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アメリカの2つの憲法

Seeing the Forest for the Trees: The Two Constitutions of America
木々のために森を見る:アメリカの2つの憲法
http://www.activistpost.com/2014/05/seeing-forest-for-trees-two.html


The First Form of Governance in America
アメリカにおける最初の統治の形状

アメリカのストーリーは、アメリカ革命が近づいて来ていた際の、アメリカ人と成った英国の入植者達と、彼等の個人的な権利と自己-統治と共に始まります。その舞台を整えたのは、1776年7月4日に裁可された独立宣言と、最初の連邦的憲法、1776年の中期に下書きされた連合と永続的な統合の規約(以下、連合規約)です。ペンシルヴァニアのジョン・ディッキンソンが、アメリカの最初の統治的書類であるその規約を創造するために集まった、13州それぞれの代表達の意見をまとめて記述しました。それは1777年11月に採用され、1781年に、13の生まれたばかりの州の全てによって裁可されました。

その結果、この最初の憲法は一般の人を、主権者たる王と同じ地位に昇進させ、つまり、自己-統治している「自由な住人」です。幾つもの州が、純粋に自主的で地方分権化された連邦システムの中で自律的に機能していました。神に与えられた「自然」的法律に基づいたイングランドのコモン・ロー(習慣法)が、その土地の法律としてイングランドから相続されました。トマス・ジェファーソンは、独立宣言の中で、最初のアメリカ憲法に言及する際に、新たなアメリカの管轄の存在と、その上(アメリカ国土)における英国王ジョージ3世の権威の欠如をはっきりと認めました:

「彼はその他の者達と共謀して、私達を、私達の憲法の外であり、私達の法律によって認識されていない管轄の対象にし;ふりをしただけの法的登録の彼等の活動に彼(ジョージ3世)の了承を与えました:」

その新たな、緩く形成された連合の明言された目的は、外国からの侵略に対して一緒に防衛する事でした。その規約の下で統合され、幾つもの州の自由な住人達は、個々では可能で無い方法で彼等自身を守る事が出来ました。1777年から1789年の期間がアメリカにおける一般的な繁栄に時期だったのは、初期のアメリカ人達が連邦的市民権への義務無しで、その連合の利を楽しめたからです。

「各州はこれによってそれぞれがお互いと共に友情の確かな連合に成り、彼等の共通の防衛、彼等の自由の安全、そして彼等のお互いのそして一般的な健康のため、提供された全ての勢力に対して、または宗教上、主権上、貿易上、またはその他の理由が何であれ、彼等、または彼等の誰かに成された攻撃に対して、お互いに補佐し合う事で彼等自身を結びます。」
- 連合と永続的な統合の規約、1781年


その規約が1781年に裁可されて間もなく後、連邦的指導者達は、それには最高裁のための準備も、商業の条約も国外との貿易の規制も、軍隊も、徴税の強要も含まれていなかったので、彼等がその規約に潜在的な多くの欠点として見たものに同意しました。年月を通して歴史家達はその規約が失敗であった事に同意し、その意見に挑戦する者は殆どいません。

1787年、連合議会は、フィラデルフィアでの憲法集会が開かれても良いと許可を与えましたが、しかしながら、それは「連合規約を見直し、議会に報告し、幾つかの法的登録をするための、単一的で限定的な目的」と言った特定的ではっきりと明言された制限のある決議案を有するものでした。

人々が言う様に、後は歴史です。米国の1787年の憲法が現れたのは、フィラデルフィアでの憲法集会でした。興味深い事に、殆どのアメリカ人は、その国が始まったのはこの二番目の憲法と共にであると信じています。誰かに尋ねてみると、殆どの人は、1787年以前のアメリカの歴史をあまり知らないか、全く知らないと貴方に答えるでしょう。

その規約は、アメリカ合衆国の4つの有機的な法律の1つに数えられ、アメリカ合衆国の宣言(独立宣言)、1776年、北西部条例、1787年、米国(US)憲法、1787年、と共に、米国コード(全ての米国の法律の公式な収集)の始めに記載されています。

