• 2017_08
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • >>
  • 2017_10

♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓

カンブライ連合の戦争

4. The War of the League of Cambrai(1508-1516):The True First General European War
カンブライ連合の戦争(Ⅰ508-1516年):ヨーロッパの真の最初の全面戦争

ジョセフ P. ファレル著、ヴェニスの金融的毒蛇達、109ページより:

1508年に成るまでに、ヨーロッパは、最もうららかなヴェニス(ヴェネチア)共和国のオリガーク(金持ち金権政治)達と銀行家達の、ビザンチン的手法、陰謀、そして裏切りにうんざりしていました。それは - 教皇制(ヴァチカン)、フランス、スペイン、そしてオーストリアのハプスブルグ帝国に代理された - 文字通りの、ヨーロッパの、ヴェニスに対する戦争でした。この強力な連合の形成は、教皇に選出された際にジュリウス2世を名乗った、ジュリウス・デラ・ロヴェレの発想でした。ジュリウスは、教皇制に対するヴェニスの典型的な無礼の後、ヴェネチアの宗教的な独立を終わらせる事を決意していました:

「彼が言葉にした様に、「もし(教皇の)ティアラ(冠)を代償にしてさえも」、彼の(宗教的)管轄を強要する事を決意し、ヴェニスを孤立化させるためだけでなく、辱め、彼女の昔の権威と繁栄を二度と決して取り戻せないまでに、意図的に弱体化させるという、彼の主要な目的に向かうために、彼は此処で彼の外交的な強さの全てを招集しました。フランスとスペインへ、(ハプスブルグの皇帝)マクシミリアンへ、ミランへ、ハンガリーへ、そしてオランダへ、新たな密使の流れがローマから送り込まれました。全ては同じ提案を運び、それはヴェネチア共和国に対する西洋のキリスト教圏合同の冒険(戦争)と、彼女(ヴェニス)の帝国の結果的な解体でした。」

教皇ジュリウス2世が、ヨーロッパのそれぞれの権力者達の前に吊るした人参(エサ)は重要でした。オーストリアのハプスブルグ帝国はヴェローナ、ヴィチエンザ、そしてパドゥアを受け取るとされました。フランスは、ベルガモ、ブレシア、クリマ、クリモナの地域と、その9年前に、ブロイスの条約によってヴェニスが得た全ての領地を得るとされました。イタリア南部においては、ブリンディシとオトラントがアラゴン家に戻され、そしてハンガリーはダルメーシャンの海岸線を受け取るとされました。ジョン・ジュリアン・ノーウィッチが述べた様に、「全員に得がありました。」ジュリウスの地政的な理由づけは単純でした:南のスペイン(支配)のナポリは強い都市国家で、北におてはフランスがミラノで圧倒的でした。ですがその他のイタリアは、教皇制によって圧倒されなければならず、それが意味したのはヴェニスが無くならなければならないと言う事でした。

私達は、それがはっきりと明言された様に形成されたので、カンブライの連合を創造した条約の実際の公式な前文を一目見る事によって、ヨーロッパが最もうららかな共和国に対して我慢を切らしていたのかを知る事が出来ます:

「教皇制のみならず、神聖ローマ帝国、オーストリア王朝、ミランの侯爵、ナポリの王達、そしてその他の様々な王子達を、占領し、彼等の物資、彼等の財産、彼等の街々と城々を乗っ取り、あたかも彼等の周りにいる全ての者達に害を成す事を意図的に陰謀した様な、ヴェネチア人達によって害された損失、傷害、違反、ダメージを終わらせるために・・・

故に私達は、大きな火事の様に、ヴェネチア人達と彼等の権力への欲求の、強欲な略奪を消火し、公正な復讐をするために、全ての人々を招集する事は、正しく誇りある事であるだけでなく、必須な事です。」

フランスはすぐさま行進し、アグナデロの戦いにおいて、ヴェネチア軍に圧倒的な敗北を与えました。皇帝マキシミリアンも素早く大きな軍隊を動かし、そしてまたヴェニスに対して - ゆっくりと - 動きました。

アフリカ(南端)を回るポルトガルの貿易ルートの進歩と、中東のオスマントルコ帝国の台頭と共に、イタリア本島における領土の消失は、その帝国がもう海洋貿易のみに頼っていなかったので、ヴェニスにとって、大災害を意味していました。

ヴェニスは圧倒的に不利な戦いをせねばならず、そしてフランスからパドゥアを取り戻し、フランスと帝国の軍に対し、成功的に其処を防衛し、ヴェネチア人の静かな外交と共に連合を返り討ちにしたけれど、北から進行するマキシミリアンの巨大な軍隊と、南からの教皇の軍隊の危険は、ヴェニスに考えられない事を考えさせ:それはオスマントルコ帝国との同盟でした。西洋の王子達にとって、もし彼等が知っていたのなら、その様な(同盟への)訴えは、ヴェネチア人の信仰の無さの更なる証明に成ったでしょう。ヴェネチア人にとって残念な事に、サルタンはヴェニスの提案に返答せず、ヴェニスは教皇ジュリウス2世の条件を受け入れさせられました:

「それらは凄く厳しいものでした:ヴェニスは完全に教皇制/ヴァチカンの下に服従しなければなりませんでした。取り上げられたのは、伝統的だった、教皇の同意無しで、その領土内で大司祭や聖職者達を任命する権利と、彼女の裁判所で裁判する権利と、徴税する権利です。また、彼女の領土内の教皇制の国家の民の上の管轄も取り上げられました。教皇は、彼の領土を取り戻すために使った全ての出費の弁償と、それらの領土がヴェネチアの手の内にあった間の全ての歳入の弁償を受け取るとされました。それまでヴェニスが外国の船舶から交通税を取っていたエーゲ海は、その後課税無しとして誰しもに解放されました。」

ヴェネチアの降服と共に、ジュリウス2世は結果的に彼自身の連合を解体し、その後は北にいるフランスを主要な敵と見定め、結果的にヴェニスと手を組みました。その連合は、全ての意図と目的のために崩壊しました。

最後に、とても長く複雑な話を短くすると、北部イタリアにいるフランス人達に対するヴェネチアと教皇制の連合において、ジュリウスが本質的に、戦利品の分け前を与えず、ヴェニスには何も得が無いのが証明されると、典型的な振る舞いで、ヴェニスは寝返り、フランスと同盟しました。ジュリウスの裏切りは、カンブライの連合をヴェネチアに対して甦らせるという彼の脅しによって、助けられませんでした。

「故に、たった4年間の内に、カンブライ連合の戦争の、主要な主役達は、同盟において可能な全てのパターンの変形を行いました。最初に、フランスと教皇制が、ヴェニスに対して同盟し、次に、ヴェニスと教皇制が、フランスに対して同盟し、そして今度はヴェニスとフランスが教皇制に対して同盟し - 実に全ての形状です。」

此処で人が見るのは、ヴェネチアの振る舞いと、最初の処で連合の形成に繋がった現実政治で、都市国家が典型的な権力のバランス的外交を行い、主要なライバル達がお互いにぶつかり合う様に誘導したと言う事です。ですがヴェニスとその金融的なオリガーク達にとって、その連合とその少し前の新大陸の発見からのレッスンは明らかで:オリガーク達は本部を移動しなければなりませんでした。

5. The End of the Most Serene Republic: Napoleon Bonaparte and His Peculiar Demands
最もうららかな共和国の終わり:ナポレオン・ボナパルトと彼の奇妙な要求

最もうららかなヴェニス共和国の終わりは、勿論、革命的フランスと、ナポレオン・ボナパルトと言う名の将軍から来ました。フランス革命の始まりから、ヴェネチアの諜報工作員達は、革命をヨーロッパ中に輸出すると言う明言された目標のために、革命家達が体現した危険性をその共和国に警告していました。ヴェニスが特定的な標的だったのは何故なら、私達が次の章で発見する様に、彼女の憲法が、共和国とは名ばかりで、フランス革命の平等的原則を体現するものでは全くなかったからです。全く対照的に、それはエリート憲法で、オリガーキーによる、オリガーキーのための共和国でした。ナポレオンの北部イタリアにおけるオーストリアに対するキャンペーン(戦争)の頃、フランスの軍がヴェニスの門前に辿り着いた時、サビは既に長く進んでいて、その本当の金融的権力は、とっくに北方へと移動されていました。

湿地帯の外側の島々に、フランスの船の大砲が撃ち出された際のボナパルトの要求は全てを物語ります:オリガーキーは共和国を解体し、そして退位し、憲法を民主主義に入れ替えなければならないと言うものでした。ナポレオンはまたこうも要求しました:「造幣のクレジット(借金)と国家的な銀行は、国家によって保証されなければならない」と言うものです。結果的にナポレオンは、オリガーキーが彼等の政治的権力から退位するだけでなく、ヴェネチア国家のクレジットと通貨への彼等の金融的独占を諦めろと言いました。

ですが私達が見た様に、ナポレオンの到着の2世紀程以前に、オリガーク達は公共の借金を流動化し、北方への資本逃避のプログラムのために膨大な流動的な資本の準備金を集め、その長期的な戦略的思考は、その概要において、第二次大戦が終了に向かう頃の、ナチスの資本逃避計画に類似しています。ナポレオンが共和国解体を強いた頃には、その戦利品は逃避していました。

ですがヴェネチアのオリガーキー的長寿の秘密は何なのでしょう?実際に、オリガーク達は誰だったのでしょう?これは、この話が、更により薄暗く成る処です・・・

  1. Category: None
  2. / trackback:0
  3. / Comments:0
  4. [ edit ]


Only the blog author may view the comment.

Profile

Songcatcher

Author:Songcatcher
現在地:ルネッサンス2.0









鼓動と呼吸:緊縮と拡張・・・

songcatcher@mail.com

Latest trackbacks

Search form

QR code

QR

« 2017 09 »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30