• 2017_06
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • >>
  • 2017_08

♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓

神々の格子 第二部:中南米の「ピラミッドの人々」

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル135ページ、オン・ライン電子書籍:146ページより

「再び、侮辱、破壊、そして崩壊が起こります。ミニキン族、木の彫りものは、空の心(神)が彼等のために洪水を起こした時に殺されます。大洪水は起こされ;それはミニキン族、木の彫りものの頭の上に降り注ぎました。」
ポポル・ヴァー
英訳、デニス・テドロック、71ページ
和訳、Songcatcher


その後、彼等はケツアコアトルがどの様にして去ったかを伝えます。それは、彼が、人間的な支払、人間の生贄を行う事について、魔術師達に従う事を拒否した時でした。すると、その名前が Tezcatlipoca, Ihuimetcal, そして Toltecatl だった魔術師達は、彼等の間で相談しました。彼等は、「彼は、彼の街を去らなければならない。私達が其処に住みましょう、」と言いました。」
Topiltzin ケツアコアトルの一生:紀元817-95年、31ページ
アステカの歴史と神話:Chimalpopca コーデックス、
英訳、ジョン・ビアホースト
和訳、Songcatcher


神々の格子 第6章

プマ・プンクにおける矛盾
南米における人の古さと、
太古の機械化


「ティアフアナコは全ての論説に対する特定の挑戦の完璧な体現で、つまり、それが神秘的で科学技術的な進歩の期間を経験した後に、同等に説明出来無い退化の期間によって続かれたと言う事です」
イゴール・ウィトコウスキー

南米は、巨大な石の膨大なそのサイクロプス(一つ眼の巨人)的な壁が有名で、不可能な角度で切り出され、とても正確に一所に組み合わされ、しかもモルタル/漆喰を使用せず、それらの隙間に人はナイフの刃を指し入れる事さえ出来ません;それは有名な、何千年もの古さの、大昔の遺跡で、それらはその陰気な内陸部の中心の深いジャングルの中に埋もれていて、それらのとても古い奇妙な遺跡は、上空からしか見る事も把握する事も出来ない(動物や人の)形を描写し、そしてアンデス山脈の高い尾根の中の巨石文明の遺跡について、その様な矛盾を証明する遺跡であり、人がそれをどの様に輪切り(検証)しようとも、人が目撃するのは大いなる歴史的で、そして科学技術的な謎で、世界グリッドのあらゆる研究において最重要な関係を有するものです。

その遺跡はティアフアナコで、そしてその姉妹遺跡は数マイル離れたプマ・プンクで、その両方は、ボリヴィアのティティカカ湖の浜辺の近くに位置します。

ですが、ティアフアナコとプマ・プンクを詳しく見る前に、その他の奇妙さの数多くの中で、ティアフアナコが一体どれだけ本当に奇妙なのかを見るために - それ自体が十分に奇怪な - 一般的なコンテキスト(文脈)の全体像が必要です。

ペルーにおいて、例えば、2つのはっきりと異なった特徴、または時代が見て取れる、石の壁の存在が良く知られています。その一つは、それらの内のより古い方で、不均整な切り出しの巨大な岩で、漆喰無しでとても正確にはめ込まれ、それらの間にナイフの刃さえ差し込めない程です。それらの内の最も有名なものは、その様な不均整な切り出しの多面の岩で、想像しがたいですが、周りの岩の全てに完璧に組み合わさっています。

巨石のジグソーパズル
2stone.jpg

4stone.jpg



上記の写真にも見られる石の全てが、漆喰無しで一所に接合され、そして多面の石が示唆するのは、平らな切り出しと、周りの塊にとても正確に石を照合させる、とても高度な科学技術であった事に注目して下さい。それらのサイクロップス的な構造は頻繁に、インカ族の構造物に典型的な、より伝統的な「角張った塊と漆喰」に沿って構築された、後の時代の層によって、上に重ねられています。

ですが、より以前の時代の文化は、何故その様な複雑な方法で壁を構築したのでしょう?(近代の)技術開発者達によって与えられた一つの答えは、ペルーは頻繁に地震を経験するので、地震による空洞化現象は、間違い無くその壁を揺らしますが、それらの壁の石の塊の多くの不均整さを考慮すると、それらの石は、多かれ少なかれ、それらの元々の位置に落ち着き、その壁は壊れずに残ると言うものでした。より一般的な技法で建てられた、後の時代のインカの構造の層は、そう上手くは残りませんでした。

類似した構築の原則は、世界におけるその他の場所にも見られ、例えば、エフィラの太古の街の近くのネクロモンテイオンの門です。

ネクロモンテイオン(ギリシャ)
2nekro.jpg


再び、その石は不均整に切り出され、そしてとても正確に当て嵌められ、その構造は、ペルーの壁と同様に、その地域における頻繁な地震にも拘わらず、何世紀も保存されました。

「この金融的な政策と活動は、「悪役」のエリート達の興味とアジェンダ(目的)を反映しており、私達がこれから見る様に、血の生贄/犠牲と借金の概念は、深く関わっているためです。
- ジョセフ P. ファレル


神々の格子 第六章: A. Sacsayhuaman の謎

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル137ページ、オン・ライン電子書籍:149ページより

1.先進的で機械的な科学技術の示唆

クツコ近くの - Sacsayhuaman と呼ばれる場所の - 壁を詳細に検証する事は、この構築の手法がどれだけ精密なのかを実際に理解するために必要です。実に、16世紀のスペイン人の記録者、ガルシラーソ・デ・ラ・ヴェガは、その壁を発見した際の彼自身の驚きを描写し、そしてそれが示唆する事について、彼のより深い衝撃を記録しました:

「人が実際にそれを見ていなければ、その規模を把握するのは不可能です;そして人がそれを詳細に見て、注意深く検証した時、それはとても異常な様に現れ、あたかも何らかの魔法によってそれは造られたかの様で、その・・・構築はその様な(巨大な)石で成され、そしてその様な大きな数においてであり、人はインディアン(先住民)達がどの様にしてそれらを切り出す事が出来たのか、どの様にしてそれらを運搬する事が出来たのか、そしてどの様にしてそれらをお互いの上に組み合わせる事が出来たのかを、同時に不思議に思わずにはいられません・・・それらはとても上手く重ね合わされているので、それらの2つの間にナイフの刃先を入れる事さえ出来ません。また、もし私達が、この信じがたい働きが、単一の機械の助け無しで達成されたと考えるなら・・・ペルーの先住民達が、どのようにして、建築の石と言うよりもむしろ、山の一部と言った方が良い、その様な膨大な岩の塊を、割り出して、加工して、持ち上げて、運搬して、また持ち上げて、そして降ろして固定した事実を、私達はどう説明すれば良いのでしょう?それが世界の七不思議よりも大いなる謎を体現すると言うのは言い過ぎでしょうか?」

写真を一目見ればその謎の途方もない規模を実証し、それはデ・ラ・ヴェガの観測から現在に至るまでの数世紀において、未だにはっきりさせられていないものです。

Sacayhuaman の壁の不均整に切り出された巨石
3stone.jpg


注目に値する興味深い事は、それらの巨大で不均整に切り出された石は、機械によって成されたと言う見解は、学術的に盲目の人達(通説を信じている人達)が大好きな用語である、19世紀、または20世紀の「似非-考古学」に起因するものでは無く、デ・ラ・ヴェガの観測は、16世紀に成されたもので、そしてその当時でさえ、それが示唆する事が鮮明で明らかであったためです。実際に、ある科学者は、その壁の中の巨大な石の一つの重さを計算し、それが約355トンの重さであると結論し、世界に存在するその様な切り出された石の最も重いものの内の一つで、そしてその重さを超えるのは、レバノンのバアルベックの、例外的に巨大な石の幾つか以外には無いと結論しました。

通説的な考古学の論説は、この明らかな事に面と向かう事が出来ない、または恐れている様で、そしてそれらの大規模な構築をインカ人達に帰属させ、「試みと失敗」の方法でそれ等の石を切り出し、とても上手に組み合わせたと主張します。ですがこの非合理的な立ち位置を明言した後、通説的な考古学の論説は、何らかの説明不可能な理由で、インカ人達は - 正にエジプト人達と同様に - それらの巨大な壁の構築についての記録を一つも残していないだけでは無く、その伝統も一つも保っていません!ハンコックとファイーアが指摘した様に、インカ人達が、その様な巨大な石を動かそうとする唯一の記録は、再びデ・ラ・ヴェガのインカの王族的なコメントの中に記録され、「その試みが大失敗に結果したので、彼等(インカ人達)には、関わっている技術の経験が全く無い事を示唆しています。」

そして Sacsayhuaman について注目されるべきもう一つの高度に重要な事実があり、そしてそれは、そのインカ語の名前が正に文字通り「満足した隼」を意味するためです。これがその遺跡を、より直接的な方法で以外にもエジプトの遺跡に関連させるのは、「隼」と言うその名前が、ホルスの名前(別名/あだな)であり、そして秘密裡の「神秘主義学派」、またはエジプトのエリート、Shemsu-Hor、ホルスの信仰者達を示唆するためであると、ハンコックとファイーアは注目します。

