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イエスを発案するための ローマの陰謀

Caesar's Messiah
The Roman Conspiracy
To Invent Jesus
皇帝の救世主
イエスを発案するための
ローマの陰謀
Joseph Atwill
ジョセフ・アトウィル著

前書き:

一般的なマインドにおいて、そして殆どの学者達のマインドにおいて、キリスト教の起源は明らかです:その宗教は、西暦1世紀初めの、ある急進的なユダヤ人の教師の、身分の低い信者達の運動として始まりました。幾つかの理由のために、しかしながら、私にはこの通説が腑に落ちませんでした。イエスの時代に信仰された神々の多くは、今現在、架空であったと考えられ、そしてイエスの存在を証明する考古学的な証拠は、1度も発見されていません。私の懐疑心に最も貢献したのは、イエスの信者達が彼等自身を一つの宗教に組織化しようとしていた、正にその時に、「右の頬を打たれたら、左を差しだせ、」「カエザル(皇帝)の物(税金)は皇帝に差し出せ」とその信者達に教えていた、正にその時に、もう一つのジュデア(パレスチナ)の宗教派閥が、ローマ帝国に対して、宗教戦争を仕掛けていたからです。この派閥、シカリイ派もまた、来るであろう救世主を信じていましたが、平和主義を主張する者達ではありませんでした。彼等は彼等を軍事的に導く救世主を求めていました。同時代のジュデアから、2つの対極的な正反対の形状のユダヤ的救世主主義が派生したのは、ありえない様に思えます。

これが何故、私がそんなに死海書の興味を持つ様に成ったかの理由で、そして私は10年以上に渡るそれらの研究を始めました。その他の多くの者達同様に、私はクムランで発見された2,000年前の文献から、キリスト教の起源についての何かを学ぶ事を期待していました。

私はまた、この時代の2つのその他の主要な文献である、新約聖書と、皇帝の家族の養子と成ったユダヤ人、フラヴィウス・ジョセフィスのユダヤの戦争の研究を始めました;私は(死海書の)巻物が、それらにどう関連するのかを判断出来る事を期待しました。これらの2つの文献を同時に読む間、私はそれらの間の関係に気付きました。イエスの宣教における特定の出来事は、ジュデアのユダヤ人達の反乱を平定しようと試みた、ローマ皇帝タイタス・フラヴィウスの軍事活動における出来事に、親密に平行している様でした。この関係を理解しようとした私の試みは、この本の題材である驚くべき秘密をあばく事に私を導きました:この皇帝的一族、フラヴィアン家は、キリスト教を創造し、そして、更により驚きなのは、この事実を後世に伝えるために、彼等が巧妙に、福音書(新約聖書)とユダヤの戦争の中に、ユダヤ人の風刺/皮肉を含ませた事です。

フラヴィアン家の王朝は、西暦69年から96年まで続き、この時代は殆どの学者達が、福音書が書かれたと信じる時代です。それは3人の皇帝達によって構成されました:ヴェスパシアンと彼の2人の息子達、タイタスとドミティアンです。その家族に受け入れられ、ユダヤの戦争を記述したフラヴィウス・ジョセフィスは、彼等の公式な(お抱えの)歴史家でした。

彼等の創造した風刺/皮肉は見つけるのが困難です。もしそうでなければ、2000年の間、気付かれないままでは無かったでしょう。しかしながら、読者達には自分自身で判断してもらいたいのですが、フラヴィアン家が私達に残したパス(通り道)は鮮明なものです。それを歩くのに本当に必要な全ては、先入観に囚われない開けたマインドです。ですが何故、そうすると、イエスとタイタスの間の皮肉的関係は、以前には気付かれなかったのでしょう?この問いは、彼等の風刺/皮肉を明かす文献 - 新約聖書とジョセフィスの歴史的文献が - 文献の中で恐らく最も研究されたものであるので、特に当てはまります。

私が提供出来る唯一の説明は、福音書を風刺/皮肉として見る事は - つまり、(歴史とは対照的に)人間の愚かさがあざ笑われる、文学的な(架空の)構成として見るには - その読者が、深く刻まれた信念(通説)に矛盾する事を必要とすると言う事です。一度、イエスが世界的に、歴史上の人物であると、統一的に確立されてしまうと、その他の可能性は、明らかに、目に見えなくなってしまいました。私達が世界的に、イエスが歴史上の人物であると信じれば信じる程、その他の方法で私達が彼を理解する事が出来なくなりました。

何故、フラヴィアン家がキリスト教を創造したのかを理解するためには、救世主主義のユダヤ人の運動であったシカリイ派の、彼等(フラヴィアン家)に対する敗北に続いて、西暦74年にジュデアにおいて、その一族が面した政治的状況を、私達は理解する必要があります。

最終的にジュデアにおけるフラヴィアン家の支配に繋がった行程は、ユダヤ文化とギリシャ文化の間の、より広く、より長い苦闘の一部でした。一神教と信仰に基づいたユダヤ文化と、多神教と理論主義を促進したギリシャ文化は、単純に相いれないものでした。

ギリシャ文化は、紀元前333年に、アレクサンダー大王がその地域を征服した後に、ジュデア(パレスチナ)に広まりました。アレクサンダーと彼の後継者達は、商業と行政の中心として、彼等の帝国を通して街々を確立しました。ジュデア自体の中にも、彼等は30以上のギリシャ人の街を造りました。ジュデアの人々は、外的な影響への彼等の歴史的な抵抗にも拘らず、彼等の文化にギリシャ人支配層の特定の特徴を取り入れ始めました。多くのセム人(土着パレスチナ人)は、もし必然ではないにしても、ギリシャ語を話すのは好ましいと思いました。裕福なユダヤ人達は、彼等の息子達のために、ギリシャ的教育を求めました。ジムナシア(学校)は、ユダヤ人の生徒達にギリシャ神話、スポーツ、音楽、そして芸術を教えました。

アレクサンダーの精鋭隊の指揮者であったセレウカスの子孫、セレウシッド家は、紀元前200年に、アレクサンダーのもう一人の将軍の子孫であったプトレマイオスから、その地域の支配権を得ました。紀元前169年に、アンティオクス4世(または彼が好んだ様に、神の現れを意味するエピファネス)が、セレウシッド家の当主に成った時に、ジュデアの悪夢は始まりました。

アンティオクスは公にユダヤ文化に対して軽蔑的で、ユダヤの宗教と文化を近代化する事を欲しました。彼は彼の政策に協力的な高神官を任命しました。紀元前168年に、ギリシャ化に対する反乱が起こると、アンティオクスは彼の軍隊にエルサレムを攻撃する事を命じました。マカビー書第二巻は、その戦いで倒れたユダヤ人の数を40,000人と記録し、更に40,000人が捕えられ奴隷化されたとします。

アンティオクスはその寺院の財源を空にし(略奪し)、最も神聖な聖域を汚し、そして彼のギリシャ化政策を激しくさせました。彼はヘブライ的カルト(信仰)の儀式が、ギリシャ的信仰に入れ替えられる事を命じました。彼は割礼と生贄を禁止し、毎月彼の誕生日が祝われるように法定し、ゼウスの像を寺院の丘に設置しました。

紀元前167年、ユダヤの宗教的狂信者の一族、マカビ―家は、アンティオクスのギリシャ的風習と宗教の強要に対する革命を指導しました。彼等は神の聖地において、神に命令されたと彼等が信じる宗教を、権力に再び返り咲かせる事を求めました。マカビ―家は、彼等が征服した街々の住人達に、ユダヤ教に改信する事を強要しました。男性達は割礼される事を許すか、または殺されました。20年の戦いの後、マカビ―家はセレウシッド家に対して勝利しました。マカビ―書第一巻を引用すると、「ジェンタイル(非ユダヤ)の首かせは、イスラエルから外された。」(13:41)でした。

マカビ―家はイスラエル(パレスチナ)を100年以上支配しましたが、彼等の王国は決して安泰ではありませんでした。その地域へのセレウシッド家からの危険は、ローマからのより大きなものに入れ替わりました。ローマの帝国主義とギリシャ文化は常に、マカビ―家が確立した宗教的国家を飲み込む事で脅かしました。紀元前65年、王座を争うマカビ―家の2つの派閥の間で、市民戦争が勃発しました。へロッドの父である、エドム族のアンティパターがその場面に現れたのはこの時です。アンティパターはその市民戦争において、ローマの仲裁をもたらす手助けをし、そしてポンペイが彼の特使スカウルスをローマ軍と共に送った時、それはマカビ―家の宗教国家の終わりの始まりを印しました。

それに続く30年間(紀元前65-37年)、ジュデアは次から次に起こる戦乱に苦しみました。紀元前40年、マカビ―家の最後の支配者、マタシアス・アンティゴヌスがその国の支配を掌握しました。この時代に成ると、しかしながら、へロッドの一族が、その地域におけるローマの代理(傀儡)としてしっかりと確立され、ローマの補助と共に、マタシアスの軍を破りジュデアの支配を得ました。

マカビ―国家の崩壊に続き、ローマとへロッド家に抵抗する新たな運動である、シカリイ派が派生しました。これは身分の低いユダヤ人の運動で、元々ジーロッツ(狂信者達)と呼ばれ、外人によるジュデア支配に対するマカビ―の宗教的戦いを続け、「エレッツ・イスラエル」を再建国する事を求めました。

シカリイ派の努力は、西暦66年に、彼等がその国からローマ勢力を追い出す事に成功した時に絶頂期を迎えました。皇帝ネロは、ヴェスパシアンに大軍と共にジュデアに入り、その反乱を終わらせる事を命じました。続いた激しい戦いはその国を荒廃させ、西暦73年にローマがマサダを占領する事で完結しました。

ジュデア戦争のさなか、フラヴィアン家に忠実な勢力が、ジュリオ-クラウディアン系の最後の皇帝、ヴィテリウスに対して反乱し、そして首都を制圧しました。ヴェスパシアンは皇帝として宣言されるためにローマに戻り、反乱を終わらせるために彼の息子タイタスをジュデアに残しました。

その戦争に続き、フラヴィアン家は、エジプトとシリアの間のこの地域を、ギリシャ化したユダヤ人の2つの強力な家族達を共に分かち合いました:へロッド家とアレクサンダー家です。これらの3家族は、未来の反乱を防ぐ事に、共通の金融的関心を分かち合いました。彼等はまた、皇帝クラウディウスの母、アントニアの一族まで遡る、長く存在し複雑な個人的関係(親族)も分かち合いました。西暦45年頃、アントニアは、アレクサンドリアのユダヤ人のアバラーク、または支配者、ジュリウス・アレクサンダー・リシマルクスを、彼女の金融的管理人として雇いました。

ジュリウスは、ギリシャ的ユダヤ文化の代表的なインテリ的人物、ファイロ・ジュデアスの兄でした。ファイロの記述はユダヤ文化とプラトン的哲学を融合しようと試みました。彼の文献は、福音書の記述者達に、幾つもの彼等の宗教的、哲学的観念を供給したと学者達は信じます。

アントニアの個人的な秘書、カエニスはまた、ヴェスパシアンの長期的な愛人でもありました。ジュリウス・アレクサンダー・リシマルクスとヴェスパシアンは故に、アントニアの家庭との関係を通してお互いに知り合いでした。

