ(意味)を理解する、現代人にとっての難しさを指摘します;私達がヒエログリフの本質を理解する事に失敗するのは、何故なら、「怠け癖、または日常的に、私達はこの類推的な思考行程を回避し、それがそうである媒体の、深く複数化された層の、複雑な現象と現れe.g. 漢字)よりもむしろ、私達にとって単一で凝結された概念を表現する単語によって、その対象を指定するためです。

2.ヒエログリフ、象徴の統一化された意図、そして隠れたエリート

エジプトのヒエログリフは故に、意図的な「象徴(シンボル)の統一化された意図」の代表例として機能しますが、それらが最初にする様に見えるよりも、更にもっと複雑な方法なのは、与えられたどのヒエログリフも(あらゆるヒエログリフは)、それらの中に意味された、類推的で複数層の段階を与えるためで、シュワラーが注目した様に、「全てと同様に選択された極少数に対して同時にそれ自体を指摘します」:それは、言葉を変えると、入門者/会員の集団であるエリートの記述で、彼等はその事実によって、ヒエログリフのコード化(暗号化)された意味の全てに内通的でした。それはまた、それぞれのヒエログリフが派生させる類推的な思考行程の操作を通した、文化が使用する記述の実のシステムの方法によって、より広い文化を操作する、または社会的な技術開発をしようと意図したエリートの記述です。

B. 物理的な媒体と同調的な魔法の役割

その様なものとして、ヒエログリフ(象形文字)は、物理的な媒体(エーテル)の、(古代)エジプト的な見解に直接繋がるだけでは無く、同情/同調的(交感神経的)な魔法の実施にも繋がり、「類推的な魔法」として表現されるのが最善の錬金術(化学)的な行程です。ヒエログリフは、その媒体の中の機能、またはアイデアの特定的な準セットの「コンクリート化(確かに成る)イメージ」で、そして故にシュワラーは再びそれをこう述べます、「それが含む性質と機能の全てはよって、探されなければなりません。ヒエログリフ的なシンボル(象徴)を、類推的なシンボルとする、類推的な魔法の実施における実際の道具としてのこの見解の理由は、物理的な媒体のエジプト人達からの本質に再び繋がり、実にそれ自体が巨大なシンボルで、「マクロな類推」であったためです。

此処において、機能または運動/活動が鍵に成るのは、ヒエログリフは時間において静的、または滞った何かとしてではなく、実際の運動として理解されるためです。彼のより難解な文章の一つの中で、シュワラーはそれについてこう述べます:

「・・・(その)類推はシンボルでは無く、それはその類推を連想させるシンボルに成るジェスチャー(手招き)で;それは、それを前に思い起こさせます。これは、それについて多くの事が書かれる事の出来る、同調的/同情的な魔術の何千もの形状のための指令/方向提示ですが、それはまた神聖な魔法への鍵です。その後者は、しかしながら、類推の単純な思考よりも、複雑なものを要求します。」

類推の知識に加えて、神聖な魔法は、子音的な環境/雰囲気と、一致している宇宙的な瞬間における、正しいジェスチャーの把握/熟達を要求します。

「これを説明へと取り入れない者は、無駄に労働します。」

この重要な行を解読する際に、思い出すのが大切なのは、シュワラーが、実効的な秘儀主義者であると同時にまた数学者の両方であった事です。故に、殆どの人達がこの行を、一般的で秘儀的な魔法の実施に言及していると読み取る間、彼等は、シュワラーがその中に埋め込む数学的な手掛かりを無視します:「類推的な魔法」の実行のための正しいタイミングに加えて「ジェスチャー」と「機能」を強調する事によって、シュワラーは再び、太古の宇宙学の中に込められた「形態的な隠喩」を指摘しています:

「正確で宇宙的な瞬間の、正しい環境において、正しいジェスチャーをどう行うかを知る事が:この神聖な魔法です。このジェスチャーの成り行き/結果はすると、時間にも空間にも屈しません:それが原因した効果は、その原因に調和的に関係したあらゆる場所、そしてあらゆるものに現れるでしょう。

