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テクニックのカタログ:ペルッジ会社と商業主義の台頭

2.A Catalogue of Techniques: The Rise of the Peruzzi Company, and Mercantilism
テクニックのカタログ:ペルッジ会社と商業主義の台頭

ヴェニスの金融的毒蛇達、180ページより:

パッと見 - そしてそれは一瞬のパッと見でしかありませんが - ペルッジ会社の台頭は、多くの人達が今、ビルダーバーガー達カウンシル・オン・フォーリン・リレーションズ(CFR)そして三極委員会等々の様なグループと、近代の銀行家達と企業の陰謀的な機能に帰属させる、全てのテクニックを、正にどうやって中世の超-企業が素早く身に着けたのかを実証します。

近代のテクニックの一つ - それが事業を行う領土の、様々な各政府から、特別な独占的の特許を勝ち取る事 - は、ペルッジとその他の中世の超-企業によって、仕返しと共に行われました。ハントはとても重要な観測をして、その観測において、金融的エリート達の、私達に覚えのある実施が浮き上がり始めます。「ペルッジ家の記録は、その一族のメンバーが - 軍事、外交、政治、聖職、専門業、実業といった - 様々なキャリアに進み、そしてその多くがそれぞれ自身の富を築いた事を見せます。公共の権力の場 - 教会、専門職、軍事、そして国内外の政治への、この侵入は、それ以後、金融的エリート達の「お手本」と成り、そして、私達がこの章の中で後に発見し、そして既に見てきた様に、ヴェチア人達はこの戦力を、とても繊細な芸術へと完璧化しました。

その様な侵入の一つの鍵のエリアは、勿論、実際の通貨自体の発行へ、影響力を得る事、または操作を取る事で、つまり、勿論フローレンス自体から始めて、彼等が扱っている様々な国家的な造幣に、影響力を持つ、または操作する事です。ペルッジ会社は、1200年代後期と1300年代初期の間の、イタリアの南部と北部の間の状況を利用する事によって、権力へと台頭し始めました。つまり、ナポリ王国は、当時、イタリア北部の小都市国家群への穀物の供給者で、そして代わりに、イタリア北部とその他のヨーロッパからの織物とその他の生産品の輸入者で、超-企業が高い資本化を必要とした事実です。バルディ家とペルッジ家はこの商品貿易の仲買人に成り、そして故に、彼等の企業は彼等の収入の多くを、その商品市場で造りました。この種の貿易の結果として、超-企業はそれらの現代版(国際企業)と同様に、生産と製造、船舶輸送、そして勿論究極的に、通貨自体の発行と為替取引も含めて、その貿易の全ての要素に関わる様に成りました。

故に、1316年に成ると、ペルッジ会社は、ナポリ王国の造幣を運営し、税金を徴税し、そして様々な官僚と軍隊に支払うために、フローレンスのその他の大きな会社 - バルディとAcciaiuoliとの組合またはシンジケートに加わり、後にそれには1330年にBuonaccorsiが加わりました。言葉を変えると、フローレンスの超-企業はナポリ王国における彼等の活動をコーディネートして操作する目的で、本質的にカルテルを形成し、その動きは疑う余地無く、政府に強力なフロントを現す必要性とローンの支払を強いる必要性によって誘発させられました。これは私達が後で直ぐに戻る点です。ですが現時点で、人がまた同様に注意すべきは、短い期間の間、ペルッジ家が、パリ、Troyes, Tournai, そしてSommieresにおいてフランスの造幣に影響を持った事です。

どうやってその様な影響力、そして操作さえも得られたのでしょう?

これは、ペルッジ会社とナポリのアンジェヴィン王国との間の関係についての、ハントの調査とコメントの熟考によって理解されるでしょう。何時、何処で、どうやってその王室へ貸し出しの支払いがされるのか、そしてより重要な事に、それら(借金)がどうやって返済されるかの、正確な詳細が特定化されたナポリ王室への巨額のローンを、ハントは記述します:

「町、地方、または王国全体からの一般的な税金の領収書、または租税や関税の様な、ローンの契約書に指定された、王室の特定の歳入を、貸出人へと転換する事によって、返済は主に達成されます。頻繁に、返済は穀物の輸出税の放棄を通して行われ・・・その会社は通貨両替と現金の運搬を幾らかの利益のために行いましたが、彼等の収入の殆どを、王からの「ギフト」として得て・・・それらの殆どは税金からの免除、フランチャイズ、そして価値のある特権で、最も切望されたのは穀物を輸出する権利でした。」

ペルッジ会社の実業をまとめた、この短い引用は、経済的特権を通してソヴリン(主権)政府の制度への影響力を得て、そして最終的に操作を乗っ取る、個人的な金融的なオリガーキー(金持ちの金権主義)の基本的な手法の教科書的なカタログです。

私達がこれについて更にコメントする前に、しかしながら、イングランドの王、エドワード3世へのバルディ家とペルッジ家の振舞のこのパターンの、もう一つの例を私達は見てみましょう。ペルッジ会社は、バルディ会社と同じく、「羊毛貿易への参加許可への代償」としての、巨額のローンの代価として、当時王族の独占だった貿易の特権を、イングランド人の王から会得しました。歴史のこの分岐点において、その様な特権への排他的な独占を、一つの会社が強要するために、その様な国家(イングランド)は大きすぎてそして強力すぎましたが、そして実際に、エドワード3世はその様な特権を企業の狭いグループに分散させる事を好みましたが、私達が見た様に、ナポリの王国へ、より統合されたフロントを現すために、フローレンスの会社によってある種のシンジケートまたはカルテルが組織されました。故にそのパターンは繰り返され:超-企業に最も価値のあった王または国家からの「ギフト」は、彼等の事業の中核である商品と製造品における、税金免除と特権的な貿易の地位でした。ナポリの王国の件では、14世紀の初めに、巨額のローンが王国、特に王チャールズ2世に成され、ペルッジ会社に様々な特権が与えられ、それらの中には、穀物輸出の課税を操作するための、ナポリに銀行を設立する能力と(!)、そしてその会社が関わる市民裁判が、普通の裁判所では無く、高等裁判所で裁かれる権利でした。言い換えると、彼等は特別な司法的特権得た、または、少々変えて言うと、ペルッジ家が関わった件を吟味するための、特別な裁判所、または特別な管轄の創造です。注目するに、これの全てを通してジェノアと、そして何よりヴェニスの海洋的権力に挑戦する者はいませんでした。何が実際に起こったのかを注意すると、超-企業は:

(1)王国の税の歳入の幾つかをローン(借金)への支払いに成る様に、特定的に耳標する協定を結び、言葉を変えると、王国の特定の歳出の先取特権を協定し、そして
(2)彼等の義務が達成される事を確かにするために彼等自身の税収の特権/フランチャイズを協定しました。簡単に言うと、彼等はナポリの王国のソヴリン(主権)を取り上げる協定をしました。

または、これ等の点をもっと簡潔に言うと、ローン(借金)の延長と、近代の国際銀行家達が「融資条件」と呼ぶものを課す事を通して、本質的な国家の機能の操作を達成する事によって、彼等はナポリの王国の主権を手に入れました。

此処で、私達はこれまでに浮上した、超-企業の「テクニックの教科書」をカタログしてみましょう:

1)会社の株式保有によって、会社の戦略的な機能を一族的な操作の下に保つ;
2)一族のメンバーを訓練する事と、それらの分野の親しい知り合いによって - 外交的、政治的、そして何より造幣または通貨の発行的な - 政府の鍵の制度と機能を貫く、または侵入し、その目的は、政府的制度と官僚を、企業活動のフロントにする事で;
3)存在している法的制限の中で働き - この時代にはユーザリー(金利制度)に対する教会の禁止がありましたが - 貿易の権利、税金免除、そして徴税権さえ含む、会社のための特権的地位を協定し;
4)船舶から製造と生産まで、これ等の運営に影響している通貨と商品まで、会社の活動の全体の範囲を操作する、または少なくとも影響させる

端的に、此処で人が見ているものは、本来の「資本主義」というよりむしろ、古典的な商業主義です。もし私達がこれでテクニックの教科書を疲弊させた(出し尽くした)と推測するなら、私達は間違う事に成ります。

a. Control Both Sides of a (Dialectical) Conflict
(弁証法的)争いの両方の側を操作する(i.e.分断統治

1312年に、ペルッジ会社は、当時としては天文学的な総額、191,000フロリンの、ホスピタラー騎士団組織のグランド・マスターへの莫大な貸し出しを協定したと、ハントは報告します。

このお金は、「全ての国々にあるその組織の全ての財産」によって、そのローン(借金)への安全(担保)が供給され、要塞とその他の建物を建設するために使用されるとされたと、ハントは記述します。これと共に、私達は、金融的エリート達のとても近代的なテクニックを、私達のテクニックのカタログに加えられるかも知れません:

5)国家自体のインフラを担保化し、特に、もしそのインフラが、企業によって貸し出されたローンを基にして建設されるならです。

超-企業が、それらの規模の大きさと、それらの運営の国際的な土台が与えられると、地域的または地方的な争いまたは戦争に引き込まれたのは、必然的でした。Ⅰ302-1304年から、そして再び1314年に、フランスのフレミッシュ人(ベルギー)による反乱が起こりました。ペルッジ家は、勿論、彼等自身がその間に挟まれているのを見つけ、それは彼等の利益的な羊毛の貿易が(現在はベルギーである)フランダースの織機を含んだからで、そして私達が既に見た様に、フランスの造幣における彼等の侵入と影響力のためです。

この政治的なジレンマを彼等が解決したのは、フランスの王室のためにフレミッシュ人達の借金を回収する役割を果たす事によってと、その間同時的に - 勿論、習慣的な協定された特権と共に - 「支払を可能にする手助け」を口実に、地元のフレミッシュの権威(政府/自治)へのローンをフロート(変動為替)させる事によってです。同様に、ペルッジ家は、ナポリの王国から利益的な特権を得る間、ナポリの大きなライバルであるシシリアの王国からも同様な特権を得ていました。確かに、これらは、歴史的な偶然と、その会社の国際的な延長からの、成り行きかも知れませんが、ペルッジ家のフレミッシュの状況への反応(対処)が正にどれだけ素早くこの中世の金融的エリートが、企業が公共的な中立性の表向きを保つ事を供給すれば、争いの両方の側で利益を上げられるかを学んだかを実証します。ですから私達は私達のテクニックのカタログに加えられるでしょう:

6)政治的な争いの件では、両方の側の金融的エージェントとして活動し続ける間、慎重な公共的に中立な姿勢を保ちます。

注意する事が大切な重要な事が此処にあります:歴史のこの段階において、超-企業と彼等の知性的な後継者達が、争いの「両方の側にいる」有益性を高く評価する間、彼等はまだ、歴史において後の彼等の現代版が気付いた見識まで来ておらず、それは大いなる「クローゼットに隠れたヘルメス主義者で魔法使い」であるヘーゲルが気付き可能にしたもので、つまり、利益は、争いの創造を通して派生させられ、延長させられると言う事です。簡単に言うと、中世の超-企業はこれに関して、彼等の現代版(国際銀行家達)とは異なり、積極的と言うよりもむしろ反応的です。

ですがその他にも巧妙なテクニックがあり、そしてそれらと共に、私達は更にもっと薄暗い何かのヒントを見始めます・・・

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