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宇宙戦争 第三章/四章:象徴の統一された意図

シンボル/象徴の統一された意図

ファレル博士の宇宙戦争、96ページより:

フォーミュラにおける違いがどう機能するのかを理解するために、そしてそのフォーミュラがどう何らかの外的なチェックまたは土台付けを必要とするのかを理解するために、私達はプラズマ宇宙学と、そして物理学者、アンソニー・ペラットの観測と太古のペトログリフに戻りましょう。

ペトログリフ(岩などに刻まれた太古の絵など)をプラズマの安定性と不安定性の象徴/シンボルとするペラットの解釈が、注目せずにはいられない間、そして原始グラフィック的なコンテキスト(文脈)から、プラズマ宇宙学に新たな重量(信憑性)を与える間、2つの原理的な方法でそれ自体を現す重大な問題性があります:(1)宇宙学的で物理学的な構成要素、そして(2)文献的な構成要素です。

宇宙学的そして物理学的な構成要素は、プラズマ宇宙学の「大災害主義者」の解釈の一つの示唆を検証すれば最良で、「間惑星的なディスチャージ(解放/放電)」の期間の時代、大変異なった天体的なメカニズムが必要であったであろうためです:

「タルボットによると、古代人達が強力な神々として信仰し恐れたのは、地球の、極度に近くに位置付けられた各惑星です。それらの不安定性と予測不可能な運動は、神話の最も共通的なテーマ - 神々の戦争 - を与えました。これらの劇的な話の中で、神々はお互いを宇宙的な雷で撃ち合い、その間、地球上では炎と石が降りました。」

これは、人が望む事の出来る限り簡潔な、両方の要素の明言です。

1Sumerian Anunnaki Flying Whirlwinds


その中において、神々の名前を、惑星の隠喩とする、解釈の見覚えのある大災害的なテーマに人は出会います。ですが太古の神話の文献的な証拠のその他のための、この解釈の暗示に注目してもらいたいのは、その隠喩が、太古の神話の共通なテーマである、「神々の戦争」のもの「へと血を流す/滲み込む」ためです。私が、私の著書、ギザの死の星は破壊されたの中に記述した様に、これは、これ等の同じ神話的な各文化が、その後もその話を続け、これ等の神々を結婚させ、父親、母親に成らせ、子供達をもうけさせなかったのなら、可能な解釈だったでしょう。これもまた、私が記述した様に、これ等の子供達が同様な婚姻を通して、正に実の王達の血肉と成り人間の先祖に最終的に成らなかったのなら、可能だった大災害主義者的な解釈だったでしょう。言葉を変えると、その隠喩は正に最悪の方法で「混合」され、最も陳腐で下手な小学生の作文練習を思い起こさせます。現時点において、「文献的な」構成要素の問題性は、とても多くあります。

何が最大の重要性かと言うと、その宇宙学的な構成要素が暗に言及するのは明らかに、これらの「戦争」の基準的な電気-流動的なプラズマ宇宙学の見解において、各惑星はその昔、とても遠い過去において、お互いからもっと近く、そして故に電気的に更にもっと活発で不安定だったと言う事です。そしてこれがその難しさに焦点を当てるのは、もしこれがそうであった場合、するとこの元々の混沌的な状態から、現在の明らかに比較的に安定している天体的な機械性に、どんなメカニクスが導いたのでしょう?更に重要な事に、(銀河の)地域的な天体的システムの、観測可能な存在している「安定性」から、原始太古的な混沌的なものに遡る過程において、どんな推定の行程において、神話創造者達に、これ等の太古の出来事の、その様な厳密で正確に現れる描写をさせたのでしょう?タルボットとソーンヒルはこの問題について以下の方法で明言します:

「過去において太陽系はどれだけ安定的だったのでしょう?ハンツ・アルヴェーンと彼の後継者達の先駆者的な研究において、電気的なモデルの長期的な進化の中で、軌道的な不安定性は実質的な必然です。星と惑星的なシステムの誕生において、電気的な力が典型的に圧倒します。ですがそのシステムは電気的なエネルギーを消費し、それは転換期を訪れ、効能的に乱暴な成り行き/結果と共に、重力的な優越性が起こるものに向かってシフトします。混沌的なシステムはすると、電気的そして重力的に安定的な均整に向かって移行します。一度、各惑星が予測可能な軌道を達成すると、後の(現在の)惑星的な運動に基づいたコンピューターのシュミレーションの中で、以前の(安定前の)システムまたはその混乱を供給出来るものは一つもありません。」

この問題に答えるために、私達には2つの選択肢が残されます:(1)古代人達の天体的な科学は、私達が考えているよりも遥かに先進的で、その様な推測を許す理論的なモデルを有していて、そのテーゼは、もし事実なら、彼等の科学は私達自身のものよりも遥かに先進的だった;または(2)人間の神話創造者達は、彼等が受け取った話を伝えていて、そして究極的に神話が描写した出来事は故に、知性的な存在(と/または人類)によって観測され、引き続いて人類に後継されたかのどちらかです。

この最後の可能性は、同等に重要で、そして同等に問題的な2つの問いを更に浮上させます。その出来事は(1)人間達によって観測された、または(2)(人間の観測者達と連結していたか否かは別として)非人間的な知的生命体によって観測され、そしてその後引き続き、人間に伝達されたかのどちらかです。一つ目は単純な理由で問題的なのは、描写されている出来事は、数十億年では無いにしても、数百万年の古さのもので、人類の生物学的そして文化的な進化の基準的な学術理論(通説)ととても異なる、(人類の)古さと文化的な精密性を示唆するためです。2番目が問題的なのは類似した理由で、そして追加的にそうで、人間の文化、そして恐らく人類自体の起源への「介入主義者」を示唆するためです。ですが加えて、それが問題的なのは単純な理由で、この介入主義者の見解は、殆どの太古の神話自体が明言するものであるためです!