「この方法において、頻繁に無意識的に私達は魔法使いです。英知が構成されるのは、どの様にして、意識的にそう成るかを知っている事からです。

・・・

「このための唯一のガイドは、類推とシグニチャーです。この事実は、金属と、そして更に、人体の様々な部分と、植物や動物の種類との、ゾディアック的で惑星的な関係の様な「類推的なテーブル(表)」の確立に繋がりました。これは、気まぐれな妄想でも、時間の長い期間を超えて観測された偶然に基づいた単純な結論でさえも無く:それらの偶然のための理由を明かす数字に基づいた科学が存在します。」

またはシュワラーの言葉を少々異なった方向に入れると、再び、太古の見解において、意識と物理的な媒体の間には直接の関係があり、そして類推的な魔法は、言うなれば、それをより効果的に操作するために意識を研ぎすます様にデザインされた行程です。ヒエログリフは、つまり、そのシンボル(象徴)であり、物理的な媒体自体で、そしてその魔法的な運動を行うもので、その3つの要素のそれぞれに対してオープン・エンドな、複雑なシステムの中に存在します。

デ・ルービッツの、数字についての最後のコメントが慎重に注目されるべきなのは、彼が実際に示唆しているのが、人が太古、中世、そして現代の秘儀的な文献の中に見つける、類推的な一致のテーブル(表)にあるのは、隠された文法>であるためで、実際の類推的な微積分が一度知られると、人に類推の深い数学的な関係をはっきりと知覚する事を許し、そして故に、人に、類推的な一致自体のテーブルを不必要にするためです。その様なグリモア、または「文法」の所有は類推的な機能をはっきりと形式化させ、そしてシュワラーがまた示唆する様に、数学と媒体の派性的な形態性の機能としての数字に深く関連しています。

この最後の明言は更なる説明が必要です。

エジプト人達が理解した物理的な媒体は、私達が以前に、インドのヴィーダ的な文献と、メソ・アメリカの伝説のコンテキスト(文脈)の中で語った、「形態的な隠喩」を直接的に明かす方法における、その哲学的な前提と示唆をまとめたシュワラーにとって、それは主要な重要性でした:

1) 時間と場所に位置される事の出来ない起源における信仰/信念です。これは絶対的な現実で、私達の知性によって理解されるものではありません。これは、ミステリーとして言及されることが出来ず:それは永遠的な現在の瞬間で、分割する事の出来ない統一性です。

2) 内在的な運動を通して、道理の解らない源泉は、スピリット(霊)的な実質においてそれ自体を現れさせる極化を経験します。この実質は、宇宙が構成されるエネルギーとして現れます。2への分別化のミステリーはその様なもので、それは、道理の解らない起源と共に、秘伝の/秘儀的な3重性を構成します。


3) その要素の全てにおいて宇宙の現象は、このエネルギーの実質が、様々な度合において、そのプラス(北)の極が、そのマイナス(南)の極に向かう事によって構成されています。これは交互に成る事によって達成され、プラス-マイナスとマイナス-プラスの振動です。故に均整の地点は非極化された源泉である、現在の瞬間に回帰しなければならず、それは位置付けられる事が出来ません。

シュワラーが此処において、魔術師と言うよりもむしろ、数学者として語っているのは、彼が呼び起こしているイメージが創始的な「同一性」であるためで、それはその中に分別化が存在しない創始的な無-全てで、そしてそれは故に無時間と無空間、または「場所の無い場所」に存在します。内在的な機能によって、その無はそれ自体を分別化させ、そして直ぐにデ・ルービッツが「秘伝の3重性」と呼ぶものが浮上します。「無」の増大的、そして繰り返し分別化されたそれぞれの分離、または「囲まれた」部分が、「私達の宇宙を構成している現象を構成しています」。媒体のこの類推的な見解の示唆は、そのミックスの中へと、人がもう一つの前提を加えると更に明らかに成り、つまり、その物理的な媒体は、多くの太古の宇宙学において意識でした。この膨大な示唆を人が理解する事が重要なのは、それが意味するのが、意識はあちらかこちらの問題では無く、全てを含んでいる「私」、または「エゴ」か、効能的に無限の「私」、または「エゴ」の連続のどちらかでは無く、両方共で:意識の中へと彼自身を永続的に分別化する事の出来る意識で、それぞれが彼等自身の特徴的な「私」と共に、その間、より大きな「私」の一部のままであるためです。再び、私達の形態的な隠喩の用語に入れ替えると、その Ø> はそれぞれの分別化においてそのままですが、そのそれぞれの分別化は、それ自体の単純化する事の出来ない特有のシグニチャーを有しています。

