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トランスヒューマニズム


TRANSHUMANISM
トランスヒューマニズム

1 Transhumanism

TRANSHUMANISM
トランスヒューマニズム

A Grimoire of Alchemical Agendas
錬金術的な目的の魔導書(グリモア)


Dr. Joseph P. Farrell & Dr. Scott D. de Hart
ジョセフ P. ファレル博士 & スコット D. デ・ハート博士著
http://e.bookzz.org/g/Joseph%20Farrell

「『何故、愛は魔法使い達(Magus/magiの複数形)と呼ばれたのですか?』と、シンポジウムの上のコメントの中でフィチーノは尋ねます。『何故なら魔法(Magic)の力(作用)の全てが、愛における構成であるためです。

「『魔法の働きは、自然的な類似/相似による一つのものの、もう一つに対する特定の引き寄せです。この世界の(それぞれの)部分は、一種の動物の一員達の様に、一つの愛の上に全て依存し、そして自然的な親交(communion)によって一緒(一つ)に関連されています・・・(相互)関係のこの集合体(community)から共同的(communal)愛が生れ:それから一緒/一つに引き寄せる共通(common)の愛が生れ:そしてこれが真の魔法(Magic)です。 』」

フランシス A. イェーツのジョルダーノ・ブルーノとヘルメス的な伝統、127ページに引用されたフィチーノの Commentarium in Convivium Platonis de amore、oratio VI, cap. 10, 1348ページより。

「・・・知られているのは、膨大でとても奇妙な海(宇宙)に浮かんでいる小さな島です。

「私達は疑心の種を刈り取りましょう。私達はフランシス・ベーコンの助言を受け入れ、そしてその世界の上にパターンを押し付けるために急ぐ事から自制しましょう。私達は、より深いパターンが台頭するために、私達の肩においてキーツと共に待ちましょう。

「科学は確実ではありません。それは、あらゆるその他と同様に、人々が、彼等自身の最も深い部分において信じる事を欲するもの(信仰)を体現している神話です。」

マーク・ブース、秘密結社によって断言された、世界の秘密裡の歴史、405ページ。

TABLE OF CONTENTS
目次


Epigraph
碑文     v
Dedication
献呈の辞     vii

PART ONE
第一部
Towers and Topology:
塔とトポロジー(位相数学/形態)

The Tower of Babel Moment, the Fall of Man, and the Revelation of an Agenda
バベルの塔の瞬間、人間の堕落、そして一つの目的の啓示     3

「全てがモナド(一価元素)によって組織化されたのは、何故ならそれが効能的に全てを含むためで:それらが未だに実質化されていないとしてもモナドが将来(内在)的に全ての数字の中の原則を保つためです・・・」
- 新プラトン主義者、イアンブリカス算数の神学、翻訳:ロビン・ウォーターフィールド(カイロス出版、1988年)、35ページ。

Introduction:
紹介/前書き:

The Disconcerting Images and Agendas of Alchemy
錬金術の面くらわせの(あまり親しみの無い)印象と目的     5


「あなたは今、自然と科学の、より隠された道へのあなたの探求を延長させるために許されたこの階級にあります。」
フェロー・クラフト(i.e. フリーメイソンリー)の入会式より¹

もし私達が、宗教と秘密結社を超越し、そして千年以上に渡る錬金術的な目的が存在するとあなたに伝えたとしたら、あなたは恐らく – そして正当に - 私達が、私達の正気を一時的に失ったと言う疑いを少なくとも考えるでしょう。私達が、更に、この錬金術的な目的が - 生物学から歴史学まで、物理学、トポロジー、美術、音楽まで - 更に、私達が本文の中で目撃する様に、文学的な批評までさえ、あなたが考える事の出来る実質的に全ての学術範囲に広がるとあなたに伝えたなら、あなたは恐らくそのアイデア(発想)をより真剣に考えるかも知れないのは、それについて、実際に、以下のページの中で私達があなたに伝える事を意図するものは、私達が此処で検証する錬金術的なイメージ(印象)とそれらの示唆された目的の全てを監督するために、その目的を強要すると同時に、それらの幾つかを偽りの錬金術の形状として明かす、それら全ての上で顕著な一つのものがあるためで;そのイメージは、創始的な単純性、またはアンドロジニー(androgyny/中性種/両性性)、または「無」、または物理的な媒質、またはエーテル、または「量子的な流動の海」、または宇宙の大建築家(創造主)です。

これが意味するのは、現代人が苦境にある事なのは、彼(または彼女)が、錬金術的な科学、またはもし、人が「3種の大規模なヤーウェイ主義」 - ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の信者なら – もし人が、彼等が激しく非難するトランスヒューマニストの科学によって提供された錬金術的な創造の正に同じ種類への - キリスト教原理主義者達の終末論(審判の日/世紀末)の特定の一派(i.e. カルト)を信じるなら - 人類の最終的な変格の前に、類まれな流血(i.e. 戦争)によって、世界に対して正義を再建するために戻って来た公正なにより惨殺され、生贄にされる寸前であるためです。どちらにしても、科学のトランスヒューマン的な福音、またはヤーウェイ主義(i.e. 一神教)の啓示、預言者達、そして聖職者達は同じ事を言っていて:ニュー・エンジ(新たな時代)が到来したので;錬金術的な変格の、あなたの行程の一部として死ぬ準備をしなさいと言う事です。

現代科学の、制御されていない権力への欲望、または啓示された「一神教」の血に飢えた「神」のどちらも信仰していない、真ん中に挟まれた人達にとって、これは、正しく、窮地です。

この本の中で、私達は、勿論、それを此処において端的に扱いますが、これ(この本)に対する今後の研究と次回作のために、3種の大規模なヤーウェイ主義の血塗られた終末論についての私達のコメントを控え、「科学的」な、この生贄的な弁証法の最初の軸を検証する事を提案します。そうであれ、私達は此処において、(宗教的な)祭壇と錬金術的なトランスヒューマン主義のアポカリプス(終末論)と共に考えているのは、この場合において、その祭壇が、教会の中だけでなく、地球の準備における祭壇で、その生贄が人類と、そして錬金術で・・・まあ・・・錬金術なのは、「現代の」科学において論議され、進められた目標と目的について、凄く現代的なものは、全く何も無い為です。私達の以前の著書、神々の格子の前書きの中で、私達は以下の様に記述しました;

「近代の科学は、一貫的で、予測可能な規則正しさと共に、古代人達の魔術的な知性と神話の機能を現実へともたらすための、想像力のテクニック(技術)でしかありません。これが示唆するのは、故に、太古の文献、神話、そしてモニュメント(遺跡など)においてとても頻繁に出くわされる魔術的な知性は、実際に、退化した科学の産物ですが、そうであれ科学であると言う事には変わり有りません。近代の物理学の多くは、「トポロジー的な」方程式を共にしたヘルメス的な形而上学でしかないと見解されるかも知れず²、そして検証の類似した行程によって、近代の遺伝子学は、遺伝子技術開発のテクニックによって果肉(内容)を与えられた、シュメール、バビロン、そして更にマヤ人達の神話でしかないと見解されるかも知れません。」³

私達(ファレル博士とデ・ハート博士)の両方が、近代科学と太古の神話のこの奇妙な一致に気付き、私達のそれぞれが、とても異なりますが、それでも多くの意味合いにおいて、とても平行線的な通り道によって、この本を書く事に至りました。実際に、私達の両方にとって、私達を此処へ、この本へともたらした観測と経験の上にはシンクロニシティー(同時発生)の重い空気が漂います。私達の両方にとって、その行程は - 異なった年代でしたが - 神学における私達の博士号を獲得するために、私達の両方がオックスフォード(大学)に在籍していた時に始まり、一般大衆の眼からは慎重に隠された、観測のノートブックの中に記述された、隠された思考において、または私達のマインド(頭脳)の奥深くに、更にもっと慎重に隠し、私達のそれぞれが、私達が気付いた事を、私達自身の中に保ちました。其処で、(マリー・シェリーでは無く)パーシー・シェリー⁴の苦悩させられた怪物の-創造者、ヴィクター・フランケンシュタインの様に、私達は、中世の学者達、錬金術師達、神学者達、そして小説家達の記述の中で、物事に「気付き」始めました:

「それらの思考は、限りの無い熱情と共に、私が、私の研究を追及する間に、私のスピリットを支えました。研究と共に私の頬は青白く成り、そして私の体は幽閉(没頭)と共にやせ細りました。時には、成功の目の前で、私は失敗しましたが;それでも私は、次の日、または次の瞬間に成功するかも知れないと言う希望にしがみ付きました。私だけが有した一つの秘密は、私が、私自身を献身させた希望で、そして月は私の深夜の研究を見守り、その間、緊張した、息もままならない切望と共に、私は彼女(月)の隠れ場所(朝)まで、自然を追い求めました。私の秘密裡の努力の恐怖を、誰が考え得るでしょう・・・」⁵

私達もまた、古代人達がどの様に、自然、生命、死、そして生命の創造、または再-創造(転生)を理解したのかに関する答えを求め、そしてとても自然的にそうだったのは、神学と哲学の学生(研究者)として、私達の旅路(研究)は、私達の博士号的な研究の焦点と成ると同時に、現在まで、唯一、私達2人の間の個人的な会話で分かち合われた通り道へと私達を導いたためでした。

A. Alchemo-chimerical Man, Alchemo-Vegetable Man, Alchemosexual Man: Definitions and Preliminary Observations
A. 錬金-キメラ(半人半獣)的な人間、錬金-植物人間、 錬金性別的な人間:定義と事前的な観測   7


私達は - ヤーウェイ(エホヴァ)主義のそれらの分派(i.e. ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は除いて - 基本的な太古の神話が、動物的な王国への、鉱物を通り、植物を通る、創始的なアンドロジニー(中性/両性性)からの、人類の堕落(退化)のアイデア(発想)の上に基づいているのは何故なのだろう?と不思議に思いました。どうして太古の神話は、「鉱物的な人間」、または「植物的な人間」を語る事さえ出来たのでしょう?それらのイメージ(印象)は不穏にさせられるだけでなく、ノンセンス的でさえありますが、それらについて最も不穏にさせられる事は、私達が発見した様に、それらがまた、新聞の中でコラムを満たす記事に頻繁に現れる、現代の科学の断片の中に再浮上し、またはインターネットのサイトの間でそれらが流通されるためです。

私達は何故、太古の秘儀主義的な逸話が、半獣、そして半人の、キメラ的なハイブリッド(合成)の生き物達と共に、その神話的な世界を満たした、動物的な王国である、最下層のレベル(段階)への人類の堕落(没落)を語る事が可能で、そして現代の科学が、求められるための目的として – それらを「manimals (man + animal)とさえ呼びながら - その同じ物事(i.e. 遺伝子操作や、人類と機械の融合)を語る事が出来るのか、不思議に思いました。

私達は - 太古の逸話において、動物よりも、より高い(上級な)王国としてパラドックス(矛盾/逆説)的に見解された - 植物的な王国へ、これ(動物的な王国)からアセンド(上昇)する事が、太古のイメージが奇妙な「アンドロジニー」を語り、植物と人間の間の「融合」を語る事が可能で、そして現代において、遺伝子的に変化させられた(genetically-modified)植物がそれら自体の錬金術的な「種の無い(植物の)種」の一種を派生させ、または人間の遺伝子(DNA)の交配と共に変化させられた植物が、再びもう一度、求められるための目的として押し売りされ、人類にとって利益に成る良い事とされるのは、何故なのだろうと不思議に思いました。私達は、現代の科学の目的の全体が、天辺から底辺まで、人類の完全な変格のための錬金術的な目的である事が可能であるか?を疑いました。これは、錬金術的に変化させられた人のための、遺伝子的に変化させられた(GMOの)植物だったのでしょうか?

其処(動物)から鉱物(機械)的な人間へとアセンド(上昇)する事において:何故、「トランスヒューマニスト」の運動の内部のとても多くが、彼等の現代的な専門用語の全てを通して、太古の逸話と錬金術の言語以外のなにものでも無いものを語る様に見えるのは何故なのか?私達は再び(疑いの目で)不思議に思いました。再びもう一度、人と機械の、人と鉱物の、「アンドロジニー的な融合」のための探求以外のなにものでも無い目的がある様でした。

これは、それら全ての最も不穏にさせられるイメージの思考へと私達をもたらし:アンドロジニー自体で、それは頻繁に、その最も基本的な感覚において、アンドロジニーの概念に対して一見無関係な様に見える、対化された原則の多くの種類の融合を意味しました。それは、言葉を変えると正しく、人間と動物、人間と植物、人間と鉱物の融合(遺伝子操作やナノ・テク、そしてマイクロチップ等々)を意味し、それはまた、男らしさと女らしさ、男性と女性の融合、または統一(i.e. アンドロジニー)を意味しました。

私達が気付いたのは、それらの物事の全ての錬金術的な関連性と根源を論議する事が出来るためには、全く新たな用語さえ必要だった事で:科学のテクニック(技術)を通したキメラ(半人半獣)的な生き物への人類の変格を意味するための「錬金キメラ的な人間」、再び科学のテクニックを通した、人と植物の融合を論議するための「錬金植物的な人間」;更に再び、応用された科学のテクニックによる、人と機械の錬金術的な融合を意味するための「錬金鉱物的な人間」で、それぞれの場合においてのために、科学が - それ自体がテクニックである - 錬金術の延長以外のなにものでもないものとして機能しているのは、それが、勿論、錬金術の主要な目的で、その現代の同義語、「トランスヒューマニズム」が人類の変格であるためです。私達にとって、「トランスヒューマニズム」と言う用語は実際に、とても古く、そしてはっきりと錬金術的な、アポカリプス(黙示録/審判の日/終末論)的な目的を覆い隠す役割しか果たしません。端的に、その「科学」のテクニックは、錬金術の「似非科学」のそれらのものよりも更に洗練されているかも知れませんが、その目的は本質的に、そして存在論的に同じままでした。

それは、それら全ての最も不穏にさせられるイメージを残し、それはとても慎重に隠れ蓑され、そして慎重に避けられた題材ですが、ユダヤ教やキリスト教さえ含み、殆ど全ての文化と宗教において人が見つけるものでした。そのイメージ(印象/象徴)は、と、そしての両方の、創始的なアンドロジニー(中性/両性性)でした。

西洋的な伝統の中の秘密結社と同胞団的な組織の入会/入門の儀式のとても多くが明らかに、そして更に繊細に、本質において「錬金性別的」なのは何故か?私達は不思議に思いました(そして、私達は直ぐに「錬金性別的」と言う奇妙な用語を説明しますので我慢して下さい)。人は、イェール(大学)におけるスカル & ボーンズの入門者達が、真っ裸に成り、泥の中で取っ組み合い⁶、または、私達が本文の中で目撃する様に、メイソン的な入会の儀式のアンドロジニー的な示唆の主張(批難)を考えるだけで十分でしょうか?何故、更に加えて、それらの結社は頻繁に、男性達の会員制のみに限られているのでしょうか?

その謎は、私達が調べれば、調べる程、深まりました。ジョセフ(i.e. ファレル博士)が古代の物理学と歴史についての著書の一連への研究に没頭し、出版した際に、何度も、何度も、彼は仰天させられ、彼は唯一、「創始的な男らしい両性性」として描写される事の出来るものに出くわし、それは頻繁に錬金術的な教義と共に関連させられ、つまり、その象徴性と、そしてその示唆における両方において、神々(または神)の見解、もしくは更に、深く、はっきりと、そして同時的に男性的であり、そしてアンドロジニー(両性/i.e. プラスとマイナス)である、創始的な物質、または「スープ(エーテル)」にぶつかりました。頻繁に、このイメージは、錬金術、錬金術的、または秘儀的な結社、そして錬金性別的な儀式、もしくは祭儀を最も強く批難する、それらの宗教と文化において最もはっきりと、正確に現れました。人は唯一、キリスト教の三位一体を、アンドロジニー的なイメージとして、意味の複数のレベル(段階)、そして誤解の可能性を含むものとして、そして、どの様に、対照的に、ローマの教会(ヴァチカン)が、多かれ少なかれ公式に、そして(殆ど)統一的に、あらゆる錬金術的な行い、または結社、特に生命が神秘的なイメージの芸術/技術を模倣する様に現れるそれらにおいて強く非難した(禁止した)事を思い出すだけで良いでしょう。最小限でも、私達にとって、ローマ・カトリック(ヴァチカン)の女らしい「イエスのイメージ」の宗教的な肖像(象徴)とそのエシック(モラル/道徳)の間には、「断絶(矛盾)」がある様に見えました。

しかしながら、その他の宗教は、類似したイメージを応用し、「生命を見習っている芸術/美術(i.e. 黄金比率)」の原則に続き、そして故に、その神(々)に対して関連した錬金性別的なイメージと共に一貫した、一致している儀式、祭儀、そして生命の行い(日常的な行為)を自由に公認した、または組織化しました。そうであるならば、人はどの様にして、その違いを説明すれば良いのでしょう?そしてどの時点においてそれは台頭したのでしょう?そして何故なのでしょう?これもまた一つの謎(ミステリー)で:何故、幾らかの人達はその様な男らしいイメージを推進し、その後、神はその様な性別的な分別を超えるもの、またはそれよりも上のものであると認定し、そして実際に「男らしいアンドロジニー」の彼等自身のヴァージョンにおいて、アンドロジニーの一種であるとしたのは何故で;すると何故、同時に、幾つかの宗教と文化は、このイメージの永続性と啓示的な特徴を強調し、そして故に、それをそれらの男らしくも-アンドロジニー的な神々の最終的な特徴として確立し - それら自体が錬金性別的なイメージで - そしてその後にそれらにおいて示唆された儀式、祭儀、そして一致している行い(実施)をとがめた(強く非難した)のでしょう?言い方を変えると、神聖さを描く象徴性が、はっきりと「錬金性別(アンドロジニー)的」であった時に、何故、一部がそれを受け入れ、そしてその他はそれを否定したのでしょう?実際に、その始めにおいて、「男らしいアンドロジニー」の矛盾語法的なアイデアを考える事にさえ、古代人達を導き、そしてその後、それを形而上学(精神/哲学)の一種として考え、事実上、物理的/肉体的な、最初の原則とさせたのは、一体何だったのでしょう?

その様な議論を何年も繰り返し、私達(ファレル博士とデ・ハート博士)は、目に見えるよりも何か他のものが此処において起こっている事を疑い始め、そしてこのイメージが深遠で宇宙的な手掛かりだったかも知れないと言う可能性を探求し始め、恐らくそれは、とても古い教義の残り(遺産)でさえあったかも知れず、高度な太古の文明に由来する遺産で、そしてそのイメージは故に、それを推進している、後のクラシカル(古代ギリシャやローマ)と秘儀主義(ヘルメス)的なシステムに対して独自的(オリジナル)では無いと疑い始めました。私達は、その(神の)イメージが宗教と共に関係するよりも、言うなれば「神の背後の神様」を共にした、根底にある物理的な実質、または創始的な実質(materia prima)についての隠喩に関係していると疑い始めました。

その後、その最初の謎を一掃複雑にするために、第二の謎が加えられました。私達の研究は、神学、早期のキリスト教の歴史、教義、そして儀式だったので - 人は、深く、そして意図的に隠蔽されたと言いたくなるかも知れませんが - 人類自体が元々、何らかの再生産(出産)の一種が可能な、男らしい-アンドロジニー的な「錬金性別的な」生き物の一種として創造されたとする、あまり知られていない早期の伝統に、私達は親しみがありました。この本の本文の中で目撃される様に、この伝統の変形(いくつかの種類)は、性別の分離が、人の堕落(退化)の結果、またはそのための予知(pre-vision)において達成されたとしました。その様な見解の示唆が、再び、最小限でも不穏だったのは、そのアイデアにおいて暗示的なのは、元々の「男らしい-アンドロジニー的な」人によるあらゆる再生産(出産)が、その場合の本質によって、自然における「ホモセクシュアル」、または「単一性別(アンドロジニー)的」だったと言う観念であるためです。

私達が掘り下げる際に、この概念がまた、キリスト教だけでなく、その問題に関して、ユダヤ教の伝統さえよりも、遥かに古い起源を有すると、私達は直ぐに気付きました。それはまた、最も深く、そして最も古い、神秘主義学派の伝統的な教えで、そして(古代)エジプトから中国まで、メソ-アメリカ(中米)からの、とても古い秘儀主義とオカルトの(隠された)教義の原則的な構成要素でした。それらが与えた鮮明な印象は、再びもう一度、そのアイデアが最も遥か遠くの古代から由来したと言う事でした。故に、その謎は深まり:何時、そして何故、この伝統が不明瞭化され、そして何時、そして何故 - 隠喩的であろうと、それ以外であろうと - 錬金性別のあらゆる現れの弾圧が台頭したのでしょう?この問題と共に対にされたもう一つの事は:血塗られた、そして頻繁な、人間の生贄の台頭でした。

私達が、秘儀的な伝統と、太古のヘルメス的な文献の長い通り道を下って研究を続ける際に、私達は更にその他の手掛かりに出くわし、(それらの)手掛かりは全ての曲がり角において「創始的な男らしい錬金性別」の、このとても太古のイメージに不変的に関連していて、そして実際に、私達は最終的にそれらの手掛かりが、「遥か太古」の霧の中へと時代を遡る、その様な同胞団、秘密結社、そして神秘主義学派の中核における、3つの最も頑(かたく)なに保たれた秘密であると言う見解に至りました。それらの秘密の一つ目は、既に記述された様に、それらの古代の宇宙学的なシステムの中で、信仰、または啓示の問題としてでは無く、その媒質(エーテル)自体の物理学についての「形式的にはっきりとした知識」の一種の問題として、神と人の両方の創始的なシンボル(象徴)がその本質において「錬金性別的」だったと言う事です。しかしながら、太古の見解におけるこれに対して常に対にされたのは、奇妙にも、2つのその他の「秘密」、または「謎」で、つまり:

1)神、または少なくとも、「誰か」、もしくは「何か」、更に(その見解の特定の解釈に依存し)「無」は、信仰の問題としてでは無く、「形式的にはっきりとした」知識の一種の問題として存在し;そして、

2)個人的な不老不死がまた、信仰の問題としてでは無く、再び、「形式的にはっきりとした」知識の一種として存在します。

私達は、その定義の一般的な感覚において、何らかの神学的、または形而上学的なものを見ているのでも、単なる性別的な何かを見ているのでも無く、むしろ、もし、面食らわせされる様な全体では無いにしても、性別的、スピリット的、そして形而上学的で、そして更に生物学的、そして物理学的な構成要素を、混乱させられる一つへと総括する何かを見ていると、私達は慎重に結論しました。

それらの「3つの秘密」の一つ目に関すると共に、それらの太古の文献と宇宙学において成された明言の異例的な本質のために、奇妙で、そして曖昧な言葉づかいが必要です。人が扱っているのは通常の分析に当てはまらない、または「一神教的」、もしくは「無神論的」な箱への項目化に当てはまらないシステムで、むしろ、本文の中で目撃される様に、同時にその両方へと当てはまるシステムです。見解にあるイメージと宇宙学は、言い方を変えると、弁証法的で、哲学的な分析の一般的なテクニックの全ての上の「acid drip (酸性のドロップ/麻薬)」の一種で;それらは深く宇宙的で、そして人類学的な儀式の構成要素でした。それらが正しく、慣習と伝統に当てはまらなかったのが何故なら、それらが最古の慣習と伝統であると主張したためでした。その他の全ては、密接な関係の一つの特定的なsubset (準項目)への変化(整理)でした。

B. “Alchemosexuality” as a Metaphysical First Principle
B. 形而上学的な第一原則としての「錬金性別」     11


私達にとって、その問いはその後、以下に成り:何故、それらの物事の三種の全てが、(古代)インドのヴィーダ(Vedas)、中国の易經(I Ching)から、エジプトのネテル(neters)まで、そして更にメソ-アメリカにおけるマヤ(文明)のポポル・ヴァー(Popol Vuh)、そしてプラトンのヘルメティカ(Hermetica)の拡散、そして新プラトン主義まで、永続的で、一貫的に、そして錬金術的に結び付けられていたのか?と言う事でした。神、または人の「錬金性別的な」シンボリズム(象徴性)の広く広まった(世界規模の)拡散は、あらゆる一般的な普及主義者(文化や言語が A 地点から B 地点へと広まったとする学術的な)モデルに当てはまらず;人が有した主張は、必然的に、(世界規模の一大文化圏だった)高度な太古から由来していた象徴的な遺産(名残)、または最小限でも、人間のマインド自体における(心理学/精神学の)ユング派の原型(archetype)の一種、またはその両方を目撃していると言う事でした。

私達が更に調査した際に、更なる問いが表面化しました。何故、例えば、ヴィクトリア時代、それ以外なら謙遜的で、落ち着いた英語の詩や散文において、この象徴性が台頭したのでしょう?繰り返し、19世紀の英語の文学全体を通して、「通常の」感覚に対してとても不穏過ぎて、その著者達が、彼等の作品のために強く非難されたであろうイメージに人は出くわします。私達が検証する、19世紀の「文豪」の内の2人は(その様な著者達のリストは更に多数に成る事が可能で、それ自体で一冊の本を必要としますが)、錬金術、終末論的で革新的なヴィジョンと共に、そして主人公達の背後に漂う影としての禁断の愛と共に、ゴシック小説を記述し:つまり、パーシー Bysshe シェリーとオスカー・ワイルドです。伝記の記述者達の殆どは、シェリーとワイルドの両方と共に、彼等の時代の基準による「普通」とはかけ離れたものによって、彼等の個人的な生活と芸術が鼓舞されたと、正確に記録しました。今日でさえ、幾らかの人達はシェリーとワイルドの「愛」の哲学は、受け入れ可能な基準を遥かに超えると見解し、そして私達の研究が、錬金術と、より高度な人、神-の様な人のためのアイデア(i.e. 仙人思想)の間の相互関係を示そうと試みたのは、正にこの時点においてでした。国家や教会とは異なり、私達は特定の文学を非モラル(非道徳)的と非難しているのでも、その様な物議をかもし出す文学の著者達の生活習慣に対して、私達が見下しているわけでもありません。私達が求めるのは、しかしながら、彼等の読者達の繊細な意識をナーヴァス(不安)にさせたであろう、錬金術的な目的とイメージ(象徴性)と共に、何故、彼等が小説を書こうと動機されたのかを理解する事です。(著者達自身は言うまでも無く)彼等の主人公達、または更に反主人公達によって求められた生命(生活)、または愛でさえ、「より高い(高度な)」ものだったのか、それともそれは、人類の未来に対して危険で、破壊的なものだったのでしょうか?

その問いに対する答えのための私達の探求において、キリスト教の教父的、そしてグノーシス的な伝統と共においてでさえ⁷、その同じアイデアに対する鮮明な言及があり、とても太古の、そしてとても-キリスト教的な源泉(情報源)からの下地の全体を殆ど乗っ取った言及であると、私達は発見しました。再び、私達はマヤ人達から古代のヴィーダ的なインド人達までからのイメージに出くわしました。私達にとってその問いは、すると、何故これが其処にあるのかで、そしてどの様に人はそれを合理化(説明)出来るのか?です。此処における鍵は、十分に奇妙な事に、以前の著書の中で私達が探求した、太古の宇宙学の中の、物理学と深遠な「トポロジー(位相数学/形態)的な隠喩(metaphor)」の中にあります。⁸

この隠喩の存在がそれ自体、困惑させるのは、それが太古で、一般的に統一的(i.e. 世界規模)の両方であり、高度な古代から由来した全ての現れを持つ事が否定される事が出来ないのみならず、またその隠喩自体が、この「創始的で錬金性別的なアンドロジニー」が創始的だと言う事実を強調し、i.e.、それを使用した者の殆ど全てによって、隠喩的な「第一原則」として考えられたと言う事です。そして再び、その問いは、何故それが最初の場所(知られている文明以前の文明)においてあったのか?です。この本の中で、私達はそれらの問いに対する推理的な答えを論議しようと試みます。

C. The Term “Alchemosexuality” and the Constellation of Concepts Embraced in it
C. 「錬金性別」と言う用語と、その中に内包された概念の配置     13


ですがこの事実は、私達の考えに対して、とても異なった理由のために困惑させられるものだったのは、それに向かう立ち位置のあらゆる種類を推薦する罠へとはまる事無く、それを語るためには、新たな語録の全体を、私達が造り出す必要性が鮮明だったためです。再び、私達の必要性は、その思考経路を合理化(説明)する事であって、それを正当化する事ではありませんでした。この必要性を感じたのは私達だけで無かったのは、本文の中でも目撃される様に、19世紀の「Uranian/同性愛的」な学者達もまた、その同じ必要性を感じたためです。私達にとって、しかしながら、その必要性は、物理(肉体)的、または性別的な現象の上にだけ単純に注意を集中する事を強要し、そして故にその完全性の全てにおける創始的な隠喩によって示唆された、スピリット(霊)的、美的感覚的、そして社会的な示唆を避け、現代的な用語を避けるための必要性から単純に派生するのではなく、それはまた、その隠喩がその秘儀的な伝統、そして更に秘密結社において、表現を見つける事実からも台頭するためです。

端的に、私達が必用だったのは、秘儀的な教義(ヘルメス/神秘主義)、秘密結社を共にしたその関連性と共に、そしてとても太古であると同時にとても現代的で宇宙学的な見解を共にする、天界からの「下降の梯子(人間の転落/i.e. アダムとイヴの楽園からの追放)」の体現のそれらの全体を共にした、その同じ梯子を「逆技術開発」し、再-上昇(動物→植物→鉱物)する行程を示唆する、男らしい-アンドロジニーを同時に代理する(意味する)用語(定義)でした。

エドワード・カーペンターは、この問題全体についての、今ではクラシックな20世紀初頭の彼の研究、中間的な性別:男性達と女性達の移行的な種類の幾つかの研究の中で、ザヴィエル・メインの明言を引用し、その中でメインは明らかに、この「錬金性別的で-男らしいアンドロジニー」と、秘密結社の同胞団的な伝統の間の深い関連性を直感しました:

「私は常に、その隠された同胞団(brotherhood)と準-性別、または超越-性別の一員であったと気付いていました。私はまた驚き(不思議)において、全ての社会的な階級、全ての国、そして全ての文明において - 組織化(秩序化)されたものでさえにおける - その深く、本能的な、フリーメイソンリーを私自身に自覚させました。」⁹

「その深く、本能的な、フリーメイソンリー」に対する彼の言及によって、唯一曖昧にメインが直感したものは - 神々の格子の中でそのイメージに出くわした後に - 私達の調査が直ぐに明かしたのは、太古の秘儀的な伝統の主要な構成要素で、そして幾つもの秘密結社における錬金性別的な儀式を薄く覆い隠すものでした。

錬金術と(それに)関連した題材についての、長年に渡る私達のお互いとの会話と調査の一連の間に、私達はもう一つの、同等に面を食らわせる様な気付きに到達し:錬金術は殆ど全ての意味合いにおいて、キリスト教のサクラメント重視主義と同一でした:

・両方が、物質は神聖さ(divine)を共にした単一性(oneness)のための乗り物(肉体)へと変格される事が出来ると主張し;

・両方が故に、物質の変格についてのみでは無く、最終的に、「土台の金属(卑金属)」から「不死のゴールド」への人類自身のアポカリプト(終末論)的な変格を目的とし

・両方が、特定的で正確な時間において行われ、そして言葉と相応しいモラル(道徳)の意志の正確で特定的な形式に沿って行われた、この変格のための正しい物質を使用した、基本的な「レシピ(調理法)」に従う事を強調しました。

その2つが異なった処は、錬金術がこの全てを達成するために、特別な啓示、教会、または神官階級(i.e. 官僚)のための必要性が全く無いと強調した事でした。むしろそれは、千年以上を通して「科学技術的な」方法によって探求された目標でした。「自然」、そして「自然の神」以外の教会(組織化された宗教)は、全く必要ではありませんでした。 その一つは、啓示の儀式で;そのもう一つはテクニック(技術)と科学技術の儀式でした。

その不穏にさせられる認識に気付き始めるのは、それらの要点の完全な示唆を人が考えた時なのは、知識、権力、科学技術、そしてそれ自体の「錬金性別的な」原則に従った人の最終的な変格に関連している、隠された目的があると言うアイデアのそれらの提案に内在的であるためです。実際に、それらの原則と目的の詳細は不穏過ぎるので、私達は、この本の中で全ての詳細を含むまでは、全く至らないのは;その知識が強力過ぎて、そしてその危険性が高過ぎるためです。

それを述べた上で、私達は故に、以前に記述された2つの要素に加えて、以下の物事を包括する事の出来る用語が必用でした:

3)神、または神々、もしくは創始的な materia prima、更に言ってみれば創始的な人類の両方に対して応用された、隠喩(metaphor)の創始的、形而上学的、スピリット的、そして更に基本的で物理学的な本質で;

4)本文の中で主張された理由のために、私達が少々疑問視した解釈である、創始的な女らしさを強調した、その秘儀的で神話的な伝統のそれらの解釈からははっきりと異なった、その隠喩の一貫的な男らしさで;

5)一般的な秘密結社と、更に広い意味における「sub-cultures (下位文化)」としての両方の感覚における、秘儀主義の伝統と同胞団との、その隠喩の拘わりで;

6)人の錬金性別的な変格の、不老不死(i.e. 仙人思想)と、終末論的で隠された目的との、その隠喩の関係で、そして最後に、

7)その明らかに、性別的な示唆です。

私達は故に、この概念の座標(意味合い)全体と、秘儀主義と錬金術的な伝統、結社、儀式、そして目的に対するそれらの深い関係性を意味し、包括するために、「錬金性別」と言う用語を造り出しました。

D. The Final Alchemo-Eschatology
D. 最後の錬金-終末論     15


私達がそれらのイメージの全てを考えた際に、一つの最終的な事 - それらの全ての事の最も深く不穏にさせられる事が - 鮮明に成り:人類自身の最終的な、政治的で、錬金術的な変格が、とても多くの政治的な運動の隠された目的の様に現れ、そして更に、様々な宗教の「審判の日/終末論」の推測の、色々なシステムの隠された示唆でさえあった様に現れるためです。私達はこの本の中で、それらを徹底的に検証する事は提案しない間、私達が提案するのは、未来の本のために、現代の宗教と政治の上にそれらの隠された影響力を残している、中世からルネッサンス期に通してにおける、それらの政治的な目的の台頭のヒントにおいて端的に検証する事によって、それらの未来における検証の土台を築く事です。

まとめにおいて、私達は、私達の本当の目的を読者に思い起こさせましょう:私達は、この本が、「生活習慣」、またはその種の何かの実施(個人的な性癖)は言うまでも無く、それらのあらゆる錬金術的な目的の探求、または実施を提案するのでも、推進するのでも無い事を鮮明に、読者に理解してもらいたいと言う事です。私達が、単一的に、そして排他的に考えているのは、歴史を通して、そして文学、神話、そして宗教的な聖像学から秘密結社まで、そしてそのイメージの影響力と共に、とても意外な場所の幾つもにおいて見つけられる、神と人の両方の、不穏にさせられるイメージの紹介と探求です。私達が考えているのは唯一、オルタナティヴな研究の現場のためのその根源と示唆の可能性と、そして秘密裡の同胞団的な継続性における、千年以上を通した隠れたエリート達の活動の可能性を理解する事です。成り行きとして、私達が此処において試みたのは、混乱させられるイメージ、または隠喩を正当化する事では無く、むしろ単純に、最初の場所において古代人達がそれらを形成する事に繋がった思考の行程(経路)の可能性を再構築(推理/吟味)する事と、その探求を再復活させた近代科学を合理化(説明)する事です。私達は故にまた、人間の想像力の上の - 頻繁に秘密裡、またはあまり理解されていませんが - そのイメージの影響力のための土台を合理化する事を考えています。

それを述べた上で、私達の分析、または私達の批評において、私達が言葉を濁さないのは、この伝統の深い根源に対して殆ど関係を持たない「基準的な答え(一般論)」の上に基づいた非難、または弾圧の古臭い反応と共にでは無く、正真正銘の同情と包容力と共に、それらのイメージとそれらの社会的な示唆の暗示を、人々が直面するに十分な時代であると、私達が信じるためです。従って、この錬金術的なイメージと、エリート達がそれを利用している、または操作している可能性の深い根源の私達の合理化は、勿論推理的で、そして高度にそうでしょう。そうであるとしても、私達は、深い物理学の深遠な隠喩、そしてそれを理解するために古代人達によって応用された類推的な方法から由来する、それらの根源は少なくとも、それらのイメージと宇宙学の形成に繋がった、精神/心理的な行程に近いと信じます。

故に、私達は、私達の分析が完全であるとは主張せず、唯一それは、主に人々がそれらに直面する事を望まないために、見過ごされた物事である、明らかな事に焦点を当てる事です。私達は誰か(読者)を説得させるだろうと推測しているのではないのは、私達は納得させる事を求めているのではなく、唯一、複雑で、奇妙な現象、全てが親密に関係している概念、イメージ、そして伝統の座標の変化している銀河を探求し、合理化(説明)する為だけであるためです。私達は、あらゆる教会、または宗教の代理としての神学者達、または聖職者達として記述する事を意図しません。私達は、宗教的であれ、非宗教的であれ、現代の研究に対して、より深い思考を刺激するために、歴史と思考の(一般的な)モデルに挑戦している著者達です。私達は何らかの信仰(宗教)に対して人々を呼び寄せませんし、信仰を持つ者であれ、信仰を持たない者であれ、この本は、信者、または信仰では無く、思考を刺激する事を意図しています。ですが私達は、この本の終わりにおいて、少なくとも幾らかの人々が立ち止まり、考える事を望みます。
_____
参考文献:

1 Citing Robert Boyle, Works, Robert Lomas, Freemasonry and the Birth of Modern Science (Fair Winds Press, 2003), p. 65
2 See my The Giza Death Star Destroyed (Adventures Unlimited Press, 2005), pp. 222-245, and my The Philosophers’ Stone (Feral House, 2009), pp. 42-48.
3 Joseph P. Farrell with Scott D. de Hart, The Grid of the Gods (Adventures Unlimited Press, 2011), p. iii.
4 著者達(i.e. ファレル博士とデ・ハート博士)は、近年まで、マリー・ウォルストーンクラフト・シェリーが、唯一の著者(作家)として考えられてきた事を知っています。オックスフォード大学のボドリーアン図書館におけるフランケンシュタインのノートブック(メモ)からの最近の証拠は、その小説に対する彼の手書きの記述の上に基づいて、パーシー Bysshe シェリーに、部分的な著作権を与えました。筆者達は、文献的、そして非文献的な証拠の上に基づいて、パーシー Bysshe シェリーが1818年の初版の唯一の筆者で、マリー・シェリーの著作権(筆者であると言う主張)は、(パーシー)シェリー以外の何者でもない者によって行われた詐欺であると言う意見を信じます。Cf. The Man Who Wrote Frankenstein, John Lauritsen, Pagan Press, 2007.
5 Mary Wollstonecraft Shelley, Frankenstein: The Original 1818 Text, ed. D.L. Macdonald and Kathleen Scherf, Second Edition (Broadview Literary Texts: 1999), p. 82.
6 イェール大学におけるスカル & ボーンズ、そして類似した同胞団についての最も包括的な本は、Kris Millegan, Ed., Fleshing Out Skull and Bones: Investigations into America’s Most Powerful Secret Society (Walterville, Oregon: TrineDay, 2003)です。真っ裸で泥の中で取っ組み合いをする言及については、Anthony Sutton, America’s Secret Establishment: An Introduction to the Order of Skull and Bones (Billings, Montana: Liberty House Press, 1986, ISBN 0-937765-02-3], p. 201を検証して下さい。
7 私達が、聖職的なものでは無く、学術的な感覚において「教父的な伝統」を意味するのは、この本の中で引用された記述が、その教会の聖者達、または博士達と、その教義の先生達として、ローマのカトリック派、アングリカン(プロテスタント/英国教会)派、またはオーソドックス(正教会)派のいずれによっても、それらが必ずしも公認されていないためです。
8 See Joseph P. Farrell, The Philosophers’ Stone: Alchemy and the Secret Research for Exotic Matter(Feral House, 2009); Joseph P. Farrell with Scott D. de Hart, The Grid of the Gods: The Aftermath of the Cosmic War and the Physics of the Pyramid Peoples (Adventures Unlimited Press, 2011).
9 Xavier Mayne, Imre: a memorandum (Naples: R. Rispoli, 1906, pp. 134-135), cited in Edward Carpenter, The Intermediate Sex: A Study of Some Transitional Types of Men and Women (London: George Allen & Co., Ltd., 1912), p. 169.


第一部:

第一章: The “Tower of Babel Moment of History”:
「歴史のバベルの塔の瞬間」
The Primordial Unity and High Knowledge of Man, and How it was Dealt With
創始的な統一性と、人の高度な知識、そしてそれがどの様に扱われたのか     19


「もし神が、部族的、民族的、国家的、または宗派的な原型なら、私達は彼(神)の目的の戦士達ですが、もし彼が宇宙自体の主であるならば、私達はすると、全ての人々は兄弟達である事を知る者達として(前に)進みます。」
- ジョセフ・キャンベル¹

「当然、言葉における統一性の究極的な証拠は、人の最も古い言語の中で求められ、言うなれば、人間の進化における、バベルの塔の瞬間以前の、先史的な言語です。」
- レオナルド・バーンステイン²

実質的に全ての宗教と、そして最も秘儀的で形而上学(精神/哲学)的なシステムは、宗教における最も奇妙な題材の一つについて何か言う事があり:歴史のバベルの塔の瞬間、または、もっと親しみがあり一般的な用語にすると、人の堕落(転落/退化/i.e. アダムとイヴの楽園からの追放)です。人が実際にそれを考えるために立ち止まった時、それが奇妙で、恐らく奇怪なイメージでさえあるのは、それに通常追随する概念の座標(配置)のためで、そしてこれは、人が何処からの観点から見ようと、真実です。

私達の文化的なマトリックス(母体)のために、私達は西洋(欧米)において、人の堕落とバベルの塔の瞬間を、別々の出来事として見解する傾向にあるのは、それが聖書の中で体現されている方法であるためです。ですが、私達(ファレル博士とデ・ハート博士)が信じるに、それらは、実際に、単一の逸話の関連した断片で、恐らく何らかの(聖書の)編集的な目的のために分離されたものです。同等に奇妙なものがまた何かと言うと、それらの概念の全てが、歴史におけるある地点に言及し、其処で人類は、ある計画を行っている、または其処で、彼(人)の知識、そして/または統一性(団結)が、神、または神々に対するはっきりとした危険の何らかの種類を体現したと言う事です。

私達が、別々で、はっきりと異なった伝統において記録された、このバベルの塔の瞬間、人の堕落の瞬間の様々な種類を検証するのは、そうする事によって、概念のとても興味深いカタログ(一連)が台頭するためです。

A. The Biblical Version of the Tower of Babel Moment
A. バベルの塔の瞬間の聖書的なヴァージョン

1. The Tower of Babel Story Itself
1.バベルの塔の逸話自体     20


この題材に関して私達がその他の場で記述した間³、私達が「バベルの塔の瞬間」と呼んでいるものの観点から、それらの様々なコメントを再検証する事が最善なのは、全体的に見解された時に、それらの様々な伝統が、関連した概念の興味深いリストを明かし、そしてそうする事において、創始的な人間の統一性である、「バベルの塔の瞬間」の分裂化において失われた統一性を、再びまとめるための、正確な段取り(i.e. 第一チャクラから、第七チャクラへの上昇)を構成している、隠された錬金術的な目的を明かすためです。故に、この部分は、ある意味、私達が以前に記述した事の再検証ですが、その再検証は、関連した概念のカタログを確立し、そしてそれによって、それらの概念が示唆するこの隠された「錬金術的な終末論」を確立するために必要です。

バベルの塔の瞬間の旧約聖書的なヴァージョンは、創世記11:1-9の中に記録されています:

「¹全地は同じ発音、同じ言葉であった。² 時に人々は東に移り、シナル(シナイ半島)の地に平野を得て;そこに住んだ。³ 彼らは互に言った、『さあ、れんがを造って、よく焼こう』。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。⁴ 彼らはまた言った、『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう;そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。⁵ 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て⁶、言われた、『民は一つで、みな同じ言葉である;彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう』。

「⁷ 『さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう』。⁸ こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので;彼らは町を建てるのをやめた。⁹ これによってその町の名はバベルと呼ばれ;主がそこで全地の言葉を乱されたからであり:主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。」

この逸話について何が異例的であるかと言うと - 公認化されたヴァージョンの中の「主(LORD)」の翻訳によって象徴化された - ヤーウェイ(エホヴァ)の行動のために、旧約聖書の中で通常与えられたモラル(道徳)的な承認の種類の欠如です。

その様な承認は此処において失われおり;むしろ、人(読者)に残されたのは、ある意味、人類が行おうとしていた事が何であれ、彼(人)の統一性とその計画を阻止するために、分裂化させる行動を必要としたと言う事です。その逸話において示唆された概念を一目見てみる事は、このダイナミクス(流動性)に焦点を当てる手助けに成るでしょう:

1)人類は、統一性の状態において見解され、それは共通の言語によって例証され、そしてこの統一性は、様々な(別々の)言語を創造する(分離化する)事による、ヤーウェイの行動によって分裂化され;

2)その人類の「統一化された言語」はまた、科学の統一化された言語を意味するかも知れず、i.e. - 物理学、遺伝子学等々の - 主要な科学の中の、高度に統一された、科学的な世界観は全て、私達の現代の科学に欠如している完全性と統一性と共に見解され、理解され;

3)言語のそのアイデアはまた、音(i.e. 振動)のアイデアを微妙に示唆しているかも知れず、そしてこれはその(バベルの)塔に関連しているかも知れず;言語を混乱させる事は故に、人類の統一性を破壊するだけでなく、恐らくまた、その塔の力を破壊する、または妨げ;

4)その逸話が示唆するのは、統一(団結)した人類が、ある意味、危険で、そしてつまりこの危険が、その塔自体に関連していて;

5)故に、彼(人)の言語の複雑化(多種多様化)を通した人の分裂化(多人種化)は、その危険性とその力の両方を排除します。

2. And the Fall
2.そしてその転落(アダムとイヴの楽園からの追放)     21


バベルの塔の逸話は、旧約聖書の中で、人の転落の逸話からは分離されている間、そうであれ、その2つの間からは概念的な関連性の同じ幅広いリストが得られ、そしてこれが示唆するのは、それらが少なくとも、関連した逸話として考えられた、またはもし、同じ出来事の、恐らく、2つの異なった伝え方なのは、上述で数値化された要点がまた、創世記の第三章における人の転落の聖書的な逸話において微妙に機能しているためで、其処で再び、人類の知識と、統一性の消失の対化があるためで、今度は、死の負担(税)、または魂(soul)と体(肉体)の分裂化を通してであるためで、そして私達が後に出くわす様に、ラビ(ユダヤ教の聖職者)的、そして(キリスト教の)教父的な意見の幾つかでさえ、「創始的な男らしいアンドロジニー」からの性別の分離がまた、その転落(楽園からの追放)に対して関連していると主張するためです。

B. The Mesopotamian Version:
Enmerkar and the Lord of Aratta
B. メソポタミアのヴァージョン:
エンメルカルとアラッタ(の街)の主(あるじ/守護神)     22


歴史のバベルの塔の瞬間のメソポタミアのヴァージョンは、エンメルカルとアラッタのあるじのエピック(叙事詩)の中で与えられて(記述されて)います。此処で、その逸話は、ウルク(の街)の神官-王、エンメルカルが、その塔を完成させるために、アラッタの街から労働者達、ゴールド、そして、私達が目撃する様に、異例的な銀の一種を要求すると共に、その2つの街の間の争いとして台頭します。その逸話全体を通して、しかしながら、その他のメソポタミアの文献において、人類を存在へと至らす技術開発を手助けした神であり、存在感があり悪戯好きなエンキと共に沿って、その背後において、アンドロジニー的な女神、イナンナ(=イシス/アイシス/聖母マリア等々)が隠れています。⁴

例えば、そのエピックの始まりにおいて、私達はイナンナが、彼女の心の中で、ウルク(の街)における「大いなる山(ピラミッド/ジグラット)」を運んだと読みます。⁵ 必要とされた労働者達と素材を供給するため、アラッタ(の街)に強制する事を強く思い、エンキとイナンナは、覆い隠された恐喝を命令します:

「エンキが
アラッタと
その住民達を
呪わず、
彼が
(その他の時代に)
彼が破壊した処の様に
それ(アラッタの街)を
破壊しません様に。

「イナンナは、
それ(アラッタ)に対して襲い、
(それに対して)叫び、
それに対して遠吠えましたが、
彼女が
(溺れさせる)
洪水の波(の様に)
洪水の波と共に
それ(アラッタ)をまた
溺れさせません様に。」⁶

アラッタに対して、この殆ど隠されていない脅しが発令された直後に、私達は、人類の示唆された統一性に対する最初の言及を見つけます:

「当時、
蛇はいなく、
蠍はいなく、
ハイエナも
ライオンもいなく、
犬も狼もいなく、
恐ろしい(もの)
または、身の毛のよだつものは無く、
人類の敵はおらず – 
当時は
二国語(シュメール語とアッカド語)のシュメールの
スバルトゥ(Subartu)と
ハマジ(Hamazi)の国々において、
王子的なオフィス(役職)の
偉大なる国である、
ウリ(の街)の地域は
相応しい事が妥当である
国であり、

安全な放牧地にある
マルデュックの国であり、
(彼に対して)信頼した人達は
誠に、
単一の言語において
エンリルと語る事が出来ました。


此処で、聖書的なヴァージョンにおいての様に、人類の統一性は、言語的な定義に基づいている様に現れますが、どの様にシュメールが「二か国語的」で、そして更にエンリルに対して「単一的な言語」において語ったのかは鮮明にされていません。

聖書の文献と同様に、(神々に)破壊されたのは人類の、この社会-言語的な統一性で;それを壊したのはエンキでした:

当時
あるじ的な癇癪(かんしゃく/短気)、
王子的な癇癪、そして王族的な癇癪 – を(有)したのは
エンキがあるじ的な癇癪、
王子的な癇癪、そして王族的な癇癪 – を起こし
あるじ的な癇癪を持って戦い、
王子的な癇癪を持って戦い、
そして王族的な癇癪を持って戦い、
エンキが、豊穣のあるじが、
効果的な言葉のあるじが、
知性のあるじが、
その国の賢い者が、
神々の指導者が、
賢明な預言に明かされた
エリドゥ(の街)のあるじ(守護神)が
彼等(人々)の口に入れられた多くの(言葉の)様に、
彼等の口において言語を変化(お互いから理解不能に)させました。
人々のその言語は(元々)一つでした。
」⁸

聖書的なヴァージョンとは異なり、何故に神々 – またはエンキが単独で行動し - 彼(人)の単一の言語を複数へと分裂させる事によって、人類の統一性を分裂(分断)させるための判断を行った事に対しての本当の理由は与えられていません。しかしながら、その理由のヒントは、その行の初めにおいて記録された争いの示唆の中にあるかも知れません。もしこれがそうなら、すると人類は明らかに、再び、彼(人類)の統一された状態において、「神々」に対して何らかの危険を体現したのかも知れません。

この逸話から離れる前に、記述されなければならない奇妙な行があるのは、それが、その逸話におけるある科学技術の唯一のヒントを含むためです。最初に、その脅しは、アラッタ(の街)に対するエンメルカルの使節によって行われ、そしてその後、特定の素材(物資)のための要求が成されます:

「木々から野生の鳩が飛ぶように、
私は、彼の街が、
彼から飛ばせ(奪わせ)なければならないのだろうか、
それらの巣から鳥々が飛び立つ様に、
私はしなければならないのだろうか、
私は、(奴隷のための)現在の市場の価格において
それを理解しなければならないのだろうか。
私は、破壊された街においての様に
その中の塵を(救い上げ)なくても良いのだろうか。
エンキ
アラッタと
その居住区を呪わず、
彼が(その他の時に)破壊した場所の様に
彼がそれを同様に
破壊しません様に。

イナンナはそれを追い求め、
それに対して叫び、
それに対して雄叫びを上げました。
彼女が、
彼女の引き寄せる
洪水の波と共に
それを溺れさせません様に。

むしろ、それが
その元々の形状において
ゴールドを
革の袋へと詰めた時、
塵の形状において
純化された銀と
それを共に並べさせました・・・
」⁹

錬金術の逸話と共に親しみのある人達は、賢者の石の製造における最終段階であり、この場合において「塵の形状における」銀である、粉末化された金属に対するこの言及を認識するでしょう。

加えて、粉末化の形状における金属は、アリゾナ州の農業者、デーヴィッド・ハドソンによって最初に発見された「ORMEs」、または「軌道的に再編成された、単一原子(モノ-アトミック)的な元素」と呼ばれるものの特徴です。その様な金属の原子核は明らかに、高度な回転の状態において存在し、奇妙な反-重力的な性質を所有し、そして唯一、極度に高い熱によって生産される事が可能です。¹⁰ 「塵の形状における純化された銀」の表現は故に、機能している高度な科学技術を強く示唆し、そしてそれにおいて、錬金術的なものです。

エンメルカルとアラッタのあるじのエピックは故に、聖書的なヴァージョンの中で、より鮮明にされる特定のテーマにおいて、唯一ヒントするだけです:

1)人類は、言語的で、そして故に恐らくその本質において社会的で、創始的な統一性において存在していて;

2)人類の統一性は、争い(戦争)のほんのわずかなヒントの後に、言語の混乱(複雑化)を通して、エンキによって分離化され;

3)アンドロジニー的な女神、イナンナと神、エンキの名の下において、アラッタに対する更なる脅しが発令され;

4)塵の形状における、純化された銀を用意する事をアラッタに要求する事において、錬金術的な科学技術の、微妙ですが、明らかな示唆があります。

C. The Mayan Popol Vuh
C. マヤのポポル・ヴァー

1. The Original Differentiation
1.分離化の起源     25


メソポタミアからメソ-アメリカ(中米)へと移行して、マヤ(文明)のポポル・ヴァーは、バベルの塔の瞬間の、更にもう一つの、そして最も興味深いヴァージョンの一つを記録します。ですが、私達がそれを、より詳細に検証する前に、私達はそれを、その創始的な分別化自体の説明のコンテキスト(文脈)の中に位置付けなければなりません。私達の以前の著書、神々の格子の中で、マヤの伝説におけるこの創始的な分別化は、特徴的な形状を取ると私達は記述し、そしてその中で、それについて私達が述べた事を、詳細において思い出すには価値があるでしょう:

「アンコール・ワット(カンボジア)の石の浮彫細工に刻まれたヒンドゥー(古代インド)の宇宙学の様に、ポポル・ヴァーは、神秘の底無し穴(アビス=アプスの変形)において始まり、その力が、それらの詩的な単純性によって、より更にあらわにされる、雄弁であり、優雅で単純な言葉づかいにおいて表現されたアビスです:

「これがその説明(内容)で、以下です:

「今それは、未だにさざめき(i.e. 音/振動/)、今それは、未だにささやき、それは未だにため息をつき、未だに鼻歌を歌い、そしてそれは、空(i.e. 宇宙)の下で空っぽです。

其処には未だに一人の人も、一つの動物、鳥、魚、蟹、樹、岩、窪地、峡谷、湿地、森もありませんでした。その空(無)唯一だけが其処に有り;その地球の表面は、はっきりとしていませんでした。唯一、海だけがその空の全ての下において溜まりにされ;其処で一つにまとめられたものは全く何もありませんでした。それは休息(rest/静止/磁気的な白い光)にあり;動くもの(i.e. 電気)は一つもありませんでした。それは、その空の下で静止において保たれ、引き止められました。

単純に其処に無かったものが何であれ:唯一、ささやき、さざめき(音)が、その夜の闇の中にありました。唯一、その創造主、建築者だけが、主権者である羽の生えた蛇が、生みの親が、男親だけが、そのの中にあり、を放ちました。それらは其処にあり、それらは青-緑のケツァール(中米の綺麗な鳥)の羽毛に包まれていました。

「故に、「羽の生えた蛇(ケツアコアトル)」の名前(の由来)です。彼等は、彼等の存在において、大いなる知識であり、大いなる賢者です。

「そして勿論、其処には空があり、そしてまた其処には空の心臓がありました。これが、語られる様に、その神の名前です。

「そしてその後、創始の夜明けにおける、この暗闇において、彼(神)は主権者である羽の生えた蛇に対して、此処へと至りました・・・稲妻(電気)とハリケーン(渦巻き)が最初に起こり、その二番目は新たに生まれた雷で、そしてその三番目は突然の落雷でした。

「ですから、それらには、3つがありました・・・」¹¹

着目してもらいたいのは・・・創始的な三位一体トポロジー(位相幾何学)的な隠喩が保存された事です。全ては「その空の下の」空っぽな様(創始的な無)として始まり、そしてその中には未だに何らかの分別化は全く無く:「其処には未だに、一人の人も、一匹の動物もいなかった」等々です。其処にあったのは唯一、空っぽな空、そしてその下で休んでいた、たまった水でした。唯一存在していたものは、主権者の羽の生えた蛇と、「それらの正に存在において、大いなる識者達、大いなる賢者達」として表現された者達である、「生みの親達」と「その水の中における男親達」に対する謎めいた言及で、それらは後に、丁度(インドの)ヴィシュヌー(フィッシュ/魚座/キリスト)の様に、主権者の羽の生えた蛇の現れとして見つけられます。

