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統一されたフィールドの秘密

1-unified.jpg

SECRETS OF THE UNIFIED FIELD
統一されたフィールドの秘密

The Philadelphia Experiment, The Nazi Bell, and Discarded Theory
フィラデルフィアの実験、ナチスのベル、そして見捨てられた(隠蔽された)理論


JOSEPH P. FARRELL
ジョセフ P. ファレル著


TABLE OF CONTENTS
目次


PART ONE:
第一部:
THE DISCARDED THEORY
隠蔽された理論


Preface
前書き      v


隠された歴史、物理学、そしてその2つの間の奇妙な相互関係の、数多くの異なった要素を研究した後に、私が終に、隠蔽された科学と科学技術の逸話の中の最も有名な話し:フィラデルフィアの実験に目を向けなければならなかったのは、恐らく必然でしたでしょう。何年も以前に、研究のこの道を辿り始めて以来、私は必然的に、それを扱わなければならないと知っていました。ですが、本音を語らせていただくと、私は多大な戸惑い(不本意)無しで、それを行ったとは言えません。

これは、その逸話が、私を関心させなかったとか、魅了させなかったと言うわけではありません。チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーのフィラデルフィアの実験:インヴィジビリテー(不可視)計画(の本)を私が購入し、少々、息を奪われ、麻痺させられた(仰天させられた)一読以来、その逸話は私をとりこにしました。その多くの読者達のためにそれが行った様に、その本は不完全性(物足りなさ)の感覚と共に私を残し、更にもっと知りたいと、私を残しました。明らかに、その逸話と共に、もっと言われる事、そして成される事が必用であり;バーリッツとモーアーでさえ、それ程多くを示唆しました。

ですがその後、その逸話に対する乱暴で、雑草の様で神話的な視聴(噂話)が派生しました。タイム・トラヴェルと新たな生活についてのノンセンスと共に、乗組員達と参加者達と主張される者達が出て来て、その正体(身元/実在)は、とても歪められていて、湾曲されていて、理解するために、物理学と家系図的な研究における二重の博士号(そして、恐らく精神医学における博士号がまた手助けに成ったでしょうが)その様な誰かを必要としました。この熱帯雨林的な(とても盛んな)増殖は、新たなプレーヤー達を含んだ、フィラデルフィアの実験の逸話の上に「モンターク計画」の神話全体を移植する事によって、全く助けられませんでした。これが唯一そのジャングル(混乱)に加えたのは、此処でその逸話が過去の生命、変格された意識、タイム・トラヴェル、そして反-重力を含んだだけで無く、意識の操作、誘導された精神分裂、ナチスの U-ボート(潜水艦)、そして親-ナチスのドイツ人の「入植者達(米国への移民達/ペーパークリップ)」を含むためで、その全ては、ロング・アイランド(i.e. ニュー・ヨーク)の東部に集中していました!

この新-グノーシス的なノンセンスの全ては、主張されたフィラデルフィアの実験について、長年に渡り多くのノートブックの中に記録された私の考えを、の形状において出版しようとする私の意欲に対する強い抑止力だったのは、その逸話自体の根源において、私が信じただけでなく、一般的な説明以上に、更にもっと単純で、センセーショナルでは無い成り行きにおいて真実で、そして更に、その正に簡単(単純)な特徴によって、元々の逸話の上に、誰かが植え付けようと試みた、更にもっとセンセーショナルで、庶民的な、無知の増殖でした。ですから、モンターク計画とか、アル・ビーレック(Al Bielek)とは、一体、何だったのでしょう?

しかしながら、その逸話についての元々の主張された事実が理解されると直ぐに、その後、そのセンセーショナルな要素が残るままであるだけでなく、主張されたタイム-トラヴェルしている個人達のあらゆるモンタークの神話は、それらの逸話と共に伝えられる事が出来るよりも、更にもっと恐ろしく、そして暗闇に成ります。これが何故なら、第二次世界大戦のるつぼ(真っ只中)において生れた、そのフィラデルフィアの実験が、奇妙で、暗号的で、そして殆ど「同時発生的な」方法において、その戦争からの隠蔽された科学と科学技術の、もう一つの同等に奇妙な逸話に対して関連しているためで:ナチスの「ザ・ベル」の機器の逸話です。従って、それらについての科学的な推理の内容に加えて、(それらの)逸話の両方をこの本は再検証します。この本は故にまた、ザ・ベルについての私の以前の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の中で述べられる事が出来なかった事を、フィラデルフィアの実験のコンテキストにおいて述べるための、ナチスのベルの逸話を新たに見直す再検証なのは、理論的にその2つの実験の間には強い関連性が実際にあるかも知れないため、またはもっと上手く言えば、一つの理論、一つの見捨て去られた(隠蔽された)理論においてであるためです。

本文の中で目撃される様に、その2つの実験が比較された時に、平行線の奇怪で殆ど皮肉的な一連が台頭し、そして間違いなくそれらの皮肉の最も奇妙な一つは、彼等の船(海軍)を共にしたアメリカ人達が、とても少数の例外を除いて - 彼等が発見したもののために探していたのではなく、彼等がそれを発見した時に、彼等が発見したものが何であったのかを知らず、そして彼等が発見した後に、それと共にどうすれば良いのかを知らなかったからです。彼等のザ・ベル – そして私達がこれから発見する様に、(それに)類似した機器と共に - ドイツ人達は、対照的に、彼等が発見したもののために探していただけでなく、彼等は、多かれ少なかれ、どの様にして探すかを知っていて、そして彼等がそれを発見した時に、それと共に彼等がどうしたかったのかを知っていました。彼等はそれを兵器化する事を求めていました。もし彼等の側に推定があったとしたら、それはアメリカ人達にとってそうであった様に、予期されていなかった非-直線的(非線形/渦巻き)の効果の偶然的な発見においてでは無く、それは(当時)利用可能な科学技術が、理論的な概念の、革新的で、実験的な確認から、実用的で、開発可能な兵器へと移行させる役割に十分であると言う、彼等(ドイツ人達)の自信においてでした。故に、その構図は「技術不足のアメリカ人達」対「優秀なナチス」の一種では無くむしろ、両方の側における優秀さと、同時に特定の推定と自信過剰の構図です。

どの様な場合であれ、この本の本文の中で目撃される様に、ザ・ベル計画と供に拘わったドイツ人の科学者達は、彼等が見たい(検証したい)と思った処(科学技術)を検証出来るために、特定のユダヤ人の物理学者達のアイデアを論議する、または探求する事のナチスの禁止を多少、「誤魔化し」、そしてそれら(ユダヤ人達のアイデア)を、綺麗に型どられ、公式にされた、ナチスの制服で偽装(カムラースターブ)しなければなりませんでした。そしてもし、その売り込みの掛け声が失敗したなら、彼等はそれでもユダヤ人の物理学者達の未完成の理論に対して「純粋でアーリア的な」その他の選択肢を有していて、(その)選択肢は量子力学において基づいておらず、それは、それら自体の正当性において、より高い次元的な「統一されたフィールド」理論でした。そして私達がまた発見する様に、それらのより高い次元的なアプローチ(対処の仕方)は、そのユダヤ人の物理学者が一般相対性理論の彼の有名な理論に見切りをつけ、そして更にもっと完全で、理論的に満足のゆく何かを求めるための、究極の鼓舞でした。彼はそれを発見し、そして1928年において公表し、そしてそれを統一されたフィールド理論と呼びましたが、その理論は究極的に物理学が見捨てた(隠蔽した)理論で、そしてそれにおいてもまた、逸話があります。

この本は故にまた、その見捨てられた(隠蔽された)理論についてで、そしてどうして、その戦争の正反対の側の2つの戦闘員達(ナチスと連合軍)によって行われていた実験である、第二次世界大戦の最も奇妙な実験の2つを奇妙にも統一させるのかです。その逸話は、その理論がどの様に台頭し、何故とても可能性が高い様に現れ、そしてナチスにとって、とても兵器化可能だったのに、何故、その戦争の後に、技術開発可能な実験のための土台として、殆ど完全に消え去った(隠蔽された)のかについてです。実際に、もし不完全な理論だとしても、電気的に技術開発可能なものとしてのその消失は、その実験自体と同等な程奇妙で、そしてこれは、恐らく誰かが、その理論的な「不完全さ」は別にした、その他の理由のために、その理論が消滅する事(隠蔽する事)を望んだと言う疑いを浮上させます。

更にもう一つの皮肉的な平行線において、その理論と2つの実験と共に関連した科学技術はまた、その戦争の後に単純に消失し、そして奇妙にも、何十年も過ぎるまで、それらについては一言も聞かれませんでした。何年にも渡り、それらに少しでも類似している実験は全く行われず、そしてそれらが行われた時には、それらが正確に評価される事が出来たかも知れないその戦時中の背景(データ)は既に長く消失していた、または、ナチスと、彼等のベルの機器の場合、必要な弾丸(i.e. 暗殺)、記されていない大量の墓、行方不明の SS の将軍達、そして行方不明の大規模な巨大輸送(飛行)機の後、意図的に埋められ(隠蔽され)、その全ては、誰かがその科学と科学技術を隠蔽し、それを抹殺し、公共の監視と分析のあらゆる可能性からそれを永遠に排除する事を望んだ事の、明らかで鮮明な示唆です。

ですが、この統一されたフィールドの方程式のアメリカ側はどうだったのでしょう?それはどの様に埋められた(隠蔽された)のでしょう?恐怖、官僚的な緩慢、その他の理論の約束(可能性)、陰謀・・・恐らくそれらの全てが役割を果たし、そしてそれらの幾つかはこの本の中で検証されるでしょう。これに関して、恐らく、それらの合理的な結論へと、物事を解釈しようと続ける好奇心の多い人達を妨げるために、フィラデルフィアの実験において関わったとされるアメリカ人の科学者達の幾らかに因んで名付けられた物理的な効果(作用)が、その科学者達の名前との関係において、名前を変えられた、または単純に物理学の教科書(参考書)の中で全く記述さえされていないのは、それらの2つの実験にまつわる、それらの奇妙な皮肉の一つでしょう。その科学者達の名前は、テスラ-の様に、主要な文書(教科書/参考書)から殆ど完全に削除されました。人は大学の授業(講義)の中で、ビーフェルド(Biefeld)-ブラウン効果、または電気的な回路(circuits)のクロンのテンサー(テンソル)分析、そしてその見捨てられた理論の示唆を殆ど聞く事はありません。実際に、クロンの先駆者的な研究に関係すると共に、図書館制度の貸し出しを通した回転している電気的な機械のテンサー分析についての彼の論文を得ようとする私の試みにおいて、私の図書館員からの奇妙な対応をもたらし:そのクロンの研究は、個人的な大企業(財閥)の図書館である、唯一の図書館から唯一借りる事が可能で、そして単純に貸し出しするために、1,200ドルの費用が必要で何よりも効果的な隠蔽の方法でした!最後に、オルタナティヴな研究のコミュニティー(i.e. 私達)が、あたかも願望的(好き勝手)な考え方の形状に乗っ取られたかの様に、人はフィラデルフィアの実験の殺傷的で、兵器化可能な効能について殆ど聞きません。

その後者に関して、グレート・ピラミッドについての私の最初の著書の出版、そして更に最近のザ・ベルについての私の以前の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の出版以来、私はある傾向に気付きました。その傾向は、どちらの場合においても、それらの物事が兵器として考えられたと言う私の主張を全く過小評価する、または単純に無視する、もしくは理解出来ないふりをするものでした。私が継続的に驚かされた様に、私の最初の著書の出版以来、私は接触の一貫的な流れを受け取りました。友人達、ファン達、知り合い達からの E-メールや手紙は頻繁に - その幾つもの本自体において私が行ったよりも更にワイルドで - それら(の本)が彼等(読者達)に対して体現した、「タイム・トラヴェル」や、「次元的なポータル(出入り口)」、そしてその他の可能性についてでした。この本の中で私は、少なくともザ・ベルと、ナチスのブラック(闇予算)の計画の兵器庫(ふところ)の中のその関連物は、それらの物事(タイム・トラヴェルや次元的なポータル)として全く考えられなかったと再検証する事によって、その様な解釈を思いとどませる事を望みます。それは、兵器化の土台としてさえ考えられたのではあらず、その兵器自体でした。そして関わった物理学が与えられると、大量破壊兵器でした。

一度、両方の計画の根底にある物理学が見解されると、そして一度、その恐ろしく、凄まじい効能(potential)が理解されると、すると、衝撃的な要素を供給するための、モンタークの神話、または分離させられた(時間を失った)タイム・トラヴェルの人格などの、無制限の想像力の推進力のための必要性が単純に無くなります。その物理学自体がその逸話で、そしてそれは十分に衝撃的です。ですからもし読者(あなた)が、更なる『タイム・トラヴェル』の逸話と、『終に彼等が知っている事を明かそうと決心した』、『新たな匿名の情報源』、または催眠術的な退歩(操作/後戻り)からの『更に取り戻された記憶』、もしくは何らかの『スピリットのガイド』から『チャンネル(遠隔透視)されたメッセージ(情報)』を期待しているなら、すると、この本を手元に置いて、それを通り過ぎて、そして何処か他の処に行ってください。

その2つの計画において関わった科学は、アメリカ人達、またはドイツ人達のための、深夜のラジオのゲームのトーク・ショーなどではありませんでした。第二次世界大戦の厳しい現実性は、次元的なポータル(出入り口)、タイム・トラヴェル、または光学的な不可視(ステルス)、もしくはテレポーテーションの様なノンセンスのためのあらゆる探求を絶対的に許しませんでした。アメリカ人達とドイツ人達の両方にとって、その発見するための計画は、生きるか死ぬかの問題でした。それらの国家の、それぞれの科学的な研究を管理している委員会に対して、船を不可視にする、またはより高い次元へのゲートウェイ(出入り口)を開くための資金援助を要求する事を想像すれば、それらの2つの実験にまつわる推測の幾つもの馬鹿馬鹿しさと全くの狂気を、直ぐに理解するでしょう。その様なノンセンス的な提案をしていたアメリカ人達は、恐らく精神病院に入れられた可能性が高く、そしてそれらを提案していたのがドイツ人達なら、労働収容所の奴隷労働の労働へと送られる、またはその発想が十分に突飛抜けていれば、SS (ナチス親衛隊)の秘密裡のオカルトで(隠された)、そして秘儀的な研究部門である、SS の全国指導者、ヒムラーの気違い染みた、そして残虐な Ahnenerbedienst のための研究者に成ったでしょう。

その様な物事は此処において全く提供されません。サウンドバイト(聞こえの良い短文)も、新たな啓示も、新たに回復された記憶も、チャンネル(遠隔透視)されたメッセージも無く、端的に、オルタナティヴな研究をとても頻繁に特徴化(疎外)する、下らないニュー・エイジのグノーシス的なノンセンスの吐き出しは全くありません。確かに、これは高度に推理的な本ですが、根拠の全く無い推理ではありません。此処において提供されているのは、フィラデルフィアの実験と、そして更に重要な事に、彼等の恐ろしいベルの機器がそう成るであろうとナチスが理解した、物凄い審判の日の(終末論/最終兵器的な)兵器、そして何故彼等はそれがそう成るであろうと理解したのかの背景の核心にあったであろうと私が信じる、幾つかの複雑で、数学的、そして幾何学(座標/立体性)の周りの – 言葉遊びは意図されていますが – 読者が、彼(彼女)のマインド(頭脳)を捻る事を必要とする推理です。従って、一般的な読者に対して妥当な方法においても、その概念を表そうとする試みの全ては、言うまでも無く、この本のテクニカル(技術的)な問題(題材)は難しく(難解である)と強調される事が必用です。しかしながら、私の以前の著書の殆どにおいて、そして(それぞれの)本が読み進まれるにつれ、私は科学的な推理の行程へと、徐々に、読者を紹介しようと試みました。ですが此処において、その関連性と重要性が唯一、それらの2つの実験自体における、それらの応用の浅瀬(理解)に向かって彼(彼女/読者)が泳ぐ際にあらわに成る、とてもテクニカル的な概念の深い側へと、始めから彼(彼女/読者)を投げ入れる他、方法がありません。

その推理的で、科学的な分析の結果として、此処においてまた提供されたものは、それらを分析するために応用された科学的なモデルの上に基づいた、それらの実験の歴史の可能性についての再検証です。従って、此処において提供された分析のための物理学的な土台は - 結局の処、その上に両方の計画が部分的に基づいた理論が究極的に見捨てられた(隠蔽された)ので - 実際に、間違っている、または不正確であるかも知れませんが、少なくともそれは、科学の概念における土台で、太陽神、ラーから回復された記憶、またはチャンネルされたメッセージなどではありません。私は故に、間違う事に対する私の権利を主張し、そして正に、分析のために此処において使用された物理学的なモデルが、そうするための唯一の土台であるとは主張しません。このモデルは単純に、両方の計画の背後にある、「暫定的な歴史」の一種を示唆します。

実際に、それらの歴史の再構築無しでは、その科学を再構築する事は、もし不可能では無いにしても、困難に成ります。例えば、どの様な種類の思考が実際に、それらの実験の実施に繋がったのでしょう?その科学者達がそれらを夢見ていた際に、彼等の頭の中で何を考えていたのでしょう?彼等の実験的な進歩を確認するため、そして彼等の計画の、彼等それぞれの政府からの資金援助を正当化するために、どの様な種類の実験的な基準を設定したのでしょう?そしてその問題のために、人はどの様に、その同じ物理学のモデルから、一方(アメリカ側)がその奇妙な実験的な効果を偶然によって発見し、そしてもう一方(ナチス・ドイツ側)がそれらを意図的に発見した事実を説明すればよいのでしょう?

それらの問いは、ザ・ベルのための両方の逸話を公開した主要な情報源において記述された:イゴール・ウィトコウスキーの、ドイツの秘密兵器についての素晴らしい本、ヴァンダーワッフについての真実と、ニック・クックの極めて重要な、ゼロ・ポイント(エネルギー)のための探求、そして更に、フィラデルフィアの実験のために、その逸話をより広い読者達に対して紹介した本である、チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーの、フィラデルフィアの実験:不可視計画の両方の計画の歴史の重要性に焦点を当てます。その後者の本は順を追って、極度に手に入れる事が難しい研究である、その「ヴァロの注釈版」において、早期の UFO 研究家、モリス・ジェセップ博士による、UFO のための立件の重大な本に言及します。従って、それが此処において幾らかの詳細において再検証されるのは、その逸話のバーリッツとモーアーの記述、またはその注釈されていないヴァージョンにおけるジェセップの研究と共に親しみがある読者達に対してでさえ、あまり良く知られていないためです。

私自身が個人的に、長年に渡り難色を示し、そして私の個人的なノートブックの中に私の考えを記述した後、フィラデルフィアの実験について私が書く事を鼓舞した人達に対して、最後の感謝の言葉が必要です:電話でアイデアを交換し、そして論議するためにとても多くの時間を費やした、americanantigravity.com の私の友人、ティム・ヴェンチュラに対して;インターネット上でジェセップの本のヴァロの注釈版を探すために私を手助けした私の友人、リッチ・ウッドと Zhe yong に対してです。ガイ・バニスター特務捜査官の FBI の UFO の書類を私が入手する事を許し、そして邪悪な勢力:アメリカの政治的な魔術のグリモア(魔導書)の彼の素晴らしいシリーズ(一連)から此処において引用された多くの観測のために、ピーター・ラヴェンダのために、多大な感謝の言葉を送りたいと思います。また、イゴール・ウィトコウスキーのヴァンダーワッフについての真実と共に沿って、ナチスの秘密兵器についての本の頂点に位置する事が相応しい本、ヒトラーの隠蔽された、そして未だに秘密裡の兵器、科学、そして科学技術の彼の最も近年で、そしてあらゆる認知において素晴らしい研究における、卓越した資料のために、ヘンリー・スティーヴンスに対して多大な感謝を送ります。最後に、それを出版する勇気を持っていたために、私の出版者、デーヴィッド・ハッチャー・チルドレスに対するいつも通りの感謝を述べたいと思います。

ジョセフ P. ファレル
南ダコタ州、ラピド・シティー
2007年

Part One:
第一部:
The Discarded Theory
隠蔽された理論


「私はこの理論が - 少なくとも最初の応用において - とても単純で自然的な方法において、重力と電磁力のフィールド方程式を算出すると発見しました。故に、この理論が、その元々の形状において、一般相対性理論に入れ替わる事が可能な様に見えました。」
- アルバート・アインシュタイン、「重力と電気の統一されたフィールド理論のための新たな可能性」、プロシア科学学会の会議報告、1928年6月14日。

1. Tensors, Torsion, and Wringing an Aluminum Can
1.テンサー(テンソル)、トーション(ねじれ力)、そしてアルミの缶を絞る     1


「そして(マルデュックが)彼の口と共に語ると、その布(服)は消え;再び彼が命令すると、その服は再び現れました。」
- バビロニアのエピック、エヌマ・エリッシュ、粘土板4¹

1928年に、プロシア(ドイツ)の科学学会に提出された論文の中で、物理学の最も著名な人が、彼の短いコメントを付属させた、端的で短い数学的な表現、Λαβv を含みました:「このテンサーは、より複雑な Riemannian (リーマン的な)カーブのテンサーでは無く、連続体(continuum)を特徴化させるための開始地点として利用されるでしょう。」² この数学的な用語の全てに対して、読者の目が戸惑ったかも知れない間、アルバート・アインシュタインの最新の物理学の論文の読者達の眼は戸惑いませんでした。そして彼等が何故、戸惑わなかったのかの理由がこの本のについての内容なのは、その短い数学的な表現と、その関連した概念が、全ての可能性において、第二次世界大戦の最も有名で、奇怪な秘密兵器の実験と計画の2つのための、概念的な土台に成ったためで:フィラデルフィアの実験と、ナチスのザ・ベルでした。

彼等の眼が戸惑わなかったのが何故なら、アインシュタインがその後に、3つの更なる方程式と共に、この力強く重要な明言を続けたためで、その後に彼は、「これから、物理学に関係した法則が引き出せるか・・・」否かを調査するつもりであると言う、更に短いコメントを付属させたためです。³ 1930年に成ると、アインシュタインは、「Riemannian メトリクス(測定法/尺度)と距離の平行性(distant parallelism)の上に基づいた、統一されたフィールド理論」と題された論文の、ドイツにおける地位の高い Mathematische Annalen (数学の年報)の中の出版と共に、彼の約束を守り、その第二段落は、その論文の題名とは対照的に、単純性そのものでした:
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1 Enuma Elish, ed. L. W. King, M.A., F.S.A., Vol 1 (London: Luzac and Co., 1902) Tablet 4, p. 61.
2 Albert Einstein, “Riemannian Geometry with Maintaining the Notion of Distant Parallelism,” Session Report of the Prussian Academy of Science (Sitzungsberichte der Pruessischer Akademie der Wissenschaften) June 7, 1928. より近代のテンサー表記法と共に親しみのある(理系の)人達のために、私がアインシュタインの表記法に言及する場合、彼の表記法の、より古いスタイルが保存されたと注意を促しましょう。この場合において、トーションのテンサー(テンソル)は未だに以下を必要とします:Λαβν = Γ αβν – Γβαν(22ページ参照)。
3 Ibid.


「以下に続く考えの上で次元の数は問題では無いので、私達は n-次元的な連続体(継続性/continuum)を仮定します。メトリクスと重力の事実を説明するために、私達はリーマン(Riemann)-メトリックの存在を仮定します。自然においては、電磁的なフィールドがまた存在し、それはリーマン的なメトリクスによっては表現される事が出来ません。これは問いを浮上させ:その事の全体が統一的な特徴を持てる様に、追加的な構造と共に、私達はどの様に、自然的で、合理的な方法において、私達のリーマン的な空間を融合させる事が出来るのでしょうか?」⁵

慎重に読むと、もし私達が、単純な「入れ替え(substitution)」と数学者達が呼ぶものを行い、そして「メトリック」と言う言葉のために「幾何学(立体性)」で入れ替えれば(テクニカル的にそれらは全く同じものは意味しませんが)、その偉大な物理学者が考えていた事を、人は理解する事が出来ます。

此処においてアインシュタインが意味している事を理解するために、人は統一されたフィールド理論を探求する事における、彼の全体的な「方策」の理解を有さなければなりません。彼の統一されたフィールド理論の論文における彼のアプローチは、特殊相対性理論と一般相対性理論において彼が行った、概念的で、幾何学的なアプローチの継続として見解されるべきだと、幾らかの人達は主張します。⁶ 相対性の特殊理論の発展における主要な問題の一つは、「あらゆるシグナル(電波等々)的な配信の速度に対する絶対的に有限な限度の存在(i.e. 光速=定数)」のためのその要求で、つまり、光の速度が速度制限を有し、そしてこの速度制限が、あらゆるシステムにおける、あらゆる観測のために真実であると言う事です。⁷ これは、勿論、この速度制限が、「ニュートン的な重力の理論によって矛盾された」⁸ので重力の新たな理論を必要とし、そしてこの重力の新たな理論が一般相対性理論でした。
_____
4 Einstein, Mathematische Analen, 102 (1930), pp., 685-697.
5 Einstein, “Unified Field Theory Based on Riemannian Metrics and Distant Parallelism,” trans. A. Unzicker and T. Case, § 1., “The Structure of the Continuum,” emphasis added.
6 Tilman Suaer, “Einstein’s Unified Field Theory Program,” Einstein Papers Project, California Institute of Technology 20-7 (Pasadena, California, April 11, 2007), p. 3.
7 Ibid.


その突破口は、アインシュタインが重力を、一種のフィールド(場)として、一種の幾何学(立体性)として、そして実際に一種のとして考えた時に現れました。一般相対性理論におけるこの考えに重要なのは、「等価原理(Equivalence Principle)」または「等価仮定(Equivalence Hypothesis)」で、それは重力的な質量と加速を、慣性的な質量と加速と同等にします。これは、もし人が、アインシュタインの有名な「思考実験」の一つを思い出せば、更に簡単に理解されるでしょう。人が、窓の無いロケットの(宇宙)船の中にいて、そしてそれが突然加速したと想像してみて下さい。その船の中のあなたの体の質量に対するその加速は、座席の背もたれに対して「押し付けられる様な」親しみのある感覚(G)を産出します。ですがこれは、多かれ少なかれ、加速の同じ率において、その重力のために、質量に向かって落下している人と、全く違わないと、アインシュタインは述べました。アインシュタインの(数式の)形成のためのこの原則の一つの(必然的な)推論は、重力的、または慣性的な質量と加速が単純に(考慮)計算されていないと言う事です。特定の意味合いにおいて、それらは存在する事さえ出来ません。しかしながら、この幾何学化のために、重力的なフィールド自体が、ダイナミック(流動的)なシステムとして理解される様に成り;その重力的なフィールドが変化出来ると言う事です。これらの概念は、後に目撃される様に、とても重要です。

どんな場合であれ、アインシュタインの1928年の論文からの短い引用の中で鮮明なのは、彼が重力を、幾何学の特殊な一種、「リーマン」幾何学として描写する事によって、彼の幾何学的な方策を続ける事です。⁹ これが、彼の一般相対性理論の背後の原則の全体で、それは重力を、惑星や恒星の様なとても大きな質量の存在における、時空間の繊維の地域的な湾曲(カーブ)として表現しました。その概念が、初見した時程、理解が難しいものでは無いのは、トランポリンの上に人が、ボウリングのボールを置く事を想像すれば良い為です。そのボウリングのボールは、そのトランポリンの表面において凹み - そのトランポリンの二次元的な空間の表面の地域的な湾曲を産出し – それは、最終的にそのトランポリンの表面がタンジェント的にそのボウリングのボールの表面に触れるまで拡張します(凹みます)。その最後の概念を頭に入れておいてもらいたいのは、それがまた、私達がアインシュタインのアイデアの概要と、そしてその後に、フィラデルフィアの実験と、ザ・ベルの根底にあるかも知れない物理学を検証した際に幾らかの重要性を担うかも知れないためです。

1 gravity
_____
8 Ibid. ニュートンの理論における矛盾が起こるのが何故なら、それらが(お互いから)どれだけ遠かろうとに関わりなく、質量の間には即座に、引き寄せ合いの力(作用)が存在するためです。
9 バーンハルド・リーマンは、ユークリッド的な幾何学の、一般的に平らで、直線に進むものよりはむしろ、湾曲(カーブ)した表面と空間の上の幾何学的な物体と共に扱うための、基本的で、数学的な原則を形成(数式化)したドイツ人の数学者で、幾何学者でした。リーマンはまた、三次元以上において、幾何学的な物体を描写するためのテクニック(技術)の下地を敷きました。


此処で明らかに、私達のボウリングのボールの類推が、重要な点において崩壊するのは、しかしながら、そのトランポリンの表面が、唯一一つの表面で - 二次元的なものであり - それに対して、地球の表面の上の何処に私達がいるのに関わりなく、私達がジャンプする時に、重力の力(作用)がその(地球の)表面へと私達を引き戻す(または言い換えると押し戻す)、引き戻し(または押し戻し)を働かせる事を、私達が知っているためです。これが意味するのは、私達が立っている(存在している)のは、地球、またはその他の大きな天体のいずれかの、カーブしている表面と共に接触している一つだけの平面(二次元)よりもむしろ、地球の表面上のあらゆる地点のために、その様な「トランポリンの表面」の、無限の数と共に、私達が考慮しなければならないと言う事です。ですからボウリングのボールによって原因された一つの窪みを共にした二次元的な表面よりもむしろ、そのそれぞれの平面が、地球の表面上の一つの地点に対してタンジェントに成る様にアレンジ(調整/配置)された、(複数の)平面の無数の数の上の、その様な窪み(凹み)の無限の数を想像して下さい。大きな質量の存在における、空間のカーブ(湾曲)によって、アインシュタインが意味したのは、多かれ少なかれ、この事で、そして彼の一般相対性理論をとても革新的なものにしたのは、重力のこの幾何学的な描写でした。それが革新的だったのが何故なら、重力の力(作用)が、幾何学的な方程式の形状(数式)において説明される事が出来たためです。その幾何学が力(作用)で、その力が幾何学でした

その方程式は順を追って、「テンサー解析(テンソル計算法)」、または、それがまた時には「絶対微分学(absolute differential calculus)」と呼ばれる、難解で、数学的な言語において表現されました。それは物理学者の道具において、極度に便利で、数学的な道具(方程式)で、そしてそれについては後に更に述べられるのは、それが、フィラデルフィアの実験と、ナチスのベルの私達の解釈において手助けに成る、幾つもの重要な概念を含むためです。

此処で、アインシュタインの1928年の、統一されたフィールド理論の論文における、彼の明言からの最終段落:「自然においてまた、リーマン・メトリックによっては表現される事の出来ない、電磁的なフィールドが存在しています。これは、『その全体が統一的な特徴を持つように、私達はどの様に、追加的な構造を共にして、自然的で、合理的な方法において、私達のリーマン的な空間を説明出来るか?』と言う問いを台頭させます、」を思い出して下さい。此処で注目してもらいたいのは、アインシュタインがもう一つの明らかな事実 - 電磁的な力(作用)の存在 – そしてあまり明らかでは無いものを指摘した事で:それらは、リーマン幾何学を構成した、カーブ(湾曲)した表面の幾何学の何らかの種において表現される事が出来ない事です。その、あまり-明らか-では無い-事実が明らかに成るのは、しかしながら、棒磁石、一枚の紙、そして砂鉄と共に、人が(小)学校で行った、とても単純な実験と供に、磁気的なフィールド(磁場)の形、または幾何学を、人が思い出した時です。磁石の上に保たれた紙の上に砂鉄が振り撒かれた際に、その砂鉄はその棒(磁石)の磁気的なフィールドの、その力(磁力)の線(フィールド) – またはヴェクトル - に沿ってそれら自体を配置/配列させます。人が「それらの全てを一緒に考えた」時に – または、数学者達と物理学者達が「全てのヴェクトルの上の足し算(sum over all the vectors)」と呼ぶものを行った時に - 人は磁気的なフィールドの幾何学の数学的な表現を有し、それが、私達のボウリングのボールの類推同様に崩壊するのは、その一枚の紙が、実際には三次元的な現象の、二次元的な表面でしかないためです。もし私達がその幾何学を三次元にすると、その磁気的なフィールドは、「トーラス」、または「ドーナッツ型」に見えます。ですから、幾何学的な物体として、重力と磁力の間には違いがあり:一方は「球体的」で、そしてもう一方は「トロイダル(トーラス型)」、または「ドーナッツ」型です。

1 Torus in Nature

トーラス・ヴェクター(ヴェクトル)
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彼の革新的な提案へとアインシュタインを導いたのは、基本的な幾何学のこの区別(特質)で:一般相対性理論における重力の「カーブした表面」の幾何学は、電磁力を描写(説明)する追加的な幾何学と共に補足され、重力と電磁力の両方が分かち合った、より更に基本的な幾何学の subsets (部分集合/準-項目)である、両方の幾何学とする方法の様なものにおいて補足されたのでしょうか?言い方を変えると、この一つの短い方程式において、アインシュタインは、現在では有名な彼の、究極的には排除された、そして今では全く忘れ去られた(隠蔽された)統一されたフィールド理論のプログラム(計画/概念)を公表していて、それは電磁力と重力の共通の幾何学を見つけるための試みでした。

ですが此処において、問いの重要な一連が起こり:何故、それは有名だったのでしょう?何故それは、究極的に排除され、そして忘れ去られたのでしょう?そして何故、私達は、現代の物理学者であれば、誰も全く受け入れない理論の定義において - フィラデルフィアの実験とナチスのベルと言った - それらの2つの重大な実験を説明する事を求めなければならないのでしょう?それらの問いに対する答えが此処で、私達を没頭させるのは、それらに答える事において、アインシュタインと同年代の人達の数多くの注意を凄く捕らえた数学的な表現 Λαβν の重要性を、私達が発見するであろうためです。

A. A Brief History of the Unified Field Theory Craze of the 1920s and 1930s
A.1920年代と1930年代の、統一されたフィールド理論の熱狂の端的な歴史
    1
1.カルツァ-クライン理論

アインシュタインは、重力と電磁力の両方を説明するための、「補足的」、または「より基本的」な幾何学を見つけるための彼の努力において、物理学の歴史の中で、幾何学的な線に沿った、重力と電磁力を統一するための、その様な最初の試みとしてその名を残した、カルツァ-クライン理論によって鼓舞されました。その発見者であるセオドア・フランツ・エドワルド・カルツァ博士に因んで名付けられたその理論は、一般相対性理論の、3つの空間(三次元)と一つの時間である、四次元に対する追加において、新たな空間的な次元を紹介する事によって、重力と電磁力の統一化の問題を解決した事において特徴的です。故に、カルツァの理論の中で人は、4つの空間的な次元と、一つの時間(五次元)を有します。

カルツァは、1885年11月9日に、低サイリーシア(地方)のオッペルンのドイツの街において生れ、そして1954年に亡くなりました。彼の、現在では有名な理論を彼が形成していた時の期間の間、カルツァは、東プロシアのドイツの一地方における、Königsberg 大学の数学の非常勤講師(Privat Dozent)でした。¹⁰ それらの2つの事実 - オッペルンと低サイリーシアと、Königberg 大学における彼の学術的な教職との両方の関係は - ナチスのベルの実験の私達の検証において、この本の第3部の中でとても重要に成ります。

1919年において、アルバート・アインシュタインが、一般相対性理論と電磁力の数学的な研究を終えた後に、カルツァは、彼に手紙を書きました。アインシュタインがカルツァの手紙を読んだ時に、彼は文字通り驚かされました。相対性理論のその有名な発案者に対する、彼の手紙の短い数行の中で、

「カルツァは、第五の次元(つまり、空間の四次元と、時間の一次元)を紹介する事によって、アインシュタインの重力の理論と、マックスウェルの光の理論を統一していました。」
_____
10 基本的には、現在のアメリカの大学における「非常勤講師」の同義語です。

「本質において彼は、昔の(空間的な)「第四次元」を復活させており・・・そして第五次元として、新鮮な方法において、アインシュタインの理論へと、含ませていました。彼(カルツァ)以前のリーマン同様に、カルツァは、が、このより高い次元によって原因されたさざなみ(小さな波/i.e. フリクエンシー)によって原因された障害(行程)であると仮定しました。リーマンから、この新たな研究を分離させている新たな違いの鍵は・・・、カルツァが正真正銘のフィールド理論を提案していた事です。

「この短い記述において、(リーマンのメトリック・テンサーが、無数の次元において形成される(数式化される)事を私達が思い出せば)、通常の四次元では無く、五次元において、重力のための、アインシュタインのフィールドの方程式を書き留める事によって、純粋にカルツァは始めました。その後、彼はそれらの五次元的な方程式の中には、アインシュタインの以前の四次元的な理論と共に、追加的な一部(予測されていた次元の破片/4+1)をその中に含んでいた追加的な欠片(i.e. 五次元)の理論を含んでいたと証明する事に至りました。ですが、アインシュタインを驚かせたのが何かと言うと、この追加的な欠片が正に光のマックスウェルの理論だった事です。言い換えると、科学において知られている2人の最も偉大なフィールドの理論者達、マックスウェルアインシュタインが、第五次元を混ぜる事によって同意しました。」¹¹

彼の有名な理論の当時の頃のセオドア・カルツァ博士
1 kaluza
_____
11  Michio Kaku , Hyperspace: A Scientific Odyssey through Parallel Universes, Time Warps, and the 10th Dimension (Oxford University Press,1994), p. 100, italicized emphasis in the original, bold and italicized emphasis added.

端的に、電磁的な力(作用)は、高い次元的な空間の幾何学のワープ(捻じれ/歪み)として台頭していました。これは、一枚の紙をクシャクシャにしたものとしての、作用を説明するためのリーマンの元々の夢を満たす様に見えた理論でした。¹² 一枚の紙をクシャクシャにするイメージは、後に目撃される様に、重要なものです。カルツァの論文との問題は、追加的な四番目の次元でした。実際に、そのアイデアは当初

「アインシュタインにとって、とても大胆過ぎる様に見えたため、彼はその論文の公表を2年間、控えた程でした。しかしながら、この理論の数学は、とても美し過ぎて、それが実際に正しいかも知れないと、アインシュタインの直感は伝えました。」¹³

実際に、カルツァの論文を受け取った後、アインシュタインは「五-次元的なシリンダー(筒型)の世界の方法による、(統一されたフィールド理論の)達成のアイデア(発想)は、私に全く起こりませんでした・・・一目見た時に、私は貴方のアイデアを多大に好きに成りました、」¹⁴ と明言し、彼に対して返事を書きました。それでも出版する事を留まり、しかしながら、アインシュタインはたった数週間後に再びカルツァに手紙を書き、「貴方の理論の形式的な統一性は驚きです、」と認めました。¹⁵

形式(数式)的な統一性は述べるまでも無く、その問題は未だに追加的で、空間的な次元でした。明らかに、カルツァが考え出したのは新しく奇抜な何かで、宇宙をシリンダー的な定義において、それを表現した基本的な幾何学で、そして共通の(一般的な)幾何学の方法によって、電磁力と重力を明らかに統一したものでした。ですが、追加的で、空間的な次元の問題の解決策はありませんでした。そうであれ、アインシュタインは最終的に、1921年において、権威あるジャーナル、 Sitzungsberichte Preussische Akademie der Wissenschaften (科学のプロシア学会の会議報告)の中で、カルツァの論文、 Zum Unitätsproblem der Physik (「物理学の統一の問題に関して」)の公表を許しました。

ですが、この第五次元に対して何が起こったのでしょう?カルツァは、それが「輪の様に、『曲がって巻き上がった(i.e. 螺旋の)』ために、その他の4つの次元からは異なる」と示唆しました。¹⁶
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12 Ibid., p. 101, emphasis added.
13 Michio Kaku and Jennifer Thompson, Beyond Einstein: The Cosmic Quest for the Theory of the Universe (Anchor Books, 1995), p. 162.
14 Albert Einstein, cited in Kaku and Thompson, Beyond Einstein, p. 163.
15 Ibid.
16 Ibid.


最後に、1926年において、スウェーデン人の数学者、オスカー・クラインが、この輪の大きさはとても驚く程小さく、これは、それが観測不可能な理由であると提案しました。彼はその大きさを計算するまでに至り:「(10⁻³³)の」プランク長(Planck Length)、「または原子核よりも、約1000億 x 10億倍小さいとしました。」¹⁷ ですがこれもまた、それ自体の問いを浮上させました。何故、その追加的な螺旋の次元は、その様な小さい輪へと「カールして巻き上がり」、「その他の次元を無限へと、延長させながら残したのでしょう?」¹⁸ それらの問いが究極的には宇宙学的であり、そして故に此処においては率直な問いでは無い間、それらが1920年代と1930年代の、統一されたフィールド理論の熱狂の終わりを綴り出したのは、特にそれが、実験的な確認を有する事が不可能だったので、殆どの物理学者達にとって、その様なとても小さな追加的な次元の概念が、困難過ぎたためです。そして確認が、どんな場合であれ問題的だったのは、その様な小さな次元を厳密に調査するためには、当時の(または現在の!)惑星(地球)全体が産出する事が出来るよりも、多大なエネルギーを必要としたためです。または少なくとも、それが(そして今日まで)その理論でした・・・

どんな場合であれ、カルツァの追加的なカールして巻き上がった次元(渦巻き)に対するクラインの解決策と、その大きさ(小ささ)の彼の計算は、その理論に対して今日まで知られている名前を与え:重力と電磁力の物理学の最初の統一されたフィールド理論、「カルツァ-クライン理論」です。

B. The Torsion Tensor
B. トーション・テンサー     8
1. The Meanings of “Torsion”
1.「トーション」の意味     9


その理論の、1928年のアインシュタインのヴァージョンにおけるトーション・テンサーとの問題は、つまり、人が誰に尋ねるかによって、その意味が少々変化するためです。トーションは、しかしながら、テンサーですから、これが意味するのは数学的に、それが実際の幾何学的な物体、または恐らくもっと上手く言えば、実際の幾何学的な効果だと言う事です。この全てが一体何で、カルツァ-クライン理論、アンシュタインの1928年の統一されたフィールド理論、そしてフィラデルフィアとナチスのベルの実験に関係しているのかは、直ぐに目撃されるでしょう。
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17 Kaku and Thompson, Beyond Einstein, pp. 163-164.
18 Ibid., p. 164.