インカ、グリッド、そして人間の生贄

旧大陸において丁度そうである様に、新大陸の太古の遺跡などは、「経験的な観測に基づいた神聖な啓示の言語」における、複雑で天文学的な情報を伝えるために使用されたと、学者、ウイリアム・サリヴァンは注目しますが、アステカ族と同様に、インカ人達は、サリヴァンによると、天界的な歯車の象徴性と、個人の死後の上昇(アセント/アセンション)を文字通りに取り、そして故に、「黒魔術と人間の生贄の薄暗い地獄の中へと」導かれました。インカ人達の場合、それらの生贄は、常に彼等の真っ直ぐな道のシステムに沿って行われ、その道は地球上の構造が天界的な星座に一致する様に習慣的なデザインで造られ、その魔法的な力は故に呼び起こされ、生贄の場に集中させられ、そしてそれらの道と「レイ・ライン」を利用してその帝国全体に「配信」されました。

そのコントラスト/比較は鋭く、説得力があり、そして再び中心的な謎を浮上させます:

「メキシコとアンデスにおいて、天文学的に配置/配列された、ピラミッド型のモニュメンツ(建物など)は、生贄の施設の一部として使用されました。エジプトとアンコール(・ワット)において、天文学的に配置/配列されたピラミッド型のモニュメンツは、グノーシス(神秘主義/二元論)的な不死への探求の一部として使用されました。」

言葉を変えると、一つであり、同じ神話的な宇宙学(宇宙感)から、2つの全く異なった実施(風習)が派生したと言う事です。これは重大な点で、そして私達は後の章の中でそれに戻る機会がありますが、現時点で重要なのは、この点の重要性を理解する事で、もし(第三章の中で検証された)アンコール・ワットと幾つかの太古の文献に関連して吟味された太古の宇宙学の、その主要な性質が「類推的な行程」を通した情報の創造である、物理的な媒体(エーテル)の高度/複雑で形態的な隠喩を隠しているなら、すると、それが示唆するのは、太古の見識において、意識と物理的な媒体の間に直接の関係があると言う事です。宗教的な行い/風習のその後の分岐に繋がったのは - 一方では瞑想的で、もう一方ではとても殺人的で残忍ですが - この直接の関係であり、それに関連して、でした。

「空中的」な謎:南米の謎の中心への変格

ペルーにおいては、同等に思いつかない様なその他の謎があります。

ペルーの有名なナスカの地上絵は、例えば、上空からでしか見る事が出来ません:

ペルーのナスカの地上絵の一部。その線の真っ直ぐな様に着目して下さい
1nazca.jpg


2nazca1.jpg


3Nazca.jpg

4Nazca Lines



これは、「古代の宇宙飛行士」派の幾人かが、その線は何らかの太古の「宇宙基地」の方向を示す印しであると提案する事に繋がりました。ですがそうであれ、人は、上空からでしか確認する事の出来ないナスカの地上絵をどう説明すればよいのでしょう?

ペルーのナスカの地上絵の有名な「ハチドリ」の絵
5nasca3.jpg


より最近の調査が明らかにしたのは、それらの絵の多く、「蜘蛛」や「ハチドリ」は、再び、特定の天文学的な配列において配置されている事です。

蜘蛛
6nazcalines1.gif


ペルーからボリヴィアに向かい南へ向くと、ティアフアナコを囲むエリアは更にもっと奇妙で、ティアフアナコの遺跡のあるティティカカ湖を囲む、アイマラ先住民地区の上空からの景色から、より更に証明される真っ直ぐな「レイ・ライン」のシステムがあるためです。

7nazca2.jpg


そして、これが私達にもたらすのは、南米における最も奇妙な遺跡で、そして恐らく世界グリッド上の遺跡の全ての中で最も奇妙なティティカカ湖で、そしてティアフアナコとプマ・プンクの不思議な遺跡です。

B. ティアフアナコとプマ・プンクの矛盾:太古の機械性

ティアフアナコとプマ・プンクを訪れた人が、驚きと困惑以下のものを持たずに去る事が出来ないのは、其処において、その湖の薄い空気の高さ(高地)の中の、明らかに太古の街の遺跡の中にあるのは、精密に切り出された石を、機械的に加工出来たの大いなる遺跡であるためです。私達がこれから見る様に、高度な石の加工の科学技術のためのその様な明らかな証拠の存在が、鮮明な方法で浮上させるのは、人が目撃しているのはとても太古の文明の遺跡であると言う可能性で、それらの遺跡は、人類がどの様にして南北アメリカ大陸に辿り着いたのかの、通説的な歴史とモデル全体を、多くの者達が疑う事に繋がりました。

それらの幾つかを眺めるだけで、言葉で説明するより遥かに容易にこの点を証明出来るでしょう。

精密な石の切り出し
13pumapunkudetalle.jpg


ティアフアナコにおける巨大な石の何もの以上に、「H 型の塊」と呼ばれる - 精密に切り出された巨大な石程 - ある種の科学技術の存在、ある種の先進的な、太古の機械的な科学技術の存在を証言しているものはありません。

ティアフアナコの H 型のブロック
12PumaPunkuWall.jpeg


そして、あまり遠くないプマ・プンクにおいて存在するのが、有名な「H 型のブロック」自体で:

技術開発者達が、これ等の巨大で、精密に切り出された石を検証した時、彼等はある事を発見しました:それぞれのブロックは、あたかもそれらが3D の細かなジグソー・パズルの一片の如く、お互いに組み合わされるようにデザインされていた事です。

人が見れば見るほど、その謎は深まり、そして、より詳細な検証をした一人の研究家は、私の友人であり同僚のオルタナティヴな研究家、イゴール・ウィトコウスキーでした。

彼の正に素晴らしいナチスの科学技術の研究、ワンダーワッフについての真実で最もよく知られたウィトコウスキーは、興味深い研究、世界の軸:最も古いアメリカの文明のための探求の中で、人間の起源の問いへと、彼の調査的な才能を向け、その研究を私達がこの章の中で詳しく見るのは、ウィトコウスキーの結論が驚き以外の何ものでもでも無いだけでは無く、彼の本はまた、東ヨーロッパで行われたそれらの謎への調査の幾つかを英語において初めて利用可能にするためです。

ティアフアナコの壁
8tiahuanacoWall.jpeg


ティアフアナコの門
9tiagate2.jpg


プマ・プンクの門(巨石加工)
11pumapunku.jpg

1.南米の謎の全ての中心

ウィトコウスキーは、ティアフアナコとプマ・プンクを当然の事として、南米と「間」太平洋の謎の全ての中心と呼びます。私達はこれから、何故、彼がそれを「間太平洋」的な謎の中心と言うのかを見るでしょう。ティアフアナコとプマ・プンクの詳細/複雑な石(巨石)の作業の写真に既に見られた様に、しかしながら、その場所(遺跡など)は「全ての論説への特定の「挑戦」の完璧な描写で、つまり、それは奇妙な科学技術的な進歩の時代を経験した後、同等に説明不可能な退化の時代によって続かれたと言う事で」、「此処において検証可能な石の切り出しの正確性と、その複雑性のレベルは、何らかの科学技術的な文明の活動の明らかな名残であるためです。

この問題は、ボリヴィアの海上10,000フィートのティティカカ湖に位置する、ティアフアナコとプマ・プンクによって更に複雑にされ、その様な高地の薄い空気において、近隣のアイマラ先住民しか、その環境で呼吸し、働ける者がいないためで;ウィトコウスキーの様なヨーロッパ人にとって、その様な環境において活動する努力は頻繁に、鼻血、疲労感(酸素不足)、そして心臓発作の前兆の症状を産出したためです。どの様にして、その様な科学技術的に先進した文明が、その様な極度的な位置に定住したのでしょう?