ポポル・ヴァーが私達に伝えているのは、言い換えると・・・(つまり)創始的な「無」、主権者の羽根の生えた蛇があり、そしてその後、無限の分別化されていない「空」(無 A)と、その下の「海」(無 B)、そしてその2つ(A と B)の間の示唆された共通の接面無 C)の、創始的な「三位一体(A, B, C)」が存在したと言う事です。この時点において、その夜における「ささやき」と「さざめき」のかすかな以外、何も全く存在しておらず、ある意味、音、フリクエンシー(振動率/周波数)、振動が、以後に続く多産な(創造力の)分別化と多様性の全てに台頭を与えます。

実際に、その正に始めにおいて、ポポル・ヴァーは、「これは、太古の言葉の始まりであり、此処におけるこの場所において、Quiché と呼ばれました。此処で私達は、Quiché の人々の国家において・・・行われた全て事のためのポテンシャル(効能)と源泉である、その太古の言葉を私達は刻み(記述し)、そして私達は埋め込みましょうと、私達に伝えます。¹²

2. The Primordial Masculine-Androgyny of Man, Mankind’s Original High Knowledge, and the Fall as Fragmentation
2.人の創始的で男らしい-アンドロジニー、人類の元々の高度な知識、そして分裂化としてのその転落(退化)     27


ポポル・ヴァーが人類の創造と、その後の分裂化を設定するのは、このコンテキストの中においてで:

「そして、私達の最初の母親-父親の名前がありました。彼等は単純にモデルされて造られたと、それは述べ;彼等には母も父もありませんでした。私達は、彼等自身によって、その人達を名付けました。彼等に生を与えた女性はおらず、彼等は構築者、彫刻家、生みの親、男親によって、生まれたわけでもありませんでした。唯一、生贄(犠牲)によって、唯一天才によって、彼等は造られ、彼等は創造者、設計者、生みの親、男親、主権者の羽の生えた蛇によって設計されました。そして彼等が実りとして現れた時、彼等は人間として現れ:

「彼等は話し、そして言葉を造りました。

「彼等は見て、聞きました。

「彼等は歩み、彼等は働きました。

彼等は、男性的な容姿を共にした、ハンサムで、良い人々でした。思考が存在へと現れ、そして彼等は見つめ;彼等の視界は突然現れました。彼等が見た処が何処であれ、完璧に彼等は見て、完璧に彼等はその空の下の全ての事を知っていました。彼等が振り返り、そしてその空の中を見回した瞬間に、全ては、地上において、何の障害も無く見られ(理解され)ました。何がその空の下にあるかを彼等が見る事が出来る前に、彼等は歩き回る必要も無く;彼等は唯、彼等がいた場所に留まりました。

彼等が見た際に、彼等の知識が強まりました。彼等の視界は樹々を通り抜け、岩々を通り抜け、湖を通り抜け、海を通り抜け、山々を通り抜け、平野を通り抜けました・・・

「そしてその後、彼等はその構築者とメイソン(石工)によって尋ねられました:

「『あなたの存在について、あなたは何を知っていますか?あなたは見ず、聞かないのですか?あなたの語り(言語能力)と、あなたの歩みは良くはありませんか?ですからあなたは、その空の下を見て、理解しなければなりません。あなたは、その山-平野が鮮明に見え(理解し)ませんか?ですからそれを試みてみなさい、』と彼等は伝えられました。

「そしてその後、彼等はその空の下の全てを完璧に見ました(理解しました)。その後に、彼等はその創造主、設計者に感謝し:

「正に今、
地上で、空の下で、
私達が形成され、私達が
私達の口、私達の顔を与えられ、
私達が語り、私達が聞き、
私達が考え、私達が動き、
私達の知識が善であり、
遠くと近くが何かを、
私達が理解し、
そして私達が、何が大きく(偉大で)、小さいかを理解した事に、
二重の感謝、三重の感謝をします。
私達の祖母よ、私達の祖父よ、
あなた達の御蔭で私達は形成され、
私達は造られ、そして設計される事に至りました、

「と造られ、設計されたために彼等が感謝した時に、彼等は述べました。彼等は四方向を見て、その空の下の、地上の四つの角(東西南北)の全てを完璧に理解し、そしてこれはその構築者と彫刻家に対して、耳障りが良く無く:

「『私達の働きと計画が述べたものは、全く良く無く:

「私達は、大も小も全てを理解した、」と彼等は述べます。』そして故に、その生みの親、男親は、彼等の知識を奪い返し:

「『私達は、彼等と共に今からどうすればよいのでしょう?彼等の視野は少なくとも近隣には届くべきで、彼等は少なくとも地球の表面の小さな部分を理解するべきですが、彼等が言っている事は良くありません。彼等は単に、彼等の正に名前において、「労働力(奴隷)」として「設計」されたのではありませんか?ですが彼等は、彼等が種蒔きにおいて繁殖し、数が増え、目覚め、彼等の数が増えると、神々程偉大に(同等の力に)成ります。

こう成る様にしましょう:此処で私達は彼等を少しだけ分離させ、それが私達に必要なものです。私達が見つけたものは良くありません。彼等の行動は、彼等の知識がとても遠くまで届く(理解能力が大変あるため)、私達に対して同等に成り得ます・・・

[そして、理解の方法は、全てを知る方法と共に沿って、その4人の人間達によって、その様に消失されました。その根源が植えられました。

・・・

そしてその後、彼等の妻達と女性達が存在へと至らせられました。」¹³

再びもう一度、私達は、人類のその統一性と知識のテーマ、そしてその状態において、人類が神々に対して、危険の何らかの種を体現する事に着目します。結果として、私達は再び、知識の消失と、人類の分裂化のテーマが、転落(退化)の一種において結びついている事を見つけます。

ですが此処において、幾つかの重要な詳細があります。

1)人類のその統一性は、男らしい-アンドロジニー的な定義において考えられ、i.e. 元々の男性-女性(両性/中性)の性別的な統一性としてで、そしてこの統一性は、ある意味、人類が持つ「完璧な」知識に対して結びつけられており、その文章の中で何度も、何度も、強調された事で;

2)この統一性と知識は、順を追って、神々に対する危険の何らかの種を構成し;

3)その神々は、人類を分断化する事による、今では親しみのあるパターンにおいて、人類の元々の統一性を制御する決断を行い、唯、この場合において、その分裂化は、予想可能な様に、性別への、元々のアンドロジニーの分離化でした。ひとたびこれが達成されると、人類は彼の知識を失います。その示唆は、人類の元々のアンドロジニーが、不老不死、または不老長寿のどちらかに結び付けられ、そして性別の分離がその不老不死、または不老長寿の消失、そして成行き的に、知識の消失に結果したと言う事です。

また注目されるべきは、人類が、生贄であると考えられる何らかの行為、または活動によって創造されたと言う事です。それらのテーマの全ては、再びもう一度、海を渡って世界の反対側で、プラトンのシンポジウム、そしてヴィーダの太古の(インドの)文化において、それらの最も早期の表現を見つけます。

D. The Platonic Version
プラトン的なヴァージョン     29


この創始的なアンドロジニーと転落(退化)のプラトン的なヴァージョンを一つにまとめるのが更に難しいのが単純に何故なら、その教義の全体が、プラトンの様々なダイアローグ(対話式の記述)を通して分散されているためです。私達の目的のために、私達は此処において彼の対話の一つ、シンポジウム、またはバンケット一つだけに集中し、その内容を、より広いプラトン的なシステムの中に位置付けましょう。奇妙な事に、しかしながら、プラトンは、マヤのポポル・ヴァーの中で明言されたのと、殆ど正確に同じ事を示唆し、つまり、その神々に関連する限り、人類を「より低能(無力)」にするためには、性別の分離が達成されなければならなかったと言う事で:

「あなたが始めに知らなければならないのは、人の本質と、彼(人)が経験した冒険なのは;彼の本質が太古において、現在のものよりも、遥かに異なっていたためです。最初に、まず、人間は元々、男性と女性の2つの性別へと分離されておらず;それぞれの両方に対して共通な3つ目がまたあり、その性別自体は消滅しましたが、その名前は残ります。容姿と名前におけるアンドロジニー的な性別は、男性と女性の両方に対して共通的で;その名前は伝わって残りますが、非難の下で苦しみます。

「私が言及する(太古の)時代において、全ての人の形状は円く、背骨と脇腹は円形的に関節され、そしてそれぞれが4つの腕と同数の(4つの)脚を有し;お互いからそっくりな2つの顔が円形の首に上にあり;その2つの顔の間に一つの頭があり;4つの耳と2つの繁殖器があり;そしてその他全てはその様な割合から由来し、推測するのは簡単でした。人は、現在の様に、人が好む方向が何処であれ、直立に歩き;そして彼が急ぐ事を望んだ時には、彼の8つの腕脚の全てを使い、そして 彼等の脚を空中に置きクルクル回る - 曲芸師(体操選手)達の様に - 円形にクルクル回る事によって、素早く進みました。私達は3種の性別の産出のために、その始まりにおいて、男性が太陽から産出され、女性が地球から産出され;そして両方の性別において関わったその性別は、月のアンドロジニー的な本質の理由によって、月に由来したと示唆する事によって説明します・・・

彼等はまた強靭で、まとまった(スピリット/霊/テレパシー的な)思考を持っていました。神々に対する戦争を始めたのは彼等で;エフィアルトスとオータスが天界に上り、神々を玉座から落とす事を求めたとする、彼等に関するホーマーの記述は、現実においてこの創始的な人々に関係しています。ジュピター(木星/ゼウス/ジュ・ピーター)とその他の神々は、この緊急事態において何が成されるべきかを論議しました。その人種が絶滅されるべく、落雷と共に彼等(神々)が巨人達を滅ぼした様に、彼等(人々)を破壊する事に対して彼等(神々)自身を説得する事が出来なかったのは、その場合において、彼等(人々)から受け取る事が彼等(神々)の習慣だった、生贄の敬意を彼等(神々)が失うためで;彼等(人々)の横柄と、不敬の継続を、彼等(神々)は許せなかったためでした。ジュピター(エンリル)は、幾つもの難題と共に計画を考え出し、長く語りました。『私が思うに、私は、人間の民族を、より低能(無能)にする事によって、彼等(人々)の完全な絶滅を招く事無しで、彼等(人々)が行う横柄/不敬を、それによって私達(神々)が鎮圧する事が出来るかも知れない方法を考え出しました。私は彼等(人々)のそれぞれを半分に切り(性別を分離し);そして故に彼等(人々)は直ぐに弱体化し、そして彼等の数のために、より便利(奴隷)に成るでしょう・・・』と彼は述べました。¹⁴

再び、私達は、マヤのポポル・ヴァーにおいての様に、概念の類似した一連を有します:

1)創始的な人のアンドロジニーがあり、引用された文章の始まりにおけるプラトンの場合において唯一、これは明らかにその他2つの性別に沿って存在し;

2)この創始的なアンドロジニーは、マヤ人達と共に同様に、彼等(神々)に対して戦争を行い、彼等を玉座から蹴落とす事を求める地点に達する程、彼等(人々)は「強靭」で「野心的な思考」を持ったので、神々に対する危険の何らかの種を構成し、故にこの生き物(人)は、そのアンドロジニーの手立てによって、その神々に対する危険だった知識の何らかの種を有し;

3)その神々は、どうしたらよいかを相談し、そして、マヤの説明において、その(人間の)民族の全部を - 彼等(神々)が巨人達とタイタン達と共に行った様に - 滅ぼす事が問題外だったのは、人類が、彼等(神々)に対して生贄を出来なくなるためで、i.e. 人類の、神々に対する関係性は再びもう一度借金(税金)だった(犠牲を払う)事を示唆し;

4)このアンドロジニー的な人が「半分に分断」される、i.e. 性別が分離されるべきであると言う判断は、ジュピター(ゼウス)の提案において決定されました。

この決定が成されると共に、その(プラトンの)対話は続き、存在の元々の状態と、その理想の、より高い領域からのその転落の思い出(記憶/αναμνησις)のプラトンの教義に沿って、人間の性的な振る舞いを説明する事を求め、その対話は続き:

「この分離のすぐ後に、それぞれが、その人自身以外のその他半分(異性)を所有する事を希望したので、それらの(性別的に)分離化された人々は、彼等の腕をお互いに回し(抱擁し合い)、一緒に歳を取る(成長する/老化する)事を求め;そしてこのお互い(男女)無しでは何もしないと言う結論から、彼等は飢えと虚弱から死に:片方が死んだ時に、もう片方は生き残り、それは故にもう片方(異性)を求め、その胸に抱きかかえる様に残され;(私達は此処でそれを女性と呼ぶので)その半分が完全な女性達であれ、または男性であれ;そして故に彼等は消滅しました。ですがジュピターは、彼等を可哀想に想い、もう一つの工夫を考え、そして世代の派生の一部を事前に配置しました。それらの部分が元々公にされて以来、彼等はお互いの補助によってでは無く、地球上を危険にさらす事によって、昆虫の様に、彼等の(人)種を産出しました。この方法において繁殖が、男性と女性の統一によって、此処で産出され、ですから男性と女性の抱擁によって、その民族(人種)は伝播(繁殖)させられ、同性ではその様な結果は起こり得ませんでした。

「・・・私達の一人ひとりが故に、正しく人として呼ばれるかも知れないものの半分で、そして・・・完全な全体の不完全な一部で、彼(人)に帰属しているもう片方(異性)を永続的に求める事を必要とします。元々、一人の男と女の一部だったもの達は、女性的な性別を愛するものたちで・・・それらの女性達は、その統一性において2人の女性を含んでいた一部で、男性によってはあまり魅了されず、彼女達自身によって、原則的に決められた、彼女達の好みを有していました・・・始まりにおいて完全に男性(i.e. プラス)だったものの一部は、男性の社会(i.e. 陽)を求め;そして彼等が成人に届く前に,男らしいものであるその様な存在の部分は、男達の性交との親しみやすさと共に喜びました・・・

「この希望の原因は、私達の元々の本質によると、私達がその昔に完全(無性別/±)であったためです。」¹⁵

この本の第三部において私達が発見する様に、創始的なアンドロジニーと「思い出」のこのアイデア(イデア)には、現代の科学的な協力証言の奇妙な一種があります。この時点において、しかしながら、私達はヴィーダ(古代インド)的な文化に向き合わなければなりません。

E. The Vedic View of the Topological Metaphor and the Fall of Man
E. トポロジー的な隠喩と人の転落の、ヴィーダ的な見解

1. The Tree of Life in the Vedas
1. ヴィーダにおける生命の樹     32


Upanishads の中で、「生命の樹」についての興味深い文章が起こります:

「その永遠の樹はその根を上に
そしてその枝を地下に有します。
その純粋な根は不死のブラーマン(バラモン)で
全ての世界はそれらの生命をそれ(バラモン)から引き出し、
そしてそれ(バラモン)を超越出来るものはありません。この自己が最も優れているためです!

「その宇宙はバラモンから由来し、
そして彼の中で運動します。
それが反響させる彼の力と共に、
空においてぶつかっている稲妻の如くです。
彼に気付くそれらのもの達は、
死の支配を超えて通ります。」¹⁶

その樹とバラモンのイメージは、シュリ・クリシュナが語ってる処の、バガヴァド・ギータ(Bagavad Gita)の第十五章の中で再び起こります:

「太古の逸話において、
永遠に残る
巨大な Aswattha の、
イチジクの樹があり
天界において根を張り、
その枝葉は地中に向かい:
その葉のそれぞれは
ヴィーダの一つの歌であり、
そしてそれを知る者は
全てのヴィーダ(太古の歌)を知っています。

「上向きと下向きに
その枝葉は曲がっていて
gunas によって栄養を与えられ、
それが芽生えさせる芽吹きは
感覚の物事で、
それが持つ根はまた
この世界へと、
下向きに伸びていて
人の行動の根源です。

「それがその形状であるものは
その終わりと始まりで、
その正に本質は、
此処において決して知られる事は出来ません。

「故に、人は、彼の無-愛着の斧を研ぎすませるまで、バラモンを瞑想するべきです。この斧と共に、人は、しっかりと根付いた Aswattha の樹を切り取らなければなりません・・・この目に見える運動の全てが永遠に流れ出る、創始的な存在(無/神)の中で、人が避難する様にしましょう。」¹⁷

その樹のこのイメージについてコメントしている、パラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda)は以下を明言します:

「『その樹』は、それらの生命を維持している(血液)循環と神経(細胞)システムを共にした、それら自体の特有の種類の根、幹、そして枝葉を有している - 植物、動物、人である - 全ての生ける物事の体を象徴化します。生きている形状の全ての中で、その特徴的で、脊椎的な中心を共にした人の体唯一が、神の宇宙的な意識を完全に表現する効能(ポテンシャル/可能性)を有しています。その神聖な Ashvattha の樹は・・・故に、生命のその他全ての形状の中で最も優れている、人間の体を象徴化します。

「人の物理的-アストラル(霊)的-因果的な体は、何千もの蓮(はす)の花びらからのアストラル的な光線において、そして宇宙的な意識によって栄養(活力)を与えられた放射の因果的な思考において、髪の毛と脳における根を共にした、逆様にされた樹です。人におけるその生命の樹の幹は、物理的-アストラル的-因果的な背骨です。この樹の枝葉は、物理(身体)的な神経組織で、アストラル的な nadis (生命力の通り道、または光線/i.e. チャクラ)で、そして磁気的な因果の体の放射(派生)です。その髪の毛、脳神経、延髄(えんずい)、大脳的なアストラルの光線、そして因果的な思考の派生は、エーテルの生命力と宇宙的な意識から(エネルギーを)引き出すアンテナです。故に人は、物理(物質)的な食物によってのみ栄養(活力)を与えられるのではなく、神の宇宙的なエネルギーと、神の根底にある宇宙的な意識によって生かされています。」¹⁸

言い方を変えると、Yogananda が示唆しているのは、人の DNA (遺伝子)自体が、ある意味、個人の特徴的な人格として、宇宙的な意識、または神のフィールドにおける情報の、特定のサブ-セット(準項目)に変換している、または「チューンしている(チャンネルを合わせている/同調している)」ラジオの受信機に似ている類推において機能している「生命の樹」、そして「知識の樹」であると言う事です。この生命の樹もまた永遠で、¹⁹ そして故に、不老不死の樹でもまたあり、体とマインド(精神)を通した変格において²⁰、言うなれば、個人的な人に対する宇宙的な意識の不老不死で、知識のイルミネーション(i.e. 悟り)と共にその後者に、究極的で「錬金術的な」変格(i.e. トランスヒューマン/仙人思想)において、不老不死を会得する事を許します。

此処で、その他多くの太古の哲学と神話において同様に、人類は元々の創始的なアンドロジニーで、その色気(性別/異性)の経験が実際にその転落(退化)、知識の消失、そして性別への分離の原因に成りました。²¹ 「性的な分離」への「アンドロジニーからの」この転落の幾つかのヴァージョンにおいて、そのアンドロジニー的な存在(そして此処で私達はそのアンドロジニーが、性別の融合の象徴であるだけでは無く:運動と静止、being (存在)と becoming (~に成る)、等々の、その他の分極性である事を理解しましょう)、そして意識と愛におけるコミュニオン(霊的交渉/聖体拝領)の示唆されたアイデアを、生贄のアイデアと共に入れ替える、その知識を破壊するのはバラモン(ブラーマ)であると言う事です。そして生贄と共に、私達は更にもう一つのそれらの「面食らわせさせられるイメージ」の目の前にあります。

2. The Rig Vedas and the Origin of Sacrifice: A Metaphor Literally Practiced
2. リグ・ヴィーダと生贄の起源:文字通りに実施された隠喩     34


神々の格子の中のトポロジー的な隠喩を含んでいる太古の文献の私達の調査を通して、そして特にマヤ人達とアステカ人達に私達が出くわした時に、血塗られた、そして実際の人間の生贄の概念はその隠喩に結び付けられ、この残忍で、野蛮な風習によって、不老長寿がどうにかして会得され、そしてその神々が喜ぶ事が示唆されました。私達が目撃した様に、その行いは、少なくともアステカ族に関する限り、元々の風習ではありませんでした。ですから、何処から、そして何故、それは元々由来し、そして何時だったのでしょう?更に重要な事に、それ(人間の生贄)はどうすればその隠喩の「発達」として合理化される事が出来た、または納得される事が出来たのでしょうか?もしそうなら、それは妥当であり、または発展と応用の湾曲だったのでしょうか?

それらの問いに答えるために、私達は生贄をはっきりと述べる、世界において最も古い文献の幾つかに目を向けなければならず、そしてそうする事は:リグ・ヴィーダのトポロジー的な隠喩自体に対する関連性においてとても明らかです。

彼の絶対的に重要で、素晴らしい研究 - リグ・ヴィーダを通した瞑想の中で - アントニオ・デ・ニコラスは、ヴィーダの讃美歌(讃歌)、プルサ・スクタ(Purusa Sukta)、「人の讃歌」を引用します。私達は何故、血塗られた - そして人間の - 生贄の行いが台頭したのかの、私達の分析と推理的な再構築において、私達に考えさせるこの讃歌の一部をイタリクス化し、太文字にしましょう:

「1.幾千もの頭が人であり、
幾千もの目と足を共にし、
彼(人)は地球全体を覆い
そして10本の指によってそれを超えて行きます。

「2.人は実際に、存在したもの、存在するものの全てで、
そして未来において来るであろうものが何であれ、
彼は不老不死のあるじであり、

栄養を通して台頭する全てです。

「3.彼の力と偉大さはその様ですが、
人は、それらより更に偉大で:
彼にとって世界の全てはたった四分の一で、
四分の三は、天界における不老不死です。

「4.彼自身の四分の三と共に、人は台頭し、
その他の四分の一は此処(地上)に生まれました。
此処から全ての側の上で彼は動き
生きているもの(有機物)と生きていないもの(無機物)に向かいました。

「5.彼から Viraj は生れ、
そして Viraj から人は生れました。

生れた時に彼は
西と東の両方において
地球を通り越しました。

「6.彼等(神々)の生贄として人と共に、
彼等(神々)が生贄を行った時、

春(種蒔き)は彼等が手に取ったオイルで
秋(収穫)がその供え物で、夏(実り)がその燃料でした。

「7.その生贄は、わらの上で加工された人で、
その始まりにおいて生れ;
彼と共にその神々は生贄を行い、

そして Sadhya 達と Rsis 達もそうしました。

「8.その宇宙的な生贄から、
オイルのしずくが集められ、
羽根の獣が生れ、
そして野生と家畜の動物が生れました。

「9.元々の生贄から、
その讃美歌と聖歌は生れ、
それからメートル(寸法)が生れ、
そしてそれから散文(言葉)が生れました。

「10.それから馬達が生を与えられ、
そして牛は二重の歯を共にしました。
雌牛達はそれから生れ、
そしてそれから山羊達と羊達が生れました。

「11.彼等(神々)が人を切断(分解)した時、
どれだけ多くの部分へと彼等(神々)は彼(人)を分離したのでしょう?

彼(人)の口は何で、彼の両腕は何で、
彼の太腿と足を彼等(神々)は何と呼んだのでしょう?

・・・

「16.生贄によってその神々は生贄を犠牲と呼びました。
それらは元々で、そして最も早期の行いでした。
(その生贄の)それらの力は、
Sadhyas と神々がいる処である
天界へと届きます。
」²²

強調された点をまとめると、興味深い構図と、関係性の一連を明かします:

1)神、またはその創始的な媒質(エーテル)は、効果的に、「偉大な人」、または「宇宙的な人」として見解され、つまり「makanthropos (μακανθροπος)」としてで(第二節と第五節);

2)この「makanthropos」は「不老不死の主人」(第二節)で、言い換えると、不老不死とその媒質は、未だに探求されておらず、そして理解されていない理由のために、親密に関係していて;

3)人は、彼自身が捧げ物であり、生贄で、そしてそのコンテキストから、此処において言及された「人」が、その「宇宙的な人」、または「mankanthropos」である事が台頭し(第六 - 八節);

4)それが犠牲にされた「宇宙的な人」である事によって、その生贄自体が「宇宙的」で(第八節)、そして故にその生贄は「天界に届く」力を持ち(第十六節)、天界に影響する力を示唆し、つまり、何らかの方法において、神聖、または媒質であると言う事で;

5)この宇宙的な人の生贄は、彼の(体の)切断の構成(第十一節)で、今では不穏にさせられるイメージのとても長いリストに成ったものにおける更にもう一つの不穏なイメージです。

デ・ニコラスは、リグ・ヴィーダのシステムにおける生贄(犠牲)の重要性について、更なる言及を産出します:

「リグ・ヴィーダ的な預言者達は、人に対する元々のもの:人の最初の行い、生贄(犠牲)と共に私達を真正面に置き:「犠牲と共にその神々は最初のもの(人)を産み出し、そしてそれは、人類の最初の行動に成りました(1.164.50)。この方法において、その一人(一つ/One)は、数多いものとして語られる様に成り:「彼等はそれをインドラ、ミトラ、ヴァルナ、アグニ、そして天界的な鳥(太陽)、Garutmat と呼びました。」(1.164.46)そして、過去と未来が一致したのはその犠牲においてで「:未来のものはまた太古であり、人が言うに、それらの部分はまた、現在です。」(1.164.19)²³


言い方を変えると、Purusa Sukta、そして上述で数値化された全ての中で言及された生贄(犠牲)は、最初の行いで、そして人は、人間の創始的な活動と機能(奴隷)を推論出来るかも知れません。

ですがこの全ては、その物理的な媒質の、元々のトポロジー的な隠喩のコンテキストの中で明言され、そして故に、これは、それらの生贄的なイメージと言及をどの様に理解するかの上に、特定の解釈的な制限を強いる事に注意するべきでしょう。デ・ニコラスは故に、生贄のイメージ自体が、この元々のトポロジー的な隠喩の隠喩で、隠喩の隠喩だと強調します:

「斬首、切断、そして生贄がまた、(リグ・ヴィーダ)の中で確認されます。1.52.10;2.11.2;2.20.6;4.19.3・・・

・・・

「『息をしながら素早く動いている、留まる事無い永続の一つ』が見つけられるのは、『アグニの(3つの)家の中で』、そして『有死は不死と共に共通の起源を有します。』・・・Vrtra における混乱した、または非-分離化されたもの(無)として、または PurusaPrajapati、インドラ、ソーマ等々として分離化されたものどちらかとしての知覚の異なったイメージは全て - 斬首、切断、相互関係を通して、または感覚器(意識)の統合として - 生贄に結果します。」²⁴

更に後に、デ・ニコラスは、非-分離化と分離化の意味に対する、それらのとても難解な言及の全てが何なのかを説明します:

「その元々の無限の空間へのこの回帰は・・・既に無運動への回帰では無く、むしろ運動の結果で、究極的に『有死と不死が共通の起源を有する』ので、『聖父(+)と聖母(-)が出会う』処であり・・・天界と台地が共通のねぐら(温床)において統一する処である、光の照らされた一瞬に繋がっている運動です。」²⁵

言い方を変えると、生贄は、分離化自体の台頭において結果した、「元々の(無から有への)創始的な分裂」、または最初の分離化の隠喩です。

このコンテキストの中で見解されると、「切断」と「斬首」は、もし残忍に聞こえたとしても詩的で - 少なくとも宇宙的で、元々の感覚(意味)において - 「分離化」、そして故に生贄のためのコード(暗号)で、トポロジー的な隠喩の中で、その他全ての多様性の台頭に繋がる、創始的で、最初の分離化に対する単純な言及です。

ですが、ヴィーダ的なインドにおける太古の時代において、実際の生贄が、正しく行われたのは、よく知られています。ですから人は、どの様にその台頭を合理化すれば良いのでしょう?生贄の実際の行いは、デ・ニコラスによって説明された様に、天界(+)と大地(-)、聖父(+)と聖母(-)等々と言った、様々な多様性の統一を効果するためにデザイン(意図)された、「逆」技術開発の一種として、故に、見解されました。

私達は故に、その実施の合理化はむしろ、単純だったと大胆に提案しましょう。その隠喩の中の分離化の元々の行い(運動)が、愛として知覚されたのは - 分離化が無い処(無)に愛が存在出来ないためで - その後、愛が無い処において、その隠喩は文字通りに理解される様に成り、そして生贄の実際の行いが、それによってその媒質と、その分離化自体の行程を類推的に産出する方法として見解される様に成り、そしてそれによって、物理的な媒質(エーテル)を効果させる、または「トラウマ化し、ショックを与える」ためでした。私達は、これがまた、その行為を単純に、「類推的な魔術」のこの行いを、権力を得る為の方法として見解した、邪悪な意図を持った者達の存在を提案する事によって、唯一説明される事が出来ると、大胆に提案しましょう。

私達は、端的に、再びもう一度、愛の実際の行為を通した聖体拝領(communion)と統一(union)の目的に対して、その真の目的と動機が全く異なった「コミュニオン」と「ユニオン」の前にあります。目標、または目的は - 「正反対(男女/プラス・マイナス)」の間のより高い錬金性別的な統一の、錬金術的な再創造ですが - 其処に辿り着く迄の方法が、全く異なります。

言い方を変えて、そしてもっと大胆に言うと、錬金性別的で-トポロジー的な隠喩のコンテキストの中で、生贄が錬金性別的な行い自体で、女性的な要素である「大地」への、男性的な要素の物理的ですが、比喩的な「切断」と「種蒔き」です。それが血塗られた生贄なのは、何故なら実際に男性の種(精子)が、殆どの場合において、少量の血液を含んでいるためです。

これが意味するのは、人の通常の感覚に対して同等に、そして深遠に不穏にさせられる何かですが、それでもそれが、この太古の隠喩の構成要素なのは、それが意味するのは、実際の血塗られた生贄(精子)の慣例(性交)が歪められた模倣(偽物)で、愛を派生させる事が決して出来ない行為なのは、それが分離化においても基づいておらず、それにおいても結果せず、むしろそれを全滅させるためで;それが文字通りにその媒質(エーテル)をトラウマ化するために意図された類推的な切断だったのは、対してその媒質 - 錬金術的な文献における、「腐っている(発酵中の)こやし」である、その地面、大地、女らしさ(マイナス)、そして更に実際の女性であり - そしてそれを絶妙に影響する事であるためです。これがまた意味するのは、幾らかの(太古の)伝統において、ホモセクシュアル(同性愛)とヘテロセクシュアル(異性愛)の行いの両方が、錬金性別的な行為として考えられた事ですが;血塗られた生贄は決してそうなる事は出来ませんでした。後者の場合において、私達はヴィーダ的なインドにおける実際の血塗られた生贄の台頭のための合理化を有し、そしてその前者において、チベットのホモセクシュアルなタントリックの性交の魔術の台頭のための合理化の可能性を有します。それはまた、少なくとも部分的に、何故、その様に多くの文化が、そのアンドロジニー的な体現化を、ヘテロセクシュアル(異性愛)よりも「より高いもの」として見解したのかを合理化するのは、古代人の精神、神秘主義学派、秘密結社、そして秘儀主義の高度な伝統にとって、それが知覚されたヘテロセクシュアルの行い(性交)よりも、アンドロジニー(中性)的で物理的な媒質(エーテル)の分離化(分極化/±)自体に対するより緊密な類推(比較)だったためです。ですが、これについては、第三部の中で更に触れましょう。現時点において、私達はその場面の上の介入者を扱わなければなりません。

3. The Trees of Life and Knowledge in Yahwism
3.ヤーウェイ主義における生命と知識の樹     39


太古の哲学的な伝統における - 生命と知識のテーマである - 生命と知識の樹のイメージを、聖書的なヤーウェイ主義の伝統(i.e. ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教)に対して比較するためにいったん足を止めるのには価値があります。神話の有名な学者、ジョセフ・キャンベルは、より古い哲学的で形而上学的な真実(起源/自然科学)と新たな(後の)ヤーウェイ主義の間の原理的な違いを、以下の方法で明言しました:

「それによって神と、彼の世界、不死と有死が、聖書の中で分離させられる、神秘的な分離は、不死の生命の樹からの知識の樹の分離において表現されています。その前者は、神の意図的な行為を通して人には利用不可能に成り、それに対して、ヨーロッパと東洋(中東)の両方の、その他の神話において、知識の樹自体が不死の生命の樹で、そして、更に加えて、人に対して未だに利用可能です。」²⁶

より古く、もっと太古の見解において、創始的な現実性の、物理的な媒質の、マテリア・プリマ(創始的な素材)、または神の、ヨガナンダの言葉を使うと、宇宙的な意識の「ひらめき(始まり)」²⁷は、それからそれらが降臨した「個人唯一では無く、全ての物事」でした。

ですが、ブラーマン主義(バラモン教)の様に、コミュニオン(聖体拝領)のために、血塗られた生贄(犠牲)に入れ替えたヤーウェイ主義と共に、凄まじい逆転が起こります:

「私達の聖書によると、一方で、神と彼の世界は、お互いと同一視されません。神は、創造主として、世界を造りましたが、A があらゆる感覚において B ではない様に、あらゆる感覚において、その世界自体、またはその中のあらゆる物体でもありません。故に、ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、またはイスラム教的な主流派において、その世界において、または個人自身の中のどちらかで神を求めるのは問題外です。これは、東洋(中東)の愚かな賢者達と、シュメールとアッカド、バビロン、エジプト、カナーン(パレスチナ)と、そしてその他の邪悪な神官達の否認された(元々の)自然崇拝を人類に思い出させる方法でした・・・」²⁸

これは、ヤーウェイ主義によって影響された、その文化における精神的な見解の完全な変化の結果で、そして伝統的で神話的な象徴の逆転(180度の方向転換)でした:

「全ての科学よりも、聖典における意味の最後の一粒(詳細)のために几帳面に調査する事を重んじた、シナゴーグ(ユダヤ寺院)とモスク(イスラム寺院)の両方に特徴的な学術の種は故に、ギリシャ的な方法を全く続けませんでした。大いなるレヴァント(地方/中東)的な伝統において、その様な学術主義は最高権威で、ギリシャ人達の科学に対して正反対に位置したのは:もし、科学によって研究された世界の現象が、神の意志の機能で、そして神の意志が変化の対象なら、自然の研究においてどの様な善が一体あるのか?と言うためでした。世界の最初の原則の知識全体、つまり、神の意志は、神の慈悲によって、彼が供給した本(聖書)の中で人に知らしめされました。然るに:読んで、読んで、読んで、その祝福されたページの中にあなたの鼻を埋め、そしてペイガン(ヤーウェイ主義以前の土着信仰者)達には月において、彼等の指に口付けさせましょう。」²⁹

言い方を変えると、元々の非分離化された神であると主張する特定の神によって、または「預言者」、もしくはエリートによって、特別な啓示に対する主張がひとたび成されると、その特別な啓示が、創始的な哲学(自然科学)に入れ替わり、押しのけて、そしてそのシステム(ヤーウェイ主義の教義)が、その知能化された世界における最高権威に成り、改宗者を増やすにしても、その他全てをそのシステムに対する敵、または異端者としてレッテルを張るにしても、全ての上でそのシステムを守る事を求めます。私達は、これについて、次の章の中で、更に述べる事があるでしょう。

F. The Catalogue of Concepts Associated with the Tower of Babel Moment
F. バベルの塔の瞬間と関連した概念のカタログ     41


この全てを一緒にまとめると、人は、歴史の瞬間の「バベルの塔-人の転落」と通常関連した概念の、少々、興味深いカタログと共に浮上します:

1)バベルの塔-人の転落の瞬間は常に、人類の分裂化の何らかの観念に結び付けられ、

a)ポポル・ヴァーの中に明確に記述された様に、または創世記2-3において微妙に示唆された様に、それが性別の分離であれ;または、

b)それが死による人の存在の分解、そして魂と肉体の分離によるものであれ;または、

c)それが、バベルの塔の瞬間の聖書的なヴァージョンにおける、人の言語の混乱化の場合における、社会的な分裂化の何らかの種によるものであれ;

2)この分裂化は、人類の部分の知識の消失に繋がり、人類が有していた以前の統一性が何であったにせよ、先進的な知識の状態の何らかの種に対して、どうにかして貢献していた事を示唆し;

a)言語、そして言語的な混乱化、そして社会的な分裂化の聖書的な逸話の場合において、これが特定の意味を成すのは、その様な行程が、人の知識と社会的な制度の進歩を減速させ、多大に妨げるためで;

b)死を通した人類の分裂化、そしてその後の人の寿命の短縮化の場合において、これもまた妥当な意味を成すのは、人の寿命の多大な短縮化が意味するのは、人の知識の全体的な総合がリサイクルされ、新たな人の世代に対して伝えられなければならず、知識の全体的な進歩が、もっとゆっくりに成ってしまうためで;

c)マヤのポポル・ヴァーの場合において、人の知識の上の性別の分離の効果は、後の部分において私達が目撃する様に、推理的な合理化を行う事は出来ますが、直ぐには鮮明では無く;

3)何が同等に奇妙なのかと言うと、多くの宗教的、そして哲学的な伝統が、歴史のバベルの塔の瞬間を、正に転落(退化)としてとらえ、つまり、彼等が「スピリット(霊)」的な状態を、spatio-temporal movement (空間-一時的運動/時空間運動)として考え、そして描写した事です。³⁰ これが、深遠に重要な物理学の手掛かりに成る、それらの「明らかな物事」の一つなのは、私達が発見する様に、古代人達はこの運動を、現代の学者達の形而上学的な定義において理解しなかったためです。対照的に、彼等はそれを意味していて

4)また、人類の分裂化、そして - 男性-女性の分裂化、魂-肉体の分裂化、言語的、そして社会的な分裂化である – その分裂化を表現するために使用された伝統の様々な種類と共に起こった知識の消失のアイデアに結び付けられたのは、人類がまた、力(能力)における多大な退化を経験したと言うアイデアで、宗教が執着するには異例的なモチーフで;

5)バベルの塔の瞬間の様々な伝統の表面の、最も異例的で、そして実際に、初見において驚かされ、そして不穏にさせられるものが何かと言うと、人類の分裂化を原因するために、神々によって行われた行動が何であれ – 基準的な「罪深い人が、公正な神々を腹立たせる」テーマの - 「スピリット的」な理由のために行われたのではなく、むしろ、その神々が行ったのが何故なら、人類、彼の知識、そして/または彼の活動が、彼等(神々)に対して体現した、はっきりと明言された、または示唆された危険だったためです。これは、十分に奇妙な事に、バベルの塔の瞬間の聖書的なヴァージョンにおいて特に当てはまり;

6)それは故に、人が、様々な伝統の中で(または、人の転落とバベルの塔の瞬間を2つの別々の出来事とする聖書的な説明の様に、同じ(一つの)伝統の中でさえ)分裂させられた概念の同じ座標を見つけるので、それぞれの伝統が幾つかのはっきりとした要素を保存した、一つの逸話の断片を私達が見ていると言うのが、私達の考えです。

それらの技術と科学技術の定義において、この全てが何を意味するのかに気付くのが重要なのは、そのバベルの塔の瞬間が、増幅している分離化(多種多様性)において結果したためで、必然的に、あらゆる再-上昇(i.e. オイル/松果体/悟り)は、下降(降臨)の梯子(脊椎)、人と動物、人と植物、人と鉱物、または機械、そしてその最も高度な段階において、男性と女性、マインド(精神)と物質(肉体)まで戻る分離化の再統一(悟り)の概念を含み、そして究極的に、人間の意識の最終的で、終末論的な、更に錬金術的な変格のための探求における課題であるためです。言い換えると、人がバベルの塔の瞬間において関わった概念を見れば、すると人は錬金術的で、変格(トランスヒューマン)的な目的を認識するかも知れず:

(1)失われた知識の回復で、

(2)それと共に、それ(知識)と共に追随した、神を-脅かす(神/仙人に成る)力の回復で、

(3)その知覚された要素の再統一(reunion)は、正しくも、そうで無くとも、その昔、統一化されていました。
以後のページの中で私達が発見する様に、これが示唆するのは一つの目的で、高度で秘儀的な伝統における、人類のトポロジー的な転落(降格/退化)の梯子のそれぞれの要素と共に、人類を再統一するためのものです。

しかしながら、隠された錬金術的な目的として、その技術開発された、科学技術的な上昇(変格)を私達が理解出来る前に、私達は、全てが始められた「元々の出来事(宇宙の始まり)」において、詳細に検証しなければなりません。
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参考文献

1 Joseph Campbell, The Hero With a Thousand Faces (Novato, California: New World Library: 2008), p. 138.
2 Leonard Bernstein, The Unanswered Question: Six Talks at Harvard (Harvard University Press, 1976), p. 12.
3 Joseph P. Farrell and Scott D. de Hart, The Grid of the Gods: The Aftermath of the Cosmic War and the Physics of the Pyramid Peoples (Adventures Unlimited Press: 2011); Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed: The Ancient War for Future Science (Adventures Unlimited Press, 2005); The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts (Adventures Unlimited Press, 2006.)
4 存在へと人類を至らせた技術開発(遺伝子操作)におけるエンキの役割については、Joseph P. Farrell の、 The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts (Adventures Unlimited Press, 2007), pp. 140-149, そして Genes, Giants, Monsters, and Men (Feral House, 2011), pp. 138-155. を参照してください。
5 Thorkild Jakobsen, trans. and ed., The Harps that Once....: Sumerian Poetry In Translation (Yale University Press: 1987), p. 280. その女神イナンナ(イシス/イシュタル/マリア/乙女座等々)とのウルク(の街)の「大いなる山(ジグラット/ピラミッド)」は、ジョセフの宇宙戦争(pp. 74-83; 232-233; 239-240293-294)の中で最初に論議された「山」≈「惑星」≈「神々」≈「ピラミッド」を思い出させます。
6 Jakobsen, op. cit., pp. 287-288.
7 Ibid., pp. 289-290, emphasis added.
8 Ibid., p. 290, emphasis added. 人類の言語的な統一性を分裂化させた責任のある神としてのエンキの同一視は、もし人が、ヤーウェイは、エンキかも知れないと言う、デーヴィッド Rohl の提案を思い出せば、その聖書的なヴァージョンに対する、それ自体の関連を産み出すかも知れません。See Joseph P. Farrell, The Cosmic War, pp. 301-303.
9 Ibid., pp. 292-293, emphasis added.
10 See Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed (Adventures Unlimited Press: 2005), pp. 151-174, and The Philosophers’ Stone: Alchemy and the Secret Research for Exotic Matter (Feral House, 2009), pp. 85-119.
11 Dennis Tedlock, transl., Popol Vuh: The Definitive Edition of the Mayan Book of the Dawn of Life and the Glories of Gods and Kings (New York: Simon and Schuster, 1996), pp. 64-65, emphasis added.
12 Ibid., p. 63, emphasis added.
13 Ibid.,, pp. 146-148, emphases added.
14 Plato, The Banquet, trans. Percy Bysshe Shelley (Provincetown, MA: Pagan Press, 2001), pp. 47-48, emphasis added. 私達は、偉大な詩人、シェリーの翻訳が、アンドロジェニーのためのその言葉とその示唆を濁さない、数少ないものの一つなので、それを利用しました。
15 Ibid., pp. 49-51.
16 Katha Upanishad, 3:1-2, Upanishads , Trans. Eknath Easwaran (Blue Mountain Center of Meditation, 1987), p. 95.
17 Swami Prabhavananda and Christopher Isherwood, trans. Bhagavad-Gita: the Song of God (New York: Signet Classic: 2002), pp. 110-111.
18 Paramahansa Yogananda, God Talks with Arjuna: The Bhagavad Gita: Royal Science of God-Realization (Self-Realization Fellowship, 1999), pp. 788-789, emphasis added.
19 Ibid., p. 927.
20 Ibid., p. 928.
21 Ibid., pp. 928-931.
22 Ibid., pp. 71-72, citing the Purusa Sukta, the hymn of man, 10:90, emphases added.
23 Ibid., p. 70, emphasis added.
24 Ibid., pp. 148-149.
25 Ibid., p. 153. TRANSHUMANISM 45.
26 Joseph Campbell, The Maskes of God: Volume III: Occidental Mythology (Penguin, 1991), p. 105.
27 Ibid., p. 108.
28 Ibid.
29 Ibid., pp. 180-181.
30 人が唯一考慮する必要があるのは、運動と静止の重要な時空間的な概念が、オリゲン、または、言ってしまえば告白者、マキシマスの神学的なシステムにおいて、どの様に成ったかです。


第二章 
2. The “Topological Metaphor” of the Medium and Its Revolutionary Inversion: The “First Event,” the Four-Staged Descent of Man, and the Three Great Yahwisms(sic.)
2.その媒質の「トポロジー的な隠喩」とその革新的な逆転:その「最初の出来事」、人の四段階の転落、そして三種の大規模なヤーウェイ主義     47


「その単一の神は、それによって有限の魂が、全ての創造された物事から戻り(変換し)、その中で唯一それが休息(静止)を見つける事の出来る、不変の完璧(神)へと戻るその道(方法)である、その上昇している行程の『上への道(戻る方法)』の目的でした。」
- アーサー O. ラヴジョイ¹

「太古の宗教を描写し、そして分別するための道具として、統一性と複数性の対峙は、実用的に無価値です。」
- ヤン・アスマン²

殆どの太古の神話と伝統の中で、バベルの塔の瞬間は、その中で人自身の創造が、より高い位置(大脳/松果体/脳下垂体/第七チャクラ)から、より低い位置(太陽神経叢/下腹部/第一チャクラ)への「転落(堕落/退化/)」である、下降(降臨)として隠喩的に表現された、より広いコンテキスト(文脈)において描写されました。このより高い位置は、私達が直ぐに目撃する様に、順を追って、それからすべての創造が派生する、分裂化(多様化)の終わり無き行程における - 創始的な無、または統一性自体 – もしくは彼(神)自身の象徴です。

人は、現代の学術界、または一神教的な宗教がとても頻繁にそうする様に、その中でこの隠喩が体現された複数形状の神話と例え話を、過ぎ去った日々の、あまり精巧では無い、時代遅れの世界観として、否定するかも知れません。または、私達が此処において行う様に、人は、論議と高度な推理のために、それが高度な太古(超古代文明)からの先進的な文化の遺産(名残)で、その科学的な精密性は、私達自身(の現代)と同等か、それを遥かに超えていたと仮定するかも知れません。その方法において見解されると、その隠喩を含む、または却下される、太古の神話と文献の解釈は、深遠に変化します。

A. The Metaphor and the First Event, or Primordial Differentiation
A. その隠喩と最初の出来事、または創始的な分離化

1. The Metaphor and Some of Its Cultural Expressions
1.その隠喩とその文化的な表現の幾つか     48


ですがその媒質(エーテル/プラズマ)のこのトポロジー的な隠喩は、正確には何なのでしょう?

この創始的なと、その最初の分離化(無:A, B, C)は世界中で様々なイメージ(象徴)と名前の下で表現されましたが、私達が此処で、そして後に続く章において目撃する様に、私達が「その媒質のトポロジー的な隠喩」と呼ぶ例えは、その物理的な媒質自体の、深遠に精巧化された物理学の隠喩もまた含んでいます。

それを理解するために、人が行う必要があるのは、そのアイデアの彼等の説明において古代人達によって幾度となく行われた単純な「思考の実験」以外のなにものでもなく、此処における場合において、その創始的な無について思考している新プラトン主義派のイアンブリカスによるもので、それは「モナド(一つなるもの/神」として此処でその姿を現します:

「モナドは、数字の、非-空間的な源泉です・・・

「全てが、モナドによって組織化されたのが何故なら、それが効能的(potentially)に全てを含んでいるためで:もしそれらが未だに実質では無いとしても、それでもモナドが、将来性的に、全ての数字の中にある原則を保っているためです・・・」³

その隠喩に関する限り、その創始的な統一性(無)が、効能(ポテンシャル)における全てを「含んでいて」、私達が今後の章の中で発見する様に、現代的な考え方から殆どかけ離れていない、物理学的な概念である事に注目して下さい。

ですが何故、この隠喩を、一体全体「トポロジー的な」隠喩と呼ぶのでしょう?一体全体、何故、数学の、より高い次元的な言語に言及するのでしょう?それらの問いに対する答えを理解するために、それのヒンドゥー(古代インド)の表現に対する関係において、私達がその他の場所(本)に書いた事を反復する必要があります。

これが示唆するのは、しかしながら、最初の創始的な「何か()」への、からの元々の分離化である「最初の出来事」が、私達の「思考の実験」を拡大する事によって、最も上手く理解されるかも知れないと言う事です。無の海において、方向自体のアイデアは、この無に対して応用可能なものでは実際に有りませんが、以前と同様に無の海を想像してみて下さい。人は、この無を、唯一、類推的に、隠喩的に、語る事が出来ます。

其処にはまた、無(Nothing)が「起こっていて(going on)」、または、もっと上手に云うと、「Nothing is Happening (何も起こっていません)。」Nothing (無/虚無)が Happening (起こっている)ので、其処には変化が無いので、時間は無く;全ては Sameness (同じ様/統一性)で;全ては Nothing (虚無)です。

「その昔、時間は全くありませんでした。

「時間は、空間における物体の変化している位置(座標)の測定以外のなにものでも無く、ad (sic./and?)多くの科学者達、神秘主義者達、そして狂人達が知っている様に、その始まりにおいて、空間の中には、物体は全くありませんでした。」⁴

(実際に、空間のアイデアは、アインシュタインに足並みを揃えると、そのカーブを原因する、その(空間の)中の物体から分離不可能なので、「空間」さえも存在していません。)

「物質、空間、そして時間の、この元々の欠如(創始的な無)にも拘らず、全てが開始されるために、何かが起こったはずです。言い方を変えると、何かが存在する前に、何かが起こったはずです。

「何かが最初に起こった時に、noTHING (物が無い/虚無)が有ったので、この最初の出来事は、私達が通常、物理学の法則の定義において説明する出来事の種類からは、とても異なったものであったはずだと言うのは妥当でしょう。

「この最初の出来事は、ある意味、物理的な出来事よりも、mental (マインド/精神)的なものだったかも知れないと言う方が意味を成すでしょうか?」⁵

実際に、絶対(神)、神聖な単純性、宇宙の大いなる構築者、創始的なアンドロジニー等々と人がそれを呼ぶ事を望む方法が何であれ – 神秘主義者達、形而上学者(哲学者)達、そして、私達がもっと後の章において目撃する様に、理論的な物理学者達の頭を悩ませたのは、人類が、それについての人の思考を何千年にも渡り記録したのは、この創始的な統一性(無)で、そしてその最初の出来事、または創始的な分離化でした。

a. In Hinduism:
a. ヒンドゥー教において
(1) The Triune Vishnu
(1)三重(三位一体)のヴィシュヌー


私達の以前の研究、神々の格子の中で、私達はそれが、(古代)ヒンドゥー、マヤ、そしてエジプトの宇宙学的な哲学の中で起こった様に、その隠喩の様々なヴァージョンを検証しました。次に続く部分において、私達は、その隠喩がどの様に機能するのかを理解するために、その詳細を認識する事が不可欠なので、私達の以前の(著書からの)明言を、長文において引用しましょう。しかしながら、私達はまた、西洋の読者達にとって、より親しみがあるかも知れない、新プラトン主義派とヘルメス的な伝統からの、追加的な素材(資料)を加えるでしょう。例えば、そのヒンドゥーのヴァージョンに関して、私達はパダマ・プラーナからの引用と共に始めました:

「創造の始まりにおいて、その大いなるヴィシュヌーは、世界全体を創造する事を望み:創造主、保存主、破壊主の三重(三位一体/無:A, B, C)に成りました。この世界を創造するために、その最高位のスピリットは、彼の体の右側から、ブラーマ(バラモン)として彼自身を産出し、その後、その世界を保護するために、彼は、彼の左側からヴィシュヌーを産出し;そしてその世界を破壊するために、彼の体の中心部から、永遠的なシーヴァを産出しました。幾らかの人達はブラーマを信仰し、幾らかはヴィシュヌーを信仰し、その他はシーヴァを信仰しますが;一つであり更に三位一体であるヴィシュヌーは、創造し、保存し、そして破壊するので:故に信心深い者は、その3つの間の違いを、別格視しない様にしましょう。」⁶

私達は、こう続けました:

この「創始的で、三位一体的で、ホモセクシュアル(単一性別的)な有頂天」の、エジプト的、またはヒンドゥー的なヴァージョンのどちらにおいても、私達は神学的な(聖典的な)啓示のあらゆる概念を扱っているのでは無い事に注目して下さい。

私達が扱っているのはむしろ、私がギザの死の星は破壊された⁷の第九章への補足において記述し、そして再び、賢者の石⁸ の中で記述した様に、その物理的な媒質自体の「トポロジー的な隠喩」で、そして其処で私が、更にその他の太古の伝統、この場合において、新プラトン主義派とヘルメス主義派において見解された、その物理的な媒質の、情報を創造している行程からの、この「三重性(三位一体)」の派生に関して私が明言した事を思い出すには価値があるでしょう。

このトポロジー的な隠喩を描写するために、古代人達が使用した、多様化された宗教的で、形而上学(哲学)的な象徴の全てによって彼等が意味したものを理解するために – それを解読するために - 私達は簡単な「思考の実験」を行いましょう。一つの絶対的に分離化されていない「何か/something(i.e. 無/虚空)」を想像してみて下さい。新プラトン主義派は、この「何か」を「単純性/単一性(απλωτης)」として言及しました。物理学の見解から、そしてヒンドゥー教自体のものからの見解から、私達が「nothing (無)」を扱っているのは、それが分離化された、または分別化された特徴を全く有さないためである事に着目して下さい。

此処で、無の一部(無 A)を、その無のその他の部分(無 B)から分離している一つの「囲い」(ヴィシュヌーの射精の隠喩)を想像して下さい。人がそうした瞬間において、人はそれぞれが「分離化された無」の一種である3つのものを有します。人が有するのは:

1)無の「囲まれた」部分(無 A);

2)その無のその他の部分(無 B);そして

3)その2つの部分が分かち合う「表面」(無 C)です。

更なる何かに着目して下さい。純粋に物理学的な観点から、時間はお互いに対して関する事を共にした、分離化された物事の比較的な位置(座標)によって唯一測定されるので、これは、時間無しで起こります。その「無の(2つの)部分(A, B)」とそれらの共通の表面(無 C)は、言うなれば、未だに永遠的ですが、その同じ瞬間において、分離化自体の機能と共に、一種の「時間」が同時的に台頭します。

端的に、非-測量可能な「無」から、それ自体を「分裂化する」、または「分離化する」行程と共に、数字の概念を含んでいる、情報が派生し始めます。古代の見解の上で、すると、数字は抽象において存在していませんでした。それらは、むしろ、その物理的な媒質の、トポロジー的な機能です。⁹

此処で私達は、私達の3つの分離化された無(A, B, C/1、2、3)を数学的に注釈する事によって、このトポロジー的な隠喩へと、さらに深く入ってみましょう。この「無」を体現するために完璧なシンボルがあり、空っぽの hyper-set (超越的な一連/空集合)で、そのシンボルは Ø で、それは「物事(有)」も「数字」も含んでいません。此処で私達は、私達の元々の「無」を、Øℯ によってシンボル(象徴)化しましょう。何かの表面が、部分的で派生物的なシンボル ∂ によって体現されるのは、結局の処、何かの「表面」は、それが無であったとしても、その「部分的な派生物(partial derivative)」であるためです。ですから、私達は、私達の3種の結果している存在(i.e. 無 A, B, C)を以下の様に表しましょう:

1)無の「囲まれた」部分(無 A)、または Øa-ℯ;

2)その無のその他(無 B)、または Øℯ-a;そして

3)その2つの部分が分かち合う「表面」(無 C)、または ∂Øa-ℯ|ℯ-a です。

此処で注目してもらいたいのは、それらの3つの「無」は未だに無ですが、お互いの無からは形式的にはっきりとした方法において、それぞれの無を分別化している、情報(数字)をそれらが此処で得た事です。他の何かにも着目してもらいたいのは:それぞれが、その元々の分離化されていない無から派生した特徴を持っているので、それら全ての間の関係は、本質において類推的で;言い方を変えると、それぞれが、その形式的な描写において、Ø の存在を保っています。そしてこれは、人がどれだけ多くその「囲み」、または「分離化」(多種多様化/発達)を続けようとも真実(不変)です。この太古の宇宙学的な見解の上で、言葉を変えると、その元々の無からの「分離化」の無数の段階を通したその派生の手段によって、全てはその他全てに関係しています。同調的な魔術の実施のために、太古の文明の中でその土台を形成するのがこの事実なのは、純粋で、物理学的な定義において、それらの太古の宇宙学によって示唆された、その物理的な媒質の類推的な本質を与えられると、全てが、その他全ての、対化されたハーモニック(調和的)な振動子/発振器(oscillator)であるためです。¹⁰ 最後に、この形式的な明快さがどれだけ、創造された世界は、実際に、分離化された無(±)であり、幻想であるが故に、「無」であるとする、ヒンドゥーの概念と共にとても上手く、ぴったりと適合するかを観測して下さい。

