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バビロンの金融マフィア達: 第四章

第二部
寺院、星々、そして金融マフィア達


「・・・ですから、寺院は、神々だけに対してそれら自体の忠誠の義務を負い、当時の国際的なマネーの創造のためのフロント(ダミー会社)に成り、それがそうであったはずである様に、貴金属と奴隷達の売買に緊密に関連していました。」
- デーヴィッド・アストル、バビロニアの悲劇、25ページ。


第四章
寺院、型板、そして信託
深い関係の太古の根源


「知られている神々に対して神聖な、エジプトの寺院の幾つかが方向づけられた星々の決定は、私が予測した様に、その神話の一部の天文学的な土台の研究に、一つの道を開きました。」
- J. ノーマン・ロックイヤー²⁷⁵

「・・・バスティアットの簡潔な言語に入れると、社会は交換(取引)を意味し、そして交換はマネーを示唆します。」
- アレクサンダー・デル・マー
²⁷⁶

矛盾的に(奇妙にも)、人が歴史において遡れば遡る程、科学、魔術、そしてマネー(通貨)の間の関係は、より親密に成ります。多くの人達がこの関係についてコメントしましたが、それが示唆する物理学の一種のためのその重要性を理解した人は殆どいませんでした。この関係の本質と、それが示唆する共謀的な示唆は、太古のエジプトにおけるゴールドの採掘と奴隷制の関係を検証する事によって、最もはっきりと描写されます。ですが、その共謀の行いが目撃出来る様に、どうして、そしてどの様な方法で、始まったのかを理解するために、その始まりから始める事が大事です。最も早期の時代から、(米国の憲法を引用すると)「マネー(通貨)を造って発行し、その価値を操作する」権力は、国家、または更に太古の時代において、冠(王室)、または王の特権であると認識されていました。

著名な19世紀のアメリカの古銭学の学者、アレクサンダー・デル・マーが、相応しく述べた様に、「マネーを造幣する権利は常に、そして未だに、ソヴリンティー(主権)の確かな印しであり、主張です。」実際に、それが「ソヴリンティーの」確かな「印であり主張」なので、人はマネー(通貨)の法的な価値の創造と操作の関係性が、国家、または王室のソヴリンティー(主権)と共にだけとても複雑に関連しているだけでなく、最も太古の社会において、統治するためのその権力が、神(または、場合によっては、神々)のソヴリンティーから、必然的に派生したと知覚され、そしてマネー(通貨)発行の国家的な操作、(金銀の)採掘、そしてそれらの両方と宗教の間のこの複雑な関係性の最善の例は、太古のローマの共和国と帝国以外に見つけられないでしょう。

A. 寺院と信託
1.ローマのモデル

太古の時代のマネーとして – 確かにそれらのみではありませんでしたが - 主に、ゴールド、銅、銀、そして幾らかの場合には青銅さえも含む貴金属に潜在すると考えられ、国家がマネーを造幣し、発行し、その価値を統制する上でのそのソヴリンティー(主権)を維持するために必然的に続いたのは、それらの金属の採掘の上に厳しい操作を行わなければならないと言う事で:

「故にその様なマネーを安全にし、そして保つために必要な方法は、国家が銅の採掘場を独占し、銅における商業を統制し、偽造を防ぐために高度な芸術的価値の銅の硬貨(コイン)を造り、それらにその国家の印をスタンプし、国内的な契約、税金、罰金、そして借金の支払いのための単独の法的な代償(法貨)と定め、それらが構成された金属よりも、(それらのための統一的な需要と、それらの比較的な希少価値から)それらの価値が高く成るまで、それらの発行を制限し、そしてその国家の一貫的な政策としてその様な制限と過大評価を保つ事でした。外国との貿易、または外交のために、硬貨化されたものと、そうでないものの、ゴールドと銀が国庫において保たれる事が出来ました。

「この特徴の方法が、実際にローマの共和国によって使用された十分な証拠があり;そして、故にその様なものがそれに応用されたマネー(通貨)のシステムでした。銅の採掘場は、ローマの国家によって独占され、銅における商業(取引)は統制され、青銅性のヌムス(硬貨)がその国家によって発行され、それは、それらの製造において厳しく独占化され、そのデザインは素晴らしい美しさで、硬貨は「S.C.」、または ex senates consulta と刻印され・・・その硬貨の価値が、それらに含まれた金属の価値の約5倍に上昇するまで、それらの発行は制限され、そして彼等は安定的に、長い期間の間、この高い過大評価を保ちました。」²⁷⁸

故に、私達はその発端において3つの相互関連したアイデアを有します:

1. 法律によって確立された造幣とマネーの価値を調整する権力は、国家、または王室唯一の特権で、何らかの個人的なマネー、またはクレジット(信用貸し/借金)発行(i.e. 銀行)の独占では無く

2. それ自体としては「貴金属」の中に内在的な価値は無く、その様な価値は2つの方法によって、その様なマネーを国家が発行する事によって人工的に創造され:

a. 発行されたマネーの法的で金融的な価値が、硬貨自体の中の金属の内在的な価値を超えさせる、発行された貴金属のマネーの比較的な希少価値;そして、
b. 発行された硬貨に対して芸術的な装飾を創造する、または加える事によって、その価値は更に強化され;そして、

3. マネーの発行が、銅、銀、そしてゴールドの様な貴金属に関連していたので、その国家、または王室は、その様な金属の採掘と蓄積の上に、独占を保たなければなりませんでした。

a. ブリオンの信用(延べ棒の信託)と寺院

ですが古代ローマにおいて、更なる要素が機能していて、そしてデル・マー自身にそれが何かを明言させる事を許すのが最善で:「西洋におけるゴールドの優越的な価値は、法的な、そして、恐らく、聖職尊重的な法令の方法による創造だったと言う納得に抵抗するのは不可能である」と彼は明言します。この比率を固定する方法は、東洋に起因したものかも知れません。²⁷⁹ 言い換えると - その他の金属の定義において表現された - ゴールドの1単位毎の価値の特定の単位の比率においてゴールドの価値を(高く)固定するにおいて、究極の貴金属としてのゴールドの価値は、宗教的な法令を通して大々的に確立されていました。更に加えてデル・マーは、この実施が「オリエント」に起因したと示唆し、それが意味する事が出来るのは、ローマに関する限り、中東、または更に遠く東のインドでした。ですから人は此処で上述のリストに4番目の関連性を加えなければなりません:

4)ゴールドの価値は大々的に「聖職尊重的な法令」によって固定され、言葉を変えると、マネーの発行、その価値が、一方で、順を追って、ゴールドの1単位毎の比率によって定義される、貴金属の定義の法における価値の固定、そしてもう一方で宗教の間には、深く深遠な関連性があります。端的に、人はマネーの太古の概念と、宗教、または私がこの章の題名にした、「寺院」と「信用(信託)」の間の深い関連性の前にいます。

ですが何故、その様な関係を、金融的な物事の側において、信用(信託)などと一体呼ぶのでしょう?

デル・マーは、一見、西洋と東洋の社会の中における金融と金属の政策における違いを証明するだけの様に見える明言において、重要な手掛かりを供給します。「ペルシャ、アッシリア、エジプト、ギリシャ、そしてローマのそれぞれの政府は、ゴールドの価値を上昇させる事によって硬貨から利益を上げ、その間インド、中国、そして恐らく日本の政府は、銀の価値を保つ、または強調する事によってそれらの利益を上げました」と彼は明言します。²⁸⁰ 言い方を変えると西洋の社会 - エジプト、アッシリア(そして推測するにバビロニア)、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマは - その他の金属のより多くの単位へのその両替の定義において最も高い価値の金属としてゴールドを人工的に定義し、その間、対照的に東洋の政府 - インドと中国は - 真逆の政策を行い、その他の金属へのその両替の定義において銀を最も価値の高い金属にしました。故に、世界のそれらの2つの遠くの部分の間で取引(貿易)が可能で;その政策は特定の感覚において、その取引の必然的な成り行きでした。しかしながら、より詳細な検証は隠れたプレーヤー(関係者)達を明かし、その様な取引が必然的に国際的な商人階級を台頭させ、それは、更に加えて、完成された商品よりも移動させる事がより簡単な金属であり、そしてその様な商品と何処においても交換出来る、正にそれらの貴金属における取引(売買)によって財を成しました。端的に、最も早期の時代から創造されたものは、「ブリオン(延べ棒)の売買人達」の国際的で商業的な階級、または私達が現在呼ぶように、金融マフィア達でした。重要な問いが此処で起こります:その様な政府の政策と貿易の成り行きとしてその様な階級が台頭したのよりもむしろ、その真逆が真実である可能性は無いでしょうか?彼等の権力と財力を強めるであろう政策を、世界の様々な地域において、それらの政策を創造した、「国際的なブリオンの売買人達」のその様な階級が(事前に)存在していた可能性は無いでしょうか?もしそうであれば、彼等はこれをどの様に指揮し、達成したのでしょう?