ジュリウスには2人の息子がありました。兄は、マルコスで、十代の内にへロッドの姪、ベルニスと婚姻し、アレクサンダー家と、ジュデアのローマに後ろ盾された支配一族、へロッド家の絆を創造しました。マルコスは若くして亡くなり、ベルニスは最終的に、ヴェスパシアンの息子タイタスの愛人に成りました。ベルニスはそれによってフラヴィアン家と彼女の最初の夫の一族、アレクサンダー家を、彼女の一族、へロッド家に結び付けました。

ジュリウスの若い方の息子、タイベリアス・アレクサンダーも、その家族達のもう一つの重要なリンクでした。彼の兄、マルコスの死後、彼は彼の父の土地全部を相続し、世界で最も裕福な人の一人に成りました。彼はユダヤ教から改信し、ユダヤに対する戦争においてフラヴィアン家を補佐し、へロッド家同様に、資金と軍を提供しました。タイベリアスは、皇帝としてのヴェスパシアンへの連合を最初に公式に宣言した人で、それによってフラヴィアン王朝を始める助けをしました。皇帝の役割に就くために、ヴェスパシアンがローマに戻った時、彼は、エルサレムの破壊において彼の息子タイタスを補助する様にタイベリアスを残しました。

その3家族は反乱を抑える事は出来たけれども、彼等は未だに危険の可能性に面していました。多くのユダヤ人達は、デーヴィッドの息子である救世主を神が送り込み、ジュデアの敵に対して彼等を導くと信じていました。ローマに対する戦いでシカリイ派を「最も勢いづけた」のは、神の信者達を軍事的勝利に導くイスラエルの救世主を神が送り込むと言う信仰だったとフラヴィウス・ジョセフィスは記録します。フラヴィアン家、へロッド家、そしてアレクサンダー家は、ユダヤの反乱を終わらせる事は出来ましたが、ユダヤの反乱者達の救世主的宗教を破壊する事は出来ませんでした。その家族達は、来るであろう戦士的救世主への彼等の信仰を通して、未来の反乱を鼓舞する事から、ジーロッツ(狂信者達)を妨げる方法が必要でした。

するとこの内輪の中の誰かが閃いて、それは歴史を変える事に成りました。救世主的ユダヤ教を飼い馴らす方法は、単純にそれを、ローマ帝国に協力する宗教に変格させる事でした。この目的を達成するには、新たな種の救世主的文献が必要でした。故に、私達がキリスト教の福音書(新約聖書)として知るものが創造されました。

歴史的に珍しい収束において、フラヴィアン家、へロッド家、そしてアレクサンダー家は、キリスト教の創造と実施のために必要な要素を一つにもたらしました。彼等にはシカリイ派の軍事的宗教を入れ替える金融的動機、福音書を創造するために必要なユダヤ教と哲学の専門知識、そして宗教を実施するために必要な知識と官僚制度がありました(フラヴィアン家はキリスト教以外の数々の宗教を創造し管理しました)。加えて、これ等の家族達は、キリスト教的集会が最初に始まった領土的な場所の、絶対的な支配者達でした。

福音書を産出するためには、ユダヤ的文献の深い理解が必要でした。その福音書は単純に古い宗教の文献に入れ替わるのではなく、キリスト教はユダヤ教の預言の達成である事を証明する方法で書かれ、故にそれ(ユダヤ教)から直接発達したとされなければなりませんでした。この効果を達成するために、フラヴィアン家(お抱え)のインテリ達は、ユダヤの文献を通して使用される技術 - タイポロジーを使用しました。その最も基本的な感覚においてタイポロジーは、単純に続く出来事のための形状と文脈を供給するために、以前の出来事を使用する事です。もし人が絵画のために(モデルとして)座ると、例えば、彼または彼女はその絵の「タイプ(典型)」で、それが基になるものです。タイポロジーはユダヤ的文献を通して、一つの話しからもう一つへ、情報と意味を伝達する方法として使用されます。例えば、エステルの書は、創世記の書のジョセフの話しから典型的場面を使い、そうする事によって注意深い読者は、エステルとモーデチャイが、神の媒体としてのジョセフの役割を繰り返していると理解するでしょう。

ジョセフの美と英知を通してエジプト政府の高い地位に昇る。
エステルの美と英知を通してペルシャ政府の高い地位に昇る。
ジョセフの善い行い(執事の夢の解釈)は長い間、忘れられる。
モーデチャイの善い行い(王の命を救う)は長い間、忘れられる。
聞く耳を貸さない特徴 - 
「彼女は毎日ジョセフに話しましたが、彼は聞く耳を持ちませんでした。」(創世記38:10)
「彼等は彼(モーデチャイ)に毎日伝えましたが、彼は聞く耳を持ちませんでした。」(エステル3:4)
ファラオの主任従者が首から吊るされる。
王の主任従者が首から吊るされる。
宴の後に、ジョセフは彼の正体をファラオに明かす。
宴の後に、エステルは彼女の正体を王に明かす。

福音書の著者達は、それ以前のヘブライの預言者達の人生からの出来事が、イエスの人生からの出来事のタイプ(典型)であると言う印象を創造するために、パイポロジーを使用しました。そうする事によって、彼等は、彼等のイエスの話しが、ヘブライの預言者達と神の間に存在した神聖な関係の継続であると、彼等の読者達を説得しようと試みました。

福音書の正に初めに、その著者達はイエスとモーゼスの間のはっきりと鮮明なタイポロジー的関係を創造しました。その著者達は、新約聖書の本当の意味がどう明かされるかを読者に示すために、この継続性を彼等の働きの最初におきました。

この継続性は、「新たなイスラエル」を体現するイエスをエジプトに連れてきたとジョセフが描写されるマタイ書2:13に始まります。この出来事は、以前の(旧約聖書の)ジョセフが「老いたイスラエル(ヤコブ)」をエジプトに連れてくる創世記45-50に平行します。

その福音書の著者達は、彼等のジョセフと以前のものを、同一の名前とエジプトへの旅で関連させただけではありません。新約聖書のジョセフは、ヘブライの聖書の彼の反対部分と同様に、夢見る夢人で、星々と賢者達に出会った人と描写されます。

ジョセフのエジプトへの旅に関する両方の話しは、すぐさま無実の者達の惨殺の描写に続かれます。無実の者達の惨殺に関する話は、正確な平行線ではありません。イエスは、例えば(モーゼスの様に)、ヨルダン川の上のボートに乗せられそしてその後に、へロッドの娘に養子にされたりしません。ユダヤ的文献で使用されたタイポロジーは文字通りの引用や描写を必要とせず、むしろ、その著者達は、典型として使われている出来事から、描写されているものが、以前の出来事に関連していると読者に連想させるのに十分なだけの情報を持たせます。この件において、それぞれの無実の者達の惨殺の話しは、恐れをなした暴君による小さな子供達の惨殺を描写しますが、イスラエルの未来の救世主は救われます。

新約聖書の著者達は、それから一人の天使がジョセフに、「小さな子供の命を求めた彼等は死した」(マタイ2:20)と伝えさせる事によって出エジプト記を鏡写しします。この明言は、出エジプト記12:「汝の命を求めた男達は死した」という、最初のイスラエルの救世主であるモーゼスにされた明言の明らかな平行線です。その平行線は続き、イエスが洗礼を受ける(マタイ3:13)は、出エジプト記14でイスラエライツが受ける洗礼の描写の鏡写しです。次に、イエスは40日間砂漠で過ごしますが、それはイスラエライツが荒野で過ごした40年の平行です。その砂漠における旅の両方に含まれるのは3つの誘惑です。出エジプト記において、誘惑されるのは神で;福音書ではそれはイエスで、神の息子です。

出エジプト記の中で、神を誘惑するのはイスラエライツです。彼等は最初に彼にパンをすがる事によって彼を試し、その時彼等は「人はパンのみに生きるのではあらず」(出エジプト記16)と学びます。2度目はマッサーにおいてで、其処で彼等は「神を惑わすべからず」(出エジプト記17)と伝えられます。3度目の機会は彼等がシナイ山で黄金の子牛を造る時(出エジプト記32)で、「汝の神である主を恐れ、彼唯一に奉仕せよ」と学びます。

イエスの3つの誘惑は悪魔によるもので、彼の対応が見せる様に、イスラエライツによる神の誘惑の鏡写しです。彼の最初の誘惑(マタイ4:4)に、彼はこう答えます、「人はパンのみに生きるのではあらず。」2番目(マタイ4:7)には彼はこう答え、「汝は、汝に神、主を惑わすべからず。」そして3番目(マタイ4:10)には彼はこう答えます、:「汝は汝の神、主を崇拝し、そして唯一彼のために汝は奉仕せよ。」

イエスとモーゼスの間の平行線は、タイポロジー的であり文字通りではありませんが、これらの出来事が起こる順序は同じです。これは間違いなく偶然では無く、イスラエルの最初の救世主であるモーゼスが、イスラエルの第二の救世主であるイエスの典型であると言う証拠です。

旧約聖書
創世記45-50 ジョセフは古い(老いた)イスラエルをエジプトに連れていく
新約聖書
マタイ2:13 ジョセフは新たなイスラエルをエジプトに連れていく
旧:出エジプト記1 ファラオが少年達を惨殺する
新:マタイ2:16 へロッドが少年達を惨殺する
旧:出エジプト記4 「全ての男達は死した・・・」
新:マタイ2:20 「彼等は死した・・・」
旧:出エジプト12 エジプトからイスラエルへ
新:マタイ2:21 エジプトからイスラエルへ
旧:出エジプト14 水を通る(洗礼)
新:マタイ3:13 洗礼
旧:出エジプト16 パンによる誘惑
新:マタイ4:4 パンによる誘惑
旧:出エジプト17 神を惑わすべからず
新:マタイ4:7 神を惑わすべからず
旧:出エジプト32 神のみを崇拝せよ
新:マタイ4:10 神のみを崇拝せよ

イエスをイスラエルの新たな救世主として確立するマタイ書のタイポロジー的順番は、学者達によく知られています。広く認識されていないのは何かと言うと、その話がまた新約聖書の著者達の政治的な考え方を明かす事です。ヘブライの聖書で神を誘惑するのはイスラエライツですが、その平行線である新約聖書の話しで彼等の代わりに成るのは悪魔である事に注目して下さい。このイスラエライツと悪魔の同一視は、救世主的ユダヤ人を、彼等はデーモンであるとしたフラヴィアン家の思考と一致します。

加えて、その平行線的順番が証明するのは、福音書がインターテキスト的(文章間的)に読まれる事をデザインされていて、つまり、聖書のその他の本との直接の関係においてです。これは、典型に基づかれた文献が理解される唯一の方法です。言葉を変えると、イエスの幼児期に関する例が描写する様に、福音書の意味を理解するためには、読者はマタイ書の中の観念、順序、そして場所は、それらの文脈が既に確立された、創世記と出エジプト記の観念、順序、そして場所に平行していると認識しなければなりません。

ユダヤ的文献からの場面を、イエスの布教における出来事の典型として使う事によって、その著者達は、その福音書が、シカリイ派の反乱を鼓舞したヘブライの文献の継続であり、故に、イエスは神が彼等に送ると反乱者達が期待していた救世主であると、彼等の読者達を説得する事を期待しました。この方法において、救世主は既に現れたので、もうこれからは現れないとする事によって、彼等は救世主的ユダヤ教の反乱を生み出す力を削ごうとしました。更に、その軍事的指導者はシカリイ派が期待していた人種差別的な救世主ではなく、むしろ多文化主義的で、彼の支持者達に「右の頬を打たれたら左を」と勧めた人でした。