その問題は、プマ・プンクの機械によって切り出された巨大な石が、あたかも何らかの破壊の巨大な手によって、その場所の至る処に混沌的に散乱させられている事実によって、更に複雑にされています。ウィトコウスキーにとって、南米における様々な遺跡に証明される全てと、それらが表示する色々な異なった段階の技術的な成熟性を人が考慮すると、最も最近のインカ時代が、最も未熟でした。人が、更に遠くの昔に遡る程に、更に大昔の方が、近代のものよりも科学技術的に遥かにより優れている事を示唆する更なる証拠がありました。人が、プマ・プンクの大いなる科学技術的な先進性と、近くのティアフアナコによって証明される未熟な段階の科学技術を比較した時、ウィトコウスキーにとって、南米の文明の歴代的な発達のために、何らかの大規模な重要性をこれは示唆していました:

「その遺跡などを見ている時、私達が扱っているのは、遥か遠くの昔の先進的で複雑な化学技術から、やや発達した中間的な近代の科学技術を通して、現在の殆ど完全なる退化に至る、後ろ向きの発展(i.e.退化)であると言う圧倒的な印象です。」

現代の建築技術の達成を考慮した時、プマ・プンクにおいて応用された建築の手法の多くは、地球上の何処にも同等なものが全く無く、私達の時代においてさえも、復元するのが難しいと言う真実に人は行き当ります。

言葉を変えると、私達は、年代的、そして科学技術的な発展の、以下の広い3重構造の概要を有します:

1)「とても高い(高度/遠く)の昔」まで遡る最も発達した科学技術的な証拠と;

2)「昔し」まで遡る、やや発達した科学技術的な発展の層と;そして、

3)南米において知られている文明を構成しているインカ人達の、最も未熟で科学技術的な発展の層です。

この広い、3重的で年代的なパターンは重要な点で、ティアフアナコの実際の年代と共に関連して、メキシコのティオテフアカンや、更に重要に、エジプトのギザの様な場所の年代について、私達が引き続く章の中で考える時に、私達はこの章の後において戻って来るためです。

ウィトコウスキーは、プマ・プンクにおいて発見されるH型のブロックを、マシーンする(機械で切り出す)試みの複雑性と、それらの塊の機械的な寛容性(精密さ)が実際にどれだけ正確なのかの概要を述べます:

「(とても固いアンデス岩の)ブロック(塊)の石切りの連続が行われ、現代では殆ど達成不可能な正確性が達成されました!(紙のシートとほぼ同じ厚さの)10分の1ミリ以下の正確性で、その様な複雑な形の巨石的なブロックの大きな塊を、設置する表面によって形状された凹凸の窪みを、もう一つの塊の2次元、3次元の一致する凹凸の出っ張りに、その様に正確に融合させる事を提案する現代の建築士を、私は想像できません。その様な建築士は、とち狂っているとしか言いようがありません!ですが、その様な正確性が、プマ・プンクにおいて見つけられる事が出来るのです!」

(例えば粉砕機の様な)回転式の道具である、現在使用されている切り出しの機械では、その様な凹凸の鋭い凹みを造る事は私達には出来ず、そして特に、その様な鋭い3次元的な窪みの角が接続する、3つの垂直な表面を合わせる事は出来ず - それらを継続的に生産する事は言うまでも無くです!その様な科学技術は単純に存在していません。貴方は正確な表面を造り、磨き上げ、またはその様な表面の2つを凹凸の窪みか出っ張りに設置する事は出来るでしょうが、その様な表面の3つを接続し、90度の窪みの角を造り、そして更に全ての角において、0.1ミリ以下の正確性を保つのは相当な挑戦です!

ですがその様な正確性は、プマ・プンクにおいて提示された唯一の問題ではありません。

H型のブロックによって提示されたその他の問題は、それらのそれぞれが「ほぼ、80の表面を持つ事」です!「私は、現代の技術開発者達が、コンピューター無しではそれらをデザインする事を想像さえも出来ないと推測します、」とウィトコウスキーは皮肉りますが - 不正確ではありません。ウィトコウスキーにとって、その様な科学技術的な成熟性の存在は、世界的に配置/配列された遺跡などのシステムに加えて、人間の文明の進化の通説的で学術的な見解に、「実に真っ当な挑戦」を構成します。実際に、現代の歴史的、考古学的、そして人類学的な科学は、その事実を考える事さえも全く望んでいない様です。

そして私達は一つの問いの形で、もう一つの最後の事に着目しましょう:人は何故、H型のブロックにおいて、その様な殆ど視覚的な正確性を必要としたのでしょう?その様な正確性は、その場合の本質において、機械においての様に、何らかの機能的な目的を果たした事を示唆します。

神々の格子 第六章: 2. ティアフアナコに関する伝統

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル143ページ、オン・ライン電子書籍:161ページより:

ティアフアナコに関する伝統

しかしながら、プマ・プンクの深い重要性と示唆を完全に理解するために、私達は、此処で私達の注目をティティカカ湖の第2の遺跡に移さねばならず、それは第2の中間的で科学技術的な証拠と、時代的な進歩のその後の層で:ティアフアナコです。此処において、十分に興味深いのは、私達が世界中のその他の巨石的な遺跡に関連して見つける様々な伝統を見つける事です。

それらの内の最初はティアフアナコの(元々の)太古の名前によって証言され:Taypicala です。驚くなかれ、これが意味するのは「中心における石」で、その地域において中心を見つける太古の「ジオマンティック(風水的)」な風習のもう一つの例を与えています。実際に、インカの伝統自体が、ティアフアナコの太古の名前が、世界の中心の石を意味した事を認識しています。

更に、より興味深いのは、最初のスペイン人の征服者達がその地域に辿り着いた時に、地元のアイマラ先住民達に、ティアフアナコとプマ・プンクが、インカ人達によって造られたのかを尋ねた際に、彼等が(地元の人達に)大笑いされた事です。アイマラ族の人達は、彼等の先祖的な伝統によると、それらの構造は、「インカの統治の遥かずっと前」に造られ、それらは文字通り突然造られ、一夜にして成されたと言います!更の興味深いのは、その場所(遺跡など)がまた、太陽神、ヴィラコチャの最初の創造によって造られたと言われる事で、彼は巨人達の人種を創造し、その後、彼等が彼を怒らせた際に、世界規模の洪水によって彼等を滅ぼしたとされます。これは、勿論、それらのサイクロップス(一つ目の巨人)的な巨石の構造に関するその様な伝統に、私達が出くわした最初では無いのは、私達が既に、イングランドのストーンヘンジ、レバノンのバアルベック、そしてアフリカの石の輪に関して、類似した伝統に出会ったためです。

その太陽神、ヴェラコチャが詳細な検証を必要とするのは、再び、ヴィシュヌーの件においてそうである様に、この神にまつわる象徴性は複数の層で、より深い物理学の可能性を示唆し、丁度、ヴィシュヌーの様にヴィラコチャはまた、私達がメキシコに向かい北方に向いた時に、ケツアコアトルがそうであると発見する様に、アンデスの伝統において体の大きい、髭を蓄えた、青い眼の白人の現れであるとはっきりと描写されています。

太陽神として、しかしながら、ヴィラコチャは、エジプトのアトゥムや、インドのヴィシュヌーの様に、宇宙の、そして宇宙において、大いなる自己-派生的な力です。彼はティアフアナコのよく知られた「太陽の門」にも刻まれています。

ヴィラコチャ
1tiahuanaco.jpg

太陽の門
11pumapunku.jpg

神々の格子 第六章: 3-4

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル144ページ、オン・ライン電子書籍:162ページより:

神々の格子 第六章: 3.ヴィラコチャのイメージ:科学技術の設計図?

このイメージについては何らかの奇妙な事があり、何年も前に私がそれに最初に気付いて以来、私の脳裏からずっと離れずにいました。ギザの死の星の中で、この高度にスタイル化されたイメージと、三段階の核分裂-融合-分裂式の水素爆弾の設計図との類似性について、私は観測しました。私達は第1章からの、その様な爆弾の設計図を思いだし、それをそのイメージと比較してみましょう:

水爆
2mikedevice.jpg


ヴィラコチャ
1tiahuanaco.jpg


(電子書籍の163ページの図を参照して下さい。)
メインの爆弾の核分裂的な中核(核分裂の第一段階)。

高い爆発的な爆縮の起爆機の囲み。

リチウム-重水素の第二段階的な核融合の中核(核融合の第2段階)。

第3段階的なウラニウムの囲みの周り(核分裂の第3段階)


勿論、その様な比較は、非現実的では無いにしても、示唆的ですが、特にヴィラコチャが太陽神であった事を考慮すると、人に一時停止を与えるでしょう。もっと更に示唆的なのは、人がその縦的な中軸上で、ヴィラコチャのイメージを180度回転させた時に起こる事です:

ヴィラコチャの逆様
3incagod.jpg


逆様にすると、爆弾の概要のおもむろな印象を、人は避ける事が出来ません。

その様な比較が考え過ぎかも知れない間、ヴィラコチャにまつわる伝統には、近代的な科学技術との比較が、実際に、考え過ぎでは無いと示唆する更なるものがあり、そしてそれはヴィラコチャが5つの新たな時代を迎い入れるためで、そのそれぞれは「新たな太陽」によって布告され、それぞれの時代は pachacuti と呼ばれます。この言葉が象徴するのは、(サー・クレメンツ・マークハムの英訳によると)文字通りの「世界の引っ繰り返し」で、ウイリアム・サリヴァンによると「時空間の引っ繰り返し」です。言葉を変えると、もし人が、早期の水爆実験の異例な破壊力が部分的に、地域的で天体的な時空間の幾何学(立体性)の変数的な(変化している)状態からのエネルギーのゲート化の結果であると言う仮定を受け入れるなら、その様な機器(水爆)と、ティアフアナコの太陽の門のヴィラコチャのイメージとの奇妙な類似性と、ヴィラコチャが破壊し、そしてその後、再創造する、時代、または世界における、時空間のその様な引っ繰り返しの伝統を受け入れると(人は、ヴィシュヌーの同様な役割を思い出すでしょうが、)するとその比較はそれ程考え過ぎでは無く成るかも知れません。