これを頭に入れると共に、トーション(ねじれ力)の以下の基本的な意味¹⁹ がその文献の中で着目され、そしてそれらの全ては、フィラデルフィアの実験と、ナチスのベルと何らかの拘わりを持っていて:

1)殆どの著者達にとって、トーションは、時空間における「捻じれ」、または「折り畳み」の一種を意味し、そして少数派の著者達の幾らかはそれを、その捻じれの度合、または量を意味すると理解します。次の部分の中で私達は、この点を描写するために、単純な類推を検証するでしょう。

2)幾らかの著者達にとって、しかしながら、トーションは - 一般論化の目的のために、物事を単純化させ過ぎると - アインシュタインの1928年のヴァージョンを含んだ、様々な統一されたフィールド理論の、数学的な人工物(数式)です。それは、(磁場や電場の)「転移(作用の線/流動性)」を行っている力(作用)のヴェクトルを描写する数学的な形式(数式)性で、それを、私達が目撃した様に、アインシュタインは「遠距離の平行性(distant parallelism)」の定義によって表現しました。この概念もまた、次の部分と、そしてフィラデルフィアの実験とナチスのベルの私達の理解において、重要に成ります。²⁰

3)特定のロシア人の著者達(e.g. コザレフ博士)において、トーションは少々異なった意味を有し、時空間における「捻じれ」、または「折り畳み」を象徴するよりもむしろ、その様な捻じれに対する「準-空間」でした。この見解の上で、トーションが意味したのは、特定の状態(時間)の下でその様な捻じれに台頭を与える、空間の根底にある「もの」でした。²¹
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19 私達は、第二部の中で、フィラデルフィアの実験上の、電気的な技術開発者達と物理学者達、コルムとダウムの研究の私達の検証において、「anholonomity (比較不能性?)」と捻じれの概念に関して検証します。
20 これに関してトーションが量子力学における「ゼロ・ポイント・エネルギー」に類似するのは、幾らかの物理学者達がその存在に納得する間、その他の幾らかは、それが実際の物理的な重要性を有さない、その理論の単なる数学的な人工物であると主張するためです。
21 トーションにおけるロシアの研究に関して、ニコライ A. コザレフ博士(1908-1983年)の研究についての幾つかの言葉が必要です。ネクサス・マガジンの中の最近の記事、「N.A. コザレフ博士のエーテル科学」は、研究者、デーヴィッド・ウィルコックによってまとめられました。トーションにおける彼の研究のために、コザレフが「ロシアの科学的なコミュニティーの歴史において、最も物議をかもし出した一人」に成った事に着目し(ネクサス、14巻、第3号2007年5月3日、45ページ)、ウィルコックは、その物議には触れるまでも無く、その同じ分野における彼の研究と、彼の同僚達の研究が、当時のソヴィエト連邦によって、「殆ど完全に機密化(隠蔽)された」と指摘します(45ページ)。物質のコザレフの概念化において、「全ての物理的な物体は」あたかもそれらが、「水の中に沈められたスポンジ」の様に見解されました(45ページ)。従って、人は


4)物理学においてはまた、それがそれに直接は拘わってはいないかも知れませんが、「トーション」が関係しているかも知れないとする流れ(意見)があります。これは、英国人の数学的な物理学者、E.T. ウィティカーの特定の論文によって体現された流れです。²² それらの論文の効果は、その媒質において、電磁的な渦巻きのアイデア(発想)を介入させる事でした。ウィティカーの分析において、電磁力は一種の「電気的な粘着性(摩擦)」、または反-「液体の様な」振る舞いを有しました。故に、それらの「液体-の様な」流動性は、その媒質(エーテル)において変化している電磁的な希薄化と圧力(緊縮と拡張)の部分である、経度的な圧力の波(縦波)と共に特定の特徴を分かち合います。成り行きとして、ウィティカーの論文の一つの示唆は、その様々な力(作用/i.e. ダイエレクトリシティー[誘電性]、グラヴィティー[重力]、エレクトリシティー[電気]、マグネティズム[磁気])が、その渦巻きの異なった種類、または状態でしかないと言う事でした。²³

5)最後に、アインシュタインの等価原理のコンテキスト(文脈)において、「トーション(ねじれ力)」を考える事が必要です。
_____
加熱、回転、振動、冷却等々の様な単純で、機械的な行程によって、その「スポンジ」に含まれた水の量(体積)を増やす、またへ減らす事が出来ます(45ページ)。この類推においてその水が、テスラが「固体に対して液体として振る舞い、光と熱に対して固体として振舞う」と主張した媒質、またはエーテルである、その媒質、または物理的な真空のエネルギーを形成します(45ページ)。そして此処においてトーションの発想が介入するのは、生命形態が特に、エネルギーの螺旋している形状(黄金比率)をそれらが利用していると実証していたとコザレフが気付いたためで、彼はそれをトーションに関連させました。トーションのアイデアは一般相対性理論についての1913年のエリー・カルタンの研究から由来し、その中で彼は、空間はカーブしているだけでなく、それ自体の中に、回転、または螺旋している運動を有していると実証し、それを彼はトーションと呼びました(46ページ)。故に「あなたが一度、太陽、または銀河の中心の様な何らかの形状においてエネルギーを解放する、回転している源泉、そして/または太陽の周りを公転すると同時に自らが自転している惑星の様に、一つ以上の形状の運動が同時に起こっている、回転している源泉を有すると、流動的なトーションが自動的に産出されます。」(46-47ページ)コザレフはまた – そしてこれは彼の研究が物議をかもし出した一つの点ですが - その様な回転によって空間において派生させられた折り畳みと重なり合いであるトーションのフィールドが光速超越的な速度において移動したと証明しました(47ページ)。ですが、本文の中で私達が注目した様に、アインシュタインが、統一されたフィールド理論の彼の1928年のヴァージョンにおいて、トーション・テンサーを応用した時、彼はまた異なった素材がこのフィールドの上で異なった効果を持つ可能性を紹介しました。コザレフは幾つかの素材のシールディング(防壁)、反射、または拡大している性質を実証しました。砂糖は、例えば、その原子における回転のために、トーションからシールディングされ、それに対してテルペンチン(植物の含油樹脂)の反対に回転している原子は、それらを拡大しました。(47ページ)
22 For fuller discussions of Whittaker’s work, q.v. my SS Brotherhood of the Bell, pp. 211-219.
23 See my The SS Brotherhood of the Bell, pp. 211-219.


彼の1928年の統一されたフィールド理論の中にトーション・テンサーを含んだ時に、彼は効果的に、その媒質において可能な限り、とても地域的な「折り畳み」、または「捻じれ(ワープ)」を提案していました。更に加えて、一般相対性理論において、物質の様々な種類、または私達が目撃した様に、重力的で、慣性的な加速の、小規模で、地域的な種類の、特殊な性質の考慮は全くありませんでした。トーション・テンサーの一つの(必然的な)結果は、しかしながら、その素材的な性質が、トーション自体の「折り畳み」と「捻じれ」の上で、地域的な効果を持つかも知れないと言う事でした。故に、トーション・テンサーを含ませる示唆は二重で:

a)素材的な効果による地域的な時空間における変化が、その理論の中に紹介され;そして、

b) 地域的な状態の変化はもう、重力の統一性を仮定しませんでした。重力の幾何学(立体性)における、地域的で、多大な変化が、理論的に可能でした。

故に、トーション・テンサーの含みが此処で意味したのは、その2つの要素が「折り畳み」、または「重なり合い」の量、または割合を影響する事が出来ると言う事で:

a) 地域的な環境;そして、

b) トーションの根底にある、または含まれている素材です。

アインシュタインは、結果的に、一般相対性の彼自身の理論の、中軸的な原則の幾つかを、殆ど完全に見捨てました。彼の読者達の眼がよどんだ(困惑した)のは、全く驚きでは無いでしょう!

ですが、「トーション云々(うんぬん)」のこの全ては実際に何を意味するのでしょう?時空間の「折り畳み」、「重なり合い」、または「捻じれ」の知覚(認識)が曖昧かも知れない間、人は空っぽのジュースのアルミ缶を絞った時に何時でもその題材についての良い理解を得る事が出来ます・・・

2. Wringing an Aluminum Can
2. アルミの缶を絞る     12


絶対的に不動の土台に対して接続された、金属製のパイプを考える事によって始めましょう:

図:正方形の土台に接続された筒状のパイプと、捻りの方向を示す矢印(12ページ)

此処で、そのパイプの一方の端を掴んで、その矢印の方向に捻る事を想像してみて下さい。十分な力と共に、そのパイプは、そのストレスの効果を表す様に成り;それは折り畳みと割れ目を見せ始めるでしょう。次に - 統一されたフィールド理論の、カルツァ-クラインのヴァージョンにおいて与えられた、彼等の「筒状の幾何学」に相応しい比較である - 何かに接続されていない筒である、アルミ製の缶を想像し、そしてその金属製の缶を人の両手で(雑巾の様に)絞る事を想像してみて下さい。その捻りの反対方向の運動は、その捻りの運動の回転の軸に沿って、その筒において類似した緊張状態を産出します。この場合において、その対峙している運動自体が更なるストレスを介入させ、そして結果的に、私達の固定されたパイプの例よりも、その筒において、更なる「折り畳みと重なり合い」が結果します。そのジュースの缶を絞る運動は螺旋した折り畳みと重なり合いを産出し、それは、そのストレスが最大限である処である、その缶の中央部に向かって強さを増します。加えて、その缶の両端はお互いに対して、より近くに引き寄せられます。もし此処で人が、そのジュースの缶が、時空間の媒質自体を体現し、そしてそのジュースの缶の金属的な構成要素が、その様な折り畳み、または重なり合いに対する通常の空間と時間のもろさ、または抵抗を体現すると理解すると、人はその中において構成要素だった、統一されたフィールド理論におけるトーションの効果の大まかな類推を有します。そして着目してもらいたいのは、十分な捻りと共に、私達の金属製のパイプ、または私達のジュースの缶が、最大限のストレスの地点の正に近くで、最終的にバラバラに壊れる、または乱暴に爆発する事です。これが、パイプの例においてよりも、缶の例においてより早く起こるのは、(一方向の捻りだけでは無く)捻りの対峙している(反対方向の)運動によって、その媒体(アルミ缶)へと、より大きなストレスが加えられているためだと着目して下さい。

これは、私達がナチスのベルの検証に目を向けた時に、第三部において実を結ぶ、重要な概念です。最後に、トーション自体の概念が、渦巻き、または媒質における回転のアイデアに対して緊密に関係している事に着目して下さい。それは、その回転と同じでは無く;それはむしろ、その回転から結果する、その媒質の折り畳みと重なり合いです。

3. The Mistake in Unified Field Theories and Their Discarding by Contemporary Physics
3. 統一されたフィールド理論における過ちと、現代的な物理学によるそれらの処分     14


近代的で、理論的な物理学に関する限り、カルツァの息を奪う様な1921年の超越-次元的な論文によって開始された熱狂であった、1920年代と1930年代の統一されたフィールド理論における最大の過ちは、それが唯一、電磁的、そして重力的な力(作用)を統一する事を求めたためでした。量子力学の台頭してきていた力、「強い」原子的な作用と「弱い」原子的な作用は、共通の幾何学を発見するための努力に含まれていませんでした。²⁴ 故に、完全な理論としての、重力と電磁力の統一におけるそれらの数学的な美しさ、または限定的な成功が何であったにせよ、それらは失敗で、そう言わざるを得ません。この点が強調されなければならないのは、第二部の中で目撃される様に、バーリッツ、モーアー、そしてその他多くが、アインシュタインが実際に、秘密裡に彼の理論を完成させ、そしてフィラデルフィアの実験が行われたのが、この秘密裏に完成された理論の土台の上であったと、誤って主張するためです。第二部において目撃される様に、しかしながら、フィラデルフィアの実験の結果を説明するために、その理論の完成を推定する事は必要ではありません。

物理学者のハインツ Pagels は、それらの理論の失敗を、以下の様に述べました:

1930年代の後、カルツァ-クラインのアイデア(発想/理論)は主流では無く成り、そして何年も無視されました。ですが近年、物理学者達が、重力とその他の力の統一のための、あらゆる可能な方法を求めた際に、それは再び表舞台へと飛び出しました。今日、1920年代とは対照的に、物理学者達は、重力と電磁力だけを統一させる事のみならず – 彼等は、弱い、または強い相互関係と共に同様に、重力を統一する事を求められています。これは、第五次元を超えて、更なる次元を必要とします。」²⁵
_____
24 統一されたフィールド理論を十分に量子力学に融合させる失敗のこの要素に関しては、Michio Kaku, Hyperspace, and Kaku and Thompson, Beyond Einstein, pp. 32-33, 195-197.を検証して下さい。
25 Heinz Pagels, cited in Kaku, Hyperspace, p. 140, emphasis added.


言い方を変えると、カルツァは、彼の時代において先に進み過ぎていて、物理的なフィールドの統一に対する彼の超越-次元的なアプローチ(対処法)は、量子力学が正しく統一されたフィールド理論を造り出すために、必要とされた次元の正しい数を示唆する事が出来るために、十分に進歩するまで、待たなければなりませんでした。

ですが、統一されたフィールド理論の熱狂の突然の消滅のためにはその他の可能な説明があり、そしてペイゲルスは - 間違いなく偶然に – 1930年代において・・・、実際に、1930年代初頭において、カルツァのアイデアがレーダー(表舞台)のスクリーンから消えうせた重要な手掛かりを供給します。言葉を変えると、ドイツにおいてナチス政権が権力へと台頭した時に、統一されたフィールド理論の論文の公表は、多大に減少しました。其処には2つの可能な説明があります。それは、恐らく、アインシュタインと「ユダヤ的な物理学」の、ナチの思想的な禁止でした。ですがそれはまた恐らく、その題材自体が、ナチス政府による、公表以前の検証の対象と成り、「国家機密問題」である、Geheime Reichsache に成ったと言う示唆です。別の言葉で言うと、ナチス政府の内部の誰かが、その理論が機密化され、それらを試験するために秘密裡の研究が成されるべきであると判断したと言う事です。そしてもし、ナチス・ドイツ内部の何者かが、統一されたフィールド理論が実質的に技術開発可能な理論だと判断したなら、特に米国の様なその他の国々においても、同様な結論に至ったであろうと、人は妥当に結論出来るでしょう。

この観測が、ナチスのベルの実験の上で直接拘わる事は、第三部において、より詳細に検証されます。現時点において、しかしながら、着目されるべきは、セオドア・フランツ・カルツァが、アインシュタインとは異なり、1929年において Kiel 大学において数学の教授として任命され、そして1935年においては、Göttingen 大学において数学の正教授に成り、其処で彼は1954年における彼の死去まで、彼の教職に留まり、その戦争の間にドイツを一度も離れなかった事です。その理論のカルツァのヴァージョンは、ユダヤ人によって考え出されたと言う「汚れ」が無かったので、ナチスは、政党の思想的な禁止の対象では無い、統一されたフィールド理論の、少なくとも一つのヴァージョンを有しました。そして私達が第三部の中で目撃する様に、カルツァの理論は、そのベル計画における Königsberg 大学からの、あるとても謎めいた数学者の拘わりに対する、解決策を持つかも知れません。

どんな場合であれ、ナチスが「ユダヤ的な物理学」の、彼等自身の思想的な禁止を撤回し、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論を、とても秘密裡に使用したか否かは別にして、彼等はそれでもその理論の完全に「アーリア的」なヴァージョンを有し - 実際に、正に最初のもので - カルツァ-クライン理論でした。それは故に、それらの理論の実用化 - そして究極的な兵器化の - 示唆を求める誰かにとって、ナチス政権に対して「売り込む」のはとても簡単でした。欠落していたのは唯一、その理論のカルツァ-クラインのヴァージョンへと、トーション・テンサーを応用する、または組み込む事で、そしてその後、電気的な機械に対して技術開発し、そして応用する事でした。²⁶

4. ...But Some Engineers Took Notice Anyway
4. ・・・ですが幾らかの技術開発者達は、当然、気付きました     16


次の重大な手掛かりを供給するのが - 電気的な機械の分析に対するトーション・テンサーの応用である – この最後の明言なのは、その理論の新たな「第五次元」を含んでいる1921年のカルツァ、または1928年のアインシュタインのヴァージョンの多くの問題は言うまでも無く、米国における一人のハンガリー人の移民の電気的な技術開発者が驚くべき観測を行ったためで:
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26 私の考えにおいて、統一されたフィールド理論の中のトーション・テンサー、そしてトーション理論一般の、殆ど気付かれていない示唆の一つは、コザレフの研究においての様に、地域的なシステムの上の素材の効果の説明(計算)を取り入れる事によって、時空間の構造において凄まじいストレスが、電磁的に誘導させられるだけでなく、更に類似した効果が恐らく、原爆的、または水爆的な爆発によって、誘導される事の出来る、その媒質(エーテル)における凄まじいトーションのにおいて結果すると言う事です。これは、早期の水爆的な実験において、それらの実験のために計算された誤差の幅を遥かに超えて、計算された破壊力が多大に暴走した事実を説明するかも知れません。その追加的なエネルギーは故に、その爆発自体の中のトーションの波の誘導の様な、何らかの超越-次元的なハーモニック、またはレゾナンスから由来したのかも知れません。私がその他の場所(本/ギザの死の星、145ページ)で示唆した様に、これは世界の様々な原爆的な権力(核保有国)によって、原爆/水爆的な実験が(何度も繰り返し)続けられたのかの説明かも知れず、彼等は拘わっていた(超越-次元的で)正確で科学的な法則を学ぼうと試みていたのかも知れません。私が其処で記述した様に、それらの法則が、それらの権力者達の最も秘密裡に保たれた秘密の幾らかかも知れないのは、原爆的、そして水爆的な化学反応を超える、もう一つの力(作用)が関わっているかもしれないためです。

同時機動的で、電気的な機械の振る舞いの幾つかは、追加的な次元性、そしてトーション・テンサーと、その地域的な時空間の折り畳みと重なり合いの方法を除いた、その他の土台の上では説明不可能でした。

2. A Little-Known Hungarian Genius and the Forgotten Verification: Gabriel Kron and Einstein’s Unified Field Theory
2.あまり知られていないハンガリー人の天才と忘れ去られた確証:ガブリエル・クロンとアインシュタインの統一されたフィールド理論     18


「同時機能的な機械の本当の科学的な分析が、非-ホロノミック(nonholonomic)な言及の枠組み、または複数次元的な非-リーマンの空間、もしくはリーマン-クリストフェルのカーブ・テンサーの様な、超自然的な概念の紹介を示唆すると聞くと、あなたは笑うかも知れませんが・・・(ですが)電気的な力(電力)の技術開発者が、新たなアイデアと新たな鼓舞のために探さなければならないのは其処です・・・更に加えると、彼はその他に選択肢がありません!」
- ガブリエル・クロン¹

A. Introduction
A. 紹介     19


理論的な物理学が、その不完全性のために、統一されたフィールド理論の数学的な舷側(水面上に出た船の側面)の援護射撃(救出)に忙しかった間、究極的にそれを沈めたのは、その正に同じ不完全な理論を、実験的に確認するために、電気的な回路(サーキット)に対してその正に同じテンサー分析を、不都合な方法で応用した、ガブリエル・クロンと言う名前の、一人のハンガリー生まれの電気的な技術開発の天才でした。この点の重要性が過大評価され過ぎる事が出来ないのは、それがまた、その理論が技術開発可能に成るために²、完全である必要性も無く、そしてそれ(理論)が限定的で、そして現実(物理)世界の説明的な力を持つ必要も無いと実証したためです。
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1 Gabriel Kron, cited in P. Alger, ed., “Gabriel Kron,” in The Life and Times of Gabriel Kron, Chapter II, Section II (Schenectady, NY: 1969), p. 284, cited in K.L. Corum, J.F. Corum, Ph.D., J.F.X. Daum, Ph.D., “Tesla’s Egg of Columbus, Radar Stealth, the Torsion Tensor, and the ‘Philadelphia Experiment,’” (1994) Tesla Symposium at Colorado Springs, CO).
2 この観点の致命的な重要性は、その確認が、近年まで、あらゆる予測可能な人間の電力産出(地球規模)を全く超えたエネルギーを必要とした弦理論(ストリング/ひも理論)の異なった種類に対する比較によって、最も上手く理解されるでしょう。最近に成って、「低エネルギー」の弦理論が提案され、それは究極的に、確認の幾らかの可能な方法を約束するかも知れません。ですがそれらが進歩するまで、弦理論は - 確認の方法のこの重大な欠如(i.e. 実験不可能性)のために - 科学的な理論と言うよりは、形而上学的な教義の、より喚起的で、数学的な形式(数式)化のまま(つまり、宗教)です。統一されたフィールド理論の彼の形式的で実験的な確認によって、クロンは実際に、その後に便利だと証明されるかも知れない技術的な開発の可能性の一線を指摘しました。


ガブリエル・クロン
1 kron

B. A Brief Biography of Gabriel Kron
B. ガブリエル・クロンの端的な履歴     23


あらゆる認識によっても、ガブリエル・クロンは、20世紀の真の「個性」の一人で、そしてその讃えられていない天才の一人でした。クロンは、カルパティアン山脈奥深い、Nagybanya のハンガリーの街において、1901年に生まれました。クロンは幼少期から言語に対する才能を現せさせ – 彼の父は信心深いユダヤ教徒だったので - 幼い歳頃においてヘブライ語を習得し、そしてその後、フランス語とドイツ語を学び、そして最終的に、英語を習得しました。クロンは、多かれ少なかれ、アメリカの高校に加え、大学の一年目の授業と同等な、高等教育学校である、Gymnasium に入学しました。其処で彼は、物理学、数学、そして天文学を学びました。クロンは、第一次世界大戦における兵士として、少量の年金をもらっていた彼の兄、ジョセフに、技術開発を研究するために米国に、彼(ガブリエル)と共に移民する話しを持ちかけました。

家族の後ろ楯と共に、ジョセフとガブリエル・クロンは、アメリカへと旅立ち、1921年1月において到着しました。最終的に、クロンと彼の兄は、ミシガン大学の技術開発学部に入学希望を提出し、そして受け入れられました。クロンは彼の大学時代の経験を以下の方法において描写し、基準的な「考え方(固定概念)」の箱の中に閉じ込められる事を拒否した自由に考える人としての、彼の個性(特徴)への重大な識見を与えます:

「自由なスピリットが、事前決定された日課(授業)に従う事を強要された時に何時でも起こる様に、私はその授業が教えたもの以外の全てを学ぶ事を欲しました。教師が、生徒自身のためと考えるもの(授業)では無く、人(生徒)が学ぶ事を望むものを学ぶ時間をどの様に見つけるのかは、好奇心旺盛な学生の多くにとって、永久の問題であるはずです。最終的に私は、金曜日の正午に、授業の全てが終わった後に、私の(自習の)スケジュールを調整するアイデアを思いつきました。金曜日の昼から月曜日の朝まで、毎週、三日間、私は通常の授業の学習の邪魔無しで、私自身の個人的な学習のスケジュールをこなす自由がありました。一週間のその他(の時間)は、機械化された授業の祭壇の上の生贄として、私は考えました。」³

彼の学位を会得した後、クロンはミシガン大学において教員に成る事を招待されましたが、断り、究極的に、世界中を旅する彼の夢を選択しました。

1926年にアメリカの市民と成った後、クロンは、彼のポケットの中のたった300ドルと共に、そして彼の夜間の読書のための微分方程式についての一冊の本と共に、ハイチ行きの貨物船に乗り込み、彼の夢を満たすために船出しました。其処で彼は、彼の世界旅行中に彼が頻繁に行った様に、木陰の下で彼の数学的な本を読みながら、午後の昼寝の時間を過ごし、一家と共に数週間過ごしました。「フィージーにおいて微分方程式の彼の学習を終了した後、彼はその本を空っぽのオイルの缶に入れ、大きな木の下に埋め、それを、先住民達によって食べられてしまった早期の宣教師達の記憶に対して捧げました。」⁴

フィージーから、オーストラリアのシドニーに移り、クロンは、彼の資金不足を改善するために、ワット-メーター(電力計)を造っている電気的な工場において仕事に就きました。これを終えた後に、彼はヴェクトル分析についての本を購入し、そしてクイーンズランドへとヒッチハイクしました。電気的な機械のテンサー分析における彼の革新的な研究に成るものの概要を彼が始めたのはこの期間の間でした:
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3 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 7.
4 Ibid., p. 8.


「クイーンズランド(オーストラリア)を通り、そして後にアジアを通ったそれらの長い散歩において、私の頭の中で、多くの次元のヴェクトル分析の概要が形を整えさせられました。知られざる領域の想像的な座標との、私の常日頃の没頭の刺激の下で - 電気的な機械、または橋、もしくは飛行機の様な - 技術開発的な構造の類推的で、思考的な構図が、私の頭の中でそれ自体を刻みました。それらは(分析の目的のために)、数多くの国々、島国、そして大陸が、道路の網目、関税、そして法律によって、相互関係させられている正に同じ方法の様に、一つの単位(ユニット)へとまとめられた、関連した数々の複数-次元的な空間の集合体として現れました。

「もし様々なメンバー(国々/州)の間の通信が失われたとしても、物理(現実)的には何も失われてはおらず、一つにまとまった米国を48種の独立的な州へと変格させる無形の何かと同様か、または一つの飛行機を何千もの部品へと分解するのと同じなだけです。何年も後に、私は、私が発展させようと試みた、その様な微積分の一種のための、テンサー分析の名の下で、数学者達が既に確かな土台を築いていた事を知りました。」⁵

オーストラリアのクイーンズランドから、クロンはその後、サイゴン(ヴェトナム)から歩く事によって、マニラ(フィリピン)、香港、そしてサイゴンの、有名な太古の遺跡を通り、現在はカンボジアとして知られる、アンコール・ワットへと辿り着きました。其処から彼は Aranha へと旅し、そして其処から

バンコク行きの列車に乗り、その後、ブルマ(ミャンマー)の Cokcrake 行きの太古の貿易ルート(シルク・ロード)を通ったキャラヴァン(一行)に続きました。彼はラングーン(ビルマ/ミャンマー)まで歩き、カルカッタ(インド)行きの船に乗り、アグラまで歩き、其処で彼はタージ・マハールを見物しました。彼はカラッチのインドの砂漠を列車で渡り、ペルシャ湾を渡る船に乗り、そして列車でバグダッド(イラク)まで行き、その途中にウル(メソポタミア)の遺跡を観賞しました。彼はダマスカス(シリア)へとアラブ砂漠を渡るトラックの乗車に5ドル払い、その後再び、徒歩でギザ(エジプト)へと向かいました。彼はピラミッドを観るためにカイロへと列車で急ぎ、コンスタンティノープル(トルコ)からアレクサンドリア(エジプト)へと渡航し、そして列車でブタペスト(ハンガリー)へと行き、彼のポケットの中の極少数のコインと共に、一人の友人の家に、真夜中に到着しました。⁶

ブタペストの彼の友人は、クロンの故郷への彼の旅路を資金援助し、彼の既にボロボロの靴は、アメリカへと出発して以来、初めて彼を、彼の家族と再会させました。其処に彼は数か月間留まり、彼の後の妻、アンと社交し、そして
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5 www.quantum-chemistry-history/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, pp. 8-9,
emphasis original.
6 Ibid., p. 9.


米国に戻り、1928年において、オハイオ州のクリーヴランドのリンカーン電気会社を共にした仕事に戻る前に、学習を続けました。

2年後、クロンは、それぞれが徐々に、機械のより完全な分析に成った幾つもの論文の最初を公表しました。彼の公表された論文の全ての基本的なテーマは、原則的に同じで:彼は電気的な機械の全ての種類が、一般化された機械の特別な場合で、そしてつまり、一般的な機械を理解する事は、新種の開発に繋がるであろうと考えた事です。⁷ 正に、テンサー分析がこの洞察に関係していたのかは、後に直ぐに見られるでしょう。

例外的な幸運によって、クロンは、彼が行わなければ成らなかったウォナー・ブラザーズ社の部署において大不況の最中において、多大な給料を支払われる位置に至り、ですからクロンと彼の妻が、第一次世界大戦の間の条約の一部として、ルーマニアに対して返された(帰属された)、ハンガリーの一部へと戻らなければならず、其処でクロンは、リーマン幾何学とテンサー分析を学ぶために努力しました。

これが、クロンにとって、起死回生だったのは、「機械における電気的、磁気的、そして機械的な作用の、それらの難解な概念と複雑な相互関係の間の類推」を見た(理解した)ためで、彼は「回転している電気的な機械の非-リーマン的な流動性」についての彼の典型的な論文を書き、そのために彼は、1935年において、ベルギーのリージュ大学からのモンテフィオレ賞を受賞しました。⁸ これが重要な点なのは、モンテフィオレ賞は有名な光栄で、国境線を超えて、クロンの論文と考えを、必然的にナチスのの注意へと引寄せたはずであったものだったためです。この事実は、殆ど理解されていない、または、全く記述されていない事は別に、第三部において体現された推理のための多大な重要性を担います。

ルーマニアから米国に戻ると、クロンは、最終的に1934年においてジェネラル・エレクトリック(G.E./ロックフェラー)に雇われました。其処で彼は1966年における彼の引退まで、彼は其処(ジェネラル・エレクトリック/ロックフェラー)に留まりました。しかしながら、クロンが、彼の賞を受賞した論文を埋もれさせる事をしなかったのは、明言されるべきでしょう。彼は、その後2冊の重要な本である、1939年におけるネットワークのテンサー分析、そして1940年には、電気的な技術開発者達のための、テンサー分析における短期講座を記述しました。クロンは、1968年に亡くなりました。
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7 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 9, emphasis added.
8 Ibid.


彼の記述は大量で、100種の数を超えた特殊(専門)的な論文で、それらの殆どに、電気的な機械の上のテンサー分析を使用した彼の洞察が応用されました。この文献の殆どは不透明なまま、またはクロンの書籍における、より詳細な記述の幾つかを利用しようと試みるにおいて、この筆者が発見した様に、とても金銭的に妨害的で(値段が高すぎて手が出せず)、そのため、軍事的な研究に関連した大企業の、技術開発部門における極少数の例外を除いては、クロンの研究は今日まで実質的に知られていないままです。どんな場合であれ、クロンの研究は、理論的な物理学者達と科学の歴史家達には、殆ど全く知られておらず、それらの重要性が、この章の後に、もっと完全に探求される点です。クロンの研究はとても稀少なので、私達が1959年のドーヴァー出版の彼の本、サーキット(回路)のためのテンサーに言及するのが何故なら、この本が彼のその他の研究において見つけられる中心的なアイデアの多くを含み、そして多かれ少なかれ、一般の大衆に対して利用可能であるためです。

C. The Theme of Kron’s Work: The Tensor Analysis of Electrical Machines
C. クロンの研究のテーマ:電気的な機械のテンサー分析     23
1. Tensors before Kron and the Reception of Kron’s Work
1.クロン以前のテンサーと、クロンの研究の評価     23


電気的な機械に対するテンサー分析の応用についてのクロンの研究の発展以前に、「実用的」な物理学の応用においてテンサーが有した殆どの使用は、一般相対性理論における重力的なフィールドの幾何学においてでした。このコンテキストにおいてテンサー分析は、実験室の机の上では無く、とても大きなものである:惑星、恒星、そして銀河の物理学に対して、応用可能な様に現れました。数学的なテクニック(技術)のクロンの応用が故に、革新的なもの以外の何ものでも無かったのは、それがテンサー分析を地球上に戻しただけでなく、実験室の机の上に戻した(i.e. 実験可能にした)ためでした。この一歩の革新的な本質は、理論的な物理学の発達の基準的な評価のコンテキストの中へと入れられないと、正当に高く評価される事は出来ません。
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9 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 11.

何故かを理解するために、唯一人は、統一されたフィールド理論の、歴史的、そして概念的な土台を少々、詳しく観て見るだけで良いでしょう。ティルマン Sauer は、彼の記事、「アインシュタインの統一されたフィールド理論の計画」の中で、「電磁的なフィールドが、相対性的で、重力的なフィールドの例に引き続き、再概念化されなければならない、説得力のある理由は何も無い、」と明言します。¹⁰ 言い換えると、一般相対性理論のために、アインシュタインが成功的に応用した幾何学的なアプローチ(接近の仕方)は、電磁力を含ませた統一されたフィールド理論のために、何らかの実際の形式的、または観測(実験)可能な土台が欠けていました。更に言葉を変えると、アインシュタイン – または、その課題のために - カルツァが、彼等の論文の中で達成した成功は、唯一、拘わった数学的な証明によるものでした。其処には – 未だに - その2つのフィールド(重力と電磁力)が関連しているはずであると言う、妥当で観測的な根拠がありませんでした。¹¹

これに関して、クロンの研究が正に革新的だったのは、恒星と惑星の重力的なフィールドの、理論的な物理学者達の計算を共にして、彼等の手の中からテンサー分析を彼(クロン)が取り戻し、そして、更に重要な事に、トーション・テンサーの様なテンサー・トランスフォーム(変換)を、電気的な技術開発者の実験室の机の正に上へともたらした(実験可能にした)ためです。
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10 Tilman Sauer, “Einstein’s Unified Field Theory Program,” Einstein Papers Project, California Institute of Technology (Pasadena, CA, April 11, 2007), p. 4.
11 Sauer はまた、「統一化における試みのための確認、または否定の本質的な条件は、あまりはっきりと定義されてはいません。それらに含まれていたのは、まず初めに、重力的、そして電磁力的なフィールドのための、知られている方程式が、何らかの制限的な場合において得られなければならないと言う要求でした・・・その数学的な体現は、何らかの非特定的な感覚において、重力的、そして電磁力的なフィールドに対して、左右対称的な役割を担わせなければなりませんでした。より厳密な感覚において、その2つのフィールドの体現は、重力的、そして電磁力的なフィールドを統治している2つの別々の方程式の一連へと分離可能であるべきではありませんでした。言葉を変えると、その統一化された描写(数式)は、その2つのフィールドの非-平凡(ささいな/簡単な)ミックス(混合)の何らかの種を、本質(内在)的に許すべきではありませんでした。ですがこの混合(ミックス)は、純粋的で、体現化(数式化)の段階の上で起こるかも知れず、そして故に原則的に観測不可能かも知れません。この後者の仮定はまた、故に、その統一化がまた、少なくとも原則において、新たな物理的な効果を予測すると言う、更により強い状況を必然的に必要としません、」と観測しました。この多かれ少なかれ形式的なアプローチが、統一されたフィールド理論が存在する状況で、そしてそのアプローチは、今日まで、理論的な物理学の発展の基準的な歴史に残るままです。このアプローチは、例外無く、クロンの研究を完全に無視し、1920年代と1930年代の統一されたフィールド理論を、その科学技術的な開発のための実用的な示唆が実質的にゼロである、純粋に形式的で、数学的な構成として見解します。人は、その同じ歴史を検証し、そして急進的に異なった結論に辿り着いた技術開発者達を見つけるためには、ビアデンの研究、またはコルムスとダウムの論文の様な、オルタナティヴで科学的な文献を読まなければなりません。ミチオ・カクは、例えば、ストリング(弦)理論の彼の歴史(のまとめ/説明)において、その理論の実験不可能性を強調するために横道にそれる様で、統一されたフィールド理論の歴史に対する関連性において、クロンの研究に全く一度も触れません。


効果的に、クロンが述べていたのは、つまり、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論が、電気的な技術開発者達によって、頻繁に気付かれた、特定の例外(変則を説明するための土台を形成すると言う事でした。実際に、この章に対する碑文が示唆する様に、その概念は、それらを説明するための、唯一の方法でした。効果的にクロンは、電気的な機械の特定の振る舞いが、その理論を変化させたと述べていましたが、それだけではありませんでした。もしそれらの振る舞いが、その理論を変化させたなら、するとその理論は、その変則が一度理解されれば、技術開発可能であると言う事でした。そして、それらを理解する方法は、その理論を形成するために使用された、正に同じテンサー分析に対して、それらを対象にする事でした。

言うまでも無く、クロンの研究が、単純で技術開発的な問題に対して応用された時に、技術開発者達によって、複雑過ぎるとして頻繁に無視され、そして理論的な物理学のコミュニティーによって - 少しでも言及されたとしても – 横暴で誇り高い態度で言及されるのは、テンサー分析の応用によって「電気的な機械の一般相対性理論」の一種を求める事における事実で、そして正にこの理由のためでした。彼等(技術開発者達と物理学者達)にとって、クロンのアイデアを体現している彼の実用的で、非-精密な方法が唯一意味したのは、彼のアイデアが精密で数学的な「証明」に欠けていて、そしてそれを欠く事によって、それらが無視される事が出来ると - そう彼等が考えた事です。¹²

バネシュ・ホフマンは、クロンのサーキット(回路)のためのテンサーに対する彼の紹介文の中で、この分裂(誤解)をまとめます:

「何故、クロンの研究は、その様な一般的な強い敵対心を奮起させたのでしょうか?一つの理由は、疑う余地無く、その大胆なオリジナル(独創)性だったのは、発明家の運命がスムーズなのは珍しい為です。もう一つは、それが行う様に、電気的な技術開発と、テンサー分析の、以前には別々だった分野を一つにもたらす、クロンの総合化の正に本質の中にあります。当時の時代において、クロンの研究を評価する能力があった人が殆ど無かったのは、電気的な技術開発に精通していた人達は、その殆どにおいて、テンサー分析を知らず、そしてテンサー分析に精通していた人達が、電気的な技術開発を知らなかったためで・・・(ですが)その様な問題があったにしても、素晴らしい(クロンの)統一化によって、十分に補われるでしょう。
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12 クロンのアプローチの最も敵意的な批評の幾つかが、ドイツから現れたのは、恐らく重要でしょう。Q.v. Banesh Hoffmann, “Introduction,” Gabriel Kron, Tensors for Circuits, p. vii.

「ですが、クロン自身がまた非難の対象なのは、彼が説得的な説明者に成る事から程遠い為です。彼の、精密さが未熟な概念、証明の代わりにおける「仮定の一般化」に対する彼の訴え、リーマン-クリストフェルのカーブのテンサーや、統一されたフィールド理論の様な、印象的に聞こえる用語をちらつかせる事によって好感度を上げ様とする、幸運にもこの本からは欠如している、彼の試み - それらとその他の欠陥は、多くの人達を遠ざけました。

「・・・彼に対する正当な不満の全てを、私達はぶつけましょう。しかし、そうは言いても、クロンを、大規模な重要性の発明家として刻印を押す、研究の深い感銘を与える総体性が残ってあります。」¹³

「リーマン-クリストフェルのカーブのテンサー」や「統一されたフィールド理論」の様なテンサー分析の、その様な用語のクロンの使用を、クロンが「印象づける」ための「有名な用語をちらつかせる」方法として、ホフマンが非難する事に着目して下さい。ですが、そうする事において、ホフマンは、クロンの研究全般、そして彼のサーキットのためのテンサーにおける最も重要な要素を見落とし、それは、特に、1940年代の早期において、クロンが出版した本の焼き直しでしかありませんでした。端的に、電気的な機械のクロンの分析は、アルバート・アインシュタインが、彼の1928年の論文の中で概要し始め、主要な構成要素としてトーションを含めた最初である、とても「不完全」な統一されたフィールド理論の上に、部分的に基づいていました。私達が第一章において観測した様に、その理論は、カルツァの五次元的な理論の「より高い次元的な方法」によって鼓舞されていました。手短に云うと、クロンの研究は、電気的な機械のテンサー分析から、彼の1934年の論文を形成し、唯一、カーブした幾何学、またはトーションのどちらかの何らかの形状を含んでいる、より高い次元的な理論が、電気的な機械、特に、回転を含んでいる、もしくは複雑なネットワーク(回路)に接続された、電気的な機械の、特定の観測された、そして良く知られた特徴を説明する事が出来ると主張しました。それらの現象が何であったのか、そしてそれらを説明するために、クロンの研究がどの様に役立ったのかは、直ぐ後に更に触れます。

上述された様に、クロンは、「電気的な機械の全ての種類は、一般化された機械の特別な場合であるはずだと考え、そして一般的な機械を理解する事は、新たな種の開発に繋がるだろうと考えました。」¹⁴ ですがこれは、テンサー分析に対して、何の拘わりがあったのでしょう?

この問いに答えるために、私達は、テンサー微積分学について、それが何を行い、そしてどの様にそれを行うのかについて、もう少し、よく知らなければなりません。テンサー分析の基本的な問題は、数学的な座標の一つのシステムにおいて表現された、幾何学的(立体的)、または物理的な物体の一種がどの様に、またはその同じ物体ですが、言い換えると、言及(座標)の異なった枠組み、または座標システムから見解された、もう一つの物体へと変換される事が出来るのかと言う事です。
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13 Banesh Hoffmann, “Introduction,” Gabriel Kron, Tensors for Circuits, p. viii, emphasis in the original. 14 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 9.

これは、テンサー分析が(それを)扱うために開発された基本的な問題で、そして一つのシステムからもう一つへと変換させる行程は、テンサー・トランスフォーメ―ション(変換)として知られています。そのテンサー変換は、順を追って、例えば、五次元における物体の、四次元における同じ物体への変換等々を描写する事が出来ます。これが意味するのは、テンサー変換の様なあらゆるテンサー・トランスフォーメーションは、それ自体が実際の幾何学的なものであると言う事です。故に、クロンにとって、

テンサー変換は、例えば、一つの電気的な機械の方程式を、もう一つの異なった種の電気的な機械のものへと変化させます。人はプロトタイプの機械を - 原型的な機械を - 造り上げ、その方程式から人は、相応しいテンサー変換を応用する事によって、電気的な機械のその他全てのものを会得します。これは、それ自体において、熟達した統一化です。ですがクロンは追加的に、どの様に、与えられた機械の確立された異なった理論が、テンサー変換によってお互いへと変換可能なのかを表します。」¹⁵

クロンは、言葉を変えると、あらゆる電気的な機械が、テンサー変換の方法によって、その他のあらゆる電気的な機械から派生される事が出来るかを実証しただけでなく、また、一つの電気的な機械の理論がどの様に、その同じテンサー変換によって、その他全ての電気的な機械の理論から派生させられるかを表しました。故に、彼の研究は、実証と実用、そして理論化と理論の統一化であるだけでなく、実用化と理論化の統一化でした。

私達は此処で、私達が有しているものに注目しましょう:

1)クロンの研究は - 彼の幾つもの論文が証言する様に - 1920年代と1930年代の、より高度で次元的な、統一されたフィールド理論に対して、クロンによって特定的に帰属可能なテンサー分析の要素の上に、はっきりと依存し、そしてこの産出(結果/成行き)の幾つかの場合において、トーションに対して特定的な言及が成されます;
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15 Banesh Hoffmann, “Introduction,” Gabriel Kron, Tensors for Ciruits, p. ix.