この問題性の2つの構成要素 - 宇宙学-物理学と文献/文脈 - は無関係でも緩くそうでも無く、原始太古的な「混沌」と現在の「秩序」の間のギャップに橋掛けが出来る天体的な機械性の可能な物理的なモデルのために、文献と神話的な伝統自体が、確かな定義でこの問いへの答えを示し、実際の戦争が正にそれを出来るからです。

ですがそれは、勿論、本当の人々が戦争をした事、そしてそれと共に戦うために、真に宇宙的な規模の本当の兵器を示唆します。

戦争のシナリオの重要性を実感するために、人はそれが解決と新たな年代的な問いを浮上させる、年代的な問いに言及するかも知れません。一方で、もし人がその「戦争」のシナリオを真剣に取るなら、神話は、宇宙全体の元々の混沌的な状態を描写するという、「宇宙的な大災害」を想定する必要が無く成ります。言い換えると、宇宙の元々の形成の電気的に大荒れだった期間である、数十億年前と言った遥かな昔までその出来事を押し戻す必要が無く成ります。実に、それが描写する「混沌的」な状態は、描写された出来事が起こる「基準的な天体的メカニクス」について全く示唆する必要は無く、その様な混沌的な状態は、そうするために十分に先進した物理と、その物理を兵器化する事の出来る科学技術を持つ社会によって、太陽系のあらゆる地域の通常で定期的な天体的な機械性に強制される事が出来るためです。その様な物理がもし実際に存在していたとしたら、私達自身も含めて、あらゆる定期的で秩序的な天体的システムに強制させる事ができ、故に一時的に混沌的と現れさせる事が出来ます。私達は故に数十億年前に起こった出来事を扱っているのではなく、「たった」数百万年前に起こった出来事を扱っています。

一度この高度に推理的な概念が抱かれれば、その他の年代的な問題への解決策の扉を開き、その様な社会が台頭したかも知れないあらゆる段階で起こりえた事を許すためです。端的に、一時的にその他の種の証拠を考慮する事を禁止すると、その扉は、その宇宙的な大災害が、数百万年前から、単に数千年前の間の何処かで起こったと仮定する事を許すために開きます。そしてこの章において既に提出された証拠からも見られた様に、年代的な解決策が軌道しなければならない2つの位置があり、一方で、私達の太陽系において消失している、爆発した惑星の残骸としての隕石ベルトから、私達の太陽系における、様々な月や惑星 - 特に火星の - 電気的なディスチャージによる傷痕まで、その様な大災害の、存在している惑星的なデータを説明しなければなりません。その証拠は、言葉を変えると、神話は、太陽系の起源における混沌的な状態を描写するとする、大災害主義者の解釈を排除します。その証拠がもっと後期の年代を必要とするのは、これ等の出来事の観測と記録をするために、人が知性的な観測者達をそのミックスに加えると、人は必然的に、太陽系の創始的な状態を扱っている事が出来なくなるためです。私達が最終的に見る様に、ペラットによって収集されたペトログリフの証拠と、神話自体の文献的な証拠は、数千年または数万年前のもう一つの終点を固定します。

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太陽系と隕石ベルト:ティアマットは爆発した/させられた?

これ等の思考が真剣に熟考された時、それらは殆ど無情にも、逃れる事の出来ない結論に繋がります:もし人が、大災害主義者達が一貫して主張する様に、惑星的な大災害に訪れた時、その様な文献と文化的な伝統を真剣に取らなければならないなら、それらが始めの場所で大災害に成った戦争を伝える時、そしてそれらがこれらの戦争の動機と結果を言及する時、すると恐らく、その同じ文献と伝統を同等に真剣に、そして一貫的に受け止める時は今でしょう。

3bloodline

旧約聖書の神、ヤーウェイ(i.e.ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)
=古代バビロニアの神、エア
=古代シュメールの神、エンキ


象徴の統一された意図の更なる熟考

ファレル博士の宇宙戦争、99ページより:

cosmic war


これは「象徴の統一された意図」によって何が意味されたのかの問いを浮上させます。基本的に、この用語によって私が意味するのは、神話的な象徴が機能する複数の段階の本質は、これらの神話の創造者達によって元々、選ばれ、そしてその様に(複数のレベルで)機能する様に意図されたと言う事です。そのフレーズが意味するのは、よって、アラン・アルフォードの研究において出くわすものの正反対です。アルフォードが幾つもの象徴的なモチーフと、示唆された意味の層を、意味の一つの層 - 爆発した惑星に - 単純化させ一致させる処で、古代人達は、それぞれの象徴またはモチーフを、意味の複数の層の包み中へと星座と配置をアレンジしました。

これに関して、私が正にこの同じ題材について、ギザの死の星は破壊されたの中に記述した事を、再検証すると便利でしょう。

「とても多くの異なった、良く論議された解釈を許す、この文献の曖昧さの全てを、私達はどうとらえれば良いのでしょう?それぞれの推論は、更なる証拠が知られるまで、それらの間の肯定/否定が判断される時まで不確定のままだと、人は主張する事が出来ます。しかしながら、この解釈的な曖昧さは、知識を保存するための、何らかの原始太古的な「エリート」による意図的な考案で、意図的元々そうであったものであると言うのが私の信念です。つまり、神々の名前、統治の期間、家系図と血統、間惑星的な戦争と結果的に再発する大災害の記録、そして原始物理学的な天文学的そして量子力学と準量子機械性的な「秘密」は、同時的にこれらの物事の全ての正確な知識を伝えようと、全て意図的に複数レベルの象徴性の中に濃密に詰め込まれる様にデザインされた様に現れると言う事です。これらの濃密に詰め込まれた象徴は、血統の記録、間惑星戦争と太陽系の現在の構造とその起源、不可欠な天文学的、物理学的、数学的な知識(そして示唆的に科学技術)を、エジプトの神秘主義派の入門者達によって、同時的に保存するための方法でしたが、彼等(入門者達)自身の宗教の秘儀的な伝統の完全な重要性/意味を(彼等も)知らなかったのは疑う余地もありません。文献が意図的に、宗教、宇宙学、そして量子力学のデータの全てを、王族的な戦争に沿って融合させた事自体を、グレート・ピラミッド自体が体現すると私が信じる、統一された物理の一種を証言します。これらの解釈から曖昧さが結果するのは驚くべき事ではありません。」

私がこの結果と、意図的な曖昧さを「象徴の統一的な意図」と呼ぶのは、それが示唆する事の一つが、実在した戦争自然的に再発する大災害の解釈の間の矛盾が、明らかな/現れる矛盾でしかないからです。

分析的な手法からの象徴の統一された意図の台頭

神話的な象徴性の複雑で相互関係したこの統一された意図性が、太古の文化自体の分析的な考え方の習慣から同、台頭したのかを人は容易に理解する事が出来ます。実に、もし考え方のその習慣が、その原始太古の先輩である、とても高度な文明の精密な物理学から順を追って台頭したとしたら、すると何故、これ等の神話のスピリット的そして物理的構成要素は、始めから殆ど交わっていたのかを理解する事もまた容易です。

原始物理学的なヘルメニューティック:大災害的な隠喩vs本当の戦争

これ等の思考を頭に入れると共に、大災害対「実際の戦争」の間の比較のヘルメニューティック(説明)が必要に成ります。

明らかに、大災害主義(e.g.ヴェリコフスキー)と「実際の戦争」は両方とも原始物理学的な解釈的体系で、つまりそれらは、太古の伝説と話しの文献の主張と現代科学のモデルの比較の方法によって、太古の伝説と話しを理解しようと試みます。此処において、しかしながら、大災害主義と「実際の戦争」は、幾つかの要点において分岐します。

「本当の戦争」のヘルメニューティックのために、もし描写されている出来事には、多かれ少なかれ根底的な現実が存在すると主張されれば、その文献は唯一一貫的な意味を成す様に成ります。言葉を変えると:

(1)その戦争は本当だった;
(2)それを戦った人々、または神々は実在した;
(3)これ等の人々はそうするための本当の動機を有し、i.e.知覚された敵によって脅かされた社会的秩序が根底にあり、そして政治的なアジェンダ(目的)が機能していた;
(4)それは天候兵器を含む、惑星的な規模の本当の恐ろしい程に強力な大量破壊兵器と共に戦われ;故に爆発した惑星の理論は、限定された出来事特定の文献の説明としてだけ使用され;
(5)実際の勝者達と敗者達がいて;
(6)これ等の人々、または神々は、その戦争の前、期間、後に、人類との接触を始め、その状況に介入し始め、混血し、人類の文明と彼等の王朝(王族)を開始する点に関わった。

「大災害主義者」のための説明は、しかしながら、特に有名なアラン・アルフォードに象徴される様には、以下の興味深い事が起こり始めます:

(1)爆発した惑星の理論は、惑星の衝突の隠喩としての「神々の戦争」への言及の解釈として使用し;
(2)爆発した惑星の理論は、惑星の衝突を、神々の統合または結婚への文献における言及の隠喩として使用し;
(3)爆発した惑星の理論は、その様な結婚から生まれた子供達を、これ等の衝突から出た残骸として解釈し;
(4)爆発した惑星の理論は、(e.g.旧約聖書のアダム、またはネフィリムなどの)混合された天界と地上の起源への言及の解釈に使用され - 更なる惑星的な衝突と衝撃の - 残骸として地球に落ちた、地上の生命の種とされます。

言い換えると、大災害主義者による、爆発した惑星の理論は - 特にアラン・アルフォードの手によって、その様な伝説における文献のテーマの殆ど全てを、彼が「爆発した惑星のカルト」と呼ぶ隠喩の見解の方法に成ります・・・

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Astronomers Have No Idea How Planets Form | Space News
天文学者達は、惑星がどうやって形成するのかを、全く知らない
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第四章: ティアマットの巨人達と地上の遺骨

ファレル博士の宇宙戦争、106ページより:

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「・・・また、これ等の巨人の骨の幾つかは、保存され発見されましたが、一般大衆の眼からは隠されていると考える理由があります。つまり、巨人達が存在すると言う証拠は収集され・・・問題は、すると、何故、博物館は閉ざされた戸の背後に巨人達を隠す事を選択し、極少数の選ばれた人達が見れる様に、鍵をかけられた棚の中にしまわれているのでしょう?陰謀が存在する事は出来ますか?」
- スティーヴン・クエイル

