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イエスの血脈と聖杯伝説

M.ペイジェント、H.リンカーン著
『レンヌ=ル=シャトーの謎
――イエスの血脈と聖杯伝説』(柏書房)を読む


「・・・すでに世界で5000万部、日本で400万部という超ベストセラーになり、もうすぐ映画も公開される、『ダ・ヴィンチ・コード』。その“原作”ともいえるのがこの本、『イエスの血脈と聖杯伝説』 The Holly Blood and the Holly Grail です。ネタ本に使ったのだから、売り上げをよこせ!という裁判ですが、『ダ・ヴィンチ』の中でちゃんとこの本のことが紹介されていますし、『ダ・ヴィンチ』を読んだ人たちが、次にこの本に手を出すのは自然のなりゆき。

「どうもこの裁判は、ニュースにすることで本の売り上げを伸ばそうとする、巧妙な宣伝だったようです。かくいう私も、彼らの宣伝にうまく乗せられ、読んでしまいました。そして、どうにも出口が見つからないほど、ハマってしまいました。おもしろすぎる。

「『ダ・ヴィンチ・コード』の内容については、まだ読んでない人のために、ここではあえて紹介しません。売れる本というのは、こう書くのか…と感心しました。物語が多重構造になっていて、誰が読んでもそれなりにおもしろい。西洋史の知識がまったくない日本の中学生が読んでも、犯人探しのサスペンス物として楽しめるし、大学で西洋史を専攻したような人でも、違う意味でわくわくできる。キリスト教に興味がある人は、気になって仕方がないし、西洋美術に興味がある人も、もちろん楽しめる。みんな、おもしろいと思う部分は違うのに、とにかくだれもが、「おもしろい!」と思う。そういう本です。

『ダ・ヴィンチ』はフィクションですが、こちらの『聖杯伝説』のほうは、ノンフィクション。膨大な注釈と引用文献がついて、学術書の体裁をとっています。邦訳本で本文だけでも500ページあるので・・・」

「というのも、イエスはせいぜい紀元前7~4年に生まれたといわれている人で、滅茶苦茶古い時代の人というわけではない。

 「それなのに、イエスが神さまで、それと続き物になっている最後の審判、死者の復活などは、どう考えても古代エジプト臭いではないか。

 「影響を受けたとしても、時代錯誤的すぎはしないか?

 「おかしい、変だとずーっとわたしは弱い頭を悩ませ続けてきたのだった・・・」

http://knizky.mahdi.cz/59_Baingeth_Leigh_Lincoln___Holy_Blood_Holy_Grail.pdf

1969年に、Cevennesでの夏休みに行く途中、私は一冊の単行本を気軽に買いました。ジェラルド・デ・セード著のMauditの宝物は、軽量級のミステリー小説で、歴史的事実、本当の謎、そして推理の娯楽的なブレンドでした。私がそのページの中のある奇妙で明らかな削除の上に躓かなかったら、それはその様な読書の、休暇後の忘却へと追いやられていたかも知れません。

題名にある「呪われた宝」は、明らかに1890年に、彼の教会から掘り出されたある暗号的文書の解読を通して、その村の神父に見つけられた様でした。これらの文書の2つの主張された文章は(小説に)載せられましたが、それらの中に暗号化と言われた「秘密のメッセージ」は記載されませんでした。その示唆する処は、解読されたメッセージが失われてしまった事でした。ですがしかし、私が見つけた様に、その本に載せられた文書の急いだ研究は、少なくとも一つの隠されたメッセージを明かしました。勿論、その著者も、それを見つけたはずです。彼の本を書くにおいて、彼は束の間の注意以上のものをそれに与えたはずです。彼は、故に、私が見つけたものを見つけたはずです。加えて、そのメッセージは「ポップ(一時的人気)な」単行本を売るために正に持ってこいの「証明」のくすぐり刺激する欠片でした。M.デ・セードは一体何故それを出版しなかったのでしょう?

アルビンジェンシアンの聖戦

Holy Blood, Holy Grail 49ページより:

西暦1209年、北部ヨーロッパ(ドイツ)からの約30,000人の騎士と歩兵達が旋風の如く、フランス南部のピレネー山脈の麓、ラングードックを訪れました。それに続く戦争で、その地域全体が荒廃され、収穫も破壊され、町や村は倒壊させられ、その人口の大体が切り殺されました。この駆除は、とても広く、とても酷い規模で起こったので、ヨーロッパにおける最初の「民族大虐殺」の一件と言えるかも知れません。ベジエアーの街だけでも、例えば、15,000人の男女と子供達が惨殺され - その多くは教会自体の中にいました。(そのドイツ軍の)幹部が(カトリック)教皇の代理に、異教徒と真の信者をどう見分ければ良いのかを尋ねた時、その答えは、「全て殺せ。神は彼自身の者(信者)を認識する。」でした。この引用は、広く報告されていますが、根拠は定かではないかも知れません。そうであっても、それはその惨劇が行われた狂信的な熱狂と血への渇きを典型します。その同じ教皇の代理は、ローマの(教皇)イノセント3世への手紙の中で、「年齢、性別、そして社会的地位にも関わりなく、誰も見逃されませんでした、」と誇らしげに報告しています。

ベジエアーの後、その侵略的な軍隊はラングードック全体を一掃しました。パーピニャンは陥落し、ナーボーンも陥落し、カーサソーンも陥落し、トゥルーズも陥落しました。そしてその勝者が通った処には、血と、死と、そして破壊を残しました。

この戦争は、40年近く続き、アルビジェンシアンの聖戦として知らられています。それはその言葉の本当の意味における聖戦でした。それは教皇自身によってもそう呼ばれました。その参加者達は、パレスチナの聖十字騎士団の如く、十字架をその上着の上につけました。そしてその報償は聖地の十字騎士団と同じで - 全ての罪からの免除、懺悔の罪滅ぼし、天国の約束された場所、そして彼等が略奪出来る全ての戦利品でした。この聖戦において、更に加えると、人は海を渡る必要さえありませんでした。そして、(中世の)封建制度に従って、人は40日以上戦う義務を負いませんでしたが - 勿論、(それは)その人が略奪に興味が無ければです。

その聖戦が終わった頃には、ラングーダックは完全に変格され、その他のヨーロッパを象徴した野蛮さへと転げ落ちました。何故でしょう?何のためにこの大混乱、残忍性、そして破壊は起こったのでしょう?

13世紀の初め、ラングードックとして知られる地域は、公式にはフランスの一部ではありませんでした。それは独立した公国で、その言語、文化、そして政治的体系は、(フランス/ヨーロッパ)北部よりも、リオン、アラゴン、そしてキャスティル王国といったスペインの国々と共通点を持っていました。その公国は、一握りの貴族の一族に統治され、その主要な者はトゥルーズの伯爵と、強力なトレンカーヴェルの王族でした。そしてこの公国の領土内に繁栄したのは、ビザンチンの例外を除いて、キリスト教の影響圏における最も先進的で高度な文化でした。

ラングーダックはビザンチンと多くの共通点を持っていました。例えば、教育は、ヨーロッパ北部とは対照的に、高く評価されていました。哲学とその他の知性的な活動は盛んで、詩と宮廷的愛が賞揚され、ギリシャ語、アラビア語、そしてヘブライ語が熱心に学ばれ、そしてルンネルとナーボーンでは - ジュダ主義の太古の秘儀的伝統である - カバラに献身した学校が繁栄していました。殆どの北部(ドイツ)の貴族達が自らの名前をサイン出来ない時代に、其処の(フランス南部の)貴族達は、読み書きが出来ました(当時、読み書きは神官階級/官僚の特権で、王族は読み書き出来ない無知だった)。

ビザンチン(東欧/ロシア)同様に、ラングードックは文明的で大らかで宗教的な寛容性を実施しましたが - それはヨーロッパのその他の地を象徴した狂信的な熱狂とは対照的なものでした。例えば、イスラムとユダヤ的思想の流行は、マルセールの様な海洋商業的な中心から、またはスペインからピレネー山脈を越えて輸入されました。と同時に、ローマの教会(ヴァチカン)はあまり尊敬されず、ラングーダックの聖職者達は、彼等の悪名高い汚職によって、主に周りの住人を遠ざける事に成功しました。例えば、30年以上も、ミサ(集会)が行われない教会さえもありました。多くの神父達は、(その教会の)会員達を無視し、ビジネス、または大きな土地を運営しました。ナーボーンのある大司祭は司教管区を一度も訪れませんでした。

教会の汚職が何であれ、ラングードックは、ルネッサンスまでヨーロッパで見られなかった文化の頂点まで達しました。ですが、ビザンチン同様に、後にその地域に襲い掛かった虐殺に、その地域を自己満足的で、退廃的で、そして悲劇的に弱くする要素がありました。ある程度の時間、ヨーロッパ北部の貴族(ゲルマン)とローマの教会(ヴァチカン)の両方が、この弱点に気付いていて、それを悪用したがっていました。その北部の貴族は長年、ラングードックの富と豪華さを欲しがっていました。そして教会はそれ自体の理由で関心を持っていました。まず第一に、その地域の権威は油断していました。そしてラングードックにおいて文化が繁栄する間 - 中世のキリスト教の影響圏における主要な異教である - 何か - もまた同時に繁栄しました。

教会の権威の言葉を使うと、ラングードックは「南部の汚れた梅毒」であるアルビジェンシアン(神秘主義)の異教に「汚染」されました。そしてこの異教の信者達は本質的に非暴力的でしたが、彼等はローマの権威に対する大きな危険を体現し、それは実に、その3世紀後にマーティン・ルーターの教えが宗教改革に至るまで経験しなかった危険でした。1200年に至ると、この異教が、ラングードックにおいて(原)キリスト教の主要な形状としてローマ・カトリックを上回る、主要な信仰に成る可能性が出て来ました。そしてその教会の眼にとって更に不吉だったのは、それ(宇宙神学/神秘主義)が既にヨーロッパのその他の地、特にドイツ、フランダース(ベルギー)、そしてシャンペーン(フランス)の都市部に広まっていっていた事です。

その異教徒達は、様々な名前で知られていました。1165年に、彼等はラングードックの街、アルビで、聖職的委員会によって非難判決されました。このため、またはアルビが彼等の活動の中心の一つであり続けたため、彼等は良くアルビジェンシアンズと呼ばれました。その他の機会では、彼等はキャサーズ、またはキャサーレス、もしくはキャサーリと呼ばれました。彼等はまた、頻繁に、もっと以前の異教徒達 - アーリア族、マルシオン族、そしてマニカエア族(マニ教?)とレッテルされ差別されました。

「アルビジェンシアン」そして「キャサー」は、本質的に包括的な名称でした。言葉を変えると、彼等はローマの様に、固定され文脈化された教義と神学の実体を持つ、一つのまとまった教会ではありませんでした。此処で問われる異教徒達は、幾つもの異なったセクトから構成され - それらの多くは独立的な指導者の下で指導され、その信者達はその指導者の名を名のりました。そしてこれらのセクトは特定の原則を分かち合ったかも知れませんが、その詳細においてお互いから極度に異なりました。加えて、私達の異教徒についての情報の殆どは、宗教裁判(魔女狩り)の様な聖職的な源泉から派生します。その様な源泉からそれらの絵を描こうとする事は、例えばSSとゲシュタポの報告からフランスのレジスタンス(抵抗)の絵を描こうとするようなものです。故に、何が実際に「キャサー的思想」を構成したのかの、まとまった確実なまとめを表すのは実質的に不可能です。

一般的に、キャサー達は宗教において、輪廻転生の教義と女性的な原理の認識を信仰していました。実に、キャサーの集会の司祭と教師達は、男女両方の性別でした。それと同時にキャサー達は、主流のカトリック教会を拒否し、全ての聖職的ヒエラルキー、全ての役人、そして人と神の間の任命された仲介の正当性を否定しました。この立ち位置の中核にあったのは重要なキャサーの教義で - 少なくとも教会が強要した「信仰」の拒絶でした。二番煎じ的に受け入れられたこの「信仰」の代わりに、自ら理解された宗教的または神秘的な経験の直接で個人的な知識を主張しました。この経験は、「知識」を意味するギリシャ語の言葉からグノーシスと呼ばれ、それはキャサー達にとって全ての信念や教義よりも優先的でした。神との直接的で個人的な接触にその様な強調が与えられると、神父、司祭、そしてその他の聖職的な権威は不必要に成ります。

キャサー達はまた二重主義者でした。全てのキリスト教的な思想は勿論、究極的には二重主義的で -善悪、霊と血肉、高低と言った2つの対峙する原則の間の闘争を主張します。ですがキャサーはこの二分性において、主流のカトリックが用意するよりも遥かに遠くに行きます。キャサーにとって人々はスピリット(霊)がそれを持って戦う剣で、その手は誰にも見えません。キャサーにとって、2つの妥協出来ない原則 - 光と闇、スピリットと物質、善と悪の間で、創造の全体を通して永続的な戦争が行われています。カトリックは一つの最高神を仮定し、その敵、悪魔は究極的に彼(神)に劣ります。キャサー達は、しかしながら、一つの神の存在では無く、多かれ少なかれ同等の地位を持った2つの神を主張しました。これらの神々の一つは - 「善き」もので - 全体的に重要で無くされ、純粋なスピリット的存在または原則で、物質的汚れで汚されていません。彼は愛の神でした。ですが愛は権力と全く矛盾すると考えられ、そして物質的創造は権力の現れと考えられました。故に、キャサー達にとって、物質的創造 - この世界自体が - 内因的に邪悪でした。全ての物質は内因的に邪悪でした。この宇宙は、簡単に言うと、邪悪の神である「横領の神」 - またはキャサー達が彼を呼んだ様に「レックス・ムンディ」、「世界の王」の手仕事でした。
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