The Second Form of Governance in America
アメリカにおける第二の統治の形状

人々が経験から知る様に、どんなストーリーにも2つの側面があります。ですがアメリカの始まりのもう一つの側面を学ぶ人はあまりいません。アメリカのストーリーのもう一方の側面は、当時のアメリカ人の多くにとって、1787年の米国憲法のアイデアは、「人民の、人民による、人民のための・・・より完璧な統合」などよりも、連邦的権力を極少数の手に集中させる、連邦主義者の計画の実行についてでした。

パトリック・ヘンリーの様な者達によって導かれた自由な住人達が恐れていたのは正にこれで、彼等が極最近逃れた、大英帝国の統治形状を思い出させる中央集権でした。結果から見ると彼等の恐れはとても妥当で、愛国主義の覆いの背後で、その1787年の憲法とそれが確立したUS政府は、強力なビジネスマン達(ヴァージニア会社/ハドソン湾会社=東インド会社=クラウン・コーポレーション/王立企業)の小さなグループによる、元々のアメリカの管轄と生活の方法への無血クーデターでした。

短いヴァージョンで言うと、フィラデルフィアでの憲法集会において、1787年の憲法の立案者達は、規約への見直しのみを許した連合議会の決議案を無視しました。代わりに彼等は、全く新しい(認可されていない)第二の憲法を創造し、1789年に、規約による裁可必要条件は13州の合意だけれども、9州の合意によってのみ、裁可されたと宣言しました。彼等自身の条件で、そして彼等自身による権限で、その立案者達は違法の憲法を創造し、人工の法定の法律のUS政府を発足させました。

この第二の憲法とその政府の創造が、殆どの自由な住人達に気付かれなかったのは、彼等には何が起こったのかを理解出来る様な、(その立案者達が持っていた様な)高度な教養は有していなかったからです。多くの人は連邦主義の新聞が彼等に伝えた事、「より完璧な統合」から利するのは一般庶民で、何故なら「政府の全ての権力は人々と共にある」と言う事(プロパガンダ)を信じたからです。

ですがパトリック・ヘンリーや彼の仲間にとって、新たなUS政府確立上の徐々の自由と解放の風化は、気付かずに済むものではありませんでした。本質的に、これ等はイングランドの習慣法から人工の法定の法律への構造的な移行で、そして地方分権化された「(他人に)害するべからず」の自己-統治(自治)から、強要されたパフォーマンス(労働)の中央集権政府への移行でした。自律的な代表政府は、裕福な地主である少数のエリート達の暴政の関心に奉仕するものに反転しました。

現在まで早送りしてみると、愛国法や国家防衛許可法(NDAA)の様な多くの人工の法定の法律は、米国市民の無期限の拘束を許し、その間陪審員による裁判を彼等に与えません。書き記された法律によって、米国市民は敵の戦闘員または国内のテロリストである可能性がある者として見られるようになり、つまり、国家の敵です。誰が得をするのでしょう?

此処にあるのが聞く耳を持つ者のために広く広まった国家的な神話(通説):その神話は私達が人民の、人民による、人民のための国家に住んでするというものです。その第二の憲法が、アメリカの人々のために、前進では無く後退への折り返し地点に成ったのは、何故ならその立案者達によってUS政府のモデルにされたのは英国の王制で、フィラデルフィアでの憲法集会に出席した代表者達のノートに良く記述されている事実です。オリガーキーと定義された極少数による支配は、モナキー(王政)とちょっとだけ異なります。オリガーキーは一人の王だけで無く、一握りの追加的な支配者達を提供します。コメディアンだった故ビル・ヒックスはそれをこの様に描写しました、「貴方は私達が貴方に伝える様にする自由があります。」

The Good News of Territorial Jurisdiction
テリトリー的管轄の善いニュース

上記された様に、最初の憲法によって認識された法律の実体は、イングランドの習慣法(Common Law)で、書き記されていない法律としてもまた知られます。対照的に、第二の憲法によって認識される法律の実体は、法定の法律(Statutory Law)で、書き記されている法律として知られます。法令(statue)は、州または連邦の権威によって書かれます。全ての書き記された法律の一つの特徴は、それらはそれが所有する土地の境界線(物理的国境)を確認/見分けしなければならない事で、その中に住む人々に(そしてその人々のみに)その法律は応用され、テリトリー的管轄としても知られています。

第二の憲法の最優越条項が、それが「土地の最優越の法律である」と宣言する間、元弁護士で法律の研究家、エドゥアルド・リヴィエラ博士は、そんなに急ぐなと言います。彼は、その最優越性の主張は、米国(US)のテリトリー的管轄中の土地に制限されていると強調します。故に、US政府の法定の法律は、連邦的に所有された土地の上に住んでいるアメリカ人達に限定的に適用されます。

1807年、最高裁判事ジョン・マーシャルは、US法廷システムにおけるイングランドの習慣法の権威への致命的な一撃を与えました。Ex parte BollmanとSwartwout 4 Cranch 75の判決の中で、彼は書き記されている法律(i.e.法定の法律)がUS法廷の特定的法律であると明言してしまいました。 彼の判決は管轄が書き記された法律によって定義され、そして「その管轄超越する事は出来ない」と確認しました。習慣法法定の法律のシステムは、異なったテリトリー的管轄として同時に存在する事が出来ます。

「習慣法に起因する法廷は、何らかの法令が彼等の確立された原則を変更するまで、彼等の習慣法によって統治されなければならない管轄を有しますが;書き記された法律によって創造され、そしてその管轄が書き記された法律によって定義される法廷は、その管轄を超越する事は出来ません。法曹界からの理由づけは、それへの関連において、単一の観測によって答えられ、habeas corpus(人身保護令状/またはその要求権)と言う用語は疑われる事無く習慣法に頼る/分類しますが、ですが米国(US)のどんな法廷によって令状を与える権力は、書き記された法律によって与えられなければなりません。
- Ex parte Bollman と Swartwout 4 Cranch 75


王ジョージ3世が、新たなアメリカ合衆国に、彼の13の入植地を譲ったのは歴史的に良く確立された事です。それ程良く知られていないのは、第二の憲法と共に、1789年に、北西部条例の一時的な政府によって所有されていた土地が、その所有権において、新たに形成された米国/US政府に移された事です。北西部テリトリーの国境内の中に住んでいるアメリカ人達は、故に、新たなUS政府の法定の法律の対象と成る(唯一の)アメリカ人達でした。それ以外の、13の元々の州の自由な住人達は、それによってそれらが創造された最初の憲法とイングランドの習慣法のテリトリー的管轄の下のままでした。

アメリカの歴史のこの時代を、今日、そんなにまで重要にするのは何なのでしょう?その規約は一度も法的に(記述において)廃止されていないので、それらは上述された有機的法律によって有効のままで、連邦的に所有されていない土地の上に住む今日の自由な住人達の統治的な書類としてもまた、有効です。私達に決して伝えられて(教えられて)いないのは、驚きではありません。

これについて貴方は何故、関心するべきなのでしょう?法において「異なる物事は、同じでは無い」と言う確言があります。林檎はみかんでは無い、そうでしょう?

