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キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第24章

CHRISTIANITY: AN ANCIENT EGYPTIAN RELIGION
AHMED OSMAN
キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第24章
アフメド・オスマン著

パート3

第24章: 結論


私達は今、旧約聖書と新約聖書の、聖書的な説明の歴史的な中核が、エジプトから由来したと理解する事が出来ます。聖書の主な登場人物達の全ては、紀元前15世紀と14世紀の間にエジプトを統治したトトメス(トート・モーゼス)的な王朝に、直接関連していました。王デーヴィッドと、家長アブラハムは、同年代で、同じ妻、サラを分かち合い、そしてイスラエライト族の祖と成り、エジプトの王族に深く関連していました。王アケナーテンが、アテン、またはアドナイの光における、異なった神々と、天界的な現れの全ての背後の一つの力を認識する事ができた時で、そして彼の後継者ツタンカーメンが、人のスピリットは神の永続的なスピリットの一部として認識することが出来た時で - 私達の哲学的、そして宗教的な理解において、大いなる革命が起こったのは、この期間の間でした。

ですが、その世界は、それらのヴィジョンを受け入れる準備が出来ていませんでした。アマルナ(政権)の崩壊と共に、両方の偉大な指導者達の記憶は、エジプトにおいて公式に隠蔽(いんぺい)され、そしてイスラエル(パレスチナ)においては、完全に忘れられました。エジプト人達が、彼等の昔のカルト(信仰)を復帰させた間、イスラエライト族は、アシュタロス(アイシス/イシス)とバアルの様な、カナーン族(カインの子孫/セファルディ・ユダヤ)の新たな神々を応用しました。彼等の指導者の死の8世紀後の、紀元前6世紀におけるバビロニアの追放(奴隷化)の期間に成ってから、ユダヤの書生達はモーゼス(アケナーテン)の名前と彼の教えを復帰させた間、彼の後継者ジョシュア(イエス)の乱暴な死は、否定し続けました。エジプト人達は、対照的に、アレクサンドリア(の街)において、ギリシャ語へと聖書が翻訳されたのに続いて、彼等が「イエス」の名前を使う前に、ツタンカーメンをオシリス、ヘルメス、そしてセラピスに関連させる事によって、彼の記憶を保存しました。イエスは、紀元前3世紀半場において産出された聖書の中で、モーゼスの後継者に与えられた名前であるためでした。

紀元前の最後の世紀の間、2つの類似していましたが、別々のグループが発達し:ジュデアとエルサレム(パレスチナ)におけるユダヤ-キリスト教のエッセネ派と、エジプトとアレクサンドリアのジェンタイル(非ユダヤ)のグノーシス派でした。聖者ピーター(ペトロ)がエルサレムのコミュニティーに帰属した間、聖者ポール(パオロ)はエジプトの運動において洗礼されました。エルサレムの教会が、しかしながら、西暦1世紀において、人数的に4,000人程度に限られていたのは、西暦70年のローマによるエルサレムの破壊に続き完全に消滅するまで、ユダヤのコミュニティーの中からのみ、その入門者達を改宗させたためです。ローマ帝国中の様々な地域の全てに広まったのは、エジプトのジェンタイル(非ユダヤ)の教会でした。

新たなエジプト的な宗教の運動の大規模な成功はしかしながら、ローマの権威に対する脅威を体現し、それ(ローマ)はエジプト的なキリスト教徒達への迫害を決して止めませんでした。ローマが、地中海周辺の全ての国々を支配した時でさえ、アレクサンドリアは主要で国際的な宗教の中心地でした。ですから、ローマの教会の神父達が、彼等の権威の下で、ヒエラルキー(ピラミッド型)の聖職的なシステムを確立する事を求めた時、彼等はローマの政治的な権力によって後押しされました。彼等の権威のための正当化の彼等の必要性において、ローマの神父達は、キリストがスピリット的な形状においてのみでは無く、物理/肉体的に彼の弟子達の前に現れ、地球上における彼の代理として、この神父的な権威を彼等に手渡したと主張しました。聖者ポールが、彼のキリストとの出会いが、唯一スピリット的であったと、彼のガラテア人達への手紙の中ではっきりさせたので、彼等(神父達)はこの部分においてピーターを選択しました。西暦44年において、パスオーヴァーの祝日の数日後に処刑されるために、ヘロッド・アンティパスによって囚われた牢獄から、ピーターが脱獄する事を許すために、使徒言行録の中に、奇跡的な説明が与えられました。これは、ピーターがローマを訪れ、彼がキリストから得た権威を、その教会(ヴァチカン)に手渡したと言う、ローマの神父達の強調によって続かれました。イエスが現れた処としてパレスチナが選ばれたのは、これがピーターの国であったと言うのが主な理由でした。彼の誕生のために12月(冬至)が時とされ、そしてベツレヘム(飼い葉おけ/太陽神経叢)が場所とされ、そしてポンティス・パイレートの時代の磔(神経交差)が、その教義の一部に成りました。

プトレミー(プトレマイオス)1世は、セラピスの新たな統一的なカルト(信仰)を確立し、そしてアレクサンドリアにおいて、その信仰の中心に成る様に、セラペウムを建てました。それに続いた旧約聖書のギリシャ語への翻訳の後、それは学者達に広く利用可能に成り、新たなキリスト教の定義における、エジプト人達とユダヤ人達の間の哲学的、そして神学的な論争に結果しました。この発展がセラペイム、寺院、そして(大)図書館の中で起こった間、この組織は新たなグノーシス派的なキリスト教徒の哲学の中心に成りました。キリスト教がローマに、そして同時にローマ帝国のその他の多くの地域に届いたのは、このアレクサンドリアの中心からでした。

ローマの教会が、どの様にして確立されたのかは、誰も知りません。使徒言行録も、早期の神父達の記述も、どの様にしてキリスト教がローマに届いたのかを説明しません。私達が、以前に見た様に、ローマの歴史家、スエトニウスは、西暦40-50年の、皇帝クラウディウスの時代の間の、ローマからのクレスタスの支持者達の追放を記述します。これが示唆するのは、西暦49年に、聖者ポール(サウル)がコリント、またはエフェサスに行く以前でさえ、ローマにおいてキリスト教徒達のコミュニティーが繁栄していたと言う事です。ネロの時代(西暦54-68年)までに成ると、ローマにおけるキリスト教徒のコミュニティーは、既に大規模なサイズに成っていました。キリスト教はどの様にして、一番最初にローマに届いたのでしょうか?

キリスト教が其処に辿り着くためには、唯一2つのルートが可能で;ジュデア(パレスチナ)からのユダヤ人の奴隷達と移民;またはエジプトから帰京したローマ人の兵士達と共に、もしくはエジプトの神秘主義のカルトと共にでした。キリスト教がエルサレム、またはアンティオークからローマにやって来たと言う証拠は存在しないので、唯一可能なルートは、それがアレクサンドリアのアポロスを通してコリントに届いた様に、アレクサンドリア(エジプト)からでした。アイシスとセラピスの神秘(主義)は紀元前100年以前にでさえローマに届き、そしてアイシスとセラピスの寺院は、有名なパンテオン(万神殿)から遠くないキャンパス・マルティスにおいて確立されました。それは膨大な構造で、その中央部分は420フィートの長さで、ライオンとスフィンクスの列で飾られた柱廊の中庭を通る事によって接近されました。その寺院の場所は現在、聖者イグナジオの教会の、コレジオ・ロマノ、聖者マリア・ソプラ・ミネルヴァの教会のアプス(後陣)、ヴィア・デル・ピエ・ディ・マルモの一部です。セラピスは一般的に顎髭を生やしていると表され、ゼウス(ジュピター)、またはアスレピウスの様な杖を持ち、ヘデス(プルートー)の人格化によってまたまとわれた、象徴的なモディウス、またはカラトスを着て - 天辺が広い、シリンダー型の長い帽子をかぶり、時には3つの上向きの葉っぱの枝で装飾されています。キリストの様に、彼は病人を治癒し、眠りの間に人々に現れる能力を有していました。彼の寺院に帰属された神官達は、エジプト人達、またはギリシャ系エジプト人達によって構成され、彼等の多くはアレクサンドリアの出身、または其処で教育された人達でした。