4.世界の反対側にも関連させられた伝統

ヴィラコチャに関したもう一つの最後の伝統がまた注目に値するのは、地球の裏側のメソポタミアにおける伝統との、とても奇怪で奇妙な関連のためで、ヴィラコチャ、暗示的に「メッセンジャー達」、そして「輝ける者達」と呼ばれる彼の同僚達の、科学技術的な達成を讃える伝統であるためです。もしこれが何と無く親しみがある様に聞こえるなら、それはそうあるべきで、正しくこの用語、「輝ける者達」が、太古のメソポタミアの文献の幾つもの中において、地球に降臨したアヌンナキ、ウォッチャー(監視/観測人)達、「神々」の種族を描写するのに使用されるためで、それらの話しの解読の幾つかにおいて、人類の種族自体を技術開発したとされるためです。彼等が故にそう指定されたのは、何故なら、彼等の顔の発光的な特徴のためです。

あたかもこれだけでは不十分な様に、新大陸のインカと、そして旧大陸のものとの間には、もう一つの奇妙な関連性があり、死後の上昇(アセンション)する魂は、黒い犬によって同行されるとインカ人達が信じ、そしてエジプトにおいて魂の上昇は黒い犬によって象徴化されたアヌビスとウプアゥットによって同行されると信じたためです。

5.ティアフアナコを年代測定する事の難しさ

ティフアナコの、一般的で基準的な考古学の年代設定は、最も古い層で、紀元前2,000年前後、最も新しい層で、紀元9世紀前後と、異例的にぶれます。ティフアナコの全ての基準的で考古学的なモデルは、しかしながら、その遺跡が全くインカ人達に関係が無いと同意します。一般的な考古学による、ティフアナコの早期の年代測定でさえ、その遺跡をメソ・アメリカのマヤの遺跡よりも古いとし、インカ帝国よりも遥かに以前だとします。

ですが、それらのより古い層については、常に異論があり、19世紀においてでさえ、最も早期の時代測定に関して幾つもの問題がアマチュアの考古学者達によって指摘されていました。フランスの考古学者、レ・プロンゲオンは、例えば、その遺跡において、ある表面的な発掘をした後に、貝塚の層を発見し、その昔、其処が埠頭であった事を示唆していました。彼はこれから、その遺跡が大洪水以前からのものであったかも知れないと結論し、ウィトコウスキーが注目する様に、その示唆は「驚く程、強く根付いて残りました。」この発見は、20世紀初頭のドイツ系アメリカ人、アーサー・ポズナンスキーにおいてもエコーされ、彼は30年近く、ティアフアナコの謎々と格闘しました。この結論のためのコズナンスキーの理由はその遺跡の殆ど見えなくなっている運河の、彼の地図化から派生し、その街はその昔、湖に囲まれていて、その海岸線は今より、より高かったと言う結論に、彼を導きました。

しかしながら、海岸線の段階による、時代測定のこの方法は、直ぐにティアフアナコとプマ・プンクの構造コンプレックス全体の、難しさと謎を複雑にさせました。人が、その遺跡全体の周り全体を検証した時、「「黄金時代」の終わりは、少々、突然的な特徴であった明らかな示唆があり、「様々な切り出し/加工の行程の段階において単純に見捨てられた、数々の巨大な石の塊が」その周りに散在するためです。これは突然の破壊を示唆するだけでは無く、それは唯一の問題でもありませんでした。

「その昔の海岸線は、明らかに目視可能で、あたかもその変化が一晩にして起こったかのようでした。それは地図上に記述され、それと共に最初の驚きが訪れました。昔の海岸線は、現在のレベルから大々的に傾いている事が判明し・・・その湖全体的に考えると、その違いは1000フィートにも達しました・・・更に加えて、昔の海岸線は閉ざされたループ(輪)を形成し無い様に現れ、その南側が開けている様でした;それはその遺跡からのある一定の距離において、単純に終わってしまいます。言葉を変えると、その湖の水面がもっと高かったなら、その水はそのアルティプラノの南の部分を超え、プーポ湖に向かって溢れだしてしまい;そこには自然的なバリア(結界)がありませんでした。ですが何かが其処に有らなければなりませんでした!この状況における唯一の理性的な説明は、その水を食い止める事の出来る、氷河が存在していたはずであると言う事でした。その様な状況が存在していたのがどれ程の昔なのかを知る人は誰もいませんでしたが、それはその遺跡が実にとても古いと言う確認の一種でした。」

氷河の存在の状況証拠は、ティアフアナコの「極度な古さ」を指摘する唯一の事では無く - 上述で述べられたヴィラコチャのイメージが刻まれた門である - 太陽の門上にまた見つけられるのが、象の頭の描写であるためです。そしてティアフアナコにおける、もう一つの彫刻は、「とても明らかに、マストドンの半身を表しています。南米における、最も若い(新しい)化石は、約10,400年前のものとされます。

その遺跡の年代測定を更にもっと難しくするのは、炭素14を利用した年代測定が、その遺跡を紀元前1500年前後に位置付けるためです!

ですから一方では、地学的で非直接的な証拠がその遺跡のとてつもない古さを指摘し、最後のマストドンが、その地域で知られていた頃の、最後の氷河期の終わりの時期を指し、つまり、紀元前10,500年頃で(再びこの日付けです!)、その間、炭素14による年代測定は、もっと最近であると指摘し、故に、通説的な考古学のための、最も古い層に成ります。この難しさの極度に推理的な解決策を考える前に、しかしながら、通説的な考古学において、その遺跡を、紀元前1500年よりも、遥かに古く年代測定する、より最近の動きを検証してみるのには価値があります。

この変化は、1996-1997年に、ボリヴィアの国立考古学機関の所長で、ティアフアナコについての世界的で専門的な第一人者である、オズワルド・リヴェラ博士が、その遺跡は約12,000年の古さであると言う、彼の信念の確認を公表した時に始まりました。

更に加えて、この新たな時代測定は、その遺跡に存在している構造の検証に基づいていました。ですがリヴェラは、現在の遺跡の下に埋まったもう一つのティアフアナコの強い可能性を説明するに至りました。

この全てが示唆する事は非情に重大で、これが意味するのは、もし、ティアフアナコが、12,000年の古さであるなら、するとプマ・プンクは、それよりも更にもっと古いためです!

6.プマ・プンクの科学技術に戻る

ですから私達はプマ・プンクに戻り、先進的で科学技術的な機械性の、より謎めいた証拠を観測し、私達が今目撃しているのはティアフアナコ以前の科学技術である事を頭に入れておきましょう。

「そのブロック(巨大な塊の石)の検証がまた明かすのは、更にもう一つの異例な科学技術の使用です。幾つかの場合において、人が観測出来るのは、(通常、列にされた)とても正確に造られた穴の集合体です。その正確性が凄いのは、それが手作業の行程を除外するためです。まず最初に、そして最も重要なのは、それらが一般的に、正確に同じ直径を有し、(もしその穴が、勿論、壊れていないなら)その(穴の)横壁はとても滑らかで、そして正確に平行的です。これに関する差異 - つまり、その穴の上と下の間の直径の違いは - 0.1mm. 以下です。これは、何らかの器具に固定された機械による穴あけに一致し、特にとても固い石を加工しているなら、人の手によって持たれた道具によっては出来ないためです。」

その様な科学技術の証拠は、実に、圧倒的ですが、ウィトコウスキーは、明らかな結論をためらい、そして馬鹿馬鹿しい異なった論説を提案する「学術派(通説派)」の一種に、実際に気付いています。ウィトコウスキーの、提案された彼等の間違った考え方を説得する方法は、少々、奇抜です:

「懐疑的な科学者達である、「否定主義者達」から、私達が良く聞くのは、先史的な構築の驚くべき全てが、原始的な人々に利用可能な、石、または銅のとても単純な道具によってのみ達成されたと言う事です。私はその様な学者を、彼が丁度描写された石の塊へと、それを削り出すまで、その様な原始的な道具と共に、比較的に固く大きな石の塊に縛り付ける事を提案します。」

更に事あるごとに、ウィトコウスキーは、H 型の塊の様々な表面へと収納された次元の、とても精密な寸法の連続を測り、彼が驚いた事に、それらの多くは重要な数字:3.1418を含み、πの理想から0.0002しか異なっていなかった事を発見しました!