「此処で私達は、太古の文献と宇宙学における、このトポロジー的な隠喩の解読における次の一歩を取りましょう。私達が此処において探求している、数学的な隠喩の一種の中で、機能は、その「空っぽさ(無)」を破壊する事無しで、その空っぽのハイパー・セット(空集合)、 Ø のメンバー(一部)に成る事が出来ると理解されるのは、機能は、「物事」、または物体でも無く、純粋な行程であると言う、単純な理由のためです。此処までに、私達は部分(無 A, B)と表面(無 C)を扱いましたが、此処で私達は機能(function)を加えましょう。」¹¹

言い方を変えると、その隠喩を表現するためにトポロジーが最も相応しい数学的な言語なのは - 「次元的な無」 - そして神話を、より形式的で、表記法的なシンボリズム(象徴性)へと、言及する定義(用語)である、形而上学(哲学)の定義に翻訳するその能力のためです。

(2) The Bhagavad Gita: the Knower and the Field
(2)バガヴァド・ギータ:知る者とフィールド     54


バガヴァド・ギータからの以下に続く行が実証する様に、その隠喩のヒンドゥー・ヴァージョンの中に含まれたのは、現代物理学に対する更なる関係です。此処において、その対話は、アルジュナと主クリシュナの間のものです:

アルジュナ:

「そして今度は、クリシュナよ、私はそのフィールドと、そのフィールドを知る者である、プラクリティとブラーマンについて学ぶ事を望みます。」

スリ・クリシュナ:

この体(主体)がフィールドと呼ばれたのが何故なら、人がその中の運動の種をまくためで、そしてその実りを収穫するためです。賢明な人、そのフィールドを知る者は、この体(媒質)の中で何が起こるのかを観測する者だと言います。

「私を、全ての体において、そのフィールドを知る者だと認識しなさい。私は、フィールドと知る者の間の識別を、知識の最も高度な種として考えます。

・・・

此処で私は、その知る者が不死を得るために、知らなければならないものを描写しましょう。そのブラーマンは始まりが無く、超越的で、永遠です。彼は、それが何か、そしてそれが何で無いのかを同等に超えると言われます。

・・・

彼は、内なるものであり、外なるものであり;彼は生きるもの(有機物)と生命無きもの(無機物)の中に生き(宿り):マインド(精神)の理解を超えて捉え難く;私達のとても近くであり、全く遠くで:分離化されていないもので、彼は、物体と生き物達へと分離する様に見えます:

「彼自身から創造を送り出し、彼はそれを保ち(保護し)、そして取り戻し(破壊し)ます・・・

・・・

「あなたが理解しなければならないのは、プラクリティとブラーマンの両方に、始まりが無い事です・・・私達の中の個性の感覚は、喜びと苦しみの私達の経験を原因すると言われます。ブラーマンが誤ってプラクリティと共に同一視した個人的な自己(自我)は、プラクリティから台頭する gunas を経験します・・・

この体における最上級のブラーマンはまた、目撃者として知られます。それは私達の活動/運動/鼓動/呼吸の全てを可能にし、そして言うなれば、それらを認可し、私達の経験の全てを経験しています。それは無限の存在で、最上級/超越的なアトマン(Atman/atom/aton/adon/aten/amun/amen[アーメン]/太陽/原子 等々)です。ブラーマンを直接経験し、それがプラクリティと gunas 以外のものであると知った人は、その人がどの様に、その人の人生をどう生きようとも、生まれ変わり(転生)しないでしょう。

・・・

「これを知りなさい、おお王子よ、
創造された物事についてを。
全ては、フィールドと知る者である、
プラクリティとブラーマンの
うわべの統一から台頭しました。
・・・
全ての物事に浸透している
エーテルの様に

腐敗/堕落させるためには捉えにく過ぎて、
このアトマン(アトム/原子)はまた
全ての体に存在しますが
決して腐敗/堕落させられません。」¹²

興味深い事に、バガヴァド・ギータのこの章において台頭するのは、その隠喩の現代物理学の再₋構築の私達の以後の再検証に情報を与える2つの重要な概念で:(1)上述の引用の中で「目撃者」と呼ばれた観測者で、そして(2)そのフィールドです。この本の後の章の中で目撃される様に、その目撃者、この場合、人類自身が、太古のヒンドゥーの文献同様に、その媒質の隠喩、そしてそのフィールド自体の現代的で、理論的な物理学の必須条件で、情報と感覚のフィールドの観測です。

b. In Egypt
b. エジプトにおいて
(1) An Egyptologist Examines the Akhenaton Monotheist Revolution
(1)一人のエジプト学者が、アケナーテン(アメンホテップ四世)の一神教革命を検証する     54


ドイツ人のエジプト学者、ヤン・アスマンは、エジプトにおける一神教の、ファラオ(神官王)、アケナーテンのヴァージョンの、革新的な時代からの聖歌を引用し、其処で、アケナーテンが探求しようと望んだ一神教的な傾向にも拘らず、この「一つであり-多数である」弁証法(dialectic)が再び健在であるとします:

「変格の秘密と、現れのきらめき、
形状において豊かな、とても素晴らしい神様!
全ての神々は
彼の美と、彼の神聖さの延長と共に、彼等自身をより偉大にするために、
彼を讃えます。

「Re (sic./Ra?)自身が、彼の体と共に統一されました。
彼がヘリオポリス(太陽の街)における最も偉大なもの(一つ)です。
彼は、タテネン/アムン(アテン/アトン/アドン/アーメン)と呼ばれ、その(複数の)「顔」を導くために、創始的な水の中から由来しました。

「彼のもう一つの形状は Ogdoad (オグドード/八形神)です。
創始的な一つの、創始的なもので、Re (Ra)の男親です。
彼は、彼を共にした一つの体に成る事によって、彼自身をアトゥム(アトム/アトマン/アーメン)として完成させました。
彼は宇宙的な主で、存在するものを開始したものです。」¹³

分離化されていない無と、そして「最初の出来事(宇宙の開始)」の上に続く、結果的で類推的な「無」の描写に相応しい、「創始的な一つの、創始的なもの」の興味深い表現に着目して下さい。

(2) An Esotericist Examines the Traditional Egyptian Cosmology
(2)一人の秘儀主義者が、伝統的でエジプト的な宇宙学を検証する     54


有名な秘儀主義者、レネー Schwaller デ・ルービッツは、その隠喩のエジプト・ヴァージョンに対して彼自身の解釈を加え、そして再びもう一度、その隠喩の彼の解釈の重要性は、その詳細の中にあるので、神々の格子の中で私達がそれについて以前に述べた事を反復するのが最善でしょう:

「その創始的な分離化を、Scwhaller は「創始的な分裂」と呼びますが、そのメンフィス(エジプト)の神話においても鮮明で、それを私達は、更にもう一つの「原始/創始物理学的な隠喩」として理解出来るかも知れず、i.e. 宗教の定義(用語)の中に隠れ蓑された、深遠に精巧な物理の隠喩としてです。其処で、その創始的な分裂は、ヴィーディック(古代インド)の伝統においてと同様に、その創始的な海(水)、またはヌン(Nun)からの、神々の派生において表現されました:

「ヘリオポリス(太陽の街)の啓示(記述)は・・・(創始的な海に対して比べられた環境である)ヌンにおける統一の分裂の、謎めいた神聖な運動で、それは Tum の、目には見えない火を捕らえ(宿し)、最初の大地へと凝固します。

「これは、大地(地上/下腹部)へと落ちた(降臨した)天界(大脳)的な火で、それは、メンフィスの神秘においてプター(Ptah)の名前で呼ばれます。この形而上(哲学/精神)学的な火(オイル)は、ヘリオポリスにおいて明言された原則の実質化によって、自然においてその効果を産出しますが、未だに体現されていません。

「Tum の現れが示唆するのは、その3つの原則と、物質の構成的な要素と呼ばれる、哲学的な4つの本質的な性質の現れですが、それらの「corporification (肉体に霊が宿る事)」は、最初の三重性(三位一体):プター、セクメット(Sekhmet)、そしてネフェルタム(Nefertum)の現れの上で唯一起こります。」¹⁴

その数字4の派生が、現時点においては、特例的で、そして完全に独断的な様に見える間、私達は少々後に、それが更にもう一つの物理学の隠喩を含む事を目撃します。

現時点において、しかしながら、私達の着目が、プター、セクメット、そしてネフェルタムの創始的な三位一体の台頭の上に集中しなければならないのは、「全ての存在において内在的なのは、数字先天/事前的な知識である、数値化の脳力であるためです。私( I /自己/自我)と他者の間を区別している正に事実は、一つの数値化です。」¹⁵ 言い方を変えると、Schwaller にとって、その創始的な分裂において内在(暗黙)的なのは、意識とその多様性-における-統一性に対するその関係です。Schwaller は、その創始的な分裂を、以下の方法で説明します:

「故に、全ての創造の起源において、一つの統一性があり、それは不可解にも、その中に全ての可能性の混沌を含まなければならず、そしてその最初の体現化は分離を通してでした。全ての概念の起源において、1つ(無 A )と2つ(無 B )があり、それ自体において理解不可能な、一方がもう一方を説明する3つの原則(三位一体)です。

「・・・

「此処にあるのは、全ての物事、全ての主張、そして理由づけ(合理化)の起源において必ず見つけられる三重性で;その三位一体は全てを補佐し、その土台の上にこの世界と、それから由来する全てが造り上げられました。

「その元々の統一性は、being (存在/~に成る)non-being (非-存在)の、全ての可能性を含んでいました。成り行き的に、それは、アンドロジニー的な本質でした。¹⁶

私達は既にこの特徴的で「創始的なアンドロジニー」に対する言及を行い - 全く別の一冊の本に成り得る題材ですが - 再び、Schwaller が指摘しているものは、「創始的な無の分離化」のトポロジー的な隠喩において、1つ(無)と3つ(無 A, B, C )の必然性が常に結果し:囲まれた無(A)の2つの部分(A, B)が、共通の表面(C)を分かち合っています。

故に私達は、(古代)エジプトとヴィーディック(インド)の文化の背後にある、共通の概念的な遺産(名残)を示唆している、私達の以前のテーブルに対して、プター、セクメット、そしてネフェルタムの名前を加えましょう:

1)プター = Øa ;

2)セクメット = Øb ;

3)ネフェルタム =∂Øab 。

・・・

既に指摘された様に、古代人達が何故、この創始的な分離化を、アンドロジニー的な定義において、とても一貫的に見解したのかは、私達がいずれ記述する事を望む今後の本の題材ですが、現時点において、これに関して記述する価値があるのは、Schwaller が指摘するその他の何かです:

「あなたはこれを、聖父(A)、精霊(B)、そして息子(C)、またはオシリス、イシス、そしてホルス、もしくはブラーマ、シーヴァ、そしてヴィシュヌーとして翻訳しますか?

「あなたはそうする事が出来ますが、もしあなたが賢明で混乱させる事を望まないなら、あなたは3つ(三位一体)である1つと2つと言うでしょう。これは、イメージ(偶像)が必要な(無知な)人達が、「宗教」と呼ばれるものによって結び付けられ、そして彼等が一つの伝統の周りに集結出来る様に、入門者(会員)達によって具体化(宗教化)されたものでした。」¹⁷

言葉を変えると、トポロジー的な隠喩に対する、様々な神々の名前の結びつきが、唯それだけで、唯の代理であると、人が一度理解すると、すると創始的な三位一体のあらゆる代理(変形)は、実際に、宗教的な啓示、または形而上学(哲学)の結果では無く、科学-哲学的な最初の原則(三位一体)は、信仰(宗教)を必要としているものでは全く無く、むしろ、その隠喩がトポロジー自体の高度に抽象的な象徴性において表現出来る隠喩であるために、形式的にはっきりとした隠喩の特徴における信仰の一種である事を、人は理解するでしょう。」¹⁸

再び、注目されるべき要点は、数学者である Schwaller が、その隠喩の高度に隠喩的な本質を理解した事なのは、その神々の様々な名前の背後にあるのが、より深く「高度で次元的な」数学的な機能と概念、分離化の機能、そして、それ自体においてまた(創始的な)無である、共通の表面を分かち合い、分離化された「無(A, B, C )」に結果しているものだったためです。

c. In Mayan Culture
c. マヤ文明において     57


再び、私達がその他の場所で記述した様に、マヤ人達もまた、その隠喩の彼等自身の、エレガントで詩的な表現を有していました:

「アンコール・ワット(カンボジア)の石の彫刻の中に刻まれたヒンドゥー(古代インド)の宇宙学の様に、ポポル・ヴァーは、神秘のアビス(底無し穴/アプス/アブズーの変形/i.e. 宇宙)において始まり、そのアビスはその力が、それらの詩的な単純性によって、更にもっと顕著にされる、雄弁でエレガントに単純な言葉とイメージにおいて表現されました:

「これは、その説明で、それは以下である:

「当時、それは未だにさざめきで、当時、それは未だにささやきで、さざめきは未だにため息で、未だに鼻歌で、そしてそれは、その空(宇宙)の下で空っぽであった。

此処に続くのは、最初の言葉で、その最初の雄弁さである。

其処には未だかつて、一人の人も、一匹の動物も、鳥も、魚も、蟹も、樹も、岩も、窪地も、峡谷も、湿地も、森も無かった。唯一その空だけがあり;地球の表面は鮮明では無かった。唯一その海だけが、全ての空の下で溜り;其処には一つにまとめられたものが一切無かった。それは、静止(休息)にあり;動く(運動する)ものは一つも無かった。それは、その空の下で抑止され、静止において保たれた。

其処に存在するかも知れないものが何であれ、単純に其処にはあらず:唯一、その夜、その暗闇の中に、さざめき、ささやきがあった。(i.e. いさなぎ/いさなみ唯一創造主、構築者/設計者だけが、主権者である羽の生えた蛇、生みの親、男親だけが、きらめく光である、その水の中にあった。それら(彼等)は其処にあり、それらは青-緑のケツァール(中南米の鳥)の羽毛の中に囲まれていた。

「故に『羽の生えた蛇(ケツアコアトル)』の名前である。彼等は、大いなる賢者であり、彼等の正に存在において、大いなる哲学者達である。

「そして、勿論、其処には空があり、そしてまた、空の心(中心部)があった。これが、述べられた様に、その神の名前である。

「そしてその後、彼の言葉(音/波)が現れ、彼はその主権者の羽の生えた蛇に対して此処に現れ、その暗闇の中で此処で、その夜明け前において、稲妻(電気)のハリケーン(台風/渦巻き)が最初に来て、その二番目は新たに生まれた稲妻(イオン/プラズマ)で、そしてその三番目は突然の稲妻(静電気)だった。

「故に其処にはそれらの3つがあった。」¹⁹

此処まで来れば、この強力で、心を揺さぶるイメージは、天の川(銀河)において大いなる ナーガ (naga)の蛇の宇宙的な綱引き(i.e. 銀河の回転)を管理している、アンコール・ワットにおけるヴィシュヌーのイメージを思い出すでしょう。

ですが、これは、全く異なった文化(マヤ文明)において、世界の反対側(中南米)において起こります!

着目してもらいたいのはまた、その創始的な三位一体のトポロジー(位相幾何学)的な隠喩が保存された事です。全ては「空(宇宙)の下の」虚無として始まり、そして未だにその中において何らかの分離化は存在せず:「一人の人も、一匹の動物」等々も未だにいない事です。其処には唯一空っぽな空があり、その下にはたまった水(海)が休んでいます。唯一存在しているのは、主権者の羽根の生えた蛇(ケツアコアトル)と、後に、丁度(古代インドの)、ヴィシュヌーの様に、主権者の羽の生えた蛇の体現として見つけられる、「彼等の正に存在において、偉大な識者で、大いなる賢者」として描写される、「生みの親」と「その水の中の男親」に対する謎めいた言及だけです。

ポポル・ヴァーが私達に伝えているのは、言い方を変えると、私達がアンコール・ワットにおいて目撃したのと同じ事で:主権者の羽の生えた蛇である、創始的な「無」があり、そしてその後、終わり無き不明瞭な「空」の創始的な「三位一体」があり、そしてその下には「海」と、そしてその2つの間の、示唆された共通の表面です。この時点において、その夜(闇)における、かすかな「さざめき」と「ささやき」以外には全く何も存在しておらず、ある意味、後に続く、創造力豊かな分離化と多種多様性の全てに派生を与える、フリクエンシー(振動率/周波数)振動(波)を示唆しています。

実際に、その正に始まりにおいて、ポポル・ヴァーは、「これが、その太古の言葉の始まりで、此処で、この場所において、Quiché と呼ばれました。此処で、Quiché の人々の国家において・・・行われた全てのための効能(可能性)と源泉である、その太古の言葉を私達は記述し、そして植え付けましょう。」²⁰ と、私達に伝えます。注目してもらいたいのは、その太古の言葉が植え付けられるべき何かで、再び、もう一つの体現の下の彼自身以外では無い、創始的な海の中へと射精しているヴィシュヌーのイメージを思い出させる事です。更にまた着目してもらいたいのは、この言葉、この音、または振動(i.e. 波)が、言ってみれば「行われた全てのための効能と源泉」であると言うとても示唆的な概念で、つまり、派生する多種多様性の全ては、この純粋で、無限の効能から台頭すると言う事です。

成り行きとして、ポポル・ヴァーは、その正に始まりのページにおいて、創始的な無としてのヴィシュヌーの、彼自身の「三重性」と分離化との関連において、第三章において私達が出くわした、物理的な媒質の、正に同じトポロジー的な隠喩を示唆している様に現れ、そしてそれはまた、エジプトが起源であるヘルメティカの中の幾つもの文章の中で機能していると私達は発見しましたが、唯一、其処における「分離化された無」の隠喩は、そのどちらにも全く何も存在していない、終わり無き空と、終わり無き海で;存在するのは唯一、その空(無 A)、その海(無 B)、そして両方を分離化している、または囲んでいる、接触している表面(無 C)の概念によって、更にもっとはっきりと示唆され;再び私達は、更にもう一つの創始的な三重性の、3つの存在を有します。

・・・

ですから此処で、第三章の中で、その媒質のこのトポロジー的な隠喩について明言したものに、私達が加えられるかも知れないのは、私達が此処で、更により多くのイメージ(象徴性) - 空、海、そしてその2つの間の示唆された(共通の)表面に出くわすためで - 全ては同じものを述べていて:その最初の分離化が、その本質において、常に三重的、または三位一体でなければならない、分離化されたと共に私達が扱っていると言う事で:

1)の「囲まれた」部分、または Øa-ℯ で、ヘルメスの「宇宙」で、パダマ・プラーナのシーヴァで、そして今度は、ポポル・ヴァーの「空」で;

2)そのその他の部分、または Øℯ-a で、ヘルメスの「神」で、パダマ・プラーナのヴィシュヌーで、そして次に、ポポル・ヴァーの「海」であり、そして、

3)その2つの部分が分かち合う「表面的な」、または ∂ØA-E|E-A で、ヘルメスの「空間」で、パダマ・プラーナのブラーマで、そして此処でポポル・ヴァーの「海」と「空」の間の示唆された共通の表面です。

しかしながら、ポポル・ヴァーは、人類の創造自体を、マテリア・プリマ、または「創始的な無」の何らかの種からの分離化の台頭のこの行程と共に関連させる様に見える、更にもっと興味深く、示唆的な明言を行います。²¹

その隠喩を私達がまとめる事が出来る前に、しかしながら、新プラトン主義的、そしてヘルメス的な伝統の中の、そのより親しみのある表現を検証するには価値があります。

d. In Neoplatonic Tradition
d. 新プラトン主義的な伝統において     59


西洋の読者達にとって、その創始的な統一性についてのこの種の哲学的な思考の最も典型的な例は、新プラトン主義のシステム(考え方)でしょう。新プラトン主義学派の、哲学者、プロティヌスの、主要な解説の中で、その隠喩がどの様に機能したかを理解するために、ギザの死の星は破壊されたの中で、ジョセフ(ファレル博士)が記述したものまで、私達はずっと戻りましょう。²²

その様な古代のシステムのその他多くと同様に、その隠喩のプロティヌスのヴァージョンは、元々の分離化されていない無の形状において、それ自体を表現し、それを彼は(十分に興味深い事に、性別において中性である、ギリシャ語の το εν と言う言葉で)「The One (唯一)」と呼びます。この唯一は、しかしながら、知性、またはマインド(ギリシャ語において男性形の言葉、Νους)と、世界のソウル(魂)、(十分にわかりやすい様に、ギリシャ語における、女性形の言葉、κοσμικη ψυχη)を台頭させます。故に、再び、人は創始的なアンドロジニー(単一性別/無)が分別(性別±)に派生を与えている事を有します。

ですがこれは、プロティヌスにとって、第二科目的な重要性で、そして私達は、少々後に、創始的な「錬金性別」が第一科目である、もう一人の新プラトン主義者へと戻るでしょう。

私達の目的のために、その知性(男性形/聖父)と世界の魂(女性形/聖母)が、「その唯一(περι το εν )の周りで永遠的な本質」の一種を構成する事に気付くのは重要です。私達の目的のために、その世界の魂(聖母)が、その唯一(創始的な無)と知性(聖父)の両方から台頭する事に気付くのは重要で;言い換えると、その隠喩のその他のヴァージョンの中で私達が出くわした「無の部分」の2つの分離化された(無 A, B)の共通の表面(無 C)の様な、殆ど同じ方法において機能し;私達が有するのは

1)元々の無、唯一:ØA;

2)分離化された無、知性:ØB;そして

3)その2つの間の共通の表面で、
更なる分離化である:∂ØAB です。

ですがそれには、唯これだけでは無い、更なる何かがあります。その隠喩のその他のヴァージョンにおいてと同様に、プロティヌスは、その唯一(the One)を、その唯一は全くの分離化を絶対的に有しておらず、そしてそれでも、その単純性(simplicity/απλοτης)は、存在する全ての効能(可能性)を含んでいる事を単純に意味した、テクニカルな単語である「単純性(simplicity)」において、その唯一を理解しました。²³ あらゆる区分の間の分離化が欠如しており、そしてそれでも存在する全てを含んでおり、その唯一(無)の分離化の「最初の(創始的な)出来事」が意味するのは、(意志/will と本質/essence がその唯一/無の中で別々では無いので)それは、その意志の行い(活動)で、そしてそれでも同時に本質的な行い(運動)の一種の両方です。

これが、その隠喩の様々なヴァージョンの中で人が頻繁に出くわすテンション(緊張)を設定するのは、人がこの「最初の出来事」を、偶然(チャンス)の非一貫的な行い(運動)の一種とする、「無神論的な」方法において理解するか、または人が(神の)意志と意識の意図的な行い(活動)として理解するかのいずれかの選択肢があるためです。実際に、その隠喩の中で、厳密に述べると、両方が真実なのは、その創始的な無は分離化が無く、意志、本質、必要性、空間、または時間、非一貫性、偶然、等々のそれらの行い(運動/活動)を含んでいるためです。私達は、少々後に、意識のための示唆へと戻りますが、現時点のために、この隠喩の探求されなければならない、一つの最後のヴァージョンがあります。

e. The High Esoteric Tradition of the Metaphor:
The Hermetica and the Image of Androgyny
(1) God, Space, and Kosmos
e. その隠喩の高度で秘儀的な伝統:
ヘルメティカとアンドロジニーのイメージ
(1)神、空間、そして宇宙     60


その隠喩の最も鮮明な表現、そしてその中における人の場所(立場)に私達が出くわすのは、ヘルメティカの中においてです。²⁴ 再び私達は、その詳細が、もう一度、その論議にとって重要なので、ジョセフがこの題材について以前に記述した事を引用しましょう:

その文章は、ヘルメスと彼の弟子、アスクレピウスの間の短い対話である、Libellus II: 1-6b です:

「その中で宇宙(Kosmos)が動く(運動する)空間(space)はどれだけの規模でなければならないのでしょう?そしてどんな本質なのでしょう?その空間は、宇宙の継続的な運動を含む事が出来るために、そして動く(運動する)ものが room (場所)が不十分で閉じ込められ、運動を止めない様に、その空間は、もっと大きいはずでなければならないのでしょうか? - Ascl (アスクレピウス). トリスメギスタス(三度偉大なヘルメス先生)、その空間は実際に、より大きくなければなりません。 - Herm (ヘルメス). そしてそれはどの様な本質でなければならないのですか、アスクレピウス?それは、宇宙に対して正反対の本質でなければならないのではないでしょうか?そして、その体(実体/主体)に対する正反対の本質は、incorporeal (非肉体的/精神的)なものです・・・空間は思考の対象ですが、神がそうである様な同じ感覚においてでは無いのは、神は主に、彼自身に対する思考の対象であるのに対して、空間は、それ自体に対してでは無く、私達に対する思考の対象であるためです。」²⁵

この文章は故に、プロティヌスにおいて既に出くわされた「三重的」な考え方の一種を証明しますが、此処において更にもっとはっきりとしているのは、それが、Bounias と Krasnoholovets によって使用されたトポロジー(位相幾何学)的な三角測量方式の、形而上学的で、弁証法的なヴァージョンの一種であるためです。しかしながら、プロティヌスの三重的な構造とヘルメティカの間には、顕著な違いがあり:プロティヌス(の哲学)において、見解されている対照の3つの原則は、唯一(the One)、知性(the intellect)、そして世界の魂(the World Soul)であるのに対して、此処でその見解にある対象の原則は、Theos (神)、Topos (空間)、そして Kosmos (宇宙)(θεος, τοπος, κοσμος)、またはそれぞれ、神、空間、そして宇宙です。

これ等の3つ - 神、空間、そして宇宙は - そのそれぞれが順を追ってそれ自体の機能的な正反対を示唆する、3つの原則的な機能の上に基づいた、弁証法的な対峙によって、順を追って分離化されます:

f₁:自己-知識 ⇔ -f₁:無知
f₂:静止(στασις) ⇔ -f₂:運動(κινησις)
f₃:incorporeality (非物質/精神/意識/霊/魂) ⇔ f₃:corporeality (肉体/物質性)。

ですから、その隠喩のヘルメスのヴァージョンにおいて、「神、空間、宇宙」と言う用語を共にした、それぞれの(三角の)頂点、または部分の名前に成る、以下の「三角測量方式」が起こります:

1 20151001090309338

この図表は、色々な理由のために重要です。まず初めに、神学的に詳しい読者達は、それが中世のラテン教会の新プラトン的に影響されたオーガスト派のキリスト教において台頭した、三位一体(Trinity)の教義を描写するために使用されたピクトグラム(図表)である、シャルルマーニュ(大帝)の「三位一体(三重性)の楯」と呼ばれたものの中で並行されている事に気付くでしょう。再び、このコンテキストにおいて、(古代)ギリシャの教父達が、最も可能な限り強い定義において、その教義のこの形成に対して抗議し、そしてこの弁証法的な構造を、形而上学的と言うよりはむしろ、「感覚(i.e. 五感的)」なものとして、i.e. 教義的な神学よりも、物理(肉体)的な機械性として応用可能だと見解した事です。

このコンテキストの中で更に重要な事は、しかしながら、どの様に - 神、空間、宇宙の - それぞれの渦巻きが、機能の一連、またはそれらの正反対として描写されるかも知れない事を描く図表です:

神(θεος)      宇宙(Κοσµος)    空間(Τοπος)
{f₁、f₂、f₃}           {-f₁、-f₂、-f₃}        {-f₁、f₂、f₃}
f₁:知識            -f₁:無知           -f₁:無知
f₂:不動/静止         f₂:運動            f₂:不動
f₃:無形/霊体         -f₃:有形           f₃:無形


(Sic.)