2)(それについては、後に直ぐに更に触れますが、)単純な方法の土台の上でクロンは、あらゆるその他の電気的な機械から、あらゆる電気的な機械を派生させ、そしてあらゆるその他の電気的な機械の理論から、その機械の理論を人は派生させる事が出来るかも知れないと実証するために、テンサー分析に頼り;そして、

3)つまり、実証的、そして理論的なテンサー・トランスフォーメーションは、それら自体が統一化されていました。

その最後の点は - 結局の処、重力と電磁力の統一化が、その様な理論の要点全体なので - 統一されたフィールド理論のあらゆる概念から明らかに流れる様に見えるかも知れません。ですが、クロンが正に革新的な何かを行ったのは、以前の章からの最初のその様な理論である、セオドア・カルツァの理論が、あらゆる基準的で、理論的な計算によると、厳密な調査をするために、地球全体の上で利用可能なものよりも、更に大きなエネルギーを必要とする程、とても小さい、追加的で、空間的な(量子)次元を有していたためだと思い出して下さい。成り行きとして、電気的な機械 – 特に回転していてネットワーク化された機械における - 特定の観測可能な現象は、時空間のカーブ、または地域的に起こっているワープ(時空間の歪み)の何らかの形状を含んでいる、より高い次元的な理論によって、唯一説明される事が可能であると主張し、クロンがまた述べていたのは、その「不完全な(統一されたフィールド)理論」が全体的に技術開発可能であると言う事でした。

これは実に革新的でした。

クロンの観測のタイミングが、一時も無視されるべきでは無いのはまた、それらが行われたのが正に、第二次世界大戦の雲行きが誰にでも明らかに目視可能な時代だったためです。一般において、そして特に、アメリカとナチス・ドイツにおける、効能的な戦闘員達(徴兵される可能性のある学者/学生達)が、クロンの研究の膨大な示唆に全く気付いていなかった可能性があるはずが無いのは、本質において、クロンが、時空間を地域的に技術開発する事が出来る効能(可能性)のパンドラの箱を、彼等のために開いたためです。それは、順を追って、膨大な効能(破壊力)の科学技術の応用を可能にし、その科学技術は理論において、「光を曲げる」、または言い換えると、核兵器が(比較的に)爆竹の様に見える兵器において、空間の正に繊維を折り畳み、重ね合わせます。これに関して、アインシュタインがアメリカに移民し、其処で、成功的な統一されたフィールド理論の探求において彼の人生を費やし、その間、最初の開発者であるセオドア・カルツァが、ナチス・ドイツにおいて留まった事が思い出されるべきでしょう。

すると、最終的に戦争し合うそれらの2つの国家(米独)において行われた統一されたフィールド理論の異なったヴァージョンの様々な示唆を試験するためにデザインされた、あらゆる姿を有する2つの実験である:アメリカのフィラデルフィアの実験と、そしてナチスのベルは、偶然ではありませんでした。また、それに対してベルギーのリージ大学が、クロンにそのモンテフィオレ賞を受賞させた、彼の1934年の論文の公表と共に、そしてナチス政権の台頭と共に、ナチス・ドイツにおいて、統一されたフィールド理論の全ての出版が止まった(禁止された)のは偶然ではありませんでした。ガブリエル・クロンのテンサーのロード・マップ(地図)の御蔭で、その理論と、技術開発可能で、軍事的な応用の間の点と点を、恐らくその両国(米独)における誰かが、一つの線に繋げたのでしょう。

2. Kron’s Basic Method of Tensor Analysis of Electrical Machines
2.電気的な機械のテンサー分析の、クロンの基本的な方法     29


現時点において、しかしながら、私達の注目は、クロンと、そしてテンサー分析の彼の方法について、彼自身が明言したものの上に集中しなければなりません。クロンにとって、

「象徴的な方程式の確立は唯一、それと共に産工業的な文明の技術開発者が直面する、特定の問題の無限の種類に対して応用されるために、比較的に少数の、象徴的な方程式を自動的に展開する、スムーズに機能しているメカニズムを構成する最終的な目的に向かった次の一歩でしかありません。

このメカニズム(機械性)は、相互関係した現象の迷路を技術開発者が渡る(対応する)際の対処法としての役割を果たす理由づけ(合理化)、哲学の方法以外のなにものでもありません。」¹⁶

テンサー分析が、理由づけ、元々、はっきりとした機械の部分(部品)の相互関連性を表現している方法以外のなにものでも無いと確立した後、クロンは、彼の基本的なアプローチをまとめ、それは単純性そのもので:

「例えば、タービン(回転している原動機)に操作されているシステム、または電気的な speed drive (加速動力)の、技術開発的な構造の、一時的で、一定的な状態を判断してみましょう。その段階は以下の様に続きます:

「1.その与えられた(それぞれの)システムは複雑なので、それを直ぐ様分析してはいけません。代わりに、まず最初に、分析するためにもっと単純な(または、その方程式が、以前の機会に既に確立された)もう一つの関連したシステムの方程式を設定しましょう。
_____
16 Gabriel Kron, Tensors for Circuits, p. xxi, emphasis added.

「2.その後、その単純なシステムの方程式を、その複雑なシステムの方程式へと、慣例的な行程によって変化させましょう。

「テンサー分析は、それによって単純な(または知られている)システムの方程式が、与えられた(それぞれの)システムのものに対して変化させられる慣例的(一貫的)なルールを供給します。

「・・・

「1.それぞれの構成要素(部品)が簡単に分析される事が出来る様に、特定の意図的に配置された接続部を取り外す事によって、複雑なシステムを、幾つもの構成要素(部品)へと分解します。この分解は、幾つかの段階的な方法において達成されるかも知れません。

「・・・

「一度、(例えば、調速機の様な)構成要素の部品の方程式が確立されれば、異なった技術開発的なシステムの構成要素的な部品として使われた時に、その方程式が再び始めから確立されなければならない必要性はもう全くありません。つまり、テンサーの言語における全ての調査の結果は、丁度、基準化された機械の部品が、様々な構造において再構築(再利用)されるために保存されておく(しまっておく)事が可能な様に、問題の異なった種において、後に使用されるためにしまっておく事が可能でしょう。

「2.その複雑なシステムを、幾つもの構成要素のシステム(部品)へと分解する事に加えて、元々(原型)において、または分解されたシステムにおいて、新たな、言及の枠組みの単純な種類を仮定しましょう。

「例えば、もし可能であれば、曲線軸(curvilinear axes)の代わりに直線軸(rectilinear axes)を仮定し、または角度におけるブラシの代わりに、主要な軸(中軸)に沿ったブラシを仮定する等々です。その新たな軸は、(例えば、左右対称的、または普通の座標の様な)実際に存在している仮定的な軸かも知れません。

「『創始的/原始的なシステム』の方程式から、実際のシステムの方程式へと移行する通例の順序は、通常、『トランスフォーメーション(変換)理論』、または『言及の枠組みのトランスフォーメーション』として言及されます。この行程は、テンサー分析の背骨です。」¹⁷

言葉を変えると、人は単純に、与えられたシステム(機械)の構成要素(部品)を『分解』しなければならず、そしてその後、より『原始的/単純』ですが、類推的なシステムを分析しなければなりません。¹⁸ また、着目してもらいたいのは、クロンがまた、アインシュタインの相対性理論的な言及の枠組みを、検証の下にある電気的なシステムの用語において定義したためで、もう一つの革新的な一歩でした。
_____
17 Kron, Tensors for Circuits, pp. xxii-xxiii.
18 『tearing/引き裂き』と『原始的/創始的なシステム(原型的なシステム)』、そして『類推的な』システムの用語(定義)は、クロンのものです。着目されるべきは、クロンは、『類推的な』システムが何かも、言ってしまえば、あらゆる場合において、何が形式的に、そしてはっきりと類推を構成するのかの、形式的で、はっきりとした定義を全く供給しませんでした。ですがこれは、その様な形式的で、はっきりとした定義が、それ以外であれば形式的な思考である殆どにおいて欠如していたので、彼の責任(失敗)ではありませんでした。類推の形式的にはっきりとした微積分学の構築は、その様な微積分学が、同じ象徴的(シンボル的)な言語において、類推の非-量子化可能な形状のためと同時に、より単純に量子化された、または計算可能な種類の両方を説明しなければならなかったので、最も難しい課題の一つであったためです。


3. The Transformation Tensor and Electrical Machines
3.トランスフォーメーション(変換)テンサーと電気的な機械     31


テンサー分析のテクニック(技術)を通して、クロンがどの様に、一つの電気的な機械を、もう一つへと変換する事が出来たのかを理解するために、彼がどの様に、技術開発のコンテキストにおいて、「トランスフォーメ―ション・テンサー」の概念を定義したのかを検証する事が必要です。私達は最初に、そして長文においてクロン自身を引用し、そしてその後、その意味を明かすためにテクニカル(技術的)な用語を展開します:

n-方向の複数マトリックス(基盤/母体)の集合が、物理的な存在を形成し、ヴァレンス(結合価) N のテンサーは、もしトランスフォーメーションの複数マトリックス C の助けを共にするなら、それらはもう一つのものへと変化させられる事が可能です。

「(1-マトリックスによって、それぞれの言及の枠組みの上で体現された)ei の様な、「結合価1のテンサー」は、「ヴェクトル」と呼ばれます。パワー(出力/ P )やエネルギー(電力/ T )の様な「結合価0のテンサー」は、「スカラー」と呼ばれます。その他の結合価のテンサーは、特定の名前を有しません。Z はすると、「インピーダンス(交流における電圧の電流に対する比)テンサー」と呼ばれた「結合価2のテンサー」です。

「一つのテンサーは、その結合価として、多くの C (または CtC⁻¹、Ct⁻¹)の助けと共に変換されます。故に ei は一つの C を必要とし、Z は2つの C を必要にし、P は C を一つも必要としません。異なった数の C を引き寄せる、テンサーの「化学的」な性質のために、「結合価 n のテンサー」の表現が起因しました。多くの記述者達は、しかしながら、それを未だに「ランク n のテンサー」と呼んでいます。

テンサーは、変換のはっきりとした法則を共にしたマトリックスだと頻繁に云われます。実際には、テンサーは、一つの物理的な存在で、そしてそのプロジェクション(投影/見積もり)は、n-方向の複数マトリックスです・・・

(a) ある問いが此処で台頭し:n コイル(巻き数)を共にした、全てのシステムの複数マトリックス、e, I, Z 等々は、唯一、物理的な存在 e, i, Z の異なった要素だと言う事が必用なのでしょうか?・・・

「特定のシステムの複数マトリックスがテンサーだと言われる時、このシステムと共に関連した全ての方程式は、物理的に類推的なシステムの集合の方程式として、テンサーの定義において全く同じだと言う事が自動的に続きます。」¹⁹

ですが、この技術的な用語の全ては何を意味するのでしょう?

私達は以前の章からの、カルツァの元々の洞察を思い出しましょう。其処で、彼はアインシュタインの一般相対性理論の四次元的なシステムを扱い、そしてそれに対して新たな追加的な次元を加え、それは、結果的に、電磁力のためのマックスウェルのフィールド方程式を合併しました。
_____
19 Kron, Tensors for Circuits, p. 40, all distinct font types in the original.

テンサー微積分学において、その4つの次元 - 空間の3つと時間の1つを共にした - アインシュタインの一般相対性理論の基本的な方法は、以下の様に見えるマトリックスの方法によって、数学的に表現されました:

g₁₁   g₁₂   g₁₃   g₁₄

g₂₁   g₂₂   g₂₃   g₂₄

g₃₁   g₃₂   g₃₃   g₃₄

g₄₁   g₄₂   g₄₃   g₄₄

この4 x 4のマトリックスは、そのマトリックス(基盤/母体)の次元、または「ランク」です。縦枠、または横枠におけるそれぞれの数値は「エントリー(記入)」と呼ばれ、そしてそれぞれのエントリーは、実際に、一つの全体的な方程式の構成かも知れません。テンサーは、その様なマトリックスを、もう一つへと変換している方法です。テンサーの異なった種は、それらのエントリーがどの様に、一つのマトリックスにおける一つの位置(座標)から、新たなマトリックスにおけるもう一つの位置へと変換されるのかを表現します。故に、もしこの4 x 4のマトリックスのモデルが空間における物体、または空間自体でさえあるなら、すると、そのエントリーの再編成を共にしたこのマトリックスの変換は、物体の新たな種、または空間の新たな種(座標)を表現するでしょう。

此処で、カルツァが行ったものを思い出して下さい:彼は単純に、アインシュタインの四次元に、一つの追加的で、空間的な次元を加えました。マトリックスの定義において、するとカルツァが加えたものは、それぞれが新たなエントリーを共にした、一つの追加的な横枠と、一つの追加的な縦枠でした:

g₁₁   g₁₂   g₁₃   g₁₄   A₁

g₂₁   g₂₂   g₂₃   g₂₄   A₂

g₃₁   g₃₂   g₃₃   g₃₄   A₃

g₄₁   g₄₂   g₄₃   g₄₄   A₄

A₁    A₂    A₃    A₄   (スカラー)²⁰
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20 Q. v. Michio Kaku, Hyperspace, pp. 100-103, for a discussion of this diagram and its meaning. The diagram itself is produced on p. 102.

カルツァの追加的な横枠と縦枠は、An のエントリーによって示されています。故に、「gnm」の定義によって記述されたエントリーは、一般相対性理論の方程式を意味し、「An」の定義によってマックスウェルの方程式が意味されます。着目してもらいたいのは、クロンが「ヴァレンス(結合価/数価)n のテンサー」の用語によって呼ぶものが単純に、その他の者達がランク n のテンサーと呼ぶもので、其処でその「n」は、一つのマトリックスにおける横枠と縦枠の数によって体現された次元の数を意味する事です。同様に、クロンが複数マトリックスの「n-方法」を述べる時、彼が単純に意味しているのは、n x n エントリーの四角(枠)のマトリックスの整列、またはランク n のテンサーです。

クロンの明言の示唆は既に明らかに成りましたが、それらが誤解され無い様に、それらを鮮明に明言する事が最善でしょう:チャージ(電荷/e)、インピーダンス(交流における電圧の電流に対する比/Z)等々は、人が通常それらを考える様に、抽象作用では無く、それらは、それが電気的な回路、または機械の、異なった要素でしか無い、「一般化された電気的な機械」の実際の物理的な存在で、構成要素(部品)です。故にそれらの存在(部品)は、テンサーによって、一つの機械から、もう一つへと変換(部品が再利用)されるかも知れず、人が唯一知らなければならないのは、クロンの記述において C によって代理された、一つの機械のマトリックスを、もう一つへと変換する、特定的な変換テンサーです。エントリーの新たな配置を知ると人は、新たな機械の構成要素(部品)がどの様に相互関係するのかを知ります。

4. Rotating Machines, Systems, and Torsion
4.回転している機械、システム、そしてトーション     33


ですが、より高い次元的な統一されたフィールド理論、そしてトーションととても地域化された時空間のカーブとしての、その様な概念の土台の上で唯一説明する事が出来るとクロンが主張した、観測可能で異例的な現象とは一体何だったのでしょう?その様な現象は、電気的な技術開発者達によって、よく知られていましたが、現在では、もし人々がクロンの研究を知らないなら、その様な単純な現象(i.e. 静電気/誘電性/ダイエレクトリシティー)が実際に何を示唆するのかを想像出来無いでしょう。

それぞれが数千キロワットを産出していて、全てがトランスフォーマー(変圧器)に接続されている、水力的なダムにおける巨大で電気的な発電器の一連を想像してみて下さい。私達はまた、その描写の目的のためにそれらの発電機のそれぞれが、水やメープル・シロップ等々の様な、異なった(流動性の)液体と共にそれぞれが、それ自体の放水口によって推進(発電)されていると仮定しましょう。その放出口を通って噴出している液体は、異なった速度と圧力において噴出しており、そして従って、それぞれの発電機は、異なった量の電力を産出しているだけでなく、それぞれお互いから、多かれ少なかれ、フェーズ、または「段階」がずれてそう行っています。

それらの発電機は全て一緒に対化されているので、異変が現れるのが何故なら、それぞれが、それ自体の回転の異なった効率を共にし、その発電機の総合出力が、フェーズ(段階)のために、そのシステムが出力しているべきだと「基準的な」方法(計算法)が述べるもの(数値)からずれ始めるためです。幾らかの状態の下で、そのシステムは、その様な計算がそうであると明言する状態(数値)よりも、多かれ少なかれ、多大に異なった出力さえ産出します。

クロンのテンサー分析が今、大きな構図の中で、その構図に介入するのが此処なのは、そのシステムにおけるその様な高度に異例的な「クリーピング(放電/誘電/静電気)」は、総合的なサーキット(回路)の幾何学(立体性)によってもたらされた、より高度で次元的な相互関係として、唯一説明可能であるとクロンが明言するためです。その総合的なシステムは、そのシステムが、その中へと異例的な電力を漏れ出させさせている、または対照的に、それから異例的な量の電力を変換しているかのどちらかにおいて、地域的な時空間のカーブを効果しました。

もし私達が此処で、この説明的な類推の中へとトーションの概念を注入すると、するとクロンの研究が示唆するのは、この異例的な消失と会得が、特定の方法において、回転しているシステムが、お互いに対して対化された時に結果する、地域的な空間の、折り畳みと重なり合いの結果だと言う事です。²¹ トーションが起こる時に結果する力(作用)のヴェクトルの「螺旋/回転」が意味するのは、トーションが十分に強いと、電力磁力の様な、通常は直交(i.e. 垂直/直角)の力(作用)のヴェクトルが、殆ど「平行」に成るかも知れず;それらはその様な空間の極度なワープ(歪み)によって、もたらされる「遠距離の平行化」の一種を経験するかも知れません。
_____
21 これに関して、ロシア人の物理学者、ニコライ A. コザレフの研究を、再びもう一度思い出して下さい。

トーションの量に従って、それらのヴェクトルが、直交であると言うのはもう必然では無く、その様な直交性から、少々、または多大にずれるかも知れません。

現象のこの様な種類をクロンは、電気的なシステムにおける時空間の地域的なカーブの定義において、特定的に分析しました:

「方程式の・・・不変の形状を確立するために、そしてそれによって、物理的な性質の、測定可能で可視化可能な定義において、小さな振動(oscillations)の現象を表現するために、リーマン-クリストフェル・カーブ・テンサーの様な、テンサー分析のその様な先進的な概念を使用する事が必要です・・・」²²

クロンの、革新的で、息を奪う様な明言が見過ごされない様に、それをはっきりと、そして単純明快に明言する事が最善でしょう:私達の未熟な類推において、表現された現象の一種の現れにおいて、電気的なサーキット(回路)の幾何学は、それ自体が地域的な時空間において技術開発されたカーブ(歪み)の一例です。特定の極度な状況の下で、すると、その機械の幾何学(立体性)の特質によって、その空間-時間の地域的な歪みを誘導させ、エネルギー(電力)を引き出す事が可能かも知れません。これと共に、人が、特殊相対性理論の教義を遥かに超えているのは、その技術開発不可能な、地域的で、「平な」空間であるためで、そして再びもう一度、1920年代後期と、1930年代初期の、統一されたフィールド理論が、クロンがそれらを理解した様に、実用的な示唆の領域であるためです。

D. Summary and Conclusions
D. まとめと結論     35


私達は今、此処までに学ばれたものをまとめる位置にいます:

「1)一番最初の統一されたフィールド理論は、事実において、アインシュタインによるものでは無く、ドイツ人の数学者、セオドア・フランツ・カルツァによるもので;

「2)カルツァはユダヤ人では無く、そして第二次世界大戦の間に、ドイツ内に残ったので、彼の理論と、その実用的な応用を調査する事に対して、ナチス党からの思想的な敵視は全く無く;
_____
22 Kron, Tensors for Circuits, p. xxv.

「3)カルツァの理論は五次元的な理論 - 4つの空間と1つの時間で - その中で重力と電磁力が、フィールドと作用の両方の種類の、共通の幾何学的な描写において統一され;

「4)カルツァの4番目の空間的な次元は、当時(または現在、もしくは予測可能な未来において)精密調査するために、惑星全体よりも大きなエネルギーを必要とする、プランク長の極度に小さな大きさに成ると、スウェーデン人の数学者、オスカー・クレインによって計算され;

「5)カルツァは、低サイリーシア(地方)のオッペルンにおいて生れ、そして彼が Königsberg 大学において数学の Privatdozent だった時に、彼の理論についての彼の論文を提出し、第三部において重要性を得る2つの事実で;

「6)「完全な」統一されたフィールド理論の、アンシュタインの最初の公表されたヴァージョンは、トーション・テンサーを組み入れ、そしてそれと共に、時空間の極度な捻り、または折り畳みの特定の状態の下で、通常、直交(垂直/直角)な力(作用)のヴェクトルは、その通常のパターンから逸脱し、トーションの度合の上に起因し、より大きく成ったり、より小さく成ったりすると言うアイデアを組み入れました。これは、光の地域的な屈折化を、理論的に可能にし、技術開発可能にしました。

「7)現代の理論的な物理学の概念によると、1920年代初頭の統一されたフィールド理論の「不完全性」にも拘らず、そしてカルツァの「カール・アップした(巻き上がった)」4番目の空間的な次元を厳密に検査するための努力の膨大な量にも拘らず、クロンはそれでも、電気的な機械の彼のテンサー分析を通して、ネットワーク化された機械の特定の異例的な出力(i.e. オーヴァー・ユニティー/入力よりも出力が大きくなる現象)は、リーマン-クリストフェル・カーブ・テンサー、またはアインシュタインのトーション・テンサーの様な、時空間カーブ・テンサー変換の何らかの形状を含んでいる、より高い次元的な幾何学によって、唯一、説明される事が出来ると主張しました。

「8)これが順を追って示唆したのは、殆どの通常的な場合においては、極度な、または異例的な効果(静電/誘電/ダイエレクトリシティー)は観測可能ではありませんが、電気的な回路と機械が、それら自体、例外無く、地域化された時空間のカーブだと言う事でした。そうであれ、小さな、そして観測可能で、異例的な振る舞いは、殆どの電気技術開発者達に知られており、クロンによると、より高い次元的なトポロジー(位相幾何学)と、時空間のカーブを介入させる事によって以外、説明する事が出来なかった振る舞い(作用)でした。故に、それらのよく知られた異例は、クロンにとって、1920年代後期と1930年代初頭の統一されたフィールド理論の、基本的な洞察の確認でした。

「9)1934年における、電気的な機械のテンサー分析の一線に沿った、クロンの最初の公表は、ベルギーのリージ大学からの名誉ある賞を彼に受賞させ、クロンとカルツァの研究 - もしくはクロンとアインシュタインの研究さえ - 一つに総合し、その様な理論の上に基づいた世紀末(最終)的な兵器が、効能的に可能であると言う結論を間違いなく引き出した、ナチスの関心へと彼をもたらしたのは必然で;

「10)重大な事に、1930年代初頭における、ほぼ同じ時期において、統一されたフィールド理論についての出版が、その他の国々においてそうされた様に、ドイツ内において縮小(規制)され始めました。その縮小のための一般的な説明は、量子力学の益々増える成功のためだとされました。これが正しく真実であり、最も合理的な説明である間、それは、以前にも着目された様に、クロンの研究の驚く程の軍事的な示唆(利用の可能性)に気付いていなかったはずの無い、ナチス・ドイツにおける沈黙を十分に説明しない様でした。ドイツが関係する限り、その沈黙は、Geheime Riechssache、または機密の国家的な問題として、機密化されたアイデアと技術の、意図的な隠蔽(秘密化)によるもので、²³ そしてそれが、第三帝国(ナチス・ドイツ)における秘密裡の兵器開発の土台に成ったためである可能性が、より大きく;

「11)故に - カルツァ、またはアインシュタインであれ - 加えて、機械に対するテンサー分析の応用の合理化の、何らかの形状における統一されたフィールド理論の融合の、その様な土台の理論化は、ナチスのベル計画のための理論的な土台の、もう一つの高度な可能性を構成し、そして故に、第三章において行われる、知られているその機能的なパラメーター(媒介変数/母数)と効果を分析している方法で;

「12)同様に、米国へのアインシュタインの移民、統一されたフィールド理論の上の彼の継続された研究、そして電気的な機械の、クロンのテンサー分析は、アメリカの政府と軍部の上で、類似した効果を有したはずで、そしてその軍事的な示唆(破壊力)は、直ぐに明らかであったはずです。

「13)故に、統一されたフィールド理論の幾つかの要素は、丁度、ナチス・ドイツにおいて行われた様に、米国において、国家安全保障の理由のために、表向きの文学(一般的な出版)から、量子力学の要素の幾つかの様に消滅し(隠蔽され);

「14)故に、そのトーション・テンサーを共にした、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論に加えて、電気的な機械の、クロンのテンサー分析は、アメリカのフィラデルフィアの実験と、ナチスのベルの両方に架け橋している、概念的なマトリックス(基盤/母体))における中核を形成しました。
_____
23 それぞれ、米国と英国の規定において、「トップ機密」、または「最も秘密」に対して、多かれ少なかれ同等な定義です。

「故に、クロン自身の方法を使用する事によって、私達は、それぞれの機械、または実験を「分解し」、そしてその知られているパラメーターと効果を分析し、そしてその実験を再構成するかも知れません。単刀直入に、機械のクロンのテンサー分析は、特定の延長まで、2つの実験を「逆技術開発」し、そしてその機械自体を再構築するための方法を私達に可能にします。」

事前に続いた結論において、統一されたフィールド理論についての、公的で科学的な文献の記事の消失において機能した、ドイツと米国の両方におけるその他の何らかの動機の、歴史的な推理が進められ:国家安全保障と、その理論に基づいた、高度に秘密裡の戦時中の研究のためでした。それは、故に、第二次世界大戦に向かう数年において私達が目撃するのは、それまでは、多かれ少なかれ、公で自由な学術であった物理学自体において二種類の枝葉への分離が、永続的な特徴に成り:「行き止まり」に辿り着く様に意図的にデザインされた「一般大衆向けの」物理学の一種(相対性理論)と、彼等のブラック(闇予算)の計画の寺院における魔術師である、秘密裡の科学者達、技術者達、そして技術開発者達のための物理学でした。それらの計画の2つと、それらを可能にした魔導士達に向き合う前に、最後の審判の日(世の終わり)の物理学の可能性についての更なる言葉(説明)が必要です。

3. Three Routes to the Doomsday Weapon: Quantum Potential, Torsion, and Vortices: One Theory, Many Technical Applications
3.世紀末の兵器への3つの道どり:量子的な効能、トーション、そして渦巻き:一つの理論と、多くの技術的な応用     39


その戦争の後に、髪の毛の幅によって(寸前に)、世界が取返しのつかない大災害を避けた事が明らかに成りました・・・この第四(物理学)チーム(部隊)は、毎日の様に、化け物じみた分野(フィールド)において研究していました。そして私がこれを述べる時に、私が意味したのは、良く情報が与えられた一般大衆が、正に今日でさえ考えられず、信じられない、そして故に唯の妄想だろうと考える物事と共に、それによって彼等が実験していたと言う事です。私が示唆する事を意味するのは、それらの専門家達が、一般的な物理学の法則を完全に無視した概念において研究していた事です。」¹

A. A Consideration of the Practical Research Plans to be Pursued in the Philadelphia Experiment and the Bell’s Projekt Kronos
A. フィラデルフィアの実験と、ザ・ベルのクロノス計画において探求された、実用的な調査の計画の吟味     39


戦争の準備の急場、そして実際の戦時中の研究において、アメリカ人達とドイツ人達の両方にとって、以前の章の中で概要された様々な理論の究極の示唆を研究するために、攻撃の基本計画を概要する(事前計画する)事は、平和時の状況における(大)企業的、そして/または軍事的な研究(軍需産業複合体)の通常の発展よりも、更にもっと緊急であったはずです。

攻撃のこの計画は、2つのはっきりとした段階へと分離されていたはずで:第一段階は:「概念の証明」の段階で、其処で基本的な原則が、短期間で、小規模な実験の一連を通して確認され、そして第二段階は、完全規模のヴァージョンで、それはもし第一段階の結果が、完全規模の試験の費用を補償するに十分だと納得されれば、探求されたでしょう。

1. Phase One
1.第一段階     40


第一段階は、多かれ少なかれ、以下の段取りへと分離化されていたでしょう:
_____
1 Mayer and Mehner, Day Geheimnis der deutschen Atombombe, p. 89, 私の英訳。 引用はまた、私のReich of the Black Sun, p. 96, そしてThe SS Brotherhood of the Bell, p. 202にも記述されました。

1)調査されるための効果、または原則の可能性 – または可能性の無さを - 実証するための、小規模な「概念の証明」の実験をデザインする事で;

2)その実験のための相応しい測定/測量の機器のデザインで;

3)その実験のために必要な道具(機器/部品)の生産のために、様々な企業(大企業/財閥)に対して契約(コントラクト)を与える事で;

4)その計画の実験を製造し、試験し、そして稼働させるための、相応しい人材の確保です。

第二部、そして第三部の中で目撃される様に、(ザ・ベルの場合において)その様な概念の証明の実験が行われた、または(フィラデルフィアの実験の場合において)その様な概念の証明の実験が、より近代の時代の文献の中で確立される事が出来るので、故に行わる事が可能だったかも知れないと言う、異例的な証拠があります。

2. Phase Two
2.第二段階     41


一度、実験的な結果が、その効果の(実現の)可能性を確認し、そして第一段階のための実験的な原則が確立されれば、第二段階は、多かれ少なかれ、以下の段取りを含んだでしょう:

1)その実験の巨大化と、可能な限り、その求められた効果を最大化(最効率化)するために、より多くの要素を取り入れる(調整する)事で;

2)その実験のために相応しい電力発電所をデザインする事で;

3)その完全規模の実験のために必要な、実験的、そして測定的な構成要素(機器/部品)の生産と、企業的な契約の受託で;

4)実験現場、そして/または、その下で巨大化された実験が行われるための、「戦場的な状態」を相応しく確保する(再現する)選択で;

5)その実験を実施するために、研究者達、技術開発者達、そして労働者達の、より大規模なチームを集める事でした。

第二部、そして第三部において、ナチスのベル計画の概念(発案)と実行において、それらの要素の全てがあったと言う証拠が存在し、そしてフィラデルフィアの実験においては、第3項の例外を除いて、全ての要素があり、そしてこの項目、企業的な契約の受託は、その実験についての利用可能なデータ(資料)の慎重な再検証によって、妥当だと推測する事が出来ます。

B. The Significance of the Basic Method Previously Outlined
B. 以前に概要された基本的な方法の重要性     42


科学的、そして技術開発的な研究の通常の一連の、この基準化され、そして一般化された概要の重要性が見過ごされない様に、以下に続くページの中でそれらの2つの実験の分析と共に進む前に、それに注意を促すのが最善でしょう。その概要の重要性は単純にこれです:もし、ある時点において、それぞれの段階が行われた、または行われる事が出来たかも知れない事を証明するために、歴史的、そして/または状況的な証拠が体現されるなら、もし、利用可能な証拠から、特殊化された機械の製造における、(大)企業的な拘わりが書類化された、または合理的に推測されたなら、そしてもし、第一段階から第二段階へ、拘わっていた人材の数の拡大があったなら、するとそれぞれの段階と共に、その2つの実験が実際に行われた可能性が増大します。

以下に続くページにおいて、それらの段階が検証される際に、一つの追加的な要素が頭に入れられておくべきで:もし、利用可能な証拠から、証明、または合理的な推測の上に基づいて、強い可能性が再構築される事が出来るなら、これが順を追って示唆するのは、両方の場合において、証拠隠滅の何らかの要素が故に拘わっていたと言う事です。つまり、両方の実験が実際に行われていたと言う立件が一度確立されると、誰かが、何処かで、拘わっていた科学技術のデザイン(設計)、その根底にある理論、そして両方の実験の結果に関する重大な証拠を隠蔽(いんぺい)していた可能性が増幅します。

最後に、フィラデルフィアの実験とナチスのベルの形状において - 特にその後者において - 統一されたフィールド理論の示唆は、見過ごされるべきではありません。次の部分の中で目撃される様に、アメリカ人達は、フィラデルフィアの実験において、電磁的な方法を通して、レーダー・ステルス(レーダーに探知されない)形状を究極的に求めていました。ドイツ人達は、第三部において目撃される様に、彼等のベルの機器と共に、時空間自体の地域的な幾何学の操作に基づいた兵器を求めていました。

成り行きとして、その根底にある理論は、科学技術と応用の様々な種に対して台頭を与えました。

私達は終に、これから、それらの計画の一つ目、フィラデルフィアの実験の検証に対して向き合います。

PART TWO:
THE AMERICAN SHIP AND THE ACCIDENTAL DISCOVERY
第二部:
アメリカの軍艦と偶然の発見


「フィラデルフィアの実験における私自身の特別な関心は、強化された、そしてレゾナント(共振的)な磁気によって誘導(影響)された際の、物質の分子的な構成要素におけるシフト(変化/ズレ)の可能性と共に関連していて、物体が消滅する事を原因出来るかも知れない事で - バミューダ・トライアングルの中の消失の幾つかのための、一つの可能な説明であるためです。」
- チャールズ・バーリッツ、
フィラデルフィアの実験、10ページ、1979年

「私達は、フィラデルフィアの実験が、第一次世界大戦の間にテスラが公表し、(Vannevar)ブッシュの様な人達によって理解された明言まで遡る事が出来るだけでなく、その実験の物理学が実際に、回転している磁気的なフィールドのテスラの発見まで遡れると考えます。更に加えて、私達にとって、テスラの回転しているフィールドと、アインシュタインの1927-29年の、統一されたフィールド理論の公表の中で現れる、トーション・テンサーの間には、正当なリンク(繋がり)がある様に現れます。この関連性は、1930年代の間にジェネラル・エレクトリック( GE 社=ロックフェラー)において、ガブリエル・クロンによって最初に指摘され、そして公表されました。」
- K.L. Corum, J.F. Corum 博士、そして J.F.X. Daum 博士、
テスラのコロンブスの卵、レーダーのステルス、トーション・テンサー、そしてフィラデルフィアの実験」、1994年

4. First Disclosure: The “Varo” Edition of Morris Jessup’s The Case for
the UFOs

4.最初の情報公開:モリス・ジェセップの UFO (未確認飛行物体)のための立件の「ヴァロ誌ヴァージョン」     45


「それらが一体何であれ、UFO は、船や飛行機が崩壊する、または消滅する事を原因出来る、イオン化のパターンである、一時的で、磁気的な渦巻きを創造する様です。ジェセップは、彼が亡くなる前に、起こっていた事が一体何であれ、そのための科学的な土台を発見する寸前であると信じ、それを彼は、アインシュタインの『統一されたフィールド理論』に沿って説明可能だと考えました。」
- マンソン・ヴァレンタイン博士¹

フィラデルフィアの実験の逸話が、1970年代後期における、チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーの同じ題名の本と共に、一般大衆の読者達に対して「知られ始めた」間、一般大衆に対する徐々の台頭のその実際の歴史は、もっと以前に始まりました。従って、私達は、最初に、ペンタゴン(国防総省)における米国海軍の士官達の選別された極少数の内輪に対して、その後、バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルと共に、より広い読者達に対して、そして最後に、バーリッツとモーアーの本、フィラデルフィアの実験:不可視(ステルス)計画を共にした完全な詳細と見解におけるその台頭に対して、人々の注意へとその実験を最初にもたらした、3冊の本を検証する事によって、その台頭の実際の基本的で年代順の一連に続きましょう。その方法に沿って、その逸話の詳細が徐々に浮き彫りに成ります。

更に加えると、その逸話の始まりの御蔭のためでなければ、その後(続いた)本は全く日の目を見なかったかも知れませんが、その始まり自体がとても衝撃的だったので、より広い一般大衆に届くのは必然的な結果でした。その始まりは、早期の UFO の研究家、モリス K. ジェセップの著書、UFO のための立件の「ヴァロの注釈版」の中に見つけられます。その本は、フィラデルフィアの実験の逸話自体と同様に、殆ど全ての曲がり角において、高度な奇妙さと共に関連しています。例えば、ヴァロの注釈版に対する前書きは、グレイ・バーカー自身以外の何者でも無い者によって記されました。ですから、ヴァロの注釈版と、グレイ・バーカー自身の奇妙な研究の関心の、端的な歴史が必要です。
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1 Cited in Charles Berlitz, The Bermuda Triangle (New York: Avon Books, 1975), p. 148.

A. A Brief History of the Varo Annotated Edition
A. ヴァロの注釈版の端的な歴史     46


チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーによると、フィラデルフィアの実験の謎は、「一見、彼自身が正しく、謎めいた人の一種として現れる、ある科学者と共に始まりました。」² その謎めいた人は勿論、天文学者であり、科学者で、そして早期の UFO の研究家、モリス K. ジェセップでした。1900年3月20日に、インディアナ州のロックヴィルにおいて生れたジェセップの関心に含まれたのは、天文学、天文物理学、そして更に考古学でした。³ 第一次世界大戦において従軍し、軍曹の階級を得た後、ジェセップは

「最終的に、アイオワ州のデス・モイネスのドレイク大学と、アン・アーボアにおけるミシガン大学において、天文学と数学の教員の地位に繋がった、大学の学歴を会得しました。1920年代の後期において、ミシガン(大学)における(博士号の)大学院生であった間、彼は、(旧)オレンジ自由国の Bloemfontein における、ミシガン大学のラモント-フッシー観測所へと任命された研究チームと共に、南アフリカ・ユニオンへと訪れる機会を手にしました。当時の南半球における最大級の屈折望遠鏡と共に研究する間、ジェセップは、現在、ロンドンの王立天文学会によって、カタログ(記録/分類)された、幾つもの物理的な二重恒星(i.e. 連星 )の発見において結果した、研究プログラム(方法)を完璧化しました。」⁴

この経験は、ジェセップが、天文物理学において、彼の博士号を求めるための、彼のデータの使用に繋がり、そして「彼が実際に、彼の博士号を与えられたとは現れませんが」、1933年において彼は、彼の研究(論文)を公表しました。「そうであれ、彼をよく知る多くの人達は、彼をジェセップ博士と呼んだので、私達がそう呼び続ける事が相応しい様に現れます。」⁵ ジェセップをジェセップ博士として言及する事は故に、オルタナティヴな文献における習慣に成ったので、そして私達は、バーリッツとモーアーの記述に引き続き、彼を時々、ジェセップ博士として呼び続けましょう。

大恐慌の間に、ジェセップ博士は、ゴムの資源のために、ブラジルのジャングルを調査するための、科学的な調査隊の一員として、米国の農業省において雇用されました。⁶
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2 Charles Berlitz and William Moore, The Philadelphia Experiment: Project Invisibility, p. 22.
3 Ibid.
4 Ibid.
5 Ibid., p. 23.
6 Ibid.


ブラジルから戻った後、ジェセップ博士は、カーナギー財団によって資金援助された、考古学的な調査隊のための写真家に成りました。その調査隊(の目的)は、メソアメリカ(中米)におけるマヤ(文明)の遺跡を探検するためでした。これは、疑う余地無く、ジェセップが、考古学、そして彼が応用した人類の起源と歴史のとても急進的な見解に対する彼の関心を高めた処でした。私達は後に、それらの見解に徹底的に言及する機会を有しますが、それらについて、バーリッツとモーアーが述べる事に着目するには価値があるでしょう:

「ジェセップは・・・それらの巨石構造のための一つの可能な説明は、インカ人達によって構築されたと言うよりもむしろ、それらは何らかの種の空中船から操作された、浮遊(反重力)の機器の助けと共に、大洪水以前の時代において造られたと推理しました。これは、彼自身を科学者と呼ぶ人のために、少々異例的な明言で、そして、言うまでも無く、彼の同僚達に対してやすやすと受け入れられると考えられるものではありませんでした。それはジェセップを、三十年以上後の現代に、広く有名に成った『古代の宇宙飛行士達』の論説の先駆者の一人にしました。」⁷

それらは、今日でも、オルタナティヴな分野においてでさえ、物議をかもし出す見解で、そして正しく、ジェセップが最初にそれらを提案した当時においては、更にもっと急進的でした。中央アメリカを調査した後、ジェセップ博士はその後、ペルーの古代インカの遺跡の彼の調査を続けました。

彼はまた、メキシコのマヤ文明の遺跡を調査している間に、もう一つの興味深い発見を行いました。これは、地質学的な形成(地形)の一連で、

「精密な検証をした上で、何らかの種類のクレーターの一連として現れました。其処には少なくとも10個のクレーターがあり、構造と大きさにおいて、謎めいた月のクレーター、Linne と Hyginus N に対して特定の注目すべき類似性をそれらが有すると、彼は考えました。再び、科学者としては異例的なタンジェント(接線/斜め)に逸脱し、ジェセップは、その問題の事前調査を終えた後、それらが『宇宙からの物体によって造られた』とする、彼の推論を提出しました。更に後日、より詳細に明言し、彼は、米国空軍が、メキシコ政府の許可と共に作戦遂行していた探査(スパイ)飛行機によって撮られた、それらのクレーターの空中撮影の(写真の)一連を所有していましたが、それらの写真と、それらに関する発見は、高度に機密に保たれていたと、彼は発見したと情報公開しました。それらの形成(地形)の彼自身の独立的な研究を続ける事を望んでいましたが、その活動を支援する資金不足に至り、ジェセップは、1954年において、必要な資金を調達するために、米国に帰る事を余儀なくされました。⁸
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7 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 23-24.
8 Ibid., p. 24, emphasis added.


私達は、それらの異例的なクレーターの形成(地形)において、米国空軍の関心を引き寄せたものが何であれ、その空中撮影の写真と発見を、自然的では無いと分類したと、妥当に推測出来るかも知れません。私達が目撃する様に、そのヴァロの注釈版は、とても大まかで、そして奇妙な方法の一種において、この推理に協力証言します。

ジェセップ博士はまた、1940年代の後期と、1950年代の初頭において、アメリカの上に訪れた、UFO の逸話(目撃証言)に関心を持ち始めました。そしてこれが、彼の考え方が最も異例的な曲がり角を曲がった処だったのは、彼が「それらの『空中船』の可能性と、彼の太古の遺跡、そして謎めいたクレーターの間の関連性を感知(直感)し始めた」ためでした。⁹ ジェセップは、ワシントン D.C.へと移り住み、そして UFO 現象と、彼の奇妙なメキシコのクレーター、そしてメソアメリカ(中米)の太古の遺跡の間に彼が直感した関連性を概要する本を書き始めました。ジェセップの著書は、勿論、UFO のための立件で、それは1955年の初頭において出版されました。

その本の出版は、フィラデルフィアの実験の逸話とのジェセップの拘わり、そして一般大衆に対するその実験自体の情報公開に最終的に繋がった出来事の、奇妙な一連を開始しました。UFO 調査の研究における、科学者としてのジェセップの主要な関心は、彼に対してそれらが体現した、推進力(動力)の科学技術でした。「それらの稼働の方法は、反重力の、何らかの未だに認識されていない原則によってだと、彼は感じました。」¹⁰

「motive power (機動力/推進力)の頼りがいのある源泉は、人の(人類の)発展に対する最重要の鍵であり;そして人類が、ロケット科学技術の『原始人の様に野蛮な』力(作用)よりも、もっと頼りがいのある何か(科学技術)を発見する(または発見する)まで、彼(人類)は、母親のエプロンに繋がれた幼子の様に、地球に繋がれたままだろうと、彼は信じました。ジェセップの考えにおいてその『何か』は、エネルギー(電力)の源泉としての、統一的で重力的なフィールドの利用でした。

「ジェセップは、政府によってでも、個人的な投資家でも、更に企業によってでも、いずれでも良いので、科学的な研究のこの分野において行われるための、真剣な調査のために、印刷(出版)と講演の両方において、公共(一般大衆)に対して訴えました。」¹¹
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9 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 25.
10 Ibid.
11 Ibid.


実際に、私達が後に目撃する様に、ジェセップは、政府、または(民間)企業的な資金援助を通した重力操作への研究のために訴えた唯一の科学者ではありませんでした。更に重要な事に、ジェセップは、重力操作のためのこの探求を、アインシュタインの処分(無視/隠蔽)された、1928年の統一されたフィールド理論と共に、特定的に関連させました。¹²

どんな場合であれ、UFOs とそれらの科学技術を、人間の先史時代と宗教(信仰)と共に関連させている論説の、その奇妙なカタログ(一連)を共にしたジェセップ博士の UFO のための立件は、「少なくとも彼の読者達の内の一人を不穏にさせ、機密化された(米国)海軍の資料と、明らかに奇怪な想像力のたまものが混合されたものの、伝達(手紙など)を開始させる程でした。」¹³ ジェセップが、彼の出版者から、彼に渡された「ファン・メール」のパッケージ(封筒)の中で、彼に届いた奇怪な手紙の一連の一つ目を受け取ったのは、彼の著書がバンタム(軽量)のペーパー・バック(単庫本)として出版された後でした。

「ペンシルヴァニア州の郵便刻印(判子)付きのこの特徴的な手紙は、幾つもの異なった種類の鉛筆とペンで、クネクネした、読みづらい手書きで、そしてとても奇妙なスタイル(形式)において記述されていました。大文字は文章の中間において現れ、単語は奇妙に使用され、そして誤って綴られ、更に句読点は、使用されたとしても、後から考えて、適当に点と丸が打たれた様でした。(それらの)行の全体は、頻繁に、異なった色のインクで、下に線が引かれていました。」¹⁴

短期的で、そしてとても奇妙な情報交換の一連を開始した手紙は、勿論、カルロス・ミグエル・アレンデの有名な手紙で、フィラデルフィアの実験の逸話を調査した人の全てに、よく知られた名前です。ジェセップとアレンデの間の有名な情報交換(手紙のやり取り)を開始した、この元々の手紙は、残念ながら、もう存在しません。

此処における私達の注目点は、ジェセップの著書のヴァロの注釈版に台頭を与えた、ジェセップとアレンデの間の手紙のやり取りによって行われた役割の上に集中しなければなりません。アレンデの手紙を後に読んだ全ての人達と同様に、ジェセップは恐らく、それ(手紙)が含んでいた急進的な逸話によって困惑されたでしょう。それらを読んだ全ての人達と同じように、ジェセップの関心は、その強い「目撃証言的な特徴」によって、大分刺激され、アレンデに対して、更なる詳細を教えてくれないかと尋ねている短い返答を送りました。
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12 これは、次の章の中で触れられるでしょう。
13 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 26.
14 Ibid., p. 27.


