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トランスヒューマニズム


TRANSHUMANISM
トランスヒューマニズム

1 Transhumanism

TRANSHUMANISM
トランスヒューマニズム

A Grimoire of Alchemical Agendas
錬金術的な目的の魔導書(グリモア)


Dr. Joseph P. Farrell & Dr. Scott D. de Hart
ジョセフ P. ファレル博士 & スコット D. デ・ハート博士著
http://e.bookzz.org/g/Joseph%20Farrell

「『何故、愛は魔法使い達(Magus/magiの複数形)と呼ばれたのですか?』と、シンポジウムの上のコメントの中でフィチーノは尋ねます。『何故なら魔法(Magic)の力(作用)の全てが、愛における構成であるためです。

「『魔法の働きは、自然的な類似/相似による一つのものの、もう一つに対する特定の引き寄せです。この世界の(それぞれの)部分は、一種の動物の一員達の様に、一つの愛の上に全て依存し、そして自然的な親交(communion)によって一緒(一つ)に関連されています・・・(相互)関係のこの集合体(community)から共同的(communal)愛が生れ:それから一緒/一つに引き寄せる共通(common)の愛が生れ:そしてこれが真の魔法(Magic)です。 』」

フランシス A. イェーツのジョルダーノ・ブルーノとヘルメス的な伝統、127ページに引用されたフィチーノの Commentarium in Convivium Platonis de amore、oratio VI, cap. 10, 1348ページより。

「・・・知られているのは、膨大でとても奇妙な海(宇宙)に浮かんでいる小さな島です。

「私達は疑心の種を刈り取りましょう。私達はフランシス・ベーコンの助言を受け入れ、そしてその世界の上にパターンを押し付けるために急ぐ事から自制しましょう。私達は、より深いパターンが台頭するために、私達の肩においてキーツと共に待ちましょう。

「科学は確実ではありません。それは、あらゆるその他と同様に、人々が、彼等自身の最も深い部分において信じる事を欲するもの(信仰)を体現している神話です。」

マーク・ブース、秘密結社によって断言された、世界の秘密裡の歴史、405ページ。

TABLE OF CONTENTS
目次


Epigraph
碑文     v
Dedication
献呈の辞     vii

PART ONE
第一部
Towers and Topology:
塔とトポロジー(位相数学/形態)

The Tower of Babel Moment, the Fall of Man, and the Revelation of an Agenda
バベルの塔の瞬間、人間の堕落、そして一つの目的の啓示     3

「全てがモナド(一価元素)によって組織化されたのは、何故ならそれが効能的に全てを含むためで:それらが未だに実質化されていないとしてもモナドが将来(内在)的に全ての数字の中の原則を保つためです・・・」
- 新プラトン主義者、イアンブリカス算数の神学、翻訳:ロビン・ウォーターフィールド(カイロス出版、1988年)、35ページ。

Introduction:
紹介/前書き:

The Disconcerting Images and Agendas of Alchemy
錬金術の面くらわせの(あまり親しみの無い)印象と目的     5


「あなたは今、自然と科学の、より隠された道へのあなたの探求を延長させるために許されたこの階級にあります。」
フェロー・クラフト(i.e. フリーメイソンリー)の入会式より¹

もし私達が、宗教と秘密結社を超越し、そして千年以上に渡る錬金術的な目的が存在するとあなたに伝えたとしたら、あなたは恐らく – そして正当に - 私達が、私達の正気を一時的に失ったと言う疑いを少なくとも考えるでしょう。私達が、更に、この錬金術的な目的が - 生物学から歴史学まで、物理学、トポロジー、美術、音楽まで - 更に、私達が本文の中で目撃する様に、文学的な批評までさえ、あなたが考える事の出来る実質的に全ての学術範囲に広がるとあなたに伝えたなら、あなたは恐らくそのアイデア(発想)をより真剣に考えるかも知れないのは、それについて、実際に、以下のページの中で私達があなたに伝える事を意図するものは、私達が此処で検証する錬金術的なイメージ(印象)とそれらの示唆された目的の全てを監督するために、その目的を強要すると同時に、それらの幾つかを偽りの錬金術の形状として明かす、それら全ての上で顕著な一つのものがあるためで;そのイメージは、創始的な単純性、またはアンドロジニー(androgyny/中性種/両性性)、または「無」、または物理的な媒質、またはエーテル、または「量子的な流動の海」、または宇宙の大建築家(創造主)です。

これが意味するのは、現代人が苦境にある事なのは、彼(または彼女)が、錬金術的な科学、またはもし、人が「3種の大規模なヤーウェイ主義」 - ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の信者なら – もし人が、彼等が激しく非難するトランスヒューマニストの科学によって提供された錬金術的な創造の正に同じ種類への - キリスト教原理主義者達の終末論(審判の日/世紀末)の特定の一派(i.e. カルト)を信じるなら - 人類の最終的な変格の前に、類まれな流血(i.e. 戦争)によって、世界に対して正義を再建するために戻って来た公正なにより惨殺され、生贄にされる寸前であるためです。どちらにしても、科学のトランスヒューマン的な福音、またはヤーウェイ主義(i.e. 一神教)の啓示、預言者達、そして聖職者達は同じ事を言っていて:ニュー・エンジ(新たな時代)が到来したので;錬金術的な変格の、あなたの行程の一部として死ぬ準備をしなさいと言う事です。

現代科学の、制御されていない権力への欲望、または啓示された「一神教」の血に飢えた「神」のどちらも信仰していない、真ん中に挟まれた人達にとって、これは、正しく、窮地です。

この本の中で、私達は、勿論、それを此処において端的に扱いますが、これ(この本)に対する今後の研究と次回作のために、3種の大規模なヤーウェイ主義の血塗られた終末論についての私達のコメントを控え、「科学的」な、この生贄的な弁証法の最初の軸を検証する事を提案します。そうであれ、私達は此処において、(宗教的な)祭壇と錬金術的なトランスヒューマン主義のアポカリプス(終末論)と共に考えているのは、この場合において、その祭壇が、教会の中だけでなく、地球の準備における祭壇で、その生贄が人類と、そして錬金術で・・・まあ・・・錬金術なのは、「現代の」科学において論議され、進められた目標と目的について、凄く現代的なものは、全く何も無い為です。私達の以前の著書、神々の格子の前書きの中で、私達は以下の様に記述しました;

「近代の科学は、一貫的で、予測可能な規則正しさと共に、古代人達の魔術的な知性と神話の機能を現実へともたらすための、想像力のテクニック(技術)でしかありません。これが示唆するのは、故に、太古の文献、神話、そしてモニュメント(遺跡など)においてとても頻繁に出くわされる魔術的な知性は、実際に、退化した科学の産物ですが、そうであれ科学であると言う事には変わり有りません。近代の物理学の多くは、「トポロジー的な」方程式を共にしたヘルメス的な形而上学でしかないと見解されるかも知れず²、そして検証の類似した行程によって、近代の遺伝子学は、遺伝子技術開発のテクニックによって果肉(内容)を与えられた、シュメール、バビロン、そして更にマヤ人達の神話でしかないと見解されるかも知れません。」³

私達(ファレル博士とデ・ハート博士)の両方が、近代科学と太古の神話のこの奇妙な一致に気付き、私達のそれぞれが、とても異なりますが、それでも多くの意味合いにおいて、とても平行線的な通り道によって、この本を書く事に至りました。実際に、私達の両方にとって、私達を此処へ、この本へともたらした観測と経験の上にはシンクロニシティー(同時発生)の重い空気が漂います。私達の両方にとって、その行程は - 異なった年代でしたが - 神学における私達の博士号を獲得するために、私達の両方がオックスフォード(大学)に在籍していた時に始まり、一般大衆の眼からは慎重に隠された、観測のノートブックの中に記述された、隠された思考において、または私達のマインド(頭脳)の奥深くに、更にもっと慎重に隠し、私達のそれぞれが、私達が気付いた事を、私達自身の中に保ちました。其処で、(マリー・シェリーでは無く)パーシー・シェリー⁴の苦悩させられた怪物の-創造者、ヴィクター・フランケンシュタインの様に、私達は、中世の学者達、錬金術師達、神学者達、そして小説家達の記述の中で、物事に「気付き」始めました:

「それらの思考は、限りの無い熱情と共に、私が、私の研究を追及する間に、私のスピリットを支えました。研究と共に私の頬は青白く成り、そして私の体は幽閉(没頭)と共にやせ細りました。時には、成功の目の前で、私は失敗しましたが;それでも私は、次の日、または次の瞬間に成功するかも知れないと言う希望にしがみ付きました。私だけが有した一つの秘密は、私が、私自身を献身させた希望で、そして月は私の深夜の研究を見守り、その間、緊張した、息もままならない切望と共に、私は彼女(月)の隠れ場所(朝)まで、自然を追い求めました。私の秘密裡の努力の恐怖を、誰が考え得るでしょう・・・」⁵

私達もまた、古代人達がどの様に、自然、生命、死、そして生命の創造、または再-創造(転生)を理解したのかに関する答えを求め、そしてとても自然的にそうだったのは、神学と哲学の学生(研究者)として、私達の旅路(研究)は、私達の博士号的な研究の焦点と成ると同時に、現在まで、唯一、私達2人の間の個人的な会話で分かち合われた通り道へと私達を導いたためでした。

A. Alchemo-chimerical Man, Alchemo-Vegetable Man, Alchemosexual Man: Definitions and Preliminary Observations
A. 錬金-キメラ(半人半獣)的な人間、錬金-植物人間、 錬金性別的な人間:定義と事前的な観測   7


私達は - ヤーウェイ(エホヴァ)主義のそれらの分派(i.e. ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は除いて - 基本的な太古の神話が、動物的な王国への、鉱物を通り、植物を通る、創始的なアンドロジニー(中性/両性性)からの、人類の堕落(退化)のアイデア(発想)の上に基づいているのは何故なのだろう?と不思議に思いました。どうして太古の神話は、「鉱物的な人間」、または「植物的な人間」を語る事さえ出来たのでしょう?それらのイメージ(印象)は不穏にさせられるだけでなく、ノンセンス的でさえありますが、それらについて最も不穏にさせられる事は、私達が発見した様に、それらがまた、新聞の中でコラムを満たす記事に頻繁に現れる、現代の科学の断片の中に再浮上し、またはインターネットのサイトの間でそれらが流通されるためです。

私達は何故、太古の秘儀主義的な逸話が、半獣、そして半人の、キメラ的なハイブリッド(合成)の生き物達と共に、その神話的な世界を満たした、動物的な王国である、最下層のレベル(段階)への人類の堕落(没落)を語る事が可能で、そして現代の科学が、求められるための目的として – それらを「manimals (man + animal)とさえ呼びながら - その同じ物事(i.e. 遺伝子操作や、人類と機械の融合)を語る事が出来るのか、不思議に思いました。

私達は - 太古の逸話において、動物よりも、より高い(上級な)王国としてパラドックス(矛盾/逆説)的に見解された - 植物的な王国へ、これ(動物的な王国)からアセンド(上昇)する事が、太古のイメージが奇妙な「アンドロジニー」を語り、植物と人間の間の「融合」を語る事が可能で、そして現代において、遺伝子的に変化させられた(genetically-modified)植物がそれら自体の錬金術的な「種の無い(植物の)種」の一種を派生させ、または人間の遺伝子(DNA)の交配と共に変化させられた植物が、再びもう一度、求められるための目的として押し売りされ、人類にとって利益に成る良い事とされるのは、何故なのだろうと不思議に思いました。私達は、現代の科学の目的の全体が、天辺から底辺まで、人類の完全な変格のための錬金術的な目的である事が可能であるか?を疑いました。これは、錬金術的に変化させられた人のための、遺伝子的に変化させられた(GMOの)植物だったのでしょうか?

其処(動物)から鉱物(機械)的な人間へとアセンド(上昇)する事において:何故、「トランスヒューマニスト」の運動の内部のとても多くが、彼等の現代的な専門用語の全てを通して、太古の逸話と錬金術の言語以外のなにものでも無いものを語る様に見えるのは何故なのか?私達は再び(疑いの目で)不思議に思いました。再びもう一度、人と機械の、人と鉱物の、「アンドロジニー的な融合」のための探求以外のなにものでも無い目的がある様でした。

これは、それら全ての最も不穏にさせられるイメージの思考へと私達をもたらし:アンドロジニー自体で、それは頻繁に、その最も基本的な感覚において、アンドロジニーの概念に対して一見無関係な様に見える、対化された原則の多くの種類の融合を意味しました。それは、言葉を変えると正しく、人間と動物、人間と植物、人間と鉱物の融合(遺伝子操作やナノ・テク、そしてマイクロチップ等々)を意味し、それはまた、男らしさと女らしさ、男性と女性の融合、または統一(i.e. アンドロジニー)を意味しました。

私達が気付いたのは、それらの物事の全ての錬金術的な関連性と根源を論議する事が出来るためには、全く新たな用語さえ必要だった事で:科学のテクニック(技術)を通したキメラ(半人半獣)的な生き物への人類の変格を意味するための「錬金キメラ的な人間」、再び科学のテクニックを通した、人と植物の融合を論議するための「錬金植物的な人間」;更に再び、応用された科学のテクニックによる、人と機械の錬金術的な融合を意味するための「錬金鉱物的な人間」で、それぞれの場合においてのために、科学が - それ自体がテクニックである - 錬金術の延長以外のなにものでもないものとして機能しているのは、それが、勿論、錬金術の主要な目的で、その現代の同義語、「トランスヒューマニズム」が人類の変格であるためです。私達にとって、「トランスヒューマニズム」と言う用語は実際に、とても古く、そしてはっきりと錬金術的な、アポカリプス(黙示録/審判の日/終末論)的な目的を覆い隠す役割しか果たしません。端的に、その「科学」のテクニックは、錬金術の「似非科学」のそれらのものよりも更に洗練されているかも知れませんが、その目的は本質的に、そして存在論的に同じままでした。

それは、それら全ての最も不穏にさせられるイメージを残し、それはとても慎重に隠れ蓑され、そして慎重に避けられた題材ですが、ユダヤ教やキリスト教さえ含み、殆ど全ての文化と宗教において人が見つけるものでした。そのイメージ(印象/象徴)は、と、そしての両方の、創始的なアンドロジニー(中性/両性性)でした。

西洋的な伝統の中の秘密結社と同胞団的な組織の入会/入門の儀式のとても多くが明らかに、そして更に繊細に、本質において「錬金性別的」なのは何故か?私達は不思議に思いました(そして、私達は直ぐに「錬金性別的」と言う奇妙な用語を説明しますので我慢して下さい)。人は、イェール(大学)におけるスカル & ボーンズの入門者達が、真っ裸に成り、泥の中で取っ組み合い⁶、または、私達が本文の中で目撃する様に、メイソン的な入会の儀式のアンドロジニー的な示唆の主張(批難)を考えるだけで十分でしょうか?何故、更に加えて、それらの結社は頻繁に、男性達の会員制のみに限られているのでしょうか?

その謎は、私達が調べれば、調べる程、深まりました。ジョセフ(i.e. ファレル博士)が古代の物理学と歴史についての著書の一連への研究に没頭し、出版した際に、何度も、何度も、彼は仰天させられ、彼は唯一、「創始的な男らしい両性性」として描写される事の出来るものに出くわし、それは頻繁に錬金術的な教義と共に関連させられ、つまり、その象徴性と、そしてその示唆における両方において、神々(または神)の見解、もしくは更に、深く、はっきりと、そして同時的に男性的であり、そしてアンドロジニー(両性/i.e. プラスとマイナス)である、創始的な物質、または「スープ(エーテル)」にぶつかりました。頻繁に、このイメージは、錬金術、錬金術的、または秘儀的な結社、そして錬金性別的な儀式、もしくは祭儀を最も強く批難する、それらの宗教と文化において最もはっきりと、正確に現れました。人は唯一、キリスト教の三位一体を、アンドロジニー的なイメージとして、意味の複数のレベル(段階)、そして誤解の可能性を含むものとして、そして、どの様に、対照的に、ローマの教会(ヴァチカン)が、多かれ少なかれ公式に、そして(殆ど)統一的に、あらゆる錬金術的な行い、または結社、特に生命が神秘的なイメージの芸術/技術を模倣する様に現れるそれらにおいて強く非難した(禁止した)事を思い出すだけで良いでしょう。最小限でも、私達にとって、ローマ・カトリック(ヴァチカン)の女らしい「イエスのイメージ」の宗教的な肖像(象徴)とそのエシック(モラル/道徳)の間には、「断絶(矛盾)」がある様に見えました。

しかしながら、その他の宗教は、類似したイメージを応用し、「生命を見習っている芸術/美術(i.e. 黄金比率)」の原則に続き、そして故に、その神(々)に対して関連した錬金性別的なイメージと共に一貫した、一致している儀式、祭儀、そして生命の行い(日常的な行為)を自由に公認した、または組織化しました。そうであるならば、人はどの様にして、その違いを説明すれば良いのでしょう?そしてどの時点においてそれは台頭したのでしょう?そして何故なのでしょう?これもまた一つの謎(ミステリー)で:何故、幾らかの人達はその様な男らしいイメージを推進し、その後、神はその様な性別的な分別を超えるもの、またはそれよりも上のものであると認定し、そして実際に「男らしいアンドロジニー」の彼等自身のヴァージョンにおいて、アンドロジニーの一種であるとしたのは何故で;すると何故、同時に、幾つかの宗教と文化は、このイメージの永続性と啓示的な特徴を強調し、そして故に、それをそれらの男らしくも-アンドロジニー的な神々の最終的な特徴として確立し - それら自体が錬金性別的なイメージで - そしてその後にそれらにおいて示唆された儀式、祭儀、そして一致している行い(実施)をとがめた(強く非難した)のでしょう?言い方を変えると、神聖さを描く象徴性が、はっきりと「錬金性別(アンドロジニー)的」であった時に、何故、一部がそれを受け入れ、そしてその他はそれを否定したのでしょう?実際に、その始めにおいて、「男らしいアンドロジニー」の矛盾語法的なアイデアを考える事にさえ、古代人達を導き、そしてその後、それを形而上学(精神/哲学)の一種として考え、事実上、物理的/肉体的な、最初の原則とさせたのは、一体何だったのでしょう?