前の章は、爆発して消失している惑星が土星サイズの質量の、大きな、水に覆われた、生命を維持した惑星であったと提案しました。それらがまた、提案したのは、もしそれが人間-の様な知的生命体の故郷だったのなら、この爆発した惑星 - ティアマットは - そのより大きな重力のために、その様な生命体が比較的に大きな体つきを必要とすると提案されました。端的に、その(星の)「人々」は巨人達だったかも知れません。太古の神話のキメラ的な巨人達への数々の言及と共に、その様な神話の「文字通り」の確認は同様に、アルフォードの大災害主義の解釈に逆示唆します。

それらの神話は、この巨人、またはその先駆者/前身(アヌンナキ)が、文字通りに「天界から降りて来て」、人類と相互関係(混血)したとしますが、そのテーゼは、もし事実なら、とても奇妙な種の協力を預言します:それらの存在の証言と同様にその様な生き物の亡骸も存在するべきです。

幸運にも証言は数多くあり、そしてこれらの巨人達の存在に関して、そしてその奇妙な特徴に関して、幾つかのとても暗示的な証拠が存在します。

巨人達の存在の太古の証言

キリスト教会の神父達

神聖な運命予定説の気難しい解釈者で、西方教会の中世のラテンのカトリック宗派の最も重要な神父、ヒポ・リジスの聖者オーガスタインが、「洪水以前の人々の長命と、彼等の体の大きなサイズに関して」と題された巨人達の題材に専念した約定全体を書きました。その題名はその内容に示唆的で、それはそのユダヤ教の根源まで戻る、キリスト教の中の太古の伝統の一筋、その昔人類は、もっと長命だっただけでなく、体格において遥かに大きかったと言う伝統を反映する様に見えます。オーガスタインはこう観測しました

「・・・幾らから(の人達は)実際に、人々の体は以前、今よりも遥かに大きかったと言う事を信じません・・・ですが彼等の体の規模に関して、時代、または川の力、そして様々な事故/偶然によってその墓があばかれた時、それらが明るみに出てくる、または驚くべき規模(サイズ)の死者の骨が落ちた処で、疑り深い者達を説得し、ウティカ川のほとりで私が見た様に、そして私は一人ではありませんでしたが、その人の巨大な奥歯は、私達の歯の様に小さいモデルに切り刻まれれば、100個の歯に値するに十分な様でした。ですがこれは、何らかの巨人に帰属すると私は考えるべきで;それ以外にも、全ての人々の体は私達のものよりももっと大きく、巨人達はその他を遥かに超えていました。」

オーガスタインが2つの物事を主張している事に注目して下さい:(1)その様な巨人達の墓が、自然の様々なアクシデントを通して発見され、この点に私達は何度も戻り、そして(2)彼はその様な巨人の歯を見ました。

巨人達の題材の研究者であるスティーヴン・クエイルは、オーガスタインは人類が「その昔、今、彼がそうであるよりも遥かに大きく、そして長命で、彼の体格は時代の流れと共に現在の次元へと縮小した」と信じたと観測します。彼はまた、アダムがヤシの木程、背が高かったと言うのが、イスラム教的な伝統である事にも注目します。

ですがその状況は、教会の神父達と、その他のキリスト教早期の記述者達自身の主張によって更に不可思議にされるのは、そのペイガン(異教/土着信仰)の神話を空想的な話だと率直に否定するどころか、彼等は実際に、それらの実在のための何らかの根底にある平凡な説明を求める事を意志している様に現れます。ケルト(文化)の学者、ポール・ペズロンが述べる様に:

「太古の神父達の全ては、彼等の記述の中でこれ等の想像的な神々を論議し、Tertullianと全く同じ方法で彼等を語り:サターン(土星)とジュピター(木星)は好戦的で強力な人々で、国家を統治したと、全く疑念を持たず:この件に関して、アセナゴラス、アンティオークのセオフィリス、ミヌティウス・フェリックス、アーノビウス、ラクタンティウス、オーガスタイン、そしてその他が言った事は誰でも読めます。」

この引用は異なった理由のために興味深く、その源泉、ポール・ペズロン、ケルトの太古の学者が、ギリシャ神話におけるタイタン達の戦争は、現実に基づいていると主張するためです。

ペズロンは、元々の巨人達の血統があり、その「巨人の民族」は2つの部族のグループで移住し、一つはヨーロッパへと行き、もう一つは小アジア(中東)へと行ったと主張します。その小アジアのグループ、Sacaeのゴマリアンの部族は、其処でその指導者のアクモンに続き、そして黒海の海岸線に街を確立し、彼の孫娘テミスを讃え、テミシラと名付けました。

ですが歴史は、アナトリア(トルコ)北部に移住したこれ等の巨人的な定住者達が彼等自身を「タイタン達」と呼び始めた時、不可思議な角を曲がります。ですから、巨人の研究者、スティーヴン・クエイルを引用すると、「此処が興味深いです意外な進展です(そしてです)。ゴマリアンの巨人達は実際に、ギリシャ神話へと辿る事ができ、そしてその様なものとして、巨人達であり、神々として扱われた実在の個人達に辿られます。故に、単純に神話であるどころか、ギリシャの神々を実際の歴史的人物に辿る事が可能です。」

ですがどうこれは可能なのでしょうか?