その問いに対する答えは、この本の残っている章の中で私達を飲み込みますが、それに答えるために、私達は再びもう一度、西洋の文化:ギリシャ、エジプト、メソポタミアの文明、そしてローマにおけるゴールドと銀の価値の異例的な固定を見直さなければなりません。何故 - 銀より簡単でより安価に採掘出来るゴールドが - 銀よりも遥かに高く、貴重とされたのでしょうか?

デル・マーは既にその答えを示唆し;それが何故なら、ある意味、ゴールドは神聖であると考えられ、神々の特別な管轄区の下とされたためです:

「ゴールド、または金貨に帰属させられた聖職尊重的な特徴は(ローマの皇帝)ジュリアン(ユリウス)的な憲法の特徴では無く;むしろそれは太古の神話の新たな政治的な利用でした・・・類似した信仰は、共和国時代を除いた古代ギリシャ人達の中にも見つけられ、硬貨鋳造(ちゅうぞう)は、神官達の監督の下で、寺院において行われました。それらの発行の際にスタンプされたのは象徴と国家宗教で、そして神官階級だけが、彼等自身の創造である硬貨鋳造のそれらの神秘性を正確に描写できたので - 少なくともより貴重な硬貨において - 当然、彼等の秩序の特権に成りました。」²⁸¹

ですがこれは、それが解決するのと同じ数の問いを派生させます。例えば、デル・マーは、マネー(通貨)の発行とその価値の統制は太古の社会によって明らかに国家、または王室に帰属させられた特権と鮮明に示唆しました。ですが、此処で彼は一つの貴金属に限っては、その通貨の発行の特権は国家、または王室よりも、宗教的な独占であったと認めます。

加えて、西洋と東洋の間の金融的な政策における違いは、長期的に「ブリオンの売買人達の国際的な階級」の台頭に貢献するだけでなく、その様な政策の創造さえもがまた、その国際的な延長におけるその階級の事前存在と、そして西洋と東洋の政府のそれぞれの政策を操作するその能力によるものかも知れないと、既に示唆されました。そしてそれぞれの政策を操作する能力に限って、少なくとも西洋文化の中のゴールドの高度な聖職尊重性に関して、これがまた示唆するのは、それらの宗教を操作する能力です。簡潔に述べると:ブリオンの信用(延べ棒の信託/神託)と寺院は、最小限において連合で、そして最大限において、一方によって侵入され乗っ取られたもう一方です。またはデル・マーの適切な観測の下で、その表面のすぐ下の意味と重要性を共にしてはらまされた様に見えるもので、ゴールドの神聖さは、「新たに政治的に利用された太古の神話」でした。²⁸²

b. 興味深い接線:ビザンチウム、宗教、そしてマネーの力

一方で、国家、または王室の、そしてもう一方で宗教の、マネー(通貨)を発行している特権の間のこの関連性の強さへの興味深い一見は、その権力と影響力が、中世の時代にキリスト教のヨーロッパ全体を通して、変化し続けるその国境を遥かに超えて延長された、東ローマ、またはビザンチン帝国によって提供されます。その権力と影響力が正にこの関係の強さによるもので、キリスト教の中世の時代の文化的な想像力の上のその掌握だったのは、「神聖な特権」の彼等の全ての主張のために、(西)ローマの教皇達でさえ、マネーを造り、発行し、そしてその価値を統制する能力を含む、彼等の権力を理解していませんでした。その特権は、コンスタンティノープル(イスタンブール)の(東)ローマ皇帝と共にあると理解されました。正に「人々がキリスト教徒に成った瞬間、またはローマのヒエラルキーに征服された、もしくは操作の下にもたらされた瞬間に、ゴールドの採掘場が見捨てられ始め、閉鎖された」事に着目し²⁸³、様々な古銭学の学者達は、色々な不満足な説明を長きに渡り提唱してきました。ですが、デル・マーはこう明言します、

「その様な無駄な説明の全ては、キリスト教世界の全体を通したビザンチンの金貨の一般的な使用によって効果的に答えられます。イングランドにおいて、例えば、中世の時代に関連した財務省の巻物がマドックスによって照合され、ゴールドのベザント(ビザンチンの金貨)において毎日支払われ²⁸⁴、そして金貨は、銀貨と比較されると、今日においてよりも一般的だったと証明されました。もし、イングランドの金貨を造るために金属が必要とされているなら、それは十分な量で直ぐに手に入れられました。必要だった全てはベザンツ(ベザントの複数形)をイングランドの溶解のるつぼの中へと投げ入れる事だけでした。ゴールドの硬貨が統一的に認識されたソヴリンティー(主権)の印だった時、そしてまた、その利益が100%だった時、バシレウス(ローマ帝国君主)²⁸⁵が、キリスト教圏の王子達のために硬貨鋳造を意志する限り、金貨の硬貨鋳造を望んだキリスト教圏の王子達が500年間もの間、一人もいなかったと言う馬鹿げた提案は、答える価値が殆どありません・・・

「何故、ゴールドのマネーが常に使用されていたのに、中世の帝国の王子達によって、決して硬貨鋳造されなかったのかの真の理由は・・・ペイガン(此処ではキリスト教以前の異教)のローマのヒエラルキー的な憲法に関連し、それはその後、変更と共に、キリスト教ローマの憲法に成りました。この憲法の下で、そしてユリウスからアレクシスの時代までゴールドの採掘と硬貨鋳造は、主権教皇の室に対して帰属された特権で、そして故に、ローマの憲法とローマの宗教(国教)の条項の一つでした。」²⁸⁶

故に、1204年においてコンスタンティノープルを攻撃し(i.e. 第四次十字軍遠征)、成功的に占領したラテンの十字軍以前に、その出来事の前に彼自身の金貨を硬貨鋳造したキリスト教圏の王子は一人もいませんでしたが、その後においては、全員がそうしました。²⁸⁷ そして故に、1204年におけるキリスト教の東の上の、キリスト教の西による攻撃のための隠された動機が明かされます:それはローマ憲法の下で、ゴールドのマネーを硬貨鋳造の、法的な権威を得るためでした。それ以後は、通貨発行の特権は、ヨーロッパのより(身分の)低い冠をつけられた君主達へと退化しました。その時点以前は、しかしながら、その他のあらゆる(金貨の硬貨鋳造)通貨を与える事は神聖冒涜だったので;故に、太古の帝国が生き残っている限り、一人のキリスト教圏の王子も、(西)ローマの教皇さえも、更に西洋、または中世の「帝国」のソヴリン(主権者/王)も、金貨の硬貨鋳造を試みませんでした。」²⁸⁸その様なマネーは正に文字通り「異端的なマネー」として見解されました。²⁸⁹

故に、中世の時代の間の、錬金術との、中世の西洋ヨーロッパの冠をつけられた君主達の夢中さのためのもう一つの可能な説明を私達は有します。²⁹⁰錬金術の主張は、勿論、卑金属をゴールドへと変格出来ると言う事です。故に、偽の硬貨と思われる事の出来ない、ゴールドのベザントのイミテーション(偽)の貨幣を使い、それらはゴールドにおいて誰にも流通されておらず、硬貨鋳造もされていないので、それらをゴールドへと変格する事によって、ビザンチンのマネー(通貨)独占の周りでエンド・ラン(奇襲)が達成される事が出来ました。

2.エジプトのモデル:採掘、奴隷制、傭兵達、そして示唆

a. ヌービアとエジプト

今の処まで、その関連性は、マネー(通貨)を硬貨鋳造している国家の特権(貨幣制度)、国際的な「ブリオン(延べ棒)の売買人達の信用(信託)、寺院、そして更に錬金術の間を現し、歴史における更に昔へと無情にも人を至らせ、そして(古代)エジプトによって体現された、それらの間の更にもっと親密な関係に至らせます。国際的なブリオンの売買人達の信用の邪悪な概要が台頭し始め、そしてその寺院との深い拘わりだけでなく、その寺院と、そしてマネーが前兆した、より深い物理学を、人が、よりはっきりと目撃し始めるのは此処においてです。エジプトがまた、もう一つの理由のために重要なのは、その時代のその他の国々と文明においてもまた起こっていた関係である、ブリオンの信用と寺院の関係の象徴でもあったためです。

エジプトは太古の世界において、恐らく、最大級のゴールドの採掘と、生産をしていた国家でした。その理由は単純で、アレクサンダー・デル・マーが記述した様に、「ゴールドは、赤道から第一カタラクトまで、ナイル川の支流の殆ど全ての地域で見つけられました。」²⁹¹ ですが、現代のエジプト南部とスーダンとの国境線の地域であったヌービア以上に、ゴールドの採掘に関連していた地域はありませんでした。ヌービアと言う名称自体も「Nob または Nub がゴールドを象徴するエジプト語の起源の様に現れ、故に Nubia、ゴールドの地でした。」²⁹² ヌービアの山の麓の小丘にあるのは、膨大な石と砂の砂漠の拡張で、氾濫の季節には無数の流れと小峡谷で覆われます。この地域はビシャリー、またはビシャラとして知られる、大ヌービア砂漠です。²⁹³ デル・マーはこう記述します:

「インドのアルタイ山脈の採掘場を除いて、エジプトのビシャリー採掘場は恐らく世界最古のもので;エジプト人達のインド起源、そしてゴールドの取得のために代表的な国々によって行われた遠距離の調査と侵略の見解において、エジプトの採掘場の発見と、アジア的な民族による、その国の元々の定住の間に親密な関係が存在していたとするのは、全く不可能では無い様に現れます。」²⁹⁴