あたかもそれだけでは十分では無いかの如く、その他の繰り返す寸法は、シュメールの寸法単位、「エル」の正しく1/4の価値に結果しました。

プマ・プンクにまつわる、高度な科学技術を証言している最終的な事があり、そして今度は、それはアンデス的な伝統自体から来ていて、そしてそれにおいて私達が目撃するのは、その古さの地学的で非直接的な証拠に、とても矛盾している炭素14的な年代測定への、恐らく、仮説的な解決策です。伝説によると - あたかも突然の大災害が、その場所を襲い、その大きな、正確に切り出された、複数の表面の石の塊が、唯、単純に、運搬の途中で見捨てられた様な - プマ・プンクは、「大洪水の以前に、ヴィラコチャの「致死的な光線」によって破壊されました。」

言い換えると、その破壊は意図的で、科学技術の方法で達成され、そして明らかな突然性と共にでした。人が目撃しているのは、恐らく、南米版の何らかの「バビルの塔の瞬間」で、構築されていたのが何であれ、それらは誰かによって危険と認識され、介入され、そしてそのプロジェクトは終わらされました。

更に加えて、それらの伝説によって、科学技術の種類でさえも、示唆されています;それは電磁的な放射を含む科学技術でした。集中的な放射線への露出は、実際に、炭素14による年代測定を大幅に歪め、古い物事を、それらの実際の年代より、より若く(新しく)現れさせます

恐らく、ティアフアナコの太陽の門のヴィラコチャのイメージと、現代の3段階の水素爆弾との比較は、全く考え過ぎでは無いのかも知れません。

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル151ページ、オン・ライン電子書籍:168ページより:

C. 太平洋を渡る世界の軸

1.イースター島の謎 - パート1


シベリアからアラスカに渡る有名な「陸の架け橋」を渡り - 人類がアメリカ大陸に来たと言う、通説的な説明を良く知る、慎重な読者にとって - プマ・プンクのパラドックス(矛盾)は、重大な難しさを浮上させます。南米大陸から - 私達が見る様に、殆ど真っ直ぐな線で、またはウィトコウスキーが呼ぶように「世界の軸」の様に - インドの亜大陸まで伸びるグリッド・システムのコンテキスト(文脈)の中のティアフアナコとプマ・プンクのコンテキストを人が考える時、それらの難しさは膨大に複雑化されます。

私達は、プマ・プンクとティアフアナコに関して、地元の伝統がどの様にして2つの物事を連結させるかを見ました:(1)示唆された科学技術と、示唆された戦争の行為による、突然で、意図的な破壊と、(2)大洪水の形状における、その後の大災害です。

人は、それらの2つの伝統が、再び対にされるのを、とても意外な場所、イースター島において発見します。其処で、その洪水の話しは、海に沈み失われた、再び見られる事の無かった土地の、より広いコンテキストにおいて伝えられます:

その若い男、テア・ワカは言いました:
- その昔、私達の土地は大きく、とても大きかったのです。 

クウクウは彼に質問を尋ねました:
- では、それは何故、小さく成ったのですか?

テア・ワカは答えました:
- ウヲケがそれに、彼の棒を下げたからです。彼は、彼の棒を、オヒロの街に降ろしました。大きな波が起こり、大地は小さく成りました。それは、テ・ピト・オ・テ・ヘヌアと名付けられました。ウヲケの棒は、プク・プヒプヒの山の上で壊されました。

テア・ワカとクウクウは、(テア・ワカが浜辺に辿り着いた場所である)コ・テ・トモンガ・オ・テア・ワカ村について語りました。すると、ホトゥ・マトゥア王が陸に上がり、その島に定住しました。クウクウは彼に言いました:
- その昔、この土地はもっと大きかったです。

その友人、テア・ワカは言いました:
- その大地は沈みました。

それからテア・ワカはこう加えました:
- この町は今、コ・テ・トモンガ・オ・テア・ワカと呼ばれています。

ホトゥ・マトゥアは尋ねました:
- その大地は何故沈んだのですか?
- ウヲケがこれを行い、彼はその大地を押しました - と、テア・ワカは返答しました。その土地は、テ・ピト・オ・テ・ヘヌアと名付けられました。ウヲケの棒が長かった時、その大地は底無しの穴(アビス)へと崩壊させられました。プク・プヒプヒが - ウヲケの棒が壊された場所が、今呼ばれている名前です。

- ホトゥ・マトゥア王は、テア・ワカに言いました:

- 我が友よ、それはウヲケの棒ではありませんでした。それは、マケマケ神の雷でした。

一見、このイースター島の洪水の伝説は、少々単純的に見えるかもしれない間、より詳細な検証は、アンデスのヴィラコチャ、洪水、そしてプマ・プンクとティアフアナコの破壊の伝説に平行する、幾つかの興味深い詳細を明かします:

1)その洪水は神、または神々の、意図的な行為によってもたらされ、この場合、ウヲケ、そしてマケマケで;

2)両方の神々はそうするために、何らかの科学技術を使用し、ウヲケの「棒」で、マケマケは「雷」を使い、そして最後に、

3)異例な関連性である、ウヲケのの関係に注目してもらいたいのは、効果的(結果的)にこれが意味するのは、兵器の関連性を、私達が有するためです。これは、以前にも見られたフォーミュラで、それは太古の「神々の宇宙的な戦争」を描写しているメソポタミアの太古のエピックにおいて見られるフォーミュラで、其処において山々と神々とピラミッドとの同じ関連性が起こります。簡潔に言うと、人が目撃しているのは、再び、イースター島と、とても遠くのメソポタミアにおける、関連の配置/配列の、多かれ少なかれ同じ関連性です。そしてそれが意味するのは、イースター島版の伝説の中で語られる大地の消失は、世界的な大洪水と神々の戦争の、より広いコンテキストの中へと、ある意味、当てはまると言う事です。

この科学技術的な介入の結果は、「大きな」土地の消失でした。人が考えられずにはいられないのは、これがどれだけ詳細に、プラトンのアトランティスの例え話に似ているかと言う事で、それにおいて、壮絶な戦争に続き、その伝説的な大陸は、大災害によって圧倒され、そして海の藻屑と消失しました。

イースター島の様な殆ど資源の無い、孤立化した小さな島において、その様な伝説が派生し、メソポタミアの神話とプラトン的な例え話にとても詳細に平行線し - 関連した神々と兵器と山々の「フォーミュラ」においてでさえ類似するのが - 問題に焦点を当てるのは、それらの特定的な詳細が、単なる偶然により派生している可能性は殆どゼロであるためです。その問題は、イースター島が実際に、少々複雑な形状の筆記を発達させたと言う事実によって、更に複雑にされ、それは北米大陸において見せられた何よりも遥かに先進的で、もし、アメリカの先住民達が「陸の架け橋」を渡り、新大陸へと渡り、北から南に広がったと言う、通説的な論説が事実であるなら、北部の部族の方が、複雑な筆記を発達させるために、より長い時間を有していたはずです。ですが彼等はそうせず、イースター島の住民達がそうしました!

イースター島の元々の定住者達が、孤立した出来事でも、その他の文明から切り離されたものなどでは無かったと証明するのは、この筆記の事実です。イースター島の場合の「その他の文明」との関連性が、しかしながら、とても問題的なのは、その筆記がそれを太平洋の一方(アメリカ)に関連させますが、その上に証拠される構造物は、もう一方(アジア)へと関連させます。

これが最も簡単に描写されるのは、再び、私達がペルーにおいて既に出くわした、「ジグソー」的な建築方法の写真によってです:

イースター島の石の壁
1Easter Island


イースター島の不均整な石の加工
2easter island

1.イースター島の謎 - パート2

ウィトコウスキーは、イースター島のそれらの壁には、Sacsayhuaman 、ティアフアナコ、そしてマチュ・ピチュの高いアンデスの「インカ的な」要塞でさえに、直接結びつけられる、4つのはきっりとした特徴があると、指摘します:

1.その石の塊は、丸みを帯びる様に加工され、複雑な形にも拘らず、お互いと、とても精密に合わさっていて;

2.それらは多面的で;

3、それらの外的な表面は凸型で;そして、

4.その壁の全体が、その構造の中心部に向かって傾いています。

これ等全てが証拠しているのは、歴史的な時代において、それらの遠く離れた地域の間に、何らかの接触があったと言う事です。

イースター島を、太平洋のもう一つの側に結び付ける筆記を見る前に、着目する価値があるのは、1956年に、著名な冒険家で、考古-海洋学士、トール・Heyerdahl が、とても有名なモアイの「顔」の像とは全く似ても似つかないイースター島の像を発見した事で、つまり、それはインドのモヘンジョ・ダロで発見された同様なスタイルの、髭の生えた男に、とても良く似ていました。2つの、類似した作品は、ティアフアナコ付近のボリヴィアにおいても発見されました。これが、アメリカの先住民達が、ベーリング海峡の「陸の架け橋」を渡り、何千年も前に移住したと言う論説の、最初の割れ目に成るのは、これ等の関連性が示唆するのが、むしろ、その移住が南太平洋を渡って起こったと言う事です。