何故なら、アクモンの息子、ウラヌスが彼等の新たな侵略において統治し、彼(アクモン)に後継し、彼(ウラヌス)自身は彼の民によって「天界の人」として信仰されました。ペズロンが後述した様に、古代の著者、ローズのシミアスはウラヌスに「アクモニデス」または「アクモンの息子」と言う名前を与え、この意見にHesychiusは同意しました。言葉を変えると、「この巨人のゴマリアンの王子達の単一の家族から、異教徒(ペイガン)の世界の最も偉大で最も太古とされるの神々が由来しました。」ですから、教会の神父達とその他の早期の聖職的な記述者達の意見は、その古典的な前提が無いわけでは無い様に現れます。

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古典の文献

ファレル博士の宇宙戦争、112ページより:

ですがこの話には更にもっとあり、「(皇帝)ネロと彼のペテン、そしてジュリアス・シーザーとブルータスの詳細な(そして頻繁に間違った)話しが伝え続けられる間、ローマ軍が時には、巨人の兵士達と戦ったと言う事実程、驚くべき事は隠蔽されています。」実に、大プリニウス程、有名な歴史家で文学の人が、彼が存命の間に、その様な巨人の骨が「ジュデア(パレスチナ)のジョッパから、マルコス・スカウルスによってもたらされ、ローマ人達によって観測された」と報告しました。「その怪物は40フィート(1フット:約30センチ)の長さ(身長)で、その肋骨の高さはインド象よりも大きく、その間、その背骨の太さは1.5フィートの太さでした。」

実に、ジュリアス・シーザーに体現され、ローマがその帝国的な目をガウル(南フランス)の平定に向けて以来、ローマの洗練された軍隊は、ヨーロッパに移住したゴマリアン(巨人達)の北の分派と幾度となく遭遇したようです。此処において、その軍隊は新たな強敵の集団に出会わせました:ケルト族と彼等の従兄弟、テュートン族、またはドイツ人達です。

ローマは、カルタゴ(フェニキア)の象を軍事使用するハンニバルの軍隊も含めて、あらゆる種の陰謀と策略を経験しましたが、この新たな敵は、ローマがそれまでに面したものとは何かが異なるものでした。

「ケルトとして知られる様に成った人々については、あまり知られていません。知られているのは彼等が小アジア(中東)を渡り、北ヨーロッパを通り、ウェールズ、スコットランド、そしてアイルランドのケルト族の国に成った事です。彼等についての描写の殆どは、彼等の中に良く見つけられる巨人達についての言及を含みます。古代ギリシャの歴史家、パウサイニアスは彼等を「世界一、背の高い人々」と呼びました。現代の歴史家達は、今、実際に、ケルト族の中の巨人達は支配層で、ケルト族の殆どを形成した土着の人口を操作したと信じています。

「現代の歴史家、ゲルハルド・ハームは、ケルトは、最強のローマ軍も含めて、対峙した敵の心に恐怖を打ち付けた「金髪の巨人達」だと同意します。その様なものとして、ケルト族はローマと凄まじい戦争を何度もして、ローマの駐屯地を襲撃し、捕え、そして焼き滅ぼしました。ローマは最終的にこれ等の生き物が持つ巨大な盾によって防御する事の出来ない、長い足を攻撃する事によって、これ等の巨人の兵士達を倒す方法を見つけましたが、青い目の金髪の巨人達は、戦いにおいて初めて対峙する者達に恐怖を感じさせました。」

ケルトについて報告された異常なサイズは、ガウル(ケルト)の平定の直ぐ後にローマの歴史家達にだけに注目された事ではありません。ギリシャの歴史家、アリアンとディオドロスもまた、彼等の以上に大きなサイズについてコメントを残し、紀元前335年に、アレクサンダー大王が彼等に出会い、ドナウ(川)の彼等の街を焼き払った事に関連してアリアンは記述しました。加えて、アレクサンダーがケルト達と言い合いに成った時、彼(アレクサンダー)が彼等(ケルト族)の最悪の恐怖は何かを訪ねた際に、不可思議に興味深くも、彼等は、彼等の最悪の恐怖は、「彼等の頭の上に空が落ちるかも知れない事だ」と答えました。ケルト族は、その他の太古の人々と同様に、その昔、空が丁度そうした(空が落ちた)時の彼等の信仰と伝説を保存していたようです。

ですがガウルを超えたライン川の東でローマ軍は、更に強力な敵に出くわし、実に、自慢されたローマ軍に唯一勝った敵で、その敵は中央ヨーロッパ - 今日のドイツに成る処での - ローマの征服の野望を永遠に閉ざし、そしてその敵はテュートン族、またはCimbriで・・・ドイツ人達でした。古典的な歴史家、ストラボは、これ等の部族について、彼等は更に「より野蛮で、背が高く、そして黄色の髪を有している」と記述しました。実に、シーザーの兵士達が、ビアンソンにおいて、彼等自身が大きな体格であったガウル人達に、ドイツ人について聞いた際に、シーザーはガウル人達の返答について以下の様に記述しました:

「彼等(ガウル/ケルト)は彼等(ドイツ人)の巨大な体格、彼等の信じられない程の豪勇、そして異常なまでの軍事訓練を述べる事でドイツ人達を描写しました。ガウル人達は、彼等がドイツ人達に出くわした時、彼等は彼等(ドイツ人達)の表情、または彼等の眼の輝きにさえ耐える事が出来ないと言いました。」

実に、有名なTeutobergerwaldの戦いにおいて、ドイツ人達はローマ軍の4部隊を激しい戦いにおいてコテンパンにやっつけ、それ以後ローマは、ドイツ人達に関して、西ローマ帝国が崩壊するまで、多かれ少なかれ、防衛的な姿勢を保ちました。ゲイリック(語を話す)ケルトの巨人達は一つの事でしたが、彼等の従兄弟の、ライン川を渡った更に背の高い巨人達は全く別問題でした。