ビシャリー採掘場は、太古の時代においてとても豊かで、それらを詳細に見るには価値があるのは、浮き上がるパターンの始まりを私達が識別出来るのは、より詳細な検証においてであるためです。

b. クオーツ(水晶)、ゴールド、そして奴隷制

ビシャリー採掘場は、上述された様に、太古において知られている最も古いものの一つで、そして最も大規模な一つです。加えて、その採掘場は、その他のゴールドの採掘場の様に、クオーツのそれらの豊富な堆積のために知られています:

「年代測定が混乱している処で、推測が許されるなら、紀元前29世紀から39世紀まで、様々に帰属されたメネスの時代程早くから、ビシャリーの採掘場が採掘されていた様に現れるのは;その王、または法制定者の時代において、ナイル川が堤防されていて、この川とその周りの環境の特徴から、堤防は採掘が土砂と共に、その水を積み過ぎにするまで(埋めるまで)必要では無かったためです。

「それらの採掘場の推定された古さは、メネスの時代においてでさえ、インドにおいてゴールドがマネーとして使用され事実;メネスがインド人の征服者であり法制定者で;インドのマノウのコード(法律)が今でも現存し、そして紀元前15世紀から31世紀まで様々に帰属させられ、明らかに、今は失われていますが、更にもっと古い法律から再編成されたもので;インドとエジプトの間の商業は、歴史において記述された最も古い時代から存在し、または考古学的な遺物から実証され;インドへのエジプト人達の遠征は、紀元前2000年のセソストリスに帰属され、そしてその他の考慮から補佐を派生させます。

「これがどうであれ、ビシャリー採掘場は、第十二王朝までの昔までクオーツのために採掘された事が知られており、レプシウスはこれを紀元前2830年の時代に帰属させます。クオーツは、そのプレーサー(砂鉱床)が最小限の実践的な金属の量を含んでいない限り、決して手が加えられないと、全ての採掘者達によって理解されていた事実から、そして - 大規模なプレーサーの堆積は、エジプトにおいて奴隷の手作業で採掘され - イタリア、スペイン、そしてブラジルの経験から判断すると、ビシャリーの採掘場は、第十二王朝のファラオ(神官王)達の下でクオーツが採掘された時、少なくとも200年は経っていました。」²⁹⁵

私達が進む際に、大きく、大きく浮かび上がる2つの新たな要素の存在に着目して下さい:最初に、貴重、または半-貴重な石(宝石)で、この場合クオーツで、そしてその様な採掘場の奴隷達による労働です。

c. ディオドルス・シキュルスとビシャラ採掘場

太古のブリオンの売買人達のマインドとメンタリティー、そして何故それらと、それらの活動がとても頻繁に寺院に関連させられているのかへの、私達の最初の重要な手掛かりを与えるのは、ビシャリー採掘場における奴隷達の存在です。それは詳細な検証を必要とし、それは古典的な著者、ディオドルス・シキュルスによって与えられます。デル・マーは、ディオドルスが、紀元前50年において、その採掘場を訪れたと記述します。その訪問の後、彼は、その採掘場の彼の印象を記録しました:

「エジプト国内と、その近隣諸国にはゴールドの採掘場で満たされた地域があり、其処で、多くの労働者達の苦しみと痛みと共に、多くのゴールドが掘られました。その土は自然的に黒いですが、その大地の本体の中には、光る金属のあらゆる種と共に輝いている、キラキラした白いクオーツの多くの鉱脈があり、その外で監督者達として任命された者達が、膨大な数の人達の肉体労働によって、ゴールドを掘らせます。エジプトの王達が、悪名高い犯罪者達、戦争捕虜、偽りの行いで訴えたれた人達、そして王を怒らせた人達だけでなく、後者の家族と親戚一同を、それらの採掘場へと運命づけるためです。それらは懲罰として、または彼等の労働によって王の利益と資産が増大させられるために、この労働へと送り込まれます。

「故にそれらの採掘場へと無数の数が投げ入れられ、全ては足かせをはめられ、昼夜を問わず労働させられ、そしてとても厳しく周りを囲まれているので、彼等の逃亡に結果する可能性は全くありません。彼等は、様々な野蛮な国々の傭兵達によって監視され、彼等(傭兵達)の言語は、彼等(奴隷達)にとって、そしてお互いにとって外国語で、ですから共謀を形成する方法も、彼等の監視に据えられた者に賄賂を贈る方法も全くありません。彼等は、頻繁に彼等を酷く打つ棒を持った監督者達によって、絶え間ない労働へと保たれます。それらの可哀想な生き物達の体への心配は全く成されず;彼等は、彼等の裸を覆う一切れ(の布)も与えられておらず;そして彼等を見た者が誰であれ、彼等の憂鬱と哀れな状況に同情せずにいられないのは、彼等が病気であれ、怪我をしていても、そして障碍者でさえ、労働からの休息も一時的な休憩も、彼等には許されないためです。老年の弱さも、女性の柔弱さも、労働から誰も免除せず、それに対して全ては、彼等の耐え切れない肉体労働の途中に、彼等のみじめさの耐え切れない重しによって、多くが倒れて死ぬまで、打撃とこん棒によって推進されます。全ての望みを奪われ、それらのみじめな生き物達は、毎日がその前日よりも悪い事を予測して、そして彼等の苦しみを終わらせるために死を望みます。」²⁹⁶

その文章が、あらゆるまっとうな人間を、その採掘場で労働する事を運命づけられた可哀想でみじめな人達のための同情と哀れみへと同感させますが、注目されるべき2つの物事があります。

最初に、ビシャリーの採掘場の古さと、エジプトの社会と文化の安定性を与えられると、その採掘場における状況は、それらが採掘された数世紀を通して変化しなかったと推測する事が妥当でしょう。故に、第二に、その採掘場の傭兵の警備達の国際的な分遣隊は、数世紀まで遡る実施であったかも知れません。その様な国際的な分遣隊のための理由をディオドルスは明らかにし:それは、奴隷化された人達が逃亡するために、警護達の十分な分遣隊に賄賂を贈るあらゆる機会を与えないためでした。

ですが傭兵達は他の何かをシグナルするかも知れず、そしてそれはエジプトの王達とその様な大規模で共通点の無い傭兵達のグループを供給する事が出来る何者かの間の特定の共謀です。簡潔に云うと、傭兵の警護の分遣隊がかすかに示唆しているのは国際的なマネーの権力の存在です。ですが示唆は、未だ証明ではありません。

d. マネー(通貨)、王達、寺院と偽造詐欺師達

しかしながら、ビシャリーの採掘場における傭兵達の利用において、単なる偶然以上の何かが拘わっていたと言う、もう一つの示唆があります。もう一つの手がかりは、貴金属のマネー(通貨)の発行を共にした太古の寺院の広く広まった関連性の中にあります:

「古代の中国とインドと同時に早期のギリシャの硬貨は、頻繁にエンブレムと共に印され、それは前者の場合、宗教的であると推測され、その後者の場合、宗教的であったと知られていました。硬貨鋳造局は寺院の中で、そして神官(i.e. 官僚)達は、治金術の秘密を独占した、または独占しようと試みました。この習慣は、硬貨鋳造の利益を収穫する神官階級の金銭欲、または偽造詐欺を妨げるため、またはそれをより極悪にするための、ソヴリン(主権者/王)による心配のどちらかから派生したのでしょう。²⁹⁷

この事実、プラス、ビシャリーにおける傭兵達の国際的な分遣隊の事実は、此処で問いの重要な一連を収集しました:

1. 特にもし、デル・マーが認め、そして私達が既に検証した様に、マネー(通貨)の発行と価値の統制の特権が、単一的に国家、または王の特権だったなら、何故、太古の硬貨造幣は寺院の中だったのでしょう?その答えの一部は、勿論、太古の文化の殆ど、特に中東のそれらにおいて、王が実際に主任、または高神官で、そして神官階級自体が国家官僚制度の機能を満たした事実にあります。そうであってもその問いは残ったままで、何故マネーの発行を寺院と共に関連させたのでしょう?

2. 中国、インド、そしてギリシャの様なとても遠く離れた文化におけるこの関係の広く広まった実施自体が説明されなければなりません。それは、再び、単に太古の社会における神官階級を共にした王室の特権との親密な関係にあるのか、それともその他の何かがあり、恐らく、ビシャリーにおける国際的な傭兵達の分遣隊の存在によってシグナルされている何か、なのでしょうか?

私達は既に、ゴールドと銀の価値決定の統制におけるローマの東洋に相対した奇妙な政策を示唆し、その様に影響された国家間の共謀の特定の量を示唆し、その様な政策の国際的な調整の共謀を示唆しました。此処で、私達はビシャリーの採掘場において、様々な文化からの傭兵達の存在においてその様な国際的な共謀の、更にもう一つの示唆を見つけます。その問いは、すると、誰がそれを行っていて、何故だったのでしょう?

