• 2017_04
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • >>
  • 2017_06

♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓

ユーザリー

Usury
ユーザリー(利子/利息/金利)

http://en.wikipedia.org/wiki/Usury


ユーザリーは、貸し出す側を不当に儲けさせる不正で、非道徳的な行い。貸し出しがユーザリー的だと考えられるのは、何故なら、過度、または虐待的な金利率のためです。しかしながら、幾らかの辞書によると単に、あらゆる金利を課す事の全てがユーザリーとして考えられます・・・

その用語は - 他者の不幸を利用すると言う様な道徳的に非難する感覚 - または金利が法律によって管理されると言う感覚において使用されます。ある文化(例えば、中世ヨーロッパのキリスト教圏や、今日の世界の多くの部分におけるイスラム教圏)において、貸し出しにあらゆる金利を課す事は、罪深いと考えられました。

最も早期から知られているユーザリーへの非難の幾つかは、インドのヴィーダ的な文献に由来します。類似した避難は、仏教ユダヤ教キリスト教、そしてイスラム教の、宗教的な文献の中で見つけられます。時には、太古の中国から古代ギリシャや古代ローマまで、あらゆる金利を課す貸し出しは違法化されました。ローマ帝国は最終的に慎重に規制された金利率と共に貸し出しを行う事を許しましたが、中世のヨーロッパにおけるキリスト教の教会は、あらゆる率における金利を禁止しました。

利息の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%AD%90


利子の歴史は貨幣の出現に先んじるとされる(貨幣はないため実物利子であった)。

預金に対する金利の利率が低ければ預金保有者の生活に影響が出るとして、一定以上に保つことが要求される側面がある一方で、金銭を借りる側の立場からすると、金利は低ければ低いほど良いと考えることができる。しかしヨーロッパでは、現代のような利子、それも複利の利子による経済が堂々と大規模に行われるようになったのは近世・近代のことである。現代のヨーロッパ主導の世界的経済体制の中で、利子つき金融、それも複利計算のものが圧倒的主流を占めている、という現状からすると奇異なことのように思われるかもしれないが、利子の禁止は世界史の流れの中では取り立てて特異なことではない。宗教的な側面からの利子の禁止規定は、「利息は労働なくして得る所得=『不労所得』」であるという考えが背景にある(インフレーションやデフォルトすなわち債務不履行のリスクがあり、事業・担保の評価を行わないと事業として継続していくことが不可能である金融業の立場からすると、利子を不労所得、すなわち働かないで得られる利益であるとすることはできない)。

ヨーロッパでは、中世を通じてカトリック教会によってキリスト教徒間の利子つき貸借は原則禁止されていたものの、貨幣経済が広く浸透した13世紀頃より徴利禁止の規定は次第に空文と化し、実態としては利子取得は一般的に行われるようになった。さらに16世紀には宗教改革の指導者の一人であるジャン・カルヴァンが5%の利子取得を認め、イギリスでは1545年にヘンリー8世が10%以内の利子取得を認める法令を発布した。これを皮切りとしてプロテスタント諸国では利子取得が是認されるようになった。17世紀の学者クラウディウス・サルマシウスは正当な利子を擁護する論文を書いた。産業革命による経済の活発化をみた19世紀前半には、カトリック教会も利子を容認するようになった。シルビオ・ゲゼルは金利が社会にもたらすさまざまな悪影響について考察し、自由貨幣と呼ばれる減価する貨幣の導入で金利を廃止しようとした。

「利子」は「単利」の場合のみ認めるが、「複利」(利子の額を元本に組み込んで計算する)の利子つき金融を認めない例もある(ローマ法以来、多くの立法例で複利計算は禁止されていた。日本民法においても、利息の元本繰り入れは、契約によることを要し、その旨の約定がなければ単利計算となる)。

複利計算に関しては、復古主義としてではなく、近年の脱資本主義的思想・運動からの疑義もある。マルグリット・ケネディはこのようなたとえを用いて複利計算の矛盾を問うている。

ヨゼフが息子キリストの誕生のとき(西暦1年か紀元前4年かは不詳)に、5%の利子で1プフェニヒ(100分の1マルク)を銀行に預けたとする。
彼が1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個引き出すことができることになる。