最終的に、しかしながら、これ等のドイツ人達の幾らかはローマ人達によって捕えられ、そしてその内の一人で、特に問題児的な、テュートボックと言う名の王は、ローマにおいて習慣的な勝利のパレードをさせられました。ローマの歴史家、フロラスはその王はとても背が高く、軍がローマに戻った時、「テュートボックは槍の先に運ばれた敵からの戦利品の全ての上に見られた」と報告します。これが示唆するのは、テュートボックが軽く9フィート(2m70cm)を超え、そして恐らくもっと背が高かったと言う事です。

巨人の遺体とその他の証言

大航海時代の間にヨーロッパ人達が、アメリカ大陸との接触を確立させると(または、多分、再確立させると)、巨人達の話しが更にもっと興味深く成るのは、早期の冒険者達の多くが、ヴェスプッチから、サー・フランシス・ドレイク、デ・ソト、偉大なコロナドまで、彼等の巨人達との遭遇を報告するためです。コロナドの探検のメンバーだったペドロ・デ・カスタエダは、例えば、ココパ・インディアンの幾らかは、「スペイン人が6人で動かす事も出来なかった丸太を運ぶ事が出来る」巨人達だと明言します。更にもっとファンタスティックに、マゼランの船員の一人は、マゼランの艦隊がサン・ジュリアン港に錨をおろした際に「彼等は先住の巨人によって出迎えられ」その巨人はとても背が高く「私達の頭は、彼の腰にも満たなく、そして彼の声は牡牛の様だった」と報告しました。その地は巨人達と巨人達の遺体の紛れも無い安息地のようでした:

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「1578年に、サー・フランシス・ドレイクが同じ場所に錨をおろした時、彼は大きな巨人を一人も見ませんでしたが、7フィートの高さを超える人々が其処にいたと報告します。1592年に、アンソニー・Knyvetが訪れた時、彼は10から12フィートの高さの人々を記述しました。1615年には、オランダの帆船ウィルヘルム・ショーテンの乗組員達によって、10から11フィートの長さの骸骨が幾つか発見されました。

「バイロン提督が1764年に訪れた時、彼もまた其処で巨人達を見つけました。彼はその後、航海日誌に「巨人的な体格の」人々が其処にいると記述しました。彼の船員の一人は、彼等の身長を「・・・彼等の幾らかは、もし彼等がそれを超えないとしても、少なくとも9フィートだ」と記述しました。これはこの地域における巨人達の目撃の最後と成りました。」

政治的な目的が頻繁にぶつかり合っていた、とても多くの目撃者達からの、その様な複数の目撃は、共謀の可能性を低くし、そしてつい300年前まで、南米には巨人達がいた可能性を高くします。

この章が始まった聖者オーガスタインからの引用によって示唆される様に、しかしながら、この話の最も興味深い部分を伝えるのは恐らく巨人達の遺体で、単なる大きな体の人々以上の事があるためです。

二重の歯

巨人の研究者、スティーヴ・クエイルは、証言と伝説の実際のカタログを収集しました。様々な身長の巨人の遺体の報告の長いリストの中で、これ等の遺体の多くはとても普通ではない特徴を持ちます:

・1833年、カリフォルニアのロンポック・ランチョで掘っていた兵士達は、12フィートの高さの男性の骸骨を発見しました。その骸骨は彫刻された貝殻、石の斧、そしてその他の遺物に囲まれていました。その骸骨は上下に二重の歯を持っていました。残念ながら、地元の先住民達がその遺体について心配に成ったので、その遺体は秘密裡に再埋葬されました。
・1800年代に、カリフォルニア海岸沖のサンタ・ロサ島で発見された巨人は、その二重の歯によって特徴づけられます。
・1872年にオハイオで、生きて立ち上がれば8フィートを超えたであろう3体の骸骨を古墳が含んでいた事が発見されました。それぞれが、口の奥から前まで、上下ともに二重の歯を持っていました。
・オハイオのトレド付近で「現代の人のものの2倍」の歯と顎を持つ20体の骸骨が発見されました。その説明はまた、遺体と共に奇妙な象形文字(ヒエログリフ)が発見されたと記述します。
・カリフォルニアのラヴロック洞窟の坑夫達は、1911年に、とても背の高い、赤い髪の毛のミイラを発見しました。このミイラは最終的に友愛組合(フリーメイソン?)のロッジに送られ、それは「入会の儀式」に使用されます。
・カリフォルニア沖のカタリーナ諸島は、その昔、太古のたき火でローストされた小人マンモスの骨の出土地です。これらは・・・二重の歯を持つ巨人達であった、人間-の様な生き物達によって食べられました。

此処で私達の興味を引くのは、巨人の遺体の全ての報告が(そして私はクエイルの詳細なリストのごく一部しかリストしていませんが)二重の歯を含むわけでは無いのは事実ですが、明らかに、これ等の生き物の幾らかは、もし私達と全く異なった遺伝子では無いにしても、とてもユニークな遺伝子を有すると提案するのに十分にあります。

ですがその様な二重の歯の目的は何なのでしょう?確かに知る者は誰もいませんが、巨人達に関して - 太古と現代の両方の - 文献において興味深い提案があります。旧約聖書の第四書は、カナーンは「約束の地」であるだけでなく、巨人達の溢れる地でもあり、その地に住まう巨人達は「其処の住人達を食べた」と記録し人食は巨人の民族の好みの実施だと示唆します。子供達のおとぎ話、ジャックと豆の木でさえ、その話の巨人は人食いだと記録します。