その様な議論を何年も繰り返し、私達(ファレル博士とデ・ハート博士)は、目に見えるよりも何か他のものが此処において起こっている事を疑い始め、そしてこのイメージが深遠で宇宙的な手掛かりだったかも知れないと言う可能性を探求し始め、恐らくそれは、とても古い教義の残り(遺産)でさえあったかも知れず、高度な太古の文明に由来する遺産で、そしてそのイメージは故に、それを推進している、後のクラシカル(古代ギリシャやローマ)と秘儀主義(ヘルメス)的なシステムに対して独自的(オリジナル)では無いと疑い始めました。私達は、その(神の)イメージが宗教と共に関係するよりも、言うなれば「神の背後の神様」を共にした、根底にある物理的な実質、または創始的な実質(materia prima)についての隠喩に関係していると疑い始めました。

その後、その最初の謎を一掃複雑にするために、第二の謎が加えられました。私達の研究は、神学、早期のキリスト教の歴史、教義、そして儀式だったので - 人は、深く、そして意図的に隠蔽されたと言いたくなるかも知れませんが - 人類自体が元々、何らかの再生産(出産)の一種が可能な、男らしい-アンドロジニー的な「錬金性別的な」生き物の一種として創造されたとする、あまり知られていない早期の伝統に、私達は親しみがありました。この本の本文の中で目撃される様に、この伝統の変形(いくつかの種類)は、性別の分離が、人の堕落(退化)の結果、またはそのための予知(pre-vision)において達成されたとしました。その様な見解の示唆が、再び、最小限でも不穏だったのは、そのアイデアにおいて暗示的なのは、元々の「男らしい-アンドロジニー的な」人によるあらゆる再生産(出産)が、その場合の本質によって、自然における「ホモセクシュアル」、または「単一性別(アンドロジニー)的」だったと言う観念であるためです。

私達が掘り下げる際に、この概念がまた、キリスト教だけでなく、その問題に関して、ユダヤ教の伝統さえよりも、遥かに古い起源を有すると、私達は直ぐに気付きました。それはまた、最も深く、そして最も古い、神秘主義学派の伝統的な教えで、そして(古代)エジプトから中国まで、メソ-アメリカ(中米)からの、とても古い秘儀主義とオカルトの(隠された)教義の原則的な構成要素でした。それらが与えた鮮明な印象は、再びもう一度、そのアイデアが最も遥か遠くの古代から由来したと言う事でした。故に、その謎は深まり:何時、そして何故、この伝統が不明瞭化され、そして何時、そして何故 - 隠喩的であろうと、それ以外であろうと - 錬金性別のあらゆる現れの弾圧が台頭したのでしょう?この問題と共に対にされたもう一つの事は:血塗られた、そして頻繁な、人間の生贄の台頭でした。

私達が、秘儀的な伝統と、太古のヘルメス的な文献の長い通り道を下って研究を続ける際に、私達は更にその他の手掛かりに出くわし、(それらの)手掛かりは全ての曲がり角において「創始的な男らしい錬金性別」の、このとても太古のイメージに不変的に関連していて、そして実際に、私達は最終的にそれらの手掛かりが、「遥か太古」の霧の中へと時代を遡る、その様な同胞団、秘密結社、そして神秘主義学派の中核における、3つの最も頑(かたく)なに保たれた秘密であると言う見解に至りました。それらの秘密の一つ目は、既に記述された様に、それらの古代の宇宙学的なシステムの中で、信仰、または啓示の問題としてでは無く、その媒質(エーテル)自体の物理学についての「形式的にはっきりとした知識」の一種の問題として、神と人の両方の創始的なシンボル(象徴)がその本質において「錬金性別的」だったと言う事です。しかしながら、太古の見解におけるこれに対して常に対にされたのは、奇妙にも、2つのその他の「秘密」、または「謎」で、つまり:

1)神、または少なくとも、「誰か」、もしくは「何か」、更に(その見解の特定の解釈に依存し)「無」は、信仰の問題としてでは無く、「形式的にはっきりとした」知識の一種の問題として存在し;そして、

2)個人的な不老不死がまた、信仰の問題としてでは無く、再び、「形式的にはっきりとした」知識の一種として存在します。

私達は、その定義の一般的な感覚において、何らかの神学的、または形而上学的なものを見ているのでも、単なる性別的な何かを見ているのでも無く、むしろ、もし、面食らわせされる様な全体では無いにしても、性別的、スピリット的、そして形而上学的で、そして更に生物学的、そして物理学的な構成要素を、混乱させられる一つへと総括する何かを見ていると、私達は慎重に結論しました。

それらの「3つの秘密」の一つ目に関すると共に、それらの太古の文献と宇宙学において成された明言の異例的な本質のために、奇妙で、そして曖昧な言葉づかいが必要です。人が扱っているのは通常の分析に当てはまらない、または「一神教的」、もしくは「無神論的」な箱への項目化に当てはまらないシステムで、むしろ、本文の中で目撃される様に、同時にその両方へと当てはまるシステムです。見解にあるイメージと宇宙学は、言い方を変えると、弁証法的で、哲学的な分析の一般的なテクニックの全ての上の「acid drip (酸性のドロップ/麻薬)」の一種で;それらは深く宇宙的で、そして人類学的な儀式の構成要素でした。それらが正しく、慣習と伝統に当てはまらなかったのが何故なら、それらが最古の慣習と伝統であると主張したためでした。その他の全ては、密接な関係の一つの特定的なsubset (準項目)への変化(整理)でした。

B. “Alchemosexuality” as a Metaphysical First Principle
B. 形而上学的な第一原則としての「錬金性別」     11


私達にとって、その問いはその後、以下に成り:何故、それらの物事の三種の全てが、(古代)インドのヴィーダ(Vedas)、中国の易經(I Ching)から、エジプトのネテル(neters)まで、そして更にメソ-アメリカにおけるマヤ(文明)のポポル・ヴァー(Popol Vuh)、そしてプラトンのヘルメティカ(Hermetica)の拡散、そして新プラトン主義まで、永続的で、一貫的に、そして錬金術的に結び付けられていたのか?と言う事でした。神、または人の「錬金性別的な」シンボリズム(象徴性)の広く広まった(世界規模の)拡散は、あらゆる一般的な普及主義者(文化や言語が A 地点から B 地点へと広まったとする学術的な)モデルに当てはまらず;人が有した主張は、必然的に、(世界規模の一大文化圏だった)高度な太古から由来していた象徴的な遺産(名残)、または最小限でも、人間のマインド自体における(心理学/精神学の)ユング派の原型(archetype)の一種、またはその両方を目撃していると言う事でした。

私達が更に調査した際に、更なる問いが表面化しました。何故、例えば、ヴィクトリア時代、それ以外なら謙遜的で、落ち着いた英語の詩や散文において、この象徴性が台頭したのでしょう?繰り返し、19世紀の英語の文学全体を通して、「通常の」感覚に対してとても不穏過ぎて、その著者達が、彼等の作品のために強く非難されたであろうイメージに人は出くわします。私達が検証する、19世紀の「文豪」の内の2人は(その様な著者達のリストは更に多数に成る事が可能で、それ自体で一冊の本を必要としますが)、錬金術、終末論的で革新的なヴィジョンと共に、そして主人公達の背後に漂う影としての禁断の愛と共に、ゴシック小説を記述し:つまり、パーシー Bysshe シェリーとオスカー・ワイルドです。伝記の記述者達の殆どは、シェリーとワイルドの両方と共に、彼等の時代の基準による「普通」とはかけ離れたものによって、彼等の個人的な生活と芸術が鼓舞されたと、正確に記録しました。今日でさえ、幾らかの人達はシェリーとワイルドの「愛」の哲学は、受け入れ可能な基準を遥かに超えると見解し、そして私達の研究が、錬金術と、より高度な人、神-の様な人のためのアイデア(i.e. 仙人思想)の間の相互関係を示そうと試みたのは、正にこの時点においてでした。国家や教会とは異なり、私達は特定の文学を非モラル(非道徳)的と非難しているのでも、その様な物議をかもし出す文学の著者達の生活習慣に対して、私達が見下しているわけでもありません。私達が求めるのは、しかしながら、彼等の読者達の繊細な意識をナーヴァス(不安)にさせたであろう、錬金術的な目的とイメージ(象徴性)と共に、何故、彼等が小説を書こうと動機されたのかを理解する事です。(著者達自身は言うまでも無く)彼等の主人公達、または更に反主人公達によって求められた生命(生活)、または愛でさえ、「より高い(高度な)」ものだったのか、それともそれは、人類の未来に対して危険で、破壊的なものだったのでしょうか?

その問いに対する答えのための私達の探求において、キリスト教の教父的、そしてグノーシス的な伝統と共においてでさえ⁷、その同じアイデアに対する鮮明な言及があり、とても太古の、そしてとても-キリスト教的な源泉(情報源)からの下地の全体を殆ど乗っ取った言及であると、私達は発見しました。再び、私達はマヤ人達から古代のヴィーダ的なインド人達までからのイメージに出くわしました。私達にとってその問いは、すると、何故これが其処にあるのかで、そしてどの様に人はそれを合理化(説明)出来るのか?です。此処における鍵は、十分に奇妙な事に、以前の著書の中で私達が探求した、太古の宇宙学の中の、物理学と深遠な「トポロジー(位相数学/形態)的な隠喩(metaphor)」の中にあります。⁸

この隠喩の存在がそれ自体、困惑させるのは、それが太古で、一般的に統一的(i.e. 世界規模)の両方であり、高度な古代から由来した全ての現れを持つ事が否定される事が出来ないのみならず、またその隠喩自体が、この「創始的で錬金性別的なアンドロジニー」が創始的だと言う事実を強調し、i.e.、それを使用した者の殆ど全てによって、隠喩的な「第一原則」として考えられたと言う事です。そして再び、その問いは、何故それが最初の場所(知られている文明以前の文明)においてあったのか?です。この本の中で、私達はそれらの問いに対する推理的な答えを論議しようと試みます。

C. The Term “Alchemosexuality” and the Constellation of Concepts Embraced in it
C. 「錬金性別」と言う用語と、その中に内包された概念の配置     13


ですがこの事実は、私達の考えに対して、とても異なった理由のために困惑させられるものだったのは、それに向かう立ち位置のあらゆる種類を推薦する罠へとはまる事無く、それを語るためには、新たな語録の全体を、私達が造り出す必要性が鮮明だったためです。再び、私達の必要性は、その思考経路を合理化(説明)する事であって、それを正当化する事ではありませんでした。この必要性を感じたのは私達だけで無かったのは、本文の中でも目撃される様に、19世紀の「Uranian/同性愛的」な学者達もまた、その同じ必要性を感じたためです。私達にとって、しかしながら、その必要性は、物理(肉体)的、または性別的な現象の上にだけ単純に注意を集中する事を強要し、そして故にその完全性の全てにおける創始的な隠喩によって示唆された、スピリット(霊)的、美的感覚的、そして社会的な示唆を避け、現代的な用語を避けるための必要性から単純に派生するのではなく、それはまた、その隠喩がその秘儀的な伝統、そして更に秘密結社において、表現を見つける事実からも台頭するためです。

端的に、私達が必用だったのは、秘儀的な教義(ヘルメス/神秘主義)、秘密結社を共にしたその関連性と共に、そしてとても太古であると同時にとても現代的で宇宙学的な見解を共にする、天界からの「下降の梯子(人間の転落/i.e. アダムとイヴの楽園からの追放)」の体現のそれらの全体を共にした、その同じ梯子を「逆技術開発」し、再-上昇(動物→植物→鉱物)する行程を示唆する、男らしい-アンドロジニーを同時に代理する(意味する)用語(定義)でした。

エドワード・カーペンターは、この問題全体についての、今ではクラシックな20世紀初頭の彼の研究、中間的な性別:男性達と女性達の移行的な種類の幾つかの研究の中で、ザヴィエル・メインの明言を引用し、その中でメインは明らかに、この「錬金性別的で-男らしいアンドロジニー」と、秘密結社の同胞団的な伝統の間の深い関連性を直感しました:

「私は常に、その隠された同胞団(brotherhood)と準-性別、または超越-性別の一員であったと気付いていました。私はまた驚き(不思議)において、全ての社会的な階級、全ての国、そして全ての文明において - 組織化(秩序化)されたものでさえにおける - その深く、本能的な、フリーメイソンリーを私自身に自覚させました。」⁹

「その深く、本能的な、フリーメイソンリー」に対する彼の言及によって、唯一曖昧にメインが直感したものは - 神々の格子の中でそのイメージに出くわした後に - 私達の調査が直ぐに明かしたのは、太古の秘儀的な伝統の主要な構成要素で、そして幾つもの秘密結社における錬金性別的な儀式を薄く覆い隠すものでした。

錬金術と(それに)関連した題材についての、長年に渡る私達のお互いとの会話と調査の一連の間に、私達はもう一つの、同等に面を食らわせる様な気付きに到達し:錬金術は殆ど全ての意味合いにおいて、キリスト教のサクラメント重視主義と同一でした:

・両方が、物質は神聖さ(divine)を共にした単一性(oneness)のための乗り物(肉体)へと変格される事が出来ると主張し;

・両方が故に、物質の変格についてのみでは無く、最終的に、「土台の金属(卑金属)」から「不死のゴールド」への人類自身のアポカリプト(終末論)的な変格を目的とし

・両方が、特定的で正確な時間において行われ、そして言葉と相応しいモラル(道徳)の意志の正確で特定的な形式に沿って行われた、この変格のための正しい物質を使用した、基本的な「レシピ(調理法)」に従う事を強調しました。

その2つが異なった処は、錬金術がこの全てを達成するために、特別な啓示、教会、または神官階級(i.e. 官僚)のための必要性が全く無いと強調した事でした。むしろそれは、千年以上を通して「科学技術的な」方法によって探求された目標でした。「自然」、そして「自然の神」以外の教会(組織化された宗教)は、全く必要ではありませんでした。 その一つは、啓示の儀式で;そのもう一つはテクニック(技術)と科学技術の儀式でした。

その不穏にさせられる認識に気付き始めるのは、それらの要点の完全な示唆を人が考えた時なのは、知識、権力、科学技術、そしてそれ自体の「錬金性別的な」原則に従った人の最終的な変格に関連している、隠された目的があると言うアイデアのそれらの提案に内在的であるためです。実際に、それらの原則と目的の詳細は不穏過ぎるので、私達は、この本の中で全ての詳細を含むまでは、全く至らないのは;その知識が強力過ぎて、そしてその危険性が高過ぎるためです。

それを述べた上で、私達は故に、以前に記述された2つの要素に加えて、以下の物事を包括する事の出来る用語が必用でした:

3)神、または神々、もしくは創始的な materia prima、更に言ってみれば創始的な人類の両方に対して応用された、隠喩(metaphor)の創始的、形而上学的、スピリット的、そして更に基本的で物理学的な本質で;

4)本文の中で主張された理由のために、私達が少々疑問視した解釈である、創始的な女らしさを強調した、その秘儀的で神話的な伝統のそれらの解釈からははっきりと異なった、その隠喩の一貫的な男らしさで;

5)一般的な秘密結社と、更に広い意味における「sub-cultures (下位文化)」としての両方の感覚における、秘儀主義の伝統と同胞団との、その隠喩の拘わりで;

6)人の錬金性別的な変格の、不老不死(i.e. 仙人思想)と、終末論的で隠された目的との、その隠喩の関係で、そして最後に、

7)その明らかに、性別的な示唆です。

私達は故に、この概念の座標(意味合い)全体と、秘儀主義と錬金術的な伝統、結社、儀式、そして目的に対するそれらの深い関係性を意味し、包括するために、「錬金性別」と言う用語を造り出しました。

D. The Final Alchemo-Eschatology
D. 最後の錬金-終末論     15


私達がそれらのイメージの全てを考えた際に、一つの最終的な事 - それらの全ての事の最も深く不穏にさせられる事が - 鮮明に成り:人類自身の最終的な、政治的で、錬金術的な変格が、とても多くの政治的な運動の隠された目的の様に現れ、そして更に、様々な宗教の「審判の日/終末論」の推測の、色々なシステムの隠された示唆でさえあった様に現れるためです。私達はこの本の中で、それらを徹底的に検証する事は提案しない間、私達が提案するのは、未来の本のために、現代の宗教と政治の上にそれらの隠された影響力を残している、中世からルネッサンス期に通してにおける、それらの政治的な目的の台頭のヒントにおいて端的に検証する事によって、それらの未来における検証の土台を築く事です。

まとめにおいて、私達は、私達の本当の目的を読者に思い起こさせましょう:私達は、この本が、「生活習慣」、またはその種の何かの実施(個人的な性癖)は言うまでも無く、それらのあらゆる錬金術的な目的の探求、または実施を提案するのでも、推進するのでも無い事を鮮明に、読者に理解してもらいたいと言う事です。私達が、単一的に、そして排他的に考えているのは、歴史を通して、そして文学、神話、そして宗教的な聖像学から秘密結社まで、そしてそのイメージの影響力と共に、とても意外な場所の幾つもにおいて見つけられる、神と人の両方の、不穏にさせられるイメージの紹介と探求です。私達が考えているのは唯一、オルタナティヴな研究の現場のためのその根源と示唆の可能性と、そして秘密裡の同胞団的な継続性における、千年以上を通した隠れたエリート達の活動の可能性を理解する事です。成り行きとして、私達が此処において試みたのは、混乱させられるイメージ、または隠喩を正当化する事では無く、むしろ単純に、最初の場所において古代人達がそれらを形成する事に繋がった思考の行程(経路)の可能性を再構築(推理/吟味)する事と、その探求を再復活させた近代科学を合理化(説明)する事です。私達は故にまた、人間の想像力の上の - 頻繁に秘密裡、またはあまり理解されていませんが - そのイメージの影響力のための土台を合理化する事を考えています。