アレンデからの返答を聞かないままジェセップは数か月を過ごし、そして彼は、彼の講義の重度なスケジュールに従い続けました。アレンデが最終的に、ジェセップの葉書に対して返事を送る事を余儀なくされたので、バーリッツとモーアーは、アレンデが、彼(ジェセップ)の講義の内の一つにおいて、見聞きしていたと妥当に推測しました:

「1956年1月3日、UFOs のための立件の原稿の彼の完成の正しく一年後に、ジェセップは、今度はマイアミにおいて、今回は彼の名前を『カール M. アレン』と署名した、この同じカルロス・アレンデからの(もう一つの)手紙を受取り、驚かされました。その手紙は、最初の手紙と同様に、同じ奇妙なスタイルで記述され、そして同じペンシルヴァニア州の返信の住所が記述されていましたが、その用紙は、テキサス州のゲインズヴィルのターナー・ホテルの刻印便箋で、ゲインズヴィルの判子が押されていました。」¹⁵

実際に現存するのは、アレンデからジェセップへの、この第二の手紙で、そしてそれは以後の章の中でより詳細に検証されるでしょう。

この二通目のアレンデの手紙は、その内容においてとても極度に奇怪で、オルタナティヴな研究者、ヴィンセント・ガディスによると、ジェセップは、最初の反応において、それをいたずらっ子のたわごと、または悪ふざけ(詐欺)として受け取っていました。¹⁶ そうであれ、その内容には、ジェセップ博士が一旦停止し、そしてその著者が単に「実際の出来事を大袈裟にして説明している」だけではないかと言う可能性を考え直す事を強要するだけに十分な詳細が、その内容にはありました。その手紙は、更に加えて、その実験の土台が、アインシュタインの統一されたフィールド理論であると示唆し、ジェセップの様な天文物理学者の興味をそそったはずである主張でした。¹⁷ この二番目のアレンデの手紙の中の詳細の多大な量は、最終的にジェセップが再度、もう一枚の葉書の中で返答し、アレンデの手紙が詳細した奇怪な逸話における多くの主張のために、アレンデが証拠を供給する様に訴える事を余儀なくされました。

再びもう一度、ジェセップ博士が、アレンデからの返事を受け取る前に数か月間が過ぎ、更にもう一度、ペンシルヴァニア州のデュボイスからの刻印(判子)でした。¹⁸ この手紙は、二通目と同様に、以後の章の中で、より詳細に検討されるでしょう。
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15 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 29.
16 Ibid., p. 35, citing Vincent Gaddis’ Invisible Horizons, no page reference given.
17 Ibid., pp. 35-36, citing Vincent Gaddis’ Invisible Horizons once again. No page references given.
18 Ibid., p. 36.


二通目の手紙と同様に、しかしながら、その内容はとても急進的な本質で、再びもう一度奇妙で、まとまりの無いスタイル(形式)において、様々な色のインクと鉛筆で記述されており、恐らくジェセップは

「それらの奇怪な手紙の問題の全体を、変人の戯言として、楽しんで考えたかも知れませんでした。その題材に対する彼の初頭の関心にも拘らず、彼(ジェセップ)を知る幾人もの人達は、それらの手紙を信用するには、幻想的過ぎる(信じがたい)と言う、とても安心出来る結論へと、彼が最終的に辿り着いたと同意します。」¹⁹

ジェセップは、実際に、更にもう一度、メキシコへの探検のための金融的な援助を手配するために忙しく、そして最終的にヴァロの注釈版を取得し、再出版し、そしてその研究に対して彼自身の前書きを添えた、グレイ・バーカー以外の何者でも無い人に、その様に示唆しました!

「勿論、貴方はメキシコにおける私の興味を知っているでしょうが、それらは突然、予期せぬままに、実働へと至り:(1)何らかの商業(利益)的な関心が、その隕石のクレーターの下の鉱物の事前的な調査のために、恐らく私をメキシコへと送り込む様で;そして(2)政府が、ミシガン大学の提供(資金援助)を通して、探検(調査隊)を出資する可能性が高い様です。最初に、私は多分、12月10日頃に、5週間の調査のために出発するでしょう。第二に、契約書は(未だ)署名されていませんが、それ(調査)は(1957年の)4月1日頃に実現し、少なくとも5か月間、続くかも知れません。」²⁰

ですが実際には、考え通りには行きませんでした。「(アレンデの)手紙はどうでもいい問題だと言うジェセップの信念にも拘らず、彼(ジェセップ)にはそれを直接知る、または操作する事が出来ない物事であった - 極度に奇妙な偶然の一連が - 起こり始めていました。」²¹ それらの偶然(の出来事)は、必然的にジェセップを、その手紙の内容についての、拡張し続ける関心の内輪へと引き入れ、ジェセップが直ぐに発見する様に、米国海軍を含む内輪でした。

バーリッツとモーアーによると、その出来事(事件)のこの要素は、1955年の7月、または8月において恐らく始まり、「ジェセップが、アレンデからの、困惑させられる手紙の一連を最初に受け取った数か月以前でした。」²²
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19 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 42.
20 Letter of Morris K. Jessup to Gray Barker, cited in Berlitz and Moore, pp. 42-43.
21 Ibid., p. 43.
22 Ibid., p. 44, emphasis added.


それは、ペンタゴン(国防総省)に、一つの茶色の封筒が届いた時に始まりました。その封筒は「海軍研究所の責任者、N. ファース海軍大将(提督)」に対して宛て名書きされていました。その封筒は、海軍研究所において、米国海兵隊の飛行術研究の士官だった、ダレル L. リッター少佐「宛ての書類」が含まれていました。²⁴ その封筒の表には「祝イースター(復活祭)」と綴られ、テキサス州のセミノールからの刻印が押され、そして中身は、ジェセップの UFO のための立件の軽量な単行本ヴァージョンでした。²⁵

ファース海軍提督が、その本を恐らく全く読まなかった間、リッター少佐は明らかに、その内容を幾らかの関心と共に受け取った様でした。

「その本を開いてみるとリッターは、それが、少なくとも3種類の異なった色のインクにおいて記述された、最も困惑させられる手書きの注釈と下線で過度に記されていた事を見つけ - その注釈は、それらの著者が、UFOs の詳しい知識、それらの推進力の方法、起源、背景、そして歴史を知っていた事を示唆する様でした。その本自体はとても良く読み込まれ、そしてこの研究(注釈)の責任者が誰であったにせよ、明らかにそれを行う事において、多大な量の時間を費やしていました。」²⁶

ジェセップの本と、そしてその奇妙な注釈の両方の、ファンタスティック(幻想的/驚き)な詳細は、直ぐに扱われるでしょう。

現時点において、しかしながら、私達は、ヴァロの注釈版の歴史自体の上に集中し、そしてどの様にジェセップ博士がそれと共に拘わる様に成ったかに着目しましょう。バーリッツとモーアーは、その本が明らかに、リッター少佐の興味をそそった、一つの可能な理由を指摘します。そしてそれが彼の興味をそそったのは、彼がその後、海軍研究所(ONR)の特殊計画の士官である、ジョージ W. フーヴァー司令官と、ONR に新たに配属されたばかりだった、シドニー・シャービー部隊長に対してその本を渡したためでした。²⁷ バーリッツとモーアーは、その両方の人達が地球を周回する人工衛星を発射するアメリカの最初の試みである、(米国)海軍のヴァンガード計画と供に拘わっており、そしてその両者が同時に、反重力において関心を持っていたと主張します。²⁸
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23 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 44.
24 Ibid.
25 Ibid.
26 Ibid.
27 Ibid., p. 45.
28 Ibid.


フーヴァー司令官とシャービー部隊長は明らかに、その本の内容と奇妙な注釈によって、とても興味をそそられ、彼等は十分にその問題を論議し、そして最終的に、「彼の著書を話し合うために」、ワシントンの海軍研究所に来るように、ジェセップに対して招待状を送る程でした。²⁹ ジェセップが到着すると彼は、「18カ月前後に、リッター少佐の手元に届いた」、UFO のための立件の注釈された一冊を手渡されました。³⁰ その海軍の士官達はジェセップに対して、その本が、注釈においてそれぞれが独特のニックネームを持っていた、明らかに、3名の異なった個人達の間でやり取りされていたと説明しました。³¹

ジェセップは、勿論、彼の著書の注釈を加えられた一冊を彼が読み始めた際に、その状況の全体によって困惑させられました。

「彼は何故、とても明らかに精神障害の頭脳の産物であるものにおいて、海軍が関心を持っているのかを不思議に思いました。ですが、その様なものを誰が造り出す事が可能だったのかを、彼(ジェセップ)は想像出来ませんでしたが、それは、1943年において行われたとされた、秘密裡の海軍の実験に対する特定的な言及を行った、特定の奇妙な一文に、彼が気付くまででした。彼が、以前にも、その様な明言に出くわしたと気付き、ジェセップは、ページをめくり続けました。消失した船(軍艦)に対する幾つかの更にもっと直接的な言及を見つけた上で、彼は - 彼のかつての謎めいた文通者、カルロス(カール)・ミグエル(M.)・アレンデ(アレン)が、この奇妙な(注釈版の)本と共に、何らかの奇妙な方法において関連しているはずだと - 疑う余地を無くされました。彼の結論と共に満足し、ジェセップはこの時点において、彼が調べた彼の書類の中には「一人の注釈者(アレンデ)から」の、少なくとも2通の手紙がある事は間違いないと彼が感じたと、意見を報告しました。」³²

バーリッツとモーアーによると、フーヴァー司令官はその後、アレンデの手紙を海軍が検証する重要性をジェセップ博士に伝え、そしてまた、「我々の再上層の人達の」極少数の間で、その奇妙な注釈を共にした、ジェセップの本の特別な限定版が、水面下で流通される段取りを行ったと教えられました。³³
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29 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 45.
30 Ibid., p. 46.
31 バーリッツとモーアーは、これが「3種の色のインクの使用と、注釈の幾つかの印象の上に基づいて、一人の人から、もう一人の人へと宛てられた対話であると言う誤った推測」であると主張します。現実において、一人(アレンデ)以外に注釈者はいない様に現れます。(The Philadelphia Experiment, p. 46,) この章の中で私達がこの後、目撃する様に、グレイ・バーカーは、ヴァロの注釈版の中の彼の前書きにおいて、実際には3名の注釈者達が存在したと主張します。どちらであっても、それは、その内容、またはヴァロの注釈版がどの様に現れたのかの歴史の、私達の分析には影響しません。
32 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 46-47.


フーヴァー司令官はまた、ジェセップがこの特別版の本の一冊を受け取るであろう事を約束しました。

そして故に、ジェセップの UFO のための立件のヴァロの注釈版が起因したのは、その本の再出版が、テキサス州のダラス郊外のガーランドの、ヴァロ製造(出版)会社によって行われたためです。バーリッツとモーアーによると、ヴァロ社は、「軍事的な研究のコントラクト(契約)」と深く拘わっていました。更に加えて、フーヴァー司令官とシャービー部隊長の両方が明らかにヴァロ社と共に何らかの重要な関係を持っていたのは、「両者が後に、その会社における雇用を得たためです。」³⁴ バーリッツとモーアーは、そのヴァロ社は、「正確に127コピー(冊)」を製造し、³⁵ そしてそのタイピング(文字の入力)は、「軍事的な補助」として知られる会社の部署に帰属したミメオグラフ(タイピングの機械の一種)の上で、ミカエル、またはミシェル・アン・ダン女史によって行われたと主張しました。³⁶ ジェセップが明らかに ONR (海軍実験所)の士官達の要求に応じたのは、アレンデの手紙が、その注釈版の前書きとして含まれたためです。その特別出版のページは、「薄い青色の厚手の表紙の間に挟まれた」手製で「spiral-bound(背骨-結び/固定)」(の本)でした。³⁷

ジェセップが明らかに、その本の彼に約束されたコピーを - 実際には3冊 - 受け取ったのは、彼がその後、その注釈版の上で詳細に、多大な量の時間を費やしたためでした。

「彼は、それらの注釈の正しく奇怪な内容について、とても困惑させられ、彼は、わざわざ、彼自身のコメントと返答を用紙にタイプし、約10ページ毎位に貼り付ける事によって、その本を「再注釈」する手間を取りました。(この再注釈版は明らかに今でも現存していますが、その所有者によって、一般の研究者達に対して利用可能にされていません。)³⁸
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33 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 47.
34 Ibid., p. 48.
35 彼等はまた、「その他の情報源」は、その数を12から25冊と、より少なく見積もると記述します(The Philadelphia Experiment, p. 48).
36 Ibid., p. 48. Berlitz and Moore はまた、ダン女史は、その会社の社長の個人的な秘書では無く、ヴァロの注釈版を完成するために特別に雇用された一時的な雇用(非正規社員)だったと記述します。
37 Ibid.
38 Ibid., p. 50.


海軍と、そして彼自身の個人的な率先の上でジェセップの両方が、その後そのペンシルヴァニアの住所において、その謎めいたカルロス・アレンデ(カール・アレン)に接触しようと試みましたが、その試みは結果を出しませんでした。³⁹

それらの出来事の後、ジェセップは(健康が)悪化し、彼の職業的な責任を諦め、そして益々、「サイキック(精神/超常)的な現象」と占星学に没頭しながら、著者として生計を立てる事を試みました。1958年において彼は、彼のマイアミの家を売却し、そしてインディアナに戻りました。1958年のハロウィーンの頃(秋)に、ジェセップは、ニュー・ヨーク・シテイーにおける彼の最も親密な友人であり、著名な UFOs 研究者で、オルタナティヴな科学の研究家、イヴァン T. サンダーソンの下を尋ねました。サンダーソンは、1968年9月の、彼の雑誌、探求の第4号の中で、ジェセップの死の出来事を公表しました。

「当時、1958年において、最も不可思議な出来事の一連全体が起こりました・・・その当時、最も奇妙な物事が起こり始め、それは、それら自体において、一冊の本のために十分な素材(内容)を供給するでしょう。それらは、本当に身の毛のよだつ程の悲劇に結果しました。

「ある特定の日に・・・モリス・ジェセップは、ニュー・ヨークの私の家の来客でした。夕食の前、最中、そして後に、10数名の人達が(家の)中と外の周りにいました。ある時点において、モリスは、私の書斎において話し合いが出来ないかと、私達3人に尋ねました。これに対して私達は対応し;そして彼はその後、オリジナルの再注釈された本を私達に手渡し、そしてとても切実に、それを読んで、その後に「私に何かが起こった場合のために」それ(本)を安全な場所に保管してくれないかと頼みました。これは、その時には全てがとてもドラマチック(劇的/大袈裟)な様に現れましたが、私達がこの素材(本)を読んだ後、最も不穏な本質の感覚を私達全員が感じたと認めなければなりません・・・

「モリスは家族思いで、特に彼の孫達の将来の安全を心配していました。この私達の最後の会合において、彼は極度に取り乱していて、そして、元々は、自然的な現象における純粋で、知性的な関心のために、非現実的な、完全に狂った世界へと、彼が完全に吸い込まれてしまったと、彼が気付いた事を認めました。彼は、彼の研究と、彼の個人的な生活において起こった「偶然」の終わる事の無い一連についての率直な恐怖を表現しましたが、これ以外にも彼は、それらの深刻な問題と、そして関連した問題を彼が口に出せば、彼が(周りから)狂っていると非難されるのではないかと狼狽していました。

「彼が実際に、私達に対して言った内容は以下です:私は、私が正気を失って行っているとは思いませんが、私はこのノンセンスの全てが実際に起こっていて、そして(それらが)私の妄想の一部では無いと信じます。もしあなたがこの本を読めば、何故私がこの結論に辿り着かざるを得なかったのかを、あなたは理解するでしょう。現実に、もし私が正しいなら、これは何らかの不快な出来事無くして、もう続く事は出来ないでしょう;そして、もし何かが起こり、そしてこの素材(資料/本)を読んだ人達は直ぐに、私が明らかに正気を失ったと言い;そして一度それが提案されれば、平均的で関わり(知識)の無い一般市民は、私の家系に精神異常があると言う結論にすぐさま飛び乗る事を、あなたは良く知っているでしょう。」⁴⁰
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39 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 50.

ジェセップは明らかに、彼の命に対する危険を恐れていて、もし謎めいた状況においてそれ(命)が終わらされたなら、彼が精神障害の被害者で、自らの手で自殺した様に見せかけられるのではないかと心配していました。

実際に、ジェセップの生命が、彼が恐れ、そして予測したものと殆ど正しく(同じく)終わらされたのは、サンダーソンの夕食会の数日後にインディアナへと戻る予定だったのに、彼が姿を現さなかった時に、ジェセップの家族と出版者が心配し始めたためでした。一カ月が過ぎ、ジェセップは最終的に、大規模な自動車事故の被害者として、フロリダにおいて身元確認されました。その事故は、彼の意気消沈と憂鬱を増やすばかりでした。その後、1959年4月中旬に、ジェセップ博士は彼の心の内を、もう一人の親しい友人で、有名なラジオ番組の司会者、ロング・ジョン・ネベルにうちあけました。⁴¹ 1959年4月20日、ジェセップ博士の「息絶え絶えの体が、彼の大型乗用車のハンドルの上にもたれかかっているのが発見され・・・その直後に、病院に搬送される間、または其処に着いた直ぐ後に彼は死亡し - その車の排気菅にホースを繋げる方法による、一酸化炭素中毒の自殺の被害者と言われました・・・」⁴² ジェセップが自殺した、または、彼が、彼の友人、イヴァン・サンダーソンにうちあけた様に、知られざる加害者によって「自殺させられた」のかは、決して知られる事は無いでしょう。どちらであったとしても、しかしながら、サンダーソン自身も含み、その逸話のこの要素を調べた殆ど全ての人達は、ジェセップの結末に繋がったのは、アレンデの手紙の奇妙な現れと、ヴァロの注釈版の状況だったと同意します。

ですから何が、ジェセップの著書と、そのヴァロの注釈版について、とても衝撃的だったのでしょう?此処が、その筋書きが、本当に分厚く成る処です・・・
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40 Ivan T. Sanderson, Pursuit, No. 4, September 1968, cited in Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 52-53.
41 ネベルは、多かれ少なかれ、1960年代と1970年代において、(有名なラジオ・パーソナリティー)アート・ベルの様な人物で、彼のトーク・ショーの題材の多くは、UFOs や、政治的な陰謀に献身しました。著名な著者で、JFK 暗殺の研究者、パリス Flammonde は長年、ネベルのプロディューサーでした。
42 Ibid., pp. 54-56.


B. The Contents of the Varo Annotated Edition
B. ヴァロの注釈版の内容     57


ヴァロの注釈版は、フィラデルフィアの実験と共に最も詳しい人達に、その名前でよく知られてはいますが、そうであれ、最も入手困難な本に留まり、その実際の内容は殆ど全くと言っていい程、知られていません。私達は故に、モリス K. ジェセップの様な天文物理学者の頭をよぎったかも知れない思考の種類を再構築するための試みの見解と共に、そうする事が賢明なだけ、それを出来る限り多く、此処において再産出しましょう。そうする事において、とても不穏な構図が台頭し、彼(ジェセップ)と彼の注釈者(達)のアイデアの相互関連性のためは言うにも及ばず、ヴァロの注釈版の中で表現された幾つもの単一(個別)の概念のために、ジェセップが殺害されたのかも知れないと暗示するものです。

1. Gray Barker
1.グレイ・バーカー     57
a. His Preface
a. 彼の前書き     57


ヴァロの注釈版の現存のヴァージョンについての最初の、そして最も明らかに異例的な事実は、その情報源で:現在は消滅したソーサーリアン(円盤研究家)出版のグレイ・バーカーでした。バーカーは彼自身は、1950年代から1970年代にかけての有名な UFO 研究家で、そしてまたよく知られた、モリス・ジェセップの親しい友人の一人でした。バーカーは疑う余地無く、彼等(ジェセップとバーカー)の共通の友人で、UFO 研究の「クラシカル(初頭)の時代」のもう一つの著名な名前(の持ち主)である、イヴァン T. サンダーソンから、そのヴァロの注釈版の一冊を入手しました。⁴³
_____
43 バーカーは、彼の前書きの6ページの上で、「私達は最終的に、その出版者によってジェセップに供給された数冊の一つを、彼が与えた友人から、1971年においてその稀少な元々のコピー(本)の一冊を入手した、と明言しました。この友人が、イヴァン T. サンダーソン以外の何者でも無く、そしてその入手された一冊が、彼(ジェセップ)の身柄の安全のために、保管する様にサンダーソンに委ねた、ジェセップの数冊の内の一冊だったと考えるのは合理的でしょう。しかしながら、着目されるべきは、ジェセップがサンダーソンに委ねた数冊の内の一つは、彼(ジェセップ)の再注釈されたヴァージョンで、そしてこれは、私(ファレル博士)の知識において、一度も表面上に現れていません。サンダーソンが亡くなった際に、彼自身の資料と書類が彼のアパートから運び出され、そして再び日の目を見る事が一度も無かった事が知られています。これは、ヴァロの注釈版の、ジェセップ自身の再注釈版を含んでいたかも知れません。

バーリッツとモーアーと同様に、バーカーは、ジェセップの UFO のための立件のその特別版が、軍部のための物資を生産したテキサス州ガーランドの製造会社による、「とても小規模な製造」において印刷されたと記述します。⁴⁴

バーカーは、「それぞれのページが、小規模な事務所のコピー機を通して2度に渡って印刷され、一度目は、本の通常の文体のための黒いインクを共にし、そして二度目は赤いインクを共にしたもので、その後者は、ジプシー(放浪者/浮浪者)達、偽造詐欺師達、または人々(一般人)の中に住んでいる(紛れている)宇宙人達かも知れない3人の人達による、その謎めいた注釈を産出(印刷)した、」と明言します。⁴⁵ これは典型的なバーカー(の記述)で:散文的な詳細とワイルド(大胆)で推測的な文脈を、全て同時に供給します。バーカーはその後、その本が果たして全く存在したのかを、多くの人達が疑った事を記述した上で、こう続けます:

その注釈版の実質的に同じコピー(複写)をその時あなたは、あなたの手の中に持っていたので、その本が存在していたのは最も明らかでした。ですが、その大きな謎は残ったままで:何故、政府のコントラクター(軍産の下請け)がわざわざ、科学的なコミュニティーによって否定された本を再印刷し、そして更に、その著者に対する謎めいた手紙と、更にもっと奇怪な注釈を含ませたのでしょう?そしてこの謎と共に追随するのは、その本が軍部の要求において、製造者(出版社)によって印刷され、それが示唆したのは、政府が『空飛ぶ円盤』の研究の最も不可解な要素の幾つかにおいて関心を示していた事でした。」⁴⁶

その注釈されたジェセップの本における政府の関心は、つまり、UFO の謎自体だったと、バーカーが結論へと飛び乗った事に注目して下さい。そして実際に、それは明らかな(素直な)結論でした。ですが、彼等(政府/軍部)の関心は、その注釈と、アレンデの手紙の中に含まれた、フィラデルフィアの実験の逸話によるものであるとするのは、同等に可能でした。しかし、私達がまた発見する様に、同様に政府の関心を引き寄せるために、幾つものその他のあまり明らかでは無い可能性が存在します。

何にせよ、バーカーはその後、彼の本当の関心:アレンデの手紙と、その注釈自体へと進む前に、ジェセップの人生の端的な履歴を概要します。ヴァロの注釈版における政府の関心が、その UFO-関連の内容によるものであるとする、彼の見解への飛躍にも拘らず、バーカーは、それでも、少なくとも一つの重要な要素において、彼が、アレンデの実際の手紙の、親密(詳しい)観測者であると証明します:
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44 Gray Barker, “Preface,” in “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object (Castelnau-Barbarens, France: The Quantum Future Group), p. 3.
45 Ibid.
46 Ibid.
47 Ibid., pp. 3-4


UFO のための立件の注釈された単行本版の謎は、ジェセップに宛てられた、カルロス・ミグエル・アレンデ(カール・マイケル・アレン)からの、奇妙な手紙の一連によって先行されました。それらの内の2通は、その注釈版の一部として再出版され、以下に続くページの中で現れます。その手紙は、アインシュタインの統一されたフィールド理論を利用した、海上における奇妙な実験の結果として、1943年10月の間に、一隻の軍艦とその乗組員の全てが不可視に成ったと主張しました。」⁴⁸

この章の中で直ぐ後に私達が目撃する様に、バーカーは、フィラデルフィアの実験の伝説が後に主張した事では無く、アレンデが実際に述べた事に気付いた極少数の人達の一人で、つまり、その実験が、その船(軍艦)がフィラデルフィアの港に停泊していた間ではなく、沖に出ていた時に行われた事でした。これは、私達が最終的に学ぶように、その実験の本質と同時に、その歴史への、重大な手掛かりです。⁴⁹

バーカーはまた、バーリッツとモーアーによって調査された様に、同じ詳細を概要しますが、再びもう一度、興味深い捻り(曲がり角)を供給するのは、ジェセップの本の注釈されたコピーが元々宛てられた、ファース海軍提督が、実際にその本に軽く目を通し、そして彼の関心が刺激されたと、彼(バーカー)が主張するためです。⁵⁰ これが究極的に、バーリッツとモーアーの説明が成すよりも、もっと意味を成す(合理的な)のは、政府のコントラクター(下請け)による注釈版の、個人的で、恐らく機密化された特別の短期の出版は、コマンド(命令系統の[ヴァーナー・ヴォン・ブラウンを含む]最上層部)、または将官級の誰かによって指示されたとする方が理屈に合う様に現れるためです。バーカーはまた、バーリッツとモーアーとは対照的に、3人の振りをした1名(アレンデ)だけでは無く、実際に3名の注釈者達がいたと主張しました。⁵¹
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48 Ibid., p. 4, emphasis added.
49 言うまでも無く、その題材についての本(の内容)が、その実験の、少なくとも幾つかの段階(小規模な「概念の証明」の実験)が、フラデルフィアの海軍港において行われたとする強い印象を与える、バーリッツとモーアー(の本)によって、この要点の全体的な重要性は、完全には理解されていない様に現れます。
50 Barker, “preface,” in “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object, (Castelnau-Barbarens, France: The Quantum Future Group), p. 4.
51 Ibid. 一方で、バーリッツとモーアーの説明と、もう一方で、バーカーの説明の間の比較は、前者の著者達がバーカーの説明に過度に頼った事を明かすでしょう。


しかしながら、バーリッツとモーアーとは異なり、バーカーが、そのヴァロの注釈版がどの様に由来したのかの示唆に気付いていたのは、再び、ファース提督自身が、その本の印刷を指示したと言うアイデアを彼(バーカー)は退ける事を意図しなかったためで:

「その注釈版を出版するにおいて、ヴァロ社の役割には、2つの論説(可能性)が台頭し:

(1)軍部の再上層部がこれを、(それより)より低い層を通して渡すと、故に何らかの情報漏洩(ろうえい)があった際に責任を逃れる事が可能で、そしてそれは、その(下請け)社員達が、軍事的な安全保障のトップ・クリアレンス(機密に拘わる許可)を持っていたかも知れない、ヴァロ社によって内密に印刷/出版され - 情報(噂)が漏れ出すかも知れない政府の印刷/出版の源泉に、それを送る(依頼する)事を避けました。軍部は、米国によって行われていた秘密裡の研究に対してその注釈を応用する事に関心を持っていました。印刷された後、その限定版は、関係者の間で手渡され、そして、秘密裡の軍事的な開発に携わっていた、その他のコントラクター達に渡されました。

(2)シービーの様な、より低い階級の士官達は、UFO の謎において深い個人的な関心を持っており、そして同じ様な関心を持っていたその他の海軍の関係者達に対して(その本の)コピーを与える事を望んでいました。個人的な関心の問題として、軍部の関係者に対して、彼等(ヴァロ社/下請け会社)が延長するかも知れない幾つもの個人的なひいきの一つとして、そのコントラクターがゆうずうするだろうと知っていたので、彼等(士官達)はヴァロ社に再印刷する事を要請しました。

「それらの選択肢の後者が、筆者の最善の推理です。守秘義務の大きな度合は、使用され無かった様に現れます。ジェセップは、ヴァロ社によって招待され、そしてその本を見せられ、そして彼のその後の記述、または報告された対話の中に、彼が秘密を守る事を要請されたと示唆するものは、何もありません。」⁵²

再び、バーリッツとモーアーと、そしてバーカーの間の、細かい違いに着目して下さい。バーリッツとモーアーは、ジェセップがヴァロの注釈版の彼のコピーを海軍から受け取ったと主張する間、バーカーの「最善の推理」は、彼(ジェセップ)がヴァロ社から直接受け取ったとします。バーカーは故に重要な点を主張し:その出版にまつわる特別な秘密主義は無いとし、それは、イヴァン T. サンダーソンとの彼の最後の夕食会の間の、ジェセップの振る舞いに対して直接矛盾する概念です。実際に、その計画の再上層部において秘密主義が存在し、そして故に、ヴァロの注釈版自体にまつわる重大な守秘義務が存在し、その秘密主義は、彼の人生の終わりにおける、ジェセップの奇妙な振る舞いを説明するかも知れないと言う証拠が後に体現されます。
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52 Barker, “Preface,” in “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object, (Castelnau-Barbarens, France: the Quantum Future Group), p. 5, emphasis added.

b. A Necessary Tangent: Barker’s Own Strange Story
b. 不可欠なタンジェント(寄り道):バーカー自身の奇妙な逸話     61


ヴァロの注釈版の検証において更に進む前に、グレイ・バーカー自身についての端的な言葉(説明)が必要です。彼の個人的な UFO (関係)の出版社、ソーサーリアン(円盤研究家)出版の時代の彼の履歴がよく知られたバーカーは、UFO の目撃事件に頻繁に追随した、「メン・イン・ブラック( MIB /黒い服を着た男達/政府関係者達)」の目撃と呼ばれるものを扱ったクラシカル(先駆け/典型/名作)として考えられる本で、彼を有名にした:彼等は空飛ぶ円盤について知り過ぎていたの著者として、恐らく今日、最もよく覚えられているでしょう。バーカーの本は、何らかの UFO (未確認飛行物体)の目撃を経験し、そしてその後、突然に、そして通常、説明不可能な形で、その問題(UFO の目撃)を誰にも話すなと警告した黒ずくめの衣装をまとった謎めいた男達によって訪問された、様々な人達(一般人)についてでした。その現象におけるバーカーの関心は、1953年において、国際空飛ぶ円盤連盟の主任調査員だった際に、その組織(連盟)の全体が、その設立者である、ベンダーと言う名前の人物が、MIB によって訪問された後に、突然と解散されたと発見した時に始まりました。その連盟は、宇宙リヴューと呼ばれた UFO 報告の小規模な雑誌を出版していましたが、MIB からのベンダーへの訪問の後、その組織の在庫にあった全てのバックナンバー(売れ残り/後からのお取り寄せ)は没収されてしまいました。バーカーの著書は、その様な「隠蔽の訪問」のための本当の理由が究極的に、新たなエネルギー(電力)の源泉についての情報の隠蔽、そして UFOs のための起源が、地上的、地下的、そして更に南極的な可能性を隠蔽するために結び付いていると推理しました。⁵³ UFOs の起源の場所についてのバーカーの結論は、ジェセップ(の意見)から全く異なっておらず、そして MIB の「隠蔽現象」についての彼の結論もまた、同時にジェセップのアイデア(考え)の幾つかに関連していました。

バーカーは、しかしながら、その題材にもっと緊密な、もう一冊の本を執筆し、そしてこれは M. K. ジェセップ博士の奇妙な事件でした。⁵⁴
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53 Gray Barker, They Knew Too Much About Flying Saucers, pp. 116-117, 130, 206-207.
54 Published by Saucerian Press, 1963.


その本の中で、バーカーは、「彼にとって唯一、B 大佐として知られた、匿名の情報源から受け取られたと、バーカーが主張した、」手紙を産出しました。⁵⁵ バーリッツとモーアーはその後、その手紙をバーカーの本から引用します:

「(ジェセップは)また、(米国)軍部において流通されたと主張される、彼の著書のミメオグラフ(タイプ器の一種)で産出されたヴァージョンの一つについて強く強調しました。彼はまた、統一されたフィールド理論の応用を含んでいる、軍部(海軍)による秘密裡の実験についての情報を含んでいるとされる、特定の(アレンデの)手紙を彼が受け取ったと、私に伝えました。

私は個人的に、ジェセップがこれを大袈裟にし過ぎていると感じましたが、これは、UFO の調査について政府の[ヴォン・ブラウンを含む]内輪において体現された敏感さの光の下で人が考慮した時に、理解可能でしょう。(それらの)[アレンデの]手紙の中に含まれていた、秘密裡の実験に関する主張は、何らかの詐欺[造り話]であると言うのが私の最善の推測です。ですが、この情報は(その本質が、其処まで劇的では無かった)実際の実験の状況の幾つかに対してとても密接していたので、何らかの機密保持(安全保障)の漏洩があったと考えられたかも知れず、そしてこれは、軍部による多大な関心のための理由に成った可能性が高いのかも知れません。」⁵⁶

この短い手紙は、この本のこの部分の中で後に、フィラデルフィアの実験の私達の分析に対してそれらの要点が中心部に成るので、強調される事が最善な、幾つもの重要な手掛かりを含みます:

1)その匿名の著者が、アレンデの手紙の内容を、そっくりそのまま信じる事を拒否した事に着目し;

2)その著者はまた、統一されたフィールド理論の応用によって果たされた役割を、ジェセップが過大評価したと信じると記述しますが;

3)その手紙の匿名の著者が、右手で渡すものを、左手で取り上げ、つまり、アレンデの手紙の衝撃的な要素を「詐欺(作り話)」として否定した後、彼はそれでも「この情報が、其処まで劇的では無い本質の実際の実験の何らかの状況に対してとても密接した」と主張する事を観測して下さい。
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55 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 82.
56 Ibid., p. 83. Italicized and capitalized emphasis in the original; italicized, or bold and italicized emphasis added.


言い換えると、アレンデは、その実験の原則を正しく理解した間、その結果を誤解した、またはその手紙の匿名の著者は、その実験の元々の目的が何かを知ってはいましたが、アレンデによって報告された衝撃的な結果を知らず、それはその手紙の著者が、その実験の後期の段階、またはその(最終)結果を知らなかった事を示唆するのかも知れません。どちらの場合においてであっても、その著者の、その実際の実験が「其処まで劇的な本質では無かった」と言う明言は、この章の後において目撃される様に、その実験の元々の目的の可能性に対する、重大な手掛かりです。

4)最後に、ジェセップの研究の注釈版において、何故(米国)海軍が実際に関心を示したのかのその匿名の著者の意見に注目してもらいたいのは:安全保障(機密保持)の漏洩の危険性があったためです。これは高度に合理的な説明で、そしてその合理性は、もし、その実験の実際の結果についてのアレンデの衝撃的な主張が実際に事実なら、その可能性は増幅します。

2. The Actual ONR Introduction to the Varo Edition
2.ヴァロの注釈版に対する実際の ONR (海軍研究所)の紹介(前書き)     65


ヴァロの注釈版へと戻りましょう。公式にであれ、非公式にであれ - ヴァロ社からの、ジェセップの本の特別なヴァージョンを依頼した海軍研究所(the Office of Naval Research/ONR)は、その研究に対するそれ自体の端的な紹介(前書き)を供給しました。この前書きは、その特別版の出版のための主要な動機が UFOs であった事を鮮明にします:

「UFOs の稼働の方法、それらの起源、背景、歴史、そして UFOs に乗っている存在達の習慣(行動)の詳しい知識を示唆する概念は、調査のための興味深い題材を供給します。その様な概念は、M.K. ジェセップのUFO のための立件のペーパーバック(紙表紙/単行本)の中で見つけられます。重力の本質に対する手掛かりを発見する可能性に私達が関係させる重要性のために、古典(一般)的な科学の見解からどれだけかけ離れていようとも、可能な部分は一つも見過ごされるべきではありません。」⁵⁷
_____
57 Introduction, “Varo Edition ,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object (Castelnau-Barbarns, France: The Quantum Future Group), p. 8, emphasis added.

もし、重力の本質への手掛かりは一つも見逃されるべきでは無いと言う事が事実なら、するとこれは ONR による驚くべき自認で、つまり、UFOs における軍部の関心は、重力自体の謎における、より深い関心を隠していると言う事です。もし人が、表面上(表向き)の価値においてそれらの明言を受け入れるなら、すると、重力が、ヴァロの注釈版の中の、ONR の興味のための本当の関心です。しかしながら、もし人が、海軍は情報漏洩の可能性のために心配していなかったとする、グレイ・バーカー宛ての手紙の匿名の著者を受け入れるなら、すると、それらの明言は、疑いの多大な度合と共に読まれる(解釈される)べきです。この場合において、その明言は、本当の関心から注意を反らすために意図された、deep-cover (深く覆われた/偽装した)偽情報の策略でしょう。この章の残りを通して私達は、上述の明言の中で表現された感覚(意味)において、海軍の関心が正真正銘だっただけでなく、ジェセップの著書の注釈だけでなくまた、本文に、そしてその本文と注釈の間の相互関係によって示唆された概念においても関心があったと言う土台の上で、ヴァロの注釈版を分析しましょう。

その ONR の前書きがまた示唆するのは、それが、その注釈をしていた人達が実際に3名いたと信じた事でした。「青、青-紫、そして青-緑の - 3種の異なった色の使用 - そして、筆跡における違いが、この結論に繋がりました。これが示唆したのは、カルロス・アレンデは、それらの3名の人達の内の唯一一人でしかないと言う事で、その ONR の前書きは、「A 氏」による、117、130、そして150ページ上の記述が、ジェセップ博士に対するアレンデのコメント(注釈)に類似する事実に基づいた結論だったと言う事でした。

その ONR の前書きは更にもう一つの注意点の上で完結し、その関心は、ジェセップの元々の本文と、その注釈の両方である、ヴァロの注釈版の内容全体においてであったと再びもう一度示唆し:「この中には、どれだけ多くの真実があるのか?」と言う事でした。「それは、答えられる事が出来ません。それらの人達は;考えてみる価値のあるかも知れない説明である、幾つものとても興味深い説明を供給するのは明らかです。」⁵⁸ 少々後に、その実験の土台を形成したのは、アインシュタインの統一されたフィールド理論だったと、アレンデの手紙が明言するのが証明されるでしょう。もし、何らかの目的のために、第二次世界大戦の最中に、その未完成の理論の実用可能な技術開発の可能性において、(米国)海軍が関心を示していたと実証される事が出来るなら、ジェセップの本文における、彼自身の記述による、重力、UFO の推進力(動力)、そしてその他の奇妙な推測の新たなコンテキスト(文脈)におけるその明言は、1950年代における海軍の類似した関心を刺激したでしょう。
_____
58 Introduction, “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object (Castelnau-Barbarens, France: The Quantum Future Group), p. 10.

それはあたかもジェセップと、彼の謎めいた注釈者達が、海軍が考慮するために、その理論のその他の示唆を指摘したかのようでした!それらの示唆は、以下においてはっきりと定義されるでしょう。

バーカーの前書き(preface)と、ONR の前書き(introduction)の私達の検証は此処において完結し、そしてその(ジェセップの)本文と、その注釈に対して、私達はこれから向き合います。

3. Jessup’s Ideas in The Case for the UFO and Some Varo Annotations
3.UFO のための立件におけるジェセップのアイデアと、幾つかのヴァロの注釈     65

ジェセップの UFO のための立件の内容の目次の検証は、その問題を指摘する事における彼の想像力の勢いを明かします。明らかに、彼は UFO を、統一的な要素として、またはむしろ、様々な「超常現象」のための、説明的な体系の一つをその(UFO 現象の)中に求めようと見解しました。

PART I
The Case for the UFO’s(Sic.)
第一部
UFOs のための立件

“If it Waddles…”?
「もしそれがヨタヨタするなら・・・」?
UFO’s Are Real
UFOs は現実
There is Intelligence in Space
宇宙において知性が存在する
Short-Cut to Space Travel
宇宙旅行(i.e. ロケット科学技術以外)への近道
The Home of the UFO’s
UFOs の故郷(起源)
Are UFO’s Russian?
UFOs はロシア製?
Space flights: Common Denominator
宇宙飛行:共通の性質

PART II
Meteorology Speaks
第二部
気象学が語る

Falling Ice
落下している氷
Falling Stones
落下している石
Falling Live Things
落下している生き物
Falling Animal and Organic Matter
落下している動物と有機物
Falling Shaped Things
落下している形造られた物事
Falls of Water
水の落下
Clouds and Storms
雲と嵐
Rubbish in Space
宇宙におけるゴミ

PART III
History Speaks
第三部
歴史が語る

Disappearing Ships and Crews
消滅している(行方不明の)船と乗組員達
Teleportation or Kidnapping?
テレポーテーション(瞬間移動)、それとも誘拐(アブダクション)?
Levitation
浮遊(反重力)
Marks and “Footprints”
印しと「足跡」
Disappearing Planes
行方不明の飛行機
Fireballs and Lights
火の玉と光(フー・ファイターズ)
Legends
伝説

PART IV
Astronomy Speaks
第四部
天文学が語る

The Incredible Decade
驚きの(信じがたい)10年間
UFO’s Against the Sun
太陽に対する UFOs
Location of UFO’s
UFOs の位置
UFO Patrol
UFO 捜査
The Height of the Puzzle
そのパズルの絶頂期
The Case is Proved!
その案件は証明された!
A NOTE ON SOURCES⁵⁹
情報源についての補足

その内容の目次が明らかに、ジェセップが Fortean (超常)現象の様々な種類のための統一している説明として、UFO 現象を利用しようと意図していた事を鮮明に明かす間、そしてそれが、人によっては、それが混乱したマインド(精神障害)の兆候であると言う(拒否)反応さえ、かき立たせるかも知れない間、ジェセップの本が実際に何であるかと言うと、一般的な思考のくくり(固定概念)の外で考える事に意欲的な学者による論説の熟考された推理における検証で、そして彼は、非-学者的な読者達(一般大衆)のために、非-学者的に(解りやすく)記述しました。故に、彼の主張と記述の、「理論づけられた推理的な論説」のスタイル(形式)は、現代の読者達によって見過ごされる傾向があります。

彼(ジェセップ)の研究を現代の読者達がどの様に捉えようとも、しかしながら、その内容の目次は既に、その注釈者達の一人からの返答を促し、そのコメント(注釈)のスタイル(形状)が、ジェセップに対するアレンデの彼の2通の手紙にとても似ているので、恐らく、アレンデ自身からのものであった可能性が最も高いでしょう:

メモ:
「この本を読む読者は誰であれ、分子的な構造の中のエレクトロン(電子)の quatums (Sic./量子)は、惑星達が公転する際の『フィールド』の(影響)範囲において類似している事を知らなければなりません。彼等(読者達)は、金属の中の電子が渡って行く(公転する)のは、惑星的なシステムにおいて(例えると)、数十億マイルに成り、其処に重力的なフィールドを残していく事を知らなければなりません。この一つの事は、静止点とか、結節点とか、または渦巻き、もしくは中立点など、様々に呼ばれました。
_____
59 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 13.

「アルバート・アインシュタイン博士がそうした様に、これに気付くと、どの様に固体が、エネルギー、または Dissolute (肉眼には見えにくい気体やエーテル etc.)に成るかも知れず、そしてその後どの様にそれらが、一瞬にして目視可能な範囲(周波数)から簡単に通り抜けてしまうかもしれない事を鮮明に表します。これは、全ての実質を通して、そして間-銀河的な-宇宙の全体を通して、アインシュタインの、統一された磁気的なフィールド理論から垣間見られる単なる一つの手掛かりです。1943年の米国の実験の一部はそれを十分に証明しました!⁶⁰

その注釈(メモ)を引用した時の、全ての大文字化、綴りの間違い、イタリクス化、そして下線は、それらがオリジナルにおいて見つけられた様に引用された事に着目して下さい。その奇妙で(文法が少し)おかしい英語は、その(ヴァロの)注釈版と、ジェセップに対するアレンデの手紙に典型的です。(訳者注:大文字化は、太文字で表しましたが、頭文字の大文字は、日本語では表現しにくいので省略しました。詳しくは、原文の pdf. 87-88ページを参照して下さい。)

それら全てのために、人はそれらを頭ごなしに否定する(却下する)べきではありません。結局の処、それらが、海軍にとって一体何を意味していたのかは、未だにはっきりとはしていませんが、米国海軍研究所(ONR)がそれらを無視しなかったためです。これ等の短い引用は、海軍の関心を引き寄せたものが何かの幾つかの手掛かりを含み:それは、2つの質量の間(e.g. 地球と太陽の間)の、一つの物体(e.g. 月)の上の、両方の質量からの引き寄せ合いが、その地点において同等である、重力的な中立点に対して、「渦巻き」と言及し、そしてそれは、アインシュタインの統一されたフィールド理論が、原則的に磁気についての理論であるとして言及し、興味深い観測です。もし人が、その「渦巻き」のアイデアを、「回転している磁気的なフィールド」を理解するために、磁気的なフィールドと一対にすると、私達が後の章の中で目撃する様に、その実験と、そしてトーション・テンサーにおけるその土台の理解に、私達は一歩近づきます。最後に、この短い注釈の全てにおいて、最も重要かも知れない最後のコメントに注目してもらいたいのは:その実験が1943年において行われ、「その一部」で、つまり、その理論のたった一つの要素(一部)、または示唆でしか無かった事です。これもまた、単なる「悪戯者」、または詐欺を行おうとしている誰か(アレンデ)にしては、凄く正確過ぎる観測であると、見解されるでしょう。その観測は、言葉を変えると、驚く程に正確です。

A. Jessup and the Antiquity of Man

A. ジェセップと人類の古さ     67


ジェセップ博士へのそのアレンデの手紙は、ヴァロの注釈版において、内容のテーブル(目次)とその注釈に直ぐに続きます。私達は、それらの手紙についての詳細なコメントを、後の章まで残しておくので、私達はその本文の中のジェセップの、より興味深いアイデア、そしてそれらの幾つかに対するヴァロの注釈の検証から始めましょう。
_____
60 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 14.

それらのアイデアの一つは、人類の古さで、そして文明の極度な古さ(超古代文明)です。偉大な名声と評価のもう一人の科学者、J. ロバート・オッペンハイマーと同様に、ジェセップは、幾つもの(古代インドの)サンスクリット語の文献の中で見つけられる、極度に古代の時代における、人類の古さと科学技術的な達成の示唆を、真剣に受け取りました:

「恐らく最古で、そして殆ど間違いなく、羽根の無い飛行(i.e. ヴィマーナ)について記述している、最も多数の情報源は、インドとチベットの寺院の記録です。それらは、それら自体において、ほぼ結論的です。15,000年前の記録は、少なくとも、その70,000年以前における、羽根の無い飛行を示唆します。これに、紀元前15000年頃(Sic.)の、トトメス(トート・モーゼス)3世の宮廷に対する宇宙船団の訪問の記録を加えると、私達は、今日の目撃証言の平行線に近づきます!」⁶¹

下線の部分が、ジェセップの注釈者達の一人によるものである事に着目して下さい。此処において、最大級の重要性が何かと言うと、それらの太古のエピックが、(1)歴史的、そして(2)科学技術的な正確性の両方を含んだと、ジェセップが信じた事です。そして故に、ジェセップは、こう結論します:「私達が、人類、または少なくとも、地球上、そしてその付近における知性のための底知れない古さを認めるのは、私達のテーゼから分離する事が出来ない(必然的な)結論です。⁶² 彼と同年代において、これが正しく急進的(大胆)な提案であった間、私の以前の著書、宇宙戦争:間惑星的な戦争、現代物理学、そして太古の文献の読者達なら、このプログラム(考え方)が実際に何なのかを認識するはずで:ジェセップは太古の神話の科学技術的な部分を吟味して、そしてそれらを、現代科学の達成に対して比較していて、そして太古の神話は、少なくとも、基準的(一般論的)な感覚とは対照的に、神話などでは全く無いと結論していると言う事です。端的に、ジェセップは、私の以前の著書の中で、私が「原始物理学」と呼んだものを考えています。⁶³ 彼は奇妙にも、人類がその場面に台頭する遥か以前に、「その他の知性」が地球上に存在し、そして文明を築いたのかも知れないとする、太古のシュメール、エジプト、そしてヘブライの宗教(記録)の見解に、協力証言さえし:「ですから、その知性の古さの私達の研究において、重要な2つの要素が存在し:人類が文明化したよりも、ずっと長く、より優れた存在が此処(地球)にいたと言う証明と、それらの数千年において、今日では唯一推測しか出来ない規模と本質の力(作用)が機能していたと言う実証です。」⁶⁴
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61 M. K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 28.
62 Ibid.
63 See my books The Giza Death Star, pp. 38-110; The Giza Death Star Deployed, pp. 60-193, 234-264; The Giza Death Star Destroyed, pp. 21-96; 99-245; Reich of the Black Sun, pp. 162-180; and The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts, for fuller discussions of this idea.
64 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 28.


b. Megaliths and Levitation
b. 巨石と浮遊     69


(エジプトの)ギザのピラミッドや、ペルーの巨大な石の壁の様な、太古の巨石の驚き(七不思議)を技術開発する示唆を、ジェセップがその後考えるのは、このコンテキストにおいてです。そしてもし、米国の軍部がそれらの科学者達に注意を払っていたなら – そしてそれ(軍部)は、そうしていましたが – それは、1945年の7月における、ニュー・メキシコにおけるトリニティーのプルトニウム原爆の実験の際の、(古代インドの)マハバラータのエピックの、オッペンハイマーの奇妙な引用に気付いたでしょう。ジェセップと共に人が、更にまた、物理学における履歴を共にしたもう一人の、重力を操作している謎に対する解決策に対する言及において、同じ文献を引用している科学者を有するのは、人類の古さ、または地球上の知性を考えるコンテキストにおいて、ジェセップがまた、「浮遊(levitation/反重力)以外の方法では、大き過ぎて動かせない質量(e.g. レバノンのバールベック神殿の1200トンの巨石)を含み、そして現在利用可能なあらゆる記述された記録の遥か以前から建っている、数々の巨石の加工(太古の巨石文明)において明らかです」と、はっきりと明言するためです。⁶⁵ 再び、その(手書きの)注釈者達は、彼等が関心を持った文章に下線を引き、そして彼等自身の意味深なコメント(注釈)、「THE MAN IS CLOSE, TOO CLOSE (人類は近づき過ぎ、発展し過ぎた)」を加えました。⁶⁶

c. Jessup and a Varo Annotation Concept: Interplanetary War and the Exploded Planet Hypothesis
c. ジェセップと、ヴァロの注釈版の概念: 間惑星的な戦争と、爆発した惑星の論説     69


その後に、私の考えにとって、ジェセップの著書全体の中で、最も驚きの文章の一つが続きます。それと共に、その本のその他を通して、彼(ジェセップ)の匿名の注釈者達からの様々な反応を引き出す、一つの概念を紹介します。その概念とは、私達自身の太陽系において、太古の間惑星的な戦争が戦われたと言う事で、そしてその結果の一つが小惑星ベルト(帯)で、太古の、意図的に爆発させられた惑星の、無残な名残であると言う事で:
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64 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 28.
65 Ibid.
66 Ibid.


「ジグソー・パズルのそれらの欠片がそれら自体を明かす際に、そしてこれが、古い、古い、問題であると、私達が完全に気付く時に、私達は安心し始める事が出来ます。もし、UFOs が、300,000年間、此処(太陽系/地球)に存在し、そしてそれでも未だに人類に対して総攻撃を仕掛けていないなら - 世界中の実験中の軍国主義者達と科学者達(軍産複合体)が、その水素の着火(i.e. 水爆の爆発)を通して地球を破壊し、過去における遥か昔において、(太陽系の)第五惑星(ティアマット)が破壊されたかも知れない時の様に、その銀河におけるもう一つのノヴァ(爆発)、または新星(の創造)を防ぐために、何かを(対応を)行う事を強要されない限り – それ(UFO)が、現在においてそれ(人類に対する総攻撃)を行う可能性は殆どありません。」⁶⁷

地球の大気中における水素爆弾の爆破(実験)を明言する事においてジェセップは、1950年代の、ソヴィエトとアメリカの、大気中の何度にも渡る水爆実験の時代の間に、一般大衆の想像力において広く浸透したアイデアに言及していて、つまり、それらの核爆弾が「核融合の連鎖反応」の一種を原因し、太陽がそうであると考えられていた様に、継続的で、核反応的な火の玉において、地球の大気を着火し、故に地球と言う惑星を、核反応の火葬場へと変え、新星にしてしまうのではないかと言う不安でした。この文章の本当の重要性は、しかしながら、当時の想像的な恐怖では無く、ジェセップ博士が、UFOs と太古の文献との関連性において最初に明言した数十年後に、現代の天文学者、トム・ヴァン・フランダーン博士によって、唯一、真剣に再検証されたアイデア(発想)に対する、ジェセップの言及で:爆発した惑星の論説です。

18世紀の後期と19世紀の初頭において最初に提案されたこの論説は、天文学における Titius-ボードの法則の上に基づいていました。正確な計算の連続性(数列)の上に基づき、この法則は、とても上手く、成功的にそれぞれの惑星の(公転)軌道を予測したので、太陽系の外側の惑星(i.e. 天王星、海王星、冥王星、etc.)を発見するために使用されました。ですが、たった一つ、問題がありました。その法則はまた、火星と木星の間に一つの惑星の存在を予測し、そしてそれにおいて、大きな質量の惑星でした。その後、19世紀の初頭における最初の(複数の)小惑星の発見と共に、その法則が立証された様に現れました。そしてそれらの小惑星(ベルト/帯)は、当時の天文学者達に、その消失している惑星に何が起こったのかの手掛かりを供給し:それは爆発しました。⁶⁸
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67 M.K. Jessup, The Case for the UFO” Varo Annotated Edition, p. 28, emphasis added.
68 See my Giza Death Star Deployed, pp. 1-23, The Giza Death Star Destroyed, pp. 21-52, and my most recent book The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts, pp. 1-65, ヴァン・フランダーン博士によって再提案された、爆発した惑星の論説の論議について、ジェセップは明らかに、ヴァン・フランダーンの(近年の)ヴァージョンは知る由も無く、そして故に、そのより古い、19世紀のヴァージョンに対して言及しています。


実際に、この天文学的な歴史の全ては、彼の著書の中で、ボードの法則に対して特定的に言及したジョセップに知られていました。⁶⁹ 何が極度に興味深いのかと言うと、その消失している惑星が、太古の軍事主義者達(軍産複合体)の実験の暴走の結果として爆発させられたのかも知れないとする、ジェセップの示唆です。これは、その消失している惑星の爆発が、戦争の意図的な行為として起こったと主張する一歩手前です。どちらの場合においてであれ、ジェセップのコメントは - 事故的、または意図的のどちらにせよ - 惑星全体を爆発させるために十分な、先進的な科学技術がその昔に存在していたと彼が信じた事の必然的な示唆を共に意味します。それだけでも、間違いなく、海軍の注目を捕らえたでしょう!唯一残る問いは:この科学技術の存在によって、どの様な物理学が示唆されたのか?です。

驚きにも、ジェセップの本のその注釈者達は、ジェセップの発想の示唆に対して恐らく、無意識に注意を引き寄せました。例えば、太古の隕石の衝突が、アトランティスの壊滅を含み、地球上の生命の絶滅を恐らくもたらしたというジェセップの明言は、有名なアトランティス研究家で、米国下院議会の議員、イグネーシャス・ドネリーの研究の読破から彼が得た(影響された)発想でした。ドネリーは、勿論、この(隕石の)衝突が、偶然的であったと主張しました。ですがその後、ヴァロの注釈者達の一人が、ジェセップの文章に、以下のコメントを加えました:

「その賢明な代議士(ドネリー)は、その大規模な戦争において、多くの「隕石」によって行われた事以外については、正解でした。

「『その大規模な戦争』の間に、Force (力/作用)-『Guns』のための弾薬として Balls (弾)が使用され、地球が圧縮(衝突)されました。その成功(威力)はとても早く(凄まじく)、それらは二度と使用されませんでした。」⁷⁰

私達自身の太陽系において戦われた、太古の間惑星的な戦争の、正しくその様な可能性のために、私が、私の以前の著書、宇宙戦争の中で吟味した、太古の神話の文献的な証拠と、物理(物質)的な証拠が無ければ、私は、普通なら(一般大衆の様に[知らなければ])その様な記述を受け入れなかった(拒絶反応した)でしょう。
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69 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 56.
70 Ibid.


しかしながら、その注釈のあちらこちらに現れる様に、ジェセップの匿名の注釈者達は、とても詳しい情報を掴んでいる様でした。人が唯一、この知識の情報源について、推測を試みる事しか出来ないのは、彼等の注釈の中で、この戦争に言及する太古の文献を読んだ、または親しみがあったと言う示唆が、全く与えられないためです。⁷¹

ですが、上述の引用において言及された「balls (弾)」とは何だったのでしょう?その注釈者達は、その起源が自然的な原因で、カリフォルニアにおける砂岩(サンドストーン)の地層において発見されたと信じる地質学者達によって、「コンクリート化(凝結)」と呼ばれた、球体型の石の balls に、彼(ジェセップ)が言及する彼の文章の部分の一行に、下線を引きました。⁷² ジェセップの本文、そしてその注釈の両方において、それらの the balls は、科学技術の産物で、そして故にその起源において人工的である事が、はっきりと示唆されました。そしてその注釈者達にとって、その the balls は、戦争の科学技術の産物でした。

ジェセップは、彼自身の証拠の示唆をとても簡潔に:「私達は地球上的な古さ(過去)、または宇宙的な古さの間の選択肢を持ち続けます。ですが、地球上において、私達が有する古さ、そしてとても太古の民族(人種)は、宇宙旅行を開発する事に成功出来たのかも知れません。」と明言します。⁷³ イグネーシャス・ドネリー(議員)の、アトランティスの偶然(大災害)的な終わり、またはジェームズ・チャーチワードの、「ムー(レムリア)」の失われた太平洋の大陸の、大災害的な終わりに対して、そのヴァロの注釈者達は断言的です:

大爆撃でした。

「その大爆撃は、ムーの終焉を告げました。」⁷⁴

後に続く注釈が鮮明にする様に、その注釈者達は、「大爆撃」と言う言い回しを、地球に対する複数の彗星、または隕石の衝突のための隠喩として使用しているのでは無く、それは膨大な規模の間惑星的な戦争の行動(攻撃)で:

Had Farraday concerned Himself With The Mag. FIELD SURROUNDING HIS Elec. Current, Man today would already Have
reached the outermost Parts of our Galaxy.


ファラデーが、彼の電気(Elec.)的な電流を囲んでいる磁気(Mag.)的なフィールドを彼自身で考慮していたなら、人類は今日、既に、私達の銀河系の最も遠い部分まで届いた(行けた)でしょう。」
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71 その注釈者達は、彼等が「ジプシー/ロマニ(放浪者)」の血統である事を明言し、それはその昔話(神話)と伝統における、ロマンシュ族の人々の、情報源の可能性を示唆するのかも知れません。
72 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 70.
73 Ibid., p. 71.
74 Ibid., p. 80.


There, Jemi, Was given the results of What Would have been possible had Dr. Farraday Done as suggested other page. The S-Ms & L-Ms FOUGHT USING SMALL ASTEROIDS.⁷⁵

「其処で、ジェミは、その他のページで示唆された様に、ファラデー博士が行っていたなら、何が可能だったのかの結果を与えられました。S-Ms & L-Ms は、小惑星(ベルト)を利用して戦いました。」

その言及された「S-Ms」と「L-Ms」は、その注釈者達が、UFO 現象において関わっていると彼等が信じる、地球外知的生命体の二種類のための名前です。ですが、重大な点に着目してもらいたいのは:小惑星ベルトが兵器として使用された事で、そしてつまり、順を追うと、重力/引力を操作する能力を示唆していて、その注釈者達のコメントの、更なるもう一つのテーマです。

最後の長文の注釈は、ジェセップの著書の正に終わりの近くで、この太古の間惑星的な戦争に対して言及します:

If the history of the Great War of the ancients were ever recorded, except by the black-tongued ones own tales, it would cause Man to stand in awe (or disbelieve) that such Huge Satelitic Masses were ever deliberately tossed throo this atmosphere in an attempt to Demolish all of the “Little Men” Great Works. Fortunately for Mankinds ego only a Gypsy will tell another of that catastrophe, and we are a discredited peopole (sic) ages ago. HAH! Yes, Man Wonders where “we” came from, and I Do Not Believe that they will ever know. These folks on this planet blind Panic.⁷⁶

「もし、古代人達の大規模な戦争の歴史が、黒い-舌の連中自身の逸話(記録)によって以外に、「小さな-人達(人類)」の大いなる働き(発展)の全てを完全破壊するための試みにおいて、この大気中を通してその様な巨大で、衛星的な(大量の)質量(小惑星)が、意図的に放り投げられた(地球にぶつけられた)と一度でも記録されていたなら、それは人が、驚愕において(または信じられずに)立ちすくむ(戸惑う)原因に成ったでしょう。人類のエゴ(自尊心)にとって幸運な事に、ジプシーだけがその大災害のもう一つ(の逸話)を伝えて(口伝保存して)おり、そして私達は、随分以前に忘れ去ってしまった人達です。ほら!確かに、人は『私達』が何処から由来したのかを考えるかも知れませんが、私は彼等が決して知る(思い出す)事は無いと信じます。この惑星上のそれらの人達は、盲目の混乱(歴史を知らない状態)です。」

明らかに、「大爆撃」を共にした、太古の間惑星的な戦争のアイデアは、それがジプシーの逸話(昔話)の中で、何らかの役割を果たしていると示唆する、その注釈者達にとって、主要なテーマでした。

しかしながら、恐らく最も啓示的なのは、上述の注釈のコンテキスト(文脈)で、そしてそれは恐らく、(米国)海軍に対して、ジェセップの著書と同時に、その本(ヴァロの注釈版)自体を真剣に受け取る、更にもう一つの理由を与えたのでしょう。前述された段落の直前に、以下の興味深く、示唆的な注釈が起こるためです:

WHAT HAPPENS WHEN A BOLT OF LIGHTNING HITS AT A POINT WHERE THERE IS A “NODE” SUCH AS A “SWIRL” IN THE MAGNETIC SEA OR WHERE A MAG. “DEAD SPOT” caused by the NEUTRALIZATION OF MAG. SEA contra GRAVITY ESPECIALLY, WHAT, WHEN THE NODE & BOLT BOTH ACT OVER BRONZE INLAY.

磁気的な海(トーラス)における『渦巻き』の『結節点(交点)』、または、特に重力に対する、磁気(MAG.)の海の中性化(±)によって原因された磁気的な『静止点』であるが存在する地点において、稲妻(i.e. 直流電流)が当たった時、青銅製の部品の上で、交点 & 直流電流(DC)の両方が働いた時に、何が起こるでしょう(?)。
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75 M.K. Jessup, THe Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 109.
76 Ibid., p. 164.


The Good Doctor is far more aware of committing the cardinal effrontery of Unorthodoxy than he wishes to show, perhaps. Too, He wishes to have More & More & More, a flood of Data, & facts & records of observations that will back-up his Theory. It would seem Much more apropo were he to not ask for further Proof to show to his fellow Professional Deriders but Were He To Proceed Himself into the only field that would convince each and Every one of His fellows; That field of Gravity & Magnetic exploration, as yet Untouched. He THEN could say the Moon is Hollow & Not one person would saw a Word. Approach to morals & Ethics of Science, Not New. Newton proved his Theory throo observable phenomena The which any one coujld observe & So has this Man.⁷⁷

「その善良な博士は、恐らく、彼が認める事を望む以上に、一般論では無い(一般人が知らない)事に献身する中心的な難しさ(一般人から気違い呼ばわりされる)事を、重々、承知しています。同時に、彼は、彼の論説を後ろ楯する、もっと & もっと & もっと多くの、大量のデータ(資料)& 事実 & 観測の記録を得る事を望みます。彼の同僚のプロ(博士クラス)の批評者達に対しての、更なる証明を求めるよりも、彼の同僚達の一人、一人を納得させるための唯一のフィールド(分野)へと、彼自身が進んだ方が有効で;つまり、未だに触れられていない重力 & 磁気的なフィールドを探求した方が、更にもっと効率的な様に現れます。彼はそうすれば、月が空洞であると言う事が可能で & そして誰も、一言も非難しない(出来ない)でしょう。モラル & 倫理(道徳原理)に対するアプローチ(対処の仕方)は、新しいものでは全くありません。ニュートンは、彼の論説を、観測可能な現象を通して証明し、それは、誰でも & この人も観測出来た事でした。」⁷⁷

その注釈者達が、彼等の「大爆撃」を可能にするために必要とされた力(作用)を達成するために、少々、異例的で、一見、可能では無い様に見える方法を提供する事を観測して下さい:特に「青銅製のはめ込まれた部品」の上で「node (交点/結節点)と bolt (電流/電弧/稲妻)の両方が働く時に」、「dead spot (静止点)」がある、「磁気的な海」の中で、「渦巻き」がある処に「稲妻の電弧」が当たらなければ成りません。

ですが、この絡まり(一連)を、その基本的な構成要素へと解き解(ほど)くと、この本の残りの中で、そして特にナチスのベルとの関連において第三部の中で目撃される様に、とても興味深い事を明かします。その絡まりをその基本的な構成要素へと解き解くと、その注釈者達の頭の中にあるものが、再びもう一度、磁気的な渦巻きである事を明かし、今度は、雷(直流電流)の様な、殆ど純粋なヴォルテージ(電圧)の、膨大な静電的な放電によって、突然に、荒々しくパルス(衝動)、またはストレスされた渦巻きです。更に加えて、これは、金属製の合金の「はめ込まれた部品」の上で起こるとされ、この場合において、青銅(錫 + 銅)製です。ですから、彼等の「兵器化された小惑星(ベルト)」のための、重力/引力の操作を達成するために、そのヴァロの注釈者達によると、私達は3つの要素を有します:

1)磁気的な渦巻き、または回転/旋回している磁気的なフィールドで;

2)その渦巻きの中心部への、極度に高いヴォルテージの、静電的な放電(i.e. ダイエレクトリシティー/誘電性)によってもたらされた、突然のストレスのパルスで;

3)金属製の合金が、磁気的な渦巻きと、緊密に関連させられています。
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77 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 163.

それらの要素は、この部分の後に私達がフィラデルフィアの実験を検証する際に多大な重要性を持つ様に成り、そしてその後において、ナチスのベルに私達が向き合った時に、更に、より大きな重要性を持ちます。⁷⁸

d. Jessup on the Paleoancient Very High Civilization
d. 原始太古的で、とても高度な文明についてのジェセップ(の意見)     75


地球上の、人(人類)、または何らかのその他の「知性」の極度な古さに加えて、ジェセップはまた、人、またはこのその他の知性的な民族(異人種/遺伝子的ないとこ)が、文明のとても先進的な段階を達成したと言う見解を持ち、そして故に、私が、私のギザの死の星の三部作の中で、「原始太古的な、とても高度な文明」と呼んだものの発想を、彼は信じました。私の意図的に重複な用語「原始太古」は、古代エジプト、シュメール(バビロニア)、インド(インダス)、そして中国よりももっと以前の文明であり、実際にそれらの祖先であった、この文明(超古代文明)の極度な古さを表現する事を意味しました。ジェセップは、とても類似した見解を信じていました:

「現代の人類学者達によって認識された文明、そして文化的なルネッサンス(文明開化)の全ての中心地 - インド、ペルー、ユカタン(半島)、エジプト、バビロニア、ギリシャ、中国、ローマ、イングランド、そしてその他は - 数百万年以前に、世界(地球)を征服(植民地化)した(好戦的な)帝国であり、そして文明の復活して来ていた要素(名残)でしかありません。それらは全て、およそ6,000年前から10,000年前に起こっていた、一つの大規模なルネッサンス(抵抗/復活)における「一部」、または中心地でしかありません。その中にあるのは、原型的で、元々の、祖先的な文化の幾つかの足跡で、そして、恐らくインド、チベット、エジプト、そして中米を通して、私達の未熟な再回復(再進歩)と、祖先的な過去の間に、何らかのとぼとぼしい繋がりがあるのでしょう。それらの足跡(手掛かり)は殆ど、石細工(e.g. 巨石文明)の形状で、そして幾つかは単一的な本質(類を見ない)象形文字(記述/暗号)で、殆どが東洋、そして特に東南アジア(インド/チベット)において存在している、とても少数(貴重)な記述された記録を共にします。」⁷⁹

その注釈者達は、この段落に対して、幾つかのとても興味深いコメントを残します:

LEFT UNAVOIDABLY IN “GREAT WAR.”

「大規模な戦争」において回避出来ない様に残された(巻き添えを食った)。」

Above is true, Jemi. They are Written about in Many Writings, So old, as to be nullified by antiquity.
⁸⁰

「上述は真実です、ジェミ。古さによって無効化された(古過ぎて[忘れ去られて]信じてもらえない)、とても多くの記述の中でそれらについて記述されています。」
_____
78 私の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の読者達にとって、それらの3種の要素の重要性は既に明らかでしょう。
79 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 103, emphasis added.
80 Ibid.


言葉を変えると、その謎めいた注釈者達が考える限り、原始太古的で、とても高度な文明の足跡しか残っていない事実は、大規模な戦争がほぼ完全に、それを一掃した事実によるものだと言う事です。更にまた、着目してもらいたいのは、その注釈者達が、この逸話(歴史)を伝える特定の太古の文献と共にとても親密な(詳しい)様に現れるためで、言い換えればその文献は、彼等が観測(認識)する様に、「古さによって無効化され」、言い直すと、それらの文献がとても古く、そしてそれらが言及する出来事が更にもっと古い為に、本当の「歴史的な」真実を含んでいるとは、(一般人達は)誰もそれらを真剣に受け取らないと言う事です。

それらの注釈は、ジェセップの匿名の注釈者達が誰であったにせよ – そして彼等の内の一人として、アレンデを疑う余地無く含みましたが - 更に文法的に彼等が有した間違いが何であったにせよ(注釈者達の国語が英語で無かったにせよ)、あらゆる大学生レベルのための読書の必読項目を遥かに超える、先史的な分野にとても詳しかったのは、その様な文献は、サンスクリット語(古代インド語)、シュメール学、またはエジプト学等々の、専門家達の専門科目(知識)であり(普通の人達は知らない)ためです。

e. Jessup’s “Invisible Solidities” and the Varo Comment
e. ジェセップの「肉眼に見えない(不可視)の固体」と、ヴァロの注釈     76


ジェセップの本文の中の、より興味深い概念の一つは、「不可視な個体性」です。幾つもの飛行機の事故が、あらゆる知られている、そして一般的に受け入れられた、自然的なメカニズム(行程/物理)によって、実際に説明出来無い事を記述し、それらの事故の幾つかは、「肉眼には見えず、そして常に繋がっているはずのラジオ通信を通して、操縦士達が危険信号を送る事が出来ない程のあまりの突然さと共に、それら(飛行機)が破壊され、またはバラバラに分解される何かにぶつかった」時に原因される様だと、ジェセップは推理しました。⁸¹ 彼は、彼のアイデアと共にこう続けます:

「その様な分析から、私達は簡単な段階(消去法)によって、力(作用)、光線(熱線、放射線、輻射(ふくしや)線、陽極/陰極線)または焦点を考えます。私達に知られていない、または少なくとも理解されていないかのどちらかの、何らかの力(作用)の-フィールド(場)において、それは地域的に、または鋭く限定された空気(大気)の質量(容積/体積)、もしくは恐らく空間(宇宙)自体において硬直性を産出します・・・(一つの)例は、屑鉄、または砂鉄の散らばりを通した制限的ですが強力な磁気的なフィールド(磁場)の通過です。磁気的な流動(磁力の流れ)がそれ(鉄屑/砂鉄)に入る接近の前に、この従順な粉(砂鉄)は、硬直的に成り、頑強で、一貫的で、そして少なくとも半固体に成ります(磁石が砂鉄に近づくと、磁力の線の流れに沿って、砂鉄が配列します)。
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81 M.K. Jessup, THE Case for the UFO: Varo Annotated Edition, pp. 33-34.

「宇宙の住人達は、空気(大気)中において、または更に恐らく、重力(引力)的なフィールド自体において、この一時的な硬直性を産出する力(作用/科学技術)を持っているのでしょうか?もしくは、彼等は、私達が磁気的なフィールドと共に可能な様に、重力/引力的なフィールドの『地域的な』集結(硬直化)を創造するのでしょうか?」⁸²

今の処、ジェセップが表現しているものは、ニコラ・テスラの「縦波(経度的な波)」にとても良く似ている様に聞こえます。そして第一部の中で検証されたトーション・テンサーの説明を与えられると、ジェセップの最後の問いに対するその答えは、慎重なイエスに成らなければならないでしょう。トーション・テンサーにおいてコード(数値/暗号)化された様な、時空間における地域化された「折り曲げ」、または「折り畳み」(アルミ缶を雑巾の様に絞る例え)は、もし十分に極度であれば、ジェセップが描写する事を可能にする、「不可視な個体性」、または一時的な「硬直性」を創造する事が出来るのかも知れません(i.e. 強い磁力の影響下において、鉄屑が、鉄の壁を創造出来る様に、肉眼には見えない、電子や、光子や、ニュートリノ etc. が、オーロラ現象の様な、[目には見えない]硬直性の壁を産出する事が可能なのかも知れません)。更に加えて、一人の科学者として、ジェセップが、アインシュタインのトーション・テンサーによって示唆された、重力/引力と電磁的なフィールドの地域的な変化のこの隠された示唆を知っていたのは、ほぼ間違いないでしょう。

彼は、彼のアイデアを更に延長させます:

「その様なものは、肉眼には見えず、固体の物理的な特徴の多くを有しますが、とても小さな質量(素粒子)でしょう。例えば、空気(大気)を通ったその移動(運動)は波(周波数/振動率)の様で、(闇夜の)サーチライト(探照灯)の焦点が、そのビームが肉眼に見える様に成るために、雲の移動(運動/障害)を必要とするのと同じ位に、その媒質(大気)の変換を拘わらせさせません。移動において、この孤島(地域限定的な作用)は、その進んできている端(前線)の上で「凍結(固体化)」し、そして後ろに続く端(イメージ的には、高気圧と低気圧の境目)の上で「解凍(液体化/気体化)」するでしょう。この方法においてそれは、殆ど無限の速度、そしてまた加速を有する事が出来るでしょう・・・この方法においてそれは、質量(重さ/容積/体積)が無い(素粒子の)様に現れ、そして実際に質量から自由なのは(解放されているのは)、何故なら、空気(大気)では無く、その力(作用)のビーム(光線/楯波)だけが移動する(動く/運動/作用する)ためです。ですが、鳥や、飛行機、または恐らく隕石などの衝突に抵抗するにおいて、それは質量を有し、そしてそれにおいてとても破壊的な質量(肉眼には見えない壁/塊)なのでしょう。」⁸³

表現の仕方を変えてみると、その媒質(エーテル、プラズマ、イオン、光子、etc.)におけるストレスの純粋な波である、時空間における「折り畳み」、または「たたみ込み」の特殊な一種(i.e. 空っぽのアルミ缶を雑巾の様に絞る例え)を想像してみて下さい。特定の状況の下で、このストレスは、それが出くわす(ぶつかる)その他の物体に対して、「ヴァーチャル(実質的な/肉眼には見えない)質量」の一種として、空気(大気)、または空間(宇宙)自体を、その様に形成するのかも知れません。その結果は、ジェセップが概要する様に、破壊的です。その様なアイデア(発想)の、兵器化の可能性は、疑いの余地無く、彼(ジェセップ)が出会った(米国)海軍の士官達の注意を引いたはずです。同等に着目する事が重要なのは、波のこの種(i.e. 縦波/経度的な波)にはまた、質量が無いと言うジェセップの示唆で;
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82 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 34.
83 Ibid., p. 35.


i.e. 地域的に重力/引力の操作を達成出来るかも知れない方法です。成行き的に、ジェセップが実際に、それをはっきりと明言するか否かは別にして、彼は、トーション・テンサーの示唆された概念において考えています。ジェセップは、言葉を変えると、アインシュタインの論説の、1928年の特定的なヴァージョンを、頭に入れて見解しています。

彼は更に前に進み、それらのアイデアを、極度な状態の下で、彼が提案する効果の種類の多くを達成するために完璧(適量)な、非-直線的な媒質である、プラズマ物理学の基本的な概念に対して関連させます:

「もしその様な力(作用)の孤島が、大気の上層部において形成されたなら、それが固体の物理的な特徴の多くを有し、更に発光性の問題において、あらゆるその他のオーロラ現象と全く同じ様に振舞う事が出来ると言う可能性がとても強いのかも知れません。この関連性において私達は、オーロラ現象が磁気的で、そして効果的に、私達が推測している力(作用)のビーム(光子/ニュートリノ etc.)の正しく種類である、太陽からのエレクトロン(電子)の流動によって原因されているかも知れない事を思い出さなければなりません。」⁸⁴

その注釈者達は、この段落の一部に下線を引き、そして以下の様にコメントしました:

Yes, He is close, but doesn’t think of Mag. Inductors or of Gravity as “air” Or thought of in Jet propulsion. He doesn’t know gravity & Magnetizm (sic) can be drawn into a ship, built up to High power, While being converted & used as a Force-Propulsive HE MAY KNOW OF FORCE-SHIELDS of Primitive Ancient type.⁸⁵

「そう、彼は惜しいのですが、磁気的な誘導器/誘導子、または重力/引力を『空気/空間』として、もしくはジェット推進力において考えていません。重力/引力 & 磁力が、(宇宙)船へと引き入れられ、高い動力(電力/出力)へと蓄積され、その間、創始的で太古の種類のフォース-シールド(作用-防壁)を彼(ジェセップ)は知っているかも知れませんが、推進的-作用(動力)として変換され & 利用されている事を彼は知りません。」
_____
84 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 35. 防壁シールドを含む使用である – HAARP 計画 - の背後にある、イーストランドの特許によって提案された様々な使用と共に親しみのある読者達は、それらの概念の幾つかを認識するでしょう。ジェセップは、少なくともこの件に関して、30年以上、先に進んでいた様に現れます。ハープに関する限り、そのシールドは、継続的で電磁的なパルスに類似した、柔らかい(非-硬直性の)シールドに成る様にデザインされました。その様なシールドを通り抜けている、敏感な電気機器を共にしたあらゆる(飛行機などの)物体は、その(レーダーや通信などの)電気機器が混乱させられる、または使用不可にさせられます。ジェセップは単純に、その概念を次の段階へともたらし、そして示唆しているだけで - 再び、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論によって、彼に対して示唆された、幾つかの要素の上に基づいている可能性が最も高く – つまり、電磁的な方法は、「不可視の固体」の創造を共にして、重力的な効果(反重力)を達成する事が可能かも知れないと言う事です。それらの中へとぶつかる(突入する)あらゆる物体は、従って、粉砕される、または粉々にされるでしょう。
85 Ibid., p. 35.


あたかもこれでは十分ではないかの様に、ジェセップは更に先に進み、そしてインターフェロメトリー(interferometry/干渉法)がその「不可視の個体性」の効果を達成するための選択の方法(選択肢)だろうと示唆します:

「単一のビームでは、そのビームの全体の長さに沿って、その凍結(硬直化)の効果が働くので、その(単一の)ビームでは、私達が提案した様な効果を持つ(働かせる)事は出来なのは明らかな様に現れます。しかしながら、2つのビームの交差地点の中に囲まれた、三次元的なヴォリューム(体積/容積)は、その様な凝結(硬直)化した孤島(地域的な効果)を創造するするかも知れないと言うのは可能でしょう。」⁸⁶

その注釈者達は、この時点において、ジェセップに対して一つの主要な異論を唱えます。ジェセップが電磁的な干渉法の定義において考えている間、その注釈者達は、純粋で、磁気的な干渉法の定義において考えています。そして再び、フィラデルフィアの実験の詳細の、彼等が主張した内部知識のコンテキストの中で、彼等はそうします。

どんな場合であれ、何故、(米国)海軍が、注釈されたジェセップの本において関心を示したのかを、それらの段落が鮮明に示唆するのは、一つで同じアプローチ(考え方)から、その本文と注釈者達のコメントの両方において、3つの応用法が描写されていたためで:1)実質的に無制限の威力の兵器で、2)推進力の一つの方法(反重力)で、そして3)物性物理学の新たな種(分野)における、時空間における波紋、または干渉された波の方法による、物質(原子/素粒子 etc.)自体の正に変格だったためでした。

f. The Artificiality of Mars’ Satellite Phobos
f. 火星の月、フォボスの人工的な特徴     79


ジェセップは、近代の科学の教義を悩ませた、知られている現象(科学では今の処、説明出来無い現象)のための急進的(大胆)な説明の彼の提案において、全く躊躇しませんでした。火星の月、フォボスの人工的な特徴を提案した場合において、ソヴィエトの科学者達が類似した見解を提案する遥か以前に、この物体(フォボス)が恐らく人工構造物だろうと言う見解を、ジェセップは言葉にしました:
_____
86 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 35.

「この内側の天体(フォボス)は、それらの(衛星/月の)母体に対して比例した、衛星の自然的な配置のあらゆる知られている仮定(公理/中立点)と共に調整される(当てはめられる)ためには、火星に近過ぎる事が指摘されました。これは、火星の内側の衛星(月)が、人工構造物である事を示唆するのかも知れません。」⁸⁷

海軍の ONR (海軍実験所)の士官達、フーヴァー司令官とシャービー隊長の両人が、アメリカの最初の人工衛星計画である、ヴァンガード計画に拘わっていた事を与えられると、ジェセップの明言は再びもう一度、軍部からの興味と関心を引き寄せたでしょう。彼の明言は、人類が宇宙計画を行うための、ある隠された理由を示唆し:宇宙(地球圏外)には、回収可能な(未知の)科学技術が存在すると言う事でした。

g. Soviet “Scalar” Research
g. ソヴィエトの「スカラー」研究     80


トム・ビアデン中佐(米国陸軍、退役)が頻繁に指摘した様に、地域的に時空間を技術開発する能力は、2つの更なる能力を示唆し:1)標的にされたエリア(地域)へと、エネルギーを突然に入力(集中)させる能力で、そして2)一種の「冷たい(冷却)爆弾(内破/爆縮)」において、標的のエリアから突然にエネルギーを引き出す能力です。⁸⁸ ビアデンはまた、少々、慎重に構築させられた状況証拠の土台の上で、この物理学の応用のそれらの種類への研究の多くが、第二次世界大戦後に、旧ソヴィエト連邦において行われたと主張しました。

此処で再びジェセップは、現代の研究者達よりも遥かに以前に、その匂いを嗅ぎつけていたかの様に現れ、ロシアの物理学の、主張された達成の一つは、「地上の大きなエリアを、氷点下の温度まで氷結させ、その中の全て(の生き物)を殺傷する方法であると言われました、」と記述しました。⁸⁹

h. Close Proximate Origin of UFOs
h. UFOs の起源の近さ     80


ジェセップが思考する、最も興味深い概念の一つは、UFOs の起源の地点(みなもと)に関する、彼の推理です。1950年代において既に、科学技術、そして天文学において利用可能な、光学的な望遠鏡機器における進歩と共に、地球の近隣の惑星達は、私達が知る様な、(人間の様な)知性的な生命のあらゆる形状に対して、益々、不適切な環境である様に見えてきました。この事実は、UFO 研究において関心を持った人達が、それらの(未確認飛行物体の)起源の地点を、地球から更にもっと遠くの、太陽系圏外の地点まで広げる(探し求める)事に繋がりました。
_____
87 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 37.
88 スカラー物理学のビアデンの歴史的な再構築のまとめに関しては、私のSS Brotherhood of the Bell の、207-241ページを参考にしてください。
89 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 44.


知らず知らずに、しかしながら、彼等(UFO 研究者達)がそうした際に、彼等が UFOs が体現した物理学的な問題を複雑化させたのは、UFOs の観測された飛行の特徴が、エキゾチックで(珍しく)、そして人間の科学技術の脳力(一般的に知られた技術)を超えていた間、実演的で、間惑星的な旅行(宇宙空間における移動)のためのポテンシャル(能力/可能性)を示唆するために、十分にエキゾチック(先進的)では無かった(不十分だった)ためでした。端的に、UFOs の物理学的な特徴は - 少なくとも、何らかの種類の(人工的な)乗り物として合理的に認識する事が出来るものは - (一般的な人の感覚において)異例的ではある間、間惑星的な移動(i.e. 推進力)の役割(問題解決)に対して十分な物理学(推進力)を示唆するためには、十分に異例的ではありませんでした。

ジェセップは、彼と同年代の時代において既に台頭し始めていた、UFO 研究におけるこの傾向に対して逆らって泳ぎました。彼はそれら(UFOs)の起源の地点を、もっと、地球に対してより近くに想定する事を選択し、そしてそうする行程において、それらが体現したと彼が信じた、原始太古の文明の論説、その規模、そして爆発した(太陽系の)第五惑星(ティアマット)に対する関連性のその可能性の、彼の論説をまとめました:

「近年、あたかも何らかの大規模な何かのための準備においての様に、UFOs に関係する活動(出来事)の多大な活発化があったと言う先天的(第六感的/腹の虫的)な感覚を拭い去る事は、難しい事です。その動機(理由)のために、人は遠くを探す(深く考える)必要は無いでしょう。それらの存在(異人種的な知性)は、その第五惑星が爆発し、それ自体を破壊し、そして恐らく、そのシステム(太陽系)を通して生命を危機にさらした事を目撃するために、十分に長く、太陽系の中で、恐らく住んでいたのでしょう。彼等はその(第五)惑星の上で起因(進化)したのかも知れません・・・彼等を、火星、金星、またはアルファケンタウリ(センタウルス=射手座の主星)からの来客者達として説明する必要性はもう無いでしょう。彼等は、私達自身の身近な家族(遺伝子的な血縁)の一部で - 地球-月の、バイナリー(二重)システムの一部(遺伝子的ないとこ)です。」⁹⁰

科学者であるジェセップにとって、それ(問題)は、その現象のために、間惑星的な起源(推進力/動力の脳力-科学技術)を示唆するための、UFOs の物理的な特徴の不十分さだけでなく、同時に、その他の(状況)証拠の全体像で - 爆発した惑星の天文学的なデータ(小惑星ベルト)に加えて - その現象のための起源の近さを指摘した - 太古の文献自体でした。それらの発想に対して、そのヴァロの注釈者達は、彼等自身のコメントを加え、そして一つの問いを尋ねます:「私達自身の考えに適合します」、そして「彼は何かを知っていますがどうして彼は知っていたのでしょう(?)。」⁹¹ その答えは、太古の間惑星的な戦争に対して言及した、太古の文献の彼の知識を、ジェセップは秘密にしなかった事実にあり、それらの文献が、その戦争を戦った「神々」のために、類似した起源の地点を示唆したためです。
_____
90 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, pp. 46-47, emphasis added.
91 Ibid., p. 47.


i. The Philadelphia Experiment Itself, and Its Withdrawal
i. フィラデルフィアの実験自体と、その撤回(中止)     82


そして、ですから私達は終に、その注釈の中心部である、フィラデルフィアの実験自体へと到着します。此処で、勿論、それに関して全く言及しない、ジェセップの本文から離れ、そして明らかな理由(原因)、または合理的で、自然的な説明が全く無く消失した(行方不明に成った)船舶のジェセップの例の一つに着目し、その実験に対して言及した、その注釈者達に注目します:

Tried that with XXXX⁹² & I on XXXXXXXXXXXXXX⁹² and he XXXXXXX⁹² was drunk enough to slip out of the “freeze” & He Made them know it in No uncertain terms. They put us down & Then unfroze
the crew who to this day Do Not remember of it. THEY CAN’T, (Mr. M. was Chief Mate, “Hatteras” 1943).