6本指

幾らかの巨人達の報告された特徴はまだもう一つあります。旧約聖書の2サミュエル(カトリックと正教版では3王達)21:19-22は、その様なカナーンの巨人は、「両手に6本ずつ、そしてつま先に6本ずつの指を持つ」と記録します。これは1クロニクルの20:6の中で繰り返されます。更にもっと奇妙なのは、太古のマヤの彼等の王達のイメージが、頻繁に手の6本の指と、足の6本の指を持つように描かれている事実です。

スティーヴ・クエイル

奇妙な伝説と年代的な手掛かり

ファレル博士の宇宙戦争、119ページより:

世界中からの様々な伝説、戦争、大災害、そして巨人達と共に、(世界)創造を関連させる伝説を人が考える時に、その構図は更にもっと不可思議に成ります。その創造神、ヴィラコチャについてのインカの伝説は、例えば、人間-以前の以前の世界を、最初に火によって、そして二度目に水(洪水)によって、破壊するだけでなく、その後彼は、「時にはアダムとイヴの一種として描写される」彼の2人の従者を連れて、そしてその後

「彼が創造する事を意図する国家のイメージを、大きな石に彼が彫刻した場所である、ティフアナコ(湖)に行きました。彼がそれを終えた時、彼は彼の2人の従者達に、彼が描写した全ての部族の名前を記憶させました。ヴィラコチャはすると、その2人の従者達を異なった道にそれぞれ送り出し、様々な各部族に「進んで、繁殖し、その地に定住しなさい」と伝えさせました。ヴィラコチャはそれから、もう一つの道を取り、同じ事をしました。その神と従者達が道を下りながら呼びかけると、人々は、湧水、谷、木々、そしてその他の場所から出て来て、国中に広がり、ペルーの国家を形成しました。」

著者スティーヴ(スティーヴン)・クエイルは、この創造の説明は、創世記の説明以前に起こった一つの文明の火による破壊の記録の様に現れ、それは明らかに「アダム-以前」で、そしてその後、もう一つの文明の水による破壊が起こると、正しく注目しました。更にもう一つの奇妙な平行線さえあり、そしてこれはヴィラコチャと彼の従者達による「呼びかける事」による各部族の創造で、創世記1の、語られた認可/命令/決定の連続による世界の神による形成の様なものです。

しかしながら、これはヴィラコチャについて最も異常な事ではありません。インカ人達に取って、ヴィラコチャはまた、とても色白の巨人でした!

1viracocha

ヴィラコチャ

何であれ、私達がこれから見る様に、現在の天界、地上、そして人類の創造以前の、創造と破壊への言及は、太古の戦争と惑星的な破壊が起こった時への手掛かりで:全て(宇宙)の創造と人の創造の間の何処かです。

更により奇妙な創造-洪水による破壊の説明は、北アメリカのオカナガン・インディアンの伝説の中に起こります。

「1886年に、歴史家、フーバート・ハウイ・バンクロフトは、オカナガンの彼等の起源の失われた島、サマ・トゥミ・ウー・ラーの神話を記述しました:

「むかし、むかし、太陽がより若く、そして星よりも大きく無かった頃、遠くの海の真っただ中に、一つの島がありました。それはサマ・トゥミ・ウー・ラーと呼ばれ、「白い人の島」と言う意味でした。その島には巨人達の民族が住み - 白い人の巨人達でした。彼等の統治者はスコマルトと呼ばれた背の高い白い人の女で・・・彼女は彼女が望むものを何でも創造する事が出来ました。

「長い年月の間、白い巨人達は平穏に暮らしましたが、終に彼等は、彼等自身の間で言い争いを始めました。言い争いは戦争に発展しました。戦いの騒音は聞かれ、そして多くの人々が殺されました。スコマルトはとても、とても激怒して・・・

「スコマルトは、悪い巨人達を白い人の島の一方の端に追い詰めました。彼等が一つの場所に一緒に集められた時、彼女は大地の一部を切り離し、そして海の中へと押し入れました。何日もの間、波風にさらされながらその島は浮いて漂いました。一人の男と一人の女以外、全ての人々は死に絶えました・・・

「彼等の島が沈むまじかである事に気付き、彼等はカヌーを造り・・・幾つもの昼と夜を漕いだ後、彼等は幾つかの島々に辿り着きました。彼等はそれらの間を漕ぎ進み、そして終に本島に着きました。」

此処におけるバビロニアのエヌマ・エリシュティアマットの破壊との平行線は驚きです。

もし人が、アラン・アルフォードの提案に続き、「島」を「惑星」と理解し、「海」を、彼がまた提案する様に、周りの(宇宙)空間とするなら、するとスコマルトの「白い人の島」の破壊は、惑星の破壊を記録します。加えて、その平行線が更にもっと正確なのは、両方の惑星の現れる統治者は、激怒して大きな破壊の原因に成る女性です。此処がアルフォードの爆発した惑星の大災害の隠喩が再び分解する処で、オカナガンの伝説が明白に、その「島」または惑星が「白い巨人達」の民族である、知的生命体によって住まわれ、以前に推測された様に、もし人が爆発した大きな惑星を、固体で、生命を維持する惑星を予測するなら、正確に一致します!言葉を変えると、オカナガンの伝説は、生命を維持していた惑星の破壊の原因としての本当の戦争を記録します。

ですが更にもっとあります。

その伝説はまた、生存者たちが「カヌー」を造った後に、「波風」を乗り越え、「幾つかの島々」を通って行き、終に「本島」に来たとはっきりとさせます。もし人が「島」イコール「惑星」の隠喩を延長するなら、その話の更に詳細は浮上し、その「本島」は「島々」から異なり、その生存者達は大きさ(サイズ)を通って行きました。言い換えると、これらの「島々」は、それ以前に爆発した惑星の残骸の場である、正に隕石ベルト自体の事かも知れず - ヴァン・フランダースの見直された複数回爆発した惑星の理論の影です!加えて、「波」と「風」さえ新たな重要性を持つ様になり、恐らく何故2人の「白い巨人達」しか生き残らなかったのかを説明し、その波と風が大災害の後にその地域の空間の「海」に浸透した、正に乱暴なプラズマの「電気的な波:のシーツだったのかも知れません。

隕石ベルト
2solarsystem6.jpg


端的に、この方法において見解されると、オカナガンの伝説は、惑星を爆発させた戦争についてで、その上に住んでいた巨人の知性的な民族は、女性によって統治され、その民族はそれから新たな惑星の故郷へと危険な旅をするために、ある種の箱舟を造りました。爆発した惑星の推論とその膨大な水を有する惑星、そしてバビロニアの戦争-創造のエピック、エヌマ・エリシュとの詳細な平行線は驚きで、そして私の意見において偶然ではありません。」

奇妙な偶然と関連性

ですがもしこれらの平行線が偶然では無いのなら、それらは何を示唆するでしょう?明らかに、一つの答えはエヌマ・エリシュとオカナガンの伝説が、「先史時代」の霧の遠くのある共通の源泉である、「原始太古のとても高度な文明」からの分岐だと言う事です。もしそうであるならば、古典的な旧大陸と、コロンブス以前の新大陸の間に、類似した関連があるはずです。

これは正しくその通りですが、更なる難しさを体現します。例えば、北アメリカにおけるエジプトの遺物の明白な件があります。見てこられた通り、幾つかのケースにおいてアメリカで発見された巨人達の遺体は、エジプトのヒエログリフ(象形文字)に類似した特徴の文字によって囲まれているのが見つけられました。ハーバード大学の元教授、バリー・フェルは、メイン州とカナダ東部のミクマック・インディアンは、実際にエジプトとリビアから由来したヒエログリフの文字を使用するとさえも信じます。彼がこれを信じるのは、ニューヨークのロング島のイーグル・ネック貝塚から発見された異例の粘土板のためです。

より深い関連は、人のミトコンドリアル遺伝子自体に見つけられます。南北アメリカの先住のインディアンの人口のための一般的な理論は、勿論、彼等がアジアと北アメリカの間のベーリング海峡に出来た「陸の橋」を、その昔、渡って移住したとされます。1994年に、イーモリー大学の科学者達は、アメリカのインディアン達のグループと彼等のミトコンドリアル遺伝子を調査し、アジア人のグループに関連する構成要素の「4つの主要な種類」を発見しました。その研究が其処で終わっていれば、それは「先史」の基準的なヴァージョン(通説)への顕著な科学的な確認に成ったでしょう。そのヴァージョンにとって残念な事に、その研究は、オジブゥェイ族、スー族、ナヴァホ族、そしてその他の部族の中に5つ目のミトコンドリアル遺伝子のグループを見つけ、そして「唯一このグループが現れるその他の場所は、ヨーロッパ人達の中だけでした。」

その関連性は、もし不可思議では無いにしても更に驚きに成ります。素晴らしい「新大陸のヴェニス」であるアステカの首都テノキティトランが、「運河によって囲まれた大きな湖の上に位置する事」を考えてみて下さい。ですが何故、人が精密な建築技術と労働が必要と成る、その様な困難な場所に街を造ったのでしょう?その答えは:その街は、アステカ神話の彼等の起源である「彼等の先祖が来た東にある街の模倣」として明らかに造られました。これを興味深くするのは何かと言うと、その様な街は今までに一つも発見されていない事で - プラトンが与えたアトランティスの描写以外には無いからです。

アステカ人達がプラトン(の本)を読んだと提案するのは無謀である間、その「偶然」がもう一つの「深い関連」を示唆するのは、プラトンが、失われた惑星の彼の有名な例え話を、エジプトの源泉から得たと主張するためで、そしてエジプトの伝説と、これらの新大陸の先住民達の伝説の平行線は、その題材の多くの研究者達を、オルタナティヴな研究者達から、一般学説の塔の中に安全に納まっている者達まで、困惑させました。

ですが考えられるべきもう一つ他の可能性があり、それは、私が知る限り、「東にある」アステカの起源の彼等の伝説に関連して記された事の無いものです。アステカは、マヤ人達と同様に、優れた天文学者であり数学者でした。結果的に、もし「東の起源」への言及が天文学的なものだとしたらどうでしょうか?私がギザの死の星は破壊されたの中に記述した様に、もし人がアラン・アルフォードの予知的な提案に続き、「東」は太陽の周りの地球の軌道の外側にある惑星 - 火星、木星、土星 - に関して言及し、そして「西」は地球の軌道の内側にある惑星 - 金星、水星、そして太陽自体を意味する言及とすると、アステカの彼等の起源を東とする伝説は、この一つの場合において少なくとも、古典的な旧大陸の太古と共に共通の、分かち合われた名残を保存しているのかも知れません。それは、アステカの湖の真ん中の島と、運河に囲まれた街の元祖が、もしそれが惑星自体では無かったとしても、もう一つの惑星の上に存在した事を、私達に伝えているのかも知れません。

Electrical Scarring of Planets and Moons | Space News
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