林檎:最初の憲法/地方分権化された幾つかの州/自主的な連邦への参加/イングランドの習慣法/良心/神に与えられた権利(人権)

みかん:第二の憲法/中央集権化された連邦政府/強要された労働/法定の法律/商業/人工の登録された権利(特権)

今日のアメリカにおいて、2つの完全に異なったテリトリー的管轄が同時に存在します。ジェファーソンが独立宣言の中で、王ジョージ3世が、新たなアメリカ人達を外国(クラウン・コーポレーション/英国王立企業)の管轄の対象にできないことについて言った事は、US政府とその「ふりをしただけの法登録の活動」と共に今日反響し、それが意味するのは、これ等の外国の管轄が、自由な住人達を、彼等に適応しない法律の対象にする事に実際に成功したと言う事です。(i.e.習慣法で統治されるべき人達が、管轄の異なる法定の法律で統治されている=違法。)

「彼はその他の者達と共謀し、私達を、私達の憲法と異なり、私達の法律に認識されない、管轄の対象にし;彼等のふりしただけの法登録に彼の承認を与えました。」

Federally-Owned Lands
連邦に所有された土地

連邦の土地の所有権は、連邦に所有された土地が北西部テリトリーの中だけだった時より変わり、それを超えて広がりました。今、「連邦のゾーン」は無視できない勢力です。政府の書類、「議会的調査サービス:連邦の土地所有権:概要とデータ、2012年」はこう報告します、「連邦政府は、約6億3千5百万から6億4千エーカー、米国の国土22億7千エーカーの28%を所有しています。」含まれているのは:

1. ディストリクト・オブ・コロンビア(首都/王立企業)
2. 州と郡の連邦ゾーンと土地管理局の土地
3. USのテリトリー
4. USと国外の軍事基地
5. 国外の大使館、退役軍人の病院、そしてUS郵便局
6. USの近隣水域
7. 国立公園
8. 殆どのUS空港所有物件

You Can’t Get There from Here
貴方は此処から其処へはいく事が出来ない

試み続ける者達にも拘らず、その連邦システムが壊れていて、直す事が出来ないと同意する人の数は増え続けています。法定の法律の中央集権化されたUS政府は、統一的な商業コード(UCC)によって統治された大々的な商業システムです。その様なシステムの強化と中央化の構造的デザインと機能原則を与えられると、権力はそれによっておのずと少数の手に集中します。商業システムの遠くに伸びるこれ等の原則が頑なに完全である限り、まともな改革の可能性はあり得ません。それは構造的に不可能です。

Libido dominante、権力への欲望は、ローマ帝国の創始者、オーガスタス・シーザーを描写するために2000年前に刻まれた言葉ですが、それは今でも人々を推進するもので、そして特に生活のとても多くが(人々と自然も含めて)商品化されているシステムにおいてもそうです。権力への欲望は、貴方がどう輪切りにしようとも、人々と場所に影響する、人間の振舞いの最低なものを解き放ちます。それぞれ一人一人として私達は、鏡の中を見つめ、不完璧な生き物として過失を認め、そして改善が根を張り始める事の出来る唯一の方法である、私自身を改善する事をおろそかにします。十分な数の私達が「権力者達」から有名人や子供達まで、自主的に利己を、良心を私達の生活原則として入れ替え、そしてどんな状況でも「正しい事」(利他)を行う意志を再主張すれば、唯一そうすればアメリカのために何か集合的に素晴らしい事が起こる事が出来るでしょう。

「権力は腐敗させると言われますが、実際により本当なのは、権力が腐敗させられやすい者達を引き寄せると言う事です。正気な人は大抵、権力以外の何かに引き寄せられます。」
- デーヴィッド・ブリン、著者


現在の自由な住人であるアメリカ人達はその規約の失われた権威の受取人に成りました。この統治的書類の継続された有効性を与えられると、個人、家族、そして組織団体は、彼等に適用されない(されるべきでない)US政府の法定の法律の外国/異種の管轄との関係を設定し直す様に試みる事が出来ます。個人的な自由と解放のルネッサンスが定着し保たれるのは、それが何故なら最初の憲法とそれが表象する全てに再び息吹が吹き込まれるからです。

どうか、私がこのエッセイで分かち合った情報を確認するために、貴方自身の調査をしてください。これが、アメリカン・ストーリーのもう一つの側面が、違いを成せる道で、貴方をひらめかせ勇気づけますように。貴方の優しい注目に感謝します。

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