その答えの一部はデル・マーによって成された以下の観測によって示唆されます:

「エジプト人達は・・・太古のあらゆる特定の時代に採掘されたと知られる最も大規模で産出的なゴールドの採掘場を有し・・・インド人達も含み、彼等もまたそれからマネーを造る事が出来る素材をその他の国々に対して供給しました。」²⁹⁸

これが、私達が此処で、国際的なブリオンの売買人達の陰謀の存在の中にいる事実の最も確かな明言なのは、何故インドがマネーの発行のために、エジプトのゴールドが必用なのか?と言う問いのためです。何故、インドの王達と王子達は、それ(インド)が豊富に所有していた、その他の何らかの商品に基づいた、その他の何らかのマネーを発行し、法律によるその受け入れを必要にする事が出来なかったのでしょう?彼等の特権はその様なものでした。ですから何故、ゴールドの輸入に頼ったのでしょう?取引(貿易)の国際的に認識された媒体が必用だったと言う論説が地に落ちるのは、既に記述された様に、(古代)ローマ時代の中国とインドは、ゴールドよりも高い価値の銀を好み、その間西洋はその真逆を好んだためです。更に加えて、外交的な同意と条約によって、様々な国家の指導者達によって、取引のその他のメカニズムが同意される事が可能でした。

何であれ、私達は此処で、太古の時代における国際的なマネーの権力、または私達が彼等をそう呼んだ様に、「ブリオンの売買人達」の存在の可能性を示す3つのはっきりとした種類の証拠を収集しました:

1. 東洋に相対したローマの異例的なブリオンの政策で、その政策は銀とゴールドのブリオンの比較的な価値決定に関してそれぞれからの実質的な正反対でした。その様な相互的な政策は、勿論、両方の場所において活動の基盤を共にした国際的なマネーの権力に高度に利益的なのは、東洋にゴールドを移動し銀に両替する事によって其処から手数料を収穫し、そしてその後、西洋に銀をもたらしゴールドに両替する事によって、膨大な利益が蓄積される事が出来る為です;
訳者注:多分、東洋に銀を移動し、大量のゴールドに両替し、そのゴールドを西洋で大量の銀に両替すると言う事の繰り返しによる蓄積の意味だと思います。)

2. 中東から、中国とインドまでの、殆ど統一的な硬貨鋳造との寺院の関連性で;そして、

3. 順を追って、奴隷達と戦争捕虜達によって労働された採掘場である、ビシャリーにおける太古の最大級のゴールドの採掘場の一つにおける様々な国々と国家からの傭兵達の国際的な分遣隊の存在でした。


しかしながら、硬貨鋳造とマネーの発行の他に、太古の時代における寺院のはっきりと異なった関連性がありました・・・

B. 寺院と型板(テンプレート):天文学、占星学、そしてマネーの錬金術

1.寺院と星々

・・・その関連性は時間とその測量と共にで、端的に、占星学と天文学と共にでした。

今日、勿論、太古の寺院と巨石の遺跡が、あれやこれの天文学的な出来事、または配置/配列:春分/秋分、夏至/冬至や、歳差運動等々に対して配置/配列されていると、広く受け入れられています。シュメールやバビロニアの様な社会と文明は、彼等の観測の何千もの粘土板の記録を文字通り残したために、彼等の優れた天文学と占星学の技術のために良く知られています。ですが19世紀における比較的に最近まで、英国の天文学者 J. ノーマン・ロックイヤーが、最も太古の時代からエジプトの寺院においてもまた真実であったと実証するまで、エジプトはこのルールからの例外とされていました。ロックイヤーの著書天文学の夜明け:寺院信仰と太古のエジプト人達の神話は、今日まで続くサイクルを始め、アンドリュー・コリンズ、グラハム・ハンコックそしてロバート・ブヴァルの様なオルタナティヴなエジプト学者達が、殆どの人達が古代エジプトと関連させる:ギザのピラミッドと寺院の天文学的な配置と配列を実証しています。人は故にロックイヤーを、最初の近代的な「原始物理学者」の一人として見解出来るかも知れず、i.e. 太古の神話を真剣に検証し、そしてそれらから根底にある科学的な土台を再構築しようと試みている近代の科学者です。²⁹⁹

ロックイヤーは、太古の文明の天文学的、そして占星学的な記録は、知られている古代の殆ど正にその端まで遡ると記述します:

「私達は、エジプトにおいて、様々な著者達によって異なりますが、6,000年前から7,000年前の時代まで遡ります。バビロニアにおいて記述された粘土板は、間違いなく5,000年前の時代の薄暗い過去へと私達を運びますが;前兆の粘土板と呼ばれるものは、この期間の数千年前の、日食/月食とその他の天文学的な現象のための観測が行われた事を示唆します。中国とインドにおいて、私達は明らかに4,000年以上前まで戻ります。」³⁰⁰

実際に、バビロンの場合、もし人が「前兆の粘土板」の主張を真剣に受け取ると、それらの観測は数百万年の間せっせと収集されたデータベースを構成します!³⁰¹

様々なエジプトの寺院と様々な神々との関連性、そしてその後者の様々な天体との関連性を解読しながら、ロックイヤーは彼の著書の終わりに向かって、彼の主要なテーゼを明言し、それを彼の「研究中の論説」と呼びました:

1. 未だに一見されていない最初の文明は、その寺院の建物に限って、エジプト北部において、アンヌ、またはへリオポリス(太陽の街)によって代表され、北極星の信仰を融合させた、非-春分/秋分的な太陽信仰を伴った文明でした(注:古代のエジプトは1年を3つの季節で区切った)。

2. メンフィス(恐らくサイス、ブバスティス、タニス、そして東と西の壁を共にしたその他の街々もまた)、そしてグレート・ピラミッドは、新たに侵略してきた民族によって建造され、天文学的な思考における先進を体現していました。北方の星々が、恐らく子午線上(絶頂点)の上で信仰され、そして東から上昇している星がそれぞれの昼夜平分時(i.e. 春分/秋分)において信仰されました。


3. エジプトの歴史におけるその後の期間は、それらとその他の民族の間の戦争と共に関連させられ、それは南から強化されたアンヌの昔からの信仰の代表達の勝利に終わり、あたかも春分/秋分的な信仰に対して、北極星と南極星の信仰が融合されたかの様でした。

それらの戦争の後、東と西のピラミッドの建造は実質的に終わり、メンフィスは第二都市に成り、そしてアンヌ南部のテーベが、太陽信仰とシット(セット?)のカルトの形状に関して、第十二王朝の首都としてその場面に台頭しました。

4. その後の歴史的な出来事は大々的に、北東から侵略してきた民族(i.e. ヒクソス族)との戦争でした。その侵略者達は東と西の壁を共にした街々に彼等自身を確立させ、そしてそれぞれの機会において、テーベにおいて(第十八と第二十五)王朝を創始した夏至/冬至的な信仰者達によって追い出されました。³⁰²

それらの結論に辿り着くためにロックイヤーが表した長文の論議には、私達は触れませんが、唯一着目してもらいたいのは、エジプトにおけるその様々な戦争が - 寺院の配置/配列の、ロックイヤーの天文学的な前提が与えられると - それらが宗教についてであるのと同じ位、特定の感覚において、物理学についてです。バビロニアの寺院が、様々な神々と天体に関連させられていた事はよく知られていて、ロックイヤーが主張した様に、エジプトでも同様であった事が実証された事実が与えられると、私達は此処で、寺院が、未だに知られざる理由のために、天体的な配置/配列と、ブリオンに基づいたマネー(通貨)の硬貨鋳造と発行に、親密に関連されていた奇妙な事実に注目します。

その関連性のための一つの可能な理由は、しかしながら、よく知られた宇宙の異例の研究者、リチャード C. ホーグランドによって提案されます。私達はロックイヤーによって観測された奇妙な事実に着目する事によって、ホーグランドの明言に接近出来るかも知れません:「・・・下エジプトにおいて、寺院は地平線の北の地点の近くで昇っている星々に向けられ、または南西において低く沈んで行っている星々に向けられました。上エジプトにおいて私達が主に扱うのは、南東において昇っている星々、または南西において沈んで行っている星々に向けられた寺院です。」³⁰³ とても多くの太古の寺院が、それらの占星学的な配置/配列を通して星々との深遠な関係で、そしてまた、それらの寺院との両替師達の顕著な関係を通した国際的な銀行業の両方の証拠を現す事実は - 恐らくそれら(古代の文明)がそれから派生した、とても高度な文明の遺産として - それらの古典的(古代の)文明は、銀行業と占星学の彼等の婚姻(融合)を通して、物理学、経済学、そして金融を統一した、失われた科学の遠い記憶を保存したのかも知れません。

ホーグランドは、国連における説明の間の、火星の異例の証拠の彼の講義の間、1992年において、観測の以下の興味深い一連を行いました:

「または、太陽をとってみましょう。過去数年の間、科学者達は、『水素爆弾の連鎖』の一種である、その原子核融合反応のために、太陽の中心から来ているとされる原子核粒子を探してきました。ですが、過去20年において、モデルが予測するよりも遥かに少ないそれらの粒子しか見つけられず;実際に、原則的な粒子を測量するための実験を最近、開始へともたらしたソヴィエト達と日本人達は、一つも見つけられませんでした。私達の太陽系の正に中心にある、その周りをこのシステムにおける全ての世界(各惑星)が軌道する、この信じられない程燃え盛るガスのボール(太陽)が、実際にもう一つの源泉から燃料(エネルギー供給)されているのは可能でしょうか?・・・さて、これは、注目に値する可能性を開き、それは、この惑星上の私達の文化、そしてそれらの太陽への注目を私達が振り返ってみると、その他の者達もまた気付いたかも知れません。

「私達が夜空における星々を見た時、私達は連鎖させられ閉じ込められた水素爆弾など見ているのではなく、私達はもう一つの次元へのポータル(出入り口)を見ているのです。そしてポータルは、それを通して私達が、もう一方の側(異次元)からの物理学の破片を覗き見て、一見出来る、白熱している窓(太陽)です。何が驚きかと言うと、あなたがその隠喩を取り、空において最も明るい星であるシリウスのためのヒエログリフ(象形文字)の中の実際のエジプト人達の描写を、あなたが戻って読んだ時、その描写はシリウスが扉の道であると言う事です。さて、彼等は何を知っていたのでしょう?彼等は何を知っていたのでしょう?

さて、二十世紀のエジプト学者として、または近代の人類学者として、もしくは人と考古学の歴史を見ているあらゆる学者として、それを見ると、明らかな答えは:『彼等は何も知らなかった。それは全て未熟な迷信だ』でしょう。・・・(ですが)私達は今、エジプト人達が、その他の(古代人達の)中で、火星の人工構造物によって今、私達に与えられた、外接された幾何学の背後の物理学によってどうにかして外接された、夜空と現実の全てを深遠に気付いていた事を強く示唆する特定的で数学的な結びつきと共に支える事が出来ます。そしてそれは勿論、述べる事の可能な驚きの明言です。

ですがもう一つあるのは、何故なら私達がその部分を理解した後に - その効能の、その可能性の - 思考がその後起こり、もし実際に太陽がもう一つの次元への「ゲート(門)」なら、そして私達が見る(その)エネルギーが、単なるより高いレベルの力、またはエネルギーの、より低いレベルへの変換、または行程なら、その様な行程を地球上で利用し、そして実際の超越-次元的な科学技術を創造する事が可能かも知れません。人は何を出来るのでしょうか?・・・」³⁰⁴

何を、実際に、太古のエジプト、そして示唆によって、その他の太古の文化の全ては、星々との神々、または「より高い知性」、そしてその他の次元との、彼等の絶え間無い、そして一貫的な関連と共に、知っていたのでしょう?彼等の占星学的な没頭の背後には、実際に、より深い物理学が存在したのでしょうか?そしてその物理学と共に、人は何が出来たのでしょうか?ホーグランドはまた、何か他のものも示唆し、つまりそれは、「神聖な幾何学」に対する太古の固執と、その様な幾何学を体現する遺跡上の様々な寺院と建物の配置/配列との物理学的な関係があると言う事で、この場合において火星でした。そして何故それらの寺院と共に不変的に関連した両替師達を、人は見つけるのでしょう?一つの答えは、ロックイヤーによってヒントされます。

2.文化間のパンテオン(万神殿)における奇妙な類似性

ロックイヤーは、私達の目的に関連した、更にもう一つの適切な観測を行います。その重要性を理解するために、人が唯一考えなければならないのは - エジプト、またはメソポタミアにおいてであれ - もし寺院が様々な神々と共に関連させられ、そして様々な神々が、順を追って、様々な天体と共に関連させられているなら、一言でいうと、根底にある天文学的なデータは同じなので、すると様々な文明のパンテオンの間には多大な平行線があるはずです。これは、人が実際に見る事実であると彼は観測します。エジプトの神アンヌ、またはアンと、バビロニアのアヌの間には、奇妙な平行線があります。³⁰⁵ もっと要点を言うと、占星学的-天文学的な読解において、その神々はお互いへと混ざり合います。例えば、メソポタミアのエリドゥの街の主神は、エア、別名エンキ、別名オアネスで、「山羊-魚として象徴されました。」³⁰⁶ このエア、またはエンキは、「ある意味アサリと共に関連させられた」息子、タムズを授かり、その名前(アサリ)は疑わしくもエジプトのオシリスに類似しているとロックイヤーは記述します。³⁰⁷ その神タムズは、順を追って、究極的に、悪名高い程殺害的な神、カルデアにおけるネルガルに成ります。³⁰⁸ ネルガルは、類似した天文学的な転向によって、最終的に、実際にバビロン自体の「春の太陽、マルドュック」に成ります。³⁰⁹ 言い換えると、それらの変形とパンテオン的な平行線の背後に潜んでいるのは、エンキとのネルガルとマルドュック、そしてタムズを介したエジプトのオシリスとの関連性です。その様なパンテオン(万神殿)的な平行線は、再びもう一度、ロックイヤーが表す様に、もしその神々自身が、様々な天体に関連させられているのなら必然的です。天界のパターンは、言うなれば、それと共に特定の神々と、彼等の活動が関連させられた型板(テンプレート/枠組み)を形成しました。

しかしながら、私達が此処で有するのは、占星学と天文学だけでなく、マネー(通貨)発行と、そして故に採掘との寺院の親密な関係の事実が与えられ、そして私達がまた見ているのは太古の国際的な「ブリオンの売買人達」の力の内密で巧妙な活動かも知れないと言う3つの指標を私達が発見した事を与えられると、パンテオンの類似性は唯の天文学的な原因以外のものかも知れません。それは実際に、太古の時代における延長と影響力において国際的であるあらゆる現れを有する存在によって、意図的に操作された産物かも知れません。ですが、何の目的のためでしょうか?その問いに対する答えは、探求されるための神々、ゴールド、そして寺院の更なる関連性があるので、残念ながら次の章まで待たなければなりません。

3.ゴールド、神々、そして宝石

その他の関連性は、貴重、そして半-貴重な宝石を共にしたものです。それは奇妙な事実で、研究者のジョージ・フレデリック・クンツはこう記述しました:

「人間の歴史の最も早期の時代から、宝石と貴重な石は、多大な尊重において保たれました。それらは先史時代の人々の遺跡からも発見されており、ファラオ達の、インカ達、またはモンテズマ達の文明は、自然の宝石の小箱からのそれらの素晴らしい物事に、それらの内在的な性質の単なる示唆を超えた重要性と共に授けました。」³¹⁰

ですが何故、「それらの内在的な性質」を超えた重要性を、その様な物に与えたのでしょう?一つの答えは、太古の時代からの占星学とのそれらのよく知られた関連の中にあるかも知れません:

「過ぎ去った時代のマギ、賢者達、預言者/千里眼達、占星学者達は、私達が殆ど忘れ去ってしまう様に成った、宝石の素材の中に多くを見出しました。彼等にとって宝石は、それ自体に特徴的な天体との引き寄せ合い、特定の徳(性質)との親密な関連性、そして1年の季節とのゾディアック的な一致を有しました。更に加えてそれらの早期の賢者達は、人の出生における宝石の影響力を固く信じ – 正しいお守り的で出生的な、ゾディアック的な宝石(i.e. 誕生石)を身にまとう事によって、世界の邪悪の汚染から、子供が正しく保護される様に保つ事が出来ると信じました。」³¹¹

つまり、それらは、天界的な配置/配列、天体、そしてゾディアックのハウスと関連されていたので、とても文字通りに、太古の見解において、それらの天体の配置/配列の影響力を引き寄せる(または防護する!)と言う事です。その根底にある原因は何なのでしょう?

それらの問いに対する答えを、太古の文献と大書の中で人が調査しようとも³¹²、人は常に手ぶらで帰り、それがそうであると言う生々しい丸裸の主張にしか出会えず、恐らくたまに何故そうなのかの - 通常、納得しかねる - 説明の試みに出会うだけです。クンツは更に、ルネッサンス期の間に「その伝統的な信念のための、何らかの種の理由を見つけるための努力が行われた」と記述します。³¹³ 彼は、最終的に、科学自体がその理由を示唆する、または、むしろ、それらを再発見するだろうと、提案する事を避けるわけでもありません。³¹⁴

a. 宝石と関連させられた伝統的な力

この関連性のための推理的で科学的な件は、この章の後まで横に置いといて、それらの主張された力と、太古の昔話によってそれらに帰属させられた徳の幾つかを私達はカタログしてみましょう。それらに対して帰属させられた、殆ど統一的な性質の一つは、様々な病気や疾患を治癒する能力です。³¹⁵ 頻繁にそれらは、それらの様々な色と、比較的な輝きに対して特定的に関連させられています。³¹⁶ 一つの場合において、ヒンドゥーの伝統は、ダイアモンドを「インドラの武器」としてさえ描写します。³¹⁷ シュメールの伝統において、「愛」と「憎しみ」、またはシュメール語で文字通り、「非-愛」の石が存在します。³¹⁸ そして、私の著書、宇宙戦争の読者が知る様に、シュメールのエピックの一つ、ニヌルタのエピックは、身の毛のよだつ戦争の後に没収された幾つもの異例的な石の少々つまらない目録の記録以外の何ものでも無く、私達がこの本を開始した想像的なシナリオの面影です!³¹⁹

そしてより詳細な注目が相応しい、宝石に対して帰属させられた力の、幾つかの多少特別な場合さえあります。

(1)特別な場合、第一:不可視

クンツは、此処において記述する価値がある、トマス・ニコルズの1659年の約定、「忠誠な宝石細工」からの文章を引用します。ニコルズは、宝石の評判され、推測された力の典型的なリストに数字をつける事によって始めます:

Perfectionem effectus contineri in causa. ですが、宝石細工師達によって、人々を金持ちで雄弁にし、雷と稲妻、流行病と病気から人々を救い、夢を動かし、眠りを確かにし、来るであろう物事を伝え、人々を賢明にし、記憶を強化し、誇りを確かにし、魅惑と魔術を邪魔し、怠けを邪魔し、人々に勇気を与え、人々を貞節に保ち、友情を増幅させ、無関心と不満を邪魔すると言われる宝石と貴重な石の効果は、正にその様に語られる事は出来ません・・・」

これは大体、基準的なリストで、それらの占星学的な関連性が与えられると、占星学の予測的な性質が、宝石と関連させられるのは妥当で、「来る物事を伝える」力の帰属さえ、人は理解する事が可能です。ですがその後、少々異例的な明言が続きます:

「・・・そしてアルベルタスとその他によって主張された様に、人々を不可視にし・・・そして多くのその他の奇妙な物事が彼等によって主張され、そしてそれらに帰属させられ、それは宝石の本質に対照的です。」³²⁰

不可視の能力を与える事を超えて、宝石に帰属させられたその他の「奇妙な物事」が一体何だったのだろうか、人は不思議に思うでしょう!

幾らかの石が不可視の能力を与える事が出来ると言う信念は、ダイアモンドがその着用者を不可視にすると主張した、14世紀の錬金術師、ピエール・デ・ボニフェイスによってもエコーされています。³²¹ 一人の錬金術師がそれらの主張をしている事を与えられ、殆どの錬金術師達が、彼等の実技が機能するためには、特定の時において彼等の実技を行われなければならないと主張した、よく確立された事実を与えられると、人はこの機能が唯一、特定の時に、特定の状態の下(i.e. 惑星の特定の配置/配列によって左右される)で起こる事が出来ると、推理的な結論を引き出すにおいて肯定化されるかも知れません。

(2)特別な場合、第二:磁気的な浮遊、または反-重力

更にもっと驚きの主張が、1709年のウイーンの出版と、ヴァレンティーニによる追随した文書、「Museum museorum oder die vollständige Schau-Bühne」によって成され、1714年にフランクフルト –am-Main において出版された不透明な文献で:

「1709年においてウイーンで出版された奇妙な印刷物に追随した文書によると、珊瑚-メノウと呼ばれるものの引き寄せる性質は、ブラジル人の神父の発明である空中船において利用されました。その空中船の中で操縦席に座った操縦士頭の上には、大きな珊瑚-メノウが接続された鉄製の回路があります。それらは、太陽の光線の熱を通してその石が磁気的な力を得た時に、その船を引き上げる(浮上させる)において助けに成ると予測されます。その主要な浮上の力は、2つの金属製の球体の中に覆われた強力な磁石によって供給され;どの様にその磁石自体が浮上させられるのかは、説明されていません。」³²²

此処において、不透明な理由が何であれ、珊瑚-メノウは、太陽の光線への露出を共にした連動において、磁石の効力をどうにかして増大させると考えられたのは明らかです!

(3)特別な場合、第三:光を吸収し、そして派生させる石

ブラジルのダイアモンドの奇妙な性質との関連において、更にもっと重大で特別な場合がクンツによって記述されます:

「太陽光、または人工的な光を吸収し、そしてその後、暗闇の中で発光する力は、特定のダイアモンドによってのみ、所有されています。ブラジルの石はそれらが頻繁に呼ばれる様に少々、ミルク色、または青白い色合いで、そして発光するのはダイアモンド自体では無く、それに含まれた実質です。ウィレマイト(珪酸亜鉛鉱)、クンザイト(鉱物リシア輝石)、スフェィルライト(亜鉛の硫酸塩)、そしてその他の幾つかのミネラルがその同じ力を有します。それらの奇妙な性質は少量のマンガン、またはウラニウム塩の幾らかの存在によるものかも知れません。それらのダイアモンドによってその様に吸収されたのは紫外線のみであると言う事は、太陽光、または人工的な光とそのダイアモンドの間にガラスの薄い板が設置された時、ガラスがそれらの光線によって通過されない様に、その現象が観測可能では無い事実によって供給されます・・・

「もう一方で全てのダイアモンドは、ラジウム、ポロニウム、またはアクチニウムの光線に露出された時、ガラスが中間に設置されていても発光します。ダイアモンドにおける発光性の幾つかの要素を扱い、サー・ウイリアム・クルックスはこう述べます:

真空において、高い電流に露出されると、ダイアモンドは異なった色で発光し、南アフリカのダイアモンドの殆どは、青っぽい光と共に発光します。その他の地域からのダイアモンドは、眩しい青、アプリコット色、薄い青、赤、黄色っぽい緑、オレンジ、そして薄い緑の光を発します。最も発光性のダイアモンドは、太陽の下で蛍光性のものです。私のコレクションの中にある一つの美しい緑色のダイアモンドが、完全な真空の中で発光している時、ろうそくと同等の光を放ち、そしてあなたは簡単にその光線によって読書する事が出来ます。ですが、ダイアモンドが家庭用の照明として使用される時代はまだ来ていません!」³²³

これは少々興味深いクルックスによるコメントなのは、太古のエジプト人達がどの様にして、彼等の(真っ暗な)寺院の中で見る事が出来たのか、考古学者達を長きに渡り困惑させてきたためです。もし人が、彼等(古代人達)が電気、またはその他の発光性の源泉を知っていて、利用したのかも知れないと仮定すると、すると彼等は恐らく、ダイアモンド、またはその他の石のこの性質を発見していたのでしょうか?

この問いの答えにおいて、クンツは興味深い観測を行います:

「ギリシャ語の古い約定は、その題名の中で『寺院の聖域』から由来し、部分的にエジプト起源の素材を含んでいると述べ、発光性の宝石の目視によって(無知な)一般の人々に印象を与えるために寺院の神官(官僚)によって使用された何らかの行程を私達が理解する手助けに成るかも知れません。その約定の著者は『夜において光るざくろ石』を産出するために、その内臓、うろこ、そして骨が、発光性の現象をみせる海洋動物の特定の部位(彼は「胆汁」と呼びます)の使用が成されました。もし正しく扱われれば宝石(好ましくはざくろ石)は夜においてとても明るく光り、『その様な石を持っている人は彼が日の光によって行える様に、その光によって読み書きが出来ます。』」³²⁴

この主張の源泉が、太古のギリシャの錬金術的な文献から由来する事に着目して下さい。そして錬金術は、勿論、不変的にエジプトとその寺院と関連しました。私達は、すると、その様な性質が太古のエジプトの神官階級にもし知られていたなら、それが彼等の最も内密に守られた秘密の一つだったと、妥当に推理出来るかも知れません。

b. 宝石、ゾディアック、そしてヘブライの高神官のエフォッド、または胸の板(前掛け)

西洋の文化における貴重な宝石との寺院と宗教の、恐らく最も親しみのある関連性は、旧約聖書の中で描写されたヘブライの高神官のエフォッド、または胸の板で、ですからこの章が完結する前に一時停止して、ユダヤ的な昔話における胸の板の様々な関連性を検証するには価値があります。ラビ(祭司)的な伝説の中で「4つの貴重な石が、神によってソロモン王に与えられ:それらの一つはエメラルドだったとされます。その4つの石の所有は、全ての創造の上の力を、その王に与えたと言われます」と、クンツは観測します。³²⁵ そのエメラルドに加えてそれら(の石)が何であったにせよ、これは、それらの石の力のための、少々息を奪う様な明言です。

私の著書、宇宙戦争の中で、私はシュメールの「運命のタブレット(板状のもの)」のための類似した主張を記述し、それらの所有者達には「宇宙の力の全て」が与えられるとされ、それらを高度に貴重な科学技術にし、様々なシュメールの神々によって - 奪い合いの戦争が - 戦われました。³²⁶ 此処において私達は、もっと後の時代の、そして異なった文化からの類似した主張に出くわします。ソロモンは、勿論、彼の伝説的な英知と富だけのために知られているのでは無く、素晴らしい寺院の建設にもまた、関連させられています。

もしその様な石が存在していたとして、その有名なヘブライの王が、神官的な胸の板、またはエフォッドの王族版を着用していたのは可能で、王によって着用されるための - メソポタミアの占星学の7つの惑星(日月火水木金土)のそれぞれを一つずつ現した - 7つの宝石によって構成された胸の板のアッシリア版が存在するためです:

呪文と様々な魔術的な機能のためのフォーミュラを与えているアッシリアの文献の中に、お守りとして王の胸の上に着用されるための、7つの素晴らしい石に構成された装飾具を扱うものがあり;実際にそれらの石の徳はとても大きく、それらはまた神々のための装飾具を構成するとされます:

「呪文。素晴らしい石よ!素晴らしい石よ!豊穣と喜びの石。

「神々の血肉のためにきらびやかにされた。

フラリニ石、シルガルル石、フラル石、サンドゥ石、ウクヌ石。

ドゥシュウ石、貴重な石エルメシュ、天界的な美において完璧。

ピングがゴールドの中にはめられる/ゴールドにおいて設定される石。

「装飾具として王の輝く胸の上に着用される。

アザグスド、ベル(ブ-エル/バアル)の高-神官よ、それらを輝かせ、それらをきらめかせよ!