それを述べた上で、私達の分析、または私達の批評において、私達が言葉を濁さないのは、この伝統の深い根源に対して殆ど関係を持たない「基準的な答え(一般論)」の上に基づいた非難、または弾圧の古臭い反応と共にでは無く、正真正銘の同情と包容力と共に、それらのイメージとそれらの社会的な示唆の暗示を、人々が直面するに十分な時代であると、私達が信じるためです。従って、この錬金術的なイメージと、エリート達がそれを利用している、または操作している可能性の深い根源の私達の合理化は、勿論推理的で、そして高度にそうでしょう。そうであるとしても、私達は、深い物理学の深遠な隠喩、そしてそれを理解するために古代人達によって応用された類推的な方法から由来する、それらの根源は少なくとも、それらのイメージと宇宙学の形成に繋がった、精神/心理的な行程に近いと信じます。

故に、私達は、私達の分析が完全であるとは主張せず、唯一それは、主に人々がそれらに直面する事を望まないために、見過ごされた物事である、明らかな事に焦点を当てる事です。私達は誰か(読者)を説得させるだろうと推測しているのではないのは、私達は納得させる事を求めているのではなく、唯一、複雑で、奇妙な現象、全てが親密に関係している概念、イメージ、そして伝統の座標の変化している銀河を探求し、合理化(説明)する為だけであるためです。私達は、あらゆる教会、または宗教の代理としての神学者達、または聖職者達として記述する事を意図しません。私達は、宗教的であれ、非宗教的であれ、現代の研究に対して、より深い思考を刺激するために、歴史と思考の(一般的な)モデルに挑戦している著者達です。私達は何らかの信仰(宗教)に対して人々を呼び寄せませんし、信仰を持つ者であれ、信仰を持たない者であれ、この本は、信者、または信仰では無く、思考を刺激する事を意図しています。ですが私達は、この本の終わりにおいて、少なくとも幾らかの人々が立ち止まり、考える事を望みます。
_____
参考文献:

1 Citing Robert Boyle, Works, Robert Lomas, Freemasonry and the Birth of Modern Science (Fair Winds Press, 2003), p. 65
2 See my The Giza Death Star Destroyed (Adventures Unlimited Press, 2005), pp. 222-245, and my The Philosophers’ Stone (Feral House, 2009), pp. 42-48.
3 Joseph P. Farrell with Scott D. de Hart, The Grid of the Gods (Adventures Unlimited Press, 2011), p. iii.
4 著者達(i.e. ファレル博士とデ・ハート博士)は、近年まで、マリー・ウォルストーンクラフト・シェリーが、唯一の著者(作家)として考えられてきた事を知っています。オックスフォード大学のボドリーアン図書館におけるフランケンシュタインのノートブック(メモ)からの最近の証拠は、その小説に対する彼の手書きの記述の上に基づいて、パーシー Bysshe シェリーに、部分的な著作権を与えました。筆者達は、文献的、そして非文献的な証拠の上に基づいて、パーシー Bysshe シェリーが1818年の初版の唯一の筆者で、マリー・シェリーの著作権(筆者であると言う主張)は、(パーシー)シェリー以外の何者でもない者によって行われた詐欺であると言う意見を信じます。Cf. The Man Who Wrote Frankenstein, John Lauritsen, Pagan Press, 2007.
5 Mary Wollstonecraft Shelley, Frankenstein: The Original 1818 Text, ed. D.L. Macdonald and Kathleen Scherf, Second Edition (Broadview Literary Texts: 1999), p. 82.
6 イェール大学におけるスカル & ボーンズ、そして類似した同胞団についての最も包括的な本は、Kris Millegan, Ed., Fleshing Out Skull and Bones: Investigations into America’s Most Powerful Secret Society (Walterville, Oregon: TrineDay, 2003)です。真っ裸で泥の中で取っ組み合いをする言及については、Anthony Sutton, America’s Secret Establishment: An Introduction to the Order of Skull and Bones (Billings, Montana: Liberty House Press, 1986, ISBN 0-937765-02-3], p. 201を検証して下さい。
7 私達が、聖職的なものでは無く、学術的な感覚において「教父的な伝統」を意味するのは、この本の中で引用された記述が、その教会の聖者達、または博士達と、その教義の先生達として、ローマのカトリック派、アングリカン(プロテスタント/英国教会)派、またはオーソドックス(正教会)派のいずれによっても、それらが必ずしも公認されていないためです。
8 See Joseph P. Farrell, The Philosophers’ Stone: Alchemy and the Secret Research for Exotic Matter(Feral House, 2009); Joseph P. Farrell with Scott D. de Hart, The Grid of the Gods: The Aftermath of the Cosmic War and the Physics of the Pyramid Peoples (Adventures Unlimited Press, 2011).
9 Xavier Mayne, Imre: a memorandum (Naples: R. Rispoli, 1906, pp. 134-135), cited in Edward Carpenter, The Intermediate Sex: A Study of Some Transitional Types of Men and Women (London: George Allen & Co., Ltd., 1912), p. 169.


第一部:

第一章: The “Tower of Babel Moment of History”:
「歴史のバベルの塔の瞬間」
The Primordial Unity and High Knowledge of Man, and How it was Dealt With
創始的な統一性と、人の高度な知識、そしてそれがどの様に扱われたのか     19


「もし神が、部族的、民族的、国家的、または宗派的な原型なら、私達は彼(神)の目的の戦士達ですが、もし彼が宇宙自体の主であるならば、私達はすると、全ての人々は兄弟達である事を知る者達として(前に)進みます。」
- ジョセフ・キャンベル¹

「当然、言葉における統一性の究極的な証拠は、人の最も古い言語の中で求められ、言うなれば、人間の進化における、バベルの塔の瞬間以前の、先史的な言語です。」
- レオナルド・バーンステイン²

実質的に全ての宗教と、そして最も秘儀的で形而上学(精神/哲学)的なシステムは、宗教における最も奇妙な題材の一つについて何か言う事があり:歴史のバベルの塔の瞬間、または、もっと親しみがあり一般的な用語にすると、人の堕落(転落/退化/i.e. アダムとイヴの楽園からの追放)です。人が実際にそれを考えるために立ち止まった時、それが奇妙で、恐らく奇怪なイメージでさえあるのは、それに通常追随する概念の座標(配置)のためで、そしてこれは、人が何処からの観点から見ようと、真実です。

私達の文化的なマトリックス(母体)のために、私達は西洋(欧米)において、人の堕落とバベルの塔の瞬間を、別々の出来事として見解する傾向にあるのは、それが聖書の中で体現されている方法であるためです。ですが、私達(ファレル博士とデ・ハート博士)が信じるに、それらは、実際に、単一の逸話の関連した断片で、恐らく何らかの(聖書の)編集的な目的のために分離されたものです。同等に奇妙なものがまた何かと言うと、それらの概念の全てが、歴史におけるある地点に言及し、其処で人類は、ある計画を行っている、または其処で、彼(人)の知識、そして/または統一性(団結)が、神、または神々に対するはっきりとした危険の何らかの種類を体現したと言う事です。

私達が、別々で、はっきりと異なった伝統において記録された、このバベルの塔の瞬間、人の堕落の瞬間の様々な種類を検証するのは、そうする事によって、概念のとても興味深いカタログ(一連)が台頭するためです。

A. The Biblical Version of the Tower of Babel Moment
A. バベルの塔の瞬間の聖書的なヴァージョン

1. The Tower of Babel Story Itself
1.バベルの塔の逸話自体     20


この題材に関して私達がその他の場で記述した間³、私達が「バベルの塔の瞬間」と呼んでいるものの観点から、それらの様々なコメントを再検証する事が最善なのは、全体的に見解された時に、それらの様々な伝統が、関連した概念の興味深いリストを明かし、そしてそうする事において、創始的な人間の統一性である、「バベルの塔の瞬間」の分裂化において失われた統一性を、再びまとめるための、正確な段取り(i.e. 第一チャクラから、第七チャクラへの上昇)を構成している、隠された錬金術的な目的を明かすためです。故に、この部分は、ある意味、私達が以前に記述した事の再検証ですが、その再検証は、関連した概念のカタログを確立し、そしてそれによって、それらの概念が示唆するこの隠された「錬金術的な終末論」を確立するために必要です。

バベルの塔の瞬間の旧約聖書的なヴァージョンは、創世記11:1-9の中に記録されています:

「¹全地は同じ発音、同じ言葉であった。² 時に人々は東に移り、シナル(シナイ半島)の地に平野を得て;そこに住んだ。³ 彼らは互に言った、『さあ、れんがを造って、よく焼こう』。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。⁴ 彼らはまた言った、『さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう;そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう』。⁵ 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て⁶、言われた、『民は一つで、みな同じ言葉である;彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう』。

「⁷ 『さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう』。⁸ こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので;彼らは町を建てるのをやめた。⁹ これによってその町の名はバベルと呼ばれ;主がそこで全地の言葉を乱されたからであり:主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。」

この逸話について何が異例的であるかと言うと - 公認化されたヴァージョンの中の「主(LORD)」の翻訳によって象徴化された - ヤーウェイ(エホヴァ)の行動のために、旧約聖書の中で通常与えられたモラル(道徳)的な承認の種類の欠如です。

その様な承認は此処において失われおり;むしろ、人(読者)に残されたのは、ある意味、人類が行おうとしていた事が何であれ、彼(人)の統一性とその計画を阻止するために、分裂化させる行動を必要としたと言う事です。その逸話において示唆された概念を一目見てみる事は、このダイナミクス(流動性)に焦点を当てる手助けに成るでしょう:

1)人類は、統一性の状態において見解され、それは共通の言語によって例証され、そしてこの統一性は、様々な(別々の)言語を創造する(分離化する)事による、ヤーウェイの行動によって分裂化され;

2)その人類の「統一化された言語」はまた、科学の統一化された言語を意味するかも知れず、i.e. - 物理学、遺伝子学等々の - 主要な科学の中の、高度に統一された、科学的な世界観は全て、私達の現代の科学に欠如している完全性と統一性と共に見解され、理解され;

3)言語のそのアイデアはまた、音(i.e. 振動)のアイデアを微妙に示唆しているかも知れず、そしてこれはその(バベルの)塔に関連しているかも知れず;言語を混乱させる事は故に、人類の統一性を破壊するだけでなく、恐らくまた、その塔の力を破壊する、または妨げ;

4)その逸話が示唆するのは、統一(団結)した人類が、ある意味、危険で、そしてつまりこの危険が、その塔自体に関連していて;

5)故に、彼(人)の言語の複雑化(多種多様化)を通した人の分裂化(多人種化)は、その危険性とその力の両方を排除します。

2. And the Fall
2.そしてその転落(アダムとイヴの楽園からの追放)     21


バベルの塔の逸話は、旧約聖書の中で、人の転落の逸話からは分離されている間、そうであれ、その2つの間からは概念的な関連性の同じ幅広いリストが得られ、そしてこれが示唆するのは、それらが少なくとも、関連した逸話として考えられた、またはもし、同じ出来事の、恐らく、2つの異なった伝え方なのは、上述で数値化された要点がまた、創世記の第三章における人の転落の聖書的な逸話において微妙に機能しているためで、其処で再び、人類の知識と、統一性の消失の対化があるためで、今度は、死の負担(税)、または魂(soul)と体(肉体)の分裂化を通してであるためで、そして私達が後に出くわす様に、ラビ(ユダヤ教の聖職者)的、そして(キリスト教の)教父的な意見の幾つかでさえ、「創始的な男らしいアンドロジニー」からの性別の分離がまた、その転落(楽園からの追放)に対して関連していると主張するためです。

B. The Mesopotamian Version:
Enmerkar and the Lord of Aratta
B. メソポタミアのヴァージョン:
エンメルカルとアラッタ(の街)の主(あるじ/守護神)     22


歴史のバベルの塔の瞬間のメソポタミアのヴァージョンは、エンメルカルとアラッタのあるじのエピック(叙事詩)の中で与えられて(記述されて)います。此処で、その逸話は、ウルク(の街)の神官-王、エンメルカルが、その塔を完成させるために、アラッタの街から労働者達、ゴールド、そして、私達が目撃する様に、異例的な銀の一種を要求すると共に、その2つの街の間の争いとして台頭します。その逸話全体を通して、しかしながら、その他のメソポタミアの文献において、人類を存在へと至らす技術開発を手助けした神であり、存在感があり悪戯好きなエンキと共に沿って、その背後において、アンドロジニー的な女神、イナンナ(=イシス/アイシス/聖母マリア等々)が隠れています。⁴

例えば、そのエピックの始まりにおいて、私達はイナンナが、彼女の心の中で、ウルク(の街)における「大いなる山(ピラミッド/ジグラット)」を運んだと読みます。⁵ 必要とされた労働者達と素材を供給するため、アラッタ(の街)に強制する事を強く思い、エンキとイナンナは、覆い隠された恐喝を命令します:

「エンキが
アラッタと
その住民達を
呪わず、
彼が
(その他の時代に)
彼が破壊した処の様に
それ(アラッタの街)を
破壊しません様に。

「イナンナは、
それ(アラッタ)に対して襲い、
(それに対して)叫び、
それに対して遠吠えましたが、
彼女が
(溺れさせる)
洪水の波(の様に)
洪水の波と共に
それ(アラッタ)をまた
溺れさせません様に。」⁶

アラッタに対して、この殆ど隠されていない脅しが発令された直後に、私達は、人類の示唆された統一性に対する最初の言及を見つけます:

「当時、
蛇はいなく、
蠍はいなく、
ハイエナも
ライオンもいなく、
犬も狼もいなく、
恐ろしい(もの)
または、身の毛のよだつものは無く、
人類の敵はおらず – 
当時は
二国語(シュメール語とアッカド語)のシュメールの
スバルトゥ(Subartu)と
ハマジ(Hamazi)の国々において、
王子的なオフィス(役職)の
偉大なる国である、
ウリ(の街)の地域は
相応しい事が妥当である
国であり、

安全な放牧地にある
マルデュックの国であり、
(彼に対して)信頼した人達は
誠に、
単一の言語において
エンリルと語る事が出来ました。


此処で、聖書的なヴァージョンにおいての様に、人類の統一性は、言語的な定義に基づいている様に現れますが、どの様にシュメールが「二か国語的」で、そして更にエンリルに対して「単一的な言語」において語ったのかは鮮明にされていません。

聖書の文献と同様に、(神々に)破壊されたのは人類の、この社会-言語的な統一性で;それを壊したのはエンキでした:

当時
あるじ的な癇癪(かんしゃく/短気)、
王子的な癇癪、そして王族的な癇癪 – を(有)したのは
エンキがあるじ的な癇癪、
王子的な癇癪、そして王族的な癇癪 – を起こし
あるじ的な癇癪を持って戦い、
王子的な癇癪を持って戦い、
そして王族的な癇癪を持って戦い、
エンキが、豊穣のあるじが、
効果的な言葉のあるじが、
知性のあるじが、
その国の賢い者が、
神々の指導者が、
賢明な預言に明かされた
エリドゥ(の街)のあるじ(守護神)が
彼等(人々)の口に入れられた多くの(言葉の)様に、
彼等の口において言語を変化(お互いから理解不能に)させました。
人々のその言語は(元々)一つでした。
」⁸

聖書的なヴァージョンとは異なり、何故に神々 – またはエンキが単独で行動し - 彼(人)の単一の言語を複数へと分裂させる事によって、人類の統一性を分裂(分断)させるための判断を行った事に対しての本当の理由は与えられていません。しかしながら、その理由のヒントは、その行の初めにおいて記録された争いの示唆の中にあるかも知れません。もしこれがそうなら、すると人類は明らかに、再び、彼(人類)の統一された状態において、「神々」に対して何らかの危険を体現したのかも知れません。

この逸話から離れる前に、記述されなければならない奇妙な行があるのは、それが、その逸話におけるある科学技術の唯一のヒントを含むためです。最初に、その脅しは、アラッタ(の街)に対するエンメルカルの使節によって行われ、そしてその後、特定の素材(物資)のための要求が成されます:

「木々から野生の鳩が飛ぶように、
私は、彼の街が、
彼から飛ばせ(奪わせ)なければならないのだろうか、
それらの巣から鳥々が飛び立つ様に、
私はしなければならないのだろうか、
私は、(奴隷のための)現在の市場の価格において
それを理解しなければならないのだろうか。
私は、破壊された街においての様に
その中の塵を(救い上げ)なくても良いのだろうか。
エンキ
アラッタと
その居住区を呪わず、
彼が(その他の時に)破壊した場所の様に
彼がそれを同様に
破壊しません様に。

イナンナはそれを追い求め、
それに対して叫び、
それに対して雄叫びを上げました。
彼女が、
彼女の引き寄せる
洪水の波と共に
それを溺れさせません様に。

むしろ、それが
その元々の形状において
ゴールドを
革の袋へと詰めた時、
塵の形状において
純化された銀と
それを共に並べさせました・・・
」⁹

錬金術の逸話と共に親しみのある人達は、賢者の石の製造における最終段階であり、この場合において「塵の形状における」銀である、粉末化された金属に対するこの言及を認識するでしょう。

加えて、粉末化の形状における金属は、アリゾナ州の農業者、デーヴィッド・ハドソンによって最初に発見された「ORMEs」、または「軌道的に再編成された、単一原子(モノ-アトミック)的な元素」と呼ばれるものの特徴です。その様な金属の原子核は明らかに、高度な回転の状態において存在し、奇妙な反-重力的な性質を所有し、そして唯一、極度に高い熱によって生産される事が可能です。¹⁰ 「塵の形状における純化された銀」の表現は故に、機能している高度な科学技術を強く示唆し、そしてそれにおいて、錬金術的なものです。

エンメルカルとアラッタのあるじのエピックは故に、聖書的なヴァージョンの中で、より鮮明にされる特定のテーマにおいて、唯一ヒントするだけです:

1)人類は、言語的で、そして故に恐らくその本質において社会的で、創始的な統一性において存在していて;

2)人類の統一性は、争い(戦争)のほんのわずかなヒントの後に、言語の混乱(複雑化)を通して、エンキによって分離化され;

3)アンドロジニー的な女神、イナンナと神、エンキの名の下において、アラッタに対する更なる脅しが発令され;

4)塵の形状における、純化された銀を用意する事をアラッタに要求する事において、錬金術的な科学技術の、微妙ですが、明らかな示唆があります。

C. The Mayan Popol Vuh
C. マヤのポポル・ヴァー

1. The Original Differentiation
1.分離化の起源     25


メソポタミアからメソ-アメリカ(中米)へと移行して、マヤ(文明)のポポル・ヴァーは、バベルの塔の瞬間の、更にもう一つの、そして最も興味深いヴァージョンの一つを記録します。ですが、私達がそれを、より詳細に検証する前に、私達はそれを、その創始的な分別化自体の説明のコンテキスト(文脈)の中に位置付けなければなりません。私達の以前の著書、神々の格子の中で、マヤの伝説におけるこの創始的な分別化は、特徴的な形状を取ると私達は記述し、そしてその中で、それについて私達が述べた事を、詳細において思い出すには価値があるでしょう:

「アンコール・ワット(カンボジア)の石の浮彫細工に刻まれたヒンドゥー(古代インド)の宇宙学の様に、ポポル・ヴァーは、神秘の底無し穴(アビス=アプスの変形)において始まり、その力が、それらの詩的な単純性によって、より更にあらわにされる、雄弁であり、優雅で単純な言葉づかいにおいて表現されたアビスです:

「これがその説明(内容)で、以下です:

「今それは、未だにさざめき(i.e. 音/振動/)、今それは、未だにささやき、それは未だにため息をつき、未だに鼻歌を歌い、そしてそれは、空(i.e. 宇宙)の下で空っぽです。

其処には未だに一人の人も、一つの動物、鳥、魚、蟹、樹、岩、窪地、峡谷、湿地、森もありませんでした。その空(無)唯一だけが其処に有り;その地球の表面は、はっきりとしていませんでした。唯一、海だけがその空の全ての下において溜まりにされ;其処で一つにまとめられたものは全く何もありませんでした。それは休息(rest/静止/磁気的な白い光)にあり;動くもの(i.e. 電気)は一つもありませんでした。それは、その空の下で静止において保たれ、引き止められました。

単純に其処に無かったものが何であれ:唯一、ささやき、さざめき(音)が、その夜の闇の中にありました。唯一、その創造主、建築者だけが、主権者である羽の生えた蛇が、生みの親が、男親だけが、そのの中にあり、を放ちました。それらは其処にあり、それらは青-緑のケツァール(中米の綺麗な鳥)の羽毛に包まれていました。

「故に、「羽の生えた蛇(ケツアコアトル)」の名前(の由来)です。彼等は、彼等の存在において、大いなる知識であり、大いなる賢者です。

「そして勿論、其処には空があり、そしてまた其処には空の心臓がありました。これが、語られる様に、その神の名前です。

「そしてその後、創始の夜明けにおける、この暗闇において、彼(神)は主権者である羽の生えた蛇に対して、此処へと至りました・・・稲妻(電気)とハリケーン(渦巻き)が最初に起こり、その二番目は新たに生まれた雷で、そしてその三番目は突然の落雷でした。

「ですから、それらには、3つがありました・・・」¹¹

着目してもらいたいのは・・・創始的な三位一体トポロジー(位相幾何学)的な隠喩が保存された事です。全ては「その空の下の」空っぽな様(創始的な無)として始まり、そしてその中には未だに何らかの分別化は全く無く:「其処には未だに、一人の人も、一匹の動物もいなかった」等々です。其処にあったのは唯一、空っぽな空、そしてその下で休んでいた、たまった水でした。唯一存在していたものは、主権者の羽の生えた蛇と、「それらの正に存在において、大いなる識者達、大いなる賢者達」として表現された者達である、「生みの親達」と「その水の中における男親達」に対する謎めいた言及で、それらは後に、丁度(インドの)ヴィシュヌー(フィッシュ/魚座/キリスト)の様に、主権者の羽の生えた蛇の現れとして見つけられます。

ポポル・ヴァーが私達に伝えているのは、言い換えると・・・(つまり)創始的な「無」、主権者の羽根の生えた蛇があり、そしてその後、無限の分別化されていない「空」(無 A)と、その下の「海」(無 B)、そしてその2つ(A と B)の間の示唆された共通の接面無 C)の、創始的な「三位一体(A, B, C)」が存在したと言う事です。この時点において、その夜における「ささやき」と「さざめき」のかすかな以外、何も全く存在しておらず、ある意味、音、フリクエンシー(振動率/周波数)、振動が、以後に続く多産な(創造力の)分別化と多様性の全てに台頭を与えます。

実際に、その正に始めにおいて、ポポル・ヴァーは、「これは、太古の言葉の始まりであり、此処におけるこの場所において、Quiché と呼ばれました。此処で私達は、Quiché の人々の国家において・・・行われた全て事のためのポテンシャル(効能)と源泉である、その太古の言葉を私達は刻み(記述し)、そして私達は埋め込みましょうと、私達に伝えます。¹²

2. The Primordial Masculine-Androgyny of Man, Mankind’s Original High Knowledge, and the Fall as Fragmentation
2.人の創始的で男らしい-アンドロジニー、人類の元々の高度な知識、そして分裂化としてのその転落(退化)     27


ポポル・ヴァーが人類の創造と、その後の分裂化を設定するのは、このコンテキストの中においてで:

「そして、私達の最初の母親-父親の名前がありました。彼等は単純にモデルされて造られたと、それは述べ;彼等には母も父もありませんでした。私達は、彼等自身によって、その人達を名付けました。彼等に生を与えた女性はおらず、彼等は構築者、彫刻家、生みの親、男親によって、生まれたわけでもありませんでした。唯一、生贄(犠牲)によって、唯一天才によって、彼等は造られ、彼等は創造者、設計者、生みの親、男親、主権者の羽の生えた蛇によって設計されました。そして彼等が実りとして現れた時、彼等は人間として現れ:

「彼等は話し、そして言葉を造りました。

「彼等は見て、聞きました。

「彼等は歩み、彼等は働きました。

彼等は、男性的な容姿を共にした、ハンサムで、良い人々でした。思考が存在へと現れ、そして彼等は見つめ;彼等の視界は突然現れました。彼等が見た処が何処であれ、完璧に彼等は見て、完璧に彼等はその空の下の全ての事を知っていました。彼等が振り返り、そしてその空の中を見回した瞬間に、全ては、地上において、何の障害も無く見られ(理解され)ました。何がその空の下にあるかを彼等が見る事が出来る前に、彼等は歩き回る必要も無く;彼等は唯、彼等がいた場所に留まりました。

彼等が見た際に、彼等の知識が強まりました。彼等の視界は樹々を通り抜け、岩々を通り抜け、湖を通り抜け、海を通り抜け、山々を通り抜け、平野を通り抜けました・・・

「そしてその後、彼等はその構築者とメイソン(石工)によって尋ねられました:

「『あなたの存在について、あなたは何を知っていますか?あなたは見ず、聞かないのですか?あなたの語り(言語能力)と、あなたの歩みは良くはありませんか?ですからあなたは、その空の下を見て、理解しなければなりません。あなたは、その山-平野が鮮明に見え(理解し)ませんか?ですからそれを試みてみなさい、』と彼等は伝えられました。

「そしてその後、彼等はその空の下の全てを完璧に見ました(理解しました)。その後に、彼等はその創造主、設計者に感謝し:

「正に今、
地上で、空の下で、
私達が形成され、私達が
私達の口、私達の顔を与えられ、
私達が語り、私達が聞き、
私達が考え、私達が動き、
私達の知識が善であり、
遠くと近くが何かを、
私達が理解し、
そして私達が、何が大きく(偉大で)、小さいかを理解した事に、
二重の感謝、三重の感謝をします。
私達の祖母よ、私達の祖父よ、
あなた達の御蔭で私達は形成され、
私達は造られ、そして設計される事に至りました、

「と造られ、設計されたために彼等が感謝した時に、彼等は述べました。彼等は四方向を見て、その空の下の、地上の四つの角(東西南北)の全てを完璧に理解し、そしてこれはその構築者と彫刻家に対して、耳障りが良く無く:

「『私達の働きと計画が述べたものは、全く良く無く:

「私達は、大も小も全てを理解した、」と彼等は述べます。』そして故に、その生みの親、男親は、彼等の知識を奪い返し:

「『私達は、彼等と共に今からどうすればよいのでしょう?彼等の視野は少なくとも近隣には届くべきで、彼等は少なくとも地球の表面の小さな部分を理解するべきですが、彼等が言っている事は良くありません。彼等は単に、彼等の正に名前において、「労働力(奴隷)」として「設計」されたのではありませんか?ですが彼等は、彼等が種蒔きにおいて繁殖し、数が増え、目覚め、彼等の数が増えると、神々程偉大に(同等の力に)成ります。

こう成る様にしましょう:此処で私達は彼等を少しだけ分離させ、それが私達に必要なものです。私達が見つけたものは良くありません。彼等の行動は、彼等の知識がとても遠くまで届く(理解能力が大変あるため)、私達に対して同等に成り得ます・・・

[そして、理解の方法は、全てを知る方法と共に沿って、その4人の人間達によって、その様に消失されました。その根源が植えられました。

・・・

そしてその後、彼等の妻達と女性達が存在へと至らせられました。」¹³

再びもう一度、私達は、人類のその統一性と知識のテーマ、そしてその状態において、人類が神々に対して、危険の何らかの種を体現する事に着目します。結果として、私達は再び、知識の消失と、人類の分裂化のテーマが、転落(退化)の一種において結びついている事を見つけます。

ですが此処において、幾つかの重要な詳細があります。

1)人類のその統一性は、男らしい-アンドロジニー的な定義において考えられ、i.e. 元々の男性-女性(両性/中性)の性別的な統一性としてで、そしてこの統一性は、ある意味、人類が持つ「完璧な」知識に対して結びつけられており、その文章の中で何度も、何度も、強調された事で;

2)この統一性と知識は、順を追って、神々に対する危険の何らかの種を構成し;

3)その神々は、人類を分断化する事による、今では親しみのあるパターンにおいて、人類の元々の統一性を制御する決断を行い、唯、この場合において、その分裂化は、予想可能な様に、性別への、元々のアンドロジニーの分離化でした。ひとたびこれが達成されると、人類は彼の知識を失います。その示唆は、人類の元々のアンドロジニーが、不老不死、または不老長寿のどちらかに結び付けられ、そして性別の分離がその不老不死、または不老長寿の消失、そして成行き的に、知識の消失に結果したと言う事です。

また注目されるべきは、人類が、生贄であると考えられる何らかの行為、または活動によって創造されたと言う事です。それらのテーマの全ては、再びもう一度、海を渡って世界の反対側で、プラトンのシンポジウム、そしてヴィーダの太古の(インドの)文化において、それらの最も早期の表現を見つけます。

D. The Platonic Version
プラトン的なヴァージョン     29


この創始的なアンドロジニーと転落(退化)のプラトン的なヴァージョンを一つにまとめるのが更に難しいのが単純に何故なら、その教義の全体が、プラトンの様々なダイアローグ(対話式の記述)を通して分散されているためです。私達の目的のために、私達は此処において彼の対話の一つ、シンポジウム、またはバンケット一つだけに集中し、その内容を、より広いプラトン的なシステムの中に位置付けましょう。奇妙な事に、しかしながら、プラトンは、マヤのポポル・ヴァーの中で明言されたのと、殆ど正確に同じ事を示唆し、つまり、その神々に関連する限り、人類を「より低能(無力)」にするためには、性別の分離が達成されなければならなかったと言う事で:

「あなたが始めに知らなければならないのは、人の本質と、彼(人)が経験した冒険なのは;彼の本質が太古において、現在のものよりも、遥かに異なっていたためです。最初に、まず、人間は元々、男性と女性の2つの性別へと分離されておらず;それぞれの両方に対して共通な3つ目がまたあり、その性別自体は消滅しましたが、その名前は残ります。容姿と名前におけるアンドロジニー的な性別は、男性と女性の両方に対して共通的で;その名前は伝わって残りますが、非難の下で苦しみます。

「私が言及する(太古の)時代において、全ての人の形状は円く、背骨と脇腹は円形的に関節され、そしてそれぞれが4つの腕と同数の(4つの)脚を有し;お互いからそっくりな2つの顔が円形の首に上にあり;その2つの顔の間に一つの頭があり;4つの耳と2つの繁殖器があり;そしてその他全てはその様な割合から由来し、推測するのは簡単でした。人は、現在の様に、人が好む方向が何処であれ、直立に歩き;そして彼が急ぐ事を望んだ時には、彼の8つの腕脚の全てを使い、そして 彼等の脚を空中に置きクルクル回る - 曲芸師(体操選手)達の様に - 円形にクルクル回る事によって、素早く進みました。私達は3種の性別の産出のために、その始まりにおいて、男性が太陽から産出され、女性が地球から産出され;そして両方の性別において関わったその性別は、月のアンドロジニー的な本質の理由によって、月に由来したと示唆する事によって説明します・・・

彼等はまた強靭で、まとまった(スピリット/霊/テレパシー的な)思考を持っていました。神々に対する戦争を始めたのは彼等で;エフィアルトスとオータスが天界に上り、神々を玉座から落とす事を求めたとする、彼等に関するホーマーの記述は、現実においてこの創始的な人々に関係しています。ジュピター(木星/ゼウス/ジュ・ピーター)とその他の神々は、この緊急事態において何が成されるべきかを論議しました。その人種が絶滅されるべく、落雷と共に彼等(神々)が巨人達を滅ぼした様に、彼等(人々)を破壊する事に対して彼等(神々)自身を説得する事が出来なかったのは、その場合において、彼等(人々)から受け取る事が彼等(神々)の習慣だった、生贄の敬意を彼等(神々)が失うためで;彼等(人々)の横柄と、不敬の継続を、彼等(神々)は許せなかったためでした。ジュピター(エンリル)は、幾つもの難題と共に計画を考え出し、長く語りました。『私が思うに、私は、人間の民族を、より低能(無能)にする事によって、彼等(人々)の完全な絶滅を招く事無しで、彼等(人々)が行う横柄/不敬を、それによって私達(神々)が鎮圧する事が出来るかも知れない方法を考え出しました。私は彼等(人々)のそれぞれを半分に切り(性別を分離し);そして故に彼等(人々)は直ぐに弱体化し、そして彼等の数のために、より便利(奴隷)に成るでしょう・・・』と彼は述べました。¹⁴

再び、私達は、マヤのポポル・ヴァーにおいての様に、概念の類似した一連を有します:

1)創始的な人のアンドロジニーがあり、引用された文章の始まりにおけるプラトンの場合において唯一、これは明らかにその他2つの性別に沿って存在し;

2)この創始的なアンドロジニーは、マヤ人達と共に同様に、彼等(神々)に対して戦争を行い、彼等を玉座から蹴落とす事を求める地点に達する程、彼等(人々)は「強靭」で「野心的な思考」を持ったので、神々に対する危険の何らかの種を構成し、故にこの生き物(人)は、そのアンドロジニーの手立てによって、その神々に対する危険だった知識の何らかの種を有し;

3)その神々は、どうしたらよいかを相談し、そして、マヤの説明において、その(人間の)民族の全部を - 彼等(神々)が巨人達とタイタン達と共に行った様に - 滅ぼす事が問題外だったのは、人類が、彼等(神々)に対して生贄を出来なくなるためで、i.e. 人類の、神々に対する関係性は再びもう一度借金(税金)だった(犠牲を払う)事を示唆し;

4)このアンドロジニー的な人が「半分に分断」される、i.e. 性別が分離されるべきであると言う判断は、ジュピター(ゼウス)の提案において決定されました。

この決定が成されると共に、その(プラトンの)対話は続き、存在の元々の状態と、その理想の、より高い領域からのその転落の思い出(記憶/αναμνησις)のプラトンの教義に沿って、人間の性的な振る舞いを説明する事を求め、その対話は続き:

「この分離のすぐ後に、それぞれが、その人自身以外のその他半分(異性)を所有する事を希望したので、それらの(性別的に)分離化された人々は、彼等の腕をお互いに回し(抱擁し合い)、一緒に歳を取る(成長する/老化する)事を求め;そしてこのお互い(男女)無しでは何もしないと言う結論から、彼等は飢えと虚弱から死に:片方が死んだ時に、もう片方は生き残り、それは故にもう片方(異性)を求め、その胸に抱きかかえる様に残され;(私達は此処でそれを女性と呼ぶので)その半分が完全な女性達であれ、または男性であれ;そして故に彼等は消滅しました。ですがジュピターは、彼等を可哀想に想い、もう一つの工夫を考え、そして世代の派生の一部を事前に配置しました。それらの部分が元々公にされて以来、彼等はお互いの補助によってでは無く、地球上を危険にさらす事によって、昆虫の様に、彼等の(人)種を産出しました。この方法において繁殖が、男性と女性の統一によって、此処で産出され、ですから男性と女性の抱擁によって、その民族(人種)は伝播(繁殖)させられ、同性ではその様な結果は起こり得ませんでした。

「・・・私達の一人ひとりが故に、正しく人として呼ばれるかも知れないものの半分で、そして・・・完全な全体の不完全な一部で、彼(人)に帰属しているもう片方(異性)を永続的に求める事を必要とします。元々、一人の男と女の一部だったもの達は、女性的な性別を愛するものたちで・・・それらの女性達は、その統一性において2人の女性を含んでいた一部で、男性によってはあまり魅了されず、彼女達自身によって、原則的に決められた、彼女達の好みを有していました・・・始まりにおいて完全に男性(i.e. プラス)だったものの一部は、男性の社会(i.e. 陽)を求め;そして彼等が成人に届く前に,男らしいものであるその様な存在の部分は、男達の性交との親しみやすさと共に喜びました・・・

「この希望の原因は、私達の元々の本質によると、私達がその昔に完全(無性別/±)であったためです。」¹⁵

この本の第三部において私達が発見する様に、創始的なアンドロジニーと「思い出」のこのアイデア(イデア)には、現代の科学的な協力証言の奇妙な一種があります。この時点において、しかしながら、私達はヴィーダ(古代インド)的な文化に向き合わなければなりません。

E. The Vedic View of the Topological Metaphor and the Fall of Man
E. トポロジー的な隠喩と人の転落の、ヴィーダ的な見解

1. The Tree of Life in the Vedas
1. ヴィーダにおける生命の樹     32


Upanishads の中で、「生命の樹」についての興味深い文章が起こります:

「その永遠の樹はその根を上に
そしてその枝を地下に有します。
その純粋な根は不死のブラーマン(バラモン)で
全ての世界はそれらの生命をそれ(バラモン)から引き出し、
そしてそれ(バラモン)を超越出来るものはありません。この自己が最も優れているためです!

「その宇宙はバラモンから由来し、
そして彼の中で運動します。
それが反響させる彼の力と共に、
空においてぶつかっている稲妻の如くです。
彼に気付くそれらのもの達は、
死の支配を超えて通ります。」¹⁶

その樹とバラモンのイメージは、シュリ・クリシュナが語ってる処の、バガヴァド・ギータ(Bagavad Gita)の第十五章の中で再び起こります:

「太古の逸話において、
永遠に残る
巨大な Aswattha の、
イチジクの樹があり
天界において根を張り、
その枝葉は地中に向かい:
その葉のそれぞれは
ヴィーダの一つの歌であり、
そしてそれを知る者は
全てのヴィーダ(太古の歌)を知っています。

「上向きと下向きに
その枝葉は曲がっていて
gunas によって栄養を与えられ、
それが芽生えさせる芽吹きは
感覚の物事で、
それが持つ根はまた
この世界へと、
下向きに伸びていて
人の行動の根源です。

「それがその形状であるものは
その終わりと始まりで、
その正に本質は、
此処において決して知られる事は出来ません。

「故に、人は、彼の無-愛着の斧を研ぎすませるまで、バラモンを瞑想するべきです。この斧と共に、人は、しっかりと根付いた Aswattha の樹を切り取らなければなりません・・・この目に見える運動の全てが永遠に流れ出る、創始的な存在(無/神)の中で、人が避難する様にしましょう。」¹⁷

その樹のこのイメージについてコメントしている、パラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda)は以下を明言します:

「『その樹』は、それらの生命を維持している(血液)循環と神経(細胞)システムを共にした、それら自体の特有の種類の根、幹、そして枝葉を有している - 植物、動物、人である - 全ての生ける物事の体を象徴化します。生きている形状の全ての中で、その特徴的で、脊椎的な中心を共にした人の体唯一が、神の宇宙的な意識を完全に表現する効能(ポテンシャル/可能性)を有しています。その神聖な Ashvattha の樹は・・・故に、生命のその他全ての形状の中で最も優れている、人間の体を象徴化します。

「人の物理的-アストラル(霊)的-因果的な体は、何千もの蓮(はす)の花びらからのアストラル的な光線において、そして宇宙的な意識によって栄養(活力)を与えられた放射の因果的な思考において、髪の毛と脳における根を共にした、逆様にされた樹です。人におけるその生命の樹の幹は、物理的-アストラル的-因果的な背骨です。この樹の枝葉は、物理(身体)的な神経組織で、アストラル的な nadis (生命力の通り道、または光線/i.e. チャクラ)で、そして磁気的な因果の体の放射(派生)です。その髪の毛、脳神経、延髄(えんずい)、大脳的なアストラルの光線、そして因果的な思考の派生は、エーテルの生命力と宇宙的な意識から(エネルギーを)引き出すアンテナです。故に人は、物理(物質)的な食物によってのみ栄養(活力)を与えられるのではなく、神の宇宙的なエネルギーと、神の根底にある宇宙的な意識によって生かされています。」¹⁸

言い方を変えると、Yogananda が示唆しているのは、人の DNA (遺伝子)自体が、ある意味、個人の特徴的な人格として、宇宙的な意識、または神のフィールドにおける情報の、特定のサブ-セット(準項目)に変換している、または「チューンしている(チャンネルを合わせている/同調している)」ラジオの受信機に似ている類推において機能している「生命の樹」、そして「知識の樹」であると言う事です。この生命の樹もまた永遠で、¹⁹ そして故に、不老不死の樹でもまたあり、体とマインド(精神)を通した変格において²⁰、言うなれば、個人的な人に対する宇宙的な意識の不老不死で、知識のイルミネーション(i.e. 悟り)と共にその後者に、究極的で「錬金術的な」変格(i.e. トランスヒューマン/仙人思想)において、不老不死を会得する事を許します。

此処で、その他多くの太古の哲学と神話において同様に、人類は元々の創始的なアンドロジニーで、その色気(性別/異性)の経験が実際にその転落(退化)、知識の消失、そして性別への分離の原因に成りました。²¹ 「性的な分離」への「アンドロジニーからの」この転落の幾つかのヴァージョンにおいて、そのアンドロジニー的な存在(そして此処で私達はそのアンドロジニーが、性別の融合の象徴であるだけでは無く:運動と静止、being (存在)と becoming (~に成る)、等々の、その他の分極性である事を理解しましょう)、そして意識と愛におけるコミュニオン(霊的交渉/聖体拝領)の示唆されたアイデアを、生贄のアイデアと共に入れ替える、その知識を破壊するのはバラモン(ブラーマ)であると言う事です。そして生贄と共に、私達は更にもう一つのそれらの「面食らわせさせられるイメージ」の目の前にあります。

2. The Rig Vedas and the Origin of Sacrifice: A Metaphor Literally Practiced
2. リグ・ヴィーダと生贄の起源:文字通りに実施された隠喩     34


神々の格子の中のトポロジー的な隠喩を含んでいる太古の文献の私達の調査を通して、そして特にマヤ人達とアステカ人達に私達が出くわした時に、血塗られた、そして実際の人間の生贄の概念はその隠喩に結び付けられ、この残忍で、野蛮な風習によって、不老長寿がどうにかして会得され、そしてその神々が喜ぶ事が示唆されました。私達が目撃した様に、その行いは、少なくともアステカ族に関する限り、元々の風習ではありませんでした。ですから、何処から、そして何故、それは元々由来し、そして何時だったのでしょう?更に重要な事に、それ(人間の生贄)はどうすればその隠喩の「発達」として合理化される事が出来た、または納得される事が出来たのでしょうか?もしそうなら、それは妥当であり、または発展と応用の湾曲だったのでしょうか?

それらの問いに答えるために、私達は生贄をはっきりと述べる、世界において最も古い文献の幾つかに目を向けなければならず、そしてそうする事は:リグ・ヴィーダのトポロジー的な隠喩自体に対する関連性においてとても明らかです。

彼の絶対的に重要で、素晴らしい研究 - リグ・ヴィーダを通した瞑想の中で - アントニオ・デ・ニコラスは、ヴィーダの讃美歌(讃歌)、プルサ・スクタ(Purusa Sukta)、「人の讃歌」を引用します。私達は何故、血塗られた - そして人間の - 生贄の行いが台頭したのかの、私達の分析と推理的な再構築において、私達に考えさせるこの讃歌の一部をイタリクス化し、太文字にしましょう:

「1.幾千もの頭が人であり、
幾千もの目と足を共にし、
彼(人)は地球全体を覆い
そして10本の指によってそれを超えて行きます。

「2.人は実際に、存在したもの、存在するものの全てで、
そして未来において来るであろうものが何であれ、
彼は不老不死のあるじであり、

栄養を通して台頭する全てです。

「3.彼の力と偉大さはその様ですが、
人は、それらより更に偉大で:
彼にとって世界の全てはたった四分の一で、
四分の三は、天界における不老不死です。

「4.彼自身の四分の三と共に、人は台頭し、
その他の四分の一は此処(地上)に生まれました。
此処から全ての側の上で彼は動き
生きているもの(有機物)と生きていないもの(無機物)に向かいました。

「5.彼から Viraj は生れ、
そして Viraj から人は生れました。

生れた時に彼は
西と東の両方において
地球を通り越しました。

「6.彼等(神々)の生贄として人と共に、
彼等(神々)が生贄を行った時、

春(種蒔き)は彼等が手に取ったオイルで
秋(収穫)がその供え物で、夏(実り)がその燃料でした。

「7.その生贄は、わらの上で加工された人で、
その始まりにおいて生れ;
彼と共にその神々は生贄を行い、

そして Sadhya 達と Rsis 達もそうしました。

「8.その宇宙的な生贄から、
オイルのしずくが集められ、
羽根の獣が生れ、
そして野生と家畜の動物が生れました。

「9.元々の生贄から、
その讃美歌と聖歌は生れ、
それからメートル(寸法)が生れ、
そしてそれから散文(言葉)が生れました。

「10.それから馬達が生を与えられ、
そして牛は二重の歯を共にしました。
雌牛達はそれから生れ、
そしてそれから山羊達と羊達が生れました。

「11.彼等(神々)が人を切断(分解)した時、
どれだけ多くの部分へと彼等(神々)は彼(人)を分離したのでしょう?

彼(人)の口は何で、彼の両腕は何で、
彼の太腿と足を彼等(神々)は何と呼んだのでしょう?

・・・

「16.生贄によってその神々は生贄を犠牲と呼びました。
それらは元々で、そして最も早期の行いでした。
(その生贄の)それらの力は、
Sadhyas と神々がいる処である
天界へと届きます。
」²²

強調された点をまとめると、興味深い構図と、関係性の一連を明かします:

1)神、またはその創始的な媒質(エーテル)は、効果的に、「偉大な人」、または「宇宙的な人」として見解され、つまり「makanthropos (μακανθροπος)」としてで(第二節と第五節);

2)この「makanthropos」は「不老不死の主人」(第二節)で、言い換えると、不老不死とその媒質は、未だに探求されておらず、そして理解されていない理由のために、親密に関係していて;

3)人は、彼自身が捧げ物であり、生贄で、そしてそのコンテキストから、此処において言及された「人」が、その「宇宙的な人」、または「mankanthropos」である事が台頭し(第六 - 八節);

4)それが犠牲にされた「宇宙的な人」である事によって、その生贄自体が「宇宙的」で(第八節)、そして故にその生贄は「天界に届く」力を持ち(第十六節)、天界に影響する力を示唆し、つまり、何らかの方法において、神聖、または媒質であると言う事で;

5)この宇宙的な人の生贄は、彼の(体の)切断の構成(第十一節)で、今では不穏にさせられるイメージのとても長いリストに成ったものにおける更にもう一つの不穏なイメージです。

デ・ニコラスは、リグ・ヴィーダのシステムにおける生贄(犠牲)の重要性について、更なる言及を産出します:

「リグ・ヴィーダ的な預言者達は、人に対する元々のもの:人の最初の行い、生贄(犠牲)と共に私達を真正面に置き:「犠牲と共にその神々は最初のもの(人)を産み出し、そしてそれは、人類の最初の行動に成りました(1.164.50)。この方法において、その一人(一つ/One)は、数多いものとして語られる様に成り:「彼等はそれをインドラ、ミトラ、ヴァルナ、アグニ、そして天界的な鳥(太陽)、Garutmat と呼びました。」(1.164.46)そして、過去と未来が一致したのはその犠牲においてで「:未来のものはまた太古であり、人が言うに、それらの部分はまた、現在です。」(1.164.19)²³


言い方を変えると、Purusa Sukta、そして上述で数値化された全ての中で言及された生贄(犠牲)は、最初の行いで、そして人は、人間の創始的な活動と機能(奴隷)を推論出来るかも知れません。

ですがこの全ては、その物理的な媒質の、元々のトポロジー的な隠喩のコンテキストの中で明言され、そして故に、これは、それらの生贄的なイメージと言及をどの様に理解するかの上に、特定の解釈的な制限を強いる事に注意するべきでしょう。デ・ニコラスは故に、生贄のイメージ自体が、この元々のトポロジー的な隠喩の隠喩で、隠喩の隠喩だと強調します:

「斬首、切断、そして生贄がまた、(リグ・ヴィーダ)の中で確認されます。1.52.10;2.11.2;2.20.6;4.19.3・・・

・・・

「『息をしながら素早く動いている、留まる事無い永続の一つ』が見つけられるのは、『アグニの(3つの)家の中で』、そして『有死は不死と共に共通の起源を有します。』・・・Vrtra における混乱した、または非-分離化されたもの(無)として、または PurusaPrajapati、インドラ、ソーマ等々として分離化されたものどちらかとしての知覚の異なったイメージは全て - 斬首、切断、相互関係を通して、または感覚器(意識)の統合として - 生贄に結果します。」²⁴

更に後に、デ・ニコラスは、非-分離化と分離化の意味に対する、それらのとても難解な言及の全てが何なのかを説明します:

「その元々の無限の空間へのこの回帰は・・・既に無運動への回帰では無く、むしろ運動の結果で、究極的に『有死と不死が共通の起源を有する』ので、『聖父(+)と聖母(-)が出会う』処であり・・・天界と台地が共通のねぐら(温床)において統一する処である、光の照らされた一瞬に繋がっている運動です。」²⁵

言い方を変えると、生贄は、分離化自体の台頭において結果した、「元々の(無から有への)創始的な分裂」、または最初の分離化の隠喩です。

このコンテキストの中で見解されると、「切断」と「斬首」は、もし残忍に聞こえたとしても詩的で - 少なくとも宇宙的で、元々の感覚(意味)において - 「分離化」、そして故に生贄のためのコード(暗号)で、トポロジー的な隠喩の中で、その他全ての多様性の台頭に繋がる、創始的で、最初の分離化に対する単純な言及です。

ですが、ヴィーダ的なインドにおける太古の時代において、実際の生贄が、正しく行われたのは、よく知られています。ですから人は、どの様にその台頭を合理化すれば良いのでしょう?生贄の実際の行いは、デ・ニコラスによって説明された様に、天界(+)と大地(-)、聖父(+)と聖母(-)等々と言った、様々な多様性の統一を効果するためにデザイン(意図)された、「逆」技術開発の一種として、故に、見解されました。

私達は故に、その実施の合理化はむしろ、単純だったと大胆に提案しましょう。その隠喩の中の分離化の元々の行い(運動)が、愛として知覚されたのは - 分離化が無い処(無)に愛が存在出来ないためで - その後、愛が無い処において、その隠喩は文字通りに理解される様に成り、そして生贄の実際の行いが、それによってその媒質と、その分離化自体の行程を類推的に産出する方法として見解される様に成り、そしてそれによって、物理的な媒質(エーテル)を効果させる、または「トラウマ化し、ショックを与える」ためでした。私達は、これがまた、その行為を単純に、「類推的な魔術」のこの行いを、権力を得る為の方法として見解した、邪悪な意図を持った者達の存在を提案する事によって、唯一説明される事が出来ると、大胆に提案しましょう。

私達は、端的に、再びもう一度、愛の実際の行為を通した聖体拝領(communion)と統一(union)の目的に対して、その真の目的と動機が全く異なった「コミュニオン」と「ユニオン」の前にあります。目標、または目的は - 「正反対(男女/プラス・マイナス)」の間のより高い錬金性別的な統一の、錬金術的な再創造ですが - 其処に辿り着く迄の方法が、全く異なります。

言い方を変えて、そしてもっと大胆に言うと、錬金性別的で-トポロジー的な隠喩のコンテキストの中で、生贄が錬金性別的な行い自体で、女性的な要素である「大地」への、男性的な要素の物理的ですが、比喩的な「切断」と「種蒔き」です。それが血塗られた生贄なのは、何故なら実際に男性の種(精子)が、殆どの場合において、少量の血液を含んでいるためです。

これが意味するのは、人の通常の感覚に対して同等に、そして深遠に不穏にさせられる何かですが、それでもそれが、この太古の隠喩の構成要素なのは、それが意味するのは、実際の血塗られた生贄(精子)の慣例(性交)が歪められた模倣(偽物)で、愛を派生させる事が決して出来ない行為なのは、それが分離化においても基づいておらず、それにおいても結果せず、むしろそれを全滅させるためで;それが文字通りにその媒質(エーテル)をトラウマ化するために意図された類推的な切断だったのは、対してその媒質 - 錬金術的な文献における、「腐っている(発酵中の)こやし」である、その地面、大地、女らしさ(マイナス)、そして更に実際の女性であり - そしてそれを絶妙に影響する事であるためです。これがまた意味するのは、幾らかの(太古の)伝統において、ホモセクシュアル(同性愛)とヘテロセクシュアル(異性愛)の行いの両方が、錬金性別的な行為として考えられた事ですが;血塗られた生贄は決してそうなる事は出来ませんでした。後者の場合において、私達はヴィーダ的なインドにおける実際の血塗られた生贄の台頭のための合理化を有し、そしてその前者において、チベットのホモセクシュアルなタントリックの性交の魔術の台頭のための合理化の可能性を有します。それはまた、少なくとも部分的に、何故、その様に多くの文化が、そのアンドロジニー的な体現化を、ヘテロセクシュアル(異性愛)よりも「より高いもの」として見解したのかを合理化するのは、古代人の精神、神秘主義学派、秘密結社、そして秘儀主義の高度な伝統にとって、それが知覚されたヘテロセクシュアルの行い(性交)よりも、アンドロジニー(中性)的で物理的な媒質(エーテル)の分離化(分極化/±)自体に対するより緊密な類推(比較)だったためです。ですが、これについては、第三部の中で更に触れましょう。現時点において、私達はその場面の上の介入者を扱わなければなりません。

3. The Trees of Life and Knowledge in Yahwism
3.ヤーウェイ主義における生命と知識の樹     39


太古の哲学的な伝統における - 生命と知識のテーマである - 生命と知識の樹のイメージを、聖書的なヤーウェイ主義の伝統(i.e. ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教)に対して比較するためにいったん足を止めるのには価値があります。神話の有名な学者、ジョセフ・キャンベルは、より古い哲学的で形而上学的な真実(起源/自然科学)と新たな(後の)ヤーウェイ主義の間の原理的な違いを、以下の方法で明言しました:

「それによって神と、彼の世界、不死と有死が、聖書の中で分離させられる、神秘的な分離は、不死の生命の樹からの知識の樹の分離において表現されています。その前者は、神の意図的な行為を通して人には利用不可能に成り、それに対して、ヨーロッパと東洋(中東)の両方の、その他の神話において、知識の樹自体が不死の生命の樹で、そして、更に加えて、人に対して未だに利用可能です。」²⁶

より古く、もっと太古の見解において、創始的な現実性の、物理的な媒質の、マテリア・プリマ(創始的な素材)、または神の、ヨガナンダの言葉を使うと、宇宙的な意識の「ひらめき(始まり)」²⁷は、それからそれらが降臨した「個人唯一では無く、全ての物事」でした。

ですが、ブラーマン主義(バラモン教)の様に、コミュニオン(聖体拝領)のために、血塗られた生贄(犠牲)に入れ替えたヤーウェイ主義と共に、凄まじい逆転が起こります:

「私達の聖書によると、一方で、神と彼の世界は、お互いと同一視されません。神は、創造主として、世界を造りましたが、A があらゆる感覚において B ではない様に、あらゆる感覚において、その世界自体、またはその中のあらゆる物体でもありません。故に、ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、またはイスラム教的な主流派において、その世界において、または個人自身の中のどちらかで神を求めるのは問題外です。これは、東洋(中東)の愚かな賢者達と、シュメールとアッカド、バビロン、エジプト、カナーン(パレスチナ)と、そしてその他の邪悪な神官達の否認された(元々の)自然崇拝を人類に思い出させる方法でした・・・」²⁸

これは、ヤーウェイ主義によって影響された、その文化における精神的な見解の完全な変化の結果で、そして伝統的で神話的な象徴の逆転(180度の方向転換)でした:

「全ての科学よりも、聖典における意味の最後の一粒(詳細)のために几帳面に調査する事を重んじた、シナゴーグ(ユダヤ寺院)とモスク(イスラム寺院)の両方に特徴的な学術の種は故に、ギリシャ的な方法を全く続けませんでした。大いなるレヴァント(地方/中東)的な伝統において、その様な学術主義は最高権威で、ギリシャ人達の科学に対して正反対に位置したのは:もし、科学によって研究された世界の現象が、神の意志の機能で、そして神の意志が変化の対象なら、自然の研究においてどの様な善が一体あるのか?と言うためでした。世界の最初の原則の知識全体、つまり、神の意志は、神の慈悲によって、彼が供給した本(聖書)の中で人に知らしめされました。然るに:読んで、読んで、読んで、その祝福されたページの中にあなたの鼻を埋め、そしてペイガン(ヤーウェイ主義以前の土着信仰者)達には月において、彼等の指に口付けさせましょう。」²⁹

言い方を変えると、元々の非分離化された神であると主張する特定の神によって、または「預言者」、もしくはエリートによって、特別な啓示に対する主張がひとたび成されると、その特別な啓示が、創始的な哲学(自然科学)に入れ替わり、押しのけて、そしてそのシステム(ヤーウェイ主義の教義)が、その知能化された世界における最高権威に成り、改宗者を増やすにしても、その他全てをそのシステムに対する敵、または異端者としてレッテルを張るにしても、全ての上でそのシステムを守る事を求めます。私達は、これについて、次の章の中で、更に述べる事があるでしょう。

F. The Catalogue of Concepts Associated with the Tower of Babel Moment
F. バベルの塔の瞬間と関連した概念のカタログ     41


この全てを一緒にまとめると、人は、歴史の瞬間の「バベルの塔-人の転落」と通常関連した概念の、少々、興味深いカタログと共に浮上します:

1)バベルの塔-人の転落の瞬間は常に、人類の分裂化の何らかの観念に結び付けられ、

a)ポポル・ヴァーの中に明確に記述された様に、または創世記2-3において微妙に示唆された様に、それが性別の分離であれ;または、

b)それが死による人の存在の分解、そして魂と肉体の分離によるものであれ;または、

c)それが、バベルの塔の瞬間の聖書的なヴァージョンにおける、人の言語の混乱化の場合における、社会的な分裂化の何らかの種によるものであれ;

2)この分裂化は、人類の部分の知識の消失に繋がり、人類が有していた以前の統一性が何であったにせよ、先進的な知識の状態の何らかの種に対して、どうにかして貢献していた事を示唆し;

a)言語、そして言語的な混乱化、そして社会的な分裂化の聖書的な逸話の場合において、これが特定の意味を成すのは、その様な行程が、人の知識と社会的な制度の進歩を減速させ、多大に妨げるためで;

b)死を通した人類の分裂化、そしてその後の人の寿命の短縮化の場合において、これもまた妥当な意味を成すのは、人の寿命の多大な短縮化が意味するのは、人の知識の全体的な総合がリサイクルされ、新たな人の世代に対して伝えられなければならず、知識の全体的な進歩が、もっとゆっくりに成ってしまうためで;

c)マヤのポポル・ヴァーの場合において、人の知識の上の性別の分離の効果は、後の部分において私達が目撃する様に、推理的な合理化を行う事は出来ますが、直ぐには鮮明では無く;

3)何が同等に奇妙なのかと言うと、多くの宗教的、そして哲学的な伝統が、歴史のバベルの塔の瞬間を、正に転落(退化)としてとらえ、つまり、彼等が「スピリット(霊)」的な状態を、spatio-temporal movement (空間-一時的運動/時空間運動)として考え、そして描写した事です。³⁰ これが、深遠に重要な物理学の手掛かりに成る、それらの「明らかな物事」の一つなのは、私達が発見する様に、古代人達はこの運動を、現代の学者達の形而上学的な定義において理解しなかったためです。対照的に、彼等はそれを意味していて

4)また、人類の分裂化、そして - 男性-女性の分裂化、魂-肉体の分裂化、言語的、そして社会的な分裂化である – その分裂化を表現するために使用された伝統の様々な種類と共に起こった知識の消失のアイデアに結び付けられたのは、人類がまた、力(能力)における多大な退化を経験したと言うアイデアで、宗教が執着するには異例的なモチーフで;

5)バベルの塔の瞬間の様々な伝統の表面の、最も異例的で、そして実際に、初見において驚かされ、そして不穏にさせられるものが何かと言うと、人類の分裂化を原因するために、神々によって行われた行動が何であれ – 基準的な「罪深い人が、公正な神々を腹立たせる」テーマの - 「スピリット的」な理由のために行われたのではなく、むしろ、その神々が行ったのが何故なら、人類、彼の知識、そして/または彼の活動が、彼等(神々)に対して体現した、はっきりと明言された、または示唆された危険だったためです。これは、十分に奇妙な事に、バベルの塔の瞬間の聖書的なヴァージョンにおいて特に当てはまり;

6)それは故に、人が、様々な伝統の中で(または、人の転落とバベルの塔の瞬間を2つの別々の出来事とする聖書的な説明の様に、同じ(一つの)伝統の中でさえ)分裂させられた概念の同じ座標を見つけるので、それぞれの伝統が幾つかのはっきりとした要素を保存した、一つの逸話の断片を私達が見ていると言うのが、私達の考えです。

それらの技術と科学技術の定義において、この全てが何を意味するのかに気付くのが重要なのは、そのバベルの塔の瞬間が、増幅している分離化(多種多様性)において結果したためで、必然的に、あらゆる再-上昇(i.e. オイル/松果体/悟り)は、下降(降臨)の梯子(脊椎)、人と動物、人と植物、人と鉱物、または機械、そしてその最も高度な段階において、男性と女性、マインド(精神)と物質(肉体)まで戻る分離化の再統一(悟り)の概念を含み、そして究極的に、人間の意識の最終的で、終末論的な、更に錬金術的な変格のための探求における課題であるためです。言い換えると、人がバベルの塔の瞬間において関わった概念を見れば、すると人は錬金術的で、変格(トランスヒューマン)的な目的を認識するかも知れず:

(1)失われた知識の回復で、

(2)それと共に、それ(知識)と共に追随した、神を-脅かす(神/仙人に成る)力の回復で、

(3)その知覚された要素の再統一(reunion)は、正しくも、そうで無くとも、その昔、統一化されていました。
以後のページの中で私達が発見する様に、これが示唆するのは一つの目的で、高度で秘儀的な伝統における、人類のトポロジー的な転落(降格/退化)の梯子のそれぞれの要素と共に、人類を再統一するためのものです。

しかしながら、隠された錬金術的な目的として、その技術開発された、科学技術的な上昇(変格)を私達が理解出来る前に、私達は、全てが始められた「元々の出来事(宇宙の始まり)」において、詳細に検証しなければなりません。
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参考文献

1 Joseph Campbell, The Hero With a Thousand Faces (Novato, California: New World Library: 2008), p. 138.
2 Leonard Bernstein, The Unanswered Question: Six Talks at Harvard (Harvard University Press, 1976), p. 12.
3 Joseph P. Farrell and Scott D. de Hart, The Grid of the Gods: The Aftermath of the Cosmic War and the Physics of the Pyramid Peoples (Adventures Unlimited Press: 2011); Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed: The Ancient War for Future Science (Adventures Unlimited Press, 2005); The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts (Adventures Unlimited Press, 2006.)
4 存在へと人類を至らせた技術開発(遺伝子操作)におけるエンキの役割については、Joseph P. Farrell の、 The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts (Adventures Unlimited Press, 2007), pp. 140-149, そして Genes, Giants, Monsters, and Men (Feral House, 2011), pp. 138-155. を参照してください。
5 Thorkild Jakobsen, trans. and ed., The Harps that Once....: Sumerian Poetry In Translation (Yale University Press: 1987), p. 280. その女神イナンナ(イシス/イシュタル/マリア/乙女座等々)とのウルク(の街)の「大いなる山(ジグラット/ピラミッド)」は、ジョセフの宇宙戦争(pp. 74-83; 232-233; 239-240293-294)の中で最初に論議された「山」≈「惑星」≈「神々」≈「ピラミッド」を思い出させます。
6 Jakobsen, op. cit., pp. 287-288.
7 Ibid., pp. 289-290, emphasis added.
8 Ibid., p. 290, emphasis added. 人類の言語的な統一性を分裂化させた責任のある神としてのエンキの同一視は、もし人が、ヤーウェイは、エンキかも知れないと言う、デーヴィッド Rohl の提案を思い出せば、その聖書的なヴァージョンに対する、それ自体の関連を産み出すかも知れません。See Joseph P. Farrell, The Cosmic War, pp. 301-303.
9 Ibid., pp. 292-293, emphasis added.
10 See Joseph P. Farrell, The Giza Death Star Destroyed (Adventures Unlimited Press: 2005), pp. 151-174, and The Philosophers’ Stone: Alchemy and the Secret Research for Exotic Matter (Feral House, 2009), pp. 85-119.
11 Dennis Tedlock, transl., Popol Vuh: The Definitive Edition of the Mayan Book of the Dawn of Life and the Glories of Gods and Kings (New York: Simon and Schuster, 1996), pp. 64-65, emphasis added.
12 Ibid., p. 63, emphasis added.
13 Ibid.,, pp. 146-148, emphases added.
14 Plato, The Banquet, trans. Percy Bysshe Shelley (Provincetown, MA: Pagan Press, 2001), pp. 47-48, emphasis added. 私達は、偉大な詩人、シェリーの翻訳が、アンドロジェニーのためのその言葉とその示唆を濁さない、数少ないものの一つなので、それを利用しました。
15 Ibid., pp. 49-51.
16 Katha Upanishad, 3:1-2, Upanishads , Trans. Eknath Easwaran (Blue Mountain Center of Meditation, 1987), p. 95.
17 Swami Prabhavananda and Christopher Isherwood, trans. Bhagavad-Gita: the Song of God (New York: Signet Classic: 2002), pp. 110-111.
18 Paramahansa Yogananda, God Talks with Arjuna: The Bhagavad Gita: Royal Science of God-Realization (Self-Realization Fellowship, 1999), pp. 788-789, emphasis added.
19 Ibid., p. 927.
20 Ibid., p. 928.
21 Ibid., pp. 928-931.
22 Ibid., pp. 71-72, citing the Purusa Sukta, the hymn of man, 10:90, emphases added.
23 Ibid., p. 70, emphasis added.
24 Ibid., pp. 148-149.
25 Ibid., p. 153. TRANSHUMANISM 45.
26 Joseph Campbell, The Maskes of God: Volume III: Occidental Mythology (Penguin, 1991), p. 105.
27 Ibid., p. 108.
28 Ibid.
29 Ibid., pp. 180-181.
30 人が唯一考慮する必要があるのは、運動と静止の重要な時空間的な概念が、オリゲン、または、言ってしまえば告白者、マキシマスの神学的なシステムにおいて、どの様に成ったかです。


第二章 
2. The “Topological Metaphor” of the Medium and Its Revolutionary Inversion: The “First Event,” the Four-Staged Descent of Man, and the Three Great Yahwisms(sic.)
2.その媒質の「トポロジー的な隠喩」とその革新的な逆転:その「最初の出来事」、人の四段階の転落、そして三種の大規模なヤーウェイ主義     47


「その単一の神は、それによって有限の魂が、全ての創造された物事から戻り(変換し)、その中で唯一それが休息(静止)を見つける事の出来る、不変の完璧(神)へと戻るその道(方法)である、その上昇している行程の『上への道(戻る方法)』の目的でした。」
- アーサー O. ラヴジョイ¹

「太古の宗教を描写し、そして分別するための道具として、統一性と複数性の対峙は、実用的に無価値です。」
- ヤン・アスマン²

殆どの太古の神話と伝統の中で、バベルの塔の瞬間は、その中で人自身の創造が、より高い位置(大脳/松果体/脳下垂体/第七チャクラ)から、より低い位置(太陽神経叢/下腹部/第一チャクラ)への「転落(堕落/退化/)」である、下降(降臨)として隠喩的に表現された、より広いコンテキスト(文脈)において描写されました。このより高い位置は、私達が直ぐに目撃する様に、順を追って、それからすべての創造が派生する、分裂化(多様化)の終わり無き行程における - 創始的な無、または統一性自体 – もしくは彼(神)自身の象徴です。

人は、現代の学術界、または一神教的な宗教がとても頻繁にそうする様に、その中でこの隠喩が体現された複数形状の神話と例え話を、過ぎ去った日々の、あまり精巧では無い、時代遅れの世界観として、否定するかも知れません。または、私達が此処において行う様に、人は、論議と高度な推理のために、それが高度な太古(超古代文明)からの先進的な文化の遺産(名残)で、その科学的な精密性は、私達自身(の現代)と同等か、それを遥かに超えていたと仮定するかも知れません。その方法において見解されると、その隠喩を含む、または却下される、太古の神話と文献の解釈は、深遠に変化します。

A. The Metaphor and the First Event, or Primordial Differentiation
A. その隠喩と最初の出来事、または創始的な分離化

1. The Metaphor and Some of Its Cultural Expressions
1.その隠喩とその文化的な表現の幾つか     48


ですがその媒質(エーテル/プラズマ)のこのトポロジー的な隠喩は、正確には何なのでしょう?

この創始的なと、その最初の分離化(無:A, B, C)は世界中で様々なイメージ(象徴)と名前の下で表現されましたが、私達が此処で、そして後に続く章において目撃する様に、私達が「その媒質のトポロジー的な隠喩」と呼ぶ例えは、その物理的な媒質自体の、深遠に精巧化された物理学の隠喩もまた含んでいます。

それを理解するために、人が行う必要があるのは、そのアイデアの彼等の説明において古代人達によって幾度となく行われた単純な「思考の実験」以外のなにものでもなく、此処における場合において、その創始的な無について思考している新プラトン主義派のイアンブリカスによるもので、それは「モナド(一つなるもの/神」として此処でその姿を現します:

「モナドは、数字の、非-空間的な源泉です・・・

「全てが、モナドによって組織化されたのが何故なら、それが効能的(potentially)に全てを含んでいるためで:もしそれらが未だに実質では無いとしても、それでもモナドが、将来性的に、全ての数字の中にある原則を保っているためです・・・」³

その隠喩に関する限り、その創始的な統一性(無)が、効能(ポテンシャル)における全てを「含んでいて」、私達が今後の章の中で発見する様に、現代的な考え方から殆どかけ離れていない、物理学的な概念である事に注目して下さい。

ですが何故、この隠喩を、一体全体「トポロジー的な」隠喩と呼ぶのでしょう?一体全体、何故、数学の、より高い次元的な言語に言及するのでしょう?それらの問いに対する答えを理解するために、それのヒンドゥー(古代インド)の表現に対する関係において、私達がその他の場所(本)に書いた事を反復する必要があります。

これが示唆するのは、しかしながら、最初の創始的な「何か()」への、からの元々の分離化である「最初の出来事」が、私達の「思考の実験」を拡大する事によって、最も上手く理解されるかも知れないと言う事です。無の海において、方向自体のアイデアは、この無に対して応用可能なものでは実際に有りませんが、以前と同様に無の海を想像してみて下さい。人は、この無を、唯一、類推的に、隠喩的に、語る事が出来ます。

其処にはまた、無(Nothing)が「起こっていて(going on)」、または、もっと上手に云うと、「Nothing is Happening (何も起こっていません)。」Nothing (無/虚無)が Happening (起こっている)ので、其処には変化が無いので、時間は無く;全ては Sameness (同じ様/統一性)で;全ては Nothing (虚無)です。

「その昔、時間は全くありませんでした。

「時間は、空間における物体の変化している位置(座標)の測定以外のなにものでも無く、ad (sic./and?)多くの科学者達、神秘主義者達、そして狂人達が知っている様に、その始まりにおいて、空間の中には、物体は全くありませんでした。」⁴

(実際に、空間のアイデアは、アインシュタインに足並みを揃えると、そのカーブを原因する、その(空間の)中の物体から分離不可能なので、「空間」さえも存在していません。)

「物質、空間、そして時間の、この元々の欠如(創始的な無)にも拘らず、全てが開始されるために、何かが起こったはずです。言い方を変えると、何かが存在する前に、何かが起こったはずです。

「何かが最初に起こった時に、noTHING (物が無い/虚無)が有ったので、この最初の出来事は、私達が通常、物理学の法則の定義において説明する出来事の種類からは、とても異なったものであったはずだと言うのは妥当でしょう。

「この最初の出来事は、ある意味、物理的な出来事よりも、mental (マインド/精神)的なものだったかも知れないと言う方が意味を成すでしょうか?」⁵

実際に、絶対(神)、神聖な単純性、宇宙の大いなる構築者、創始的なアンドロジニー等々と人がそれを呼ぶ事を望む方法が何であれ – 神秘主義者達、形而上学者(哲学者)達、そして、私達がもっと後の章において目撃する様に、理論的な物理学者達の頭を悩ませたのは、人類が、それについての人の思考を何千年にも渡り記録したのは、この創始的な統一性(無)で、そしてその最初の出来事、または創始的な分離化でした。

a. In Hinduism:
a. ヒンドゥー教において
(1) The Triune Vishnu
(1)三重(三位一体)のヴィシュヌー


私達の以前の研究、神々の格子の中で、私達はそれが、(古代)ヒンドゥー、マヤ、そしてエジプトの宇宙学的な哲学の中で起こった様に、その隠喩の様々なヴァージョンを検証しました。次に続く部分において、私達は、その隠喩がどの様に機能するのかを理解するために、その詳細を認識する事が不可欠なので、私達の以前の(著書からの)明言を、長文において引用しましょう。しかしながら、私達はまた、西洋の読者達にとって、より親しみがあるかも知れない、新プラトン主義派とヘルメス的な伝統からの、追加的な素材(資料)を加えるでしょう。例えば、そのヒンドゥーのヴァージョンに関して、私達はパダマ・プラーナからの引用と共に始めました:

「創造の始まりにおいて、その大いなるヴィシュヌーは、世界全体を創造する事を望み:創造主、保存主、破壊主の三重(三位一体/無:A, B, C)に成りました。この世界を創造するために、その最高位のスピリットは、彼の体の右側から、ブラーマ(バラモン)として彼自身を産出し、その後、その世界を保護するために、彼は、彼の左側からヴィシュヌーを産出し;そしてその世界を破壊するために、彼の体の中心部から、永遠的なシーヴァを産出しました。幾らかの人達はブラーマを信仰し、幾らかはヴィシュヌーを信仰し、その他はシーヴァを信仰しますが;一つであり更に三位一体であるヴィシュヌーは、創造し、保存し、そして破壊するので:故に信心深い者は、その3つの間の違いを、別格視しない様にしましょう。」⁶

私達は、こう続けました:

この「創始的で、三位一体的で、ホモセクシュアル(単一性別的)な有頂天」の、エジプト的、またはヒンドゥー的なヴァージョンのどちらにおいても、私達は神学的な(聖典的な)啓示のあらゆる概念を扱っているのでは無い事に注目して下さい。

私達が扱っているのはむしろ、私がギザの死の星は破壊された⁷の第九章への補足において記述し、そして再び、賢者の石⁸ の中で記述した様に、その物理的な媒質自体の「トポロジー的な隠喩」で、そして其処で私が、更にその他の太古の伝統、この場合において、新プラトン主義派とヘルメス主義派において見解された、その物理的な媒質の、情報を創造している行程からの、この「三重性(三位一体)」の派生に関して私が明言した事を思い出すには価値があるでしょう。

このトポロジー的な隠喩を描写するために、古代人達が使用した、多様化された宗教的で、形而上学(哲学)的な象徴の全てによって彼等が意味したものを理解するために – それを解読するために - 私達は簡単な「思考の実験」を行いましょう。一つの絶対的に分離化されていない「何か/something(i.e. 無/虚空)」を想像してみて下さい。新プラトン主義派は、この「何か」を「単純性/単一性(απλωτης)」として言及しました。物理学の見解から、そしてヒンドゥー教自体のものからの見解から、私達が「nothing (無)」を扱っているのは、それが分離化された、または分別化された特徴を全く有さないためである事に着目して下さい。

此処で、無の一部(無 A)を、その無のその他の部分(無 B)から分離している一つの「囲い」(ヴィシュヌーの射精の隠喩)を想像して下さい。人がそうした瞬間において、人はそれぞれが「分離化された無」の一種である3つのものを有します。人が有するのは:

1)無の「囲まれた」部分(無 A);

2)その無のその他の部分(無 B);そして

3)その2つの部分が分かち合う「表面」(無 C)です。

更なる何かに着目して下さい。純粋に物理学的な観点から、時間はお互いに対して関する事を共にした、分離化された物事の比較的な位置(座標)によって唯一測定されるので、これは、時間無しで起こります。その「無の(2つの)部分(A, B)」とそれらの共通の表面(無 C)は、言うなれば、未だに永遠的ですが、その同じ瞬間において、分離化自体の機能と共に、一種の「時間」が同時的に台頭します。

端的に、非-測量可能な「無」から、それ自体を「分裂化する」、または「分離化する」行程と共に、数字の概念を含んでいる、情報が派生し始めます。古代の見解の上で、すると、数字は抽象において存在していませんでした。それらは、むしろ、その物理的な媒質の、トポロジー的な機能です。⁹

此処で私達は、私達の3つの分離化された無(A, B, C/1、2、3)を数学的に注釈する事によって、このトポロジー的な隠喩へと、さらに深く入ってみましょう。この「無」を体現するために完璧なシンボルがあり、空っぽの hyper-set (超越的な一連/空集合)で、そのシンボルは Ø で、それは「物事(有)」も「数字」も含んでいません。此処で私達は、私達の元々の「無」を、Øℯ によってシンボル(象徴)化しましょう。何かの表面が、部分的で派生物的なシンボル ∂ によって体現されるのは、結局の処、何かの「表面」は、それが無であったとしても、その「部分的な派生物(partial derivative)」であるためです。ですから、私達は、私達の3種の結果している存在(i.e. 無 A, B, C)を以下の様に表しましょう:

1)無の「囲まれた」部分(無 A)、または Øa-ℯ;

2)その無のその他(無 B)、または Øℯ-a;そして

3)その2つの部分が分かち合う「表面」(無 C)、または ∂Øa-ℯ|ℯ-a です。

此処で注目してもらいたいのは、それらの3つの「無」は未だに無ですが、お互いの無からは形式的にはっきりとした方法において、それぞれの無を分別化している、情報(数字)をそれらが此処で得た事です。他の何かにも着目してもらいたいのは:それぞれが、その元々の分離化されていない無から派生した特徴を持っているので、それら全ての間の関係は、本質において類推的で;言い方を変えると、それぞれが、その形式的な描写において、Ø の存在を保っています。そしてこれは、人がどれだけ多くその「囲み」、または「分離化」(多種多様化/発達)を続けようとも真実(不変)です。この太古の宇宙学的な見解の上で、言葉を変えると、その元々の無からの「分離化」の無数の段階を通したその派生の手段によって、全てはその他全てに関係しています。同調的な魔術の実施のために、太古の文明の中でその土台を形成するのがこの事実なのは、純粋で、物理学的な定義において、それらの太古の宇宙学によって示唆された、その物理的な媒質の類推的な本質を与えられると、全てが、その他全ての、対化されたハーモニック(調和的)な振動子/発振器(oscillator)であるためです。¹⁰ 最後に、この形式的な明快さがどれだけ、創造された世界は、実際に、分離化された無(±)であり、幻想であるが故に、「無」であるとする、ヒンドゥーの概念と共にとても上手く、ぴったりと適合するかを観測して下さい。

「此処で私達は、太古の文献と宇宙学における、このトポロジー的な隠喩の解読における次の一歩を取りましょう。私達が此処において探求している、数学的な隠喩の一種の中で、機能は、その「空っぽさ(無)」を破壊する事無しで、その空っぽのハイパー・セット(空集合)、 Ø のメンバー(一部)に成る事が出来ると理解されるのは、機能は、「物事」、または物体でも無く、純粋な行程であると言う、単純な理由のためです。此処までに、私達は部分(無 A, B)と表面(無 C)を扱いましたが、此処で私達は機能(function)を加えましょう。」¹¹

言い方を変えると、その隠喩を表現するためにトポロジーが最も相応しい数学的な言語なのは - 「次元的な無」 - そして神話を、より形式的で、表記法的なシンボリズム(象徴性)へと、言及する定義(用語)である、形而上学(哲学)の定義に翻訳するその能力のためです。

(2) The Bhagavad Gita: the Knower and the Field
(2)バガヴァド・ギータ:知る者とフィールド     54


バガヴァド・ギータからの以下に続く行が実証する様に、その隠喩のヒンドゥー・ヴァージョンの中に含まれたのは、現代物理学に対する更なる関係です。此処において、その対話は、アルジュナと主クリシュナの間のものです:

アルジュナ:

「そして今度は、クリシュナよ、私はそのフィールドと、そのフィールドを知る者である、プラクリティとブラーマンについて学ぶ事を望みます。」

スリ・クリシュナ:

この体(主体)がフィールドと呼ばれたのが何故なら、人がその中の運動の種をまくためで、そしてその実りを収穫するためです。賢明な人、そのフィールドを知る者は、この体(媒質)の中で何が起こるのかを観測する者だと言います。

「私を、全ての体において、そのフィールドを知る者だと認識しなさい。私は、フィールドと知る者の間の識別を、知識の最も高度な種として考えます。

・・・

此処で私は、その知る者が不死を得るために、知らなければならないものを描写しましょう。そのブラーマンは始まりが無く、超越的で、永遠です。彼は、それが何か、そしてそれが何で無いのかを同等に超えると言われます。

・・・

彼は、内なるものであり、外なるものであり;彼は生きるもの(有機物)と生命無きもの(無機物)の中に生き(宿り):マインド(精神)の理解を超えて捉え難く;私達のとても近くであり、全く遠くで:分離化されていないもので、彼は、物体と生き物達へと分離する様に見えます:

「彼自身から創造を送り出し、彼はそれを保ち(保護し)、そして取り戻し(破壊し)ます・・・

・・・

「あなたが理解しなければならないのは、プラクリティとブラーマンの両方に、始まりが無い事です・・・私達の中の個性の感覚は、喜びと苦しみの私達の経験を原因すると言われます。ブラーマンが誤ってプラクリティと共に同一視した個人的な自己(自我)は、プラクリティから台頭する gunas を経験します・・・

この体における最上級のブラーマンはまた、目撃者として知られます。それは私達の活動/運動/鼓動/呼吸の全てを可能にし、そして言うなれば、それらを認可し、私達の経験の全てを経験しています。それは無限の存在で、最上級/超越的なアトマン(Atman/atom/aton/adon/aten/amun/amen[アーメン]/太陽/原子 等々)です。ブラーマンを直接経験し、それがプラクリティと gunas 以外のものであると知った人は、その人がどの様に、その人の人生をどう生きようとも、生まれ変わり(転生)しないでしょう。

・・・

「これを知りなさい、おお王子よ、
創造された物事についてを。
全ては、フィールドと知る者である、
プラクリティとブラーマンの
うわべの統一から台頭しました。
・・・
全ての物事に浸透している
エーテルの様に

腐敗/堕落させるためには捉えにく過ぎて、
このアトマン(アトム/原子)はまた
全ての体に存在しますが
決して腐敗/堕落させられません。」¹²

興味深い事に、バガヴァド・ギータのこの章において台頭するのは、その隠喩の現代物理学の再₋構築の私達の以後の再検証に情報を与える2つの重要な概念で:(1)上述の引用の中で「目撃者」と呼ばれた観測者で、そして(2)そのフィールドです。この本の後の章の中で目撃される様に、その目撃者、この場合、人類自身が、太古のヒンドゥーの文献同様に、その媒質の隠喩、そしてそのフィールド自体の現代的で、理論的な物理学の必須条件で、情報と感覚のフィールドの観測です。

b. In Egypt
b. エジプトにおいて
(1) An Egyptologist Examines the Akhenaton Monotheist Revolution
(1)一人のエジプト学者が、アケナーテン(アメンホテップ四世)の一神教革命を検証する     54


ドイツ人のエジプト学者、ヤン・アスマンは、エジプトにおける一神教の、ファラオ(神官王)、アケナーテンのヴァージョンの、革新的な時代からの聖歌を引用し、其処で、アケナーテンが探求しようと望んだ一神教的な傾向にも拘らず、この「一つであり-多数である」弁証法(dialectic)が再び健在であるとします:

「変格の秘密と、現れのきらめき、
形状において豊かな、とても素晴らしい神様!
全ての神々は
彼の美と、彼の神聖さの延長と共に、彼等自身をより偉大にするために、
彼を讃えます。

「Re (sic./Ra?)自身が、彼の体と共に統一されました。
彼がヘリオポリス(太陽の街)における最も偉大なもの(一つ)です。
彼は、タテネン/アムン(アテン/アトン/アドン/アーメン)と呼ばれ、その(複数の)「顔」を導くために、創始的な水の中から由来しました。

「彼のもう一つの形状は Ogdoad (オグドード/八形神)です。
創始的な一つの、創始的なもので、Re (Ra)の男親です。
彼は、彼を共にした一つの体に成る事によって、彼自身をアトゥム(アトム/アトマン/アーメン)として完成させました。
彼は宇宙的な主で、存在するものを開始したものです。」¹³

分離化されていない無と、そして「最初の出来事(宇宙の開始)」の上に続く、結果的で類推的な「無」の描写に相応しい、「創始的な一つの、創始的なもの」の興味深い表現に着目して下さい。

(2) An Esotericist Examines the Traditional Egyptian Cosmology
(2)一人の秘儀主義者が、伝統的でエジプト的な宇宙学を検証する     54


有名な秘儀主義者、レネー Schwaller デ・ルービッツは、その隠喩のエジプト・ヴァージョンに対して彼自身の解釈を加え、そして再びもう一度、その隠喩の彼の解釈の重要性は、その詳細の中にあるので、神々の格子の中で私達がそれについて以前に述べた事を反復するのが最善でしょう:

「その創始的な分離化を、Scwhaller は「創始的な分裂」と呼びますが、そのメンフィス(エジプト)の神話においても鮮明で、それを私達は、更にもう一つの「原始/創始物理学的な隠喩」として理解出来るかも知れず、i.e. 宗教の定義(用語)の中に隠れ蓑された、深遠に精巧な物理の隠喩としてです。其処で、その創始的な分裂は、ヴィーディック(古代インド)の伝統においてと同様に、その創始的な海(水)、またはヌン(Nun)からの、神々の派生において表現されました:

「ヘリオポリス(太陽の街)の啓示(記述)は・・・(創始的な海に対して比べられた環境である)ヌンにおける統一の分裂の、謎めいた神聖な運動で、それは Tum の、目には見えない火を捕らえ(宿し)、最初の大地へと凝固します。

「これは、大地(地上/下腹部)へと落ちた(降臨した)天界(大脳)的な火で、それは、メンフィスの神秘においてプター(Ptah)の名前で呼ばれます。この形而上(哲学/精神)学的な火(オイル)は、ヘリオポリスにおいて明言された原則の実質化によって、自然においてその効果を産出しますが、未だに体現されていません。

「Tum の現れが示唆するのは、その3つの原則と、物質の構成的な要素と呼ばれる、哲学的な4つの本質的な性質の現れですが、それらの「corporification (肉体に霊が宿る事)」は、最初の三重性(三位一体):プター、セクメット(Sekhmet)、そしてネフェルタム(Nefertum)の現れの上で唯一起こります。」¹⁴

その数字4の派生が、現時点においては、特例的で、そして完全に独断的な様に見える間、私達は少々後に、それが更にもう一つの物理学の隠喩を含む事を目撃します。

現時点において、しかしながら、私達の着目が、プター、セクメット、そしてネフェルタムの創始的な三位一体の台頭の上に集中しなければならないのは、「全ての存在において内在的なのは、数字先天/事前的な知識である、数値化の脳力であるためです。私( I /自己/自我)と他者の間を区別している正に事実は、一つの数値化です。」¹⁵ 言い方を変えると、Schwaller にとって、その創始的な分裂において内在(暗黙)的なのは、意識とその多様性-における-統一性に対するその関係です。Schwaller は、その創始的な分裂を、以下の方法で説明します:

「故に、全ての創造の起源において、一つの統一性があり、それは不可解にも、その中に全ての可能性の混沌を含まなければならず、そしてその最初の体現化は分離を通してでした。全ての概念の起源において、1つ(無 A )と2つ(無 B )があり、それ自体において理解不可能な、一方がもう一方を説明する3つの原則(三位一体)です。

「・・・

「此処にあるのは、全ての物事、全ての主張、そして理由づけ(合理化)の起源において必ず見つけられる三重性で;その三位一体は全てを補佐し、その土台の上にこの世界と、それから由来する全てが造り上げられました。

「その元々の統一性は、being (存在/~に成る)non-being (非-存在)の、全ての可能性を含んでいました。成り行き的に、それは、アンドロジニー的な本質でした。¹⁶

私達は既にこの特徴的で「創始的なアンドロジニー」に対する言及を行い - 全く別の一冊の本に成り得る題材ですが - 再び、Schwaller が指摘しているものは、「創始的な無の分離化」のトポロジー的な隠喩において、1つ(無)と3つ(無 A, B, C )の必然性が常に結果し:囲まれた無(A)の2つの部分(A, B)が、共通の表面(C)を分かち合っています。

故に私達は、(古代)エジプトとヴィーディック(インド)の文化の背後にある、共通の概念的な遺産(名残)を示唆している、私達の以前のテーブルに対して、プター、セクメット、そしてネフェルタムの名前を加えましょう:

1)プター = Øa ;

2)セクメット = Øb ;

3)ネフェルタム =∂Øab 。

・・・

既に指摘された様に、古代人達が何故、この創始的な分離化を、アンドロジニー的な定義において、とても一貫的に見解したのかは、私達がいずれ記述する事を望む今後の本の題材ですが、現時点において、これに関して記述する価値があるのは、Schwaller が指摘するその他の何かです:

「あなたはこれを、聖父(A)、精霊(B)、そして息子(C)、またはオシリス、イシス、そしてホルス、もしくはブラーマ、シーヴァ、そしてヴィシュヌーとして翻訳しますか?