利子そのものを禁じていない文化でも、高利に対する規制は厳しいことが多かった(例えば江戸幕府の開府当初は年率20%が上限。元文1年〔1736年〕には15%に引き下げられる)が、それに対する金融業者(高利貸)は、名目上は「利子」ではない「手数料」(これはイスラーム圏でヒヤルと呼ばれるものに似ている)ということにして、取り立てていた。天保13年(1842年)の法令では法定利率が年率12%に引き下げられ、礼金・筆墨料などの名目で利子を余分に取ることなどが禁じられたが、「禁じられた」ということは、少なくともそれまで江戸の金融業者たちは、法定利率以上に徴収して利益を得ていたということが逆に分かる。

日本

律令体制の下では、国家による金融として出挙が行われた。当時、租という税として納められた米は、神への捧げものとして保管され、百姓が困窮した際に貸し与えられた。そして、収穫後には神への返礼として、借りた分よりも多い米を、神に返さなければならないとされた。そのため、日本では古い時代から利子を取ることはタブー視されなかった。

中世日本では、国家に代って、日吉神社や熊野三山などの寺社勢力などが金融を営み、米や銭の貸し付けを行った。本来金融は、古代の出挙以来、神仏へ捧げられたものを貸し付ける行為とされた。その為、中世初期には、俗人は金融に関わることができず、神仏に直属する者が行っていた。しかし、中世における貨幣経済の発展に伴い、金融は寺社勢力のみならず俗人も担うようになり、借上や土倉という金融業者が現れた。

単に借金の棒引きとイコールで捉えられることの多い、日本史で登場する「徳政令」であるが、基本的には「利息がついている契約」のみが対象であった。借金の返せない民が増え、徳政令の出番となるのは、多くの場合「元本を返済する能力があったとしても利子(鎌倉時代当時の言葉で「利平(りひょう)」と言った)が膨らんでしまう」ためであった。鎌倉時代末期には政治の行き詰まりが起こり、蒙古襲来による戦いにおいて土地も得られなかったために「御恩と奉公」を幕府の方針としたものの、土地が得られないことから借金が増大した。借金が増大したため徳政令を発布するが、結局土地の問題の解決に至らず幕府に対する反感が強まった。後の鎌倉幕府崩壊への道にもつながっていく。

ヨーロッパ

古代ギリシアの海上交易においても利子を伴う貸付は広く行われていたが、当時から利子は問題視されていた。アリストテレスはその著書『政治学』の中で、「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」(『政治学』1巻10章)と述べている。

古代ヘブライ人は徴利を禁じ、ヘブライ聖書に遺されたその掟は、同じく旧約聖書を聖典とするキリスト教徒にも影響を与えた。例えば旧約聖書には「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」 (出エジプト記22:25)、「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない」(申命記23:19)、「あなたの兄弟(中略)から利子も利息も取ってはならない」(レビ記25:35-37)と記されており、詩篇15は、利子を取らずに貸す者を「主の幕屋に宿るべき人」と称えている。また、新約聖書の「あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」(ルカ6:34-35)、すなわち利得を期待せずに無償で貸すべきであるという教えは中世キリスト教において重んじられた。キリスト教の初期の宗教会議、例えば325年のニカイア公会議では聖職者による徴利が禁じられ、中世前期にはクリシー公会議(626年)やカール大帝の「一般訓令」(789年)によってこの禁止は一般信徒にも適用された。徴利禁止は12世紀以来の教会法に組み込まれた。13世紀にはこの禁を犯した者は破門に処すべきとされた。「高利貸は神の所有物である時間を売っているのであって、他人の財産を売りさばく盗みに等しい行為だ」といった理屈は当時の人々の常套句であった。トマス・アクィナスはアリストテレスにならって「金は金を生まず」と述べ、金銭消費貸借において、貨幣本来の用途から逸脱して金銭そのものから代価を得ることは不正であるとみなした。一部の修道院はさまざまな形態の貸付を行い、中でも譲渡抵当、すなわち土地を担保としてそこから得られる収益を地代として貸付者に支払うという仕組みの貸借が多かったが、12世紀末には譲渡抵当を禁じる教令が発布された。他方、ローマ法や中世初期のゲルマン法では年利12%の利子取得が認められており、13世紀には33.5%が上限とされていた。