ジェンタイル(非ユダヤ)達の中のキリスト(オイル)の早期の信仰者達はまた、セラピスの信仰者達であったのは、よく知られた事実で、そしてこの早期の時代において、どの様にしてキリスト教がローマまで届いたのかを理解するのは簡単です。これは、西暦19年に、タイベリアスがユダヤ人達と、セラピスの信仰者達をローマから追放した事実によって確認されます。キリスト教は、セラピスの信仰の様に、ローマ人達によって、もう一つの神秘主義として考えられていました。キリスト教が、その首都(ローマ)において最初に証言された時である西暦1世紀の前半の間、アイシス(イシス)とセラピスの信仰は、疑う余地無くローマにおいて最もさかんでした。その新たな信仰が、アレクサンドリアを通してローマに辿り着いた事実は、その2つの教会がより親密に成る助けには成らず;対照的にそれは、キリスト教の運動の主導権をかけて、それらを争わせました。西暦2世紀の最も早い時代から - 政治的な権力の中心であった - ローマの新たに確立された司教達は、その帝国の全てのキリスト教教会に対する、彼等の権威を確立する、彼等の意図を現れさせました。現在の形状における新約聖書の教会法令、その教義、そしてその教会の制度的な構造は、西暦2世紀の終わりにかけて、唯一ローマにおいてのみ台頭しました。聖者ポールだけでなく、ジェンタイル(非ユダヤ)の教会のその他の早期の使徒達も、教会を運営するための神父的な権威を組織化しませんでした。西暦1世紀の教会はヒエラルキー的な組織では無く、神父的な統治者も有さず、その間、そのコミュニティーの長老達が、洗礼と聖体(パンとぶどう)の儀式を監督しました。この期間の間に、様々に異なり、そして複雑でキリスト教的なグループの中で、数々の福音書が流通しました。西暦1世紀の終わりに成ると、しかしながら、幾つかのコミュニティーの神父達と長老達は、彼等自身を司教として確立し、彼等のコミュニティーを統治し始めました。司教達の現れと共に、西暦2世紀の間に新たな3重の聖職的なシステムが台頭し、そして元々、多種多様だった教会の指導者の形状を、教会のオフィス(役職)の統一されたヒエラルキーへと変えました。西暦200年に成ると、キリスト教は、ヒエラルキー(ピラミッド型の縦型社会)的な制度に成りました。

グノーシス派のキリスト教徒達がローマの権威を受け入れる事を拒んだ時、キリスト教の運動は、2つのグループへと分裂し:ローマのオーソドックス(主流派)とエジプト的なグノーシス派でした。グノーシス派の先生達は、しかしながら、この新たな発展に反対し続け、それらの教会の役人達は、権威など持っていないと主張し、全ての信仰者達は同等だと強調し、そして救いは個人的な経験の結果であると考えました。ですがローマの教会は、教会の大半によって補佐され、その他全ての見解を異端として否定する指導的な役割を担いました。新たな秩序(組織)の神聖な権威を強化するために、司教達はグノーシス派を攻撃し、彼等が異端者達であると非難しました。ジェンタイルの教会が確立されたのはポールの福音書に基づいてでしたが、そのコミュニティーの台頭してきた神父的な統治者達は、彼等の権威を正当化するために、聖者ピーターとエルサレムの教会を利用しました。その後、この矛盾は、彼等の聖職的な権威を確立する事を求めた、新たに台頭してきた司教達と、彼等に反対したグノーシス派のキリスト教の先生達の間の争いに発展しました。故に元々の、ピーターとポールの間の - エルサレムのユダヤ-キリスト教と、アンティオークのジェンタイル(非ユダヤ)の間の - 争いは、オーソドックスのローマと、アレクサンドリアのグノーシスの間の、ジェンタイルの教会自体の内部の争いによって取って変わられました。

ローマの司教達のための好機は、西暦4世紀において皇帝コンスタンティンがキリスト教に改宗し、そして彼等に政治的、そして法的(legal)な権威を与えた時に訪れ、それを彼等は、彼等の地位を強化するために使いました。アレクサンドリアの最終的な敗北は、皇帝テオドシウスの時代に、アレクサンドリアにおける彼の司教、テオフィルスが、セラペウムを破壊し、そしてその帝国の宗教的な中心が、その後、ローマのヴァチカンに移された後に続きました。アレクサンドリアの大図書館が破壊され、ローマ教会の説明に一致しない全ての文献は異端とみなされ焼かれ、そしてオーソドックスの教義に同意しない全ての宗教的な先生達は罰せられました。この出来事の後の10世紀の間、中世として考えられる様に成った時代において、唯一聖書とローマの教会(ヴァチカン)の教えのみが、知識と教育の源泉として許されました。

これが、キリスト教のエジプト的な起源が、どの様にほぼ16世紀にも渡り、隠され続けてきたのかです。近代ヨーロッパの考古学者達の御蔭で、死海書やナグ・ハマディの図書館の様な失われた知識の写しが再び発見されました。今、聖書の背後の本当の歴史が明かされる事が出来ます。

目次:




注:
Legal 人工的な法
Lawful 神/宇宙の法則




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