ですからどのようにして、シュワラーの用語において、数字はこの隠喩の機能として浮上するのでしょう?私達は既に、創始的な「無」の「囲み」または「地域化」と共にどの様にしてか、を見ましたが、ØA> と ØB> の間の共通の表面 ծØAB の創造が意味するのは、その共通の表面が2の機能を有し、1と3の間の平均、等々であるためです。数字がまた、エジプトの宇宙学のシュワラーの理解において、特定の形態的な機能として派生するのは、1が創始的な無、または第一段階を代理し、シュワラーが「創始的な分裂」と呼ぶものにおいて2が、その最初の分別化を代理し、そして3はその行程の結果で、それは同じ無の3つの特徴的なヴァージョンに結果します。

エジプトは、言い換えると、ヴィーダ的なインド、そしてメソ・アメリカのマヤとアステカと、全く同じ形態的な隠喩と共に機能していました。

この「創始的」または「主要な」秘伝の/秘儀的な3重性、または三位一体の詳細な検証が必要です。

C. 主要/創始的な分裂と創始的な3重性/三位一体
1.創始的な三位一体


シュワラーが「主要な分裂」と呼ぶ創始的な分別化は、(エジプトの)メンフィス的な神話においても明らかで、それを私達はもう一つの「原始物理学的な隠喩」として理解出来るかも知れず、つまり、宗教的な用語の中に隠れ蓑された深遠に洗練された物理的な隠喩です。其処において、主要な分裂は、(インドの)ヴィーダ的な伝統と同様に、創始的な海、またはヌンからの、神々の派性の中で表現されています:

「ヘリオポリス(太陽の都)の啓示は・・・(創始的な海に比較される環境である)ヌンにおける、謎めいた神聖な統一性の分裂の運動で、それはトゥムの、眼に見えない火を捕え、最初の大地へと凝結させます。」

これは地上へと落ちた天界的な火で、それはメンフィスの謎/ミステリーの中で、プターの名前を取ります。この形而上学(哲学)的な火は、ヘリオポリスにおいて表現/発言された原則を体現する事によって、本質においてその効果を産出します。

トゥムの現れが示唆するのは、哲学的に物質の構成的な要素と呼ばれる3つの原則と4つの本質的な性質(火、水、風/空気、土)の現れですが、それらの「コーポリフィケーション(霊と体の一体化)」は、唯一、最初の三位一体:プター、セクメット、そしてネフェルトゥムの現れの上に起こります。

数字4の派生が、この時点において、その場限りで完全に独断的に見える間、私達は少々後に、それが更にもう一つの物理的な隠喩を含む事を見るでしょう。

現時点において、しかしながら、私達の集中が着目しなければならないのは、プター、セクメット、そしてネフェルトゥムの創始的な三位一体の派性で、全ての存在において内在的なのは、数字の前提的な知識である、数字化の能力であるためです。言葉を変えると、シュワラーにとって、主要な分裂において暗黙なのは、その意識への関係と、多様性における統一性です。シュワラーはその主要な分裂をこの様に説明します:

「故に、全ての創造の起源において、その中に全ての可能性の混沌を含まなければならない、理解不能な統一性があり、そしてその最初の現れは分別化を通してです。全ての概念の起源において1と2があり、3つの原則の存在で、其処において一つはその他を説明し、それ自体において理解不能です。

・・・

「ここに有るのが全ての物事、全ての理由、そして理論の起源において間違いなく見つけられる神聖な三位一体で;その3重性は全てを補佐し、世界がその上に築かれた基礎で、全てはそれから分岐します。

「元々の統一性が含むのは、存在非存在の全ての可能性です。結果的に、それは中性的な本質です。」

私達は既にこの奇妙な「創始的な中性性」には触れており - 全く別の本に成りうる題材ですが - シュワラーが指摘しているのは「創始的な無の分別化」の形態的な隠喩における、1と3が常に結果する必然性で:共通の表面を分かち合う囲まれた無の2つの部分です(例:)。

故に私達は、エジプトとヴィーダ的な文化の背後には、共通の概念的な遺産がある事を示唆している、私達の以前のテーブルに、プター、セクメット、そしてネフェルトゥムの名前を加えられるでしょう:

1)プター = ØA>;

2)セクメット = ØB>;

3)ネフェルトゥム = ծØAB>.

私達のテーブルは、隠喩の共通性を明かし、この様に見えます:

ヘルメス          ヘルメス          ヘルメス
神             宇宙             空間
{f₁, f₂, f₃}        {-f₁, -f₂, -f₃}          {-f₁, f₂, f₃}

パダマ・プラーナ     パダマ・プラーナ       パダマ・プラーナ
創造主ヴィシュヌー    破壊者シーヴァ        「保存者」ブラーマ
{f₄}              {-f₄}               {√-f₄}

メンフィスの神話     メンフィスの神話       メンフィスの神話
プター            セクメット          ネフェルトゥム

ヘルメス          ヘルメス           ヘルメス
f₁:知識          -f₁:無知           -f₁:無知
f₂:不動          -f₂:運動           -f₂:不動
f₃:無形/霊的       -f₃:有形           f₃:無形/霊的

パダマ・プラーナ      パダマ・プラーナ       パダマ・プラーナ
f₄:創造            -f₄:破壊           √-f₄:保存

既に記述された様に、何故、古代人達がこの創始的な分別化をとても一貫的に中性的な用語において見解したのかは、私達が後に書く事を望む、もう一つの本の題材ですが、今現在においてこれに関して注目に値するのは、シュワラーが指摘する何か他の事です:

「貴方はこれを、聖父、精霊、そして息子と訳すか、またはオシリス、イシス、そしてホルスとするか、もしくはブラーマ、シーヴァ、そしてヴィシュヌーと翻訳しますか?

「貴方はそう出来るかも知れませんが、もし貴方が賢明で、惑わされる事を望まないなら、貴方は、3である1と2と言うでしょう。これは、「宗教」と呼ばれるものによって結ばれ、伝統の周りに人々が集結/団結出来る様に、イメージ(偶像)を必要とする者達のために、入門者/会員達(エリート)によって体現されました。

言い換えると、形態的な隠喩への様々な神々の名前の割り当てが、唯の割り当てであると一度人が理解すると、すると人は、創始的な三位一体のあらゆる主張は、実際に、宗教的な啓示、または形而上学の結果では無く、信仰など必要無く、むしろ、形式的にはっきりとした隠喩の特徴における、一種の信念である、科学-哲学的な最初の原則であると理解するのは、その隠喩が形態性自体の高度に抽象的な象徴性において描写される事が出来るためです。

それは再び、シュワラーも触れる、私達が既に注目した、重要な問いを浮上させます:何故、太古の文化と文明は、彼が断言する様に、三位一体のキリスト教の教義においてでさえ、元々、中性的と理解されていたものを描写するにおいて、圧倒的に男性的なイメージを割り当てる事を強調したのでしょう?再び、困惑させられるイメージの選択のこの要素についてのあらゆるコメントは、それに繋がった理由づけの行程を再現するためにもう一つの全く異なった本を必要としますが、現時点で指摘するのが重要なのは、シュワラーが実際に、これが形態的性別的な隠喩の両方であると気付いていた事実です:
(注:「火」 → 電気/男性、「水」 → 磁気/女性)

「絶対的な統一性は、ユダヤ人達の隠れた神で、理解不可能な知られざる神で;エジプト人達の口に出来ないものです。それはサットであり、ブラーマン(バラモン)の「存在」です・・・

・・・

最初の理解不能な形状である表面は、少なくとも3つの側面を有さなければなりません。3つの音が、完璧なコード(和音)を形成し;男性、女性、そして種の形状を派生させ;2つの要素と一つの平均値は、全ての理由づけ、全ての美的感覚、全ての計算、等々の原則です。

・・・

「それは神々の神です。世界は、「神が、彼自身の顔を思考する」単なる事実によって、神々の神から派生し、それは2つへの分裂で、その分裂は、全ての機能の最初/始まりで:分離です。これだけは全ての生き物に当てはまります・・・」