旧約聖書は「貧者」と「同胞」への利子を禁じているが、申命記23章20節では異邦人からは利息を取ってもよいと明言しており、中世のユダヤ人にとっては異邦人たるキリスト教徒から利子を徴収してもトーラーの教えに違反しなかった。中世ヨーロッパでは12世紀まで、ユダヤ人(および、前述のようにキリスト教の修道院)が消費のための利子付貸付の大部分を担っており、ユダヤ人は高利貸のイメージに結びつけられた。当時のユダヤ人は、農業や職工といった生産活動に従事することを徐々に制限されつつあり、狭い地域の人々を相手に利子付の消費貸借契約を行う金貸しや質屋へと転じた(後には近世の商品経済の発展につれて、広域商取引に乗り出すユダヤ人も現れ、諸侯に資金を提供する宮廷ユダヤ人は銀行家へと成長していった)。キリスト教徒の高利貸は教会法廷の管轄とされたため、世俗の裁判所に引き渡される場合を除き、過酷な刑罰が科せられたわけではなかったが、ユダヤ人と外国人の高利貸は世俗裁判所の管轄とされた。13世紀のフランス王はユダヤ人高利貸に対して過酷な法令を発布してこれを抑圧した。

中世のカトリック教会が禁じた徴利はラテン語で「ウスラ」 (usura) と呼ばれる。アンブロシウスが「ウスラとは与える以上に受け取ること」と述べたように、本来は、利率の高低の別なくあらゆる利息(ラテン語: faenus)はウスラであった。しかし教会による原則的かつ全面的なウスラの禁止は文面上のものにとどまり、実際に断罪されたのは度を越した高利貸のみであった。12世紀以降、徴利が教会法の禁止条項に盛り込まれたり、スコラ学の論題となったことは、教会の懸念の表れであり、現実には利子取得が信徒間に蔓延するようになったという事実を反映していた。経済活動が活発になってくると、利子を取るためのさまざまな抜け道が用いられるようになった。たとえば、利息分を加算した額を貸借証書にあらかじめ記載しておく、土地の売買の差額を利子として徴収する、などの偽装的な利子徴収のやり方があった。聖地巡礼者や貿易商に対して国際的な金融サービスを提供したテンプル騎士団は、十字軍やフランス王室にも融資を行い、利子の代わりに地代 (rent) を請求した(換言すれば、地代という名目で利子を取った)。やがて商業の発展とともに、キリスト教徒の商人の中から大規模な金融活動を行う銀行業者が現れた。貿易商にして両替商であるかれらは後期中世のイタリアの諸都市で大々的に金融を支え、中でもメディチ家はローマ教皇庁御用商人として財をなし、教皇庁の財政を担うまでになり、多くの芸術家を支援してイタリア・ルネサンスの発展に寄与した。13世紀に登場した新しい両替商たちは、それ以前の「金貸し」が封建領主などの「消費」のために活動したのに対し、市民から集めた資本を、貿易商人たちの商品購入資金や、工場主たちの設備投資のために、つまり「生産」と「流通」を対象に信用貸しを行った。北イタリアの金融業者はロンバルディア人と呼ばれ、カオール人と並ぶ高利貸の代名詞となった。こうしたキリスト教徒の金融業が幅を利かせるようになった現実への対処として、スコラ学では利子取得を許容するいくつかの条件が規定された。例えば、返済が遅延したことによって生じる損害の賠償という名目で利子を徴収することはウスラではなく合法とされた(ラテン語の interesse は名詞化して損害賠償金の意味で用いられるようになり、利子を意味する英語の interest の語源となった)。両替商の外国為替を通じた取引においては、利子に相当する差益が生じたが、これはあくまで貨幣の交換であって禁じられた徴利ではないと神学者たちは弁護した。このように、不当な利子であるウスラと正当な利子との区別を設けることによって、徴利の禁止は事実上緩和された。かくしてウスラは「法外な利子=高利」という意味を帯びるようになった。ローマ教皇庁も、税金や給料を払うための「補償金」という名目において、利子を取る金融を事実上認めることとなった。フランシスコ会が貧者救済を目的に15世紀に開設した公益質屋(モンテ・ディ・ピエタ)も無利子ではなく、のちにモンテ・ディ・ピエタの利子取得は第5ラテラノ公会議(1512年-1517年)で公認された。こうして中世末期までには、建前では禁じられていた利息つきの金銭貸借が現実には人目を避けずに行われるようになった。
  1. Category: None
  2. / trackback:0
  3. / Comments:0
  4. [ edit ]


Only the blog author may view the comment.

Profile

Songcatcher

Author:Songcatcher
現在地:ルネッサンス2.0









鼓動と呼吸:緊縮と拡張・・・

songcatcher@mail.com

Latest trackbacks

Search form

QR code

QR

« 2017 05 »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -