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宗教改革、逆宗教改革、そしてヴェニス

ヴェニスの金融的毒蛇達
ジョセフ P. ファレル著

うららかな共和国(ヴェニス)
3.宗教改革、逆宗教改革、そしてヴェニス

103ページより:

16世紀の新大陸の発見、そしてそれに続く植民地化の後の、その他の警告的出来事は、プロテスタント派の宗教改革と、カトリック派の逆宗教改革で、私達が幾分の時間をそれ(の検証)に割くのは、何故なら再びヴェニスとジョルダーノ・ブルーノが両方とも奇妙にも、暗示される(密接な関係がある)からです。

ブルーノとヴェニスが、どう正確に暗示されるかを見るためには、ブルーノの基本的な宇宙的見解はヘルメス主義で、本質的に新プラトン主義で、太古の媒体の形態的隠喩に帰属する事を思い出す事が重要です。ヴェネチア(ヴェニス)のオリガーキー(金権政治/金持ち支配)は、対照的に、「アリストテレスのカルト/信仰」に根源した、物質主義の基本的な宇宙的見解を追い求めました。実に、ウェブスター・タープリーが記述する様に、ヴェネチア人は西洋ヨーロッパにおいて、アリストテレスを元々のギリシャ語で読んだ最初の人達でした。

この醗酵/熟成のさなかに、彼の信仰/信念唯一による正当化の教義と共に出てきたのが、マーテイン・ルーターでした。ですがルーターには隠されたヴェネチアの影響があります。ガスパロ・コンタリーニ大司祭(カージナル/枢機卿・すいきけい)は - そして私達は、その苗字に、凄い方法で次の部分で出くわすので、注意を払って下さい - (私達が次の部分で論議する)カンブライのリーグ(連合)の危機の間に、驚くべき一文を書きました:

「私は、私が私の愛のために見た、十字架の上で、腕を広げ、彼の心臓まで胸を切り裂いた、この最高の善(キリスト)に向かって、私の全霊と共に始めました。これは私、私の不正の償いと懺悔のために、この世界を離れる(死ぬ)勇気の無かったみじめな者が、彼(キリスト)に向かい;彼自身の罪は何もないのに、私達のために、彼が行った事(犠牲)における彼の満足を、私と分かち合う事を求めた時、彼は直ぐに私を受け入れ、彼の聖父(神)に、私自身が満足させる(支払う)事の出来ない、契約された借金を完全に無効にする様にさせました。

これは勿論、借金に関して償いの教義を形成した、カンタベリーのアンセルムの教義に同調します。この教義によると、人類は、公正な神に無限的に罪を犯したので、彼(神)に無限の借金を負いますが、人類は無限(不死)では無いので、それ(罪/借金)を支払い終える事は決して出来ません。しかし、人類は借金をした(罪を犯した)ので、唯一人類が、それを支払うために責任がある者に成る事が出来ます。アンセルムのこのジレンマへの解決策は、これが輪廻転生への理由であると明言する事でした。神の無限の息子は人と成り、そして借金を支払い、故に「帳簿をバランス/トントン」にし、その教義は結果的に、神と救いを、取引/売買の帳簿に降格させました。私達が、バビロンの銀行家達の中で最初に出会ったパターンを、私達が再び見つけたのは重要で、つまり、金融と寺院の関連性で、今回は、借金救済と犠牲/生贄の言語の、宗教への直接の輸入を通してです。そして同等に重要なのは、ヴェネチアの大司祭が、この言語に順応している事です。タープリーが記述する様に、「コンタリーニはまだ、信仰に加えて、救いにおいて希望と少々の愛に役割を許しますが、ルーターとのパラレル/平行線は明らかです。後に、1523年の手紙の中で、コンタリーニがルーターに会った後で、彼はこれを超えて行き、そしてルーター的立ち位置を大々的に受け入れます。」

私達が有するものに注意して下さい:宗教改革の危機の始まりの高まりにおいて、ローマのカトリックの大司祭が、ルーター的立ち位置を抱擁しています。私達がこの後直ぐに見る様に、宗教的な問題の両方の側において、ヴェネチアのエージェント(部下/手先)が暗躍する唯一の機会では無いのは、ヘンリー8世のイングランドにおいても、ヘンリーの主任補佐官として、ウォルセイ大司祭と入れ替わったトマス・クロムウェルを、私達が見つけるためです。タープリーはこう記述します:「クロムウェルは、1500年代の初期の戦争において、イタリアで傭兵をしていたと報告され、そしてポール(大司祭)によると、ある時はヴェネチアの商人の番頭、または会計士をしていました。ある話によれば、クロムウェルは、アントワープ(オランダのすぐ隣のベルギー北部)でヴェネチアの支店で20年間務めていました。これら全てと同時進行で、教皇ポール3世は - 基本的にルーター的立ち位置を受け入れたのと同じ男である - コンタリーニ大司祭に、教会の改革の方法を発展させる委員会の首席を務めるよう命じます。コンタリーニは、カラファ、サロデトル・ポール、ギベルティ、サン・ジョージオ・マッギオのコルテス、プラス、サレルノとブリンディッシからの高位聖職者によって加わられ - それは圧倒的にヴェネチア的委員会でした。言葉を変えると、カトリックの逆宗教改革の操作を取ったのは、ヴェニスでした。

この委員会と、トレントのカトリック改革委員会の一つの効果は、カトリック信者達に読む事が禁止された本の悪名高い「インデックス(リスト)」です。言うまでも無く、新プラトン主義とヘルメス主義の本は禁止されたので、そのインデックスの「アリストテレス派」の傾向/偏見は直ぐにあらわに成りました。それは、タープリーが観測する様に、ローマにおいて今、誰が権力を持ったかのバロメーターでした。1565年までに、少なくとも7人以上のヴェネチア人の大司祭達がいました。此処にあるのがモチェニーゴによるブルーノの告発/弾劾の究極的な理由で、勿論、ブルーノはヘルメス主義者で、そしてヴェニスが推進しようとしていた、大々的にアリストテレス派の物質主義の全体に、彼の宇宙感が挑戦したからです。

ですが16世紀の間の台頭していた宗教的衝突の、両方の側を、ヴェニスが昇進させたのは、意図的なものでした。今の様に当時も、移動可能な印刷機によって可能にされた、素早い情報の拡散の新たな時代に、世界は移行していました。今の様に当時も、これは、特にヴェニスの、オリガーク的な金融的エリート達の権力を脅かし、そして、今の様に、当時も、印刷機の科学技術を得る事によって、そのエリート達は影響力を注入するために素早く動き、宗教的物議の両方の側の文献の出版を素早く昇進させました。「ルーターと、その他のプロテスタントの改革派に本当の(政治的な)影響力を与えたのは、ヴェネチアの体制派(エスタブリッシュメント)の出版による、彼等のアイデアの宣伝と拡散の御蔭だ」とタープリーは観測します。ヴェネチアの出版社は、直ぐに、ルーター、カルヴァン、メランクソーン、そして特にイタリアで人気のあったジュアン・ヴァルデスの著書を40,000冊印刷しました。そうこうする間、マーティン・ルーターの見解に順応した、その同じガスパロ・コンタリーニ大司祭が、イエズス会の創設者であり、プロテスタント派の執念深い宿敵である、イグネーシャス・ロヨラとの関係を強めました。コンタリーニは、イエズス会への教皇的承認を影響させるために、直接教皇に介入しました。

ヴェニスは何故、プロテスタントとカトリックの目的の両方を後ろ盾し、中心に対して両方を操ったのでしょう?上記された様に、新大陸の発見は、ヴェネチアの貿易と金融的帝国の終わりを意味しました。(i.e.スペインがジブラルタル海峡を抑えていたので、ヴェニスの船は、地中海から出られない。)ヨーロッパにおける意図的に激化させられた宗教的緊張のカバーの下、彼等の金融的なオリガーキーの本部をとても文字通りに北(オランダ)に移動する戦略的な決定が故に成されました。ヨーロッパにおいて全面的な宗教戦争を起こさせたヴェネチアの政策の目的は、膨大な支族的でオリガーク的な富を北に移動する事を可能にさせるためで、その戦争は最終的に30年戦争(Ⅰ618-1648年)に成りました。

16世紀において、しかしながら、ヨーロッパのカトリックとプロテスタントの両方へと、深く届くネットワークの中心にいたのは、ガスパロ・コンタリーニ大司祭で、アラゴンのキャサリンからの彼の離婚において、ヘンリー8世の「セックスのカウンセラー」として活動するために、彼の部下、フランチェスコ・ゾルジを派遣しました。コンタリーニのネットワークはジョン・カルヴァンとルーターを保護し、その間、コンタリーニはイエズス会を存在へと産婆する手助けに関わっていました!ルーター的ドイツとボヘミアにおけるヴェニスの影響力は、トーン・ヴァルサッシナのヘンリッヒ・マシーアス伯爵(Ⅰ567-1633年)でした。これは元々ヴェネチアの地域から起因した支族の本家で、それは別名、デラ・トーレ、トーレ・エ・タッソとして知られ、そしてそれは後のトーン・アンド・タクシスです。これは、後の章で私達が見る様に、北部イタリアの都市国家の、オリガーキー的支族と、サクソニー、ハノーヴァー、オランダ、そしてイングランドの、顕著で強力な貴族達との間の唯一のリンクではありません。

ブルーノは勿論、不実なモンチェニーゴにヴェニスに戻る様に誘われる以前に - 怪しくも - カルヴァン派のジュネーヴ、カトリック派のパリ、アングリカン派のイングランド、そしてルーター派のドイツへの旅と共に、16世紀のこの舞台へと踏み出します。ブルーノは、言い換えると、彼の旅においてヴェネチアの部下だったのかも知れません。

