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神聖な血筋と聖杯&毒蛇達

神聖な血筋と聖杯、P139

レネー・ド・アンジョウ(シオンのプライオリー/テンプル騎士団)を、今はルネッサンスと呼ばれている現象の背後の、主要な推進力と考えるのは、不正確では無いでしょう。彼の数々のイタリアにおける財産(不動産)のために、彼は何年もイタリアで過ごし、ミランを統治していたスフォルツァ家との親密な交友関係を通して、フローレンスのメディチ家との接触を確立しました。コシモ・デ・メディチが意欲的なプロジェクトの連続 - 西洋文明を変格したプロジェクトを始めさせたのは、大々的にレネーの影響力であったと信じる良い理由があります。

1439年、レネーがイタリア在住の際に、コシモ・デ・メディチは、太古の文献の探求のために、世界中に彼のエージェント(部下)を派遣しました。その後、1444年に、コシモはヨーロッパの最初の公共図書館である、サン・マルコの図書館を設立し、そして故に、教育における長年の教会の独占に挑戦し始めました。コシモの直々の委任によって、プラトン主義、新プラトン主義、ピタゴラス主義、グノーシス主義、そしてヘルメス主義のコープス(i.e.神秘主義の文献集合体)の思想は翻訳へとその道を見つけ、初めて一般的に利用可能になりました。コシモはまた、フローレンス大学において、ギリシャ語が教えられるように指導し、それはヨーロッパにおいて700年ぶりの事でした。そして彼は、ピタゴラス派とプラトン派の研究を行う学校の創造を手がけました。コシモの学校は、イタリア半島全体を通した数々の同じような学校を即座に派生させ、西洋の秘儀主義(神秘主義)の伝統の砦と成りました。

<中略>

ある意味、類似したアイデアの広まりは17世紀に起こり、最初にドイツで広がり、その後イングランドに広まりました。1614年、ローズクロスのマニュフェストと呼ばれるものが最初に現れ、翌年に二番目のものに続かれました。これらのマニュフェストは当時、大騒ぎを起こし、(カトリック)教会とイエズス会からの猛烈な非難を起こさせ、そしてプロテスタントのヨーロッパのリベラルな派閥から熱狂的なサポートを得ました(i.e.ブルーノの統一的な思想から既に分断的思想に変化している)。ローズクロス的思想の最も雄弁で影響的な支持者はロバート・フルッドで、1595年と1637年の間、シオンのプライオリーの第16代グランド・マスターとしてリストされています。

その他の物事の中に、ローズクロスのマニュフェストは、伝説的なクリスチャン・ローゼンクロス(注:ジョージア・ガイド・ストーン)の話しを普及させました。それらはドイツとフランスの「入門者達」の秘密で、「眼に見えない」結社からの発行であると主張されました。それらは、ルネッサンスを通してレネー・ド・アンジョウから流れた - 地下水脈である - ヘルメス的原則に沿って、世界と人間の知識を変格すると約束しました。スピリット(霊)的自由の新たな時代が告げられ、その時代において人は彼自身を彼の以前の足かせから解放し、それまで休眠状態だった「自然の秘密」を解き放ち、全てに浸透する、統一的で宇宙的な法則の調和に従って彼自身の運命を統治するとされました。それと同時に、そのマニュフェストは政治的に強く扇動的で、カトリック教会と古き神聖ローマ帝国を激しく攻撃しました。これらのマニュフェストは、ロバート・フルッドの後に、シオンのプライオリーのグランド・マスターとしてリストされている、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレアによって書かれたと、今は一般的に信じられています。もしそれらがアンドレアによって書かれたもので無いとしても、それらは確かに彼の仲間内の一人、または複数によって書かれたものです。

1616年、ローズクロスの第3のマニュフェスト、クリスチャン・ローゼンクロスの化学的な結婚式が現れました。以前の2つのマニュフェスト同様に、化学的結婚式は元々、無名の著作でしたが、アンドレア自身が後に、冗談、または喜劇として書いたと告白しています。

化学的結婚式は複雑なヘルメス的例え話で、その後には、ゲーテのファウストの様な作品を影響しました。フランシス・イェイツが証明した様に、それはロバート・フルッドにも影響を与えた、イングランド人の秘儀主義者、ジョン・ディーの間違う事の出来ないエコーを含みます。

<中略>

簡単にまとめると、匿名のローズクロス達と彼等の同情者達は、スピリット的と政治的の両方において、使命的な感覚でフレデリックに投資したようです。そしてフレデリックは彼の上に重ねられた役割を、それが意味した希望と期待と共に、用意周到に受け入れた様です。故に、1618年に彼は、その国の反抗的な反乱軍によって提供されたボヘミアの王冠を受け入れました。そうする事において、彼は教皇制と神聖ローマ帝国の激怒を買い、そして30年戦争の混沌へと結果しました。2年の内に、彼とエリザベス(ステューワト)はオランダへと追放され、ヘイデルベルグ家(王朝)は、カトリックの軍隊に倒されました。そしてそれに続く25年間、20世紀以前のヨーロッパにおける、最も苦しく、血塗られた戦乱の主要な戦場にドイツは成り - その戦乱においてその教会(ヴァチカン)は、彼女が中世の間に楽しんだ覇権を強要する事に殆ど成功しました。

ヴェニスの金融的毒蛇達P77

1)一方で、モーゼスよりも古代の出元であるヘルメス・トリスメギスタスからの根幹を主張する事によって、ヘルメティカはまた、教皇制の権力が基づいているヤーウェイ主義者の啓示よりも古い、知識の隠された伝統に基づいていると主張します。
2)もう一方で、生贄/犠牲借金に欠如した用語における隠喩で枠組みする事によって、そしてそれにおいて人自身を、神と共に永遠的で共同-創造主とする事で、ヘルメス主義は、中世後期の北部イタリアにおいて台頭し始めた借金としてのお金の銀行業システムと、そしてまたローマの教会(ヴァチカン)の正に聖礼的犠牲/生贄のシステムに、もう一打撃加えました。

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