「XXXX と共にそれを試み & 私は XXXXXXXXXXXXXX の上で、そして 彼 XXXXXXX は、その「凍結」から slip out (逃れる/回復する/感じない)ために十分に酔っぱらっていて & 彼は不確かな定義においてでは無く(はっきりと)、それを彼等に知らせました。彼等は私達を(タンカで)降ろし & その後、今日までそれを覚えていない、その乗組員達を解凍しました。彼等は(思い出す事が)出来ません、(M 氏は、1943年において、「Hatteras (号)」の一等航海士でした)。

Perhaps they detected “FIELD” activity of NAVY D-E WHICH WAS CLOSE BY, (BEFORE) TESTING AN INVISIBILITY EXPIERMENTAL (sic) “gadget.”
⁹³

「彼等は恐らく、不可視化の実験的な『機器』の実験の(前に)、近くにいた海軍の D-E の『フィールド』の運動(作用)を探知した(感じた/経験した)のでしょう。」

言うまでも無く、その様な明言が、ONR (海軍実験所)の関心を刺激したのは、護衛駆逐艦(DE/destroyer escort)と、「不可視化の機器」の実験に対する、鮮明な言及があるためです。ジェセップ博士の本の注釈されたコピー(ヴァージョン)の単行本を受け取った ONR の士官達において、これが直ぐに産出した困惑を、人が想像する事が可能なのは、不可視化が一体どの様に、重力と UFOs に関係しているのか?という問題のためです。

その海軍のヴァロ版の編集者達は、当初、その要点を見過ごした様ですが、その注釈者達自身が、この問いの答えに向かう手掛かりを供給します:

Einsteins Theory of Unified Field throughout all Space & atmosphere WAS SO WELL PROVEN that upon realizing Mans Misanthropic emotionality He Withdrew it. 1927. ⁹⁴

「全ての空間 & 大気を通した、アインシュタインの統一されたフィールドの理論は、とても合理的に証明されましたが、人間の厭世(えんせい)的(人間嫌いの)感情(悪意)に気付くと、彼はそれを封印(隠蔽)しました。1927年の出来事です。」
_____
92 この言葉は、ジェミによってバツ印が付けられました (Varo Editions own editorial note).
93 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 94.
94 Ibid., p. 31.


これが、そのヴァロの注釈者達における、最も重要な明言の一つなのは、明らかにその注釈者達は、その理論が実際に証明されたと信じましたが、人類の未熟なスピリット(精神)的な特徴のために、凄まじく酷い示唆(可能性)を共にしたために、アインシュタインがそれ(理論)を封印したと主張したのは、彼(アインシュタイン)が、それ(理論)と共に人が何を行うか(戦争における兵器化の悪用)を恐れたと言う示唆でした。

勿論、その理論の年代は間違いで - 1927年では無く、1928年で – そしてその注釈者達は、トーション・テンサーを最初に含ませたものである、その理論の1928年版に対しての言及を意味していた可能性が最も高いでしょう。その封印のための、アレンデの説明にとって、(それが)真実から全くかけ離れていたのは、それをアインシュタインが封印した本当の理由は、彼が当時、それ(理論)と共に不満足で、そして1928年以降の彼の論文において、力(作用)の幾何学的な統一化の、更に異なった方法を探求する事を開始していたためでした。

そうであったとしても、その注釈者達は強調的で:その1928年の理論が「上手く証明された」としました。ですが、このコメントがもし、電気的な機器のテンサー分析についての、ガブリエル・クロンの見識から見解されると、それ程奇妙(異例的)では無かったのは、その研究がまたアインシュタインの1928年の理論は、技術開発可能であると示唆したためで、そして故にその延長線(意味)においてまた「証明された」ためでした。

ですから再び、その注釈者達の(母国語の)文法と言葉遣いは別にして、彼等は科学的に不可能な事を何も明言していませんでした。

C. Conclusions
C. まとめ     83


ですから、ジェセップの著書の、注釈されたヴァージョンのコピー(複写)を再発行する労力と困難を行う程に、(米国)海軍の研究所(ONR)の関心を刺激したものは一体何だったのでしょう?目撃された様に、それは、幾つもの要素のコンビネーションだった可能性が最も高いでしょう:

1)そのリストの最上部に来るのは、安全保障(機密主義)が破られたかも知れないと言う懸念で;

2)ですが同時に、そのリストの再上層部に来るのは、重力(引力)の本質とその操作への「あらゆる手掛かり」は、「調査する価値がある」とする、ヴァロ版自体の紹介(前書き)でした。更に加えて、

a) そのヴァロ版と共に関係した2人の ONR の士官達(i.e. フーヴァー司令官とシャービー隊長)がまた、地球の周りを軌道するための人工衛星の、アメリカの最初の試みである、海軍のヴァンガード計画と共に関係していた事を与えられ;そして

b) ジェセップの本文において、そして時空間の媒質(エーテル)におけるストレスの重力的なを操作する、様々な方法と結果に対する注釈の両方がまた、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論に関連していた事を与えられると、それらの土台の上だけでも、その海軍は、その様な出版を探求する(調査する)理由を持っていたはずです。

3)ですがまた目撃された様に、ジェセップのアイデアとその注釈は同様に、もっと広範囲で推理的なコンテキストの中で起こり、それは、太古の科学技術、火星の周りの人工衛星、間惑星的な戦争、UFOs の地球に対する起源(由来)の近さ、そしてその破壊が、科学技術的な方法(兵器)によってもたらされた、爆発した惑星(小惑星ベルト)を含むコンテキストでした。この全ては、太古の科学技術を示唆し(火星の人工的な月、フォボスの様に、その幾つかは、ジェセップによると、未だに存在し)ていました。宇宙(開発)への最初のおぼつかない第一歩を行っていて、そしてその超大国のライヴァル、ソヴィエト連邦と競争し合っている国家(米国)にとって、それらの要素は、海軍の関心の必然的な第二の層(バック・アップ)を構成したでしょう。

4)最後に、上述された3)の要点との関連において検証された考慮の結果の一つとして、効能的に三重の応用を共にした、共通の物理学が概要され:

a)時空間自体の繊維(格子構造/エーテル/プラズマ)におけるストレスを利用した、凄まじく破壊的な力の兵器で:

b)ジェセップが「野蛮な動力」と呼んだ、ロケット科学技術から、人類を解放するであろう推進力(反重力)とエネルギーの源泉で;そして、

c)トム・ビアデン中佐がそれらを「運動の型板」と呼び - ジェセップが、彼の「不可視の個体性(硬直化)」に繋がるだろうと信じた imprinting (すり込み)である、すり込みされたフォース・フィールド(作用の場)による、物質の操作(素粒子レベルの変格)の上に基づいた、新たな物性物理学でした。

ヴァロの注釈版の中には多くの要点があり、言い方を変えると、UFOs、または更にフィラデルフィアの実験自体さえも超えて、(米国)海軍の注意を捉えたはずなのは、その注釈版自体の存在が証明する様に、様々な現象に対するジェセップの「原始物理学的なアプローチ」の全体は、少なくとも、米国の軍部の一部によく知られていて、そしてほぼ50年近く、それ(軍部の一部)によって知られていました。これは、原始物理学と、世界の様々な軍事的な勢力による、その秘密裡の開発に関する基本的なシナリオ(筋書)のために、明らかな示唆を有し、私の以前の著書の中で、私が概要した可能性でした。⁹⁵

ですが、この全てにおける目玉(中心部)、フィラデルフィアの実験についてはどうだったのでしょう?その展開している逸話の次の段階は、チャールズ・バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルの中で、初めて、より広い読者達に対して伝えられ、それは幾つかの重要で、そして頻繁に見過ごされた手掛かりを含みます・・・
_____
95 Adventures Unlimited 社によって全て出版された、私のギザの死の星ギザの死の星は使用されたギザの死の星は破壊された黒い太陽の帝国ザ・ベルの SS 同胞団、そして最も重要な、私の最近の著書、宇宙戦争:間惑星的な戦争、現代物理学、そして太古の文献を参考にしてみて下さい。

5. Second Disclosure:
Charles Berlitz and The Bermuda Triangle

第五章:第二の情報公表:
チャールズ・バーリッツとバミューダ・トライアングル     86


「ジェセップは、『フィラデルフィアの実験』と呼ばれた、駆逐艦の上で行われた戦時中の実験において、米国海軍が偶然にもこれに辿り着いたと、彼が考えたと私に伝えました。」
- マンソン・ヴァレンタイン博士¹

有名なオルタナティヴ(独立的)な研究者で、語学学校の所有者だった、故チャールズ・バーリッツは、直接のルート(通り道/近道)によって、フィラデルフィアの実験について記述する事には至りませんでした。それは、むしろ、彼が、バミューダ・トライアングルと呼ばれた、もう一つの現象を調査している間に、彼が学んだ逸話でした。バーリッツがフィラデルフィアの実験について学んだのは、この逸話と、そして – 幾つもの UFOs の目撃を含んでいる - その(バミューダ)地域/海域に関連した奇妙な出来事を調査している間でした。そしてそれらの逸話の間の関連性は、驚くまでも無く、故モリス K. ジェセップ博士でした。

バーリッツは、バミューダ・トライアングルと、その数多くの UFO の目撃におけるジェセップの関心を学び、そしてジェセップ博士の友人の一人である、マンソン・ヴァレンタイン博士にインタヴューしました。バーリッツは、彼のインタヴューの書き出しを、彼のベスト・セラーの著書、バミューダ・トライアングルの中に含ませました。このインタヴューが、より広い読者達のために利用可能な文献の中で、フィラデルフィアの実験の事実上、初めての明言を含むので、私達はそれを検証し、そしてそれが含む詳細と、幾つかの重要な手掛かりに着目するために、少々の時間を費やしましょう。

A. The Interview with Jessup’s Friend, Dr. Manson Valentine
A. ジェセップの友人、マンソン・ヴァレンタイン博士とのインタヴュー     86

1. Jessup on “Controlled Magnetism” and Optical Invisibility
1. 「操作された磁気」と光学(視覚)的な不可視についてのジェセップ(の意見)     86


バーリッツによると、ジェセップ博士は、そのトライアングルにおける UFOs の(目撃)報告を調査した後、「密かな(情報)隠蔽が、多くの重要な報告と新展開を隠していると、納得させられる様に成りました。」² ですが其処には、更にありました。
_____
1 Cited in Charles Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 148.
2 Ibid., p. 141.


バーリッツがまた、ジェセップが、一人の科学者としては、とても異例的な題材において関心を持っていたと学んだのは、「彼(ジェセップ)が同時に、アインシュタインの『統一されたフィールド理論』の延長である、どの様に、操作された磁気(磁力)が、不可視化を産出できるかの問いと共に没頭していて、それを、ジョセップは、UFOs の突然の現れと消失、そして船舶や飛行機の消滅の両方に対する鍵であると、考えていた」ためでした。³ この奇妙なアイデアは、ジェセップが、彼の第二の家(別荘)を所有していた、フロリダ(州)におけるジェセップの友人の一人、マンソン・ヴァレンタイン博士に、バーリッツが接触(連絡)する事に繋がりました。

バーリッツが直ぐに、ヴァレンタイン博士から学んだ様に、彼(ヴァレンタイン)は、「(1959年)4月20日の夕方」の夕食にジェセップを招待し、ジェセップはその招待を受け入れましたが、(当日には)全く現れませんでした。⁴ ジェセップは、勿論、たった9日後の、4月29日に自殺した様に現れますが、バーリッツが指摘する様に、ジェセップの死がとても疑わしく、そして「その出来事(事件)は、」UFO 研究の分野へと、「接近し過ぎた研究を行う危険性の示唆である」と考える多くの人達がいます。⁵どんな場合であれ、ヴァレンタイン博士は、ジェセップと言葉を交わした最後の人達の内の一人で、そして彼によると、ジェセップは「落胆した精神状態にありました。」⁶

2. Valentine as the Source for Berlitz’s Knowledge of Jessup’s Ideas on Controlled Magnetism
2. 操作された磁気についてのジェセップのアイデアの、バーリッツの知識のための源泉(情報源)としてのヴァレンタイン 87


既に指摘された様に、ジェセップは、不可視化の可能性のための「操作された磁気」の発想、そしてそのトライアングル地域における、船舶や飛行機の謎めいた消失を説明するメカニズム(物理的な機械性)において、関心を持っていました。ジェセップの友人であり - 動物学者で、考古学者であり、海洋学者でもある - マンソン・ヴァレンタイン博士は、長年、そのトライアングルを研究し、そして疑う余地無く、磁気とアインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論における、ジェセップの関心へと、最初にバーリッツに手掛かりを与えた情報源でした。
_____
3 Charles Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 141.
4 Ibid.
5 Ibid.
6 Ibid.
7 Ibid.


3. Valentine on Jessup’s “Invisible Solidites”
3. ジェセップの「不可視な硬直性」についての、ヴァレンタイン(の意見)     88


そのトライアングルに対する UFO の目撃の関係性に関する、幾つもの初歩的な問いをヴァレンタイン博士に尋ねた後、バーリッツは、ジェセップの題材へと至ります:

「ジェセップ博士は、バミューダ・トライアングルと UFOs の間に、関連性があったと考えましたか?」

その問いに対するヴァレンタインの返答は興味深いものです:

「磁気的なフィールド(磁場)の力(作用)は、一つの次元からもう一つへと、物質(原子/素粒子 etc.)を変格し、そして移動させる事が出来ると言う理論(論説)を彼は持っていました・・・つまり、UFOs は、私達の次元へと(突然)現れ、人、またはその他のサンプル(実験体)をそれらと共にさらい、再び(次元から)抜け出す(消える)事が出来ます。彼は更に、このフィールドにそれら(の飛行機など)が突入した時に、飛行機(や船舶)を分解させる、真空(vacuum)を創造している、UFOs のカソード(cathode/陰極-陽極電解槽)の光線(rays)によって、その(行方不明/消失の)事故の幾つかが原因されていると考えました。」⁸

この返答は、幾つかの展開(説明)を必要とします。

最初に、以前の章の中で検証された、ジェセップ自身の考え方の上に基づいて、そして彼の著書、UFO のための立件のヴァロの注釈版との関連において、ジェセップが、彼の海洋学者の友人(ヴァレンタイン博士)に彼の要点を描写するための(解りやすい)類推(例え)として唯一、カソードの光線(陰陽電解槽)について恐らく語ったと、私達は合理的に理解する事が出来るでしょう。これは、私達を第二の要点へともたらし:本当の手掛かりは、磁気的なフィールド(磁力)が「物質を移動させる」事が出来ると言うジェセップのアイデアに対してヴァレンタインが言及する処である、その返答の最初の一行の中にあります。以前の章の、ヴァロの注釈版の検証から私達は、どの様に電磁的な波が、一部の地域の上で正しく干渉させられると、フィールド(電磁場)と共に物質(原子/素粒子 etc.)に imprint (すり込み/電磁作用)する事が可能で、そして「不可視な硬直性」を創造し、それ(電磁場)自体には質量がありませんが、その中へと突入する何らかの物体に対して、「virtual な(実質上の/肉眼には見えない)」質量(壁/塊)の一種に成ると言う、彼の概念を説明する一つの類推として、このアイデアをジェセップが使用した事を知っています。故に、ヴァレンタインが、彼の友人(ジェセップ)を少々、誤って理解した様に現れる間、彼はそれでも、とても一般論的な(解りやすい)方法においてですが、ジェセップの基本的なアイデア(発想)を、正確に伝えた様に現れます。

ヴァレンタインは、ジェセップの意見について、以下の情報を更に提供します:
_____
8 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 147.

「UFOs は、それらが一体何であれ、船舶や飛行機の分解、または消滅を原因する事が可能なイオン(i.e. プラズマ/エーテル)化のパターンである、一時的で、磁気的な渦巻きを創造する様です。

「ジェセップは、彼が亡くなる前に、起こっていた事(現象)が一体何であったにせよ、それを彼は、アインシュタインの『統一されたフィールド理論』に沿って説明可能であると考え、彼がその科学的な土台を発見する寸前であったと信じました。」⁹

再び、ヴァレンタインの明言の正確さに着目してもらいたいのは、磁気的な渦巻きのアイデアが、実際に、ジェセップの著書の中に見つけられるためです。しかしながら – そしてこれは、とても重要な点ですが - 磁気的な渦巻きのアイデアは、ジェセップの本文の中に見つけられるのではなく、むしろ、彼の著書のヴァロの注釈版の、謎めいた注釈者達から由来した事が、以前の章から思い出されるでしょう。これが意味するのは、ジェセップが、その注釈から派生したアイデア(発想)を、ヴァレンタインに伝えたと言う事です。同様にこれが意味するのは、順を追って、ジェセップがそれらの(注釈の)可能な科学的な土台について、深く考え始めていたと言う事です。

これが、ヴァレンタインの最後の明言を、ある特殊な知見(考え方)へと位置付けるのは、その注釈の示唆を熟考した後に、彼(ジェセップ)の「不可視の硬直性」を達成するために、または同様な問題のために、幾つもの UFO の目撃と関連した、突然の消失と現れ(実体化)を達成するために、唯一可能、または科学的にありうる土台は、時空間自体の繊維(格子構造/エーテル etc.)の何らかの操作を通してだったと、ジェセップ博士が結論していたためです。故に、ジェセップは、更なる推論のための土台として、アインシュタインの統一されたフィールド理論の上に落ち着きました。その理論(論説)の歴史について、私達が既に知っている事から、ジェセップが彼の頭の中で考えていた可能性が最も高いのはまた、恐らく、トーション・テンサーと、時空間の地域的な折り畳みと重なり合い(アルミ缶を雑巾の様に絞る例え)を共にした、1928年のヴァージョンだった事を、私達は知っています。彼は、言い方を変えると、既にトーションの可能性と示唆を考えていて、そして故に「操作された」磁気的な渦巻きにおける彼の関心でした。

バーリッツはその後、理論的にこの問いを続けます:

「貴方は、その統一されたフィールド理論の、単純化された(解りやすい)説明を与えられ(教えられ)ますか?」
_____
9 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 148.

再びもう一度、バーリッツはこの問いを、海洋学者で、考古学者である人に尋ねていて、そしてヴァレンタインの返答は、彼が思い出せる範囲で、ジェセップから学んだものの上に基づいていた事を思い出して下さい:

「その土台は、時空間と物質-エネルギーの、私達のコンパートメント化(特殊化/個別化)された(固定)概念の全ては、別々のものでは無く、電磁的な干渉の同じ状態の下で変格可能な(i.e. 電子/光子/磁気 etc. は、) 同じものの異なった状態[+/-/±]であると言う事です。」

その行の間を読み直すと、再びもう一度、ジェセップは恐らく、彼より以前にガブリエル・クロンが結論した様に、その統一されたフィールド理論の1928年版は、一つの理論としては未完成である間、それはそれでも技術開発可能な理論で、そして特定の状態の下で - 物質(原子、素粒子 etc.)の状態の(+/-)の変化、重力/引力(±)の異例性等々の、様々な効果を - 地域的に観測する事が可能で、それらを技術開発出来るかも知れないと言う事でした。ヴァレンタインは、以下の様に続けます:

「実際に、その統一されたフィールド理論は、UFOs がどの様にとても突然に現れ、そして消失出来るのかの、更にもう一つの説明を提供します。

「実証(三次元における実験)において、それは以下の様に、電気的、そして磁気的なフィールド(電磁場)に関係していて:(金属的な)コイルにおいて創造された電気的なフィールド(電場)は、始めに、直交(直角/垂直/90度)で磁気的なフィールドを誘導し、それぞれのフィールドは、空間(三次元)における一つの平面を体現します。ですが、空間には3つの平面が存在するので、第三のフィールドが存在しなければならず、恐らく重力的なものでしょう。磁気的なパルス(衝動)を産出させるために、電磁的な発生器を接続させる事によって、レゾナンス(共振、共鳴、同調 etc./振動率/周波数)の原則を通して、この第三のフィールドを産出する事が可能なのかも知れません。ジェセップは、米国の海軍が、フィラデルフィアの実験と呼ばれた、駆逐艦の上で行われた戦時中の実験において、これ(電磁作用)について、偶然に(意図せず)辿り着いたのだろうと、私(ヴァレンタイン博士)に伝えました。」¹⁰

ジェセップは、海軍が、意図せず何かの上に辿り着き、言い方を変えると、その実験の計画された目的と、実際に達成された結果が、2つの別々な物事だったと彼(ジェセップ)が信じたとヴァレンタインに伝えたと、彼(ヴァレンタイン)がはっきりと明言する事に着目して下さい。私達は後に、関わっている科学的な原則がどの様に、この見解に協力証言し、そして故に、信用可能な証人として、ヴァレンタインの証言と人柄に協力証言するのかを目撃します。

故に、その逸話は、終に展開しました(表舞台に現れました)。

ヴァレンタインの明言のトーン(音/言い回し)から、彼が、再びもう一度、ジェセップが彼に伝えた基本的な概念を思い出そうと試みている事にまた、注目して下さい。
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10 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 148, emphasis added.

ジェセップは、彼の海洋学者の友人(ヴァレンタイン)に対して、トーションの効果 - または言ってしまえば、テンサー・トランスフォーメーション(変格/変異)のあらゆるその他の種類の説明を試みる事は - 彼(ヴァレンタイン)にとって、理解する事が難しすぎるかも知れない事を知っていたはずで、ですから全ての可能性において、彼は、彼の友人に対して、どの様に第三の平面、またはフィールドが、その他2つの基本的なフィールドの間のレゾナンス(共振/共鳴)を通して誘導されるかも知れない事を、電磁力の「右手の法則(親指、人差し指、そして中指をそれぞれ直交[垂直/直角]にする描写法)」から、彼は、一般的に理解しやすい説明を選択したのでしょう。それは、古典(典型)的で電磁的な理論(i.e. マックスウェル、ファラデー、テスラ etc.)の基本的な概念を彼(ヴァレンタイン)が恐らく知っていたであろうと言う事に基づいて、彼の海洋学者の友人が、より素早く理解出来るための類推だったのでしょう。

ですが、米国海軍が、とても重要な何かに、偶然(事故)によって辿り着いたと、ジェセップが結論したとする、最初の要点を頭の中に留めておいて下さい。言い直すと、それ(海軍)は、一つの何かを探していて、そしてそれが調査していたものからはとても異なった種類の何か、またはそれが探していたものとは、度合において異なった何かを発見したと言う事です。この点は、(後の)数章の中でとても重要に成ります。更に加えて、この手掛かりは、もう一つの理由のために重大で、何故ならそれが、彼の著書のヴァロ版、そしてアレンデの2通の手紙の詳細と示唆を、ジェセップがとても深く考えた事を示唆するためです。磁気の役割の上の彼の強調は故に、彼の考え方が何処に向かっていたのかの重要な手掛かりで、そして私達が最終的に学ぶ様に、彼は恐らく間違い無く、正しい(正解の)道を辿っていました。

4. Valentine’s Account of Jessup’s Version of the Philadelphia Experiment
4. フィラデルフィアの実験のジェセップのヴァージョンの、ヴァレンタインの説明     91


その逸話は故に展開され(表に漏れ出し)、バーリッツは当然再びもう一度、次の合理的な問いと共に始めます:

「そのフィラデルフィアの実験とは、何だったのですか?」

「ジェセップによると、フィラデルフィアの実験は、1943年に、フィラデルフィアと海の上において、米国海軍によって行われた秘密裡の実験でした。その目的は、乗組員達が乗った船の表面の上の、(とても)強力な磁気的なフィールド(磁場)の効力を試験する事でした。これは、磁気的な発生器(degaussers/消磁装置)の使用によって達成される予定でした。パルス(衝動/e.g. モールス・コード)している発生器と、パルスしていない発生器の両方が、港に停泊された一隻の船の上と周りで、凄まじい磁気的なフィールドを発生させるために起動させられました。その結果は、その乗組員達に対しては不幸な後遺症を共にしましたが、それら(の結果)は重要であると同時に、驚きでした。その実験が、効力を最初に示し出した時、発光性の緑色っぽい霧を伝えるその(バミューダ)トライアングルにおける事故の生存者達から私達が有する報告に、ある意味類似する、おぼろげな緑色の光が明らかに成りました(肉眼でも見える様に成りました)。直ぐに、その船の全体が、この緑色の霧に満たされ(覆われ)、そしてその船は、その乗組員達を共にして、波止場側にいた者達の視界からは、着水線を除いて消滅し始めました。その駆逐艦はその後、ヴァージニア(州)のノーフォークにおいて現れて、そして消滅した事が報告され、それは、時間の-ワープ(歪み)の現象との関係を含んでいる、試験的な不可視の実験の結果だったのかも知れません。

「その実験は、海上において成功的で、不可視の効果的なフィールド、またはその海水の中に、その船によって造られた窪みは見せますが、その船自体は見せない、それぞれの(発生器の)ビームから百ヤード延長している球体の形を共にしたと、元乗組員の一人によって報告されました。そのフォース(力/作用/効果)のフィールドが(凄まじく)強化された時、何人もの乗組員達が消滅し始め、直接の接触によって再発見され、そして直接手で触れて引き戻す方法の一種によって、視界へと引き戻されなければなりませんでした。その他の特定の者達は、彼等の元々の物質的な次元(三次元)から離れ過ぎる様に成り、特別に設計された電気的な機器(e.g. 赤外線/紫外線カメラ etc.)によって唯一、探知され、そして通常(現実世界/三次元)へと引き戻されました。乗組員が、目で見る事も、手で触れる事も出来ない場合のために、その乗組員達は風変わりな表現法を持っていて:「岩に挟まった」と言いました。現実的にそれは、完全な治癒がとても困難な、suspended animation の(次元のはざまに囚われた)状態でした。その(乗組員達の)多くは入院させられ、幾らかは死亡し、その他は精神的に悪影響されたと、噂されました。多くが、その実験からの変格の効果を保った間、自宅においてであれ、外を歩く散歩中であれ、または周りの人達や、従業員達の戸惑いを共にして、居酒屋やレストランに座っている時に、一時的に消えて、そして再度、現れる、サイキック(精神的)な(特異)能力を保ったように現れます。その船の羅針箱は、岸部(港)へと連れ戻される際に、その駆逐艦に対して大災害的な結果を共にして、2度に渡り突然と発火しました。」¹¹

そしてそれは、表舞台の文献の中で、最初に広く公表された、フィラデルフィアの実験の説明でした。

この引用の中には、焦点を当てられなければならない幾つかの重要な点があります。

1)ヴァレンタイン博士が最初から、「ジェセップによると・・・」と言う言葉と共に言い始める事を観測して下さい。言い方を変えると、その逸話のジェセップのヴァージョンの、ヴァレンタインによる思い返し(記憶)に続くのは、疑う余地無く、ヴァロ版の注釈、アレンデの手紙、そして彼(ジェセップ)自身の個人的な調査から、一つにまとめられたジェセップのヴァージョン(説明)でした。
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11 Berlitz, The Bermuda Triangle, pp. 148-150.

2)着目してもらいたいのはまた、その実験が、1943年において、フィラデルフィアとその(沖の)海上の両方において行われたと言う、重要な明言です。後の章の中で目撃される様に、これは - その実験がフィラデルフィアにおいて行われた事を記述しないヴァロ版からも – そしてアレンデの手紙からも、ジェセップが引き出す事の出来なかった結論であるためです。それら(ヴァロ版/アレンデの手紙)は、最終的に目撃される様に、フィラデルフィアの海軍の軍港(または、言ってしまえば、その他のあらゆる港/埠頭)における何らかの(小規模な)実験に全く触れません。それらは唯一、海上において行われた、一つの(大規模な)実験に言及します。これが意味するのは、2つの物事のどちらかで:ジェセップは、フィラデルフィアで行われた実験の一段階を独立的に学んだ、または、その他の要素の上に基づいて、彼がその出来事(実験)と位置(港においてか、海上においてか)について推論したかのどちらかです。

これは、幾らかの更なる説明を必要とします。第一部の終わりにおいて私達が概要した様に、フィラデルフィアの実験、またはナチスのベルの様な科学的で、技術開発的な計画の、通常の(一般的な)作業(行程)は、一つのチームをまとめ、そして(小規模な)「概念の証明」の実験を計画する事でした。もし成功したなら、実質的な(大規模の)実験がその後、計画され、そして行われたでしょう。すると、ジェセップ博士が、一人の科学者として、その実験が体現した計画が一体全体何であれ、完全規模の(実用的な)「不可視」の実験が、海上において行われた(大規模な)最終段階であったと気付いたと言うのは、可能なだけでなく、(その)可能性は凄く強いでしょう。彼は、海軍の軍港において、その様な実験、または実験の一連が、小規模において行われた事を知っていたはずで、実質的な規模の船を造る前に、その計画を試験するために、海軍が何らかの金属と木製のモデル(実験体)の船を使用した可能性がとても高いでしょう。¹² 故に、その証拠は単なる推理でしかありませんが、海軍は恐らく、その模型の船の幾つかを使い、そしてそうするために戦車を試験し、陸地(軍港付近)の何処かにおいて、(小規模な)概念の証明の実験を行ったでしょう。その実験の初段階のこの種のための証拠が、推理的である事は否めませんが、それは第一部の終わりにおいて概要された、科学的な実験の通常の行程と共に一致します。そして、後の章の中で私達が目撃する様に、この「概念の証明」の実験は、フィラデルフィアの実験の逸話の現実性と妥当(確実)性のための、重大な手掛かりです。
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12 その様な小規模なモデル(模型)は、南ダコタ(州)の、スー・フォールズにおける、南ダコタ戦艦記念館において展示されている戦艦、U.S.S. (米国船) 南ダコタ号です。

3)そしてこれは私達を第三の要点へと至らせます。その逸話のジェセップのヴァージョンの、ヴァレンタインの回想が鮮明にする様に、その実験は、船に積み込まれた磁気的な消磁作用しているコイルと、それらに関連したジェネレーター(発生器/発電機)の構成でした。ですが更に重要な事に、ジェセップのヴァージョンのヴァレンタインの記憶の中に起こる一つの詳細があり、それはその逸話に関する文献のそれ以外の場所には何処にも現れません。この詳細がまた重要なのは、そのジェネレーターが:パルスされていないものパルスされているものの2つのモード(種類)の機能を使用して設計されたと、ヴァレンタインが明言するためです。これは、もう一つの手掛かりで、そしてもし真実であれば、フィラデルフィアの実験の概念的な土台を、ナチスのベルに結び付けるものです。ヴァレンタインによって記憶されていたジェセップのヴァージョンを、その他の処で関連させられた、その実験のための知られている概念的な土台とは異色を放つ(異なって/特有な)ものにするのは、この詳細です。

4)ヴァレンタインはまた、「その結果が重大であると同時に驚きであった」事を示唆し、ヴァレンタインの続いた明言の中で詳細されたその結果は、その大規模な(実用化の実験の)ヴァージョンにおいてその実験を行っていたアメリカ人の科学者達によって、予期されていなかった(事故だった)事のもう一つの示唆です。それらの結果は、乗組員達の消滅/消失と、その実験的な試験の船(駆逐艦)自体の、完全な光学(視覚)的な不可視を含んでいました。言い換えれば、その船と乗組員達の不可視化は、その実験が、元々、達成するために計画(意図)されたものではありませんでした。以下に続く問いが、故に必然的に、ヴァレンタインの説明によって台頭させられ:その実験の元々の目的は、一体何だったのでしょう?そしてその明言された「驚きの結果」は、その元々の目的から異なった種類、または度合いだったのでしょうか?既に記述された様に、それらの「詳細」は、疑う余地無く、それらを恐らく、ヴァロの注釈版の注釈者達、アレンデの手紙から読み取り、順を追って、私達自身に対して類似した合理化と推理の行程から考えた、ジェセップ自身によってヴァレンタインに伝えられたのでしょう。その実験とその「驚きの結果」のための、概念的で理論的な土台を求め、ジェセップは、それを説明するための最有力な候補は、トーション・テンサーを含ませている、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論であると結論したのは、この数学的な変換(transform/変格)が、その注釈や、アレンデの手紙が語った、渦巻きの概念を体現するために、最も近くまで来ていたためでした。ジェセップは、しかしながら、乱暴な推理を行っていたのではなく、むしろ、その足跡を嗅ぎつけていました。

5)着目してもらいたいのはまた、その不可視のフィールドが、形において球体型で、その試験の船のそれぞれのビームからおよそ百ヤード延長していて、そしてその船の船体の(着水線/水面の)窪みは、水(海水)の中に鮮明に目撃されましたが、「その船自体は(肉眼では)見えなかった」事です。唯一、その船の周りのフィールド(磁場)の明らかな強化と共に、その乗組員達はお互いの視界から消滅しました。彼等は、ヴァレンタインが明言した様に、「直接、手で触れて引っ張る方法の一種」によって唯一、再び(肉眼で)見える様に成りました。その「不可視のフィールド(次元のはざま)」の中に埋まった際に、その乗組員達はそれを「岩の中に挟まれた状態」と呼びました。それらの詳細が唯一、ジェッセプ自身から由来出来たのは、それらが明らかに、ジェセップに対するアレンデの手紙の中に記述されていたためです。

6)最後に、ヴァレンタインは、その実験が終了したずっと後でも、普通の(日常的な)状況において、その他の人達(一般人達)の目前で、その試験船の乗組員達が、明らかに消滅する事が出来る事実を伝えます。これは再びもう一度、ジェセップを通して、アレンデの手紙からヴァレンタインへと由来する事が唯一可能な詳細です。

それらの詳細を一つにまとめると、そのフィラデルフィアの実験の、最初のバーリッツのヴァージョンを構成します。

ですが、そのインタヴュー自体はどうなったのでしょう?信憑性(身元)が確認された科学者からの、驚きで、正に信じがたい主張のそれらの全てを学んでから、バーリッツは再びもう一度、インタヴュアーとしての彼の技術を披露し、そして次の合理的な問いを尋ねました:

「ジェセップは、それらの出来事(実験)を目撃したのでしょうか?」

ヴァレンタインの返答を、慎重に読み取って下さい:

「彼が私に伝えた物事を、どれだけ多く、彼が個人的に目撃したのかは、私は知りませんが、彼はとても詳細に、それを調査しました。貴方は、彼が、「風変りな(センセーショナルな文売の)」著者では無く、尊敬され、そして著名な科学者であり、天文学者だった事を思い出さなければなりません。彼は、南半球における最大級の屈折望遠鏡の責任者であり、幾つもの日食/月食の研究の監督者で、連星を発見し、そして素晴らしい科学的な履歴を持っていました。彼が、フィラデルフィアの実験に拘わる様に成った理由は、彼の著書 UFOs のための立件について、その基本的な理論の類似性のために、1956年において、その実験からの生存者だったと主張した、カルロス・アレンデ(またはカール・アレン)と言う名前の男が、ジェセップに手紙を書いたためでした。」¹³
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13 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 150.

に対する基本的な理論の類似性だったのでしょう?ヴァレンタインは、彼の最後の段落がはっきりとした言及をする、または答る事無しで、宙ぶらりんに残した事に気付いていなかった様に現れます。私達は、彼(ヴァレンタイン)が既に彼(バーリッツ)に伝えた事の上に基づいて、その疑問に答える事が許され、つまり、言及されたその理論は恐らく、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版だったでしょう。彼はこう続けます:

「アレンデは、ジェセップと手紙を交す様に成り、彼(ジェセップ)は、普通の著者達が、ファン・メールに答える様に、当然と返答しました。この手紙のやり取りが始まって少々後、ジェセップは ONR (Office of Naval Research/海軍研究所)によって、ワシントン(D.C.)に来る様に依頼(要請)されました。フィラデルフィアの地方紙における唯一の端的な記事を除いて、フィラデルフィアの実験を(国家)機密規制が隠蔽した事を覚えておいてください。」¹⁴

此処までは、その出来事のヴァレンタインのヴァージョンは、ヴァロの注釈版の中で概要されたヴァージョンと共に、上手く当てはまります。ですが、新たな詳細に注目してもらいたいのは:ヴァレンタインはその(地方紙の)記事の内容が何を示唆し、どの様にその実験に対して関係していたのかは全く示唆しませんが、その実験の実行の何らかの示唆を明かした、唯一の記事が、フィラデルフィアの地方紙に現れた事です。再びもう一度、ヴァレンタインは単純に、ジェセップが彼に伝えた事を、伝えなおしているだけなので、そして故に、その記事の内容を知らなかったのかも知れません。

その記事は、疑う余地無く、その逸話に対して言及しており、ある酒場における酔っ払い達の喧嘩を描写し、その間にそれに加わった者(軍人)達の幾らかが完全に消滅したと、一人のウェートレス(バーメイド)が観測したとする、フィラデルフィアの地方紙の中に載せられた、小さなコラムを満たした記事で、バーリッツとモーアーのフィラデルフィアの実験の中でその後(記述され)、(一般人に対して)流通されました。

ヴァレンタイン博士はその後、ジェセップの著書の、短期間だけ流通したヴァロの注釈版の出版、そして海軍研究所(ONR)とのジェセップの拘わりに繋がった出来事の時系列を概要する事によって続け、(米国)海軍とジェセップの両方が、アレンデを追跡する事が出来ず、そしてヴァロの注釈版におけるその他2名の(匿名の)注釈者達を特定する事が出来なかった、重大な詳細を加えます。

最後に、バーリッツは、ジェセップの死の問題(疑問)を尋ねます:

「何故、ジェセップは、自殺したのでしょうか?」
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14 Berlitz, The Bermuda Triangle, p.150, emphasis added.

もし、彼が自殺したのだったら、それは恐らく、極度な落胆のためだったのでしょう。彼は、海軍によって、フィラデルフィアの実験、または類似した計画について研究し続ける事を依頼されましたが、(それを)断り – 彼はその危険な結果(成行き)について心配していました。彼はまた、科学的、そして学術的な世界(御用学者達/ゲートキーパー達/情報のプロパガンダ)によって、彼の著書に対して向けられた批判(レッテル貼り)について、意気消沈していました。」¹⁵

これは、その時点まで、その実験についての文献の中の何処にも見つけられない、更にもう一つの特殊な詳細です。バーリッツは、ジェセップが、海軍、恐らく海軍研究所(ONR)自体によって、フィラデルフィアの実験についての研究を続ける事を依頼されたと、バミューダ・トライアングルの中のその部分に初めて公表しました。

この自認は、再び疑う余地無く、ジェセップ自身によって、ヴァレンタインに供給された詳細が、新たな問題と疑問の幾つかを台頭させるのは、始めからその実験を行っていたと主張された正に部門である海軍(の ONR)が、あたかもそれについて全く知らないかの様に振る舞い、それが全く知らなかった(機密)とする実験についての研究を続けるために、ジェセップの様な部外者からの助力を求めたのかの謎?!?であるためです。それには幾つかの可能性があり、その内の2つは、記述する価値がある様です:

1)(米国)海軍はその様な実験が行われていた事を熟知していて、そしてジェセップが、1928年の統一されたフィールド理論を拘わらせたその彼の論説の上に基づいて、その実験の実際の歴史を一つにまとめるために、接近(探知)し過ぎていた事に気付き、(当時)現在進行形の「計画/作戦」において、彼を「拘わらせる」事によって、緊密な監視の下に彼を保つ判断をしたのか;または、

2)その海軍、または少なくとも、その ONR (海軍実験所)は、理由が何であれ、ある時点において、その計画とその記録に対する追跡(管理/機密)、そして更に操作力さえ失い(事故を起こし)、そしてその実験を静かに(水面下で)再構築するための方法を必死に探していたのかも知れません。ジェセップと、彼の発想は故に、合理的な開始地点として、それら自体を体現しました。

バーリッツの最後から2番目の問いと、ヴァレンタイン博士の返答を私達が考える際に、それらの2つの可能性が、頭の中に入れられているべきです:
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15 Berlitz, The Bermuda Triangle, pp. 150-151, italicized emphasis original, bold face emphasis added.

「貴方は、『もし彼が自殺したなら』と述べました。彼が殺害されたと信じる理由はあるのですか?」

「恐らく彼は、救われる事が出来たと言う幾つもの意見があり – そして何人もの人達がそう考えました。彼が発見された時に、彼は未だ生きていて・・・多分、彼は死亡する様に促されたのかも知れません。彼の理論はとても先進的で、そして恐らく、それら(i.e. フリー・エネルギー)が広まる事を望まない人々、または影響力のある人々(i.e. 石油/原子力産業/財閥 etc.)がいたのかも知れません。注釈された海軍の本の当時に、ブライアン・リーヴス(もう一人の UFO についての著者)へと与えられたジェセップ自身の注釈版がその他の人達に対して送られた時に、郵便経路から消失したのは、奇妙(謎)でした。」¹⁶

ヴァレンタインは故に、ジェセップの「自殺」を疑わしいと考え続け、「人々(誰か)が」ジェセップの「先駆者的な論説」が広まる事を妨げる(隠蔽する)事を望んだのではないかと推理します。

もしこれがそうであるなら、ジェセップの死は - この見解においては殺害ですが - 様々な統一されたフィールド理論を、「不完全な理論」であるとして、裏舞台へと押し込めた出来事の一連における、更にもう一つの出来事(事件)でした。更に加えて、ヴァレンタインが示唆する様に、ジェセップの郵便物が途中で傍受(諜報工作)されていたと言うのがもし真実なら、すると、そうするための方法と動機の両方を共にした極少数の組織の一つとして、その最も可能性の高い傍受者の正体であるとして、これは政府に対して指を指します。

この光に下で見解されると、上述された2つの可能性 – つまり、海軍は、その実験の操作を失い(事故を起こし)、そしてそれを再構築(再実験)しようと試みていたのか、または、それは単に、ジェセップが「近づき過ぎていた」ために、彼を監視していたのかのどちらかで - 新たな重要性を意味します。ジェセップは、思い出されるでしょうが、その実験の上で、それ以上働く事を拒否しました。もしそれがそうなら、ジェセップの友人達に対して、ヴァロの注釈版の、彼自身の再注釈版を彼が送った事によって証明される様に、するとそれ(政府/海軍)は、彼が安全保障(機密保持)に対して大きな危険性に成り過ぎたと判断し、そして彼を暗殺する事を決定したのかも知れません。その他の可能性は、その実験を co-opted した(侵入して乗っ取った)何者かが、何処かで、ジェセップが供給する事の出来るその様な手掛かりの土台の上に基づいて、海軍がその実験を再構築出来る可能性を排除する(妨害[諜報工作]する)事を望んだ事を示唆します。そして、両方の可能性において、ジェセップが、彼の知識と共に公共の場に出向き、そして彼の発見を公表する(暴露する/機密漏洩の)危険性が常に付きまとっていました。
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16 Berlitz, The Bermuda Triangle, pp. 151-152.

どちらの場合であれ、彼は、糸の切れた凧として見解され、そして故に沈黙させられなければなりませんでした。これに関して、ジェセップが、彼の友人、イヴァン・サンダーソンに対する彼の発言の中で、身の危険を示唆していた事を思い返すには、価値があるでしょう。

B. The Clues and Their Implications
B. 手掛かりとそれらの示唆     99


バーリッツのバミューダ・トライアングルからの手掛かりと、それらの示唆の再検証が此処で必要に成り、その最も明らかなものは、言うまでもありません。それは、今まで明言されていませんでしたが:ジェセップが、彼の著書のヴァロの注釈版、そしてカルロス・ミグエル(マイケル)・アレンデの手紙から、彼(ジェセップ)が学んだものとして、その(バミューダ)トライアングル、UFOs、そしてフィラデルフィアの実験の間に、何の可能な関連性を見出したのか?と言う事です。

驚く無かれ、その答えはそれらの全ての別々の現象が、そのトーション・テンサーを共にした、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版によって関連させられたとする、ジェセップ自身の推理の中にあります。私達は、第一章から、この数学的なトランスフォーム(変換的な方程式)が、その理論の最も重要な構成要素の一つだった事を思い起こしましょう。その理論(論説)において、目撃された様に、アインシュタインは全ての意図と目的のために、重力(引力)と電磁力の幾何学的な統一の探求において、一般相対性理論を見捨て(否定し)、それ(特種相対性理論)において、トーション・テンサーが中心的な役割を果たしました。ですが、これは、何を意味したのでしょう?

一般相対性理論において、重力(引力)慣性が同等な現象として扱われるのは、幾何学的にそれらが、観測者達によって分別不可能であるためです。物理学者達は、この発想を、目撃されてきた様に、「(一般相対性理論の)等価原理」と呼びます。ですが以前に目撃された様に、この原則の推論(成行き)の一つは、大規模な質量の重力/引力的な加速は、つまり、恒星や惑星の表面上で、地域的な何らかの重要性と共に全く変化しないと言う事とでした。

しかしながら、地域的な時空間のカーブ(歪み)である、トーションを含んだ、より原則的な幾何学において、アインシュタインが重力/引力と電磁力を対化した時、彼は効果的に、大きな惑星的な質量の表面の上の、引力的な加速と質量の地域的な変化の理論的な可能性を許しました。結果的に、アインシュタインは - バミューダ・トライアングルの様な - 磁気的、そして重力/引力的な障害の異例的な地域が存在するための可能性を許しました。彼は、地球の様な大きな質量の上の、その様な異例的な地域を説明するための、理論的な枠組みを供給しました。更に重大な事に、彼は、重力/引力的で、そして慣性的な効果が、電磁的な方法によって、地域的に技術開発される事が出来る、理論的な可能性を許しました。科学者達が、アインシュタインの1928年の論文を読んだ時に、彼等の眼は(その論文が難解だからと言って)濁りませんでした!現実は正反対でした!

ですから、その(バミューダ)トライアングル、フィラデルフィアの実験、そして UFO 現象の幾つかの種類の、統一された説明として、この理論を指摘する事において、ジェセップはその理論の説明的な力(原則)として彼が考えたものを研究していました。其処にはまた、その他の手掛かりがありました。ジェセップは、例えば、(元々は、レーダーに対する)「光学(視覚)的な不可視」の発想と共に、「操作された磁気(強力な磁力)」を関連させました。これもまた、その理論の説明的な力について、ジェセップが信じたもののコンテキストの中で見解されなければなりません。ジェセップは、ヴァレンタインに対して、その実験の結果が事故的で、そして故にその理論の示唆が恐らく、その概念的な土台のためだけで無く、同時に、その事故的な結果のために、説明する事が出来ると、伝えました。

加えて、ヴァレンタインは、ジェセップが、フィラデルフィアの実験の「不可視」に関連し、そして統一されたフィールド理論自体への関連における、「不可視の硬直性」の彼(ジェセップ)の概念を探求していたと示唆しました。

そして最後に、私達は、バーリッツの著書の中で最初に現れた実験に関する新たな詳細に出くわしました。それらは:

1)その実験には、(モールス・コードの様に)パルス(衝動)されたものと、パルスされていない機能の種類を含んでいて;

2)その実験には、その船(駆逐艦)が港へと戻らせられた時に、その船の羅針箱が突然と出火した、「タイム-ワープ(時間の歪み)」の現象を含み、そしてその実験の幾つかの要素は明らかに、フィラデルフィアの地方紙の中に現れ;

3)ジェセップの死は、自殺などでは無く、他殺(暗殺)だったのかも知れず、少なくとも誰かが、何処かで、その実験が体現した開発の一線を継続し、そしてジェセップが死亡せず、研究と公表を続けていれば、間違いなく、より広い一般大衆に対して、その科学的な概念化(フリー・エネルギーの知識)が届いていたであろう事を妨げるために、「実働的な対応(工作/妨害)」を行っていて;

4)その実験自体は、(小規模な)「概念の証明」の段階の間に、「軍港」において、そして(大規模な)実質的な完全規模のヴァージョンにおいて、海上(沖)の両方において行われました。偶然的(事故的)な結果が観測されたのは、後者の実験の作戦(実験)の間でした。

フィラデルフィアの実験の検証において、バーリッツのバミューダ・トライアングルの本に集中し過ぎるために、以前の熟考(色々な書籍)の全てから頻繁に見過ごされているのが、それでもその全体的な逸話に対して重要な構成要素なのは、それが、モリス K. ジェセップ博士がそう考えたために、彼が暗殺されてしまったのかも知れない可能性がとても高い、彼の思考経路の可能な行程へと、重要な洞察を、私達に許すためです。

6. THIRD DISCLOSURE:
Charles Berlitz, William Moore, and
The Philadelphia Experiment: Project Invisibility

第六章 第三の情報公開:
チャールズ・バーリッツ、ウィリアム・モーアー、そして
フィラデルフィアの実験:不可視計画
     123

「フィラデルフィアの実験における、私自身の特別な関心は、強化され、そしてレゾナント(共振/共鳴的)な磁気によって誘導された、物質の分子的な構成における変化が、物体が(肉眼から)消滅する原因に成る事が可能かも知れず - バミューダ・トライアングルの中の幾つもの行方不明の説明の一つに成るかも知れない可能性と関連していました。」
- チャールズ・バーリッツ¹

上述の警句と共に、研究者、チャールズ・バーリッツは、彼がどの様にフィラデルフィアの実験を知る様に成ったのかを説明し;以前の章の中でも目撃された様に、彼は、モリス・ジェセップの「不可視な硬直性」の一つの様に、彼の著書、バミューダ・トライアングルの調査をしていた間に、多かれ少なかれ、それ(その実験)へと出くわしました。端的な段落の中で、その逸話に対する彼自身の元々の接触をその様に確認した後、バーリッツは、米国における幾つもの彼の多くの講義の中で、彼がその実験に触れた際に何時も起こった、少々、興味深い事を記録します:「時折、通常、匿名性を強く求める『目撃証人』が現れました。」

ある大学におけるその様な講義の一つの間に、バーリッツは彼が、「調査を得意とする著者」である、イングランド人の教授に出会った事を思い返します。

「フィラデルフィアの逸話における、彼の熱心な関心は、その国(米国)の様々な場所へ彼を訪れさせ、そして彼の献身(熱心さ)は、都合良く紛失している書類を発見するため、忘れっぽい目撃証人達の記憶を思い出させるため、そして更に、「全く起こらなかったはずの」この実験に深く関わり、よく知っていて、恐らく健康(または生き残り/身の危険)のために、極度に人里離れた地域で、密かに住む事をいや応なしにされた、特定の鍵に成る科学者達さえ見つけ出す助力に成りました。」³
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1 From the Introduction in Charles Berlitz and William Moore, The Philadelphia Experiment: Project Invisibility (London: Souvenir Press, 1979), p. 10.
2 Ibid.
3 Ibid.


この研究者は、最終的に、バーリッツのフィラデルフィアの実験:不可視計画の共同著者と成る:ウイリアム・モーアーでした。

バーリッツのバミューダ・トライアングルの中の「最初の一般(公表)的なヴァージョン」の中で概要されたその逸話が異例的(驚き)だったのは、もしその実験が、示唆された様に行われていたのなら、「私達がその当時、そして恐らく未だに」 - 人の最も古い夢の一つである - 「物体と人々、その他の物と私達自身を、どの様に不可視に出来るかの発見の、瀬戸際(目前)に立っていた」ためでした。⁴ ですがその後、彼(バーリッツ)が頻繁に行う様に、彼はそれらの啓示(公表)を淡々と述べ、その本の残りを通しては一切それに再び触れません:

「ですがこの(不可視化の夢)とその他の昔からの夢は、アラモゴルド(i.e. アラモ)において、超越的で爆発的な威力(i.e. 原爆)が初めて現実性へと成った時である、1945年以来、特にもう実現不可能(不必要)な様に成りました。偶然(同時)的にも、当時(1943年)において、アメリカが(第二次世界大戦中の)防衛と生き残りのための通例的な助け(兵器)を探していた際に、(一般的には)サイエンス・フィクション(Sci-fi/架空)ではないかと疑われる、少なくとも2つのその他の計画が行われていたと報告されました。それらの内の一つは反重力と関係していて、そしてもう一つは(レーダーからの)不可視(ステルス)に関係していましたが、それらについての研究は、原子爆弾の明らかな成功と共に、中止されたと報告されました。」⁵

明らかにフィラデルフィアの実験は、不可視(ステルス)に関連した実験でしたが、反重力に関係した、匿名の計画は一体何だったのでしょう?バーリッツと、彼の共同著者、ウイリアム・モーアーは、それに対して(その後)二度と触れません。

この筆者(ファレル博士)は、第二次世界大戦中のアメリカの反重力計画(研究)の何らかの手掛かりを発見するために、彼(ファレル博士)の記憶と資料の両方を通して詳細に調べましたが、全く何も思い出す事も、見つける事も出来ず、それは一つの重要な問いを示唆し:バーリッツとモーアーは、何を知っていたのだろう?と言う事です。それが一体何であったにせよ、彼等は口をつぐんでいました。しかしながら、私達には、推理する事が許されます:もし、(以前に)示唆された様に、ジェセップ博士が、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版と共に、フィラデルフィアの実験の背後にある、科学的で、概念的な土台を指摘していて、そしてこの理論において、UFOs の推進力(動力)に関連している彼の推理のための土台をこの理論に求めたのなら、第二次世界大戦中に台頭してきていた防衛エスタブリッシュメント(i.e. OSS/CIA/ナチス/ゲーレン組織/軍産複合体)の誰かがアメリカの何処かにおいて、重力(引力)を操作する(i.e. 反重力)ための計画の発想を提案したのかも知れません。
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4 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 10-11.
5 Ibid., p. 11, emphasis added.


それが実際に大きな目標だったのは、重力の操作が、その他多くの科学技術への扉を開くためで、そして更に重要な事に、凄まじい兵器の原則、そして遥かに破壊的な威力の兵器のための(物理学的な)土台を供給するためです。結果的に、それらをまとめると、初めて一見した時よりも、無理(サイエンス・フィクション)では無い様に見えます。彼等(バーリッツとモーアー)の記述の動機の源泉(情報源)が何であったにせよ、しかしながら、彼等は、その実験自体を考える(考慮する)ために、後ろに(後付けで)残されたのでしょう。⁶

A. General Observations
A. 一般(全体)的な観測     125


始めの時点において、バーリッツとモーアーの、その逸話の説明の正確性を確立する事が重要なのは、何人かの人達が、様々な土台の上でそれを疑問視したためで、ある人は、バーリッツの諜報工作(スパイ)の背景(履歴)とコネクション(人脈)のために、信用する事が出来ないと主張し、その他は、時々ある歴史的な不正確さ、または実証(証明的な書類)の無い明言を指摘し、彼等(バーリッツとモーアー)の証拠の扱いを疑いました。此処において論議されるのは主だって、バーリッツとモーアーは、時折、細かい点を見逃しますが、彼等の記述(説明)が正確であると言う事です。更に加えて、最終的には目撃される様に、それらの詳細な点の幾つかは、その逸話の正確で、科学的な評価と検証と同時に、歴史的な再構築のための土台を形成します。

私達はヴァロ版の注釈の、バーリッツとモーアーのまとめと共に始めましょう:

「その注釈は、謎が多い『バミューダ・トライアングル』の地域の中で起こっている出来事の数多くであり、ジェセップの著書の中で論議された、船舶、飛行機、そして人々の、謎めいた消失(行方不明事件)の説明である様に現れました。更に彼等は、時には多大な詳細においてジェセップが記述した、『奇妙な嵐(人工操作された天候)と雲(高気圧と低気圧)、空から降ってくる物体、奇妙なマークと足跡(ケムトレイル)、そしてその他の問題』の多くの原因について、検証しました。
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6 バーリッツとモーアーは、この章の後において目撃される様に、物理学者、トマス・タウンゼント・ブラウンを、勿論、フィラデルフィアの実験に対して関連させます。彼の「electrogravity (電気的な重力/引力)」における関心のために、オルタナティヴ(独立的)な研究者達によく知られていたブラウンは、彼の生涯を通して、重力的な研究と、重力を操作する方法に対して、真剣に献身していました。ですが、その戦争(第二次世界大戦)の最中にブラウンが、重力の操作、または反重力の効果を達成するための計画に拘わっていたと言う証拠は一切ありません。その様な計画は、彼の場合、その戦争の後まで待たなければなりませんでした。

「同時に記述されたのは、「L-M 達」と「S-M 達」として言及された、恐らく地球外知的生命体の2種のグループとの関連における、海底都市の建設で、その内の一つ(「L-M 達」)だけが、(人類に対して)友好的と考えられました。加えて、奇妙な用語 – マザー・シップ(母船)、ホーム・シップ(主船)、デッド・シップ(死の船)、グレート・アーク(大いなる箱舟/電弧)、グレート・ボンバードメント(大規模な爆撃)、グレート・リターン(大規模な回帰/利益)、グレート・ウォー(大規模な戦争)、小さな人達、フォース・フィールド(作用の場)、グラヴィティー・フィールド(重力/引力の場)、ダイアモンドのシート、宇宙的な光線(エーテル/プラズマ/イオン etc.)、フォース(作用)を切断するもの、inlay (埋め込まれた)細工、クリア・トーク(はっきりとした説明/対話/通信)、テレパシーのノード(結節点/チャンネル)、渦巻き、磁気的なネット(網)が - 色々な手書きの注釈を通して見つけられました。」⁷

この詳しいリストから容易に確認される事が出来る様に、ヴァロの注釈版の私達の以前の検証との比較において、バーリッツとモーアーは、多大で文献的な証拠に対してとても忠実に留まります。人は、彼等の(文献的な証拠の)扱いが、意図的に不正確であると、合理的には主張出来ません。同様に、バーリッツとモーアーは、ヴァロの注釈版のコピーの数、そして出版の方法(経路)について、正確に報告します。⁸

とても少数の場合においてですが、しかしながら、彼等の分析的な技術は、彼等から離れてしまった様に現れます。例えば、バーリッツとモーアーは、「もし実際に海軍が、フォース-フィールド(作用の場)の不可視を創造する事において、偶然的、または意図的のどちらかによって、どうにかして成功していたなら・・・すると・・・その様な実験の結果はまた、バミューダ・トライアングルとしてとても良く知られた地域に頻発する様に現れる、出来事(事件)と行方不明の奇妙な一連に向かって、何らかの手掛かりを提供するのではないでしょうか・・・?」と明言します。⁹ 彼等自身の著書と、アレンデの手紙の詳細な検証から目撃される様に、その証拠(文献)の多さは、その海軍の実験の結果が、完全規模の(大規模な)実験版において行われた時、その結果は、その実験の概念的な土台の中でしたが、予測されておらず事故的であった事を示唆します。その結果は、その実験が達成するために計画されたもの(ステルス)から異なった種類では無く、度合でした。その実験のこの特徴は、私達が以前の2つの章の中で見てきた様に、ジェセップ博士によって既に予測されていた事でした。
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7 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 45.
8 Ibid., pp. 48-50.
9 Ibid., p. 59.


しかしながら、これを明言した上で、その実験の示唆が、事故的であったか否かは別にして、バーリッツとモーアーが、その示唆に間違いなく気付いていたと指摘するのが唯一合理的でしょう:「その様な劇的な発見には、究極的で、秘密裡な兵器に対する鍵がある事は言うまでも無く、(石油 etc. 以外の)新たで、安価な移動の方法、またはエネルギー産出に対する手掛かりを明かしたのでしょうか?」その可能性は「無限で驚きです!」と彼等は結びます。¹⁰

B. An Additional Detail Concerning Jessup’s Alleged Suicide
B. 自殺と主張されたジェセップ(の死)に関する追加的な詳細     127


バーリッツとモーアーはまた、彼等の著書の中で、自殺と主張されたジェセップ博士についての、追加的な詳細を供給します:

「1959年4月の中頃に向かい、ジェセップは、フィラデルフィアの実験によって示唆された反応の一連について、ほぼ間違いのない結論として彼が考えたものに至り、そして彼が論議する事を望んだ(事についての)下書き(書類)を彼が準備したと、ヴァレンタインに伝えました・・・警察の報告書の中には、ノート、または書類の事は全く記録されておらず、更に、ヴァレンタイン博士に対してその後与えられた、目撃証人による明言によると、その(ジェセップの)車からは何も発見されませんでした。」¹¹

もしこの主張が真実なら、そしてヴァレンタイン博士の誠実さを疑う理由は全くありませんので、すると、ジェセップが殺害された可能性が増大します。

C. The Strange Meeting in Colorado Springs
C. コロラド・スプリングスにおける奇妙な出会い     127


バーリッツとモーアーは、1970年の夏の終わりのある夕方に、コロラド・スプリングスにおいて起こった、ある出来事を思い返す事によって、彼等の著書を記述し始めます。2人の空軍兵、マリーランド出身のジェームズ・デーヴィスと、テキサス出身のアレン・ヒューズは、彼等の休暇の期間を利用して、戦争記念公園の写真を撮影しようと決めました。¹² デーヴィスとヒューズは、デーヴィスが事前に、記念碑の周りで観測した、「背が低く、頭髪が薄くなった、ある意味雑な服装の人で」、「少々、奇妙な風貌の男性」によって接触されました。¹³ デーヴィスと会話を始めたその見知らぬ人は、彼の財布を取りだし、期限切れの海軍の身分証明書を彼(デーヴィス)に見せました。¹⁴
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10 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 45.
11 Ibid, p. 91, emphasis in the original, citing Charles Berlitz, Without a Trace, no page number cited.
12 Ibid., p. 13.
13 Ibid.
14 Ibid., p. 14.


その男性は、第二次世界大戦の間に、海軍の士官だったと主張し、そして海軍が彼に対して「色々行い」、最終的には、彼が「気違い(精神的に不適格)」だと主張し、除隊する事を彼に強要したと主張しました。¹⁵ その男性は、彼が「気違い」に成った理由をデーヴィスに教えました:「その原因だったのは、あの実験だった。」¹⁶

「デーヴィスの好奇心はくすぐられました。『実験ですか?』と彼は尋ねました。『一体どの様な種類の実験を貴方は言っているのですか?』

「その返答は、彼を驚愕させました。

「『不可視だった』と、その男性は述べました。『それは、彼等(海軍)が、船(駆逐艦)を不可視(レーダー・ステルス)にしようと試みていた時だった。もし成功していたなら、それは完璧なカモフラージュに成るはずだった。そしてそれは大成功だった!その船に関してだけだったけれど。しかし、(その駆逐艦に)乗り組んでいた私達に対しては・・・それはあまりうまく機能しなかった。私達は、彼等が使用していたエネルギーのフィールドの効果に耐える事が出来なかった。それ(フィールド)は、私達に(強く)影響した。私は、フィラデルフィアへと派遣される任務に、絶対、従うべきでは無かった。それは、トップ・シークレット(最上級機密)だった・・・』

「デーヴィスは、彼が聞いたと思った事が本当なのだろうかと(耳を)疑い始めました。

「『一体全体、貴方は何について言っているのですか?』と、彼は追及しました。『貴方は、海軍が、何らかの実験において、貴方を不可視にしようと試みたとでも言っているのですか?』

「『電気的(磁気的)なカモフラージュだった』と、その答えが来ました。『パルスしているエネルギーのフィールドによって産出された、電気的なカモフラージュの何らかの種類だった。彼等が使用していたエネルギーが、正確にどの様な種類のものだったかは、私は詳しくは知らないが、間違いなく沢山の(強力な)それ(エネルギー・フィールド)があった。私達は、それに耐える事が出来ず – 私達の誰も絶える事が出来なかった。それは、私達(個人、個人)に対して、異なった方法において影響したが。ある者達は、物が二重に見えたり、ある者達は、酔っぱらった様に笑い、足元がおぼつかなく成ったり、そしてある者達は、気を失った・・・そして何人かの場合において、その効果は一時的なものでは無かった。私は後に、何人かは死亡したと伝えられた。どうであったにせよ、私が彼等に再び会う事は二度となかった。しかし、その他の私達 - 生き残った私達に対しては - 彼等(海軍/政府)は唯単に、私達を除隊させた。彼等はそれを、身体障碍と呼んだ。軍務のために、精神的に不安定で、不適格であるとして(強制)除隊させられた。障碍者手当(除隊年金)扱いだよ!』と、彼は苦々しく述べました。」¹⁷

この時点において、デーヴィスの友人、ヒューズ空軍兵士が、その会話の一部を耳に挟み、その2人に加わりました。自己紹介の後、デーヴィスは、その見知らぬ、元海軍兵の男性との対話を続けました。
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15 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 14
16 Ibid.
17 Ibid., pp. 14-15.


「『貴方は、その実験の失敗のために、海軍が、それらの人達(乗組員達)の全てを精神的に不適合として、除隊させた(解雇した)と言っているのですか?』と、彼は尋ねました。

「『その通りだ』と、その謎めいた彼等の話し相手は述べました。『それが実際に、彼等が行った事だった。勿論、彼等は私達を解雇する前に、数か月間、隔離した。【休養のためだ】と彼等は言った。ついでに、それ(実験/事故)が全く起こらなかったと、私達を納得させる試みだったと、私は思う。何であれ、最終的には - (フィラデルフィアの実験の様な)その様な逸話を、どうせ、誰も信じない可能性の方が高いのに - 彼等は私達に対して、機密保持を誓わせた。君ならどうだろう?君は空軍兵士だ:君はそれを信じられるか?君は、私が君に伝えている事を信じられるか?』

「『私にはわかりません』と、デーヴィスは答えました。『それが信じがたい話しであると言う事には、私は躊躇なく同意します。全く信じがたい逸話です。唯、私には解りません(知りませんでした)。』

「『まあ、どっちにしたって、それが真実だ。その全ての一字一句が、だ。勿論、それが正しく、彼等(海軍/政府)が、精神的に不適格として、私達を解雇した理由ではあるけれども。そうすれば、もし海軍が、それについて問われた時に、それが唯単に、気違い達によって造りだされた戯言であると、言い逃れ出来るだろう。精神鑑定された気違いを、誰が信じるのだ?何であれ、それが私の話しだ。』」¹⁸

約1時間ほど、その見知らぬ人と幾らかの会話を続けた後、その2名の空軍兵士達は彼等の基地に戻りました。¹⁹

その2人の空軍兵士達は、バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルが出版され、そしてそのフィラデルフィアの実験の逸話がより広い(一般の)読者達に初めて知られる様に成った1978年まで、その出来事を(脳裡の片隅に)忘れていました。デーヴィスは、バーリッツとの、フィラデルフィアの実験の共同-著者である、ウイリアム・モーアーに接触(連絡)し、その奇妙な出来事を概要しました。²⁰ 此処において私達の注目を引くのが何かと言うと、バーリッツとモーアーが、ヴァロ版の注釈を検証し、ヴァロ版の「前書き」と関わった ONR (海軍実験所)の関係者達が、3名であると主張したのとは異なり、むしろ、その注釈の全ての背後にいたのはたった1名だった可能性が非常に高いと主張した事です。²¹

バーリッツとモーアーの、通常は鋭く研ぎ澄まされた分析的な技術が、彼等から離れてしまった様に見えるのはこの部分で、彼等の著書の後半に、彼等が以下を関連させるためです:
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18 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 15-16.
19 Ibid., p. 16.
20 Ibid., pp. 16-17.
21 Ibid., p.


「1970年において、コロラド・スプリングスの(記念)公園の中で、空軍兵士デーヴィスとヒューズに対して奇怪な逸話を伝えた、見知らぬ小柄な人が、(カルロス・ミグエル)アレンデ自身だったかも知れないと言う可能性には・・・根拠が無い様に思われます。彼等のインタヴューの中で両方の人達(デーヴィスとヒューズ)は、もし彼等がその人(アレンデ)を見れば、彼等はその人を確認出来ると思うとはっきりと明言しましたが、彼等のどちらとも、問題に成っている人物として、アレンデの写真を指摘する事が出来ませんでした。」²²

コロラド・スプリングスにおいて、デーヴィスとヒューズが出くわしたその見知らぬ人が、ヴァロ版の手書きの注釈のその他の注釈者達の一人だったかも知れないと言う可能性を、バーリッツとモーアーは、考慮しなかった様に現れます。この可能性(バーリッツとモーアーの考え方)に反論している一つの事実は、その見知らぬ人の言葉遣い(文法)が、それらの注釈の中で見つけられる(アレンデの)ワイルド(粗雑)で、(文法的に)混乱した書き方と同じ様には見えない事です。

1 Carl-Allen-APRO-525px
カルロス・ミグエル・アレンデ(カール・マイケル・アレン)²³
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22 Ibid., p. 76.
23 Picture was taken by APRO.


D. Einstein
D. アインシュタイン
1. His Wartime Employment by the US Navy
1. 米国海軍による彼の戦時中の雇用     131


バーリッツとモーアーは、第二次世界大戦の間の、米国海軍によるアインシュタインの雇用の問題について、更にもっと詳細です。この点が重要なものなのは、アレンデが、ジェセップに対する手紙の中で、その実験の概念的な土台の一部に、アインシュタインの統一されたフィールド理論が関わっていたと主張し、そしてアレンデは、どの様に、または何の範囲においてかは全く示唆しませんが、アインシュタイン自身が実際に拘わっていたと主張したためです。アインシュタインと(米国)海軍の間の関連を確立する事は故に、アレンデの主張の幾つかに協力証言します。

「1943年において、アレンデが、海上における(大規模な)フィラデルフィアの実験の実施を彼が目撃したと明言した期間、アインシュタイン博士は、表向きには(政府の)武器局(防衛省/戦争省の一部)のための科学的な助言者として、米国海軍に雇用されていました。(ミズーリ州の)セント・ルイスにおける調達局(GSA)の事務所の記録は、アインシュタインが、1943年5月31日から、1944年6月30日まで、ワシントン D.C. の海軍省の特別顧問における科学者として、断続的に雇用されていた事を証明します。」²⁴

加えて、バーリッツとモーアーは、その有名な物理学者が「科学的な研究と開発の海軍の事務所(i.e. ONR)に対して親密な関係」を築いたと示唆している、アインシュタイン博士からの、彼の友人、グスタフ・バックリー宛ての手紙を引用します。²⁵ 更に加えて、アインシュタインは、ルーズベルト(大統領)とトゥルーマン(大統領)政権の科学の「ツァー(総合責任者)」だったヴァナヴァー・ブッシュ博士が、「彼(アインシュタイン)の特定的な知識が、最も役に立つ可能性が高いと思われた・・・委員会に」アインシュタインを配置した事を示唆しました。²⁶
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24 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 96, emphasis in the original.
25 Ibid.
26 Ibid., pp. 96-97.


1 antigravitywg071
アインシュタイン博士と米国海軍の士官達、1943年7月24日²⁷

2. Einstein’s Unified Field Theory of 1928
2. 1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論     132


アインシュタインと、フィラデルフィアの実験との彼の関係に関する、彼の手紙の中のアレンデの主張の中心部分は、しかしながら、その実験の全体が、アインシュタインの統一されたフィールド理論の要素を試験するために計画されたとする、彼(アレンデ)の主張でした。従って、その実験の、バーリッツとモーアー自身の再構築を検証するために、彼等がどの様に、アインシュタインの有名で、未完成の理論を理解したのかを、見定める事が重要に成ります。

アレンデの手紙自体を私達が検証した時に、この章の中で後に目撃される様に、アレンデは、アインシュタインが実際に、彼の理論を完成させ、そしてその後、それ(完成した理論)と共に何が成されてしまう(兵器化されてしまう)かも知れない事に対するモラル(人道)的な心配に基づいて、それを撤回した(隠蔽した)と主張しました。勿論、彼が探求した重力/引力と電磁力の統一化に向かい、様々な方法を試みながら、アインシュタインが、彼の人生の残りの殆どを使い、その理論について研究した事は良く知られています。バーリッツとモーアーは、以下の様にコメントします:
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27 国立保管所からのこの写真はまた、バーリッツとモーアーのフィラデルフィアの実験の写真部分の中にも載っています。

「アインシュタイン博士は実際に、1925-27年の期間において、彼の『重力と電気のための統一されたフィールド理論』の一つのヴァージョンを完成させました。その結果は、ドイツ語において公表され、1925年と1927年の、(旧)プロシアの科学的なジャーナルの中に現れました。」²⁸

これが、もう一つの小規模な不正確さなのは - 第一部の中で目撃された様に - その理論のアインシュタインの最初の「完全」ヴァージンは、1927年では無く、1928年に実際に公表されたためです。そして、アインシュタインの論文において、統一化の幾何学の構成要素として、トーション・テンサーを最初に含んでいたのは、このヴァージョンでした。同様に、第一部の中で記述された様に、統一化のための幾何学的な土台として「distant parallelism (距離を挟んだ平行性)」のアイデア(発想)を応用し、アインシュタインは1930年において、より詳しい論文と共にこの(1928年の)論文を続けました。そしてまた、其処に記述された様に、アインシュタインは、より以前のドイツ人の数学者、セオドア・カルツァの「超越-次元的な」統一されたフィールド理論によって、その様な理論を探求する事を鼓舞されました。

しかしながら、今の処までの理由づけ(理論化)の行程が、本質的に変わらないままだと、バーリッツとモーアーが確認した事に着目するのは重要で、つまり、その実験のための概念的な土台を形成したのは、後の1930年代の「距離を挟んだ平行性」のヴァージョンでは無く、彼等(バーリッツとモーアー)は、何故、その理論のこのヴァージョンだったのかの何らかの具体性、または理由を提供しませんが、その実験と関わっていたのは、アインシュタインの理論の1928年ヴァージョンだった事です。私達は、(ガブリエル)クロンの分析の幾つかにおいて、トーションがまた重要な役割を果たしたので、その実験を保証した基本的な概念を形成したのは、回転/旋回している電気的な機械の、クロン-の様なテンサー分析との連動におけるトーション・テンサーの応用だったと示唆しました。

故に、ジェセップに対するアレンデの手紙の中の主張は、一つの重大な点の上で、統一されたフィールド理論の基準的な歴史から分岐します。一般的な(表向きの)歴史は、アインシュタインが、彼の死亡時まで、統一されたフィールド理論の幾つものヴァージョンを提案しては、順を追って、それらの不完全性を理由に、その後、それらを否定(撤回/隠蔽)したと主張します。アレンデは、対照的に、
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28 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 94.

アインシュタインがモラル(人道)的な疑念の理由のために、1928年のヴァージョンを撤回したと主張します。バーリッツとモーアーは、その物理学者(アインシュタイン)の戦後の平和主義と、原爆に対する恐怖はよく知られているので、モラル的な理由のために、アインシュタインがその理論を撤回したと言うアイデアは、それ程、考え過ぎでは無いと提案します。恐らく、アインシュタインは、彼の統一されたフィールド理論について、同じような個人的な恐れを持ったのかも知れないと、彼等は主張します。²⁹(N.B. 同時にそれ[より完全な/技術開発可能な理論]は、ソ連のコザレフ博士の様に、軍事機密化されたのかも知れません。

それらの(理論の)撤回のための、人道的な理由として、これ(アインシュタインの平和主義)がどれだけもっともらしい様に見えたとしても、アインシュタインが提案したその理論の(幾つもの)ヴァージョンは、量子力学の強い力(作用)と弱い力を含ませられなかったために、単純に、理論的には不完全であった事には、絶対的に揺るぎありません。それらの理論は、理論(論説)として不完全で、この事実を迂回する方法はありません。そうであれ、それらの幾つかは、その他よりも不完全では無く、そしてこれは、その大胆な概要を共にした、1928年ヴァージョンの場合において当てはまりました。ですから、その理論の「完全性」に関するアレンデの主張のための、異なった説明が必要です。

アレンデは科学者では無く、そして故に、完全な理論と、技術開発可能な理論の間の違いを理解出来たとは考え難いでしょう。此処までの論議を通して私が示唆した様に、その理論の「完全性」は、アインシュタインによって供給されたのでは無く、回転/旋回している電気的で、シンクロ的な(同時的/静止軌道を回る)機械とシステム(回路)の異例的で「(微妙な)歪み」とエネルギー(電力)の出力(i.e. オーヴァー・ユニティー/入力よりも出力が大きくなる現象)の説明の方法として、テンサー・トランスフォーム(転換/変換)を応用した(ガブリエル)クロンによってでした。³⁰ その理論の「完成形」のアレンデの主張のために人が探さなければならないのは、この技術開発の可能性の感覚においてです。
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29 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 95.
30 私が知る限り、そのフィラデルフィアの実験に対して、ガブリエル・クロンを直接結びつける証拠はありません。ですが、技術開発と数学的な背景を共にした人なら誰でも、ほぼ間違いなく、彼の研究の重要性を理解し、そして、更に加えて、その中に多くの戦時中の(兵器)研究の可能性の鍵を見出したでしょう。主張された状況は、言葉を変えると、合理的で科学的なものですが、実証証拠的なものではありません。これは、次の章の中の状況でも同様で、コルムとダウムは、クロンが関わっていたと主張しますが、何らかの状況証拠は供給しません。


ですが、どんな場合であったにせよ、バーリッツとモーアーは、アインシュタイン博士が、彼の死去の二年前に、

「電磁力と重力/引力の力(作用)の間の関係の数学的な証明を見つけるための彼の探求における、『高度に説得的な』結果として彼が言及したものを、世界に向けて公表しました。1925年におけるアインシュタインの統一されたフィールド理論の完全性に関するアレンデの明言を頭に入れると³¹、この最後の理論が、『人道主義』の理由のために『撤回(隠蔽)』されたとアレンデが述べる、より以前のヴァージョンに本質的にとても緊密に類似した従兄弟(延長線)だったと記述する事は重要です³²、」と指摘します。

「Humantics (人道主義)」は、彼の完全な理論を公に公開する事についての、アインシュタインのモラル的なためらいを示唆するために、アレンデが使用した奇妙な単語(造語)です。

その理論の、この1928年ヴァージョンの一つの効果は、「純粋で、重力的なフィールドは、電磁的なフィールドが無くても存在出来ますが、純粋で、電磁的なフィールドは、追随している重力的なフィールド無しでは存在出来無い」と言う事でした。³³ 言い方を変えると、その1928年のヴァージョンへと、トーション・テンサーを含ませた一つの効果は、十分に強力で電磁的なフィールドが、通常は、強力な重力フィールドの中で経験された、時空間の繊維(格子構造/エーテル)の折り畳み、重なり合い、そして螺旋化(e.g. アルミ缶を雑巾の様に絞る例え)を誘導する事が出来ると言う事です。

バーリッツとモーアーの、統一されたフィールド理論の解説の中には、もう一つの関心の最終的な題材があります。

「この時点において、恐らく興味深いのは、しかしながら、1956年4月のニュー・ヨーク・タイムズ紙の小さな『(記事/コラムを)満たした』文章で、それは、マリーランド大学の物理学者、パーヴィス・マラット博士が、『故アルバート・アインシュタイン博士の有名な統一されたフィールド理論を、部分的に確認(実証)し』、そして『アインシュタインの最新の(最後の)、そして最も急進的(大胆)な理論がクリティカル(決定的/きわどい)試験の一つの段階を、合格点を共に実証された、』と報告しました。それらの『クリティカルな試験』の本質は、公表され無いままでした。」³⁴
_____
31 此処で再び、バーリッツとモーアーの分析的な技術が、彼等から離れてしまった様です。1925年においてアインシュタインが公表した論文は、その理論の1928年ヴァージョンの完成度の度合には、全く似ても似つかないものでした。実際に、1925年の論文の中で、アインシュタインは、統一されたフィールド理論へのアプローチング(接近の仕方)のための、可能な方法論を概要する事を試みるだけに留まりました。1925年の論文は故に「(事前)探求的な論文で、そしてそれを読むと人は、この性質を殆ど直ぐに知覚出来ます。バーリッツとモーアーの此処におけるコメントが故に、重要な問いを台頭させるのは、アレンデの手紙が、アインシュタインの理論の特定のヴァージョンに対して一度も言及しないためです。最も可能性が高い候補が、1928年ヴァージョンなのは、これが、クロンの論文の示唆を同時に認識した人達によって、技術開発可能な理論として理解されたはずであるためですが、バーリッツとモーアー自身は、何故彼等が、それが1928年ヴァージョンだったと考えたのかを、説明する事も、論議する事も、全く行いません。
32 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 101.
33 Ibid.
34 Ibid, p. 102.


実際に、理論的な物理学の発展のあらゆる近代の歴史において、この実験の何らかの記述を人が探すのは無駄な努力です。その理論は究極的に、後の試験において失敗したか、またはその結果が意図的に隠されたかのどちらかでしょう。

私達は此処で、フィラデルフィアの実験の歴史の背景の私達の検証が完結する処に辿り着き、そして私達は、終に、その実験自体の詳細へと取り掛かるでしょう。バーリッツとモーアーの本の中にそれらが含まれるものとして、それらを検証するにおいて、私達は4つの分野に集中しましょう:

1)その試験の船、米国駆逐艦(U.S.S.)エルドリッジ、DE 173 号の履歴;

2)モーアー-「ラインハート」のインタヴュー;

3)トマス・ブラウン・タウンゼントの関連性;そして最後に加えて、最も重要な事に、

4)モリス K. ジェセップ博士に対する、カルロス・ミグエル・アレンデの手紙です。

この概要に引き続くにおいて私達は、その1928年の統一されたフィールド理論の光(優れた点)におけるそれらの可能で科学的な正確性と同時に、始め(初段階)から、実験の一連を確立する行程におけるそれらの正確性のために、検証される事が可能な詳細を引き出す事に集中しましょう。私達は故に「概念の証明」の(小規模な)実験、または実験の一連、そしてその後の完全規模(大規模)な実験のヴァージョンの示唆のために調査しましょう。従って、私達はまた、何故それら(の実験の結果)が、予測されたものからは、異なった種類では無く、度合でしたが、(米国)海軍が予期したものでは無かった(事故だった)とアレンデが主張した事を確かめるために、元々の概念的な土台を探しましょう。

E. The History of the U.S.S. Eldridge, DE 173
E. 米海軍駆逐艦 エルドリッジ DE 173 号の歴史     136


フィラデルフィアの実験のための試験船(駆逐艦)だと主張された米国海軍(U.S.S.)エルドリッジ DE 173 号は、1943年の2月に着水させられ、その年の7月に、その後、実用化されました。彼女(その船)は、バリーリッツとモーアーによると、彼女の艦長、チャールズ R. ハミルトン大尉が指揮を執った1943年8月27日に、実働化しました。³⁵ 彼女(エルドリッジ号)の公式な(軍事)航海の記録によると、彼女は(第二次世界大戦の)ヨーロッパの戦場が終わるまで、大西洋において奉仕(従軍)し、そして太平洋の劇場(戦場)へと配置転換され、其処で彼女はその戦争が終わるまで、其処において奉仕しました。
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35 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 106.

そのエルドリッジ号は、1946年6月17日に引退宣言され、1951年まで、(米国)海軍の予備戦力として残されていましたが、1951年において、Mutual Defense Assistance Program (共同防衛補助計画)の一部として、彼女が最終的にギリシャに売却され、其処で彼女は、リオン号(ライオン号)と改名されました。³⁶

しかしながら、バーリッツとモーアーが観測する様に、「エルドリッジ号のこの都合の良い公式な(表向きの)歴史は、「アレンデの逸話の光(情報)の下において」見解されると、多大な埋め合わせと改竄(かいざん)が見受けられます。³⁷ (米国海軍/S.S.)アンドリュー・ファーウセス号の乗組員だったと彼等(バーリッツとモーアー)が突き止めたアレンデは、その両方の船が1943年において、海上における(大規模な)実験を観測したと、鮮明に明言しました。ですから、言い方を変えると:

「もし、エルドリッジ号と、S.S. ファーウセス号が、同じ位置におり、カール M. アレン(アレンデ)がファーウセス号の乗組員の一人だった期間の間のたった一日の日付だけでさえも証明される事が出来れば、すると彼の逸話に対して実に最小限でも現実味の可能性の空気を加えます。もう一方で、もしその様な(船の)配置の類似性が全く証明され無いなら、アレンデの逸話は重大に(そして恐らく決定的に)ダメージを受けます。」³⁸

U.S.S. エルドリッジ号の整理整頓された歴史は、共同著者であるウイリアム・モーアーが、その2隻の戦艦のログ(日誌)を手に入れようと判断した時に明かされ始めました。

この調査から結果したものが何だったのかと言うと、公式な記録と共に「全てが正常では無い」と言う鮮明な示唆だったのは、モーアーが以下を発見したためで

「(1)コミッション(任務命令)の日付(1943年8月27日)から1943年12月1日までの、エルドリッジ号のデック・ログ(航海日誌)は「消失していて、そして故に確認不可能で」:そして(2)ファーウセス号の航海日誌は「大統領令によって破壊され」そして故にもう既に存在していませんでした。」³⁹

もしその2隻の船の航海日誌が実際に、「大統領令によって」破壊されたなら、するとその実験の隠蔽は明らかに、(米国)最上層部と最深層部まで辿り着き、ホワイト・ハウス(大統領府)のオーヴァル・オフィスとフランクリン・デラノ・ルーズベルト(大統領)自身の拘わりを示唆しています!
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36 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 107.
37 Ibid.
38 Ibid.
39 Ibid., pp. 107-108, emphasis added.


明らかに、それらの2隻の船を含んだこの期間の間に起こった事が一体何だったにせよ、(それは)正しく異例的で、通常の戦時中の作戦の、基準的な記録の必要条件を更に超えていたのは、そうで無ければホワイト・ハウスが直接的に拘わるはずが無かったためです。

ファーウサス号の親会社、マトソン海運会社によると、彼女は「この時系列において、北アフリカへの2度の航海を行っており」、一つ目の航海は、彼女がニュー・ヨークからノーフォークへと航海し、そしてその後、北アフリカへのアメリカ兵達の上陸の補佐において、北アフリカへの護衛船団に参加した、1943年8月13日に始まりました。二つ目の航海は、アルジェリアのオーランのフランス領の港へと、再びもう一度、ヴァージニアから彼女が航海した、1943年10月25日に始まりました。⁴⁰

そしてこれが、両方の船の公式な記録の間に矛盾がある処なのは、

エルドリッジ号の海軍省の公式な記録によると、その船は1943年7月25日に、ニュー・ジャージー州のニューアークにおいて着水され、そして1943年8月27日に、ニュー・ヨーク海軍港において任務命令されました。彼女の試験航海は9月の初めに始まり、英公領西インド諸島の、バミューダ海域において行われ、そして12月28日まで継続されました。それらの同じ記録は、彼女の最初の米国海域外の処女航海が、1944年1月4日に始まり、ニュー・ヨークの港における彼女の到着と共に、2月15日に終了した事を示唆します。」⁴¹

故に、もし人がそれらの2隻の船の公式な記録を、表面上の評価で受け入れるなら、それらは1943年においてお互いの近くに全く位置しておらず、そして成行きとして、アレンデの逸話の信憑性は、重大な疑問視へと呼びこまれるでしょう。

しかしながら、バーリッツとモーアーが指摘する様に、「それらの船の航海日誌の(大統領令による)謎めいた不在は」その2隻の船の公式な記録の上に、「特定の疑いをかざします。」⁴²
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40 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 108.
41 Ibid.
42 Ibid., 109.


「そのパズル(謎)へと当てはまる、一つ目の消失している欠片(情報)は、公式な歴史を完全に否定する様な、エルドリッジ号についての、以前には機密化されていた欠片の発見と共に、とても予想外な処から由来しました。問題のその書類は、船団規則と共に従うにおいて、1943年12月14日に、エルドリッジ号の艦長によって記載された、海上船による、対潜水艦の(軍事)行動についての報告で、そして北大西洋において、11月20日に起こった軍事行動に関係していました。公式な歴史によると、エルドリッジ号は、1943年9月の初頭から12月の後期まで、バミューダ(海域)の付近においてシェークダウン(試験運転)の航海を行っていて、そして彼女の最初の(米国)海域外の処女航海は、1944年1月4日に始まりました。その船の艦長、C.R. ハミルトン大尉によって記述された軍事行動報告書によると、エルドリッジ号は、UGS 23 護衛船団に参加する中、(米国に向かって)西向きに航海している最中の、1943年11月20日の午後、現地時間、1:30 P.M. の直後に、敵国の潜水艦と疑われたものに対して、7発の水中爆雷を落とし(発射し)ました。その報告書の中に記述されたエルドリッジ号の位置は、北緯34度03分、西経08度57分で - それは、北アフリカのカサブランカの海岸線のたった200マイル沖で、そしてバミューダからはおよそ3,000マイル離れた位置に、その船を配置させる座標でした!」⁴³

言い方を変えると、エルドリッジ号の公式な歴史は、バミューダにおけるその試験運転を隠蔽する事を試み、その間ファーウセス号とカルロス・ミグエル・アレンデは、何千マイルも離れていました。この公式な逸話は、それらの発見を共に、後の章の中で私達が目撃する様に、更に深く疑問視される様に成ります。

この時点においてしかしながら、再びもう一度公式な歴史を完全に覆す新たな情報の欠片が浮上し:エルドリッジ号の技術開発者の日誌でした。それらの日誌は、エルドリッジ号の位置の記録を含んでいて

「問題の、航海日誌の記録からは消失している日付でした。ほぼ同時に明るみに出た、これとその他の書類は、エルドレッジ号が実際に、10月の終わりに、南方から発達した季節外れのハリケーンによって、海路から外れる事を余儀なくされた GUS 22 船団を護衛するために、11月2日に(ブルックリン/ニュー・ヨークから)出港した事を証明します。これが正しく重要な情報の欠片だったのは、その問題の護衛船団が、S.S. ファーウセス号の船団以外のなにものでも無く、それが10月25日に、ノーフォーク-リンヘーヴン・ローズを出港していたためです!そして更に重要な事に、ファーウセス号は、その護衛船団の最後尾を航海していて、(ハリケーンに影響された)船を一つの船団にまとめようとしていた際に、ほぼ間違いなく、DE 173 (エルドリッジ)号を目視しました。
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43 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 109, emphasis added.

更に加えて、11月20日のカサブランカ(北アフリカ)沖のエルドリッジ号の位置は、エルドリッジ号が、北アフリカまでの全行程において、ファーウセス号と彼女の GUS (22)護衛船団に(東向きに)追随し(その護衛船団は11月12日に其処[北アフリカ]に到着した事を思い出して下さい)、そしてその軍事行動報告書の中で彼女(エルドリッジ号)が、潜水艦に出くわしたと記録された時、彼女は USG 23 (船団)を護衛しながら母国(米国)に(西向きに)戻る最中でした。およそ34年間、機密化されていた、この軍事行動の報告書の発見が無ければ、この全ては闇に包まれたままでした。」⁴⁴

私達が有するものに着目して下さい:エルドリッジ号からの消失している航海日誌、「大統領令によって」破壊されたファーウセス号からの日誌、そして両方の船の整理整頓された公式な歴史とは完全な矛盾にある、エルドリッジ号からの(艦長の)軍事行動報告書と技術開発長の日誌で、それらは実際に、両方の船をお互いに対して近い距離(海域)に配置させます。

これは関連した問いを浮上させ、そしてバーリッツとモーアーはそれを直ぐに指摘し:もし、公式な歴史と、エルドリッジ号の軍事行動報告書と技術開発長の日誌の間にその様な大々的な矛盾が一つでもあるなら、その他にもある可能性は無いでしょうか?と尋ねました。⁴⁵ ですが其処にはまた、その他の疑問がありました。例えば、米国海軍が、「電磁的な不可視(ステルス)の様な、危険で、大胆で、そして明らかに最上級機密の実験を、その様な状況の下で、そして護衛船団の全体の目の前で試みる危険を冒す可能性はあるでしょうか?確かにその様な可能性は低い様に見受けられます。」⁴⁶ ですがそれは、その実験の元々の目的が不可視(レーダー・ステルス)で、それ以外のなにものでも無かったなら、唯一可能性が低いでしょう。私達がずっと主張してきた様に、そしてコロラド・スプリングス(の戦争記念公園)において、空軍兵、ヒューズとデーヴィスと対話した見知らぬ人が示唆した様に、その実験の結果は予想されたものでは無く、そして事故的でした。ですからもし、海軍が実際に、その護衛船団の航海の途中に何らかの実験を行ったとして、達成されるべき結果が一体何だったにせよ、(その実験が)その他の(周りの)船から観測されるとは全く予測されていませんでした。言い方を変えると、バーリッツとモーアー自身によってある意味造りだされた印象とは対照的に、不可視は始めからその目的ではありませんでした。

ですがこれ以上に、それらの発見によって台頭させられた問題が更にあります。
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44 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 110, emphasis
added.
45 Ibid.
46 Ibid.


「・・・アレンデは、その実験が、フィラデルフィアの埠頭内において、そして - 恐らく(米国)本土沖の - 「海上」において行われたとはっきりと示唆する様です。彼の日付 - 10月の後半は - その護衛船団の作戦と一致する様ですが、その他の状況(詳細)は一致せず;特にエルドリッジ号は、GUS 22 に参加するために、フィラデルフィアでは無く、ブルックリンから出港したためです。実際に、彼女がニューアークにおいて建設中だった期間を除いて、エルドリッジ号がその問題の期間に、フィラデルフィア地域内、または付近にいたと示唆する、その船の記録は何処にもありません。」⁴⁷

その実験のために、アレンデによって明言された日付の時に、エルドリッジ号が、フィラデルフィアの付近の何処にも全く現れなかった(いなかった)事実の他に、その他の事実が浮上しました。

バーリッツの共同著者、ウイリアム・モーアーは、その戦争(第二次世界大戦)の最中に、「1943年の最初のハリケーンの季節 - その年の7月の終わりか、8月の初めだったはずであると、その人が感じる日付に、エルドリッジ号をバミューダ(海域)に位置させる事を思い返した」、元司令官からの手紙を受け取りました!⁴⁸ その元司令官がその出来事を覚えていたのが何故なら、エルドリッジ号が(伝達用の)シグナル旗を掲げない処か、その海域にいたあらゆるその他の船に対して接触(通信)を全く試みなかったためでした。⁴⁹ もしこれがそうであったなら、その DE 173 (エルドリッジ号)は、「その船の乗組員が任命される遥か一カ月前に」、公式記録では、その船の建造が完成されつつあったとされる期間に、(ニュー・ジャージー州の)ニューアークにおけるその着水のたった数日後に、バミューダ(海域)において姿を現しました!⁵⁰

もしその元司令官の証言が真実であれば、その示唆は鮮明で:エルドリッジ号は、公式な歴史が記録するより以前に、着水して(航海開始して)いなければなりませんでした。⁵¹ その後、バーリッツとモーアーは、戦後にその駆逐艦を最終的に購入した、ギリシャ海軍の記録を発見し、それはその DE 173 号が、1943年の7月25日では無く、6月25日に実際には着水させられた事を示唆しました!そして、そのギリシャの記録には、高度に重要であると証明されるその他の事がありました。そのギリシャの記録によると、エルドリッジ号が完全装備されたなら、(総重量は)1520トンでは無く、1900トンでした!彼等(バーリッツとモーアー)が妥当に観測する様に、「1隻の船が、380トンの浮上力を得る唯一の方法は、ギリシャ人達に対してその船が売却された時以前に、同等の重さの何かが(その船から)取り外されなければならなかった」と言う事でした。⁵²
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47 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 110-111.
48 Ibid., p. 111.
49 Ibid. p. 112.
50 Ibid.
51 Ibid.
52 Ibid.


それは一体何だったのでしょう?バーリッツとモーアーは、あからさまな答えを供給します:「恐らく(380トンの)電気的な機器だったのでしょうか?」⁵³ 故に、U.S.S. エルドリッジ号の着水から、1933年(sic./1943年)1月までの公式な歴史は、その船の正真正銘の歴史では全く無く、ほぼ間違いなく不自然である(改竄されている)と言う結論は回避不可能です。⁵⁴

U.S.S. エルドリッジ DE 173 号
1 エルドリッジ

この時点において、モーアーは、(それまで)有力な情報提供者でしたが、その人が述べていた事以上に、(本当は)もっと知っていると疑われた海軍内部の彼(モーアー)の情報源の一人に対して、その DE 173 (エルドリッジ)号の実際の記録と、公式な歴史の間の矛盾を尋ねようと決めました。彼の情報源は、対話する事には同意しましたが、匿名性を唯一の条件としました。
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53 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 112.
54 Ibid.


その戦争(第二次世界大戦)の間に、実験の目的のために、一隻の船を誰かがどの様に会得するのかと尋ねられた時に、海軍において司令官の階級を有していたモーアーの情報提供者は、その最も好都合な時期が、その船の実際の完成と、彼女のコミッション(命令委託)以前の間なのは、一度、命令委託されてしまうと、彼女は直ぐに(軍事)作戦的に成り、そして故に海軍の戦略計画の一部に成ってしまうからだと示唆しました。⁵⁵ これは、バーリッツとモーアーが発見した歴史から、その(エルドリッジの)場合に実際に当てはまる様に現れます。その(元)司令官は、「恐らく、2、3週間以上ではありませんが、限定的な期間のために」、海軍が、「フィラデルフィア、またはニューアークから、一隻の船を出港させる事に成功した」と言うのが彼の信念である・・・」と、その後明言しました。⁵⁶

その実験自体については、モーアーの情報提供者は、大西洋の海岸線(米国東海岸)の中間に沿った、デラウェア川に沿って、その実験が行われたと信じました。それらの実験は明らかに、以下を含んでいました

レーダー探知の機器に対する、強力で、磁気的な力(作用)のフィールド(磁場)の効果です。私がそれについて、またはその最終的な結果が何であったかについて、貴方に多くを伝える事が出来ないのは、何故なら私が知らないためです。私の予想は、そして私は予想である事を強調しますが、そのフィールド(強力な磁場)を通してラジオ(電波)と、低周波数と高周波数の(フリクエンシー/振動率)のレーダーの両方が反映(放射)された時に、「反対側」の上で何が起こるだろうと確かめるために、その海岸線に沿って、そして何隻もの船舶の上に、可能な限りの探知の機器のあらゆる種類を積み込む事でした。疑う余地無く、そのフィールドの、肉眼に見える範囲の光に対するあらゆる効果がまた観測されたでしょう。あらゆる出来事においいて(それが何だったにせよ)、完全な(レーダーの)吸収と同時に反射(ステルス)について多大な実験が行われていた事を私は知っており、そしてこれがこの様な実験と結びつくのは確かな様です。」⁵⁷

これは、その実験の元々の目的が一体何であったのかの最初の実際の示唆で:その実験は、レーダーの反射、または更に完全な吸収の可能性を試験するために計画され - 言葉を変えると、レーダー・ステルスで – そして光学的な不可視(i.e. 肉眼には見えない範囲の光)はその目的ではありませんでした。科学的な見解から、次の章の中で目撃される様に、これ(レーダー・ステルス)は可能なだけでなく、全ての可能性において、その実験の元々の概念的な土台であった可能性が高いでしょう。

ですが同等に、その匿名の元司令官がまた明言する事に着目してもらいたいのは:(米国)海軍が、「(レーダーの)完全な吸収と同時に、反射」についての「大規模な研究」を行っていた事です。そのフィラデルフィアの実験は、言い方を変えると、より大きな、そして明らかにとても大規模な計画、または計画の一連の一部でした。
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55 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 113.
56 Ibid., p. 114.
57 Ibid., p. 115, italicized emphasis in the original, bold and italicized emphasis added.


これは(歴史に詳しく無い人には)不可能な様に聞こえるかも知れませんが、それはもし人が、当時の(第二次世界大戦の)戦時中のコンテキストへと、それを位置付けると、実際に理解する事が難しいものではありません。ドイツ人達は、海域と空域において益々増えている連合軍の圧倒に対処するべく、そして米国は迫りくるヨーロッパ本土の(ナチス・ドイツの)侵略に準備するために、反射と吸収の両方の、実用的なレーダー・ステルスの性質を研究し、達成するために、米国とドイツの両方が、凄まじい資金を消費していたためです。米国の場合において、着水させられたばかりの駆逐艦(エルドリッジ号)の配備(利用)は、迫りくる侵略の間に、多大な利益(情報/データ)を供給し、人命と資源を救う(守る/保存する)事が出来る(レーダー・ステルスの)実験における、とても小規模な(たわいもない)投資として見解されたでしょう。もし「概念の証明」の(小規模な)実験が成功的で – そして実験の(大規模な)この段階へと、その実験が進められるためには、それらの(小規模な)実験が成功していたはずですが – その後のその実現化への DE 173 号への投資は、支払うための小さな代価(犠牲)だったでしょう。その海軍の(戦時中の)行動は、全く正当化可能で、そして合理的です。

しかしながら、モーアーの匿名の海軍の情報源はその後、情報の追加的な破片を提供します:

「私が貴方に伝える事の出来る一つの事は:この様な本質の何らかの実験的な研究が、その船(エルドリッジ号)が命令委託され、そして乗組員達が配置された後に、行われた可能性が非常に低いと言う事です。その様な事は - 特に、海上における護衛船団(の任務に)に就いている際に - 行われるはずはありませんでした。(19)‘43年において、この種の研究を行っていた誰かが、数百トンの貴重な電気的な機器を、大西洋のど真ん中における、ドイツの潜水艦(U-ボート)の艦長の御慈悲の前にさらけ出す危険性を冒す事は、絶対的にありませんでした。」⁵⁸

その匿名の海軍士官(元司令官)によると、その「海上における(大規模な)実験は、米国の(東海岸の)海岸線の付近で行われただけで無く、更に加えると、その(米国)海軍が、護衛船団の任務の最中にそれ(実験)を行う危険性を犯す事など決して無く、それは明らかに、アレンデの逸話に矛盾します。ですから、もしアレンデの逸話が正確で – そして少なくとも彼(元司令官)の科学的な情報に関して私達が目撃した様に - その海軍の士官(元司令官)の逸話が同様に正確ならば、それは可能なだけで無く、実際に彼(元司令官)の信憑性を強調させますが - そうであるならば、人はどの様に、「海上」で起こった事(大規模な実験)と、そしてアレンデが目撃した事を説明すれば良いのでしょう?その(米国)海軍は、一体何を行っていたのでしょう?
_____
58 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 115.

その逸話の研究者達によって、頻繁に見過ごされる一つの可能性は、その(米国東)海岸線に沿った、エルドリッジ号を伴ったその実験が、レーダーの反射、そして恐らく吸収の度合(ステルス)を含み、とても成功的だったのかも知れないと言う事です。恐らくその実験は最大出力においては行われず、そしてそれらの実験の最中に起こったとアレンデと、空軍兵士、デーヴィスとヒューズの謎めいた見知らぬ人が報告した有害な効果は起こらなかったのでしょう。更に加えて、科学者達による、厳戒な管理の下で、その実験からのあらゆる健康被害の可能性は回避されたのかも知れません。この場合において、大規模化(実用化)された「概念の証明」の実験を成功的に完了すると共に、そのエルドリッジ号は、彼女のレーダー反射の機器を未だに積んだまま、護衛船団の任務へと解放されました。故に、ドイツの潜水艦との接触の際に、エルドリッジ号の艦長は、その船の特別な機器(レーダー探知)が彼に与えた保護(防衛)の追加的な対策を取ったのかも知れません。ですが - 厳格で科学的な管理の欠如、またはその他の知られざる要素の存在か - その理由が全く何であったにせよ、その実験は、その乗組員達が報告した悲惨な効果の全てを共に、レーダーの吸収(ステルス)だけでは無く、実際の光学的な不可視(肉眼では見えなくなる現象)を達成し、其処で「暴走」しました(事故を起こしました)。もしくは、恐らく、その大規模化された「概念の証明」の段階において、その実験が成功的に完了されると共に、その(米国)海軍はその概念を、最大出力において、そして戦闘中の状況の(仮定)の下で試験する事を判断したのかも知れません。ですが、どんな場合であれ、その実験の元々の概念的な土台が何であったのかの最初の示唆を私達は此処で有し:それは、レーダーの反射と吸収についての、強力で磁気的なフィールド(磁場)の効果を試験するためにデザイン(計画)されたもので、2つのとても重要な手掛かり(反射と吸収)で、そして私達は次の章の中で、それらの種の可能性と、それらの手掛かりについて、更に述べる事があるでしょう。

F. The Moore-“Rinehart” Interview
F. モーアー-「ラインハルト」のインタヴュー     145


それらの見解のために協力的な証拠の多大な量は、仮名的に「ラインハルト博士」として知られる情報源と、ウイリアム・モーアーが行ったインタヴューの中で供給されました。バーリッツとモーアーが、「フランクリン・レノ博士」と言う仮名の下でアレンデが言及したこの情報源を追跡したのは、⁵⁹ アレンデが彼の手紙の中で、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論が、「とても短期間の内に・・・そのあらゆる、そして全ての可能性を急いで利用するための見解と共に・・・完全な(集合数式の)再確認」が行われたと示唆したためで、⁶⁰ 彼等がそうする(情報源を追跡する)事が不可欠に成ったためでした。ウイリアム・モーアーは最終的にそうする事に成功し、そして「ラインハルト博士」の仮名的な存在の理由が明らかに成ったのは、ラインハルトが、
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59 この奇妙な仮名の全体的な逸話については、Berlitz and Moore の、 The Philadelphia Experiment, pp. 117-121. を参照して下さい。
60 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 117.


「彼自身のために(そして恐らく彼の身の安全のために)、彼が知り過ぎていたと、彼が疑い始めた時に、彼を最も脅かすと思われた組織の一部から、彼自身を隠す事を選択しました。その後の数年間、彼は優秀で、未来有望な科学的なキャリアを諦め、(米国)大陸の都市部からは人里離れた丘陵地域の間に隠された、小さなバンガロー(山小屋)に彼自身を隠し、世捨て人の生活を生きる事に満足し - 唯一、生活必需品などが必要な際にだけ、または古い友人や、昔の同僚を訪問するために、更に、極まれに、外出しました。」⁶¹

彼よりも以前のジェセップ博士と同様に、ラインハルト博士は、もし彼が(表舞台の)目立ち過ぎる生活を続ければ、彼に(暗殺などの)不幸が訪れると疑っていました。

調整と準備の数か月の後、「ラインハルト博士」は、ウイリアム・モーアーとのインタヴューに同意しました。⁶² バーリッツとモーアーによって行われたその他のインタヴューとは異なり、「ラインハルト博士」のインタヴューは、どちらかと言うと一人語りで、モーアーは、2度、3度問いを尋ねるため以外に、(独白を)中断させませんでした。そのインタヴューは、講義の様な特徴で、実際に、「ラインハルト博士」は、彼が出来る限り慎重に多くを明かすと同時に、更に慎重に遠くに行き過ぎる(言い過ぎる)事を避けようと試みていました。

以下に続く引用は、すると(当然)、私達が立件している件に対して重要です。それらは全文において引用され、そしてその後、それぞれの部分の後に、端的なコメントが与えられるでしょう。

「ラインハルト博士」は、その実験がどの様に実現化したのかを概要する事によって(語り)始めます:

「私は、海軍の士官達がその中に参加した事を私が覚えている、戦時中の会議の印象を持っています。貴方が関心を示されている計画に対する関係において、その発端は、はっきりと、1943年よりも以前で、軍事的な応用を考えていた物理学者達とその他の者達によって、アインシュタインにもたらされた物理学的な理論におけるアイデア(発想)を、彼(アインシュタイン)が考え(研究し)始めたのは、恐らく1939年か1940年程早期だったと、私の記憶は示唆します・・・
_____
60 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 117.
61 Ibid., p. 120.
62 Ibid., p. 121.


「・・・私が思うに、ある程度の正確性を共にして、その提案を発端させたのは、アインシュタインと(ルドルフ)レイデンブルグだったと、私は言う事が出来るでしょう。私はどちらの名前が(発案者として)最初に名指しされるべきか知りませんし;そしてその『Blank (ブランクと言う苗字、または空席と言う意味)』が、アインシュタイン、そしてレイデンブルグだったとしても、ブランクさんの正体を思い出す事は、今の私には出来ません。」⁶³

この告白は、2つの詳細において、とても真実的だと警告の鐘を鳴らします。

最初に、第一部の中で私達が概要した様に、ナチスのベル、またはフィラデルフィアの実験の様な、あらゆる実験は、様々な小規模化された「概念の証明」の実験において、概念を試験するためにデザイン(計画)された、元々の(小規模な)段階を有していたはずです。そのフィラデルフィアの実験が、1943年の夏の間に起こったとする、知られている、そして主張された事実のための時間の枠組みが与えられると、「ラインハルト博士」の時期についての記憶が正確で、そして合理的なのは、それらの概念の証明の実験が、実際の完全規模の実験の、少なくとも一年から二年前に、計画され、準備され、そして実行されなければならなかったためです。

しかしながら2つ目の、そして更に重大な要点は、アインシュタインとルドルフ・レイデンブルグ(1882-1952年)を名指しした事です。レイデンブルグは、X-線の発見で有名な、ウィルヘルム・レントゲン(Röntgen)博士の指導の下、ヘイデルブルグ大学における物理学部において勉学し、彼の博士号を取得しました。ブレスラウ大学の物理学部において短期間過ごした後、レイデンブルグは、ベルリンの由緒ある皇帝ウィルヘルム研究所の物理学部門の主任に成りました。彼の専門学科は、原子的なスペクトル(分光)の撮影(スペクトログラフ/観測/探知)における(光の)分散の線(方向)を探知する事でした。

しかしながら、レイデンブルグが実際に、ドイツ軍において従軍した期間である、第一次世界大戦の間に、彼は敵国の大砲の武器の位置を探知するために - 光学的、音響的、振動的、そして電磁的等々の – 方法のあらゆる可能性を探求した、大砲(砲撃)の試験の委員会(研究所)をベルリンにおいて設立し、探知の音響的な方法が最終的に、最前線における使用のために導入されました。⁶⁴ ナチス時代の到来以前の戦前(第二次世界大戦以前)に米国(U.S.)に移民し、レイデンブルグはまた、地雷と魚雷に対する事前対策の分野において、米国の軍部のために働きました。彼はまた、「空中の反射効果(ステルス)」の開発の上で、ジョン・ヴォン・ニューマン博士と、アインシュタイン自身と共に研究しました。
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63 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 123, emphasis added.
64 https://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Ladenburg


ネット上の事典、ウィキペディアの記事によると、レイデンブルグは、1940年のある時点において、光を屈折させるためにデザイン(設計/意図)されたフィールドの、必要とされた強さを証明するために、デザイン(開発)された計算(数式)のために相談されました!⁶⁵ フィラデルフィアの実験から求められた一つの結果が、レーダーを反射する(ステルス効果)だけで無く、恐らく標的から(ミサイルや砲弾)の投射物を回避する(標的に当てさせない)ために、十分な強さのフィールドだったと、以前(上述)に明言された事を思い出せば - そしてレイデンブルグと言う人物についてこれを知っていれば、彼が正にその様な計画のために極度に合理的(最適格)な選択肢だったでしょう!

更に加えて、アインシュタインとの関連性におけるレイデンブルグの、「ラインハルト博士」の記述(明言/名指し)は、再びもう一度、見解されている統一されたフィールド理論のヴァージョンが、1928年のヴァージョンで、その時空間の捻られた(e.g. アルミ缶を雑巾の様に絞る)トーション・テンサーを共にした、更にもう一つの示唆です。アメリカ合衆国(USA)の誰かが、電気的な機械の、ガブリエル・クロンのテンサー分析の一線に沿って正しく考えており、そして軍事的な応用(兵器開発)が、それから可能だったのかも知れません!

ウィキペディアの記事における、ジョン・ヴォン・ニューマン博士の記述が同様に重要なのは、「ラインハルト博士」が、明かされている逸話における彼の役割を明かすためです:

「恐らく間違いなく話題に上がっているものである、ある提案の上で、ヴォン・ニューマンは、彼が述べている事が、今回の、または次の戦争についてなのかを、海軍の幹部によって尋ねられました・・・

「どちらであったにせよ、この提案について Albercht 博士に対して相談したのはヴォン・ニューマンで、そして海軍研究実験所(the Naval Research Laboratory/NRL)から、未来(その後)の協力(i.e. 予算提供)の示唆を会得した(説得した)のは、彼等の内のどちらかでした。⁶⁶ その提案は、何年も以前に、ソレノイド・クロノグラフ(the solenoid chronograph/電磁時計)の設計と実験の間に、(有名なアメリカ人の理論的で、実験的な物理学者である、ロバート・ハリントン・ケント、1886-1961年)物理学者、R.H. ケントによって発展させられたアイデアに部分的に重なりました。もしあなたが、ソレノイド・クロノグラフの原理について考えれば、あなたは何故、それ(電磁時計)との研究が、電磁的なフィールド(電磁場)の利用によって、ミサイルの(レーダー)探知と防衛についてのアイデアのあらゆる種類を示唆するのかを理解するでしょう。」⁶⁷

この時点においてモーアーは、「ラインハルトは明らかに、ソレノイド・クロノグラフとは何かを、私が知っていたと推測しました。私は知りませんでしたが、この時点における中断は必要が無いと判断しました」と、付け加えます。⁶⁸
_____
65 https://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Ladenburg
66 Dr. Albrecht は、「ラインハルト」によって使用された、もう一つの偽名です。
67 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 125.
68 Ibid.


ですが明らかに、モーアーが(ソレノイド・クロノグラフが何かを)全く見つけなかったのは、バーリッツとモーアーの著書の中でそれが再び記述される事が全く現れなかったためです。その問題のために追求すれば、ロバート・ハリントン・ケントの名前によって与えられた重大な手掛かりも、追及されませんでした。

ですから再び、それらの新たな手掛かりが端的に思考されるために、一時停止が必要です。ソレノイド・クロノグラフはそれらの証明の場(実験場)において、大砲の砲弾の正確性を試験し、証明するために、軍部の軍需品調達の部署(防衛庁/戦争庁)によって設計(開発)された機器です。それは、ソレノイド(電磁石)の特殊な種類以外のなにものでもなく - サーキット(回路)に対して接続された、ワイヤー(銅線)のコイルに通された棒磁石です。誰もが知っている様に、人がこれを行う時、電流が発生させられます。ソレノイド・クロノグラフは単純に、この原則の特殊な応用です。証明のために、大砲に込められる前に、投射物(砲弾)は、軽度に磁気化されます。その大砲はその後、それらのコイルの構成である「スクリーン(電磁幕)」の一連を通してそれ(砲弾)を発射し、それはその後、それら(電磁幕)を通った(砲弾の)通過と、その歪みの角度を測量(計算)されます。その様な細かい測定によって、大砲の正確性が多大な詳細に対して調整される事が出来ます。それは、この原則から、人がどの様に、それ(原理)を拡張し、十分に強い電磁的なフィールド(レーダー防衛)において、投射物(砲弾/ミサイル)が、その標的を完全に見失う程に歪められる(阻止される)かも知れないと言うアイデアに辿り着く一歩手前です。考え方を変えると、そのアイデアはまた、投射物の正確性に多大に影響するその様な方法において、大気自体の弾道の性質(空気抵抗 etc.)を変化させるために、その様なフィールドが利用される事が出来ると言う考え方の一線にいる、物理学者達や技術開発者達が考え出したでしょう。⁶⁹

ですが、ロバート・ハリントン・ケントは、(一体)何(誰)だったのでしょう?十分に興味深い事に、ケントは、「光を屈折させるために十分な、磁気的なフィールドを発生させるためのレゾナンス(共振/共鳴)の原理を利用した」アイデアと共に考え出したとされます。⁷⁰ 再び、それらは、アメリカ人の科学者達が、彼等の(ナチス)ドイツの対戦相手に対して敗けず劣らず、彼等に取って実用化が可能な限り、統一されたフィールド理論における、トーションの示唆の一連を全体として、真剣に受け取っていたと言う事です。
_____
69 注意深く読んでいる人達のために、これはもし同じでは無いにしても、アラスカにおける軍部のアンテナの設備(High Altitude Auroral Research Project)HAARP (ハープ)の背後に実際にあると幾らかが主張する原則に対する概念と類似しています。
70 Byron Weber, “The Philadelphia Experiment and Johnny von Neumann,” September 26, 2004, www.unexplained-mysteries.com/viewcolumn.php?id=21, p. 2. Q.v. also Berlitz and Moore, pp. 124-125.


そしてそれは、何か他のものの示唆で:1980年代早期の、ロナルド・レーガン大統領の「Strategic Defense Initiative (SDI)/戦略的な防衛計画/スターウォーズ計画」の演説の遥か以前に、第二次世界大戦のるつぼ(真っ只中)から実際に、アメリカの軍部は、大気中、または宇宙空間自体のどちらであれ、カモフラージュ(ステルス)とミサイル防衛の両方の方法として、その媒質(エーテル/プラズマ/イオン/光子 etc.)を「曲げて、そして捻る」ための方法のために、概念的で、そして科学技術的な土台(基礎)の研究を行っていました。私達が直ぐに目撃する様に、「ラインハルト」は最終的にこの結論を肯定しました。

「ラインハルト博士」からの次の告白は、爆弾発言です:

「それについて私が今、思い返すと、レゾナンスの原則の方法により、実験的な目的のために必要な、電磁的なフィールドを産出(発生)させるアイデアもまた、元々、ケントによって提案されたと、私は自信を持って感じます・・・私は、モデル化された実験(i.e. 実際の船では無くむしろ、小規模な模型を使用して行われた実験)に対する関連において、これについて当時、見解されていた幾つかのコンピュテーション(計算)を思い出します・・・私は、その後直ぐに海軍が「主導権を握った」と言う印象を持ちます・・・この計画に対してまた、その後のある時点において、「レーダーのフォイル化(ステルス)」が論議された可能性が高いと私は思います。私は何らかの会議に対する関係において、これを何となく思い出します。」⁷¹

「ラインハルト博士」は、第一部の中で検証された概念に協力証言し、つまり、その様な計画の全体的な概要を確立するにおいて、恐らく試験の水槽の中の、海軍の船の小規模な模型の幾つかを使用しながら、概念の実験の試験的な証明のために、ベンチマーク(基準値)が設定されたはずだと言う事です。更に加えて、「レーダーのフォイリング(包み覆う/ステルス)」がその実験の元々の設計概念の一部では無かった事を、ラインハルト博士が示唆する間、彼の告白のコンテキスト(文脈)は、後に行われた「何らかの会議」において、その計画の開始の直前に、概念的な土台へと含まれたことを示唆します。彼は未だ、その計画の目的として、光学的な不可視(肉眼には見えないステルス)は述べていません。

ですがこれは、その計画の本当の、元々の、概念的な目的が何であったのかの告白と共に、少々後に続きます:

「その始まりから、それは厳密に、攻撃的な脳力(性能)を創造する事における何らかの試みよりもむしろ、防衛的な-対策の種類の計画でした。その元々のアイデアは、船の周りに強力で電磁的なフィールドを創造する方法によって、接近してきている投射物、特に魚雷などを、その船から跳ね返す(遠ざける)ために、強力で電磁的なフィールドを利用する事が目的とされていた様です。
_____
71 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 126, emphasis added.

「これは、水中においてよりもむしろ、空中(大気中/宇宙)において、類似したフィールドの方法によって、光学的な不可視を産出するアイデアの研究を含む様に延長化されました。」⁷²

そしてそれは其処にありました(終に現れました):その元々の目的は、投射物(ミサイル/砲弾 etc.)の通常の弾道的な振る舞い(方向)を歪めるために、物理的な媒質(エーテル etc.)の上のフィールドの印象(効果)の方法による、投射物の反射でした。これは、「肉眼には見えない硬直性」に関するジェセップのアイデアに対してとても類似していたと、着目されるべきでしょう。更に加えて、その様なフィールドの創造には必然的に、大量の電力と、そしてそれ(フィールド/電磁幕)から結果している正確に計算されたインターフェロメトリー(干渉法)とレゾナンス効果を含んでいたでしょう。従って、「ラインハルト」が示唆する様に、その計画の概念的な土台の論議は、合理的に、そして必然的に、レーダーの反射と吸収(ステルス)と、究極的には光学的な不可視(肉眼に見えないステルス)のアイデアを含むために分岐したでしょう。接近してきている投射物の反射は、(1980年代の)ロナルド・レーガン大統領の「Strategic Defensive Initiative/SDI(スターウォーズ計画)」の、1940年代版です。

「ラインハルト」はその後、何か他のものを露呈します:

「Albrecht が行いたいと考えていたのは、望まれた「ミラージュ(かげろう/蜃気楼)」効果を得るために、光を十分に曲げる(屈折させる)フィールドの強さと、実用的な可能性を確認するために、十分に探し出す(研究する)事でした。その最終的な結果がどの様なものに成るか、彼等がアイデア(発想)を持っていたのかは、神のみぞ知る事でした。もし彼等が(考えを)持っていたなら、それはその場で終わっていたでしょう。ですが、勿論、彼等はそれ(考え/予測)を持っていませんでした(i.e. 方程式が正確ではありませんでした)。」⁷³

言い方を変えると、レーダーを屈折させる、または反射させるアイデアが、その計画における科学者達に一度起こると、光学的なスペクトルのを反射させる試みが同様に可能ではないかと言うアイデアが直ぐに続きました。加えて、しかしながら、「ラインハルト」は、「その最終的な結果がどの様なものに成るか、彼等がアイデアを持っていたのかは、神のみぞ知る事でした」と告白し、言葉を変えると、その実験が、ある時点において、全く予測されていなかった結果を達成したと言う事でした。その計画が究極的に達成したのは、事故的な(偶然の)発見でした。その最終的な結果は、予想外(のもの)でした。
_____
72 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 128, emphasis added.
73 Ibid., p. 130, emphasis added.


その後、「ラインハルト博士」は、船の上の大規模な実験の結果として起こるかも知れない明らかな副作用の幾つかを特定しようと試みている、科学者達の会議に出席しました:

「それらの中にある可能性があったのは、水の「沸騰」、周りの空気のイオン化、そして更に原子の「ゼーマン化(Zeemanizing/熱電流効果)」で;それらの全ては極度に不安定な状態を創造する傾向のあるものでした。この時点において、間次元的(interdimensional)な効果、または質量の消失(i.e. 反重力)を少しでも考慮する人は一人もいませんでした。」⁷⁴

「ラインハルト」は此処で、告白のその他の重要な一連を漏らします。それらの一つ目は、その実験の通常の副作用効果として科学者達が予測していたものに関連し:空気(大気)のイオン化、船の周りの水の「沸騰」、そして原子の熱電流効果でした。熱電流効果は単純に、原子的な分子と原子の、励起(excitation/加振/励磁/振動率)における分裂の誘導です。ですが(その)告白のその他の一連は、その実験の一つの予測されていなかった結果が、「間次元的」な効果、または質量消失の効果で、i.e. 反重力、または更に「テレポーテーション(瞬間移動)的」な効果だったと「ラインハルト」は明かしました。言い方を変えると、ラインハルトは、ある意味、はっきりと明言する事無く、その実験の衝撃的な詳細を明かした、または肯定しました。彼は、その達成された結果が、予測されたものを遥かに上回るものだったと示唆しました。それらは、その実験の元々の目的から、種類では無く、度合において異なったものでした。そして予測されていた副作用効果の一つ目の一連にとって、それらは、この章の後の中で目撃される様に、アレンデの手紙の描写に正確に一致しました。

最後に、「ラインハルト」は、2つのその他の物事を露呈します。その一つ目はつまり、それらの実験の幾つかが、マリーランド(州)の Bethesda に位置する、海軍のテイラー・モデル盆地において行われたと言う事でした。⁷⁵ 再び、ラインハルトが、その計画のベンチマーク(基準値)と段階の、私達の基本的な概要を肯定するのは、その概念の証明の(小規模な)実験が、そのモデル盆地の施設の極度に厳しいセキュリティー(安全保障/機密主義)において - 恐らく海軍のモデル・シップ(船の模型)を使用して - 行われたと彼が強く示唆するためです。

その最後の告白は、更にもっと興味深いもので:
_____
74 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 131, emphasis added.
75 Ibid., p. 132.


「例えば、実験のために、海軍の船を使用する事を私達に許す様に海軍を説得するよりも、実験のために、(民間の)商業船の上に(お金にものを言わせて)実験的な機器を積み込む事を私達に許すために、U.S.M.C. (米国海兵隊)の上に頼る方が私達により成功的だった、幾つもの例がありました。」⁷⁶

「ラインハルト」は、言葉を変えると、其処には1隻以上の船があり、それらは(民間の)商業船舶で、海軍とは全く関係が無かったと示唆しました!

G. The Thomas Townsend Brown Connection
G. トマス・タウンゼント・ブラウンの関連性     153


バーリッツとモーアーは、オルタナティヴ(独立的)な文献の中で、最も頻繁に、反重力の題材と共に関連させられたアメリカ人の物理学者:トマス・タウンゼント・ブラウンに対して検証した、一つの章を丸ごと(本に)含みます。フィラデルフィアの実験との関連における、このブラウンの関係に関して、オルタナティヴな(研究)コミュニティーの中で幾つかの物議が台頭し、幾らか(一方)は、バーリッツとモーアーの見解に同調し、そしてその他(もう一方)は、ブラウンのアイデアと、その(フィラデルフィアの)実験のための土台を形成した可能性のある、それらの概念的な土台の間には、殆ど物理学的な関連性が無いと主張しました。この筆者(ファレル博士)はそれに対して強く納得しているわけではありませんが、その後者の見解を取ります。しかしながら、バーリッツとモーアーのその実験についての、今ではクラシック(名作/典型的)な研究の私達の検証における一貫性と完全性のために、私達はブラウンについての素材(文献/情報)の彼等(バーリッツとモーアー)の体現(記述)を再検証し、そして彼(ブラウン)の研究のもっと最近の評価に関して、私達自身の観測の幾つかを提供しましょう。

ブラウンは、若かりし頃から、物理学における関心と好奇心をあらわにし、そして実際に彼が十代の間に、彼は X-線のチューブ(試験管)を発見(開発)し、そして彼が宇宙飛行の方法(i.e. EM - ドライブ[電磁-推進力])に成るかも知れないと考えたものを試験するために、一つの実験をデザイン(設計)しました。極度に敏感なバランスの上で、そのチューブを重ね合わせ、ブラウンは、X-線によって働かせられる、小さな力(作用)を彼が探知出来るかも知れないと考えました。しかしながら、彼がそのチューブをどの様な方向に配列させようとも、その様な作用は探知されませんでした。
_____
76 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 133.

トマス・タウンゼント・ブラウンの NICAP の写真。ブラウンは、この有名な UFO 研究団体の設立会員でした。
1 ttbrownport

彼が発見したものは、しかしながら、彼の人生の科学的な研究の生涯を没頭させた原則でした。「それにスイッチが入れられると毎回、その機器はあたかもそれが動こうと試みている – 何らかの「推進力(thrust)」である - それ自体の運動を、そのチューブは現す様でした!⁷⁷ 更なる調査の後、ブラウンは、その瞬間的(一時的)な運動を産出しているのは、高いヴォルテージ(電圧)であったと発見しました。⁷⁸ ブラウンは、彼の調査を拡張させました。彼は、「彼が期待を込めて『gravitor (重力器)』と呼ぶ事を選んだ」約1フットの長さで、4インチ四方の『煉瓦(の大きさ)』である機器を、ベークライト(bakelite/合成樹脂)から造りました。⁷⁹
_____
77 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 139.
78 Ibid.
79 Ibid.


100キロヴォルトの電力供給に接続された時、それは使用された分極性(polarity/ + か - )によって、その通常の重さの約1パーセントが、増えたり、減ったりしました。⁸⁰ 彼の研究の2、3の新聞の記事さえあり、そしてブラウンが未だに高校さえ卒業していなかった(話題性)にも拘らず、それに何らかの関心を示した科学者は一人もいませんでした。⁸¹

ブラウンは、1922年に、パサディーナの科学技術のカリフォルニア・インスティチュート(カル・テック大学)に入学し、そして其処で、ノーベル賞受賞者の、ロバート A. ミリカン博士の下で勉学しました。しかしながら、ブラウンは、彼の発見において、彼の教授達に関心を持たせる事に成功できず、故に1923年において彼は、オハイオ(州)の Gambier にある Kenyon カレッジに転校し、其処で彼は、アルバート・アインシュタインの物理学のクラス・メートだった、ポール・アルフレッド・ビーフェルド博士の下で研究しました。カリフォルニア(大学)の教授達とは異なり、ビーフェルドが、ブラウンの発見においてだけでは無く、彼の「グラヴィター(重力器)」の振る舞いのための、ブラウンの説明に純粋に関心を示したのは、ブラウンが、電磁力と重力の間の対化(カップリング)効果の何らかの種類が現れさせられているのではないかと推論したためでした。ビーフェルドは、それらの蓄電器(コンデンサー/キャパシター/グラヴィター)の「重さ(質量)の消失」、または反重力的な効果を試験するために、高いヴォルテージのキャパシターを使用した実験の一連をデザインする事において、彼の生徒(ブラウン)と協力する事を決断しました。⁸² 彼等は最終的に - 少なくとも短い期間の間 - ビーフェルド-ブラウン効果と呼ばれた作用を発見し、それはつまり、高度にチャージ(電荷/蓄電)されたキャパシターが、その + の極(陽極)に向かう運動を現す様だと言う事でした。⁸³

大学(生活)の後、ブラウンは、オハイオ(州)の Swazey 観測所(研究所)において4年間の(勤務)契約に署名し、其処で彼はまた、結婚もしました。その後、1930年において、彼はその観測所を離れ、「放射線、フィールド物理学、そしてスペクトロスコピー(分光学)における専門家」として、海軍研究実験所(NRL)の一員として加わりました。⁸⁴ 成行きとして、ブラウンとその(フィラデルフィアの)実験の間に大まかな関連性があるのは、その実験自体が体現されていた時に、物理学の同じ全体的な分野において海軍が行っていた研究に、彼が明らかに関係していたためです。
_____
80 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 140.
81 Ibid.
82 Ibid.
83 Ibid., p. 141.
84 Ibid.


Joseph P. Farrell - Secrets Of The Unified Field: The Philadelphia Experiment
ジョセフ P. ファレル博士 - 統一されたフィールド(場)の秘密:フィラデルフィアの実験

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