「住処から邪悪なものを立ち去らせよ!」³²⁷

アッシリアの高神官に対して言及され、それらの石を輝かせ、きらめかせさせる事が、彼に熱心に勧められ、エジプトの寺院の神官達が、宝石を発光性にする秘密を知っていただけでなく、メソポタミアの神官達もまた、知っていたと示唆している事に慎重に着目して下さい。

類似した胸の板はバビロンと、更にタイアーの王からもまた関連させられています。³²⁸ ですから、ヘブライの高-神官の胸の板はどうなのでしょう?此処には、豊富なラビ的、そして更にはムスリム的伝統があります。その高神官の胸の板の12の石は最初に、「楽園の門を守る」12人の天使達に関連させられます。³²⁹ ユダヤ人の歴史家、フラヴィウス・ジョセフスは、更に加えて、高神官の衣装がまた、肩の上で発光性の石と共に結ばれる伝統を記録します。³³⁰ 更に加えて、その胸の板の12個の石のそれぞれは、12支族の名前のそれぞれと共に刻まれました。³³¹ ジョセフスは更にそのエフォッドの12個の石と1年の12か月³³² と関連させると同時に、ゾディアックにも関連させました。³³³ 中世の時代に成るとユダヤ的な伝統は、以下の一致において12支族とゾディアックのサイン(星座)にはっきりと関連させました:

ジュダ     牡羊座
イサッカル   牡牛座
ゼブルン    双子座
リューベン   蟹座
シメオン    獅子座
ガド      乙女座
エフライム   天秤座
マナセ     蠍座
ベンジャミン  射手座
ダン      山羊座
ナフタリ    水瓶座
アシェル    魚座³³⁴

その胸の板は、契約のアーク(箱)の様に、西暦70年におけるローマ軍によるエルサレム陥落の後に、歴史から消える様に現れる、ユダヤの寺院からの歴史的で宗教的な力の物体の一つです。そのエフォッドは、その貴重な宝石と共に何処に行ったのでしょう?

クンツの答えは、長文で引用する価値があります:

「その寺院の財宝は、ローマへと持ち去られ、そして私達はジョセフスから、その胸の板が、ヴェスパシアンによって建てられた調和の寺院に保管された事を学びます。C.W. キング牧師は、西暦410年にヴィジゴス族の王、アラリックによって、ローマが略奪された時に、この財宝が確保されたのは不可能では無いと考えますが、此処においては、(西暦)455年に、ジェンセリックの下のヴァンダル族によってローマが略奪された時だと信じられます。しかしながら、「ユダヤ人達の入れ物は」(西暦)534年におけるベリサリウスのヴァンダル族の勝利の機会に、コンスタンティノープル(イスタンブール)の通りを通って運ばれたと言う、プロコピウスのはっきりとした明言は、ヴァンダル族がその胸の板とその宝石の所有を確保したと言う推測の確認として取られるかも知れません。

しかしながら、プロコピウスはその胸の板を何処にも記述せず、そして「ユダヤ人達の入れ物」に、それが必ずしも含まれていたわけでは無い事が注意深く記述されなければなりません。ベリサリウスの略奪のこの一部は、ジャスティニアン(4830565)によって、聖ソフィア教会の聖具室に置かれた様に現れます。幾らかの時間の後に、その皇帝は、特定のユダヤ人が、その寺院の財宝がエルサレムに返還されるまで、それらは、それらが保管されたあらゆる場所の上に不幸をもたらすであろうと言っていた事を耳に入れたと言われます。もしこの話が真実なら、ジャスティニアンは(西)ローマ(帝国)の運命が彼に対する教訓で、そしてコンスタンティノープル(東ローマ)は、その様な大災害から救われなければならないと感じたのかも知れません。その様な考慮によって動かされ、彼はその「神聖な入れ物」をエルサレムへと送り、そしてそれらは、神聖な墓の教会に保管されたと言われます。

「これは、その神秘的な12個の宝石と共に関連した可能性のある最後の2つの出来事へと、私達をもたらし - つまり、(西暦)615年におけるササニアのペルシャの王、Khusrau 2世によるエルサレムの占領と略奪、そして637年におけるモハメッド派(イスラム)のアラブ人達によるササニア帝国の転覆と Ctesiphon の占領と略奪です。西暦70年におけるエルサレムの陥落の後のその胸の板の宝石の歴史を辿るために熱心に努力したキング(牧師)は、それらが未だに『昔のペルシャの首都の一つの何らかの知られざる財宝室の中に埋まっている』かも知れないと信じますが、もし私達が、その寺院の神聖な遺物を Khusrau が彼と共にペルシャへと持ち去ったと受け入れるなら、それらがアラブの侵略者達によって確保された略奪の中に含まれていたと、私達は妥当に考えられるでしょう。

「その胸の板の石の運命に関した推測の海に出た者達によって一般的に見過ごされる事実は、ササニアのペルシャがエルサレムを占領した勢力の一部を形成した、約2万6千名に届く、大きなユダヤ人達の分遣隊だった事で、そして彼等は、その侵略者達によって確保された宝石のあらゆるユダヤの入れ物に対して主張したかも知れない事です。この場合でも、しかしながら、モハメッド派達が Ctesiphon を占領したのと同じ年に、彼等がエルサレムを占領した際に、それらの貴重な遺物が彼等の手に落ちたのは、未だに可能でしょう。」³³⁵

アークと胸の板が、ヴァンダル族とヴィジゴス族の手の中で西に到着したと信じる全ての者達とは対照的に、クンツが正解なのは、東ローマ帝国をその方程式へと注入する事によって、彼は明らかに、もし人が、昔のユダヤの寺院の財宝のありかを発見する事を望むなら、「西よりもむしろ、東を見なさい」と述べているためです。³³⁶

C. まとめ

この章の中で、関係と示唆の、以下の集まりが表されました:

1. 太古の時代における国際的なマネーの権力の存在、そして金融的な取引(交換)の媒体として、貴金属のブリオンへの信頼への、少なくとも3つの別々の、そして重要な手掛かりがあり:

a. 東洋に相対したローマの異例的なブリオンの政策で、そのそれぞれの政策は、銀とゴールドのブリオンの比較的な価値の決定に関してお互いからの実質的な正反対でした。その様な相互的な政策は、勿論、両方の地に活動の土台を共にする国際的なマネーの権力に高度に利益的なのは、ゴールドを東に移動する事によって、そしてそれを銀に変換し、其処から手数料を取り、そしてその後、銀を西に移動し、そして再びゴールドに変換する事によって、膨大な富が蓄積される事が出来る為で;
(第四章 A の訳者注参照。)

b. 中東から中国とインドまでの、ほぼ統一的な寺院と硬貨鋳造の関係で;そして、

c. 奴隷達と戦争捕虜達によって労働された採掘場である、太古における最大級の採掘場の一つ、ビシャリーにおける様々な国々と国家からの、国際的な傭兵達の分遣隊の存在でした。

2. 寺院との硬貨鋳造とマネー(通貨)の発行、そして故に採掘活動との関係に加えて、それらの寺院はまた、占星学と天文学とも関連していて;

3. 加えて、占星学と天文学は、順を追って、貴重な宝石と関連していて、そのそれぞれの種が、様々な惑星とそれらの影響力に関連されていて;

4. 中東のパンテオン(万神殿)の様々な神々は、彼等が一つの段階において、天体として解読される事が出来るので、平行線で、つまり、様々なパンテオン自体が、それらの類似した天文学的な派生物であるために注目すべき平行線を見せると言う事です。この地点において重要な問いが示唆されました:

a. 様々なパンテオンの平行性は、それらの天文学的な派生だけによるものでは無く、全ての国々における寺院と関連していた様に現れるその国際的なブリオンの売買人達の階級と、幾つかの国々においてその(階級の)優位性のためにブリオンの政策に影響していた活動のためだった可能性は無いでしょうか?

b. もしそうなら、すると、寺院における占星学の実施とのそれらの関係のための、より深い理由はあるでしょうか?もしあるならば、するとそれは何だったのでしょう?そしてこの全てと貴重な宝石の間の関連は何だったのでしょう?


c. それらの宝石は、順を追って、古代人達によって、そして秘儀的な伝統において特定の力を持つとされ;それらの中に私達は以下を記述し:

i) それらは治癒するための力を有し;

ii) それらは未来を予測する力を有し;

iii) それらは特定の状況の下で発光する事が可能で、そしてこれは恐らく、様々な文明における寺院の神官階級によって内密に保たれた秘密で;

iv) それらは不可視を与え;

v) それらは浮遊の力を与え;

vi) ソロモンの場合、特定の石が創造の上の力を与えました。

私達は故に複雑な流動性の前に有り、それの理解を成す事は簡単ではありませんが、私達がこの問題を扱う事が出来る前に、私達は、この太古の「国際ブリオン売買人達」の活動を、更に詳細に検証する事によってもっとデータを収集しなければならないのは、それらの活動が共通の糸と手掛かりを明かすためで:錬金術です。
_____
275 J. Norman Lockyear, The Dawn of Astronomy: A Study of Temple Worship and Mythology of the Ancient Egyptians (Dover Publications, 2006), p. xvi.
276 Alexander Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present (Kessinger Publications, reprint of the George Bell and Sons edition, 1885), p. 15.
277 Alexander Del Mar, History of Monetary Systems (Honolulu: University Press of the Pacific, 2000), p. 66.
278 Alexander Del Mar, A History of Monetary Systems, pp. 21-22.
279 Ibid., p. 87, emphasis added.
280 Alexander Del Mar, History of Monetary Systems, p. 89.
281 Alexander Del Mar, History of Monetary Systems, pp. 80, 81, emphasis added.
282 Alexander Del Mar, History of Monetary Systems, p. 80.
283 Ibid., p. 72.
284 Besant: the unit of money of the Eastern Roman or Byzantine Empire.
285 バシレウス:ギリシャ語の βασιλευς から、「王」を意味しています。コンスタンティノープル(東ローマ)の皇帝の公式な照合は βασιλευς Ροµαιων または、「ローマ人達の王/皇帝」でした。より早期の文献の中で βασιλευς Ροµαιων と言う用語はラテン語の用語 Imperator Romanorum, ローマ人達の皇帝を翻訳するために使用されました。ビザンチンの帝国的で憲法的な実施は、「共同-皇帝」、または カエザル (καισηρ 、または「カイザー」を認識する事が可能で、頻繁にそうしましたが、「ローマ人達の皇帝」と言う用語は、コンスタンティノープルの主権的な住人のために、排他的に使用されました。この殆ど知られていない事実のための、正しい解釈のために、Fr. John Romanides の、 Franks, Feudalism, and Doctrine を参照して下さい。
286 Alexander Del Mar, History of Monetary Systems, pp. 72-73.
287 Ibid., p. 70.
288 Alexander Del Mar, History of Monetary Systems, p. 75.
289 Ibid.
290 For more on this subject, see my The Philosophers’ Stone (Feral House, 2009), chapters one and two.
291 Alexander Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present (Kessinger Publications, reprint of the George Bell and Sons edition, London, 1885), p. 133.
292 Alexander Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present, p. 131.
293 Ibid., pp. 131-132.
294 Ibid., p. 138. デル・マーのインドからのエジプトの派生の可能性は、それ自体の幾つかのコメントの価値があります。これは、デル・マーに関して限って、亜大陸から中東、そしてその後のヨーロッパへの、アーリアの人々の大規模な移民の構成要素を形成します。ですがデル・マーがこの移民-拡張のために与える動機は、殆どのものよりも少々異なり:「とても遠くの日付において、私達は人々の集合体 – リディア人達、フィリジア人達、フェニキア人達、ギリシャ人達、そしてアーリア民族に帰属するその他を見つけ - ゴールド、銀、そして銅の探求において、原住的なヨーロッパの野生の広がりへと、全ての方角において押し出ました。」(p. 126).言い換えると、その移民は、金融的な思考によって推進されていました。
295 Alexander Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present, pp. 138-139, emphasis added.
296 Diodorus Siculus, The Historical Library of Diodorus the Sicilian, trans. G. Booth, London, 1814, cited in Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present, p. 141, emphasis added.
297 Alexander Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present, pp. 11-12.
298 Alexander Del Mar, A History of Money in Ancient Countries from the Earliest Times to the Present, p. 143, emphasis added.
299 私は、更にもっと先進的で失われた物理学の要素を再構築する試みにおける、それらの近代の科学的な類推のために、太古の文献のモニュメントを検証するためのこの努力に言及するために、私のギザの死の星三部作の本の中で「原始物理学」と言う用語を造語しました。この検証は、エジプト、メソポタミア、インダス峡谷、そして中国の太古の古典的な文明は、それら以前の文明の退化した遺産で、それよりも以前にとても先進的でとても高度な文明が、その昔存在していたと言う仮定からの、方法論的な推測として派生しました。ロックイヤーの手の中でその様な推測は成されず、ですから彼の努力はその失われた科学の再構築を試みません。
300 J. Norman Lockyear, The Dawn of Astronomy: A Study of the Temple Worship and Mythology of the Ancient Egyptians (Dover, 2006), p. 2, emphasis added. 私はその他の本に、エジプトとバビロンにおける天文学的な観測の古さについて記述しました。 q.v. my The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts (Adventures Unlimited Press, 2007), pp. 241-243.
301 See my The Cosmic War, p. 241.
302 Lockyear, The Dawn of Astronomy, pp. 330-331.
303 J. Norman Lockyear, The Dawn of Astronomy: A Study of Temple Worship and Mythology of the Ancient Egyptians (Mineola, New York: Dover Publications, Inc., 2006), p. 341.
304 Richard C. Hoagland, DVD of Hoagland’s Mars: Vol. 2: The United Nations Briefing: (UFO TV), at 37:13-40:01 in the presentation. Hoagland made his remarks at the U.N. in February 1992, emphasis added.
305 Lockyear, The Dawn of Astronomy, p. 363.
306 Ibid., p. 372.
307 Ibid.
308 Ibid.
309 Ibid., p. 373.
310 George Frederick Kunz, The Curious Lore of Precious Stones (Dover, 1971), p. 1, emphasis added.
311 Ibid.
312 Kunz draws upon several sources, from ancient and Hindu (The Curious Lore of Precious Stones, pp. 13-14), to mediaeval (pp. 14-15), Hermetic (p. 16), and even Christian patristic sources (p. 16).
313 Ibid, pp. 1-2.
314 Ibid., p. 2.
315 Ibid., pp. 6, 28.
316 Ibid., p. 28.
317 Ibid., p. 343.
318 Ibid., p. 35.
319 Farrell, The Cosmic War, pp. 204-233.
320 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, p. 7, emphasis added.
321 Ibid., p. 72. 加えて、アラブとペルシャの著者達が、ダイアモンドがまた、無敵さを与える事が出来ると信じたとクンツは記述します。
322 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, pp. 52-53.
323 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, pp. 171-172, emphasis added. これが、クルックスによる少々興味深いコメントなのは、考古学者達が長くに渡り古代のエジプト人達がどの様にして、彼等の寺院の内部で見る事が出来たのかに頭を悩ませてきたためです。もし人が、彼等が電気の使用をしていたかも知れないと言う仮定を受け入れるなら、すると彼等は恐らくこのダイアモンドの特質を発見していたのでしょうか?またはその様な知識は、エジプトに与えられたもう一つの遺産だったのでしょうか?
324 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, pp. 173-174, citing Collection des anciens alchemists grecs,” ed. M. Berthelot, trans. (Paris, 1887, 1888), pp. 336-338, 351-352.
325 Ibid., p. 78, citing Weil, Biblische Legenden, p. 225.
326 Q.v. my The Cosmic War, pp. 204-232.
327 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, p. 230, citing Fossey, La Magie Assyrienne (Paris, 1902), p. 301, emphasis added.
328 Ibid., p. 231.
329 Ibid., pp. 275-276.
330 Ibid., p. 277.
331 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, pp. 277-278.
332 Ibid., p. 309
333 Ibid., p. 310.
334 Ibid., p. 314. クンツはまた、12の装飾に構成されている胸の板の着用はヘブライとエジプトに特徴的であると記述し:「エジプト的な起源が探されるべきなのは最も可能性が高いでしょう。メンフィスの高神官によって着用された胸の装飾は、エジプトのレリーフにおいて刻まれており12の小さなボール、または十字によって構成され、エジプトの象形文字の体現を意図されていました。それらの姿が宝石からカットされたかは判断不能で、ヘブライの装飾との唯一の間違いない関連性はその姿の数で;これは共通の起源を示唆しますが証明は出来ません。そのモニュメントは、第四王朝、または紀元前約4000年までの早期より、メンフィスの高神官がこの装飾を着用しているのを描写しています。 (p. 282) クンツはまた、バビロニアの(ヘブライの)奴隷化の後に第二の胸の板が造られた可能性が高いと記述します。(p. 280)その胸の板の12の石と、12支族と、ゾディアックの12の星座のヘブライの関連性が、バビロニアの占星学との没頭、 そして宝石との天体とそれらの影響力の関連性に刺激を受けた可能性はあるでしょう。
335 Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, pp. 283-285, emphasis added.
336 これに関する重要な考慮は、ローマ自体のローマ人の統治を再建する事を彼の意図的で、意識的な目的にした皇帝ジャスティニアンが、彼の優れた軍事的な指導者、ベリサリウスを通して、西ローマから彼等が奪った全ての財宝をヴァンダル族から返却させる事を果たした可能性が最も高いでしょう。



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