もし福音書が唯、軍事的な救世主的運動を、平和主義的なもので入れ替えただけだとしても、それは歴史上最も成功的なプロパガンダの一部であったでしょう。ですがその著者達は更にもっと欲していました。彼等は単にジュデアの宗教的戦士達を宥めたかったのではなく、彼等に皇帝を神として崇拝させたかったのです。そして彼等は後世に、彼等がそうした事を伝えたかったのです。

ローマの支配下の住人は、彼等が望む何でも崇拝する事を許されましたが、一つの例外がありました:彼等は彼等の寺院において、皇帝が崇拝される事を許さなければなりませんでした。これは一神教的なユダヤ教では両立しがたい事でした。西暦66-73年の戦争の終わりに、タイタスがどれだけシカリイ派を拷問しようとも、彼等は彼を「主」と呼ぶ事を拒んだとフラヴィウス・ジョセフィスは記録しました。ユダヤの宗教的頑固さを迂回するために、フラヴィアン家はその信者達が知らず知らずに皇帝を崇拝している宗教を創造したのです。

これを達成するために、彼等は平行線的観念、順序、そして場所を、イエスとモーゼスをリンクさせるために使った様に、同じタイポロジー的手法を使用しました。彼等はイエスの布教全体を、タイタスの軍事活動の「典型」として創造しました。言い換えると、イエスの布教からの出来事は、タイタスの活動からの出来事と平行線的です。これらのタイポロジー的場面が偶然では無い事を証明するために、その著者達は、それらがタイタスの活動の中で起こったのと同じ順序と同じ場所で、福音書の中に収めました。

その平行線の場面は、表面に現れるものとは異なった、もう一つの話しの線を創造する様にデザインされました。このタイポロジー的話の線が明かすのは、磔の後に弟子達と対話したイエスは、キリスト教徒達が2,000年知らず知らずに崇拝した実際のイエスは、タイタス・フラヴィウスだった事です。

キリスト教のフラヴィアン家の発案の発見は現在の時代の最初の1世紀全体の新たな理解を創造します。その様な啓示には困惑させられるでしょうが、この研究が表わす新たな歴史を理解するには、読者は以下の要点を便利と考えるでしょう。

・キリスト教はジュデアの低い身分の人達から起因しませんでした。それはローマの帝国的一族、フラヴィアン家の創造(捏造)でした。
・福音書はユダヤ的救世主の信者達によって記述されたのではなく、3人のフラヴィアン家の皇帝達、ヴェスパシアンと彼の2人の息子達、タイタスとドミティアンを囲む、インテリの内輪によって書かれました。
・福音書はローマ人とユダヤ人の間の西暦66-73年の戦争の後に書かれ、そしてイエスの布教の出来事の多くは、その戦争からの出来事の風刺/皮肉的描写です。
・キリスト教の目的は抑制でした。それはジュデア(パレスチナ)における国家主義的で軍事的救世主運動を、平和主義的でローマの支配を受け入れる宗教で入れ替える様にデザインされました。

私はこれらの発見を過去数年を超えて発達させましたが、幾つもの理由でその公表を遅らせてきました。私はもうキリスト教徒ではありませんが、その全体として、キリスト教には社会的価値があると考えます。私は勿論、多大な害の原因に成る様な研究は公表する事を望みませんでした。更に、私はその発見の本質が非キリスト教徒にさえ、何らかの陰的な影響をもたらすかも知れないと気付いていました。私は私達の時代の皮肉主義には貢献したくありませんでした。

それと同時にこの情報が多くの人にとって価値がある事も私は解っていました。最終的に、これ等の発見を公表しない事についての私の心配が、単純に可能な衝撃への私の恐れを乗り越えました。ですから、2,000年の間違った解釈の後に、この研究の中で福音書の新たな意味が明かされます。このページをめくる事で、読者達は新たな世界に入るでしょう。私はもしそれがより良い世界なのかは知りません。私が唯一知るのは、私がそれはより真実な世界であると信じると言う事です。
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