再び、この隠喩における物理的な媒体と、シュワラーの見解における意識自体の間の親密な関連性に注目して下さい。最初の創始的な分別化が起こると直ぐに、シュワラーの言葉を使うと、「世代、原因、そして変化の状態」が派生し「そして故に調和が存在し、」つまり、類推と言う事です。その媒体は、効果的に、この行程において、情報(フリクエンシー)を創造し、一段と優れた変格的な「賢者の石」に成ります。人がその創始的な分裂、または分別化を、非-均整の究極の隠喩であるとし、そして情報は、一度創造されると、決して失われないと語れるかも知れないのは、何故なら、この分別化の一貫的な運動である、終わり無き創造が更にもっと情報を創造し続けるためです。これは、不死は信仰の問題と言うよりは事実で、またはシュワラーが述べる様に、「ミネラルであれ、または人であれ、自然の中に生まれたものを殺すのは不可能」なのは、その様な創造は、無のより洗練され続ける分別化として最初に現れたためで;それらは特有の情報の内容を有していると言う事が、古代人達の信念の土台です。

シュワラーの、形態的な隠喩の機能としての数字と幾何学(立体性)の強調は重要です。数字が機能なのは、何故なら、それが最初の創始的な三位一体と同時に派生したためで:「それがその機能を持つのはそれが、関係として唯一存在するためです。」それは故に「永遠的なアイデア」のプラトン的な世界に内在するのは、形態的な機能としての数字が、「全ては統一性から始まり、多様性を通してそれを回帰させる事を明瞭に私達に見せるためです。この多様性は、永遠的な世界の例のイメージにおいて創造された、正に私達の世界です。」

2.テクトラティス、そして類推的な機械としてのピラミッド

この時点において、私達は数字4の起源について、そして秘儀的なエジプトの宇宙学の中におけるその機能が何であるかを思考しなければなりません。この数字の機能的な重要性を、ピタゴラス派の神聖なテクトラティス以上に、より完璧に象徴する秘儀的なシンボルは無く、シュワラーはそれを、長文において論議します。そのシンボルは、単純性自体です:

      ・
    ・   ・
  ・   ・   ・
・   ・   ・   ・

このシンボルは、私達が見る様に、その中に更にもっと深くコード化された「原始物理学」を含み、そして形態的な隠喩の更にもう一つの表現です。

最初に観測されるべきは、テクトラティスはピラミッドの2次元的な類推である事で;それは、故に、(インドの)ヒンドゥーの創始的な丘、またはメルの丘、エジプトの創始的な丘、ゼプ・テピ、または「最初の時」を象徴します。その様なものとして、それは、それが物理的な媒体(エーテル)において派生する際の、創造の行程の主要/創始的な分裂、または分別化の象徴です。「私達が既に理解出来るのは、四角の土台を持つピラミッドが最良に体現するのは、4つの三角形の要素(その側面)の四角(の土台)です。三角形の4倍 - これが必然的に、そのピラミッドです、」とシュワラーは述べます。

秘儀的に、すると、テクトラティスの4つの層が体現するのは、4つの要素 - 火、空気、水、土 - の派性で、世界のその他と、その分別化の全ては、それらの4つの要素の様々なミックスとコンビネーションから、それらによって創造されたと、古代人達は主張しました:

火           ・
空気       ・    ・       
水       ・   ・   ・   
土     ・   ・   ・   ・
シュワラー・デ・ルービッツの、ピタゴラス派の神聖なテクトラティスとの、4つの要素の一致

シュワラーはこれについて、以下の様に述べます:

「何故、デケード(3動作の結果または材料から造られたもの)の4つの数字は「要素(Elements)」と呼ばれているのでしょう?

「答える為に私達は、まず最初に、それらの数字のそれぞれが、単位の足し算としてでは無く、全く新たな存在、新たな統一性として見るために、算数的な習慣を全て、横に置かなければなりません。あるのは統一性1、統一性2、統一性3、統一性4です。それぞれは、統一性として、順を追って生を与える事の出来る統一性です。

・・・

「・・・その形而上学(哲学)的なデケードと形成された物質は、数字4と共に、唯一始まります。」

再び、生を与える「統一性」の「中性的な隠喩」は横に置いといて、それぞれの数字が新たな存在で、それ自体への新たな統一性とする事によって、シュワラーは何を意味しているのでしょう?そして何故、数字の4は、この秘儀的な象徴と教義のための、物質の創造の始まりを象徴しなければならないのでしょう?

私達は、シュワラーが以前に述べて事を思いだし、つまり、創始的な分別化、または「主要な分裂」のための要素的な象徴がであった事です。言葉を変えると、数学者であるシュワラーが言っているのは、神聖なテクトラティスが形態的な隠喩と、そしてその最初の3つの分別化、またはデリヴェティヴ(派生物)の象徴であると言う事です。その数字は、より更なる分別化の継続的な行程において、シュワラーが「存在」、または「統一性」と呼ぶ、情報の特定のセットのデリヴェティヴを定義します。その数字は、端的に、その媒体からのその存在の、形態的な下降の樹におけるノード(交点/波節)を描写します。

ですが何故4は、このシステムにおいて、実際の物質の創造の派性を象徴するのでしょう?私の著書、ギザの死の星の中で、私は、神聖なテクトラティスがまた、形態的な隠喩の象徴としてだけでは無く、幾何学(立体性)的な次元の派性としても機能していると指摘しました:

点               ・
線             ・   ・
面           ・   ・   ・
3次元的な固形 ・   ・   ・   ・
幾何学的、そして物理的な次元の派性の隠喩としてのテクトラティス

加えて、私がまた指摘したのは、それが量子力学の形而上学的な象徴として機能出来ると言う事でした:

物理的な媒体、またはエーテル   ・
微分子                ・   ・
粒子                ・   ・   ・
原子              ・   ・   ・   ・
量子力学の隠喩としてのテクトラティス

これ等の2つの表が表わすのは、神聖なテクトラティスが、「統一化された意図」の象徴として機能する事実で、つまり、洗練された物理学と共に、とても高度な文明からのもう一つの遺産です。それを頭に入れると共に私達は、物質的な創造は数字の4と共に派生し、そしてそれが4つの「創始的な要素」、火、空気、水、そして土のコンビネーションに関連しているのは、それらの物事自体が、量子力学の基準的で、4つの基礎的な力のための隠喩として理解されるためで:強い、そして弱い原子力、電磁力、そして重力であると言う主張を再び見て見ましょう。

弱い原子力      ・
強い原子力    ・   ・
電磁力     ・   ・   ・
重力     ・   ・   ・   ・

その問いは必然的に浮上しますが、何故人は、テクトラティスで留まる必要があるのでしょう?何故、ペンタクティスでは無いのでしょう?

         ・
       ・   ・
     ・   ・   ・
   ・   ・   ・   ・
 ・   ・   ・   ・   ・

その答えは、勿論、これを行うことが出来ない理由無いと言う事です。しかしながら、重要なのはそうする事が何を意味するかで:それが意味するのは、幾何学-次元的な象徴性の、私達の前述した図の延長が表わす様に、テクトラティス-ペンタクティスの象徴性は、超-次元的な幾何学以外の何ものでも無いと言う事です:

点                         ・
線                       ・   ・
面                     ・   ・   ・
固形                  ・   ・   ・   ・
超(4)次元的な固形      ・   ・   ・   ・   ・

私達が第13章の中で見る様に、3つの空間的な次元以上において - 固形である - 物体を描写するための数学的なテクニックが実際にあり、そして幾らかのピラミッド的な構造は、それらの物事の、意図的にデザインされた類推 - そのキーワードは再び現れます! - であると言う、深遠な手掛かりを、私達は見つけるでしょう。

しかしながら、私達が現段階で安全に言えるのは、秘儀的な見解から、ピラミッドが類推的に考えられた、超-次元的な機械なのは、それらが神聖なテクトラティスの三次元的なヴァージョンで、そして複数層の象徴性の全てで、そして示唆された超-次元性で、その象徴に埋め込まれた繊細/微妙で物理的な隠喩であるとシュワラーが指摘するためです。それが物理的な媒体の中の主要な分裂、創始的な分別化の象徴なので、形態的な隠喩自体の象徴として、これが意味するのは示唆によって、それらが物理的な媒体自体の、情報を創造している行程を操作するためにデザインされた、類推的に考えられた機械であると言う事です。

ピラミッドが、その様な機器として機能する事が出来ると言う、その他の指標はあるでしょうか?ギザへの旅は、驚くべき答えを供給するでしょう。

1シュワラー

レネー・アドルフ・シュワラー・デ・ルービッツ

補足記述:オン・ライン電子書籍、299-300ページ

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