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バベルとバイベル(聖書)

DELITZSCH’S DILEMMA: BABEL UND BIBEL
デリツシュのジレンマ:バベルとバイベル(聖書)

フレデリック・デリツシュ(1850-1922年)は著名なドイツのアッシリア学者で、ドイツのルーター派の教会の主任祭司としての役割において、皇帝ウィルヘルム2世が火消し役として努力しなければならなかった程の、物議の国際的な炎の嵐の原因に成った人でした。

その物議は、十分に無垢に始まりました。

ケンブリッジの学者、C.H.W. ジョンズは、1903年の彼のデリツシュの講義への「紹介」に、そのむしろ無垢な始まりを、以下の様にまとめました:

「偉大なアッシリア学者のフレデリック・デリツシュ教授が、皇帝と宮廷の威厳ある面前で、聖書と最近の楔形文字の研究の結果との関係についての、講義をする許可が与えられたと言う発表は、大きな話題の原因になり:最初はドイツにおいて、そしてより広いサークルにおいて、科学の進歩に人が関心を感じる何処でもです。その講義は予定通りに1902年1月13日に行われ、そして2月1日に繰り返されました。

「その講義の大体の内容の幾らかの報告は海外にも届き、そして含まれていたのは、最大級の関心の問題である事は明らかでした。事が順当に運び、数々の太古の遺跡の素晴らしい写真に飾られた、講義の文章の小さな本が現れました。これが今では有名なバベル・ウンド・バイベルです。

「その題名は適切なもので、楔型文字の研究の結果と、より親しみのある聖書の事実の間の、親密な関係を強調しました。」

人はその場面を簡単に想像出来るでしょう:華やかな彼の制服を着た皇帝、彼の護衛達、そして大臣達が、装飾された椅子に座る彼(皇帝)を取り巻き、著名な教授が、彼の発見と結論を説明するのを聞いています。

ですがその後、ジョンズによると、その出来事は、決定的に変な方向に向かいました。実に、「反論/非難が出されたと知ったのは、故に、驚きの衝撃として来ました。」それで終わりではありませんでした:

「記事、リヴュー、そして返答の迅速な連続が新聞と雑誌に現れ、そしてパンフレットと書籍の大群が現れました。これらは多くの様々な観点から、その講義に言及するもので、殆どが非難するものでした。以前の学習を擁護するものが、全ての方向からそれを激しく攻撃しました。歴史とイスラエルの文学の、人間の側しか認めないと、前向きだった者達でさえ、公共の熱狂の新たな挑戦者に進んで成りました;そして、多くの者にとっての驚きとして、zum Streit um Babel und Bibelと言う書籍が出現しました。

「この物議のエコーが私達の耳に届くと、通常、彼等の破壊的な習慣で知られている、より高い批評家達が、ある意味、聖書を弁護し、考古学者である楔形文字の学者に対して、攻撃している様だと私達は理解しました。これは自然の秩序の反転のようでした。私達は、考古学者、特にアッシリア学者が、文学的な批評者達の懐疑主義から、聖書を救う者と考える事に馴れていました。」

ですがその後、事態を更に悪化させるかの如く、デリツシュは皇帝ウィルヘルムと彼の宮廷の前で再び講義を行うために招待されました。

そして「楔形文字の地獄」が解き放たれたのはその時で、物議を鎮静化させるために、皇帝の個人的な帝国的介入が必要と成りました。

「ですが此処で、とても不穏な本質の報告が私達に届きました。私達の新聞は、それらの特派員からの報告として、それが神聖な聖書を正に直接攻撃していると載せ、そして更に、カトリック信仰の原理的な教義を攻撃しているとさえ、遠回しに匂わせました。嵐は再びドイツで起こり、そしてまた、国外にも広まりました。皇帝のSummus Episcopusとしての(聖職的な)地位をあまり理解していなかった私達が、驚きと共に学んだのは、2月25日のタイムズ紙に現れた文章に、彼(皇帝)が返答の手紙を書くのに相応しいと考えた事でした。

「その手紙は、その様な興味深い題材でさえ、その様な高い国家的な政策に繋がる事が出来ると言う証で、その問題が、学術と研究の輪を通り抜け、国家的な関心の問題に成ったと言う保証でした。私達は、私達の仲間(皇帝)がその様に深遠に動かされたかを、これ以上無視する事が出来ませんでした。」

デリツシュは一体全体何を、皇帝と彼の宮廷に言い、そして何故、鎮静化させるために、ルーター派教会の「最高司祭」としての彼の役割において、皇帝自身からの手紙が必要になるまで、「聖書の信者」から「より高い批評的な懐疑主義者」までの誰しもが、抗議したのでしょう?

もし人が、オン・ラインの辞典、ウィキペディアのデリツシュに関する短い履歴的な描写を一目見れば、人はある種の概算も持ち始めます:

「フレデリック・デリツシュは、古代の中東の言語を専門とし、アッシリアの言語、歴史、そして文化についての数々の書籍を出版しました。彼は今日、旧約聖書の学術的批評で覚えられています。「バベルとバイブル」と題された1902年に物議をかもしだした講義において、デリツシュは、創造神話と大洪水の話しも含めて、旧約聖書の記述は古代バビロニアの逸話を借りたものであると主張しました。それに続く数年間、「バベルとバイブル」の幾つもの翻訳と変形されたヴァージョンがありました。1920年代の初頭、デリツシュは大いなる偽りと題された2部作を出版し、それは聖歌の書、旧約聖書の預言者達、カナーンの侵略、等々の批評的な学術論でした。デリツシュはまた、ヘブライの聖書の歴史的な正確性を耳障りなほど疑い、そしてその数々の不道徳の例を強く強調しました。」

大いなる偽りと題される彼の研究が暗示する様に、デリツシュのプログラムは総合的なものでしたが、そのプログラムは、皇帝と彼の宮廷の前での彼の講義において初めてはっきり言われ、その講義は最終的にバベルとバイブルに成りました。

デリツシュ自身はその問題を、彼の最初の講義の初めにこの様の述べました:

「遠くの、荒れ果てた、危険な土地で、これ等の労働をする目的は何なのでしょう?何の目的で、何千年もの古さの土手をかき分け、ゴールドも銀も見つけられない処で、地下深く掘り下げる、お金のかかる仕事をするのでしょう?発掘のために - そして、より多い方が善いのですが - これらの荒れ果てた丘を、各国が、それら自体のために確保する、この国家間のライバル心は何故なのでしょう?そして何処の源泉から、対照的に、バビロニアとアッシリアにおいて、常に海の両側にいて確立される、増大中の、自己犠牲する関心は派生するのでしょう?

「どの問いにも答えは一つで、それは、もし徹底的で無いにしても、それでも原因と目的の大部分を私達に伝え:それは聖書です。」

デリツシュがほのめかした事実際に述べた事を、此処で慎重に観測して下さい。

最初に、メソポタミアにおける発掘は、私達のユダヤ-キリスト教文明と、より少ない延長においてですが、イスラム教世界の文明の起源の私達の理解に、直接の関係があると、デリツシャは暗示しています。ですが第二に、そしてより重要に、その様な発掘現場の操作は、大きな権力のライバル性の問題で、中東を渡るその様な現場を操作する事を目的としていたのは正にこれらの国々(西洋)だったためだと、彼ははっきりと明言し、そしてそれが暗示するのは純粋な考古学的な目的の発掘に見える、これ等の仕事の背後には隠されたアジェンダがあるかも知れないと言う事です。一体何が、そのアジェンダだったのかは、直ぐに更にもっと明らかに成ります。

デリツシュは、彼の講義の実際の出版されたヴァージョンに、旧約聖書の多くの話しの、何らかの深い、バビロニア-アッシリア-シュメール的な起源、またはその上の影響を明らかに示した数々の写真を混ぜ込みました:

「私達は、古いバビロニアの筒状の印の一つを見てみましょうか?此処の中央には、果実を垂らしている木があり;その右には男性がいて、強さの象徴である角が描かれていて、そして左側には女性がいて;両手を果物へ伸ばしていて、そして女性の背後には蛇がいます。この古いバビロニアの描写と、聖書の失楽園(アダムとイヴ)の話しの間には、関連性が無いでしょうか?」

次に彼は、その筒状の印の(粘土板上の)凹凸のこの描写を提出しました:

<バビロニアの筒状の印の、失楽園の描写、29ページ>

有名なキリスト教的イメージと、古代バビロニアとアッシリアの芸術の間には、その他の暗示的な芸術的な平行線があります。例えば、アッシリアの王、アシュールバニパルがライオンを倒している描写があり、龍を倒している聖者ジョージの描写に瓜二つです。

<ライオンを成敗するアシュールバニパル王、30ページ>

そのテーマは、異なった変装で繰り返され、神、ニヌルタ/マルデュックは強力な雷を振るい、化学的な「龍」を成敗します:

<雷で龍を成敗するニヌルタ/マルデュック、31ページ>

デリツシュのコメントは、記述する価値があります:

「注目に値する程、興味深いのは、マルデュックとティアマットとの間のこの争いは、大天使ミカエルと、「底無し穴の獣であり、古き蛇であり、悪魔であるサタン」との間の争いと私達が読む、ジョンの黙示録の中にエコーしている事です。その概念の全体はまた、騎士聖者ジョージと、彼の龍との戦いの話しにも現れ、聖戦士達によってもたらされたその話は、明らかにバビロニアのものです。」

私がその他の場で論議した様に、マルデュックとティアマットの間の戦いは、実際に、驚くべき科学技術を使った、とても太古の時代の実際の宇宙戦争、または間惑星戦争の、薄れて覚えられた遠い記憶かも知れません。デリツシャの時代において、二コラ・テスラの発見と、その他の発明家達が既に世界を変格していて、これ等の大いなる権力のエリート達(ロスチャイルド達)にとって、古代シュメール語、バビロニア語、そしてアッシリア語を読むのは、簡単な一歩だったはずで、そしてこれらが膨大な力の、失われた科学技術への手掛かりを含むと結論し、そして故に、人は、様々な考古学的な現場を操作しようと競い合う各国の、隠された動機の可能性のための説明を人は得ます。

楔形文字の粘土板と神のための場違いな名前

ですが彼の講義において、デリツシュが提出した証拠とコメントの最も衝撃的な破片は、楔形文字の粘土板のセットでした。

「これらの粘土板には一体何が見られるのか?私は尋ねられるでしょう。もろく、壊れかけの粘土の上に引っ掻かれた文字は殆ど解読不可能です!それは疑う余地無く本当ですが、それらはこれらの理由で大切です:それらは確実に、ハンムラビ王の時代に帰属すると、年代鑑定される事ができ、特に彼の父、シン・ムバリットの統治にです。ですがそれらが更により大切なのはもう一つの理由のためで:それらは3つの名前を含み、宗教の歴史の観点から、それらは物凄い重要性を持ちます・・・」

・・・そして此処で、彼は粘土板の写真を提供します:

<デリツシュの、ハンムラビ王の時代に年代測定された3つの楔形文字の粘土板、32ページ>

デリツシュに取って - そして故に私達に取って - 関心だったのは、有名なアッシリア学者を一方に、そして懐疑主義の批評家達と聖書的な原理主義者達の全てをもう一方にした、論争の中心にあった、3つの楔形文字の名前です:

<論争の中心にあった3つの草部型文字の名前、32ページ>

とりわけその3つの名前は「Ia」のルートの言葉(語源)を含み、そしてその一つは重要な事に、「Iave」、またはヘブライ語化すると、「ヤーウェイ」の名前を含み、それは神のとても正しい名前で、神秘的な「テトラグラマトン」で、出エジプト記第三章の記述によると、数世紀後のエジプトからの出国の後に、モーゼスに語られた、または明かされたとされます!端的に言うと、「ヤーウェイ」または「Iave」と言う名前については、何も特別な事はありませんでした。(i.e.モーゼスに明かされたはずの神の名前は、その数世紀以前から、普通にあった。)

ジョセフ P. ファレル博士の
Genes, Giants, Monsters, and Men
遺伝子、巨人達、怪物達、そして人々、
第一章より:
無料e-book:(PDF/EPUB)
http://e.bookzz.org/g/Joseph%20Farrell

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