その隠喩のヘルメスのヴァージョンは故に、機能 f₁、f₂、f₃、またはそれらの正反対の定義において描写されたテーゼである神(God)、そしてアンチテーゼである宇宙(Kosmos)の間の融合を形成している空間(Space)自体と共に、ヘーゲル的な弁証法の定義においてとても上手く当てはまります。

どうしてかを理解するために、私達はその機能 f₁、f₂、f₃と、以前のページ上の図表におけるそれぞれの渦巻き(i.e. 螺旋)の近辺における、はっきりとした、または厳密的でトポロジー(位相幾何学)的な部分のシギル(お守り)として、神、宇宙、そして空間の定義を受取り、そしてそれらを空っぽのハイパー・セット(空集合としてモデルするために、ヘルメス的な形而上学(精神/哲学)的な描写を分配する事と供によって、その形式性を延長しましょう。コンビネーション(融合)的な機能が、空っぽのセット(空集合)の一連に成る事が可能なので、すると、神(G)、宇宙(K)、そして空間(S)のために、それぞれ、ØG、 ØK、ØS の融合的な機能が可能なので、人は直ぐに、機能的な特徴の全く異なる一連から結果する、格子的な働きを理解するかも知れず、正しく、プロティヌスの場合においての様にですが、とても異なった通り道を通してで;

ØG = {f₁、f₂、f₃

ØK = {-f₁、-f₂、-f₃

ØS = {-f₁、f₂、f₃}。

その隠喩のヘルメスのヴァージョンにおいて、空間は、その他の2つの部分 - 「神」と「宇宙」 - から派生した機能的な要素をそれが構成するので、その2の間の共通的な「表面(無 C )」として考えられる事に着目して下さい。故に、再びもう一度、私達は、親しみのある3つの存在を有し:

1)無の「囲まれた」部分、または Ø A-E、もしくはヘルメスの「宇宙(K)」;

2)無のその他、または Ø E-A で、ヘルメスの「神(G)」で;そして、

3)その2つの部分(無 A, B)が分かち合う「(共通の)表面(無 C)」、または ∂ØA-E|E-A で、ヘルメスの「空間(S)」です。²⁶

(2) Androgyny in the Hermetica
(2)ヘルメティカにおけるアンドロジニー     63


同様に、ヘルメティカは、神における分離化と、全ての物事の効能(可能性)の融合のイメージとして、「男らしいアンドロジニー」の、今では親しみのあるシンボル(象徴)を体現します。

「その偉大さの全てにおいて、宇宙の創造主である彼は、全ての物事の聖父、またはマスター(主人)は、数えきれない程多くのその他(多種多様性)の構成ですが、単一の名前によって呼ばれる事が可能かは不可能だと私が思うのは;私が彼(神)は無名で、またはむしろ、全ての名前(万物)が彼のための名前だと考えるためです。彼は、彼の統一性において、全ての物事であるためで;ですから私達は、全ての物事を彼の名前によって呼ぶか、または全ての物事の名前によって彼を呼ぶかのどちらかでなければなりません。

「一つ(唯一)において、両方の性別の生産(繁殖)力の全てを共に満たされ、そして彼自身の善と共に溢れた彼は、派生させるために彼が意図した全てを存在へととめどなくもたらします・・・アスクレピウス. 三度偉大なヘルメス先生、すると貴方は、神が両性であると言うのですか?²⁷ トリスメギスタス(ヘルメス). そうです、アスクレプティウス(Sic.);そして神だけでは無く、存在する全ての種類は、魂(soul)があろうとも、無かろうとも(soulless でも)です・・・両方の性別が、2つの性別の連動において、生殖力と共に満たされ、またはもっと真実的に語れば、一つへのそれらの融合(性交)は、同時にエロス(愛/自己保存の本能)、またはアフロディーテ(ヴィーナス/愛と美の女神/金星)の両方と正当に名付けられるかも知れず、人が理解出来るよりも、より深い意味があるためです。それは、その他全ての真実の上で、確かで、そして明らかなものとして受け入れられるべき真実で、それは神、全ての派生的な力のあるじによって、その存在の中に内在的な全ての愛情、全ての喜び、そして嬉しさ、全ての切なる思いと天界的な愛と共に、永続的な繁殖のこのサクラメント(聖体)を全ての生き物達の上に機能させ、そして授けました。」²⁸

再びもう一度、神のアンドロジニーが、男らしいアンドロジニーの矛盾語法的な形状において明言され、再びもう一度、何故の問いを台頭させ - (更に)その様なイメージを使用するために、それらの太古の文化によって使用された合理化の行程は何だったのか?の問いを台頭させる事に注目して下さい。

f. Summary of the Metaphor as Examined, and Its Methodological Implications
f. 検証されたその隠喩のまとめ、そしてその方法論的な示唆     64


現時点においては、私達はこの問いを、後の章のために横に置いときましょう。今現在の瞬間のために – 読者は、此処において検証されたものよりも、もっと数多く存在する事を思い出させられなければなりませんが - 一神教的な宗教の多大な反転化における社会的な空間に対するその隠喩の応用の私達の検証の前に、その隠喩のそれらの(上述された)ヴァージョンを一緒にまとめるのは手助けになるでしょう。

「この様な種の分析の示唆が、深遠で、遠くまで及ぶのは、特定の種類の形而上学的な文献、特に三重的な構造を示唆しているものの背後には、その様な文献が暗号化し伝達する事をデザイン(意図)された、もっとより深いトポロジー的な隠喩がある事を、それらが示唆するためです。それが示唆するのは、その様な文献の全ては、深いトポロジー的な隠喩が可能で、そしてそれらが、一般的で、哲学的、または神学的な感覚における形而上学と、全く、実際に、全然関係が無い事です。それらがまた示唆するのは、物理的な創造の台頭のために説明するこの行程に、もっと、もっと、分離化が加えられた際に、世界の格子(the world grid)の現象のための物理学的な理由があったと言う事です。それらが示唆するのは、その物理的な媒質/媒体が、情報を創造していて、そして変格している賢者の石自体で、世界の格子、そしてその構築の目的は、その媒質自体のモニュメント(遺跡など/または大規模と言う意味)的な操作と技術開発の『錬金術的な建築構造』の一種で、結局の処、太古の(古代人の)見解の上で、再びもう一度、全てはその無から派生し、そして何重にも分離化された無であり、その他全て(多種多様性)と共に、直接結びついているためです。

「それらの形而上学的、そして宗教的な文献の中で、言い方を変えると、私達は、深遠でトポロジー的な、そして物理学の隠喩を目撃しています。私達が見ているのは、とても太古で、そしてとても先進化した科学退化した遺産(名残)です。」

私達がまた目撃しているのは、(中南米の)マヤ文明から、(インドの)ヒンドゥー、(エジプト-ギリシャの)ヘルメス主義、そして(中世ヨーロッパの)新プラトン主義の伝統までの、様々な文化の中で共通な隠喩です。この共通性が、バベルの塔のコンテキスト(文脈)から見解されると意味するのは、太古のphilosophia perennis (長期的な哲学)は、統一的な要素で、そしてつまり、同時に恐らく、バベルの塔(人類の達成)の瞬間の全てのヴァージョン(種類)において示唆された(神々に対する)危険でした。

B. The Descent of Man
B. 人の転落(退化)

1. The Universe as the Body of God: Makanthropos, Entanglement, and the Bhagavad Gita
1.神の体としての宇宙:Makanthropos (アダム・カドモン)、もつれ合い、そしてバガヴァド・ギータ     65


以前に引用されたバガヴァド・ギータ からの「フィールドとその識者(知る者/Knower)」において、宇宙は、この隠喩の中の特定の方法で見解されると、文字通り神の「体」、またはもし人が好むなら、文字通りに「無の corporification/肉体化」として理解される事が出来ると鮮明にする文章があります:

この体がフィールド(畑)と呼ばれるのが何故なら、人がその中に運動/活動の種を蒔き、そしてそれらの実りを刈り取る(収穫する)ためです。賢明な人(賢者)は、そのフィールドの識者が、この体の中で起こる事を見る(観測/認識する)者だと述べます。

「私を、全ての体の中のフィールドの識者として認識しなさい。私は、フィールドと識者の間の区別を、知識の最上級の種類として考えます。」²⁹

これが示唆するのは、この「体」の中の全ての出来事、または「ハプニング(事件)」は、最初の出来事、または創始的な分離化自体から、正しく最後の究極的なハプニング(多種多様性)まで全て、普通の体に対して起こる出来事の様に関連していて;全ての出来事は、言葉を変えると、もつれ合って(絡まって)います(格子です)。

宇宙が体の一種で、生きている有機物(living organism)の一種で、または超越的な意識(Supreme Consciousness)の表現/体現とするアイデア(発想/思想)がまた示唆するのは、その太古の隠喩のためにそれは、「人類を念頭に入れて成され、」³⁰ そしてそれは makanthropos (アダム・カドモン) または「偉大な/大きな人(great man/宇宙)」だった事です。以下の章の中で私達が発見する様に、近代/現代の理論的な物理学の中には、この見解のより近代的で、そして先進的(複雑)なヴァージョンがあります。これが順を追って示唆するのは、とても重大な何かで:その太古の隠喩が、それ自体、大昔しにおけるとても高度な文明の、もう一つの遺産(名残)を体現するかも知れず、そして故に科学的な真実の中核(真髄)を体現するかも知れないと言う事です。

makanthropos/アダム・カドモン
1 Adam Kadmon

2. Man as Microcosm
2.ミクロコズム(小宇宙)としての人     66


もし、太古の隠喩の概念において、宇宙(uni-verse/一つの歌)が「人のために創造された」なら、もし、それが「大いなる人」(μακανθροπος/マカンソロポス/アダム・カドモン)なら、すると人類は順を追って cosmos (大宇宙)自体の鏡写しで;彼はユニ-ヴァースの「ミクロコズム(小宇宙/μικροκοσμος)でした。これが、同情的(同調的/sympathetic/共振/共鳴) - または、私達がそれを類推的な魔術(analogical magic)として呼ぶ事を好む - 太古の概念と実施の土台を形成するのは、人自身が機能(operation)の媒体と operator (操作者)、または彼自身が magus (賢者/魔導士)の両方に成るためです。ブースは、古代人達が「私達の中にある(内在的な)もので、とても文字通りの方法において、自然界の中で一致しないものは何も無いと信じた」と明言する事によって、適切にその見解をまとめました。³¹

3. Mineral, Vegetable, and Animal Man
3.鉱物的、植物的、そして動物的な人     66


分離化の行程が展開する際に、人は4つの、天界的、鉱物的、植物的、そして動物的な領域を通って転落(退化/降臨)し、最終的に、存在の現在の状態へと入ります(i.e. 第七チャクラ/大脳から、第一チャクラ/下腹部への、オイル/キリスト/分泌液の下降)。言い方を変えると、「鉱物的な人」、「植物的な人」、そして「動物的な人」が存在します。それらの事前的な状態の全てにおいて、最後(動物的な状態)を除いて人類は、「アンドロジニー」として見解され、例えば植物的な段階における彼の繁殖が、植物の様に(めしべとおしべ/受粉の様に)成ると考えられた程でした。³²

C. The Esoteric Tradition of the Primordial Unity and Its Symbol in Androgynous Man
C. 創始的な統一性の秘儀主義的な伝統と、アンドロジニー的な人におけるそのシンボル(象徴)     66


これを頭に入れると共に、私達は再びもう一度、その秘儀主義的な伝統と、バベルの塔の瞬間の再構築へと向き合い、其処で、再びもう一度、その逸話は、現代の感覚にとって、一見、奇妙で信じがたいコンテキストの中で転落(fall)の定義において焼き直しされますが、私達が以下に続く章の中で目撃する様に、実際に、深遠であり現代的で、科学的な隠喩を含みます。

1. The Primordial “Androgyny” and the Primary Differentiation
1.創始的な「アンドロジニー」と創始的な分離化     67


マーク・ブースは、私達の検証の本質に対して直接拘わっている適切な観測を行います:「科学にとって、説明されるべきその大いなる奇跡は、物理的な宇宙です。秘儀主義的な哲学にとって、その大いなる奇跡は、人間の意識です。」³³ 私達が、ブースの観測に対して少々の異論を成すかも知れないのは、私達が目撃した様に、バベルの塔の瞬間の様々なヴァージョンの本質が、人類の意識を説明する事のみでは無く、その推測された「元々の高度な知識」と、そしてその現在のジレンマと貧弱さであるためです。故に、秘儀主義的な伝統の中で見解されているのは、単なる人間の意識だけでは無く、同時に – 鉱物的、植物的、そして動物的な状態を通る下降(降臨)を通してで - その使用の様々な状態と段階(i.e. チャクラ/脊椎)です。

有名な秘儀主義者、マンリー P. ホールは、その教義が、ラビ(ユダヤ司教)的、そして秘儀主義的なユダヤ教(i.e. カバラ)の中で平行線(共通点)を見つけるとし、そして元々の「男らしいアンドロジニー」、または私達が「錬金性別」と呼んだものとの連動において、それ自体の表現を見つけるとさえ記述します。ホールは、創世記1:27の秘儀主義的な解釈についてこう述べます:

「・・・エロヒム(エル/神の複数形)のアンドロジニー的な構成(体質/性質)は、次の節において明かされ、其処で(神を意味している)は、自身のイメージ(姿形)において、男性(+)女性(-)、またはより正確には、性別の分離化が未だ起こっていなかったので、男性-女性(±/両性)において人を創造したと言われました。これは、(イタリアの)システィーン・チャペルの天井に、(芸術家)ミケランジェロによって描写された、神が男らしい効能であるとする、長年敬意を払われた概念に対する致命的打撃です。そのエロヒムはその後、それらのアンドロジニー的な存在に対して実りある(繁殖する)様に命令します。男性(+)的、または女性(-)的な原則のどちらも、未だに別々の状態として、存在していなかった事に着目して下さい!そして最後に、『replenish/再び満たす』と言う言葉に注目して下さい。その re と言う接頭辞が意味するのは、『元々の、または以前の状態、もしくは位置に戻る』、または『繰り返す、もしくは再構築する』です。創世記において描写された『人の創造』の以前に、人類が存在していた事に対するこのはっきりとした言及は、聖書の最も無頓着な読者達にとってでさえ鮮明であるはずです。」³⁴

此処において、システィーン・チャペルのミケランジェロの天井画の、ホールの特徴化(説明)に対して私達が異論を唱えるのは、男性的な「錬金性別」の要点は、女性を無視するのでは無く、むしろ、私達の意見において、そのイメージ(象徴)の背後の、可能で科学的な土台(±)の、更にもう一つの遺産(名残)で、もしそれが、科学的に創造された(遺伝子操作)の文化の遺産なら、人間の男性が、両方のクロモサム(x & y)を遺伝すると言う知識の上に基づいているかも知れず、そしてそれにおいて全ての違いが統一化される、物理的な媒質の隠喩、またはシンボル(象徴)として、類推的に応用されたかも知れないためです。この創始的な錬金性別に関する類推的な考え方のこの探求は、男性の精子が「それから全てが創造された マテリア・プリマ(創始的な素材)の分子を含んでいた・・・」とする、太古の信念において表現を見つけます。³⁵ 私達はそれらの物理的な類推を、最終章の中で探求するでしょう。

何であれ、ホールは、ユダヤ教には、人類の4段階の下降(転落)があり、唯一、その最終段階において人類は、性別へと分離される(胎児が発育する)と記述します。³⁶加えて、ラビ的なユダヤ教(i.e. タルムードでは無く、カバラ)はまた、元々の男らしい-アンドロジニーを、コンパスの4つの地点(東西南北)の全てまで伸びていて、その質量(mass)が世界(宇宙)全体を満たした巨大な存在(アダム・カドモン)であり、そして彼は故に、「未来の祭壇」を構成すると考えました。³⁷ 人類の創始的なアンドロジニーは、人の太古の「錬金術的な見解」の、より複雑な象徴の一つですが、それを単なる物理的な感覚以上において更にまた、それが物理的な媒質を直接反映するので、より統一化された意識の状態の象徴として、見解するのは重要です。

「それは何故それが、『artificer (製作者/熟練工)』、そして『modeler (模型製作者)』と呼ばれるかの理由なのは、その進行と後退において、それから肉体化の実例(段階)、生き物の繁殖、そして宇宙の構成が台頭する、数学的な本質のための思考を行うためです。故に彼等(古代人達)がそれを生命の製作者、『プロメテウス』と呼んだのが何故なら、特徴的にそれが、それ自体の性質を分かち合うので、それ自体の原則を追い越す、または分離する事もせず、そうする事をそれ以外のなにものにも許さないためです。それがどれだけ延長されようとも、またはどれだけ多くの延長化をそれが原因しようとも、それがそれでも、それ自体、そしてそれらの延長の基本的な原則の追い越しと変化を禁止するためです。

「ですから、端的に、彼等がそれを全ての種に成る、同時に男性と女性の両方として考えたのは - 割り算する事が難しいものとして奇数を男性として考え、そして分離(割り算)する事が簡単な偶数を女性と考え、そしてそれ(創始的な無)は唯一、偶数と奇数の両方ですが、それが物質と形状の両方、製作者(神)と製作されたもの(宇宙)の両方の原則を含む、聖父と聖母として取られ;つまり、それ(創始的な無)が分離化された時に、それは dyad (二分子/二分染色体 x & y /±)に台頭を与えました・・・³⁸ そしてそれ自体の本質に関する限りその種は、女性と男性の両方を産出する事が可能で、(種が)蒔かれた時に、差別なく両方の本質(性別)を産出するだけでなくまた、妊娠の特定の時点までそうします(無性別です)が;それが胎児へと形成し、発育し始めると、その後、それが可能性(potentiality)から実在性(actuality)へと移行する際に、一方(男性/+)、またはもう一方(女性/ー)の分離化へと変化を許します。」³⁹

これが、私達が今までに出くわした、そのアンドロジニーのシンボルの最も当惑させられる一行と応用だと、私達が認めなければならないのは、その示唆を考えてもらいたいためです。胎児的なアンドロジニーと、その後の分離化(性別の分離)のアイデアが、形状(アンドロジニー自体)と分離化(男性と女性の分離)の、基準的な(古代)ギリシャ的な教義から台頭する事が出来るのは真実ですが、その一節は明らかに、妊娠の最初の数週間の間に、胎児が両方の性別の特徴を有していると言う、何らかの知識を示唆します。後の章の中で私達が目撃する様に、これがまた、形状(form)と物質(matter)の教義からの理論化としてでは無く、より先進的で、科学的な文化の遺産(名残)として解釈される事が出来るのは、妊娠の最初の数週間の間に、人間の胎児が、両方の性別の未発達な性器を有しているのが実際に事実であるためです。

これが、勿論、それ自体のトゲトゲしい示唆を含むのは、もしそれが事実なら、すると、創始的な統一性と、人の転落(降臨/下降)の象徴としてのアンドロジニーの選択は、「胚芽的なアンドロジニー」において基づいた、より科学的な知識の土台の上で - そして(それを)伝えるために - 慎重に選択されたかも知れないためです。

故にその高度で秘儀的な伝統が私達に体現するのは、非一貫的で、理論的なパラドックス(矛盾)を共にした何かなのは、そのヒエラルキー(ピラミッド型)の頂上にあるのが、分離化されていない無で、「創始的なアンドロジニー」の一種で、様々な命名 – the Absolute (絶対神)、the Grand Architect (大いなる構築者)、the One (唯一)、the All (全て)、the Unknowable (知る事の出来ないもの)として - 彼(神)の下で「転落(退化/下降)」の隠喩の分離化として、鉱物的、植物的、そして最後に動物的な世界へと由来し、それにおいて全ての概念は、非分離化された統一のための象徴の融合を見つけます。そのパラドックスは、私達が知るものとしての生命の領域である、動物的な世界が、最下層の段階(i.e. 第一チャクラ)と、そして更に、その準備のために行われたその他(第二チャクラから第七チャクラまでの)全ての段階を領有するためです。

奇妙にも、この基本的な宇宙学(宇宙観)は再びもう一度、現代の物理的な宇宙学と生物学の進化によって主張された、より広い進歩において、再びもう一度主張され、それらのイメージが再びもう一度、科学的に先進的な文化と文明によって鼓舞された可能性を示唆します。

故に、創始的な「出来事」とそれのその後の分離化の秘儀主義的なヴァージョンの中には、「4種のアダム(アトム)達」、または4種の人類達、(天界的)、鉱物的、植物的、そして最後に動物的な「アダム/アテン/アドニス/アーメン、等々」、または私達が現在そうある様に、人類が存在します。

2. Its Implications
2.その示唆     69


もしこの物理的な媒質(エーテル)の「トポロジー(位相幾何学)的な隠喩」が真実なら、すると幾つかの実直な示唆が直ぐに続きます:

1)その隠喩が「無神論的」、または「有神論的」に解釈されるかも知れないのは、どちらの場合においてであれ、その物理的な媒質が、それ自体を分離化(分極化/±)させる無で;それは唯一(the One)であり、多数の両方で、両方とも全ての意識(All-Consciousness)であり、幾つもの個別の意識(several individual consciousnesses)でもあるためで;

2)それが故に、代弁者(仲介/神官)、または制度(宗教的/官僚的な組織)を必要とせず、ましてやはっきりとした「(神からの)特別な啓示」などが存在出来るはずも無いのは、全ての人間が、とても文字通りに、その直接の体現と表現であるためです。しかしながら、人がこれを一度理解すると、すると人は何故、その様な哲学的な土台が、神々と人自身と共に、王制が文字通り天界から降臨したとする、(古代)シュメールからの概念から、それぞれ(の個人)が、創始的な無の分離化の体現なので、それにおいて、それぞれの個人が、社会的な秩序に対して貢献する、後の(古代)ギリシャの民主主義、またはプラトンの共和国までの、様々な社会的な秩序(制度)を産出する事が出来たのかを理解可能で;そして故に、

3)特徴的(特別)で、宗教的な啓示のシステム(制度)など、(本来は)存在出来るはずも無く;

4)人の転落は、より多数の分離化に向かった、より低いもの(状態)からの運動(上昇/アセンション/発育)の結果で、そして故に、人の転落は、降臨の通り道(脊椎/イダとピンガラ)に沿った「再上昇/ reascend」するためにデザイン(意図)されたテクニック(技術)とテクノロジー(科学技術)を通して、人自身によって修復される事が出来ます。

科学技術的な上昇(i.e. トランスヒューマニズム)の様々な構成要素、そしてそれらが意味する社会的、政治的、そしてスピリット(霊)的な示唆を教えるのは、この最後の可能性(i.e. 仙人/超人思想)で、そしてこの本の残りの部分の題材なのは、この可能性と、それらの意味です。

3. The Inverted Implications: The Three Great Yahwisms and the Struggle Against the Prisca Theologia
3.逆様にされた示唆:3つの大規模なヤーウェイ主義(一神教)とプリスカ・セオロジア(古代神学/自然哲学)に対する反乱


その神学的な隠喩のこの背景に対して見解された時、その大規模で、一神教的な宗教(i.e. アブラハムを祖とする、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は、更にもう一つの、とても隠されたバベルの塔の瞬間において、昔の統一していた秩序(ヘルメティカ/古代信仰/自然哲学)を引っ繰り返す(逆様にする)事を意図的にデザインされた、革命的な世界観以外のなにものでも無い様に現れ;それらが、ある意味、乗っ取り(利権侵害/横領)として現れるのは、それらが、その中におけるコスモス(宇宙)と人のコミュニティーの順序を、完全に変化させたためです。(インドの)ジャイナ教、シーク教、または仏教は、幾らかの妥当性と共に一神教として考えられるかも知れませんが、私達の目的のために、私達はそれらを部外視しましょう。むしろ私達は、(旧約)聖書の神、ヤーウェイに対して全てがある意味結びついている特徴(人格)、文章、そして制度である、大規模な一神教の上に集中しましょう。⁴⁰

a. The Inversion of the Topological Metaphor to a Technique of Social Engineering and Construction Via Conflict
a. 争いを通した、社会技術開発と構築への、トポロジー的な隠喩の反転     70


ヤーウェイ主義(一神教)がその昔の秩序(ヘルメス主義/自然哲学)に対して開始した、最初の革命 – そして乗っ取りが - 錬金術的な変格と、創始的な分離、または宇宙学的な原則としての最初の出来事の反転、そして社会的な技術開発の原則(支配制度)への変格なのは、もしその太古の隠喩が、共通の表面(無 C )を共有した2つのはっきりとした部分へと分離化された創始的な無(無 A, B )のトポロジー(位相幾何学)によって描写される事が出来るなら、同じ事が簡単に、人類の集合体に対して、反転の一種によって、応用される事が出来るためです。この応用、またはその隠喩の構築において、人類の集合体は元々の分離化されていない媒体に成り、そしてその分離化は、ヤーウェイ主義者の啓示自体の結果で、それは、元々の集団(人類)と「(神に)選ばれた人々(i.e. 選民思想)」の間を分離化させます。⁴¹ 端的に述べると、特定の個人(神)、または承認された代弁者(王/神官)、もしくは制度(宗教)によって特定の集団に対して与えられた「特別な啓示(選民主義)」を受け入れる(信じる)と、それは特定の必然的で社会的な結果をもたらし、その第一たるものは、一方が「真実(私の神様が本物)」ともう一方が「過ち(あなたの神様は偽物)」と言った、2つの異なった部分への、人間の「社会的な空間」の分離(i.e. 不平等化/差別化)です。それは社会的な秩序における、その様な錬金術的な変格の多くの、最初の一歩です。

更にもっと解りやすく述べると、3つの大規模なヤーウェイ主義 - ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は - 全て、永続的な分離(対立/分断統治)への、人類の社会技術開発の錬金術的なテクニック(技法)です。

しかしながら、それらの(一神教的な)啓示が派生させるものには、唯の社会的な空間の分断以上のものがあります。其処にはまた、一時的な秩序における、歴史的、そして文化的な記憶において、更にその啓示と選ばれた人々(選民)が立証される時である「未来の予測(i.e. 聖書的な預言)」における分断があります。ヤーウェイ主義の啓示は

「・・・故に、それがその中で記述された世界を多大に変化させた、革新的に新たな特質化でした。この特質化によって『分断、または分裂させられた』(社会)空間は、単なる一般的な宗教では無く、とても特定的な宗教の一種の空間でした。私達がこの新たな種の宗教を『反-宗教』と呼べるかも知れないのは、何故なら、それ(ヤーウェイ主義/一神教)が、それ以前に行われた全て(自然哲学)を否定し、そして拒否し、そしてそれ自体以外を『ペイガニズム(一神教以前の土着信仰/自然哲学/異教)』としたためです。それは、それ以後、知性的な解釈の方法として機能せず;対照的に、それは知性的な隔離(制限/固定概念)の方法として機能しました。」⁴²

「空間と、そして過去とにおける分離」の一種において結果した最初の出来事(創始的な無の分離化)の後のそのシステム(宇宙/空間)の状態である処で、その隠喩の元々のコンテキストにおいて正しく見られた様に、同じ事(分断化)が、此処において、社会的な秩序の中で起こりました。

結果的に、ヤーウェイ主義は必然的に、争いの状況を産出し、そして故に、それ(一神教)を推進し、管理しているエリート(王族/神官/官僚)に権力を与え、そしてこの、その他(非一神教)の人類の宗教的な過去との「分裂させられた(社会的な)空間」と、(一神教の)革新的な分裂は、「バベルの塔の瞬間」の永続的な一種と成り、思想(宗教)的な方法によって、人の統一性を更に分離化(差別化)させるのは、その主たる象徴 - (古代)イスラエル(i.e. ヘブライ族)のエジプトからの脱出(出エジプト記)が - この永続的な争い(i.e. 戦争)の強力な象徴に成るためです。

イスラエル(一神教)が真実の体現に成り、エジプト(自然哲学)が暗闇と過ちを象徴する様に成りました。エジプトはその歴史的な現実性を失う様に成り、そしてイスラエルとの対照的なイメージ(象徴)へと変えられました。イスラエル(一神教)がエジプト(多神信仰)の否定で、そしてエジプトはイスラエルが克服した全てを意味していました。⁴³

故に、ヤーウェイ主義は、そのトポロジー的な隠喩における普通の進歩でも、「潜在的で、内在的な意味の更なる展開」でも無いのは;それ(一神教)がむしろ、その(自然哲学の)多大で社会的な湾曲で、社会的な構築の、錬金術的な技術(社会操作)へと、それを歪める事であるためで:

「一神教的な宗教は、古きものと新たなものの間の関係を、進化では無く、革命の定義において構築し、そしてより古い、その他の宗教の全てを『異教/ペイガニズム』、または『偶像崇拝』として否定します。一神教は常に、反-宗教として現れます。偶像崇拝(自然哲学)の過ちから、一神教の真実へと繋がる、自然的、または革新的な道は存在しません。この真実は、唯一外部から、啓示の方法によって由来する事が可能です。出エジプト記の語り口は、一神教と偶像崇拝(異教)の間の宗教的な敵対の一時的な意味を強調します。『エジプト』は、『偶像崇拝(自然哲学)』だけでは無く、それ(一神教)が否定した過去も同時に意味します。」⁴⁴

そしてその錬金術的な機能が見逃されない様に、私達は次の段落において、それらに焦点を当てましょう:

「(旧約聖書の)出エジプト記は、移民と改宗変格と再修復(編集)、停滞と進歩、そして過去と未来の逸話です。エジプトが昔(ヘルメス主義)を体現する間、イスラエルが新しいもの(一神教)を体現します。その2つの国々の間の地理的な国境は、一時的な意味を成す様に成り、人類の歴史における2つの時代を象徴化する様に成ります。『旧約』と『新約』聖書の間の対立と共に、同じものが、もう一つの段階においてそれ自体の姿を現します。宗教における『旧約(ユダヤ教)』から『新約(キリスト教)』への改宗は、対立を前提とし、そして構造します。」⁴⁵

言い方を変えると、社会的な構造(制度)としてのヤーウェイ主義は、バベルの塔のそれ(聖書)自体のヴァージョンにおいて記録された、人類の分断化を更に強調するために意図的にデザイン(設計)された構造で、其処において言語的な分断化(混乱)に加えて、その神々に対して多大な危険を体現した自然的な知識は、今度は、一神教自体の特別な(代弁者の)啓示を通して由来した、特別な「知識」によって、思想的な分裂化と認識的な陽動(スピン/プロパガンダ)の更なる層の下に埋められました。そのトポロジー的な隠喩の、両方-そして弁証法的な構造において保たれた統一性複数性の分別化は、此処で、多様性を体現している、(古代)エジプトの「多神信仰」と「自然信仰」と、統一を体現しているイスラエルの、(代弁者/神官を通して)啓示によって唯一与えられた「一神教」と「知識」の、社会的で、宗教的な対立によって体現された、統一(一神教)と多様性(自然哲学)の対立への、錬金術的な反転(逆様化)の一種による、変化を経験しました。⁴⁶

その結果は、勿論、3つの大規模なヤーウェイ主義と、権威的な宣言を主張した、権力を会得したエリート達(王侯貴族)の間だけの終わり無き争い(戦争/権力争い)だけでなく、同時にそれら自体の中の、プロテスタント対カトリック、またはカトリック対オーソドックス(正教会)、もしくはオーソドックス対最新されたユダヤ教、更に、スーフィ派(Sic.)とシーア派のイスラム教の間の、終わる事の無い争いでした。社会的な技術開発のテクニックへの、その隠喩のこの変格によって派生させられたこの「空間」と文化的な「時間」は故に、西洋(欧米/ユダヤ/キリスト教圏)とイスラム教圏の中の精神分裂的な文化空間の創造において結果しました。⁴⁷

更なる示唆が同時に存在するのは、そのトポロジー的な隠喩 - 物理的な構造(エーテル)が - 人の社会的な変格の基本的で錬金術的なテクニック(技術)として応用されるかも知れないと、人が一度認めると、すると人は、人類とその文化と社会の技術開発(操作)に対して応用されるかも知れない、全てのテクニック(技術/魔術)とテクノロジー(新魔術)の可能性を認めるためです。言い換えると、秘儀主義的な宇宙学における人の下降(転落/降臨)のそれぞれの段階(天界的/鉱物的/植物的/動物的)の可能性を人が認めると、人の終末論的な再-技術開発(i.e. トランスヒューマニズム)と(そして実際に)錬金術的な「再上昇/re-アセンド」のための、相応しい目的に成るかも知れません。

b. Monotheism and the Resulting Social Dualism: The Convert-Enemy Paradigm of Social Interaction
b. 一神教と、結果した社会的な二元構造: 社会的な相互関係の改宗者(味方)- 敵の体系     73


この精神分裂的で、文化的な「時空間」は、ある意味また、ヤーウェイ主義の興味深い特徴の結果です。エジプト学者のヤン・アスマンは、それらの特徴を以下の方法においてまとめます:

「全ての設立された、または18世紀の用語を使用すると「肯定的(positive/+/陽)な」宗教(一神教)は、反-宗教である事は明らかな様です。これがそうであるのが何故なら、それらの全てが、一つの伝統(自然哲学)に反論し、そして否定したためです。それらのいずれも、宗教的な空洞の中で設立されたものではありませんでした。それらが常に、事前に、または平行的に存在していた「創始的(primary)な宗教」を前提するので、故に、それらは「二次的(secondary)な宗教」と呼べるかも知れません。創始的から二次的な宗教に繋がる、進化的な段階の証拠を私達は有しません。二次的な宗教が起こる処が何処であれ、それらは常に、革命や啓示の様な基礎(設立)的な出来事(行動/活動)によって確立された様に現れます。その様な肯定的(positive/+)な行いは頻繁に、否定と迫害における、それらの否定的(negative/-/陰)で皮肉なお返しを共にします。「肯定的な」宗教は、否定された伝統を示唆します。

・・・

「二次的、または反-宗教は、それ(一神教)ら自体と創始的な宗教(多神信仰/自然哲学)の間にそれらが引き出す区別(差別)によって、決定され、そして定義されます。

・・・

「・・・この難しさ(問題)のための理由は、反-宗教と正典化(本としての形式化)の間に、必然的な繋がりが存在する様に現れるためです。全ての反-宗教は、それら自体を大量の正典的な文献の上に基づけさせます。まず初めに、反-宗教、または二次的な宗教は、文章的な空間(本)の中に現れ、つまり、解釈(翻訳/代弁)の複雑な技法と制度の方法によって受け継がれて、保たれた、豊かに構成された文献的な構造の上に基づく、集合的な記憶の特定の一種(固定概念)としての、文献的な表現と正典(聖書/コラーン/トーラ/タルムード、等々)の形状です・・・創始的、そして二次的な宗教の間の違いは、常に、自然正典の間の違いとして現れます。」⁴⁸

私達が以前に目撃した様に、そのトポロジー的な隠喩は、その「both-andness (創始的な無であると同時に無 A, B, C [三位一体/三つ巴]である様)」において、その Unity-in-Diversity (多様性に-おける-統一性)の構造において、効能(ポテンシャル/可能性)的に、全ての多様性、全ての個人(個性)、全ての文化はその表現であるために、決定的で、問われる事が出来ない権威を共にして、その物理的な媒質(エーテル/プラズマ/イオン/フォトン等々)との、特別な関係に対して、特別な主張、または特別に体現した制度(王権/教会)を設定出来る、特別な個人、文献、エリートの集団(王族/神官/官僚等々)はいないと示唆する事を意味します。その本(教科書)は自然で、そしてその儀式は、様々な度合がありますが、それが寺院の(集団的な)祭事の実際の行事であれ、(個人的な)集中、または瞑想の単純な行いであれ、これが派生させたのは、トポロジー的な隠喩と「類推的な魔術(magic/ magi=賢者)」でした。

対照的に、3つの大規模なヤーウェイ主義は、この秩序に対して錬金術的な反転の多大な一連を行います:

1)それら(の一神教)は、そのために統一性のための主張が成され;故に、トポロジー的な隠喩の定義において見解されると、派生物(二次)的な空間が統一(創始)的なものに成ると地位を上げられた、特別な真実(啓示)の所有の方法によって、その他(多神信仰/自然哲学)に対してそれら(一神教)自体を定義する事によって、人類の「社会的な空間」における断絶として、それら自体を構成し;

2)それらは故に、過去との分離と同時に、社会的な空間における分断としてそれら自体を構成しますが、更に、より大きな空間、そして以前の文化的な伝統に対する反対勢力としてそれら自体を定義する事によって、それらは常に文化的な精神分裂内在的な状態にあり、悪用と操作に対してそれ自体を無防備にする(精神)障害の一種で

3)この内在的な精神分裂は、「真実」のコミュニティー(信者の集まり/カルト)に対するその部外者達の間の、表立った社会的な二元性(区別/差別)において台頭し;

4)この特別な「真実」は、しかしながら、その隠喩の展開している示唆への、何らかの特別な、または新たな洞察によるものではありませんが、むしろ革命的な啓示自体の手段によって、自然 対 聖書(本)、または自然 対 正典(本)の解釈的な権威(王/神官/教皇等々)の二分性(分裂/差別)においてそれ自体を表現します。

それらの示唆が、社会的な相互関係の「敵-味方(異教-同じ宗教)」の体系は言われるまでも無く、更なる成り行きを及ぼすのは、特定の感覚(意味)において、ヤーウェイ主義の一神教は実際に、多様性-における-統一性(創始的な無-と-無の分極化 A, B, C)の体系を抱擁する(受け入れる)一元論(Monism/元々の一神論)の理解である、一元論(創始的な無/神/宇宙/自然 etc.)の文化を囲んでいるコンテキストにおける二元論(Dualism /神 ≈ 神の代弁者/王/神官/教皇 etc.)主義の政治的な革命であるためです。

ヤーウェイ主義の中に内在的な、社会的な二元論主義は、「敵-味方」の体系の重大な成り行きを及ぼし、つまり、一つの社会的な空間(王権/教皇制 etc.)を「真実」の地位へと持ち上げる事によって、それはそれ(王制/教皇制 etc.)を受け入れる人類(信者)の部分(平民/奴隷)に対して三重の錬金術的な変格を施します:

1)それは、「真実」に対するその特別な主張(王位 etc.)を、宇宙(神)的な主張の地位まで持ち上げ、そして故にその真実に同意しない(従わない)者達は、改宗させなければならない者達として見解される、または改宗させられないのなら、敵、異教徒、更に不信心者として見解され、その「otherness (違い/異教/差別)」がその構造の永続的な特徴に成ると共に、完全に改宗しないならば、争い(対立/戦争)を共にして結果し;

2)それは、その特定の社会的な空間の文化的な構造へと、「唯一の真の神」に対する「多くの偽りの神々」」の区別の上に基づいた、binary (二元/0と1)的なロジック(理屈)を介入させ;⁴⁹ 端的に、そのトポロジー的な隠喩のロジックの三重的/三位一体/三つ巴の構造を、その示唆が、再び、永続的な対立である、二元的なものに置き換え;⁵⁰

3)それは、モラル(道徳)的な対立の構造を介入させ、i.e. それは、その違いを、モラル的に対立した構造として解釈(確立)します。

結果的に、此処において検証されたその隠喩の定義において、「ヤーウェイ」の名前は特に、文化的、そして社会的な段階において、二元論的で、弁証法的な対立の機能の象徴として現れます。この最後の要点のダイナミクス(流動性)を正しく理解する事は重要です。Prisca theologia (ヘルメス主義/自然哲学、または古代神学を信仰した社会の間にも - 血塗られた、大規模な争いはあり - 確かに戦争はありましたが、この争い(戦争)は、宗教的なマトリックス(基盤/母体/宗派)自体の、必然的でロジック(合理性)的な発展ではありませんでした。実際に、ある意味、その争いは、それに対するロジック的なアンチテーゼと言えるかも知れません。

3種の大規模なヤーウェイ主義と共に、しかしながら、争い(対立/戦争)は、そのシステム(制度)自体に内在的です:

「それらの宗教にとって、そしてそれらの宗教だけのために、主張されるためのその真実は、戦われるべき敵(の前提)と共に現れます。彼等(信者達)が、偽りの現れとして、彼等が弾劾し、迫害し、そして(法的に)追放するために、彼等が指定した言葉である、異端者と異教徒、偽りの教義、カルト、迷信、偶像崇拝、魔術、無知、不信心、異説、そしてその他の用語が何であれ、彼等だけが知っていました(定義出来ました)。」⁵¹

その争い/対立は、言い方を変えると、それらの宗教(一神教)の革命的な主張の正に本質の中から、社会的な二元性(神 ≈神の代弁者)を造り出し、その対立は、私達が直ぐに発見する様に、統一性への形而上(精神)的な再上昇(reasent)が再びもう一度、社会的な行先と目的として変格された、それ自体の最終的で、錬金術的なアポカリプス(黙示/啓示)を示唆し:その特定の「真実」への全ての人類の完全な変化(i.e. トランスヒューマニズム/NWO)です。

c. Nihilism as the Distinguishing Characteristic of Yahwism
c. ヤーウェイ主義のはっきりとした特徴としてのニヒリズム(虚無主義/暴力革命主義)     76


この「敵-味方」の体系はそれと共に、永続的な争いと分裂化(分断統治)のためのダイナミクス(流動性)だけでなく、更にもう一つのもっと危険なインパルス(衝動)を共に内在し、ニヒリズムで:改宗とその過去(歴史)からの分離を通して、または実際の征服とその廃絶によって、他者(異教徒)の「真実」を廃滅させる事によるどちらかにおいて、他者を根滅する事(宗教戦争)であるためです。私達が以前に検証した様に、そのトポロジー(位相幾何学)的な隠喩の both-and-dialectic (両方-と-弁証法)、そして創始的な Diversity-in-Unity (統一性-における-多様性)としての最初の出来事(無からの、無 A, B, C の分離/分極化)を現れさせるその能力(作用)は、一つの要素(element/原子/量子/光子等々)で、そして実際に、それを表現している殆ど全ての文化における隠喩の - 主要/創始的な要素でした。故に、「太古の宗教を描写し、分類化する道具として、統一性(自然哲学)の対峙化と複数化(二元性/一神教)は、実質的には価値がありません。神の統一性(oneness)は此処において顕著な基準では無く、「その他の」神々の否定でした。⁵² 実際に、ある特定の延長において、「一神教」、または「多神信仰」としての宗教の分類は、近代的な発案で、そしてとても正に、3種の大規模なヤーウェイ主義自体の結果で:⁵³

「・・・このアイデア(発想)の元々の意味は、一つの神があり、その他には無いと言うものでは無く、一つの真の神と共に、崇拝する事を厳しく禁じられた、偽りの神々が存在したと言う事でした。それらは2つの異なった物事です。唯一、一つの神が存在すると主張する事は、神と神々の間の関係が、上下関係であり、排他主義では無いと受け入れられる限り、とても両立的かも知れません。排他主義決定的な点であり、統一性(oneness)がそうなのではありません。」⁵⁴

私達が見てきた様に、従属関係は始めから、トポロジー的な隠喩において潜在的で、そして同じ象徴によって、それはまた内包的でした。3つの大規模なヤーウェイ主義において、しかしながら、派生(分極)させられた部分(i.e. 無 A, B, C )の内の一つが、元々の分離されていない状態(創始的な無)であると言う主張まで、それ自体が優先された、またはそのために限定的に語られました。このコンテキストの中で見解されると再び、その隠喩は、それらの宗教が、その隠喩自体の本質を逆転させ、そして更に加えて、そうする事を意図された様に現れるために疑う余地無く偽りと非難したでしょう。この感覚においてすると人が、イスラム教を、この発展における最終的で、そして合理的で、進化的な段階で、そしてモハメッドがその最終的で、合理的な預言的表現として見解するかも知れないのは、絶対的な統一性(Oneness)と排他主義が、そのニヒル(虚無/暴力革命)的な成り行きを共にし、最もはっきりと定義され、そして表現されたのは、それ(イスラム教)の中においてであったためです。

d. The Binary Logic of Yahwism Versus the Triadic Logic of the Metaphor and the Alchemical Eschatological Necessity
d. ヤーウェイ主義のバイナリー(0と1/二元的)なロジック 対 その隠喩と錬金術的で、Eschatology (人類と世界の最終的な運命)的な必要性のトライアディック(三位一体/三つ巴)のロジック     77


3つの大規模なヤーウェイ主義を通した宗教への「真実-偽り」の分類化のバイナリー(二元的)なロジック(考え方)の介入は、科学と、(古代)ギリシャの合理主義(理性論)の台頭の中に平行線を有します:

「科学の不寛容、または否定のための効能(ポテンシャル)は、二方向において表現され:一方で、非科学的と、科学的な知識の間を分別するその能力においてで、そしてもう一方で、間違いと、正しい科学的な知識の間を識別する能力です。神話は、非科学的な知識の形成ですが、それらは、その理由のために間違っているとまでは言えません。科学的な間違いは、否定された科学的な知識の例ですが、それらは、その理由のために神話的ではありません。私達は、私達が反宗教(counterreligions)を検証した際に、類似した何かを見つけます。Primary (創始的/一元的)な宗教は「ペイガン(一神教以前の土着信仰/多神教/自然哲学)」ですが、それらは、その理由のために異端的なのではなく;異教は異説的な意見と行いですが、それらは、その理由のために、創始的な宗教でも無く、それらはペイガンでもありません。

「宗教と科学の間の類推は・・・更にもっと延長される事が出来ます。ですが、此処において、単なる類推よりも重要な事があります。その知識の新たな概念は、同等に新たな概念、つまり『信仰』に対して、それ自体を定義する事において、その必然的な結果(i.e. 固定概念/推論)を有します。この新たな感覚において信仰が意味するのは、科学的な土台の上で、その正確度を私は確立(証明)する事は出来ないけれども、それでも、最も高い権威(一神教の教会/寺院/カルト)の真実に対する主張を台頭させ、それが真実であると信じる事を意味します。知識が信仰とは同じでは無いのは、それが単に相対的で、否定可能な真実(事象)に関するもので、そうであれ、確認可能で、そして批評的に検証可能なものですが;信仰が知識と同等では無いのは、それが、批評的に確認される事が出来ないのに、それでも、絶対的で、否定不可能で、啓示的な(神の代弁者/人間)による真実(屁理屈)に拘わっているためです。この分類化の以前に、科学のために構成した知識の概念も、明かされた(啓示された)宗教のために構成された、信仰の概念も、存在していませんでした・・・古代のエジプト人達は、創始的な宗教のその他全ての支持者達と同様に、彼等(i.e. 神々)において信じると言うよりも、その神々について知っており、そしてこの知識は「真実と偽り(二元論)」の意味において定義されるのではなく、両立するには、私達の眼に矛盾する様に見える明言を許しました。」⁵⁵

言葉を変えると、そのトポロジー的な隠喩は、宗教的な感覚における信仰心を必要とせず、むしろ、特定の推論(前提)、または結論(常識)からのシステム(世界観)の元々の仮定(ヘルメス主義/自然哲学)としての、数学的な「当たり前(当然/常識)」における、形式(正式)な提案、または前提における信仰でした。

ヤーウェイ主義は、対照的に、その提案における信仰と、その反転における信仰心を必要とし、つまり、創始的な統一性(無/神)のために直接語り(代弁し)、一人の人(モーゼス、キリスト、モハメッド等々)が彼自身で明かした(啓示した)、または正式な啓示を与えられ、排他的で、そして反論の余地が全く無い(絶対的である)と言う前提における信仰心を必要とします。再び、3つの大規模なヤーウェイ主義の台頭と共に、それら以前の文化的な時代である、トポロジー的な隠喩の文化との、革命的な分裂がある事を私達は目撃します。これは(その後)、統一性-と-多様性の空間と時間の文化ではもう無く成り、これは(その後)、多様性(自然哲学)に対する統一性(一神教)の対峙の、文化的な空間と時間に成りました。

それらの一般的な宗教(一神教)のためにこれが体現する問題は、科学が発達する際に、その隠喩を表現した元々の(自然哲学の)テーゼ(主題)を解明している様に現れる為で、故に切実(危険)なものなのは、展開している(現在進行形の)可能性(i.e. 未来)を内包(説明)するための、更なる「最終的な啓示(預言)」の形状において、遅かれ早かれ、調整(言い訳)が成されなければならないためで、そうでなければ、本質においてとても惨い、それら(一神教/聖書/聖典)の前提(預言)から、技術開発(自作自演)された出来事(事件)の一連によって、時代錯誤(不必要)とされ、人類は、スピリット(霊)的、そして宗教的な真実の源泉として、それら(一神教/ヤーウェイ主義)に戻らない(信じない)でしょう。科学もまた、しかしながら、ヤーウェイ主義が現代の文化に介入させた幾つかの文化的な精神分裂症に囚われた様に現れ、元々、その隠喩の神話(i.e. 例え話)において唯一考えられた物事の創造の、技術的で、技術開発的な達成を探求しています。

このアポカリプス(終末論)的な示唆が、しかしながら、その大規模な一神教が必然的に示唆する「最終的で統一(宇宙)的な勝利(結末)」の理解無しで完全に把握される事が出来ないのは、それぞれが、全ての偽りに対する、それ自体の最終的な end-time (時の終わり/結末)の勝利のそれぞれのヴァージョンを有するためで:ユダヤ教はそのメシア(救世主)を期待し、キリスト教の特定の分派は、地上(地球)へのキリストの復活と、「神の王国」の最終的な地上における勝利を期待し、そしてイスラム教が同様に、その「メシア」である Imam Mahdi (偉大な指導者)の下の、最終的で統一的な勝利を期待するためです。ですが、これが一体何を意味するかを理解する事が重要で:それはこの「啓示され」、そして「絶対的な」真実(一神教)に対して従わない全ての者達を、改宗させる、または征服する事によって最終的に撲滅する、「最終的なニヒリズム」の主張以外のなにものでもありません。着目する事が、また、価値があるのは、それらの一神教を確立した出来事が、暴力においてであったのと同じく、それらのヴァージョンの殆どの「最終的なニヒリズム」もまた、暴力である事です。⁵⁶

ですが、その隠喩が reascent (再上昇)のそれ自体の目的を示唆するのと同様に、それらの最終的な勝利もまた、それらを産み出した宗教(一神教)の様に、人の終末論で、錬金術的な変格(仙人/超人思想/トランスヒューマニズム)のための、演出された、または技術開発された出来事である可能性もあります。それらは、しかしながら、もう一冊の本のための題材であり、現時点において、その隠喩を検証する私達の課題は終了し、そして、人間の変格の錬金術的な技術と科学技術を通した、その応用を概要する役割が、これから始まります。しかしながら、まず初めに、此処までに私達が論議した結論と示唆を再検証する事が有意義でしょう。
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1 Arthur O. Lovejoy, The Great Chain of Being, (Harvard University Press, 1964), p. 83.
2 Jan Assmann, The Price of Monotheism (Stanford University Press, 2010), p. 31.
3 Iamblichus the Neoplatonist, The Theology of Arithmetic, p. 35.
4 Mark Booth, The Secret History of the World as Laid Down by the Secret Societies (Woodstock: The Overlook Press, 2008), p. 20, all emphases in the original.
5 Ibid., all emphases in the original.
6 W.J. Wilkins, Hindu Mythology (New Delhi: Heritage Publishers, 1991), p. 116, citing the Padama Purana.
7 Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed (Kempton, Illinois: Adventures Unlimited Press, 2005), pp. 222-245.
8 Joseph P. Farrell, The Philosophers’ Stone: Alchemy and the Secret Research for Exotic Matter (Feral House, 2009), pp. 43-48.
9 幾何学の機能としての、古代エジプトにおける数字の、Schwaller De Lubicz の理解に対するこの概念の類似性は直ぐに明らかです。数学者である Schwaller は、幾何学の機能としてでは無く、その物理的な媒質(エーテル/プラズマ/イオン/光子等々)自体のトポロジー(位相幾何学)の機能として、更により高い-秩序(次元)の数字(数値化)の形状において、この概念をもっと深く(精密に)、彼が表現出来る事を知っていました。彼がそうしなかったのは、彼がそれに気づいていなかったためでは無く、むしろ、彼が初心者達(一般大衆)に対して、理解可能なエジプトの宇宙学的な概念を広め、教えようとしていたためだと言うのが、私(ファレル博士/デ・ハート博士)の意見です。
10 勿論、全が必然的に、あらゆる物事(物質)の効果的な oscillator (振動器)ではありませんが、それは、この章の中で探求されるより、もっと複雑な、太古の宇宙学と、それらのトポロジー的な隠喩の要素です。それは、この本の残り(後の章)の目的です。
11 Joseph P. Farrell and Scott D. de Hart, The Grid of the Gods (Adventures Unlimited Press, 2011), pp. 71-73.
12 Bhagavad-Gita, Ch 15, “The Field and Its Knower,” Trans. Swami Prabhavananda and Christopher Isherwoodi, pp. 100-105, emphasis added.
13 Hymn 200, Jan Zandee, Der Amunshymnus des Pap. Leiden I 344vso, 3 Vols., (Leiden: Instituut voor het Nabije Oosten, 1992), no. 138, cited in Jan Assmann, Moses the Egyptian, p. 196, emphasis added.
14 Schwaller de Lubicz, The Egyptian Miracle, p. 41.
15 Ibid., p. 43.
16 Ibid., p. 75, emphasis in the original.
17 Ibid.,, pp. 76-77, emphasis in the original.
18 Joseph P. Farrell and Scott D. de Hart, The Grid of the Gods, pp. 282-285.
19 Popol Vuh, trans. Dennis Tedlock, pp. 64-65, emphasis added.
20 Schwaller de Lubicz, op. cit, p. 63, emphasis added.
21 Joseph P. Farrell and Scott D. de Hart, The Grid of the Gods, pp. 181-183.
22 Q.v. Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed (Adventures Unlimited Press, 2005), pp. 222-231. ギザの死の星は破壊されたの中で体現された分析は、此処において表現されたものよりも、少々異なり、そして私達はそれを、プロティヌス(の記述)におけるその隠喩についての、より発展させられた反映として、私達がこのヴァージョンを考える事に着目して下さい。
23 See the discussion in the “Introduction,” by Joseph P. Farrell, to Saint Photios, The Mystagogy of the Holy Spirit (Holy Cross Orthodox Press, 1987), pp. 20-21.
24 私達は、「三度偉大なヘルメス」に対して帰属させられた記述が、西暦200年、またはそれ以後に書かれたものであると、率直に認めますが、ヘルメティカの著作権、または出自の題材は、此処において問題にせず、私達はまた、それら(i.e. ヘルメス文献)の中に含まれた、少なくとも幾つかの要素が、明らかなプラトン学派と新プラトン主義的な影響と同時に、(古代)エジプト的な宇宙学から由来すると信じます。
25 Libellus: 1-6b, Hermetica, trans. Walter Scott, Vol. 1, pp. 135, 137.
26 qv. Joseph P. Farrell and Scott D. de Hart, The Grid of the Gods, pp. 73-77. Also see Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed, pp. , Joseph P. Farrell, The Philosophers’ Stone: Alchemy and the Secret Research for Exotic Matter (Feral House), for other context of these observations.
27 此処におけるラテン語名は、“Asclepius. Utriusque sexus ergo deum dicis, o Trismegiste? - Trismegistus. Non deum solum, Aslclepi, sed omnia animalia et inanimalia.” です。
28 Asclepius III: 20b-21, Hermetica, Volume I, trans. Walter Scott (Kessinger Publishing Company, No Date), pp. 333, 335.
29 “The Field and its Knower,” Bhagavad-Gita, Swami Prabhavananda and Christopher Isherwood, trans., p. 100.
30 Booth, op. cit., p. 23.
31 Ibid,., p. 39.
32 Ibid., p. 60.
33 Ibid., p. 29.
34 Manly P. Hall, The Secret Teachings of all Ages, Readers’ Edition, pp. 399-400, all emphases Hall’s. それらのアイデアは、ラビ(ユダヤ教の祭司)的な伝統の中に更なる表現を見つけられます。例えば、バビロニア・タルムードの Negilla 9a の、創世記 1:27 への注釈は、以下の様に続きます: “A male with corresponding female parts created He him.” 「一致する女性の部分(parts/-)を共にした一人の男性(+)を He (彼/神)が him (彼/人)を創造した。」(See Wayne A. Meeks, “The Image of the Androgyne: Some Uses of a Symbol in Earliest Christianity,” History of Religions, Vol. 13, No 3 (Feb. 1974) pp. 165-208, p. 185, n. 88.)
35 Booth, op. cit., p. 99.
36 Hall, op. cit., p. 401.
37 Ibid.
38 太古の音楽的な理論に対する関連における、奇数の男性性と、偶数の女性性に関しては、私達の Grid of the Gods (Adventures Unlimited Press, 2011), pp. 237-240. を参照して下さい。
39 Iamblichus the Neoplatonist, The Theology of Arithmetic, trans. Robin Waterfield, p. 38, emphasis added.
40 私達は、エジプト学者のヤン・アスマンの、一神教の代価の提案:「人は故に、Shema の祈りの中に刻まれた、JHWHヤーウェイ/エホヴァ)のフォーミュラ(形式)にはっきりと表現されているものとして、monoyahwehism (単一ヤーウェイ主義)を、より正確に語るべきです。ヤーウェイは独特で、(古代/元祖)イスラエルが、それら自体を結びつける単一の神です。」(p. 39)に引き続きます。
41 ヤン・アスマンは、彼の Moses the Egyptian の中で、スペンサー・ブラウンの The Laws of Formからの引用と共に、彼の著書を始め、それは、それ自体、数学的な形状を創造している、実質的な出来事の連鎖(i.e. 無から、無 A, B, C への分裂/分極)における、不可欠で合理的な一歩としての、その最初の出来事の、数学的でトポロジー的な明言を含みます。其処からアスマンは直ぐに、ヤーウェイ的な一神教の構造に対してその法則(原理)を応用し:
“Draw a distinction.” 「違いの一線を引く。」
“Call it the first distinction.” 「それを最初の分別と呼ぶ。」
“Call the space in which it is drawn the space severed or cloven by the distinction.”「それ(無)において、それが引き出された空間(A, B, C )を、その分別によって、分離化された、または引き裂かれた空間と呼びましょう。」
“It seems as if George Spencer Brown’s “first Law of Construction” does not apply solely to the space of logical and mathematical construction. It also applies surprisingly well to the space of cultural constructions and distinctions and to the spaces that are severed or cloven by such distinctions.” 「ジョージ・スペンサー・ブラウンの『構造の最初の法則』は、あたかも、合理的で数学的な構造の空間に対して、唯一応用され無い(当てはまらない)ように現れます。それはまた、驚く程上手く、文化的な構造の空間と、その様な分別化によって分離化された、または分断された空間に対して応用されます。(Moses the Egyptian[Harvard University Press, 1997], p. 1, citing George Spencer Brown, The Laws of Form(New York: The Julan Press, 1972), p. 3.
42 Assmann, Moses the Egyptian, p. 3, emphasis added.
43 Ibid., p. 7.
44 Ibid.
45 Ibid, emphasis added.
46 アスマンは、その要点をこの方法で明言します:「その counter-religious (反-宗教)的な敵対心は、統一性と多様性の定義において常に構成されました。モーゼスと(the One)絶対神は、エジプトとその他多く(の多神信仰)に対立しました。エジプト人であるモーゼスについての公開は、この防壁を破壊する事を目的とされていました。それは、統一性のアイデアを、エジプトまで遡らせさせます。」 (Moses the Egyptian, p. 168).
47 See Assmann’s comments on p, 2ff.
48 Ibid., pp. 169-170.
49 Jan Assmann, The Price of Monotheism, p. 2. アスマンは、この点を以下の様に述べます:「私にとって重大な様に見えるのは、唯一の神と多くの神々の間の違いでは無く、真の教えと偽りの教義知識と無知、信仰と不信心の間の違いです。(p. 2)
50 これがそれと供に、深遠で解釈的な示唆を意味するのが、キリスト教の三位一体と、秘儀的なユダヤ教徒や、イスラム教の多くのシステム(分派)が、それらの宗教の中で、一神教的な革命自体の中で失われたものを、再現する試みだったためです。これを述べるもう一つの方法は、それらの試みが、それらの特別な啓示(預言)では無く、より古い秘儀的、または否定された宗教(i.e. ヘルメス主義/自然哲学)から由来すると言う事です。
51 Assmann, The Price of Monotheism, p. 4. See also pp. 11, 18.
52 Ibid., p. 31.
53 Ibid. 着目されるべきは、(古代)ヘブライ族の一神教が実際に、絶対神だけで無く、神々の「評議会」のアイデアをまた受け入れたと示唆する、最近の学術的な研究です。
54 Ibid., p. 34.
55 Ibid., pp. 14-15, emphasis added.
56 Ibid., p. 22.


3. The Alchemical Agenda of the Apocalypse: Conclusions to Part One
第三章: アポカリプス(終末論)の錬金術的な目的: 第一部に対する結論     83


「・・・(錬金術は)常に、時間とタイミングのアイデアと共に関連させられ、そしてそれは、フルカネリ(Fulcanelli)が私達に伝えた(教えた)様に、時間自体を変格しているアイデア(発想)の中心にあります。」
- ジェイ・ウィードナーとヴィンセント・ブリッジス¹

バベルの塔の瞬間、そしてその物理的な媒質の「トポロジー的な隠喩」は - 世界中からの宗教的で、そして哲学的な伝統において表現された、その豊かで様々なイメージ(印象/表現法)の全てを共にして - 現代科学、そして「トランスヒューマニズム」の主唱者達において、目の前に隠された錬金術的な目的の地図を構成します。

私達が見てきた様に、例えば、そのバベルの塔の瞬間は、人類についての特定の推定を行いました:

1)その元々の統一性は、3つの主要な(創始的な)方法においてそれ自体を表現し:

a)性別的、またはアンドロジニー(中性)的な統一としてで;

b)一つの言語的な統一性としてで;そして最後に、そして恐らく最も重要な事に、

c)文化-哲学的な統一性としてでした。この場合において、その「トポロジー的な隠喩」がまた明かすのは、この太古の哲学が正に、中世、そしてルネッサンス期のヘルメス主義者達が、それは Prisca theoligia (プリスカ・セオロジア)、「太古の神学」であると主張したものだった事実でした。

2)全ての部分におけるこの統一性は、神々、または神に対する危険性の何らかの種を構成し、そして壊されなければ(排除されなければ)なりませんでした。着目すべきは、人が太古の記録の全てを検証した際に、その統一性が上述されたそれぞれの3つの段階において実際に壊されて(分裂させられて)いた事です。

そのバベルの塔の瞬間がまた体現するのは、人の転落(e.g. 楽園からの追放)のそれ自体の特徴的な隠喩で、人の創始的なアンドロジニーからの、増え続ける分離化のトポロジー的な下降(降臨)として表現され、鉱物、植物、そして最後は動物的な人を通した、その物理的な媒質(エーテル/プラズマ/イオン/光子 etc.)、または神自体の「アンドロジニー(±)」のイメージ(表現)とシンボル(象徴)でした。

この秘儀主義的な構成要素が、人の変格の錬金術的な目的の、更にもう一つの特徴的な印しを理解するために重要なのは、それが、その現代の主張者(代弁者)達である、トランスヒューマン主義者達に、philosophia perennis (永久的な哲学)の太古の教義の利用を与え、つまり、人が大宇宙(macrocosm)の小宇宙(microcosm)であると言う事です(i.e. As above, so below.)故に、宇宙を支配するために、人は、人を支配しなければならず、そして人を支配するために人は、順を追って、彼の感覚(五感)、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、そして味覚、更に最終的に、彼の性感覚(性別/性欲 etc.)と意識自体に対する情報を支配し、そして操作しなければなりません。この本の最後の章の中で私達が発見する様に、ミクロコズム(小宇宙)としての人の、このとても太古の概念は、現代の理論的な物理学の幾つかの要素において、驚くべき確認を見つけます。

もし、故に、人が現代の科学技術、または科学の中に、錬金術的、またはヘルメス的な目的を探知するなら、人は以下の分野における活動を探さなければなりません:

1)その知覚(五感)的な情報注入のメディア(媒体)を通った視覚の圧倒性で:芸術、建築、そして最も重要な事に、視覚を通して収集された情報のあらゆるメディアで、i.e. 文学、そしてより近年では、映画とテレビで;¹

2)音楽とスピーチ(言葉/演説)を通した音(聴覚)の圧倒性で;

3)そしてこれは、最重要な点ですが - 人の好み/味覚の情報注入の圧倒性で、特にアングロ-アメリカ(欧米)のエリートをはっきりと分別化する行動であり、そして私達が目撃する様に、ロックフェラー一族とその仲間(手下)達に特別な特徴的である、彼等の食べ物で;

加えて人は、動物から、植物、鉱物、そして最終的にアンドロジニーへの、人の re-ascent (再上昇/仙人化/超人化)の段階が全て表現されている、その太古の教義の基本的な概要に沿って、この活動(作用)を探さなければなりません。それをあえて言い変えると、人は、現在の分別化に繋がった、動物からの、植物、鉱物、そして最終的に、アンドロジニー的な人への通り道(i.e. 脊椎)を再び登らなければならず、人は re-ascend (再上昇)しなければなりません。(注:自然的な最上昇 vs 機械的[人工的]な再上昇。)

この態度(考え方)をまとめると、私達はそれを「ミクロコズム(小宇宙)である人の、全範囲の圧倒(完全支配)」と呼べるのかも知れません。これは、私達が、特定の国々の国家的なエリート達を語っているにしても、または国際的な大企業(財閥)と銀行の、国際的なエリート達を語っているにしても、どちらにも真実です(当てはまります)。

私達が、この本の残りの中でこれから目撃する様に、トランスヒューマニズムは、科学的な技術(ナノテク、GMO、マイクロチップ etc.)の新たな衣を着せられた、昔のヘルメス的な錬金術で、その目的は同じままだと私達(ファレル博士とデ・ハート博士)が信じるのは、そのテクニック(技術)とテクノロジー(科学技術)が本質的に社会工学(社会統制)で - 人の錬金術的な変格で - トランスヒューマン主義の錬金術師の主張は、彼等の科学的な行先(目的)は、(AI/人工知能などを取り組んだ)意識と知識の膨大な拡張によって、人類を強化(進歩)させると言う事ですが、私達が主張する様に、それ(人間と機械の融合)が実際に、知識の進歩を妨げるかも知れないためです。

新しいものは、言い換えると、単なる科学的、そして技術開発的な技術で、その目的は、とても古いもの(仙人/超人思想)のままです。

そしてそれは実際に、デザイン(計画)されたものなのかも知れません・・・
_____
1 Jay Weidner and Vincent Bridges, The Mysteries of the Great Cross of Hendaye: Alchemy and the End of Time (Rochester, Vermont: Destiny Books, 2003), p. 38.

PART TWO
The New Frankensteins:
第二部
新たなフランケンシュタイン達:
The Transgenic Transformation of Man
and the Alchemical Ascent from Animal,
to Vegetable, to Mineral Man
人の中性的な変格と
動物から、植物、鉱物(機械)的な人への錬金術的な上昇     87


「現在の時代が・・・象徴化されたものよりもそのサイン(象徴)を、オリジナル(元々のもの)よりもコピー(複写)を、現実よりも空想を、その本質よりも表向き(表面上)の現れを好むのは・・・現在において幻想が神聖で、真実が神聖冒涜であるためです。」
- ルードヴィッヒ Feuerbach

「人は、彼が食べるものです。」
- ルードヴィッヒ Feuerbach

4. Old Homunculi and New Frankensteins: Genetics, Chimeras, and the Creation of “Alchemanimal” Man
第四章
昔のホムンクルス(人造人間)と新たなフランケンシュタイン達:
遺伝子学とキメラ(半人半獣)達、そして「錬金動物的な」人間の創造     89


「・・・(私達は)『フランケンフード(GMO/遺伝子操作された食物)』、クローン化、体外人口受精、合成高分子化合物、人工知能(A.I.)そしてコンピューターに派生させられた『人工的な生命』の時代において生きます。」
- ウイリアム R. ニューマン¹

ヘルメス主義:それが、近代の科学の台頭の上で、凄まじい度合の影響力を行使したのには疑う余地がありませんが、多くはその影響を忘れる、または隠す事を選択します。これが真実である規模は、一般大衆の中では広くは知られてはおらず、科学の歴史、そしてヘルメス主義における学者達と研究者達の幅の狭い内輪に限られています。

私達が以前の章の中で示唆した様に、バベルの塔の瞬間とヘルメス的な隠喩、そしてその物理的な媒質の「トポロジー的な隠喩」は、3つの物事:(1)物理学、(2)生命、または生物学、そして(3)その2つの間の仲介的な原則である:アンドロジニーのイメージにおいて表現された、意識(consciousness)と共にそれら自体を関連させました。それらのテーマは、近代科学の中のヘルメス的な影響として探知可能で、そして生命自体を創造し、そして変格させるための、人の探求のための錬金術的な土台を、私達が理解出来る前に、それらの端的なあらまし(全体像)が必要です。

A. A Brief Overview of The Hermetic Basis of Modern Physics
近代物理学のヘルメス的な土台の、端的なあらまし     89



現代の遺伝子技術開発の目的の、錬金術的な土台へと進む前に、近代科学の台頭に対するヘルメス主義の影響力の端的な再検証は、科学に対するオカルトな(i.e. 隠された)教義の、多大ですが、殆どが隠された影響力を描写するための手助けに成るでしょう。私達は、コペルニクス、ケプラー、ニュートン、そしてライプニッツに対するヘルメス主義の影響力を考えるだけで十分でしょう。

1. Hermeticism in Copernicus and Kepler
1.コペルニクスとケプラーにおけるヘルメス主義     90


フランシス A. イェーツは、中世とルネッサンス期の文化の学者で、そして批評的に重要な研究、ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス的な伝統の中で、それらの根源の幾つかを解明しました。イェーツが指摘する様に、太古の神学である、プリスカ・セオロジア(古代神学)の、コペルニクスに対する影響力は、その天文学者自身によって、そして彼のへリオセントリックな(太陽中心の)宇宙(i.e. 地動説)の革命的な提案において、認識されました:

「ニコラス・コペルニクスの De revolutionibus orbium caelestium (天球の回転[自転/公転]について)は、1507年と1530年の間に記述され、そして1543年において出版されました。コペルニクスが、太陽の周りの地球の公転の論説(地動説)の、彼の新時代を形成する理論を達成したのは魔術によってでは無く、純粋で、数学的な計算における、偉大な達成によってでした。彼は、読者達に対して彼の発見を、神の啓示、または数多くの哲学者達が目視可能(理解可能)な神と呼んだものとして、世界(宇宙)の成り立ちの運動の一種として、紹介(説明)しました。それは、解りやすく言うと、コペルニクス的な革命が紹介したのは、世界の宗教の空気[雰囲気](当時は、カトリックの天動説/固定概念)においてでした。コペルニクスは(この表現を彼は実際には使用しませんが)、それらの中にピタゴラスとフィロラウスが含まれる、プリスカ・セオロジアの権威を、地球の運動の論説の補佐として、提示さえしません・・・コペルニクスは、トマス・アクイナスの世界観(時代)の中で生きているのではなく、三度偉大なヘルメスをその筆頭とした、新プラトン主義学派の時代(ルネッサンス)を生きていました・・・この新たな世界観(地動説)における、太陽に対する強い強調は、太陽が実際に惑星的なシステム(太陽系)の中心であるとする論説の、彼の数学的な計算をコペルニクスが行うための、感情的な推進力だった;または、彼は、この新たな態度(ルネッサンス期)の枠組みの中で、それを体現する事によって、彼の発見(地動説)を(大衆が)受け入れ可能にする事を望んだと、人は言えるのかも知れません。恐らく、両方の説明、または、それぞれの一部が、真実だったのでしょう。」²

言い方を変えると、コペルニクスの数学は、ヘルメス的に鼓舞されてはいなかった間、コペルニクス自身が、ルネッサンス期の魔術師(賢者)達の重要な情報源、つまり、ピタゴラス学派、新プラトン学派、そして三度偉大なヘルメス(トート)自身を引用するので、その論説のための全体的な鼓舞だったのかも知れません。³

もう一人の偉大で「ヘルメス的な科学者」、ケプラーは、更にもっと強くヘルメス主義によって影響されていましたが、それにも拘らず、コペルニクスと同様に、ヘルメス的な数秘主義から、彼の数学を分離させる事に成功しました:

「惑星達の楕円形の公転軌道を発見したその偉大な数学者は、彼の全体的な考え方において、ルネッサンス期の影響から逸脱したとは全く言い切れません。彼の地動説には、神秘主義的な背景があり;惑星的な公転軌道についての彼の偉大な発見は、球体の音楽の確認として、彼によって大喜びで歓迎され;そして彼の論説の中には、アニミズム(精霊信仰/土着信仰)の生き残り(保存)がありました。そうとは言っても、ケプラーは、量(数値)的な測定の上に基づいた、正真正銘(実際)の数学(計算)と、『ピタゴラス学派』、または『ヘルメス主義』の数字に対する神秘的なアプローチ(接近の仕方/数秘学)の間の基本的な違いの、絶対的で、鮮明な認識を持っていました。」⁴

何が起こっていたのかを、言葉を変えて言うと、それらの科学者達は、宇宙の本質についての、ヘルメス的な教義、そして信仰(考え方)によって影響されたままでしたが、数世紀に渡って融合(発達)した数字的な神秘主義(数秘学)から解放された、数学の新たな種類へと、それらの教義を翻訳する事に成功したと言う事です。これは、2人の偉大な数学者達に関して特に当てはまり、彼等のそれぞれが独立的に、微分学と積分学を発明(再発見)し、そして彼等の両方が、ヘルメス的で、錬金術的な教義(伝統)によって強く影響され:(それらは)ニュートンライプニッツでした。

2. In Newton
2.ニュートンの場合     91


サー・アイザック・ニュートンは、もし世界一とは言わないまでも、間違いなく、世界で最もよく知られた科学者達の一人です。ニュートンについて、しかしながら、殆どの人達が知らない事は何かというと、「科学者」と言う称号は、彼の発想の最も優れたものである、彼の重力の論説のために、(周りの)科学者達によって、彼に与えられた敬意的な呼び名でしか無く、それは恐らく、彼自身が躊躇なく装った称号では無かった様だと言う事です。彼の重力の論説と共に、コペルニクス的-ケプラー的な(太陽中心の)地動説の論説の正しさを疑う事は、もう不可能に成りました。⁵ このぎこちない称号のための理由は単純に、ニュートンは科学者では無く;彼は錬金術師であり、魔術師(賢者)であったためです:

「彼の死去の際に、彼の個人的な書斎において、錬金術についての169冊の文献が発見され – 彼の(本の)コレクションの3分の1を構成していました。実際に、彼の記述の全てから読み取れるのは、彼の主な秘儀主義的な没頭は、賢者の石のための探求で、そして彼は特に、フランス人の錬金術師、ニコラス・フラネル(1330-1418年)の研究に熱心でした。

「百万個の言葉(単語)を超える - ニュートンが産出した膨大な数の - 彼の錬金術的な論文の殆どは、ケインズとその他によって収集され、現在は、エルサレムのユダヤ国立図書館にあります。秘密主義を必要とした天才の研究に相応しい様に、それらは複雑な暗号において記述され、そしてそれらの多くは、未だに解読されていません。」⁶

(近代の)経済学者である、ジョン・メイナード・ケインズの関係性は、彼と、そしてその他の科学者達が、世界の最も優秀で、科学的な図脳の一人(ニュートン)が、唯一、魔術的、ヘルメス的、そして錬金術的として分類される事が可能で、必然的に殆ど「科学的」とは(現代において)言えない活動(研究/実験)と信念において重度に没頭していたと、不本意にも認める行程を開始した事実をもたらします。言い方を変えて、特定の方向から見解されると、現代の科学は「アップグレード(更新)された錬金術」として見解されるかも知れません。

例えば、インディアナ大学の科学の歴史の教授、リチャード・ウエストフォールは、彼の1972年のニュートンの伝記の中で、ニュートンの秘儀主義的な関心の問題を、以下の様に記述しました:「ニュートンの思考経路の中には、長きに渡って、現代の科学的なマインド(頭脳/考え方)に対してアンチ-テーゼ(正反対)があると認めなければならい」と、ウエストフォールは観測しました。⁷

ケインズ自身が、1946年において(英国)王立学会に対して行った講義の中で、更にもっと雄弁に、その要点を述べました:

「ニュートンは、理性(物質/現世主義)の時代の最初の人ではありませんでした。彼は、魔術師達の最後の人(後継者)で、バビロニア人達とシュメール人達の最後の人で、10,000年以上以前に、私達の知性的な世界を築き始めた人達と同じ目線で、眼(肉眼)に見える、そして知性的な世界を見解した最後の偉大な頭脳でした・・・何故、私は彼を魔術師と呼ぶのでしょう?何故なら、彼は、宇宙全体と、そして存在する全てを一つの謎々として、そして秘儀主義的な同胞団(秘密結社 etc.)に対して哲学者の宝探しの一種を許すために、神が世界について設定した、特定の証拠、特定の神秘的な手掛かりに対して、純粋な思考を応用する事によって、解読する事が可能な秘密として捉えたためです。それらの手掛かりは、天界(宇宙/macrocosm)の証拠において、そして要素(原子/元素/microcosm)の構成において部分的に見つけられ(そしてそれは、彼が実験的で自然科学的な哲学者であると言う誤解を招きましたが)、同時に、バビロンにおける元々の暗号的な啓示まで遡る、とめどなき鎖(繋がり)において、同胞団によって伝統的に手渡された(後継された)特定の文献の中で部分的に見つけられると彼は信じたためです。」⁸

ニュートンは、言葉を変えると、最も重要な意味において、近代の科学者の一人では無く、自然界の観測に加えて、彼の見解において、失われた文明と、その高度な科学の遺産(名残)を含んだかも知れない文献と伝統の膨大な収集を、その「解釈(解読)されるべきデータセット(まとまった情報)」へと、ニュートンは含ませました。彼は、その様な人物として、「エジプトの様な最も早期の文明が、彼自身と同時代の人々よりも遥かに知識豊富で – the prisca sapientia、または『太古の英知』を有していたと言う事の強い信者でした。」⁹

ニュートンの場合において、その prisca sapientia の一部は、物理的な媒質の「トポロジー的な隠喩」との関連において、私達が第二章の中で端的に検証した文献である、実際のヘルメティカ自体から由来しました。この文献は、結果的に、重力についてのニュートンの発想のための、究極的な情報源でした:

「それは、ヘルメス的な原則との類推を描く事によって、自然界の物理的な法則について、ニュートンが指摘する、単純な問題ではありませんでした。彼はそれらの原則を、物理的なシステムに対して応用しました。例えば、彼の重力の説明に対する大きな抵抗は、『オカルト(秘儀主義)』過ぎると、多くが考えたためでした。(遠)距離において、(宇宙)空間を渡って機能し、そして宇宙の本質の結果として純粋にそう成る方法においてそうする力(作用)としての彼の重力の概念は、ヘルメティカの中で解説された、同調(i.e. 共振/共鳴)の、魔術的な法則から、直に引き出されました。(ニュートンはもっとはっきりと明言し、『重力は神である』と宣言しました。)その重力の法則は - 勿論、とても異なった言語(言い方)において - (ヘルメス/トートの弟子)アスクレピウスを登場させる、地球と天界的な天体の間に機能する力(作用)に関係する原則を呼び起こせさせ、コペルニクスを鼓舞させた、全く同じ働きでした。」¹⁰

ニュートン自身が、彼の Principia (自然原理)の正に最終部分において、機能しているこの「科学的なヘルメス主義」のおぼろげな姿を与えます。其処で、新プラトン主義、そしてヘルメス主義的な教義の世界的な魂、または世界的なスピリット(霊/i.e. モナド/非-肉体的な意識)を呼び起こさせる事を意味した言語において、彼は未来の科学のための方向性を概要し:機能しているスピリットの法則を発見し、そしてそれによって、全ての魔術師(錬金術師/賢者)達が求めるもの:それ(スピリット/意識)に対する mastery (操作/支配/熟達、etc.)を会得する事で:

「そして此処で、私達が、全ての gross (世俗的)な肉体の中に浸透し、そして隠れて存在する、特定の最も微妙(繊細)なスピリットに関する何かを加えると;もし隣接的であるなら、肉体の素粒子であるスピリットはその作用と運動によって、近距離においてお互いを相互的に引き寄せ合い、そして cohere (co-here/共同-存在/固体化)し;電気的な体(電子)は遠距離において機能し、隣の小体(粒子)を引き寄せると同時に反発し;そしてが派生させられ、反射(reflected)され、屈折(refracted)され、屈曲(inflected)され、そして体を熱し;そして全ての感覚は奮起させられ、そして動物的な肉体の(それぞれの)部分は、その意志の命令において動き、つまり、このスピリットの振動によってです・・・ですが、それらの物事は、少ない言葉では説明する事が出来ず、この電気的で伸縮性のスピリットがそれによって機能する法則の、正確な実証と決定(結論)に対して必要な、実験の効率と共に、私達が(証明方法を)与えられたわけでもありません。¹¹

言い換えると、もしニュートンが、その中において彼の重力の論説を発展させた Principiaを「全く記述しなかったとしたら、私達の現代の科学技術的な世界は、存在しませんでした。ですが、ヘルメティカが無かったとしたら、ニュートンは Principia を決して記述する事は不可能だったでしょう。最も強調的に、ニュートンは、彼の秘儀主義的な信仰(考え方)にも拘わらず、彼の偉大で科学的な発見を成し得たのでは無く、それら(ヘルメティカ/ピタゴラス/プラトン etc.)の御蔭でそうする事が可能でした。」¹²

3. In Leibniz
ライプニッツの場合

a. Leibniz’s Characteristica Universalis and the Quest for a Universal Formal Language
a. ライプニッツの 宇宙の特徴と、統一(宇宙)的で、形式的な言語(数学)のための探求     94


「もし、ニュートンの場合において、ヘルメス的、そして錬金術的な影響が強く明らかなら、それらは、ニュートンと同時期に、彼からははっきりと別々に、微分学と積分学を開発(再発見)したとされ、そしてその微分積分の筆記法の一般化が、現代でも使用されている、(ニュートンと)同時代のもう一人の偉大な天才、ゴットフリート・ライプニッツにおいては、更にもっと鮮明でした。

「ニュートンと同様に、ライプニッツは錬金術師でしたが、加えて、ライプニッツの後期の研究は、ローズクロス主義の記述と教義との親密な類似性を表し、そして彼の最初の重要な研究、Dissertation on the Art of Combination (コンビネーションの技術についての論文)は、記憶の技術についての論文以外のなにものでも無く、それにおいて彼は、偉大なルネッサンス期の賢者で、記憶の技術の実行者だった、ジョルダーノ・ブルーノからの影響力を、彼は認めます。¹³

「ライプニッツは、しかしながら、概念と考え方の、量子化、そして非-量子化の両方を扱う事の出来る、統一(宇宙)的で、形式的にはっきりとした言語である、characteristica universalis (宇宙/統一的な特徴)の開発である、更にもっと大胆な計画の第一歩として、微積分学の彼の開発を意図的に考え出しました:

「・・・もし、ライプニッツが屋根の上から大声で発表する事に慎重であったとしても、彼の研究はとてもはっきりと、ルネッサンス期のオカルト(隠された)哲学に対して多大な借り(i.e. 情報源)を負っていました。ライプニッツの微分積分学のシステムでさえ、この伝統から進化しました。それは、科学的な原則と法則だけでなく、同時に宗教的で倫理(道徳/人道)的な問いを、共通の象徴的な言語:統一的な微積分学へと全てをまとめる彼の探求から発達しました。クラシカル(典型/古典的)と、『オカルト(秘儀主義)』のヴァージョンの両方の記憶の技術の上に構築し、シンボル(象徴/数字)、またはcharacteristica universalis を確立するために、ライプニッツは、知識の全ての原則がまとめられる事の出来る、イメージ(数字/代数)のセット(一連)[i.e. 数学]を心に描きました。これは自然的に(当然と)、知られている全てをカタログ化(記録化)し、コード(暗号/数字)化する事を必要とし、18世紀の(科学的な)没頭の発達でした。異なった関係性において、シンボル(数字)を操作し設定(固定/定数)化する事によって、新たな発見が成される事が出来ると、彼は信じました。

彼は特に、(古代)エジプトのヒエログリフ(象形文字)に対して、その様なシステム(数字を応用する事)を好み、それをブルーノと共に従って、彼は類似した方法において使用されたと信じました・・・。ライプニッツは、彼の characteristica universalis を「真のカバラ」とさえ表現し - 現代の-理性主義者の言葉としては、ありえない行為でした。

「最終的に、ライプニッツは、その仕事(目標)のための最善の道具は、数学的な象徴であると気付く事に至りました。この気付きはその後、無限小(無限大)の微積分学の彼のヴァージョンの発達に繋がり、それを彼は、統一的な微積分学に向かう第一歩として意図していました。」¹⁴

言い方を変えると、ライプニッツが目標としていたものは、様々なコンビネーションにおいて、幾つもの分野を渡る、純粋な形状のモデル(形式)化を扱う事が可能な、形式的にはっきりとした、「純粋な概念」の方法によって、「計算」する事を人に許す、類推的な微積分でした。¹⁵ 私達(ファレル博士/デ・ハート博士)は、ライプニッツが、私達が物理的な媒質(エーテル/プラズマ etc.)の「トポロジー(位相幾何学)的な隠喩」と呼んでいるものを表現出来る様に、そしてその分離化(分極化)の全てを表す事が出来る様に、統一的で形式的な言語(i.e. 数学/微積分)を目指していたと信じます。

B. The Alchemical Basis of Modern Genetic Engineering
B. 現代の遺伝子的な技術開発の、錬金術的な土台     95


その題材が更に難しく(複雑に)されるのは、私達が関心を払っているその他の科学分野 - 生物学 - の上の、ヘルメス的で、錬金術的な影響力に、人が向き合った時です。此処で、私達はその書斎(文献)と技術的な武器(書類)が - ニュートン、ライプニッツ、コペルニクス、またはケプラーと同じ様に - 錬金術的な書籍と言及(参考文献)と共に満たされていない、生物学者達と供に出くわします。故に、錬金術的な影響力を見つけるために人は、寄付的な目標においてだけでは無く、同時に、一方で錬金術と、もう一方で生物学との間の、類推的な技術における、詳細な平行線を探さなければなりません。

私達が、しかしながら、これに関して幸運な立ち位置にいるのは、錬金術と、現代の遺伝子学的な技術開発は、重要で、そして人が「プロメテウス的な目的」と呼ぶかもしれない、生命自体を操作し、技術開発し、そして最終的に創造さえし、人工的に創造された人、「ホムンクルス(人造人間)」において、特に姿と形を与えた目的と呼べるかも知れず、そして此処において、再びもう一度、私達はアンドロジニー(±)の不穏にさせられるイメージ(象徴)と、顎(あご)と顎が接触する位、近くにいます。

1. The Promethean Alchemist’s Ambition: The Creation of Life in the Homunculus
1.プロメテウス的な錬金術師の願望: ホムンクルスにおける生命の創造     95

a. The Dream of reanimation and Virtual Immortality
a. 輪廻転生と、ヴァーチャル(実質)的な不死の夢     95


Transhumanism, Joseph P. Farrell & Scott de Hart, The Byte Show
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