その様な関連性への最も示唆的な証拠は、しかしながら、上述されたイースター島の筆記、ロンゴ・ロンゴの記述です。

ロンゴ・ロンゴの文字
1rongorongo1.jpg

2BarthelCb.png


ウィトコウスキーは、彼の同郷の同僚、Szczecin 大学の言語学者、ビーノン Z. Szalek 教授が、ロンゴ・ロンゴの文字と、モヘンジョ・ダロの神秘的な遺跡の周りを中心とした、インドのインダス峡谷の文明の筆記との、詳細な研究と比較に注目しました:

インダス峡谷(プロト・インダス)文字とロンゴ・ロンゴ文字の比較
3rongorongocomp.jpg


この驚きの類似性が体現している難しさを複雑にしているのは、通説的な考古学によると、インダス峡谷-モヘンジョ・ダロの文明が、紀元前1000-1200年頃には消滅していたと言う事実です:

「それが意味するのは、イースター島が定住された時、モヘンジョ・ダロの特徴的な筆記、その宗教、等々は・・・人間の記憶の中にだけ生きていた(残っていた)と言う事です。それは(少なくとも、公式に受け入れられている論説によると)、2千年以上も失われていました!それは単純に、シュメールと、ファラオの帝国(i.e.エジプト)と共に、私達の惑星上の、最も古い3つの文明の内の一つでした。イースター島の文化は、人類の先史の中のそれ程古い処まで届けるのでしょうか?偶然にも、それらの状況が、ロンゴ・ロンゴの文字を、歴史的な時代において使用された最も古い文字にするのは、4000年以下のものでは無いためです・・・この手掛かりの繋がりの場合、真実はとても曖昧な様で、そして同時にとても奇妙で、人は彼自身に、問いを尋ねなければなりません:その何千年も前に、太平洋とインド洋において、一体全体本当に、何が起こったのでしょう?

1.イースター島の謎 - パート3

私達がこれから直ぐに見る様に、その問題は人が、モヘンジョ・ダロ自体の遺跡を検証した際に、更により奇妙に成るのは、それらが遠く離れたティアフアナコとヴィラコチャへの、もう一つの関連性を示すためで、そしてそれはとても奇妙なものです。

この謎に貢献しているのは、イースター島自体の先住民的な人々は、明らかにポリネシア人の血統ですが、彼等の地元の伝統が、「長い耳」で、「高い頭蓋(長頭)」の、色白で、そして勿論、とても異なった文化的な後継の、更に以前の民族を伝えるためです。彼等は、非ポリネシア的な言語を語り、知られている伝説によると、筆記の秘密(知識)を知っていたのは彼等で、彼等だけでした。この「長耳達」は、地元の伝統によると、白い肌で、赤毛でした!この伝統は、その島の最初の永住的なヨーロッパ人、ロンゴ・ロンゴの記述を含んだ木製の板を燃やすキャンペーン隠蔽工作)を開始した、フランス人の宣教師、ユージーン・ Eyraud によっても確認されました。Eyraud は、地元の先住民達が、文字を読めない事を観測し、「長耳達」が、筆記の読書の秘密を彼等自身のために保ったと言うアイデアを確認しました。その島の住人達の伝統によると、「初代の王」、ホトゥ・マトゥアは、西方にある、彼等の元々の土地から、67個の最も大切な(記述された)板をもたらしたとされます。

この伝統が、とても暗示的なのは、イースター島の住民達が、彼等が「西方の」島から、i.e. 太平洋を渡って、移住したと主張する事を示唆するのみでは無く、その(移住の)目的の一部が、何らかの価値の付けがたい記録を、その島にもたらす事だったかも知れず、そして恐らく、その後、その他の場所へもたらされたのかも知れ無い為です。何であれ、この伝統がまた示唆的なのは、西洋へのもう一つの関連性の可能性で、有名なシュメールの「運命のタブレット」で、それと共に、そしてそれについて、「神々」が凄まじい戦争を戦った酷い物体で、その戦争の終結後に、それらの幾つかは破壊され、そしてその他は「何処か別の場所」に移動させられました。

もし、価値の付けがたい記録をもたらす事が、イースター島への移民の目的であったなら、人はイースター島以上に遥かに孤立した場所にいく事は出来ないので、もしその目的が、遥か遠い場所に隠す事によって、その様な記録が間違った手に落ちる事を防ぐためなら、するとそれにはある種の理論性が存在します。

この遠く離れて孤立した場所への移民の背後には、何らかの隠された目的があったと言う事は、その半三角形の島自体が45平方マイルしか覆わないと言う事実、そして農業に適する土を殆ど含まない、固い火成岩から成る事実によっても見て取れます。ですがその島は、最小限で10トン、最大限だと200トンの、幾つもの特徴的で有名な顔の像 - 有名なモアイ像 - を有し、それらの全ては、秩序的に島の中心に向き合い、地元の伝説によると、住人達の伝説における、以前の時代に起こった様に、海の藻屑として沈まない様に、その島を保護しているとされます。この全ては、勿論、その様な孤立化された場所の、その様な小規模の人口が、どの様にして、その様な巨大で、正確に加工された像を切り出し、移動出来たのかと言う問いを浮上させました。

イースター島のモアイ像
1Moai Statues

2Moai.jpg

イースター島の位置
3polynesia map


地元の伝説と伝統がこの問いについて、殆ど助けに成らないのは、イースター島において、英国におけるグリッド上の様々な太古の遺跡などと同様に、その石(巨石)がそれら自体で移動したと、伝統が明言するためです!

しかしながら、地元の伝統において、この移動の方法についての手掛かりがありますが、その手掛かりは再び、イースター島と、意外にも、エジプトの様な場所の間のもう一つの神秘的な関係を解き開きます:

「・・・その伝説(によると)、その巨石は「それら自体」で、「マナ」と呼ばれる魔法的な力の御蔭で、意図された場所に移動しました。それが事実である、または無いは別にして、しかしながら、太平洋における考古学的な謎の「第二の最善」の場所、つまり、ナン・マドルにおいて - 西方に約10,000km (約6200マイル) - において移動的な力の同様な種が描写されると言う事実を派生させます・・・」

しかしながら、これは、困惑させられる平行線の終わりでは全くありません。マナの力は、それを集中させるとされるシンボルによって象徴され、そしてそれは幾つもの像の背後に刻まれました。奇妙な事に、それは同様な機能を行うとされた、エジプトの魔法の「アンク」の十字に驚く程、よく似ていました。

アンク
4Ankhstone.jpg


その奇妙な「アンクの様な」象徴の存在は、遥か遠くの中東の文化との、唯一の関連性ではありませんでした。

「鳥人」の姿のアイデアは、イースター島の文化とその伝統において顕著です。このキメラ(半人半獣)的な概念は、ロンゴ・ロンゴの文字自体における象形文字にでさえ現れます。この鳥人の象徴は恐らく、その島の住人達の主要な神、マケ・マケのための象形文字で、彼は空に住むとされ、彼はその神秘的な「マナ」の力への凄い操作を持つので、マナの操作の力はとても危険であるために、(空に)孤立化されました。マケ・マケの危険な操作、またはマナの力の使用は、雷に体現され、「アンデスの主要な神、ヴィラコチャと共に関連させられるモチーフと全く同じ」で、そして言うなれば、ギリシャの主要な神 - ゼウス - の稲妻との類似した関連性で、加えて、メソポタミアの神々、ニヌルタとネルガルとも、全く同じものです。

更に加えて、「鳥人」の神々には、中東へのその他の奇妙な関連性があります。人は、エジプトの科学と英知の神、トート(ヘルメス)の描写を考えるだけでいいでしょう:

トート/ヘルメス
5toth.jpg


類似したキメラ的な鳥人の描写はまた、メソポタミアにおいても見つけられます:

6mesopobird.jpg


故にそれは、世界規模のグリッドの現象に加えて、私達がまた向き合っているのはすると、それに追随している世界規模の、多かれ少なかれ、同じ宗教的で神話的なイメージの様に現れます。


モヘンジョ・ダロの謎

インドのモヘンジョ・ダロの暗示的な遺跡程、このより良い証拠は何処にも無いでしょう。私達は既に、ヴィラコチャが、「稲妻」である、「殺傷的な光線」によってティアフアナコの文明を、突然破壊した地元の伝説に出くわしました。イースター島の主要な神であるマケ・マケは同様に、雷を操り、そしてそのロンゴ・ロンゴ文字はインダス峡谷の文明に直接関連しています。

モヘンジョ・ダロの遺跡が、何らかの科学技術的に先進的な方法による、その様な大量殺害的な破壊が、意図的に行われたかも知れないと言う身の毛もよだつ証拠なのは、モヘンジョ・ダロにおいて人は、その区画整備図を一目見れば証明される様に、想像力を困惑させられる様な、近代的な上水道、下水道、そして精密な計画性と複雑化と共にデザインされた街と砦を見つけるためです:

インダス峡谷のモヘンジョ・ダロの区画図
1mohenjo daro


モヘンジョ・ダロの要塞
2mohenjodaro.jpg


しかしながら、その街についての最も奇妙な事は、その溶けてガラス化した遺跡の通りの周りに散在させられていたのは、幾つもの人間の骸骨で、その幾つかは、あたかも彼等の日常生活を行っている間に、何らかの突然の大災害に見舞われたかの様に、お互いの手を握り合ってさえいました:

モヘンジョ・ダロの骸骨
3daro.gif


インドのラジャスタン付近の、3平方マイルを覆う地域を調査していた考古学者達は、放射性の灰の層を発見しました。その放射性のレベルはとても高かったので、インド政府が、その地域を立ち入り禁止にした程でした。更に深く発掘する事によって、彼等は、8,000年から12,000年前の間に起こった核爆発の証拠を発見しました。モヘンジョ・ダロの骸骨の内の一つは、自然的な放射線よりも、50倍の放射能レベルを帯びている事が発見されました。

正に、ヴェラコチャの「殺傷的な光線」です!