「あなたはそうする事が出来ますが、もしあなたが賢明で混乱させる事を望まないなら、あなたは3つ(三位一体)である1つと2つと言うでしょう。これは、イメージ(偶像)が必要な(無知な)人達が、「宗教」と呼ばれるものによって結び付けられ、そして彼等が一つの伝統の周りに集結出来る様に、入門者(会員)達によって具体化(宗教化)されたものでした。」¹⁷

言葉を変えると、トポロジー的な隠喩に対する、様々な神々の名前の結びつきが、唯それだけで、唯の代理であると、人が一度理解すると、すると創始的な三位一体のあらゆる代理(変形)は、実際に、宗教的な啓示、または形而上学(哲学)の結果では無く、科学-哲学的な最初の原則(三位一体)は、信仰(宗教)を必要としているものでは全く無く、むしろ、その隠喩がトポロジー自体の高度に抽象的な象徴性において表現出来る隠喩であるために、形式的にはっきりとした隠喩の特徴における信仰の一種である事を、人は理解するでしょう。」¹⁸

再び、注目されるべき要点は、数学者である Schwaller が、その隠喩の高度に隠喩的な本質を理解した事なのは、その神々の様々な名前の背後にあるのが、より深く「高度で次元的な」数学的な機能と概念、分離化の機能、そして、それ自体においてまた(創始的な)無である、共通の表面を分かち合い、分離化された「無(A, B, C )」に結果しているものだったためです。

c. In Mayan Culture
c. マヤ文明において     57


再び、私達がその他の場所で記述した様に、マヤ人達もまた、その隠喩の彼等自身の、エレガントで詩的な表現を有していました:

「アンコール・ワット(カンボジア)の石の彫刻の中に刻まれたヒンドゥー(古代インド)の宇宙学の様に、ポポル・ヴァーは、神秘のアビス(底無し穴/アプス/アブズーの変形/i.e. 宇宙)において始まり、そのアビスはその力が、それらの詩的な単純性によって、更にもっと顕著にされる、雄弁でエレガントに単純な言葉とイメージにおいて表現されました:

「これは、その説明で、それは以下である:

「当時、それは未だにさざめきで、当時、それは未だにささやきで、さざめきは未だにため息で、未だに鼻歌で、そしてそれは、その空(宇宙)の下で空っぽであった。

此処に続くのは、最初の言葉で、その最初の雄弁さである。

其処には未だかつて、一人の人も、一匹の動物も、鳥も、魚も、蟹も、樹も、岩も、窪地も、峡谷も、湿地も、森も無かった。唯一その空だけがあり;地球の表面は鮮明では無かった。唯一その海だけが、全ての空の下で溜り;其処には一つにまとめられたものが一切無かった。それは、静止(休息)にあり;動く(運動する)ものは一つも無かった。それは、その空の下で抑止され、静止において保たれた。

其処に存在するかも知れないものが何であれ、単純に其処にはあらず:唯一、その夜、その暗闇の中に、さざめき、ささやきがあった。(i.e. いさなぎ/いさなみ唯一創造主、構築者/設計者だけが、主権者である羽の生えた蛇、生みの親、男親だけが、きらめく光である、その水の中にあった。それら(彼等)は其処にあり、それらは青-緑のケツァール(中南米の鳥)の羽毛の中に囲まれていた。

「故に『羽の生えた蛇(ケツアコアトル)』の名前である。彼等は、大いなる賢者であり、彼等の正に存在において、大いなる哲学者達である。

「そして、勿論、其処には空があり、そしてまた、空の心(中心部)があった。これが、述べられた様に、その神の名前である。

「そしてその後、彼の言葉(音/波)が現れ、彼はその主権者の羽の生えた蛇に対して此処に現れ、その暗闇の中で此処で、その夜明け前において、稲妻(電気)のハリケーン(台風/渦巻き)が最初に来て、その二番目は新たに生まれた稲妻(イオン/プラズマ)で、そしてその三番目は突然の稲妻(静電気)だった。

「故に其処にはそれらの3つがあった。」¹⁹

此処まで来れば、この強力で、心を揺さぶるイメージは、天の川(銀河)において大いなる ナーガ (naga)の蛇の宇宙的な綱引き(i.e. 銀河の回転)を管理している、アンコール・ワットにおけるヴィシュヌーのイメージを思い出すでしょう。

ですが、これは、全く異なった文化(マヤ文明)において、世界の反対側(中南米)において起こります!

着目してもらいたいのはまた、その創始的な三位一体のトポロジー(位相幾何学)的な隠喩が保存された事です。全ては「空(宇宙)の下の」虚無として始まり、そして未だにその中において何らかの分離化は存在せず:「一人の人も、一匹の動物」等々も未だにいない事です。其処には唯一空っぽな空があり、その下にはたまった水(海)が休んでいます。唯一存在しているのは、主権者の羽根の生えた蛇(ケツアコアトル)と、後に、丁度(古代インドの)、ヴィシュヌーの様に、主権者の羽の生えた蛇の体現として見つけられる、「彼等の正に存在において、偉大な識者で、大いなる賢者」として描写される、「生みの親」と「その水の中の男親」に対する謎めいた言及だけです。

ポポル・ヴァーが私達に伝えているのは、言い方を変えると、私達がアンコール・ワットにおいて目撃したのと同じ事で:主権者の羽の生えた蛇である、創始的な「無」があり、そしてその後、終わり無き不明瞭な「空」の創始的な「三位一体」があり、そしてその下には「海」と、そしてその2つの間の、示唆された共通の表面です。この時点において、その夜(闇)における、かすかな「さざめき」と「ささやき」以外には全く何も存在しておらず、ある意味、後に続く、創造力豊かな分離化と多種多様性の全てに派生を与える、フリクエンシー(振動率/周波数)振動(波)を示唆しています。

実際に、その正に始まりにおいて、ポポル・ヴァーは、「これが、その太古の言葉の始まりで、此処で、この場所において、Quiché と呼ばれました。此処で、Quiché の人々の国家において・・・行われた全てのための効能(可能性)と源泉である、その太古の言葉を私達は記述し、そして植え付けましょう。」²⁰ と、私達に伝えます。注目してもらいたいのは、その太古の言葉が植え付けられるべき何かで、再び、もう一つの体現の下の彼自身以外では無い、創始的な海の中へと射精しているヴィシュヌーのイメージを思い出させる事です。更にまた着目してもらいたいのは、この言葉、この音、または振動(i.e. 波)が、言ってみれば「行われた全てのための効能と源泉」であると言うとても示唆的な概念で、つまり、派生する多種多様性の全ては、この純粋で、無限の効能から台頭すると言う事です。

成り行きとして、ポポル・ヴァーは、その正に始まりのページにおいて、創始的な無としてのヴィシュヌーの、彼自身の「三重性」と分離化との関連において、第三章において私達が出くわした、物理的な媒質の、正に同じトポロジー的な隠喩を示唆している様に現れ、そしてそれはまた、エジプトが起源であるヘルメティカの中の幾つもの文章の中で機能していると私達は発見しましたが、唯一、其処における「分離化された無」の隠喩は、そのどちらにも全く何も存在していない、終わり無き空と、終わり無き海で;存在するのは唯一、その空(無 A)、その海(無 B)、そして両方を分離化している、または囲んでいる、接触している表面(無 C)の概念によって、更にもっとはっきりと示唆され;再び私達は、更にもう一つの創始的な三重性の、3つの存在を有します。

・・・

ですから此処で、第三章の中で、その媒質のこのトポロジー的な隠喩について明言したものに、私達が加えられるかも知れないのは、私達が此処で、更により多くのイメージ(象徴性) - 空、海、そしてその2つの間の示唆された(共通の)表面に出くわすためで - 全ては同じものを述べていて:その最初の分離化が、その本質において、常に三重的、または三位一体でなければならない、分離化されたと共に私達が扱っていると言う事で:

1)の「囲まれた」部分、または Øa-ℯ で、ヘルメスの「宇宙」で、パダマ・プラーナのシーヴァで、そして今度は、ポポル・ヴァーの「空」で;

2)そのその他の部分、または Øℯ-a で、ヘルメスの「神」で、パダマ・プラーナのヴィシュヌーで、そして次に、ポポル・ヴァーの「海」であり、そして、

3)その2つの部分が分かち合う「表面的な」、または ∂ØA-E|E-A で、ヘルメスの「空間」で、パダマ・プラーナのブラーマで、そして此処でポポル・ヴァーの「海」と「空」の間の示唆された共通の表面です。

しかしながら、ポポル・ヴァーは、人類の創造自体を、マテリア・プリマ、または「創始的な無」の何らかの種からの分離化の台頭のこの行程と共に関連させる様に見える、更にもっと興味深く、示唆的な明言を行います。²¹

その隠喩を私達がまとめる事が出来る前に、しかしながら、新プラトン主義的、そしてヘルメス的な伝統の中の、そのより親しみのある表現を検証するには価値があります。

d. In Neoplatonic Tradition
d. 新プラトン主義的な伝統において     59


西洋の読者達にとって、その創始的な統一性についてのこの種の哲学的な思考の最も典型的な例は、新プラトン主義のシステム(考え方)でしょう。新プラトン主義学派の、哲学者、プロティヌスの、主要な解説の中で、その隠喩がどの様に機能したかを理解するために、ギザの死の星は破壊されたの中で、ジョセフ(ファレル博士)が記述したものまで、私達はずっと戻りましょう。²²

その様な古代のシステムのその他多くと同様に、その隠喩のプロティヌスのヴァージョンは、元々の分離化されていない無の形状において、それ自体を表現し、それを彼は(十分に興味深い事に、性別において中性である、ギリシャ語の το εν と言う言葉で)「The One (唯一)」と呼びます。この唯一は、しかしながら、知性、またはマインド(ギリシャ語において男性形の言葉、Νους)と、世界のソウル(魂)、(十分にわかりやすい様に、ギリシャ語における、女性形の言葉、κοσμικη ψυχη)を台頭させます。故に、再び、人は創始的なアンドロジニー(単一性別/無)が分別(性別±)に派生を与えている事を有します。

ですがこれは、プロティヌスにとって、第二科目的な重要性で、そして私達は、少々後に、創始的な「錬金性別」が第一科目である、もう一人の新プラトン主義者へと戻るでしょう。

私達の目的のために、その知性(男性形/聖父)と世界の魂(女性形/聖母)が、「その唯一(περι το εν )の周りで永遠的な本質」の一種を構成する事に気付くのは重要です。私達の目的のために、その世界の魂(聖母)が、その唯一(創始的な無)と知性(聖父)の両方から台頭する事に気付くのは重要で;言い換えると、その隠喩のその他のヴァージョンの中で私達が出くわした「無の部分」の2つの分離化された(無 A, B)の共通の表面(無 C)の様な、殆ど同じ方法において機能し;私達が有するのは

1)元々の無、唯一:ØA;

2)分離化された無、知性:ØB;そして

3)その2つの間の共通の表面で、
更なる分離化である:∂ØAB です。

ですがそれには、唯これだけでは無い、更なる何かがあります。その隠喩のその他のヴァージョンにおいてと同様に、プロティヌスは、その唯一(the One)を、その唯一は全くの分離化を絶対的に有しておらず、そしてそれでも、その単純性(simplicity/απλοτης)は、存在する全ての効能(可能性)を含んでいる事を単純に意味した、テクニカルな単語である「単純性(simplicity)」において、その唯一を理解しました。²³ あらゆる区分の間の分離化が欠如しており、そしてそれでも存在する全てを含んでおり、その唯一(無)の分離化の「最初の(創始的な)出来事」が意味するのは、(意志/will と本質/essence がその唯一/無の中で別々では無いので)それは、その意志の行い(活動)で、そしてそれでも同時に本質的な行い(運動)の一種の両方です。

これが、その隠喩の様々なヴァージョンの中で人が頻繁に出くわすテンション(緊張)を設定するのは、人がこの「最初の出来事」を、偶然(チャンス)の非一貫的な行い(運動)の一種とする、「無神論的な」方法において理解するか、または人が(神の)意志と意識の意図的な行い(活動)として理解するかのいずれかの選択肢があるためです。実際に、その隠喩の中で、厳密に述べると、両方が真実なのは、その創始的な無は分離化が無く、意志、本質、必要性、空間、または時間、非一貫性、偶然、等々のそれらの行い(運動/活動)を含んでいるためです。私達は、少々後に、意識のための示唆へと戻りますが、現時点のために、この隠喩の探求されなければならない、一つの最後のヴァージョンがあります。

e. The High Esoteric Tradition of the Metaphor:
The Hermetica and the Image of Androgyny
(1) God, Space, and Kosmos
e. その隠喩の高度で秘儀的な伝統:
ヘルメティカとアンドロジニーのイメージ
(1)神、空間、そして宇宙     60


その隠喩の最も鮮明な表現、そしてその中における人の場所(立場)に私達が出くわすのは、ヘルメティカの中においてです。²⁴ 再び私達は、その詳細が、もう一度、その論議にとって重要なので、ジョセフがこの題材について以前に記述した事を引用しましょう:

その文章は、ヘルメスと彼の弟子、アスクレピウスの間の短い対話である、Libellus II: 1-6b です:

「その中で宇宙(Kosmos)が動く(運動する)空間(space)はどれだけの規模でなければならないのでしょう?そしてどんな本質なのでしょう?その空間は、宇宙の継続的な運動を含む事が出来るために、そして動く(運動する)ものが room (場所)が不十分で閉じ込められ、運動を止めない様に、その空間は、もっと大きいはずでなければならないのでしょうか? - Ascl (アスクレピウス). トリスメギスタス(三度偉大なヘルメス先生)、その空間は実際に、より大きくなければなりません。 - Herm (ヘルメス). そしてそれはどの様な本質でなければならないのですか、アスクレピウス?それは、宇宙に対して正反対の本質でなければならないのではないでしょうか?そして、その体(実体/主体)に対する正反対の本質は、incorporeal (非肉体的/精神的)なものです・・・空間は思考の対象ですが、神がそうである様な同じ感覚においてでは無いのは、神は主に、彼自身に対する思考の対象であるのに対して、空間は、それ自体に対してでは無く、私達に対する思考の対象であるためです。」²⁵

この文章は故に、プロティヌスにおいて既に出くわされた「三重的」な考え方の一種を証明しますが、此処において更にもっとはっきりとしているのは、それが、Bounias と Krasnoholovets によって使用されたトポロジー(位相幾何学)的な三角測量方式の、形而上学的で、弁証法的なヴァージョンの一種であるためです。しかしながら、プロティヌスの三重的な構造とヘルメティカの間には、顕著な違いがあり:プロティヌス(の哲学)において、見解されている対照の3つの原則は、唯一(the One)、知性(the intellect)、そして世界の魂(the World Soul)であるのに対して、此処でその見解にある対象の原則は、Theos (神)、Topos (空間)、そして Kosmos (宇宙)(θεος, τοπος, κοσμος)、またはそれぞれ、神、空間、そして宇宙です。

これ等の3つ - 神、空間、そして宇宙は - そのそれぞれが順を追ってそれ自体の機能的な正反対を示唆する、3つの原則的な機能の上に基づいた、弁証法的な対峙によって、順を追って分離化されます:

f₁:自己-知識 ⇔ -f₁:無知
f₂:静止(στασις) ⇔ -f₂:運動(κινησις)
f₃:incorporeality (非物質/精神/意識/霊/魂) ⇔ f₃:corporeality (肉体/物質性)。

ですから、その隠喩のヘルメスのヴァージョンにおいて、「神、空間、宇宙」と言う用語を共にした、それぞれの(三角の)頂点、または部分の名前に成る、以下の「三角測量方式」が起こります:

1 20151001090309338

この図表は、色々な理由のために重要です。まず初めに、神学的に詳しい読者達は、それが中世のラテン教会の新プラトン的に影響されたオーガスト派のキリスト教において台頭した、三位一体(Trinity)の教義を描写するために使用されたピクトグラム(図表)である、シャルルマーニュ(大帝)の「三位一体(三重性)の楯」と呼ばれたものの中で並行されている事に気付くでしょう。再び、このコンテキストにおいて、(古代)ギリシャの教父達が、最も可能な限り強い定義において、その教義のこの形成に対して抗議し、そしてこの弁証法的な構造を、形而上学的と言うよりはむしろ、「感覚(i.e. 五感的)」なものとして、i.e. 教義的な神学よりも、物理(肉体)的な機械性として応用可能だと見解した事です。

このコンテキストの中で更に重要な事は、しかしながら、どの様に - 神、空間、宇宙の - それぞれの渦巻きが、機能の一連、またはそれらの正反対として描写されるかも知れない事を描く図表です:

神(θεος)      宇宙(Κοσµος)    空間(Τοπος)
{f₁、f₂、f₃}           {-f₁、-f₂、-f₃}        {-f₁、f₂、f₃}
f₁:知識            -f₁:無知           -f₁:無知
f₂:不動/静止         f₂:運動            f₂:不動
f₃:無形/霊体         -f₃:有形           f₃:無形


(Sic.)

その隠喩のヘルメスのヴァージョンは故に、機能 f₁、f₂、f₃、またはそれらの正反対の定義において描写されたテーゼである神(God)、そしてアンチテーゼである宇宙(Kosmos)の間の融合を形成している空間(Space)自体と共に、ヘーゲル的な弁証法の定義においてとても上手く当てはまります。

どうしてかを理解するために、私達はその機能 f₁、f₂、f₃と、以前のページ上の図表におけるそれぞれの渦巻き(i.e. 螺旋)の近辺における、はっきりとした、または厳密的でトポロジー(位相幾何学)的な部分のシギル(お守り)として、神、宇宙、そして空間の定義を受取り、そしてそれらを空っぽのハイパー・セット(空集合としてモデルするために、ヘルメス的な形而上学(精神/哲学)的な描写を分配する事と供によって、その形式性を延長しましょう。コンビネーション(融合)的な機能が、空っぽのセット(空集合)の一連に成る事が可能なので、すると、神(G)、宇宙(K)、そして空間(S)のために、それぞれ、ØG、 ØK、ØS の融合的な機能が可能なので、人は直ぐに、機能的な特徴の全く異なる一連から結果する、格子的な働きを理解するかも知れず、正しく、プロティヌスの場合においての様にですが、とても異なった通り道を通してで;

ØG = {f₁、f₂、f₃

ØK = {-f₁、-f₂、-f₃

ØS = {-f₁、f₂、f₃}。

その隠喩のヘルメスのヴァージョンにおいて、空間は、その他の2つの部分 - 「神」と「宇宙」 - から派生した機能的な要素をそれが構成するので、その2の間の共通的な「表面(無 C )」として考えられる事に着目して下さい。故に、再びもう一度、私達は、親しみのある3つの存在を有し:

1)無の「囲まれた」部分、または Ø A-E、もしくはヘルメスの「宇宙(K)」;

2)無のその他、または Ø E-A で、ヘルメスの「神(G)」で;そして、

3)その2つの部分(無 A, B)が分かち合う「(共通の)表面(無 C)」、または ∂ØA-E|E-A で、ヘルメスの「空間(S)」です。²⁶

(2) Androgyny in the Hermetica
(2)ヘルメティカにおけるアンドロジニー     63


Transhumanism, Joseph P. Farrell & Scott de Hart, The Byte Show
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