このための、幾つかの証拠があります。タープリーはこう記述します:

「1582年の後、オリガーク的なヴェネチアの政府的制度は、リドット・モロシーニと呼ばれた戦略的論議のサロンから台頭した貴族的カバール(組織)であるジョヴァンニによって操作されていました。その貴族に含まれていたのは、モロシーニ、ニコロ・コンタリーニ[]、レオナルド・ドナ、アントニオ・クェルーニ、サーヴァイトの修道士パオロ・サルピ、そしてフルガンツィオ・ミカンツィオ、ガリレオ・ガリレイ、そして時々、ジョルダーノ・ブルーノでした。」

実にタープリーは、ヴェニスがブルーノと、後に彼の弟子の一人を、パリに送ったとはっきりと明言します。

此処で私達は一旦停止し、何故、ヴェニスが、ブルーノの処刑において、そんなに共謀的だったのかを、少々、推理してみましょう。私達が以前の章で記述した様に、ブルーノの宇宙的、そして記憶のシステム(i.e.ヘルメス主義)の全体は、ヴェニスの基本的な世界観(アリストテレス物質主義)に対する危険を体現しました。ブルーノに彼の記憶システムを教えさせようとする、モンチェニーゴの努力と、そしてまた、それがライバル達に広がらない様に妨げる努力に見られる様に、それはヴェネチアのオリガーク達が、彼等自身の目的のために、操作して独占しなければならないものでした。

ですが此処で私達は、ブルーノの逮捕におけるヴェニスの役割の背後の可能なもう一つの加えられる動機を有し、思い出してもらうと、ブルーノはズアネ・モチェニーゴに、正に彼のヘルメス的な教えを広めるために、秘密結社を設立する意志を打ち明け、その様な活動は、(金融)システムを独占しようと試みるヴェネチアのオリガーク達の終わりを意味しました。加えて、タープリーによると、ブルーノはヴェニスにおける戦略的議論の一部で、それは実際に、宗教的な危機を造り出そうと言うヴェネチアの意図を、彼に明かしたかも知れません。それだけでも、ブルーノはその策略の全体を暴露出来たかも知れず、そして故に始末されなければならなかったのかも知れません。

宗教裁判によるブルーノの処刑の後、16世紀の終わりと17世紀の始まりまでに、ヴェニスはその他の事も行い、そして此処で私達はタープリーを延長的に引用しなければなりません:

「ヴェニスは1600年頃の当時、極度に流動的で、約1400万デュカットの貨幣の準備金を持っていました。それと同時に、驚く事に、ヴェネチアの政府は、その公共の借金全体の支払いの行程を完結させ、国家のあらゆる残っている義務を無くさせました。この全体的に高度に流動的な状況は、資本の逃避が起こっていると言う確かなサインで、その方向は、ジョヴァンニによって次のパートナーまたは被害者として指摘された国々、フランス、イングランド、そしてオランダでした。

セント・ジョージ(マルデュック/アポロ)銀行の周りのジェノア人は、実質的に、世界で流通しているゴールドの債券の全体を受け取りました。その2つの街(ヴェニス/ジェノア)は、1579年頃に始まってピアチェンザ・フェアにおいてチームを組み、ヨーロッパの決済銀行の原型となり、直ぐに年間2,000万デュカットの利益を上げる様になりました。このフェアは、ヴェルサイユ条約後に設立された国際決済銀行(BIS)の前身です。

1603年に、ヴェニスとジェノアは、イングランドのステュワート王朝の金融の舵を取る様に成り、そして彼等の特徴的な手法を、英国東インド会社に分け与えました。またこのツートップは17世紀の金融の要である大いなるアムステルダム銀行の設立と、オランダ東インド会社の設立にも健在でした。ヴェニスとジェノアはまた、ジェノアで成長してきた大きな金融的力のための産婆と成り、フランスの公共の借金の操作と、そして文明開化のデルフィ―的スピリットを育成する事を専門としました。」

言葉を変えると、16世紀と17世紀の宗教的な動乱の期間(私達が見た様に、プロテスタントの本を出版すると同時に、イエズス会の創造を推進し、カトリックの逆宗教改革において影響的な役割を成す事によって、ヴェニスは確かに激化する手助けをしましたが)、ヴェニスはアムステルダムとイングランドに新たな企業的フロントを静かに設立し、そしてヴェネチアの湿地帯から、オリガーク的な支族の富の大部分を、アムステルダムが発展した湿地帯へと移動させました。

ですが、新大陸の発見のために、彼等のオリガーク的な帝国の座を大西洋に向かって北方へ移動しなければならないという、その戦略的な結論に加えて、何故、ヴェニスは、その機能の本部を移動するその様な緊急性を感じたのでしょう?その答えは、文字通り、ヨーロッパにおける最初の本当の全面戦争である、カンブライのリーグの戦争の中にあります・・・

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