この凄まじい場面を調査していると、人が思い出させられるのは、太古の「神々の戦争」を描写するインドのエピック、マハラータラマヤーナの中の、身の毛もよだつ言葉です:

グァーカは、高速で強力なヴィマーナ(飛行機)を飛ばし、

単一の物体(ミサイル)を投げ入れ(発射し)、

宇宙全体の力の全てと共にチャージ(充電/蓄積)され、

10,000の太陽程眩しい、

白熱の煙の柱と炎が、

その光彩の全てと共に立ち昇った。

それは知られざる兵器で

鉄の稲妻で、

巨大な死の使者で、

Vroshni 族と Andhaka 族の種族全体を、

灰に変えた。

それらの死体は

認識される事の出来無い程、燃やされた。

髪の毛と爪が抜け落ち;

土器は明らかな理由も無く壊れ、

そして鳥達は白く変わった・・・

(それは)とても強力な(兵器で)

それは一瞬にして地球を破壊する事ができ -

煙と炎の中の轟く騒音で -

そしてその上に座するのは死・・・

濃密な炎の矢が、

大いなる雨の如く、

創造の上に派生し、


その敵を包み込んだ・・・

ぶ厚い薄暗さが Pandava のホスト(主役/主催)の上に落ち着いた。

コンパスの全ての方角は、闇の中へと失われた。

凄まじい風が吹き始めた。

雲は天高く昇り

土埃と砂利を降らせ

・・・

地上(地球)は揺れ、

この兵器の酷く乱暴な熱によって焦がされた。

・・・

そのコンパスの全ての方向から

その炎の矢は継続的に凄まじく降り注いだ。

私の著書、ギザの死の星の中で、高度な中性子とガンマ線の放射への露出による、髪の毛と歯の消失と、ガラスや土器のもろさも含めて、その文献は、「水爆兵器の使用の効果と結果の示唆以上のもの」であると注目しました。

ですが、それらの文献のより詳細な検証は、何らかのその他の種の兵器をヒントすると、私はまた提案し、それはパイプを通して絞り出される水素爆弾の爆発効果の様なもので、実際にプラズマの集中されたボルトにおいて「稲妻を投げつける(発射する)」事の出来るもので、それらの「示唆的なフレーズ」の内で「最も重要」なのは、人が扱って入るのが「沢山の核爆弾では無く」、「たった一つの単一の兵器」であると言う明らかな明言です。加えて、その他のフレーズが示唆したのは、何らかの核兵器、または水爆兵器以外のものです:

1)「宇宙の力の全て」が示唆するのは、ある意味、時空間自体のエネルギーを利用する兵器で;

2)「地上が揺れた」が示唆するのは - もし人が、「地上」を単純に「大地」では無く、惑星全体を意味すると取るなら - 惑星全体のエネルギーが利用された、または影響された事を示唆し;

3)「コンパスの全ての方向から」放射する「炎の矢」が示唆するのは、再び、電磁的な干渉法によって、標的に放射的なエネルギーを集中させる事です。

私はヒンドゥー(インド)のエピックは、一般的な感覚における核兵器の描写の可能性に加えて、物理的な媒体(エーテル)自体の操作の能力に基づいた兵器をまた描写していると結論しました。

私達が今、有するのは、プマ・プンク、イースター島、そしてインダス峡谷の遺跡の背後にある高度な文明が何であれ、それらの中の、ヴィラコチャとその他の世界の神々の間の神話的な平行線と、一方で、イースター島と、ティアフアナコとプマ・プンクの間の建築技法の類似性と、もう一方で、インダス峡谷に関連する、ロンゴ・ロンゴの筆記術の、関連性を示唆する事実の、奇妙な集合体です。

この高度な奇妙さに私達が此処で加えられるかも知れないのは、遥かなる太古において、その理由が何であったにせよ、世界中に渡って広がった、共通の文明を示唆する更なる証拠の欠片で、それはつまり、言語学です。ウィトコウスキーは、彼の同国の同僚、ビーノン・Szalek 教授が、バスク語、ハンガリー語、そして・・・日本語の、共通の語源の比較研究を行った事を指摘します!これから彼が結論したのは、「これらの人々が、何らかの単一的で国家的な社会組織の影響下にあった - または彼等が、その昔、その一部であったと言う事でした。」もしくは、恐らく、私達が目撃しているのは、共通の文化的な起源を持つ、隠れたエリート、またはエリート達の影響力の存在なのでしょうか?

その問いに対して人がどう答えようとも、Szalek 教授の言語学的な調査が明かすのは、何か他の事で、つまり、これ等のグループ(バスク人、ハンガリー人、日本人)の間にその昔、存在していた関連性が何であれ、それは紀元前7000年頃に分岐させられました。言葉を変えると、もし人類の歴史の中に何らかの「バベルの塔の瞬間」があったとしたら、それは紀元前7000年以前に起こった可能性が最も高いと言う事です。

ここまで来ると人は、奇妙な事に気付いたでしょう:私達が考えてきた全ての年代測定は、シュメール、エジプト、そしてインダス峡谷の、太古の高度な文明以前に存在した何かを指摘し、そして何度も、何度も、紀元前10,500年と言う日付への特定は繰り返し、その中に、インドの放射性の灰の層も当てはまります。言語学的な証拠でさえ、この時間の枠組みの中に存在していたかも知れない文明が何であれ、それを終焉させる、「何らかの大災害」が起こった事を示唆しています。ですが、何かが存在していた事には疑う余地が無く、そしてそれは、プマ・プンクの遺跡が証明する様に、何らかの大いなる科学技術的に先進性のものでした。

3.謎の関連性が深まる:ナン・マドル、モヘンジョ・ダロ、そしてイースター島

その名前が、太古のドラヴィディック(インド)の言語において「道/方法の中道」を意味する、ナン・マドルは、妥当に太平洋における太古のヴェニス(ヴェネチア)と呼べるかもしれませんが、モヘンジョ・ダロからイースター島まで伸びる、「世界的な軸」の中心から、ややずれて存在しています。その太平洋南東の島々を渡って、太古の石の遺跡と運河の様々な瓦礫が広がり、ナン・マドルは、人が詳細に検証すればする程、謎を更に増幅させるような場所の内の一つです。

約30フィートの高さの段々ピラミッドと、様々な石製の土台が点在し、ナン・マドルの最も奇妙な特徴は、それらのピラミッドの多くから派生する、玄武岩製の道で、そしてそれは「真っ直ぐに、海の中へと」繋がります!あたかもそれだけでは十分では無いかの様に、それらの道の内の一つは、1000マイル離れたラロトンガの島において、その水没した旅から浮き上がり、その事実はそのエリアがその昔、水(海)の上にあった事を強く示唆します。

そのグリッドのその他の場所の様に、ナン・マドルとより広いポリネシアの文化はまた、特定の場所に関連して、その伝統を有し、そしてこの場合、2つの伝統が私達の興味を引きます。「マナ」と呼ばれる何らかの神秘的な力によって、それら自体が移動したと言われる、イースター島の巨大なモアイ像と同様に、ナン・マドルにおける、数トンの重さのピラミッドの石の塊は、「魔法によって持ち上げられ移動された」と言われます。

第2の伝統は、しかしながら、そのグリッドに関連した更なるもう一つの謎を全くの浮彫細工へともたらします。私達が上述において出くわした「太陽神」、ヴィラコチャはまた、インカ族の大いなる「文明化」の神とされ、白い肌の、髭を蓄えた、青い眼の者だったと言われます。私達が今後の2つの章の中で発見する様に、マヤ族とアステカ族の文明化の神、ククルカンとケツアコアトルにも、同じ主張が成されます。

ポリネシア人達も、アジアのその他の多くの人々と同様に、類似した伝統を有しています。最初のヨーロッパ人の宣教師達がそれらの島々に辿り着いた時、彼等はポリネシア人達が自分自身達を「アオマタ」と呼び、その用語は単純に「人間達」を意味する事を発見しました。ですがヨーロッパ人達は「テ・イ・マタング」と呼ばれ、それが意味したのは「神々の国からの人々」でした。その他のポリネシア人達は白人の宣教師達を「黄金の髪の、タンガロアの子供達」と言及し、その神は、彼等の伝統によると、千年も以前に、先生、そして文明化する者として訪れたとされます。そのアイデアは太古のヤマトの日本神話の中でも繰り返され、その色白の人々は日本を訪れ(i.e.天孫降臨)、北米のホピ族の伝説においても、そしてヒンドゥー(インド)のエピック、ラマヤーナにおいてさえも、文明を教えるために訪れたとされます。

ですがもしこの伝統が、「それ程根強く、重要で、そしてそれ程共通的であるならば、私達はそれが、何らかの現実に基づいていると仮定せずにはいられません。」しかしながら、もしそれが、先史時代の霧の中で失われた、何らかの「現実」に基づいていたなら、それはどのような種の現実だったのでしょう?私達は広範囲の広がり(移住)を扱っているのか、それともエリートの活動でしょうか?もしくはその両方でしょうか?その問題は、人類の起源を、約150,000年から200,000年前の、アフリカにおける黒人種とする、最近の遺伝子学的な研究によって、更に複雑にさせられます。此処が、このジレンマへの可能な解決策を探求する場では無い間、恐らくこの白人のグループの人々の広がり(移住)は、目的を持って成され、それぞれの伝統自体によって示唆されているものは、それぞれの件の場合、含まれた目的があったと言われ、その目標は、つまり、人類のその他全てに「文明化」をもたらす事でした。私達は、移住では無く、エリートの目的を持った広がりを目撃しているのかも知れません。どちらの場合であれ、世界的に渡ったその様な接触の伝統の広さと、以前に記述された同等に示唆的で言語学的な証拠を与えられると、私達が見ているのはこの人々の集団の世界規模の活動と広がりです。

この歴史的な謎の真っただ中に位置するのがナン・マドルで、11平方マイル近くを覆う太古の街で、その中央には約1平方マイルの人工的な島の構造物があります。それらの島々は、トンネルによって繋げられています。その遺跡はまた、計画的な探検の殆ど全てを拒絶しました。それを試みた最初の探検家 - 19世紀のクバリーは - ヨーロッパに戻る際に、彼によってナン・マドルにおいて発見された遺物(財宝)を積んだ船が沈没した後に自殺し、彼の記録とメモの全ては火事で失われました。これに加えられるのは、その遺跡を訪れた十数の者達で、蒸発したか、または唯単純に、二度と目にされませんでした。

クバリーは、20世紀の初頭において、ドイツ人のポール・ハンブルックによって受け継がれ、その遺跡の詳細な調査は、ハーバート・リットリンガーによって、1939年にドイツで出版された本によって有名にされました。リットリンガーはまた、知られていない形状の筆記に覆われた、プラチナ製の金属のタブレット(板状のもの)が其処で発見されたと言う話も記述しました。もしこの話が事実であるなら、するとそれは、失われたシュメールの「運命のタブレット」に関連するもう一つの可能性かも知れず、そして知識を保存しようと試みている誰かの活動に関連する、更なるもう一つの可能性かも知れません。

4.失われた文明と洪水:ポリネシア、エジプト、そしてホピ族

上述された様に、ナン・マドルの奇妙な特徴の一つは、そのピラミッドから派生し、その後、海の中へと消える道で、そして私達は既にその西方の土地が消滅した、イースター島の洪水の伝統に注目し、そしてこれが何らかの意図的な行為に関連していると言う、かすかな示唆に着目しました。興味深い事に、ポリネシアの伝統はこの見解に同意し、そしてエジプトでさえ「(彼等が東方の海をそう名付けた様に)「Urj-ur」の波の中へと海に飲み込まれた、東の大規模な土地」の伝説を持ちます。それらの「失われた陸地」の伝説で最も興味深いのは、しかしながら、北アメリカのホピ族のもので、彼等は南米から避難し、北米に渡ったと主張します。

5.陸の架け橋が崩壊する

ホピ族の伝説は、アメリカ大陸へのアメリカ先住民達の移住は、シベリアとアラスカの間の、ベーリング海峡における「陸の架け橋」を渡り、その後、徐々に、北米から南米に向かって広がったとする基準的なモデルについて、幾つもの問いを浮上させます。この論説は、1938年に、ニューヨークの自然歴史博物館のアレックス・Hrdlicka 博士によって、最初に形成されました。

ですが、この論説が提示された途端に、それは割れ目を見せ始めました。Hrdlicka がその論説を形成した時点で、最初に、最も明らかだったのは、アメリカ先住民達の中の、人類学的な多様性が、彼の論説が許すよりも、遥かに大きかったためです。その論説によって提示された最も重大な問題は、最も先進的な文明の名残が北米において見つけられるはずで、移住が南に広がる毎に、あまり進歩していない文化が浮上するであろうと言う、暗黙の示唆を含んでいたためでした。ですが、私達が見てきた様に、証明されている最も先進的な文化 - プマ・プンクとティアフアナコは - より北方で見つけられるものの何より先進的でした。その事実の年代学的な進歩は、その論説によって示唆されるものとは異なりました。

1963年に、50,000年前のものと年代測定された、南米における道具に同行された人骨の発見は、その論説に対する明らかな矛盾なので、北米の人類学によって、全く無視されました。さらに問題なのは、メソ・アメリカと北米における黒人、白人、そして混血の頭蓋の遺物が、基準的な陸の架け橋の論説では説明する事の出来ない、アメリカ大陸における民族的な多様性の要素を加えたためです。更にもっと問題なのは - 南北米大陸の両方において、最も古い - チリ南部の人間の居住地の発掘において、それが約33,000年前のものであると発見された事です。言葉を変えると、「最も興味深く、驚きの達成の場面に成った」のは、アメリカでは無く - 最も最後に、人によって定住された大陸とされる - アメリカでした。

更に問題なのは、アルゼンチンのブエノス・アイレスの北西のタフィ・デル・ヴァレィおいて、注目に値する、殆ど知られていない巨石の遺跡がある事です。「アルゼンチンの遺跡は、もし何らかの魔法的な力によって、ヨーロッパの新石器時代の特徴的な要素の全てが移動させられたのなら、異例ではないでしょう。」それらに含まれたのは、東西南北のコンパスの地点に配置/配列された三石塔、ストーン・サークル、そして男根型の石でした。

ですが、陸の架け橋の理論への最も致死的な打撃は、全ての人間が彼等の母親から受け継ぐ遺伝子である、ミトコンドリアル遺伝子から来ました。この遺伝子が検査された時、南北アメリカにおける最も古い人間の遺骨は、ハプログループ B と呼ばれる、特徴的な太平洋グループに、彼等が帰属する事を証明し、太平洋と北米南部に共通的なグループですが、シベリアとアラスカには共通的ではありませんでした。更に問題なのは、南米のミイラの血液型が、A 型 Rhマイナスの圧倒性を明かし、圧倒的にヨーロッパ人に共通の特徴であった事です。

6.まとめ

私達はプマ・プンクのパラドックス(矛盾)から遠くに旅しましたが、其処におけるパラドックスは先進的な機械性で、そしてアメリカ先住民達の遺伝子的で文化的な多様性は、基準的な陸の架け橋の論説とは、とても異なった絵を指摘しました。ポリネシアから、(中南米の)「白い肌」の髭をたくわえた文明化する神々ヴィラコチャと - 私達が今後の2つの章において見る様に - クカルカンとケツアコアトルまでの、殆ど統一的な伝統は、とても多様な人口と、目的を持って世界中を通して旅する人々(エリート)のグループの活動の可能性を指摘するのは、大いなる大災害の後に、保存と再建を手助けするために、それらの人々が「文明化」を教えるために到来したと、それらの伝統が何度も、何度も、強調するためです。

それらの文化の殆ど全てにおいて結び付けられる洪水の伝統の中で、その大災害は確認され、その伝統は幾つかの場合、戦争における科学技術の使用によって、その大災害が部分的にもたらされた事を示唆します。幾つかの場合においては - プマ・プンクの様な - 巨石の遺跡は、現在存在するあらゆる技術を遥かに超えた、先進的で機械的な科学技術の明らかな産物でした。その他の場合において、伝説と伝統は、その様な巨大な石の配置に、イースター島の「マナ」の様な、神秘的な「力」を結びつけました。

人類の歴史を理解するために、そして何故、とても多くの場所においてその様な大規模な構造物が造られたのかを理解するために、それらの層の皮を更に剥く事は可能でしょうか?その答えは、イエスですが、その答えを理解するためには、私達は此処で北方へと、メソ・アメリカに向かい、そしてマヤ族とアステカ族の伝説と構造を詳細に検証しなければなりません。

補足記述:
オンライン電子書籍、190-193ページ
  1. Category: None
  2. / trackback:0
  3. / Comments:0
  4. [ edit ]


Only the blog author may view the comment.

Profile

Songcatcher

Author:Songcatcher
現在地:ルネッサンス2.0









鼓動と呼吸:緊縮と拡張・・・

songcatcher@mail.com

Latest trackbacks

Search form

QR code

QR

« 2017 07 »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -