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バビロンの金融マフィア達: 第六章

第六章
錬金術が林檎の箱を引っ繰り返す

変格的な媒質(エーテル)と星々と金融マフィア達の錬金術

「太古の神秘主義の学派の間に国際的な相互関係が存在していたと言う論説のための更なる補佐は、銀細工の技術の素晴らしい例である - グンダーストラップの大釜の発見でした。ジュットランドの泥炭沼において発見されたこの椀(大釜)は、全-文化的な神々と共に装飾されていました。」
- ブライアン・デスボロ
³⁸²

ですから再び、それらの物事の全ての間の、何の可能な関連性が存在する事が出来たのでしょう?何故、私達は J.P. モーガンがテスラを隠蔽しているのを見つけるのでしょう?何故、順を追って私達は、彼の「電力無線送電」を機能させるために、テスラが「地球を鷲づかみにする」事に没頭しているのを見つけるのでしょう?何故、私達は(占星学、天文学、そして - ホーグランドがヒントした様に - 神聖な幾何学の形状において)銀行業と物理学の間の驚きの太古の関連性を見つけるのでしょう?何故、私達は、ネルソンと言う名の RCA の技術開発者が、どう見ても占星学的な図表としか見えない惑星的な図表を描いていたのを見つけるのでしょう?何故、私達は、エドワード・デューイーの様な政府の経済学者が、全ての種類のサイクルの研究のために、その生涯を捧げているのを見つけるのでしょう?そして何故、私達は、経済的な活動と物理学の間の、意識的で意図的な言及を行っているのを見つけるのでしょう?そして何故、私達は、太古の時代だけでなく、現代においても同様に、その様な調査の近辺の、銀行家達の存在を見つけるのでしょう?

A. 経済物理学

1.物理学者達が金融に進出する:原始太古の過去に対する鍵としての現代のモデル

その答えは現代において部分的にあり、そしてこの膨大で複雑な、そして太古の関係の玉ねぎの皮の層をめくり始めるために、人は新たな学術分野 - 「経済物理学」の - 台頭と、物理学者達が現代において高度な金融に進出し、彼等と共に応用された数学の、彼等の技術と道具、そして分析をもたらした際に何が起こったのかを検証しなければなりません。

その用語、「経済物理学」は、2つの物事を反映するために、1990年代の中期に H. ユージーン・スタンリーによって実際に造語され³⁸³:最初に、それは実際の基準的な学術、または実験的/研究的なキャリアにおいて可能なよりも、より高い給料の土台と、応用された数学的な分析の使用の機会を、金融的なセクターが頻繁に供給したので、そのセクター自体への学位を持つ物理学者達の大規模な流入を反映するためにデザイン(造語)され、そして第二に、それは、物理学者達が量子力学において発達させた統計学的な分析の技術を、経済的、そして金融的な分析自体の問題に応用するために得られた、物理学者達の没頭に反映的でした。

その様なものとして、経済物理学は「間学術的な研究の分野で、元々、物理学者達によって発達させられた論説と手法を経済学における問題に応用する事で、通常、それらに含まれているのは、不特定性、または確率的な行程と非-直線的な流動性(ダイナミクス)です。³⁸⁴ この関心に刺激を与えたものは、部分的に、ウィキペディアの記事によると、「1980年代から始まった、金融的なデータの莫大な量の利用の可能性でした。」³⁸⁵ 勿論、前述された様に、これが正確な真実では無いのは、更にもっと以前まで遡り、商業庁とその他の情報源、そしてその他の国々から利用可能なデータの膨大な量が存在していたためで、エドワード(デューイー)とサイクルの研究のための財団に使用されたデータベースであり、そして主要で国際的な銀行の経済学者達の幾らかを含むその会員達によって知られていたデータベースであったためです。

金融と経済のシステムに対して彼等の技術を応用するこの研究に対して物理学者達を特に引き寄せた一つの事は、正に経済学において頻繁に、非-均整の一般的な状態がはびこっていたためで³⁸⁶、つまり、資源、資産等々の均一的な分配が存在するシステムを、人が決して扱っていないと言う事のためでした。物理学者達と科学者達は、つい最近 - 1960年代において - 非-均一的で物理的なシステムと、それらの驚きの自己-組織化する能力を研究し始めたばかりで、経済学の彼等の研究のための動機が鮮明に成り:物理学者達は、人類に対して知られている最も悪名高き非-均整のシステム - 経済的なシステムを - 研究する事によって、物理的な世界におけるその様なシステムの能力の彼等のモデルが、経済的なシステムにおける自己-組織化のモデルに対して、幾らかの成功と共に応用される事が可能で、その土台の上で貴重な予測が出来ると考えたためです。直ぐにこれから目撃される様に、これは経済的なシステムにおいて関わっているより深い物理学の可能性に対する重要な手掛かりです。

簡潔に述べると、量子力学が経済学に進出し、そして何故なのかの理由は比較的に認識するのが簡単で、何故なら経済的な活動が「多くの異質の媒体の間の相互関係の結果で、そして多くの粒子が相互関係する統計学的なメカニクスを共にした類推が存在する」ためです。³⁸⁷ そしてこの新たな間学術的な試みにおける鍵の道具は、「統計学的なメカニクスの経路積分」の使用でした。³⁸⁸

ですがこれは正確に、何を意味していたのでしょう?

最初の示唆は、現代における経済的な研究への物理学者達の流入を、太古の時代において起こった事の類推として人が使用し、そしてより深い物理学の「高度な知識」を共にした者達が、高度な金融の世界、つまり彼等の現代の子孫達の様に、生活水準と個人的な資産を改善する事を求めて寺院に進出し、この同じ様な事が太古の時代にもまた起こっていたと仮定する事です。そしてそれらの神聖化された建物と部屋に一度潜入すると、彼等は当時の銀行家達である「ブリオンの売買人達」と連合しました。それが大規模な宇宙戦争の直後の不可欠な休戦だったのは、もし失われた科学と科学技術が最終的に再構築されるためには、沢山のマネー、そして沢山の科学的な専門知識を必要とするためで、そして両方が、太古の時代において、寺院の中にあったためです。

二番目の示唆は量子力学自体の詳細な検証を必要とします。

2.量子力学、太古の占星学、そして統計学的なアプローチ(近づき方)

人は、その原理的な原則、ヘイゼンバーグの不特定原則自体を考える事によって、量子力学の統計学的な本質の理解を得る事が出来るかも知れません。簡単に述べると、その不特定原則は、もし人がエレクトロン(電子)の速度を測定すると、人はその位置を測定する事が出来ず、そして正反対に、もし人がその位置を測定するなら、その速度を測定するのは不可能であるとします。故に、量子力学は幾つもの粒子の振る舞いを全て同時に考える時に、その振る舞いをモデルするために、統計学的な可能性の観測と集計に頼らなければならないと言う事です。

もし人が、占星学も同時に含めて、太古の文献を表面上の価値でとると、同じ事が真実なのは、量子力学、そして時間をかけて勤勉に行われた無数で測り知れない観測、更にその膨大な数の相互関係に対する統計学的なアプローチと共に、まさに現代的な類推が存在するのは、これが正しく太古の時代においても、人が出くわすものであるためです。実際に、以前にも記述された様に、バビロニアの「前兆の粘土板」は、惑星的な配置/配列と一致的な地球上の活動と効果の天文学的な観測 - 私達が現在、占星学と呼ぶコンビネーションが - 数百万年を超えた以前に行われていた事を示唆します。これは故にブリオンの売買人達の他に、その寺院において機能していた、何らかのその他の隠された影響力が存在していた事への、更なるもう一つのサインで、そしてその影響力は、彼等の観測のリストを収集していた、太古の占星学者-天文学者達自身のものでした。以前の章から、太古の国際的な「ブリオンの売買人達」が、様々な寺院の神官(官僚)階級-占星学者達と共謀していたのは明らかです。

3.李博士のガウシアン・コーピュラと物理学の類推:複数体の問題

量子力学の統計学的なアプローチ、そして数千年に渡る太古の天文学的、そして占星学的な観測によって示唆されるものは、少々、興味深いルート:複数体の問題を通して、デーヴィッド・李博士のガウシアン・コーピュラに直接関連しています。その問題は、粒子の質量の集合体の振る舞いをモデルする事の難しさに対する正確な類推です。ですが、人がモデルされるためのシステムに更にもっと運動している質量を加える際に、全体的で流動的なシステム、またはその中のあらゆる個々の構成要素の振る舞いを扱い、正確に予測する数学的な脳力が劣化し始め、エラーのマージン(幅)が大きく成ります。李博士は、勿論、経済的な活動の相関性の彼の「複数体の問題」を、十分に予測可能な様に、統計学的なアプローチ(対処の仕方)によって解決し、それは経済的な活動へと、ランダム(非-一貫性)の可能性を含ませました。

ですがもし、量子力学の非-一貫性が、それ自体、より深い物理学の結果だとしたらどうでしょう?そして、もしそれがそうであるなら、そして「経済物理学」は物理的なモデルの経済学への応用でしかないので、そのより深い物理学はまた、経済活動のより深い物理学に成るのでしょうか?

4.より深い物理学:

a. デーヴィッド・ボームの隠された変数の量子力学と関連した秩序


この問いによって示唆された、より深い物理学は、その最も有名な説明者の一人で、よく知られたプラズマと量子の物理学者であるデーヴィッド・ボームの検証を行う事によって、直ぐに理解する事が可能かも知れません。ボームが最も良く知られているのは、実際に、量子力学の理論の彼の「隠された変数」版のためで、その中で、物理学者達によって観測され、測定された量子力学の「ランダム(非-一貫)性」(ボームの「詳細に説明する秩序」)は、より深く、そして更に秩序化された超越-次元的な現実(ボームの「関連した秩序」)に対して示すと理解されます。ボームはそれらの見解の一般的な扱いを全体性と関連した秩序と題された本の中に概要し、そして彼のアイデアの私達の検証が基づくのはこの本です。

ボームにとって、量子力学の発達の全体は、この超越-次元的な「関連した秩序」の現実的な存在を示していました:

「人が発見するのは・・・数学的な方程式の意味の思考、そして実際の実験の結果の両方から、様々な粒子の間の相互関係のあらゆる力の定義において説明する事の出来ない、より高い-次元的な現実性の投影として、それら(の粒子)が文字通り理解されなければならないと言う事です。」³⁸⁹

言葉を変えると、ボームは、この章の始まりにおけるリチャード C. ホーグランドと殆ど正しく同じ事を言っていて:粒子は、回転している質量として、そしてその振る舞いが統計学的な集合体として測定された時に、私達自身の世界へと、超越-次元的な現実性を「ゲート(門)」するポータル(出入り口)であると言う事です。ホーグランドが、しかしながら、とても大きな質量、i.e. 恒星の物理学の超越-次元的な示唆を考慮している間、ボームはとても小さなもの(粒子)の物理学の超越-次元的な示唆と共に考えています。これは、その関わっている物理学がスケール(大きさ)不変数(定数)であると言う指標で、つまり、物理学がそれと共に扱う対象物のスケールの幅(変化)の全体に対して応用可能であると言う事です。

この超越-次元的な世界と私達自身との相互関係のボームの適切な類推は、プロジェクション(投影)です。「私達は、透明な壁を共にした四角い水槽と共に始めましょう」と、彼は述べます。³⁹⁰ 彼はその後、2つのテレビ・カメラを共にした水槽の図表を産出し、(カメラの)一つは水槽の一方の側(側面)に向き、そしてもう一つは互いから直角の側に向いています。それぞれのカメラ、「A」と「B」はそれぞれ、一つのテレビのモニターに接続されています。小魚が泳ぎ回る際に、その2つのカメラからの画像が、そのモニターに送られます。ボームはそれから、以下の様にコメントします:

「私達が其処に観るのは、2つの画面に表れている映像の間の特定の関係性です。例えば、画面 A の上で私達は小魚の映像を観て、そして画面 B の上でもう一つのその様な映像を観るでしょう。与えられた瞬間が何時であれ、それぞれの画像は一般的にお互いから異なっている様に見えるでしょう。そうであれ、一つの画像の中で特定の運動が行われるのが観られた時、その他の画像の中でも連動した運動が行われるのが観られると言う感覚において、その違いは関連していています。更に加えて、主に一方の画面の内容だったものが、もう一方の方に移り変わったり、またその逆も然りです(e.g. 元々、カメラ A の方を向いていた小魚が直角に体を入れ替えると、画面 A の上にあった映像が、今度は画面 B の上で見つけられます)。故に一方の画面上の映像の内容は常に、もう一方と相関し反映します。」³⁹¹

言い換えると、私達の三次元的な世界は、関連した運動を共にした異なった角度から知覚されると、単一的で超越-次元的な対象物を、分離されたものへと分解する「プリズム」の一種としての役割を果たします。

ボームは、高い-次元的な現実性からの投影としての、私達の三次元的な現実性のこの見解と、量子力学の知覚の上のその効果と、そしてその根底にある関連した秩序を、この章の始めにおける、恒星についてのホーグランドのコメントを不気味にも思い出させる言葉と共にまとめます:

「・・・(私達は)システムを構成しているそれぞれの「粒子」を、別々の粒子としてよりもむしろ、共通の三次元的な空間の中のその他全てと共に、「より高い-次元的な」現実性の投影として考えられるかも知れません。例えば、私達が以前に触れたアインシュタイン、ポドルスキー、そしてローゼンの実験において、単一の分子を形成するために、元々結合されたそれぞれの2つの原子は、六次元の現実性の三次元の投影として考えられるかも知れません。」³⁹²

しかしながら、このより深い物理学の可能性の全体の範囲が、完全に見解へと現れるのは、ボームがこの見解の示唆を考えるために振り向いた時で - 現代においては触れるまでも無く! - 太古の時代における金融マフィア達と寺院の関係のための理由が、少々鮮明になります。

それらの示唆が現れる様にするために、ボームは以下を記述する事によって始めます:

「・・・量子理論がフィールド(場)に応用された時・・・このフィールドのエネルギーの可能な状態は不連続(または量子化される)と発見されました。そのフィールドのその様な状態は、ある意味、空間の広い地域の上に広がっている波の様な興奮(波動)です。そうであれ、それはまたある意味、そのフリクエンシー(振動率/周波数)に対して比例的なエネルギー(そして推進力)の不連続な量子で、つまり、その他に意味においてそれは(e.g. フォトン/光子の様な)粒子です。しかしながら、もし人が空っぽの空間における電磁的なフィールドを、例えば、考える時、量子理論から人が見つけるのは、フィールドの興奮(波動)のその様な「波-粒子」のモード(種類)のそれぞれは「ゼロ-ポイント」エネルギーと呼ばれるものを有し、たとえエネルギーが可能な限り最小限まで落ちても、それ(ゼロ-ポイント)以下まで下がる事は出来ません。もし人が、空間の何らかの地域における興奮(波動)の「波-粒子」のモードの全てのエネルギーを足し算するなら、その結果が無限なのは、何故なら波長の無限の数が存在しているためです。」³⁹³

私達が先に進める前に、一時停止して、ボームがどの様に、そのゼロ-ポイント・エネルギーを特徴化させたのかを考える事が必要です。ボームにとって、前述された引用が鮮明にさせる様に、このエネルギーは空間自体の量子化された本質の結果で、そしてこの量子化が、その中の - 圧縮(密度の上昇)と粗鬆化(密度の減少)のエリア(範囲)の - 波の様な構造の結果であると言う事実でした。

これが何故そうなのかは、少々考えてみるだけで十分です。物理学者が、空間自体が量子化されていると提案する時、彼が何を意味しているのかは単純に、それが無限に分離化可能な継続性では無く、永久に更により小さな単位、またはセル(小体/細胞)へと分離可能では無いと言う事です。その理由は、ボームによると、もし空間自体が圧縮と粗鬆化(密度の上昇と減少)の波の様な構造の結果なら、するとその様な波の様な構造は必然的にその中のセルを誘導するためです。無限に分離可能な継続性として現れるものは、故に、本当は、真空の空間のあらゆる特定の地点において存在する、波長の無限の数に唯一由来するものであるためです。

この概念はボームが、空間自体の量子化に向かう次の一歩の仮定を行う事に繋がります:

「・・・更にもっと、より短い、短い波長に対して一致する様に、人がエネルギーを足し算し続ける必要は無いと提案する良い理由があります。粗鬆化のモードの合計の数、そして故にエネルギーが無限に成る特定で最短の可能な波長があるかも知れないためです。」³⁹⁴

私達はこの「最短で可能な波長」を、「ボームの波長」として呼びましょう。

この「ボームの波長」 - 波の様な現象がそれら自体量子化されると言うアイデアは - 此処において探求されている「より深い物理学」の一種のために深遠で巨大な示唆を有しています。一つを言うだけでも、この知られざる波長は、メイソン的な伝統の「失われた言葉(音)」の様に正しく聞こえ、または球体のハーモニー(調和)の秘儀的な教義の「失われた和音」の様に聞こえ、その和音は、その後者がそのハーモニック、または倍音の一連でしかないので、何らかの方法で物理的な創造の全てを一緒に結び付けるフリクエンシー(振動率/周波数)です。

この概念は、とても大きなものの物理学と、とても小さなものの物理学の統一の可能性のために、膨大な示唆を有していました。

「実際に、もし人が量子理論のルールを、現在受け入れられている一般相対性理論に応用すると、人が発見するのは、重力的なフィールドがまたその様な「波の粒子」のモードを構成し、それぞれが最小限の「ゼロ・ポイント」エネルギーを有していると言う事です。その重力的なフィールドの結果として、そして故に距離によって意味されるものの定義は、完全に定義する事が出来なくなります。その重力的なフィールドに対してより短く、更にもっと短い波長に対して一致している興奮(波動)を私達が加え続ける際に、私達は、空間と時間の測量が完全に定義不可能に成る特定の(波の)長さに辿り着きます。これを超えると、私達が知るものとしての空間と時間の概念の全体が、現時点においては特定不可能なものに変化します。ですから空間の「ゼロ・ポイント」エネルギーに対して貢献していると考えられるべきは、この最短の波長であると、少なくとも事前仮定的に、示唆するのは妥当でしょう。」³⁹⁵

端的に、その波長を見つければ、人は時空間とその中にある全てを技術開発するための能力を見つけます。人は、人が望む目的が何であれ、そのために利用可能な、エネルギーの実質的に無限な源泉へと接続する事が可能です。加えて、ボームの明言がまた示唆するのは、このフリクエンシーを見つける事はまた、重力自体を操作する道への一歩に成ると言う事です。

ボームが、更に加えて、技術開発の可能性のこの示唆をはっきりと見解するのは、物質自体の正に「構築と構成」のための彼の見解の鮮明な示唆を、彼が認識するためです。実際に、彼は「ボームの波長」を構成する正にフリクエンシーの推測を与えるまで遠く行きます!

「この(波の)長さが推測された時、それは約10⁻³³cm でした。これは、今までに物理的な実験において徹底調査された何よりも短いものでした(それまでは、およそ10⁻¹⁷cm 前後でした。もし人が、この可能な限り短い波長と共に、空間の1立方センチメートルの中にあるだろうエネルギーの量を計算すると、知られている宇宙の中の全ての物質の総合的なエネルギーを遥かに超えたものでした。

「この提案によって示唆されたものが何かと言うと、私達が空っぽの空間と呼ぶものが、エネルギーの膨大な背景を含んでいて、そして私達が知るものとしての物質は、この背景の上の小さな「量子化された」波の様な興奮で、むしろ大海原の上の小さなさざ波の様なものです。」³⁹⁶

この全ての示唆について更に考える前に、その様な見解において示唆された凄まじい力について、ボームを引用するには価値があります:

「此処において示唆されているのは、すると、私達が感覚(五感)を通して空っぽの空間として知覚するものは、実際には物質が充満した空間(i.e. エーテル)で、それは、私達自身を含めて全ての存在のための土台です。私達の感覚に対して現れる物事は派生的な形状で、そしてそれらの真の意味は、私達がその物質が充満した空間を考えた時に唯一見解される事が可能で、その中でそれらは派生させられ、そして保たれ、そしてその中へと、それらは究極的に消滅しなければなりません。

・・・

「私達のアプローチにおいて「ビッグバン」は実際に唯の「小さなさざ波」として考えられるべきです。実際の海の真ん中において(i.e. 地球上で)無数の小さなさざ波が時々、その様なフェーズ(段階)の関係性と共に幸運にも一緒に成り、空間の特定の小さな地域において集り、あたかも何処からともなく、そして無から突然現れたとても大きな一つの波を創造する事を考える事によって得られるイメージは興味深いでしょう。恐らく、この様な何かが、宇宙的なエネルギーの膨大な海において起こり、突然の波のパルス(衝動)を創造し、それから、私達の「宇宙」が産まれたのかも知れません。」³⁹⁷

ボームがたった今明言した事をとても慎重に観測してもらいたいのは、それがそれに続く全てにとって重大なためで:物質自体が、その多様化された形状の全てにおいて、様々な波長の幾つもの波のインターフェロメトリー(干渉法) - 「混ざり合い」の - 結果で、それらの全てが、順を追って、「ボームの波長」のハーモニクス、または倍音であるためです。それは波の混ざり合いによって情報とシステムを、無から創造するための物理的な媒質(エーテル)の脳力の正に科学技術;錬金術です。そしてボームの見解にはもう一つの最後の成り行きがあり、そしてそれは、その様な波に対して相対的なシステムに、または、むしろその様な波が派生させるシステムに安定性を与えるための、最も簡単な方法は、回転を通してです。

この見解から成行きが必然的に続き、つまり、回転している物質的なシステムは - 星々であれ、または粒子であれ - 故にその様な波の自然的なレゾネーター(共振器)で、そして故にその様な波の干渉のパターンを理解するために人は、地域的な時空間の幾何学的な配置を故に観測しなければならないと言う事です。端的に、ボームは、物質が「ポータル(出入り口)」であり、このより高い次元的な現実性とそのエネルギーへの一見であると言う彼の見解と共に、2つの物事のための論理を供給し:占星学との太古の没頭、そして錬金術との太古の没頭で、両方が一つで同じな物理学の現れであったためです。物質は、簡潔に云うと、その他の波の干渉法の縦波でしか無く;物質自体はその様な波の干渉の格子(グリッド)または型板(テンプレート)です。これが、錬金術へのリンクを形成するのは、その様なものとして、物質がその物理的な媒質のフィールドの中の情報として派生するためです。簡潔に述べると、物質は変化可能、または錬金術の言語に入れると変格可能で、その物理的な媒質自体である、一段と優れた賢者の石が、物質的な創造の多様性へと、それ自体を変格させるためです。物質をその様な波の干渉法の型板とするこのアイデアは、次の章の中で私達が、特定の地球の格子(龍脈/レイライン)に沿って配置された神聖な寺院を検証する際に鍵の役割を果たし、そしてそのまとめにおいて、この本の中の様々なデータ・ポイントの全てを一緒に結び付ける接続的な概念として、更にもっと重大な役割を果たします。

b. サイクルの研究のための財団が類似した事に気付く

十分に奇妙な事に、サイクルの研究のための財団が、とても類似した事に気付きました。私達は既にその財団の設立者、エドワード・デューイーが、そのデータベースの中の多くのサイクルを波の形状に対して比較し、そしてサイクルの様々な波が、音波の様に一緒に「平均化される」事が出来る事実に気付いた事を検証しました。

その財団の会員の一人、レイ・トムズは、その財団の1990年2月の集会において公表された興味深い論文を書きました。その論文の題名は示唆と共にはらんでいて:「サイクルの統一化された理論に向かって」でした。その中で、トムズは、デューイーとダーキンの音波の類推を、息を奪う様な結論へと探求します:

「最終的に私は、トウモロコシの価格・・・の中に存在するフリクエンシー(頻度)のパターンが、ピアノの上の白い鍵盤の並びのフリクエンシーと同じであると気付きました・・・これは奇妙で、そして私の以前の共通の経済的なサイクルの研究に戻ると、4:5:6:8の比率が、正しく音楽におけるそれらの主要な和音のものであると気付きました!何故、経済的な一連が、とてもゆっくりな運動において、主要な和音と音階を奏でていたのでしょう?

「調査は、サイクル・マガジンに対する何人もの貢献者達によって以前に観測され、報告された、その様なパターンを見せました。³⁹⁸ それらの内の一人は、株式市場のサイクルが、音楽的な音階に当てはまると発見した D.S. キャッスル(1956年)でした。発見されたパターンは3音階の上の幅に広がり、そして全ての7つの白い音(i.e. ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ)に加えて、少なくとも一つの音階における一つの黒い音(i.e. ♯、♭)の存在でした。」³⁹⁹

トムズの示唆は、言い換えると、単純にデーヴィッド・ボームのものと一つで同じであり、つまり、「究極的な波長」、またはその他全てがそれからのハーモニクス、または派生物である、サイクルの全ての種のフリクエンシーだと言う事です。

c. 上手く調整された鍵盤:最初の物理的な統一

その示唆は、初見において見えるよりも物理的に現実離れしたものでは無いのは、その12個の等間隔の「音」(白黒の鍵盤)を共にする現代の西洋の音楽的な音階が、実際に物理学において最初に統一された例であるためです。どの様にしてかを理解するために、人は単純な検証を行えるでしょう。もし人がアコーステイックのピアノの前に座り、静かに「C ()」の音(鍵盤)を押し、そしてその後、一音階低い同じ「C」の音を鳴らすと、人は静かに押された鍵盤の弦が、鳴らされた方の音と共に同調的に振動しているのを聴くでしょう。その理由は、単純性そのものです。そのピアノのそれぞれの弦は、それらの弦の長さの全体と共に振動するだけでなく、その長さの様々な分率においてもまた同調的に振動するためです。故に、それぞれの音が「倍音」、または音の「ハーモニック」の一連を有しています。故に、人はその後、「C」のハーモニックの一連における次の音、「G ()」を静かに押し、そして以前の様に同じ「C」を鳴らす事が出来ます。再び、人は、静かに押された「G」の音(弦)が、鳴らされた「C」と共に同調的に振動しているのが聴こえるでしょう。「G」の上のそのハーモニックの一連における次の音は、再び「C」の音で、その次の音は「E ()」で、そしてその様に続いて行きます。もし人が、ピアノの鍵盤の前に座り、この単純な実験を行っているなら、元々の「C (ド)」のそれぞれのハーモニックな倍音の間隔が、より短く成って行き、最初の音階(最初に静かに押された「ド」)、次に(ドから)五番目の音「ソ」、その後に再びもう一度(ソから)四番目であるその上の「ド」、その後、(ドから)三番目である「ミ」で、その様に続いて行きます。ですが最終的に人は、自然的に起こっているハーモニックの一連において、ピアノの鍵盤の上の「A ()」と「B ()のフラット(♭)」の鍵盤の間の隙間の中の何処かにある音に辿り着くでしょう。

C=ド、D=レ、E=ミ、F=ファ、G=ソ、A=ラ、B=シ
1 piano

ですが何故、ピアノ(または、言ってしまえばその他の鍵盤楽器)は、その(隙間の)音を有さないのでしょう?その答えは簡単です。もしその音が存在すると、キーを継続的に変化させる曲を演奏する事が不可能に成るためです。人は唯一とても制限された和音(コード)の一連しか弾けなく成るでしょう。例えば、「C」から「D」にキーを変えるために、人は文字通り(演奏を)一旦停止し、その鍵盤全体を再チューン(調整)しなければならないでしょう。ですから何が起こったのでしょう?

何が起こったのかと言うと、ルネッサンス期とバロック期の間の音楽におけるスタイル的な変化の間に、音楽家達は、ハーモニックの一連を「微妙にずらす」事、それを細工する事、または彼等がそう呼ぶ事を好んだ様に「調整」する事を学び、自然的な倍音の一連のわずかな数学的な調整を行う事によって、順を追って、12個の等間隔の音(鍵盤)を創造し、それぞれ一つひとつがその他全てのハーモニックで、そして故に音楽は、その楽器の全体を再チューンする事無く、1曲の間にそれが望むだけ多くのキーを通して変化する事が出来る様に成りました。この方法において、元々自然的に完全に重なり合わなかった、鍵盤の上のそれぞれの音のそれぞれのハーモニックの一連が、そうなる様に技術開発され、そして故に統一されました。⁴⁰⁰

端的に、そしてこの類推を頭の中に入れると、物理学者、デーヴィッド・ボームが実際に示唆していたものは、その媒質(エーテル)自体の技術開発のより深い物理学への前進の方法で、つまり - 音(音波)から電磁的な波、更に重力的な波まで - その他全てのためのフリクエンシーがあり、ハーモニクスです。彼が提案しているのは、効果的に、とても太古のアイデアで、宇宙自体の上手く調整された鍵盤の、球体の音楽そのものです。彼は秘儀的な逸話の「失われた言葉」そして「失われた和音」の、現代物理学の類推を提案しています。

d. ニコライ・コザレフの原因的なメカニクスと前兆の技術開発

もしデーヴィッド・ボームが、物理学の「上手く調整された」ハーモニックの統一の一線に沿って、物理的な媒質(エーテル)の直接の技術開発の可能性を鮮明に示唆したとして、するとロシアの天文物理学者、ニコライ・コザレフ博士は、効果(結果)では無く原因を直接技術開発する能力を示唆する事によって更に一歩先に進みました。

その様な能力が示唆するのは、コザレフが、基準的な物理学のものよりも、時間の更にもっと非-一般的な見解を持っていたと言う事です。コザレフにとって、時間は、物理的な出来事がその上で行われる受動(受け身)的な舞台である、単なる期間では無く;⁴⁰¹ むしろ、時間自体がその舞台の上の役者で、つまり、空間の様に、複数の次元的な特徴と性質を有していました。一つの類推がこの点を描写するために便利でしょう。普通の物理学は時間を、未来、現在、そして過去、i.e. 単純な期間として考える傾向にあります。⁴⁰² ですが人間の自然的な言語は:未来完了形、過去完了形(pluperfect)、過去完了形(past perfect)、能動態と受動態等々の様な様々な動詞の時制と態と共に、もっと繊細で、より深く、そして「性質的」に時間を見解します。ある意味、自然的な言語は故に、時間とシステムの間の相互関係を、物理学が行うよりも、更により深く、そしてもっと複雑な方法において見解します。

コザレフが探求しようと意図し、数学の形式的にはっきりとした言語へと翻訳しようとしていたのは、この繊細さでした。相互関係のこの複雑性と繊細さをコザレフは、与えられたシステムの「回転運動」の中に位置付け、つまり、時間の繊細さとシステムの相互関係は、相互関連していて、そして干渉している、回転のシステム、または「流動的なトーション(ねじれ力)」の一連としてモデルされる事が出来ると言う事です。⁴⁰³ 時間自体がシステムに対して - その正反対、希薄化を示唆している「圧縮」のためのコザレフの言葉である - それ(時間)自体の強度を分け与えると同時に、システムに対して回転の方向性を分け与えます。⁴⁰⁴ ジャイロスコープ、バランス、そして幾つかの場合においては望遠鏡さえ共にした、極度に繊細な実験の一連を通してコザレフは、何らかの物理的な運動の開始の前に、彼の測定の道具によって記録された「事前-運動(前兆)」の一種を特定する事が可能で、殆どあたかもその道具が、物理的な運動自体を「予測」しているかの様でした。⁴⁰⁵ 「原因」と「効果(結果)」が故にそれら自体、正にボームの投影の類推の様に、より低い-次元的な分裂、またはより高い-次元的な統一性と均整の破壊でした。その下でそれらの「事前-運動」、または「前兆」が起こる一時的な状態に気付く事によって、人は最終的にあらゆる物理的な運動に対する前兆を技術開発出来ます。

故に、コザレフの「前兆の技術開発」を頭に入れ、そしてデューイーとダーキンが「平均化された」波と呼んだものを産出している、お互いの上に干渉した媒質(エーテル)における波のセットとしての、物質自体のボームの分析に戻ると、人は恐ろしい可能性を想像する事が出来るかも知れず、つまり、その様な波の正確な鏡写しが、その元々(の波)に干渉させられると、合計がゼロに成り、またはそれを正にキャンセルし、「何か」を再び無にしてしまいます。「前兆」の技術開発における究極は、その原因を消去する事によって、物理的な運動の効果を丸々消去する力です。

更に加えて、ボームとコザレフの、量子力学の明らかに推計学的な行程の背後のより深い物理学は、経済物理学の明らかに推計学的な行程の背後の類似したより深い物理学もまた示唆します。実際に、もし人が、コザレフに足並みをそろえ、効果の前兆を技術開発し - もし人が実際に原因を技術開発出来るなら - するとこれが示唆するのは、そうするための方法が、物理的な媒質自体の直接の技術開発であると、両方の場合において示唆されているので、人が実際に経済的な活動の前兆を技術開発出来ると言う事です。

成り行きとして、寺院との歴史を通した、銀行業の階級の親密な関係のための理由を進める、推理的な土台を人が此処で有する事で、つまり、人間の社会の中のその要素、または階級が、このより深い物理学の、少なくとも幾らかの知識を持っていたと言う事で:銀行業は効果的に、無からの情報の創造している錬金術的な機能で、この場合、クレジットと借金の情報で、その後者が、物理学におけるより深い機能の、類推の金融的な領域における薄暗く色あせた科学技術的な反映でしかないためです。そして同様に可能性が高いのは、この関係性が正に形成されたのは、その後者を利用する事によって、以前の科学技術とより深い物理学が究極的に再発見出来るかも知れないためでした。端的に、その様な物理学が再発見されるためには、出来るだけ多くの寺院の神官階級との連合を結ぶ事が全体的に必要だったのは、それぞれがその(知識の)何らかの欠片を保存し、それは正しく収集された時に、再び利用可能に成るためです。それはまた、「世界の統一と支配」における、太古の時代からの彼等の没頭的な関心のために論理を供給するのは、一方で、その様なより深い物理学を再構築するために、莫大な金融的な資金源 - 古代、または現代におけるあらゆる一つの文明の富を超越する資金源が - 必要であったはずで、もう一方で、効能的な競争相手によるその様な科学技術のあらゆる開発、または再構築の隠蔽を保つために世界の延長が必用だったためです。

経済学、占星学、そして天文物理学

経済的な活動に対する、より深い物理学の可能性を示すために此処で合流するデータの2つの流れがあり:一方でサイクルの研究のための財団からの波-の様な形状の膨大なデータベースで、そしてもう一方は、物質自体がその様な波の結果であり、そして故に自然的なレゾネーター(共振器)である、デーヴィッド・ボームの関係した秩序の示唆です。第二章の中で記述された様に、サイクルの研究のための財団のデータベースの示唆の一つは、経済的なサイクルは、正にそれらが、根底にある物理的な土台の何らかの種を持っている様で - デューイーとダーキンの音波の類推を再び思い返すと - それに関して、そして特定の感覚において、「人の意識的な意図の完全な支配を超えています。」⁴⁰⁶ ですが、デューイーとダーキンが調べなかったデータベースのもう一つの種類があり、それもまた経済的な活動に対する深遠で、より深い物理学を示唆します。

そして、そのデータベースは、占星学です。

占星学者達は、勿論、もし数世紀、そして数千年では無いかも知れませんが、何十年にも渡り、様々な国々のための「現世的なホロスコープ(国の様な集合体の単位のホロスコープ)」を検証してきましたが、更に近年に成って多くの人達が、特定の再発的で惑星な配置/配列と、経済的なブーム(バブル)と崩壊の期間の奇妙な相関性に気付きました。そうした人の一人は、最近の、そして興味深い、時間とお金:経済と惑星達と呼ばれた本におけるロバート・ゴーヴァーでした。彼は、土星が太陽の周りを28-30年周期において(公転を)1周し、天王星が84年周期で、海王星は165年周期で、そして冥王星が248年周期である事実に着目する事から始めます。⁴⁰⁷ 彼はその後、占星学的で経済的な観測のための、それらの外側の惑星を記述し:その他の惑星 - 木星、火星、地球、金星、そして水星は - 全て太陽の周りを素早く移動し過ぎるので、それらは「大規模な経済的サイクルの数年単位、または数十年単位を印す」ために使用出来無いとします。⁴⁰⁸ 彼はその後、彼の主要なテーゼを明言しますが、多かれ少なかれ、占星学者達にはよく知られた事ですが、その様な内輪の外では殆ど知られていない事です:

「米国が大規模な不況を経験した時、毎回、最も外側のゆっくりと運動(移動)している惑星は、米国の出生の太陽と土星と共に、占星学者達がグランド・クロス(大十字)と呼ぶものを形成していました。1776年7月4日に米国が「生まれた」時に、それが位置していた双子座の初期へと天王星が戻ると、毎回、アメリカは最悪の戦争を経験しました。毎回、天王星と冥王星が、コンジャンクション(0度)、または90度のスクエアに移動し、そして同時的に連動に来て、米国の出生表(ホロスコープ)における敏感な地点のスクエア(90度)のオポジット(反対/180度)に成ると、アメリカは社会的な変化、または大騒動を経験しました・・・

「世界貿易センターとペンタゴンが攻撃された時の様に、米国の出生の天王星が、通過中の惑星によって「アフリクト(凶)」された時に、その他の戦争が起こりました。土星と冥王星は1世紀に3度180度のオポジションを形成しますが一番最近のものは、2001年9月11日において効果的で;その(1つ)前の土星-冥王星のオポジションは、私達が現在、60年代と呼ぶ動乱の時代に一致し、そのもう1つ前は私達が現在大恐慌と呼ぶものに一致しました。」⁴⁰⁹

ゴーヴァーはその後、最も重大なコンジャンクション(連動)、または配置/配列が何かを説明します。私達はそれらの内の2つだけに集中します:

グランド・クロスは、4つの惑星がお互いから同時にスクエア(90度)でオポジション(180度)を形成する時に創造されるアスペクト(影響力)です。これは、障害、緊張、不満をもたらす珍しい(凶の)アスペクトで、i.e. 米国が大不況に陥った時に毎回形成していた、米国の太陽-土星のスクエアです。

グランド・トライン(30度)のアスペクトもまた珍しく、そしてお互いから120度の3つの惑星の三角形によって形成され、エネルギーの調和的な流れ、幸運、そして好機(吉)を造りだします。」⁴¹⁰

グランド・クロスの連動が、RCA の技術開発者、ネルソンの惑星的な配置の図表にとても妙に類似しているのは奇妙です。

グランド・クロスは米国の不況に対して共通的な特徴なので、ゴーヴァーは実際に占星学的な法則の一種を形成し:「グランド・クロスが無ければ、大不況はありません」とします。⁴¹¹ しかしながら、これに関して、占星学的な「予測」は誤解されるべきでは無いと記述します:

「もし私達が、私達の太陽系における私達の惑星を、巨大な天界的な時計として見解するなら、歴史が私達に最初に教えるのは、その天界的な時計が、私達の地球上の時計の様には正確では無いと言う事です。私達は歴史から、経済的な出来事が何時起こるだろうか見分ける事は出来ますが、時計の如く予測するのは不可能です。特定の惑星的なパターンは、特定の種類の出来事が予測される事の出来る、季節を創造します。ですが惑星は、どの様に特定的に出来事が展開するかも、どの様に私達が反応するかも、伝える事は出来ません。私達は冬が間近な時を知っていますが、それがどれだけ寒くなるか知る事は出来ません。ハリケーンの季節の幾らかは大規模な破壊をもたらしますが、それ程強くない時もあります。」⁴¹²

これを述べた上で、ゴーヴァーの図表を一目見る事が必要です。

最初のアメリカの大不況は、1780年代において起こりました。彼の図表はこの様に見えます:

[訳者注:ゴーヴァーの図表が見つけられないので、このサイト:米国の歴史的な出来事とホロスコープの図表を参考にしてください。]⁴¹³

もし人が惑星的な象徴を解読する手間を取れば、すると人が見つけるのは「蟹座の13度にある米国の出生的な太陽の反対に位置する、山羊座の15度にある土星で;その間、牡羊座の21度にある火星は、天秤座の15度に位置する(米国の)出生の土星のオーブの中、またはオポジション(180度)です。」⁴¹⁴ 端的に、1780年代の大不況の期間の惑星的な位置と、そして米国の誕生の時のそれらの位置の間でグランド・クロスが形成されていました。

同様に、1870年代の大不況の期間にも、グランド・クロスが形成していました。

参考:⁴¹⁵

今度の期間には「(米国の出生の)太陽と土星とグランド・クロスを創造するために、山羊座の中の土星が、牡羊座の中の海王星とスクエアを形成していました。」⁴¹⁶

最後に、1930年代の大不況の期間に、更なるもう一つのグランド・クロスが形成されました:

1930年代の大不況の占星学的な図表(参考)
2 GREAT DEPRESSION - Event Chart

この図表は、山羊座の13度に位置する土星が、牡羊座の11度に位置する天王星とスクエアを形成し、そして反対(i.e. 180度)に位置する米国の出生の太陽と土星の間でグランド・クロスを現しています。⁴¹⁸

それらのグランド・クロスが、少なくとも一見した処、有害な影響(凶)を持っていると言えるでしょう。ですが何らかの現実世界の物理学との相関性はあるのでしょうか?

この問いへの答えは、惑星的な配置と、ラジオ・シグナルの伝播の彼の RCA の研究のネルソンの図表の一つを再産出する程簡単です。

土星 - 金星 & 木星のオポジション⁴¹⁹
3 20150610141014a3b

再びもう一度、惑星が、この場合、内側の惑星(i.e. 水、金、地、火、木)がお互いに対して特定の関係、90度、またはそれについての何らかのハーモニック、i.e. 180度、または270度の関係の類似性に注目して下さい。⁴²⁰

故に、もしサイクルの研究のための財団のデータベースとゴーヴァー(そしてその他の占星学者達)の図表が何らかの指標なら、すると私達が、太古の時代において銀行業と寺院の間に存在していたと見られた関係の理解に、更にもっと接近出来るのは、経済的なブームと崩壊の占星学的なデータは、太古の時代において彼等によって知られていたはずで、そしてサイクルの中のブームと崩壊の全体的な傾向を激化させる、または和らげるために、その様なデータが利用可能である事が、「知っている金融的な権力」のために重大であったはずであるためです。

これを頭に入れると共に、前書きにおいてその本が触れられた、エレン・ホッジソン・ブラウンによって収集された証拠を一見する事が必用なのは、ゴーヴァーの占星学的な図表に対する関連した銀行家達の活動の比較がとても啓示的であるためです。

C. エレン・ホッジソン・ブラウン

1780年代の不況と金融マフィア達

ブラウンは、殆どの現代のアメリカ人達が知らない何かを指摘し、そしてそれは、アメリカ革命の以前に、殆どの入植地が - 借金せずに - それら自体の紙のマネー(通貨/紙幣)を印刷した事です。その結果は、繁栄している経済と、ほぼ完全な雇用でした。その革命の以前に、ベンジャミン・フランクリンがイングランドを訪れた際に、彼は「イングランド銀行の役員達によって」、この繁栄の源泉について尋ねられ、そしてフランクリンはその入植地が「『取引(貿易)と実業の需要に対する正しい量において』紙のマネー(紙幣/通貨)を発行したためです、」と答えました。⁴²¹ ですが、このマネーの「後ろ楯」は何だったのでしょう?その(アメリカの)入植地は、しかしながら、紙の通貨の彼等の発行を後ろ楯するための、銀とゴールドを殆ど持っていませんでした。何と共に、すると、それは後ろ楯されたのでしょう?ニュー・イングランドの、当時有名だった牧師、コットン・マサーは鋭い問いの一連を尋ねる事によって、この入植地の紙幣を後ろ楯しているものを鮮明にしました:

「国債、または(千ドルの)為替手形は、紙以外の何かでしょうか?そして更にそれは、銀やゴールド程価値は無く、支払いの確保を約束するのに十分でしょうか?さて、あなたの紙のマネー(紙幣)の安全性(信用)が、その国全体のクレジット(信用貸し/i.e. GDP)以外なら、それは何ですか?」⁴²²

ブラウンが記述する様に、「マサーはマネー(通貨)を再定義しました。それが体現していたのは、ゴールド、または銀の総量ではありませんでした。それはクレジット(信用貸し)で:「その国全体のクレジット(GDP)でした。」⁴²³ 此処までに現された証拠のコンテキストの中で、そして特に、第五章の中で再検証されたデーヴィッド・アストルの分析において、マサーが本当に行った事は、太古の時代において、ブリオンの売買人達の国際的な銀行家達の階級(金融マフィア)が台頭する以前の、とても太古のマネー(通貨)の概念に戻る事で;彼が行った事は国庫の余剰(GDP)に対するクレジットの明細書としてのマネーで、個人的な発行(銀行の貸し出し)の金利/利息を産み出す銀行券ではありませんでした。

フランクリンはこの概念を少々異なった方法で明言しました:「一国の富は、その住人達が所有するゴールドと銀の量によってでは無く、彼等の労働の量(GDP)によって価値の判断が成されます。」⁴²⁴ その違いが驚きなのは、

「ゴールドが交換(取引)の媒体(通貨)であった時、産出(GDP)がマネーの供給を決定しているよりもむしろ、マネーが産出を決定していたためでした。ゴールドが豊富にあった時、物事(商品)が産出されました。それ(ゴールド)が品不足に成ると、人々は失業し、そして人々は貧困を経験しました。政府発行の紙幣の利点は、産出力と共に沿って成長(拡張)する事が可能で、効能が本物の資産に成る事を許す事です。」⁴²⁵

フランクリンは、彼の英国の主催者達に対して、入植地的な繁栄の源泉について詳しく説明し、そして彼の言葉は心に留める価値があるのは、それらの中に人は、「マネーとしての借金」、またはマネー化された借金(銀行の貸し出し=銀行券)のクローズド・システムと、産出とクレジットの交換(取引)の媒体としてのマネー(政府発行通貨)のオープン・システムの間の鮮明な違いを認識するためです:

「入植地(後の米国)において私達は、私達自身のマネー(通貨)を発行します。私達はそれを、政府に承認された出費と慈善事業を支払うために発行します。私達は、産出者達から消費者達に、商品が簡単に渡される様にするために、正しい量においてそれ(通貨)を発行します・・・この方法において、私達自身の紙のマネー(通貨)を私達自身のために創造し、そして私達が誰かに支払わなければならない金利/利息がありません。あなたも理解出来るでしょうが、合法的な政府は、マネーを流通へと使う事と貸し出す事の両方が行えますが、その間、銀行が出来るのは彼等の約束的な銀行券を大量に貸し出す事だけで、それら(銀行)は与える事も使う事も出来ないので、人々が必要としているマネーのわずかでしかありません。故に、あなた達の銀行が、此処、イングランドにおいてマネーを流通に入れる時、常に返済されなければならない借金と、支払わなければならない利息/金利が存在します。その結果は、労働者達に完全雇用を与える為には、常に不足したクレジットしか、流通の中に存在していません。あなた達は、多過ぎる労働者達を有しているのではなく、あなた達は少なすぎるマネーしか流通の中に持っておらず、そして流通しているものは全て、支払きる事の出来ない借金と利息の終わる事無き重荷を産み出します。」⁴²⁶

フランクリンが、中央銀行という、本質的な犯罪性と詐欺を見抜いたのは、「マネー化した借金」の政策を行っている政府が唯一意味するのは、それらが「マネーとしての借金」を発行する(貸し出す)、個人的な独占に恩義を受けていると言う事で、対照的に入植地的な経験 – そしてとても太古の経験は - 本当のマネーは国家の産出的な余剰(GDP)に対するクレジットで、そして故に国家だけがそれを発行出来ると言う事です。

言うまでも無く、イングランドの金融マフィア達は、彼等自身の寄生虫的な金庫を太らせる事無く、その入植地の人達が繁栄を得る事を許しているこの状況を許すはずがありませんでした。故に、イングランド銀行(ロスチャイルド/英国王室)は、議会において、1764年の通貨法が通る様にその影響力を発揮し、それはその入植者達が、彼等自身のマネー(通貨)を発行する事を違法化しました。そして予測可能な様に、フランクリンが観測した様に、その一年後には、その入植地の道端は、失業者達と乞食達で溢れかえりました。⁴²⁷ そして、フランクリンによると、その革命の本当の原因は、マネーの複写(コピー/銀行券による、本物のマネー(政府発行通貨)との入れ替えである、マネーとしての借金(銀行からの貸し出し)におけるこの入れ替えでした。⁴²⁸

その革命的な(独立)戦争が終に勃発した時、その大陸的な議会は、再びもう一度、その戦争全体を資金援助するために、未来の日付における鋳造によって返済されるべき、国家の借金の紙幣の流通として、それ自体の紙の臨時紙幣の発行の得策を行いました。⁴²⁹ 勿論、その大陸的な議会は、この臨時紙幣を、約2億ドルの価値まで(戦争のために)発行し過ぎ、その革命的な戦争の終結時には、その臨時紙幣は基本的に無価値でした。

ですが、本当の教訓は、国家が、その国家によって発行されたクレジットの明細書(紙幣)をハイパー・インフレ(超物価高)にする危険性ではありませんでした。その本当の教訓は、その大陸的な議会の臨時紙幣が

「未だに国外の観測者達の驚きと尊敬を呼び起こさせるのは、何故ならそれがその入植者達に、以前には決して行われ無かった何かを許したためでした。彼等が、人々(国民)から徴税する事無く、彼等自身の実質的な「現物(ゴールドや銀の後ろ楯)」の無い通貨を共にして、主要な権力(英国)に対する戦争を、資金援助する事に成功したためです。その戦争の間・・・、「私達がどの様に、それを返済するために、特定的に事前に固定された資金(準備金)無しで、紙(政府紙幣)と共に支払えるかは、政治家達にとってでさえ、謎の全体でした。私達が行ったこの通貨は、素晴らしい機械(道具)でした。トマス・ペインはそれを「その革命の土台」と呼び:『私達を超えさせた全ての橋のそれぞれの礎(いしずえ)は、私達の自尊心の上に主張を持つ様です。ですがこれは礎であり、その便利さは忘れられる事が出来ません。』」と、フランクリンは述べました。⁴³⁰

悲しいくもそれは、アメリカの人々と彼等を「代表する」とされる政治的な二大政党が、現代において全く忘れてしまった様な教訓です。

勿論、英国は、彼等の反乱的な入植地がどの様に彼等の革命を資金援助しているかに完全に気付いていて、そして昔ながらの偽札の戦略で、その通貨を暴落させる事を目論みました。ブラウンによって、彼女の本の中に引用された一人の英国の将軍は、偽札偽造詐欺の技術の全ての試みが行われたが、彼の無念さに対して、「その通貨は未だに暴落しなかった」と述べました。⁴³¹ その大陸的な臨時紙幣が暴落したのは、その成功的な革命の唯一後で - 流通に入っていた偽札は言うまでも無く – その供給のインフレーションが原因した、結果的な(通貨の)価値の切り下げ(i.e. 物価上昇)と共に(i.e. 英国による偽札工作に加えて、戦争のために、正しく無い量の紙幣を流通させたので)、その正に同じ建国の父達が幻滅を感じたのは理解可能でしょう。アメリカの大陸的な臨時紙幣に対するこの意図的な投機の結果が予測可能だったのは、議会はマネーを造り「そして硬貨鋳造する」力を持つと明言する事によって、国家の未来の産出的な余剰(GDP)に対するクレジットとしての正に紙のマネーに対して、その戦争の後に、その正に建国の父達が反旗を翻したためでした。言葉を変えると、その大陸的な議会は、もしその借金が国家の未来の余剰に対するクレジットだったとしても、借金としてのマネーである、マネーの複写(コピー/銀行券の昔からの落とし穴に陥りました。

「その紙幣は借金を体現し、そしてその借金は結局、返済されなければなりませんでした。債権者(貸した側)は彼等のゴールドを要求し、そしてゴールドはありませんでした。貿易(取引)を行うためにマネーの供給が十分にはありませんでした。硬貨(金貨/銀貨)に制限する事によるマネーの供給の緊縮は直ぐに、更なる不況に結果しました。1786年には、ダニエル・シェイズによって導かれた農民達の一揆がマサチューセッツ州において起こりました。農民達は熊手を掲げ、紙のマネーが豊富にあった時に重度な借金をした事に不平を申し立てました。それ(紙の政府紙幣)がもう利用可能では無く成り、そしてその借金が、より希少な英国の銀行家達の「現物」のコイン(金貨/銀貨)において支払われなければならなくなると、何人もの農民達は、彼等の農地を失わなければなりませんでした。」⁴³²

この最初のアメリカの「大不況」の直後の結果は、勿論、より強い中央政府と「拡張可能なマネーの供給」をそれが創造するための方法への呼びかけで、現在のアメリカの憲法の下書きに最終的に繋がった集会への召集でした。⁴³³

この時点において、エレン・ブラウンのコメントを長文で引用するのには価値があります:

「ハミルトン財務長官の解決策は、国家的な借金を「マネー化」する事で、それをその国のためのマネーの源泉へと変える事でした。彼は、国立的な銀行が、銀行券を印刷する事が認可され、国債のためにそれらと交換する事を提案しました。政府は、輸入の関税と公共の土地の売却からの資金を使用し、その借金に対する利息の定期的な支払を行います。反対者達は、政府の借金を表面上の額で認識する事は、兵士達や、農民達や、中小企業の事業家達から大安値でその国の I.O.U.(借金手形)を買い漁った投資家/投機家達を不公平に利益させると異論しましたが;ハミルトンはその投資家/投機家達が、彼等の「この国に対する信頼」のために、この風で落ちたもの(棚ぼた)を稼いだと主張しました。彼は、その政府が投資家/投機家達の補佐(出資)を得る必要があり、そうしなければ彼等が、その新たな国のマネー(通貨)に対して、彼等がコンチネンタル(大陸臨時政府紙幣)に対して行った事を行うと考えました・・・

「ハミルトンの主要で政治的な対峙者、ジェファーソンは、個人的な金持ちの市民達(財閥)に、その銀行における所有権(株式)の関心を与えてしまうと、彼等の関心をその(銀行の)中へと、親密に繋げさせ過ぎてしまうと危惧しました。その政府はオリガーキー(財閥)へと変貌させられてしまい、労働階級と戦争にある金持ちの政府に成ってしまうためです。その推進力の動機が利益である、個人的な株主達に所有された銀行は、公共によって所有され、公共の監視にあるものよりも、公共の必要性に対して反応的では無く成るでしょう。個人的な銀行の株主達は、公共の知識、または操作の無い、閉ざされた扉の背後で、彼等の金融的な判断を行うでしょう。

「ですがハミルトンの計画にはその他の戦略的な優位性があり、そして議論における勝利を収めました。連邦の障害的な借金を都合よく解消し、そして「金持ちの人達の信用を勝ち取る他に、それはそれぞれの州の借金もまた、その新たな銀行における株式と交換出来る様にする事によって、それぞれの州の忠誠を確保しました。その行いは物議をかもし出しましたが;合衆国の危うい金融を安定化させる事によって、ハミルトンは各州を参加させ、それらを分離させ北部同盟を確立しようと望んだ、親-英国の派閥の計画を阻止しました。」⁴³⁴

この時点で、観測するために一時停止するには価値があり、1780年代の大不況のゴーヴァーの占星学的な図表のコンテキストにおいて、私達が有するのは:

1.大陸的な議会の臨時(銀行発行/貸し出し)紙幣が、本質的に入植地的な臨時(政府発行)紙幣と同じものでは無かったのは、それが返済するための未来の約束に対して発行された(貸し出された)借金のマネーで、その幾らかは、その入植地が豊富に持っていなかったブリオンにおける返済の約束だったためです。故に、その大陸的な臨時紙幣は、実質的にブリオンの供給を独占していた、正にヨーロッパと英国の金融マフィア達による投機と偽札詐欺に対してそれ自体を必然的に無防備にし;

2.その革命の後にコンチネンタル(大陸臨時紙幣)の価値が暴落し、そしてブリオンの供給不足を反映する様にマネーの供給が緊縮したため、その必然的な結果は、革命後の各州がそれらの借金の支払いが出来ず、そしてマネーの供給が緊縮し、個人的な債券保有者達がその借金を回収出来なかったので、必然的な不況が起こり;

3.出来事のこの一連の結果は、憲法的な集会の呼び求めで、現在のアメリカの憲法的なシステム、そしてマネー化された借金に基づいたマネー(通貨)の複写(コピー/銀行券)を発行した(貸し出した)米国の最初に認可された中央銀行に繋がり;

4.ハミルトンが声にした、オルタナティヴな恐れは、もし彼等(金持ち)が階級的な既得権として、その新たな通貨において何らかの取り分が与えられないと、あらゆる新たなアメリカの通貨を、投機と偽札詐欺を通して、類似した無価値へと追いやり、新たなアメリカの国家を分断させると言う事でした。

端的に、現在のアメリカの憲法的なシステムの殆ど始めから、気がかりな妥協 - 一種の休戦が - その新たな国家の生き残りを許し、その行程においてその階級を肥えさせるために、金融マフィアとの妥協が結ばれました。そしてこの期間の全ての間、ゴーヴァーが記述した様に、各惑星は特定の配置にありました・・・

2.1870年代の不況と金融マフィア達

1870年代のアメリカの不況は再び、アメリカの歴史における更なるもう一つの戦争、各州の間の(南北)戦争に続きました。そしてアメリカの革命(独立戦争)の様に、交戦中の分派の少なくとも一人の指導者は、よく知られている様に、政府に創造された借金の-無いマネー、i.e. 国家の産出的な生産力(GDP)に対するクレジットを発行する事によって、その戦争の彼の側(北部)を資金援助する選択をしました。彼の名前は、勿論、エイブラハム・リンカーンで、そして彼の大統領職とその直後の財政的なレッスンを、再びその幾つかの詳細において再検証してみるのには価値があります。

ドイツの首相、オットー・ヴォン・ビスマルクは、リンカーン政権の財政政策について、1876年に奇妙な事を記述しました:

「同等の力量の連邦への合衆国の分裂は、ヨーロッパの高度で金融的な権力によって、その市民戦争の遥か前から決定されていた事を、私は絶対的な確証で知っています。それらの銀行家達は、もし彼等(米国)が一つのブロック、そして一つの国のままであれば、経済的で金融的な独立を会得し、それはヨーロッパと世界に対する彼等(銀行家達)の金融的な支配を脅かすかも知れないと恐れました。勿論、金融の「内輪」においてロスチャイルドの声が勝りました。彼女自体において自給自足で活気のある共和国の場所に・・・金融家達に対して借金の重荷を背負わされた2つの弱々しい民主主義に入れ替える事を彼等が行えれば、膨大な利益のための好機に成ると考えました。故に、彼等は奴隷制の問いを利用し、合衆国のその2つの部分(北部と南部)の間にくさびを打ち込むために、彼等の大使を戦場に送り込みました・・・北部と南部の間の分裂は必然的に成り;そのヨーロッパの金融のご主人様達は、それ(戦争)をもたらし、そして彼等の優位性へとそれを利用するために、彼等の力の全てを使用しました。」⁴³⁵

其処には唯一一つの問題があり、リンカーン大統領は、その市民戦争における北部の努力を資金援助するために、金融マフィア達の個人的な階級に対して借金する事を拒みました。ビスマルク首相のコメントは、引用する価値があります:

「その政府と国家は、海外(ヨーロッパ)の金融家達の策略から逃れました。彼等(金融家達)は直ぐに、米国が彼等の掌握から逃れる事を理解しました。リンカーンの死が決心されました。」⁴³⁶

ビスマルクは、言い換えると、彼の習慣的な直接の方法で、ロスチャイルドに導かれた「ヨーロッパの金融家達の内輪」が、彼等の権力に挑戦しようとする者達に対する懲罰とメッセージとして、リンカーンを暗殺させたと単純に明言していました。

リンカーンが忙しく彼の借金の-無い臨時紙幣グリーンバックを発行していた間、その金融マフィア達は、議会における彼等自身の派閥を通して、彼等自身の策略を忙しく産み出していました。再び、その策略が何であり、そしてそれがどの様に効果したのかを理解するために、エレン・ブラウンを長文で引用する事が欠かせません:

「議会における一つの派閥が、その戦争を資金援助するために、グリーンバックスを急いで準備していた間、もう一つの派閥が、国家のマネーの供給を創造する力(権利)についての独占を、ウォール街の銀行家達と彼等のヨーロッパの同僚達に与える、国家銀行業法を用意していました。国家銀行業法は、新たな国家的な銀行業のシステムための保護策として売り込まれましたが;それが真の国家的な銀行に向かう重要な第一歩であった間、それは銀行家達との妥協でしか無く、そして詳細の中に埋め込まれ、それは彼等に、正に彼等が欲していた事を与えました。1863年6月25日付の、ロンドンのロスチャイルド投資企業から、ニュー・ヨークの関連銀行企業への個人的な通信は秘密を打ち明けました:

「『そのシステムを理解する極少数は、その利益にとても関心があるか、その好意にとても頼っているかのどちらかで、その階級からの反対は一切無く、その間、もう一方で、頭脳的に理解する事の出来ない、人々の大多数が・・・文句も言わずにその重荷を背負うでしょう。』

「その法律は、表面上は良いものに見えました。それは、国家的な銀行業の組織が事業を始める事が出来る前に必要な、通貨の監査官を確立しました。それは、最低限の資本金、準備金の必要条件、不良債権、そして報告義務を覆っていた規制を敷きました。その監査官は、あらゆる国家的な銀行の状態を調べるために捜査官達をいつでも任命出来ました。全ての銀行の総裁はアメリカの市民でなければならず、そしてその役員達の4分の3は、その銀行が事業を行っている州の住人達でなければなりませんでした。金利率は各州の金利法によって制限され;そしてもし法律が無いなら7%まででした。銀行は、銀行の建物を除いて、5年以上、不動産を所有する事が出来ませんでした。国家的な銀行は、それら自体が印刷した銀行券を流通する事を許されていませんでした。代わりに、それらは財務省に、それらの資本の少なくとも3分の1に同等な合計の米国債を預けなければなりませんでした。それ等は引き換えに、政府に印刷された紙幣を受け取りました。

「ですから何が問題だったのでしょう?新たな国家的な銀行券は技術的に、その通貨の監査官によって発行されましたが、これは唯の形式上で、今日の造幣局による連邦準備銀行券の印刷の様なものです。その通貨は国債を預けている銀行の名前を印刷され、そしてそれはその銀行の要請において発行されました。効果的に、その国家銀行業法は、彼等自身のペーパー・マネーを、銀行家達が発行し、貸し出す事を許可しました。その銀行は財務省に国債を「預け」ましたが、それらはその後も国債の所有権を有し;そしてそれらは直ぐに、それら自体の銀行券の形状においてそれらのマネーを取り戻しました。その上の全てで、その国家銀行業法は効果的に、それらの銀行券に対する競争を排除しました。それは州立銀行の紙幣の上に重い課税を課して、本質的にそれらを廃止させました。それはまた、銀行家達の銀行券が思いのままに発行される間、特定の発行に制限されていた、グリーンバックスからの競争も削減しました。財務長官、サルモン P. チェイスとその他は、銀行家達が、彼等自身の銀行券を使い、グリーンバックスを買い占めていると不平を述べました。」⁴³⁷

言葉を変えると、その国家銀行業法が本当に行った事は、彼等自身の借金を-産み出す銀行券の発行(貸し出し)において金融マフィア達が、政府のグリーンバックスの発行の産出量を効果的に勝る事を許した事で、金融マフィア達はその後、それ(銀行券)を使ってグリーンバックスを買い占め、流通からそれらを排除しました!

金融マフィア達は、「73年の犯罪」として一般的に知られる様に成った法と呼ばれるものと共に、1873年においてこれに続き、その法律は効果的に法貨としての銀貨を禁止し、効果的に再び、アメリカを金本位制に置きました。予測可能な様にその法律は、1870年代の大規模な縮小したマネーの供給、失業、そして大不況に繋がりました。その結果が1780年代の、金融マフィア達に造りだされた不況に似ていたのは、相応しく名付けられたグリーンバック党を形成した強力な農民達の「反乱」にそれが繋がり、国家によって創造された借金の-無いマネーを直接呼びかけ、そのマネーは、その国のインフラの改善するための仕事に、人々を戻すために使用されるべきとしました。⁴³⁸グリーンバックス(党)は、ホワイト・ハウスへと彼等自身の国家的な代表を置く事に成功しませんでしたが、彼等のメッセージは聞かれ、そして1881年において、ジェームズ・ガーフィールドがアメリカ合衆国の大統領に成りました。ガーフィールドはこう宣言しました:

「あらゆる国においてマネー(通貨)の量を操作するのが誰であれ、全ての産工業と商業の絶対的なご主人様です・・・そしてそのシステムの全体が、多かれ少なかれ、天辺にいる極少数の強力な人達によって、とても簡単に操作されるとあなたが気付いた時、インフレーションと不況の期間がどの様に起因するのか、あなたが教えられる必要はないでしょう。」⁴³⁹

ブラウンが記述する様に、「ガーフィールドは、この明言を公表して間もなく、彼の大統領任期の4か月にも満たない時、暗殺されてしまいました。⁴⁴⁰ 私達は直ぐに、ガーフィールド大統領の明言の思考に戻る機会がありますが、此処において着目されるべきは彼が明らかに、ブーム(バブル)と崩壊のサイクルが、金融マフィア達によって人工的に創造された事をほのめかし、対照的に、エドワード・デューイーによって収集されたサイクルズのデータと、そしてゴーヴァーによって集められた占星学的なデータが、その様な物事は、唯の人間の活動よりももっと、より深い原因を有すると明らかに示唆し、そしてそれらは特定の延長において必然的であるとします。ですから・・・何が本当に起こっているのでしょう?

ヒントは恐らく以下の事実によって得られるでしょう

1.此処までに検証された不況の両方の場合、いずれとも大規模な戦争の後に起こり;そして、

2.両方が、金融マフィア達を完全に素通りして、その政府が両方の場合において、借金の-無いマネーを発行する事によってその戦争を資金援助する判断をし;そして、

3.金融マフィア達は、偽札詐欺を通した、それ(政府通貨)に対する投機と操作の様々な形状を解き放つ事によって、または流通から政府の通貨を排除する事によって、その通貨に対して攻撃し;そして、

4.今の処、それぞれの例において、これはマネーの供給の意図的な緊縮と、一致的な雇用と産出の消失と、経済的な不況に結果しました。

それらのパターンは、それらの全ての最大級の不況、1930年代の大恐慌においてそれらの表現のどん底に届きます。

3.1930年代の大恐慌と金融マフィア達

大恐慌の時代に成ると、アメリカ合衆国の連邦政府と、個人的な金融マフィア達の間の凄まじい争いは、1913年における個人的に所有された連邦準備銀行の創造、そしてその表向きには-誤魔化された警察権力組織であり、政府に対して金利付きでマネーを貸し出した金融マフィア達への利息の定期的な返済を確かにするために、新たに創造された(憲法違反の)所得税を集めるために責任を任され、特定的にデザインされた、国税庁(IRS)の設立によって、最終的にその後者(金融マフィア達)によって勝利が納められました。その後、大恐慌への、意図的で、密かに指揮された助走が始まりました:

「その問題は、米連銀が金利率を低く保つ事によってマネーを豊富にした、狂騒の20年代において始まりました。マネーが豊富にある様でしたが、実際に自由に流れていたのは「クレジット(信用貸し)」と「借金」でした。産出は、給料の上昇よりも、上がっていたので、ですから商品のために支払うマネーよりも、より多くの商品が購買可能(物価安)で;人々は借入(借金)する事が出来ました。1920年代の終わりに成ると、自動車や(当時は床の上に置かれた大きな家具だった)ラジオの様な主要な消費者の購入が、主にクレジット(信用貸し/借金)の上で購入されました。マネーはとても簡単に得る事が可能で、銀行から直ぐに手に入れる事が可能な、短期的で低金利なローンを、投資する為だけに、人々は借りました。

「彼等自身がとても安値で大量の株式保有を集め、それを泥棒男爵(金融マフィア)達が宣伝し始めるまで、殆どの人達は、株式市場に殆ど関心がありませんでした。彼等(金融マフィア達)は、「マージン(上げ下げの幅)」(またはクレジット)の上で、株式を購入する事によって直ぐに大金持ちに成れると言うアイデアを一般大衆に対して宣伝しました。投資家は株式を購入し、その(株式の)価格が上昇した後にそのバランスを決済し、大きな利益を上げる事が出来ました。この投資の策略は、凄まじいネズミ講に成りはて、それにおいて投資された殆どのマネーは実際に存在しませんでした・・・大衆はこの策略に踊らされました。投機的な熱狂において、多くの人々は文字通り、「農園(不動産)を賭けました」・・・無料で明らかに所有された不動産が、好ましいクレジットの条件と金利率を提供する事によってその熱狂に油を注いだ、銀行家達に対して担保に差し出されました。米連銀は – 組合の銀行が連銀から借りるために支払った金利の - 値下げ率(連銀の金利)を大々的に低くする事によってそれらの好ましい条件を可能にしました。米連銀は故に、数多くの複数のローン(貸し出し)によってそれらの銀行がマネーの供給を拡張出来る、追加的な準備金をそれらの銀行が簡単に得られる様にしました。」⁴⁴¹

ですが何故、連邦準備銀行は、連邦準備銀行券の借りられた「ドル」のインフレートされた(膨らまされた)供給と共に、米国の経済を洪水させたかったのでしょう?と、エレン・ブラウンは尋ねます。

その答えは、背筋が凍るものです。

「その証拠は、世界の金融的なシステムの操作を、個人的な中央銀行家達の小さなグループに与えるための、当時のニュー・ヨーク連銀の総裁、ベンジャミン・ストロングと、イングランド銀行の総裁、モンターギュ・ノーマンの間の策略」を示すと、ブラウンは述べます。⁴⁴² その理由は、彼自身が金融マフィア達の計画への「内通者」である、国際関係のジョージタウン大学のキャロル・クイグリー博士によると、1920年代の間、個人的に-所有された中央銀行は、「英国と米国の金融的な力を利用し、世界の主要な国々の全てが金本位制に成り、全ての政治的な操作から分離した中央銀行を通してそれを運用する」事に躍起に成っていました・・・」⁴⁴³ 言い換えると、その策略は、マネーが世界のゴールドの供給を反映する様に強要する事によって、借金として流通の中にあるマネーの量を大々的に削減する事で、故に不況を開始させました。

その計画は実際に、その冷酷な計算と悪賢さにおいて巧妙でした:

「英国のポンドは、第一次世界大戦の間に、ゴールドに対するその価値を大々的に失いましたが、イングランド銀行の総裁としてノーマンは、ポンドのゴールドに対する両替率を、[第一次世界大戦]以前のレベルに保つ事に必死でした。その結果は、英国のゴールドの準備金の大規模な流出でした。英国から米国へとゴールドが流出しない様に保つために、連邦準備銀行はストロングによって導かれ、米国の金利率を低く保ち、米国のドルをインフレート(対ポンドのドル安に)する事によってイングランド銀行を補佐しました。ロンドンにおける、より高い金利率は、彼等のゴールドを投資するために、投資家達にとってより魅力的な場所に成り、それ(ゴールド)を米国からイングランドへと引き出しましたが;米国における低い率は、インフレーション(物価高)の原因に成り、それは直ぐに暴走しました。ノーマンとストロングの間の会合はとても秘密裡でしたが、その証拠は、1929年2月において、その市場の崩壊は必然的で、そして最善の道はそれが「自然的に」(つまり、米連銀からの少々の手助けと共に、自然的に)修正させる事であると彼等が決定した事を示唆します。彼等は、市場から撤退する様に、大口の顧客達に助言的な警告を送りました。その後、米連銀は、公の市場において政府証券を売却し始め、それらを後ろ楯するために利用可能な準備金を減少させる事によってマネーの供給を緊縮させました。銀行のローンの利率もまた上昇させられ、ブローカー(仲買)のローンの利率が20パーセントに跳ね上がる原因に成りました。

「その結果は多大な流動性の絞り取りで - マネーの利用の可能性の欠如でした。短期のローンは突然、より高い金利においてのみ利用可能で、マージン(上下動の幅)において株式を購入する事を魅力的では無くしました。

「マージンの上で先に購入された株式を買う新たな購入者達のための動機が排除され、株式を人々が買わなくなったので、株価は下落しました。多くの投資家達は、「マージン・コールズ(証拠金請求:株価が下落した後に、特定の段階まで、彼等のマージンの口座の中に現金を入れろと言う、ブローカーの、投資家達に対する請求)」によって損失において売却する事を強要されました。投資家達が、株式のために彼等が出来るだけ回収しようと大慌てしたので、パニックが派生しました。株式市場は一晩でクラッシュしました。人々は彼等の貯金を銀行から引き出し、外人達は彼等のゴールドを引き出し、マネーの蓄えが積み上げられていた準備金はさらに縮小させられました・・・それは、マネーの供給の操作に対する力を、自治権の有る組織(中央銀行)の単一の独裁的な総裁に一任する危険性の劇的な証拠でした。」⁴⁴⁴

再び、人が有するのは、もし人がこの証拠を、それぞれの惑星が特定の配置に入るとするゴーヴァーと比較すると、最初に、マネーの供給を人工的にインフレートさせ(膨らませ)、簡単なクレジットと借金を拡張し、そしてその後、それを突然緊縮させる事で、株価が急落する事を許し、そして金融マフィア達が大々的な安値において現物資産を買いあさる事を許す特定の政策が、金融マフィア達によって行われたと言う事です。

勿論、この全てが行われていた際に、ハーバート・フーバーが大統領で、そして私達が既に目撃した様に、彼は密かに、それらの不況の全ての理由を研究するために、商業庁の経済学者、エドワード・デューイーに委託しました。

4.幾つかの示唆

ですから私達は此処で、以前に引用されたジェームズ・ガーフィールドの明言と、そしてそれらが派生させた問いに戻りましょう。

彼が明らかに、ブームと崩壊のサイクルは、金融マフィア達によって、人工的に創造されたとほのめかすのに対して、エドワード・デューイーによって収集されたサイクルズのデータ、そしてゴーヴァーによって集められた占星学的なデータは、その様な物事は、単なる人間的な活動よりも、更にもっとより深い原因を有している様に現れ、そして特定の延長において必然的であると、明らかに示唆します。ですから・・・何が本当に起こっているのでしょうか?此処までに検証されたそれぞれの場合において、それらの惑星的な配置が起こっていた際、またはもっと重要な事に、デューイーのサイクル的なデータの一見が指標する様にそれぞれの下り坂(景気悪化)、そして特に1930年代の大恐慌は、様々な政府、または金融マフィア達によって行われた活動が何であれ拘わらず、これ(景気悪化)は、多かれ少なかれ、必然的であるとデータが示唆した時に来ました。

ですから私達は此処で、収集されたデータに基づいて、2つの仮定を立てましょう:

1.デューイーのサイクル的なデータは、1930年代の大恐慌の時代の期間に、正確に下り坂が必然的であると示唆し、そしてゴーヴァーによって集められた宇宙学的なデータは、アメリカの歴史におけるその他の不況のための類似した必然性を示し;そして、

2.太古の時代以来の、その占星学的な関連性を共にした「寺院」と「銀行業の階級」の間の親密な関連性は、現代の時代まで、衰える事無く継続し、その点は、デューイー自身の財団における主要な銀行の経済学者の存在によって妥当に示唆されます。ゴーヴァーの占星学的なデータは、更に加えて、現世的なホロスコープを解読する事が出来るあらゆる占星学者達に利用可能で、そして故に、様々な経済におけるブーム(バブル)と崩壊の歴史的な証拠と比較するために、その様な図表を収集する事を意図した誰にでも利用可能です。

故に、人は驚きの、そして少々息を奪うような結論へと導かれ:デューイーのサイクル、またはゴーヴァーの類似した占星学的なデータのその様な知識の所有にある人は、慎重な政策の操作と、借金として流通しているマネーの複写(コピー/銀行券)に基づいたマネーの緊縮を通して、その様なサイクルの全体的な上昇、または下り坂の上で劇的に激化させ、利用する位置にいる様に現れます。更に加えて、これは、アメリカの歴史における3度の大不況の原因において、正に起こった事の様に現れます。

それらのより深い物理学の、人間の振る舞いに対する正確なメカニズムは、しかしながら、此処において見識されていません。特定の(惑星の)配置は、集合体において特定の種類の振る舞いが台頭する原因に成るかも知れず、それは順を追って、一つの政策、または活動の対処法が、その他よりも相応しい状況を創造するのかも知れません。または対照的に、影響力の特定の種類は、それらのご主人様に成りたい操作人達の巧妙な操作を、知覚するための人間達の集合的な脳力を阻止し、影響力のその他の種類は、人間の知覚的な脳力と行動の自由を拡大するのかも知れません。私達は単純に、これがどの様に機能するのか知りません。ですが私達は、この占星学的な構成要素と、銀行業の階級に対するその関連性は、占星学が関連させられた文明と同じ程古い事を知っていて:バビロン自体です。それは、星々と共にだけでなく、ブリオンの売買人達を共にした、太古の神官階級と寺院と同じ位古い関連性です。ですから、ロスチャイルド家が、その一族の家系図を秘密裏に、シュメールの暴君、ニムロッドまで遡らせると幾らかの人達が主張するのは、記述するだけ興味深いでしょう。⁴⁴⁵

D. 技術開発の可能性の示唆:太古の錬金術的な関連性

この全てが、もし人が、科学技術、または物理的な媒質(エーテル)、もしくは故にそのサイクルズ自体の技術開発の方法を持っていないとしても、経済的な傾向に対する「技術開発の可能性」を示唆するのは、もし人がブームと崩壊の必然的なサイクルを、事前に知るための十分なデータを持っていたなら、人はそれらのサイクルを反転させる事は出来ないかも知れませんが、それらの全体的な効果を大規模に激化させる、または和らげる事が出来るかも知れないためです。

それらのバラバラな概念の全て - 経済物理学、占星学、天文学、ボームとコザレフの原因自体の前兆技術開発、ブリオンの売買人達、太古の寺院を - 一緒にまとめるリンクの架け橋における土台は、錬金術で、その秘儀的な要素において、卑金属をゴールドへと変える実質である賢者の石を製造する能力で、そしてその秘儀的な要素は、創造、または破壊に対する力のために、物理的な媒質自体の、変格的で情報を-創造している性質を引き出す能力です。その秘儀的な要素において、故に、その様な科学技術を手に入れる事はブリオンの売買人達にとって、何らかの部外者の勢力、または派閥が、彼等のブリオンの人工的に-創造された価値の崩壊のためにその様な科学技術を使用し、そして故に彼等の個人的なマネーの-創造の権力を破滅させる事を防ぐために、実直な関心に成ったでしょう。同様に、その科学技術を利用するブリオンの売買人達の独占を壊す事を望む者達にとっても、それは実直な関心に成ったでしょう。同じように、ブリオンの売買人達は、錬金術の秘儀的な要素を操作する事によって、その中におけるその秘儀的な要素の膨大に拡張された力、物理的な媒質自体を操作し、技術開発し、そして故に集合的な人間の振る舞いと活動のサイクルさえも含んだ能力の方法を理解したでしょう。一度その力が彼等に与えられると、彼等の権力の鉄の掌握は完全にされました。

ですから、以前の章を通して観測された段階に注目してみましょう:

1.第一段階において、ブリオンの売買人達は、偽りの錬金術の一種に手を染め、i.e. 帳簿にクレジットの記入をする架空による、クレジット(そしてその借金の利息)の個人的な創造でした。これが金融業家達の錬金術的な大インチキなのは、何か(マネー)が正に文字通り、から創造されたためで、その「何か」は、周りの社会がそれ(マネー)に、その様なものとしての信用を与え続ける限り、何らかの価値があるものに成り続けられます。それが正真正銘の情報では無いのは、それが実際に、その金利/利息を産み出す借金の創造において、「マイナスの情報」の創造で、必然的に全ての創造的な産出をその中へと吸い込み、そして何ものたりとも逃げ出させない金融的なエントロピー(質の低下/破壊)のブラック・ホールであるためで;それは必然的にその母体を食い殺す癌で、それ(癌)自体の死を創造しています。その信用が無くなれば、その価値も無くなります。故に、その「マイナスの価値」を神聖化(正当化)し、確かにする方法は、彼等のマネーの鋳造と発行の活動を、様々な文明における様々な寺院の神官階級の神聖さと誠実さに関連させる事で;

2.第二段階において、それ自体のために錬金術が、ブリオンの供給を増大させる、または拡張させるためだけにでは無く、急速過ぎる供給の増大は、彼等自身が道具化した、個人的に-創造されたマネーの価値を崩壊させかねないので、その科学技術の独占もまた行いました。端的に、彼等がその科学技術を独占しなければならなかったのは、そうしなければ、彼等のマネーの独占が、彼等の領土と国民達の創造的な産出(GDP)の上に基づいた、マネー(政府発行通貨)を発行する彼等の王室の特権を再構築する上で意図された王達によって挑戦されてしまいます。そしてそれを独占化するために、彼等は文字通り、それを発達させる可能性のある全ての社会と文明に侵入しなければなりませんでした。それは、必然的に、そしてその場合の本質によって、国際的な陰謀だったのは、その経済的なシステムがクローズド(閉鎖的)に保たれる事を確かにするために、国際的な影響力を持たなければならなかったためでした。

3.第三段階において、それは常に究極的な目的ですが、そのブリオンの売買人達はそれら全ての中で最高の錬金術的な科学技術を求め:物理的な媒質とそのサイクルズを直接技術開発する能力でした。その秘儀的な要素において錬金術は、その秘儀的な要素の上、i.e. 情報を創造していて、そして変格的な媒質としての、物理的な媒質のアイデアの上に基づいていているので、この科学技術もまた同様に独占化されなければならないのは、何らかの競争相手がそれを手に入れるとマネーの発行(銀行券の貸し出し)の彼等の独占に成功的に挑戦する事が可能で、そしてもっと重大な事に、もし必要とあらば、彼等を転覆させる力を持つためです。

テスラのモーガンによる隠蔽から、テスラ自身の、ツングスカにおける兵器化された形状における、彼の無線インパルス(衝動)配信科学技術の独立的な使用(実験)の可能性まで、ナチス・ドイツの国家に-創造された借金の無いマネーの再構築と、そのベル計画を共にした、このより深い「トーション(ねじれ力)」に-基づいた物理学の調査まで、太古のスパルタとローマの経済的な独裁政治を再建する試みと、エジプトの錬金術的な本のローマの焚書まで、そのパターンは同じでした。

マネーの創造に対して個人的な独占があると何処であれ、人がまた見つけるのは、科学の寺院との必然的で秘密裡な共謀で、そしてその媒質のより深い錬金術的な物理学の秘密裡の開発における共通の関心だったのは、それが、国際的な金融マフィア達の、帳簿のクレジットの記入を創造するイミテーション(詐欺)の影を遥かに超えて、創造、または破壊のための究極の力だったためです。

その寺院との共謀は、太古のブリオンの売買人達に、失われ、そして統一化された物理学の回復のための道への更なるもう一つの手掛かりを与え:地球自体の表面の上のその様な寺院の配置で、そしてその神官達と入門者達に知られた神聖な幾何学の、それら(寺院)の構造の中に繰り返された設計です・・・
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282 Brian Desborough, They Cast No Shadows: A Collection of Essays on the Illuminati, Revisionist History, and Suppressed Technologies (San Jose, California: Writers Club Press, 2002), p. 175.
383 “Econophysics,” en.wikipedia.org/wiki/Econophysics, p. 1.
384 Ibid.
385 Ibid.
386 Ibid.
387 Ibid., p. 2.
388 “Econophysics,” en.wikipedia.org/wiki/Econophysics, p. 2.
389 David Bohm, Wholeness and the Implicate Order (London: Routledge, 1999), pp. 186f.
390 David Bohm, Wholeness and the Implicate Order, p. 187.
391 Ibid.
392 Bohm, Wholeness and the Implicate Order, p. 188.
393 Ibid., p. 190.
394 Bohm, Wholeness and the Implicate Order, p. 190, emphasis added.
395 Bohm, Wholeness and the Implicate Order, p. 190, emphasis added.
396 Ibid., pp. 190-191, emphasis added.
397 Bohm, Wholeness and the Implicate Order, pp. 191-192, emphasis added.
398 I.e., the Foundation’s private magazine.
399 Ray Tomes, “Towards a Unified Theory of Cycles,” 1990年2月のサイクルズの研究のための財団の集会の進行において公表された論文、www.cyclesresearchinstitute.org, p. 4, italicized emphasis added, boldface emphasis in the original.
400 その様な統一化の理論的なアプローチでは無くむしろ、物理学の統一化に対する技術開発的なアプローチの題材のためには、私の The Giza Death Star (Adventures Unlimited Press, 2001)を参照して下さい。
401 Q.v. my The Philosophers’ Stone (Feral House, 2009), pp. 164-65.
402 Ibid., pp. 151-169.
403 Farrell, The Philosophers’ Stone, pp. 166-167.
404 Ibid., pp. 176-178.
405 Ibid., p. 179.
406 Dewey and Dakin, Cycles: The Science of Prediction, p. 191.
407 Robert Gover, Time and Money: The Economy and the Planets (Hopewell Publications, 2005), p. 2.
408 Ibid.
409 Gover, Time and Money, pp. 2-3.
410 Ibid., p. 10, emphases in the original.
411 Ibid., p. 51.
412 Gover, Time and Money, p. 70, emphasis added.
413 Ibid., p. 41.
414 Ibid., p. 40.
415 Gover, Time and Money, p. 44.
416 Ibid.
417 Gover, Time and Money, p. 45.
418 Ibid., p. 47.
419 James Nelson, “Shortwave Radio Propagation Correlation With Planetary Positions.” Conference paper presented to the AIEE Subcommittee on Energy Sources, AIEE General Winter Meeting, January 1952.
420 Ibid. その違いもまた着目されるべきなのは、ゴーヴァーの注目が外側の惑星、つまりガスの巨星(e.g. 木星、土星等々)と[近年、惑星から降格させられた]冥王星であるためです。加えて、ゴーヴァーは、古典的で占星学的な方法において、惑星が通過しているゾディアック的なハウスを記述しますが、ネルソンはそうしません。
421 Ellen Hodgson Brown, Web of Debt: The Shocking Truth about Our Money System and How We Can Break Free (Baton Rouge, Louisiana: Third Millennium, 2008), p. 39. もし、個人的に-発行(貸し出し)された借金であるマネー国家に-発行されたクレジットであるマネーの歴史について、読者が読むべき一冊の本があるとすれば、これがそれです。それはまんべんなく調査され、上手に書かれています。ブラウンは特に、唯単に、金本位制に戻れば、その問題を解決すると言う、多くの人達の誤った推測を暴露するのに卓越しています。私達が既に目撃した様に、ブリオン自体が「ブリオンの売買人達」、または金融マフィア達に操作の対象でした。
422 Brown, op. cit., p. 37.
423 Ibid.
424 Ibid.
425 Ibid., emphasis added.
426 Brown, op. cit, pp. 40-41, italicized emphasis in the original, boldface emphasis added.
427 Ibid., p. 41.
428 Ibid.
429 Brown, op. cit., p. 43.
430 Ibid., emphasis in the original.
431 Ibid., p. 44.
432 Brown, op. cit., p. 47, emphasis added.
433 Ibid.
434 Brown, op. cit., pp. 47-48, emphasis added.
435 Brown, op. cit., pp. 89-90, emphasis added by Brown.
436 Ibid., p. 91.
437 Brown, op. cit., pp. 91-92, emphasis added.
438 See Brown’s discussion on pp. 93-95.
439 Ibid., p. 94, emphasis added.
440 Ibid.
441 Brown, op. cit., p. 140.
442 Ibid.
443 Quigley, Tragedy and Hope, p. 326.
444 Brown, op. cit., pp. 141-142, all italicized and boldface emphases added.
445 Fritz Springmeir, Bloodlines of the Illuminati, p. 237. 「神聖で、秘密裡の文献において記録されている、彼等自身の秘密裡の家系図によると、ロスチャイルド家は、バビロニアの偉大な戦士である指導者、ニムロッドから系統を引き継いでいるとされる」とスプリングメイヤーは明言します。勿論、「神聖で、秘密裡の文献」が意味するのは、それらの主張に実質的な証拠がない事です。しかしながら、後の章の中で見られる様に、その中でその様な主張が解釈されるかも知れず、その中で、多かれ少なかれ、とても緩い協力証言がされるかも知れない、一般的でコンテキスト的な本質のケースがあるかも知れません。
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統一されたフィールドの秘密

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SECRETS OF THE UNIFIED FIELD
統一されたフィールドの秘密

The Philadelphia Experiment, The Nazi Bell, and Discarded Theory
フィラデルフィアの実験、ナチスのベル、そして見捨てられた(隠蔽された)理論


JOSEPH P. FARRELL
ジョセフ P. ファレル著


TABLE OF CONTENTS
目次


PART ONE:
第一部:
THE DISCARDED THEORY
隠蔽された理論


Preface
前書き      v


隠された歴史、物理学、そしてその2つの間の奇妙な相互関係の、数多くの異なった要素を研究した後に、私が終に、隠蔽された科学と科学技術の逸話の中の最も有名な話し:フィラデルフィアの実験に目を向けなければならなかったのは、恐らく必然でしたでしょう。何年も以前に、研究のこの道を辿り始めて以来、私は必然的に、それを扱わなければならないと知っていました。ですが、本音を語らせていただくと、私は多大な戸惑い(不本意)無しで、それを行ったとは言えません。

これは、その逸話が、私を関心させなかったとか、魅了させなかったと言うわけではありません。チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーのフィラデルフィアの実験:インヴィジビリテー(不可視)計画(の本)を私が購入し、少々、息を奪われ、麻痺させられた(仰天させられた)一読以来、その逸話は私をとりこにしました。その多くの読者達のためにそれが行った様に、その本は不完全性(物足りなさ)の感覚と共に私を残し、更にもっと知りたいと、私を残しました。明らかに、その逸話と共に、もっと言われる事、そして成される事が必用であり;バーリッツとモーアーでさえ、それ程多くを示唆しました。

ですがその後、その逸話に対する乱暴で、雑草の様で神話的な視聴(噂話)が派生しました。タイム・トラヴェルと新たな生活についてのノンセンスと共に、乗組員達と参加者達と主張される者達が出て来て、その正体(身元/実在)は、とても歪められていて、湾曲されていて、理解するために、物理学と家系図的な研究における二重の博士号(そして、恐らく精神医学における博士号がまた手助けに成ったでしょうが)その様な誰かを必要としました。この熱帯雨林的な(とても盛んな)増殖は、新たなプレーヤー達を含んだ、フィラデルフィアの実験の逸話の上に「モンターク計画」の神話全体を移植する事によって、全く助けられませんでした。これが唯一そのジャングル(混乱)に加えたのは、此処でその逸話が過去の生命、変格された意識、タイム・トラヴェル、そして反-重力を含んだだけで無く、意識の操作、誘導された精神分裂、ナチスの U-ボート(潜水艦)、そして親-ナチスのドイツ人の「入植者達(米国への移民達/ペーパークリップ)」を含むためで、その全ては、ロング・アイランド(i.e. ニュー・ヨーク)の東部に集中していました!

この新-グノーシス的なノンセンスの全ては、主張されたフィラデルフィアの実験について、長年に渡り多くのノートブックの中に記録された私の考えを、の形状において出版しようとする私の意欲に対する強い抑止力だったのは、その逸話自体の根源において、私が信じただけでなく、一般的な説明以上に、更にもっと単純で、センセーショナルでは無い成り行きにおいて真実で、そして更に、その正に簡単(単純)な特徴によって、元々の逸話の上に、誰かが植え付けようと試みた、更にもっとセンセーショナルで、庶民的な、無知の増殖でした。ですから、モンターク計画とか、アル・ビーレック(Al Bielek)とは、一体、何だったのでしょう?

しかしながら、その逸話についての元々の主張された事実が理解されると直ぐに、その後、そのセンセーショナルな要素が残るままであるだけでなく、主張されたタイム-トラヴェルしている個人達のあらゆるモンタークの神話は、それらの逸話と共に伝えられる事が出来るよりも、更にもっと恐ろしく、そして暗闇に成ります。これが何故なら、第二次世界大戦のるつぼ(真っ只中)において生れた、そのフィラデルフィアの実験が、奇妙で、暗号的で、そして殆ど「同時発生的な」方法において、その戦争からの隠蔽された科学と科学技術の、もう一つの同等に奇妙な逸話に対して関連しているためで:ナチスの「ザ・ベル」の機器の逸話です。従って、それらについての科学的な推理の内容に加えて、(それらの)逸話の両方をこの本は再検証します。この本は故にまた、ザ・ベルについての私の以前の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の中で述べられる事が出来なかった事を、フィラデルフィアの実験のコンテキストにおいて述べるための、ナチスのベルの逸話を新たに見直す再検証なのは、理論的にその2つの実験の間には強い関連性が実際にあるかも知れないため、またはもっと上手く言えば、一つの理論、一つの見捨て去られた(隠蔽された)理論においてであるためです。

本文の中で目撃される様に、その2つの実験が比較された時に、平行線の奇怪で殆ど皮肉的な一連が台頭し、そして間違いなくそれらの皮肉の最も奇妙な一つは、彼等の船(海軍)を共にしたアメリカ人達が、とても少数の例外を除いて - 彼等が発見したもののために探していたのではなく、彼等がそれを発見した時に、彼等が発見したものが何であったのかを知らず、そして彼等が発見した後に、それと共にどうすれば良いのかを知らなかったからです。彼等のザ・ベル – そして私達がこれから発見する様に、(それに)類似した機器と共に - ドイツ人達は、対照的に、彼等が発見したもののために探していただけでなく、彼等は、多かれ少なかれ、どの様にして探すかを知っていて、そして彼等がそれを発見した時に、それと共に彼等がどうしたかったのかを知っていました。彼等はそれを兵器化する事を求めていました。もし彼等の側に推定があったとしたら、それはアメリカ人達にとってそうであった様に、予期されていなかった非-直線的(非線形/渦巻き)の効果の偶然的な発見においてでは無く、それは(当時)利用可能な科学技術が、理論的な概念の、革新的で、実験的な確認から、実用的で、開発可能な兵器へと移行させる役割に十分であると言う、彼等(ドイツ人達)の自信においてでした。故に、その構図は「技術不足のアメリカ人達」対「優秀なナチス」の一種では無くむしろ、両方の側における優秀さと、同時に特定の推定と自信過剰の構図です。

どの様な場合であれ、この本の本文の中で目撃される様に、ザ・ベル計画と供に拘わったドイツ人の科学者達は、彼等が見たい(検証したい)と思った処(科学技術)を検証出来るために、特定のユダヤ人の物理学者達のアイデアを論議する、または探求する事のナチスの禁止を多少、「誤魔化し」、そしてそれら(ユダヤ人達のアイデア)を、綺麗に型どられ、公式にされた、ナチスの制服で偽装(カムラースターブ)しなければなりませんでした。そしてもし、その売り込みの掛け声が失敗したなら、彼等はそれでもユダヤ人の物理学者達の未完成の理論に対して「純粋でアーリア的な」その他の選択肢を有していて、(その)選択肢は量子力学において基づいておらず、それは、それら自体の正当性において、より高い次元的な「統一されたフィールド」理論でした。そして私達がまた発見する様に、それらのより高い次元的なアプローチ(対処の仕方)は、そのユダヤ人の物理学者が一般相対性理論の彼の有名な理論に見切りをつけ、そして更にもっと完全で、理論的に満足のゆく何かを求めるための、究極の鼓舞でした。彼はそれを発見し、そして1928年において公表し、そしてそれを統一されたフィールド理論と呼びましたが、その理論は究極的に物理学が見捨てた(隠蔽した)理論で、そしてそれにおいてもまた、逸話があります。

この本は故にまた、その見捨てられた(隠蔽された)理論についてで、そしてどうして、その戦争の正反対の側の2つの戦闘員達(ナチスと連合軍)によって行われていた実験である、第二次世界大戦の最も奇妙な実験の2つを奇妙にも統一させるのかです。その逸話は、その理論がどの様に台頭し、何故とても可能性が高い様に現れ、そしてナチスにとって、とても兵器化可能だったのに、何故、その戦争の後に、技術開発可能な実験のための土台として、殆ど完全に消え去った(隠蔽された)のかについてです。実際に、もし不完全な理論だとしても、電気的に技術開発可能なものとしてのその消失は、その実験自体と同等な程奇妙で、そしてこれは、恐らく誰かが、その理論的な「不完全さ」は別にした、その他の理由のために、その理論が消滅する事(隠蔽する事)を望んだと言う疑いを浮上させます。

更にもう一つの皮肉的な平行線において、その理論と2つの実験と共に関連した科学技術はまた、その戦争の後に単純に消失し、そして奇妙にも、何十年も過ぎるまで、それらについては一言も聞かれませんでした。何年にも渡り、それらに少しでも類似している実験は全く行われず、そしてそれらが行われた時には、それらが正確に評価される事が出来たかも知れないその戦時中の背景(データ)は既に長く消失していた、または、ナチスと、彼等のベルの機器の場合、必要な弾丸(i.e. 暗殺)、記されていない大量の墓、行方不明の SS の将軍達、そして行方不明の大規模な巨大輸送(飛行)機の後、意図的に埋められ(隠蔽され)、その全ては、誰かがその科学と科学技術を隠蔽し、それを抹殺し、公共の監視と分析のあらゆる可能性からそれを永遠に排除する事を望んだ事の、明らかで鮮明な示唆です。

ですが、この統一されたフィールドの方程式のアメリカ側はどうだったのでしょう?それはどの様に埋められた(隠蔽された)のでしょう?恐怖、官僚的な緩慢、その他の理論の約束(可能性)、陰謀・・・恐らくそれらの全てが役割を果たし、そしてそれらの幾つかはこの本の中で検証されるでしょう。これに関して、恐らく、それらの合理的な結論へと、物事を解釈しようと続ける好奇心の多い人達を妨げるために、フィラデルフィアの実験において関わったとされるアメリカ人の科学者達の幾らかに因んで名付けられた物理的な効果(作用)が、その科学者達の名前との関係において、名前を変えられた、または単純に物理学の教科書(参考書)の中で全く記述さえされていないのは、それらの2つの実験にまつわる、それらの奇妙な皮肉の一つでしょう。その科学者達の名前は、テスラ-の様に、主要な文書(教科書/参考書)から殆ど完全に削除されました。人は大学の授業(講義)の中で、ビーフェルド(Biefeld)-ブラウン効果、または電気的な回路(circuits)のクロンのテンサー(テンソル)分析、そしてその見捨てられた理論の示唆を殆ど聞く事はありません。実際に、クロンの先駆者的な研究に関係すると共に、図書館制度の貸し出しを通した回転している電気的な機械のテンサー分析についての彼の論文を得ようとする私の試みにおいて、私の図書館員からの奇妙な対応をもたらし:そのクロンの研究は、個人的な大企業(財閥)の図書館である、唯一の図書館から唯一借りる事が可能で、そして単純に貸し出しするために、1,200ドルの費用が必要で何よりも効果的な隠蔽の方法でした!最後に、オルタナティヴな研究のコミュニティー(i.e. 私達)が、あたかも願望的(好き勝手)な考え方の形状に乗っ取られたかの様に、人はフィラデルフィアの実験の殺傷的で、兵器化可能な効能について殆ど聞きません。

その後者に関して、グレート・ピラミッドについての私の最初の著書の出版、そして更に最近のザ・ベルについての私の以前の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の出版以来、私はある傾向に気付きました。その傾向は、どちらの場合においても、それらの物事が兵器として考えられたと言う私の主張を全く過小評価する、または単純に無視する、もしくは理解出来ないふりをするものでした。私が継続的に驚かされた様に、私の最初の著書の出版以来、私は接触の一貫的な流れを受け取りました。友人達、ファン達、知り合い達からの E-メールや手紙は頻繁に - その幾つもの本自体において私が行ったよりも更にワイルドで - それら(の本)が彼等(読者達)に対して体現した、「タイム・トラヴェル」や、「次元的なポータル(出入り口)」、そしてその他の可能性についてでした。この本の中で私は、少なくともザ・ベルと、ナチスのブラック(闇予算)の計画の兵器庫(ふところ)の中のその関連物は、それらの物事(タイム・トラヴェルや次元的なポータル)として全く考えられなかったと再検証する事によって、その様な解釈を思いとどませる事を望みます。それは、兵器化の土台としてさえ考えられたのではあらず、その兵器自体でした。そして関わった物理学が与えられると、大量破壊兵器でした。

一度、両方の計画の根底にある物理学が見解されると、そして一度、その恐ろしく、凄まじい効能(potential)が理解されると、すると、衝撃的な要素を供給するための、モンタークの神話、または分離させられた(時間を失った)タイム・トラヴェルの人格などの、無制限の想像力の推進力のための必要性が単純に無くなります。その物理学自体がその逸話で、そしてそれは十分に衝撃的です。ですからもし読者(あなた)が、更なる『タイム・トラヴェル』の逸話と、『終に彼等が知っている事を明かそうと決心した』、『新たな匿名の情報源』、または催眠術的な退歩(操作/後戻り)からの『更に取り戻された記憶』、もしくは何らかの『スピリットのガイド』から『チャンネル(遠隔透視)されたメッセージ(情報)』を期待しているなら、すると、この本を手元に置いて、それを通り過ぎて、そして何処か他の処に行ってください。

その2つの計画において関わった科学は、アメリカ人達、またはドイツ人達のための、深夜のラジオのゲームのトーク・ショーなどではありませんでした。第二次世界大戦の厳しい現実性は、次元的なポータル(出入り口)、タイム・トラヴェル、または光学的な不可視(ステルス)、もしくはテレポーテーションの様なノンセンスのためのあらゆる探求を絶対的に許しませんでした。アメリカ人達とドイツ人達の両方にとって、その発見するための計画は、生きるか死ぬかの問題でした。それらの国家の、それぞれの科学的な研究を管理している委員会に対して、船を不可視にする、またはより高い次元へのゲートウェイ(出入り口)を開くための資金援助を要求する事を想像すれば、それらの2つの実験にまつわる推測の幾つもの馬鹿馬鹿しさと全くの狂気を、直ぐに理解するでしょう。その様なノンセンス的な提案をしていたアメリカ人達は、恐らく精神病院に入れられた可能性が高く、そしてそれらを提案していたのがドイツ人達なら、労働収容所の奴隷労働の労働へと送られる、またはその発想が十分に突飛抜けていれば、SS (ナチス親衛隊)の秘密裡のオカルトで(隠された)、そして秘儀的な研究部門である、SS の全国指導者、ヒムラーの気違い染みた、そして残虐な Ahnenerbedienst のための研究者に成ったでしょう。

その様な物事は此処において全く提供されません。サウンドバイト(聞こえの良い短文)も、新たな啓示も、新たに回復された記憶も、チャンネル(遠隔透視)されたメッセージも無く、端的に、オルタナティヴな研究をとても頻繁に特徴化(疎外)する、下らないニュー・エイジのグノーシス的なノンセンスの吐き出しは全くありません。確かに、これは高度に推理的な本ですが、根拠の全く無い推理ではありません。此処において提供されているのは、フィラデルフィアの実験と、そして更に重要な事に、彼等の恐ろしいベルの機器がそう成るであろうとナチスが理解した、物凄い審判の日の(終末論/最終兵器的な)兵器、そして何故彼等はそれがそう成るであろうと理解したのかの背景の核心にあったであろうと私が信じる、幾つかの複雑で、数学的、そして幾何学(座標/立体性)の周りの – 言葉遊びは意図されていますが – 読者が、彼(彼女)のマインド(頭脳)を捻る事を必要とする推理です。従って、一般的な読者に対して妥当な方法においても、その概念を表そうとする試みの全ては、言うまでも無く、この本のテクニカル(技術的)な問題(題材)は難しく(難解である)と強調される事が必用です。しかしながら、私の以前の著書の殆どにおいて、そして(それぞれの)本が読み進まれるにつれ、私は科学的な推理の行程へと、徐々に、読者を紹介しようと試みました。ですが此処において、その関連性と重要性が唯一、それらの2つの実験自体における、それらの応用の浅瀬(理解)に向かって彼(彼女/読者)が泳ぐ際にあらわに成る、とてもテクニカル的な概念の深い側へと、始めから彼(彼女/読者)を投げ入れる他、方法がありません。

その推理的で、科学的な分析の結果として、此処においてまた提供されたものは、それらを分析するために応用された科学的なモデルの上に基づいた、それらの実験の歴史の可能性についての再検証です。従って、此処において提供された分析のための物理学的な土台は - 結局の処、その上に両方の計画が部分的に基づいた理論が究極的に見捨てられた(隠蔽された)ので - 実際に、間違っている、または不正確であるかも知れませんが、少なくともそれは、科学の概念における土台で、太陽神、ラーから回復された記憶、またはチャンネルされたメッセージなどではありません。私は故に、間違う事に対する私の権利を主張し、そして正に、分析のために此処において使用された物理学的なモデルが、そうするための唯一の土台であるとは主張しません。このモデルは単純に、両方の計画の背後にある、「暫定的な歴史」の一種を示唆します。

実際に、それらの歴史の再構築無しでは、その科学を再構築する事は、もし不可能では無いにしても、困難に成ります。例えば、どの様な種類の思考が実際に、それらの実験の実施に繋がったのでしょう?その科学者達がそれらを夢見ていた際に、彼等の頭の中で何を考えていたのでしょう?彼等の実験的な進歩を確認するため、そして彼等の計画の、彼等それぞれの政府からの資金援助を正当化するために、どの様な種類の実験的な基準を設定したのでしょう?そしてその問題のために、人はどの様に、その同じ物理学のモデルから、一方(アメリカ側)がその奇妙な実験的な効果を偶然によって発見し、そしてもう一方(ナチス・ドイツ側)がそれらを意図的に発見した事実を説明すればよいのでしょう?

それらの問いは、ザ・ベルのための両方の逸話を公開した主要な情報源において記述された:イゴール・ウィトコウスキーの、ドイツの秘密兵器についての素晴らしい本、ヴァンダーワッフについての真実と、ニック・クックの極めて重要な、ゼロ・ポイント(エネルギー)のための探求、そして更に、フィラデルフィアの実験のために、その逸話をより広い読者達に対して紹介した本である、チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーの、フィラデルフィアの実験:不可視計画の両方の計画の歴史の重要性に焦点を当てます。その後者の本は順を追って、極度に手に入れる事が難しい研究である、その「ヴァロの注釈版」において、早期の UFO 研究家、モリス・ジェセップ博士による、UFO のための立件の重大な本に言及します。従って、それが此処において幾らかの詳細において再検証されるのは、その逸話のバーリッツとモーアーの記述、またはその注釈されていないヴァージョンにおけるジェセップの研究と共に親しみがある読者達に対してでさえ、あまり良く知られていないためです。

私自身が個人的に、長年に渡り難色を示し、そして私の個人的なノートブックの中に私の考えを記述した後、フィラデルフィアの実験について私が書く事を鼓舞した人達に対して、最後の感謝の言葉が必要です:電話でアイデアを交換し、そして論議するためにとても多くの時間を費やした、americanantigravity.com の私の友人、ティム・ヴェンチュラに対して;インターネット上でジェセップの本のヴァロの注釈版を探すために私を手助けした私の友人、リッチ・ウッドと Zhe yong に対してです。ガイ・バニスター特務捜査官の FBI の UFO の書類を私が入手する事を許し、そして邪悪な勢力:アメリカの政治的な魔術のグリモア(魔導書)の彼の素晴らしいシリーズ(一連)から此処において引用された多くの観測のために、ピーター・ラヴェンダのために、多大な感謝の言葉を送りたいと思います。また、イゴール・ウィトコウスキーのヴァンダーワッフについての真実と共に沿って、ナチスの秘密兵器についての本の頂点に位置する事が相応しい本、ヒトラーの隠蔽された、そして未だに秘密裡の兵器、科学、そして科学技術の彼の最も近年で、そしてあらゆる認知において素晴らしい研究における、卓越した資料のために、ヘンリー・スティーヴンスに対して多大な感謝を送ります。最後に、それを出版する勇気を持っていたために、私の出版者、デーヴィッド・ハッチャー・チルドレスに対するいつも通りの感謝を述べたいと思います。

ジョセフ P. ファレル
南ダコタ州、ラピド・シティー
2007年

Part One:
第一部:
The Discarded Theory
隠蔽された理論


「私はこの理論が - 少なくとも最初の応用において - とても単純で自然的な方法において、重力と電磁力のフィールド方程式を算出すると発見しました。故に、この理論が、その元々の形状において、一般相対性理論に入れ替わる事が可能な様に見えました。」
- アルバート・アインシュタイン、「重力と電気の統一されたフィールド理論のための新たな可能性」、プロシア科学学会の会議報告、1928年6月14日。

1. Tensors, Torsion, and Wringing an Aluminum Can
1.テンサー(テンソル)、トーション(ねじれ力)、そしてアルミの缶を絞る     1


「そして(マルデュックが)彼の口と共に語ると、その布(服)は消え;再び彼が命令すると、その服は再び現れました。」
- バビロニアのエピック、エヌマ・エリッシュ、粘土板4¹

1928年に、プロシア(ドイツ)の科学学会に提出された論文の中で、物理学の最も著名な人が、彼の短いコメントを付属させた、端的で短い数学的な表現、Λαβv を含みました:「このテンサーは、より複雑な Riemannian (リーマン的な)カーブのテンサーでは無く、連続体(continuum)を特徴化させるための開始地点として利用されるでしょう。」² この数学的な用語の全てに対して、読者の目が戸惑ったかも知れない間、アルバート・アインシュタインの最新の物理学の論文の読者達の眼は戸惑いませんでした。そして彼等が何故、戸惑わなかったのかの理由がこの本のについての内容なのは、その短い数学的な表現と、その関連した概念が、全ての可能性において、第二次世界大戦の最も有名で、奇怪な秘密兵器の実験と計画の2つのための、概念的な土台に成ったためで:フィラデルフィアの実験と、ナチスのザ・ベルでした。

彼等の眼が戸惑わなかったのが何故なら、アインシュタインがその後に、3つの更なる方程式と共に、この力強く重要な明言を続けたためで、その後に彼は、「これから、物理学に関係した法則が引き出せるか・・・」否かを調査するつもりであると言う、更に短いコメントを付属させたためです。³ 1930年に成ると、アインシュタインは、「Riemannian メトリクス(測定法/尺度)と距離の平行性(distant parallelism)の上に基づいた、統一されたフィールド理論」と題された論文の、ドイツにおける地位の高い Mathematische Annalen (数学の年報)の中の出版と共に、彼の約束を守り、その第二段落は、その論文の題名とは対照的に、単純性そのものでした:
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1 Enuma Elish, ed. L. W. King, M.A., F.S.A., Vol 1 (London: Luzac and Co., 1902) Tablet 4, p. 61.
2 Albert Einstein, “Riemannian Geometry with Maintaining the Notion of Distant Parallelism,” Session Report of the Prussian Academy of Science (Sitzungsberichte der Pruessischer Akademie der Wissenschaften) June 7, 1928. より近代のテンサー表記法と共に親しみのある(理系の)人達のために、私がアインシュタインの表記法に言及する場合、彼の表記法の、より古いスタイルが保存されたと注意を促しましょう。この場合において、トーションのテンサー(テンソル)は未だに以下を必要とします:Λαβν = Γ αβν – Γβαν(22ページ参照)。
3 Ibid.


「以下に続く考えの上で次元の数は問題では無いので、私達は n-次元的な連続体(継続性/continuum)を仮定します。メトリクスと重力の事実を説明するために、私達はリーマン(Riemann)-メトリックの存在を仮定します。自然においては、電磁的なフィールドがまた存在し、それはリーマン的なメトリクスによっては表現される事が出来ません。これは問いを浮上させ:その事の全体が統一的な特徴を持てる様に、追加的な構造と共に、私達はどの様に、自然的で、合理的な方法において、私達のリーマン的な空間を融合させる事が出来るのでしょうか?」⁵

慎重に読むと、もし私達が、単純な「入れ替え(substitution)」と数学者達が呼ぶものを行い、そして「メトリック」と言う言葉のために「幾何学(立体性)」で入れ替えれば(テクニカル的にそれらは全く同じものは意味しませんが)、その偉大な物理学者が考えていた事を、人は理解する事が出来ます。

此処においてアインシュタインが意味している事を理解するために、人は統一されたフィールド理論を探求する事における、彼の全体的な「方策」の理解を有さなければなりません。彼の統一されたフィールド理論の論文における彼のアプローチは、特殊相対性理論と一般相対性理論において彼が行った、概念的で、幾何学的なアプローチの継続として見解されるべきだと、幾らかの人達は主張します。⁶ 相対性の特殊理論の発展における主要な問題の一つは、「あらゆるシグナル(電波等々)的な配信の速度に対する絶対的に有限な限度の存在(i.e. 光速=定数)」のためのその要求で、つまり、光の速度が速度制限を有し、そしてこの速度制限が、あらゆるシステムにおける、あらゆる観測のために真実であると言う事です。⁷ これは、勿論、この速度制限が、「ニュートン的な重力の理論によって矛盾された」⁸ので重力の新たな理論を必要とし、そしてこの重力の新たな理論が一般相対性理論でした。
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4 Einstein, Mathematische Analen, 102 (1930), pp., 685-697.
5 Einstein, “Unified Field Theory Based on Riemannian Metrics and Distant Parallelism,” trans. A. Unzicker and T. Case, § 1., “The Structure of the Continuum,” emphasis added.
6 Tilman Suaer, “Einstein’s Unified Field Theory Program,” Einstein Papers Project, California Institute of Technology 20-7 (Pasadena, California, April 11, 2007), p. 3.
7 Ibid.


その突破口は、アインシュタインが重力を、一種のフィールド(場)として、一種の幾何学(立体性)として、そして実際に一種のとして考えた時に現れました。一般相対性理論におけるこの考えに重要なのは、「等価原理(Equivalence Principle)」または「等価仮定(Equivalence Hypothesis)」で、それは重力的な質量と加速を、慣性的な質量と加速と同等にします。これは、もし人が、アインシュタインの有名な「思考実験」の一つを思い出せば、更に簡単に理解されるでしょう。人が、窓の無いロケットの(宇宙)船の中にいて、そしてそれが突然加速したと想像してみて下さい。その船の中のあなたの体の質量に対するその加速は、座席の背もたれに対して「押し付けられる様な」親しみのある感覚(G)を産出します。ですがこれは、多かれ少なかれ、加速の同じ率において、その重力のために、質量に向かって落下している人と、全く違わないと、アインシュタインは述べました。アインシュタインの(数式の)形成のためのこの原則の一つの(必然的な)推論は、重力的、または慣性的な質量と加速が単純に(考慮)計算されていないと言う事です。特定の意味合いにおいて、それらは存在する事さえ出来ません。しかしながら、この幾何学化のために、重力的なフィールド自体が、ダイナミック(流動的)なシステムとして理解される様に成り;その重力的なフィールドが変化出来ると言う事です。これらの概念は、後に目撃される様に、とても重要です。

どんな場合であれ、アインシュタインの1928年の論文からの短い引用の中で鮮明なのは、彼が重力を、幾何学の特殊な一種、「リーマン」幾何学として描写する事によって、彼の幾何学的な方策を続ける事です。⁹ これが、彼の一般相対性理論の背後の原則の全体で、それは重力を、惑星や恒星の様なとても大きな質量の存在における、時空間の繊維の地域的な湾曲(カーブ)として表現しました。その概念が、初見した時程、理解が難しいものでは無いのは、トランポリンの上に人が、ボウリングのボールを置く事を想像すれば良い為です。そのボウリングのボールは、そのトランポリンの表面において凹み - そのトランポリンの二次元的な空間の表面の地域的な湾曲を産出し – それは、最終的にそのトランポリンの表面がタンジェント的にそのボウリングのボールの表面に触れるまで拡張します(凹みます)。その最後の概念を頭に入れておいてもらいたいのは、それがまた、私達がアインシュタインのアイデアの概要と、そしてその後に、フィラデルフィアの実験と、ザ・ベルの根底にあるかも知れない物理学を検証した際に幾らかの重要性を担うかも知れないためです。

1 gravity
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8 Ibid. ニュートンの理論における矛盾が起こるのが何故なら、それらが(お互いから)どれだけ遠かろうとに関わりなく、質量の間には即座に、引き寄せ合いの力(作用)が存在するためです。
9 バーンハルド・リーマンは、ユークリッド的な幾何学の、一般的に平らで、直線に進むものよりはむしろ、湾曲(カーブ)した表面と空間の上の幾何学的な物体と共に扱うための、基本的で、数学的な原則を形成(数式化)したドイツ人の数学者で、幾何学者でした。リーマンはまた、三次元以上において、幾何学的な物体を描写するためのテクニック(技術)の下地を敷きました。


此処で明らかに、私達のボウリングのボールの類推が、重要な点において崩壊するのは、しかしながら、そのトランポリンの表面が、唯一一つの表面で - 二次元的なものであり - それに対して、地球の表面の上の何処に私達がいるのに関わりなく、私達がジャンプする時に、重力の力(作用)がその(地球の)表面へと私達を引き戻す(または言い換えると押し戻す)、引き戻し(または押し戻し)を働かせる事を、私達が知っているためです。これが意味するのは、私達が立っている(存在している)のは、地球、またはその他の大きな天体のいずれかの、カーブしている表面と共に接触している一つだけの平面(二次元)よりもむしろ、地球の表面上のあらゆる地点のために、その様な「トランポリンの表面」の、無限の数と共に、私達が考慮しなければならないと言う事です。ですからボウリングのボールによって原因された一つの窪みを共にした二次元的な表面よりもむしろ、そのそれぞれの平面が、地球の表面上の一つの地点に対してタンジェントに成る様にアレンジ(調整/配置)された、(複数の)平面の無数の数の上の、その様な窪み(凹み)の無限の数を想像して下さい。大きな質量の存在における、空間のカーブ(湾曲)によって、アインシュタインが意味したのは、多かれ少なかれ、この事で、そして彼の一般相対性理論をとても革新的なものにしたのは、重力のこの幾何学的な描写でした。それが革新的だったのが何故なら、重力の力(作用)が、幾何学的な方程式の形状(数式)において説明される事が出来たためです。その幾何学が力(作用)で、その力が幾何学でした

その方程式は順を追って、「テンサー解析(テンソル計算法)」、または、それがまた時には「絶対微分学(absolute differential calculus)」と呼ばれる、難解で、数学的な言語において表現されました。それは物理学者の道具において、極度に便利で、数学的な道具(方程式)で、そしてそれについては後に更に述べられるのは、それが、フィラデルフィアの実験と、ナチスのベルの私達の解釈において手助けに成る、幾つもの重要な概念を含むためです。

此処で、アインシュタインの1928年の、統一されたフィールド理論の論文における、彼の明言からの最終段落:「自然においてまた、リーマン・メトリックによっては表現される事の出来ない、電磁的なフィールドが存在しています。これは、『その全体が統一的な特徴を持つように、私達はどの様に、追加的な構造を共にして、自然的で、合理的な方法において、私達のリーマン的な空間を説明出来るか?』と言う問いを台頭させます、」を思い出して下さい。此処で注目してもらいたいのは、アインシュタインがもう一つの明らかな事実 - 電磁的な力(作用)の存在 – そしてあまり明らかでは無いものを指摘した事で:それらは、リーマン幾何学を構成した、カーブ(湾曲)した表面の幾何学の何らかの種において表現される事が出来ない事です。その、あまり-明らか-では無い-事実が明らかに成るのは、しかしながら、棒磁石、一枚の紙、そして砂鉄と共に、人が(小)学校で行った、とても単純な実験と供に、磁気的なフィールド(磁場)の形、または幾何学を、人が思い出した時です。磁石の上に保たれた紙の上に砂鉄が振り撒かれた際に、その砂鉄はその棒(磁石)の磁気的なフィールドの、その力(磁力)の線(フィールド) – またはヴェクトル - に沿ってそれら自体を配置/配列させます。人が「それらの全てを一緒に考えた」時に – または、数学者達と物理学者達が「全てのヴェクトルの上の足し算(sum over all the vectors)」と呼ぶものを行った時に - 人は磁気的なフィールドの幾何学の数学的な表現を有し、それが、私達のボウリングのボールの類推同様に崩壊するのは、その一枚の紙が、実際には三次元的な現象の、二次元的な表面でしかないためです。もし私達がその幾何学を三次元にすると、その磁気的なフィールドは、「トーラス」、または「ドーナッツ型」に見えます。ですから、幾何学的な物体として、重力と磁力の間には違いがあり:一方は「球体的」で、そしてもう一方は「トロイダル(トーラス型)」、または「ドーナッツ」型です。

1 Torus in Nature

トーラス・ヴェクター(ヴェクトル)
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彼の革新的な提案へとアインシュタインを導いたのは、基本的な幾何学のこの区別(特質)で:一般相対性理論における重力の「カーブした表面」の幾何学は、電磁力を描写(説明)する追加的な幾何学と共に補足され、重力と電磁力の両方が分かち合った、より更に基本的な幾何学の subsets (部分集合/準-項目)である、両方の幾何学とする方法の様なものにおいて補足されたのでしょうか?言い方を変えると、この一つの短い方程式において、アインシュタインは、現在では有名な彼の、究極的には排除された、そして今では全く忘れ去られた(隠蔽された)統一されたフィールド理論のプログラム(計画/概念)を公表していて、それは電磁力と重力の共通の幾何学を見つけるための試みでした。

ですが此処において、問いの重要な一連が起こり:何故、それは有名だったのでしょう?何故それは、究極的に排除され、そして忘れ去られたのでしょう?そして何故、私達は、現代の物理学者であれば、誰も全く受け入れない理論の定義において - フィラデルフィアの実験とナチスのベルと言った - それらの2つの重大な実験を説明する事を求めなければならないのでしょう?それらの問いに対する答えが此処で、私達を没頭させるのは、それらに答える事において、アインシュタインと同年代の人達の数多くの注意を凄く捕らえた数学的な表現 Λαβν の重要性を、私達が発見するであろうためです。

A. A Brief History of the Unified Field Theory Craze of the 1920s and 1930s
A.1920年代と1930年代の、統一されたフィールド理論の熱狂の端的な歴史
    1
1.カルツァ-クライン理論

アインシュタインは、重力と電磁力の両方を説明するための、「補足的」、または「より基本的」な幾何学を見つけるための彼の努力において、物理学の歴史の中で、幾何学的な線に沿った、重力と電磁力を統一するための、その様な最初の試みとしてその名を残した、カルツァ-クライン理論によって鼓舞されました。その発見者であるセオドア・フランツ・エドワルド・カルツァ博士に因んで名付けられたその理論は、一般相対性理論の、3つの空間(三次元)と一つの時間である、四次元に対する追加において、新たな空間的な次元を紹介する事によって、重力と電磁力の統一化の問題を解決した事において特徴的です。故に、カルツァの理論の中で人は、4つの空間的な次元と、一つの時間(五次元)を有します。

カルツァは、1885年11月9日に、低サイリーシア(地方)のオッペルンのドイツの街において生れ、そして1954年に亡くなりました。彼の、現在では有名な理論を彼が形成していた時の期間の間、カルツァは、東プロシアのドイツの一地方における、Königsberg 大学の数学の非常勤講師(Privat Dozent)でした。¹⁰ それらの2つの事実 - オッペルンと低サイリーシアと、Königberg 大学における彼の学術的な教職との両方の関係は - ナチスのベルの実験の私達の検証において、この本の第3部の中でとても重要に成ります。

1919年において、アルバート・アインシュタインが、一般相対性理論と電磁力の数学的な研究を終えた後に、カルツァは、彼に手紙を書きました。アインシュタインがカルツァの手紙を読んだ時に、彼は文字通り驚かされました。相対性理論のその有名な発案者に対する、彼の手紙の短い数行の中で、

「カルツァは、第五の次元(つまり、空間の四次元と、時間の一次元)を紹介する事によって、アインシュタインの重力の理論と、マックスウェルの光の理論を統一していました。」
_____
10 基本的には、現在のアメリカの大学における「非常勤講師」の同義語です。

「本質において彼は、昔の(空間的な)「第四次元」を復活させており・・・そして第五次元として、新鮮な方法において、アインシュタインの理論へと、含ませていました。彼(カルツァ)以前のリーマン同様に、カルツァは、が、このより高い次元によって原因されたさざなみ(小さな波/i.e. フリクエンシー)によって原因された障害(行程)であると仮定しました。リーマンから、この新たな研究を分離させている新たな違いの鍵は・・・、カルツァが正真正銘のフィールド理論を提案していた事です。

「この短い記述において、(リーマンのメトリック・テンサーが、無数の次元において形成される(数式化される)事を私達が思い出せば)、通常の四次元では無く、五次元において、重力のための、アインシュタインのフィールドの方程式を書き留める事によって、純粋にカルツァは始めました。その後、彼はそれらの五次元的な方程式の中には、アインシュタインの以前の四次元的な理論と共に、追加的な一部(予測されていた次元の破片/4+1)をその中に含んでいた追加的な欠片(i.e. 五次元)の理論を含んでいたと証明する事に至りました。ですが、アインシュタインを驚かせたのが何かと言うと、この追加的な欠片が正に光のマックスウェルの理論だった事です。言い換えると、科学において知られている2人の最も偉大なフィールドの理論者達、マックスウェルアインシュタインが、第五次元を混ぜる事によって同意しました。」¹¹

彼の有名な理論の当時の頃のセオドア・カルツァ博士
1 kaluza
_____
11  Michio Kaku , Hyperspace: A Scientific Odyssey through Parallel Universes, Time Warps, and the 10th Dimension (Oxford University Press,1994), p. 100, italicized emphasis in the original, bold and italicized emphasis added.

端的に、電磁的な力(作用)は、高い次元的な空間の幾何学のワープ(捻じれ/歪み)として台頭していました。これは、一枚の紙をクシャクシャにしたものとしての、作用を説明するためのリーマンの元々の夢を満たす様に見えた理論でした。¹² 一枚の紙をクシャクシャにするイメージは、後に目撃される様に、重要なものです。カルツァの論文との問題は、追加的な四番目の次元でした。実際に、そのアイデアは当初

「アインシュタインにとって、とても大胆過ぎる様に見えたため、彼はその論文の公表を2年間、控えた程でした。しかしながら、この理論の数学は、とても美し過ぎて、それが実際に正しいかも知れないと、アインシュタインの直感は伝えました。」¹³

実際に、カルツァの論文を受け取った後、アインシュタインは「五-次元的なシリンダー(筒型)の世界の方法による、(統一されたフィールド理論の)達成のアイデア(発想)は、私に全く起こりませんでした・・・一目見た時に、私は貴方のアイデアを多大に好きに成りました、」¹⁴ と明言し、彼に対して返事を書きました。それでも出版する事を留まり、しかしながら、アインシュタインはたった数週間後に再びカルツァに手紙を書き、「貴方の理論の形式的な統一性は驚きです、」と認めました。¹⁵

形式(数式)的な統一性は述べるまでも無く、その問題は未だに追加的で、空間的な次元でした。明らかに、カルツァが考え出したのは新しく奇抜な何かで、宇宙をシリンダー的な定義において、それを表現した基本的な幾何学で、そして共通の(一般的な)幾何学の方法によって、電磁力と重力を明らかに統一したものでした。ですが、追加的で、空間的な次元の問題の解決策はありませんでした。そうであれ、アインシュタインは最終的に、1921年において、権威あるジャーナル、 Sitzungsberichte Preussische Akademie der Wissenschaften (科学のプロシア学会の会議報告)の中で、カルツァの論文、 Zum Unitätsproblem der Physik (「物理学の統一の問題に関して」)の公表を許しました。

ですが、この第五次元に対して何が起こったのでしょう?カルツァは、それが「輪の様に、『曲がって巻き上がった(i.e. 螺旋の)』ために、その他の4つの次元からは異なる」と示唆しました。¹⁶
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12 Ibid., p. 101, emphasis added.
13 Michio Kaku and Jennifer Thompson, Beyond Einstein: The Cosmic Quest for the Theory of the Universe (Anchor Books, 1995), p. 162.
14 Albert Einstein, cited in Kaku and Thompson, Beyond Einstein, p. 163.
15 Ibid.
16 Ibid.


最後に、1926年において、スウェーデン人の数学者、オスカー・クラインが、この輪の大きさはとても驚く程小さく、これは、それが観測不可能な理由であると提案しました。彼はその大きさを計算するまでに至り:「(10⁻³³)の」プランク長(Planck Length)、「または原子核よりも、約1000億 x 10億倍小さいとしました。」¹⁷ ですがこれもまた、それ自体の問いを浮上させました。何故、その追加的な螺旋の次元は、その様な小さい輪へと「カールして巻き上がり」、「その他の次元を無限へと、延長させながら残したのでしょう?」¹⁸ それらの問いが究極的には宇宙学的であり、そして故に此処においては率直な問いでは無い間、それらが1920年代と1930年代の、統一されたフィールド理論の熱狂の終わりを綴り出したのは、特にそれが、実験的な確認を有する事が不可能だったので、殆どの物理学者達にとって、その様なとても小さな追加的な次元の概念が、困難過ぎたためです。そして確認が、どんな場合であれ問題的だったのは、その様な小さな次元を厳密に調査するためには、当時の(または現在の!)惑星(地球)全体が産出する事が出来るよりも、多大なエネルギーを必要としたためです。または少なくとも、それが(そして今日まで)その理論でした・・・

どんな場合であれ、カルツァの追加的なカールして巻き上がった次元(渦巻き)に対するクラインの解決策と、その大きさ(小ささ)の彼の計算は、その理論に対して今日まで知られている名前を与え:重力と電磁力の物理学の最初の統一されたフィールド理論、「カルツァ-クライン理論」です。

B. The Torsion Tensor
B. トーション・テンサー     8
1. The Meanings of “Torsion”
1.「トーション」の意味     9


その理論の、1928年のアインシュタインのヴァージョンにおけるトーション・テンサーとの問題は、つまり、人が誰に尋ねるかによって、その意味が少々変化するためです。トーションは、しかしながら、テンサーですから、これが意味するのは数学的に、それが実際の幾何学的な物体、または恐らくもっと上手く言えば、実際の幾何学的な効果だと言う事です。この全てが一体何で、カルツァ-クライン理論、アンシュタインの1928年の統一されたフィールド理論、そしてフィラデルフィアとナチスのベルの実験に関係しているのかは、直ぐに目撃されるでしょう。
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17 Kaku and Thompson, Beyond Einstein, pp. 163-164.
18 Ibid., p. 164.


これを頭に入れると共に、トーション(ねじれ力)の以下の基本的な意味¹⁹ がその文献の中で着目され、そしてそれらの全ては、フィラデルフィアの実験と、ナチスのベルと何らかの拘わりを持っていて:

1)殆どの著者達にとって、トーションは、時空間における「捻じれ」、または「折り畳み」の一種を意味し、そして少数派の著者達の幾らかはそれを、その捻じれの度合、または量を意味すると理解します。次の部分の中で私達は、この点を描写するために、単純な類推を検証するでしょう。

2)幾らかの著者達にとって、しかしながら、トーションは - 一般論化の目的のために、物事を単純化させ過ぎると - アインシュタインの1928年のヴァージョンを含んだ、様々な統一されたフィールド理論の、数学的な人工物(数式)です。それは、(磁場や電場の)「転移(作用の線/流動性)」を行っている力(作用)のヴェクトルを描写する数学的な形式(数式)性で、それを、私達が目撃した様に、アインシュタインは「遠距離の平行性(distant parallelism)」の定義によって表現しました。この概念もまた、次の部分と、そしてフィラデルフィアの実験とナチスのベルの私達の理解において、重要に成ります。²⁰

3)特定のロシア人の著者達(e.g. コザレフ博士)において、トーションは少々異なった意味を有し、時空間における「捻じれ」、または「折り畳み」を象徴するよりもむしろ、その様な捻じれに対する「準-空間」でした。この見解の上で、トーションが意味したのは、特定の状態(時間)の下でその様な捻じれに台頭を与える、空間の根底にある「もの」でした。²¹
_____
19 私達は、第二部の中で、フィラデルフィアの実験上の、電気的な技術開発者達と物理学者達、コルムとダウムの研究の私達の検証において、「anholonomity (比較不能性?)」と捻じれの概念に関して検証します。
20 これに関してトーションが量子力学における「ゼロ・ポイント・エネルギー」に類似するのは、幾らかの物理学者達がその存在に納得する間、その他の幾らかは、それが実際の物理的な重要性を有さない、その理論の単なる数学的な人工物であると主張するためです。
21 トーションにおけるロシアの研究に関して、ニコライ A. コザレフ博士(1908-1983年)の研究についての幾つかの言葉が必要です。ネクサス・マガジンの中の最近の記事、「N.A. コザレフ博士のエーテル科学」は、研究者、デーヴィッド・ウィルコックによってまとめられました。トーションにおける彼の研究のために、コザレフが「ロシアの科学的なコミュニティーの歴史において、最も物議をかもし出した一人」に成った事に着目し(ネクサス、14巻、第3号2007年5月3日、45ページ)、ウィルコックは、その物議には触れるまでも無く、その同じ分野における彼の研究と、彼の同僚達の研究が、当時のソヴィエト連邦によって、「殆ど完全に機密化(隠蔽)された」と指摘します(45ページ)。物質のコザレフの概念化において、「全ての物理的な物体は」あたかもそれらが、「水の中に沈められたスポンジ」の様に見解されました(45ページ)。従って、人は


4)物理学においてはまた、それがそれに直接は拘わってはいないかも知れませんが、「トーション」が関係しているかも知れないとする流れ(意見)があります。これは、英国人の数学的な物理学者、E.T. ウィティカーの特定の論文によって体現された流れです。²² それらの論文の効果は、その媒質において、電磁的な渦巻きのアイデア(発想)を介入させる事でした。ウィティカーの分析において、電磁力は一種の「電気的な粘着性(摩擦)」、または反-「液体の様な」振る舞いを有しました。故に、それらの「液体-の様な」流動性は、その媒質(エーテル)において変化している電磁的な希薄化と圧力(緊縮と拡張)の部分である、経度的な圧力の波(縦波)と共に特定の特徴を分かち合います。成り行きとして、ウィティカーの論文の一つの示唆は、その様々な力(作用/i.e. ダイエレクトリシティー[誘電性]、グラヴィティー[重力]、エレクトリシティー[電気]、マグネティズム[磁気])が、その渦巻きの異なった種類、または状態でしかないと言う事でした。²³

5)最後に、アインシュタインの等価原理のコンテキスト(文脈)において、「トーション(ねじれ力)」を考える事が必要です。
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加熱、回転、振動、冷却等々の様な単純で、機械的な行程によって、その「スポンジ」に含まれた水の量(体積)を増やす、またへ減らす事が出来ます(45ページ)。この類推においてその水が、テスラが「固体に対して液体として振る舞い、光と熱に対して固体として振舞う」と主張した媒質、またはエーテルである、その媒質、または物理的な真空のエネルギーを形成します(45ページ)。そして此処においてトーションの発想が介入するのは、生命形態が特に、エネルギーの螺旋している形状(黄金比率)をそれらが利用していると実証していたとコザレフが気付いたためで、彼はそれをトーションに関連させました。トーションのアイデアは一般相対性理論についての1913年のエリー・カルタンの研究から由来し、その中で彼は、空間はカーブしているだけでなく、それ自体の中に、回転、または螺旋している運動を有していると実証し、それを彼はトーションと呼びました(46ページ)。故に「あなたが一度、太陽、または銀河の中心の様な何らかの形状においてエネルギーを解放する、回転している源泉、そして/または太陽の周りを公転すると同時に自らが自転している惑星の様に、一つ以上の形状の運動が同時に起こっている、回転している源泉を有すると、流動的なトーションが自動的に産出されます。」(46-47ページ)コザレフはまた – そしてこれは彼の研究が物議をかもし出した一つの点ですが - その様な回転によって空間において派生させられた折り畳みと重なり合いであるトーションのフィールドが光速超越的な速度において移動したと証明しました(47ページ)。ですが、本文の中で私達が注目した様に、アインシュタインが、統一されたフィールド理論の彼の1928年のヴァージョンにおいて、トーション・テンサーを応用した時、彼はまた異なった素材がこのフィールドの上で異なった効果を持つ可能性を紹介しました。コザレフは幾つかの素材のシールディング(防壁)、反射、または拡大している性質を実証しました。砂糖は、例えば、その原子における回転のために、トーションからシールディングされ、それに対してテルペンチン(植物の含油樹脂)の反対に回転している原子は、それらを拡大しました。(47ページ)
22 For fuller discussions of Whittaker’s work, q.v. my SS Brotherhood of the Bell, pp. 211-219.
23 See my The SS Brotherhood of the Bell, pp. 211-219.


彼の1928年の統一されたフィールド理論の中にトーション・テンサーを含んだ時に、彼は効果的に、その媒質において可能な限り、とても地域的な「折り畳み」、または「捻じれ(ワープ)」を提案していました。更に加えて、一般相対性理論において、物質の様々な種類、または私達が目撃した様に、重力的で、慣性的な加速の、小規模で、地域的な種類の、特殊な性質の考慮は全くありませんでした。トーション・テンサーの一つの(必然的な)結果は、しかしながら、その素材的な性質が、トーション自体の「折り畳み」と「捻じれ」の上で、地域的な効果を持つかも知れないと言う事でした。故に、トーション・テンサーを含ませる示唆は二重で:

a)素材的な効果による地域的な時空間における変化が、その理論の中に紹介され;そして、

b) 地域的な状態の変化はもう、重力の統一性を仮定しませんでした。重力の幾何学(立体性)における、地域的で、多大な変化が、理論的に可能でした。

故に、トーション・テンサーの含みが此処で意味したのは、その2つの要素が「折り畳み」、または「重なり合い」の量、または割合を影響する事が出来ると言う事で:

a) 地域的な環境;そして、

b) トーションの根底にある、または含まれている素材です。

アインシュタインは、結果的に、一般相対性の彼自身の理論の、中軸的な原則の幾つかを、殆ど完全に見捨てました。彼の読者達の眼がよどんだ(困惑した)のは、全く驚きでは無いでしょう!

ですが、「トーション云々(うんぬん)」のこの全ては実際に何を意味するのでしょう?時空間の「折り畳み」、「重なり合い」、または「捻じれ」の知覚(認識)が曖昧かも知れない間、人は空っぽのジュースのアルミ缶を絞った時に何時でもその題材についての良い理解を得る事が出来ます・・・

2. Wringing an Aluminum Can
2. アルミの缶を絞る     12


絶対的に不動の土台に対して接続された、金属製のパイプを考える事によって始めましょう:

図:正方形の土台に接続された筒状のパイプと、捻りの方向を示す矢印(12ページ)

此処で、そのパイプの一方の端を掴んで、その矢印の方向に捻る事を想像してみて下さい。十分な力と共に、そのパイプは、そのストレスの効果を表す様に成り;それは折り畳みと割れ目を見せ始めるでしょう。次に - 統一されたフィールド理論の、カルツァ-クラインのヴァージョンにおいて与えられた、彼等の「筒状の幾何学」に相応しい比較である - 何かに接続されていない筒である、アルミ製の缶を想像し、そしてその金属製の缶を人の両手で(雑巾の様に)絞る事を想像してみて下さい。その捻りの反対方向の運動は、その捻りの運動の回転の軸に沿って、その筒において類似した緊張状態を産出します。この場合において、その対峙している運動自体が更なるストレスを介入させ、そして結果的に、私達の固定されたパイプの例よりも、その筒において、更なる「折り畳みと重なり合い」が結果します。そのジュースの缶を絞る運動は螺旋した折り畳みと重なり合いを産出し、それは、そのストレスが最大限である処である、その缶の中央部に向かって強さを増します。加えて、その缶の両端はお互いに対して、より近くに引き寄せられます。もし此処で人が、そのジュースの缶が、時空間の媒質自体を体現し、そしてそのジュースの缶の金属的な構成要素が、その様な折り畳み、または重なり合いに対する通常の空間と時間のもろさ、または抵抗を体現すると理解すると、人はその中において構成要素だった、統一されたフィールド理論におけるトーションの効果の大まかな類推を有します。そして着目してもらいたいのは、十分な捻りと共に、私達の金属製のパイプ、または私達のジュースの缶が、最大限のストレスの地点の正に近くで、最終的にバラバラに壊れる、または乱暴に爆発する事です。これが、パイプの例においてよりも、缶の例においてより早く起こるのは、(一方向の捻りだけでは無く)捻りの対峙している(反対方向の)運動によって、その媒体(アルミ缶)へと、より大きなストレスが加えられているためだと着目して下さい。

これは、私達がナチスのベルの検証に目を向けた時に、第三部において実を結ぶ、重要な概念です。最後に、トーション自体の概念が、渦巻き、または媒質における回転のアイデアに対して緊密に関係している事に着目して下さい。それは、その回転と同じでは無く;それはむしろ、その回転から結果する、その媒質の折り畳みと重なり合いです。

3. The Mistake in Unified Field Theories and Their Discarding by Contemporary Physics
3. 統一されたフィールド理論における過ちと、現代的な物理学によるそれらの処分     14


近代的で、理論的な物理学に関する限り、カルツァの息を奪う様な1921年の超越-次元的な論文によって開始された熱狂であった、1920年代と1930年代の統一されたフィールド理論における最大の過ちは、それが唯一、電磁的、そして重力的な力(作用)を統一する事を求めたためでした。量子力学の台頭してきていた力、「強い」原子的な作用と「弱い」原子的な作用は、共通の幾何学を発見するための努力に含まれていませんでした。²⁴ 故に、完全な理論としての、重力と電磁力の統一におけるそれらの数学的な美しさ、または限定的な成功が何であったにせよ、それらは失敗で、そう言わざるを得ません。この点が強調されなければならないのは、第二部の中で目撃される様に、バーリッツ、モーアー、そしてその他多くが、アインシュタインが実際に、秘密裡に彼の理論を完成させ、そしてフィラデルフィアの実験が行われたのが、この秘密裏に完成された理論の土台の上であったと、誤って主張するためです。第二部において目撃される様に、しかしながら、フィラデルフィアの実験の結果を説明するために、その理論の完成を推定する事は必要ではありません。

物理学者のハインツ Pagels は、それらの理論の失敗を、以下の様に述べました:

1930年代の後、カルツァ-クラインのアイデア(発想/理論)は主流では無く成り、そして何年も無視されました。ですが近年、物理学者達が、重力とその他の力の統一のための、あらゆる可能な方法を求めた際に、それは再び表舞台へと飛び出しました。今日、1920年代とは対照的に、物理学者達は、重力と電磁力だけを統一させる事のみならず – 彼等は、弱い、または強い相互関係と共に同様に、重力を統一する事を求められています。これは、第五次元を超えて、更なる次元を必要とします。」²⁵
_____
24 統一されたフィールド理論を十分に量子力学に融合させる失敗のこの要素に関しては、Michio Kaku, Hyperspace, and Kaku and Thompson, Beyond Einstein, pp. 32-33, 195-197.を検証して下さい。
25 Heinz Pagels, cited in Kaku, Hyperspace, p. 140, emphasis added.


言い方を変えると、カルツァは、彼の時代において先に進み過ぎていて、物理的なフィールドの統一に対する彼の超越-次元的なアプローチ(対処法)は、量子力学が正しく統一されたフィールド理論を造り出すために、必要とされた次元の正しい数を示唆する事が出来るために、十分に進歩するまで、待たなければなりませんでした。

ですが、統一されたフィールド理論の熱狂の突然の消滅のためにはその他の可能な説明があり、そしてペイゲルスは - 間違いなく偶然に – 1930年代において・・・、実際に、1930年代初頭において、カルツァのアイデアがレーダー(表舞台)のスクリーンから消えうせた重要な手掛かりを供給します。言葉を変えると、ドイツにおいてナチス政権が権力へと台頭した時に、統一されたフィールド理論の論文の公表は、多大に減少しました。其処には2つの可能な説明があります。それは、恐らく、アインシュタインと「ユダヤ的な物理学」の、ナチの思想的な禁止でした。ですがそれはまた恐らく、その題材自体が、ナチス政府による、公表以前の検証の対象と成り、「国家機密問題」である、Geheime Reichsache に成ったと言う示唆です。別の言葉で言うと、ナチス政府の内部の誰かが、その理論が機密化され、それらを試験するために秘密裡の研究が成されるべきであると判断したと言う事です。そしてもし、ナチス・ドイツ内部の何者かが、統一されたフィールド理論が実質的に技術開発可能な理論だと判断したなら、特に米国の様なその他の国々においても、同様な結論に至ったであろうと、人は妥当に結論出来るでしょう。

この観測が、ナチスのベルの実験の上で直接拘わる事は、第三部において、より詳細に検証されます。現時点において、しかしながら、着目されるべきは、セオドア・フランツ・カルツァが、アインシュタインとは異なり、1929年において Kiel 大学において数学の教授として任命され、そして1935年においては、Göttingen 大学において数学の正教授に成り、其処で彼は1954年における彼の死去まで、彼の教職に留まり、その戦争の間にドイツを一度も離れなかった事です。その理論のカルツァのヴァージョンは、ユダヤ人によって考え出されたと言う「汚れ」が無かったので、ナチスは、政党の思想的な禁止の対象では無い、統一されたフィールド理論の、少なくとも一つのヴァージョンを有しました。そして私達が第三部の中で目撃する様に、カルツァの理論は、そのベル計画における Königsberg 大学からの、あるとても謎めいた数学者の拘わりに対する、解決策を持つかも知れません。

どんな場合であれ、ナチスが「ユダヤ的な物理学」の、彼等自身の思想的な禁止を撤回し、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論を、とても秘密裡に使用したか否かは別にして、彼等はそれでもその理論の完全に「アーリア的」なヴァージョンを有し - 実際に、正に最初のもので - カルツァ-クライン理論でした。それは故に、それらの理論の実用化 - そして究極的な兵器化の - 示唆を求める誰かにとって、ナチス政権に対して「売り込む」のはとても簡単でした。欠落していたのは唯一、その理論のカルツァ-クラインのヴァージョンへと、トーション・テンサーを応用する、または組み込む事で、そしてその後、電気的な機械に対して技術開発し、そして応用する事でした。²⁶

4. ...But Some Engineers Took Notice Anyway
4. ・・・ですが幾らかの技術開発者達は、当然、気付きました     16


次の重大な手掛かりを供給するのが - 電気的な機械の分析に対するトーション・テンサーの応用である – この最後の明言なのは、その理論の新たな「第五次元」を含んでいる1921年のカルツァ、または1928年のアインシュタインのヴァージョンの多くの問題は言うまでも無く、米国における一人のハンガリー人の移民の電気的な技術開発者が驚くべき観測を行ったためで:
_____
26 私の考えにおいて、統一されたフィールド理論の中のトーション・テンサー、そしてトーション理論一般の、殆ど気付かれていない示唆の一つは、コザレフの研究においての様に、地域的なシステムの上の素材の効果の説明(計算)を取り入れる事によって、時空間の構造において凄まじいストレスが、電磁的に誘導させられるだけでなく、更に類似した効果が恐らく、原爆的、または水爆的な爆発によって、誘導される事の出来る、その媒質(エーテル)における凄まじいトーションのにおいて結果すると言う事です。これは、早期の水爆的な実験において、それらの実験のために計算された誤差の幅を遥かに超えて、計算された破壊力が多大に暴走した事実を説明するかも知れません。その追加的なエネルギーは故に、その爆発自体の中のトーションの波の誘導の様な、何らかの超越-次元的なハーモニック、またはレゾナンスから由来したのかも知れません。私がその他の場所(本/ギザの死の星、145ページ)で示唆した様に、これは世界の様々な原爆的な権力(核保有国)によって、原爆/水爆的な実験が(何度も繰り返し)続けられたのかの説明かも知れず、彼等は拘わっていた(超越-次元的で)正確で科学的な法則を学ぼうと試みていたのかも知れません。私が其処で記述した様に、それらの法則が、それらの権力者達の最も秘密裡に保たれた秘密の幾らかかも知れないのは、原爆的、そして水爆的な化学反応を超える、もう一つの力(作用)が関わっているかもしれないためです。

同時機動的で、電気的な機械の振る舞いの幾つかは、追加的な次元性、そしてトーション・テンサーと、その地域的な時空間の折り畳みと重なり合いの方法を除いた、その他の土台の上では説明不可能でした。

2. A Little-Known Hungarian Genius and the Forgotten Verification: Gabriel Kron and Einstein’s Unified Field Theory
2.あまり知られていないハンガリー人の天才と忘れ去られた確証:ガブリエル・クロンとアインシュタインの統一されたフィールド理論     18


「同時機能的な機械の本当の科学的な分析が、非-ホロノミック(nonholonomic)な言及の枠組み、または複数次元的な非-リーマンの空間、もしくはリーマン-クリストフェルのカーブ・テンサーの様な、超自然的な概念の紹介を示唆すると聞くと、あなたは笑うかも知れませんが・・・(ですが)電気的な力(電力)の技術開発者が、新たなアイデアと新たな鼓舞のために探さなければならないのは其処です・・・更に加えると、彼はその他に選択肢がありません!」
- ガブリエル・クロン¹

A. Introduction
A. 紹介     19


理論的な物理学が、その不完全性のために、統一されたフィールド理論の数学的な舷側(水面上に出た船の側面)の援護射撃(救出)に忙しかった間、究極的にそれを沈めたのは、その正に同じ不完全な理論を、実験的に確認するために、電気的な回路(サーキット)に対してその正に同じテンサー分析を、不都合な方法で応用した、ガブリエル・クロンと言う名前の、一人のハンガリー生まれの電気的な技術開発の天才でした。この点の重要性が過大評価され過ぎる事が出来ないのは、それがまた、その理論が技術開発可能に成るために²、完全である必要性も無く、そしてそれ(理論)が限定的で、そして現実(物理)世界の説明的な力を持つ必要も無いと実証したためです。
____
1 Gabriel Kron, cited in P. Alger, ed., “Gabriel Kron,” in The Life and Times of Gabriel Kron, Chapter II, Section II (Schenectady, NY: 1969), p. 284, cited in K.L. Corum, J.F. Corum, Ph.D., J.F.X. Daum, Ph.D., “Tesla’s Egg of Columbus, Radar Stealth, the Torsion Tensor, and the ‘Philadelphia Experiment,’” (1994) Tesla Symposium at Colorado Springs, CO).
2 この観点の致命的な重要性は、その確認が、近年まで、あらゆる予測可能な人間の電力産出(地球規模)を全く超えたエネルギーを必要とした弦理論(ストリング/ひも理論)の異なった種類に対する比較によって、最も上手く理解されるでしょう。最近に成って、「低エネルギー」の弦理論が提案され、それは究極的に、確認の幾らかの可能な方法を約束するかも知れません。ですがそれらが進歩するまで、弦理論は - 確認の方法のこの重大な欠如(i.e. 実験不可能性)のために - 科学的な理論と言うよりは、形而上学的な教義の、より喚起的で、数学的な形式(数式)化のまま(つまり、宗教)です。統一されたフィールド理論の彼の形式的で実験的な確認によって、クロンは実際に、その後に便利だと証明されるかも知れない技術的な開発の可能性の一線を指摘しました。


ガブリエル・クロン
1 kron

B. A Brief Biography of Gabriel Kron
B. ガブリエル・クロンの端的な履歴     23


あらゆる認識によっても、ガブリエル・クロンは、20世紀の真の「個性」の一人で、そしてその讃えられていない天才の一人でした。クロンは、カルパティアン山脈奥深い、Nagybanya のハンガリーの街において、1901年に生まれました。クロンは幼少期から言語に対する才能を現せさせ – 彼の父は信心深いユダヤ教徒だったので - 幼い歳頃においてヘブライ語を習得し、そしてその後、フランス語とドイツ語を学び、そして最終的に、英語を習得しました。クロンは、多かれ少なかれ、アメリカの高校に加え、大学の一年目の授業と同等な、高等教育学校である、Gymnasium に入学しました。其処で彼は、物理学、数学、そして天文学を学びました。クロンは、第一次世界大戦における兵士として、少量の年金をもらっていた彼の兄、ジョセフに、技術開発を研究するために米国に、彼(ガブリエル)と共に移民する話しを持ちかけました。

家族の後ろ楯と共に、ジョセフとガブリエル・クロンは、アメリカへと旅立ち、1921年1月において到着しました。最終的に、クロンと彼の兄は、ミシガン大学の技術開発学部に入学希望を提出し、そして受け入れられました。クロンは彼の大学時代の経験を以下の方法において描写し、基準的な「考え方(固定概念)」の箱の中に閉じ込められる事を拒否した自由に考える人としての、彼の個性(特徴)への重大な識見を与えます:

「自由なスピリットが、事前決定された日課(授業)に従う事を強要された時に何時でも起こる様に、私はその授業が教えたもの以外の全てを学ぶ事を欲しました。教師が、生徒自身のためと考えるもの(授業)では無く、人(生徒)が学ぶ事を望むものを学ぶ時間をどの様に見つけるのかは、好奇心旺盛な学生の多くにとって、永久の問題であるはずです。最終的に私は、金曜日の正午に、授業の全てが終わった後に、私の(自習の)スケジュールを調整するアイデアを思いつきました。金曜日の昼から月曜日の朝まで、毎週、三日間、私は通常の授業の学習の邪魔無しで、私自身の個人的な学習のスケジュールをこなす自由がありました。一週間のその他(の時間)は、機械化された授業の祭壇の上の生贄として、私は考えました。」³

彼の学位を会得した後、クロンはミシガン大学において教員に成る事を招待されましたが、断り、究極的に、世界中を旅する彼の夢を選択しました。

1926年にアメリカの市民と成った後、クロンは、彼のポケットの中のたった300ドルと共に、そして彼の夜間の読書のための微分方程式についての一冊の本と共に、ハイチ行きの貨物船に乗り込み、彼の夢を満たすために船出しました。其処で彼は、彼の世界旅行中に彼が頻繁に行った様に、木陰の下で彼の数学的な本を読みながら、午後の昼寝の時間を過ごし、一家と共に数週間過ごしました。「フィージーにおいて微分方程式の彼の学習を終了した後、彼はその本を空っぽのオイルの缶に入れ、大きな木の下に埋め、それを、先住民達によって食べられてしまった早期の宣教師達の記憶に対して捧げました。」⁴

フィージーから、オーストラリアのシドニーに移り、クロンは、彼の資金不足を改善するために、ワット-メーター(電力計)を造っている電気的な工場において仕事に就きました。これを終えた後に、彼はヴェクトル分析についての本を購入し、そしてクイーンズランドへとヒッチハイクしました。電気的な機械のテンサー分析における彼の革新的な研究に成るものの概要を彼が始めたのはこの期間の間でした:
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3 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 7.
4 Ibid., p. 8.


「クイーンズランド(オーストラリア)を通り、そして後にアジアを通ったそれらの長い散歩において、私の頭の中で、多くの次元のヴェクトル分析の概要が形を整えさせられました。知られざる領域の想像的な座標との、私の常日頃の没頭の刺激の下で - 電気的な機械、または橋、もしくは飛行機の様な - 技術開発的な構造の類推的で、思考的な構図が、私の頭の中でそれ自体を刻みました。それらは(分析の目的のために)、数多くの国々、島国、そして大陸が、道路の網目、関税、そして法律によって、相互関係させられている正に同じ方法の様に、一つの単位(ユニット)へとまとめられた、関連した数々の複数-次元的な空間の集合体として現れました。

「もし様々なメンバー(国々/州)の間の通信が失われたとしても、物理(現実)的には何も失われてはおらず、一つにまとまった米国を48種の独立的な州へと変格させる無形の何かと同様か、または一つの飛行機を何千もの部品へと分解するのと同じなだけです。何年も後に、私は、私が発展させようと試みた、その様な微積分の一種のための、テンサー分析の名の下で、数学者達が既に確かな土台を築いていた事を知りました。」⁵

オーストラリアのクイーンズランドから、クロンはその後、サイゴン(ヴェトナム)から歩く事によって、マニラ(フィリピン)、香港、そしてサイゴンの、有名な太古の遺跡を通り、現在はカンボジアとして知られる、アンコール・ワットへと辿り着きました。其処から彼は Aranha へと旅し、そして其処から

バンコク行きの列車に乗り、その後、ブルマ(ミャンマー)の Cokcrake 行きの太古の貿易ルート(シルク・ロード)を通ったキャラヴァン(一行)に続きました。彼はラングーン(ビルマ/ミャンマー)まで歩き、カルカッタ(インド)行きの船に乗り、アグラまで歩き、其処で彼はタージ・マハールを見物しました。彼はカラッチのインドの砂漠を列車で渡り、ペルシャ湾を渡る船に乗り、そして列車でバグダッド(イラク)まで行き、その途中にウル(メソポタミア)の遺跡を観賞しました。彼はダマスカス(シリア)へとアラブ砂漠を渡るトラックの乗車に5ドル払い、その後再び、徒歩でギザ(エジプト)へと向かいました。彼はピラミッドを観るためにカイロへと列車で急ぎ、コンスタンティノープル(トルコ)からアレクサンドリア(エジプト)へと渡航し、そして列車でブタペスト(ハンガリー)へと行き、彼のポケットの中の極少数のコインと共に、一人の友人の家に、真夜中に到着しました。⁶

ブタペストの彼の友人は、クロンの故郷への彼の旅路を資金援助し、彼の既にボロボロの靴は、アメリカへと出発して以来、初めて彼を、彼の家族と再会させました。其処に彼は数か月間留まり、彼の後の妻、アンと社交し、そして
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5 www.quantum-chemistry-history/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, pp. 8-9,
emphasis original.
6 Ibid., p. 9.


米国に戻り、1928年において、オハイオ州のクリーヴランドのリンカーン電気会社を共にした仕事に戻る前に、学習を続けました。

2年後、クロンは、それぞれが徐々に、機械のより完全な分析に成った幾つもの論文の最初を公表しました。彼の公表された論文の全ての基本的なテーマは、原則的に同じで:彼は電気的な機械の全ての種類が、一般化された機械の特別な場合で、そしてつまり、一般的な機械を理解する事は、新種の開発に繋がるであろうと考えた事です。⁷ 正に、テンサー分析がこの洞察に関係していたのかは、後に直ぐに見られるでしょう。

例外的な幸運によって、クロンは、彼が行わなければ成らなかったウォナー・ブラザーズ社の部署において大不況の最中において、多大な給料を支払われる位置に至り、ですからクロンと彼の妻が、第一次世界大戦の間の条約の一部として、ルーマニアに対して返された(帰属された)、ハンガリーの一部へと戻らなければならず、其処でクロンは、リーマン幾何学とテンサー分析を学ぶために努力しました。

これが、クロンにとって、起死回生だったのは、「機械における電気的、磁気的、そして機械的な作用の、それらの難解な概念と複雑な相互関係の間の類推」を見た(理解した)ためで、彼は「回転している電気的な機械の非-リーマン的な流動性」についての彼の典型的な論文を書き、そのために彼は、1935年において、ベルギーのリージュ大学からのモンテフィオレ賞を受賞しました。⁸ これが重要な点なのは、モンテフィオレ賞は有名な光栄で、国境線を超えて、クロンの論文と考えを、必然的にナチスのの注意へと引寄せたはずであったものだったためです。この事実は、殆ど理解されていない、または、全く記述されていない事は別に、第三部において体現された推理のための多大な重要性を担います。

ルーマニアから米国に戻ると、クロンは、最終的に1934年においてジェネラル・エレクトリック(G.E./ロックフェラー)に雇われました。其処で彼は1966年における彼の引退まで、彼は其処(ジェネラル・エレクトリック/ロックフェラー)に留まりました。しかしながら、クロンが、彼の賞を受賞した論文を埋もれさせる事をしなかったのは、明言されるべきでしょう。彼は、その後2冊の重要な本である、1939年におけるネットワークのテンサー分析、そして1940年には、電気的な技術開発者達のための、テンサー分析における短期講座を記述しました。クロンは、1968年に亡くなりました。
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7 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 9, emphasis added.
8 Ibid.


彼の記述は大量で、100種の数を超えた特殊(専門)的な論文で、それらの殆どに、電気的な機械の上のテンサー分析を使用した彼の洞察が応用されました。この文献の殆どは不透明なまま、またはクロンの書籍における、より詳細な記述の幾つかを利用しようと試みるにおいて、この筆者が発見した様に、とても金銭的に妨害的で(値段が高すぎて手が出せず)、そのため、軍事的な研究に関連した大企業の、技術開発部門における極少数の例外を除いては、クロンの研究は今日まで実質的に知られていないままです。どんな場合であれ、クロンの研究は、理論的な物理学者達と科学の歴史家達には、殆ど全く知られておらず、それらの重要性が、この章の後に、もっと完全に探求される点です。クロンの研究はとても稀少なので、私達が1959年のドーヴァー出版の彼の本、サーキット(回路)のためのテンサーに言及するのが何故なら、この本が彼のその他の研究において見つけられる中心的なアイデアの多くを含み、そして多かれ少なかれ、一般の大衆に対して利用可能であるためです。

C. The Theme of Kron’s Work: The Tensor Analysis of Electrical Machines
C. クロンの研究のテーマ:電気的な機械のテンサー分析     23
1. Tensors before Kron and the Reception of Kron’s Work
1.クロン以前のテンサーと、クロンの研究の評価     23


電気的な機械に対するテンサー分析の応用についてのクロンの研究の発展以前に、「実用的」な物理学の応用においてテンサーが有した殆どの使用は、一般相対性理論における重力的なフィールドの幾何学においてでした。このコンテキストにおいてテンサー分析は、実験室の机の上では無く、とても大きなものである:惑星、恒星、そして銀河の物理学に対して、応用可能な様に現れました。数学的なテクニック(技術)のクロンの応用が故に、革新的なもの以外の何ものでも無かったのは、それがテンサー分析を地球上に戻しただけでなく、実験室の机の上に戻した(i.e. 実験可能にした)ためでした。この一歩の革新的な本質は、理論的な物理学の発達の基準的な評価のコンテキストの中へと入れられないと、正当に高く評価される事は出来ません。
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9 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 11.

何故かを理解するために、唯一人は、統一されたフィールド理論の、歴史的、そして概念的な土台を少々、詳しく観て見るだけで良いでしょう。ティルマン Sauer は、彼の記事、「アインシュタインの統一されたフィールド理論の計画」の中で、「電磁的なフィールドが、相対性的で、重力的なフィールドの例に引き続き、再概念化されなければならない、説得力のある理由は何も無い、」と明言します。¹⁰ 言い換えると、一般相対性理論のために、アインシュタインが成功的に応用した幾何学的なアプローチ(接近の仕方)は、電磁力を含ませた統一されたフィールド理論のために、何らかの実際の形式的、または観測(実験)可能な土台が欠けていました。更に言葉を変えると、アインシュタイン – または、その課題のために - カルツァが、彼等の論文の中で達成した成功は、唯一、拘わった数学的な証明によるものでした。其処には – 未だに - その2つのフィールド(重力と電磁力)が関連しているはずであると言う、妥当で観測的な根拠がありませんでした。¹¹

これに関して、クロンの研究が正に革新的だったのは、恒星と惑星の重力的なフィールドの、理論的な物理学者達の計算を共にして、彼等の手の中からテンサー分析を彼(クロン)が取り戻し、そして、更に重要な事に、トーション・テンサーの様なテンサー・トランスフォーム(変換)を、電気的な技術開発者の実験室の机の正に上へともたらした(実験可能にした)ためです。
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10 Tilman Sauer, “Einstein’s Unified Field Theory Program,” Einstein Papers Project, California Institute of Technology (Pasadena, CA, April 11, 2007), p. 4.
11 Sauer はまた、「統一化における試みのための確認、または否定の本質的な条件は、あまりはっきりと定義されてはいません。それらに含まれていたのは、まず初めに、重力的、そして電磁力的なフィールドのための、知られている方程式が、何らかの制限的な場合において得られなければならないと言う要求でした・・・その数学的な体現は、何らかの非特定的な感覚において、重力的、そして電磁力的なフィールドに対して、左右対称的な役割を担わせなければなりませんでした。より厳密な感覚において、その2つのフィールドの体現は、重力的、そして電磁力的なフィールドを統治している2つの別々の方程式の一連へと分離可能であるべきではありませんでした。言葉を変えると、その統一化された描写(数式)は、その2つのフィールドの非-平凡(ささいな/簡単な)ミックス(混合)の何らかの種を、本質(内在)的に許すべきではありませんでした。ですがこの混合(ミックス)は、純粋的で、体現化(数式化)の段階の上で起こるかも知れず、そして故に原則的に観測不可能かも知れません。この後者の仮定はまた、故に、その統一化がまた、少なくとも原則において、新たな物理的な効果を予測すると言う、更により強い状況を必然的に必要としません、」と観測しました。この多かれ少なかれ形式的なアプローチが、統一されたフィールド理論が存在する状況で、そしてそのアプローチは、今日まで、理論的な物理学の発展の基準的な歴史に残るままです。このアプローチは、例外無く、クロンの研究を完全に無視し、1920年代と1930年代の統一されたフィールド理論を、その科学技術的な開発のための実用的な示唆が実質的にゼロである、純粋に形式的で、数学的な構成として見解します。人は、その同じ歴史を検証し、そして急進的に異なった結論に辿り着いた技術開発者達を見つけるためには、ビアデンの研究、またはコルムスとダウムの論文の様な、オルタナティヴで科学的な文献を読まなければなりません。ミチオ・カクは、例えば、ストリング(弦)理論の彼の歴史(のまとめ/説明)において、その理論の実験不可能性を強調するために横道にそれる様で、統一されたフィールド理論の歴史に対する関連性において、クロンの研究に全く一度も触れません。


効果的に、クロンが述べていたのは、つまり、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論が、電気的な技術開発者達によって、頻繁に気付かれた、特定の例外(変則を説明するための土台を形成すると言う事でした。実際に、この章に対する碑文が示唆する様に、その概念は、それらを説明するための、唯一の方法でした。効果的にクロンは、電気的な機械の特定の振る舞いが、その理論を変化させたと述べていましたが、それだけではありませんでした。もしそれらの振る舞いが、その理論を変化させたなら、するとその理論は、その変則が一度理解されれば、技術開発可能であると言う事でした。そして、それらを理解する方法は、その理論を形成するために使用された、正に同じテンサー分析に対して、それらを対象にする事でした。

言うまでも無く、クロンの研究が、単純で技術開発的な問題に対して応用された時に、技術開発者達によって、複雑過ぎるとして頻繁に無視され、そして理論的な物理学のコミュニティーによって - 少しでも言及されたとしても – 横暴で誇り高い態度で言及されるのは、テンサー分析の応用によって「電気的な機械の一般相対性理論」の一種を求める事における事実で、そして正にこの理由のためでした。彼等(技術開発者達と物理学者達)にとって、クロンのアイデアを体現している彼の実用的で、非-精密な方法が唯一意味したのは、彼のアイデアが精密で数学的な「証明」に欠けていて、そしてそれを欠く事によって、それらが無視される事が出来ると - そう彼等が考えた事です。¹²

バネシュ・ホフマンは、クロンのサーキット(回路)のためのテンサーに対する彼の紹介文の中で、この分裂(誤解)をまとめます:

「何故、クロンの研究は、その様な一般的な強い敵対心を奮起させたのでしょうか?一つの理由は、疑う余地無く、その大胆なオリジナル(独創)性だったのは、発明家の運命がスムーズなのは珍しい為です。もう一つは、それが行う様に、電気的な技術開発と、テンサー分析の、以前には別々だった分野を一つにもたらす、クロンの総合化の正に本質の中にあります。当時の時代において、クロンの研究を評価する能力があった人が殆ど無かったのは、電気的な技術開発に精通していた人達は、その殆どにおいて、テンサー分析を知らず、そしてテンサー分析に精通していた人達が、電気的な技術開発を知らなかったためで・・・(ですが)その様な問題があったにしても、素晴らしい(クロンの)統一化によって、十分に補われるでしょう。
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12 クロンのアプローチの最も敵意的な批評の幾つかが、ドイツから現れたのは、恐らく重要でしょう。Q.v. Banesh Hoffmann, “Introduction,” Gabriel Kron, Tensors for Circuits, p. vii.

「ですが、クロン自身がまた非難の対象なのは、彼が説得的な説明者に成る事から程遠い為です。彼の、精密さが未熟な概念、証明の代わりにおける「仮定の一般化」に対する彼の訴え、リーマン-クリストフェルのカーブのテンサーや、統一されたフィールド理論の様な、印象的に聞こえる用語をちらつかせる事によって好感度を上げ様とする、幸運にもこの本からは欠如している、彼の試み - それらとその他の欠陥は、多くの人達を遠ざけました。

「・・・彼に対する正当な不満の全てを、私達はぶつけましょう。しかし、そうは言いても、クロンを、大規模な重要性の発明家として刻印を押す、研究の深い感銘を与える総体性が残ってあります。」¹³

「リーマン-クリストフェルのカーブのテンサー」や「統一されたフィールド理論」の様なテンサー分析の、その様な用語のクロンの使用を、クロンが「印象づける」ための「有名な用語をちらつかせる」方法として、ホフマンが非難する事に着目して下さい。ですが、そうする事において、ホフマンは、クロンの研究全般、そして彼のサーキットのためのテンサーにおける最も重要な要素を見落とし、それは、特に、1940年代の早期において、クロンが出版した本の焼き直しでしかありませんでした。端的に、電気的な機械のクロンの分析は、アルバート・アインシュタインが、彼の1928年の論文の中で概要し始め、主要な構成要素としてトーションを含めた最初である、とても「不完全」な統一されたフィールド理論の上に、部分的に基づいていました。私達が第一章において観測した様に、その理論は、カルツァの五次元的な理論の「より高い次元的な方法」によって鼓舞されていました。手短に云うと、クロンの研究は、電気的な機械のテンサー分析から、彼の1934年の論文を形成し、唯一、カーブした幾何学、またはトーションのどちらかの何らかの形状を含んでいる、より高い次元的な理論が、電気的な機械、特に、回転を含んでいる、もしくは複雑なネットワーク(回路)に接続された、電気的な機械の、特定の観測された、そして良く知られた特徴を説明する事が出来ると主張しました。それらの現象が何であったのか、そしてそれらを説明するために、クロンの研究がどの様に役立ったのかは、直ぐ後に更に触れます。

上述された様に、クロンは、「電気的な機械の全ての種類は、一般化された機械の特別な場合であるはずだと考え、そして一般的な機械を理解する事は、新たな種の開発に繋がるだろうと考えました。」¹⁴ ですがこれは、テンサー分析に対して、何の拘わりがあったのでしょう?

この問いに答えるために、私達は、テンサー微積分学について、それが何を行い、そしてどの様にそれを行うのかについて、もう少し、よく知らなければなりません。テンサー分析の基本的な問題は、数学的な座標の一つのシステムにおいて表現された、幾何学的(立体的)、または物理的な物体の一種がどの様に、またはその同じ物体ですが、言い換えると、言及(座標)の異なった枠組み、または座標システムから見解された、もう一つの物体へと変換される事が出来るのかと言う事です。
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13 Banesh Hoffmann, “Introduction,” Gabriel Kron, Tensors for Circuits, p. viii, emphasis in the original. 14 www.quantum-chemistry-history.com/Kron_Dat/KronGabriel1.htm, p. 9.

これは、テンサー分析が(それを)扱うために開発された基本的な問題で、そして一つのシステムからもう一つへと変換させる行程は、テンサー・トランスフォーメ―ション(変換)として知られています。そのテンサー変換は、順を追って、例えば、五次元における物体の、四次元における同じ物体への変換等々を描写する事が出来ます。これが意味するのは、テンサー変換の様なあらゆるテンサー・トランスフォーメーションは、それ自体が実際の幾何学的なものであると言う事です。故に、クロンにとって、

テンサー変換は、例えば、一つの電気的な機械の方程式を、もう一つの異なった種の電気的な機械のものへと変化させます。人はプロトタイプの機械を - 原型的な機械を - 造り上げ、その方程式から人は、相応しいテンサー変換を応用する事によって、電気的な機械のその他全てのものを会得します。これは、それ自体において、熟達した統一化です。ですがクロンは追加的に、どの様に、与えられた機械の確立された異なった理論が、テンサー変換によってお互いへと変換可能なのかを表します。」¹⁵

クロンは、言葉を変えると、あらゆる電気的な機械が、テンサー変換の方法によって、その他のあらゆる電気的な機械から派生される事が出来るかを実証しただけでなく、また、一つの電気的な機械の理論がどの様に、その同じテンサー変換によって、その他全ての電気的な機械の理論から派生させられるかを表しました。故に、彼の研究は、実証と実用、そして理論化と理論の統一化であるだけでなく、実用化と理論化の統一化でした。

私達は此処で、私達が有しているものに注目しましょう:

1)クロンの研究は - 彼の幾つもの論文が証言する様に - 1920年代と1930年代の、より高度で次元的な、統一されたフィールド理論に対して、クロンによって特定的に帰属可能なテンサー分析の要素の上に、はっきりと依存し、そしてこの産出(結果/成行き)の幾つかの場合において、トーションに対して特定的な言及が成されます;
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15 Banesh Hoffmann, “Introduction,” Gabriel Kron, Tensors for Ciruits, p. ix.

2)(それについては、後に直ぐに更に触れますが、)単純な方法の土台の上でクロンは、あらゆるその他の電気的な機械から、あらゆる電気的な機械を派生させ、そしてあらゆるその他の電気的な機械の理論から、その機械の理論を人は派生させる事が出来るかも知れないと実証するために、テンサー分析に頼り;そして、

3)つまり、実証的、そして理論的なテンサー・トランスフォーメーションは、それら自体が統一化されていました。

その最後の点は - 結局の処、重力と電磁力の統一化が、その様な理論の要点全体なので - 統一されたフィールド理論のあらゆる概念から明らかに流れる様に見えるかも知れません。ですが、クロンが正に革新的な何かを行ったのは、以前の章からの最初のその様な理論である、セオドア・カルツァの理論が、あらゆる基準的で、理論的な計算によると、厳密な調査をするために、地球全体の上で利用可能なものよりも、更に大きなエネルギーを必要とする程、とても小さい、追加的で、空間的な(量子)次元を有していたためだと思い出して下さい。成り行きとして、電気的な機械 – 特に回転していてネットワーク化された機械における - 特定の観測可能な現象は、時空間のカーブ、または地域的に起こっているワープ(時空間の歪み)の何らかの形状を含んでいる、より高い次元的な理論によって、唯一説明される事が可能であると主張し、クロンがまた述べていたのは、その「不完全な(統一されたフィールド)理論」が全体的に技術開発可能であると言う事でした。

これは実に革新的でした。

クロンの観測のタイミングが、一時も無視されるべきでは無いのはまた、それらが行われたのが正に、第二次世界大戦の雲行きが誰にでも明らかに目視可能な時代だったためです。一般において、そして特に、アメリカとナチス・ドイツにおける、効能的な戦闘員達(徴兵される可能性のある学者/学生達)が、クロンの研究の膨大な示唆に全く気付いていなかった可能性があるはずが無いのは、本質において、クロンが、時空間を地域的に技術開発する事が出来る効能(可能性)のパンドラの箱を、彼等のために開いたためです。それは、順を追って、膨大な効能(破壊力)の科学技術の応用を可能にし、その科学技術は理論において、「光を曲げる」、または言い換えると、核兵器が(比較的に)爆竹の様に見える兵器において、空間の正に繊維を折り畳み、重ね合わせます。これに関して、アインシュタインがアメリカに移民し、其処で、成功的な統一されたフィールド理論の探求において彼の人生を費やし、その間、最初の開発者であるセオドア・カルツァが、ナチス・ドイツにおいて留まった事が思い出されるべきでしょう。

すると、最終的に戦争し合うそれらの2つの国家(米独)において行われた統一されたフィールド理論の異なったヴァージョンの様々な示唆を試験するためにデザインされた、あらゆる姿を有する2つの実験である:アメリカのフィラデルフィアの実験と、そしてナチスのベルは、偶然ではありませんでした。また、それに対してベルギーのリージ大学が、クロンにそのモンテフィオレ賞を受賞させた、彼の1934年の論文の公表と共に、そしてナチス政権の台頭と共に、ナチス・ドイツにおいて、統一されたフィールド理論の全ての出版が止まった(禁止された)のは偶然ではありませんでした。ガブリエル・クロンのテンサーのロード・マップ(地図)の御蔭で、その理論と、技術開発可能で、軍事的な応用の間の点と点を、恐らくその両国(米独)における誰かが、一つの線に繋げたのでしょう。

2. Kron’s Basic Method of Tensor Analysis of Electrical Machines
2.電気的な機械のテンサー分析の、クロンの基本的な方法     29


現時点において、しかしながら、私達の注目は、クロンと、そしてテンサー分析の彼の方法について、彼自身が明言したものの上に集中しなければなりません。クロンにとって、

「象徴的な方程式の確立は唯一、それと共に産工業的な文明の技術開発者が直面する、特定の問題の無限の種類に対して応用されるために、比較的に少数の、象徴的な方程式を自動的に展開する、スムーズに機能しているメカニズムを構成する最終的な目的に向かった次の一歩でしかありません。

このメカニズム(機械性)は、相互関係した現象の迷路を技術開発者が渡る(対応する)際の対処法としての役割を果たす理由づけ(合理化)、哲学の方法以外のなにものでもありません。」¹⁶

テンサー分析が、理由づけ、元々、はっきりとした機械の部分(部品)の相互関連性を表現している方法以外のなにものでも無いと確立した後、クロンは、彼の基本的なアプローチをまとめ、それは単純性そのもので:

「例えば、タービン(回転している原動機)に操作されているシステム、または電気的な speed drive (加速動力)の、技術開発的な構造の、一時的で、一定的な状態を判断してみましょう。その段階は以下の様に続きます:

「1.その与えられた(それぞれの)システムは複雑なので、それを直ぐ様分析してはいけません。代わりに、まず最初に、分析するためにもっと単純な(または、その方程式が、以前の機会に既に確立された)もう一つの関連したシステムの方程式を設定しましょう。
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16 Gabriel Kron, Tensors for Circuits, p. xxi, emphasis added.

「2.その後、その単純なシステムの方程式を、その複雑なシステムの方程式へと、慣例的な行程によって変化させましょう。

「テンサー分析は、それによって単純な(または知られている)システムの方程式が、与えられた(それぞれの)システムのものに対して変化させられる慣例的(一貫的)なルールを供給します。

「・・・

「1.それぞれの構成要素(部品)が簡単に分析される事が出来る様に、特定の意図的に配置された接続部を取り外す事によって、複雑なシステムを、幾つもの構成要素(部品)へと分解します。この分解は、幾つかの段階的な方法において達成されるかも知れません。

「・・・

「一度、(例えば、調速機の様な)構成要素の部品の方程式が確立されれば、異なった技術開発的なシステムの構成要素的な部品として使われた時に、その方程式が再び始めから確立されなければならない必要性はもう全くありません。つまり、テンサーの言語における全ての調査の結果は、丁度、基準化された機械の部品が、様々な構造において再構築(再利用)されるために保存されておく(しまっておく)事が可能な様に、問題の異なった種において、後に使用されるためにしまっておく事が可能でしょう。

「2.その複雑なシステムを、幾つもの構成要素のシステム(部品)へと分解する事に加えて、元々(原型)において、または分解されたシステムにおいて、新たな、言及の枠組みの単純な種類を仮定しましょう。

「例えば、もし可能であれば、曲線軸(curvilinear axes)の代わりに直線軸(rectilinear axes)を仮定し、または角度におけるブラシの代わりに、主要な軸(中軸)に沿ったブラシを仮定する等々です。その新たな軸は、(例えば、左右対称的、または普通の座標の様な)実際に存在している仮定的な軸かも知れません。

「『創始的/原始的なシステム』の方程式から、実際のシステムの方程式へと移行する通例の順序は、通常、『トランスフォーメーション(変換)理論』、または『言及の枠組みのトランスフォーメーション』として言及されます。この行程は、テンサー分析の背骨です。」¹⁷

言葉を変えると、人は単純に、与えられたシステム(機械)の構成要素(部品)を『分解』しなければならず、そしてその後、より『原始的/単純』ですが、類推的なシステムを分析しなければなりません。¹⁸ また、着目してもらいたいのは、クロンがまた、アインシュタインの相対性理論的な言及の枠組みを、検証の下にある電気的なシステムの用語において定義したためで、もう一つの革新的な一歩でした。
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17 Kron, Tensors for Circuits, pp. xxii-xxiii.
18 『tearing/引き裂き』と『原始的/創始的なシステム(原型的なシステム)』、そして『類推的な』システムの用語(定義)は、クロンのものです。着目されるべきは、クロンは、『類推的な』システムが何かも、言ってしまえば、あらゆる場合において、何が形式的に、そしてはっきりと類推を構成するのかの、形式的で、はっきりとした定義を全く供給しませんでした。ですがこれは、その様な形式的で、はっきりとした定義が、それ以外であれば形式的な思考である殆どにおいて欠如していたので、彼の責任(失敗)ではありませんでした。類推の形式的にはっきりとした微積分学の構築は、その様な微積分学が、同じ象徴的(シンボル的)な言語において、類推の非-量子化可能な形状のためと同時に、より単純に量子化された、または計算可能な種類の両方を説明しなければならなかったので、最も難しい課題の一つであったためです。


3. The Transformation Tensor and Electrical Machines
3.トランスフォーメーション(変換)テンサーと電気的な機械     31


テンサー分析のテクニック(技術)を通して、クロンがどの様に、一つの電気的な機械を、もう一つへと変換する事が出来たのかを理解するために、彼がどの様に、技術開発のコンテキストにおいて、「トランスフォーメ―ション・テンサー」の概念を定義したのかを検証する事が必要です。私達は最初に、そして長文においてクロン自身を引用し、そしてその後、その意味を明かすためにテクニカル(技術的)な用語を展開します:

n-方向の複数マトリックス(基盤/母体)の集合が、物理的な存在を形成し、ヴァレンス(結合価) N のテンサーは、もしトランスフォーメーションの複数マトリックス C の助けを共にするなら、それらはもう一つのものへと変化させられる事が可能です。

「(1-マトリックスによって、それぞれの言及の枠組みの上で体現された)ei の様な、「結合価1のテンサー」は、「ヴェクトル」と呼ばれます。パワー(出力/ P )やエネルギー(電力/ T )の様な「結合価0のテンサー」は、「スカラー」と呼ばれます。その他の結合価のテンサーは、特定の名前を有しません。Z はすると、「インピーダンス(交流における電圧の電流に対する比)テンサー」と呼ばれた「結合価2のテンサー」です。

「一つのテンサーは、その結合価として、多くの C (または CtC⁻¹、Ct⁻¹)の助けと共に変換されます。故に ei は一つの C を必要とし、Z は2つの C を必要にし、P は C を一つも必要としません。異なった数の C を引き寄せる、テンサーの「化学的」な性質のために、「結合価 n のテンサー」の表現が起因しました。多くの記述者達は、しかしながら、それを未だに「ランク n のテンサー」と呼んでいます。

テンサーは、変換のはっきりとした法則を共にしたマトリックスだと頻繁に云われます。実際には、テンサーは、一つの物理的な存在で、そしてそのプロジェクション(投影/見積もり)は、n-方向の複数マトリックスです・・・

(a) ある問いが此処で台頭し:n コイル(巻き数)を共にした、全てのシステムの複数マトリックス、e, I, Z 等々は、唯一、物理的な存在 e, i, Z の異なった要素だと言う事が必用なのでしょうか?・・・

「特定のシステムの複数マトリックスがテンサーだと言われる時、このシステムと共に関連した全ての方程式は、物理的に類推的なシステムの集合の方程式として、テンサーの定義において全く同じだと言う事が自動的に続きます。」¹⁹

ですが、この技術的な用語の全ては何を意味するのでしょう?

私達は以前の章からの、カルツァの元々の洞察を思い出しましょう。其処で、彼はアインシュタインの一般相対性理論の四次元的なシステムを扱い、そしてそれに対して新たな追加的な次元を加え、それは、結果的に、電磁力のためのマックスウェルのフィールド方程式を合併しました。
_____
19 Kron, Tensors for Circuits, p. 40, all distinct font types in the original.

テンサー微積分学において、その4つの次元 - 空間の3つと時間の1つを共にした - アインシュタインの一般相対性理論の基本的な方法は、以下の様に見えるマトリックスの方法によって、数学的に表現されました:

g₁₁   g₁₂   g₁₃   g₁₄

g₂₁   g₂₂   g₂₃   g₂₄

g₃₁   g₃₂   g₃₃   g₃₄

g₄₁   g₄₂   g₄₃   g₄₄

この4 x 4のマトリックスは、そのマトリックス(基盤/母体)の次元、または「ランク」です。縦枠、または横枠におけるそれぞれの数値は「エントリー(記入)」と呼ばれ、そしてそれぞれのエントリーは、実際に、一つの全体的な方程式の構成かも知れません。テンサーは、その様なマトリックスを、もう一つへと変換している方法です。テンサーの異なった種は、それらのエントリーがどの様に、一つのマトリックスにおける一つの位置(座標)から、新たなマトリックスにおけるもう一つの位置へと変換されるのかを表現します。故に、もしこの4 x 4のマトリックスのモデルが空間における物体、または空間自体でさえあるなら、すると、そのエントリーの再編成を共にしたこのマトリックスの変換は、物体の新たな種、または空間の新たな種(座標)を表現するでしょう。

此処で、カルツァが行ったものを思い出して下さい:彼は単純に、アインシュタインの四次元に、一つの追加的で、空間的な次元を加えました。マトリックスの定義において、するとカルツァが加えたものは、それぞれが新たなエントリーを共にした、一つの追加的な横枠と、一つの追加的な縦枠でした:

g₁₁   g₁₂   g₁₃   g₁₄   A₁

g₂₁   g₂₂   g₂₃   g₂₄   A₂

g₃₁   g₃₂   g₃₃   g₃₄   A₃

g₄₁   g₄₂   g₄₃   g₄₄   A₄

A₁    A₂    A₃    A₄   (スカラー)²⁰
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20 Q. v. Michio Kaku, Hyperspace, pp. 100-103, for a discussion of this diagram and its meaning. The diagram itself is produced on p. 102.

カルツァの追加的な横枠と縦枠は、An のエントリーによって示されています。故に、「gnm」の定義によって記述されたエントリーは、一般相対性理論の方程式を意味し、「An」の定義によってマックスウェルの方程式が意味されます。着目してもらいたいのは、クロンが「ヴァレンス(結合価/数価)n のテンサー」の用語によって呼ぶものが単純に、その他の者達がランク n のテンサーと呼ぶもので、其処でその「n」は、一つのマトリックスにおける横枠と縦枠の数によって体現された次元の数を意味する事です。同様に、クロンが複数マトリックスの「n-方法」を述べる時、彼が単純に意味しているのは、n x n エントリーの四角(枠)のマトリックスの整列、またはランク n のテンサーです。

クロンの明言の示唆は既に明らかに成りましたが、それらが誤解され無い様に、それらを鮮明に明言する事が最善でしょう:チャージ(電荷/e)、インピーダンス(交流における電圧の電流に対する比/Z)等々は、人が通常それらを考える様に、抽象作用では無く、それらは、それが電気的な回路、または機械の、異なった要素でしか無い、「一般化された電気的な機械」の実際の物理的な存在で、構成要素(部品)です。故にそれらの存在(部品)は、テンサーによって、一つの機械から、もう一つへと変換(部品が再利用)されるかも知れず、人が唯一知らなければならないのは、クロンの記述において C によって代理された、一つの機械のマトリックスを、もう一つへと変換する、特定的な変換テンサーです。エントリーの新たな配置を知ると人は、新たな機械の構成要素(部品)がどの様に相互関係するのかを知ります。

4. Rotating Machines, Systems, and Torsion
4.回転している機械、システム、そしてトーション     33


ですが、より高い次元的な統一されたフィールド理論、そしてトーションととても地域化された時空間のカーブとしての、その様な概念の土台の上で唯一説明する事が出来るとクロンが主張した、観測可能で異例的な現象とは一体何だったのでしょう?その様な現象は、電気的な技術開発者達によって、よく知られていましたが、現在では、もし人々がクロンの研究を知らないなら、その様な単純な現象(i.e. 静電気/誘電性/ダイエレクトリシティー)が実際に何を示唆するのかを想像出来無いでしょう。

それぞれが数千キロワットを産出していて、全てがトランスフォーマー(変圧器)に接続されている、水力的なダムにおける巨大で電気的な発電器の一連を想像してみて下さい。私達はまた、その描写の目的のためにそれらの発電機のそれぞれが、水やメープル・シロップ等々の様な、異なった(流動性の)液体と共にそれぞれが、それ自体の放水口によって推進(発電)されていると仮定しましょう。その放出口を通って噴出している液体は、異なった速度と圧力において噴出しており、そして従って、それぞれの発電機は、異なった量の電力を産出しているだけでなく、それぞれお互いから、多かれ少なかれ、フェーズ、または「段階」がずれてそう行っています。

それらの発電機は全て一緒に対化されているので、異変が現れるのが何故なら、それぞれが、それ自体の回転の異なった効率を共にし、その発電機の総合出力が、フェーズ(段階)のために、そのシステムが出力しているべきだと「基準的な」方法(計算法)が述べるもの(数値)からずれ始めるためです。幾らかの状態の下で、そのシステムは、その様な計算がそうであると明言する状態(数値)よりも、多かれ少なかれ、多大に異なった出力さえ産出します。

クロンのテンサー分析が今、大きな構図の中で、その構図に介入するのが此処なのは、そのシステムにおけるその様な高度に異例的な「クリーピング(放電/誘電/静電気)」は、総合的なサーキット(回路)の幾何学(立体性)によってもたらされた、より高度で次元的な相互関係として、唯一説明可能であるとクロンが明言するためです。その総合的なシステムは、そのシステムが、その中へと異例的な電力を漏れ出させさせている、または対照的に、それから異例的な量の電力を変換しているかのどちらかにおいて、地域的な時空間のカーブを効果しました。

もし私達が此処で、この説明的な類推の中へとトーションの概念を注入すると、するとクロンの研究が示唆するのは、この異例的な消失と会得が、特定の方法において、回転しているシステムが、お互いに対して対化された時に結果する、地域的な空間の、折り畳みと重なり合いの結果だと言う事です。²¹ トーションが起こる時に結果する力(作用)のヴェクトルの「螺旋/回転」が意味するのは、トーションが十分に強いと、電力磁力の様な、通常は直交(i.e. 垂直/直角)の力(作用)のヴェクトルが、殆ど「平行」に成るかも知れず;それらはその様な空間の極度なワープ(歪み)によって、もたらされる「遠距離の平行化」の一種を経験するかも知れません。
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21 これに関して、ロシア人の物理学者、ニコライ A. コザレフの研究を、再びもう一度思い出して下さい。

トーションの量に従って、それらのヴェクトルが、直交であると言うのはもう必然では無く、その様な直交性から、少々、または多大にずれるかも知れません。

現象のこの様な種類をクロンは、電気的なシステムにおける時空間の地域的なカーブの定義において、特定的に分析しました:

「方程式の・・・不変の形状を確立するために、そしてそれによって、物理的な性質の、測定可能で可視化可能な定義において、小さな振動(oscillations)の現象を表現するために、リーマン-クリストフェル・カーブ・テンサーの様な、テンサー分析のその様な先進的な概念を使用する事が必要です・・・」²²

クロンの、革新的で、息を奪う様な明言が見過ごされない様に、それをはっきりと、そして単純明快に明言する事が最善でしょう:私達の未熟な類推において、表現された現象の一種の現れにおいて、電気的なサーキット(回路)の幾何学は、それ自体が地域的な時空間において技術開発されたカーブ(歪み)の一例です。特定の極度な状況の下で、すると、その機械の幾何学(立体性)の特質によって、その空間-時間の地域的な歪みを誘導させ、エネルギー(電力)を引き出す事が可能かも知れません。これと共に、人が、特殊相対性理論の教義を遥かに超えているのは、その技術開発不可能な、地域的で、「平な」空間であるためで、そして再びもう一度、1920年代後期と、1930年代初期の、統一されたフィールド理論が、クロンがそれらを理解した様に、実用的な示唆の領域であるためです。

D. Summary and Conclusions
D. まとめと結論     35


私達は今、此処までに学ばれたものをまとめる位置にいます:

「1)一番最初の統一されたフィールド理論は、事実において、アインシュタインによるものでは無く、ドイツ人の数学者、セオドア・フランツ・カルツァによるもので;

「2)カルツァはユダヤ人では無く、そして第二次世界大戦の間に、ドイツ内に残ったので、彼の理論と、その実用的な応用を調査する事に対して、ナチス党からの思想的な敵視は全く無く;
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22 Kron, Tensors for Circuits, p. xxv.

「3)カルツァの理論は五次元的な理論 - 4つの空間と1つの時間で - その中で重力と電磁力が、フィールドと作用の両方の種類の、共通の幾何学的な描写において統一され;

「4)カルツァの4番目の空間的な次元は、当時(または現在、もしくは予測可能な未来において)精密調査するために、惑星全体よりも大きなエネルギーを必要とする、プランク長の極度に小さな大きさに成ると、スウェーデン人の数学者、オスカー・クレインによって計算され;

「5)カルツァは、低サイリーシア(地方)のオッペルンにおいて生れ、そして彼が Königsberg 大学において数学の Privatdozent だった時に、彼の理論についての彼の論文を提出し、第三部において重要性を得る2つの事実で;

「6)「完全な」統一されたフィールド理論の、アンシュタインの最初の公表されたヴァージョンは、トーション・テンサーを組み入れ、そしてそれと共に、時空間の極度な捻り、または折り畳みの特定の状態の下で、通常、直交(垂直/直角)な力(作用)のヴェクトルは、その通常のパターンから逸脱し、トーションの度合の上に起因し、より大きく成ったり、より小さく成ったりすると言うアイデアを組み入れました。これは、光の地域的な屈折化を、理論的に可能にし、技術開発可能にしました。

「7)現代の理論的な物理学の概念によると、1920年代初頭の統一されたフィールド理論の「不完全性」にも拘らず、そしてカルツァの「カール・アップした(巻き上がった)」4番目の空間的な次元を厳密に検査するための努力の膨大な量にも拘らず、クロンはそれでも、電気的な機械の彼のテンサー分析を通して、ネットワーク化された機械の特定の異例的な出力(i.e. オーヴァー・ユニティー/入力よりも出力が大きくなる現象)は、リーマン-クリストフェル・カーブ・テンサー、またはアインシュタインのトーション・テンサーの様な、時空間カーブ・テンサー変換の何らかの形状を含んでいる、より高い次元的な幾何学によって、唯一、説明される事が出来ると主張しました。

「8)これが順を追って示唆したのは、殆どの通常的な場合においては、極度な、または異例的な効果(静電/誘電/ダイエレクトリシティー)は観測可能ではありませんが、電気的な回路と機械が、それら自体、例外無く、地域化された時空間のカーブだと言う事でした。そうであれ、小さな、そして観測可能で、異例的な振る舞いは、殆どの電気技術開発者達に知られており、クロンによると、より高い次元的なトポロジー(位相幾何学)と、時空間のカーブを介入させる事によって以外、説明する事が出来なかった振る舞い(作用)でした。故に、それらのよく知られた異例は、クロンにとって、1920年代後期と1930年代初頭の統一されたフィールド理論の、基本的な洞察の確認でした。

「9)1934年における、電気的な機械のテンサー分析の一線に沿った、クロンの最初の公表は、ベルギーのリージ大学からの名誉ある賞を彼に受賞させ、クロンとカルツァの研究 - もしくはクロンとアインシュタインの研究さえ - 一つに総合し、その様な理論の上に基づいた世紀末(最終)的な兵器が、効能的に可能であると言う結論を間違いなく引き出した、ナチスの関心へと彼をもたらしたのは必然で;

「10)重大な事に、1930年代初頭における、ほぼ同じ時期において、統一されたフィールド理論についての出版が、その他の国々においてそうされた様に、ドイツ内において縮小(規制)され始めました。その縮小のための一般的な説明は、量子力学の益々増える成功のためだとされました。これが正しく真実であり、最も合理的な説明である間、それは、以前にも着目された様に、クロンの研究の驚く程の軍事的な示唆(利用の可能性)に気付いていなかったはずの無い、ナチス・ドイツにおける沈黙を十分に説明しない様でした。ドイツが関係する限り、その沈黙は、Geheime Riechssache、または機密の国家的な問題として、機密化されたアイデアと技術の、意図的な隠蔽(秘密化)によるもので、²³ そしてそれが、第三帝国(ナチス・ドイツ)における秘密裡の兵器開発の土台に成ったためである可能性が、より大きく;

「11)故に - カルツァ、またはアインシュタインであれ - 加えて、機械に対するテンサー分析の応用の合理化の、何らかの形状における統一されたフィールド理論の融合の、その様な土台の理論化は、ナチスのベル計画のための理論的な土台の、もう一つの高度な可能性を構成し、そして故に、第三章において行われる、知られているその機能的なパラメーター(媒介変数/母数)と効果を分析している方法で;

「12)同様に、米国へのアインシュタインの移民、統一されたフィールド理論の上の彼の継続された研究、そして電気的な機械の、クロンのテンサー分析は、アメリカの政府と軍部の上で、類似した効果を有したはずで、そしてその軍事的な示唆(破壊力)は、直ぐに明らかであったはずです。

「13)故に、統一されたフィールド理論の幾つかの要素は、丁度、ナチス・ドイツにおいて行われた様に、米国において、国家安全保障の理由のために、表向きの文学(一般的な出版)から、量子力学の要素の幾つかの様に消滅し(隠蔽され);

「14)故に、そのトーション・テンサーを共にした、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論に加えて、電気的な機械の、クロンのテンサー分析は、アメリカのフィラデルフィアの実験と、ナチスのベルの両方に架け橋している、概念的なマトリックス(基盤/母体))における中核を形成しました。
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23 それぞれ、米国と英国の規定において、「トップ機密」、または「最も秘密」に対して、多かれ少なかれ同等な定義です。

「故に、クロン自身の方法を使用する事によって、私達は、それぞれの機械、または実験を「分解し」、そしてその知られているパラメーターと効果を分析し、そしてその実験を再構成するかも知れません。単刀直入に、機械のクロンのテンサー分析は、特定の延長まで、2つの実験を「逆技術開発」し、そしてその機械自体を再構築するための方法を私達に可能にします。」

事前に続いた結論において、統一されたフィールド理論についての、公的で科学的な文献の記事の消失において機能した、ドイツと米国の両方におけるその他の何らかの動機の、歴史的な推理が進められ:国家安全保障と、その理論に基づいた、高度に秘密裡の戦時中の研究のためでした。それは、故に、第二次世界大戦に向かう数年において私達が目撃するのは、それまでは、多かれ少なかれ、公で自由な学術であった物理学自体において二種類の枝葉への分離が、永続的な特徴に成り:「行き止まり」に辿り着く様に意図的にデザインされた「一般大衆向けの」物理学の一種(相対性理論)と、彼等のブラック(闇予算)の計画の寺院における魔術師である、秘密裡の科学者達、技術者達、そして技術開発者達のための物理学でした。それらの計画の2つと、それらを可能にした魔導士達に向き合う前に、最後の審判の日(世の終わり)の物理学の可能性についての更なる言葉(説明)が必要です。

3. Three Routes to the Doomsday Weapon: Quantum Potential, Torsion, and Vortices: One Theory, Many Technical Applications
3.世紀末の兵器への3つの道どり:量子的な効能、トーション、そして渦巻き:一つの理論と、多くの技術的な応用     39


その戦争の後に、髪の毛の幅によって(寸前に)、世界が取返しのつかない大災害を避けた事が明らかに成りました・・・この第四(物理学)チーム(部隊)は、毎日の様に、化け物じみた分野(フィールド)において研究していました。そして私がこれを述べる時に、私が意味したのは、良く情報が与えられた一般大衆が、正に今日でさえ考えられず、信じられない、そして故に唯の妄想だろうと考える物事と共に、それによって彼等が実験していたと言う事です。私が示唆する事を意味するのは、それらの専門家達が、一般的な物理学の法則を完全に無視した概念において研究していた事です。」¹

A. A Consideration of the Practical Research Plans to be Pursued in the Philadelphia Experiment and the Bell’s Projekt Kronos
A. フィラデルフィアの実験と、ザ・ベルのクロノス計画において探求された、実用的な調査の計画の吟味     39


戦争の準備の急場、そして実際の戦時中の研究において、アメリカ人達とドイツ人達の両方にとって、以前の章の中で概要された様々な理論の究極の示唆を研究するために、攻撃の基本計画を概要する(事前計画する)事は、平和時の状況における(大)企業的、そして/または軍事的な研究(軍需産業複合体)の通常の発展よりも、更にもっと緊急であったはずです。

攻撃のこの計画は、2つのはっきりとした段階へと分離されていたはずで:第一段階は:「概念の証明」の段階で、其処で基本的な原則が、短期間で、小規模な実験の一連を通して確認され、そして第二段階は、完全規模のヴァージョンで、それはもし第一段階の結果が、完全規模の試験の費用を補償するに十分だと納得されれば、探求されたでしょう。

1. Phase One
1.第一段階     40


第一段階は、多かれ少なかれ、以下の段取りへと分離化されていたでしょう:
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1 Mayer and Mehner, Day Geheimnis der deutschen Atombombe, p. 89, 私の英訳。 引用はまた、私のReich of the Black Sun, p. 96, そしてThe SS Brotherhood of the Bell, p. 202にも記述されました。

1)調査されるための効果、または原則の可能性 – または可能性の無さを - 実証するための、小規模な「概念の証明」の実験をデザインする事で;

2)その実験のための相応しい測定/測量の機器のデザインで;

3)その実験のために必要な道具(機器/部品)の生産のために、様々な企業(大企業/財閥)に対して契約(コントラクト)を与える事で;

4)その計画の実験を製造し、試験し、そして稼働させるための、相応しい人材の確保です。

第二部、そして第三部の中で目撃される様に、(ザ・ベルの場合において)その様な概念の証明の実験が行われた、または(フィラデルフィアの実験の場合において)その様な概念の証明の実験が、より近代の時代の文献の中で確立される事が出来るので、故に行わる事が可能だったかも知れないと言う、異例的な証拠があります。

2. Phase Two
2.第二段階     41


一度、実験的な結果が、その効果の(実現の)可能性を確認し、そして第一段階のための実験的な原則が確立されれば、第二段階は、多かれ少なかれ、以下の段取りを含んだでしょう:

1)その実験の巨大化と、可能な限り、その求められた効果を最大化(最効率化)するために、より多くの要素を取り入れる(調整する)事で;

2)その実験のために相応しい電力発電所をデザインする事で;

3)その完全規模の実験のために必要な、実験的、そして測定的な構成要素(機器/部品)の生産と、企業的な契約の受託で;

4)実験現場、そして/または、その下で巨大化された実験が行われるための、「戦場的な状態」を相応しく確保する(再現する)選択で;

5)その実験を実施するために、研究者達、技術開発者達、そして労働者達の、より大規模なチームを集める事でした。

第二部、そして第三部において、ナチスのベル計画の概念(発案)と実行において、それらの要素の全てがあったと言う証拠が存在し、そしてフィラデルフィアの実験においては、第3項の例外を除いて、全ての要素があり、そしてこの項目、企業的な契約の受託は、その実験についての利用可能なデータ(資料)の慎重な再検証によって、妥当だと推測する事が出来ます。

B. The Significance of the Basic Method Previously Outlined
B. 以前に概要された基本的な方法の重要性     42


科学的、そして技術開発的な研究の通常の一連の、この基準化され、そして一般化された概要の重要性が見過ごされない様に、以下に続くページの中でそれらの2つの実験の分析と共に進む前に、それに注意を促すのが最善でしょう。その概要の重要性は単純にこれです:もし、ある時点において、それぞれの段階が行われた、または行われる事が出来たかも知れない事を証明するために、歴史的、そして/または状況的な証拠が体現されるなら、もし、利用可能な証拠から、特殊化された機械の製造における、(大)企業的な拘わりが書類化された、または合理的に推測されたなら、そしてもし、第一段階から第二段階へ、拘わっていた人材の数の拡大があったなら、するとそれぞれの段階と共に、その2つの実験が実際に行われた可能性が増大します。

以下に続くページにおいて、それらの段階が検証される際に、一つの追加的な要素が頭に入れられておくべきで:もし、利用可能な証拠から、証明、または合理的な推測の上に基づいて、強い可能性が再構築される事が出来るなら、これが順を追って示唆するのは、両方の場合において、証拠隠滅の何らかの要素が故に拘わっていたと言う事です。つまり、両方の実験が実際に行われていたと言う立件が一度確立されると、誰かが、何処かで、拘わっていた科学技術のデザイン(設計)、その根底にある理論、そして両方の実験の結果に関する重大な証拠を隠蔽(いんぺい)していた可能性が増幅します。

最後に、フィラデルフィアの実験とナチスのベルの形状において - 特にその後者において - 統一されたフィールド理論の示唆は、見過ごされるべきではありません。次の部分の中で目撃される様に、アメリカ人達は、フィラデルフィアの実験において、電磁的な方法を通して、レーダー・ステルス(レーダーに探知されない)形状を究極的に求めていました。ドイツ人達は、第三部において目撃される様に、彼等のベルの機器と共に、時空間自体の地域的な幾何学の操作に基づいた兵器を求めていました。

成り行きとして、その根底にある理論は、科学技術と応用の様々な種に対して台頭を与えました。

私達は終に、これから、それらの計画の一つ目、フィラデルフィアの実験の検証に対して向き合います。

PART TWO:
THE AMERICAN SHIP AND THE ACCIDENTAL DISCOVERY
第二部:
アメリカの軍艦と偶然の発見


「フィラデルフィアの実験における私自身の特別な関心は、強化された、そしてレゾナント(共振的)な磁気によって誘導(影響)された際の、物質の分子的な構成要素におけるシフト(変化/ズレ)の可能性と共に関連していて、物体が消滅する事を原因出来るかも知れない事で - バミューダ・トライアングルの中の消失の幾つかのための、一つの可能な説明であるためです。」
- チャールズ・バーリッツ、
フィラデルフィアの実験、10ページ、1979年

「私達は、フィラデルフィアの実験が、第一次世界大戦の間にテスラが公表し、(Vannevar)ブッシュの様な人達によって理解された明言まで遡る事が出来るだけでなく、その実験の物理学が実際に、回転している磁気的なフィールドのテスラの発見まで遡れると考えます。更に加えて、私達にとって、テスラの回転しているフィールドと、アインシュタインの1927-29年の、統一されたフィールド理論の公表の中で現れる、トーション・テンサーの間には、正当なリンク(繋がり)がある様に現れます。この関連性は、1930年代の間にジェネラル・エレクトリック( GE 社=ロックフェラー)において、ガブリエル・クロンによって最初に指摘され、そして公表されました。」
- K.L. Corum, J.F. Corum 博士、そして J.F.X. Daum 博士、
テスラのコロンブスの卵、レーダーのステルス、トーション・テンサー、そしてフィラデルフィアの実験」、1994年

4. First Disclosure: The “Varo” Edition of Morris Jessup’s The Case for
the UFOs

4.最初の情報公開:モリス・ジェセップの UFO (未確認飛行物体)のための立件の「ヴァロ誌ヴァージョン」     45


「それらが一体何であれ、UFO は、船や飛行機が崩壊する、または消滅する事を原因出来る、イオン化のパターンである、一時的で、磁気的な渦巻きを創造する様です。ジェセップは、彼が亡くなる前に、起こっていた事が一体何であれ、そのための科学的な土台を発見する寸前であると信じ、それを彼は、アインシュタインの『統一されたフィールド理論』に沿って説明可能だと考えました。」
- マンソン・ヴァレンタイン博士¹

フィラデルフィアの実験の逸話が、1970年代後期における、チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーの同じ題名の本と共に、一般大衆の読者達に対して「知られ始めた」間、一般大衆に対する徐々の台頭のその実際の歴史は、もっと以前に始まりました。従って、私達は、最初に、ペンタゴン(国防総省)における米国海軍の士官達の選別された極少数の内輪に対して、その後、バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルと共に、より広い読者達に対して、そして最後に、バーリッツとモーアーの本、フィラデルフィアの実験:不可視(ステルス)計画を共にした完全な詳細と見解におけるその台頭に対して、人々の注意へとその実験を最初にもたらした、3冊の本を検証する事によって、その台頭の実際の基本的で年代順の一連に続きましょう。その方法に沿って、その逸話の詳細が徐々に浮き彫りに成ります。

更に加えると、その逸話の始まりの御蔭のためでなければ、その後(続いた)本は全く日の目を見なかったかも知れませんが、その始まり自体がとても衝撃的だったので、より広い一般大衆に届くのは必然的な結果でした。その始まりは、早期の UFO の研究家、モリス K. ジェセップの著書、UFO のための立件の「ヴァロの注釈版」の中に見つけられます。その本は、フィラデルフィアの実験の逸話自体と同様に、殆ど全ての曲がり角において、高度な奇妙さと共に関連しています。例えば、ヴァロの注釈版に対する前書きは、グレイ・バーカー自身以外の何者でも無い者によって記されました。ですから、ヴァロの注釈版と、グレイ・バーカー自身の奇妙な研究の関心の、端的な歴史が必要です。
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1 Cited in Charles Berlitz, The Bermuda Triangle (New York: Avon Books, 1975), p. 148.

A. A Brief History of the Varo Annotated Edition
A. ヴァロの注釈版の端的な歴史     46


チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアーによると、フィラデルフィアの実験の謎は、「一見、彼自身が正しく、謎めいた人の一種として現れる、ある科学者と共に始まりました。」² その謎めいた人は勿論、天文学者であり、科学者で、そして早期の UFO の研究家、モリス K. ジェセップでした。1900年3月20日に、インディアナ州のロックヴィルにおいて生れたジェセップの関心に含まれたのは、天文学、天文物理学、そして更に考古学でした。³ 第一次世界大戦において従軍し、軍曹の階級を得た後、ジェセップは

「最終的に、アイオワ州のデス・モイネスのドレイク大学と、アン・アーボアにおけるミシガン大学において、天文学と数学の教員の地位に繋がった、大学の学歴を会得しました。1920年代の後期において、ミシガン(大学)における(博士号の)大学院生であった間、彼は、(旧)オレンジ自由国の Bloemfontein における、ミシガン大学のラモント-フッシー観測所へと任命された研究チームと共に、南アフリカ・ユニオンへと訪れる機会を手にしました。当時の南半球における最大級の屈折望遠鏡と共に研究する間、ジェセップは、現在、ロンドンの王立天文学会によって、カタログ(記録/分類)された、幾つもの物理的な二重恒星(i.e. 連星 )の発見において結果した、研究プログラム(方法)を完璧化しました。」⁴

この経験は、ジェセップが、天文物理学において、彼の博士号を求めるための、彼のデータの使用に繋がり、そして「彼が実際に、彼の博士号を与えられたとは現れませんが」、1933年において彼は、彼の研究(論文)を公表しました。「そうであれ、彼をよく知る多くの人達は、彼をジェセップ博士と呼んだので、私達がそう呼び続ける事が相応しい様に現れます。」⁵ ジェセップをジェセップ博士として言及する事は故に、オルタナティヴな文献における習慣に成ったので、そして私達は、バーリッツとモーアーの記述に引き続き、彼を時々、ジェセップ博士として呼び続けましょう。

大恐慌の間に、ジェセップ博士は、ゴムの資源のために、ブラジルのジャングルを調査するための、科学的な調査隊の一員として、米国の農業省において雇用されました。⁶
_____
2 Charles Berlitz and William Moore, The Philadelphia Experiment: Project Invisibility, p. 22.
3 Ibid.
4 Ibid.
5 Ibid., p. 23.
6 Ibid.


ブラジルから戻った後、ジェセップ博士は、カーナギー財団によって資金援助された、考古学的な調査隊のための写真家に成りました。その調査隊(の目的)は、メソアメリカ(中米)におけるマヤ(文明)の遺跡を探検するためでした。これは、疑う余地無く、ジェセップが、考古学、そして彼が応用した人類の起源と歴史のとても急進的な見解に対する彼の関心を高めた処でした。私達は後に、それらの見解に徹底的に言及する機会を有しますが、それらについて、バーリッツとモーアーが述べる事に着目するには価値があるでしょう:

「ジェセップは・・・それらの巨石構造のための一つの可能な説明は、インカ人達によって構築されたと言うよりもむしろ、それらは何らかの種の空中船から操作された、浮遊(反重力)の機器の助けと共に、大洪水以前の時代において造られたと推理しました。これは、彼自身を科学者と呼ぶ人のために、少々異例的な明言で、そして、言うまでも無く、彼の同僚達に対してやすやすと受け入れられると考えられるものではありませんでした。それはジェセップを、三十年以上後の現代に、広く有名に成った『古代の宇宙飛行士達』の論説の先駆者の一人にしました。」⁷

それらは、今日でも、オルタナティヴな分野においてでさえ、物議をかもし出す見解で、そして正しく、ジェセップが最初にそれらを提案した当時においては、更にもっと急進的でした。中央アメリカを調査した後、ジェセップ博士はその後、ペルーの古代インカの遺跡の彼の調査を続けました。

彼はまた、メキシコのマヤ文明の遺跡を調査している間に、もう一つの興味深い発見を行いました。これは、地質学的な形成(地形)の一連で、

「精密な検証をした上で、何らかの種類のクレーターの一連として現れました。其処には少なくとも10個のクレーターがあり、構造と大きさにおいて、謎めいた月のクレーター、Linne と Hyginus N に対して特定の注目すべき類似性をそれらが有すると、彼は考えました。再び、科学者としては異例的なタンジェント(接線/斜め)に逸脱し、ジェセップは、その問題の事前調査を終えた後、それらが『宇宙からの物体によって造られた』とする、彼の推論を提出しました。更に後日、より詳細に明言し、彼は、米国空軍が、メキシコ政府の許可と共に作戦遂行していた探査(スパイ)飛行機によって撮られた、それらのクレーターの空中撮影の(写真の)一連を所有していましたが、それらの写真と、それらに関する発見は、高度に機密に保たれていたと、彼は発見したと情報公開しました。それらの形成(地形)の彼自身の独立的な研究を続ける事を望んでいましたが、その活動を支援する資金不足に至り、ジェセップは、1954年において、必要な資金を調達するために、米国に帰る事を余儀なくされました。⁸
_____
7 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 23-24.
8 Ibid., p. 24, emphasis added.


私達は、それらの異例的なクレーターの形成(地形)において、米国空軍の関心を引き寄せたものが何であれ、その空中撮影の写真と発見を、自然的では無いと分類したと、妥当に推測出来るかも知れません。私達が目撃する様に、そのヴァロの注釈版は、とても大まかで、そして奇妙な方法の一種において、この推理に協力証言します。

ジェセップ博士はまた、1940年代の後期と、1950年代の初頭において、アメリカの上に訪れた、UFO の逸話(目撃証言)に関心を持ち始めました。そしてこれが、彼の考え方が最も異例的な曲がり角を曲がった処だったのは、彼が「それらの『空中船』の可能性と、彼の太古の遺跡、そして謎めいたクレーターの間の関連性を感知(直感)し始めた」ためでした。⁹ ジェセップは、ワシントン D.C.へと移り住み、そして UFO 現象と、彼の奇妙なメキシコのクレーター、そしてメソアメリカ(中米)の太古の遺跡の間に彼が直感した関連性を概要する本を書き始めました。ジェセップの著書は、勿論、UFO のための立件で、それは1955年の初頭において出版されました。

その本の出版は、フィラデルフィアの実験の逸話とのジェセップの拘わり、そして一般大衆に対するその実験自体の情報公開に最終的に繋がった出来事の、奇妙な一連を開始しました。UFO 調査の研究における、科学者としてのジェセップの主要な関心は、彼に対してそれらが体現した、推進力(動力)の科学技術でした。「それらの稼働の方法は、反重力の、何らかの未だに認識されていない原則によってだと、彼は感じました。」¹⁰

「motive power (機動力/推進力)の頼りがいのある源泉は、人の(人類の)発展に対する最重要の鍵であり;そして人類が、ロケット科学技術の『原始人の様に野蛮な』力(作用)よりも、もっと頼りがいのある何か(科学技術)を発見する(または発見する)まで、彼(人類)は、母親のエプロンに繋がれた幼子の様に、地球に繋がれたままだろうと、彼は信じました。ジェセップの考えにおいてその『何か』は、エネルギー(電力)の源泉としての、統一的で重力的なフィールドの利用でした。

「ジェセップは、政府によってでも、個人的な投資家でも、更に企業によってでも、いずれでも良いので、科学的な研究のこの分野において行われるための、真剣な調査のために、印刷(出版)と講演の両方において、公共(一般大衆)に対して訴えました。」¹¹
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9 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 25.
10 Ibid.
11 Ibid.


実際に、私達が後に目撃する様に、ジェセップは、政府、または(民間)企業的な資金援助を通した重力操作への研究のために訴えた唯一の科学者ではありませんでした。更に重要な事に、ジェセップは、重力操作のためのこの探求を、アインシュタインの処分(無視/隠蔽)された、1928年の統一されたフィールド理論と共に、特定的に関連させました。¹²

どんな場合であれ、UFOs とそれらの科学技術を、人間の先史時代と宗教(信仰)と共に関連させている論説の、その奇妙なカタログ(一連)を共にしたジェセップ博士の UFO のための立件は、「少なくとも彼の読者達の内の一人を不穏にさせ、機密化された(米国)海軍の資料と、明らかに奇怪な想像力のたまものが混合されたものの、伝達(手紙など)を開始させる程でした。」¹³ ジェセップが、彼の出版者から、彼に渡された「ファン・メール」のパッケージ(封筒)の中で、彼に届いた奇怪な手紙の一連の一つ目を受け取ったのは、彼の著書がバンタム(軽量)のペーパー・バック(単庫本)として出版された後でした。

「ペンシルヴァニア州の郵便刻印(判子)付きのこの特徴的な手紙は、幾つもの異なった種類の鉛筆とペンで、クネクネした、読みづらい手書きで、そしてとても奇妙なスタイル(形式)において記述されていました。大文字は文章の中間において現れ、単語は奇妙に使用され、そして誤って綴られ、更に句読点は、使用されたとしても、後から考えて、適当に点と丸が打たれた様でした。(それらの)行の全体は、頻繁に、異なった色のインクで、下に線が引かれていました。」¹⁴

短期的で、そしてとても奇妙な情報交換の一連を開始した手紙は、勿論、カルロス・ミグエル・アレンデの有名な手紙で、フィラデルフィアの実験の逸話を調査した人の全てに、よく知られた名前です。ジェセップとアレンデの間の有名な情報交換(手紙のやり取り)を開始した、この元々の手紙は、残念ながら、もう存在しません。

此処における私達の注目点は、ジェセップの著書のヴァロの注釈版に台頭を与えた、ジェセップとアレンデの間の手紙のやり取りによって行われた役割の上に集中しなければなりません。アレンデの手紙を後に読んだ全ての人達と同様に、ジェセップは恐らく、それ(手紙)が含んでいた急進的な逸話によって困惑されたでしょう。それらを読んだ全ての人達と同じように、ジェセップの関心は、その強い「目撃証言的な特徴」によって、大分刺激され、アレンデに対して、更なる詳細を教えてくれないかと尋ねている短い返答を送りました。
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12 これは、次の章の中で触れられるでしょう。
13 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 26.
14 Ibid., p. 27.


アレンデからの返答を聞かないままジェセップは数か月を過ごし、そして彼は、彼の講義の重度なスケジュールに従い続けました。アレンデが最終的に、ジェセップの葉書に対して返事を送る事を余儀なくされたので、バーリッツとモーアーは、アレンデが、彼(ジェセップ)の講義の内の一つにおいて、見聞きしていたと妥当に推測しました:

「1956年1月3日、UFOs のための立件の原稿の彼の完成の正しく一年後に、ジェセップは、今度はマイアミにおいて、今回は彼の名前を『カール M. アレン』と署名した、この同じカルロス・アレンデからの(もう一つの)手紙を受取り、驚かされました。その手紙は、最初の手紙と同様に、同じ奇妙なスタイルで記述され、そして同じペンシルヴァニア州の返信の住所が記述されていましたが、その用紙は、テキサス州のゲインズヴィルのターナー・ホテルの刻印便箋で、ゲインズヴィルの判子が押されていました。」¹⁵

実際に現存するのは、アレンデからジェセップへの、この第二の手紙で、そしてそれは以後の章の中でより詳細に検証されるでしょう。

この二通目のアレンデの手紙は、その内容においてとても極度に奇怪で、オルタナティヴな研究者、ヴィンセント・ガディスによると、ジェセップは、最初の反応において、それをいたずらっ子のたわごと、または悪ふざけ(詐欺)として受け取っていました。¹⁶ そうであれ、その内容には、ジェセップ博士が一旦停止し、そしてその著者が単に「実際の出来事を大袈裟にして説明している」だけではないかと言う可能性を考え直す事を強要するだけに十分な詳細が、その内容にはありました。その手紙は、更に加えて、その実験の土台が、アインシュタインの統一されたフィールド理論であると示唆し、ジェセップの様な天文物理学者の興味をそそったはずである主張でした。¹⁷ この二番目のアレンデの手紙の中の詳細の多大な量は、最終的にジェセップが再度、もう一枚の葉書の中で返答し、アレンデの手紙が詳細した奇怪な逸話における多くの主張のために、アレンデが証拠を供給する様に訴える事を余儀なくされました。

再びもう一度、ジェセップ博士が、アレンデからの返事を受け取る前に数か月間が過ぎ、更にもう一度、ペンシルヴァニア州のデュボイスからの刻印(判子)でした。¹⁸ この手紙は、二通目と同様に、以後の章の中で、より詳細に検討されるでしょう。
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15 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 29.
16 Ibid., p. 35, citing Vincent Gaddis’ Invisible Horizons, no page reference given.
17 Ibid., pp. 35-36, citing Vincent Gaddis’ Invisible Horizons once again. No page references given.
18 Ibid., p. 36.


二通目の手紙と同様に、しかしながら、その内容はとても急進的な本質で、再びもう一度奇妙で、まとまりの無いスタイル(形式)において、様々な色のインクと鉛筆で記述されており、恐らくジェセップは

「それらの奇怪な手紙の問題の全体を、変人の戯言として、楽しんで考えたかも知れませんでした。その題材に対する彼の初頭の関心にも拘らず、彼(ジェセップ)を知る幾人もの人達は、それらの手紙を信用するには、幻想的過ぎる(信じがたい)と言う、とても安心出来る結論へと、彼が最終的に辿り着いたと同意します。」¹⁹

ジェセップは、実際に、更にもう一度、メキシコへの探検のための金融的な援助を手配するために忙しく、そして最終的にヴァロの注釈版を取得し、再出版し、そしてその研究に対して彼自身の前書きを添えた、グレイ・バーカー以外の何者でも無い人に、その様に示唆しました!

「勿論、貴方はメキシコにおける私の興味を知っているでしょうが、それらは突然、予期せぬままに、実働へと至り:(1)何らかの商業(利益)的な関心が、その隕石のクレーターの下の鉱物の事前的な調査のために、恐らく私をメキシコへと送り込む様で;そして(2)政府が、ミシガン大学の提供(資金援助)を通して、探検(調査隊)を出資する可能性が高い様です。最初に、私は多分、12月10日頃に、5週間の調査のために出発するでしょう。第二に、契約書は(未だ)署名されていませんが、それ(調査)は(1957年の)4月1日頃に実現し、少なくとも5か月間、続くかも知れません。」²⁰

ですが実際には、考え通りには行きませんでした。「(アレンデの)手紙はどうでもいい問題だと言うジェセップの信念にも拘らず、彼(ジェセップ)にはそれを直接知る、または操作する事が出来ない物事であった - 極度に奇妙な偶然の一連が - 起こり始めていました。」²¹ それらの偶然(の出来事)は、必然的にジェセップを、その手紙の内容についての、拡張し続ける関心の内輪へと引き入れ、ジェセップが直ぐに発見する様に、米国海軍を含む内輪でした。

バーリッツとモーアーによると、その出来事(事件)のこの要素は、1955年の7月、または8月において恐らく始まり、「ジェセップが、アレンデからの、困惑させられる手紙の一連を最初に受け取った数か月以前でした。」²²
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19 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 42.
20 Letter of Morris K. Jessup to Gray Barker, cited in Berlitz and Moore, pp. 42-43.
21 Ibid., p. 43.
22 Ibid., p. 44, emphasis added.


それは、ペンタゴン(国防総省)に、一つの茶色の封筒が届いた時に始まりました。その封筒は「海軍研究所の責任者、N. ファース海軍大将(提督)」に対して宛て名書きされていました。その封筒は、海軍研究所において、米国海兵隊の飛行術研究の士官だった、ダレル L. リッター少佐「宛ての書類」が含まれていました。²⁴ その封筒の表には「祝イースター(復活祭)」と綴られ、テキサス州のセミノールからの刻印が押され、そして中身は、ジェセップの UFO のための立件の軽量な単行本ヴァージョンでした。²⁵

ファース海軍提督が、その本を恐らく全く読まなかった間、リッター少佐は明らかに、その内容を幾らかの関心と共に受け取った様でした。

「その本を開いてみるとリッターは、それが、少なくとも3種類の異なった色のインクにおいて記述された、最も困惑させられる手書きの注釈と下線で過度に記されていた事を見つけ - その注釈は、それらの著者が、UFOs の詳しい知識、それらの推進力の方法、起源、背景、そして歴史を知っていた事を示唆する様でした。その本自体はとても良く読み込まれ、そしてこの研究(注釈)の責任者が誰であったにせよ、明らかにそれを行う事において、多大な量の時間を費やしていました。」²⁶

ジェセップの本と、そしてその奇妙な注釈の両方の、ファンタスティック(幻想的/驚き)な詳細は、直ぐに扱われるでしょう。

現時点において、しかしながら、私達は、ヴァロの注釈版の歴史自体の上に集中し、そしてどの様にジェセップ博士がそれと共に拘わる様に成ったかに着目しましょう。バーリッツとモーアーは、その本が明らかに、リッター少佐の興味をそそった、一つの可能な理由を指摘します。そしてそれが彼の興味をそそったのは、彼がその後、海軍研究所(ONR)の特殊計画の士官である、ジョージ W. フーヴァー司令官と、ONR に新たに配属されたばかりだった、シドニー・シャービー部隊長に対してその本を渡したためでした。²⁷ バーリッツとモーアーは、その両方の人達が地球を周回する人工衛星を発射するアメリカの最初の試みである、(米国)海軍のヴァンガード計画と供に拘わっており、そしてその両者が同時に、反重力において関心を持っていたと主張します。²⁸
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23 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 44.
24 Ibid.
25 Ibid.
26 Ibid.
27 Ibid., p. 45.
28 Ibid.


フーヴァー司令官とシャービー部隊長は明らかに、その本の内容と奇妙な注釈によって、とても興味をそそられ、彼等は十分にその問題を論議し、そして最終的に、「彼の著書を話し合うために」、ワシントンの海軍研究所に来るように、ジェセップに対して招待状を送る程でした。²⁹ ジェセップが到着すると彼は、「18カ月前後に、リッター少佐の手元に届いた」、UFO のための立件の注釈された一冊を手渡されました。³⁰ その海軍の士官達はジェセップに対して、その本が、注釈においてそれぞれが独特のニックネームを持っていた、明らかに、3名の異なった個人達の間でやり取りされていたと説明しました。³¹

ジェセップは、勿論、彼の著書の注釈を加えられた一冊を彼が読み始めた際に、その状況の全体によって困惑させられました。

「彼は何故、とても明らかに精神障害の頭脳の産物であるものにおいて、海軍が関心を持っているのかを不思議に思いました。ですが、その様なものを誰が造り出す事が可能だったのかを、彼(ジェセップ)は想像出来ませんでしたが、それは、1943年において行われたとされた、秘密裡の海軍の実験に対する特定的な言及を行った、特定の奇妙な一文に、彼が気付くまででした。彼が、以前にも、その様な明言に出くわしたと気付き、ジェセップは、ページをめくり続けました。消失した船(軍艦)に対する幾つかの更にもっと直接的な言及を見つけた上で、彼は - 彼のかつての謎めいた文通者、カルロス(カール)・ミグエル(M.)・アレンデ(アレン)が、この奇妙な(注釈版の)本と共に、何らかの奇妙な方法において関連しているはずだと - 疑う余地を無くされました。彼の結論と共に満足し、ジェセップはこの時点において、彼が調べた彼の書類の中には「一人の注釈者(アレンデ)から」の、少なくとも2通の手紙がある事は間違いないと彼が感じたと、意見を報告しました。」³²

バーリッツとモーアーによると、フーヴァー司令官はその後、アレンデの手紙を海軍が検証する重要性をジェセップ博士に伝え、そしてまた、「我々の再上層の人達の」極少数の間で、その奇妙な注釈を共にした、ジェセップの本の特別な限定版が、水面下で流通される段取りを行ったと教えられました。³³
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29 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 45.
30 Ibid., p. 46.
31 バーリッツとモーアーは、これが「3種の色のインクの使用と、注釈の幾つかの印象の上に基づいて、一人の人から、もう一人の人へと宛てられた対話であると言う誤った推測」であると主張します。現実において、一人(アレンデ)以外に注釈者はいない様に現れます。(The Philadelphia Experiment, p. 46,) この章の中で私達がこの後、目撃する様に、グレイ・バーカーは、ヴァロの注釈版の中の彼の前書きにおいて、実際には3名の注釈者達が存在したと主張します。どちらであっても、それは、その内容、またはヴァロの注釈版がどの様に現れたのかの歴史の、私達の分析には影響しません。
32 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 46-47.


フーヴァー司令官はまた、ジェセップがこの特別版の本の一冊を受け取るであろう事を約束しました。

そして故に、ジェセップの UFO のための立件のヴァロの注釈版が起因したのは、その本の再出版が、テキサス州のダラス郊外のガーランドの、ヴァロ製造(出版)会社によって行われたためです。バーリッツとモーアーによると、ヴァロ社は、「軍事的な研究のコントラクト(契約)」と深く拘わっていました。更に加えて、フーヴァー司令官とシャービー部隊長の両方が明らかにヴァロ社と共に何らかの重要な関係を持っていたのは、「両者が後に、その会社における雇用を得たためです。」³⁴ バーリッツとモーアーは、そのヴァロ社は、「正確に127コピー(冊)」を製造し、³⁵ そしてそのタイピング(文字の入力)は、「軍事的な補助」として知られる会社の部署に帰属したミメオグラフ(タイピングの機械の一種)の上で、ミカエル、またはミシェル・アン・ダン女史によって行われたと主張しました。³⁶ ジェセップが明らかに ONR (海軍実験所)の士官達の要求に応じたのは、アレンデの手紙が、その注釈版の前書きとして含まれたためです。その特別出版のページは、「薄い青色の厚手の表紙の間に挟まれた」手製で「spiral-bound(背骨-結び/固定)」(の本)でした。³⁷

ジェセップが明らかに、その本の彼に約束されたコピーを - 実際には3冊 - 受け取ったのは、彼がその後、その注釈版の上で詳細に、多大な量の時間を費やしたためでした。

「彼は、それらの注釈の正しく奇怪な内容について、とても困惑させられ、彼は、わざわざ、彼自身のコメントと返答を用紙にタイプし、約10ページ毎位に貼り付ける事によって、その本を「再注釈」する手間を取りました。(この再注釈版は明らかに今でも現存していますが、その所有者によって、一般の研究者達に対して利用可能にされていません。)³⁸
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33 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 47.
34 Ibid., p. 48.
35 彼等はまた、「その他の情報源」は、その数を12から25冊と、より少なく見積もると記述します(The Philadelphia Experiment, p. 48).
36 Ibid., p. 48. Berlitz and Moore はまた、ダン女史は、その会社の社長の個人的な秘書では無く、ヴァロの注釈版を完成するために特別に雇用された一時的な雇用(非正規社員)だったと記述します。
37 Ibid.
38 Ibid., p. 50.


海軍と、そして彼自身の個人的な率先の上でジェセップの両方が、その後そのペンシルヴァニアの住所において、その謎めいたカルロス・アレンデ(カール・アレン)に接触しようと試みましたが、その試みは結果を出しませんでした。³⁹

それらの出来事の後、ジェセップは(健康が)悪化し、彼の職業的な責任を諦め、そして益々、「サイキック(精神/超常)的な現象」と占星学に没頭しながら、著者として生計を立てる事を試みました。1958年において彼は、彼のマイアミの家を売却し、そしてインディアナに戻りました。1958年のハロウィーンの頃(秋)に、ジェセップは、ニュー・ヨーク・シテイーにおける彼の最も親密な友人であり、著名な UFOs 研究者で、オルタナティヴな科学の研究家、イヴァン T. サンダーソンの下を尋ねました。サンダーソンは、1968年9月の、彼の雑誌、探求の第4号の中で、ジェセップの死の出来事を公表しました。

「当時、1958年において、最も不可思議な出来事の一連全体が起こりました・・・その当時、最も奇妙な物事が起こり始め、それは、それら自体において、一冊の本のために十分な素材(内容)を供給するでしょう。それらは、本当に身の毛のよだつ程の悲劇に結果しました。

「ある特定の日に・・・モリス・ジェセップは、ニュー・ヨークの私の家の来客でした。夕食の前、最中、そして後に、10数名の人達が(家の)中と外の周りにいました。ある時点において、モリスは、私の書斎において話し合いが出来ないかと、私達3人に尋ねました。これに対して私達は対応し;そして彼はその後、オリジナルの再注釈された本を私達に手渡し、そしてとても切実に、それを読んで、その後に「私に何かが起こった場合のために」それ(本)を安全な場所に保管してくれないかと頼みました。これは、その時には全てがとてもドラマチック(劇的/大袈裟)な様に現れましたが、私達がこの素材(本)を読んだ後、最も不穏な本質の感覚を私達全員が感じたと認めなければなりません・・・

「モリスは家族思いで、特に彼の孫達の将来の安全を心配していました。この私達の最後の会合において、彼は極度に取り乱していて、そして、元々は、自然的な現象における純粋で、知性的な関心のために、非現実的な、完全に狂った世界へと、彼が完全に吸い込まれてしまったと、彼が気付いた事を認めました。彼は、彼の研究と、彼の個人的な生活において起こった「偶然」の終わる事の無い一連についての率直な恐怖を表現しましたが、これ以外にも彼は、それらの深刻な問題と、そして関連した問題を彼が口に出せば、彼が(周りから)狂っていると非難されるのではないかと狼狽していました。

「彼が実際に、私達に対して言った内容は以下です:私は、私が正気を失って行っているとは思いませんが、私はこのノンセンスの全てが実際に起こっていて、そして(それらが)私の妄想の一部では無いと信じます。もしあなたがこの本を読めば、何故私がこの結論に辿り着かざるを得なかったのかを、あなたは理解するでしょう。現実に、もし私が正しいなら、これは何らかの不快な出来事無くして、もう続く事は出来ないでしょう;そして、もし何かが起こり、そしてこの素材(資料/本)を読んだ人達は直ぐに、私が明らかに正気を失ったと言い;そして一度それが提案されれば、平均的で関わり(知識)の無い一般市民は、私の家系に精神異常があると言う結論にすぐさま飛び乗る事を、あなたは良く知っているでしょう。」⁴⁰
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39 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 50.

ジェセップは明らかに、彼の命に対する危険を恐れていて、もし謎めいた状況においてそれ(命)が終わらされたなら、彼が精神障害の被害者で、自らの手で自殺した様に見せかけられるのではないかと心配していました。

実際に、ジェセップの生命が、彼が恐れ、そして予測したものと殆ど正しく(同じく)終わらされたのは、サンダーソンの夕食会の数日後にインディアナへと戻る予定だったのに、彼が姿を現さなかった時に、ジェセップの家族と出版者が心配し始めたためでした。一カ月が過ぎ、ジェセップは最終的に、大規模な自動車事故の被害者として、フロリダにおいて身元確認されました。その事故は、彼の意気消沈と憂鬱を増やすばかりでした。その後、1959年4月中旬に、ジェセップ博士は彼の心の内を、もう一人の親しい友人で、有名なラジオ番組の司会者、ロング・ジョン・ネベルにうちあけました。⁴¹ 1959年4月20日、ジェセップ博士の「息絶え絶えの体が、彼の大型乗用車のハンドルの上にもたれかかっているのが発見され・・・その直後に、病院に搬送される間、または其処に着いた直ぐ後に彼は死亡し - その車の排気菅にホースを繋げる方法による、一酸化炭素中毒の自殺の被害者と言われました・・・」⁴² ジェセップが自殺した、または、彼が、彼の友人、イヴァン・サンダーソンにうちあけた様に、知られざる加害者によって「自殺させられた」のかは、決して知られる事は無いでしょう。どちらであったとしても、しかしながら、サンダーソン自身も含み、その逸話のこの要素を調べた殆ど全ての人達は、ジェセップの結末に繋がったのは、アレンデの手紙の奇妙な現れと、ヴァロの注釈版の状況だったと同意します。

ですから何が、ジェセップの著書と、そのヴァロの注釈版について、とても衝撃的だったのでしょう?此処が、その筋書きが、本当に分厚く成る処です・・・
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40 Ivan T. Sanderson, Pursuit, No. 4, September 1968, cited in Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 52-53.
41 ネベルは、多かれ少なかれ、1960年代と1970年代において、(有名なラジオ・パーソナリティー)アート・ベルの様な人物で、彼のトーク・ショーの題材の多くは、UFOs や、政治的な陰謀に献身しました。著名な著者で、JFK 暗殺の研究者、パリス Flammonde は長年、ネベルのプロディューサーでした。
42 Ibid., pp. 54-56.


B. The Contents of the Varo Annotated Edition
B. ヴァロの注釈版の内容     57


ヴァロの注釈版は、フィラデルフィアの実験と共に最も詳しい人達に、その名前でよく知られてはいますが、そうであれ、最も入手困難な本に留まり、その実際の内容は殆ど全くと言っていい程、知られていません。私達は故に、モリス K. ジェセップの様な天文物理学者の頭をよぎったかも知れない思考の種類を再構築するための試みの見解と共に、そうする事が賢明なだけ、それを出来る限り多く、此処において再産出しましょう。そうする事において、とても不穏な構図が台頭し、彼(ジェセップ)と彼の注釈者(達)のアイデアの相互関連性のためは言うにも及ばず、ヴァロの注釈版の中で表現された幾つもの単一(個別)の概念のために、ジェセップが殺害されたのかも知れないと暗示するものです。

1. Gray Barker
1.グレイ・バーカー     57
a. His Preface
a. 彼の前書き     57


ヴァロの注釈版の現存のヴァージョンについての最初の、そして最も明らかに異例的な事実は、その情報源で:現在は消滅したソーサーリアン(円盤研究家)出版のグレイ・バーカーでした。バーカーは彼自身は、1950年代から1970年代にかけての有名な UFO 研究家で、そしてまたよく知られた、モリス・ジェセップの親しい友人の一人でした。バーカーは疑う余地無く、彼等(ジェセップとバーカー)の共通の友人で、UFO 研究の「クラシカル(初頭)の時代」のもう一つの著名な名前(の持ち主)である、イヴァン T. サンダーソンから、そのヴァロの注釈版の一冊を入手しました。⁴³
_____
43 バーカーは、彼の前書きの6ページの上で、「私達は最終的に、その出版者によってジェセップに供給された数冊の一つを、彼が与えた友人から、1971年においてその稀少な元々のコピー(本)の一冊を入手した、と明言しました。この友人が、イヴァン T. サンダーソン以外の何者でも無く、そしてその入手された一冊が、彼(ジェセップ)の身柄の安全のために、保管する様にサンダーソンに委ねた、ジェセップの数冊の内の一冊だったと考えるのは合理的でしょう。しかしながら、着目されるべきは、ジェセップがサンダーソンに委ねた数冊の内の一つは、彼(ジェセップ)の再注釈されたヴァージョンで、そしてこれは、私(ファレル博士)の知識において、一度も表面上に現れていません。サンダーソンが亡くなった際に、彼自身の資料と書類が彼のアパートから運び出され、そして再び日の目を見る事が一度も無かった事が知られています。これは、ヴァロの注釈版の、ジェセップ自身の再注釈版を含んでいたかも知れません。

バーリッツとモーアーと同様に、バーカーは、ジェセップの UFO のための立件のその特別版が、軍部のための物資を生産したテキサス州ガーランドの製造会社による、「とても小規模な製造」において印刷されたと記述します。⁴⁴

バーカーは、「それぞれのページが、小規模な事務所のコピー機を通して2度に渡って印刷され、一度目は、本の通常の文体のための黒いインクを共にし、そして二度目は赤いインクを共にしたもので、その後者は、ジプシー(放浪者/浮浪者)達、偽造詐欺師達、または人々(一般人)の中に住んでいる(紛れている)宇宙人達かも知れない3人の人達による、その謎めいた注釈を産出(印刷)した、」と明言します。⁴⁵ これは典型的なバーカー(の記述)で:散文的な詳細とワイルド(大胆)で推測的な文脈を、全て同時に供給します。バーカーはその後、その本が果たして全く存在したのかを、多くの人達が疑った事を記述した上で、こう続けます:

その注釈版の実質的に同じコピー(複写)をその時あなたは、あなたの手の中に持っていたので、その本が存在していたのは最も明らかでした。ですが、その大きな謎は残ったままで:何故、政府のコントラクター(軍産の下請け)がわざわざ、科学的なコミュニティーによって否定された本を再印刷し、そして更に、その著者に対する謎めいた手紙と、更にもっと奇怪な注釈を含ませたのでしょう?そしてこの謎と共に追随するのは、その本が軍部の要求において、製造者(出版社)によって印刷され、それが示唆したのは、政府が『空飛ぶ円盤』の研究の最も不可解な要素の幾つかにおいて関心を示していた事でした。」⁴⁶

その注釈されたジェセップの本における政府の関心は、つまり、UFO の謎自体だったと、バーカーが結論へと飛び乗った事に注目して下さい。そして実際に、それは明らかな(素直な)結論でした。ですが、彼等(政府/軍部)の関心は、その注釈と、アレンデの手紙の中に含まれた、フィラデルフィアの実験の逸話によるものであるとするのは、同等に可能でした。しかし、私達がまた発見する様に、同様に政府の関心を引き寄せるために、幾つものその他のあまり明らかでは無い可能性が存在します。

何にせよ、バーカーはその後、彼の本当の関心:アレンデの手紙と、その注釈自体へと進む前に、ジェセップの人生の端的な履歴を概要します。ヴァロの注釈版における政府の関心が、その UFO-関連の内容によるものであるとする、彼の見解への飛躍にも拘らず、バーカーは、それでも、少なくとも一つの重要な要素において、彼が、アレンデの実際の手紙の、親密(詳しい)観測者であると証明します:
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44 Gray Barker, “Preface,” in “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object (Castelnau-Barbarens, France: The Quantum Future Group), p. 3.
45 Ibid.
46 Ibid.
47 Ibid., pp. 3-4


UFO のための立件の注釈された単行本版の謎は、ジェセップに宛てられた、カルロス・ミグエル・アレンデ(カール・マイケル・アレン)からの、奇妙な手紙の一連によって先行されました。それらの内の2通は、その注釈版の一部として再出版され、以下に続くページの中で現れます。その手紙は、アインシュタインの統一されたフィールド理論を利用した、海上における奇妙な実験の結果として、1943年10月の間に、一隻の軍艦とその乗組員の全てが不可視に成ったと主張しました。」⁴⁸

この章の中で直ぐ後に私達が目撃する様に、バーカーは、フィラデルフィアの実験の伝説が後に主張した事では無く、アレンデが実際に述べた事に気付いた極少数の人達の一人で、つまり、その実験が、その船(軍艦)がフィラデルフィアの港に停泊していた間ではなく、沖に出ていた時に行われた事でした。これは、私達が最終的に学ぶように、その実験の本質と同時に、その歴史への、重大な手掛かりです。⁴⁹

バーカーはまた、バーリッツとモーアーによって調査された様に、同じ詳細を概要しますが、再びもう一度、興味深い捻り(曲がり角)を供給するのは、ジェセップの本の注釈されたコピーが元々宛てられた、ファース海軍提督が、実際にその本に軽く目を通し、そして彼の関心が刺激されたと、彼(バーカー)が主張するためです。⁵⁰ これが究極的に、バーリッツとモーアーの説明が成すよりも、もっと意味を成す(合理的な)のは、政府のコントラクター(下請け)による注釈版の、個人的で、恐らく機密化された特別の短期の出版は、コマンド(命令系統の[ヴァーナー・ヴォン・ブラウンを含む]最上層部)、または将官級の誰かによって指示されたとする方が理屈に合う様に現れるためです。バーカーはまた、バーリッツとモーアーとは対照的に、3人の振りをした1名(アレンデ)だけでは無く、実際に3名の注釈者達がいたと主張しました。⁵¹
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48 Ibid., p. 4, emphasis added.
49 言うまでも無く、その題材についての本(の内容)が、その実験の、少なくとも幾つかの段階(小規模な「概念の証明」の実験)が、フラデルフィアの海軍港において行われたとする強い印象を与える、バーリッツとモーアー(の本)によって、この要点の全体的な重要性は、完全には理解されていない様に現れます。
50 Barker, “preface,” in “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object, (Castelnau-Barbarens, France: The Quantum Future Group), p. 4.
51 Ibid. 一方で、バーリッツとモーアーの説明と、もう一方で、バーカーの説明の間の比較は、前者の著者達がバーカーの説明に過度に頼った事を明かすでしょう。


しかしながら、バーリッツとモーアーとは異なり、バーカーが、そのヴァロの注釈版がどの様に由来したのかの示唆に気付いていたのは、再び、ファース提督自身が、その本の印刷を指示したと言うアイデアを彼(バーカー)は退ける事を意図しなかったためで:

「その注釈版を出版するにおいて、ヴァロ社の役割には、2つの論説(可能性)が台頭し:

(1)軍部の再上層部がこれを、(それより)より低い層を通して渡すと、故に何らかの情報漏洩(ろうえい)があった際に責任を逃れる事が可能で、そしてそれは、その(下請け)社員達が、軍事的な安全保障のトップ・クリアレンス(機密に拘わる許可)を持っていたかも知れない、ヴァロ社によって内密に印刷/出版され - 情報(噂)が漏れ出すかも知れない政府の印刷/出版の源泉に、それを送る(依頼する)事を避けました。軍部は、米国によって行われていた秘密裡の研究に対してその注釈を応用する事に関心を持っていました。印刷された後、その限定版は、関係者の間で手渡され、そして、秘密裡の軍事的な開発に携わっていた、その他のコントラクター達に渡されました。

(2)シービーの様な、より低い階級の士官達は、UFO の謎において深い個人的な関心を持っており、そして同じ様な関心を持っていたその他の海軍の関係者達に対して(その本の)コピーを与える事を望んでいました。個人的な関心の問題として、軍部の関係者に対して、彼等(ヴァロ社/下請け会社)が延長するかも知れない幾つもの個人的なひいきの一つとして、そのコントラクターがゆうずうするだろうと知っていたので、彼等(士官達)はヴァロ社に再印刷する事を要請しました。

「それらの選択肢の後者が、筆者の最善の推理です。守秘義務の大きな度合は、使用され無かった様に現れます。ジェセップは、ヴァロ社によって招待され、そしてその本を見せられ、そして彼のその後の記述、または報告された対話の中に、彼が秘密を守る事を要請されたと示唆するものは、何もありません。」⁵²

再び、バーリッツとモーアーと、そしてバーカーの間の、細かい違いに着目して下さい。バーリッツとモーアーは、ジェセップがヴァロの注釈版の彼のコピーを海軍から受け取ったと主張する間、バーカーの「最善の推理」は、彼(ジェセップ)がヴァロ社から直接受け取ったとします。バーカーは故に重要な点を主張し:その出版にまつわる特別な秘密主義は無いとし、それは、イヴァン T. サンダーソンとの彼の最後の夕食会の間の、ジェセップの振る舞いに対して直接矛盾する概念です。実際に、その計画の再上層部において秘密主義が存在し、そして故に、ヴァロの注釈版自体にまつわる重大な守秘義務が存在し、その秘密主義は、彼の人生の終わりにおける、ジェセップの奇妙な振る舞いを説明するかも知れないと言う証拠が後に体現されます。
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52 Barker, “Preface,” in “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object, (Castelnau-Barbarens, France: the Quantum Future Group), p. 5, emphasis added.

b. A Necessary Tangent: Barker’s Own Strange Story
b. 不可欠なタンジェント(寄り道):バーカー自身の奇妙な逸話     61


ヴァロの注釈版の検証において更に進む前に、グレイ・バーカー自身についての端的な言葉(説明)が必要です。彼の個人的な UFO (関係)の出版社、ソーサーリアン(円盤研究家)出版の時代の彼の履歴がよく知られたバーカーは、UFO の目撃事件に頻繁に追随した、「メン・イン・ブラック( MIB /黒い服を着た男達/政府関係者達)」の目撃と呼ばれるものを扱ったクラシカル(先駆け/典型/名作)として考えられる本で、彼を有名にした:彼等は空飛ぶ円盤について知り過ぎていたの著者として、恐らく今日、最もよく覚えられているでしょう。バーカーの本は、何らかの UFO (未確認飛行物体)の目撃を経験し、そしてその後、突然に、そして通常、説明不可能な形で、その問題(UFO の目撃)を誰にも話すなと警告した黒ずくめの衣装をまとった謎めいた男達によって訪問された、様々な人達(一般人)についてでした。その現象におけるバーカーの関心は、1953年において、国際空飛ぶ円盤連盟の主任調査員だった際に、その組織(連盟)の全体が、その設立者である、ベンダーと言う名前の人物が、MIB によって訪問された後に、突然と解散されたと発見した時に始まりました。その連盟は、宇宙リヴューと呼ばれた UFO 報告の小規模な雑誌を出版していましたが、MIB からのベンダーへの訪問の後、その組織の在庫にあった全てのバックナンバー(売れ残り/後からのお取り寄せ)は没収されてしまいました。バーカーの著書は、その様な「隠蔽の訪問」のための本当の理由が究極的に、新たなエネルギー(電力)の源泉についての情報の隠蔽、そして UFOs のための起源が、地上的、地下的、そして更に南極的な可能性を隠蔽するために結び付いていると推理しました。⁵³ UFOs の起源の場所についてのバーカーの結論は、ジェセップ(の意見)から全く異なっておらず、そして MIB の「隠蔽現象」についての彼の結論もまた、同時にジェセップのアイデア(考え)の幾つかに関連していました。

バーカーは、しかしながら、その題材にもっと緊密な、もう一冊の本を執筆し、そしてこれは M. K. ジェセップ博士の奇妙な事件でした。⁵⁴
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53 Gray Barker, They Knew Too Much About Flying Saucers, pp. 116-117, 130, 206-207.
54 Published by Saucerian Press, 1963.


その本の中で、バーカーは、「彼にとって唯一、B 大佐として知られた、匿名の情報源から受け取られたと、バーカーが主張した、」手紙を産出しました。⁵⁵ バーリッツとモーアーはその後、その手紙をバーカーの本から引用します:

「(ジェセップは)また、(米国)軍部において流通されたと主張される、彼の著書のミメオグラフ(タイプ器の一種)で産出されたヴァージョンの一つについて強く強調しました。彼はまた、統一されたフィールド理論の応用を含んでいる、軍部(海軍)による秘密裡の実験についての情報を含んでいるとされる、特定の(アレンデの)手紙を彼が受け取ったと、私に伝えました。

私は個人的に、ジェセップがこれを大袈裟にし過ぎていると感じましたが、これは、UFO の調査について政府の[ヴォン・ブラウンを含む]内輪において体現された敏感さの光の下で人が考慮した時に、理解可能でしょう。(それらの)[アレンデの]手紙の中に含まれていた、秘密裡の実験に関する主張は、何らかの詐欺[造り話]であると言うのが私の最善の推測です。ですが、この情報は(その本質が、其処まで劇的では無かった)実際の実験の状況の幾つかに対してとても密接していたので、何らかの機密保持(安全保障)の漏洩があったと考えられたかも知れず、そしてこれは、軍部による多大な関心のための理由に成った可能性が高いのかも知れません。」⁵⁶

この短い手紙は、この本のこの部分の中で後に、フィラデルフィアの実験の私達の分析に対してそれらの要点が中心部に成るので、強調される事が最善な、幾つもの重要な手掛かりを含みます:

1)その匿名の著者が、アレンデの手紙の内容を、そっくりそのまま信じる事を拒否した事に着目し;

2)その著者はまた、統一されたフィールド理論の応用によって果たされた役割を、ジェセップが過大評価したと信じると記述しますが;

3)その手紙の匿名の著者が、右手で渡すものを、左手で取り上げ、つまり、アレンデの手紙の衝撃的な要素を「詐欺(作り話)」として否定した後、彼はそれでも「この情報が、其処まで劇的では無い本質の実際の実験の何らかの状況に対してとても密接した」と主張する事を観測して下さい。
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55 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 82.
56 Ibid., p. 83. Italicized and capitalized emphasis in the original; italicized, or bold and italicized emphasis added.


言い換えると、アレンデは、その実験の原則を正しく理解した間、その結果を誤解した、またはその手紙の匿名の著者は、その実験の元々の目的が何かを知ってはいましたが、アレンデによって報告された衝撃的な結果を知らず、それはその手紙の著者が、その実験の後期の段階、またはその(最終)結果を知らなかった事を示唆するのかも知れません。どちらの場合においてであっても、その著者の、その実際の実験が「其処まで劇的な本質では無かった」と言う明言は、この章の後において目撃される様に、その実験の元々の目的の可能性に対する、重大な手掛かりです。

4)最後に、ジェセップの研究の注釈版において、何故(米国)海軍が実際に関心を示したのかのその匿名の著者の意見に注目してもらいたいのは:安全保障(機密保持)の漏洩の危険性があったためです。これは高度に合理的な説明で、そしてその合理性は、もし、その実験の実際の結果についてのアレンデの衝撃的な主張が実際に事実なら、その可能性は増幅します。

2. The Actual ONR Introduction to the Varo Edition
2.ヴァロの注釈版に対する実際の ONR (海軍研究所)の紹介(前書き)     65


ヴァロの注釈版へと戻りましょう。公式にであれ、非公式にであれ - ヴァロ社からの、ジェセップの本の特別なヴァージョンを依頼した海軍研究所(the Office of Naval Research/ONR)は、その研究に対するそれ自体の端的な紹介(前書き)を供給しました。この前書きは、その特別版の出版のための主要な動機が UFOs であった事を鮮明にします:

「UFOs の稼働の方法、それらの起源、背景、歴史、そして UFOs に乗っている存在達の習慣(行動)の詳しい知識を示唆する概念は、調査のための興味深い題材を供給します。その様な概念は、M.K. ジェセップのUFO のための立件のペーパーバック(紙表紙/単行本)の中で見つけられます。重力の本質に対する手掛かりを発見する可能性に私達が関係させる重要性のために、古典(一般)的な科学の見解からどれだけかけ離れていようとも、可能な部分は一つも見過ごされるべきではありません。」⁵⁷
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57 Introduction, “Varo Edition ,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object (Castelnau-Barbarns, France: The Quantum Future Group), p. 8, emphasis added.

もし、重力の本質への手掛かりは一つも見逃されるべきでは無いと言う事が事実なら、するとこれは ONR による驚くべき自認で、つまり、UFOs における軍部の関心は、重力自体の謎における、より深い関心を隠していると言う事です。もし人が、表面上(表向き)の価値においてそれらの明言を受け入れるなら、すると、重力が、ヴァロの注釈版の中の、ONR の興味のための本当の関心です。しかしながら、もし人が、海軍は情報漏洩の可能性のために心配していなかったとする、グレイ・バーカー宛ての手紙の匿名の著者を受け入れるなら、すると、それらの明言は、疑いの多大な度合と共に読まれる(解釈される)べきです。この場合において、その明言は、本当の関心から注意を反らすために意図された、deep-cover (深く覆われた/偽装した)偽情報の策略でしょう。この章の残りを通して私達は、上述の明言の中で表現された感覚(意味)において、海軍の関心が正真正銘だっただけでなく、ジェセップの著書の注釈だけでなくまた、本文に、そしてその本文と注釈の間の相互関係によって示唆された概念においても関心があったと言う土台の上で、ヴァロの注釈版を分析しましょう。

その ONR の前書きがまた示唆するのは、それが、その注釈をしていた人達が実際に3名いたと信じた事でした。「青、青-紫、そして青-緑の - 3種の異なった色の使用 - そして、筆跡における違いが、この結論に繋がりました。これが示唆したのは、カルロス・アレンデは、それらの3名の人達の内の唯一一人でしかないと言う事で、その ONR の前書きは、「A 氏」による、117、130、そして150ページ上の記述が、ジェセップ博士に対するアレンデのコメント(注釈)に類似する事実に基づいた結論だったと言う事でした。

その ONR の前書きは更にもう一つの注意点の上で完結し、その関心は、ジェセップの元々の本文と、その注釈の両方である、ヴァロの注釈版の内容全体においてであったと再びもう一度示唆し:「この中には、どれだけ多くの真実があるのか?」と言う事でした。「それは、答えられる事が出来ません。それらの人達は;考えてみる価値のあるかも知れない説明である、幾つものとても興味深い説明を供給するのは明らかです。」⁵⁸ 少々後に、その実験の土台を形成したのは、アインシュタインの統一されたフィールド理論だったと、アレンデの手紙が明言するのが証明されるでしょう。もし、何らかの目的のために、第二次世界大戦の最中に、その未完成の理論の実用可能な技術開発の可能性において、(米国)海軍が関心を示していたと実証される事が出来るなら、ジェセップの本文における、彼自身の記述による、重力、UFO の推進力(動力)、そしてその他の奇妙な推測の新たなコンテキスト(文脈)におけるその明言は、1950年代における海軍の類似した関心を刺激したでしょう。
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58 Introduction, “Varo Edition,” The Case for the UFO, Unidentified Flying Object (Castelnau-Barbarens, France: The Quantum Future Group), p. 10.

それはあたかもジェセップと、彼の謎めいた注釈者達が、海軍が考慮するために、その理論のその他の示唆を指摘したかのようでした!それらの示唆は、以下においてはっきりと定義されるでしょう。

バーカーの前書き(preface)と、ONR の前書き(introduction)の私達の検証は此処において完結し、そしてその(ジェセップの)本文と、その注釈に対して、私達はこれから向き合います。

3. Jessup’s Ideas in The Case for the UFO and Some Varo Annotations
3.UFO のための立件におけるジェセップのアイデアと、幾つかのヴァロの注釈     65

ジェセップの UFO のための立件の内容の目次の検証は、その問題を指摘する事における彼の想像力の勢いを明かします。明らかに、彼は UFO を、統一的な要素として、またはむしろ、様々な「超常現象」のための、説明的な体系の一つをその(UFO 現象の)中に求めようと見解しました。

PART I
The Case for the UFO’s(Sic.)
第一部
UFOs のための立件

“If it Waddles…”?
「もしそれがヨタヨタするなら・・・」?
UFO’s Are Real
UFOs は現実
There is Intelligence in Space
宇宙において知性が存在する
Short-Cut to Space Travel
宇宙旅行(i.e. ロケット科学技術以外)への近道
The Home of the UFO’s
UFOs の故郷(起源)
Are UFO’s Russian?
UFOs はロシア製?
Space flights: Common Denominator
宇宙飛行:共通の性質

PART II
Meteorology Speaks
第二部
気象学が語る

Falling Ice
落下している氷
Falling Stones
落下している石
Falling Live Things
落下している生き物
Falling Animal and Organic Matter
落下している動物と有機物
Falling Shaped Things
落下している形造られた物事
Falls of Water
水の落下
Clouds and Storms
雲と嵐
Rubbish in Space
宇宙におけるゴミ

PART III
History Speaks
第三部
歴史が語る

Disappearing Ships and Crews
消滅している(行方不明の)船と乗組員達
Teleportation or Kidnapping?
テレポーテーション(瞬間移動)、それとも誘拐(アブダクション)?
Levitation
浮遊(反重力)
Marks and “Footprints”
印しと「足跡」
Disappearing Planes
行方不明の飛行機
Fireballs and Lights
火の玉と光(フー・ファイターズ)
Legends
伝説

PART IV
Astronomy Speaks
第四部
天文学が語る

The Incredible Decade
驚きの(信じがたい)10年間
UFO’s Against the Sun
太陽に対する UFOs
Location of UFO’s
UFOs の位置
UFO Patrol
UFO 捜査
The Height of the Puzzle
そのパズルの絶頂期
The Case is Proved!
その案件は証明された!
A NOTE ON SOURCES⁵⁹
情報源についての補足

その内容の目次が明らかに、ジェセップが Fortean (超常)現象の様々な種類のための統一している説明として、UFO 現象を利用しようと意図していた事を鮮明に明かす間、そしてそれが、人によっては、それが混乱したマインド(精神障害)の兆候であると言う(拒否)反応さえ、かき立たせるかも知れない間、ジェセップの本が実際に何であるかと言うと、一般的な思考のくくり(固定概念)の外で考える事に意欲的な学者による論説の熟考された推理における検証で、そして彼は、非-学者的な読者達(一般大衆)のために、非-学者的に(解りやすく)記述しました。故に、彼の主張と記述の、「理論づけられた推理的な論説」のスタイル(形式)は、現代の読者達によって見過ごされる傾向があります。

彼(ジェセップ)の研究を現代の読者達がどの様に捉えようとも、しかしながら、その内容の目次は既に、その注釈者達の一人からの返答を促し、そのコメント(注釈)のスタイル(形状)が、ジェセップに対するアレンデの彼の2通の手紙にとても似ているので、恐らく、アレンデ自身からのものであった可能性が最も高いでしょう:

メモ:
「この本を読む読者は誰であれ、分子的な構造の中のエレクトロン(電子)の quatums (Sic./量子)は、惑星達が公転する際の『フィールド』の(影響)範囲において類似している事を知らなければなりません。彼等(読者達)は、金属の中の電子が渡って行く(公転する)のは、惑星的なシステムにおいて(例えると)、数十億マイルに成り、其処に重力的なフィールドを残していく事を知らなければなりません。この一つの事は、静止点とか、結節点とか、または渦巻き、もしくは中立点など、様々に呼ばれました。
_____
59 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 13.

「アルバート・アインシュタイン博士がそうした様に、これに気付くと、どの様に固体が、エネルギー、または Dissolute (肉眼には見えにくい気体やエーテル etc.)に成るかも知れず、そしてその後どの様にそれらが、一瞬にして目視可能な範囲(周波数)から簡単に通り抜けてしまうかもしれない事を鮮明に表します。これは、全ての実質を通して、そして間-銀河的な-宇宙の全体を通して、アインシュタインの、統一された磁気的なフィールド理論から垣間見られる単なる一つの手掛かりです。1943年の米国の実験の一部はそれを十分に証明しました!⁶⁰

その注釈(メモ)を引用した時の、全ての大文字化、綴りの間違い、イタリクス化、そして下線は、それらがオリジナルにおいて見つけられた様に引用された事に着目して下さい。その奇妙で(文法が少し)おかしい英語は、その(ヴァロの)注釈版と、ジェセップに対するアレンデの手紙に典型的です。(訳者注:大文字化は、太文字で表しましたが、頭文字の大文字は、日本語では表現しにくいので省略しました。詳しくは、原文の pdf. 87-88ページを参照して下さい。)

それら全てのために、人はそれらを頭ごなしに否定する(却下する)べきではありません。結局の処、それらが、海軍にとって一体何を意味していたのかは、未だにはっきりとはしていませんが、米国海軍研究所(ONR)がそれらを無視しなかったためです。これ等の短い引用は、海軍の関心を引き寄せたものが何かの幾つかの手掛かりを含み:それは、2つの質量の間(e.g. 地球と太陽の間)の、一つの物体(e.g. 月)の上の、両方の質量からの引き寄せ合いが、その地点において同等である、重力的な中立点に対して、「渦巻き」と言及し、そしてそれは、アインシュタインの統一されたフィールド理論が、原則的に磁気についての理論であるとして言及し、興味深い観測です。もし人が、その「渦巻き」のアイデアを、「回転している磁気的なフィールド」を理解するために、磁気的なフィールドと一対にすると、私達が後の章の中で目撃する様に、その実験と、そしてトーション・テンサーにおけるその土台の理解に、私達は一歩近づきます。最後に、この短い注釈の全てにおいて、最も重要かも知れない最後のコメントに注目してもらいたいのは:その実験が1943年において行われ、「その一部」で、つまり、その理論のたった一つの要素(一部)、または示唆でしか無かった事です。これもまた、単なる「悪戯者」、または詐欺を行おうとしている誰か(アレンデ)にしては、凄く正確過ぎる観測であると、見解されるでしょう。その観測は、言葉を変えると、驚く程に正確です。

A. Jessup and the Antiquity of Man

A. ジェセップと人類の古さ     67


ジェセップ博士へのそのアレンデの手紙は、ヴァロの注釈版において、内容のテーブル(目次)とその注釈に直ぐに続きます。私達は、それらの手紙についての詳細なコメントを、後の章まで残しておくので、私達はその本文の中のジェセップの、より興味深いアイデア、そしてそれらの幾つかに対するヴァロの注釈の検証から始めましょう。
_____
60 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 14.

それらのアイデアの一つは、人類の古さで、そして文明の極度な古さ(超古代文明)です。偉大な名声と評価のもう一人の科学者、J. ロバート・オッペンハイマーと同様に、ジェセップは、幾つもの(古代インドの)サンスクリット語の文献の中で見つけられる、極度に古代の時代における、人類の古さと科学技術的な達成の示唆を、真剣に受け取りました:

「恐らく最古で、そして殆ど間違いなく、羽根の無い飛行(i.e. ヴィマーナ)について記述している、最も多数の情報源は、インドとチベットの寺院の記録です。それらは、それら自体において、ほぼ結論的です。15,000年前の記録は、少なくとも、その70,000年以前における、羽根の無い飛行を示唆します。これに、紀元前15000年頃(Sic.)の、トトメス(トート・モーゼス)3世の宮廷に対する宇宙船団の訪問の記録を加えると、私達は、今日の目撃証言の平行線に近づきます!」⁶¹

下線の部分が、ジェセップの注釈者達の一人によるものである事に着目して下さい。此処において、最大級の重要性が何かと言うと、それらの太古のエピックが、(1)歴史的、そして(2)科学技術的な正確性の両方を含んだと、ジェセップが信じた事です。そして故に、ジェセップは、こう結論します:「私達が、人類、または少なくとも、地球上、そしてその付近における知性のための底知れない古さを認めるのは、私達のテーゼから分離する事が出来ない(必然的な)結論です。⁶² 彼と同年代において、これが正しく急進的(大胆)な提案であった間、私の以前の著書、宇宙戦争:間惑星的な戦争、現代物理学、そして太古の文献の読者達なら、このプログラム(考え方)が実際に何なのかを認識するはずで:ジェセップは太古の神話の科学技術的な部分を吟味して、そしてそれらを、現代科学の達成に対して比較していて、そして太古の神話は、少なくとも、基準的(一般論的)な感覚とは対照的に、神話などでは全く無いと結論していると言う事です。端的に、ジェセップは、私の以前の著書の中で、私が「原始物理学」と呼んだものを考えています。⁶³ 彼は奇妙にも、人類がその場面に台頭する遥か以前に、「その他の知性」が地球上に存在し、そして文明を築いたのかも知れないとする、太古のシュメール、エジプト、そしてヘブライの宗教(記録)の見解に、協力証言さえし:「ですから、その知性の古さの私達の研究において、重要な2つの要素が存在し:人類が文明化したよりも、ずっと長く、より優れた存在が此処(地球)にいたと言う証明と、それらの数千年において、今日では唯一推測しか出来ない規模と本質の力(作用)が機能していたと言う実証です。」⁶⁴
_____
61 M. K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 28.
62 Ibid.
63 See my books The Giza Death Star, pp. 38-110; The Giza Death Star Deployed, pp. 60-193, 234-264; The Giza Death Star Destroyed, pp. 21-96; 99-245; Reich of the Black Sun, pp. 162-180; and The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts, for fuller discussions of this idea.
64 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 28.


b. Megaliths and Levitation
b. 巨石と浮遊     69


(エジプトの)ギザのピラミッドや、ペルーの巨大な石の壁の様な、太古の巨石の驚き(七不思議)を技術開発する示唆を、ジェセップがその後考えるのは、このコンテキストにおいてです。そしてもし、米国の軍部がそれらの科学者達に注意を払っていたなら – そしてそれ(軍部)は、そうしていましたが – それは、1945年の7月における、ニュー・メキシコにおけるトリニティーのプルトニウム原爆の実験の際の、(古代インドの)マハバラータのエピックの、オッペンハイマーの奇妙な引用に気付いたでしょう。ジェセップと共に人が、更にまた、物理学における履歴を共にしたもう一人の、重力を操作している謎に対する解決策に対する言及において、同じ文献を引用している科学者を有するのは、人類の古さ、または地球上の知性を考えるコンテキストにおいて、ジェセップがまた、「浮遊(levitation/反重力)以外の方法では、大き過ぎて動かせない質量(e.g. レバノンのバールベック神殿の1200トンの巨石)を含み、そして現在利用可能なあらゆる記述された記録の遥か以前から建っている、数々の巨石の加工(太古の巨石文明)において明らかです」と、はっきりと明言するためです。⁶⁵ 再び、その(手書きの)注釈者達は、彼等が関心を持った文章に下線を引き、そして彼等自身の意味深なコメント(注釈)、「THE MAN IS CLOSE, TOO CLOSE (人類は近づき過ぎ、発展し過ぎた)」を加えました。⁶⁶

c. Jessup and a Varo Annotation Concept: Interplanetary War and the Exploded Planet Hypothesis
c. ジェセップと、ヴァロの注釈版の概念: 間惑星的な戦争と、爆発した惑星の論説     69


その後に、私の考えにとって、ジェセップの著書全体の中で、最も驚きの文章の一つが続きます。それと共に、その本のその他を通して、彼(ジェセップ)の匿名の注釈者達からの様々な反応を引き出す、一つの概念を紹介します。その概念とは、私達自身の太陽系において、太古の間惑星的な戦争が戦われたと言う事で、そしてその結果の一つが小惑星ベルト(帯)で、太古の、意図的に爆発させられた惑星の、無残な名残であると言う事で:
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64 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 28.
65 Ibid.
66 Ibid.


「ジグソー・パズルのそれらの欠片がそれら自体を明かす際に、そしてこれが、古い、古い、問題であると、私達が完全に気付く時に、私達は安心し始める事が出来ます。もし、UFOs が、300,000年間、此処(太陽系/地球)に存在し、そしてそれでも未だに人類に対して総攻撃を仕掛けていないなら - 世界中の実験中の軍国主義者達と科学者達(軍産複合体)が、その水素の着火(i.e. 水爆の爆発)を通して地球を破壊し、過去における遥か昔において、(太陽系の)第五惑星(ティアマット)が破壊されたかも知れない時の様に、その銀河におけるもう一つのノヴァ(爆発)、または新星(の創造)を防ぐために、何かを(対応を)行う事を強要されない限り – それ(UFO)が、現在においてそれ(人類に対する総攻撃)を行う可能性は殆どありません。」⁶⁷

地球の大気中における水素爆弾の爆破(実験)を明言する事においてジェセップは、1950年代の、ソヴィエトとアメリカの、大気中の何度にも渡る水爆実験の時代の間に、一般大衆の想像力において広く浸透したアイデアに言及していて、つまり、それらの核爆弾が「核融合の連鎖反応」の一種を原因し、太陽がそうであると考えられていた様に、継続的で、核反応的な火の玉において、地球の大気を着火し、故に地球と言う惑星を、核反応の火葬場へと変え、新星にしてしまうのではないかと言う不安でした。この文章の本当の重要性は、しかしながら、当時の想像的な恐怖では無く、ジェセップ博士が、UFOs と太古の文献との関連性において最初に明言した数十年後に、現代の天文学者、トム・ヴァン・フランダーン博士によって、唯一、真剣に再検証されたアイデア(発想)に対する、ジェセップの言及で:爆発した惑星の論説です。

18世紀の後期と19世紀の初頭において最初に提案されたこの論説は、天文学における Titius-ボードの法則の上に基づいていました。正確な計算の連続性(数列)の上に基づき、この法則は、とても上手く、成功的にそれぞれの惑星の(公転)軌道を予測したので、太陽系の外側の惑星(i.e. 天王星、海王星、冥王星、etc.)を発見するために使用されました。ですが、たった一つ、問題がありました。その法則はまた、火星と木星の間に一つの惑星の存在を予測し、そしてそれにおいて、大きな質量の惑星でした。その後、19世紀の初頭における最初の(複数の)小惑星の発見と共に、その法則が立証された様に現れました。そしてそれらの小惑星(ベルト/帯)は、当時の天文学者達に、その消失している惑星に何が起こったのかの手掛かりを供給し:それは爆発しました。⁶⁸
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67 M.K. Jessup, The Case for the UFO” Varo Annotated Edition, p. 28, emphasis added.
68 See my Giza Death Star Deployed, pp. 1-23, The Giza Death Star Destroyed, pp. 21-52, and my most recent book The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts, pp. 1-65, ヴァン・フランダーン博士によって再提案された、爆発した惑星の論説の論議について、ジェセップは明らかに、ヴァン・フランダーンの(近年の)ヴァージョンは知る由も無く、そして故に、そのより古い、19世紀のヴァージョンに対して言及しています。


実際に、この天文学的な歴史の全ては、彼の著書の中で、ボードの法則に対して特定的に言及したジョセップに知られていました。⁶⁹ 何が極度に興味深いのかと言うと、その消失している惑星が、太古の軍事主義者達(軍産複合体)の実験の暴走の結果として爆発させられたのかも知れないとする、ジェセップの示唆です。これは、その消失している惑星の爆発が、戦争の意図的な行為として起こったと主張する一歩手前です。どちらの場合においてであれ、ジェセップのコメントは - 事故的、または意図的のどちらにせよ - 惑星全体を爆発させるために十分な、先進的な科学技術がその昔に存在していたと彼が信じた事の必然的な示唆を共に意味します。それだけでも、間違いなく、海軍の注目を捕らえたでしょう!唯一残る問いは:この科学技術の存在によって、どの様な物理学が示唆されたのか?です。

驚きにも、ジェセップの本のその注釈者達は、ジェセップの発想の示唆に対して恐らく、無意識に注意を引き寄せました。例えば、太古の隕石の衝突が、アトランティスの壊滅を含み、地球上の生命の絶滅を恐らくもたらしたというジェセップの明言は、有名なアトランティス研究家で、米国下院議会の議員、イグネーシャス・ドネリーの研究の読破から彼が得た(影響された)発想でした。ドネリーは、勿論、この(隕石の)衝突が、偶然的であったと主張しました。ですがその後、ヴァロの注釈者達の一人が、ジェセップの文章に、以下のコメントを加えました:

「その賢明な代議士(ドネリー)は、その大規模な戦争において、多くの「隕石」によって行われた事以外については、正解でした。

「『その大規模な戦争』の間に、Force (力/作用)-『Guns』のための弾薬として Balls (弾)が使用され、地球が圧縮(衝突)されました。その成功(威力)はとても早く(凄まじく)、それらは二度と使用されませんでした。」⁷⁰

私達自身の太陽系において戦われた、太古の間惑星的な戦争の、正しくその様な可能性のために、私が、私の以前の著書、宇宙戦争の中で吟味した、太古の神話の文献的な証拠と、物理(物質)的な証拠が無ければ、私は、普通なら(一般大衆の様に[知らなければ])その様な記述を受け入れなかった(拒絶反応した)でしょう。
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69 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 56.
70 Ibid.


しかしながら、その注釈のあちらこちらに現れる様に、ジェセップの匿名の注釈者達は、とても詳しい情報を掴んでいる様でした。人が唯一、この知識の情報源について、推測を試みる事しか出来ないのは、彼等の注釈の中で、この戦争に言及する太古の文献を読んだ、または親しみがあったと言う示唆が、全く与えられないためです。⁷¹

ですが、上述の引用において言及された「balls (弾)」とは何だったのでしょう?その注釈者達は、その起源が自然的な原因で、カリフォルニアにおける砂岩(サンドストーン)の地層において発見されたと信じる地質学者達によって、「コンクリート化(凝結)」と呼ばれた、球体型の石の balls に、彼(ジェセップ)が言及する彼の文章の部分の一行に、下線を引きました。⁷² ジェセップの本文、そしてその注釈の両方において、それらの the balls は、科学技術の産物で、そして故にその起源において人工的である事が、はっきりと示唆されました。そしてその注釈者達にとって、その the balls は、戦争の科学技術の産物でした。

ジェセップは、彼自身の証拠の示唆をとても簡潔に:「私達は地球上的な古さ(過去)、または宇宙的な古さの間の選択肢を持ち続けます。ですが、地球上において、私達が有する古さ、そしてとても太古の民族(人種)は、宇宙旅行を開発する事に成功出来たのかも知れません。」と明言します。⁷³ イグネーシャス・ドネリー(議員)の、アトランティスの偶然(大災害)的な終わり、またはジェームズ・チャーチワードの、「ムー(レムリア)」の失われた太平洋の大陸の、大災害的な終わりに対して、そのヴァロの注釈者達は断言的です:

大爆撃でした。

「その大爆撃は、ムーの終焉を告げました。」⁷⁴

後に続く注釈が鮮明にする様に、その注釈者達は、「大爆撃」と言う言い回しを、地球に対する複数の彗星、または隕石の衝突のための隠喩として使用しているのでは無く、それは膨大な規模の間惑星的な戦争の行動(攻撃)で:

Had Farraday concerned Himself With The Mag. FIELD SURROUNDING HIS Elec. Current, Man today would already Have
reached the outermost Parts of our Galaxy.


ファラデーが、彼の電気(Elec.)的な電流を囲んでいる磁気(Mag.)的なフィールドを彼自身で考慮していたなら、人類は今日、既に、私達の銀河系の最も遠い部分まで届いた(行けた)でしょう。」
_____
71 その注釈者達は、彼等が「ジプシー/ロマニ(放浪者)」の血統である事を明言し、それはその昔話(神話)と伝統における、ロマンシュ族の人々の、情報源の可能性を示唆するのかも知れません。
72 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 70.
73 Ibid., p. 71.
74 Ibid., p. 80.


There, Jemi, Was given the results of What Would have been possible had Dr. Farraday Done as suggested other page. The S-Ms & L-Ms FOUGHT USING SMALL ASTEROIDS.⁷⁵

「其処で、ジェミは、その他のページで示唆された様に、ファラデー博士が行っていたなら、何が可能だったのかの結果を与えられました。S-Ms & L-Ms は、小惑星(ベルト)を利用して戦いました。」

その言及された「S-Ms」と「L-Ms」は、その注釈者達が、UFO 現象において関わっていると彼等が信じる、地球外知的生命体の二種類のための名前です。ですが、重大な点に着目してもらいたいのは:小惑星ベルトが兵器として使用された事で、そしてつまり、順を追うと、重力/引力を操作する能力を示唆していて、その注釈者達のコメントの、更なるもう一つのテーマです。

最後の長文の注釈は、ジェセップの著書の正に終わりの近くで、この太古の間惑星的な戦争に対して言及します:

If the history of the Great War of the ancients were ever recorded, except by the black-tongued ones own tales, it would cause Man to stand in awe (or disbelieve) that such Huge Satelitic Masses were ever deliberately tossed throo this atmosphere in an attempt to Demolish all of the “Little Men” Great Works. Fortunately for Mankinds ego only a Gypsy will tell another of that catastrophe, and we are a discredited peopole (sic) ages ago. HAH! Yes, Man Wonders where “we” came from, and I Do Not Believe that they will ever know. These folks on this planet blind Panic.⁷⁶

「もし、古代人達の大規模な戦争の歴史が、黒い-舌の連中自身の逸話(記録)によって以外に、「小さな-人達(人類)」の大いなる働き(発展)の全てを完全破壊するための試みにおいて、この大気中を通してその様な巨大で、衛星的な(大量の)質量(小惑星)が、意図的に放り投げられた(地球にぶつけられた)と一度でも記録されていたなら、それは人が、驚愕において(または信じられずに)立ちすくむ(戸惑う)原因に成ったでしょう。人類のエゴ(自尊心)にとって幸運な事に、ジプシーだけがその大災害のもう一つ(の逸話)を伝えて(口伝保存して)おり、そして私達は、随分以前に忘れ去ってしまった人達です。ほら!確かに、人は『私達』が何処から由来したのかを考えるかも知れませんが、私は彼等が決して知る(思い出す)事は無いと信じます。この惑星上のそれらの人達は、盲目の混乱(歴史を知らない状態)です。」

明らかに、「大爆撃」を共にした、太古の間惑星的な戦争のアイデアは、それがジプシーの逸話(昔話)の中で、何らかの役割を果たしていると示唆する、その注釈者達にとって、主要なテーマでした。

しかしながら、恐らく最も啓示的なのは、上述の注釈のコンテキスト(文脈)で、そしてそれは恐らく、(米国)海軍に対して、ジェセップの著書と同時に、その本(ヴァロの注釈版)自体を真剣に受け取る、更にもう一つの理由を与えたのでしょう。前述された段落の直前に、以下の興味深く、示唆的な注釈が起こるためです:

WHAT HAPPENS WHEN A BOLT OF LIGHTNING HITS AT A POINT WHERE THERE IS A “NODE” SUCH AS A “SWIRL” IN THE MAGNETIC SEA OR WHERE A MAG. “DEAD SPOT” caused by the NEUTRALIZATION OF MAG. SEA contra GRAVITY ESPECIALLY, WHAT, WHEN THE NODE & BOLT BOTH ACT OVER BRONZE INLAY.

磁気的な海(トーラス)における『渦巻き』の『結節点(交点)』、または、特に重力に対する、磁気(MAG.)の海の中性化(±)によって原因された磁気的な『静止点』であるが存在する地点において、稲妻(i.e. 直流電流)が当たった時、青銅製の部品の上で、交点 & 直流電流(DC)の両方が働いた時に、何が起こるでしょう(?)。
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75 M.K. Jessup, THe Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 109.
76 Ibid., p. 164.


The Good Doctor is far more aware of committing the cardinal effrontery of Unorthodoxy than he wishes to show, perhaps. Too, He wishes to have More & More & More, a flood of Data, & facts & records of observations that will back-up his Theory. It would seem Much more apropo were he to not ask for further Proof to show to his fellow Professional Deriders but Were He To Proceed Himself into the only field that would convince each and Every one of His fellows; That field of Gravity & Magnetic exploration, as yet Untouched. He THEN could say the Moon is Hollow & Not one person would saw a Word. Approach to morals & Ethics of Science, Not New. Newton proved his Theory throo observable phenomena The which any one coujld observe & So has this Man.⁷⁷

「その善良な博士は、恐らく、彼が認める事を望む以上に、一般論では無い(一般人が知らない)事に献身する中心的な難しさ(一般人から気違い呼ばわりされる)事を、重々、承知しています。同時に、彼は、彼の論説を後ろ楯する、もっと & もっと & もっと多くの、大量のデータ(資料)& 事実 & 観測の記録を得る事を望みます。彼の同僚のプロ(博士クラス)の批評者達に対しての、更なる証明を求めるよりも、彼の同僚達の一人、一人を納得させるための唯一のフィールド(分野)へと、彼自身が進んだ方が有効で;つまり、未だに触れられていない重力 & 磁気的なフィールドを探求した方が、更にもっと効率的な様に現れます。彼はそうすれば、月が空洞であると言う事が可能で & そして誰も、一言も非難しない(出来ない)でしょう。モラル & 倫理(道徳原理)に対するアプローチ(対処の仕方)は、新しいものでは全くありません。ニュートンは、彼の論説を、観測可能な現象を通して証明し、それは、誰でも & この人も観測出来た事でした。」⁷⁷

その注釈者達が、彼等の「大爆撃」を可能にするために必要とされた力(作用)を達成するために、少々、異例的で、一見、可能では無い様に見える方法を提供する事を観測して下さい:特に「青銅製のはめ込まれた部品」の上で「node (交点/結節点)と bolt (電流/電弧/稲妻)の両方が働く時に」、「dead spot (静止点)」がある、「磁気的な海」の中で、「渦巻き」がある処に「稲妻の電弧」が当たらなければ成りません。

ですが、この絡まり(一連)を、その基本的な構成要素へと解き解(ほど)くと、この本の残りの中で、そして特にナチスのベルとの関連において第三部の中で目撃される様に、とても興味深い事を明かします。その絡まりをその基本的な構成要素へと解き解くと、その注釈者達の頭の中にあるものが、再びもう一度、磁気的な渦巻きである事を明かし、今度は、雷(直流電流)の様な、殆ど純粋なヴォルテージ(電圧)の、膨大な静電的な放電によって、突然に、荒々しくパルス(衝動)、またはストレスされた渦巻きです。更に加えて、これは、金属製の合金の「はめ込まれた部品」の上で起こるとされ、この場合において、青銅(錫 + 銅)製です。ですから、彼等の「兵器化された小惑星(ベルト)」のための、重力/引力の操作を達成するために、そのヴァロの注釈者達によると、私達は3つの要素を有します:

1)磁気的な渦巻き、または回転/旋回している磁気的なフィールドで;

2)その渦巻きの中心部への、極度に高いヴォルテージの、静電的な放電(i.e. ダイエレクトリシティー/誘電性)によってもたらされた、突然のストレスのパルスで;

3)金属製の合金が、磁気的な渦巻きと、緊密に関連させられています。
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77 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 163.

それらの要素は、この部分の後に私達がフィラデルフィアの実験を検証する際に多大な重要性を持つ様に成り、そしてその後において、ナチスのベルに私達が向き合った時に、更に、より大きな重要性を持ちます。⁷⁸

d. Jessup on the Paleoancient Very High Civilization
d. 原始太古的で、とても高度な文明についてのジェセップ(の意見)     75


地球上の、人(人類)、または何らかのその他の「知性」の極度な古さに加えて、ジェセップはまた、人、またはこのその他の知性的な民族(異人種/遺伝子的ないとこ)が、文明のとても先進的な段階を達成したと言う見解を持ち、そして故に、私が、私のギザの死の星の三部作の中で、「原始太古的な、とても高度な文明」と呼んだものの発想を、彼は信じました。私の意図的に重複な用語「原始太古」は、古代エジプト、シュメール(バビロニア)、インド(インダス)、そして中国よりももっと以前の文明であり、実際にそれらの祖先であった、この文明(超古代文明)の極度な古さを表現する事を意味しました。ジェセップは、とても類似した見解を信じていました:

「現代の人類学者達によって認識された文明、そして文化的なルネッサンス(文明開化)の全ての中心地 - インド、ペルー、ユカタン(半島)、エジプト、バビロニア、ギリシャ、中国、ローマ、イングランド、そしてその他は - 数百万年以前に、世界(地球)を征服(植民地化)した(好戦的な)帝国であり、そして文明の復活して来ていた要素(名残)でしかありません。それらは全て、およそ6,000年前から10,000年前に起こっていた、一つの大規模なルネッサンス(抵抗/復活)における「一部」、または中心地でしかありません。その中にあるのは、原型的で、元々の、祖先的な文化の幾つかの足跡で、そして、恐らくインド、チベット、エジプト、そして中米を通して、私達の未熟な再回復(再進歩)と、祖先的な過去の間に、何らかのとぼとぼしい繋がりがあるのでしょう。それらの足跡(手掛かり)は殆ど、石細工(e.g. 巨石文明)の形状で、そして幾つかは単一的な本質(類を見ない)象形文字(記述/暗号)で、殆どが東洋、そして特に東南アジア(インド/チベット)において存在している、とても少数(貴重)な記述された記録を共にします。」⁷⁹

その注釈者達は、この段落に対して、幾つかのとても興味深いコメントを残します:

LEFT UNAVOIDABLY IN “GREAT WAR.”

「大規模な戦争」において回避出来ない様に残された(巻き添えを食った)。」

Above is true, Jemi. They are Written about in Many Writings, So old, as to be nullified by antiquity.
⁸⁰

「上述は真実です、ジェミ。古さによって無効化された(古過ぎて[忘れ去られて]信じてもらえない)、とても多くの記述の中でそれらについて記述されています。」
_____
78 私の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の読者達にとって、それらの3種の要素の重要性は既に明らかでしょう。
79 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 103, emphasis added.
80 Ibid.


言葉を変えると、その謎めいた注釈者達が考える限り、原始太古的で、とても高度な文明の足跡しか残っていない事実は、大規模な戦争がほぼ完全に、それを一掃した事実によるものだと言う事です。更にまた、着目してもらいたいのは、その注釈者達が、この逸話(歴史)を伝える特定の太古の文献と共にとても親密な(詳しい)様に現れるためで、言い換えればその文献は、彼等が観測(認識)する様に、「古さによって無効化され」、言い直すと、それらの文献がとても古く、そしてそれらが言及する出来事が更にもっと古い為に、本当の「歴史的な」真実を含んでいるとは、(一般人達は)誰もそれらを真剣に受け取らないと言う事です。

それらの注釈は、ジェセップの匿名の注釈者達が誰であったにせよ – そして彼等の内の一人として、アレンデを疑う余地無く含みましたが - 更に文法的に彼等が有した間違いが何であったにせよ(注釈者達の国語が英語で無かったにせよ)、あらゆる大学生レベルのための読書の必読項目を遥かに超える、先史的な分野にとても詳しかったのは、その様な文献は、サンスクリット語(古代インド語)、シュメール学、またはエジプト学等々の、専門家達の専門科目(知識)であり(普通の人達は知らない)ためです。

e. Jessup’s “Invisible Solidities” and the Varo Comment
e. ジェセップの「肉眼に見えない(不可視)の固体」と、ヴァロの注釈     76


ジェセップの本文の中の、より興味深い概念の一つは、「不可視な個体性」です。幾つもの飛行機の事故が、あらゆる知られている、そして一般的に受け入れられた、自然的なメカニズム(行程/物理)によって、実際に説明出来無い事を記述し、それらの事故の幾つかは、「肉眼には見えず、そして常に繋がっているはずのラジオ通信を通して、操縦士達が危険信号を送る事が出来ない程のあまりの突然さと共に、それら(飛行機)が破壊され、またはバラバラに分解される何かにぶつかった」時に原因される様だと、ジェセップは推理しました。⁸¹ 彼は、彼のアイデアと共にこう続けます:

「その様な分析から、私達は簡単な段階(消去法)によって、力(作用)、光線(熱線、放射線、輻射(ふくしや)線、陽極/陰極線)または焦点を考えます。私達に知られていない、または少なくとも理解されていないかのどちらかの、何らかの力(作用)の-フィールド(場)において、それは地域的に、または鋭く限定された空気(大気)の質量(容積/体積)、もしくは恐らく空間(宇宙)自体において硬直性を産出します・・・(一つの)例は、屑鉄、または砂鉄の散らばりを通した制限的ですが強力な磁気的なフィールド(磁場)の通過です。磁気的な流動(磁力の流れ)がそれ(鉄屑/砂鉄)に入る接近の前に、この従順な粉(砂鉄)は、硬直的に成り、頑強で、一貫的で、そして少なくとも半固体に成ります(磁石が砂鉄に近づくと、磁力の線の流れに沿って、砂鉄が配列します)。
_____
81 M.K. Jessup, THE Case for the UFO: Varo Annotated Edition, pp. 33-34.

「宇宙の住人達は、空気(大気)中において、または更に恐らく、重力(引力)的なフィールド自体において、この一時的な硬直性を産出する力(作用/科学技術)を持っているのでしょうか?もしくは、彼等は、私達が磁気的なフィールドと共に可能な様に、重力/引力的なフィールドの『地域的な』集結(硬直化)を創造するのでしょうか?」⁸²

今の処、ジェセップが表現しているものは、ニコラ・テスラの「縦波(経度的な波)」にとても良く似ている様に聞こえます。そして第一部の中で検証されたトーション・テンサーの説明を与えられると、ジェセップの最後の問いに対するその答えは、慎重なイエスに成らなければならないでしょう。トーション・テンサーにおいてコード(数値/暗号)化された様な、時空間における地域化された「折り曲げ」、または「折り畳み」(アルミ缶を雑巾の様に絞る例え)は、もし十分に極度であれば、ジェセップが描写する事を可能にする、「不可視な個体性」、または一時的な「硬直性」を創造する事が出来るのかも知れません(i.e. 強い磁力の影響下において、鉄屑が、鉄の壁を創造出来る様に、肉眼には見えない、電子や、光子や、ニュートリノ etc. が、オーロラ現象の様な、[目には見えない]硬直性の壁を産出する事が可能なのかも知れません)。更に加えて、一人の科学者として、ジェセップが、アインシュタインのトーション・テンサーによって示唆された、重力/引力と電磁的なフィールドの地域的な変化のこの隠された示唆を知っていたのは、ほぼ間違いないでしょう。

彼は、彼のアイデアを更に延長させます:

「その様なものは、肉眼には見えず、固体の物理的な特徴の多くを有しますが、とても小さな質量(素粒子)でしょう。例えば、空気(大気)を通ったその移動(運動)は波(周波数/振動率)の様で、(闇夜の)サーチライト(探照灯)の焦点が、そのビームが肉眼に見える様に成るために、雲の移動(運動/障害)を必要とするのと同じ位に、その媒質(大気)の変換を拘わらせさせません。移動において、この孤島(地域限定的な作用)は、その進んできている端(前線)の上で「凍結(固体化)」し、そして後ろに続く端(イメージ的には、高気圧と低気圧の境目)の上で「解凍(液体化/気体化)」するでしょう。この方法においてそれは、殆ど無限の速度、そしてまた加速を有する事が出来るでしょう・・・この方法においてそれは、質量(重さ/容積/体積)が無い(素粒子の)様に現れ、そして実際に質量から自由なのは(解放されているのは)、何故なら、空気(大気)では無く、その力(作用)のビーム(光線/楯波)だけが移動する(動く/運動/作用する)ためです。ですが、鳥や、飛行機、または恐らく隕石などの衝突に抵抗するにおいて、それは質量を有し、そしてそれにおいてとても破壊的な質量(肉眼には見えない壁/塊)なのでしょう。」⁸³

表現の仕方を変えてみると、その媒質(エーテル、プラズマ、イオン、光子、etc.)におけるストレスの純粋な波である、時空間における「折り畳み」、または「たたみ込み」の特殊な一種(i.e. 空っぽのアルミ缶を雑巾の様に絞る例え)を想像してみて下さい。特定の状況の下で、このストレスは、それが出くわす(ぶつかる)その他の物体に対して、「ヴァーチャル(実質的な/肉眼には見えない)質量」の一種として、空気(大気)、または空間(宇宙)自体を、その様に形成するのかも知れません。その結果は、ジェセップが概要する様に、破壊的です。その様なアイデア(発想)の、兵器化の可能性は、疑いの余地無く、彼(ジェセップ)が出会った(米国)海軍の士官達の注意を引いたはずです。同等に着目する事が重要なのは、波のこの種(i.e. 縦波/経度的な波)にはまた、質量が無いと言うジェセップの示唆で;
_____
82 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 34.
83 Ibid., p. 35.


i.e. 地域的に重力/引力の操作を達成出来るかも知れない方法です。成行き的に、ジェセップが実際に、それをはっきりと明言するか否かは別にして、彼は、トーション・テンサーの示唆された概念において考えています。ジェセップは、言葉を変えると、アインシュタインの論説の、1928年の特定的なヴァージョンを、頭に入れて見解しています。

彼は更に前に進み、それらのアイデアを、極度な状態の下で、彼が提案する効果の種類の多くを達成するために完璧(適量)な、非-直線的な媒質である、プラズマ物理学の基本的な概念に対して関連させます:

「もしその様な力(作用)の孤島が、大気の上層部において形成されたなら、それが固体の物理的な特徴の多くを有し、更に発光性の問題において、あらゆるその他のオーロラ現象と全く同じ様に振舞う事が出来ると言う可能性がとても強いのかも知れません。この関連性において私達は、オーロラ現象が磁気的で、そして効果的に、私達が推測している力(作用)のビーム(光子/ニュートリノ etc.)の正しく種類である、太陽からのエレクトロン(電子)の流動によって原因されているかも知れない事を思い出さなければなりません。」⁸⁴

その注釈者達は、この段落の一部に下線を引き、そして以下の様にコメントしました:

Yes, He is close, but doesn’t think of Mag. Inductors or of Gravity as “air” Or thought of in Jet propulsion. He doesn’t know gravity & Magnetizm (sic) can be drawn into a ship, built up to High power, While being converted & used as a Force-Propulsive HE MAY KNOW OF FORCE-SHIELDS of Primitive Ancient type.⁸⁵

「そう、彼は惜しいのですが、磁気的な誘導器/誘導子、または重力/引力を『空気/空間』として、もしくはジェット推進力において考えていません。重力/引力 & 磁力が、(宇宙)船へと引き入れられ、高い動力(電力/出力)へと蓄積され、その間、創始的で太古の種類のフォース-シールド(作用-防壁)を彼(ジェセップ)は知っているかも知れませんが、推進的-作用(動力)として変換され & 利用されている事を彼は知りません。」
_____
84 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 35. 防壁シールドを含む使用である – HAARP 計画 - の背後にある、イーストランドの特許によって提案された様々な使用と共に親しみのある読者達は、それらの概念の幾つかを認識するでしょう。ジェセップは、少なくともこの件に関して、30年以上、先に進んでいた様に現れます。ハープに関する限り、そのシールドは、継続的で電磁的なパルスに類似した、柔らかい(非-硬直性の)シールドに成る様にデザインされました。その様なシールドを通り抜けている、敏感な電気機器を共にしたあらゆる(飛行機などの)物体は、その(レーダーや通信などの)電気機器が混乱させられる、または使用不可にさせられます。ジェセップは単純に、その概念を次の段階へともたらし、そして示唆しているだけで - 再び、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論によって、彼に対して示唆された、幾つかの要素の上に基づいている可能性が最も高く – つまり、電磁的な方法は、「不可視の固体」の創造を共にして、重力的な効果(反重力)を達成する事が可能かも知れないと言う事です。それらの中へとぶつかる(突入する)あらゆる物体は、従って、粉砕される、または粉々にされるでしょう。
85 Ibid., p. 35.


あたかもこれでは十分ではないかの様に、ジェセップは更に先に進み、そしてインターフェロメトリー(interferometry/干渉法)がその「不可視の個体性」の効果を達成するための選択の方法(選択肢)だろうと示唆します:

「単一のビームでは、そのビームの全体の長さに沿って、その凍結(硬直化)の効果が働くので、その(単一の)ビームでは、私達が提案した様な効果を持つ(働かせる)事は出来なのは明らかな様に現れます。しかしながら、2つのビームの交差地点の中に囲まれた、三次元的なヴォリューム(体積/容積)は、その様な凝結(硬直)化した孤島(地域的な効果)を創造するするかも知れないと言うのは可能でしょう。」⁸⁶

その注釈者達は、この時点において、ジェセップに対して一つの主要な異論を唱えます。ジェセップが電磁的な干渉法の定義において考えている間、その注釈者達は、純粋で、磁気的な干渉法の定義において考えています。そして再び、フィラデルフィアの実験の詳細の、彼等が主張した内部知識のコンテキストの中で、彼等はそうします。

どんな場合であれ、何故、(米国)海軍が、注釈されたジェセップの本において関心を示したのかを、それらの段落が鮮明に示唆するのは、一つで同じアプローチ(考え方)から、その本文と注釈者達のコメントの両方において、3つの応用法が描写されていたためで:1)実質的に無制限の威力の兵器で、2)推進力の一つの方法(反重力)で、そして3)物性物理学の新たな種(分野)における、時空間における波紋、または干渉された波の方法による、物質(原子/素粒子 etc.)自体の正に変格だったためでした。

f. The Artificiality of Mars’ Satellite Phobos
f. 火星の月、フォボスの人工的な特徴     79


ジェセップは、近代の科学の教義を悩ませた、知られている現象(科学では今の処、説明出来無い現象)のための急進的(大胆)な説明の彼の提案において、全く躊躇しませんでした。火星の月、フォボスの人工的な特徴を提案した場合において、ソヴィエトの科学者達が類似した見解を提案する遥か以前に、この物体(フォボス)が恐らく人工構造物だろうと言う見解を、ジェセップは言葉にしました:
_____
86 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 35.

「この内側の天体(フォボス)は、それらの(衛星/月の)母体に対して比例した、衛星の自然的な配置のあらゆる知られている仮定(公理/中立点)と共に調整される(当てはめられる)ためには、火星に近過ぎる事が指摘されました。これは、火星の内側の衛星(月)が、人工構造物である事を示唆するのかも知れません。」⁸⁷

海軍の ONR (海軍実験所)の士官達、フーヴァー司令官とシャービー隊長の両人が、アメリカの最初の人工衛星計画である、ヴァンガード計画に拘わっていた事を与えられると、ジェセップの明言は再びもう一度、軍部からの興味と関心を引き寄せたでしょう。彼の明言は、人類が宇宙計画を行うための、ある隠された理由を示唆し:宇宙(地球圏外)には、回収可能な(未知の)科学技術が存在すると言う事でした。

g. Soviet “Scalar” Research
g. ソヴィエトの「スカラー」研究     80


トム・ビアデン中佐(米国陸軍、退役)が頻繁に指摘した様に、地域的に時空間を技術開発する能力は、2つの更なる能力を示唆し:1)標的にされたエリア(地域)へと、エネルギーを突然に入力(集中)させる能力で、そして2)一種の「冷たい(冷却)爆弾(内破/爆縮)」において、標的のエリアから突然にエネルギーを引き出す能力です。⁸⁸ ビアデンはまた、少々、慎重に構築させられた状況証拠の土台の上で、この物理学の応用のそれらの種類への研究の多くが、第二次世界大戦後に、旧ソヴィエト連邦において行われたと主張しました。

此処で再びジェセップは、現代の研究者達よりも遥かに以前に、その匂いを嗅ぎつけていたかの様に現れ、ロシアの物理学の、主張された達成の一つは、「地上の大きなエリアを、氷点下の温度まで氷結させ、その中の全て(の生き物)を殺傷する方法であると言われました、」と記述しました。⁸⁹

h. Close Proximate Origin of UFOs
h. UFOs の起源の近さ     80


ジェセップが思考する、最も興味深い概念の一つは、UFOs の起源の地点(みなもと)に関する、彼の推理です。1950年代において既に、科学技術、そして天文学において利用可能な、光学的な望遠鏡機器における進歩と共に、地球の近隣の惑星達は、私達が知る様な、(人間の様な)知性的な生命のあらゆる形状に対して、益々、不適切な環境である様に見えてきました。この事実は、UFO 研究において関心を持った人達が、それらの(未確認飛行物体の)起源の地点を、地球から更にもっと遠くの、太陽系圏外の地点まで広げる(探し求める)事に繋がりました。
_____
87 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 37.
88 スカラー物理学のビアデンの歴史的な再構築のまとめに関しては、私のSS Brotherhood of the Bell の、207-241ページを参考にしてください。
89 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 44.


知らず知らずに、しかしながら、彼等(UFO 研究者達)がそうした際に、彼等が UFOs が体現した物理学的な問題を複雑化させたのは、UFOs の観測された飛行の特徴が、エキゾチックで(珍しく)、そして人間の科学技術の脳力(一般的に知られた技術)を超えていた間、実演的で、間惑星的な旅行(宇宙空間における移動)のためのポテンシャル(能力/可能性)を示唆するために、十分にエキゾチック(先進的)では無かった(不十分だった)ためでした。端的に、UFOs の物理学的な特徴は - 少なくとも、何らかの種類の(人工的な)乗り物として合理的に認識する事が出来るものは - (一般的な人の感覚において)異例的ではある間、間惑星的な移動(i.e. 推進力)の役割(問題解決)に対して十分な物理学(推進力)を示唆するためには、十分に異例的ではありませんでした。

ジェセップは、彼と同年代の時代において既に台頭し始めていた、UFO 研究におけるこの傾向に対して逆らって泳ぎました。彼はそれら(UFOs)の起源の地点を、もっと、地球に対してより近くに想定する事を選択し、そしてそうする行程において、それらが体現したと彼が信じた、原始太古の文明の論説、その規模、そして爆発した(太陽系の)第五惑星(ティアマット)に対する関連性のその可能性の、彼の論説をまとめました:

「近年、あたかも何らかの大規模な何かのための準備においての様に、UFOs に関係する活動(出来事)の多大な活発化があったと言う先天的(第六感的/腹の虫的)な感覚を拭い去る事は、難しい事です。その動機(理由)のために、人は遠くを探す(深く考える)必要は無いでしょう。それらの存在(異人種的な知性)は、その第五惑星が爆発し、それ自体を破壊し、そして恐らく、そのシステム(太陽系)を通して生命を危機にさらした事を目撃するために、十分に長く、太陽系の中で、恐らく住んでいたのでしょう。彼等はその(第五)惑星の上で起因(進化)したのかも知れません・・・彼等を、火星、金星、またはアルファケンタウリ(センタウルス=射手座の主星)からの来客者達として説明する必要性はもう無いでしょう。彼等は、私達自身の身近な家族(遺伝子的な血縁)の一部で - 地球-月の、バイナリー(二重)システムの一部(遺伝子的ないとこ)です。」⁹⁰

科学者であるジェセップにとって、それ(問題)は、その現象のために、間惑星的な起源(推進力/動力の脳力-科学技術)を示唆するための、UFOs の物理的な特徴の不十分さだけでなく、同時に、その他の(状況)証拠の全体像で - 爆発した惑星の天文学的なデータ(小惑星ベルト)に加えて - その現象のための起源の近さを指摘した - 太古の文献自体でした。それらの発想に対して、そのヴァロの注釈者達は、彼等自身のコメントを加え、そして一つの問いを尋ねます:「私達自身の考えに適合します」、そして「彼は何かを知っていますがどうして彼は知っていたのでしょう(?)。」⁹¹ その答えは、太古の間惑星的な戦争に対して言及した、太古の文献の彼の知識を、ジェセップは秘密にしなかった事実にあり、それらの文献が、その戦争を戦った「神々」のために、類似した起源の地点を示唆したためです。
_____
90 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, pp. 46-47, emphasis added.
91 Ibid., p. 47.


i. The Philadelphia Experiment Itself, and Its Withdrawal
i. フィラデルフィアの実験自体と、その撤回(中止)     82


そして、ですから私達は終に、その注釈の中心部である、フィラデルフィアの実験自体へと到着します。此処で、勿論、それに関して全く言及しない、ジェセップの本文から離れ、そして明らかな理由(原因)、または合理的で、自然的な説明が全く無く消失した(行方不明に成った)船舶のジェセップの例の一つに着目し、その実験に対して言及した、その注釈者達に注目します:

Tried that with XXXX⁹² & I on XXXXXXXXXXXXXX⁹² and he XXXXXXX⁹² was drunk enough to slip out of the “freeze” & He Made them know it in No uncertain terms. They put us down & Then unfroze
the crew who to this day Do Not remember of it. THEY CAN’T, (Mr. M. was Chief Mate, “Hatteras” 1943).


「XXXX と共にそれを試み & 私は XXXXXXXXXXXXXX の上で、そして 彼 XXXXXXX は、その「凍結」から slip out (逃れる/回復する/感じない)ために十分に酔っぱらっていて & 彼は不確かな定義においてでは無く(はっきりと)、それを彼等に知らせました。彼等は私達を(タンカで)降ろし & その後、今日までそれを覚えていない、その乗組員達を解凍しました。彼等は(思い出す事が)出来ません、(M 氏は、1943年において、「Hatteras (号)」の一等航海士でした)。

Perhaps they detected “FIELD” activity of NAVY D-E WHICH WAS CLOSE BY, (BEFORE) TESTING AN INVISIBILITY EXPIERMENTAL (sic) “gadget.”
⁹³

「彼等は恐らく、不可視化の実験的な『機器』の実験の(前に)、近くにいた海軍の D-E の『フィールド』の運動(作用)を探知した(感じた/経験した)のでしょう。」

言うまでも無く、その様な明言が、ONR (海軍実験所)の関心を刺激したのは、護衛駆逐艦(DE/destroyer escort)と、「不可視化の機器」の実験に対する、鮮明な言及があるためです。ジェセップ博士の本の注釈されたコピー(ヴァージョン)の単行本を受け取った ONR の士官達において、これが直ぐに産出した困惑を、人が想像する事が可能なのは、不可視化が一体どの様に、重力と UFOs に関係しているのか?という問題のためです。

その海軍のヴァロ版の編集者達は、当初、その要点を見過ごした様ですが、その注釈者達自身が、この問いの答えに向かう手掛かりを供給します:

Einsteins Theory of Unified Field throughout all Space & atmosphere WAS SO WELL PROVEN that upon realizing Mans Misanthropic emotionality He Withdrew it. 1927. ⁹⁴

「全ての空間 & 大気を通した、アインシュタインの統一されたフィールドの理論は、とても合理的に証明されましたが、人間の厭世(えんせい)的(人間嫌いの)感情(悪意)に気付くと、彼はそれを封印(隠蔽)しました。1927年の出来事です。」
_____
92 この言葉は、ジェミによってバツ印が付けられました (Varo Editions own editorial note).
93 M.K. Jessup, The Case for the UFO: Varo Annotated Edition, p. 94.
94 Ibid., p. 31.


これが、そのヴァロの注釈者達における、最も重要な明言の一つなのは、明らかにその注釈者達は、その理論が実際に証明されたと信じましたが、人類の未熟なスピリット(精神)的な特徴のために、凄まじく酷い示唆(可能性)を共にしたために、アインシュタインがそれ(理論)を封印したと主張したのは、彼(アインシュタイン)が、それ(理論)と共に人が何を行うか(戦争における兵器化の悪用)を恐れたと言う示唆でした。

勿論、その理論の年代は間違いで - 1927年では無く、1928年で – そしてその注釈者達は、トーション・テンサーを最初に含ませたものである、その理論の1928年版に対しての言及を意味していた可能性が最も高いでしょう。その封印のための、アレンデの説明にとって、(それが)真実から全くかけ離れていたのは、それをアインシュタインが封印した本当の理由は、彼が当時、それ(理論)と共に不満足で、そして1928年以降の彼の論文において、力(作用)の幾何学的な統一化の、更に異なった方法を探求する事を開始していたためでした。

そうであったとしても、その注釈者達は強調的で:その1928年の理論が「上手く証明された」としました。ですが、このコメントがもし、電気的な機器のテンサー分析についての、ガブリエル・クロンの見識から見解されると、それ程奇妙(異例的)では無かったのは、その研究がまたアインシュタインの1928年の理論は、技術開発可能であると示唆したためで、そして故にその延長線(意味)においてまた「証明された」ためでした。

ですから再び、その注釈者達の(母国語の)文法と言葉遣いは別にして、彼等は科学的に不可能な事を何も明言していませんでした。

C. Conclusions
C. まとめ     83


ですから、ジェセップの著書の、注釈されたヴァージョンのコピー(複写)を再発行する労力と困難を行う程に、(米国)海軍の研究所(ONR)の関心を刺激したものは一体何だったのでしょう?目撃された様に、それは、幾つもの要素のコンビネーションだった可能性が最も高いでしょう:

1)そのリストの最上部に来るのは、安全保障(機密主義)が破られたかも知れないと言う懸念で;

2)ですが同時に、そのリストの再上層部に来るのは、重力(引力)の本質とその操作への「あらゆる手掛かり」は、「調査する価値がある」とする、ヴァロ版自体の紹介(前書き)でした。更に加えて、

a) そのヴァロ版と共に関係した2人の ONR の士官達(i.e. フーヴァー司令官とシャービー隊長)がまた、地球の周りを軌道するための人工衛星の、アメリカの最初の試みである、海軍のヴァンガード計画と共に関係していた事を与えられ;そして

b) ジェセップの本文において、そして時空間の媒質(エーテル)におけるストレスの重力的なを操作する、様々な方法と結果に対する注釈の両方がまた、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論に関連していた事を与えられると、それらの土台の上だけでも、その海軍は、その様な出版を探求する(調査する)理由を持っていたはずです。

3)ですがまた目撃された様に、ジェセップのアイデアとその注釈は同様に、もっと広範囲で推理的なコンテキストの中で起こり、それは、太古の科学技術、火星の周りの人工衛星、間惑星的な戦争、UFOs の地球に対する起源(由来)の近さ、そしてその破壊が、科学技術的な方法(兵器)によってもたらされた、爆発した惑星(小惑星ベルト)を含むコンテキストでした。この全ては、太古の科学技術を示唆し(火星の人工的な月、フォボスの様に、その幾つかは、ジェセップによると、未だに存在し)ていました。宇宙(開発)への最初のおぼつかない第一歩を行っていて、そしてその超大国のライヴァル、ソヴィエト連邦と競争し合っている国家(米国)にとって、それらの要素は、海軍の関心の必然的な第二の層(バック・アップ)を構成したでしょう。

4)最後に、上述された3)の要点との関連において検証された考慮の結果の一つとして、効能的に三重の応用を共にした、共通の物理学が概要され:

a)時空間自体の繊維(格子構造/エーテル/プラズマ)におけるストレスを利用した、凄まじく破壊的な力の兵器で:

b)ジェセップが「野蛮な動力」と呼んだ、ロケット科学技術から、人類を解放するであろう推進力(反重力)とエネルギーの源泉で;そして、

c)トム・ビアデン中佐がそれらを「運動の型板」と呼び - ジェセップが、彼の「不可視の個体性(硬直化)」に繋がるだろうと信じた imprinting (すり込み)である、すり込みされたフォース・フィールド(作用の場)による、物質の操作(素粒子レベルの変格)の上に基づいた、新たな物性物理学でした。

ヴァロの注釈版の中には多くの要点があり、言い方を変えると、UFOs、または更にフィラデルフィアの実験自体さえも超えて、(米国)海軍の注意を捉えたはずなのは、その注釈版自体の存在が証明する様に、様々な現象に対するジェセップの「原始物理学的なアプローチ」の全体は、少なくとも、米国の軍部の一部によく知られていて、そしてほぼ50年近く、それ(軍部の一部)によって知られていました。これは、原始物理学と、世界の様々な軍事的な勢力による、その秘密裡の開発に関する基本的なシナリオ(筋書)のために、明らかな示唆を有し、私の以前の著書の中で、私が概要した可能性でした。⁹⁵

ですが、この全てにおける目玉(中心部)、フィラデルフィアの実験についてはどうだったのでしょう?その展開している逸話の次の段階は、チャールズ・バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルの中で、初めて、より広い読者達に対して伝えられ、それは幾つかの重要で、そして頻繁に見過ごされた手掛かりを含みます・・・
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95 Adventures Unlimited 社によって全て出版された、私のギザの死の星ギザの死の星は使用されたギザの死の星は破壊された黒い太陽の帝国ザ・ベルの SS 同胞団、そして最も重要な、私の最近の著書、宇宙戦争:間惑星的な戦争、現代物理学、そして太古の文献を参考にしてみて下さい。

5. Second Disclosure:
Charles Berlitz and The Bermuda Triangle

第五章:第二の情報公表:
チャールズ・バーリッツとバミューダ・トライアングル     86


「ジェセップは、『フィラデルフィアの実験』と呼ばれた、駆逐艦の上で行われた戦時中の実験において、米国海軍が偶然にもこれに辿り着いたと、彼が考えたと私に伝えました。」
- マンソン・ヴァレンタイン博士¹

有名なオルタナティヴ(独立的)な研究者で、語学学校の所有者だった、故チャールズ・バーリッツは、直接のルート(通り道/近道)によって、フィラデルフィアの実験について記述する事には至りませんでした。それは、むしろ、彼が、バミューダ・トライアングルと呼ばれた、もう一つの現象を調査している間に、彼が学んだ逸話でした。バーリッツがフィラデルフィアの実験について学んだのは、この逸話と、そして – 幾つもの UFOs の目撃を含んでいる - その(バミューダ)地域/海域に関連した奇妙な出来事を調査している間でした。そしてそれらの逸話の間の関連性は、驚くまでも無く、故モリス K. ジェセップ博士でした。

バーリッツは、バミューダ・トライアングルと、その数多くの UFO の目撃におけるジェセップの関心を学び、そしてジェセップ博士の友人の一人である、マンソン・ヴァレンタイン博士にインタヴューしました。バーリッツは、彼のインタヴューの書き出しを、彼のベスト・セラーの著書、バミューダ・トライアングルの中に含ませました。このインタヴューが、より広い読者達のために利用可能な文献の中で、フィラデルフィアの実験の事実上、初めての明言を含むので、私達はそれを検証し、そしてそれが含む詳細と、幾つかの重要な手掛かりに着目するために、少々の時間を費やしましょう。

A. The Interview with Jessup’s Friend, Dr. Manson Valentine
A. ジェセップの友人、マンソン・ヴァレンタイン博士とのインタヴュー     86

1. Jessup on “Controlled Magnetism” and Optical Invisibility
1. 「操作された磁気」と光学(視覚)的な不可視についてのジェセップ(の意見)     86


バーリッツによると、ジェセップ博士は、そのトライアングルにおける UFOs の(目撃)報告を調査した後、「密かな(情報)隠蔽が、多くの重要な報告と新展開を隠していると、納得させられる様に成りました。」² ですが其処には、更にありました。
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1 Cited in Charles Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 148.
2 Ibid., p. 141.


バーリッツがまた、ジェセップが、一人の科学者としては、とても異例的な題材において関心を持っていたと学んだのは、「彼(ジェセップ)が同時に、アインシュタインの『統一されたフィールド理論』の延長である、どの様に、操作された磁気(磁力)が、不可視化を産出できるかの問いと共に没頭していて、それを、ジョセップは、UFOs の突然の現れと消失、そして船舶や飛行機の消滅の両方に対する鍵であると、考えていた」ためでした。³ この奇妙なアイデアは、ジェセップが、彼の第二の家(別荘)を所有していた、フロリダ(州)におけるジェセップの友人の一人、マンソン・ヴァレンタイン博士に、バーリッツが接触(連絡)する事に繋がりました。

バーリッツが直ぐに、ヴァレンタイン博士から学んだ様に、彼(ヴァレンタイン)は、「(1959年)4月20日の夕方」の夕食にジェセップを招待し、ジェセップはその招待を受け入れましたが、(当日には)全く現れませんでした。⁴ ジェセップは、勿論、たった9日後の、4月29日に自殺した様に現れますが、バーリッツが指摘する様に、ジェセップの死がとても疑わしく、そして「その出来事(事件)は、」UFO 研究の分野へと、「接近し過ぎた研究を行う危険性の示唆である」と考える多くの人達がいます。⁵どんな場合であれ、ヴァレンタイン博士は、ジェセップと言葉を交わした最後の人達の内の一人で、そして彼によると、ジェセップは「落胆した精神状態にありました。」⁶

2. Valentine as the Source for Berlitz’s Knowledge of Jessup’s Ideas on Controlled Magnetism
2. 操作された磁気についてのジェセップのアイデアの、バーリッツの知識のための源泉(情報源)としてのヴァレンタイン 87


既に指摘された様に、ジェセップは、不可視化の可能性のための「操作された磁気」の発想、そしてそのトライアングル地域における、船舶や飛行機の謎めいた消失を説明するメカニズム(物理的な機械性)において、関心を持っていました。ジェセップの友人であり - 動物学者で、考古学者であり、海洋学者でもある - マンソン・ヴァレンタイン博士は、長年、そのトライアングルを研究し、そして疑う余地無く、磁気とアインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論における、ジェセップの関心へと、最初にバーリッツに手掛かりを与えた情報源でした。
_____
3 Charles Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 141.
4 Ibid.
5 Ibid.
6 Ibid.
7 Ibid.


3. Valentine on Jessup’s “Invisible Solidites”
3. ジェセップの「不可視な硬直性」についての、ヴァレンタイン(の意見)     88


そのトライアングルに対する UFO の目撃の関係性に関する、幾つもの初歩的な問いをヴァレンタイン博士に尋ねた後、バーリッツは、ジェセップの題材へと至ります:

「ジェセップ博士は、バミューダ・トライアングルと UFOs の間に、関連性があったと考えましたか?」

その問いに対するヴァレンタインの返答は興味深いものです:

「磁気的なフィールド(磁場)の力(作用)は、一つの次元からもう一つへと、物質(原子/素粒子 etc.)を変格し、そして移動させる事が出来ると言う理論(論説)を彼は持っていました・・・つまり、UFOs は、私達の次元へと(突然)現れ、人、またはその他のサンプル(実験体)をそれらと共にさらい、再び(次元から)抜け出す(消える)事が出来ます。彼は更に、このフィールドにそれら(の飛行機など)が突入した時に、飛行機(や船舶)を分解させる、真空(vacuum)を創造している、UFOs のカソード(cathode/陰極-陽極電解槽)の光線(rays)によって、その(行方不明/消失の)事故の幾つかが原因されていると考えました。」⁸

この返答は、幾つかの展開(説明)を必要とします。

最初に、以前の章の中で検証された、ジェセップ自身の考え方の上に基づいて、そして彼の著書、UFO のための立件のヴァロの注釈版との関連において、ジェセップが、彼の海洋学者の友人(ヴァレンタイン博士)に彼の要点を描写するための(解りやすい)類推(例え)として唯一、カソードの光線(陰陽電解槽)について恐らく語ったと、私達は合理的に理解する事が出来るでしょう。これは、私達を第二の要点へともたらし:本当の手掛かりは、磁気的なフィールド(磁力)が「物質を移動させる」事が出来ると言うジェセップのアイデアに対してヴァレンタインが言及する処である、その返答の最初の一行の中にあります。以前の章の、ヴァロの注釈版の検証から私達は、どの様に電磁的な波が、一部の地域の上で正しく干渉させられると、フィールド(電磁場)と共に物質(原子/素粒子 etc.)に imprint (すり込み/電磁作用)する事が可能で、そして「不可視な硬直性」を創造し、それ(電磁場)自体には質量がありませんが、その中へと突入する何らかの物体に対して、「virtual な(実質上の/肉眼には見えない)」質量(壁/塊)の一種に成ると言う、彼の概念を説明する一つの類推として、このアイデアをジェセップが使用した事を知っています。故に、ヴァレンタインが、彼の友人(ジェセップ)を少々、誤って理解した様に現れる間、彼はそれでも、とても一般論的な(解りやすい)方法においてですが、ジェセップの基本的なアイデア(発想)を、正確に伝えた様に現れます。

ヴァレンタインは、ジェセップの意見について、以下の情報を更に提供します:
_____
8 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 147.

「UFOs は、それらが一体何であれ、船舶や飛行機の分解、または消滅を原因する事が可能なイオン(i.e. プラズマ/エーテル)化のパターンである、一時的で、磁気的な渦巻きを創造する様です。

「ジェセップは、彼が亡くなる前に、起こっていた事(現象)が一体何であったにせよ、それを彼は、アインシュタインの『統一されたフィールド理論』に沿って説明可能であると考え、彼がその科学的な土台を発見する寸前であったと信じました。」⁹

再び、ヴァレンタインの明言の正確さに着目してもらいたいのは、磁気的な渦巻きのアイデアが、実際に、ジェセップの著書の中に見つけられるためです。しかしながら – そしてこれは、とても重要な点ですが - 磁気的な渦巻きのアイデアは、ジェセップの本文の中に見つけられるのではなく、むしろ、彼の著書のヴァロの注釈版の、謎めいた注釈者達から由来した事が、以前の章から思い出されるでしょう。これが意味するのは、ジェセップが、その注釈から派生したアイデア(発想)を、ヴァレンタインに伝えたと言う事です。同様にこれが意味するのは、順を追って、ジェセップがそれらの(注釈の)可能な科学的な土台について、深く考え始めていたと言う事です。

これが、ヴァレンタインの最後の明言を、ある特殊な知見(考え方)へと位置付けるのは、その注釈の示唆を熟考した後に、彼(ジェセップ)の「不可視の硬直性」を達成するために、または同様な問題のために、幾つもの UFO の目撃と関連した、突然の消失と現れ(実体化)を達成するために、唯一可能、または科学的にありうる土台は、時空間自体の繊維(格子構造/エーテル etc.)の何らかの操作を通してだったと、ジェセップ博士が結論していたためです。故に、ジェセップは、更なる推論のための土台として、アインシュタインの統一されたフィールド理論の上に落ち着きました。その理論(論説)の歴史について、私達が既に知っている事から、ジェセップが彼の頭の中で考えていた可能性が最も高いのはまた、恐らく、トーション・テンサーと、時空間の地域的な折り畳みと重なり合い(アルミ缶を雑巾の様に絞る例え)を共にした、1928年のヴァージョンだった事を、私達は知っています。彼は、言い方を変えると、既にトーションの可能性と示唆を考えていて、そして故に「操作された」磁気的な渦巻きにおける彼の関心でした。

バーリッツはその後、理論的にこの問いを続けます:

「貴方は、その統一されたフィールド理論の、単純化された(解りやすい)説明を与えられ(教えられ)ますか?」
_____
9 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 148.

再びもう一度、バーリッツはこの問いを、海洋学者で、考古学者である人に尋ねていて、そしてヴァレンタインの返答は、彼が思い出せる範囲で、ジェセップから学んだものの上に基づいていた事を思い出して下さい:

「その土台は、時空間と物質-エネルギーの、私達のコンパートメント化(特殊化/個別化)された(固定)概念の全ては、別々のものでは無く、電磁的な干渉の同じ状態の下で変格可能な(i.e. 電子/光子/磁気 etc. は、) 同じものの異なった状態[+/-/±]であると言う事です。」

その行の間を読み直すと、再びもう一度、ジェセップは恐らく、彼より以前にガブリエル・クロンが結論した様に、その統一されたフィールド理論の1928年版は、一つの理論としては未完成である間、それはそれでも技術開発可能な理論で、そして特定の状態の下で - 物質(原子、素粒子 etc.)の状態の(+/-)の変化、重力/引力(±)の異例性等々の、様々な効果を - 地域的に観測する事が可能で、それらを技術開発出来るかも知れないと言う事でした。ヴァレンタインは、以下の様に続けます:

「実際に、その統一されたフィールド理論は、UFOs がどの様にとても突然に現れ、そして消失出来るのかの、更にもう一つの説明を提供します。

「実証(三次元における実験)において、それは以下の様に、電気的、そして磁気的なフィールド(電磁場)に関係していて:(金属的な)コイルにおいて創造された電気的なフィールド(電場)は、始めに、直交(直角/垂直/90度)で磁気的なフィールドを誘導し、それぞれのフィールドは、空間(三次元)における一つの平面を体現します。ですが、空間には3つの平面が存在するので、第三のフィールドが存在しなければならず、恐らく重力的なものでしょう。磁気的なパルス(衝動)を産出させるために、電磁的な発生器を接続させる事によって、レゾナンス(共振、共鳴、同調 etc./振動率/周波数)の原則を通して、この第三のフィールドを産出する事が可能なのかも知れません。ジェセップは、米国の海軍が、フィラデルフィアの実験と呼ばれた、駆逐艦の上で行われた戦時中の実験において、これ(電磁作用)について、偶然に(意図せず)辿り着いたのだろうと、私(ヴァレンタイン博士)に伝えました。」¹⁰

ジェセップは、海軍が、意図せず何かの上に辿り着き、言い方を変えると、その実験の計画された目的と、実際に達成された結果が、2つの別々な物事だったと彼(ジェセップ)が信じたとヴァレンタインに伝えたと、彼(ヴァレンタイン)がはっきりと明言する事に着目して下さい。私達は後に、関わっている科学的な原則がどの様に、この見解に協力証言し、そして故に、信用可能な証人として、ヴァレンタインの証言と人柄に協力証言するのかを目撃します。

故に、その逸話は、終に展開しました(表舞台に現れました)。

ヴァレンタインの明言のトーン(音/言い回し)から、彼が、再びもう一度、ジェセップが彼に伝えた基本的な概念を思い出そうと試みている事にまた、注目して下さい。
_____
10 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 148, emphasis added.

ジェセップは、彼の海洋学者の友人(ヴァレンタイン)に対して、トーションの効果 - または言ってしまえば、テンサー・トランスフォーメーション(変格/変異)のあらゆるその他の種類の説明を試みる事は - 彼(ヴァレンタイン)にとって、理解する事が難しすぎるかも知れない事を知っていたはずで、ですから全ての可能性において、彼は、彼の友人に対して、どの様に第三の平面、またはフィールドが、その他2つの基本的なフィールドの間のレゾナンス(共振/共鳴)を通して誘導されるかも知れない事を、電磁力の「右手の法則(親指、人差し指、そして中指をそれぞれ直交[垂直/直角]にする描写法)」から、彼は、一般的に理解しやすい説明を選択したのでしょう。それは、古典(典型)的で電磁的な理論(i.e. マックスウェル、ファラデー、テスラ etc.)の基本的な概念を彼(ヴァレンタイン)が恐らく知っていたであろうと言う事に基づいて、彼の海洋学者の友人が、より素早く理解出来るための類推だったのでしょう。

ですが、米国海軍が、とても重要な何かに、偶然(事故)によって辿り着いたと、ジェセップが結論したとする、最初の要点を頭の中に留めておいて下さい。言い直すと、それ(海軍)は、一つの何かを探していて、そしてそれが調査していたものからはとても異なった種類の何か、またはそれが探していたものとは、度合において異なった何かを発見したと言う事です。この点は、(後の)数章の中でとても重要に成ります。更に加えて、この手掛かりは、もう一つの理由のために重大で、何故ならそれが、彼の著書のヴァロ版、そしてアレンデの2通の手紙の詳細と示唆を、ジェセップがとても深く考えた事を示唆するためです。磁気の役割の上の彼の強調は故に、彼の考え方が何処に向かっていたのかの重要な手掛かりで、そして私達が最終的に学ぶ様に、彼は恐らく間違い無く、正しい(正解の)道を辿っていました。

4. Valentine’s Account of Jessup’s Version of the Philadelphia Experiment
4. フィラデルフィアの実験のジェセップのヴァージョンの、ヴァレンタインの説明     91


その逸話は故に展開され(表に漏れ出し)、バーリッツは当然再びもう一度、次の合理的な問いと共に始めます:

「そのフィラデルフィアの実験とは、何だったのですか?」

「ジェセップによると、フィラデルフィアの実験は、1943年に、フィラデルフィアと海の上において、米国海軍によって行われた秘密裡の実験でした。その目的は、乗組員達が乗った船の表面の上の、(とても)強力な磁気的なフィールド(磁場)の効力を試験する事でした。これは、磁気的な発生器(degaussers/消磁装置)の使用によって達成される予定でした。パルス(衝動/e.g. モールス・コード)している発生器と、パルスしていない発生器の両方が、港に停泊された一隻の船の上と周りで、凄まじい磁気的なフィールドを発生させるために起動させられました。その結果は、その乗組員達に対しては不幸な後遺症を共にしましたが、それら(の結果)は重要であると同時に、驚きでした。その実験が、効力を最初に示し出した時、発光性の緑色っぽい霧を伝えるその(バミューダ)トライアングルにおける事故の生存者達から私達が有する報告に、ある意味類似する、おぼろげな緑色の光が明らかに成りました(肉眼でも見える様に成りました)。直ぐに、その船の全体が、この緑色の霧に満たされ(覆われ)、そしてその船は、その乗組員達を共にして、波止場側にいた者達の視界からは、着水線を除いて消滅し始めました。その駆逐艦はその後、ヴァージニア(州)のノーフォークにおいて現れて、そして消滅した事が報告され、それは、時間の-ワープ(歪み)の現象との関係を含んでいる、試験的な不可視の実験の結果だったのかも知れません。

「その実験は、海上において成功的で、不可視の効果的なフィールド、またはその海水の中に、その船によって造られた窪みは見せますが、その船自体は見せない、それぞれの(発生器の)ビームから百ヤード延長している球体の形を共にしたと、元乗組員の一人によって報告されました。そのフォース(力/作用/効果)のフィールドが(凄まじく)強化された時、何人もの乗組員達が消滅し始め、直接の接触によって再発見され、そして直接手で触れて引き戻す方法の一種によって、視界へと引き戻されなければなりませんでした。その他の特定の者達は、彼等の元々の物質的な次元(三次元)から離れ過ぎる様に成り、特別に設計された電気的な機器(e.g. 赤外線/紫外線カメラ etc.)によって唯一、探知され、そして通常(現実世界/三次元)へと引き戻されました。乗組員が、目で見る事も、手で触れる事も出来ない場合のために、その乗組員達は風変わりな表現法を持っていて:「岩に挟まった」と言いました。現実的にそれは、完全な治癒がとても困難な、suspended animation の(次元のはざまに囚われた)状態でした。その(乗組員達の)多くは入院させられ、幾らかは死亡し、その他は精神的に悪影響されたと、噂されました。多くが、その実験からの変格の効果を保った間、自宅においてであれ、外を歩く散歩中であれ、または周りの人達や、従業員達の戸惑いを共にして、居酒屋やレストランに座っている時に、一時的に消えて、そして再度、現れる、サイキック(精神的)な(特異)能力を保ったように現れます。その船の羅針箱は、岸部(港)へと連れ戻される際に、その駆逐艦に対して大災害的な結果を共にして、2度に渡り突然と発火しました。」¹¹

そしてそれは、表舞台の文献の中で、最初に広く公表された、フィラデルフィアの実験の説明でした。

この引用の中には、焦点を当てられなければならない幾つかの重要な点があります。

1)ヴァレンタイン博士が最初から、「ジェセップによると・・・」と言う言葉と共に言い始める事を観測して下さい。言い方を変えると、その逸話のジェセップのヴァージョンの、ヴァレンタインによる思い返し(記憶)に続くのは、疑う余地無く、ヴァロ版の注釈、アレンデの手紙、そして彼(ジェセップ)自身の個人的な調査から、一つにまとめられたジェセップのヴァージョン(説明)でした。
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11 Berlitz, The Bermuda Triangle, pp. 148-150.

2)着目してもらいたいのはまた、その実験が、1943年において、フィラデルフィアとその(沖の)海上の両方において行われたと言う、重要な明言です。後の章の中で目撃される様に、これは - その実験がフィラデルフィアにおいて行われた事を記述しないヴァロ版からも – そしてアレンデの手紙からも、ジェセップが引き出す事の出来なかった結論であるためです。それら(ヴァロ版/アレンデの手紙)は、最終的に目撃される様に、フィラデルフィアの海軍の軍港(または、言ってしまえば、その他のあらゆる港/埠頭)における何らかの(小規模な)実験に全く触れません。それらは唯一、海上において行われた、一つの(大規模な)実験に言及します。これが意味するのは、2つの物事のどちらかで:ジェセップは、フィラデルフィアで行われた実験の一段階を独立的に学んだ、または、その他の要素の上に基づいて、彼がその出来事(実験)と位置(港においてか、海上においてか)について推論したかのどちらかです。

これは、幾らかの更なる説明を必要とします。第一部の終わりにおいて私達が概要した様に、フィラデルフィアの実験、またはナチスのベルの様な科学的で、技術開発的な計画の、通常の(一般的な)作業(行程)は、一つのチームをまとめ、そして(小規模な)「概念の証明」の実験を計画する事でした。もし成功したなら、実質的な(大規模の)実験がその後、計画され、そして行われたでしょう。すると、ジェセップ博士が、一人の科学者として、その実験が体現した計画が一体全体何であれ、完全規模の(実用的な)「不可視」の実験が、海上において行われた(大規模な)最終段階であったと気付いたと言うのは、可能なだけでなく、(その)可能性は凄く強いでしょう。彼は、海軍の軍港において、その様な実験、または実験の一連が、小規模において行われた事を知っていたはずで、実質的な規模の船を造る前に、その計画を試験するために、海軍が何らかの金属と木製のモデル(実験体)の船を使用した可能性がとても高いでしょう。¹² 故に、その証拠は単なる推理でしかありませんが、海軍は恐らく、その模型の船の幾つかを使い、そしてそうするために戦車を試験し、陸地(軍港付近)の何処かにおいて、(小規模な)概念の証明の実験を行ったでしょう。その実験の初段階のこの種のための証拠が、推理的である事は否めませんが、それは第一部の終わりにおいて概要された、科学的な実験の通常の行程と共に一致します。そして、後の章の中で私達が目撃する様に、この「概念の証明」の実験は、フィラデルフィアの実験の逸話の現実性と妥当(確実)性のための、重大な手掛かりです。
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12 その様な小規模なモデル(模型)は、南ダコタ(州)の、スー・フォールズにおける、南ダコタ戦艦記念館において展示されている戦艦、U.S.S. (米国船) 南ダコタ号です。

3)そしてこれは私達を第三の要点へと至らせます。その逸話のジェセップのヴァージョンの、ヴァレンタインの回想が鮮明にする様に、その実験は、船に積み込まれた磁気的な消磁作用しているコイルと、それらに関連したジェネレーター(発生器/発電機)の構成でした。ですが更に重要な事に、ジェセップのヴァージョンのヴァレンタインの記憶の中に起こる一つの詳細があり、それはその逸話に関する文献のそれ以外の場所には何処にも現れません。この詳細がまた重要なのは、そのジェネレーターが:パルスされていないものパルスされているものの2つのモード(種類)の機能を使用して設計されたと、ヴァレンタインが明言するためです。これは、もう一つの手掛かりで、そしてもし真実であれば、フィラデルフィアの実験の概念的な土台を、ナチスのベルに結び付けるものです。ヴァレンタインによって記憶されていたジェセップのヴァージョンを、その他の処で関連させられた、その実験のための知られている概念的な土台とは異色を放つ(異なって/特有な)ものにするのは、この詳細です。

4)ヴァレンタインはまた、「その結果が重大であると同時に驚きであった」事を示唆し、ヴァレンタインの続いた明言の中で詳細されたその結果は、その大規模な(実用化の実験の)ヴァージョンにおいてその実験を行っていたアメリカ人の科学者達によって、予期されていなかった(事故だった)事のもう一つの示唆です。それらの結果は、乗組員達の消滅/消失と、その実験的な試験の船(駆逐艦)自体の、完全な光学(視覚)的な不可視を含んでいました。言い換えれば、その船と乗組員達の不可視化は、その実験が、元々、達成するために計画(意図)されたものではありませんでした。以下に続く問いが、故に必然的に、ヴァレンタインの説明によって台頭させられ:その実験の元々の目的は、一体何だったのでしょう?そしてその明言された「驚きの結果」は、その元々の目的から異なった種類、または度合いだったのでしょうか?既に記述された様に、それらの「詳細」は、疑う余地無く、それらを恐らく、ヴァロの注釈版の注釈者達、アレンデの手紙から読み取り、順を追って、私達自身に対して類似した合理化と推理の行程から考えた、ジェセップ自身によってヴァレンタインに伝えられたのでしょう。その実験とその「驚きの結果」のための、概念的で理論的な土台を求め、ジェセップは、それを説明するための最有力な候補は、トーション・テンサーを含ませている、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論であると結論したのは、この数学的な変換(transform/変格)が、その注釈や、アレンデの手紙が語った、渦巻きの概念を体現するために、最も近くまで来ていたためでした。ジェセップは、しかしながら、乱暴な推理を行っていたのではなく、むしろ、その足跡を嗅ぎつけていました。

5)着目してもらいたいのはまた、その不可視のフィールドが、形において球体型で、その試験の船のそれぞれのビームからおよそ百ヤード延長していて、そしてその船の船体の(着水線/水面の)窪みは、水(海水)の中に鮮明に目撃されましたが、「その船自体は(肉眼では)見えなかった」事です。唯一、その船の周りのフィールド(磁場)の明らかな強化と共に、その乗組員達はお互いの視界から消滅しました。彼等は、ヴァレンタインが明言した様に、「直接、手で触れて引っ張る方法の一種」によって唯一、再び(肉眼で)見える様に成りました。その「不可視のフィールド(次元のはざま)」の中に埋まった際に、その乗組員達はそれを「岩の中に挟まれた状態」と呼びました。それらの詳細が唯一、ジェッセプ自身から由来出来たのは、それらが明らかに、ジェセップに対するアレンデの手紙の中に記述されていたためです。

6)最後に、ヴァレンタインは、その実験が終了したずっと後でも、普通の(日常的な)状況において、その他の人達(一般人達)の目前で、その試験船の乗組員達が、明らかに消滅する事が出来る事実を伝えます。これは再びもう一度、ジェセップを通して、アレンデの手紙からヴァレンタインへと由来する事が唯一可能な詳細です。

それらの詳細を一つにまとめると、そのフィラデルフィアの実験の、最初のバーリッツのヴァージョンを構成します。

ですが、そのインタヴュー自体はどうなったのでしょう?信憑性(身元)が確認された科学者からの、驚きで、正に信じがたい主張のそれらの全てを学んでから、バーリッツは再びもう一度、インタヴュアーとしての彼の技術を披露し、そして次の合理的な問いを尋ねました:

「ジェセップは、それらの出来事(実験)を目撃したのでしょうか?」

ヴァレンタインの返答を、慎重に読み取って下さい:

「彼が私に伝えた物事を、どれだけ多く、彼が個人的に目撃したのかは、私は知りませんが、彼はとても詳細に、それを調査しました。貴方は、彼が、「風変りな(センセーショナルな文売の)」著者では無く、尊敬され、そして著名な科学者であり、天文学者だった事を思い出さなければなりません。彼は、南半球における最大級の屈折望遠鏡の責任者であり、幾つもの日食/月食の研究の監督者で、連星を発見し、そして素晴らしい科学的な履歴を持っていました。彼が、フィラデルフィアの実験に拘わる様に成った理由は、彼の著書 UFOs のための立件について、その基本的な理論の類似性のために、1956年において、その実験からの生存者だったと主張した、カルロス・アレンデ(またはカール・アレン)と言う名前の男が、ジェセップに手紙を書いたためでした。」¹³
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13 Berlitz, The Bermuda Triangle, p. 150.

に対する基本的な理論の類似性だったのでしょう?ヴァレンタインは、彼の最後の段落がはっきりとした言及をする、または答る事無しで、宙ぶらりんに残した事に気付いていなかった様に現れます。私達は、彼(ヴァレンタイン)が既に彼(バーリッツ)に伝えた事の上に基づいて、その疑問に答える事が許され、つまり、言及されたその理論は恐らく、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版だったでしょう。彼はこう続けます:

「アレンデは、ジェセップと手紙を交す様に成り、彼(ジェセップ)は、普通の著者達が、ファン・メールに答える様に、当然と返答しました。この手紙のやり取りが始まって少々後、ジェセップは ONR (Office of Naval Research/海軍研究所)によって、ワシントン(D.C.)に来る様に依頼(要請)されました。フィラデルフィアの地方紙における唯一の端的な記事を除いて、フィラデルフィアの実験を(国家)機密規制が隠蔽した事を覚えておいてください。」¹⁴

此処までは、その出来事のヴァレンタインのヴァージョンは、ヴァロの注釈版の中で概要されたヴァージョンと共に、上手く当てはまります。ですが、新たな詳細に注目してもらいたいのは:ヴァレンタインはその(地方紙の)記事の内容が何を示唆し、どの様にその実験に対して関係していたのかは全く示唆しませんが、その実験の実行の何らかの示唆を明かした、唯一の記事が、フィラデルフィアの地方紙に現れた事です。再びもう一度、ヴァレンタインは単純に、ジェセップが彼に伝えた事を、伝えなおしているだけなので、そして故に、その記事の内容を知らなかったのかも知れません。

その記事は、疑う余地無く、その逸話に対して言及しており、ある酒場における酔っ払い達の喧嘩を描写し、その間にそれに加わった者(軍人)達の幾らかが完全に消滅したと、一人のウェートレス(バーメイド)が観測したとする、フィラデルフィアの地方紙の中に載せられた、小さなコラムを満たした記事で、バーリッツとモーアーのフィラデルフィアの実験の中でその後(記述され)、(一般人に対して)流通されました。

ヴァレンタイン博士はその後、ジェセップの著書の、短期間だけ流通したヴァロの注釈版の出版、そして海軍研究所(ONR)とのジェセップの拘わりに繋がった出来事の時系列を概要する事によって続け、(米国)海軍とジェセップの両方が、アレンデを追跡する事が出来ず、そしてヴァロの注釈版におけるその他2名の(匿名の)注釈者達を特定する事が出来なかった、重大な詳細を加えます。

最後に、バーリッツは、ジェセップの死の問題(疑問)を尋ねます:

「何故、ジェセップは、自殺したのでしょうか?」
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14 Berlitz, The Bermuda Triangle, p.150, emphasis added.

もし、彼が自殺したのだったら、それは恐らく、極度な落胆のためだったのでしょう。彼は、海軍によって、フィラデルフィアの実験、または類似した計画について研究し続ける事を依頼されましたが、(それを)断り – 彼はその危険な結果(成行き)について心配していました。彼はまた、科学的、そして学術的な世界(御用学者達/ゲートキーパー達/情報のプロパガンダ)によって、彼の著書に対して向けられた批判(レッテル貼り)について、意気消沈していました。」¹⁵

これは、その時点まで、その実験についての文献の中の何処にも見つけられない、更にもう一つの特殊な詳細です。バーリッツは、ジェセップが、海軍、恐らく海軍研究所(ONR)自体によって、フィラデルフィアの実験についての研究を続ける事を依頼されたと、バミューダ・トライアングルの中のその部分に初めて公表しました。

この自認は、再び疑う余地無く、ジェセップ自身によって、ヴァレンタインに供給された詳細が、新たな問題と疑問の幾つかを台頭させるのは、始めからその実験を行っていたと主張された正に部門である海軍(の ONR)が、あたかもそれについて全く知らないかの様に振る舞い、それが全く知らなかった(機密)とする実験についての研究を続けるために、ジェセップの様な部外者からの助力を求めたのかの謎?!?であるためです。それには幾つかの可能性があり、その内の2つは、記述する価値がある様です:

1)(米国)海軍はその様な実験が行われていた事を熟知していて、そしてジェセップが、1928年の統一されたフィールド理論を拘わらせたその彼の論説の上に基づいて、その実験の実際の歴史を一つにまとめるために、接近(探知)し過ぎていた事に気付き、(当時)現在進行形の「計画/作戦」において、彼を「拘わらせる」事によって、緊密な監視の下に彼を保つ判断をしたのか;または、

2)その海軍、または少なくとも、その ONR (海軍実験所)は、理由が何であれ、ある時点において、その計画とその記録に対する追跡(管理/機密)、そして更に操作力さえ失い(事故を起こし)、そしてその実験を静かに(水面下で)再構築するための方法を必死に探していたのかも知れません。ジェセップと、彼の発想は故に、合理的な開始地点として、それら自体を体現しました。

バーリッツの最後から2番目の問いと、ヴァレンタイン博士の返答を私達が考える際に、それらの2つの可能性が、頭の中に入れられているべきです:
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15 Berlitz, The Bermuda Triangle, pp. 150-151, italicized emphasis original, bold face emphasis added.

「貴方は、『もし彼が自殺したなら』と述べました。彼が殺害されたと信じる理由はあるのですか?」

「恐らく彼は、救われる事が出来たと言う幾つもの意見があり – そして何人もの人達がそう考えました。彼が発見された時に、彼は未だ生きていて・・・多分、彼は死亡する様に促されたのかも知れません。彼の理論はとても先進的で、そして恐らく、それら(i.e. フリー・エネルギー)が広まる事を望まない人々、または影響力のある人々(i.e. 石油/原子力産業/財閥 etc.)がいたのかも知れません。注釈された海軍の本の当時に、ブライアン・リーヴス(もう一人の UFO についての著者)へと与えられたジェセップ自身の注釈版がその他の人達に対して送られた時に、郵便経路から消失したのは、奇妙(謎)でした。」¹⁶

ヴァレンタインは故に、ジェセップの「自殺」を疑わしいと考え続け、「人々(誰か)が」ジェセップの「先駆者的な論説」が広まる事を妨げる(隠蔽する)事を望んだのではないかと推理します。

もしこれがそうであるなら、ジェセップの死は - この見解においては殺害ですが - 様々な統一されたフィールド理論を、「不完全な理論」であるとして、裏舞台へと押し込めた出来事の一連における、更にもう一つの出来事(事件)でした。更に加えて、ヴァレンタインが示唆する様に、ジェセップの郵便物が途中で傍受(諜報工作)されていたと言うのがもし真実なら、すると、そうするための方法と動機の両方を共にした極少数の組織の一つとして、その最も可能性の高い傍受者の正体であるとして、これは政府に対して指を指します。

この光に下で見解されると、上述された2つの可能性 – つまり、海軍は、その実験の操作を失い(事故を起こし)、そしてそれを再構築(再実験)しようと試みていたのか、または、それは単に、ジェセップが「近づき過ぎていた」ために、彼を監視していたのかのどちらかで - 新たな重要性を意味します。ジェセップは、思い出されるでしょうが、その実験の上で、それ以上働く事を拒否しました。もしそれがそうなら、ジェセップの友人達に対して、ヴァロの注釈版の、彼自身の再注釈版を彼が送った事によって証明される様に、するとそれ(政府/海軍)は、彼が安全保障(機密保持)に対して大きな危険性に成り過ぎたと判断し、そして彼を暗殺する事を決定したのかも知れません。その他の可能性は、その実験を co-opted した(侵入して乗っ取った)何者かが、何処かで、ジェセップが供給する事の出来るその様な手掛かりの土台の上に基づいて、海軍がその実験を再構築出来る可能性を排除する(妨害[諜報工作]する)事を望んだ事を示唆します。そして、両方の可能性において、ジェセップが、彼の知識と共に公共の場に出向き、そして彼の発見を公表する(暴露する/機密漏洩の)危険性が常に付きまとっていました。
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16 Berlitz, The Bermuda Triangle, pp. 151-152.

どちらの場合であれ、彼は、糸の切れた凧として見解され、そして故に沈黙させられなければなりませんでした。これに関して、ジェセップが、彼の友人、イヴァン・サンダーソンに対する彼の発言の中で、身の危険を示唆していた事を思い返すには、価値があるでしょう。

B. The Clues and Their Implications
B. 手掛かりとそれらの示唆     99


バーリッツのバミューダ・トライアングルからの手掛かりと、それらの示唆の再検証が此処で必要に成り、その最も明らかなものは、言うまでもありません。それは、今まで明言されていませんでしたが:ジェセップが、彼の著書のヴァロの注釈版、そしてカルロス・ミグエル(マイケル)・アレンデの手紙から、彼(ジェセップ)が学んだものとして、その(バミューダ)トライアングル、UFOs、そしてフィラデルフィアの実験の間に、何の可能な関連性を見出したのか?と言う事です。

驚く無かれ、その答えはそれらの全ての別々の現象が、そのトーション・テンサーを共にした、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版によって関連させられたとする、ジェセップ自身の推理の中にあります。私達は、第一章から、この数学的なトランスフォーム(変換的な方程式)が、その理論の最も重要な構成要素の一つだった事を思い起こしましょう。その理論(論説)において、目撃された様に、アインシュタインは全ての意図と目的のために、重力(引力)と電磁力の幾何学的な統一の探求において、一般相対性理論を見捨て(否定し)、それ(特種相対性理論)において、トーション・テンサーが中心的な役割を果たしました。ですが、これは、何を意味したのでしょう?

一般相対性理論において、重力(引力)慣性が同等な現象として扱われるのは、幾何学的にそれらが、観測者達によって分別不可能であるためです。物理学者達は、この発想を、目撃されてきた様に、「(一般相対性理論の)等価原理」と呼びます。ですが以前に目撃された様に、この原則の推論(成行き)の一つは、大規模な質量の重力/引力的な加速は、つまり、恒星や惑星の表面上で、地域的な何らかの重要性と共に全く変化しないと言う事とでした。

しかしながら、地域的な時空間のカーブ(歪み)である、トーションを含んだ、より原則的な幾何学において、アインシュタインが重力/引力と電磁力を対化した時、彼は効果的に、大きな惑星的な質量の表面の上の、引力的な加速と質量の地域的な変化の理論的な可能性を許しました。結果的に、アインシュタインは - バミューダ・トライアングルの様な - 磁気的、そして重力/引力的な障害の異例的な地域が存在するための可能性を許しました。彼は、地球の様な大きな質量の上の、その様な異例的な地域を説明するための、理論的な枠組みを供給しました。更に重大な事に、彼は、重力/引力的で、そして慣性的な効果が、電磁的な方法によって、地域的に技術開発される事が出来る、理論的な可能性を許しました。科学者達が、アインシュタインの1928年の論文を読んだ時に、彼等の眼は(その論文が難解だからと言って)濁りませんでした!現実は正反対でした!

ですから、その(バミューダ)トライアングル、フィラデルフィアの実験、そして UFO 現象の幾つかの種類の、統一された説明として、この理論を指摘する事において、ジェセップはその理論の説明的な力(原則)として彼が考えたものを研究していました。其処にはまた、その他の手掛かりがありました。ジェセップは、例えば、(元々は、レーダーに対する)「光学(視覚)的な不可視」の発想と共に、「操作された磁気(強力な磁力)」を関連させました。これもまた、その理論の説明的な力について、ジェセップが信じたもののコンテキストの中で見解されなければなりません。ジェセップは、ヴァレンタインに対して、その実験の結果が事故的で、そして故にその理論の示唆が恐らく、その概念的な土台のためだけで無く、同時に、その事故的な結果のために、説明する事が出来ると、伝えました。

加えて、ヴァレンタインは、ジェセップが、フィラデルフィアの実験の「不可視」に関連し、そして統一されたフィールド理論自体への関連における、「不可視の硬直性」の彼(ジェセップ)の概念を探求していたと示唆しました。

そして最後に、私達は、バーリッツの著書の中で最初に現れた実験に関する新たな詳細に出くわしました。それらは:

1)その実験には、(モールス・コードの様に)パルス(衝動)されたものと、パルスされていない機能の種類を含んでいて;

2)その実験には、その船(駆逐艦)が港へと戻らせられた時に、その船の羅針箱が突然と出火した、「タイム-ワープ(時間の歪み)」の現象を含み、そしてその実験の幾つかの要素は明らかに、フィラデルフィアの地方紙の中に現れ;

3)ジェセップの死は、自殺などでは無く、他殺(暗殺)だったのかも知れず、少なくとも誰かが、何処かで、その実験が体現した開発の一線を継続し、そしてジェセップが死亡せず、研究と公表を続けていれば、間違いなく、より広い一般大衆に対して、その科学的な概念化(フリー・エネルギーの知識)が届いていたであろう事を妨げるために、「実働的な対応(工作/妨害)」を行っていて;

4)その実験自体は、(小規模な)「概念の証明」の段階の間に、「軍港」において、そして(大規模な)実質的な完全規模のヴァージョンにおいて、海上(沖)の両方において行われました。偶然的(事故的)な結果が観測されたのは、後者の実験の作戦(実験)の間でした。

フィラデルフィアの実験の検証において、バーリッツのバミューダ・トライアングルの本に集中し過ぎるために、以前の熟考(色々な書籍)の全てから頻繁に見過ごされているのが、それでもその全体的な逸話に対して重要な構成要素なのは、それが、モリス K. ジェセップ博士がそう考えたために、彼が暗殺されてしまったのかも知れない可能性がとても高い、彼の思考経路の可能な行程へと、重要な洞察を、私達に許すためです。

6. THIRD DISCLOSURE:
Charles Berlitz, William Moore, and
The Philadelphia Experiment: Project Invisibility

第六章 第三の情報公開:
チャールズ・バーリッツ、ウィリアム・モーアー、そして
フィラデルフィアの実験:不可視計画
     123

「フィラデルフィアの実験における、私自身の特別な関心は、強化され、そしてレゾナント(共振/共鳴的)な磁気によって誘導された、物質の分子的な構成における変化が、物体が(肉眼から)消滅する原因に成る事が可能かも知れず - バミューダ・トライアングルの中の幾つもの行方不明の説明の一つに成るかも知れない可能性と関連していました。」
- チャールズ・バーリッツ¹

上述の警句と共に、研究者、チャールズ・バーリッツは、彼がどの様にフィラデルフィアの実験を知る様に成ったのかを説明し;以前の章の中でも目撃された様に、彼は、モリス・ジェセップの「不可視な硬直性」の一つの様に、彼の著書、バミューダ・トライアングルの調査をしていた間に、多かれ少なかれ、それ(その実験)へと出くわしました。端的な段落の中で、その逸話に対する彼自身の元々の接触をその様に確認した後、バーリッツは、米国における幾つもの彼の多くの講義の中で、彼がその実験に触れた際に何時も起こった、少々、興味深い事を記録します:「時折、通常、匿名性を強く求める『目撃証人』が現れました。」

ある大学におけるその様な講義の一つの間に、バーリッツは彼が、「調査を得意とする著者」である、イングランド人の教授に出会った事を思い返します。

「フィラデルフィアの逸話における、彼の熱心な関心は、その国(米国)の様々な場所へ彼を訪れさせ、そして彼の献身(熱心さ)は、都合良く紛失している書類を発見するため、忘れっぽい目撃証人達の記憶を思い出させるため、そして更に、「全く起こらなかったはずの」この実験に深く関わり、よく知っていて、恐らく健康(または生き残り/身の危険)のために、極度に人里離れた地域で、密かに住む事をいや応なしにされた、特定の鍵に成る科学者達さえ見つけ出す助力に成りました。」³
_____
1 From the Introduction in Charles Berlitz and William Moore, The Philadelphia Experiment: Project Invisibility (London: Souvenir Press, 1979), p. 10.
2 Ibid.
3 Ibid.


この研究者は、最終的に、バーリッツのフィラデルフィアの実験:不可視計画の共同著者と成る:ウイリアム・モーアーでした。

バーリッツのバミューダ・トライアングルの中の「最初の一般(公表)的なヴァージョン」の中で概要されたその逸話が異例的(驚き)だったのは、もしその実験が、示唆された様に行われていたのなら、「私達がその当時、そして恐らく未だに」 - 人の最も古い夢の一つである - 「物体と人々、その他の物と私達自身を、どの様に不可視に出来るかの発見の、瀬戸際(目前)に立っていた」ためでした。⁴ ですがその後、彼(バーリッツ)が頻繁に行う様に、彼はそれらの啓示(公表)を淡々と述べ、その本の残りを通しては一切それに再び触れません:

「ですがこの(不可視化の夢)とその他の昔からの夢は、アラモゴルド(i.e. アラモ)において、超越的で爆発的な威力(i.e. 原爆)が初めて現実性へと成った時である、1945年以来、特にもう実現不可能(不必要)な様に成りました。偶然(同時)的にも、当時(1943年)において、アメリカが(第二次世界大戦中の)防衛と生き残りのための通例的な助け(兵器)を探していた際に、(一般的には)サイエンス・フィクション(Sci-fi/架空)ではないかと疑われる、少なくとも2つのその他の計画が行われていたと報告されました。それらの内の一つは反重力と関係していて、そしてもう一つは(レーダーからの)不可視(ステルス)に関係していましたが、それらについての研究は、原子爆弾の明らかな成功と共に、中止されたと報告されました。」⁵

明らかにフィラデルフィアの実験は、不可視(ステルス)に関連した実験でしたが、反重力に関係した、匿名の計画は一体何だったのでしょう?バーリッツと、彼の共同著者、ウイリアム・モーアーは、それに対して(その後)二度と触れません。

この筆者(ファレル博士)は、第二次世界大戦中のアメリカの反重力計画(研究)の何らかの手掛かりを発見するために、彼(ファレル博士)の記憶と資料の両方を通して詳細に調べましたが、全く何も思い出す事も、見つける事も出来ず、それは一つの重要な問いを示唆し:バーリッツとモーアーは、何を知っていたのだろう?と言う事です。それが一体何であったにせよ、彼等は口をつぐんでいました。しかしながら、私達には、推理する事が許されます:もし、(以前に)示唆された様に、ジェセップ博士が、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版と共に、フィラデルフィアの実験の背後にある、科学的で、概念的な土台を指摘していて、そしてこの理論において、UFOs の推進力(動力)に関連している彼の推理のための土台をこの理論に求めたのなら、第二次世界大戦中に台頭してきていた防衛エスタブリッシュメント(i.e. OSS/CIA/ナチス/ゲーレン組織/軍産複合体)の誰かがアメリカの何処かにおいて、重力(引力)を操作する(i.e. 反重力)ための計画の発想を提案したのかも知れません。
_____
4 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 10-11.
5 Ibid., p. 11, emphasis added.


それが実際に大きな目標だったのは、重力の操作が、その他多くの科学技術への扉を開くためで、そして更に重要な事に、凄まじい兵器の原則、そして遥かに破壊的な威力の兵器のための(物理学的な)土台を供給するためです。結果的に、それらをまとめると、初めて一見した時よりも、無理(サイエンス・フィクション)では無い様に見えます。彼等(バーリッツとモーアー)の記述の動機の源泉(情報源)が何であったにせよ、しかしながら、彼等は、その実験自体を考える(考慮する)ために、後ろに(後付けで)残されたのでしょう。⁶

A. General Observations
A. 一般(全体)的な観測     125


始めの時点において、バーリッツとモーアーの、その逸話の説明の正確性を確立する事が重要なのは、何人かの人達が、様々な土台の上でそれを疑問視したためで、ある人は、バーリッツの諜報工作(スパイ)の背景(履歴)とコネクション(人脈)のために、信用する事が出来ないと主張し、その他は、時々ある歴史的な不正確さ、または実証(証明的な書類)の無い明言を指摘し、彼等(バーリッツとモーアー)の証拠の扱いを疑いました。此処において論議されるのは主だって、バーリッツとモーアーは、時折、細かい点を見逃しますが、彼等の記述(説明)が正確であると言う事です。更に加えて、最終的には目撃される様に、それらの詳細な点の幾つかは、その逸話の正確で、科学的な評価と検証と同時に、歴史的な再構築のための土台を形成します。

私達はヴァロ版の注釈の、バーリッツとモーアーのまとめと共に始めましょう:

「その注釈は、謎が多い『バミューダ・トライアングル』の地域の中で起こっている出来事の数多くであり、ジェセップの著書の中で論議された、船舶、飛行機、そして人々の、謎めいた消失(行方不明事件)の説明である様に現れました。更に彼等は、時には多大な詳細においてジェセップが記述した、『奇妙な嵐(人工操作された天候)と雲(高気圧と低気圧)、空から降ってくる物体、奇妙なマークと足跡(ケムトレイル)、そしてその他の問題』の多くの原因について、検証しました。
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6 バーリッツとモーアーは、この章の後において目撃される様に、物理学者、トマス・タウンゼント・ブラウンを、勿論、フィラデルフィアの実験に対して関連させます。彼の「electrogravity (電気的な重力/引力)」における関心のために、オルタナティヴ(独立的)な研究者達によく知られていたブラウンは、彼の生涯を通して、重力的な研究と、重力を操作する方法に対して、真剣に献身していました。ですが、その戦争(第二次世界大戦)の最中にブラウンが、重力の操作、または反重力の効果を達成するための計画に拘わっていたと言う証拠は一切ありません。その様な計画は、彼の場合、その戦争の後まで待たなければなりませんでした。

「同時に記述されたのは、「L-M 達」と「S-M 達」として言及された、恐らく地球外知的生命体の2種のグループとの関連における、海底都市の建設で、その内の一つ(「L-M 達」)だけが、(人類に対して)友好的と考えられました。加えて、奇妙な用語 – マザー・シップ(母船)、ホーム・シップ(主船)、デッド・シップ(死の船)、グレート・アーク(大いなる箱舟/電弧)、グレート・ボンバードメント(大規模な爆撃)、グレート・リターン(大規模な回帰/利益)、グレート・ウォー(大規模な戦争)、小さな人達、フォース・フィールド(作用の場)、グラヴィティー・フィールド(重力/引力の場)、ダイアモンドのシート、宇宙的な光線(エーテル/プラズマ/イオン etc.)、フォース(作用)を切断するもの、inlay (埋め込まれた)細工、クリア・トーク(はっきりとした説明/対話/通信)、テレパシーのノード(結節点/チャンネル)、渦巻き、磁気的なネット(網)が - 色々な手書きの注釈を通して見つけられました。」⁷

この詳しいリストから容易に確認される事が出来る様に、ヴァロの注釈版の私達の以前の検証との比較において、バーリッツとモーアーは、多大で文献的な証拠に対してとても忠実に留まります。人は、彼等の(文献的な証拠の)扱いが、意図的に不正確であると、合理的には主張出来ません。同様に、バーリッツとモーアーは、ヴァロの注釈版のコピーの数、そして出版の方法(経路)について、正確に報告します。⁸

とても少数の場合においてですが、しかしながら、彼等の分析的な技術は、彼等から離れてしまった様に現れます。例えば、バーリッツとモーアーは、「もし実際に海軍が、フォース-フィールド(作用の場)の不可視を創造する事において、偶然的、または意図的のどちらかによって、どうにかして成功していたなら・・・すると・・・その様な実験の結果はまた、バミューダ・トライアングルとしてとても良く知られた地域に頻発する様に現れる、出来事(事件)と行方不明の奇妙な一連に向かって、何らかの手掛かりを提供するのではないでしょうか・・・?」と明言します。⁹ 彼等自身の著書と、アレンデの手紙の詳細な検証から目撃される様に、その証拠(文献)の多さは、その海軍の実験の結果が、完全規模の(大規模な)実験版において行われた時、その結果は、その実験の概念的な土台の中でしたが、予測されておらず事故的であった事を示唆します。その結果は、その実験が達成するために計画されたもの(ステルス)から異なった種類では無く、度合でした。その実験のこの特徴は、私達が以前の2つの章の中で見てきた様に、ジェセップ博士によって既に予測されていた事でした。
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7 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 45.
8 Ibid., pp. 48-50.
9 Ibid., p. 59.


しかしながら、これを明言した上で、その実験の示唆が、事故的であったか否かは別にして、バーリッツとモーアーが、その示唆に間違いなく気付いていたと指摘するのが唯一合理的でしょう:「その様な劇的な発見には、究極的で、秘密裡な兵器に対する鍵がある事は言うまでも無く、(石油 etc. 以外の)新たで、安価な移動の方法、またはエネルギー産出に対する手掛かりを明かしたのでしょうか?」その可能性は「無限で驚きです!」と彼等は結びます。¹⁰

B. An Additional Detail Concerning Jessup’s Alleged Suicide
B. 自殺と主張されたジェセップ(の死)に関する追加的な詳細     127


バーリッツとモーアーはまた、彼等の著書の中で、自殺と主張されたジェセップ博士についての、追加的な詳細を供給します:

「1959年4月の中頃に向かい、ジェセップは、フィラデルフィアの実験によって示唆された反応の一連について、ほぼ間違いのない結論として彼が考えたものに至り、そして彼が論議する事を望んだ(事についての)下書き(書類)を彼が準備したと、ヴァレンタインに伝えました・・・警察の報告書の中には、ノート、または書類の事は全く記録されておらず、更に、ヴァレンタイン博士に対してその後与えられた、目撃証人による明言によると、その(ジェセップの)車からは何も発見されませんでした。」¹¹

もしこの主張が真実なら、そしてヴァレンタイン博士の誠実さを疑う理由は全くありませんので、すると、ジェセップが殺害された可能性が増大します。

C. The Strange Meeting in Colorado Springs
C. コロラド・スプリングスにおける奇妙な出会い     127


バーリッツとモーアーは、1970年の夏の終わりのある夕方に、コロラド・スプリングスにおいて起こった、ある出来事を思い返す事によって、彼等の著書を記述し始めます。2人の空軍兵、マリーランド出身のジェームズ・デーヴィスと、テキサス出身のアレン・ヒューズは、彼等の休暇の期間を利用して、戦争記念公園の写真を撮影しようと決めました。¹² デーヴィスとヒューズは、デーヴィスが事前に、記念碑の周りで観測した、「背が低く、頭髪が薄くなった、ある意味雑な服装の人で」、「少々、奇妙な風貌の男性」によって接触されました。¹³ デーヴィスと会話を始めたその見知らぬ人は、彼の財布を取りだし、期限切れの海軍の身分証明書を彼(デーヴィス)に見せました。¹⁴
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10 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 45.
11 Ibid, p. 91, emphasis in the original, citing Charles Berlitz, Without a Trace, no page number cited.
12 Ibid., p. 13.
13 Ibid.
14 Ibid., p. 14.


その男性は、第二次世界大戦の間に、海軍の士官だったと主張し、そして海軍が彼に対して「色々行い」、最終的には、彼が「気違い(精神的に不適格)」だと主張し、除隊する事を彼に強要したと主張しました。¹⁵ その男性は、彼が「気違い」に成った理由をデーヴィスに教えました:「その原因だったのは、あの実験だった。」¹⁶

「デーヴィスの好奇心はくすぐられました。『実験ですか?』と彼は尋ねました。『一体どの様な種類の実験を貴方は言っているのですか?』

「その返答は、彼を驚愕させました。

「『不可視だった』と、その男性は述べました。『それは、彼等(海軍)が、船(駆逐艦)を不可視(レーダー・ステルス)にしようと試みていた時だった。もし成功していたなら、それは完璧なカモフラージュに成るはずだった。そしてそれは大成功だった!その船に関してだけだったけれど。しかし、(その駆逐艦に)乗り組んでいた私達に対しては・・・それはあまりうまく機能しなかった。私達は、彼等が使用していたエネルギーのフィールドの効果に耐える事が出来なかった。それ(フィールド)は、私達に(強く)影響した。私は、フィラデルフィアへと派遣される任務に、絶対、従うべきでは無かった。それは、トップ・シークレット(最上級機密)だった・・・』

「デーヴィスは、彼が聞いたと思った事が本当なのだろうかと(耳を)疑い始めました。

「『一体全体、貴方は何について言っているのですか?』と、彼は追及しました。『貴方は、海軍が、何らかの実験において、貴方を不可視にしようと試みたとでも言っているのですか?』

「『電気的(磁気的)なカモフラージュだった』と、その答えが来ました。『パルスしているエネルギーのフィールドによって産出された、電気的なカモフラージュの何らかの種類だった。彼等が使用していたエネルギーが、正確にどの様な種類のものだったかは、私は詳しくは知らないが、間違いなく沢山の(強力な)それ(エネルギー・フィールド)があった。私達は、それに耐える事が出来ず – 私達の誰も絶える事が出来なかった。それは、私達(個人、個人)に対して、異なった方法において影響したが。ある者達は、物が二重に見えたり、ある者達は、酔っぱらった様に笑い、足元がおぼつかなく成ったり、そしてある者達は、気を失った・・・そして何人かの場合において、その効果は一時的なものでは無かった。私は後に、何人かは死亡したと伝えられた。どうであったにせよ、私が彼等に再び会う事は二度となかった。しかし、その他の私達 - 生き残った私達に対しては - 彼等(海軍/政府)は唯単に、私達を除隊させた。彼等はそれを、身体障碍と呼んだ。軍務のために、精神的に不安定で、不適格であるとして(強制)除隊させられた。障碍者手当(除隊年金)扱いだよ!』と、彼は苦々しく述べました。」¹⁷

この時点において、デーヴィスの友人、ヒューズ空軍兵士が、その会話の一部を耳に挟み、その2人に加わりました。自己紹介の後、デーヴィスは、その見知らぬ、元海軍兵の男性との対話を続けました。
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15 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 14
16 Ibid.
17 Ibid., pp. 14-15.


「『貴方は、その実験の失敗のために、海軍が、それらの人達(乗組員達)の全てを精神的に不適合として、除隊させた(解雇した)と言っているのですか?』と、彼は尋ねました。

「『その通りだ』と、その謎めいた彼等の話し相手は述べました。『それが実際に、彼等が行った事だった。勿論、彼等は私達を解雇する前に、数か月間、隔離した。【休養のためだ】と彼等は言った。ついでに、それ(実験/事故)が全く起こらなかったと、私達を納得させる試みだったと、私は思う。何であれ、最終的には - (フィラデルフィアの実験の様な)その様な逸話を、どうせ、誰も信じない可能性の方が高いのに - 彼等は私達に対して、機密保持を誓わせた。君ならどうだろう?君は空軍兵士だ:君はそれを信じられるか?君は、私が君に伝えている事を信じられるか?』

「『私にはわかりません』と、デーヴィスは答えました。『それが信じがたい話しであると言う事には、私は躊躇なく同意します。全く信じがたい逸話です。唯、私には解りません(知りませんでした)。』

「『まあ、どっちにしたって、それが真実だ。その全ての一字一句が、だ。勿論、それが正しく、彼等(海軍/政府)が、精神的に不適格として、私達を解雇した理由ではあるけれども。そうすれば、もし海軍が、それについて問われた時に、それが唯単に、気違い達によって造りだされた戯言であると、言い逃れ出来るだろう。精神鑑定された気違いを、誰が信じるのだ?何であれ、それが私の話しだ。』」¹⁸

約1時間ほど、その見知らぬ人と幾らかの会話を続けた後、その2名の空軍兵士達は彼等の基地に戻りました。¹⁹

その2人の空軍兵士達は、バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルが出版され、そしてそのフィラデルフィアの実験の逸話がより広い(一般の)読者達に初めて知られる様に成った1978年まで、その出来事を(脳裡の片隅に)忘れていました。デーヴィスは、バーリッツとの、フィラデルフィアの実験の共同-著者である、ウイリアム・モーアーに接触(連絡)し、その奇妙な出来事を概要しました。²⁰ 此処において私達の注目を引くのが何かと言うと、バーリッツとモーアーが、ヴァロ版の注釈を検証し、ヴァロ版の「前書き」と関わった ONR (海軍実験所)の関係者達が、3名であると主張したのとは異なり、むしろ、その注釈の全ての背後にいたのはたった1名だった可能性が非常に高いと主張した事です。²¹

バーリッツとモーアーの、通常は鋭く研ぎ澄まされた分析的な技術が、彼等から離れてしまった様に見えるのはこの部分で、彼等の著書の後半に、彼等が以下を関連させるためです:
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18 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 15-16.
19 Ibid., p. 16.
20 Ibid., pp. 16-17.
21 Ibid., p.


「1970年において、コロラド・スプリングスの(記念)公園の中で、空軍兵士デーヴィスとヒューズに対して奇怪な逸話を伝えた、見知らぬ小柄な人が、(カルロス・ミグエル)アレンデ自身だったかも知れないと言う可能性には・・・根拠が無い様に思われます。彼等のインタヴューの中で両方の人達(デーヴィスとヒューズ)は、もし彼等がその人(アレンデ)を見れば、彼等はその人を確認出来ると思うとはっきりと明言しましたが、彼等のどちらとも、問題に成っている人物として、アレンデの写真を指摘する事が出来ませんでした。」²²

コロラド・スプリングスにおいて、デーヴィスとヒューズが出くわしたその見知らぬ人が、ヴァロ版の手書きの注釈のその他の注釈者達の一人だったかも知れないと言う可能性を、バーリッツとモーアーは、考慮しなかった様に現れます。この可能性(バーリッツとモーアーの考え方)に反論している一つの事実は、その見知らぬ人の言葉遣い(文法)が、それらの注釈の中で見つけられる(アレンデの)ワイルド(粗雑)で、(文法的に)混乱した書き方と同じ様には見えない事です。

1 Carl-Allen-APRO-525px
カルロス・ミグエル・アレンデ(カール・マイケル・アレン)²³
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22 Ibid., p. 76.
23 Picture was taken by APRO.


D. Einstein
D. アインシュタイン
1. His Wartime Employment by the US Navy
1. 米国海軍による彼の戦時中の雇用     131


バーリッツとモーアーは、第二次世界大戦の間の、米国海軍によるアインシュタインの雇用の問題について、更にもっと詳細です。この点が重要なものなのは、アレンデが、ジェセップに対する手紙の中で、その実験の概念的な土台の一部に、アインシュタインの統一されたフィールド理論が関わっていたと主張し、そしてアレンデは、どの様に、または何の範囲においてかは全く示唆しませんが、アインシュタイン自身が実際に拘わっていたと主張したためです。アインシュタインと(米国)海軍の間の関連を確立する事は故に、アレンデの主張の幾つかに協力証言します。

「1943年において、アレンデが、海上における(大規模な)フィラデルフィアの実験の実施を彼が目撃したと明言した期間、アインシュタイン博士は、表向きには(政府の)武器局(防衛省/戦争省の一部)のための科学的な助言者として、米国海軍に雇用されていました。(ミズーリ州の)セント・ルイスにおける調達局(GSA)の事務所の記録は、アインシュタインが、1943年5月31日から、1944年6月30日まで、ワシントン D.C. の海軍省の特別顧問における科学者として、断続的に雇用されていた事を証明します。」²⁴

加えて、バーリッツとモーアーは、その有名な物理学者が「科学的な研究と開発の海軍の事務所(i.e. ONR)に対して親密な関係」を築いたと示唆している、アインシュタイン博士からの、彼の友人、グスタフ・バックリー宛ての手紙を引用します。²⁵ 更に加えて、アインシュタインは、ルーズベルト(大統領)とトゥルーマン(大統領)政権の科学の「ツァー(総合責任者)」だったヴァナヴァー・ブッシュ博士が、「彼(アインシュタイン)の特定的な知識が、最も役に立つ可能性が高いと思われた・・・委員会に」アインシュタインを配置した事を示唆しました。²⁶
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24 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 96, emphasis in the original.
25 Ibid.
26 Ibid., pp. 96-97.


1 antigravitywg071
アインシュタイン博士と米国海軍の士官達、1943年7月24日²⁷

2. Einstein’s Unified Field Theory of 1928
2. 1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論     132


アインシュタインと、フィラデルフィアの実験との彼の関係に関する、彼の手紙の中のアレンデの主張の中心部分は、しかしながら、その実験の全体が、アインシュタインの統一されたフィールド理論の要素を試験するために計画されたとする、彼(アレンデ)の主張でした。従って、その実験の、バーリッツとモーアー自身の再構築を検証するために、彼等がどの様に、アインシュタインの有名で、未完成の理論を理解したのかを、見定める事が重要に成ります。

アレンデの手紙自体を私達が検証した時に、この章の中で後に目撃される様に、アレンデは、アインシュタインが実際に、彼の理論を完成させ、そしてその後、それ(完成した理論)と共に何が成されてしまう(兵器化されてしまう)かも知れない事に対するモラル(人道)的な心配に基づいて、それを撤回した(隠蔽した)と主張しました。勿論、彼が探求した重力/引力と電磁力の統一化に向かい、様々な方法を試みながら、アインシュタインが、彼の人生の残りの殆どを使い、その理論について研究した事は良く知られています。バーリッツとモーアーは、以下の様にコメントします:
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27 国立保管所からのこの写真はまた、バーリッツとモーアーのフィラデルフィアの実験の写真部分の中にも載っています。

「アインシュタイン博士は実際に、1925-27年の期間において、彼の『重力と電気のための統一されたフィールド理論』の一つのヴァージョンを完成させました。その結果は、ドイツ語において公表され、1925年と1927年の、(旧)プロシアの科学的なジャーナルの中に現れました。」²⁸

これが、もう一つの小規模な不正確さなのは - 第一部の中で目撃された様に - その理論のアインシュタインの最初の「完全」ヴァージンは、1927年では無く、1928年に実際に公表されたためです。そして、アインシュタインの論文において、統一化の幾何学の構成要素として、トーション・テンサーを最初に含んでいたのは、このヴァージョンでした。同様に、第一部の中で記述された様に、統一化のための幾何学的な土台として「distant parallelism (距離を挟んだ平行性)」のアイデア(発想)を応用し、アインシュタインは1930年において、より詳しい論文と共にこの(1928年の)論文を続けました。そしてまた、其処に記述された様に、アインシュタインは、より以前のドイツ人の数学者、セオドア・カルツァの「超越-次元的な」統一されたフィールド理論によって、その様な理論を探求する事を鼓舞されました。

しかしながら、今の処までの理由づけ(理論化)の行程が、本質的に変わらないままだと、バーリッツとモーアーが確認した事に着目するのは重要で、つまり、その実験のための概念的な土台を形成したのは、後の1930年代の「距離を挟んだ平行性」のヴァージョンでは無く、彼等(バーリッツとモーアー)は、何故、その理論のこのヴァージョンだったのかの何らかの具体性、または理由を提供しませんが、その実験と関わっていたのは、アインシュタインの理論の1928年ヴァージョンだった事です。私達は、(ガブリエル)クロンの分析の幾つかにおいて、トーションがまた重要な役割を果たしたので、その実験を保証した基本的な概念を形成したのは、回転/旋回している電気的な機械の、クロン-の様なテンサー分析との連動におけるトーション・テンサーの応用だったと示唆しました。

故に、ジェセップに対するアレンデの手紙の中の主張は、一つの重大な点の上で、統一されたフィールド理論の基準的な歴史から分岐します。一般的な(表向きの)歴史は、アインシュタインが、彼の死亡時まで、統一されたフィールド理論の幾つものヴァージョンを提案しては、順を追って、それらの不完全性を理由に、その後、それらを否定(撤回/隠蔽)したと主張します。アレンデは、対照的に、
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28 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 94.

アインシュタインがモラル(人道)的な疑念の理由のために、1928年のヴァージョンを撤回したと主張します。バーリッツとモーアーは、その物理学者(アインシュタイン)の戦後の平和主義と、原爆に対する恐怖はよく知られているので、モラル的な理由のために、アインシュタインがその理論を撤回したと言うアイデアは、それ程、考え過ぎでは無いと提案します。恐らく、アインシュタインは、彼の統一されたフィールド理論について、同じような個人的な恐れを持ったのかも知れないと、彼等は主張します。²⁹(N.B. 同時にそれ[より完全な/技術開発可能な理論]は、ソ連のコザレフ博士の様に、軍事機密化されたのかも知れません。

それらの(理論の)撤回のための、人道的な理由として、これ(アインシュタインの平和主義)がどれだけもっともらしい様に見えたとしても、アインシュタインが提案したその理論の(幾つもの)ヴァージョンは、量子力学の強い力(作用)と弱い力を含ませられなかったために、単純に、理論的には不完全であった事には、絶対的に揺るぎありません。それらの理論は、理論(論説)として不完全で、この事実を迂回する方法はありません。そうであれ、それらの幾つかは、その他よりも不完全では無く、そしてこれは、その大胆な概要を共にした、1928年ヴァージョンの場合において当てはまりました。ですから、その理論の「完全性」に関するアレンデの主張のための、異なった説明が必要です。

アレンデは科学者では無く、そして故に、完全な理論と、技術開発可能な理論の間の違いを理解出来たとは考え難いでしょう。此処までの論議を通して私が示唆した様に、その理論の「完全性」は、アインシュタインによって供給されたのでは無く、回転/旋回している電気的で、シンクロ的な(同時的/静止軌道を回る)機械とシステム(回路)の異例的で「(微妙な)歪み」とエネルギー(電力)の出力(i.e. オーヴァー・ユニティー/入力よりも出力が大きくなる現象)の説明の方法として、テンサー・トランスフォーム(転換/変換)を応用した(ガブリエル)クロンによってでした。³⁰ その理論の「完成形」のアレンデの主張のために人が探さなければならないのは、この技術開発の可能性の感覚においてです。
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29 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 95.
30 私が知る限り、そのフィラデルフィアの実験に対して、ガブリエル・クロンを直接結びつける証拠はありません。ですが、技術開発と数学的な背景を共にした人なら誰でも、ほぼ間違いなく、彼の研究の重要性を理解し、そして、更に加えて、その中に多くの戦時中の(兵器)研究の可能性の鍵を見出したでしょう。主張された状況は、言葉を変えると、合理的で科学的なものですが、実証証拠的なものではありません。これは、次の章の中の状況でも同様で、コルムとダウムは、クロンが関わっていたと主張しますが、何らかの状況証拠は供給しません。


ですが、どんな場合であったにせよ、バーリッツとモーアーは、アインシュタイン博士が、彼の死去の二年前に、

「電磁力と重力/引力の力(作用)の間の関係の数学的な証明を見つけるための彼の探求における、『高度に説得的な』結果として彼が言及したものを、世界に向けて公表しました。1925年におけるアインシュタインの統一されたフィールド理論の完全性に関するアレンデの明言を頭に入れると³¹、この最後の理論が、『人道主義』の理由のために『撤回(隠蔽)』されたとアレンデが述べる、より以前のヴァージョンに本質的にとても緊密に類似した従兄弟(延長線)だったと記述する事は重要です³²、」と指摘します。

「Humantics (人道主義)」は、彼の完全な理論を公に公開する事についての、アインシュタインのモラル的なためらいを示唆するために、アレンデが使用した奇妙な単語(造語)です。

その理論の、この1928年ヴァージョンの一つの効果は、「純粋で、重力的なフィールドは、電磁的なフィールドが無くても存在出来ますが、純粋で、電磁的なフィールドは、追随している重力的なフィールド無しでは存在出来無い」と言う事でした。³³ 言い方を変えると、その1928年のヴァージョンへと、トーション・テンサーを含ませた一つの効果は、十分に強力で電磁的なフィールドが、通常は、強力な重力フィールドの中で経験された、時空間の繊維(格子構造/エーテル)の折り畳み、重なり合い、そして螺旋化(e.g. アルミ缶を雑巾の様に絞る例え)を誘導する事が出来ると言う事です。

バーリッツとモーアーの、統一されたフィールド理論の解説の中には、もう一つの関心の最終的な題材があります。

「この時点において、恐らく興味深いのは、しかしながら、1956年4月のニュー・ヨーク・タイムズ紙の小さな『(記事/コラムを)満たした』文章で、それは、マリーランド大学の物理学者、パーヴィス・マラット博士が、『故アルバート・アインシュタイン博士の有名な統一されたフィールド理論を、部分的に確認(実証)し』、そして『アインシュタインの最新の(最後の)、そして最も急進的(大胆)な理論がクリティカル(決定的/きわどい)試験の一つの段階を、合格点を共に実証された、』と報告しました。それらの『クリティカルな試験』の本質は、公表され無いままでした。」³⁴
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31 此処で再び、バーリッツとモーアーの分析的な技術が、彼等から離れてしまった様です。1925年においてアインシュタインが公表した論文は、その理論の1928年ヴァージョンの完成度の度合には、全く似ても似つかないものでした。実際に、1925年の論文の中で、アインシュタインは、統一されたフィールド理論へのアプローチング(接近の仕方)のための、可能な方法論を概要する事を試みるだけに留まりました。1925年の論文は故に「(事前)探求的な論文で、そしてそれを読むと人は、この性質を殆ど直ぐに知覚出来ます。バーリッツとモーアーの此処におけるコメントが故に、重要な問いを台頭させるのは、アレンデの手紙が、アインシュタインの理論の特定のヴァージョンに対して一度も言及しないためです。最も可能性が高い候補が、1928年ヴァージョンなのは、これが、クロンの論文の示唆を同時に認識した人達によって、技術開発可能な理論として理解されたはずであるためですが、バーリッツとモーアー自身は、何故彼等が、それが1928年ヴァージョンだったと考えたのかを、説明する事も、論議する事も、全く行いません。
32 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 101.
33 Ibid.
34 Ibid, p. 102.


実際に、理論的な物理学の発展のあらゆる近代の歴史において、この実験の何らかの記述を人が探すのは無駄な努力です。その理論は究極的に、後の試験において失敗したか、またはその結果が意図的に隠されたかのどちらかでしょう。

私達は此処で、フィラデルフィアの実験の歴史の背景の私達の検証が完結する処に辿り着き、そして私達は、終に、その実験自体の詳細へと取り掛かるでしょう。バーリッツとモーアーの本の中にそれらが含まれるものとして、それらを検証するにおいて、私達は4つの分野に集中しましょう:

1)その試験の船、米国駆逐艦(U.S.S.)エルドリッジ、DE 173 号の履歴;

2)モーアー-「ラインハート」のインタヴュー;

3)トマス・ブラウン・タウンゼントの関連性;そして最後に加えて、最も重要な事に、

4)モリス K. ジェセップ博士に対する、カルロス・ミグエル・アレンデの手紙です。

この概要に引き続くにおいて私達は、その1928年の統一されたフィールド理論の光(優れた点)におけるそれらの可能で科学的な正確性と同時に、始め(初段階)から、実験の一連を確立する行程におけるそれらの正確性のために、検証される事が可能な詳細を引き出す事に集中しましょう。私達は故に「概念の証明」の(小規模な)実験、または実験の一連、そしてその後の完全規模(大規模)な実験のヴァージョンの示唆のために調査しましょう。従って、私達はまた、何故それら(の実験の結果)が、予測されたものからは、異なった種類では無く、度合でしたが、(米国)海軍が予期したものでは無かった(事故だった)とアレンデが主張した事を確かめるために、元々の概念的な土台を探しましょう。

E. The History of the U.S.S. Eldridge, DE 173
E. 米海軍駆逐艦 エルドリッジ DE 173 号の歴史     136


フィラデルフィアの実験のための試験船(駆逐艦)だと主張された米国海軍(U.S.S.)エルドリッジ DE 173 号は、1943年の2月に着水させられ、その年の7月に、その後、実用化されました。彼女(その船)は、バリーリッツとモーアーによると、彼女の艦長、チャールズ R. ハミルトン大尉が指揮を執った1943年8月27日に、実働化しました。³⁵ 彼女(エルドリッジ号)の公式な(軍事)航海の記録によると、彼女は(第二次世界大戦の)ヨーロッパの戦場が終わるまで、大西洋において奉仕(従軍)し、そして太平洋の劇場(戦場)へと配置転換され、其処で彼女はその戦争が終わるまで、其処において奉仕しました。
_____
35 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 106.

そのエルドリッジ号は、1946年6月17日に引退宣言され、1951年まで、(米国)海軍の予備戦力として残されていましたが、1951年において、Mutual Defense Assistance Program (共同防衛補助計画)の一部として、彼女が最終的にギリシャに売却され、其処で彼女は、リオン号(ライオン号)と改名されました。³⁶

しかしながら、バーリッツとモーアーが観測する様に、「エルドリッジ号のこの都合の良い公式な(表向きの)歴史は、「アレンデの逸話の光(情報)の下において」見解されると、多大な埋め合わせと改竄(かいざん)が見受けられます。³⁷ (米国海軍/S.S.)アンドリュー・ファーウセス号の乗組員だったと彼等(バーリッツとモーアー)が突き止めたアレンデは、その両方の船が1943年において、海上における(大規模な)実験を観測したと、鮮明に明言しました。ですから、言い方を変えると:

「もし、エルドリッジ号と、S.S. ファーウセス号が、同じ位置におり、カール M. アレン(アレンデ)がファーウセス号の乗組員の一人だった期間の間のたった一日の日付だけでさえも証明される事が出来れば、すると彼の逸話に対して実に最小限でも現実味の可能性の空気を加えます。もう一方で、もしその様な(船の)配置の類似性が全く証明され無いなら、アレンデの逸話は重大に(そして恐らく決定的に)ダメージを受けます。」³⁸

U.S.S. エルドリッジ号の整理整頓された歴史は、共同著者であるウイリアム・モーアーが、その2隻の戦艦のログ(日誌)を手に入れようと判断した時に明かされ始めました。

この調査から結果したものが何だったのかと言うと、公式な記録と共に「全てが正常では無い」と言う鮮明な示唆だったのは、モーアーが以下を発見したためで

「(1)コミッション(任務命令)の日付(1943年8月27日)から1943年12月1日までの、エルドリッジ号のデック・ログ(航海日誌)は「消失していて、そして故に確認不可能で」:そして(2)ファーウセス号の航海日誌は「大統領令によって破壊され」そして故にもう既に存在していませんでした。」³⁹

もしその2隻の船の航海日誌が実際に、「大統領令によって」破壊されたなら、するとその実験の隠蔽は明らかに、(米国)最上層部と最深層部まで辿り着き、ホワイト・ハウス(大統領府)のオーヴァル・オフィスとフランクリン・デラノ・ルーズベルト(大統領)自身の拘わりを示唆しています!
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36 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 107.
37 Ibid.
38 Ibid.
39 Ibid., pp. 107-108, emphasis added.


明らかに、それらの2隻の船を含んだこの期間の間に起こった事が一体何だったにせよ、(それは)正しく異例的で、通常の戦時中の作戦の、基準的な記録の必要条件を更に超えていたのは、そうで無ければホワイト・ハウスが直接的に拘わるはずが無かったためです。

ファーウサス号の親会社、マトソン海運会社によると、彼女は「この時系列において、北アフリカへの2度の航海を行っており」、一つ目の航海は、彼女がニュー・ヨークからノーフォークへと航海し、そしてその後、北アフリカへのアメリカ兵達の上陸の補佐において、北アフリカへの護衛船団に参加した、1943年8月13日に始まりました。二つ目の航海は、アルジェリアのオーランのフランス領の港へと、再びもう一度、ヴァージニアから彼女が航海した、1943年10月25日に始まりました。⁴⁰

そしてこれが、両方の船の公式な記録の間に矛盾がある処なのは、

エルドリッジ号の海軍省の公式な記録によると、その船は1943年7月25日に、ニュー・ジャージー州のニューアークにおいて着水され、そして1943年8月27日に、ニュー・ヨーク海軍港において任務命令されました。彼女の試験航海は9月の初めに始まり、英公領西インド諸島の、バミューダ海域において行われ、そして12月28日まで継続されました。それらの同じ記録は、彼女の最初の米国海域外の処女航海が、1944年1月4日に始まり、ニュー・ヨークの港における彼女の到着と共に、2月15日に終了した事を示唆します。」⁴¹

故に、もし人がそれらの2隻の船の公式な記録を、表面上の評価で受け入れるなら、それらは1943年においてお互いの近くに全く位置しておらず、そして成行きとして、アレンデの逸話の信憑性は、重大な疑問視へと呼びこまれるでしょう。

しかしながら、バーリッツとモーアーが指摘する様に、「それらの船の航海日誌の(大統領令による)謎めいた不在は」その2隻の船の公式な記録の上に、「特定の疑いをかざします。」⁴²
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40 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 108.
41 Ibid.
42 Ibid., 109.


「そのパズル(謎)へと当てはまる、一つ目の消失している欠片(情報)は、公式な歴史を完全に否定する様な、エルドリッジ号についての、以前には機密化されていた欠片の発見と共に、とても予想外な処から由来しました。問題のその書類は、船団規則と共に従うにおいて、1943年12月14日に、エルドリッジ号の艦長によって記載された、海上船による、対潜水艦の(軍事)行動についての報告で、そして北大西洋において、11月20日に起こった軍事行動に関係していました。公式な歴史によると、エルドリッジ号は、1943年9月の初頭から12月の後期まで、バミューダ(海域)の付近においてシェークダウン(試験運転)の航海を行っていて、そして彼女の最初の(米国)海域外の処女航海は、1944年1月4日に始まりました。その船の艦長、C.R. ハミルトン大尉によって記述された軍事行動報告書によると、エルドリッジ号は、UGS 23 護衛船団に参加する中、(米国に向かって)西向きに航海している最中の、1943年11月20日の午後、現地時間、1:30 P.M. の直後に、敵国の潜水艦と疑われたものに対して、7発の水中爆雷を落とし(発射し)ました。その報告書の中に記述されたエルドリッジ号の位置は、北緯34度03分、西経08度57分で - それは、北アフリカのカサブランカの海岸線のたった200マイル沖で、そしてバミューダからはおよそ3,000マイル離れた位置に、その船を配置させる座標でした!」⁴³

言い方を変えると、エルドリッジ号の公式な歴史は、バミューダにおけるその試験運転を隠蔽する事を試み、その間ファーウセス号とカルロス・ミグエル・アレンデは、何千マイルも離れていました。この公式な逸話は、それらの発見を共に、後の章の中で私達が目撃する様に、更に深く疑問視される様に成ります。

この時点においてしかしながら、再びもう一度公式な歴史を完全に覆す新たな情報の欠片が浮上し:エルドリッジ号の技術開発者の日誌でした。それらの日誌は、エルドリッジ号の位置の記録を含んでいて

「問題の、航海日誌の記録からは消失している日付でした。ほぼ同時に明るみに出た、これとその他の書類は、エルドレッジ号が実際に、10月の終わりに、南方から発達した季節外れのハリケーンによって、海路から外れる事を余儀なくされた GUS 22 船団を護衛するために、11月2日に(ブルックリン/ニュー・ヨークから)出港した事を証明します。これが正しく重要な情報の欠片だったのは、その問題の護衛船団が、S.S. ファーウセス号の船団以外のなにものでも無く、それが10月25日に、ノーフォーク-リンヘーヴン・ローズを出港していたためです!そして更に重要な事に、ファーウセス号は、その護衛船団の最後尾を航海していて、(ハリケーンに影響された)船を一つの船団にまとめようとしていた際に、ほぼ間違いなく、DE 173 (エルドリッジ)号を目視しました。
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43 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 109, emphasis added.

更に加えて、11月20日のカサブランカ(北アフリカ)沖のエルドリッジ号の位置は、エルドリッジ号が、北アフリカまでの全行程において、ファーウセス号と彼女の GUS (22)護衛船団に(東向きに)追随し(その護衛船団は11月12日に其処[北アフリカ]に到着した事を思い出して下さい)、そしてその軍事行動報告書の中で彼女(エルドリッジ号)が、潜水艦に出くわしたと記録された時、彼女は USG 23 (船団)を護衛しながら母国(米国)に(西向きに)戻る最中でした。およそ34年間、機密化されていた、この軍事行動の報告書の発見が無ければ、この全ては闇に包まれたままでした。」⁴⁴

私達が有するものに着目して下さい:エルドリッジ号からの消失している航海日誌、「大統領令によって」破壊されたファーウセス号からの日誌、そして両方の船の整理整頓された公式な歴史とは完全な矛盾にある、エルドリッジ号からの(艦長の)軍事行動報告書と技術開発長の日誌で、それらは実際に、両方の船をお互いに対して近い距離(海域)に配置させます。

これは関連した問いを浮上させ、そしてバーリッツとモーアーはそれを直ぐに指摘し:もし、公式な歴史と、エルドリッジ号の軍事行動報告書と技術開発長の日誌の間にその様な大々的な矛盾が一つでもあるなら、その他にもある可能性は無いでしょうか?と尋ねました。⁴⁵ ですが其処にはまた、その他の疑問がありました。例えば、米国海軍が、「電磁的な不可視(ステルス)の様な、危険で、大胆で、そして明らかに最上級機密の実験を、その様な状況の下で、そして護衛船団の全体の目の前で試みる危険を冒す可能性はあるでしょうか?確かにその様な可能性は低い様に見受けられます。」⁴⁶ ですがそれは、その実験の元々の目的が不可視(レーダー・ステルス)で、それ以外のなにものでも無かったなら、唯一可能性が低いでしょう。私達がずっと主張してきた様に、そしてコロラド・スプリングス(の戦争記念公園)において、空軍兵、ヒューズとデーヴィスと対話した見知らぬ人が示唆した様に、その実験の結果は予想されたものでは無く、そして事故的でした。ですからもし、海軍が実際に、その護衛船団の航海の途中に何らかの実験を行ったとして、達成されるべき結果が一体何だったにせよ、(その実験が)その他の(周りの)船から観測されるとは全く予測されていませんでした。言い方を変えると、バーリッツとモーアー自身によってある意味造りだされた印象とは対照的に、不可視は始めからその目的ではありませんでした。

ですがこれ以上に、それらの発見によって台頭させられた問題が更にあります。
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44 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 110, emphasis
added.
45 Ibid.
46 Ibid.


「・・・アレンデは、その実験が、フィラデルフィアの埠頭内において、そして - 恐らく(米国)本土沖の - 「海上」において行われたとはっきりと示唆する様です。彼の日付 - 10月の後半は - その護衛船団の作戦と一致する様ですが、その他の状況(詳細)は一致せず;特にエルドリッジ号は、GUS 22 に参加するために、フィラデルフィアでは無く、ブルックリンから出港したためです。実際に、彼女がニューアークにおいて建設中だった期間を除いて、エルドリッジ号がその問題の期間に、フィラデルフィア地域内、または付近にいたと示唆する、その船の記録は何処にもありません。」⁴⁷

その実験のために、アレンデによって明言された日付の時に、エルドリッジ号が、フィラデルフィアの付近の何処にも全く現れなかった(いなかった)事実の他に、その他の事実が浮上しました。

バーリッツの共同著者、ウイリアム・モーアーは、その戦争(第二次世界大戦)の最中に、「1943年の最初のハリケーンの季節 - その年の7月の終わりか、8月の初めだったはずであると、その人が感じる日付に、エルドリッジ号をバミューダ(海域)に位置させる事を思い返した」、元司令官からの手紙を受け取りました!⁴⁸ その元司令官がその出来事を覚えていたのが何故なら、エルドリッジ号が(伝達用の)シグナル旗を掲げない処か、その海域にいたあらゆるその他の船に対して接触(通信)を全く試みなかったためでした。⁴⁹ もしこれがそうであったなら、その DE 173 (エルドリッジ号)は、「その船の乗組員が任命される遥か一カ月前に」、公式記録では、その船の建造が完成されつつあったとされる期間に、(ニュー・ジャージー州の)ニューアークにおけるその着水のたった数日後に、バミューダ(海域)において姿を現しました!⁵⁰

もしその元司令官の証言が真実であれば、その示唆は鮮明で:エルドリッジ号は、公式な歴史が記録するより以前に、着水して(航海開始して)いなければなりませんでした。⁵¹ その後、バーリッツとモーアーは、戦後にその駆逐艦を最終的に購入した、ギリシャ海軍の記録を発見し、それはその DE 173 号が、1943年の7月25日では無く、6月25日に実際には着水させられた事を示唆しました!そして、そのギリシャの記録には、高度に重要であると証明されるその他の事がありました。そのギリシャの記録によると、エルドリッジ号が完全装備されたなら、(総重量は)1520トンでは無く、1900トンでした!彼等(バーリッツとモーアー)が妥当に観測する様に、「1隻の船が、380トンの浮上力を得る唯一の方法は、ギリシャ人達に対してその船が売却された時以前に、同等の重さの何かが(その船から)取り外されなければならなかった」と言う事でした。⁵²
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47 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 110-111.
48 Ibid., p. 111.
49 Ibid. p. 112.
50 Ibid.
51 Ibid.
52 Ibid.


それは一体何だったのでしょう?バーリッツとモーアーは、あからさまな答えを供給します:「恐らく(380トンの)電気的な機器だったのでしょうか?」⁵³ 故に、U.S.S. エルドリッジ号の着水から、1933年(sic./1943年)1月までの公式な歴史は、その船の正真正銘の歴史では全く無く、ほぼ間違いなく不自然である(改竄されている)と言う結論は回避不可能です。⁵⁴

U.S.S. エルドリッジ DE 173 号
1 エルドリッジ

この時点において、モーアーは、(それまで)有力な情報提供者でしたが、その人が述べていた事以上に、(本当は)もっと知っていると疑われた海軍内部の彼(モーアー)の情報源の一人に対して、その DE 173 (エルドリッジ)号の実際の記録と、公式な歴史の間の矛盾を尋ねようと決めました。彼の情報源は、対話する事には同意しましたが、匿名性を唯一の条件としました。
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53 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 112.
54 Ibid.


その戦争(第二次世界大戦)の間に、実験の目的のために、一隻の船を誰かがどの様に会得するのかと尋ねられた時に、海軍において司令官の階級を有していたモーアーの情報提供者は、その最も好都合な時期が、その船の実際の完成と、彼女のコミッション(命令委託)以前の間なのは、一度、命令委託されてしまうと、彼女は直ぐに(軍事)作戦的に成り、そして故に海軍の戦略計画の一部に成ってしまうからだと示唆しました。⁵⁵ これは、バーリッツとモーアーが発見した歴史から、その(エルドリッジの)場合に実際に当てはまる様に現れます。その(元)司令官は、「恐らく、2、3週間以上ではありませんが、限定的な期間のために」、海軍が、「フィラデルフィア、またはニューアークから、一隻の船を出港させる事に成功した」と言うのが彼の信念である・・・」と、その後明言しました。⁵⁶

その実験自体については、モーアーの情報提供者は、大西洋の海岸線(米国東海岸)の中間に沿った、デラウェア川に沿って、その実験が行われたと信じました。それらの実験は明らかに、以下を含んでいました

レーダー探知の機器に対する、強力で、磁気的な力(作用)のフィールド(磁場)の効果です。私がそれについて、またはその最終的な結果が何であったかについて、貴方に多くを伝える事が出来ないのは、何故なら私が知らないためです。私の予想は、そして私は予想である事を強調しますが、そのフィールド(強力な磁場)を通してラジオ(電波)と、低周波数と高周波数の(フリクエンシー/振動率)のレーダーの両方が反映(放射)された時に、「反対側」の上で何が起こるだろうと確かめるために、その海岸線に沿って、そして何隻もの船舶の上に、可能な限りの探知の機器のあらゆる種類を積み込む事でした。疑う余地無く、そのフィールドの、肉眼に見える範囲の光に対するあらゆる効果がまた観測されたでしょう。あらゆる出来事においいて(それが何だったにせよ)、完全な(レーダーの)吸収と同時に反射(ステルス)について多大な実験が行われていた事を私は知っており、そしてこれがこの様な実験と結びつくのは確かな様です。」⁵⁷

これは、その実験の元々の目的が一体何であったのかの最初の実際の示唆で:その実験は、レーダーの反射、または更に完全な吸収の可能性を試験するために計画され - 言葉を変えると、レーダー・ステルスで – そして光学的な不可視(i.e. 肉眼には見えない範囲の光)はその目的ではありませんでした。科学的な見解から、次の章の中で目撃される様に、これ(レーダー・ステルス)は可能なだけでなく、全ての可能性において、その実験の元々の概念的な土台であった可能性が高いでしょう。

ですが同等に、その匿名の元司令官がまた明言する事に着目してもらいたいのは:(米国)海軍が、「(レーダーの)完全な吸収と同時に、反射」についての「大規模な研究」を行っていた事です。そのフィラデルフィアの実験は、言い方を変えると、より大きな、そして明らかにとても大規模な計画、または計画の一連の一部でした。
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55 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 113.
56 Ibid., p. 114.
57 Ibid., p. 115, italicized emphasis in the original, bold and italicized emphasis added.


これは(歴史に詳しく無い人には)不可能な様に聞こえるかも知れませんが、それはもし人が、当時の(第二次世界大戦の)戦時中のコンテキストへと、それを位置付けると、実際に理解する事が難しいものではありません。ドイツ人達は、海域と空域において益々増えている連合軍の圧倒に対処するべく、そして米国は迫りくるヨーロッパ本土の(ナチス・ドイツの)侵略に準備するために、反射と吸収の両方の、実用的なレーダー・ステルスの性質を研究し、達成するために、米国とドイツの両方が、凄まじい資金を消費していたためです。米国の場合において、着水させられたばかりの駆逐艦(エルドリッジ号)の配備(利用)は、迫りくる侵略の間に、多大な利益(情報/データ)を供給し、人命と資源を救う(守る/保存する)事が出来る(レーダー・ステルスの)実験における、とても小規模な(たわいもない)投資として見解されたでしょう。もし「概念の証明」の(小規模な)実験が成功的で – そして実験の(大規模な)この段階へと、その実験が進められるためには、それらの(小規模な)実験が成功していたはずですが – その後のその実現化への DE 173 号への投資は、支払うための小さな代価(犠牲)だったでしょう。その海軍の(戦時中の)行動は、全く正当化可能で、そして合理的です。

しかしながら、モーアーの匿名の海軍の情報源はその後、情報の追加的な破片を提供します:

「私が貴方に伝える事の出来る一つの事は:この様な本質の何らかの実験的な研究が、その船(エルドリッジ号)が命令委託され、そして乗組員達が配置された後に、行われた可能性が非常に低いと言う事です。その様な事は - 特に、海上における護衛船団(の任務に)に就いている際に - 行われるはずはありませんでした。(19)‘43年において、この種の研究を行っていた誰かが、数百トンの貴重な電気的な機器を、大西洋のど真ん中における、ドイツの潜水艦(U-ボート)の艦長の御慈悲の前にさらけ出す危険性を冒す事は、絶対的にありませんでした。」⁵⁸

その匿名の海軍士官(元司令官)によると、その「海上における(大規模な)実験は、米国の(東海岸の)海岸線の付近で行われただけで無く、更に加えると、その(米国)海軍が、護衛船団の任務の最中にそれ(実験)を行う危険性を犯す事など決して無く、それは明らかに、アレンデの逸話に矛盾します。ですから、もしアレンデの逸話が正確で – そして少なくとも彼(元司令官)の科学的な情報に関して私達が目撃した様に - その海軍の士官(元司令官)の逸話が同様に正確ならば、それは可能なだけで無く、実際に彼(元司令官)の信憑性を強調させますが - そうであるならば、人はどの様に、「海上」で起こった事(大規模な実験)と、そしてアレンデが目撃した事を説明すれば良いのでしょう?その(米国)海軍は、一体何を行っていたのでしょう?
_____
58 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 115.

その逸話の研究者達によって、頻繁に見過ごされる一つの可能性は、その(米国東)海岸線に沿った、エルドリッジ号を伴ったその実験が、レーダーの反射、そして恐らく吸収の度合(ステルス)を含み、とても成功的だったのかも知れないと言う事です。恐らくその実験は最大出力においては行われず、そしてそれらの実験の最中に起こったとアレンデと、空軍兵士、デーヴィスとヒューズの謎めいた見知らぬ人が報告した有害な効果は起こらなかったのでしょう。更に加えて、科学者達による、厳戒な管理の下で、その実験からのあらゆる健康被害の可能性は回避されたのかも知れません。この場合において、大規模化(実用化)された「概念の証明」の実験を成功的に完了すると共に、そのエルドリッジ号は、彼女のレーダー反射の機器を未だに積んだまま、護衛船団の任務へと解放されました。故に、ドイツの潜水艦との接触の際に、エルドリッジ号の艦長は、その船の特別な機器(レーダー探知)が彼に与えた保護(防衛)の追加的な対策を取ったのかも知れません。ですが - 厳格で科学的な管理の欠如、またはその他の知られざる要素の存在か - その理由が全く何であったにせよ、その実験は、その乗組員達が報告した悲惨な効果の全てを共に、レーダーの吸収(ステルス)だけでは無く、実際の光学的な不可視(肉眼では見えなくなる現象)を達成し、其処で「暴走」しました(事故を起こしました)。もしくは、恐らく、その大規模化された「概念の証明」の段階において、その実験が成功的に完了されると共に、その(米国)海軍はその概念を、最大出力において、そして戦闘中の状況の(仮定)の下で試験する事を判断したのかも知れません。ですが、どんな場合であれ、その実験の元々の概念的な土台が何であったのかの最初の示唆を私達は此処で有し:それは、レーダーの反射と吸収についての、強力で磁気的なフィールド(磁場)の効果を試験するためにデザイン(計画)されたもので、2つのとても重要な手掛かり(反射と吸収)で、そして私達は次の章の中で、それらの種の可能性と、それらの手掛かりについて、更に述べる事があるでしょう。

F. The Moore-“Rinehart” Interview
F. モーアー-「ラインハルト」のインタヴュー     145


それらの見解のために協力的な証拠の多大な量は、仮名的に「ラインハルト博士」として知られる情報源と、ウイリアム・モーアーが行ったインタヴューの中で供給されました。バーリッツとモーアーが、「フランクリン・レノ博士」と言う仮名の下でアレンデが言及したこの情報源を追跡したのは、⁵⁹ アレンデが彼の手紙の中で、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論が、「とても短期間の内に・・・そのあらゆる、そして全ての可能性を急いで利用するための見解と共に・・・完全な(集合数式の)再確認」が行われたと示唆したためで、⁶⁰ 彼等がそうする(情報源を追跡する)事が不可欠に成ったためでした。ウイリアム・モーアーは最終的にそうする事に成功し、そして「ラインハルト博士」の仮名的な存在の理由が明らかに成ったのは、ラインハルトが、
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59 この奇妙な仮名の全体的な逸話については、Berlitz and Moore の、 The Philadelphia Experiment, pp. 117-121. を参照して下さい。
60 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 117.


「彼自身のために(そして恐らく彼の身の安全のために)、彼が知り過ぎていたと、彼が疑い始めた時に、彼を最も脅かすと思われた組織の一部から、彼自身を隠す事を選択しました。その後の数年間、彼は優秀で、未来有望な科学的なキャリアを諦め、(米国)大陸の都市部からは人里離れた丘陵地域の間に隠された、小さなバンガロー(山小屋)に彼自身を隠し、世捨て人の生活を生きる事に満足し - 唯一、生活必需品などが必要な際にだけ、または古い友人や、昔の同僚を訪問するために、更に、極まれに、外出しました。」⁶¹

彼よりも以前のジェセップ博士と同様に、ラインハルト博士は、もし彼が(表舞台の)目立ち過ぎる生活を続ければ、彼に(暗殺などの)不幸が訪れると疑っていました。

調整と準備の数か月の後、「ラインハルト博士」は、ウイリアム・モーアーとのインタヴューに同意しました。⁶² バーリッツとモーアーによって行われたその他のインタヴューとは異なり、「ラインハルト博士」のインタヴューは、どちらかと言うと一人語りで、モーアーは、2度、3度問いを尋ねるため以外に、(独白を)中断させませんでした。そのインタヴューは、講義の様な特徴で、実際に、「ラインハルト博士」は、彼が出来る限り慎重に多くを明かすと同時に、更に慎重に遠くに行き過ぎる(言い過ぎる)事を避けようと試みていました。

以下に続く引用は、すると(当然)、私達が立件している件に対して重要です。それらは全文において引用され、そしてその後、それぞれの部分の後に、端的なコメントが与えられるでしょう。

「ラインハルト博士」は、その実験がどの様に実現化したのかを概要する事によって(語り)始めます:

「私は、海軍の士官達がその中に参加した事を私が覚えている、戦時中の会議の印象を持っています。貴方が関心を示されている計画に対する関係において、その発端は、はっきりと、1943年よりも以前で、軍事的な応用を考えていた物理学者達とその他の者達によって、アインシュタインにもたらされた物理学的な理論におけるアイデア(発想)を、彼(アインシュタイン)が考え(研究し)始めたのは、恐らく1939年か1940年程早期だったと、私の記憶は示唆します・・・
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60 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 117.
61 Ibid., p. 120.
62 Ibid., p. 121.


「・・・私が思うに、ある程度の正確性を共にして、その提案を発端させたのは、アインシュタインと(ルドルフ)レイデンブルグだったと、私は言う事が出来るでしょう。私はどちらの名前が(発案者として)最初に名指しされるべきか知りませんし;そしてその『Blank (ブランクと言う苗字、または空席と言う意味)』が、アインシュタイン、そしてレイデンブルグだったとしても、ブランクさんの正体を思い出す事は、今の私には出来ません。」⁶³

この告白は、2つの詳細において、とても真実的だと警告の鐘を鳴らします。

最初に、第一部の中で私達が概要した様に、ナチスのベル、またはフィラデルフィアの実験の様な、あらゆる実験は、様々な小規模化された「概念の証明」の実験において、概念を試験するためにデザイン(計画)された、元々の(小規模な)段階を有していたはずです。そのフィラデルフィアの実験が、1943年の夏の間に起こったとする、知られている、そして主張された事実のための時間の枠組みが与えられると、「ラインハルト博士」の時期についての記憶が正確で、そして合理的なのは、それらの概念の証明の実験が、実際の完全規模の実験の、少なくとも一年から二年前に、計画され、準備され、そして実行されなければならなかったためです。

しかしながら2つ目の、そして更に重大な要点は、アインシュタインとルドルフ・レイデンブルグ(1882-1952年)を名指しした事です。レイデンブルグは、X-線の発見で有名な、ウィルヘルム・レントゲン(Röntgen)博士の指導の下、ヘイデルブルグ大学における物理学部において勉学し、彼の博士号を取得しました。ブレスラウ大学の物理学部において短期間過ごした後、レイデンブルグは、ベルリンの由緒ある皇帝ウィルヘルム研究所の物理学部門の主任に成りました。彼の専門学科は、原子的なスペクトル(分光)の撮影(スペクトログラフ/観測/探知)における(光の)分散の線(方向)を探知する事でした。

しかしながら、レイデンブルグが実際に、ドイツ軍において従軍した期間である、第一次世界大戦の間に、彼は敵国の大砲の武器の位置を探知するために - 光学的、音響的、振動的、そして電磁的等々の – 方法のあらゆる可能性を探求した、大砲(砲撃)の試験の委員会(研究所)をベルリンにおいて設立し、探知の音響的な方法が最終的に、最前線における使用のために導入されました。⁶⁴ ナチス時代の到来以前の戦前(第二次世界大戦以前)に米国(U.S.)に移民し、レイデンブルグはまた、地雷と魚雷に対する事前対策の分野において、米国の軍部のために働きました。彼はまた、「空中の反射効果(ステルス)」の開発の上で、ジョン・ヴォン・ニューマン博士と、アインシュタイン自身と共に研究しました。
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63 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 123, emphasis added.
64 https://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Ladenburg


ネット上の事典、ウィキペディアの記事によると、レイデンブルグは、1940年のある時点において、光を屈折させるためにデザイン(設計/意図)されたフィールドの、必要とされた強さを証明するために、デザイン(開発)された計算(数式)のために相談されました!⁶⁵ フィラデルフィアの実験から求められた一つの結果が、レーダーを反射する(ステルス効果)だけで無く、恐らく標的から(ミサイルや砲弾)の投射物を回避する(標的に当てさせない)ために、十分な強さのフィールドだったと、以前(上述)に明言された事を思い出せば - そしてレイデンブルグと言う人物についてこれを知っていれば、彼が正にその様な計画のために極度に合理的(最適格)な選択肢だったでしょう!

更に加えて、アインシュタインとの関連性におけるレイデンブルグの、「ラインハルト博士」の記述(明言/名指し)は、再びもう一度、見解されている統一されたフィールド理論のヴァージョンが、1928年のヴァージョンで、その時空間の捻られた(e.g. アルミ缶を雑巾の様に絞る)トーション・テンサーを共にした、更にもう一つの示唆です。アメリカ合衆国(USA)の誰かが、電気的な機械の、ガブリエル・クロンのテンサー分析の一線に沿って正しく考えており、そして軍事的な応用(兵器開発)が、それから可能だったのかも知れません!

ウィキペディアの記事における、ジョン・ヴォン・ニューマン博士の記述が同様に重要なのは、「ラインハルト博士」が、明かされている逸話における彼の役割を明かすためです:

「恐らく間違いなく話題に上がっているものである、ある提案の上で、ヴォン・ニューマンは、彼が述べている事が、今回の、または次の戦争についてなのかを、海軍の幹部によって尋ねられました・・・

「どちらであったにせよ、この提案について Albercht 博士に対して相談したのはヴォン・ニューマンで、そして海軍研究実験所(the Naval Research Laboratory/NRL)から、未来(その後)の協力(i.e. 予算提供)の示唆を会得した(説得した)のは、彼等の内のどちらかでした。⁶⁶ その提案は、何年も以前に、ソレノイド・クロノグラフ(the solenoid chronograph/電磁時計)の設計と実験の間に、(有名なアメリカ人の理論的で、実験的な物理学者である、ロバート・ハリントン・ケント、1886-1961年)物理学者、R.H. ケントによって発展させられたアイデアに部分的に重なりました。もしあなたが、ソレノイド・クロノグラフの原理について考えれば、あなたは何故、それ(電磁時計)との研究が、電磁的なフィールド(電磁場)の利用によって、ミサイルの(レーダー)探知と防衛についてのアイデアのあらゆる種類を示唆するのかを理解するでしょう。」⁶⁷

この時点においてモーアーは、「ラインハルトは明らかに、ソレノイド・クロノグラフとは何かを、私が知っていたと推測しました。私は知りませんでしたが、この時点における中断は必要が無いと判断しました」と、付け加えます。⁶⁸
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65 https://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Ladenburg
66 Dr. Albrecht は、「ラインハルト」によって使用された、もう一つの偽名です。
67 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 125.
68 Ibid.


ですが明らかに、モーアーが(ソレノイド・クロノグラフが何かを)全く見つけなかったのは、バーリッツとモーアーの著書の中でそれが再び記述される事が全く現れなかったためです。その問題のために追求すれば、ロバート・ハリントン・ケントの名前によって与えられた重大な手掛かりも、追及されませんでした。

ですから再び、それらの新たな手掛かりが端的に思考されるために、一時停止が必要です。ソレノイド・クロノグラフはそれらの証明の場(実験場)において、大砲の砲弾の正確性を試験し、証明するために、軍部の軍需品調達の部署(防衛庁/戦争庁)によって設計(開発)された機器です。それは、ソレノイド(電磁石)の特殊な種類以外のなにものでもなく - サーキット(回路)に対して接続された、ワイヤー(銅線)のコイルに通された棒磁石です。誰もが知っている様に、人がこれを行う時、電流が発生させられます。ソレノイド・クロノグラフは単純に、この原則の特殊な応用です。証明のために、大砲に込められる前に、投射物(砲弾)は、軽度に磁気化されます。その大砲はその後、それらのコイルの構成である「スクリーン(電磁幕)」の一連を通してそれ(砲弾)を発射し、それはその後、それら(電磁幕)を通った(砲弾の)通過と、その歪みの角度を測量(計算)されます。その様な細かい測定によって、大砲の正確性が多大な詳細に対して調整される事が出来ます。それは、この原則から、人がどの様に、それ(原理)を拡張し、十分に強い電磁的なフィールド(レーダー防衛)において、投射物(砲弾/ミサイル)が、その標的を完全に見失う程に歪められる(阻止される)かも知れないと言うアイデアに辿り着く一歩手前です。考え方を変えると、そのアイデアはまた、投射物の正確性に多大に影響するその様な方法において、大気自体の弾道の性質(空気抵抗 etc.)を変化させるために、その様なフィールドが利用される事が出来ると言う考え方の一線にいる、物理学者達や技術開発者達が考え出したでしょう。⁶⁹

ですが、ロバート・ハリントン・ケントは、(一体)何(誰)だったのでしょう?十分に興味深い事に、ケントは、「光を屈折させるために十分な、磁気的なフィールドを発生させるためのレゾナンス(共振/共鳴)の原理を利用した」アイデアと共に考え出したとされます。⁷⁰ 再び、それらは、アメリカ人の科学者達が、彼等の(ナチス)ドイツの対戦相手に対して敗けず劣らず、彼等に取って実用化が可能な限り、統一されたフィールド理論における、トーションの示唆の一連を全体として、真剣に受け取っていたと言う事です。
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69 注意深く読んでいる人達のために、これはもし同じでは無いにしても、アラスカにおける軍部のアンテナの設備(High Altitude Auroral Research Project)HAARP (ハープ)の背後に実際にあると幾らかが主張する原則に対する概念と類似しています。
70 Byron Weber, “The Philadelphia Experiment and Johnny von Neumann,” September 26, 2004, www.unexplained-mysteries.com/viewcolumn.php?id=21, p. 2. Q.v. also Berlitz and Moore, pp. 124-125.


そしてそれは、何か他のものの示唆で:1980年代早期の、ロナルド・レーガン大統領の「Strategic Defense Initiative (SDI)/戦略的な防衛計画/スターウォーズ計画」の演説の遥か以前に、第二次世界大戦のるつぼ(真っ只中)から実際に、アメリカの軍部は、大気中、または宇宙空間自体のどちらであれ、カモフラージュ(ステルス)とミサイル防衛の両方の方法として、その媒質(エーテル/プラズマ/イオン/光子 etc.)を「曲げて、そして捻る」ための方法のために、概念的で、そして科学技術的な土台(基礎)の研究を行っていました。私達が直ぐに目撃する様に、「ラインハルト」は最終的にこの結論を肯定しました。

「ラインハルト博士」からの次の告白は、爆弾発言です:

「それについて私が今、思い返すと、レゾナンスの原則の方法により、実験的な目的のために必要な、電磁的なフィールドを産出(発生)させるアイデアもまた、元々、ケントによって提案されたと、私は自信を持って感じます・・・私は、モデル化された実験(i.e. 実際の船では無くむしろ、小規模な模型を使用して行われた実験)に対する関連において、これについて当時、見解されていた幾つかのコンピュテーション(計算)を思い出します・・・私は、その後直ぐに海軍が「主導権を握った」と言う印象を持ちます・・・この計画に対してまた、その後のある時点において、「レーダーのフォイル化(ステルス)」が論議された可能性が高いと私は思います。私は何らかの会議に対する関係において、これを何となく思い出します。」⁷¹

「ラインハルト博士」は、第一部の中で検証された概念に協力証言し、つまり、その様な計画の全体的な概要を確立するにおいて、恐らく試験の水槽の中の、海軍の船の小規模な模型の幾つかを使用しながら、概念の実験の試験的な証明のために、ベンチマーク(基準値)が設定されたはずだと言う事です。更に加えて、「レーダーのフォイリング(包み覆う/ステルス)」がその実験の元々の設計概念の一部では無かった事を、ラインハルト博士が示唆する間、彼の告白のコンテキスト(文脈)は、後に行われた「何らかの会議」において、その計画の開始の直前に、概念的な土台へと含まれたことを示唆します。彼は未だ、その計画の目的として、光学的な不可視(肉眼には見えないステルス)は述べていません。

ですがこれは、その計画の本当の、元々の、概念的な目的が何であったのかの告白と共に、少々後に続きます:

「その始まりから、それは厳密に、攻撃的な脳力(性能)を創造する事における何らかの試みよりもむしろ、防衛的な-対策の種類の計画でした。その元々のアイデアは、船の周りに強力で電磁的なフィールドを創造する方法によって、接近してきている投射物、特に魚雷などを、その船から跳ね返す(遠ざける)ために、強力で電磁的なフィールドを利用する事が目的とされていた様です。
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71 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 126, emphasis added.

「これは、水中においてよりもむしろ、空中(大気中/宇宙)において、類似したフィールドの方法によって、光学的な不可視を産出するアイデアの研究を含む様に延長化されました。」⁷²

そしてそれは其処にありました(終に現れました):その元々の目的は、投射物(ミサイル/砲弾 etc.)の通常の弾道的な振る舞い(方向)を歪めるために、物理的な媒質(エーテル etc.)の上のフィールドの印象(効果)の方法による、投射物の反射でした。これは、「肉眼には見えない硬直性」に関するジェセップのアイデアに対してとても類似していたと、着目されるべきでしょう。更に加えて、その様なフィールドの創造には必然的に、大量の電力と、そしてそれ(フィールド/電磁幕)から結果している正確に計算されたインターフェロメトリー(干渉法)とレゾナンス効果を含んでいたでしょう。従って、「ラインハルト」が示唆する様に、その計画の概念的な土台の論議は、合理的に、そして必然的に、レーダーの反射と吸収(ステルス)と、究極的には光学的な不可視(肉眼に見えないステルス)のアイデアを含むために分岐したでしょう。接近してきている投射物の反射は、(1980年代の)ロナルド・レーガン大統領の「Strategic Defensive Initiative/SDI(スターウォーズ計画)」の、1940年代版です。

「ラインハルト」はその後、何か他のものを露呈します:

「Albrecht が行いたいと考えていたのは、望まれた「ミラージュ(かげろう/蜃気楼)」効果を得るために、光を十分に曲げる(屈折させる)フィールドの強さと、実用的な可能性を確認するために、十分に探し出す(研究する)事でした。その最終的な結果がどの様なものに成るか、彼等がアイデア(発想)を持っていたのかは、神のみぞ知る事でした。もし彼等が(考えを)持っていたなら、それはその場で終わっていたでしょう。ですが、勿論、彼等はそれ(考え/予測)を持っていませんでした(i.e. 方程式が正確ではありませんでした)。」⁷³

言い方を変えると、レーダーを屈折させる、または反射させるアイデアが、その計画における科学者達に一度起こると、光学的なスペクトルのを反射させる試みが同様に可能ではないかと言うアイデアが直ぐに続きました。加えて、しかしながら、「ラインハルト」は、「その最終的な結果がどの様なものに成るか、彼等がアイデアを持っていたのかは、神のみぞ知る事でした」と告白し、言葉を変えると、その実験が、ある時点において、全く予測されていなかった結果を達成したと言う事でした。その計画が究極的に達成したのは、事故的な(偶然の)発見でした。その最終的な結果は、予想外(のもの)でした。
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72 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 128, emphasis added.
73 Ibid., p. 130, emphasis added.


その後、「ラインハルト博士」は、船の上の大規模な実験の結果として起こるかも知れない明らかな副作用の幾つかを特定しようと試みている、科学者達の会議に出席しました:

「それらの中にある可能性があったのは、水の「沸騰」、周りの空気のイオン化、そして更に原子の「ゼーマン化(Zeemanizing/熱電流効果)」で;それらの全ては極度に不安定な状態を創造する傾向のあるものでした。この時点において、間次元的(interdimensional)な効果、または質量の消失(i.e. 反重力)を少しでも考慮する人は一人もいませんでした。」⁷⁴

「ラインハルト」は此処で、告白のその他の重要な一連を漏らします。それらの一つ目は、その実験の通常の副作用効果として科学者達が予測していたものに関連し:空気(大気)のイオン化、船の周りの水の「沸騰」、そして原子の熱電流効果でした。熱電流効果は単純に、原子的な分子と原子の、励起(excitation/加振/励磁/振動率)における分裂の誘導です。ですが(その)告白のその他の一連は、その実験の一つの予測されていなかった結果が、「間次元的」な効果、または質量消失の効果で、i.e. 反重力、または更に「テレポーテーション(瞬間移動)的」な効果だったと「ラインハルト」は明かしました。言い方を変えると、ラインハルトは、ある意味、はっきりと明言する事無く、その実験の衝撃的な詳細を明かした、または肯定しました。彼は、その達成された結果が、予測されたものを遥かに上回るものだったと示唆しました。それらは、その実験の元々の目的から、種類では無く、度合において異なったものでした。そして予測されていた副作用効果の一つ目の一連にとって、それらは、この章の後の中で目撃される様に、アレンデの手紙の描写に正確に一致しました。

最後に、「ラインハルト」は、2つのその他の物事を露呈します。その一つ目はつまり、それらの実験の幾つかが、マリーランド(州)の Bethesda に位置する、海軍のテイラー・モデル盆地において行われたと言う事でした。⁷⁵ 再び、ラインハルトが、その計画のベンチマーク(基準値)と段階の、私達の基本的な概要を肯定するのは、その概念の証明の(小規模な)実験が、そのモデル盆地の施設の極度に厳しいセキュリティー(安全保障/機密主義)において - 恐らく海軍のモデル・シップ(船の模型)を使用して - 行われたと彼が強く示唆するためです。

その最後の告白は、更にもっと興味深いもので:
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74 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 131, emphasis added.
75 Ibid., p. 132.


「例えば、実験のために、海軍の船を使用する事を私達に許す様に海軍を説得するよりも、実験のために、(民間の)商業船の上に(お金にものを言わせて)実験的な機器を積み込む事を私達に許すために、U.S.M.C. (米国海兵隊)の上に頼る方が私達により成功的だった、幾つもの例がありました。」⁷⁶

「ラインハルト」は、言葉を変えると、其処には1隻以上の船があり、それらは(民間の)商業船舶で、海軍とは全く関係が無かったと示唆しました!

G. The Thomas Townsend Brown Connection
G. トマス・タウンゼント・ブラウンの関連性     153


バーリッツとモーアーは、オルタナティヴ(独立的)な文献の中で、最も頻繁に、反重力の題材と共に関連させられたアメリカ人の物理学者:トマス・タウンゼント・ブラウンに対して検証した、一つの章を丸ごと(本に)含みます。フィラデルフィアの実験との関連における、このブラウンの関係に関して、オルタナティヴな(研究)コミュニティーの中で幾つかの物議が台頭し、幾らか(一方)は、バーリッツとモーアーの見解に同調し、そしてその他(もう一方)は、ブラウンのアイデアと、その(フィラデルフィアの)実験のための土台を形成した可能性のある、それらの概念的な土台の間には、殆ど物理学的な関連性が無いと主張しました。この筆者(ファレル博士)はそれに対して強く納得しているわけではありませんが、その後者の見解を取ります。しかしながら、バーリッツとモーアーのその実験についての、今ではクラシック(名作/典型的)な研究の私達の検証における一貫性と完全性のために、私達はブラウンについての素材(文献/情報)の彼等(バーリッツとモーアー)の体現(記述)を再検証し、そして彼(ブラウン)の研究のもっと最近の評価に関して、私達自身の観測の幾つかを提供しましょう。

ブラウンは、若かりし頃から、物理学における関心と好奇心をあらわにし、そして実際に彼が十代の間に、彼は X-線のチューブ(試験管)を発見(開発)し、そして彼が宇宙飛行の方法(i.e. EM - ドライブ[電磁-推進力])に成るかも知れないと考えたものを試験するために、一つの実験をデザイン(設計)しました。極度に敏感なバランスの上で、そのチューブを重ね合わせ、ブラウンは、X-線によって働かせられる、小さな力(作用)を彼が探知出来るかも知れないと考えました。しかしながら、彼がそのチューブをどの様な方向に配列させようとも、その様な作用は探知されませんでした。
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76 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 133.

トマス・タウンゼント・ブラウンの NICAP の写真。ブラウンは、この有名な UFO 研究団体の設立会員でした。
1 ttbrownport

彼が発見したものは、しかしながら、彼の人生の科学的な研究の生涯を没頭させた原則でした。「それにスイッチが入れられると毎回、その機器はあたかもそれが動こうと試みている – 何らかの「推進力(thrust)」である - それ自体の運動を、そのチューブは現す様でした!⁷⁷ 更なる調査の後、ブラウンは、その瞬間的(一時的)な運動を産出しているのは、高いヴォルテージ(電圧)であったと発見しました。⁷⁸ ブラウンは、彼の調査を拡張させました。彼は、「彼が期待を込めて『gravitor (重力器)』と呼ぶ事を選んだ」約1フットの長さで、4インチ四方の『煉瓦(の大きさ)』である機器を、ベークライト(bakelite/合成樹脂)から造りました。⁷⁹
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77 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 139.
78 Ibid.
79 Ibid.


100キロヴォルトの電力供給に接続された時、それは使用された分極性(polarity/ + か - )によって、その通常の重さの約1パーセントが、増えたり、減ったりしました。⁸⁰ 彼の研究の2、3の新聞の記事さえあり、そしてブラウンが未だに高校さえ卒業していなかった(話題性)にも拘らず、それに何らかの関心を示した科学者は一人もいませんでした。⁸¹

ブラウンは、1922年に、パサディーナの科学技術のカリフォルニア・インスティチュート(カル・テック大学)に入学し、そして其処で、ノーベル賞受賞者の、ロバート A. ミリカン博士の下で勉学しました。しかしながら、ブラウンは、彼の発見において、彼の教授達に関心を持たせる事に成功できず、故に1923年において彼は、オハイオ(州)の Gambier にある Kenyon カレッジに転校し、其処で彼は、アルバート・アインシュタインの物理学のクラス・メートだった、ポール・アルフレッド・ビーフェルド博士の下で研究しました。カリフォルニア(大学)の教授達とは異なり、ビーフェルドが、ブラウンの発見においてだけでは無く、彼の「グラヴィター(重力器)」の振る舞いのための、ブラウンの説明に純粋に関心を示したのは、ブラウンが、電磁力と重力の間の対化(カップリング)効果の何らかの種類が現れさせられているのではないかと推論したためでした。ビーフェルドは、それらの蓄電器(コンデンサー/キャパシター/グラヴィター)の「重さ(質量)の消失」、または反重力的な効果を試験するために、高いヴォルテージのキャパシターを使用した実験の一連をデザインする事において、彼の生徒(ブラウン)と協力する事を決断しました。⁸² 彼等は最終的に - 少なくとも短い期間の間 - ビーフェルド-ブラウン効果と呼ばれた作用を発見し、それはつまり、高度にチャージ(電荷/蓄電)されたキャパシターが、その + の極(陽極)に向かう運動を現す様だと言う事でした。⁸³

大学(生活)の後、ブラウンは、オハイオ(州)の Swazey 観測所(研究所)において4年間の(勤務)契約に署名し、其処で彼はまた、結婚もしました。その後、1930年において、彼はその観測所を離れ、「放射線、フィールド物理学、そしてスペクトロスコピー(分光学)における専門家」として、海軍研究実験所(NRL)の一員として加わりました。⁸⁴ 成行きとして、ブラウンとその(フィラデルフィアの)実験の間に大まかな関連性があるのは、その実験自体が体現されていた時に、物理学の同じ全体的な分野において海軍が行っていた研究に、彼が明らかに関係していたためです。
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80 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 140.
81 Ibid.
82 Ibid.
83 Ibid., p. 141.
84 Ibid.


どんな場合であったにせよ、この期間の間にブラウンは、彼の「グラヴィター」を完成させ、そしてそれらと共に実験を継続しました。1939年までに、ブラウンは海軍の予備隊における大尉に成り、そしてマリーランド(州)に移動し、其処で彼はバルチモアのグレン L. マーティン社の技術開発の一員に加わりました。⁸⁵ブラウンが、マーティン社において数か月しか過ごさなかったのは、ヨーロッパにおいて戦争(第二次世界大戦)の暗雲が集まって来た際に、磁気的、そして音響的な地雷(や魚雷)の探知、i.e. ドイツ製の音響的、そして磁気的に起爆設定された爆弾(地雷/魚雷 etc.)を安全に解除する技術を研究するために、海軍が彼を呼び戻したためでした。

「(後に)フィラデルフィアの実験に成ったかも知れない計画の、初期の開発の段階との接触へとブラウンが至ったのは、この任命を受理したすぐ後でした。ラインハルト博士によると:

「『私が信じるに、彼(ブラウン)が、音響的、そして磁気的な爆弾の探知/解除の責任者である士官として、船舶局へと、マーティン社から連れ戻された時に、当時、海軍調査研究所(NRL)の所長だったロス・ガンが興味深い(可能性がある)と考えた全ての計画は、彼(ブラウン)の物理学的な背景(履歴)のために、彼の下にもたらされました。これが、貴方(モーアー)の(調査していた)「計画」において、彼(ブラウン)が関わった処で - これが彼の開始地点でした。』」⁸⁶

「ラインハルト」は、その中でフィラデルフィアの実験が議論された「幾つもの会議」における、ブラウンの出席さえ肯定します。⁸⁷

その他の要点の上のラインハルトの正確性にも拘らず、しかしながら、バーリッツとモーアーは、「ブラウンが本当にフィラデルフィアの実験計画において、正しく、深く関わっていたのかは疑問視されるべきだ」と認識します。⁸⁸ (その)一つの理由は - 私達が目撃する様に、純粋に科学的な観点から - ブラウンのグラヴィター(重力器)において体現された運動作用(motive force/推進力)が何であったのかの、ブラウン自身の結論を、多くの科学者達が論議した(解らなかった)ためでした。しかしながら、例えもし、ブラウンが信じた様に、電磁力と重力の間の、「対化効果/coupling effect」では無く、その他の何らかのメカニズム(作用)が働いていたにせよ、ある時点における、その(フィラデルフィアの実験)計画におけるブラウンの参加(関わり)の可能性が高い様に現れるのは、当時、アインシュタインの統一されたフィールド理論の1928年版においてそれらが基づけられた、概念的な土台と共に、ビーフェルド-ブラウン効果のための、ブラウン自身の説明が、完全に一致するためです。
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85 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 141. グレン L. マーティン社は後に、(ロッキード)-マーティン航空宇宙産業社に成りました。
86 Ibid., p. 142.
87 Ibid.
88 Ibid., pp. 142-143.


真珠湾攻撃の後に、ブラウンは海軍少佐の階級まで昇進させられ、そしてヴァージニア(州)のノーフォークにある大西洋艦隊のレーダー(専門)学校へと転勤させられ、其処で彼はその学校の校長/主任教官に成りました。⁸⁹ これもまた、重要なのは、(上述で)主張されてきた様に、その計画の元々の概念が、レーダーの反射、そしてもし可能なら、投射物(ミサイルや砲弾)の反射(回避)を共にして(レーダーの)吸収の達成ためだった可能性が最も高いためでした。これが、再び、その計画とのブラウンの拘わりのための土台の可能性であったかも知れないのは、そのレーダー学校の校長(主任教官)として、彼が、1940年代の初頭において利用可能なレーダー(科学技術)と共に、何が可能で、何が可能では無かったのかを熟知する最善の地位にいたためでした。

バーリッツとモーアーが、物事のこの評価を肯定(確認)したのは、彼等のその他の情報源の一人が、ブラウンが明らかに海軍に対して、電磁的なフィールドが、レーダーの不可視(ステルス)を達成するために使用される事が出来るかも知れないと提案したのは、この(主任教官としての)任務の期間だったと、彼等(バーリッツとモーアー)に伝えたためでした。⁹⁰ その後、突然、1943年の12月に、ブラウンは「神経(精神)的な崩壊(障害)を患い」、休養のために自宅療養へと送られました。⁹¹ 海軍の医師達は直ぐに、彼が海軍から除隊する事を薦めました。⁹² その実験の研究者達の幾らかは、リーリー・クラブも含めて、ブラウンの神経的な障害(精神疾患)は、フラデルフィアの実験における彼の拘わり、そして達成された予測外の結果と、更に、その実験の船の乗組員達の上にそれらがもたらした効果に対する彼の恐怖(嫌悪感)によるものだと主張しました。⁹³ バーリッツとモーアーは、より慎重で、そしてそれらの推測を補佐するための証拠を、彼等が全く見つけられなかったと示唆しました。⁹⁴

ブラウンはその後、レーダーにおける研究を行うために、1944年の初春において、カリフォルニア(州)において、ロッキード-ヴェガ航空企業社に参加しました。彼はまた、彼の「グラヴィター」の機器についての、彼の個人的な研究を続けましたが、重力の定義におけるそれらの効果を語る事を止める判断を此処で行い、そして「より科学的ですが、決定的に(一般人達に対して)それ程、衝撃的(驚き)では無い用語、『ダイエレクトリック/誘電性/静電気/直流電流 etc. におけるストレス(摩擦/ヒステリシス)』を好んだ(使用した)様でした。」⁹⁵
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89 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 143.
90 Ibid.
91 Ibid.
92 Ibid., p. 144.
93 Ibid.
94 Ibid.
95 Ibid.


(専門)用語におけるその変化は、それ程衝撃的では無く、そして恐らくブラウンにとって、それ程(一般人にとって)驚きでは無い用語(i.e. 誘電性/静電気 etc.)の下で、彼のアイデアを広める意図的な計算であったのでしょうが、その(専門)用語(ダイエレクトリシティー)は、それでもブラウンの考え方が向かっていた方向性を示唆するのは、「ダイエレクトリックにおけるストレス」が簡単に、時-空間自体の媒質(エーテル)における - トーション(捻じれ力)によって作用されたストレスの正に種類である - ストレスへと、単純に変換される事が出来るためです。

その戦争の後、ブラウンはロッキード社を離れ、彼の研究を続けるために、ハワイ(州)に移転しました。其処にいる間に、一人の古くからの友人が彼のアイデアを、当時、米国(U.S.)太平洋艦隊の司令官で、後に、1953-1957年に、アイゼンハワー大統領の下で統合参謀本部の議長だった、アーサー W. ラドフォード海軍大将(提督)に対して紹介しました。ブラウンのグラヴィターの機器は、その時、(それ以前よりも)もっと驚くべき重さ(質量)の消失(i.e. 反重力)と、増大された運動作用が(実証)可能でしたが、それでも海軍の関心を引く事が出来ませんでした。幾らかの著者達がこれを、以前にヒントされた(憶測された)「オルタナティヴな(表向きでは無い/一般理解ではない)説明」に対して帰属させたのは、彼等(科学者達)がそれ(ビーフェルド-ブラウン効果)を単純に、「イオン風」として描写したためで、つまり、その機器(グラヴィター)の周りの大気(空気)の中の、チャージ(電荷)された粒子の運動(作用)によるものだとしたためでした。バーリッツとモーアーは、しかしながら、ブラウンの研究を後押しし、資金援助するための、海軍の躊躇(ちゅうちょ)のためのもう一つの可能な理由を指摘します:

「その海軍は、その戦争の間に、フォース・フィールド(電磁場)の研究を十分に行い、そして明らかな理由(危険過ぎる理由)のために、その様な計画からは一線を引く(距離を保つ/手を出さない)事を選択した可能性がまた現実味をおびます。(『海軍はその様な結果を使用する事を恐れた』とした、カルロス・アレンデの明言が、この時点において、頭によぎります。)」⁹⁶

これは、第四章において記述された可能性と共に、ある意味矛盾し、つまり、ジェセップ博士の UFO のための立件のヴァロの注釈版における海軍の関心が、バーリッツ、モーアー、そしてアレンデが示唆した様に、その(フィラデルフィアの)実験の結果を利用する、または探求するための躊躇以外の何かを示唆するかも知れないと言う事です。それはむしろ、その海軍がその計画の主導権を失成った事をある意味示唆し;それ(フィラデルフィアの実験)は、とてもブラック(闇予算)でとてもディープ(裏社会/NWO)に成り、人脈の全く新たな(異なった)人達(e.g. ナチス)が、その主導権を海軍の手から奪ったのかも知れません。

その10年(i.e. 1940年代)の変わり目は、典型的な1950年代早期の UFO の事件を目撃し、そしてブラウンは、ジェセップと同様に、UFOs が恐らく体現した科学(技術)において関心を示していました。ブラウンは、科学的な資源(i.e. 予算)の正式な意欲があれば、それらの( UFO の)推進力の謎が解けるかも知れないと信じていました。
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96 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 145.

そして勿論、「彼は、電気的な重力(electrograviticis/sic.)への研究における彼自身の努力を通して、彼がその( UFO 推進力の)謎に対する鍵の一つに出くわした可能性を、一貫的に認識し続けました。⁹⁷

それらの2つの関心 – UFO の推進力の謎における彼の関心と、運動(作用)を産出するための、ダイエレクトリクスにおけるストレスについての、彼自身の「グラヴィター」の研究は - 1952年において、ブラウンがオハイオ(州)に戻った後、彼が「ウィンターヘイヴン」と呼んだ計画の中で融合されました。彼の研究は、その頃に成ると、それら自体の重量よりも、より多く浮遊させる事(i.e. 反重力)が可能な程に、彼の「グラヴィター」を改良しました。その新たな機器は、元々のものよりも、更にもっと複雑で、そしてそれらの実証実験は「最も印象的で」、それらは「あらゆる尊敬された科学者や、ペンタゴン(国防総省)の役人が眉を顰める」程のものでした。⁹⁸ ウィンターヘイヴン計画のために、ブラウンは、毎秒数千回のディスチャージ(放電)とリチャージ(再蓄電)が可能な、高い効能(potentials)が関係した、特製の円盤-型のダイエレクトリックの機器を造りました。直流電流の高いヴォルテージ(電圧)の異なった量が、それらの円盤に応用された時、それ以前までは全く観測されていなかった度合のビーフェルド-ブラウン効果が観測されたのは、円盤-型のダイエレクトリックが、それら自体の電力(源)の下に浮遊し、「それらがそうする際に、少々の(蜜蜂の羽根音の様な)ブーンと言う音と、青っぽい電気的な発光性を発散させた」ためでした。⁹⁹ ブラウンがこの現象を、(米国)軍部に対する彼のウィンターヘイヴン計画の提案における、電気と磁気の間の対化効果(coupling effect)として表現し続けた間、その軍部の専門家達は彼等の疑念を持ち続け、そして再び、それ(i.e. ビーフェルド-ブラウン効果)の中には、強い電磁的なフィールドによって誘導された、大気自体の中のイオン(i.e. エーテル/プラズマ/光子 etc. )風の効果以外のなにものでも無いと言う見解を選択しました。

ブラウンが、彼の研究のこの解釈を気付いていたと記述するには価値があるでしょう。アメリカの軍部に対して彼のアイデアを売り込む事に失敗した後、ブラウンは、フランスにおいて、高度な真空状態の下で彼の試験を行うために、La Société Nationale de Construction Aeronautique Sud Ouest (Sud Ouest の宇宙航空産業の国立会社)のフランスの企業によって接触されました。もし、ダイエレクトリクスが、それらの(真空)状態の下で飛び(浮遊/反重力し)続けるなら、「イオン風」としての説明の可能性は劇的に減少しました。利用可能な情報の殆どによると、ブラウンの円盤は、
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97 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 145.
98 Ibid., p. 146.
99 Ibid., pp. 146-147.


フランスにおいて、それらの状態の下で試験された時、とても成功的でした。¹⁰⁰ ブラウンが「大喜び」だったのは、彼の円盤が、空気が無くても、より効果的に飛んだと証明する事において彼が成功しただけでなく、彼がまた、そのダイエレクトリックのプレート(円盤の中身)に対してより大きなヴォルテージ(電圧)を供給する事によって、彼の「クラフト(円盤)」の速度と効率が、増大させられる事が出来ると実証したためでした。¹⁰¹ ブラウンと(フランスの)同僚達は、その様なフィールド推進力の重航空機のための発電所として、最大、1500万ヴォルトまでの効能を供給している性能を共にした、電気的な発電器として、ジェット・エンジンを使用しているアイデアさえ提案しました。¹⁰²

再びもう一度、ブラウンの研究計画が(当時の)状況によって頓挫させられてしまったのは、そのフランスの会社が、ブラウンのファンタスティックな(一般人には想像外の)計画において関心を示さなかった社長(会長)の、より大きな企業と共に合併されて(買収されて)しまったためでした。¹⁰³ ブラウンは1956年において米国に戻りました。ブラウンが、フランスにおいて、彼の研究を探求する事を妨げるために、何者かがその企業的な買収を画策し、そしてそれによって(ブラウンと)フランスの会社が達成した科学技術と研究成果を乗っ取ったと言う事は可能でしょうか?人が確実にそれを知る事は全く無いでしょうが、それは一つの可能性として留まり、そして20世紀を通したその他のその様なオルタナティヴな(石炭/石油/原子力産業以外の)電力と推進力の科学技術(に対する妨害)のパターンを与えられると、それは比較的に強い可能性として残ります。

米国に戻ると、ブラウンは最終的に、北カロライナ(州)の、ウィンストン-サレムの、バーンソン社に落ち着きました。その会社の社長、アグニュー・バーンソンは、UFOs において関心を持っており、そして従って、彼の小さな会社が最善に出来る限り、ブラウンの研究を後押ししました。再びもう一度、状況がブラウンの研究を妨げるために介入したのは、
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100 そしてこれは、勿論、1950年代以来、フランスの航空宇宙企業と、軍需産業複合体が一体何を行っていたのかの問いを台頭させます!
101 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 148.
102 Ibid. バーリッツとモーアーは、この関連性においてブラウン(の名前)を記述しませんが、ブラウンは実際に、実用的な空飛ぶ機械の彼のダイエレクトリックの機器を造る、実用的で、技術開発的な問題を解消しようと彼はしていたので、そのウィンターヘイヴンの試験の幾分以前に、このアイデアを考え出していました。そのウィンターヘイヴンの試験において、そのダイエレクトリックの機器は、その実験室の天井から吊るされ、そして電力は、重い電気的なケーブルを通してそれらへと供給されました。故に、すぐ近所の発電所の必要性でした。類似した提案は、実際に、ナチス・ドイツにおいてまた、同様に、既に行われていました。
103 Berlitz and Moore, op. cit., p. 148.


経験豊富な飛行操縦士であるバーンソン自身が、何度も、何度も、離陸と着陸の経験がある、バーンソン飛行場において、彼の飛行機を電線に引っ掛けて墜落した時でした。¹⁰⁴

彼の「グラヴィター」の機器を彼が試験した多くの歳月において、ブラウンが観測した多くの結果の一つは、達成された質量の消失の度合がまた、(太陽系の)惑星の位置、そして更に重大な事に、月のフェーズ(満ち欠け/i.e. 太陽-地球-月の配置の角度-angle-angel)と共に、多少、変化した事でした!彼の人生の終わりに近づくとブラウンは - 控えめにではありましたが - 彼の研究に相応しい認識を、最終的に達成した様に現れました。この研究(の成果)は – CIA のリモート・ヴューイング(遠隔探知/千里眼)と、その他の秘密裡の軍事と防衛計画の一連に対するその関連性においてよく知られた - スタンフォード(大学)研究インスティチュートと、そして NASA の、エイムス研究センター以外のなにものでも無いものに納められました。¹⁰⁵

「その研究の目的は、その詳細の大部分が未だに(国家)機密の覆いの下に隠されていますが、地球の重力的なフィールドと(同様に petroelectricity/クオーツ[水晶]のピーゾ-エレクトリシティー[圧電効果]としても知られる)石の電気(電導性/発電性)の間にもし何か(関連性が)あるなら、その関連性が何かを判断する試みでした。地球の重力的なフィールドによって「誘導された」petro (石の) electricity (電気)を証明する、彼が望んだ目的を、もしブラウンが達成出来たなら、一般論における統一されたフィールド理論のみならず、同様に電気重力(electrogravity)についてのブラウン自身の個人的な理論を強化する方向に多大に向かいます。」¹⁰⁶

バーリッツとモーアーは、「石/岩」とペトロエレクトリシティー(水晶/鉱物の圧電効果)へのその様な研究が、一般化された統一されたフィールド理論の証明を構成するのかを明確には明言しませんが、これがどうしてそうなのかを理解するのは比較的に難しくはありません。石、そしてもっと特定的に、クオーツ(水晶)、carborundum (炭化ケイ素)、ダイアモンド等々の、クリスタル(結晶)化した石は、突然のストレスの対象にされた時に、少量のヴォルテージ(電圧)を解放する事がよく知られています。クオーツは、例えば、プレス(圧縮機)の下に置かれた時、最終的に壊れます。もし暗闇の下で行われたのなら、人は実際に、それ(クオーツ)が粉砕する際に、その石によって放出された電気のスパーク(火花/電影)を見る事が出来ます。これが何故なら、その様なクリスタル(水晶/結晶)の格子構造が、少量の電気を蓄積する、ダイエレクトリック(絶縁体/誘電体)として機能するためです。

ですが、私達 – そしてブラウンの - 目的のために、私達はクリスタルのもう一つの更に重要な性質を記述しましょう。
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104 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 149.
105 Ibid., p.. 150.
106 Ibid.


全てのクリスタル(結晶)的で格子的な構造は弱点を含み、i.e. その格子のノード(交差地点)の幾つかの転置(歪み)です。それらの歪みは、捻られているか、時にはそれらが全く消失しているかのどちらかです。どんな場合であれ、その様な弱点/歪みは、正しくトーション・テンサー変換(回転の中の回転の中の回転[i.e. 銀河系の中の太陽の公転の中の、太陽系の中の地球の公転の中の、地球の自転 etc.])の一線に沿って説明可能です。その様なものとして、それらの弱点は、トーション(捻じれ力)の物理的な現れとしてほぼ見解される事が可能で、i.e. クリスタルが形成していた時に、地域的に存在していた、時空間における小さな歪み(ひずみ)、またはフォールド(重なり合い)の現れ(体現)としてです。この考え方を少々、更に拡大すると、これが意味するのは、クリスタルが、それらの地域的な空間の、幾何学的で、重力的な「形」に対する自然的なレゾネーター(共振器)であると言う事です。¹⁰⁷ ブラウンの最後の研究の結果が、すると、「(国家機密の)覆いの下に隠された」のは、驚くべきでは無いでしょう。

H. Allende’s Shenanigans
H. アレンデの悪ふざけ     162


カルロス・ミグエル・アレンデ(カール・マイケル・アレン)と、モリス K. ジェセップに対する彼の手紙が、フィラデルフィアの実験の逸話の心臓部にあるので、情報源としての彼の信憑性を破壊しかねなかった悪ふざけ(いたずら/工作行為)を記述する事を、私達は義務付けられるでしょう。実際に、アレンデ自身が正にその様な事を行う意志(混乱工作)と共に、開始したようです。

その悪ふざけは、有名な UFO の研究家、ブラッド・ステイガーが、ヴァロの注釈版を入手した時に始まりました。ステイガーは直ぐに、彼が読んでいた事の示唆に気付き、そしてそれについての記事を記述する決断を行い、それは現在では廃刊に成っていますが、当時はとても良く知られた「超常現象」の雑誌、サーガ (伝説/神話/昔話)」の、1967年11月号の中に(その記事を)公表しました。その記事はまた、ステイガーが入手したヴァロ(の注釈)版の幾つかの実際の複数のページの再掲載を含みました。¹⁰⁸ 幸運なのか、偶然なのかは解りませんが、アレンデは実際に、この特定の雑誌を読み、そしてそれについてとても興奮した様でした。

ステイガーが、その記事を一つの章として含んでいる本を出版するために計画している事を学んだ時、アレンデは、「彼の足跡を再び(米国)海軍が追跡するかも知れない事を恐れ、そしてあらゆる場合において、(テレビや大手新聞の出鱈目な/プロパガンダ的な)情報拡散を望まず」¹⁰⁹ ステイガーの出版者に対して、「その素材(情報)が隠蔽(いんぺい)される事を求める、何通ものお怒りの手紙と共に」(手紙を)送りました。¹¹⁰
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107 私のギザの死の星の三部作の読者達なら、この観測の重要性を直ぐに気付くのは、そのグレート・ピラミッドが、それ自体の格子的な「欠陥」、または転移(i.e. 交差部分のずれ)を共にした巨大なクリスタルに対する、正に類推であるためです。
108 Berlitz and Moore, The Phladelphia Experiment, p. 85.
109 Ibid., pp. 83-84.


言うまでも無く、それらの一斉攻撃は効果的では無く、その本は出版されただけで無く、アレンデの名前が実際にその題名:アレンデの手紙、新たな UFO の突破口 に現れました。¹¹¹

その後、ジェセップの友人、イヴァン T. サンダーソンが、1967年において招待されていない訪問者達を出版し、その中でヴァロの逸話とアレンデの手紙の全体が、再びもう一度論議されました。バーリッツとモーアーによると、アレンデは、望んでいなかった報道に対して激怒させられただけでなく、同時にその他の人達が彼(アレンデ)の逸話を金もうけのために利用する間、「彼自身は殆ど、無一文の状態」でした。¹¹² アレンデは復讐の計画を行う決断をし:それが全て、大掛かりな詐欺(でっち上げ話し)だったと告白する事によって、彼の逸話を公表(利用)している著者達の本のセールスに打撃を与え、そして彼等の信憑性を傷付けるだけでなく、同時に彼が当時得ていた多大な報道(一般の関心)を減少させようと画策しました。¹¹³

ジェセップ(sic./アレンデ?)は、ジェセップの著書の特別注釈版を最初に印刷(出版)したヴァロ社自体まで出向き、それ(ジェセップの著書)を「俺の本だ」と呼び、彼自身のために一冊のコピーを要求しただけでなく、「彼等の髪の毛(頭)から彼(アレンデ)を忘れさせる」ためにその会社の社長を脅しに行きました。¹¹⁴ これを手にすると共に、アレンデはその後、アリゾナ(州)のタクソンにある、the Aerial Phenomena Research Organization (空中現象研究機関/APRO)の本部までおもむき、そしてジェセップ博士に対する手紙が、「『ジェセップを徹底的に怖がらせる』ために特別に画策された」詐欺(工作)だったと宣言しました。¹¹⁶

この目的のために、アレンデは、当時、APRO に深く関係していたジム・ロレンツエンに対して以下の「告白」を表明し、それはその付属追記の2ページ目の一番上に加えられました:
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110 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 86.
111 Ibid.
112 Ibid.
113 Ibid.
114 Ibid., pp. 86-87.
115 Ibid., p. 86.
116 Ibid.


「以下のページの上で、茶色のインクで下線が引かれた単語、フレーズ(言い回し)、そして行の全ては偽りです。以下のページとその後の上部の部分は、私が今までに記述した嘘の、最も気違い染みた塊です。目的ですか? ONR (海軍研究所)の研究を後押しし、そしてモリス K. ジェセップ教授(sic)が、実際の研究に繋がる可能性のある調査と共に、先に進む事を妨げるためでした。当時、私は不可視とフォース(作用)-フィールド(場)の研究を恐れていましたが:現在、私は恐れていません。」¹¹⁷

そしてその後、「彼の策略(工作)を産み出し、そして彼の復讐(混乱情報)の種を蒔くと共に(または彼がそう考えたと共に)、アレンデは再び表舞台から姿を消しました。」¹¹⁸

アレンデの告白には、しかしながら、ある重大な問題があり、そしてそれは、つまり、その様に下線が加えられた明言(文章)の偽りを宣言するために、茶色のインクを共にした彼の下線の全てにおいて、その(フィラデルフィアの)実験自体が、その詐欺(でっち上げ話し)の一部であったと明言する事が全く出来ていなかったためです。¹¹⁹ ですが、どんな場合であれ、その「告白」が、少なくとも、一時的に機能した様に現れたのは、1971年において、長年に渡りニュー・ヨークにおいて「ロング・ジョン・ネベル・ショー(番組)」のプロデューサーだったパリス・フラモンデが、ジェセップの死にまつわる出来事を語った時、アレンデ事件に関するあらゆる事に、彼が全く触れなかった(アレンデの名前に全く触れなかった)ためです。¹²⁰ 物事(当時の状況)は、実際に、以前の章の中で目撃された様に、バーリッツの著書、バミューダ・トライアングルが出版され、ジェセップの人生の終わりの日々の目撃証人である、マンソン・ヴァレンタイン博士を確認するまで、何年にも渡りこの様な状態が続きました。¹²¹

この猫(情報)が袋から飛び出すと共に、アレンデは後に、彼の告白を否認しました。そして、ですから終に、その手紙自体に対して目を向ける時が来ました。
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117 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 87.
118 Ibid., p. 88.
119 Ibid., p. 87.
120 Ibid., p. 88. 以前にも記述された様に、パリス・フラモンデは、彼自身が、UFOs や、ケネディー暗殺の様な題材において、著名な筆者でした。JFK の暗殺のコンスピリシー(共謀性/計画性)についての彼の著書は実際に、ニュー・オーリンズの州検察官、ジム・ギャリソンの捜査(注:オリバー・ストーン監督の映画『JFK』)を、(当時の)一般論の流れと評価に反して好意的に受け取った最初のものの一つでした。ロング・ジョン・ネベルは恐らく、マエ・ブリュッセル と共に、オルタナティヴ(独立的)な調査とコンスピリシーの分野において特殊化していた(ずば抜けていた)、当時の最も人気のあったトーク・ショー(対話番組)の司会者(MC)の内の一人でした。
121 Ibid.


I. What Started it All: The Letters of Carlos Miguel Allende to Dr. Morris K. Jessup
I. その全てを開始したもの: モリス K. ジェセップ博士宛ての、カルロス・ミグエル・アレンデの手紙     144


ジェセップ宛てのアレンデの手紙を引用するにおいて、私達は再びもう一度、それらが多かれ少なかれ初めて公の文献において(表に)現れた、ヴァロの注釈版に目を向けます。それらの手紙は、しかしながら、それらの全体像において、バーリッツとモーアー(の著書)の中にも再掲載され、そしてこの研究(著書)が比較的に(一般人に)入手可能なので、これがフットノート(補足記述)の中で引用されるページ(内容)の言及の情報源です。それらの手紙は、奇妙な句読点、下線、ハイライト、そして綴りの間違いを保ったまま、それらが其処(ページ)に見つけられる様に、そのまま完全に引用されます。この筆者(ファレル博士)によってその文章に強調が加えられた時には、それはそのフットノートの中でその様に明言されます。その後に、バーリッツとモーアー自身の、その手紙のまとめが引用され、そしてその後、私達自身の解説が加えられます。それらの2通の手紙は、最も1通目の手紙が消失されてしまったので、アレンデがジェセップ宛てに記述した、2通目と3通目の手紙だった事が思い出されるべきでしょう。加えて、此処において私は、引用の(文章の幅を)へこませる通常の段落の引用のスタイル(文体の形式)から離れます。完全なページ(文章)の幅が保たれ、そして(比較的に)少々小さな文字が使用されます。

1. The Second Allende Letter
1. 2通目のアレンデの手紙     144


カルロス・ミグエル・アレンデ
R.D. (郵便書留)番号1の223箱
ニュー・ケンジントン、ペンシルヴァニア州

私の親愛なるジェセップ博士へ、


Your invocation to the Public that they move en Masse upon their Representatives and have thusly enough Pressure placed at the right & sufficient Number of Places where from a Law demanding Research in Dr Albert Einsteins Unified Field Theory May be enacted (1925-27) is Not at all necessary. It May Interest you to know that The Good Doctor Was Not so Much influenced in his retraction of that Work, by Mathematics, as he most assuredly was by Humantics.
「一般大衆に対する彼等の代議士達に対して彼等が集団で行動しそしてその様にしてアルバート・アインシュタイン博士の統一されたフィールド理論(1925-27年)における研究を要求している法律を成立させるために正当 & 十分な数の場所に対して十分な圧力をかける貴方の呼びかけは全く必要ではありません。その善意の博士(アインシュタイン)がその研究(統一されたフィールド理論)の彼の撤回において多大に影響されたのは、数学によってでは無く、間違いなく人道主義のためだったと知る事に貴方は関心させられるかも知れません。

His Later computations, done strictly for his own edification & amusement, upon cycles of Human Civilization & Progress compared to the Growth of Mans General overall Character Was enough to Horrify Him. Thus, We are “told” today that that Theory was “Incomplete.”
「人間の文明 & 発展のサイクル(周期性)が、人間達の一般的で全体的な特徴の成長(進化)に対して比較されると、彼(アインシュタイン)自身の満足 & 興味だけのために行われた、彼の後の計算は、彼を恐怖させるために十分でした。故に、私達は今日、その(統一されたフィールドの)理論が「不完全」であると「教えられ」ます。
¹²²

Dr. B. Russell asserts privately that It is complete.¹²³ He also says that Man is Not Ready for it & Shan’t be until after W.W. III. Nevertheless, “Results” of My fiend Dr Franklin Reno, Were used. These Were a complete Recheck of That Theory, With a View to any & Every Possible quick use of it, if feasable in a Very short time. There Were good Results, as far as a Group Math Recheck AND as far as a good Physical “Result”, to Boot. ¹²⁴ YET, THE NAVY FEARS TO USE THIS RESULT. The Result was and stands today as Proof that The Unified Field Theory to a certain extent is correct. Beyond that certain extent No Person in his right senses, or having any senses at all, Will evermore dare to go. I am sorry that I Mislead You in MY Previous Missive. True, enough, such a form of Levitation has been accomplished as described. It is also a Very commonly observed reaction of certain Metals to Certain Fields surrounding a current. This field being used for that purpose. Had Farraday concerned himself about the Mag. Field surrounding an Electric Current, We today Would NOT exist or if We did exist, or present Geopolitical situations would not have the very time-bombish, ticking off towards Destruction, atmosphere that Now exists. Alright, Alright! The “result” was complete invisibility of a ship, Destroyer type, and all of its crew. While at Sea. (Oct 1943) The Field Was effective in an oblate spheroidal shape, extending one hundred yards (More or Less, due to Lunar position & Latitude) out from each beam of the ship.¹²⁵ Any Person Within that sphere became vague in form BUT He too observed those Persons aboard that ship as though they too were of the same state, yet were walking upon nothing. Any person without that sphere could see Nothing save the clearly Defined shape of the Ships Hull in the Water,¹²⁶ PROVIDING of course, that the person was just close enough to see, yet, just barely outside of that field. Why tell you Now? Very Simple; If You choose to go Mad then you would reveal this information. Half of the officiers & the crew of that Ship are at Present, Mad as Hatters.¹²⁷
「B. ラッセル博士は内密に(個人的に)それが完成したと主張します。彼はまた、第三次世界大戦の後まで、人はそれのために準備(心構え)出来ず & 受け入れないだろうと述べます。そうであったとしても、私の友人であるフランクリン・レノ博士の(実験)「結果」は利用されました。それらは、もし可能な限りとても短期間の内に、あらゆる & 全ての可能なそれの素早い利用に対する見解を共にした、その理論の完全な再検証でした。集合的な数学(数式)の再検証に限って、そして追加的で良好で物理的な「結果」に限って、良い結果がありました。ですが海軍はこの結果を利用する事を恐れました。その結果はその統一されたフィールド理論がある延長まで正しいとする証明として今日まで立証され存在します。その特定の延長線を超えて正常な感覚を持って、または正常な常識が少しでもあるなら、それ以上先に進む度胸のある人は誰もいません。私は以前の私の否認において貴方を惑わせた事を後悔します。描写された様な浮遊力(反重力)の形状の一種が達成されたのは、十分に、真実です。それはまた電流を囲んでいる特定のフィールドに対する特定の金属のとても頻繁に観測された反応(性質)です。このフィールドはその目的のために利用されました。電気的な流れ(電流)を囲んでいる磁気のフィールドについてファラデー自身が考えていたなら、私達は今日存在していないまたは私達が存在(生存)していたとして、現在の地政学的な状況は、現在存在している雰囲気(冷戦)の、破壊に向かって、チクタク、チクタク言っている、正に時限爆弾の様には成らなかったでしょう。いいでしょう、いいでしょう!その「結果」は一隻の駆逐艦とその乗組員の全ての、完全な不可視化でした。海上にいる間(1943年10月)の。そのフィールドは、(多かれ少なかれ、の位置 & 緯度に関係し)、その船のそれぞれの梁(柱)から100ヤード程延長した、やや楕円形の形において効果的でした。その球体の中のあらゆる人員は、形状(姿/形)においてうつろに(解りにくく)成りましたが、彼(?)もまたその船の乗組員達があたかも同じ状態にあるはずなのに、何も無い処の上で歩いているかの様に観測しました。その球体の外側にいたあらゆる人達には、その人が目撃するために十分に近くにいて、なおかつ、そのフィールドのすぐ外側にいた事を、勿論前提として水中にあった船の外形のはっきりとした形以外に目で見る事の出来るものは何もありませんでした。何故、今に至って貴方に伝えるのでしょう?とても単純で:もし貴方が発狂する事を選択するならするとこの情報を公開するであろうためです。その船の士官達 & 乗組員達の半分は現在でも健在で、彼等は変人の如く気が狂っています。

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122 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 30, italicized
emphasis added.
123 Ibid., italicized emphasis added.
124 Ibid., italicized emphasis added.
125 Ibid., italicized emphasis added.
126 Ibid., italicized emphasis added.
127 Ibid., p. 31, italicized emphasis added.


A few, are even Yet confined to certain areas where they May receive trained Scientific aid when they, either, “Go Blank” or “Go Blank” & Get Stuck.” Going-Blank IS Not at all an unpleasant experience to Healthily Curious Sailors. However it is when also, they “Get Stuck” that they call it “HELL” INCORPORATED” The Man thusly stricken can Not Move of his own volition unless two or More of those who are within the field go & touch him, quickly, else he “Freezes”.
「少数の何人かは、彼等が『Go Blank (頭が空白に成る)』または『頭が真っ白に成り』& Get Stuck (身動き出来無くなる)』時に、訓練された科学的な救援を受ける事が可能な特定の場所に未だに隔離されています。Going-Blank (頭が真っ白に成るの)は、健康的で好奇心のある水兵達にとって、心地の悪い経験では全くありません。しかしながら彼等が同時に、『Get Stuck (身動きが取れなく成った)』時に、彼等はそれを『地獄の』経験』と呼びその様に影響されてしまった人は、そのフィールドの中にいて & 急いで彼に触れる2人かそれ以上の誰かがいなければ、彼は『Freezes (凍り固まり/身動きが取れなく成り)』、彼自身の意志では動く事が出来なくなります。

If a Man Freezes, His position Must be Marked out carefully and then the Field is cut-off. Everyone but that “Frozen” Man is able to Move; to appreciate apparent Solidity again. Then, The Newest Member of the crew Must Approach the Spot, where he will find the “Frozen” Mans face or Bare skin, that is Not covered by usual uniform Clothing. Sometimes, It takes only and hour or so Sometimes all Night & all Day Long & Worse It once took 6 months, to get The Man “Unfrozen.” This “Deep Freeze” was not psychological. It is the Result of a Hyper-Field that is set up, within the field of the Body. While the “Scorch” Field is turned on & this at Length or upon a Old Hand.¹²⁸
「もし人が固まる(硬直化する)と、彼の位置が慎重に印されなければならずそしてその後そのフィールドはスイッチ-オフされます。『固まらされて』しまった人以外の人達は;明らかな硬直化(Solidity)を再び目の当たりにしても動く事が可能です。その後、その乗組員達の最も新しい一員(新兵)がその場所に近づかなければならず、其処で彼は、通常の軍服によって覆われていない、その『Frozen』された人の顔、または裸の皮膚(顔/手)を見なければなりません。その人を『Unfrozen (救出)』するには、たいてい一時間前後、または時には一晩中 & 一日中かかり更に悪状況の時であれば6カ月かかった事もありました。この『Deep Freeze (深い凍り固まり/硬直化)』は心理学(催眠)的なものではありませんでした。それは体のフィールドの中に設定された(原子/細胞/遺伝子レベル etc. の)Hyper-Field (超越-フィールド/トンネル効果)の結果でした。『Scorch (焦がす)』フィールドがスイッチ-オンにされ & これはある一定の距離(または時間の長さ)、もしくは Old Hand (ベテラン/熟練者)の上(管理?)の間でした。

A Highly complicated Piece of Euipment Had to be constructed in order to Unfreeze those who became “True Froze” or “Deep Freeze” subjects.¹²⁹ Usually a “Deep Freeze” Man goes Mad, Stark Raving, Gibbering, Running MAD, if His “freeze” is far More than a Day in our time.
『True Freeze (真の硬直化)』または『Deep Freeze (深い硬直化)』の対象に成った人達を Unfreeze (救出)するためには高度に複雑な機器の部品(の一連)が構築(開発)されなければなりませんでした。通常、もしその人の『freeze』 が私達の時間において一日(24時間)以上であれば、『Deep Freeze』された人は理性を失い、発狂し、訳の解らない事を言いながら、完全に正気を失います。

I speak of TIME for DEEP “Frozen Men” are Not aware of Time as We know it. They are Like semi-comatose person, who Live, breathe, look & feel but still are unaware of So Utterly Many things as to constitute a “Nether World” to them. A Man in an ordinary common Freeze is aware of Time, Sometimes acutely so. Yet They are Never aware of Time precisely as you or I are aware of it. The First “Deep Freeze” As I said took 6 months to rectify. It also took over 5 Million Dollars worth of Electronic equipment & a Special Ship Berth. If around or Near the Philadelphia Navy Yard you see a group of Sailors in the act of Putting their Hands upon a fellow or upon “thin air”, observe the Digits & appendages of the Stricken Man. If they seem to Waver, as tho within a Heat-Mirage,¹³⁰ go quickly & Put YOUR Hands upon Him, For that Man is They Very Most Desperate of Men in The World. Not one of those Men ever want at all to become again invisible. I do no think that Much More Need be said as to Why Man is Not Ready for Force-Field Work. Eh?
私が時間を語るのは深く『凍り固まった人達』が私達がそれを知るものとしての時間に気付いていないためです。彼等は、生きていて、息をしていて、見て & 感じますがそれでも全く数多くの物事を知覚していない半分-意識不明の人の様で、彼等に対して『黄泉の国』を構成しているかの如くです。普通の一般的な硬直化にある人は時間に気付いていて、時には正確に把握しています。ですが彼等は正しく私や貴方がそれを知覚する様には、決して時間に気付いていません。私が述べた様に最初の『Deep Freeze』を救出するためには6か月間かかりました。それはまた5百万ドルを超える価値の電気的な機器 & 特製の応急対応施設が必用でした。もしフィラデルフィアの海軍港の周りもしくは近くなら同僚の上または『thin air (空中)』に彼等の手をかざす行為を行っている海兵達の集団を貴方は見つけるので、その被害者の指先 & 指(や手足の消失)を観測して下さい。もし彼等が、あたかも熱の-陽炎(Heat-Mirage)130(度?)の中にいる様に浮足立つ様に見えるなら急いで & 貴方の手を彼の上にのせて支えてもらいたいのは、その人がこの世界における正しく最も孤独な人達であるためです。それらの人達の中に再び不可視に成る事を望む者は一人もいません。何故人間がフォース-フィールドの研究のために未熟なのかに関してこれ以上言う必要は無いと私は思います。そうではありませんか?
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128 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 31, italicized
emphasis added.
129 Ibid., italicized emphasis added.
130 Ibid., p. 32, italicized emphasis added.

You Will Hear phrases from these Men such as “Caught in the Flow (or the Push)” or “Stuck in the Green” or “Stuck in Molasses” or “I was “going” FAST”, These Refer to Some of the Decade-Later after effects of Force-Field Work. “Caught in the Flow” Describes exactly the “Stuck in Molasses” sensation of a Man going into a “Deep Freeze” or Plan Freeze” either of the two. “Caught in the Push” can either refer to That Which a Man feels Briefly WHEN he is either about to inadvertently “Go-Blank” IE Become Invisible” or about to “Get Stuck” in a “Deep Freeze” or “Plain Freeze.”
「貴方はそれらの人達(乗組員達)から『流れ(または後押し)に囚われた』または『緑の中で身動きが出来なくなった』もしくは『(粘着性の)ドロドロした液体に囚われた』更に『とても速く[going (死にかけた)]』と言うフレーズ(表現)を聞くでしょうが、それらは(とても強力で電磁的な)フォース-フィールドの働きの十数年後に及ぶ事後効果(副作用)の幾つかに対する言及です。『流れに囚われた』は正しく『Deep Freeze (深い硬直性)』または『Plan (sic/Plain) Freeze (全くの硬直性)』のどちらかを経験している人の『ドロドロの粘着性の液体に囚われた』感覚を正確に描写します。『後押しの中に囚われた(Caught in the Push)』(と言う表現)は『深い硬直性』または『全くの硬直性』において『囚われる(Get Stuck)』直前もしくは予期せず『Go-Blank (頭が真っ白に成る)』IE (つまり)不可視』に成る直前(瞬間)に人が感じるもののどちらかに言及します。


There are only a very few of the original Expierimental D-E’s Crew Left by Now, Sir. Most went insane, one just walked “throo” His quarters Wall in sight of His Wife & Child & 2 other crew Members (WAS NEVER SEEN AGAIN), two “Went into “the Flame,” IE They “Froze” & caught fire, while carrying common Small-Boat Compasses, one Man carried the compass & Caught fire,¹³¹ the other came for the “Laying on of Hands” as he was the nearest but he too, took fire. THEY BURNED FOR 18 DAYS. The faith in “Hand Laying” Died When this Happened & Mens Minds Went by the scores. The expieriment Was a Complete Success. The Men Were Complete Failures.
「現在に至ると、サー、元々の実験的な D-E (駆逐艦エルドリッジ号)の乗組員達の極少数しか残っていません。殆どは正気を失い、一人は彼の妻 & 子供の眼の前で彼の部屋の壁を『throo (通り抜けて)』歩き & その他2名の乗組員達は(再び目撃される事が全く無く)、二人は『炎の中へと行き、』IE 彼等は一般的で小さなボートの Compasses (羅針盤/方位磁石)を運んでいる間に、『Froze (硬直化)』& caught fire (発火)し、一人はその compass を運んでいて & 炎に囚われ、もう一人は一番近くにいたので『Laying on of Hands (手が置かれた/飛び火した)』ので彼もまた、発火しました。彼等は18日間燃え続けました。これが起こった時に『Hand Laying (触れている手/救出するために手で触れる事)』における信心は死滅し & 人々のマインド(精神/心)は一片に離れました。その実験は完全な成功でした。人々(の精神/心)は完全な失敗(不完全)でした。

Check Philadelphia Papers for a tiny one Paragraph (upper Half of sheet, inside the paper Near the rear 3rd of Paper, 1944-46 in Spring or Fall or Winter, NOT Summer.) of an Item describing the Sailors Actions after their initial Voyage. They Raided a Local to the Navy Yard “Gin Mill” or “Beer Joint” & caused such Shock & Paralysis of the Waitresses that Little comprehensible could be gotten from then, save that Paragraph & the Writer of it, Does Not Believe it, & Says “I only wrote what I heard & them Dames is Daffy. So, all I get is a “Hide-it” Bedtime Story.”
「彼等の元々の(実験)航海の後の水兵達の行動を描写している一つの記事であるフィラデルフィアの地方紙の(1944-46年の、夏ではなく、春、または秋、もしくは冬の新聞紙の後ろから3ページ目付近のその新聞の中のページの上半分の)小さな一段落を調べてみてください。彼等はその海軍港の地元の「酒屋」だったか「酒場」に乱入し(一騒動起こし)& ウエートレス達の大きなショック & 呆然の原因となり、その一段落以外に彼女達から得る事の出来た理解可能な事は殆ど無く & それ(その記事)を書いた記者でさえそれを信じず & 「私は唯一私が聞いた事を書いたまでで & 彼女等(女性従業員達)は狂気じみていました。ですから、私が得る(理解する)全ては『人前では言わない方が良い』ベッド・タイムのおとぎ話です」と述べます。

Check observer ships crew, Matson Lines Liberty ship out of Norfolk, (Company MAY Have Ships Log for that Voyage or Coast Guard have it) The S.S. Andrew Furuseth, Chief Mate Mowsely, (Will secure Captains Name Later) (Ships Log Has Crew List on it.) one crew member Richard Price or “Splicey” Price May Remember other Nmes of Deck Crew Men, (Coast Guard has record of Sailors issued “Papers”) Mr Price was 18 or 19 then, Oct. 1943, and Lives or Lived at that time in His old Family Home in Roanoke, VA. A small town with a Small phone book. These Men Were Witnesses, The Men of this crew, “Connally of New England, (Boston?), May have Witnessed but I doubt it. (Spelling May be incorrect) DID witness this. I ask you to Do this bit of Researech simply that you May Choke on your own Tongue when you Remember what you have “appealed be Made Law”
「観測船の乗組員達、ノーフォークからのマトソン社のリヴァティー号を調べてください(会社、または海岸警備隊がその航海のための航海日誌を所有しているかも知れません)、S.S. アンドリュー・フルセス号、モウズリー一等航海士(艦長の名前は後に確保するでしょう)、(航海日誌の上には乗組員達の名簿が記されています。)一人の乗組員の一員リチャード・プライスまたは『スプライシー』プライスは乗組員達のその他の名前を憶えているかも知れず、(海岸警備隊は水兵達に発行された『書類(身分証明)』の記録を持っており)プライス氏は1943年の10月当時、18歳か19歳で当時は VA (ヴァージニア州)の Roanoke にある彼の実家に住んでいるまたは住んでいたはずです。小さな(薄い)電話帳しか無い小さな町です。これ等の人達は目撃証人達で、この乗組員達の人達、『ニュー・イングランド、(ボストン?)のコナリー』は、目撃したかも知れませんが私は確かではありません。(綴りは不正確かも知れませんが)これを目撃しました。私が貴方にこの少々の調査をする事をお願いするのは単純に貴方が「法律にされる様に訴えた」ものを貴方が思い出した時に貴方が貴方自身の舌を飲み込み絶句するかの知れないためです。」

Very Disrespectfully Yours,
とてもお粗末様ながら、敬具、

Carl M. Allen
カール M. アレン

P.S. Will Help more if you see Where I can (Z416175)
追伸、もし貴方が私を必要とするなら更に手助けします(Z416175)

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131 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 32, italicized
emphasis added.


Days Later
数日後

「(長い)手紙に関係している追記。(この中の情報の確認のためにローソン・ベネット海軍小将に連絡して下さい。(その)研究の海軍の主任です。彼は、最終的に、貴方に仕事を依頼するかも知れません)

「冷静にそして分析的に、これに追随している貴方に対する手紙の中で大叫び(大袈裟に言う事)無しで述べると、私は貴方 & 科学に対する全ての公正さにおいて以下を述べましょう。(1)海軍はその船の上 & そのフィールドの影響下にいない間でも人々(兵士達/関係者達)が不可視に成る事が可能だとは知りませんでした。(2)海軍は『フィールド』の中または上の超越『フィールド(トンネル効果)』の奇妙な影響から死者が出るとは知りませんでした。¹³²(3)更に、彼等(海軍)は何故これが起こったのか & 『F (フィールド)』の中の『F』が理由なのかも全く確かではありませんでした(把握していませんでした)。端的に原子爆弾はその実験者達を(直ぐには)殺しませんでしたから故にその実験者達はその実験を続けましたが - 結局一人か二人が事故的に(放射線の汚染で)死亡しましたが何故彼等が死亡したのかの原因は知られていました。私自身が、『その炎』に『着火した』小さなボートのコンパス(羅針盤)に関連した何かを『感じ』ましたが、私も海軍も証拠は全く持っていませんでした。(4)更に悪状況で & 記述(報告)されていないのはそれらの人(水兵)達の一人または二人が、その『フィールド』はスイッチ-オンまたはスイッチ-オフされたどちらかの時に、その他の-者達-全てに-対して-その-フィールドの中で-目に見えるものは、無い(Nothingness)中へと歩み込んだ様で、そして彼等に関して触れる(感じる)事が出来るものは何もありませんでした。(5)状況は更に悪化し、明らかに眼に見えて & 新たな人(新兵)が、彼の家の壁を『通り抜けて』歩いた様に見えた時、全ての人(海軍兵)達によって調査され & 設置された移動可能なフィールドの開発者の下で & 共に & 管理されたその周りの地域には何もあらず、そして彼に対しては全く何も見つけられませんでした。ですからとても数多くの一般人達は当時、その実験の上に拘わっている & または関係している人達、もしくはそれらのあらゆる人達は詳しく調査されました。数々の恐怖(驚きの現象)は当時、彼等によって効果(原因)され、それらの全ての総合的な(数多くの恐怖の)効果は、あらゆるそれらの人々(一般人)、または働いている人々、もしくはその実験に拘わっている人々のいずれによっても再び受け入れる事が出来ないものでした(理解不可能な現象でした)。」¹³³
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132 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 33, italicized emphasis added.
133 Ibid., p. 34, italicized emphasis added.


私はまた、その実験的な船が何らかの原因のために、そのフィラデルフィアの軍港から姿を消し、そしてたった数分後に、ポーツマス地域のニューポート・ニュースのノーフォークにある、そのもう一つの港に現れた事を報告する事を望みます。これははっきりとそして明確にその場所であると確認されたのですがその船はその後、再び、たった数分間かそれ以下において姿を消しそのフィラデルフィアの軍港へと戻りました。¹³⁴ これもまたその(地方)新聞の中に記載されたのですがどちらの新聞紙の中で私がそれを読んだのかまたはそれが何時起こったのかを私は忘れてしまいました。恐らくその実験の終わりの方か、その実験が断続された後の1946年においてだったかも知れませんが、私は正確に述べる事は出来ません。

「その海軍にとってこの実験の全体が全く非-実用的だったのは(水兵達の)モラル(士気)を崩壊させる効果のためでそれは影響力が大き過ぎてその船の効率的な任務が非常に障害されそしてこの出来事(実験の事故)の後一隻の船の単なる通常作業でさえ全く頼りにする事が出来なくなると証明されためでした。端的に、この事(実験における作用)の無知(知識不足)は、当時利用可能であった限られた知識と共に、試みられた通常任務の段階の上で、それ(実験の作用)に対する凄まじい恐怖を広めたので、それは(利用)不可能で、非-実用的で、そしておぞまし過ぎると考えられました。

「私が信じるに、貴方が現在知る知識を共にして当時貴方自身が研究していて & この計画の上で研究していたチームに参加していたなら、その『炎』はあれ程予想外、またはあの様な恐ろしい謎では無かったのかも知れません。同時に、正直に言うと、それら(の作用)が起こる可能性の何らかの(事前)知識無しでそれらのその他の出来事(事故)が起こる事は全く出来なかった可能性が非常に高いと言わなければなりません。¹³⁵ If fact (sic/In fact/実際に)、それら(事故)は更にもっと慎重な計画そして船の士官達 & 乗組員達の更にもっと慎重で厳密な選択によって防ぐ事が出来たかも知れません。(当時の戦時中の状況は)それを許しませんでした。海軍は人材の個性 & 性格に対する考慮を殆ど全く考えず、利用可能な人材を投入しました。もし船、そして士官達と乗組員達の選択において慎重に、多大な考慮が取られていたならそしてもし指輪 & 腕時計 & 身分証明の腕輪 & ベルトのバックル、Pus (sic/Plus/加えて)そして特に滑り止めのための金属が付けられた靴の効果の様な身の周りの備品についての厳重な確認と共に慎重な教育が行われていればと(残念に)思います。(U.S.)米国海軍調達の hoes (sic/shoes/靴に金属が付いていなければ)私はこの計画にまつわる恐れに満ちた知識不足の解消に向かう何らかの進歩がほぼ間違いなく & 確かに達成されたであろうと感じます。(彼等の訓練学校の卒業生の水兵達のための)バージニア州のノーフォークの米国海兵隊の従軍ハウスの記録は、1943年9月の後半、または10月の一月に S.S. アンドリュー・フルセス号に部隊配属された者達を明かすでしょう。
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134 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 34, italicized emphasis added.
135 Ibid, italicized emphasis added.


私は、その実験が行われている際に私の横に立っていたもう一人の観測者をはっきりと覚えています。¹³⁶ 彼はニュー・イングランド出身で、茶色っぽい金髪の癖毛で、青い眼をしていました。名前は覚えていません。私は更なる調査がこれに関して行われるか否か貴方の判断に委ね、そして(更なる調査が)続けられるだろうと言う希望においてこれを書き記します、」

正に心から、
カール M. アレン¹³⁷

2. A Brief Analysis of the First Letter
2. その最初(二通目)の手紙の端的な分析     150


アレンデの三通目の手紙に直接触れる前に、上述の(二通目の手紙の)イタリクスによって強調された示唆と主張を、一旦停止して考える事が必要です。イタリクス化された強調が再び以下に引用され、それぞれの要点についての端的な解説によって続かれるでしょう。

1)人間の文明 & 進歩のサイクル(周期性)についての、彼(アインシュタイン)の後の計算は、彼自身の満足 & 好奇心のために厳密に行われ、人々の一般的で全体的な特徴の成長に対して比較された時(一般大衆[情報弱者]の知識不足は)彼を驚愕させるのに十分でした。故に、私達は今日その(1928年の)理論が「不完全」であると「教えられ」ます。¹³⁸ B. ラッセル博士は個人的に(内密に)それが完全であると主張します。

アレンデは、アンシュタインが明らかに、人間の歴史と同時に(集団的な)振る舞いをモデル化するために数学的な技術(統計学的な傾向)を使用したと主張します。勿論、これが事実であったと言う証拠は一切残っていませんが、それがそれでもとても興味深いアイデアで、そしてアインシュタインの様な頭の回転が速い人達の関心を引くものだったでしょう。加えて、アレンデは此処において「隠された(隠蔽された)」物理学があり – そのための証拠は微塵もありませんが – バートランド・ラッセル以外の何者でもありえない、B. ラッセル博士がつまり、統一されたフィールド理論が完成されたと主張したとヒントします。再び、アレンデはこのアイデア(発想)の証拠を一切提供しません。
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136 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 35, italicized emphasis added.
137 For the entire letter, Berlitz and Moore, op. cit., pp. 29-35.
138 Ibid., p. 30.


以前にも記述された様にしかしながら、アレンデは恐らく単純に「完成」と「技術開発可能」を誤解しており、そして故に、彼にとって、実験の一連自体の事実が、彼の(学術的に)初心者の頭の中で、その理論が「完成していた」様に示唆した(見えた)のかも知れません。

2)それらは、もしとても短時間において可能であれば、それを素早く利用するあらゆる & 全ての可能性(の応用)の見解を共にした、その理論の完全な再確認でした。集合的な数式の再確認に限ってそして更に良好で物理学的な「結果」に限っては良い結果がありました。¹³⁹

このコメントは、その計画のための準備において開かれた幾つもの会議に関係した「ラインハルト博士」の告白と共に上手く一致します。その計画のためのベンチマーク(基準値)を確立する方法において、その様な基準値は必然的に、その実験の数学的な土台をグループ(複数)で確認する事だったはずです。その数学(数式)は初めに、アインシュタインの1928年の理論から派生させられなければならず、そしてその後、何度にも渡り再-確認されなければならなかったはずです。

これが重要な要点なのは、その手紙において後に目撃される様に、アレンデがまた、その悲惨な結果(事故)の幾つかが、その海軍によって可能性として予測されていたと示唆するためです。再び、その計画の数学的な土台(i.e. 短縮化されたマックスウェルの方程式、故に誤算が起こってしまった事)の確認は、その計画の科学者達に対してそれらの成り行き(短縮された方程式を土台にした結果 = 事故)の幾つかを明かした可能性が高いでしょう。その実験がそれでも行われたと言う事は、(当時の戦時中の状況を加味して)それらの(計算)結果が低い可能性として - そして故に予測外の - 可能性として考えられていた事を示唆します。それらは故に、再びもう一度、その実験の元々のデザイン(計画/計算)の一部ではありませんでした。

3)その「結果」は、一隻の駆逐艦、そしてその乗組員達の全ての完全な不可視化でした。(1943年に)海上にいた際にです。そのフィールド(電磁場)はその船のそれぞれの柱から(多かれ少なかれ月の位置と緯度[月の満ち欠け]に影響され)100ヤード程延長した楕円形の球体の中で効果的でした。¹⁴⁰

これは、その偶然(事故)的で予想外の結果が何であったのかの正に最初の示唆で、そしてそれはまた実際の光学的な不可視が達成されたと言う最も最初の示唆です。
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139 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 30.
140 Ibid.


アレンデが明言する極度に重要な要点にもまた着目してもらいたいのは、それらの結果が海上においていた間に達成されたと言う事です。そして彼は何か他のものについてもヒントし、つまり、その様な実験の結果が、丁度 T.T. (トマス・タウンゼント)ブラウンの gravitics (反重力)の研究において発見された様に「月の位置」、i.e. 月のフェーズ(満ち欠け)によって変化した様だと言う事です。この重大な明言は、アレンデ自身について、一つか二つの物事を明かします:

a)彼は、ある一定の長い期間を超えて、その実験の観測において関わっており、そしてこの状況(月のフェーズ/天体の位置)によるその結果における変化を観測した;または、

b)アレンデが、その実験の結果を知る立場にいたその計画の科学的な関係者の内の誰かから、それらの結果を学んだのかのどちらかです。

どちらの場合であったにせよ、この明言は、何故、予測外の結果が達成されたのかに対する手掛かりを許し:恐らく、天界(太陽系)的な空間の何らかの特徴的な状況、または(惑星等々の)配置、更に実験的な環境(時と場所)が、その設定(予測)されたパラメーター(媒介変数/想定要素)を超えて、その実験の結果を増幅(暴走)させたのでしょう。

4)その球体の外側にいたあらゆる人には、その水中の船の外形のはっきりとした形を除いて(眼で)見えるものは何もありませんでした。¹⁴¹

再び、アレンデは、その実験船を囲んでいるフィールドの外側の観測者達が実際に見たものに対する詳細、または手掛かりを供給します。必然的に発生する問いは、この主張された観測が、科学的にあり得るか否かです。

5)その船の士官達 & 乗組員の半数は現在、重度な精神障害です。

此処にあるのは、「海上において」行われた実験、言い方を変えると、推定に基づく「完全規模の実戦状況」の(大規模な)実験の更にもう一つの予測外の結果です。身体生理学的、そして心理学的な効果の一つは、そのフィールドに対する露出が、その実験船の乗組員の幾らかを精神的に不安定にさせ、そして恐らく発狂させさえしたのかも知れません。

6)この「Deep Freeze (深い硬直化)」は心理/精神的なものではありませんでした。それはその体(人体)のフィールドの中の、設定された Hyper-Field (超越-フィールド)の結果でした。
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141 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 30.
142 Ibid., p. 31, italicized emphasis added.


「Scorch (焼く/焦がす)」がスイッチ・オンにされ & これは長時間においてまたは Old Hand (ベテラン/経験者)の上の間でした。¹⁴³

これは恐らく、アレンデが行う最も重大な主張の一つでしょう。それは、幾つかの構成要素によって構成され、そしてそれらを解き解(ほど)く事が最善でしょう:

a) その実験船(エルドリッジ号)の乗組員達は明らかに、そのフィールドの大規模な実験に対して露出された結果として、全く動けなく成り;それは、その実験によって効果された心理学的な影響の結果では無く、そして故に上述に記載された、乗組員達のマインド(精神/頭)の不安定化の効果からは、別々として考えられ;

b) アレンデは、一つのフィールドの中の「超越-フィールド(hyper-field)」、「人体の(細胞/遺伝子/原子レベルの)フィールド」を述べますが、アレンデが意味するそれは明らかに、人間の体の普通の電磁的なフィールドと行程(+ -)自体の上(周り)または中に被さった何らかのフィールドの一種を意味し;これは、私達が次の章の中で目撃する様に、フィラデルフィアの実験の概念(理論)的な根底にあったのが、そのトーション・テンサーを共にした(アインシュタインの)1928年版の、統一されたフィールド理論であった、更にもう一つのとても強い示唆で;

c) 最後に、アレンデは、この効果は主に、一度に長時間に、その「フィールドの中の超越-フィールド」に対して露出された乗組員達に対して影響し、彼等は「old hands」(ベテラン)で、そして明らかに、幾つものはっきりとした試験と実験におけるフィールドに対する露出(被曝)の対象(人体実験)でした。その効果は、言い換えると、蓄積的で、そして明らかにそれ(被曝)に対して露出された人達に対して、少なくとも(被曝は)半-永久的です。これは再び、次の章の中だけでは無く、ナチスのベルフィールドに対して露出させられた人達によって経験された効果に対する類似性がとても明らかに成る、第三部の中で、一つの重要な手掛かりとして見解されるでしょう。

7)「True Froze (真の硬直性)」または「Deep Freeze (深い硬直化)」の対象に成ったそれらの者達を「Unfreeze (救出)」するためには高度に複雑な機器の一種が開発されなければなりませんでした。¹⁴⁴
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143 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 31, italicized emphasis added.
144 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 31, italicized emphasis added.


アレンデは此処で、その実験の予測外の結果のために、上述に概要された蓄積的な効果を反転させる、または少なくとも中性化させるために、新たな機器が開発されなければならなかったと記述します。これが高度に重要なのは、何故ならそれが、科学技術の方法によってそれらの効果をどの様に軽減するか、少なくとも部分的に海軍が学んでいた事を意味するためです。再び、ザ・ベルとの平行線は、第三部の中でとても明らかに成ります。

8)私が深く「硬直化された人達」のために時間を語るのは私達がそれを知る様なものとして時間に気付いていないためです。

この要点はその2つ前のもののコンテキストな中で見解されるべきです。一度「そのフィールドの中の超越-フィールド」が、その実験船の人間の乗組員達の上に影響させられてしまうと、その効果の一つは明らかに、通常経験される方法からはとても異なった方法において時間が流れたと言う事でした。私達が次の章の中で目撃する様に、これは、強力なトーション・フィールドの機能の更にもう一つの示唆です。そして再び、ナチスのベルとの直接の概念的な関連性が其処にあります。

9)もしそのフィラデルフィアの軍港の周りまたは近くなら貴方は仲間の肩に手を置いたり「空中」に伸ばしたりしている水兵達のグループを見たなら、その被害者の指先 & 手足を観測して下さい。もしそれらが、あたかも熱の陽炎/蜃気楼の中にあるかの様に揺らめく様に見えないか・・・¹⁴⁵

再び、アレンデと「ラインハルト」の証言がお互いに協力証言し合うのは、その早期の計画の会議が、その効果の一つは、光学的な光(の屈折など)に影響するために十分に強力なフィールドから結果する効果が、正しく「熱の陽炎/蜃気楼」効果で、実験船が、外側の観測者達に対して、前後左右にゆらゆら揺らめいて現れる事を共にすると判断したためでした。アレンデのその他の主張の背景に対して見解されると、しかしながら、その効果は、光学的で電磁的な波(光)をそのフィールドが屈折させている結果と言うよりもむしろ、その実験船自体が、その他の(通常の)物質から異なったフェーズの状態へと、何らかのフェーズ・シフトを経験していた様に現れます。
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145 Ibid., p. 32, italicized emphasis added.

10)もし彼等が一般的で小さな-ボートのコンパス(羅針盤/方位磁石)を運んでいる間に「硬直化して」& 着火したなら、一人の人がそのコンパスを運んでも & 着火し、¹⁴⁶

アレンデからのもう一つの重要な主張で:一度、その実験船の乗組員達の体へと「そのフィールドの中の超越-フィールド」がそれ自体を印象付ける(影響する)と、彼等の幾らかは、比較的に弱く、そして通常的で磁気的なフィールド(普通の磁場)に対して再-露出された時に、再びもう一度、身動き不可能に成り、または、明らかに、突発的に発火しました。

11)「その緑の中で身動きが出来なくなる・・・」

この短いフレーズは重要なのですが、頻繁に見過ごされる詳細です。完全規模の実験の状況の下で、その実験船を囲んでいる電磁的なフィールドは、もし極限的なものでは無かったにしても、恐らくとても強いものだったでしょう。この場合において、すると、そのフィールドに露出された大気はイオン化されたはずで、(米国)中西部の人達が、竜巻が起こる直前に見慣れている、親しみのある薄緑の「オゾン」の発光を産出したでしょう。「緑の中で身動きが出来なくなる」事は故に、その実験の乗組員達の幾らかによって経験された「硬直化」、または身動きの取れない状況を示唆する様に現れます。

12)もし彼等が一般的な小さい-ボートのコンパスを運んでいる際に「硬直化して」& 発火したなら、一人の人がそのコンパスを運んでも & 発火し、¹⁴⁷

再び、その実験の「フィールドの中のフィールド」に対して露出された後、普通の、そしてとても弱い磁気的なフィールドに対する露出が、悲惨で身体生理学的な効果を誘発させる事が出来ます。

13)その船の上にいる間ではなくても & そのフィールドの影響下にいなくても人々が不可視に成る事が出来るとはその海軍は知りませんでした。
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146 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 32, italicized emphasis added.
147 Ibid, p. 32.


アレンデは此処で、その実験船の乗組員達のために、その実験が有した結果に関する彼の以前の要点の示唆を引き出し:「フィールドの中のフィールド」に対する露出(被曝)は、彼等の体の上にそれ自体を印象付け(影響し)、弱い磁気的なフィールドに対する再露出の様な、特定の状況の下でそれは、実際の実験自体の効果を再経験させる事が可能でした。故に、再びもう一度、これを、理論的に、または科学的に説明する方法はあるのでしょうか?もしあるのであれば、アレンデの主張は信憑性を増します。次の章の中で目撃される様に、ある説明が実際にあり、物凄い可能性を共にはらんだものです。

14)「フィールド」の中のまたは上の超越「フィールド」の奇妙な効果から死亡する人達が現れるとはその海軍は知りませんでした。

アレンデは再び、「フィールドの中、または上の超越-フィールド」の彼のフォーミュラを繰り返し、そしてこれが実際に何名かの乗組員達の死亡の原因に成ったと言う新たな情報を加えますが、どの様に、または何故(そうなったか)については、彼は明言せず、または考えを提供しません。

15)私自身、私はその小さな-ボートのコンパスに属している何かが「その炎」を「発火させた」と「感じます」。私は証明を一切持っていませんが、海軍も同様に持っていません。

再び、アレンデは、彼の以前の例が示唆する、合理的な結論へと辿り着き:つまり、「フィールドの中のフィールド」は明らかに、その実験船の乗組員達の上にそれ自体を(半)永久的に印象づける事が可能で;その露出(被曝)が長ければ長い程、その印象(影響)はより強力でした。船のコンパス(羅針盤/方位磁石)の様な微弱なものでさえ、磁気的なフィールド(磁場)に対する再露出は、実際の実験自体の効果を再発症させる事が可能でした。

16)更に(状況は)悪化し、明らかに眼に見えていて & 新兵が彼の家の壁を「通り抜けて」何気なく歩いた様に見えた時、その周りのエリアは全ての人々によって調査され & 設置された移動可能なフィールド発生器と共に & (その)下でくまなく調査されそして彼については全く何も見つけられませんでした。その頃までにとても多くの数多くの恐怖が広まっておりそれらの(恐れ)の全てを足し合わせると、その実験においてまたは上で任務していた人達またはそれらの関係者達の誰も二度と経験する事を望むものではありませんでした。

再びもう一度、アレンデは、乗組員達に対するその実験の本質とその効果への手掛かりを提供し:彼等は再びもう一度不可視に成る事が可能なだけで無く、彼等はまた、明らかに、(壁の様な)固体の物体を通り抜けて動く事が可能でした。これは、もし真実なら、その実験の「予測されていなかった」結果の本質への、更にもう一つの示唆で:ジェセップが、彼の「目には見えない個体性(硬直化)」と共に推理したのと同様に、物質自体の(原子/元素レベルの)構造が深遠に変化させられていた可能性を意味します。それは故に、アレンデが最終的に、その科学者(ジェセップ)に手紙を書こうと判断した時に、アレンデの合理化の行程の一部を形成したのは恐らくこの推測だったのでしょう。唯一の問いは、それが科学的に可能なのか?と言う事です。

17)私はまた、その実験的な船がそのフィラデルフィアの軍港から姿を消しそしてたった数分後にポーツマス地域のニューポート・ニュースのノーフォークのその他の港に姿を現した事を伝える事を望みます。これはその場所であったと明確にそしてはっきりと確認されたのですがその船はその後、再び、たった数分間またはそれ以下の内に姿を消しそのフィラデルフィアの軍港へと戻りました。

アレンデは終に、その実験のその他の結果を明言し、「不可視」と共に沿ってその最も有名なものの一つで、その逸話の「テレポーテーション(瞬間移動)」的な要素です。注目されるべきは、これが予測内、または予想外の結果だったのかを、アレンデが実際に示唆しない事です。ですからその問いは、それが科学的に可能なのかと言う事だけでなく、それがその実験のデザイン(計画)の概念だったのか、もしくはもう一つの予測外の結果だったのか?言う事です。

18)私はその実験が行われていた時に私の横に立っていたもう一人の観測者をはっきりと覚えています。

最後に、アレンデは、その実験における彼の役割は、彼がそれを目撃した事だったと鮮明に示唆します。彼はこれが一回、または複数回の実験だったのかは示唆せず、更にその計画において何らかの役割を有していたのかも示唆しません。あたかも「硬直化」される寸前に見える人達を救うためには、「彼等の体の上に手を置く(触れる)」事だとするアレンデの頻繁な明言は、その様な出来事を実際に観測した何者かの声です。そしてこの点はまた、ある意味、「アース(静電気/誘電性の絶縁)」効果が起こっており、そのフィールドに対して露出されていない人が、それに対して露出された人をこの現実(三次元)に留める事が出来る事を示唆します。

これと共に、私達は、ジェセップ博士宛ての、アレンデの三通目の手紙を此処で検証してみましょう。

3. The Third Allende Letter
3. 三通目のアレンデの手紙     158


カルロス M. アレンデ
RF Box (郵便番号)223
ニュー・ケンジントン、ペンシルヴァニア州。

親愛なるジェセップ博士:

国内中を周った私の長い旅の後に家に帰った直ぐ後に私は貴方が一枚の葉書を送ってくれたと気付きました。貴方が「直ぐに」返事を書いてくれと記述したのでそしてですから全てを考慮に入れた後に、そうする決断を行いました。「この現象」を産出したそれらの機器が貴方に与える事の出来る唯一の何らかの複製(再確認)の肯定的な実証に値する物を貴方は私に尋ねますが、少なくとも、私が科学的だったとして、(1927年に/sic)不完全であったとして放棄された理論から産出された物について私がその様な興味を示していたとしても、機能していた & それらの産物の力(作用) & フィールドの奇妙な相互関係の様に成るとはジェセップさん私は予測する事が出来ず、私は全くその様な態度を満足させる事が出来ませんでした。私が出来なかった、または決してしなかった理由は、(当時は現在の主任、バークの管理下にあった)海軍研究部門(NRD)でさえ、何らかのその様な事(実験)が行われる事を許すなど知られる事を許す事など出来無かったためです。貴方も見ればわかる様に、この実験が行われる事を可能にしたのは、バークの興味心 & 意志 & 命令のためでした。白い象(虚像)を証明したのは、彼が今日いる立場に彼を出世させた先進的 & 超-先進化された種類の研究が唯の「ものである」と言う彼の態度でした(または少なくとも、それが大きな比重を占めたのには、間違いありませんでした。)その様な実験の悪臭が(表に)出てくる事が実際にあったなら、彼もまた犠牲にされたでしょう。

しかしながら、時が過ぎると、彼等に対してそれ(被害)が起こった者達は、反応(激怒)を原因した野蛮な感情が一度 colled-off (sic. cooled-off/冷静に成ると)そして更なる調査が公に行われると、その犠牲にされた人達はある意味、聖者に近い地位を達成しました。貴方はこれが、「最大級の重要性」だと言うかも知れませんが、ジェセップ博士、私は心の奥からだけでは無く猛烈に貴方に対して異論します。しかしながら、同時に貴方のアイデア & 貴方自身の好奇心は、私自身の好奇心と類似したもので、哲学的なモラリティー(道義)の上に基づいた私の異論は別にして科学をとても迅速に進歩させる好奇心については同意します。私自身が貴方にとって幾らかの有用な手助けに成る事が出来るでしょうがそうするためには、貴方に対して本当の価値がある素材を産出するためには、催眠術師、ソディウム(ナトリウム)ペンタソル(薬物/自白剤)、テープ録音機 & 優れたタイピスト(秘書)が必用です。

貴方もご存じの通り催眠術をかけられた人は嘘を吐く事が出来ず催眠術をかけられそしてそれが俗語的に知られている様に自白剤(ソディウム・ペンタソル)をうたれた人は、全く嘘を吐く事が可能ではありません。加えると、私の記憶は、私の現在の意識が全く思い出せない、またはほぼ全然、もしくは不確かに覚えている事を多大な詳細において思い出させる事が故に可能で催眠術を利用する事は多大に合理的でしょう。私は故に完璧に名前を思い出す事が出来るだけでなく、同時に住所 & 電話番号そして恐らく私が一緒に搭乗した、更に接触した乗組員達のとても重要な Z 番号(登録番号)さえ思い出す事が出来るかも知れません。私はまたある意味言葉巧みに成る事が可能で、故にそれらの目撃証人達が語って伝えた、または表現した考えの方法 & 習性を正しく語る事が可能で、故に貴方の心理学者達は最も効率的にそれら(彼等?)に対して扱う間違いない方法を事前に用意する事が出来るでしょう。私は約6か月間寝起きを共にし長期間に観測した & それらの人達を除いて誰かに対してこれを行う事は出来ませんが、貴方が良好から素晴らしい結果を得る事は間違いないでしょう。貴方も知る様にマインドは絶対に忘れず、(一度覚えたら)全く忘れません。この上において私は更に私自身を共にしてこれを行う方法を示唆し、マナーリズム(振る舞いの仕方) & 思考のパターン(傾向)の描写における私自身のその後の利用を示唆するのは(催眠術であれ自白剤であれ)貴方の管理下にそれらの人々(兵士達/目撃証人達)を置く目的は、十年以上、またはそれに近い時間の間にお互いと全く手紙のやり取りも実際の接触もしていなかった人々によって催眠術的に覚えられていた経験の共同-関係のために、より大きな衝撃があるものかも知れません。これにおいて、その様な人達を目撃証人としてすると共に、否定不可能な証言が与えられると、その様な証拠と共に突き付けられたのは(IE 研究の主任は)、海軍では無く、空軍で、海軍が失敗した(事故を起こした)「そのもの」を安全に達成するための秘密裡で断固とした努力があったはずで、そうでなければ uproaro (sic/uproar/大騒ぎ)が起こったはずだと言うのが私の信念です。彼等は失敗したのではなく、私は貴方が気付く事を望みますが、金属的 & 有機的な不可視を達成する事に彼等が失敗したのでもなく、予測外に、数千トンの金属(船)& 人間達を瞬きする間に移動させる事を達成しました。長期的な実験のこの後者の効果は(彼等にとって)その実験が失敗だったと彼等が考えた原因であるもの(問題)でしたけれど、¹⁴⁸ 更なる実験は当然もう一つの地点に行くために:(1)それらの貨物と(2)それらの貨物、船、または船の一部乗組員達は同様に移動させられましたを移動させる事の出来るその「フィールド」によって覆われたエリアの利用を通してそれが望まれた瞬間にその望まれた地点へと超高速において多大な数千トン級のもののコントロールされた(意図された)(瞬間)移動を産出したはずだと私は信じます。¹⁴⁹
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148 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 38, italicized emphasis added.
149 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 38-39, italicized emphasis added.


事故的に & 海軍の恥ずかしい困惑に対して、これは既に一隻の船全体、乗組員達 & その他全てに対して起こってしまいました。私はこの事そして当時不可視に成ってしまったその乗組員の人達の基地-の外での無届け外出中の活動(酒場での強盗)フィラデルフィアの地方紙の中で読みました。自白剤-催眠術の影響の下で私はその地方紙 & その他の一つの名前、日付け & 部分 & ページの数字を暴露する(思い出す)ために強制される事が出来るでしょう。故にこの新聞紙の「資料室(記憶)」はこの実験について既に公に成ったものよりも更にもっと肯定的な証明を暴露するでしょう。それらの出来事(不可視に成っている間のレストラン-居酒屋の強盗 & 突然行方が消えたその船)について懐疑的に調査し & 記述しそしてそのウェートレス達にインタヴューしたそのレポーター(記者)の名前が故に見つけられる(思い出される)事が可能で、よって彼(記者)とその女性従業員達の証言がその記録に加えられる事が出来るでしょう。この足跡(手掛かり)に辿り着けば、---- (貴方が ---- スキャンダル(大事件)または発見?と呼ぶかも知れない)これを主張するためのより多大な証拠を貴方が捜し出す事が出来ると私は信じます。貴方が望む事を上手くさせる様にそれらの人達(目撃証人達)を操るにはデール・カーナギー(の力)が必用でしょう。そうすればそれらの目撃証人達の全員の一人ひとりに(お金を)払うよりも安くつき & (賄賂を払うよりも)より健全でしょう。そのアイデアは、初心者(知識の無い人)の様な人にとっては、完全に馬鹿げているでしょう。しかしながら、5年以上前に興味深い記事を貴方が見た地方紙の日付けを貴方自身だけの力で(催眠術と自白剤無しで)、貴方は思い出せるでしょうか?または貴方は1943-44年に会った人達の名前、彼等の電話番号などを思い出せ無いでしょう。

私は貴方がこの計画(助言)を考慮する事を期待します。それ以外の方法では貴方が先に進める事が可能では無い為です。勿論、人々(目撃証人達)が、娯楽として催眠術にかけられるために貴方は、信頼された誰か(催眠術師)が必用で:第一に彼(催眠術師)の実証に-貴方は人を集める事が必用で & 故にその「ショー(実証)」を手助けする事が「光栄な事」で & 彼(催眠術師)のために大きな借りを造り、&/または小規模なバイト代のために参加していると彼等(目撃証人達)を納得させて呼び集めるために彼(催眠術師)は多大な代償を払った個人達(被害者/目撃証人達)を扱う-瞬間を-手にした-時に信用可能な筋書を造り出すために巧みな信憑性の誰か(催眠術師)でなければならない事を私は解っています。あからさまな嘘を絶対的な真実として人々を納得させる事が彼(催眠術師)の主要な事前条件です。(ゴホン。)いかにも、その様な騙しの手口が熟考され & 行われなければなりません。その究極的な結末は、(一般人に)伝えられるためには大きすぎて、信じられなさ過ぎる真実でしょう。不明瞭にする証拠を肯定にする事によって多大に土台づけられた真実です。私はそれらの水兵達が現在何処に住んでいるのかを見つける事を望みます。その人に会った事も見た事も一度も全く無いのに催眠術の影響の下でその人の名前 & 住所をどうにかして貴方に伝える事の出来る極少数の人達がいる事が知られています。それらの人達はとても高いまたは普通よりも高い PSI (sic/PSY?)要素を彼等の(脳力の)中に有しており催眠術によって強化される事が可能で、故にブリタニカ大百科事典から読んでいる様なものです。その居酒屋-レストランの強盗は不可視または半不可視の人達によって行われたのですが、それらの人達はお互いを見る事が可能で、その興奮状態において、彼等の名前を苗字であれ下の名前であれニックネームであれ呼び合った事は確かなはずです。その居酒屋-レストラン(の事件)が起こった特定の日の海軍港の薬局または病院の受付もしくは刑務所の記録を調べればそれらの人達が一体誰だったのか、彼等の軍部登録番号が何であったか正確な名前を明かすかも知れず & 故に彼等が何処の地方の出身かの情報が確認され & 今でも実家にいる人達を巧みに「説得する」事によって、彼等の現在の居場所の地名が確認出来るかも知れません。

不可視な人間に一度成った事のある人(またはその様な人達の幾らか)と貴方は話してみたくはありませんか?(もしその人が彼の HIP SET [腰に装着した何らかの機器]をスイッチ-オフにすると貴方の正に目の前でそうなる[不可視に成る]かも知れません)催眠術師-心理学者 & その様な全て(自白剤 etc.)を上手く行うために、この大仕掛けで非常識な戯れ言(e.g. 舞台の上での催眠術ショー)が必用でしょう。無論私は貴方が好むよりも計画的過ぎて & 几帳面過ぎるものを提案してるのかも知れませんが、しかしそれでも、私は、一人目の対象として、全く催眠術にかけられたいとは思いませんが、この事について好奇心の特定の引き寄せを感じ、私にとって、拒否不可能でしょう。私はこの事(フィラデルフィアの実験)を全開に広める事を望みます。私の理由は単純にこの「フィールド理論」についての更なる研究を可能にする事です。

私は一人の star-gazer (夜空を見つめる人/宇宙に関心のある人)ですジェセップさん。私はこれについてそしてもし正当に扱われたなら、I.E. 公正で心理学的に効果的な方法において人々と科学に対して体現(説明)されたなら彼等の EXP 船が姿を消し & Chesapeake 湾の地域においてその(船の)全体のもう一つにおいて数百海里離れた場所に一分かそれ前後に姿を現した時に(彼等の赤っ恥と共に)海軍が偶然(事故的に)出くわした(瞬間)移動の形状を通して今の時点では人が夢に見る事しか出来ない場所 - 星々(宇宙)へと人は行くだろうと私が確かに感じる事実について私は妥協しません。¹⁵⁰ 私はこれをもう一つの新聞の中で読み & 唯一催眠術によって誰であろうともどちらの新聞だったか、(記事が)現れた日付けが何時だったか & etc. の詳細の全てを思い出す事が可能で、貴方もお解かりに成りませんか?そうでしょう。恐らく既に、海軍は貴方の(調査する)UFOs を造るために(瞬間)移動のこの事故を利用しました。それはあらゆる観点から合理的な進歩でしょう。貴方はどう思われますか???

深い尊敬と共に
カル(カール/カルロス)・アレン(アレンデ)¹⁵¹
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150 Berlitz and Moore, THe Philadelphia Experiment, p. 41, italicized emphasis added.
151 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 36-41.


4. A Brief Analysis of the Third Allende Letter
4.アレンデの三通目の手紙の端的な分析     162


ジェセップ博士宛てのアレンデの三通目の手紙が数多くの要素において、一見、その内容が(二通目よりも)それ程衝撃的では無く、その方向性においてより解りにくい間、着目されるべき幾つかの要点があります。

1)彼等(海軍)は、私は貴方が気付く事に期待しますが、金属的 & 有機物的な不可視を達成する事に失敗したのでは無く彼等は予想外に数千トンの金属 & 人々を瞬きをする瞬間の速さで移動させる事に失敗したのでもありません。長期的な実験の後者の効果は彼等にとってその実験を失敗として彼等が考えるもの(原因)でした・・・¹⁵²

再びもう一度、何らかのテレポーテーション効果の一種が、その実験の偶然の(事故的な)結果だったとアレンデは強調します。ですが此処で彼は、その達成されたテレポーテーション効果の事故的な本質を彼が強調するコンテキストの中で彼の明言が際立つので、極おもむろにですが、光学的な不可視が、その実験の概念的なデザイン(計画)の一部だったかも知れないとほのめかす様に現れます。再び、正当な問いは、その実験のための土台だったと、彼の二通目の手紙の中でアレンデが強調した理論において、この結果のための科学的な土台があるのか否かで:アルバート・アインシュタインの、1928年の統一されたフィールド理論です。

2)その「フィールド」はそれらの貨物、船または船の一部(部分)を・・・もう一つの地点へと(瞬間)移動する事が出来ました。¹⁵³

以前の要点の光の下でこれが重要なのは、アレンデが此処で、その事故的なテレポーテーション効果を、使用された「フィールド」に起因させるためです。
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152 Ibid., p. 38, italicized emphasis added.
153 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 38-39, italicized emphasis added.


ですから再び、その全てが、その実験の結果であるとして私達はアレンデが

a) 光学的な不可視

b) 「硬直化した」人々

c) テレポーテーション

の上に強調している事を有します。再び、それらの効果は、その実験のための土台として彼が引用する(アインシュタインの1928年の)理論の土台の上で、説明可能なのでしょうか?

3)彼等の EXP 船が姿を消し & Chesapeake 湾の地域においてその(船の)全体のもう一つにおいて数百海里離れた場所に一分かそれ前後に姿を現した時に(彼等の赤っ恥と共に)海軍が偶然(事故的に)出くわした(瞬間)移動の形状を通して今の時点では人が夢に見る事しか出来ない場所 - 星々(宇宙)へと人は行くだろうと私は確かに感じます。¹⁵⁴

アレンデは、テレポーテーションの結果の事故的な本質を再び強調し、UFO の推進力におけるジェセップの関心に対してその効果を対にし、疑う余地無く、催眠術的な思い出しのための彼(アレンデ)のアイデアに同意するにおいて、ジェセップに興味を持たせるための誘導でしょう。¹⁵⁵

5. Final Thoughts
5.最終的な思考     163


それらの要点の全てから台頭するものは、しかしながら、アレンデが、もし実際に大掛かりな悪ふざけ(偽情報)を捏造したのだとしたら、一般大衆(情報弱者)の人なら殆ど一瞬たりとも信じがたい、とても非常識過ぎるものを捏造したと言う事で:不可視の船?壁を通り抜けて歩く事が可能で、またはもしコンパス(方位磁石)の磁力に対して露出されると、突発的に発火してしまう、姿を消していく人達?時間の中で硬直化され、そして動く事の出来なく成る人達?そしてこの全てが、第二次世界大戦(当時)の科学技術と供に行われた?

(一般大衆にとっては)信じがたい事です!
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154 Ibid., p. 41, italicized emphasis added.
155 Berlitz and Moore’s summary of the letters may be found on pp. 61-64.


では何故、海軍が着目し、そしてヴァロの注釈版を印刷する手間を行ったのでしょう?そして、一体全体何故、一人の科学者(ジェセップ)が、それに真剣な熟考を与えたのでしょう?それらの問いに答えるためには、その科学自体の検証が必要です。

7. The Corum Proof of Concept Experiment:
The Importance of Unanticipated Non-Linear Effects
第七章 概念の実験のコルムの実証:
予測外の非-直線的(非線形的)な効果の重要性     165


「米国(U.S.)海軍は、アレンデが主張する様に、そして此処までに私達が検証した証拠が示唆する様に現れる様に、電気的なカモフラージュ(電子迷彩)におけるその様な実験を行うために DE (駆逐艦) 173 号を実際に使用したのでしょうか?そしてその結果は、それらはそれ程であったと彼が述べる様におぞましいものだったのでしょうか?・・・その様な証明は見つけられる事が出来るのでしょうか?その計画についての政府のファイル(文献/情報)が発見される事が可能で、そして一般公開されなければ、恐らく駄目でしょう。」
- チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアー¹

上述に引用されたバーリッツとモーアーの碑文は、フィラデルフィアの実験と共に正に何が問題であるかを指摘し:それは UFO 現象自体と同じ分類にあり – または少なくとも同じ分類にある様に現れ - そして数多くの UFO 研究家達と同様に、バーリッツとモーアーは、その逸話についての現在では名作的な彼等の本の全体を通して、政府がその計画に関係している重要な情報を隠蔽していると強く示唆します。もし、ジェセップ博士に対する彼の手紙の中でアレンデが主張した様に、その実験が、多かれ少なかれ、実際に行われたのなら、すると、その様な隠蔽と共謀(国家機密化)は、顕著に合理的な意味を成します。ですが、フィラデルフィアの実験が、UFO の様な、隠蔽された文献と非-証明可能なデータ(情報)と同じ領域にあると言うのは、全体的に真実でしょうか?

それは事実ではありません。

何度も、何度も、以前の章が実証した様に、フィラデルフィアの実験の逸話は、表面上で確認可能な幾つもの詳細を含み、第一に、そして最も重要なのは、その実験の概念的な土台が、回転している電気的な機械、そして/またはフィールドに対するその原則の(ガブリエル)クロン-の様な応用の上に基づいた、1928年のアインシュタインの統一されたフィールド理論の、技術開発可能な考え方の上に基づけられていた事です。故に、文献的な証明が、ペンタゴン(国防総省)やアメリカの国立資料保管所からは出てはこないかも知れない間、もし、その理論の特定の要素を確認するために「概念の証明の実験」が計画され、そして試験される事が出来るなら、強い協力証言(実証)が可能です。
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1 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, pp. 153-154.

幸運にも、私達が、その様な実験を行わなくても良い位置にいるのは、それが既に、何人かの有名な技術開発者達で、科学者達である、K.L. コルム、J.F. コルム博士、そして J.F.X. ダウム博士によって行われたためです。更に加えて、彼等の実験に対して私達が解析を応用する必要さえないのは、それが正しく、フィラデルフィアの実験の概念的な土台を試験するアイデアと共に考え出され、設計されたものであるためです。私達がこの章の中で目撃する様に、その結果は驚きです。

A. The Conceptual History of the Philadelphia Experiment According to the Corums and Daum
A. コルム達とダウムによる、フィラデルフィアの実験の概念的な歴史     166


コルム達とダウムは、コロラド・スプリングスにおける、1994年のテスラ・シンポジウムに対して講演された「テスラのコロンブスの卵、レーダー(に対する)ステルス、トーション・テンサー、そして『フィラデルフィアの実験』」(と題された)重要なのですが、残念にも殆どあまり知られていない論文の中で、フィラデルフィアの実験の、彼等自身の検証を公表しました。² そうする事において、彼等は同時にその実験の良く-考えられた概念的な歴史と進化(発展)を提供しました。

この歴史、そしてそれらの科学的なアプローチ(向かい方)は、その論文の初めにある、彼等の概要を慎重に考える事によって、理解されるかも知れません:

「この論文の中で私達は、第二次世界大戦の潜水艦のための、電磁的なステルスを創造している、磁気的に偏ったフェライト(強磁性の鉄酸化化合物; コンピューターの記憶装置部分に用いる)のアーノルド・ソマーフィールドの論議に対して、U-ボート(ドイツの潜水艦)の探知のために、船の船体の周りに配置された大きな長方形型の螺旋テスラの提案を通した、彼の回転している「コロンブスの卵」の実証から導き出されている糸(一線)に続きます。計算によると、L-Band の(1.5)GHz (ギガ・ヘルツ)において、船のレーダー反射を1%以下に抑える(ステルスの)ために必要な磁気的なフィールドは、15,000 A/m を超えます。この大規模なフィールドは、『フィラデルフィアの実験』の必要条件を満たす様に現れます。この様な強力なフィールドは、もし特に、第二次世界大戦の、電気的に推進された船の上の同位相(静止軌道を回る)発電器から利用可能だった10-125 Hz (ヘルツ)の範囲におけるフリクエンシー(周波数/振動率)において推進(利用)されたなら、緑色の(イオン化の)霧と塩水(海水)の中の空洞効果、そして人間達(人体)における磁気的なフォスフェン(光視、眼内閃光)と Purkinji パターンを創造したでしょう。利用可能な知識と共に、(ヴァーナヴァー・ブッシュの指揮下にあった)the DSRB が(戦時中に)、その様な実験を行っていなかったのなら、責任放棄に等しいと、私達は結論します。」
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2 つまり、アメリカの防衛と技術開発(i.e. 軍需産業複合体)の特定の内輪のコミュニティー以外には知られていないと言う事です!

「最後に、一時的な分岐化についての私達の憶測を提案します。地域化されたデカルト的なトーション・テンサーが、強磁性の回転によって派生させられるとする、Hehl の理論を仮定するとして、私達は、anholonomity (アンホロノミティー/Sagnac 効果)から派生している一時的な異等方性(anisotropy)と、統一されたフィールド(エディントンの『しわくちゃにされた重なり合い』)の1929年版(sic)のトーションにおいて派生しているものから分別するために、2つの物理的な実験を提案します。」³

此処において述べられた事に注目して下さい:

1)その実験の元々の設計概念は、レーダーの反射の削減(ステルス)を達成する事で;

2)1%以下にレーダーの反射を削減するために必要なフィールドの強さは、正確に計算可能で;

3)その様な強さのフィールドは、「フィラデルフィアの実験」- 型の計画のための必要条件を満たすだけでなく、更に加えて大気のイオン化、そしてその船の周りの「緑の霧」を派生させるだけでなく、同時にその(船の)周りの海水において空洞効果を派生させ、そしてそのフィールドの中の人間達において有害で身体生理学的な効果(被曝)を派生させ;言い方を変えると、
アレンデのワイルドな主張の幾つかには、科学的に確認可能な事実における土台があり


4)フィールドのこの強さは、第二次世界大戦中のアメリカ製の船の上で利用可能な、船に積まれた電気的なドライヴ発電器の機能の範囲内で;

5)それらの可能性を目の当たりにして、その著者達(コルム達とダウム)は、海軍が、そうしなかったよりも、それらを探求した可能性が遥かに高く、(当時)そうしなかったのなら、任務放棄に等しかったはずだと主張し;そして最後に、

6)彼等の研究の本文の中で彼等が調査する、実験的、そして理論的な熟考の上に基づいて、彼等は「一時的な分岐点(bifurcations)」についての推理を提唱し、言葉を変えると、その実験が実際に、そしてとても予測外に光学的な不可視、そして更に「テレポーテーション」または「時空間的(spatio-temporal/空間-一時的)」な転移さえも達成したとする、アレンデのもっと衝撃的な主張のための可能な土台を提唱します。
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3 K.L. Corum, J. F. Corum, Ph.D., and J.F.X. Daum, Ph.D., “Tesla’s Egg of Columbus, Radar Stealth, the Torsion Tensor, and the ‘Philadelphia Experiment,’” p. 1, emphasis added.

その他の誰しもと同様に、コルム達とダウムは、その逸話についての現在では名作的な、バーリッツとモーアー本を彼等が入手し読んだ時に、科学的な可能性と実験の可能性について考え始めました。⁴

彼等は - 此処までに、この本の全体を通して私達が試みたのと同様に - 「フィラデルフィアの実験より以前の十数年間の科学者達によって利用可能であったはずの、古典的な(相対性理論以前の)理論そして相対性理論の両方の、物理的な主張の種類の再構築(検証)を試みる事によって始めました。」⁵ 彼等の概要によって示唆される様に、その実験のための可能な概念的な土台として、彼等は直ぐに、統一されたフィールド理論の1928年版における、トーション・テンサー・トランスフォームに目を付けました。

コルム達とダウムの論文が明かす一つの興味深い点は - (はっきりとした)実証は無いのですが - その実験と共に関連していたと彼等が主張する人物名のリストで、彼等の幾人かは、ヴァロの注釈版、バーリッツのバミューダ・トライアングル、そして勿論、バーリッツとモーアーのフィラデルフィアの実験の中で私達が出くわした人達で:アルバート・アインシュタイン、ルドルフ・レイデンバーグ、ジョン・フォン・ニューマン、デーヴィッド・ヒルバート、ニコラ・テスラ、オズワルド・ヴェブリン、バートランド・ラッセル、ガブリエル・クロン、そしてヴァーナヴァー・ブッシュです。⁶

このリストの中にクロンが含まれている事が説明可能なのは、以前の章の中で概要された理由の全てのためで、そしてヴァーナヴァー・ブッシュが含まれているのが理解可能なのは、FDR (ルーズベルト)の科学的な研究(兵器開発)のツァー(責任者)として彼がその国(米国)における全ての秘密裡の研究計画の中に、彼の手を入れていたはずだと言う、単純な理由のためです。両方の人達は殆ど必然的に、その様な計画のための合理的な必要性でした。そのリストはまた、コルム達とダウムが素早く指摘した何か他のものを明かし:もしフィラデルフィアの実験の逸話が神話、または悪ふざけ(偽情報)だとしても、それがアレンデから起因する事が出来ないのは、それが(物理学の)初心者(アレンデ)の作り話とするためには、その詳細が、トーション・テンサーの科学的な示唆と共に正確過ぎる程、一致しているためです。⁷
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4 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 2.
5 Ibid.
6 Ibid., emphasis added.
7 Ibid., p. 3.


1. Tesla’s Meeting with FDR
1. FDR とのテスラの会合     169


その実験の概念的な歴史の再構築において、コルム達とダウムは、有名な物理学者であり、発明家のニコラ・テスラと、当時、海軍の次官だった、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)の間で、第一次世界大戦中に行われた会合と共に始めます。⁸ ルーズベルトと、そして彼の直属の上司であり師匠の海軍長官、ジョセファス・ダニエルズの両者は、電磁的なスペクトルの全体の、絶対的で法的な操作(特許化/著作権/知的財産権 etc.)を手に入れる事に強い関心を示しました。⁹ この時代の当時、ヴァーナヴァー・ブッシュ博士はまた、その(米国)海軍のための、潜水艦の探知(レーダー)の問題において苦悩していました。そして最後に、更に興味深い「偶然」において、1920年代の間に、フィラデルフィアの E.G. ブッド Mfg 社との契約、または相談役の位置の何らかの一種にテスラがいた事が知られています。コルム達とダウムは、1943年の早期におけるテスラの死の際に、政府が秘密裡に、彼の書類を調べ、そして没収したと言う逸話に新たな話を加えます。この逸話の一般的に知られるヴァージョンにおいて、FBI (のエージェント達)がテスラのホテルの部屋に侵入し、彼の(研究)書類を没収します。ですが、コルム達とダウムのヴァージョン(調査)において、ヴァーナヴァー・ブッシュ博士の同僚以外の何者でも無い、MIT (マサチューセッツ工科大学)の教授である、ジョン G. トランプドナルド・トランプの叔父!)が「海軍の諜報工作の士官達」によって護衛され、その貴重な書類を検証しました。¹⁰

故に、第一次世界大戦からまつわる、海軍とのその著名な発明家(テスラ)との強い関連性があります。ですが、コルム達とダウムは、単なる偶然の一連よりも、更にもっと強い関連性のために主張します:
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8 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 3.
9 Ibid.
10 Ibid. 8ページの補足情報の中で、コルム達とダウムはトランプについて以下の情報を加えます:「1943年の一月に、テスラが亡くなった時に、ジョン G. トランプ(教授)が、3名の海軍の人員によって追随され、彼(テスラ)の書類を検証した事を思い返してみて下さい。トランプ(教授)は、1942年から1944年まで、国家防衛研究委員会のマイクロウェーヴ(兵器開発)委員会の主任であり、当時、レーダーについての、C.A. スパーツ将軍の助言的な特別グループの一員として、(MIT の)放射線研究所の英国版の長官として、彼がヨーロッパに派遣された事を思い出して下さい。・・・スパーツ将軍は、ついでに言うと、空軍の参謀長で、UFO についての『とても秘密裡な』委員会の代表でした。


「フィラデルフィアの実験は、第一次世界大戦中にテスラに公表され、そしてブッシュ(博士)の様な人達によって気付かれた(テスラの)明言まで遡れるだけでなく、その実験の物理学は、回転している磁気的なフィールドの、テスラの発明まで実際に遡れると私達は考えます。更に加えて、テスラの回転しているフィールドと、アインシュタインの1927-29年の統一されたフィールド理論の公表の中に現れるトーション・テンサーの間には合理的な繋がりがある様に私達にとって現れます。この関連性は1930年代の間に GE (ジェネラル・エレクトリック社/Schenectady)において、ガブリエル・クロンによって最初に確認され、そして公表されました。」¹¹

そして其処に、テスラの科学技術、アインシュタインのトーション・テンサー、そしてガブリエル・クロンによるその応用の間の繋がりがあります。その実験の概念的な概要は、言い方を変えると、テスラの科学技術とアインシュタインの理論の間のもので、クロンの技術開発を共に、その2つの間の繋がり(架け橋)を供給していました。言うまでも無く、この本の次の部分の中で目撃される様に、ナチスのベルのために、もし全く同じでは無いにしても類似した関連性の一連が引き出されるかも知れません。

ですがテスラの研究の中の何が、一体全体、その実験の概念的な中核を形成したのでしょう?

「ジャーナリストの筆によって仲介され、一隻の船の電気的な準備を語るテスラに耳を傾けて下さい:

「『さて、その船の上に、大きな長方形型の螺旋、または絶縁化されたワイヤー(銅線)のインダクタンス(導電)のコイルを私達が設置したと仮定しましょう。ヒューストン・ストリート(ニュー・ヨーク・シティー)の私の実験所における実際の実験は、船の船体の様な、地域的な鉄の塊は、この機器の機能と共に障害しないと実証されました。約400フィートの長さで、70フィートの幅の寸法(その船の長さと幅)のワイヤーのこのコイルに対して、私達は、極度に高いフリクエンシーで、そしてとても強力な振動電流の電力源を接続します。』」¹²

コルム達とダウムが結論へと至る様に、「この提案にヴァーナヴァー・ブッシュが気付いていたと私達は考え、それらの(テスラの)言葉が、『フィラデルフィアの実験』として後に花を咲かせた種であると言うのが私達のテーゼです。」¹³
_____
11 Ibid.
12 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 6, citing Secor, H.W., “Tesla’s Views on Electricity and the War,” The Electrical Experimenter, Vol. V, No. 52, August, 1917, pp. 229-230, 370.
13 Ibid.


この記事の中の更に後方の上で、テスラは彼の頭の中で考えていたものが何であるか、もっと完全に綴りだします:「平均的な船は、10,000から15,000 HP (高圧) まで利用可能です・・・電気的なエネルギーは、毎分ほんの少しだけ、船の動力源から差し引かれ、相応しいコンデンサー(蓄電器/凝縮装置)によって、そしてその他の機器(装置)によって凄まじい率において吸収され、それらからそれ(電力)は、望まれるあらゆる率において解放される事が出来るでしょう。」¹⁴ テスラがこの全てを、電気的な実験者誌のために記述していた間、ヴァーナヴァー・ブッシュは同様に、潜水艦の探知の方法を発見する試みを行っていました。¹⁵ そして其処には、勿論、フィラデルフィアの実験に対するもう一つの明らかなテスラの関連性があるのは、一番最初の場所において、レーダーのアイデアを最初に提案したのがテスラだったためです。¹⁶

テスラ、アインシュタイン、そしてクロンの研究における関連の、レーダーと、そして顕著で理論的な、更に科学技術的な土台に関する限り、その実験の概念的な歴史をその様に掘り起こした後、彼等(コルム達とダウム)は直ぐに、拘わったレーダー・ステルスの概念的な土台の検証に進みます。

2. Arnold Sommerfeld and Electromagnetic Radar Stealth
2. アーノルド・ソマーフェルドと電磁的なレーダー・ステルス     171


彼等の立証における次の概念的な一層を供給したのは、レーダー、電磁力、そしてレーダー・ステルスの専門家であり、アインシュタインの同僚だった、アーノルド・ソマーフェルドで、そしてそれは幾つかのとても息を奪うような方向において延長する示唆を共にした、驚きの一層でした。彼等はソマーフェルドの有名な理論的な物理学についての講義についての極度に重要な観測を行う事によって始め、そしてその電磁的なレーダー・ステルスに関係している部分は、「レーダーとレーダーを吸収する素材についての、ドイツの戦時中の研究の驚きの議論を体現します。」¹⁷ 言葉を変えると、此処から続く理論的な熟考の全ては、ナチスの概念と実験の上に基づいています。

a. Magnetic Permeabilities of Two Media
a. 2つのメディア(媒質/媒体)の磁気的な浸透性(透過率)     171


ソマーフェルドは非同等な透過率、µ(ミュー)₁と µ₂である - 大気と標的と言う – 2つの媒質/媒体の場合をあげる事によって彼の議論を開始し、其処において µ は、媒質/媒体の磁気的な透過率を意味し、そして下付きの数字はそれぞれ大気と標的を代わりに意味します。故に µ₁≠ µ₂ です。
_____
14 Ibid., p. 7.
15 Ibid., p. 8
16 Ibid., p. 9.
17 Ibid., p. 10.


「その戦争の最中に、連合軍のレーダーに対する対応策として、薄い厚さで、大々的に非反射性の(「黒い」)表面の層を見つけるための問題が台頭しました。この層は、レーダーの周波の perpendicular/直角/垂直(直交)、またはほぼ perpendicular の incidence (レーダーの周波の入射/接触)のために、特に非-反射的に成る事が目されました。この場合において、入射(接触)の角度と反射(配信)の角度は両方ともほぼ、ゼロと同等です。その問題は、2つの波のインピーダンス(交流における電圧の電流に対する比)の比率を unity/統一(+ - ゼロ)と同等にする事によって解決されました・・・」¹⁸

(ナチス)ドイツ人達にとって、ソマーフェルド自身の言葉において、「その標準は故に、(光などの)屈折の指数では無く、波のインピーダンスの比率でした。」¹⁹

コルム達とダウムはその膨大な示唆に素早く気付きました:「ソマーフェルドの提案は、レーダーの反射を消去するために、レーダーの標的の表面を『コンジュゲート(連動/重なり)のマッチ(適合)』にする発想に類似しています。」もし人が第二の媒体(標的/µ₂)のインピーダンスを、自由空間(大気/第一の媒質/µ₁)と同じに出来るなら、その標的はレーダーに対して不可視に成ります。」²⁰ 私は此処で、まだ知らない人達のためにそれを説明するために、私の以前の著書の全体を通してフェーズ・コンジュゲーション(フェーズ連動)の私の説明を理解した読者達には、少しだけ我慢して御付き合いしていただく事をお願いします。

b. Electromagnetic Phase Conjugations, Phase Conjugate Mirrors, and Templates
b. 電磁的なフェーズ・コンジュゲーション、フェーズ・コンジュゲートの鏡、そして型板(テンプレート)     172


私の以前の著書、宇宙戦争:間惑星的な戦争、現代物理学、そして太古の文献の中で、私は、物理学者、ポール・ラ・ヴィオレットの、電磁的なフェーズ・コンジュゲーションについての以下のまとめを記述しました:

「『フェーズ・コンジュゲーション』と言う用語は、光の波の入射の方向(角度)を反転させる事が出来て、そしてそれら(波)がフェーズ・コンジュゲートしている鏡に対して辿った通り道を、それらが正確に後戻る原因に成る、一種の特別な『鏡』を言及します。その結果は、あたかもそのフォトン(光子)が、時間において遡って移動させられた様なものです。もしあなたが、普通の銀色の表面の鏡に向かって、一定の角度において懐中電灯の光を当てたら、その光は反対側の方向において、同等の角度で反射するでしょう。ですが、もしあなたが、フェーズ・コンジュゲートの鏡に対して懐中電灯の光を当てると、その反射した光は(入射角に拘わらず)代わりにあなたの懐中電灯に対して直接戻ってきます!
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18 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 10, emphasis added, citing Sommerfeld.
19 Ibid., citing Sommerfeld again.
20 Ibid., emphasis added.


「光学的なフェーズ・コンジュゲーションは、敵国のミサイルを破壊するための、軍事的なレーザー兵器システムにおける利用のために、最も一般的に知られています。この応用においてレーザーのビーム(光)は、遠距離の移動しているミサイルの標的に対して向けられ(標準が合わされ)、そしてその標的から反射して戻って来た光線は、非直線(非線形)的で光学的な性質を持っている媒質/媒体を含んでいる室である、フェーズ・コンジュゲーターへと入る事が許されます。この非線形的な媒質/媒体の中で、その反射された光線は、『グレーティング』と呼ばれた一種のホログラム-の様な、電磁的な光の屈折しているパターンを形成するために、類似した波長の2つの対峙している(反対方向の)レーザーのビームと共に相互作用させられます。一度、このグレーティングのパターンが形成されると、そのシステムは実質的に、その標的に対してロック・オンに成ります。強力なレーザー兵器がその後、このホログラフ的なグレーティングのパターンへと放出され、その上で、そのミサイルから元々反射して戻って来た光線によって辿られた通り道を逆戻りして、強力な外向きのレーザーのビームが産出される方法において、(そのグレーティングから)一貫的なレーザーの光が反射します。結果的に、その外向きのレーザーのパルスは、そのミサイルの標的の上に正確に衝突します。」²¹

言い方を変えると、フェーズ・コンジュゲーションは、標的から反射されている電磁的な波において、大気(または言ってしまえば、あらゆる仲介的な媒質/媒体)が原因する歪み(屈折)を解消する方法です。故に、フェーズ・コンジュゲーションが形成された、その様な「グレーティング」を通して照準されたレーザー・ビームは、完全な一貫性、そして最大出力でその標的に対して届きます。レーダー・ステルスのソマーフェルドの電磁的なヴァージョンがどの様に、この概念に関連しているのかを理解するのがたやすいのは、一種の「真逆」なフェーズ・コンジュゲーションが示唆され、其処でその標的( µ₂)が、その周りの媒質( µ₁)に類似する様にされるためです。²² 故に、ナチス・ドイツが、第二次世界大戦の間に、フェーズ・コンジュゲートの兵器の入手(開発)に向かって大きく前進していただけでなく、米国も同様に、そのフィラデルフィアの実験において - その敵国のナチスとは異なり、偶然(事故)的にですが - その同じ兵器に対して、同じく膨大な進歩を遂げていました。
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21 Paul LaViolette, The Talk of the Galaxy, p. 132, emphasis added. Cited in my The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts, p. 125.
22 ナチスのレーダー・ステルスと RAM (レーダーを吸収する素材)の実験の関係、そしてフェーズ・コンジュゲーションの発見に対する関連の更なる情報については、私の著書、The SS Brotherhood of the Bell の第五章の全体を参照して下さい。この原則の兵器化の詳細な論議については、私の The Cosmic War: Interplanetary Warfare, Modern Physics, and Ancient Texts, 124-130 ページを参照して下さい。


c. Back to Sommerfeld: Permeability and Dielectric Constant
c. ソマーフェルドに戻る:浸透性(透過率)とダイエレクトリック(誘電性)の定数     174


ソマーフェルドは、ナチスのレーダー・ステルスの素材、彼等の理論的な土台、そしてナチスの電磁的なステルスの研究について、更にもっと多大に明かします:

「一つの物体をレーダーの波に対して『カモフラージュ(迷彩/不可視)』にするために、人はそれをセンチメートルの周波の範囲における数値1を持つ、波の抵抗(反射)のこの比率のために、それを一つの層と共に覆わなければなりません。(屈折と境界線の状態[ステルスの素材]の法則)によると、これが意味するのはつまり、もし私達が、その必要とされた素材、ε (エプシロン/ダイエレクトリシティー/誘電性/静電気)と µ 、そして更に大気の ε₀と µ₀の定数を考えるなら、すると

ε/ε₀ = µ/µ₀ です。

「故に、その問題は、ダイエレクトリックの定数(ε)だけでなく、同時に、ダイエレクトリックの定数と透過率の間の関連に関係しています。その透過率が・・・その相対的なダイエレクトリックの定数と同じ規模(比率)の素材が製造されなければなりません・・・」²³

ですが、ソマーフェルドが続いて観測する様に、これがそれでもその問題を解決しないのは、レーダーを吸収している素材のこの層の背後(下)に、その標的の金属が、反射的な表面を未だに形成しているためです。そして故に、そのレーダーを吸収している素材は、十分に強く吸収しなければなりませんでした。これは順を追って、その素材の磁気的な浸透性(透過率)とダイエレクトリック的な定数に、実質的な数値よりもむしろ、複雑な数値によって与えられた状況を課せました。²⁴ その素材は、言い方を変えると、「強磁性」でなければならず、そしてその構造が、入射(接触)してくるレーダーの周波を吸収するために、十分に『リラックス(柔軟)』な性質でなければなりませんでした。
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23 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 10, emphasis added by those authors.
24 Ibid.


これは難しく、科学技術的な問題で、そしてその戦争の期間の中で、解決の可能性が低いものでした。従って、ナチスの科学者達は、その層が、連合軍のレーダーの入射的な波長の1/4である、標的( µ₂)の表面を覆っている素材の解決策を応用し、そして、私の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の中で私が詳細した様に、レーダーの波長の異なったフリクエンシー(周波数/振動率)に対してレゾナント(共振的)な、様々な直径の、色々な金属、そして合金の、小さな金属製のボールと共に埋め込みました。故に、入射(接触)的なレーダーの波は、レゾナンスを通したその(幾つもの)ボールにおいて、小規模な電流を刺激し、そしてこの電流は、順を追って、そのゴム(合成樹脂)の中で消散させられます。その入射的なレーダーの波は、その標的の金属製の表面に対して、この素材の層の全てを通り抜けるまでに、完全に吸収されるわけでは全くありませんが、その(レーダーの)シグナルは、十分に弱められました。その理由は、完璧な(レーダーの)吸収には、約2.5(インチ?/cm?/mm?)の厚さの RAM (レーダー吸収)の素材の層が必用で、ドイツの U-ボート(潜水艦)の表面を完全に覆うには厚すぎ、重すぎて、それ(ナチス・ドイツ/U-ボート)は、その素材の部分的な層で妥協しなければならなかったためです。²⁵

そうであれ、ドイツのレーダー吸収の素材は、フェーズ・コンジュゲーションにおいて使用された、正しく同じ種類の非線形的な性質を実証し、そして実際に、私の著書、ザ・ベルの SS 同胞団の中で私が公開した様に、その(ナチスの)ドイツ人達は、彼等の軍事開発(実験)の後期の間に、レーダーのフェーズ・コンジュゲーションを発見しました。²⁶

コルム達とダウムは、しかしながら、不穏な最後の疑問を台頭させます:「ソマーフェルドの明言と、第二次世界大戦の間に、ドイツのキエル造船場において行われたと噂された『フィラデルフィアの実験』のドイツ版とされるものの間には、何らかの関連性があるのでしょうか?」²⁷ この噂は、フィラデルフィアの実験の逸話を調査しているコミュニティーの中で、長年、流通してきましたが、未だにその逸話を何らかの度合で協力証言する証拠は、出てきていません。最終的に明言される事が出来るのは、ソマーフェルドの明言が示唆する様に、ナチス・ドイツは、米国と同様に、レーダー・ステルスの軍事開発を熱心に探究しており、RAM (レーダー吸収)の素材の開発を通して、そして電磁的なカモフラージュ(迷彩)の両方を通して、(ドイツと米国は)お互いに同じ位置にいました。そして米国と同様に、ドイツの Kriegsmarine (海軍)が何らかの大規模な実験を行っていなかったなら、それは任務放棄に等しかったはずです。
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25 Corum, Corum, and Daum, “Telsa’s Egg of Columbus…”, p, 11.
26 See again chapter five of my The SS Brotherhood of the Bell.
27 Corum, Corum, and Daum, op. cit., p. 11.


B. The Corum-Daum Experiment and its Results
B. コルム-ダウムの実験とその結果     176


1. Initial Surface Impedance Measurements and its Results
1. 当初の表面のインピーダンスの測定とその結果     176


電磁的な方法による、レーダーのステルスの問題に対する解決策は、大気中( µ₁)とその標的( µ₂)の周波のインピーダンスを unity (+ - ゼロ)に等しい比率にする事で、故にその標的をレーダーに対して「不可視」にする事であると言う、ソマーフェルドの明言まで遡り、コルム達とダウムは、「鋼鉄(または強磁性)の物体(戦艦、潜水艦、戦闘機、ミサイル etc.)の周りの大きなコイルの中の電線の電流によって、その鋼鉄の物体からのマイクロウェーヴ(の周波数)のエネルギーの反射において、どうにかして削減をもたらす事の出来る、何らかの現象が存在するのだろうかと尋ねます。」²⁸ 彼等は、その表面に対して平行に「定数(一貫)的で、磁気的なフィールドの方向性において覆われた強磁性の塊」の表面のインピーダンスを検証する事によって始めます。これは、その周りにコイルと共に巻かれた、マイクロウェーヴのレーダーのパルスによって舷側(船体)が照射された駆逐艦の状況をシミュレート(再現)するでしょう」と彼等は主張します。²⁹

様々な帯幅(周波数/波)の上で測定を行い、³⁰ 彼等は奇妙にも、「その証拠は、多いとは言えませんが、レーダーの反射が最小限化される事が出来ると示唆する様に現れ、そして電気的なカモフラージュの使用は恐らく、実験的に研究されたでしょう。」しかしながら、彼等はまた、「レーダーの反射において、その様に完全な無効化が出来て、またはその様な広い周波数の範囲の上でチューン(調整)可能な何らかの素材があると、私達が主張しているわけではありません」と指摘します。³¹ 言い方を変えると、あらゆる素材のために、完全なレーダーの不可視は不可能で、マイクロウェーヴの範囲における様々な周波数の上では、更にそうでした。
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28 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 13.
29 Ibid.
30 These results are found and charted on pp. 14-22.
31 Ibid., p. 22.


2. A Second Experiment
2. 第二の実験     176


それらの測定が行われ、そして結論が引き出されると、彼等はその実験を少々変化させ、より複雑な実験を行う事を決定しました。そのコイルの巻きを通して、より大きな電流を産出する電力源と共に、テスラの「コロンブスの卵」の機器から、トーラス状(ドーナッツ型)で鋼鉄製のコア(中核)を外し、彼等はそのドーナッツ、またはコイルのブロードサイド(舷側/片側)に(100-250mW[メガ・ワット]と9.98-11.98GHz[ギガ・ヘルツ]において)klystron (クライストロン/マイクロウェーヴ用真空管の一種で、速度変調管とも呼ばれる物)と共に照射し、クリスタル(水晶)製の探知機と共に、レーダーの後方散乱を測定しました。³²

その後、フィラデルフィアの実験の状況をシミュレートするために、彼等は更に(実験を)行いました。

岩塩が溶けた水(塩水)の水槽の中にそのコイルを沈める事によって、彼等は、彼等の控えめな電力供給と共に、そのコイルをエネルギー化させました(電流を流しました)。そのコイルにおける結果的な高い電流は、しかしながら、少々驚きの結果をもたらし:「その水は(文字通りに)『水槽の外に飛び出しました』!」³³ 彼等はその後、彼等の論文において彼等が産出する、実験的な証拠の枠組みを全く超えるものではありませんが、彼等の最初の推定的な結論を引き出します:「明らかに、利用可能な4.5 MW までと共に、塩水の中の渦電流は、水の中に船体の形の穴をあけるだけでなく、恐らくある意味、その船を(空中)浮遊させたでしょう。」³⁴ カルロス・ミグエル・アレンデ(の主張)が結果的に、少なくとも部分的に証明されたのは、これが正しく彼が報告したもので、水(海水)の「沸騰」だけでなく、その中における船体の形の空洞であったためです!そして部分的な(空中)浮遊効果が結果したかも知れないと認める事と共に、テレポーテーション(瞬間移動)のためのアレンデのファンタスティックな(信じがたい)主張に対して、人は徐々に近づきます。

ですが、私達はまだ、其処には到達していません。

私達が其処に辿り着く前に、「概念の証明」の実験のそれらの元々の一連から、コルム達とダウムが引き出した結論に、私達は着目しなければなりません:

「その分析は、神話以上の何かが拘わっていたとする論説に対して信頼性を与える様に現れ、そしてそれは、電気的なドライヴ(機器/発電機/蓄電器)と共に、船の上で、レーダーのステルスを実験するために、『フィラデルフィアの実験』を実際に行う、十分な動機が存在していたと言う、可能な結論を与えます。1938年の直後に知られていなかった現象学を使用するその分析は、私達が推定した数値が実用的か否かは別にして、恐らくレーダーのステルスの実験に対して、第二次世界大戦の海軍の調査隊員達をもたらしたでしょう。実際に、もし国防科学研究委員会(DSRB)が1943年において(知っていたはずの)この現象学に気付いていたなら、その様な実験を行わ無かったとしたら、それは DSRB にとって、任務放棄の振る舞いだったでしょう。³⁵
_____
32 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, pp. 22-23.
33 Ibid., p. 23.
34 Ibid., emphasis added.
35 Corum,, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 23.


言い方を変えると、レーダーのステルスは、その実験のための最も可能性の高い概念的な土台で、そして更にコルム達とダウムの様な「概念の証明」の実験が設定され、実験された時に、アレンデの主張と観測の、より信じがたい幾つかが、実験的に観測されました。

ですが、アレンデのその他の主張についてはどうだったのでしょう?その船の、完全に光学的な不可視についてはどうだったのでしょう?実際のテレポーテーションについての、彼の異例的で信じがたい主張についてはどうだったのでしょう?

これは、人々が言う様に、それが本当に興味深く成る処です・・・

C. The Corum-Daum Analysis of the Moore-“Rinehart” Interview
C. コルム-ダウムの分析の、モーアー-「ラインハルト」のインタヴュー     178


・・・それが本当に興味深くなるのが何故なら、バーリッツとモーアーの本の中で少なからず科学的な分析を通して概要された「ラインハルト博士」の明言を、コルム達とダウムが、題材へと上げるためで、それは、フィラデルフィアの実験の逸話のその他のセンセーショナルな(信じがたい)要素を考えるために、彼等に新しい扉を開きました。

彼等はこの分析を、一隻の船の上の、典型的で磁気的な消磁(絶縁)を再検証する事によって前書きします。彼等が記述する様に、『その船の上で使用された、5種の異なった種類のコイル・システムでした。』³⁶それらの内の2つは、より詳細に明言されました。それらは:

1)その船の全長の軸に平行してその中軸を有し、その竜骨(船首から底を通って船尾まで貫通し船を支える材)から露天甲板まで、その中央の線に対して直交(直角/垂直)な、その船の船体の周りの横断的な平面において巻かれているコイルのループ(輪)を共にした、螺旋状のソレノイド(線輪筒/電磁石)の一種の配置である「L - コイル」で³⁷ そして、

2)喫水線(船側と水面とが相接する線)とほぼ同じレベル(高さ)における、水平面的な平面において、その船の船体の内部を囲んだ「M - コイル」です。³⁸

それらのコイルのケーブルは、直径においておよそ5インチで、そして頻繁に、それらのケーブルの3本ないし4本が一緒にまとめられていました。³⁹
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36 Ibid., p. 26.
37 Ibid.
38 Ibid., pp. 26-27.
39 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 27.


コルム達とダウムが観測に至る様に、その船の船体と、そしてその周りの海水の冷却効果を人が無視したとさえしても、「その基準的な(ケーブルの)束は、もし限界まで強制されたなら、恐らく、とても大きな電流を扱えた様に現れます。」⁴⁰ その船の中のコイルは、言葉を変えると、その実験の完全規模の船上の試験に繋がった、「概念の証明」の実験において使用された機器が何であれ、必要な電力の出力を遥かに上回るものでした。

それらの考えを手にすると共に、コルム達とダウムは、バーリッツとモーアーの本の中の詳細な主張の、彼等自身の実験を始めます。彼等はその逸話の批評者、J. Pothier の研究を引用する事によって始めます:

「モーアーとバーリッツによる著書は、驚く程に描写的な情報の源です。最近に成り、一人の批評者がその本を検証し、そして『フィラデルフィアの実験の中でモーアーとバーリッツによって公表された情報は、確認の最も原則的な試験に失敗するだけでなく、利用可能な証拠の膨大な量は、そのテーゼは明らかに論拠が薄いと実証します、』と結論しました。私達はその正反対が事実であると考えます。その現象学が供給されただけでなく、様々な目撃証人達の独立的な(それぞれの)証言は、基本的で科学技術的な問題に協力証言します。」⁴¹

彼等は、その船のコイルの制限の中でどの様に、電流が増幅され、そして電圧(ヴォルテージ)が縮小化される事が可能だったのかを尋ねる事から始めます。⁴²

その2つの答えは、明らかに、(1)トランスフォーマー(変圧器)を利用する、または(2)「平行的なレゾナント(共振/共鳴)のタンク回路において起こる、回流している電流の中のレゾナントの上昇」に通す事でした。⁴³ この時点において、彼等は「ラインハルト博士」の明言と、ジェセップの友人、マンソン・ヴァレンタイン博士の明言の、2つの明言を引用します:
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40 Ibid.
41 Ibid., p. 28, emphasis added, citing J. Pothier, “The Philadelphia Experiment Revisited – Part II,” Electrical Spacecraft Journal, Issue 8, October-December, 1992, pp. 14-21.
42 Corum, Corum, and Daum, op. cit., p. 28.
43 Ibid., p. 29.


R.F. ラインハルト博士
「その会話はこの時点において、レゾナンスの原則へと変わり、その様な実験のために、必要とされた強力なフィールドをどの様に、この原則を使用しながら達成されたかも知れないと言う事に成ったと私は考えます」⁴⁴

「レゾナンスの原則の方法によって、実験的な目的のために、必要な電磁的なフィールドを産出する発想は同時に - 恐らく、アレン博士との幾つかの対話の結果として、ケントによって元々提案されたと、私は自信を持って感じます。」⁴⁵

(マンソン)ヴァレンタイン博士
「その実験は(ジェセップ博士によると)degaussers (デガウザー/消磁装置)として知られた、海軍機種の磁気的な発生器を使用する事によって達成され、それは停泊させられた船の上と周りに凄まじい磁気的なフィールドを創造するために、レゾナント・フリクエンシー(共振の振動率)において『パルスされました』。」⁴⁶

コルム達とダウムはその後、この様に観測し

「もし(1917年のインタヴューの中で、テスラが示唆した様に)彼等がキャパシター(コンデンサー/蓄電器)をその船のコイルとの平行において配置し、そしてその船の発電機のフリクエンシーにおいて平行的なレゾナンスまで、そのシステムをもたらしたなら、するとそのコイルの中で回流している電流は、平行的なレゾナント・システムの Q (数値)によって増幅されたでしょう。つまり、タンク回路コイルにおいて回流している交流電流は、以下の量によって、入力の電流よりも、より大きく成り」(i.e. 電圧を抑えながら、電流を増幅し)

I coil = I t √1+Q t² ・・・です。⁴⁷

言い方を変えると、レゾナンスの使用は、完全規模の試験のために、望まれたフィールドの強さを得るために、電流を増大させる最も合理的な方法でした。ですから、バーリッツとモーアーが、彼等の著書の中に記録した詳細のこの要素は、大いに意味を成します。
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44 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 29, citing Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment (Ballantine Books, 1979), p. 191 (コルム達とダウムが引用する、バランタイン社の単行本版のページ数は、この本の中で引用されたハードカバー版の本からは異なる事に注意して下さい)。
45 Ibid., citing Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment (Ballantine), p. 187.
46 Ibid., citing Berlitz and Moore, THe Philadelphia Experiment (Ballantine), p. 130.
47 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 29.


バーリッツとモーアーの著書の中の、アレンデとその他の詳細化された明言との、実際の科学の彼等の比較を再検証するよりも、もっと簡単な比較のために、私はそれらの詳細の、コルムとダウムの科学的な分析の、以下のテーブルを載せます。

1 table
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48 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 30.
49 Ibid., p. 32.
50 Ibid., p. 30 citing Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment (Ballantine), p. 240.
51 Ibid., citing Berlitz and Moore(Ballantine), p. 110.
52 Ibid., citing Berlitz and Moore(Ballantine), p. 249.
53 Ibid., p. 31.
54 Ibid., p. 30, citing Berlitz and Moore(Ballantine), p. 88.
55 Ibid., citing Berlitz and Moore(Ballantine), pp. 110-111.
56 Ibid., citing Berlitz and Moore(Ballantine), p. 41.


2 table
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57 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 31.
58 Ibid., citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 198.
59 Ibid., p. 32.
60 Ibid., pp. 32-33.
61 Ibid., p. 32, citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 110.
62 Ibid., citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 111.
63 Ibid., citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 248.


3 table
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64 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 33.
65 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…”, p. 33.
66 Ibid., p. 35.
67 Ibid., p. 33, citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 19.
68 Ibid., citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 41.
69 Ibid., citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 248.


このテーブルは、コルム達とダウムが考える限り、彼の手紙の中でカルロス・アレンデによって報告された、より極限的な効果の幾つかのためには、可能で科学的な説明がある事を実証する役割を果たします。更に加えて、それらの効果は明らかに、その実験のパラメーター(媒介変数)の設定(範囲)から台頭します。

それらの観測を手に入れると共に、彼等はその後、それら全ての中で最も重要な問いを問いかけるために続けます:

「この全ては、比較的に控えめな問いに繋がります。もし、その実験の物理学を説明する事がそれ程簡単で、そして身体生理学的な症状を合理化する事がそれ程簡単なら、すると何故、それを認める事に対して、海軍において、その様な謎めいた覆い(隠蔽)と不正直(偽り)があったのでしょう?(間違いなく、国家的な財政赤字[軍事予算]が現在まで膨らむまでに、彼等はこれを、何年も以前に理解したはずです。)軍部は、失敗し、そして人々が大きな負傷を負った数多くの実験を行ってきました。何故、この(フィラデルフィアの)実験を隠蔽したのでしょう?

その躊躇(隠蔽)は、より深い問題を示唆します。それは、その実験の間に、何らかの非通常的な本質(一般論では説明出来ない出来事)が起こった事を示唆します。それは何だったのでしょう?」⁷⁰

その実験のコルム達とダウムの解読において、慎重な読者なら気付いた様に、レーダーのステルスが公認された目的でした。ですが、上記に概要されたテーブルの中で、そのコンテキスト(文脈)において彼の最初の手紙から引き出され、引用された、アレンデの手紙からの文章は、予測外の結果の一つが、その船の光学的な不可視だったと明言します。コルム達とダウムが上述に引用した文章の一つの中で、これは鮮明に言及されましたが、彼等側からはコメントが一切ありませんでした。

一度きりならず、アレンデがはっきりと行った、その他の衝撃的な主張は、その DE 173 号が、フィラデルフィアから、ヴァージニア州のノーフォークにおけるもう一つの位置へと、数百海里「テレポーテートされた」、または「瞬間移動させられた」と言う事でした。

D. The Corum-Daum Analysis of the Torsion Tensor:
A Speculative Basis for Allende’s Invisibility and Teleportation Claims, and
The Importance of Unanticipated Non-Linear Effects
D. トーション・テンサーのコルム-ダウムの分析:
アレンデの不可視とテレポーテーションの主張のための推理的な土台、そして
予測外の非-線形的(非-直線的)な効果の重要性
     184

この時点において一旦停止し、コルム達とダウムの論文が示唆するものが、実験的な「概念の証明」の試験によって確認可能な様に確立されたのか、そして大規模化されたヴァージョンに対してのその実験からの合理的な推論の土台の上で何が合理的に確立されたかを吟味する事が必要です:
_____
70 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 35, emphasis added.

4 table

これを手にすると共に、彼等は此処で、その物理学とその実験の幾つかの結果を、説明する、または合理化する事がとても簡単な時に、何故海軍が、その様な実験を隠蔽したのかの、彼等自身の疑問に答え始めます。彼等自身の始まりとして、一つの答えのおぼろげな理解が示唆する様に、それは唯一、軍部の「躊躇(隠蔽)が、より深い問題」だったためで、つまり、その実験のためにアレンデ、そしてその他によって行われた極端な主張 - 光学的な不可視とテレポーテーションが - 実際に、事実上、起こったのかも知れなかったためです。もしそうだったのなら、すると人はどの様にそれらを合理化すれば良いのでしょう?人はどの様に、それらのために、推理の可能で科学的な土台を見つければ良いのでしょう?

「この時点における、」それらの問いに対する答えにおいて、彼等は「危ない橋を渡る」だけでは無く、「隠喩(例え)的に言うと、私達は同時に木を切り倒す(橋を架ける)」事で、彼等は対応します。⁷¹ 彼等は続いて、以前の章の中で概要された、「奇怪な(目撃)証言」の幾つかを取り上げます:

「その実験的な船はまた、どういうわけか神秘的にも、そのフィラデルフィアの軍港から消滅し、そしてたった数分後に、ノーフォーク地域において現れました。それはその後、再び突然と姿を消し、そのフィラデルフィアの軍港において再出現しました。経過した時間の総合は – たった数分間でした。」⁷²

「突然、その深い霧は『消え去り』、『一体全体、俺はノーフォークにおいて何をしているのだ』と、とても混乱して戸惑った状態にシルヴァーマンを至らせました。その場所をノーフォークとして彼が認識したのは『何故なら、其処のその船のもう一つの軍港に、俺が行った事があるからだ』と彼は述べました。その後、再び突然と、その緑の霧が戻り;それは再び晴れ、そしてシルヴァーマンは、そのフィラデルフィアの海軍港において、彼自身が戻ってきていたのを見つけました。」⁷³

「ある日、その港から埠頭を観ていて(ヴァージニア州のノーフォークの5名の英国の商船隊員達は)、その埠頭において水面と同じ高さに、雲が突然形成し、そしてほぼ瞬間的に消滅し、目の前に一隻の駆逐艦を残し、それは極わずかな時間だけ現れ、再び直ぐに雲によって覆われて、消滅した事を目撃し、驚かされたのは、同情不可能では無かったでしょう。」⁷⁴

彼等の解説が理解しやすいのは、何故ならそれがその様な(アレンデ/目撃証人達 etc.)の主張によって直面された時の、あらゆる科学者の当然の反応を記録し、つまり、量子力学、または一般相対性理論の幾何学において基づいた、その様な主張のあらゆる基準的(一般的)で、理論的な検証は、その様な(アレンデ等々の)主張が実質的に不可能だとするためで:

「それら(の引用)は、Sci-fi (架空科学創作)の作家の全くのおしゃべりの様に聞こえます。いいですか、量子力学、または一般相対性理論でさえ、この様な大規模の実験を人が行う事は出来ません。9メガワットは、エネルギー(電力)の出力の手に負えない率ですが、(ワーム・ホール、ブラック・ホール、そして Zitterbewegung (ツィッターベヴェーグング/ディラック方程式の幾つかの解決によって予測された、自由電子[電離した電子]、なおかつその他の粒子の、極度に高速な振動は言うまでも無く)、小さな地域性(量子/原子/分子の様な、とても小さな規模)においてでさえ、この様な出来事(テレポーテーション等々)が起こる事が出来るまで、シュワーツシルドのメトリック、カーのメトリック、またはその他の誰かの解決策(方程式)を歪める(否定する)のには十分ではありません。
_____
71 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 35.
72 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 36, citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 89.
73 Ibid., citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 249.
74 Ibid, citing Berlitz and Moore (Ballantine), p. 250.


「明らかに合理的な説明は、それを目撃した人達が、混乱させられていた、または酔っぱらった様な感覚を与えられていたと言う事でしょう。確かに、その実験のとても強力な(電磁)フィールドにおいて浸透(影響)されたそれらの水兵達の場合において、前者(混乱)を人は予測するでしょう。」⁷⁵

ですが、此処において、彼等の分析的な技術がある意味、失敗するのは、幾つもの要点 - 海水の沸騰、緑の霧、そして空気のイオン化、更に有害で身体生理学的な効果(被曝)についての - アレンデの主張を以前に肯定した上で、彼等が、アレンデ自身は、彼自身の告白によって、そのフィールドの中において、それ程影響されておらず、そして故にこの『酔っぱらった(電磁フィールドの影響の)』様な説明は彼(アレンデ)の場合には当てはまらないためです。彼は、彼自身の強調によって、その船の光学的な不可視に対する目撃者であり、そのテレポーテーションの逸話を伝えます。

彼等が、しかしながら、その実験の基準的で(一般論的な)物理学的な説明の、科学的な合理化において矛盾があるのは、量子力学、または一般相対性理論の観点からのあらゆるアプローチ(対処法)は、失敗する事が運命づけられているためで、それらの理論が、特に、後者(一般相対性理論)の幾何学において、単純に、それらの主張の種類を説明するために不十分であるためです。

そしてこれが正しくその要点なのは、実験のその一連の概念的な土台は、一般相対性理論において見つけられると何処にも主張されておらず;それは、トーション・テンサーと、そして結果している「螺旋型のしわくちゃにされたアルミ製の(ジュースの)缶」の幾何学を共にした、1928年の統一されたフィールド理論の中で見つけられます。ですから彼等は、「テレポーテーションのそれらの主張の全てについてはどうだったのでしょう?と尋ねます。「どの様に、それらの題材が、」フィラデルフィアの実験に「関連させられた逸話の一部に成る事が出来たのでしょう?」⁷⁶ 彼等の回答は「数学的な敏感性(正確さ)」の主張の土台であるトーション・テンサーの光において、この推理的な歴史を検証しようと試みます。⁷⁷

彼等は、物理学者、フレデリック Hehl からのとても重要な短い一文を引用する事によって始めます:

「メトリックなフィールドを測る、遠距離(外側)にいる観測者達は、(地域的なトーションを原因する回転している物質(原子/分子/量子 等々)の(強磁的に)分極化された源泉を識別する事が出来ず、そして(トーションを何処にも原因しない)同じ総合的な角度の推進力を共にした、物質の回転している分配だけを人は見つけ(観測し)ます」⁷⁸
_____
75 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 36.
76 Ibid.
77 Ibid.
78 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 37, citing Hehl, F.W., P. von der Heyde, and G. D. Kerlich, “General Relativity with Spin and Torsion: Foundations and Prospects,” Reviews of Modern Physics, Vol. 48, No. 3, July 1976, pp. 393-416, italicized and bold face emphasis by the Corums and Daum, italicized emphasis added.


私のザ・ベルの SS 同胞団を読んだ人達なら、概念的な土台とザ・ベルの実際の構造に対する、この引用の関連性をすぐさま感じるでしょう。

此処で私達が、そのフィラデルフィアの実験と、それに対するトーション・テンサーの関連性の上に集中しなければならないのは、その完全規模の試験の「予測外の結果」を構成する、アレンデとその他(の目撃証人)達の、よりワイルド(驚き)な主張のための、このテンサー・トランスフォーム(trans-form/変換)の示唆を解き放つ、息を奪うような一文と供に彼等が続けるためです:

「レーダーのステルスに対してその船を磁気的に影響する事の結果として、トーション(ひねり効果)の de-form-ations (歪み/変形)が、時空間自体の繊維(格子)において奮起(活発化)されたとするのは可能でしょうか?(私達は、この部分の中で、私達が危ない橋を渡ると伝えました。)それが可能であるならば、すると、重力的なカーブ(曲がり/歪み)の押しつぶす様な効果、またはブラック・ホールの入り口に落ちる Schwarzschid 範囲(半径)を通る捻りつぶし、もしくは宇宙における何らかの知られざる場所における、ホワイト・ホールを通ったバブル化の考え、更にその機械を起動させるために必要な10⁴⁴乗ジュールズ(電気的な単位)無しでテレポーテーション(瞬間移動)、そしてタイム・トラベル(時空間移動)が存在するかも知れません。トーションの科学技術は、第二次世界大戦以前の、電気的な技術開発(i.e. テスラ etc.)の手が届く範囲でさえあったのかも知れません。もしその(原子/地球/太陽/銀河系/宇宙の)回転が正しいなら、人は間にある距離を移動する事無く(または恐らく逆向きにさえ)、彼の世界の線(時間の流れ)に沿って(または反して)移動可能なのかも知れません。」⁷⁹

トーションは、言い方を変えると、ブラック・ホール、またはワーム・ホールが行える事を達成する事が可能で - 現実的なテレポーテーションと前向きの(未来に進む)タイム・トラヴェルで – そしてその様な(時空間の)ホール(穴)を捻りつぶされながら通るために必要な、信じられない程小さな(原子とか量子の規模の)次元に対して、物体が潰される事無くそう出来ます!トーションは、正に最初の章の中で目撃された様に、この時空間自体の「根底にある多くの性質(e.g. 捻られたアルミ缶のしわくちゃの重なり合い)における」変化で、そして故にあらゆる数学的なテクニック(技法)によって「trans-form (変形)させられる」事が出来ません。⁸⁰
_____
78 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 37, citing Hehl, F.W., P. von der Heyde, and G. D. Kerlich, “General Relativity with Spin and Torsion: Foundations and Prospects,” Reviews of Modern Physics, Vol. 48, No. 3, July 1976, pp. 393-416, italicized and bold face emphasis by the Corums and Daum, italicized emphasis added.
79 Ibid., p. 37, italicized emphasis added.
80 Corum, Corum, and Daum, “Tesla’s Egg of Columbus…,” p. 41.


強力なトーションが関わっているフィールドを、突然に「スイッチ・オン」にした時、その結果は、言葉を変えると、時空間の時間の軸に沿って「折り畳み」、または「重なり合い」が造られ、そして同様に、その様な「折り畳み、または重なり合い」が同時に、空間的に起こるかも知れないと言う事です。⁸¹ 故に、フィラデルフィアの実験に関するアレンデの、よりワイルドな主張の幾つかのための理論的な説明を私達は会得し、つまり:

1)その船は、その船、またはその乗組員達が、何らかの重力的な捻り潰しを経験する事無く、たった数分間の内に、数百海里離れたノーフォークまで、突然とテレポートされ、そして戻って来て;更に、

2)フィラデルフィアの実験の逸話の幾つかのヴァージョンによると - 何人かの乗組員達は悲劇的に、恐ろしくも金属-有機物のキメラ(融合体)の一種において、その船の隔壁(金属製の船体)に埋め込まれてしまい;もしその様な空間的な歪みが、強力なトーション・フィールドから結果したのなら、するとそのフィールドを突然と「スイッチ・オフ」にする事は、その示唆された悲しい結果を共にして、その(時空間の)折り畳み/重なり合いを「なめらかにした(元に戻した)」でしょう。

ですが、その様な結果が、全くの偶然(事故)だったと、アレンデが主張する事実をどの様に説明すれば良いのでしょう?

レゾナンス(共振/共鳴)、そして予測外の非-線形(直線)的な効果の示唆に対する、コルム達とダウム自身のヒントについての、以前の観測を思い出して下さい。非-線形性は、このコンテキストにおいて理解される限り、単純に、その実験におけるパラメーター(媒介変数)のために説明されていない(不特定な)存在によって、通常の数学的に予測(計算)された効果が、何倍もの(数乗の)規模で増大させられる事を意味します。恐らく、すると、レゾナンスの利用は、その様な効果の一つだったのでしょう。恐らくその(電磁)コイルはとてもレゾナンス的で、予測外にも非-線形的に(計算上の)限度が超えられてしまうまで、そのフィールドを強化させ続け、そして極度なトーション効果が結果したのでしょう。同様に、外的な(影響)要素 - 惑星の位置等々が – T.T. (トマス・タウンゼント)ブラウンのグラビター(重力器)の実験において示唆された様に - 一つの要素として影響したのかも知れません。

この場合において、すると、更なる実験によって、(未だ知られざる)自然(の法則)から唯一導き出せる、トーション効果と非-線型性の法則が存在するのかも知れません。もしそうであるならば、すると、そうする事に対する、その船の上の乗組員達の上の実験の効果(結果)を与えられると、その(米国)海軍が躊躇(ちゅうちょ)したのは、驚きでは無いでしょう。
_____
81 Ibid., p. 59.

ですが、もしこれが妥当であるならば、何が「失敗した」のか、そして「何故」なのかの、とても高度に機密化された研究をそれ(海軍)が行い、そしてその予測外の結果(事故)をもたらした要素とパラメーター(媒介変数/数値の設定範囲)が何であったかの基本的な概要を学んだであろうと私達が考えるのは間違いでは無いでしょう。

それらの推理を人がどの様にとらえるとしても、コルム達とダウムの息を奪うような論文から、一つの物事が台頭し、そしてつまり、その最も衝撃的な要素においてでさえ、その詳細の殆ど全てにおいて、フィラデルフィアの実験のための説明に対して、推理的、そして合理的で、数学的な主張の、科学的な土台があるかも知れないと言う事です。⁸²
_____
82 「そのフィールドの中の超越-フィールド」のアレンデの描写でさえ、その実験によって効果された、通常の電磁的なフィールドの中のトーション・フィールドを示唆しているとして、解釈のこの一連に沿って考えられる事が出来ます。更なる推理が必用なのは、コルム達とダウムが、私の知る限り、その実験の乗組員達の幾人かが、不可視に成ったり、壁を通り抜けて歩いたり、その実験の後に、弱い(一般的で)磁気的なフィールド(磁場)の存在において突然に発火したとする、アレンデの主張を十分に説明しないためです。それはとても高度に推理的な提案ですが、それでも私はそれを行ってみましょう:恐らく、上述された知られざる(自然)「法則」の一つは、その影響している電磁的なフィールドが、もう存在しなく成った後でも、それら(有機的な物質)が存在出来る様に、有機的な物質がどうにかして(未だに解明されていない法則によって)、それらの上に(原子レベルで)印象付けられたその様なトーション・フィールド(回転している + -)を保存する、または永続させる事実を含むでしょう。これに関して、その様な結果は、ロシアのトーション物理学者、コザレフの研究結果と共に上手く当てはまり、そして更に、電磁的なフィールドを通した、生きているシステム(e.g. 生命体)における「印象づけられたダイナミクス(+ - の影響を与えられた流動性)」の、ビアーデンの発想に類似します。医療(白魔術)の新たな種類と、兵器(黒魔術)の新たな種類の両方のための明らかな示唆は、直ぐに明白です。

8. The History of the U.S.S. Eldridge, DE 173, and Carlos Allende, Reconsidered: Or, The
Strange Case of the Researchers Who Were Never Heard From Again 191
第八章 米国海軍船 エルドリッジ、 DE(駆逐艦) 173 号の履歴、そしてカルロス・アレンデの再検証:
または、二度と聞かれる事の無かった研究者達の奇妙な場合(事例)


「最も重要な事に、しかしながら、全て(の人達)によって見過ごされましたけれど、アレンデはそれが起こった特定の時間を実際に指摘しました。過去45年間を超えた、この出来事の追求者達と研究者達は、アレンデによって記述された、このとても重要な一行を関連させる事に失敗しました。何故でしょう?彼等の殆どは、彼(アレンデ)の記述に、殆ど全く信頼を置かなかった様で、そして第二次世界大戦中に課せられた海軍の手順(手続き)と規則について殆どあまり知らなかった様に現れます。」
ドゥリュー(別名、ハワード A. ストロム)と、デブラ・カニンガム¹

フィラデルイアの実験に関した最も奇妙な逸話は、とても有名なラジオの深夜トーク・ショー番組、コースト・トゥー・コースト(東海岸から西海岸まで)AM を、その(番組の)創造者で設立者だった、とても良く知られたラジオの有名人、アート・ベルから、その番組をたった数年前に引き継いだ、トーク・ショーのホスト(司会者)、ジョージ・ノーリーと共に、ある夜、2人の研究者達、ハワード A. ストロム、別名「ドゥリュー」とデブラ J. カニンガムが出演した時に起こりました。多少なりともある意味、この筆者(ファレル博士)が、この奇妙な逸話(ラジオ番組)に拘わる様に成ったのは、彼(ファレル博士)がその深夜に、その番組を偶然、聴いていたためです。

そのゲスト出演者達は、私と、そして私が推測するに、その他多くのリスナー達の興味を奮い立たせ始め、バーリッツとモーアーのどちらも見つける事の出来なかった、または見つける術(すべ)を知らなかった、その船のログ(航海日誌)からの新たな詳細の多くを明かした、フィラデルフィアの実験への、彼等自身の調査の説明と共に、(リスナーを)魅了しました。私はその場で座りながら強い興味心と共に聴き入っていましたが、その番組の内容が一冊の小さな本(booklet)において入手可能であると私が知った時、私は勿論、次の日の朝に、私の支払い(小切手)を送り、そして数日後には、その本を受け取りました。これ(偶然)においては、奇妙な事は全くありません。
_____
1 Dru (a.k.a. Howard A. Strom), and Debra J. Cunnningham, Special Investigative Report #1: Case Solved! Carlos Miguel Allende’s Witness Account of “The Philadelphia Experiment” (Oceanside, California: 2003), p. 7.

何が奇妙だったのかと言うと、その2人のゲスト出演者達、ストロム氏とカニンガム女史が、彼等がフェーズと題名した本、バーリッツとモーアーの今では代表的な研究以来の、その実験の歴史と科学についての、最初の具体的で総合的な本(の出版)を彼等が計画していると示唆した時に、新たな詳細のとても多くを(ラジオ番組の中で、出版前なのに)供給した事に、私が注意を払ったためです。私は、彼等のウェブ・サイトを訪れ、そして当たり前ですが、其処には価格と未出版の本の表紙の絵があり、そしてそれが未だ印刷中ですと言うお知らせがありました。

その時点では、その(ラジオ番組の)小さな本と共に私自身を満足させ、私は単純に、彼等の本をあらかじめ発注し・・・そして待っていて・・・

・・・更に待っていて・・・

・・・そして待ち続け・・・

終に、およそ1年後に、私は彼等のウェブ・サイトに再び訪れる、または、少なくとも、訪れようとしました。そのウェブ・サイトは無くなっていました。完全に無くなっていました。私がその時手にしていたその小さな本の著者達が、コースト・トゥー・コースとAM (ラジオ番組)に出演中に、完全版の本の中で更にもっと暴露されると、公に示唆(宣伝)した事を与えられると、これは全く持って「腑に落ちませんでした」。ですから、再びもう一度、私は彼等に手紙を送る事にしました。

私の手紙は、その手紙を送り届ける事が出来なかったと示す、一般的な郵便局のゴム製の判子と共に、送り返されました。それ以来、それらの著者達を探す私の試みが完全に不成功だと証明され、そしてそれが残念なのは、その短い単行本の中に提示された研究の質が超一級品の調査であったためです。その声と個性を、コースト・トゥー・コースト AM (ラジオ)番組で私が聴いたその著者達は、U.S.S. エルドリッジ号の乗組員達の幾らかの様に完全に、ただ単純に、姿を消しました!その番組上の彼等の唯一無二の出演が、再び繰り返される事が無かったのは、恐らく私と同様に、コースト・トゥー・コースト AM の製作者達が、彼等の居場所を特定する事に困難をきたしていたためでしょう。彼等の研究に対して、その番組が行われたと証明する全ては、私と、そして恐らくその他(のリスナー達)が、その番組の途中で聴いた情報に基づいて発注した、その短い単行本だけでした!

その小さい本(booklet)は、特別調査報告第一報:事件解決!カルロス・ミグエル・アレンデの、「フィラデルフィアの実験」の目撃証言と、ある意味不器用ですが正確に題名されたのは、その比較的に短い71ページが、その完全規模の実験の実行の実際の歴史についての新たな情報の宝庫であると証明されたためです。従って、この逸話において関心を持っている人達のため、そしてその番組を聴く、またはその単行本を買う機会の無かった人達のために、その情報(内容)を体現するために、それは此処において再検証されます。²

その booklet (単行本/小冊子)に加えて、デブラ J. カニンガムのための、コースト・トゥー・コースト AM のウェブ・サイト上の記述(情報)が、2003年9月15日の月曜日の、そのラジオ番組に彼等が出演した事を証言する唯一残った全てです。彼等(著者達)のウェブ・サイトと郵便の住所は単純に、もう機能していません。

A. The Missing Logbooks and the Broad Outlines of Their Reconstruction of the “At Sea” Test
A. 消失しているログブック(航海日誌)と、「海上における」試験の彼等の再構築の大まかな概要
     193

ストロムとカニンガムの調査の基本的な前提は、通常の海軍的な手続きは、商業船舶が、「公式」なものと「非公式/秘密裡」なものである、2種類のログ(航海日誌)を必要としたと言う事です。バーリッツとモーアーの研究によると、アレンデがその船上で任務に就いていた船である – S.S. アンドリュー・フルセス号の非公式/秘密裡のログの1981年における公文化と共に - バーリッツとモーアーの著書の中で概要されたヴァージョンである、「その現在知られているヴァージョンを超えて、アレンデの主張を補佐するために」重大な情報が終に利用可能に成りました。³ それらは、少なく見積もっても、「大きな、大きな啓示(情報公開)」でした!⁴

それらの記録とアレンデの手紙を基に、ストロムとカニンガムは、フィラデルフィアの実験のとても異なった歴史を慎重に再構築しました。この新たな分析における彼等の最も重要な分岐点の一つは、「全て(の研究者達)によって見過ごされ、ましたが、それ(実験)が行われた特定の時間に対して、アレンデが実際に指摘していた事です。」⁵ 彼等は、アレンデの手紙、特に、ジェセップに対する彼の2通目の手紙の慎重な分析と共に始めます:
_____
2 それはまた、それらの著者達(ストロムとカニンガム)、またはその実験に関して彼等が行ったかも知れないあらゆるその他の出版について、もっと知っている読者達がもしいるのなら、私の出版者を通して彼等(読者達)が私に連絡してくれるだろうと言う希望において記述されました。
3 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 15.
4 Ibid., emphasis in the original.
5 Ibid., p. 7, emphasis added.


「・・・アレンデは、その船を囲んでいる(電磁)エネルギー・フィールドの形と大きさを描写します。単純な類推を使うと、それはサッカーのボールに似た形状で、そして、典型的な駆逐艦の全長は306フィートなので、そのフォース・フィールド(電磁場)の全体は、その長さと大きさにおいて、3つのサッカー場を縦に並べる程の大きさでした。これは大規模でした!その船(エルドリッジ号)の1本の柱からもう一本への、その正確な形状と大きさを彼(アレンデ)が定義するためには、その(商業船)アンドリュー・フルセス号が、その実験船の右舷、または左舷に位置していなければなりませんでした。・・・

「・・・このフィールドの中にいた人が何を経験し、または何を目撃したのかについてアレンデが語るためには、実際に、一度なりともその様なフィールドの中にいて生き残った、個人的な経験を必要としました。故に、アレンデは、この実験的な船(エルドリッジ号)の乗組員達の幾らかに対して実例の無い接触を行った(その場にいた)と私達は信じます。新たに直ぐ浮かぶ問いは:どの様に、何時、そして何処で?です。

「・・・その船が消滅した後に、海水の中にその船のはっきりとした船体(形)を認識する事は、人がそれを目視する事が出来無かったにも拘らず、その船が未だに、海水をよける(海水の表面上に船体の窪みを設ける)ために十分に物理的でした。それと同時にその船が、レーダーの探知を回避する事が出来たのは、何故ならそのシグナルが、その周りの磁気的なフィールドによって吸収されると、(そのシグナル/電磁波は)内部に囚われ、その配信者まで戻る(通信する)事が出来ないためです。これをアレンデが観測する事が意味するのは、その出来事(フィラデルフィアの実験)が日中の間の何時かに行われなければならなかったと言う事です。

「・・・アレンデは、人々と船の物理的な状態を話します。実際の実験が中断されたのが何故なら、彼等(乗組員達)に影響した凄まじい作用に、人々が耐えきれなかったためで;故に、乗組員達にとってその船の実験が死活問題に成ったためです。その船はまた、航海可能な点を超えたとされました。これが意味するのは、その船体の周りに形成された凄まじい電気/磁気のフォース(作用/電磁場)が測り知れない破壊を原因したと言う事です。多大なダメージは、疑う余地無く、明らかで電気的な上昇によって原因され、それは順を追ってその船全体を通した出火を原因したでしょう。乗組員達と船の両方の状態を語れたと言う事は、その実験がそれでも継続されていた事を物語るでしょう。アレンデが実際に目撃したものは、その実験の開始段階では無く、その一部だけだったのでしょう。彼がその船が目の前から消えた事だけを明言した事を思い返して下さい。故に、アンドリュー・フルセス号は、その実験船(エルドリッジ号)が SOS 信号を送った際に、偶然その船に接近したと私達は結論する事が出来ます。アンドリュー・フルセス号が緊急に用意された救出作戦の一部だったとするのは、とても可能性が高いでしょう。この全ては同時に、アレンデがどの様に、その実験的な船の上にいた乗組員達の幾らかと接触出来たのかを説明する助けに成るでしょう。」⁶

これが、ストロムとカニンガムの特別調査報告第一報の基本的な概要とテーゼ(主題)で、すると:

1)その実験は、表向きには、通常の戦闘態勢と航海状況の下で、海上において行われ;

2)アレンデの商業船、S.S. アンドリュー・フルセス号は、その実験が行われていた際に、その実験船へと接近し;
_____
6 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, pp. 8-9, italicized emphasis added, bold face emphasis original.

3)彼(アレンデ)はそれ(エルドリッジ号)が姿を消すのを目撃し;

4)その実験は故に日中の時間内に行われ;

5)S.S. アンドリュー・フルセス号は救出活動の一部を形成したかも知れず;そして

6)これは、アレンデがどの様に、その実験船の上の乗組員で、そのフィールドの中にいたのがどの様な経験だったのかの詳細を学んだのかでした。

B. The Puzzle of the Furuseth’s Missing Logbooks
B. フルセス号の消失しているログブック(航海日誌)の謎
     195

第六章の中で目撃された様に、バーリッツとモーアーは、S.S. アンドリュー・フルセス号のログブックが、「大統領命令の上で」消失している奇妙な事実に出くわしました。私は、恐らく、政府の最上層部:FDR (フランクリン D. ルーズベルト)の大統領府自体において、隠蔽の命令が下されたと推理しました。ですがストロムとカニンガムは、とても異なった、そして更にもっと可能性の高い説明を有し、どちらにしても隠蔽に結果するものでした!

彼等の記述によると、その戦争の後に、商業船舶の全ての元々の公式なログ(航海日誌)は没収され、そして1970年代の初頭において、「それらの元々のログが(戦時中の)重要機密、または歴史的な価値をもう既に含んではいないだろうと言う考えの下に、それらを破棄する許可が管理側に与えられました。」⁷ しかしながら、これが、その公式なログブックがもう全く存在しなくなった事を意味しなかったのは、一つの航海が完了した時点において、その船の所属の港管理局に対して、瓜二つコピーを保ち、それらを提出するのが、基準的な義務だったためです。⁸ 海軍的な、そして商業海洋手続きのこの詳細を知った上で、ストロムとカニンガムは、フルセス号の公式なログブックの瓜二つのコピー(一字一句の複写)のコピーを得るために、国立記録保存所と記録保管局に連絡しました。

ですが、彼等以前のバーリッツとモーアーと同様に、彼等は不可思議な状況へと至りました:
_____
7 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 12, emphasis in the original.
8 Ibid.


アンドリュー・フルセス号のための全ての『公式な』ログブック(航海日誌)は、正しく疑問視されている期間である、1943年8月16日から、1944年1月17日までのもの以外は、ファイル(書類)上で発見されました。私達は公開願いを出し、そしてその書類上の、そのログ(記録)の全てを受取り、そしてそれらと共に送られて来たものが、私達の注意を捕らえました。国立記録保管所は、不注意にも、消失しているそれら(の期間の記録)の代わりに、『貸し出し』記録の書類のコピーを私達に送りました。ホルマンと言う苗字を使った何者かが、1978年8月31日にそれらのログを借りて、そしてそれらを全く返却しませんでした。ホルマンは(貸し出し記録手続きの上で)米国海岸警備隊の代表であると記述しました!この発見は、唯の偶然なのでしょうか?私達はそうだとは信じません!これは、隠蔽なのでしょうか?それは、怪しくも、その様に見え始めています。」⁹

「ホルマン」の借り出しの書類は、次のページの上に記載されます。この章の中に現れる全ての記録の複写は、ストロムとカニンガムの本からのもので、彼等の詳細な調査のたまものであると明言されるべきでしょう。残念ながら、彼等の資料を使用する許可のための、この筆者(ファレル博士)による全ての試みは、既に記述された様に、失敗に終わりました。故に、それらの記録が既に公共の場(ドメイン)にある間、私は - 感謝の気持ちを込めて - この章の中に現れる書類は、私の調査によるものでは無く、唯一彼等の調査の実りであると認識する事を求めます。¹⁰

どの様な場合にせよ、その「貸し出し」の書類は、それが示唆する事のために、大変啓示(情報公開)的です。慎重な検証が実証する様に、ストロムとカニンガムは正解で:「ホルマン」は実際に疑問視されている(実験と)ほぼ同じ期間のためのログを(貸し出し)要請しました。ですが、ストロムとカニンガムが触れなかった一つの事に着目して下さい:アレンデが、その実験の時だったと、ジェセップ博士宛ての彼の2通目の手紙の中で何度も繰り返し記述した正しく同じ月である、1943年の10月からの記録を「ホルマン」が要請した事です。

そして最後に、(勿論、それ[海岸警備隊]に所属している人、または所属した事のある人は別ですが!)アメリカの「忘れられた(存在感の薄い)」兵役部門の一部である、海岸警備隊自体があります。恐らく、少々の推理を行うには価値があり・・・もし人が、とても秘密裡なブラック・プロジェクト(機密計画)を「隠す」なら、最も「忘れられた」兵役部門の一部(海岸警備隊)の(記録書類[公文書]の)中にそれを隠す以上に最適な場所はあるでしょうか?それが人に(考えてみるための)一時停止を与えるのは、もし実際に「ホルマン」が海岸警備隊から派遣されたのなら、その兵役部門の中の何者かが、とても良く情報を知らされていて、何処を正確に探せば良いかを知らされていた以外に、彼(ホルマン)がそれ程正確に、この(フィラデルフィアの実験の)期間をピン・ポイントで当てる事が出来たであろうかと言う疑問のためです。
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9 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 12, italicized emphasis added, boldface emphasis in the original.
10 同様に私は、その実験について彼等が計画した、より完全規模の本に何が起こったのかを知る人が出て来て教えてくれることを期待すると共に、彼等がこの素晴らしい研究を行った事さえ知らないかも知れない、より広い読者達のために、彼等の研究を利用可能にするために、可能な限り彼等の調査の顕著な要点を再検証するにおいて、解り易く、詳細に成ろうと、私は試みています。


1943年10月から1944年1月20日までの、SS アンドリュー・フルセス号のログのための、「ホルマン」の貸し出し要請書
PDF 218ページ/本文197ページ参照。

C. The Convoy GUS-15’s “After Action” Report and the Furuseth’s Secret Logs
C. GUS-15 船団の「活動後」の報告書と、フルセス号の秘密裡なログ     198


第六章の中で私達が目撃した様に、バーリッツとモーアーは、フルセス号エルドリッジ号の両方が、船団任務に拘わっていたと示唆しました。¹¹ GUS-15 (船団)が何故、重要なのかの理由は、アレンデの船、S.S. フルセス号がこの船団の一員であったためです。この船団の航路が - 新たに入手されたログが明かす様に - 9月18日の日付けの上で地図上に示されると、その航路はバミューダ(諸島)の北、120マイルの中に納まります。¹² 同じ期間の間の U.S.S. エルドリッジ号の航海日誌はそれが GUS-15 の120マイル以内にいた事を明かします。¹³

ですが、第六章において記述された様に、アレンデは、1943年の10月が、その実験を彼が観測した時だったと、繰り返し、強く指摘します。ストロムとカニンガムは明白な問いを尋ねます:「その2隻の船は、10月の同じ期間に、同じ場所(緯度/経度)において接触したと見つけられるでしょうか?」¹⁴

この問いに答える唯一の方法は、フルセス号の秘密裡のログブックを信頼する事によってです。ストロムとカニンガムの調査が、その様なログブックが存在していたとは単純に全く知らなかったバーリッツとモーアーからは、それ自体を完全に一別させるのは此処においてです。それらの秘密裡のログは、「海軍省(の手続き)によって必要とされました」。それら(の秘密裡なログ)は、その船の艦長によって唯一、扱われる事が可能で、そしてその他全ての機密理な記録と共に「船上の袋」の中に保存されました。商業船舶がその航海から戻った時に、それらは直ぐに、それらが最初に入った米国の港において、その地元の米国海軍の航海監視官に報告しなければいけませんでした。¹⁵
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11 バーリッツとモーアーは、それが GUS-22 だと主張する間、ストロムとカニンガムは、彼等が新たに発見した公文書的な証拠に基づいて、それが GUS-15 船団だったと主張します。
12 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 14.
13 Ibid.
14 Ibid., p. 15.
15 Ibid.


1943年9月18日の U.S.S. エルドリッジ号、DE (駆逐艦)173 のログへの記述
PDF 220ページ/本文199ページ参照。

義務的な記入に含まれていたのは;緯度と経度:舵が着られた方向;陸地からの距離と方向、光とその他の目印;目視されたあらゆる船の名前と位置;そしてその船団において行われた動き(移動)でした。¹⁶故に、それらの記録と共に、フルセス号の移動の正確な航路は、(地図上に)示される事が可能でした。エルドリッジ号が「彼女が訓練作戦を完了した後にニュー・ヨークに彼女が戻った際に、10月15日までバミューダ(諸島)海域に留まっていた」事を一旦、思い返すと、私達は此処で、1943年の10月において、フルセス号の航路が、エルドリッジ号の至近距離内へと、彼女を移動させる事が出来たのかを検証出来るかも知れません。

「海軍の上官代理(副官)、ウイリアム S. ドッジ(アンドリュー・フルセス号の船長)によると、427名のドイツ人の戦争捕虜達と1名の搭乗者を乗せた後、彼等は9月18日の午後に、カダブランカ(Cadablanca/sic. カサブランカ?)を出港したと、彼は報告しました。」

その次の日にフルセス号はその後、アトキンス准将(提督)の指揮下にあるその船団の地中海部隊と共に合流しました。その船団が完全に形成された時に、9ノットの速度において、西270度の航路で真っ直ぐ進む命令が下されました。¹⁷

続く7日間はむしろ平穏で、そして秘密裡のログ(元々のログのコピー)によると、何も出来事無く過ごされました。その後、9月26日に、護衛空母 U.S.S. サンティー号と彼女のスクリーン(護衛船)は、その船団を離れました。約16時間後の、9月27日の深夜2時40分において、(乗組員の)一般寝室に警告発令され、そしてその船団に残っていたスクリーン達が、その船団の左舷側に(海中)爆雷を落としていたのが目撃されたと、そのログは記録します。¹⁸ 明らかに、もしドイツの U-ボート(潜水艦)がその船団をずっと尾行していたなら、それは賢明にも、その空母と彼女の護衛グループが、その船団から離脱するまで、その船団を攻撃する事を待っていました。
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16 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 15.
17 Ibid.
18 Ibid., p. 17.


次の日に、(フルセス号の船長)ドッジは、その(ドイツ人の)戦争捕虜達に追随していたドイツ人の軍医が、その捕虜達の間にジフテリアとマラリアの症状を確認したとして、その船団の司令官、アトキンス准将から、医療薬品の供給と補助を求めました。U.S.S. ウォルター・ブラウン号、DE (駆逐艦)258号からの一線に沿ってそれらの(医療)供給を受け取った後、物事は通常へと戻りました。その日の午後、一般寝室は再び警戒発令され、その船団は、その船団の通り道(航路)に敷かれた(海中)水雷を避けるために、鋭く左舷側に曲がる命令が下されました。その航海の残りは平穏で、フルセス号は10月3日の朝に、Chesapeake 湾へと到着しました。¹⁹

故に、その秘密裡のログブックは、ジェセップ宛ての彼の2通目の手紙の中で、アレンデによって起こったと主張された衝撃的な出来事(フィラデルフィアの実験の結果)に少しでも似ている何らかの事が起こったと、全く示唆しませんでした。ストロムとカニンガムは、「アレンデの主張が、実際には、真実では無いのではないかと感じ始めました。ドッジ船長のログの中に含まれた情報を、40年以上前の単なる乗組員(アレンデ)によって行われた主張しかない時に、それ(船長のログ)を覆すのはとても難しい事です、」と明言します。²⁰

ですが其処にはまだ問題がありました・・・

D. More on the Convoy’s “After Action” Reports
D. その船団の「活動後」の報告書についての更なる情報     201


上述された様に、その船団は、空母 U.S.S. サンティー号と彼女の護衛艦達がそのグループから離れた後に、ある時点においてドイツの U-ボートによって攻撃された様に現れます。思い起こされるでしょうが、ドッジ(船長)は、(乗組員達の)一般寝室に警戒警報発令され、そしてその船団の護衛艦達が水中爆雷(対潜水艦爆弾)を落としていたと観測されたと記録しました。しかしながら、アトキンス准将は、彼の船団の「活動後(事後)」報告の中で、この対-潜水艦の軍事活動と作戦を全く記述しませんでした。これは公文書の間の重要で高度に異例的な無順で、ストロムとカニンガムはそれを更に調査しました。彼等が発見したものは、その矛盾を強調するだけで、それは直ぐに重大な謎に成りました:
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19 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 17.
20 Ibid.


「第二次世界大戦中の敵国(ドイツ)の潜水艦の活動を判断するために使用される事の出来る幾つもの方法があります:

「最初に、私達は – U.S.S. タラゼッド号のデックログ(甲板日誌)の - 追加的な記録を招集しました。これがアトキンス准将の旗船(船団のリーダー)で、(敵船の)目撃、記録された対応策、そして恐らく対応されたであろうジグザグの航路(回避活動)、または海軍の護衛船隊によるスモーク(水中爆雷)を記録したはずだと思い返してみて下さい。もし何かあれば、少なくとも、私達はタラゼッド号の乗組員達の一般寝室に対して警戒発令されたと目撃するべきでしょう。タラゼッド号の航海記録を再検証した上で・・・私達は、(当日の)監視官が、ドッジ船長によって表現された何らかの潜水艦、またはその後の軍事活動を全く表記しなかった事を見つけました。とても奇妙です!」²¹

ですが、ストロムとカニンガムはもう一枚の切り札を、彼等の袖の中に隠していました:

「第二に、私達はまた、大西洋のこの海域が、バミューダの海軍作戦基地(NOB)の直属の責任の下にあった事を知っています。そして、これは、数百隻もの輸送船によって通常通り利用された、海軍の船団の基本的な航路なので、少なくとも(その基地の司令官は)この敵(U-ボート etc.)を捜し出すために偵察機を飛ばしたでしょう。故に、私達はバミューダ(諸島海域)に位置していた海軍によって行われた(軍事)活動がもしあったなら、どの様な活動であったのかを検証するために、バミューダの戦時中の記録を公開申請しました。それらの公開された文書は・・・9月27日、または28日の両日に、敵(ナチス・ドイツ)の潜水艦が、バミューダの東にいた事を、その(バミューダ基地の)命令系統は気付いてもおらず、より上の(米国海軍)本部に報告していなかった事を明かします。これはとても異常です!

最後に、その船団を護衛している駆逐艦隊がまた、それぞれ、第十艦隊の対-潜水艦軍事調査委員会に対して、「対-潜水艦軍事行動報告書」を、それぞれ別々に作成する事が義務だった事を知った上で、ストロムとカニンガムは、その様な報告書の全ての戦後の編集を調査し、その船団の護衛艦隊のいずれによっても、その様な報告書は全く提出されていなかったと発見しました。²³

言うまでも無く、この全ては「高度に疑わしい」ものです。²⁴ 人は誰を信じれば良いのでしょう?その秘密裡のログが、慌てた対-潜水艦の軍事行動と水雷投下を記録した、アレンデの船、S.S. アンドリュー・フルセス号の船長、ドッジ上官代理を信じるのか、その他の誰かを信じれば良いのでしょうか?²⁵ ストロムとカニンガムは:「ドッジ上官代理の秘密裡のログの記載が『偽情報で、何か他の出来事(フィラデルフィアの実験)が起こったと、信じる様に私達を導く』として、一つの推理に従う事を決断しました。²⁶ その海軍の慎重に不自然な(改竄された)ログブック、(軍事)活動報告書、等々(の意味が)解り始めたのは、この光(理解)の下で見解された時でした。
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21 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 18, bold and italicized emphasis added. Underlined emphasis in the original.
22 Ibid, with emphases as before.
23 Ibid., p. 19.
24 Ibid.
25 Ibid.
26 Ibid.


1. And the “Green Very Star”
1. そして「緑の明るい光」     203


記録の文献的なタペストリー(背景/繋がり)の矛盾は、ストロムとカニンガムが U.S.S. タラゼッド号のデック・ログを再-検証した時に明らかに成り始めました:

タラゼッド号の監視官達は、9月27日の22時12分において、130度の方角において、緑色の閃光を目撃したと端的に報告しました。それが、私達にとって奇妙な理由が何故なら、アトキンス准将もまた、彼の「事後(軍事活動後)」の報告書の中で、同様に緑色の閃光について明言するためです。私達の注意を引いたのは、その明確な言葉使いでした:

「『ジブラルタル海峡を通り抜けている際に、船団は、ジブラルタルからのサーチライトによって完全に照らされていました。9月__日のある夜、船団の左舷から約3000ヤードの位置から、緑色の明るい光が発光させられました。護衛船も(その他の)船も、その位置にはいませんでした。レーダーは、一隻の船も現しませんでした。護衛船には連絡されました。私はこれが、未発見の生存者(からの救命信号)ではないかと考えました。

「私達は困惑させられました!何故、アトキンスは、この緑色の閃光の原因が、『未発見の生存者』ではないかと考えたのでしょう?緑色の閃光は通常、その地域/海域にいるその他の知られている友軍的な軍事勢力に対してその位置を知らせるために使用され、そして単純に『全て良好である』事を意味します。ですが、何が全て良好だったのでしょう?同様に、異例的だと考えられ、注目を引いたのは、彼がこの出来事が起こった実際の日付を無記載にした事でした。」²⁷

ですが、フルセス号の船長によると、彼が9月18日にカサブランカから出港し、そしてその翌日に、その船団の地中海部隊と合流した事が思い出されるでしょう。アトキンスの旗船は故に、9月27日ではなく、9月17日頃に、ジブラルタル海峡を渡っていました。何故、すると、この新たな矛盾なのでしょう?²⁸ ストロムとカニンガムが指摘する様に、「それらの関連した公文書の中に再発するそれらの矛盾の全てと共に、それは殆ど、アンドリュー・フルセス号が、GUS-15 (船団)では無く、もう一つの船団の一員であったかのようです。再検証された公式記録の全てはその逆を述べますが・・・
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27 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, pp. 19, 23. ストロムとカニンガムの説明は、この章の終わりにおいて見つけられる、バミューダ戦争日誌の3ページの、彼等による挿入によって中断されます。
28 Ibid., p. 23.


「アトキンス准将、ホフマン司令官、そしてドッジ上官代理(船長)は皆全て、何かを隠蔽する事に、とても忙しかった様に現れます。」²⁹

2. “Romping Ahead”
2. 「ドタバタ進む」     204


それらの矛盾の全ては、「9月26日と共に始まり、それまで以上に」ストロムとカニンガムが、「この期間をもっと詳しく検証する事に繋がりました。」言い方を変えると、「其処で、全てに疑いの眼が向けられました。」³⁰ その船団の旗船、S.S. タラゼッド号と比較した、S.S. アンドリュー・フルセス号の位置を彼等が再検証した時、新たな事実が発覚しました:フルセス号は「romper (ドタバタ進む船)」でした。「ロンパー」は単純に、船団の主体の先に進み、その船団のその他の船との形成からは10海里、または10海里以上離れた先行船です。逆に、「straggler (ストラグラー/ノロノロ進む船)」は、船団の背後に、10海里、またはそれ以上遅れてついて来る船です。³¹

その2隻の船のログの彼等の慎重な再検証は、更なる何かを明かしました。フルセス号は単なる「ロンパー」だっただけでなく、明らかに全てのロンパーの中でも異例的なロンパーだったのは、ある時点において彼女が、その船団の主体から、およそ31海里先に進んでいたためです!³²

そのログの慎重な比較は、更にもっと明かしました。9月26日の正午頃、フルセス号は(船団の)2列離れてですが、その船団の旗船、タラゼッド号の左舷の真横にいました。ですがその午後の3時50分までに、フルセス号は67海里移動し、その船団の9ノットの速度では不可能でした。「アンドリュー・フルセス号が4時間の内に67マイル離れて移動するためには、(平均)16.75ノット以上(の速度)で移動していなければなりませんでした。」³³ これは、(基準的な)最高速度が11-12ノットと評価されたその船を、少々酷使する事でした。27日の正午に成ると、彼女はその船団のたった16マイル先に位置し、そして28日の正午に成ると、彼女は再びその船団の形成の中にいました。故に、彼女は約48時間、「ロンパー」を務めていました!³⁴
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29 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 23.
30 Ibid.
31 Ibid., p. 24.
32 Ibid.
33 Ibid., p. 25.
34 Ibid.


此処で、この奇妙な振る舞いについてのストロムとカニンガムの意見を全般的に引用するには価値があるでしょう:

「これは、この時点までに、関連した公式な書類の全ての間に、認識された矛盾が何故あったのかの理由を合理的に、そして満足に説明するでしょう・・・そして初めて私達は、GUS-15 (船団)のその他の商業船舶の全ての目撃無しで、主張された一線にそって何か(フィラデルフィアの実験)を、アレンデが目撃した主要な機会の期間を確認しました。

全ての(文献の)説明によると、アトキンス准将とホフマン司令官のいずれも、ドッジ(船長)が独自に(軍事)活動していたと示唆する、アンドリュー・フルセス号のこの異例的な船舶の移動を報告している様には現れませんでした。ですが(フルセス号は)、その船団の2人の上級海軍士官達(アトキンスとホフマン)の命令による活動の下にありました。故に3人の全て(アトキンス、ホフマン、ドッジ)の全員が、とても大きな何かの隠蔽に拘わっていました!その海軍の防衛的な護衛艦隊の擁護を超えてアンドリュー・フルセス号のドッジ(船長)と乗組員達に先行(ロンパー)任命を与える必要性(救命活動)は一体何だったのでしょう?」³⁵

ですが、ストロムとカニンガムは同時にもう一つの問いを尋ねました:その他の幾つかの船舶では無く、フルセス号に対して、とても劇的にその船団の「ロンプ(先行船)」として、何故、命令が下されたのでしょうか?

フルセス号にこの異例的な任務が課せられた正確な理由についての証拠は存在しない間、私達は、ストロムとカニンガムが発見した事について推理する事が許されるでしょう。フルセス号が、カサブランカにおいて、400名以上のドイツ人の戦争捕虜達を乗せた事を思い返して下さい。一つの観点から見ると、すると、彼女はその船団のその他の船よりも犠牲に出来ると見解されたのかも知れません。³⁶ もう一つの別の可能性は、つまり、アトキンス准将は、フルセス号が、カサブランカにおいて、ドイツ人の戦争捕虜達を乗り込ませた事を、ドイツの軍事諜報工作(潜水艦 etc.)が確認したと賭けにでて、そして従って、その船(先行船/ロンパー)を攻撃しない様に、U-ボートに警告したと言う事です。
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35 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 26, emphasis added.
36 着目されなければならないのは、しかしながら、チュニジアにおけるドイツのアフリカ部隊の最終的な敗北と共に、この同じ期間に、数千名のドイツ人の戦争捕虜達が恐らく、(米国に)戻っていく船団の船の上で輸送されていて、ですから、GUS-15(船団)のその他の船が同様に、ドイツ人の捕虜達を運んでいた可能性が少なくない事です。


実際の理由が何であったにせよ、危険な「ロンプ」の任務をどちらの船に任せるかの選択を行った際に、それらの推理の様な何かは、アトキンス准将の頭をよぎったものだったのかも知れません。そして其処には最後に考えるべき事があります。恐らくドッジ上官代理(船長)は、速度がそれ程速くない商業船(フルセス号)から最速の前進速度を絞り出す事の出来る有能な士官として知られていたのでしょう。

それは、ストロムとカニンガムの疑問を不回答に残しますが:何故、「ロンプ(先行任務)」の船を、それ程までの危険にさらし、その船団の先を行かせ、そして U-ボートの魚雷のための簡単な標的にさせたのでしょう?

3. And Erasing Log Entries
3. そして、ログの記載を消している
     206

フルセス号の秘密裡のログの更なる再検証は、ストロムとカニンガムに対して、更にもっと詳細な情報を明かしました。ドッジ上官代理(船長)は、9月26日のためのログにおいて記述された位置(緯度/経度)の一連を黒塗りして、そしてその一行下に訂正を記述しました。この全ては、通例的な海軍の手続きに従っています。ですが、ストロムとカニンガムは、少々、詳細に検証してみました。

「(此処における)全くの不信感において、私達は、ドッジがそのログに一度記載した、経度と緯度の実際の記録を抹消した事に気付きました。

「このログブックへの記載を消去する不穏な事実が、海軍の手続きに対する真向からの対立で、あらゆる状況において絶対に起こってはいけない事であると認識して下さい。私達の偉大な(米国)軍事組織において関わった(私達の様な)人達は、公式な部隊の記録を規制している手続きをよく知っていて - 人(関係者)はこの様な事を行うはずが有りません、句読点(絶対にです)!独立機関(商業船舶)であったにしてもこれは、十分すぎる証拠で、それは問われているこの期間にまつわる出来事が隠されている(隠蔽されている)事を証明します。」³⁷

そして問題を更に複雑にするために、ストロムとカニンガムは、書類上に海軍歴史センターが(記録を)保った手紙を発見し

「1943年において、アンドリュー・フルセス号の船長だった、ウイリアム S. ドッジ上官代理、USNR (退役)からの手紙は、ノーフォークにいた間に、彼、または彼の乗組員達が、異例的な出来事を全く観測しなかったと、断定的に否定します。」³⁸
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37 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 26, emphasis added.
38 Ibid.


ですがこれは、もう既に、明らかで純粋な錯乱手段で、現時点までに検証された公式記録の誤魔化しの全てが必要とされた「何か」が起こった時に、フルセス号はノーフォークの付近に全く位置していませんでした。

4. Romping Ahead, Unescorted?
4. 護衛されずにロンプ(先行任務)しながら先に進む?
     207

上述された様に、9月26日と9月28日の間に、その船団の先に進んだフルセス号の移動(ロンプ任務)は、アトキンス准将によってそうする様に命令が下された証拠の全てを有します。ですが、私達が上記に推理した様に、一隻の護衛艦も供給せずに彼(アトキンス)がそうしたのは、理性、または作戦的な合理性に相応しいでしょうか?

現実的ではありません。

更に加えて、彼のログの中でドッジ船長(上官代理)は実際に、彼が一つの船団の中で移動していると記述しません。「ですから、海軍の護衛艦達の何の船団と共に、彼とアンドリュー・フルセス号は移動していたのでしょう?」³⁹ ドッジ船長が、護衛空母 U.S.S. サンティー号と彼女の護衛グループが、GUS-15 船団から離脱したと示唆した事を思い返して下さい。これは、9月26日の朝の事でした。フルセス号は、サンティー号のグループと彼女が合流する判断(命令)が明らかに下された後、約2時間後に、その船団の主体を離れました。

「アトキンスとホフマンの両名が、『特別な作戦』として疑う余地無く認定される、この高度に異例的な任務にアンドリュー・フルセス号を送り出すためには、それ相応の妥当な理由があったはずです。現時点において私達は、サンティー号の司令官が、9月26日の GUS-15 からの離脱(朝)から12時正午までの間に、追加的な船の援助を要求して無線連絡したとしか推測できません。もしこれが真実であるならば、一隻の商業船を必要とした合理性の背後には何があったのでしょう?これは、彼等が遂行していた軍事訓練ではありませんでした。従って、私達が信じるに、サンティー号のグループは、緊急事態にある船(エルドリッジ号)からの早急な SOS 信号に対して対応しており、そうでなければこのグループは、(ポルトガル沖の)アゾレス諸島に帰還せよと言う CINCLANT 本部から受け取られた指令に直ぐに従っていたはずだからです。本当の理由を発見するためには、私達は、私達の袖から、もう一枚の「切り札」を引き出す必要があります。⁴¹
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39 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 27.
40 CINCLANT: Commander in Chief’s headquarters, Atlantic Fleet (大西洋艦隊の司令本部). それらの書類は、この章の最後に記載されています。
41 Ibid., p. 29.


ストロムとカニンガムの主張は此処でとても細かくなります。フルセス号が、カサブランカにおいてドイツ人の戦争捕虜達を収容したと認識した上で、彼等は(商業船舶の)フルセス号が、軍隊を輸送する事が意図された自由船団の一隻だったと言う理論的で、必然的な結論に辿り着きます。彼女(フルセス号)は、9,000から10,000トン運ぶ事が可能で、当時、427名のドイツ人の戦争捕虜達しか運んでいなかった事実を与えられると、それが意味したのは彼女がとても軽量で、そして故にもっと速く移動できたと言う事でした。更に加えて、戦争捕虜達の彼女の収容が意味したのは、彼女が恐らく数百名以上もっと多く運ぶ事が可能だったと言う事です。⁴²

ストロムとカニンガムは此処で、彼等の「切り札」を使用します。フルセス号がドイツ人の戦争捕虜達を輸送していた事を知った上で、これが意味したのは彼女(フルセス号)がまた、24時間体制の護衛を必要とした事でした。「故に、私達は、ニュー・ヨーク(州)のブルックリンの国防センターに対して提出された、航海報告書を要請して受取りました。」⁴³ フルセス号の護衛司令官である、エドワード J. ラッセル(J.G.)艦長は、彼(ドッジ)の秘密裡のログの中に記録された同じ事を記録し:CVE (空母) サンティー号と彼女の護衛船団の離脱と、主張されたドイツの U-ボートとの接触と、(米国の)海軍の護衛艦隊による水雷投下でした。⁴⁴

ですがその後、9月27日に、ラッセルは彼とドッジ上官代理の両名が、フルセス号に対するラジオ(無線)通信を聴いていて、其処で彼等の船団の護衛艦達が、もう一隻の U-ボートとの接触を報告している事を記録します。ですがこの場合において、潜水艦に対する防衛対策は、全く行われませんでした。⁴⁵ この時点以後、ドッジの秘密裡のログはそれ以上何も記録しません・・・ですが、ラッセルは記録します。

「35分も経たない後に、ラッセルは、アンドリュー・フルセス号の右舷側(の水平線の向こう)に、3つ、または4つの柱(船の一部)と、その船尾の上で火災が起こっている未確認の船の目視を記述します。これもまた奇妙なのが、何故ならアンドリュー・フルセス号が供に移動していた唯一の船は、1隻の空母と3隻の駆逐艦の構成である、「ハンター/キラー」グループだけで、輸送船団、または商業船舶の船は一隻もいなかったためです。⁴⁶ 故に、この(新たな)船はその船団の一員では無く、9月26日の朝から、彼等が捜索していた正にその船でした。
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42 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 29.
43 Ibid.
44 Ibid., p. 31.
45 Ibid.
46 The U.S.S. Santee


「20時30分において、その身元不明の船を目視して45分以内に、ラッセルは130度の方角に「青いロケット」の目視を報告します。知らないかも知れない人達のために、青いロケットは、照明の目的のために使用された、パラシュート付きの青い/白い火工品(花火)の照明弾の一種です。⁴⁷

その後、突然と、ラッセル上官代理もまた、彼のログに記録する事を止めます。

E. Pulling it All Together
E. 全てを一緒にまとめると
     209

ストロムとカニンガムはその後、新たな筋書を構築するために、それらの証拠を一つにまとめ始めます。明らかに、サンティー号のグループ、そしてフルセス号が救出活動のために西向きに急いだ、緊急事態に陥った船は DE 173 (エルドリッジ号)で、その実験の完全規模の試験の、乗組員達 – そして明らかにその船 - に対する大災害的な結果によって緊急事態におちいったと、彼等は信じました。敵国の潜水艦の活動の報告は一種の陽動作戦ですが、(後の)一般大衆のために意図された陽動作戦では無く、むしろ、その救出活動に拘わった何百人もの海軍の水兵達と同時に、その船団自体(を混乱させる)ためのものでした。⁴⁸ そうでなければどの様に、彼等のログブックにおけるドッジ上官代理とラッセルの突然の沈黙を説明出来るのでしょう?彼等が両名とも、それぞれお互いから1時間以内に記録の記載を止めた事実は、「更なる命令が下されるまで、デックログにおける作戦的な情報の記録を止めるために、全ての船に対して送られた命令の良い指標で」、特別な作戦(任務)を行っている際の、海軍の規則において実際に許可された手順でした。⁴⁹

そして閃光(照明弾)についてはどうだったでしょう?タラゼッド号とラッセル上官代理の両方が、130度の方角に、閃光を目撃したと記録した事を思い起こして下さい。ラッセルは、しかしながら、青色の閃光を目撃し、そしてタラゼッド号(の記録)は緑色のものでした。ですが、思い返してみれば、アトキンス准将は、緑の閃光の目撃を彼が報告した時に、日付けを記録しませんでした。ストロムとカニンガムの理由づけ(推理)においてその緑の閃光は、彼(アトキンス)の船団が、その空母(サンティー号)のグループに最終的に追いついた際に、その緊急事態に陥り救出された船(エルドリッジ号)から、(フィラデルフィアの実験の)問題に成る証拠の全てが撤収され、「接近しても安全である」を恐らく意味した「全ては良好である」と言う、サンティー号とアトキンス准将の間で交わされた一種の暗号化されたシグナル(合図)でした。⁵⁰
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47 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, pp. 31, 33, italiczed and boldface emphasis added.
48 Ibid., p. 33.
49 Ibid.
50 Ibid., p. 34.


その緑の照明弾が打ち上げられたおよそ16時間後に、GUS-15 のホフマン司令官はその後に、バミューダ(諸島)における基地に対して最優先通信を送り、そのメッセージは「この出来事と関わった船団と命令系統の全てを報告し、アップデートする(最新情報を送る)事」を意味していました。⁵¹ ですがホフマンの実際のメッセージ(電文)は、心臓をドキッとさせるものです:

「35-50、47-16(緯度/経度)において、280014 Z (時)に、緑の明るい光が目視され、調査船は源泉の位置を確認出来無かった。其処に何かがいた、またはいる可能性は高い。」⁵²

ストロムとカニンガムは、この意図的に制限された言葉遣いの示唆を、誤解に成らないはっきりとした言葉で綴りだします:

「どうして、その照明弾が目視された海域に調査船を送った後に、ホフマンはそれでも何かがあった、またはあると信じたのでしょうか?その実験的な船(エルドリッジ号)がその時、目視不可能でしたが、(船の底の形を)海水の上に残していた可能性はないでしょうか?更に突き詰めると、どうして一隻の船が、友軍であろうと、敵軍であろうと、アトキンス准将が表現した様な海軍の護衛艦隊の保護的な傘の境界線の中に入り、そして同時にレーダーによる探知を避けられたのでしょう?」⁵³

この再構築(再検証)は、明らかに、それを推薦する多大な意味があり、そしてそれはフィラデルフィアの実験の逸話の上に全く新たな光を照らします。

明らかに、ストロムとカニンガムの調査は、9月26日から28日に、バミューダ(諸島)の付近で起こった何かを隠蔽するために、米国海軍によって多大な努力が成された事を示唆し、その時間の枠組みは、恐らく、その実験と、そしてその結果を彼が観測したとアレンデが強調した10月に十分に近いものです。その海軍は、目撃された様に、S.S. アンドリュー・フルセス号だけでは無く、同時に GUS-15 輸送船団の空母の護衛グループの移動を隠すために多大な努力(隠蔽工作)を行いました。
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51 Strom and Cunningham, Special Investigative Report #1, p. 35.
52 Ibid., emphasis added.
53 Ibid., bold and italicized emphasis added, italicized emphasis in the original.


ですがそれは、それが答えると同じ程多くの問いを台頭させ、そして恐らくストロムとカニンガムは、彼等の完全版の本の中でそれらの問いに答えようと意図したのかも知れません。彼等が、今後、そう出来るか否かは、未だわかっていません。しかしながら、彼等が姿を消した、または、少なくとも、連絡を取る事が不可能に成った事実の見解において、私達はそれらの問いを取り上げ、私達自身のためにその答えについての推理を試みなければなりません。

現在の章、そして以前の章において検証された全てから、(アレンデが - 海上で起こった - との述べた場所に、終にストロムとカニンガムが位置させた)その出来事は、それらの「予測外の非-線形(暴走)的な結果」へと陥った完全規模な試験(の事故)だったのは明らかです。この光(理解)において、その実験が、フィラデルフィアの実験の逸話の消息の上で、チャールズ・バーリッツが最初に調査した地域である、バミューダ(諸島/海域)に対して(その)付近で起こった事は恐らく重要です。(大手メディアの)Sci-Fi チャンネルのミニ・シリーズ(番組)、The(バミューダ)トライアングルが、そのトライアングル(超常現象が起こりやすいとされる場所)とその実験の間に意図的な関連性を付けたのも、恐らく記述するに価値のある事でしょう。再び、恐らく、その有名な「トライアングル」は、結果した予想外の非-線形(直線)的な効果(暴走)において役割を果たしたのでしょう。

その偶然(事故)的な特徴が、その実験の歴史の最終段階の彼等(ストロムとカニンガム)の新たな解釈によって確認されるのは、その(電磁)フィールドが、一度スイッチを入れられると、その船をレーダーに映らない様にするだけでなく、同時に光学(目視)的に眼に見えない様にしたのが明らかであるためです。実際に、その(米国)海軍は、その船(エルドリッジ号)を丸ごと見失った様で、そしてそれを探すためにその他の船(サンティー号、フルセス号 etc.)を送り出しました。これが、アレンデが同様に記述した「テレポーテーション(瞬間移動)」の結果と、何らかの拘わりがあるか否かは、知られる事が出来ません。最善でもそれは、コルム達とダウムの推理の御蔭で、数学的な「可能性」として残るままです。

ですが、最終的な分析において、それらの疑問と推理を人がどの様にとらえ様とも、彼等が行った文献(記録)の発見によって、彼等がその実験の歴史的な要素と、アレンデの主張に、新鮮な確認と新たな歴史を与えたのは、事実として残ります。

233ページから243ページまで、海軍の公文書、ログ等々の閲覧:
原文の Phd. ファイルを確認して下さい。


9. Conclusions, Cover-Ups, Cabals, and Connections
第九章:結論、隠蔽、カバール、そしてコネクション
     223

「フィラデルフィアの実験の謎は未だに解明されておらず、そしてその最終的な答えは、海軍省の書簡の中に深く埋まっているのかも知れません。」
- チャールズ・バーリッツとウイリアム・モーアー¹

もし何かが、フィラデルフィアの実験が、忘れ去られる事の無い逸話であると言う事実を明かすとしたら、それは、バーリッツとモーアーの研究と、そしてコルム-ダウムの概念の実験の科学的な証明、そしてトーションの数学的な分析の間に、ほぼ20年が過ぎ去った事実;そして更に、バーリッツとモーアーの研究と、ストロムとカニンガムの歴史的な再構築の間までは、およそ30年が過ぎていた事実です。

それらのとても異なったアプローチ(研究方法) - コルムとダウムの科学的な方法と、ストロムとカニンガムの歴史的な方法は - この逸話に関して隠蔽が行われていると言う確かな印しで、つまり、第二次世界大戦の間に、その様な実験は全く行われていないし、その様な科学技術は全く開発されていないと海軍が述べる時、それはそれ(海軍)が隠していると言う事です。それらは同時に、其処には行われるべき更なる研究があり、更にもっと詳しい調査が行われるべきで、そして政府の文献保存と記録保管所から見つけ出されるために、更にもっと書類/書簡/公文書があると言う、最も確かな印しです。

私達の2つの辿り路の(科学的/歴史的な)調査から台頭したものは、しかしながら、驚くべき事に、その実験に関するカルロス・ミグエル・アレンデの衝撃的な主張の殆どが、確かな科学において、または少なくとも確かで科学的な計算において、何らかの土台があり、更に加えて、その実験の時系列と位置についての彼の詳細な手掛かりやヒントの殆どがそれら自体、歴史的な可能性の枠の中に納まると言う事です。
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1 Berlitz and Moore, The Philadelphia Experiment, p. 181.

その実験全体が、アインシュタインの1928年の統一されたフィールド理論と、そのトーション・テンサーの技術開発の可能性の、徹底した科学的な熟考から発案されたとするアレンデの奇怪な主張でさえ、その実験のための最も可能性の高い概念的な候補である事が明らかにされ、その理論は、更に加えると、アレンデの主張の最もにわかには信じがたい:光学的な不可視とテレポーテーションでさえ、可能に出来るかも知れないものでした。

明らかに、その出来事、その位置、その結果、そしてその実験において使用された科学技術と実際の詳細に関して、隠蔽がありました。そしてこれは、その隠蔽を行うための何者かを示唆します。それは、(米国)政府内の何処かに、その実験についての重要で結論的なデータが表の世界には全く出ない事を確かにするための責任を負った人達のグループが存在する事を示唆します。

それが示唆するのは、また、恐らく、アインシュタインの1928年版の統一されたフィールド理論が撤回された理由の一つが、科学の歴史の一般的で表向きのヴァージョン(通説)が教える様に、それが理論的に未完成であったと言う事では無く、むしろそれが、未完成であったにせよ技術開発が可能であったためです。そしてもし、フィラデルフィアの実験の結果が、この章に体現された証拠が示唆する様に、実際に達成されたなら、すると、可能な限りその理論の全てを隠蔽するためのあらゆる理由がありました。

再び、もしアレンデが主張した結果が達成されたなら、米国海軍は – その兵器化の可能性、その推進力と移動、更にエネルギー産出の可能性が、その実験の概念的な土台と達成された結果の全てであった、とても重大な何かの上に辿り着いたと気付いたはずです。故にもし、コルム達とダウムが主張した様に、電磁的なレーダーのステルスの方法を調査しない事は、その海軍にとって任務放棄に当たり、そして同じように - それらが予測外であったにしても – その完全規模の実験が達成した結果の後に、それらの効能(可能性)を調査していなければ、任務放棄であったはずです。

回転(旋回)、トーション(捻り力)、そして非-線形的な効果は、その実験の中核で、そしてそれらは順を追って、アインシュタインが彼の1928年版の統一されたフィールド理論の論文の中に含ませた、わずかに数学的なテンサー・トランスフォーム(変換)の上に拘わっていました。

そしてまたドイツ人達も、その戦争(第二次世界大戦)の反対側(敵国側)で、数学を行う事が出来ました・・・

PART THREE:
THE NAZI BELL AND THE INTENTIONAL WEAPON
第三部:
ナチスのベルと意図的な兵器


「SS (ナチス親衛隊)の一員によると、ハルツ地方の山々の中に、ヒトラーは、隠された施設を持っていました。其処で、ある山の地下深くで、ヒトラーはタイム・マシーンを開発しました。」
- ヘンリー・スティーヴンス、ヒトラーの、隠蔽され、そして未だに-秘密裡の兵器、科学、そして科学技術、249ページ。

「この高-エネルギーの研究との関連において、様々な謎めいた『トランスミッター(送信器/発信機)』が、そのライヒ(帝国)における幾つもの『鍵の地点』において設立されました。1938年において、ハルツ山脈の中の有名な山頂であるブロッケンが、慌ただしい建築作業の場所でした。」
- ヘンリー・スティーヴンスのヒトラーの、隠蔽され、そして未だに-秘密裡の兵器、科学、そして科学技術の中に引用されたナイジェル・ペニック、172ページ。

10: The Allies Miss the Clue
第十章:連合軍が手掛かりを見逃す
     227

「行方不明に成っている科学技術は、何かがおかしいと言う手掛かりです。消失している科学技術が見失われているのは、何故ならそれが隠蔽されたためです。もし科学技術が隠蔽されたなら、すると其処には隠蔽した何者かがいます。」
- ヘンリー・スティーヴンス¹

ナチスの秘密兵器の多くの歴史家達や研究者達が繰り返して指摘した様に、敗戦へ向かっている第三ライヒへと進軍している連合軍の陸軍部隊が進んだ時、特務諜報工作の士官達のチームが先陣におり、ドイツの数多くの秘密研究施設へと入り、歴史における最大級の科学技術の移動(略奪)として残るであろうものにおいて、あらゆる、考えられる限りの科学技術的な進歩、特許、そして文献(書類、設計図 etc.)を文字通りに吸い上げ(盗み)ました。彼等がそうした際に、彼等は、(1944-45年において)デジタル・コンピューターのプロトタイプ(原型)、半導体、小型化されたクライストロン・チューブ(電子管)、フェーズ化されたレーダー配列、赤外線で熱源を探知するミサイル、テレビのモニターにガイドされたミサイル、無線誘導のミサイルと魚雷、音響(ソーナー)追跡の魚雷、海中で21ノットを楽に保つ事の可能な U-ボート、そしてレーダー・ステルスの素材の様な、エキゾチックな(珍しく/先進的ですが)通常的な科学技術から、唯単にエキゾチックなだけでなく何処からどう見ても奇怪で、サイエンス・フィクションの賜物の様にしか見えない:音響的で電磁的な「死の光線(テスラ科学技術)」、空飛ぶ円盤の主張であるフー・ファイターズ、超-濃密な合金、音波的な原油の蒸留と精練、電気的なレイル・ガン、風圧と渦巻きの大砲まで、秘密兵器計画の膨大で、そして驚くべき量を目の当たりにし・・・そしてそのリストは延々と続き、途絶える事を知りませんでした。
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1 Henry Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, Science, and Technology (Kempton, Illinois: Adventures Unlimited Press, 2007), p. ii.

この膨大な兵器の数々を確保し、記録し、そして分析する、歴史的な任務を任された英国人達とアメリカ人達のチームの中の多くにとって、それはナチス政権がどれだけ必死に成っていたのかの指標以外のなにものでも無いだけでなく、同時に - 全ての意図と目的のために - 非理性的で、そして究極的には「勝利を手早く手に入れるための超-兵器」の計画の、非成功的なごちゃ混ぜ以下のなにものでも無いものに、その貴重な人間(人材/労力)と物資的な資源を浪費する事において、それ(ナチス政権)がどれだけ嘆かわしい程に非効率的であったのかの指標でした。そして、とある度合において、これは真実でした。

更に加えて、この明らかに(表向きには)非理性的なごちゃ混ぜと貴重な資源の浪費は、その戦争の終結の前に原子爆弾を開発する事のドイツの失敗のための、もし、主要な原因では無いにしても、主要な原因の一つであるとして、戦後の連合軍側の弁解者(御用学者)達の多くが推論する事に繋がりました。原子爆弾の開発の優位性の連合軍側の伝説のこのヴァージョンは、その戦争を開始するにおいて、ドイツが(元々)持っていた、科学的、そして技術開発的な優位性を、その多くが唯一偽科学としか(普通の人は)考えられない計画の上に浪費してしまったためだと主張しました。連合軍側の伝説のその他のヴァージョンにとってそのごちゃ混ぜは、気が狂った非理性的な政権、そしてその科学的、そして技術開発的な完全の、そして惨めな失敗の究極的な象徴でした。

ですが、私が以前の著書、黒い太陽のライヒ:ナチスの秘密兵器と冷戦時代の連合軍の伝説の中に私が詳細した様に、ナチスの原子爆弾計画は、戦後の連合軍の伝説(通説)が私達に信じさせる以上に - とても凄まじく - より成功的であったとして、強い状況証拠が立件される事が出来ます。それはとても成功的で、実際に、それが戦勝国である連合軍側によって、意図的に曖昧にされ、隠蔽された様に現れる全てを有するのが何故なら、それは、連合軍側の伝説が、ナチス政権の非理性、非効率性、腐敗、そして残虐性と共に一般大衆が関連させる事を望んだ正に機関である:ワッフェン(Waffen)SS(武装親衛隊)の保護(管轄区)の下で、完全な秘密主義において達成されたためです。それ(ナチスの原子爆弾)がナチスの機関によって(連合軍側よりも)以前に達成されたと言う事は、連合軍側が彼等の伝説を捏造(ねつぞう)するために便利だったのは、ナチスの原子爆弾が達成されるために、それを可能にするためには、労働収容所の奴隷労働の、数えきれない人間の苦しみと悲劇の代償を必要としたためです。² 更に加えて、ナチスの原子爆弾開発の成功が、マンハッタン計画における後のアメリカの原爆開発の成功に対して貢献した可能性が高いとする、更なる2つの示唆があります。³
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2 See my Reich of the Black Sun, Part One, for this story.
3 2つの特定的な例は、(1)原子爆弾のための限界質量のために必要な、不足しているウランの量を補うために、濃縮化されたナチスのウラニウム235の、マンハッタン計画(原爆製造計画)による利用の可能性で、その(必要な)量は、1945年3月のマンハッタン地区自体の記録によると - アメリカ側の情報源だけを使用しても - (濃縮ウランが)不足していて、広島にリトル・ボーイ(原爆)が投下された(8月)よりもずっと後の、1945年11月まで(十分な濃縮ウランが)得る事が出来ないとしていました。何処から、不足していた濃縮ウランが届いたのでしょう?(当時)唯一のその他の候補(濃縮ウランを蓄積していたの)は一つしか無く:ナチス・ドイツでした。(2)そのマンハッタン地区(計画)はまた、原爆のためにプルトニウムを使用する事における内在的な問題のために、1945年7月に、ニュー・メキシコ州のトリニティー・サイト(実験現場)において初めて試験された、超-限界質量においてプルトニウムを収集した内破起爆器において、ドイツ製の赤外線近接フューズ(導火線)を利用する事を余儀なくされた可能性が非常に高いのです。再び、その逸話のそれらの内容については、私の黒い太陽のライヒ、第一部と、Carter P. Hyrick の素晴らしい研究、限界質量を参照して下さい。


もし実際に連合軍が、彼等自身の原爆計画を完成させるために、多大な人間の苦しみにおいてもたらされた科学技術である、ナチスの科学技術を使用したなら、すると、連合軍側の伝説を作り上げるために、政治的な動機以上のものがありました。

ですが、其処には更にもっとありました。

奇怪な研究計画のそのごちゃ混ぜの中には、ナチスが実際に、電磁的なエネルギーの上に基づいた兵器の可能性を意図的に調査していた手掛かりがちりばめられていました。そしてそれらの中にちりばめられていたのは、フィラデルフィアの実験の驚きで、予測外の結果に繋がった物理学の同じ種類である、トーション物理学と、時空間の連続体を亀裂させる兵器の可能性を、ナチス政権が調査していたと言う更なる手掛かりです。ナチスは実際において、一種の「トーション爆弾」を追い求めていました。その手掛かりは、しかしながら、連合軍の特務諜報工作のチームがそのライヒに先入した際に出くわした(秘密兵器の)計画のごちゃ混ぜの全体を通してちりばめられていただけで無く、その(各種の)計画自体が単純に、ナチス・ドイツ(とナチスが占領した)全土に渡って分散されていました。その連合軍の特務諜報工作のチームが故に、その手掛かりを見逃したからと言って、殆ど非難される事が出来ないのは、ナチスが単なる原子爆弾よりも、遥かにもっと効能的に破壊的な兵器を追及していたとは、(当時の普通の人の)誰が理論的に考えられたでしょう?と言うためです。ですが、各種の計画の一覧表にちりばめられ、そしてドイツ全土を渡るそれらの分散の他に、その手掛かりが見逃された最後の理由がありました。

それらが見逃されたのが何故なら、ナチス・ドイツにおける数多くのその他の機密化された研究のその他と同様に、それらが恐らく、SS (ナチス親衛隊)の Obergruppenführer (大将)、ハンツ・カムラー博士の、Kammlerstab (カムラースターブ/カムラーのスタッフ/特務機関)の、超-秘密裡のシンク・タンクによって調整されていた可能性がとても高いためです。秘密兵器のそのごちゃ混ぜは、少なくとも幾つかの場合において、全くごちゃ混ぜなどではありませんでしたが、もし人が、この統制的で、調整的な機関(カムラースターブ)を知っていなかったなら、(普通の)人はその手掛かりを見逃すものです。そして、そのライヒの科学技術と特許を没収していた連合軍の特務諜報工作のチームの一員達の殆どが、カムラーが(当時)世界最大級の秘密兵器のシンク・タンクを監督していた事どころか、カムラーの名前さえも聞いた事がありませんでした。

A. The Kammlerstab and Its Survival:
Missing the Clues of the Shape of the Post-War Nazi International
A. カムラースターブとその生き残り
戦後の国際ナチス(ファシズム)の形の手掛かりを見逃す
     230

戦時中のナチスの秘密兵器開発についての私の以前の著書、黒い太陽のライヒ:ナチスの秘密兵器と冷戦時代の連合軍側の伝説、そしてザ・ベルの SS 同胞団:NASA 内のナチス、JFK、そしてマジック-12の中で詳細した様に、彼等の最も高度に機密化された兵器、ザ・ベルを含んでいる、最も厳密に機密化された兵器開発の殆どは、(旧)チェコスロヴァキアのピルセンにおける、シュコダ(社)の軍需工場の技術開発部門の中に(本部が)設置された超-極秘のシンク・タンクによって調整されていました。⁴

SS Obergruppenführer (親衛隊大将)ハンツ・カムラー博士が、そのシンク・タンクを統制していました。1901年8月26日に、ドイツのバルト海沿岸の港町、シュテッティンに生まれたカムラーは、技術開発(エンジニアリング)における博士号を有し、そして、全てのドイツの秘密兵器研究と、更に SS の開発と研究の部門の監督権によって、恐らく最大限、1400万人の奴隷労働の人材を利用する事が出来ました。⁵

シュコダ社の軍需工場においてカムラーは、原子爆弾、そして更にもっと破壊的な兵器を含んでいる、あらゆる考えられ得る種類の兵器の、第一世代、第二世代、第三世代、そして更に第四世代のための、科学技術の系統を図表化する事が任務であったシンク・タンク(作戦計画本部)を確立しました。⁶ カムラーはまた、チェコ語が話せたので、彼のシンク・タンクの本部のためにチェコスロヴァキアのボヘミア地方の中のシュコダ社の彼の選択が全く合理的だったのは、ボヘミア地方がライヒの特別保護区に指定され、そして SS の直属の管轄区の下に治まったためでした。SS は、結果的にボヘミア地方の全てを軍事特務区へと変え、其処に出入りするためには SS の正式な書類と許可が必用とされました。SS は効果的に、その国(チェコスロヴァキア)全体を、(米国の)ネヴァダ州の試験施設(エリア51)と同様なものへと変えました。
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4 Q.v. Igor Witkowski, The Truth About the Wunderwaffe, pp. 255-256, and my SS Brotherhood of the Bell, pp. 157-159.
5 Henry Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, p. 1.
6 原子爆弾兵器の第一、第二、そして第三世代の概要と、そしてナチスの原子爆弾とベル計画に対するその関連性のために、私の SS Brotherhood of the Bell の283-287ページを参照して下さい。


そしてこの既に隔離された国の中で、カムラーは、シュコダ軍需工場の技術開発部門を、膨大な秘密兵器の帝国の中枢部へと変え、地下研究施設と製造工場の紛れもないモグラの巣で、その(地下施設の)多くは、戦後に成るまで、連合軍の諜報工作機関に対してでさえ、全く知られていませんでした。

このシンク・タンクは、安全保障(厳戒態勢)の三重の帯(厳密管理)の背後に存在していました。実際に、カムラースターブの機密管理が、それ自体、「そのパズルの最後の一欠けら」で、研究者、ヘンリー・スティーヴンスがその件を述べる様に、それが一つの謎だったのは

「何故ならカムラーのセキュリティー(機密制度)が全くばれなかったためです。それは、全てを把握していたと考えていた、米国、英国、そして更にソヴィエトの諜報工作機関によってでさえ、知られていませんでした。カムラーは、対-諜報工作機関、政治的な対-諜報工作機関、そして(軍需)産工業的な対-諜報工作機関の三重の-壁を利用した、不透明化のアルバーリックのマントを、彼自身と彼のスタッフ(部下/研究者)の上に覆う事が出来ました。

「このセキュリティー(機密主義)の制度はとても成功的で、1945年の初春に、連合軍がドイツへと進行し始めた際に、地元の住人達に対して、カムラー、またはカムラーの(特務)グループについて、誰も問い正しませんでした。(米国と英国の)どちら側も、それについて全く知りませんでした。「現地の先行員達」が、カムラー博士と彼の組織の実態が一体何であったのかを知った際に、彼の正に名前が触れてはいけない問題に成りました。これは恐らく、その他の連合軍側の勢力、特にソヴィエトに、科学的な秘密の宝箱のあらゆる効能を学ばせないためでした。」⁷

更に加えて、セキュリティーのこの三重の帯が、カムラーに対して報告するだけでなく、その第三ライヒ(帝国)におけるもう一人の悪名高い人物であり、ゲシュタポの責任者、ハインリッヒ・ミューラーに対して報告しており、そしてその正にあだ名「ゲシュタポ・ミューラー」が全てを物語っています。あらゆる場合において、スティーヴンスは正確で、カムラーのシンク・タンクは一度も(連合軍側に)知られていませんでした。
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7 Henry Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, pp. 4-5.

これが、歴史的な観点から、興味深い人物達の関係なのは、ナチスの政権へのミューラーの出世が、マーティン・ボーマン以外の何者でも無い人の御蔭でしか無かったためです。ミューラーは、ナチスが権力を掌握する前に、ヒトラーの姪で、当時、愛人であったアンジェリカ・ラウバルの疑わしい自殺を処理するために召集された地元のミュンヘンの刑事として、ボーマン(ナチス/ヒトラー)の都合が良い様に目をつむりました。ヒトラーが彼女を意図的に殺害した、または理性を失って殺害したと言う強い証拠がありました。ヒトラーは慌ててボーマンに連絡したと、その逸話は続きます。ボーマンは、冷静に、彼がそれを処理すると伝えたとされます。
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7 Henry Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, pp. 4-5.

ボーマンはその後、ミューラーを呼び出しました。そしてミューラーはその証拠を隠蔽し、そして彼の協力の見返りとして、悪名高い Geheime Staatpolizei (ゲシュタポ)の主任に成りました。ですから、その戦争の終わりに近づいて、ボーマンが、ドイツの大型運搬空軍機、ルフトワッフ(ドイツ空軍)の Kampfgeschwader 200 部隊の全ての命令権を直接カムラーに対して与え、それを彼はその後、彼(ボーマン)自身とナチス・ドイツの最も極秘な秘密を、ザ・ベルも含み、ヨーロッパから脱出させる(盗み出す)ために利用したと、私達が発見するのは、少しも驚きではないでしょう。それ故、ボーマンとミューラーが同様に、彼等自身の「死亡」を慎重に偽装した後、(ドイツから)脱出したと言う疑いが、その戦争が終わった後も常に絶える事が無かったのも、それ程、驚きではないでしょう。⁸

ボーマン、ミューラー、そしてカムラーです。

それが、しっかりと考えるために興味深く、そして邪悪な三角関係なのは、その中において人は、とても邪悪な影の概要、戦後の「国際ナチス」の影が台頭し始めているのを知覚するためです。考えてもらいたいのは:もし、それ自体の秘密計画を開発し続けている、戦後の国際ナチスが存在していたなら、それは莫大な資金(闇予算)を必要とし、そしてそれをどの様に扱えば良いのかを知っている人:ボーマンを必要とし;それは多大なセキュリティー(秘密主義)と、それをどの様に確保すれば良いかを知る人:ミューラーを必要とし;そして大規模な計画を調整するにおいて大量の技術開発の経験値と監督の経験を持ち、そしてそれらを秘密に保てる:カムラーを必要としたためです。そして彼等は、戦後の状況によって課せられた制限の中で(秘密裡に)研究/開発するために好都合で先進的な計画を必要としました。原子爆弾のための大規模なウラニウム濃縮工場は問題外で、同様に大規模で、そしてとても人目に付くロケット(ミサイル)発射設備塔も無理がありました。何か正しく衝撃的で、(膨大な電力供給以外に)大規模で物理的な施設を必要とせず、上述された選択肢(原爆/ミサイル)のいずれとも異なり、遥かに大きな結果をもたらす事の出来るものが必用で:ザ・ベルでした。
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8 ボーマンが、カムラーを、特務「撤退命令」の責任者に任命し、そして彼を消息不明な Kampfgeschwader 200 部隊とザ・ベルの責任者に任命した逸話については、ニック・クックの The Hunt for Zero Point の182ページ ff. を参照して下さい。

ですが、この戦後の国際ナチスの輪郭については更にその他の認識可能な手掛かりがあり、そして私の以前の2冊の著書 - 黒い太陽のライヒそしてザ・ベルの SS 同胞団の中で - 私はそれらをヒントし、そしてより理解可能な全体像へと、それらの全てを一つに結び付ける時は此処においてでしょう。ザ・ベルの SS 同胞団の中で - その他の著者達によっても同様に、頻繁にコメントされた - 奇妙な事実、つまりソヴィエト連邦と米国の間の早期の「宇宙競争」は、不自然だった(わざとらしかった)と現れるあらゆる印象を与えると観測しました。最初に片方が探査衛星の一連を発射させ、そしてその後、もう一方が続き、更にその後、また最初の片方に戻ります。その2つの超大国の発射スケジュールは、調整されていたあらゆる印象を与えます。⁹ ですが、誰によって調整されていたのでしょう?必要不可欠な人材の存在、そして故に(米ソ)両方の計画へと潜入した唯一の存在(組織)、そのために実際の証拠が存在する唯一の人脈は、両方の計画へのナチスの潜入です。

ですがこれは、両方の計画内のその人脈の「活動命令」を調整している方法の、更なる構成要素を必要とし、そしてそれは同時に、ナチスの戦争マシーンとの何らかの歴史的な繋がりを必要とします。その様な存在はあるでしょうか?

(答えは) Yes です。

1944年において手打ちと共に(当時)、チューリッヒ(スイス)内のアメリカの OSS (後の CIA )の支部長官だったアレン・ダレスに接触したのが、ドイツ陸軍の諜報工作の一部門、Fremde Heere Ost (東方外国軍課/東欧におけるナチスのスパイ・ネットワーク)の責任者、ラインハルト・ゲーレン将軍であった事を思い出して下さい。その手打ち(の内容)は、数千名のエージェント(工作員/スパイ)と、そしてソヴィエトの影響下に下った国々からの「亡命移民」の多大な人脈を含んでいた組織である、東欧とソヴィエト連邦内の、ナチス・ドイツの諜報工作組織の全てである、彼(ゲーレン)の Fremde Heere Ost の全体を、アメリカの OSS (CIA)に名目上の操作権を引き渡すと言うものでした。これが意味したのは、ハリー S. トゥルーマン大統領が1947年の国家安全保障法を法律へと署名し、国家安全保障局( NSA )と中央情報局( CIA )を設立した時、その設立許可が既に、ダレスとゲーレンの間で成された手打ちによって妥協されていたのは、結果的にその手打ちが意味したのは、CIA の対ソヴィエト政策部門の全体が、ナチスの人脈(ゲーレン組織)のための建前でしか無かったためです!¹⁰
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9 Q.v. my SS Brotherhood of the Bell, pp. 121-123.
102つの組織( NSA/CIA )が、それら自体の「ナチス」の余韻を残すのは、ナチス・ドイツが類似したその様な組織を有したためで、 the Reichssicherheithauptamt または RSHA が、SS (ナチス親衛隊)、ゲシュタポ(秘密警察)、SD 等々を傘下に納めたためでした。その( Reichssicherheithauptamt の)根本的な意味が英語に翻訳された時、正しくライヒ(帝国)安全保障局、または「国家安全保障局( NSA )」であり、中央情報局( CIA )の情報センター(上層部)の一種でした。


故に、再びもう一度、ソヴィエトとアメリカの宇宙計画の秘密裡の調整において、その他の組織/存在が拘わっていたと人が推測するかも知れない間、歴史的に証明されていて、そう行える位置にいたと知られる唯一の組織(人脈)は、その(米ソ)両方の計画において、その戦後に存在していたナチスの人脈、そしてゲーレン将軍の Fremde Heere Ost の次世代組織でした。実際に、その組織は、ダレスとゲーレンの間で辿り着かれた同意(手打ち)に従って、戦後のドイツ政府の主権(西ドイツ)が確立された後、ドイツの操作の下へと引き渡されました。故に、そのゲーレン組織、またはそれが知られている様に、ゲーレン機関は実際に、CIA と同等の現代のドイツの組織、 Bundesnachrichtendienst (BND)に成りました。もし、その2つの超大国の宇宙計画において、調整していた組織がいたなら、するとこの組織は、ゲーレン機関で、その2つ(の超大国)の間の実際の現場(現地)の仲介役(スパイ・ネットワーク)だった可能性が非常に高いでしょう。

そしてこれは、ケネディー(大統領)暗殺にもまた、全く新たな展開を供給します。この筆者(ファレル博士)は1970年代の早期に、その暗殺のための命令が究極的に、当時は既に年老いていましたが、それでも元気で、南米において生き延びて、そして正しく「操作を手中に収めていた」マーティン・ボーマン以外の何者でもない人が命令を下したとする、フランスと英国の報道の記事が現れた事を覚えています。その記事は、もしそれらが、英国のガーディアン紙の様な、評判の高い新聞紙に現れなかったのなら、単なる妄想として、簡単に無視される事が出来たのでしょう。

それは、しかしながら、それ程に驚きな事でしょうか?結局の処、(キューバの)ピッグス湾侵略の大失敗のために、ケネディーが(CIA から)首にしたのはアレン・ダレスで、ゲーレン将軍との合意をもたらしたのも、正しくアレン・ダレスでした。そして、究極的な皮肉において、その(ケネディー)暗殺を調査している、ウォーレン委員会の一員として、リンドン・ジョンソン(大統領)によって任命されたのが、その正にアレン・ダレスでした。ですが、ナチスの拘わりの可能性の最も重要な手掛かりは、「 CIA を数千の欠片に粉々に粉砕し」、そして全ての秘密裡の作戦(諜報工作/スパイ)活動を、軍部の直接の操作(制御)に入れると言う事でした。ダレス-ゲーレンの同意の背景に対して見解されると、(CIA を粉砕[解体])すると言う)ケネディーの脅しは、アメリカの諜報工作機関( CIA/FBI/NSA etc.)の内部のナチスの人脈のための、正に隠れ蓑を暴露する事以外のなにものでもありませんでした。これは、その( JFK )暗殺におけるナチスの拘わりのための十分な動機を構成するでしょう。

そして最後に、オズワルドの手帳自体がありました。ザ・ベルの SS 同胞団の中で私が指摘した様に、オズワルドの手帳には:とても有名なダラス(テキサス州)の FBI 捜査官、ジェームズ・ホースティー;そこまで著名ではありませんが - オズワルドが後に暗殺を試みたのではないかと疑惑がかけられた - 右翼のアメリカ人、ウォーカー将軍と言った、幾つものとても奇妙な連絡先の住所と電話番号が含まれていました。ですが、殆どのアメリカ人達が決して耳にしないものが何かと言うと、オズワルドの手帳には同時に、最後のもう一人の、とても興味深い人物、アメリカのナチス党の党首、ジョージ・リンカーン・ロックウェルの名前と電話番号が含まれていた事です。¹¹

勿論、もし、陰謀論の研究者達が正しく、そしてオズワルドが「便利な雑用係」なら、i.e. 実際には彼を「単独犯の気違い」の様に見せるため以外のなにものでもないのに、彼(オズワルド)が「任務」であると信じさせられ、特定の過激派(極右/極左)の人脈に意図的に接触する事を命令されたなら、すると、それらの名前の記載は、異例的であったにせよ、説明可能です。

しかしながら、この説明にも同様に、ある問題があります。オズワルドが日本の厚木基地において、ロシア語を習得するために訓練されていた間に – ウォーレン報告書( JFK 暗殺の政府側の報告書 )自体によると - オズワルドの海兵隊の同僚が、ドイツ語だと信じる言葉をオズワルドが話しているのを聴きました。ロシア語と、そしてドイツ語の語学訓練?オズワルドは、言い方を変えると、数多くの JFK 暗殺の研究者達が結論した様に、CIA によって訓練されていた、あらゆる姿を見せます。ですが、彼等(陰謀論の研究者達)が見逃したものが何かと言えば、つまり、オズワルドが、彼と、彼の CIA のハンドラー(上司)の仲介役として振舞いながら、the Gehlenorg (ゲーレン機関/ナチスのスパイ組織)によってハンドル(利用)されていた、あらゆる形跡を与える事です。

この全ては、国際ナチスの全体像に、どの様に関連しているのでしょうか?概要された事を考えてみて下さい。私達は:

1)米国とソヴィエト連邦の両方における、その戦争の終結の後の、ドイツ人の人脈による、重要な軍部と宇宙計画への侵入;

2)ゲーレン機関を通したドイツの諜報工作のエージェント達とネットワークによる、アメリカの諜報工作への侵入で、更に加えてそのエージェント達とネットワークは、東欧とソヴィエト連邦国内に、大規模な現地のエージェント達を共にし;

3)そして私が ザ・ベルの SS 同胞団の中で概要した様に、JFK 暗殺と、その暗殺の当日に、ウォール街で、慎重に選択された短期の売却注文をする事によって膨大な利益を得た(ケネディー暗殺の影響で、株価が急落する事を見越して、事前に特定の企業の株式を高値で売却した)、ドイツ-アルゼンチンの企業、ブンジ・アンド・ボーン社に対して、高度に疑わしいドイツの金融的な関連性があった事を有します。

金融。諜報工作(情報操作)。科学。その概要は、第二次世界大戦に続いた数十年の出来事の中に大々的に示されています。ですがそれらは、その戦後の概要の象徴的な人物達だった、邪悪な三角関係の疑わしい「死亡報告」と共に既にあからさまで:

ボーマン。ミューラー。そしてカムラーで:

金融。諜報工作。そして科学でした。
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11 The SS Brotherhood of the Bell , p. 400.
12 The SS Brotherhood of the Bell, pp. 403-411.


ですが、カムラーと、カムラースターブ自体に(話を)戻しましょう。

それ(カムラースターブ)が連合軍、またはソヴィエトのあらゆる諜報工作によって、その戦争の最中に知られていなかったと言う事実は、イゴール・ウィトコウスキーの著書、ワンダーワッフ(特別空軍)についての真実と、私の著書、黒い太陽(逆卍)の帝国、そしてザ・ベルの SS 同胞団の両方の中で、米国のパットン将軍の陸軍第三部隊の、ボヘミア(地方)、オーストリア、そして中央ドイツとハーレツ山脈地方への進軍は偶然だったとしては、正確過ぎる程に、カムラーの最も秘密裡な施設の幾つかに一致していました。むしろ、彼等(パットン将軍/陸軍第三部隊)は、米国の諜報工作内の高い位置にいた誰かによって、彼等の目的地へと導かれている様でした。

しかしながら – 全てがゲシュタポ・ミューラーによって管理されていた - カムラースターブの究極の秘密主義と安全保障対応策を与えられると、するとこれは、その敗戦が色濃くなった時に、それらの機密の情報が、カムラー・グループ自体内の誰か、誰かその組織内部の高い地位にいるもの、もしかするとカムラー自身が、裏切り者(国家反逆罪者)に成った可能性を大きくします。もう一人の可能性がボーマンなのは、研究者、カーター・ハイドリックが指摘した様に - 高度に濃縮化されたウラニウム235(濃縮ウラン)、赤外線起爆器、それらの開発者、そして2名の日本人の士官達を乗せていたドイツの U-ボート(潜水艦)、U-234 号が - ドイツの敗北の後に、アメリカに対して、そしてアメリカの権威側に唯一、投降する事を求めたためです。カーターは、多大な証拠を提供しながら、この手打ち(合意)をもたらしたのは、ボーマン自身では無かったのかと推理します。そしてボーマンの地位と、ミューラーとカムラーとの人間関係を与えられると、彼(ボーマン)だけがその他の2人(ミューラーとカムラー)と共に、カムラーのシンク・タンクによって開発されていた兵器の全体像を知り、そしてその開発を行っている施設が何処にあるのかを把握するための、全体像を知る地位にいました。ですから、その結論は明白で:その戦争の終わりに、パットン将軍の第三陸軍部隊の進行を導いていた情報源は、3名の人達:ボーマン、ミューラー、またはカムラーであった可能性があります。そして、それらの情報と目的の詳細で繊細な手渡し(妥協)のための仲介役は、イタリア北部におけるドイツ軍の降伏のために、既にアレン・ダレスと交渉していた SS のウルフ将軍、またはその戦後に、東欧において既にドイツの軍事諜報工作(スパイ・ネットワーク)を保存しようと試みていた、ラインハルト・ゲーレン将軍のどちらかの可能性が高いものでした。

SS Obergruppenführer (ナチス親衛隊大将)ハンツ・カムラー博士2つの姿
1 Kammler
ナチス党の身分証明のカムラーの写真

2 kammler
SS の衣装軍服を着たカムラー

3 kammler
彼の、何千人もの多くの被害者(奴隷労働者)達が、彼を目撃したであろう、SS 将軍カムラーの、よりなじみ深い写真

B. The Scattered Clues to the Science
B. 科学に対する分散された手掛かり
     238

しかしながら、戦後の国際ナチスを構成するための高度に組織化された努力に対して人々が指摘する事の他に、連合軍が見過ごした、手掛かりのその他の種類が存在します。¹³ それらは、ナチス・ドイツに先行していた連合軍の諜報工作のチームに、ドイツ人達が、原子爆弾、または、更に悪い事に、単なる水素爆弾以上に、より破壊的な、物理学の一つの効能を調査していたと言う事を気付かせたはずの手掛かりでした。驚く事無かれ、それらの手掛かりは、それら自体を、対照的に「隕石を止める方法」として言及された兵器から – 何らかのあまり理解されていない - そして現在まで理解されていな - ライン(河)峡谷、ガット・アルト・ゴルセン(Gut Alt Golssen)の東の小さな町に沿った秘密裡の施設、そして更に、ドイツ中南部におけるテューリンゲン(地方)のハルツ山脈の中に埋め込まれた「タイム・マシーン」の超秘密裡の噂の情報源でした!私達は順番に、それらの別々の手掛かりを、順を追って検証してみましょう。
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13 勿論、連合軍の諜報工作は、その戦争の後にドイツ国外へ、ナチスの経済的、そして技術的な資源(戦利品や科学技術)を戦略的に避難させるためのボーマンの計画に良く気付いており、そして、それが可能な限り、それらの作戦を阻止しました。ですが、彼のヤンカー 390 6エンジン長距離大型空輸機に乗ったカムラー将軍、ザ・ベル、そしてその全ての計画書類の様に、それらの多くは完璧に(国外)脱出を成功させました。

1. The Motorstoppmittel, or “Method to Stop Motors”
1.The Motorstoppmittel、または「モーター(動力)を止める方法」
239

周りの UFO 研究の世界が、ナチスの空飛ぶ円盤の逸話を、(敗戦によって)幻滅を感じたドイツ人の退役軍人達、または戦後の親-ナチスの同情者達によって流布された、証拠確認されていない神話として楽観的に見過ごした間、そして説明解決がされていない全ての( UFO の)目撃証言を説明するための、その優先的な論説として、ET の存在を持ち上げる事に意欲満々な UFO 研究の流行や傾向に流されず、研究者ヘンリー・スティーヴンスは、その逸話を地道に調査し続けました。その行程の中で、彼はまたナチスの秘密兵器についての、それまでに知られていなかった多大な詳細を掘り出し、そして報告し、その詳細と重要性の範囲において、ポーランド人の研究者イゴール・ウィトコウスキーの研究に匹敵する調査でした。

それらの忘れ去られた(隠蔽された)ナチスの科学技術の一つは the Motorstoppmittel、または「モーター(エンジン)を止めるための方式」、もしくは「方法」でした。この奇妙な科学技術にまつわる、ある異例的な状況の一連があり、その状況は、ナチスの「戦争に決定的」( Kriegsentscheidend)な兵器、ザ・ベルによって示唆された物理学の種類に対して直接関連するものです。従って、この機器に関するスティーヴンスの調査は、以下において検証されるでしょう:

「この機器が関わっている実験の最初の説明(証言)の一つは、1936年において、ドイツとの三国同盟の一つであるイタリアから由来します。それは、電気的な天才、グリエルモ・マルコーニ、イタリアの指導者、ベニート・ムッソリーニ、そしてムッソリーニの妻以外の何者でも無い人達に拘わります。

「1936年において、ムッソリーニ夫人は、その午後に、ローマ-オスティア高速道路を、彼女が移動するつもりだと、彼女の夫に伝えた様です。ムッソリーニは、彼女が午後3時から午後3時半の間にその移動を行えば、何か特別な経験を彼女がするだろうと伝えました。実際に彼は、何かを目撃する事において、彼女が驚かされるだろうと述べました。ムッソリーニ夫人は、彼女の前と後ろの十数台の車と共に、指定された場所と時間にいました。とても驚きだった何かが起こったのが、何であったかと言うと、彼等の車(のエンジン)が止まってしまった事でした。彼女の運転手と、その他の(車の)運転手達は、彼等の車のエンジンを再スタートさせようと試みましたが無理でした。およそ午後3時35分に、全ての車のエンジンが再スタートし、普通に運転できました。

「その夜ムッソリーニは、彼の妻に、彼女のトラブルの背後の説明を与えました。マルコーニが、(車の)エンジンを止める何かを開発しました。教皇ピウス11世がその実験を知るに至り、それを悪魔の仕業とののしりました。」¹⁴

其処から、その機器、またはその青写真(計画)がナチス・ドイツへと移動されたか、または其処(ドイツ)において類似した何かが開発されたのかのどちらかでした。

アメリカの連邦政府に対して、FOIA (情報公開法)の要請を通して Motorstoppmittel についての情報公開を求めた時、スティーヴンスは当初、その様な機器が、連合軍によって知られたと言う「記録が無い」と言う返答以外は何も全く受け取りませんでした。¹⁵ しかしながら、ドイツの戦時中の秘密裡の研究に関する文献の「ミニ-ロゼッタ・ストーン(解読の鍵)」とスティーヴンスが呼ぶ、磁気的な波!としてその機器に言及した、「1945年におけるドイツの(科学技術)脳力の評価」と題された、公式な米国政府の公文書を発見した、ドイツ人の研究者、フレデリック・ゲオルグの研究に、スティーヴンスが全く気付いていなかったわけではありませんでした。¹⁶ その示唆と、そしてこの専門用語(磁気的な波)の、フィラデルフィアの実験に対する明らかな関連性は、率直に、そして明白に自明でしょう。その専門用語は、ヴァロの注釈版からの類似した表現を不気味にも思い起こさせ、そして「不可視な硬直化」に関する彼の発想にまつわる、ジェセップ自身の用語に対して類似します。

「そのアメリカの報告書は、多くの情報源に基づいています。全てが同じ事を物語っている、ドイツの科学者達、戦争捕虜達、そしてアメリカの軍部からの報告書があります。それらは全て、飛行機も含めて、乗り物のエンジン(モーター)を停止させる事が出来るとされるドイツの兵器を描写します」と、スティーヴンスは記述します。¹⁷ 言うまでも無く、その報告書は、アメリカの軍部の指導者達を幾らか不安にさせる原因と成り、そしてその結果として偵察機が「それを試すために、この兵器によって防衛されていると疑われた地域へと送り込まれる程でした。」¹⁸ スティーヴンスは、その様な活動が疑われた、フランクフルト-am-Main 近辺の地域を偵察するために送られた、2機の P-38 戦闘機の飛行の、1945年1月24日からの報告書を記載します。英国の著者、ナイジェル・ペネックは、その作戦をこうまとめました:
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14 Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, p. 171.
15 Ibid.
16 Ibid., emphasis added.
17 Ibid., p. 172.
18 Ibid.


「この高-エネルギーの研究との関連において、様々な謎めいた『トランスミッター(配信器)』が、そのライヒ(帝国)内の幾つもの「鍵の地点」において設置されました。1938年において、ハーレツ山脈の有名な山頂、ブロッケンが、大至急の建設作業の場所でした・・・

この『トランスミッター』は奇妙な仕掛けで、その天辺に洋梨の形をしたノブを共にした柱(アンテナ)の一連によって囲まれた塔でした。その同時期において、フランクフルト近辺のフェルドブルグの頂上にも、類似したシステムが設立されました。それが稼働され始めた時、ブロッケンの塔の周辺において、奇妙な現象が直ぐに報告されました。その山道に沿って移動していた幾つもの自動車のエンジンが突然と停止しました。ルフトワッフ(ドイツ空軍)の見張り兵が直ぐに停止した車両を確認し、そしてその困惑した運転手に、今現在において、その車のエンジンを起動させようとする試みは無駄であると伝えました。少々後に、その見張り兵は、その運転手に、今ならエンジンが再び起動するだろうと伝え、そしてその車はその後、エンジンがスタートし、そして普通に運転されその場を去りました。」¹⁹

私達が有するものを此処で確認して下さい:お互いから少々離れた、ドイツにおける山の頂上の上の2つのアンテナの一連で;そしてその同じ効果(作用)がムッソリーニの機器と共に報告され;一度、強制停止され、その(Wi-Fi, 無線-LAN, 5G etc. の様な)配信(電磁波)が停止された後に、(エンジンが)最起動する事が可能でした。²⁰

ですが、まだあります。

アメリカ人の P-38 (戦闘機)のパイロット、ヒット大尉は、約17,000フィートの高度において、フランクフルト付近のこの(偵察)任務を彼が飛行中の際に、彼の電気的な機器の故障を突然と経験しました。「彼の燃料の圧力指示器、rpm (エンジンの毎分回転数)のゲージ、ジャイロのゲージ、人工的な平衡感覚のゲージの全てが不機能に至りました・・・そのジャイロのコンパス(針)は、360度、クルクル回り始めました。」²¹ バミューダ・トライアングル(電磁的な異常事態)を思い起こさせます!加えて、彼のツイン-エンジンの戦闘機の両方のエンジンが乱暴に(不自然に)稼働し始めました。私達が目撃する様に、これは、アメリカ人達が「磁気的な波」と呼んだ機器の本質への、もう一つの重要な「見過ごされた手掛かり」です。
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19 Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, p. 172, citing Nigel Penneck, Hitler’s Secret Sciences, (Neville Spearman Limited, 1981), p. 189, emphasis added.
20 ブロッケンの山頂のアンテナの一連、そしてニコラ・テスラのワーデンクリフの塔の計画の間には多少の類似性があり、更に HAARP のフェーズ化されたアンテナの一連(集合体)には、表面上の類似性があります。
21 Stevens, op. cit., p. 175, emphasis added.


少なくとも1マイル離れていたもう一人のパイロットは、その様な問題を全く経験しませんでした。彼等の任務を終えた後にその操縦士達が着陸した時、ヒット大尉の P-38 の機械的、そして電気的なシステムの上に、通常の調査(整備)が行われました。

「その最終報告書の題名は、その調査の結論を反映し:『疑われた磁気的な光線(ray/放射線)についての予備的な報告』です。この報告書は『機密』保持が与えられ、1945年1月24日付けで、ヨーロッパの戦略的な米国空軍の諜報工作の長官の本部によって作成されました。

「これ以前にも、44年/12月/6日付けで、米国の戦略的な空軍の、諜報工作の長官によって報告書が作成されており、そして:『電磁的な障害によるエンジンの故障』と題されていました。これは2ページ目の上に:1217計画『連合軍の飛行機のエンジンを不機能にするための、ドイツの光線の私用の可能性への調査』と副題されました。」²²

その様な機器のためにどれ程、大規模な施設が必要に成ったかを確かめるために、英国人の技術開発者によって計算が成され、そしてそれは、「規模において膨大で、故に非実用的」だった「地上/地下に基づいたコイルを使用した」とても大規模な施設を必要としたであろうと結論されました。²³ ですがその後スティーヴンスは、「明らかに、実際のドイツの機器は、ハリウッド(映画)によって想像された、単一の、一貫的なパルスをポンプ(配信)している、単純で、巨大な、地上/地下に基づいた、凄まじく巨大なコイルよりも、もっととても賢く、応用可能で、柔軟(臨機応変)で、そして標的に対して特定的だった、」と記述します。²⁴ これが示唆するのは、コイルの巨大な一連には似ても似つかないそれらの(ドイツの)アンテナの描写を与えられると、そのドイツの機器が、連合軍が推測したものとは、異なった原則の上で機能していた事です。此処において最も興味深いものは、ヒット大尉のクルクル回ったコンパス(の針)です。確かに、一つの小さな手掛かりですが、恐らく重要なものです。
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22 Stevens, Hitler’s Suppressed and Still-Secret Weapons, p. 175. その報告書の直接複写写真は、スティーヴンスによって、174ページに掲載されています。
23 Ibid., p. 176.
24 Ibid.,


2. The Gut Alt Golssen Facility
2.グット・アルト・ゴルッセンの施設
     242

更にもっと凄い「見過ごされた手掛かり」は、ベルリンの約30マイル東の、グット・アルト・ゴルッセンの町において主張された施設でした。英国の UFO 研究者、ニコラス・レッドファーンは、彼の著書、F.B.I. ファイルズ(書簡):FBI の UFO についての最上級機密が明かされたの中で、その逸話を記述します。レッドファーンによると、その FBI の記録は、「テキサス州においてエンジンの停止を原因している不可解な乗り物の報告のニュース」の後に、「グット・アルト・ゴルッセンの地域において、1944年に彼によって観測された、類似した現象に関して米国政府に報告する事」を、一人の目撃証人に余儀なくさせた、1957年11月7日付けに、その機関(FBI)によって受け取られたこの報告を明かします。²⁵ その名前が、その書類の公表化されたヴァージョンにおいては削除されている、その目撃証人は、彼の報告を提出するためにその FBI のデトロイト(ミシガン州)の本部を尋ね、それはその後、ワシントン D.C. の FBI 本部に送られました。

この報告書を長文において引用するには、価値があるでしょう:

「(その目撃証人は)1929年2月19日に、ポーランドのワルシャワ州において生れ、(そして)1942年の5月において、ドイツのベルリンの約30マイル東の、グット・アルト・ゴルッセンへと、戦争捕虜としてもたらされ、其処に彼は第二次世界大戦の終結の数週間後まで留まりました。彼はその後の数年を、コルク、ストラスブルグ、オッフェンブルグ、ミルへイム、そしてドイツのフレイブルグの、(戦争によって)家を無くした人達の収容所で過ごしました。彼はフレイブルグにおける、ラジオのテクニシャン(技術開発者)の学校に在籍し、そして約1年間、ドイツのラウラックバーデンの織物工場において雇用されていました。彼は、1951年5月2日に、(戦争で)家/故郷を失った人として『SS ジェネラル・ステュワート号』に乗って、米国に辿り着きました・・・

「(その目撃証人)によると、何月だったかは思い出せませんが、1944年に、グット・アルト・ゴルッセンの少々北の畑において働くために移動していた間に、彼等のトラクターのエンジンが、湿地帯を通る道の上で停止してしまいました。大きな電気的な発電器によって産出される、高音の音に類似した雑音が聞かれたと表現されましたが、周りには機械も、その他の乗り物も目に見える範囲にはありませんでした。」

その「電気的な発電器の音」は、フィラデルフィアの実験の目撃証人達の多くが聞いた音に類似しています。
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25 FBI Report of Nov 7, 1957, cited in Nicholas Redfern, The F.B.I. Files: The FBI’s UFO Top Secrets Exposed, (London: Simon and Schuster, 1998), p.202, emphasis added.

一人の 『SS (親衛隊)』の見張り役が現れ、そのトラクターのドイツ人の運転手と短時間、会話を交わし、5分から10分待った後、その騒音が止まり、そしてそのトラクターのエンジンが普通に起動しました。約3時間後にその同じ湿地帯の地域においてですが、『干し草(牧草)』を刈り取っていた労働人員とは離れた道路で、彼は、その人員の監視役のドイツ人と『SS』の監視役のために、それ以外は人がいなかった場所において、約50フィートの高さの防水シートの-様な布の壁によって目撃者達から隔離された、その直径において約100から150ヤードの円形の地域(敷地)を観測し、其処から一つの乗り物が、その壁を十分に超える高さまで垂直に浮上したのを観測し、そしてその後、近くの樹々によって視野が邪魔されるまで、彼の視野の外へと、ゆっくりと短い距離を並行的に移動したのを観測しました。

「この乗り物は、約500フィートの距離から観測され、直径において75から100ヤード、そして高さにおいておよそ14フィートの、円形の形として描写されました。その約3フィートの中間部分が、飛行機のプロペラに似た、継続的なかすんで見えるもの(稼働部分)を産出している、高速で動いている部分である様に現れましたが、観測される事が出来る限りその乗り物の周囲に伸びている様でした。その乗り物から派生している音は、以前に聞かれた騒音に類似していましたが、少々それよりも低音でした。そのトラクターのエンジンは今回も止まりましたが、その音が止むまでエンジンをスタートさせる試みは、そのドイツ人の運転手によってされませんでしたが、その後に(音が止むと)エンジンは普通にスタートしました。

「今回と前回の機会の上で、絶縁されていない(ゴムなどで覆われていない)金属、恐らく銅製の、直径において1.5から2インチのケーブルが、地面の表面と地下、幾つかの場所では水の中に敷かれ、その道路と敷地の間の小さなコンクリートの柱の様な構造と、その敷地の間に明らかに繋がれていたのが観測されました。

「この地域は、第二次世界大戦の終わりの直後まで再び(目撃証人によって)訪問されていませんでしたが、それが(再び)観測された時、そのケーブルは撤去されており、そのコンクリートの構造の以前の場所とその敷地が、水によって覆われていました。(目撃証人は)彼等自身の間でこの出来事を何度も話し合った、ロシア人、フランス人、そしてポーランド人の戦争捕虜達によって構成された、16人、または18人の労働者達のいずれとも、1945年以降、連絡していないと、彼は明言しました。しかしながら、それらの内、住所は知りませんでしたが、1945年の後にポーランドに帰国したと推測された、当時、50歳位の一人を名前を思い出す事が出来ました。」²⁶

グット・アルト・ゴルッセンにおいてこのポーランド人の戦争捕虜が目撃したものの証言と、そしてザ・ベルと、サイリーシア(地方)における更に南、ブレスラウの北西のルドウィグスドルフの Wenceskas Mine の実験場において出された音の間には、幾つもの関連性があります。

この報告書が、アメリカ政府の最も再上層部において不安材料を誘発させたであろう事は、人は想像する事しか出来ませんが、それが明らかに言及するのが、ベルリンの近くのフィールド(電磁場)推進力の「空飛ぶ円盤」の実験場の、何らかの先進的な、その戦争(第二次世界大戦)の間にナチスが扱っていた科学技術のとても先進的な形状の存在で、その科学技術を同様に彼等が正に(遠隔)操作する事が可能で、グット・アルト・ゴルッセンの地域が、戦後に占領されたドイツの地域のソヴィエト(連邦/共産主義)・ゾーン(東ドイツの一部)の深く内部に隠されていたので、その(米国/連合軍/欧米/etc. の)不安(疑心暗鬼)を台頭させました!

1951年11月7日の、「グット・アルト・ゴルッセン」の空飛ぶ円盤の、FBI の報告書の一部
本文266ページ参照:

これ等の調査の一連が興味深い間、その書類の中に引用された、匿名の目撃証言者の報告によって示唆された、更にもっと興味深い可能性があります。私達は以下の関心の幾つかを上げましょう:

1)その施設は、SS (ナチス親衛隊)の護衛に対して言及が成されるので、明らかに、SS の管轄区内でした。その書類の中に見られる期間 – 1944年における - 期間を与えられると、人はこれが、私達が次の瞬間に目撃する様に、これが更に、カムラーの超-秘密兵器の SS 「シンク・タンク(カムラー・スターブ)」の内部のもう一つの全く知られていないブラック・プロジェクト(闇予算/裏資金を使った秘密計画)であると結論しないわけにはいかず:

2)その施設は明らかに、ルドウィグスドルフの Wenceslas Mine の近くのヘンジ構造を思い起こさせる、大きな円形の敷地を含んでいる、ザ・ベルと関係しており;その2つの施設の間の関連性は、以下によって更にもっと明確にされ;

3)そのグット・アルト・ゴルッセンの施設は明らかに大量の電力を使用し、その FBI の目撃証人によって表現された、特徴的な「ブーンと言う音」によって証言された事実ですが、また多量の電気的なケーブルによっても表現され、イゴール・ウィトコウスキーが、ルドウィグスドルフにおけるヘンジ型の構造においても同様に存在していたと指摘する特徴で、その施設はとても大量の電力を必要とし、実際に、とても近距離において、それ自体の電力発電所が造られなければならず、次の章の中で私達がより詳細に検証する事実で;²⁷

4)この関連性は、グット・アルト・ゴルッセンと、ルドウィグスドルフにおけるヘンジ型の構造の両方が、両方とも円形で、そしてコンクリート製の柱であるとする、類似した用語において描写され、そして両方の構造が水と共に関係していた事実によって、更にもっと強化されます。ウィトコウスキーは、ルドウィグスドルフのヘンジが、明らかに水を集める為、もしくは恐らくその他の何らかの液体と共に満たすために、一種の窪地において実際に造られたと指摘します。同様に、そのグット・アルト・ゴルッセンの施設は、湿地帯の中に位置された事によって水と共に間接的に関連し、そしてその後、その存在をロシア人達(ソヴィエト)から隠すための SS による破壊工作において明らかに水没させられ、それはルドウィグスドルフにおける Wenceslas Mine のベルの地下実験施設に対して起こった事ととても類似していて:SS は、その地下施設の多くを(隠蔽するために)水没させました。

5)最後に、グット・アルト・ゴルッセンの機器は - 速度は与えられていませんが - 実際に飛行していたと観測され、そしてこれは、付近のトラクターのエンジンを停止させる効果との連動においてです。
_____
27 この施設の詳細な検証のために、Igor Witkowski, The Truth About the Wunderwaffe, pp. 263-268, を参照して下さい。

ルドウィグスドルフの窪地におけるヘンジのイゴール・ウィトコウスキーのスケッチ:イゴール・ウィトコウスキーのワンダーワッフについての真実より²⁸
1 ウィトコウスキー

この FBI の書類とグット・アルト・ゴルッセンの施設によって、重要な問いの幾つかが台頭させられます。この目撃証人は実際に、彼が目撃したものを、ドイツのブランデンブルグにおけるこの小さな町の近くで見たのでしょうか?または彼は恐らく混乱していた、もしくは意図的にその施設の本当の位置について偽証していたのでしょうか?もしかしたら、彼が実際に行われている事を目撃したのは、グット・アルト・ゴルッセンにおいてでは全く無く、ルドウィグスドルフにおいてでは無かったのでしょうか?どの様に考えても、グット・アルト・ゴルッセンの施設の FBI の報告書の描写と、更に南部のサイリーシア(地方)のザ・ベルとのそれらの関連性には、目を見張るものがあり、そしてもしその報告書が正真正銘なら、それは、サイリーシアにおけるザ・ベル計画が、恐らくドイツ東部全般に分散された計画の一部でしか無かった事を示唆します。

私の意見において、その答えは、その目撃証人が、彼が見たと言うものを、彼が見たと言う場所で目撃したと言う事です。彼はグット・アルト・ゴルッセンを、ルドウィグスドルフと混乱させているのでも無く、その施設の位置について意図的に嘘を言っているわけでもないのでしょう。その2つの場所におけるそれらの施設の間の類似性には、確かに、目を見張るものがありますが、同時に違いが存在し、言うまでも無くグット・アルト・ゴルッセンは実際に、ブランデンブルグの平坦な湿地帯にあり、対してルドウィグスドルフは比較的に険しい森林地帯で、更に低サイリーシアの山岳地帯で、農耕地、トラクター、そして湿地帯には当てはまらない地帯です!
_____
28 Igor Witkowski, The Truth About The Wunderwaffe, p. 271.

私達はすると、2つの別々の計画、または恐らく、ザ・ベルによって体現された同じ計画の2つの部分を扱っていて、それはそれらが SS の管轄区に治まる事は言うまでも無く、その他の物事においても共通のものを有する様に現れます。

現在は、ポーランド国内の Ludwicowicze (地名)である、サイリーシアのルドウィグスドルフの「ヘンジ」
2 ウィトコウスキー・ヘンジ

3. The Harz Mountain “Time Machine” Rumor
3.ハーツ山脈の「タイム・マシーン」の噂
    248

最後の、そして多くの意味において、もし衝撃的では無いにしても、最も重要な手掛かりは、時間を操作する事を含んでいる超-秘密裡なナチスの戦時中の計画の一貫的な噂でした。ヘンリー・スティーヴンスは、ドイツ人の研究家、フリードリッヒ・ゲオルグとの接触を通してその逸話を学びました:

「これは、彼が知り、そして信頼し、更に実際に婚姻を通して親族関係にある一個人によって彼に伝えられました。この人物は、若かりし頃、当時の何千名ものその他と同様に、ドイツの国防軍における一人の兵士でした。そしてその他の数多くと同様に、終戦間際の1945年の4月において、この人は、アメリカ人に運営された戦争捕虜収容所にいました。其処で彼は、同僚の捕虜であり、奇妙な逸話を伝えた一人の SS の兵士に出会いました。

その SS の兵士によると、ヒトラーは、ハーツ地方の山脈の中に隠された施設を有していました。其処の、ある山の地下深くで、ヒトラーはタイム・マシーンを構築しました。残念ながら、このマシーンは、地上からはもう手が届かなくなりました。」²⁹

スティーヴンスは、勿論、その逸話を、ザ・ベルについてのイゴール・ウィトコウスキーとニック・クックの研究にすぐさま関連させ・・・

・・・そして良い理由と共になのは、ウィトコウスキーが指摘した様に、ザ・ベルのための計画暗号名が正しくクロノス(土星)計画、または時間計画!であったためです。³⁰

明らか過ぎる事が頻繁に目の前を素通りしてしまう様に、極度に重要ですが、明らか過ぎて注意を逃れてしまうかも知れない何かにまた着目して下さい:フリードリッヒ・ゲオルグの情報源は、ザ・ベル以外には考えられない「このマシーン」が、「今ではもう、地上からは手を出せない」と示唆します。言い方を変えると、スティーヴンスとゲオルグはザ・ベルが全く(当時の)ドイツ領外に逃れなかったと示唆しています!それはアメリカへも、ましてやアルゼンチンへも移動されず、Wenceslas Mine (大規模な地下トンネル施設)の中のその地下のサイリーシアの実験現場の中に埋められたままで – そうであればザ・ベルは現代のポーランドの手の内にある – またはそれはドイツ内のハーツ山脈内の何らかの施設の下に埋められたままのどちらかと言う事に成ります!実際に、最後の可能性はとても高く、その謎めいた行方不明のために殆ど考慮されていない選択肢で:カムラーはザ・ベルをルドウィグスドルフの施設から移動させ、そして見事に遂行された作戦において、(ザ・ベルが)アメリカかアルゼンチンに輸送されたと誰しもに信じ込ませましたが、単純にその機器を「少し隣の」Thuringia (地方)のハーツ(山岳地帯)の施設へと移しただけで、そして終戦直前にそれらの地下トンネル構造が SS に仕掛け地雷され地下に埋没させられた数多くの地下施設の内の一つの中に埋められたのかも知れません。もしこの選択肢が正解であったと証明されるなら、するとザ・ベルのその科学技術は、ドイツの領土内に残ったままに成ります。³¹

Joseph P. Farrell - Secrets Of The Unified Field: The Philadelphia Experiment
ジョセフ P. ファレル博士 - 統一されたフィールド(場)の秘密:フィラデルフィアの実験

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法律、言語、そして責任:神学と金融における法人のペルソナ・フィクタ

法律、言語、そして責任:神学と金融における法人のペルソナ・フィクタ(架空人格)

ヴェニスの金融的な毒蛇達:第七章
ジョセフ P. ファレル著より


「とても頻繁に、実際、私達は、銀行家達が、偽造された硬貨と同時に、宝石や銀のベルトの様な、盗まれた貴重品を購入していると非難されているのを目撃します。私達が見てきた様に・・・彼等自身が時には、偽造硬貨の産出と分配におけるパートナーである、または摘み集めは犯罪行為なのに彼等が、鋳造された硬貨の切り取りや削り出しを大々的に指示しているのを見つけます。」
- ラインハルド C. ムエラー¹
訳者注:比較的に軟らかい貴金属性の金貨や銀貨の端っこを、ちょっと削ったり、切り取ったりする、違法行為。)

過去2,3年に、銀行業と株式債券コミュニティーによって行われた膨大な詐欺の直後において流通しているジョークがあります:「テキサス州が、それらの(企業の)内の一つを死刑にした時に、私は企業が人(法人)であると信じます」と、私達の無名の対話者は述べます。そのジョークの幾つかのヴァージョンにおいて、その企業の名前は - J.P. モーガン、ゴールドマン・サックス、そしてその他の幾つかが - 「企業的な死刑囚監房」のリストの一番上に来ます。勿論、その観衆の中には、企業の目的の全体が、企業、またはその責任者達の犯罪の、個人的な責任を制限するためだと異論する、弁護士の一人か二人が常に存在します。

ですがそれは、常にそうだったわけでは無く、そして実際に、corporate person/企業的な人格(i.e. 法人)の教義の元々の土台は神学的で、そしてその教義の神学的なヴァージョンの要点全体が、正しく、他人の犯罪(過ち)のために、一個人が道徳的な責任を負う事が出来る事を確かにするためのものでした。ですからどの様に、私達はその神学的な教義から現在の状況まで至ったのでしょう?どの様にして私達は、一個人の過ち(犯罪)のために、人類には集合的な責任があり、道徳的に責任が課せられる事であったその目的全体の教義と共に始まり、そして法人(コーポレート・パーソン/企業的な人格)が莫大な規模の詐欺を行う事が可能で、そしてそれを行い、その間、多くの企業的な責任者達が、その騒動(詐欺)の上で在席し、実際に彼等の「パフォーマンス/行い/詐欺」に対して、彼等自身にボーナスを与える、現在まで辿り着いたのでしょう?

A. その逸話の神学的な部分

この逸話の神学的な部分は、ラテン語のヴァルゲートの中で、聖者ジェロームによって行われた誤訳、そしてどの様にヒポ・レジスの聖者オーガスティンが、その誤訳に基づいて、「原罪」の西方教会(カトリック)の教義を形成したのかと共に始まります。

ですが最初に、幾つかの注意があります。

最初の注意はこれです:原罪の西方教会(カトリック)の教義の付属物としての、法人の教義について記述された膨大な量の文献の調査の試みが、一つの章の2,3ページに納められるのは不可能です。この題材についての大書の全体が既に記述され、此処において唯一達成出来るのは、それらの根源、相互関係、そして西洋文化、法理学、そして金融の形成のためのその教義の幾つかの一掃的な示唆(影響力)の、基本的で神学的な概念を表す事です。

第二の注意が、以前に記述された根源、相互関係、そして示唆から流れるのは - 一つの形状、またはもう一つ、そして様々な度合の「厳しさ」において - その教義が西方の教会において保たれる様に成ったためで、正に、中世のラテン教会に特徴的な西方(カトリック)の教義で、そして故に、それ(カトリック)から分岐した、プロテスタントの教会に対しても特徴的な概念的な根源(i.e. 原罪)です。それは(ギリシャ正教、ロシア正教の様な)東方のオーソドックスの教会(正教)の教義では無く、それは「原罪」としての教義には言及さえもせず、「先祖的な罪」とします。この短い寄り道の中で私達が発見する様に、その西方(カトリック)の教義は元々、神に対して負わされた人類の「無限の借り/借金」の概念に関連していて、そして神聖な口座の帳簿をバランス(返済)している「無限の自己犠牲」の一種としての、キリストの犠牲の西方教会の解釈に関係しています。

1.中心的な節と解釈の要点
a. ギリシャ語版とジェームズ王版


私達の、神学的に盲目な文化において、この複雑な題材に接近する最も簡単な方法は、新約聖書の中のたった一つの節を検証する事によってで、その節は、言うなれば、原罪の教義のための土台です。その節は、ローマ人達への手紙5:12です。この節の私達の展覧において、読者にとって重要なのは、私達が数世紀に渡る分析と神学的な解釈を圧縮していると覚えておく事で、そして故に読者は、一緒に少々の神学、そして少々のギリシャ語とラテン語を、学ばなければならないと言う事です。私達は此処において、直ぐに明らかに成る理由のために、承認された(ジェームズ王)版の英訳を引用します:

Wherefore, as by one man sin entered into the world, and death by sin; and so death passed upon all men, for that all have sinned.
この様な理由で、一人の男(人)によって罪が世界へと入り、そして罪による死であり;そして故にが男達(人達)の全てに渡されたのは、全てが罪を犯したためです。
(このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。)

私達が複雑な分析に進む前に、着目されるべきは、その節が、「罪の本質」、または「罪悪感(罪の責任)」が全ての人達の上に渡されたとは言わず、死がそうされたと言う事です。

さて、私達は、この節を見つめ直し、そして特にその節の最後の部分 - ”for that all have sinned (そのために、全てが罪を犯した)を - とても詳細に検証してみましょう。元々のギリシャ語においてこれは ἐφ’ ᾧ πάντες ήμαρτον と読め、そして私達が思考する2つの言葉は ἐφ’ ᾧ (またはそれを翻訳すると「エフ・ホ」で)それをジェームズ王の英訳家達はとても慎重に(私達が見る様に)「for that (そのために)」と翻訳しました。この表現 - εφ ω - について興味深い事は、すべて同時に3つの異なった解釈が可能な事です(結局の処、これはギリシャ語です!)それらの2つの短いギリシャ語の言葉は、最初の例において、単純に「because (何故なら/~のために)」を意味している慣用語法的な表現です。故に、ギリシャ語におけるその節の最初の意味はこれです:

Wherefore, as by one man sin entered into the world, and death by sin; and so death passed upon all men, because all have sinned.
この様な理由で、一人の人によって罪が世界へと入り、そして罪による死であり;そして故に死が人達の全てに渡されたのは、何故なら全て(の人達)が罪を犯したためです。

しかしながら、私達がその2つの言葉 εφ ω - エフ・ホの意味を別々に考えた時に、その意味は更に特定的に成ります。それらの言葉の二番目、ω、または一人称の再帰男性名詞で、明らかに、その文章の事前の部分における男性一人称の前提副詞に言及しています。その最初の言葉 εφ、またはエフは前置詞で、それはこの文法的なコンテキストにおいて、「for that reason (その理由のために)」、または「because of which (何故ならそのために)」を意味します。着目すべきは、「for that」の英訳を応用する事によってジェームズ王版の英訳者達が、最初の意味 「because」を保存するにおいて周到に忠実だっただけでなく、同時にその他の2つの可能な意味 - 「because of which」と「for that reason」を保存し様とした事です。

ですからこの時点における問いは、「その一人称の男性名詞 ω、またはの前提副詞は何か?」に成ります。

その節のその前の部分において、ギリシャ語の中で2つの可能性しか無く、その「one man(一人の人)」と death (死)です。

もし人が「一人の人」を最初の副詞として取ると、するとその節の意味はこう成ります:

Wherefore, as by one man sin entered into the world, and death by sin; and so death passed upon all men, because of the one man all have sinned.
この様な理由で、一人の人によって罪が世界へと入ったので、そして罪による死なので;そして故に死が全ての人達の上に渡され、一人の人のために全て(全員)が罪を犯したためです。

ですが、この解読には問題があり、そして多くのギリシャの教会の神父達は、直ぐにそれを見解しました。その問題は、その様な構成において、通常の文法的なルールの注釈が再帰代名詞は、最も離れた前提副詞では無く、最も近くのものに言及すると意味するためで、それはこの場合、「一人の人」では無くです。故に、この節のより特定的な解読はこれです:

Wherefore, as by one man sin entered into the world, and death by sin; and so death passed upon all men, because of death all have sinned.
この理由のために、一人の人によって罪が世界へと入れられたので、そして罪による死で;そして故には全ての人達の上で渡され、死のために全てが罪を犯したためです。

これが何を意味するのかと言うと、その節の最初の解読において - 「so death passed upon all men, because all have sinned (故に死が全ての人達上に渡されたのは、何故なら全てが罪を犯したためです。)」は - 死が個人的な個人の罪のための罰で、それに対してその節の3番目の解読において - 「so death passed upon all men, (and) because of death, all have sinned (故に死が全ての人達の上に渡され、(そして)死のために、全てが罪を犯しました」は - それが死で、i.e. アダムとイヴから、彼等の子孫達に渡されたのは、物理(肉体)的、そしてスピリット(霊)的な腐敗ですが、彼等の罪のための道徳的な責任では無いと言う事です。言い換えると、渡されたのは、彼等の活動の成り行きである - 死 - ですが、他人の過ちのための道徳的な責任ではありません。実際に、ギリシャの教会の神父達が好んだのは大々的に、最初と三番目の解読で、そして故に、その教義の西方版(カトリック)の中で頻繁に明言される、アダムとイヴ、または「罪の本質」の道徳的な責任を、人が後継すると言う(原罪の)概念は、東方のオーソドックス(正教)の中にはありません。

その節のこの詳細な解読は、この問題に関連したその他の文章を、東方の教会がどの様に解釈したのかに多大な影響を有し、そしてまた、東における法律的、そして文化的な発達に多大な影響を持ったためで、その最たるものはオーソドックスの文化の中で中心的な礼拝的、そして文化的な出来事が、キリストの再誕であり、その中心的で礼拝的な出来事が、キリストの磔では無い事です。 その理由は単純で:人類の基本的な問題は、この見解の上で、道徳的なもの(そして故に、無限の借金の問題)と言うよりも、言うなれば、物理的なもので、死の淘汰を通して転生し復元する事が出来るのは神のみであると言う事です。²

あるとても重要な事に此処で注目してもらいたいのは、西方(カトリック/プロテスタント)の教義がどの様にして実際に、企業的な人格(法人)の教義の上に基づいた受け継がれた罪悪感、または道徳的な責任の教義であると理解する事が重大に成るためです。ギリシャ語において、死は実際に自然的な成り行きで、つまり、親から子へ渡される共通の人間の本質において内在的で、そして故に、オーソドックスのキリスト教の見解において、アダムとイヴから人類の全てに受け継がれたものです。ですがオーソドックスの見解において個人的な選択で、そして故に、道徳的な責任は、その行いを行っている個人的なに対して帰属させられます。故に、自然/本質の間にとてもはっきりとした分別が引かれ、その分別は、私達がこれから見る様に、その教義の西方のヴァージョンにおいて消滅します。³

b. ラテン語のヴァルゲートとその他全ての英訳

ヒッポ・レジウスの聖者オーガスティンによって法典に含まれる様に成った、その西方(カトリック)の教義の起源を私達が見つけるのは、聖者ジェロームのラテン語のヴァルゲートの翻訳に、私達が目を向けた時なのは、此処において「法人」の示唆された教義が鮮明にあるためです。そのヴァルゲートの中で、ローマ人達への手紙5:12はこの様に読めます:

Wherefore, as by one man sin entered into the world, and death by sin; and so death passed upon all men, in whom all have sinned.
この理由のために、一人の人によって罪が世界へと入ったので、そして罪による死で;彼(アダム)において全てが罪を犯した、全ての人達の上にが渡され(後継され)ました。

最後のフレーズのラテン語はとても鮮明で、際立って強調的で:en quo omnes peccaverunt で、ギリシャ語の εφ’ ᾧ πάντες ἥμαρτον の可能な意味の二番目だけの翻訳を選択し、その解読は、私達が見た様に、ギリシャの神父達によって好まれ無かっただけで無く、実際に、文法の通常のルールと調和的でさえありませんでした。

此処で私達は、再び、当時の神学的な記述の膨大な量と、分析の多大な量が圧縮されているので、この解読をある意味「説明」しなければならなりません。此処における私達のガイドは、person (人)nature (自然/本質)の2つの重大な分類で、そして神学的な教義論に対してとても不可欠な第三の形而上学(精神)的な分類である、natural operation (自然/本質的な機能)の分類です。それらが答える事をデザイン(意図)された問いを記述する事によって、それらの分類のそれぞれが、何を行うためにデザインされたのかのおぼろげな理解を私達は得られるかも知れません:

1)Person (人/人格)は、何かを行っているのは誰か?の問いに答え

2)Natural operation (自然/本質的な機能)は、それらが行っているのは何か?の問いに答え、そして

3)Nature (自然/本質)は、それらの物事を行っているそれらは何か?の問いに答えます。

私達は「もしそれがアヒルの様に見え、アヒルの様に歩き、そしてアヒルの様に鳴き、アヒルの全ての natural operation (自然/本質的な機能)なら、それはアヒルで、i.e. アヒルである事の共通の nature (本質)を有している」古い格言から、その二番目と三番目の問いの理解を得る事が出来ます。私達は此処において、普通の言語がそれを保つ事に着目する事によって、 person と nature の間の違いの理解に近づく事が出来ます。私達は「I am a person (私人です/person)」と言いますが、「I have a soul (私は魂を有している/nature)」と言い、そして故に、人間の nature と soul の理性的な脳力は person 自体からははっきりと異なります。私達がこれから見る様に、person (人/人格)soul (魂)同一視し、そして故に person を soul の理性的、そして意志的な脳力まで格下げする過ちを犯すのは、西洋文化における人達の習慣で、私達が直ぐに辿り着く理由のため、後継した道徳的な責任である法人の教義に緊密に連動した理由で、先祖的な罪の、東方(オーソドックス)の教義から、はっきりと異なった、「原罪」の奇妙にも独特な西方(カトリック/プロテスタント等々)の教義です。

三位一体の神学、輪廻転生の教義、そして神学的な人類学の土台を形成するのは、形而上学的な分別のそれらの3つの分類 – person (人/人格)、natural operation (自然/本質的な機能)、そして nature (自然/本質) - そしてそれらに関連した3つの問いです。後継された罪の示唆された教義と、ローマ人達への手紙5:12の西洋の解読の神学的な人類学のコンテキストの中で見解された時、それらの3つの分類に何が起こるのかを考えるために進む前に、最初の2つを簡単に見るために、一旦停止するには価値があります。着目するのが大事なのは、此処における私達の唯一の目的が、それらの教義の真実性を擁護する事でも、間違いを指摘する事でも無く、単にそれらの背後の考え方の一般的な方法を明瞭にする事だと言う事です。

その最初の2つの分野 - 三位一体の神学と輪廻転生の - データベース、またはデータのセットに関して、基準的な新約聖書の文章は、勿論、その問いが提示される土台に成りました。例えば、もし神父達が新約聖書の中でキリストが - 旧約聖書の中で神の名前である - 「I am (エア)」と言う言葉を共にしたフレーズを語り、そして奇跡を行う、または罪を許し、そして精霊(Holy Spirit)に対して不敬な事を言う事が出来るなら、するとその明らかな示唆は、「doing these things (それらの物事を行っている)」「Whos (誰か)」は、同じ共通の「divine (神聖な)」nature (本質)を有しています。故に、3つの persons (人格達)が、共通の根底にある nature共通の operation (機能)を行っています。

キリストに関して、その分類の定義においてそれ等を尋ねるその同じ秩序(順番)は、異なった結果に繋がりました。其処で、一人の personnatural operation の2つの全く異なったセット(一式)を行い:病人を治癒したり、罪を許す等々の「divine (神聖)」なものと、歩いたり、話したり等々の人間のものです。これは、彼(キリスト)が2つの nature (本質)の一人の person であると言う、451年の有名なチャルセドニアの定義に繋がりました。三位一体とキリスト論的な例の両方において、3つの分類の違いが保たれた事に注目するのは重要です。

此処で私達は、ローマ人達への手紙5:12の西方版に戻り、そして person, natural operation, そして nature の分類の定義において、何が起こったかを見るために、何が起こっているのかを説明しましょう。最初にヴァルゲート自体の解読を私達は思い出しましょう:

Wherefore, as by one man sin entered into the world, and death by sin; and so death passed upon all men, in whom all have sinned.
この理由のため、一人の人によって罪が世界へと入たので、そして罪による死で;そして彼の中で全てが罪を犯したので、故にが全ての人達の上に渡されました。

此処で、此処における形而上学的な「理論」の示唆された段階に着目して下さい:

1) アダムの person - その節の「one man (一人の人)」 - sins (罪/複数形)
2) 罪は、人間の意志の natural operation (自然/本質的な機能)、または実行の personal (個人的)な使用で、それは人間の nature (本質)に一般的な性質で;
3) ですが、その選択の道徳的な責任が全ての彼の子孫達(in whom all have sinned/彼において全て(の子孫達)が罪を犯した)に渡され(後継され);故に、
4) 意志の natural operationその personal な使用が此処で、後継された nature に対して共通な全ての persons の内容を定義します。言葉を変えると、一つ、または複数の土台の上で personnature混同させられ、同じ、または類似した方法において persons が意志のそれらの共通の脳力を使用しています。この共通の機能的な使用は故にその正に person 自体を暗黙に定義し、そして成り行き的に、正にその意志のこの共通的で機能的な使用の定義において、「グループ的」、または「企業的」な person (法人)の概念を生み出す事を可能にしています。言い換えると、とても多くの人達が苛立たしいと感じる企業的な理論を教えるのはこの段階で、つまり、企業的な「グループ・シンク(考え)」の文化の形成です。その様な現象は「原罪」の教義の根底にある企業的な理論に埋め込まれた、内在的な構成要素です。

言い方を変えると、person, operation, そして nature の間の違いが完全にごちゃ混ぜにされ⁴、そして結果的に派生させられたものは「グループ person」の一種で - プロテスタントの神学者達はそれを時には連邦 person、または「連邦的なアダム」と呼び – それはその意志の推定された共通の機能と統一的な罪(原罪)におけるその拘わりによって定義されました。共通の機能において拘わっている persons - この場合「罪」における - グループ、または企業的な person (法人)は、この場合においてアダムから、またはアダム「において」後継した全ての人類を定義し:「彼において全てが罪を犯しました。」法律において法人の教義の神学的な土台を形成するのはこの段階です。

最後に、それ自体の方法において、この教義は、無限の借り(借金)の返済としてのキリストの贖いの西方教会の理解に対して深く根付いています。⁵ ある意味、全てが共通して分かち合う人間の本質による、後継された罪、または他人の道徳的な選択の責任能力としての「原罪」の理解は、「罪」が神に対して負わされた「借り/借金」として知覚され、両方が「蓄積」し、システム的な問題に成る事を意味します。そして神は「無限」で「無限に公正」なので、これが意味するのはその借り/借金が無限で、そして人類の支払い能力を超えていて、故にこの理論によると無限である神は、その原則/元金を撤廃するために、無限の死においてその借り/借金を返済するために、輪廻転生において人に成らなければならず、そして彼自身のために彼自身を殺さなければなりません。その教義のこのヴァージョンにおいて注目してもらいたいのは、実質的に無制限の情報の創造のオープン・システムとして、生産力と創造性の隠喩として始まった、その媒質の太古の「トポロジー(位相数学)的な隠喩」が、ゼロ-サム・ゲーム、そしてクローズド・システムへと変格され、どれだけ多くの情報が創造されようとも、その情報は常に借金の形状においてで、それはその隠喩の頂上の段層 - 神のみが - 返済可能だと言う事です。私達はその隠喩、そしてこのクローズド・システムのアプローチの中のその変格に、この章の中で更に再び出くわすので、そのクローズド・システムがどの様に、西方の神学的な伝統に深く根付いているかに注意するのは重要です。

2.中世のイタリアの法律における企業、またはパートナーシップ

この短すぎて不器用な神学的な分析を頭に入れると共に、私達が本題に戻るのは、企業的なパートナーシップの責任の中世後期における形成において、この神学的な形成の役割をそれ以上により鮮明に私達が見られるのが他に無い為で、以前に概要された概念がどの様に現世的な法律学・・・そして金融の中へと入ったのかを、私達が鮮明に目撃するのが此処においてであるためです。

彼の最上級の研究中世の超-企業:フローレンスのペルッジ社の研究の中で、エドウィン S. ハントは、此処における私達の検証に直接の密接な関係のある以下の観測を行います。

1) それと共にこの章の残りにおいて私達が扱っている – 中世の超-企業は - 半-永続的なパートナーシップとして組織化され;⁶

2) それらのパートナーシップの意図された半-永続的、または永続的な本質は、「ペルッジ家の場合、青を背景とした黄金の梨、そしてバルディ家のダイアモンド型の紋章のデザインの様な」会社のロゴの彼等の使用によって証言され;⁷

3) それらのパートナーシップは、パートナー達自身の気まぐれにおいて形成され、または全体的に解消されましたがその様な解消は通常、パートナー達自身の新たな株式保有を効果させる目的のためでした。通常、その様な解消と株式保有の再編成の上で、利益(または損失)が、割り当ての土台の上でパートナー達/株主達の中で配当され。;⁸

私達は此処でその問題の要点に辿り着き、そして corporate person (企業法人)の教義の神学的な土台に対する繋がりです。ハントはこう記述します:

4) その会社においてパートナーが有した賭け金(投資)、またはシェア(株式)を反映したその「マネーの価値」は、「全体的な会社の資本に対するこの貢献(投資)の比率に割り当てられた利益、または損失の分け前を、それぞれの所有者に約束しました。故に、「株主」と言う言葉は、「パートナー」と言う言葉と入れ替えながら使われる事が出来ました。それらの会社は、破綻の場合において、それぞれの株主達が、彼の個人的な所有物(資産)の全てに対して無制限の責任の対象に成ると言う意味においてのパートナーシップでした。」⁹

現代の(i.e. 株主達が責任を負わない)企業とは異なり、中世の概念が未だに、その企業、またはパートナーシップの損失、または倒産のために個人的(personally)な責任者として、企業の「グループ・person」の株主達を構成する persons を保っている事に着目して下さい。言い換えると、神学的な教義が、現世的な概念において、未だに完全に効果的です。これと共に、私達は此処でその逸話の金融的な部分、大いなるフローレンスの中世的な超企業の台頭と崩壊、そしてその全ての背後に巣くうもの、ヴェニスの金融的なオリガーク(オリハルヒ/財閥)達の役割へと向かいましょう。そして再び、そうする事において、私達はその媒質の「トポロジー的な隠喩」の新たな隠れ蓑において出会います・・・

ヴェニスの金融的ヴァイパー(毒蛇)達
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バビロンの金融マフィア達: 第五章

第五章
マネー、一神教、王族と軍部

デーヴィッド・アストルのテーゼ

「彼等は、彼等にそうする事を許した愚かな国々同様に、彼等が台頭させた怪物によって圧倒された、肥えた悪賢い男達でしかありません。」
- デーヴィッド・アストル
³³⁷

A. 証拠の状態と推理の必要性

デーヴィッド・アストルは、それ自体の利益と目的のために、太古の時代において、寺院と連合し、場面の背後で政府、宗教、パンテオン(万神殿)、そして政治を操作していた、国際的なブリオンの売買人達の信用(信託/神託)の存在のために、膨大なデータベースと上手く論議された例を収集した研究者です。その様な物として、此処における私達の検証は、彼の研究の端的な再検証に成る事しか出来ません。この再検証は、アストルが供給する証拠と分析の種類の小さなサンプルでしか無い事が強調されるべきです。³³⁸

これを述べた上で、アストル自身が、その証拠の難しい状況と、推理の必要性について、強い警戒の記述を供給します。全ての太古の社会が、そのマネー(通貨)の硬貨鋳造と統制(価値の調整)の権力と関連した国庫(財政)のシステムを有していた事を記述し、アストルはこう述べます:

「太古の文明において専門化した、偉大な考古学者達と学者達の研究の殆ど全てにおいて、最も重要な問題、食物の余剰(i.e. 供給過多/財政黒字)の分配システムと、気候と風習によって必要とされる限りの、健全で継続的な営みを保つために必要な物資の全て(生活必需品)の余剰について、実質的な沈黙があります。

「それらの偉大で実施的な学者達の記述の全てにおいて、人々の中に交換(取引)の単位(通貨)を注入する強力なエンジンの働きと、そしてそれ無しでは、私達が知る処の文明が台頭しえない働きは、深遠な沈黙によってのみ示唆されています。それらの人々の未来への進歩の状況を、完全に統治しているこの全ての重要な問題の上で、ソヴリン(主権)の統治の権威(国家/王)からのその発行からははっきり異なったものとして、交換のシステムについて、交換の単位と個人的な個人達(後の銀行)によるその発行について、語るための一言もありません。」³³⁹

其処には関連した問いがあり、そしてアストルはそれを素早く知覚し:その様な国際的なブリオンの売買人達の階級がどの様に台頭したのかに関連した証拠も、「何が彼等を創造したのか」についての証拠も不足していて、「不可思議の領域寸前の」その様な証拠の浸透的で、殆ど統一的な欠如です。加えて、太古の国際的で金融的な政策について、学術的な文献における「それらの最も重要な問題について推理する事に対する完全な失敗」があります。ですがもっと重大な事に、「その様な機械(社会)が推進されるエネルギーの源泉の真の本質」について、推理の完全な欠如があると、アストルは観測します。³⁴¹

アストルが明らかに、彼の研究の全体を通してそのエネルギーの源泉が、太古の時代において広く広まった奴隷制度の実施であると信じ、そしてそれに限っては私達が彼と共に同意する間、アストルのコメントが明かすより深い問いがあり:奴隷制度の他に存在していた、またはそれらの太古の「ブリオンの売買人達」の仲間内によって求められた、もう一つの、そしてより深いエネルギーの源泉は無かったでしょうか?

何であれ、その空白を埋めるための推理を必要とし、実際に強要するのは、その様な重大な問題についてのこの困惑させられる沈黙です。

「彼等の記録が火によって焼かれた粘土の上で保存されたために、もっと最近の文明よりも多くが知られている、メソポタミアの太古の都市国家の日々における、個人的なマネーの創造(i.e. 銀行/金貸し)の成長について、実質的に情報が全く存在しない様に現れ;そしてそのギャップ(白紙)は、特定の量の推理によって埋められなければ成りません。王達が、太古の時代において、彼等の神聖な起源の派生をそれから主張した、神々の法律に対する対峙としての、交換の単位(i.e. 通貨 )の個人的な人達による詐欺的な発行の始まりは、殆ど知られていません。」³⁴²

故に、私達は此処において新たな流動性に出会い:もし個人的で国際的なブリオンの売買人達の権力の仮説が妥当なら、するとその個人的なマネー創造の権力と、それがその中に存在する様々な国々の権力の間に衝突が存在します。故に、アストルによると、2つの機能している交換の単位が存在していて:一方で人が有するのは、採掘場と奴隷達を操作した者達である、寺院とそれらの連合、ブリオンの売買人達によって発行された、ブリオン(貴金属)の硬貨を交換の単位とする流通です。もう一方で人が有するのは - メソポタミアにおいて - 国家の国庫の余剰(i.e. 財政黒字)に後ろ楯された単位であり、寺院との連動において、国家権力自体によって発行された交換の粘土板の単位(通貨)の発行です。³⁴³

1.太古と現代の銀行業の陰謀

この全てにも拘らず、以前の章において進められた熟考の種類の上に基づいて、太古の社会の中に重要な指標が存在したと、アストルは認めます。

「・・・記述された記録が存在する最も早期の時代における、人の歴史の進歩に影響している金融的な発行に関して、多大な影響力の陰謀が存在します。それがまた、今日存在する様な知識と、最もあからさまな陰謀の生みの親であった事は、はっきりと鮮明です。」³⁴⁴

言い換えると、多かれ少なかれ、太古の時代と現代のものの間には継続性があります。その問いは:その継続性の本質は何か?です。それは、その様な活動において行っている人達の目的、方法、そして信念の類似性において根付いた、単なる概念的なものなのでしょうか?または、その継続性は、もっと深いのでしょうか?それは歴史を通して下った特定の一族達とグループ達の実際の後継(血筋)まで延長するのでしょうか?この章の中で見られる様に、人は少なくともその最初の問いについては、はっきりとした肯定と共に答える事が出来ます。そして直ぐに見られる様に、幾つかの場合においては、その2番目の問いもまた、肯定的に答えられると言う重要な指標があります。

交換(取引)の媒体と国庫の上の注文としてのブリオン

アストルの主張が、深遠である間、彼の著書の全体を通して散りばめられ、常に簡単に見られるわけではありません。その透明性が完全に現されるために、その段階を気付く事において慎重さが必用で、それらが説明されなければなりません。私達は既に、以前の章とこの章の中で以下の物事を記述しました:

1. マネー(通貨)の価値の操作は法律によって確立され、国家、または冠(王室)によって統制され、その単一的な特権はその様なマネーの単位の発行と統制で;

2. 冠、または国家権力、もしくは寺院による、ブリオン(貴金属)に基づいた硬貨の形状における、その様なマネーの硬貨鋳造と発行の間には、深く、そして深遠な関係が存在し;


3. この期間(時代)の以前に、メソポタミアにおいて、交換の単位は、アストルによって記述された様に、単純に、国庫における供給過多(財政黒字/担保)に対するクレジット(信用貸し)の粘土板でした。

その逸話と、アストルの主張が実際に始まるのは、この最後の点においてです。

その理由が簡単に理解されるのは、もし人が国家の間の貿易を行うなら、国庫の供給過多に対するクレジットの手紙の形状におけるマネーの発行は、その様な貿易を助けるよりもむしろ、抑制するためです。それぞれの、そして全ての貿易のために、国家の間の外交的な話し合いを必要としない、もう一つのメカニズムが必要とされました。故に、一度に、そして同時に、国際的な交換の媒体が、多かれ少なかれ同意され、其処でまた、その様な貿易を行い、そしてそれらの交換の単位の上に一掃的な影響力を行使している国際的な商人達の階級が台頭します。アストルは、彼の特徴的な鋭さと簡潔さと共にそれを明言します:

「人々の中の流通への、貴金属の商品化されたマネーの密かな発行を通して、その街の神の意志のフィアット(不換紙幣)であり、彼の書生(神官)達を通した国庫の上の単なる注文を体現したマネーと入れ替える事で、この国際的な思考のグループは、彼等の室の秘密主義から、単純な人々(一般大衆)の信仰と信念の嘲笑いを行う事が出来ました。」³⁴⁵

言葉を変えると、ある特定の時点において、そしてその場合の本質によって、流通の中に2種類のマネーが存在し、一つは個人的なグループによって創造され、そしてそのために、それが取引される、または交換される事の出来る国家のマネーの複写として発行されたブリオンの商品化されたマネーで、そして2つ目は、元々の国家に発行されたマネーでした。注目されるべきは、この状況が現代の時代における英国と米国の両方における、国家のマネー(通貨)と個人的な紙幣の発行によって、殆ど正確に平行線されている事です。³⁴⁶ 太古と現代の例の両方において、個人的に発行されたマネーが、徐々に、そして容赦の無い必然性と共に国家の発行に入れ替わり、そしてそれが起こると共に、その様なマネーの個人的な発行者の権力が、社会の上に確立されました。

ですがこの入れ替えは、実際にどの様に行われたのでしょう?太古の国家の上の、この凄まじく一掃的な影響力を達成する事を太古のブリオンの売買人達のために可能にするために、成された戦略は何だったのでしょう?それらの問いへの答えは、更に詳細な検証を必要とします。

採掘とブリオンの操作

ブリオンに基づいたマネーの発行が示唆するのは何かとても重要な事で、そしてアストルはそれを素早く認知します:

「国際的、そして国内的な交換の共通の媒体としての、重さによる貴金属の制度の概念の全体は、それに対してそれが同意する、権力の延長に完全に気付いている、陰謀的な組織によって広められなければならず、彼等を最初に存在へともたらした、ブリオンの供給と採掘の上に、操作を保たなければ出来ません。」³⁴⁷

私達は既に、エジプトのビシャリー採掘場がどの様に、それらの国際的な傭兵の警護の分遣隊と共に、商人達とブリオンの売買人達のその様な国際的な階級の存在を示唆したのかを目撃しました。

その様な活動の必然的な成り行きは、王冠の権力が必然的に、その権力を侵食している正に階級と共に共謀しているので、「元々、人々がそれに沿って善良で誇りのある人生を送れる様に、人々の健全なありかたに向かって以前には行使されていた、統治者の法律が腐敗させられました。」³⁴⁸ この事実は、彼等の利益を創造した交換の媒体と共に国家と商人達に供給した、半-個人的な採掘場で労働しなければならない奴隷への、犯罪者達に対する終身刑の懲罰の法律の派生によって証言されます。再び、その状況は殆ど正確に現代において平行線され、其処で人は再び、大多数の人々の上で彼等の権力を拡張するために、個人的なマネーを持った階級が国家権力と共謀しているのに出会います。

これから更なる示唆が落ちて来て、人は直ぐに現代的な平行線を認識します:

「王達は大々的に、その外向きの、そして目に見える象徴が、ゴールド、銀、そして銅に制限される様に成ると、マネーの素材を操作したそれらの半-秘密結社の代弁者で、武力行使者に成りました・・・公正な交換をもたらしたものの背後の決定的な力だった、天界における神のフィアット(認可)は、太古の街の文明の隅に認識される様に、文明の底流を操作しているそれらの階級、奴隷商人達、荷馬車商人達、追放者達、そして一般的な犯罪者達の世界の指導者達の意志によって入れ替えられました・・・この意志の道具は貴金属で、貴金属の場合において、採掘が、奴隷労働無しでは、殆ど利益的でないために、その供給がそれらの階級の指導者達によって、奴隷貿易の彼等の操作を通して操作されたためです・・・」³⁴⁹

この主張の補佐のために、アストルは、紀元前4世紀以前において、奴隷制度は以下の様だったと記述します:

「ヨーロッパ北部における18世紀と19世紀の召使、または弟子入りの習慣に類似した、より温和な本質の習慣でした。」³⁵⁰ その時代の後、しかしながら、鞭と鎖、そして人がその制度と関連させる人間の苦しみのイメージの全てと共に、延長的で国際的な貿易に成りました。」

故に私達は今、益々拡張された、そして興味深い関係の集合体を有します:

1. 神官王達、寺院、マネーの鋳造と発行、そして国際的なブリオンの売買人達の個人的な階級の間の関係で;

2. その後者の階級と、交換の媒体としてのブリオンを流通させるための利益的な採掘を行うために必要な奴隷貿易の関係で;

3. 寺院と、ブリオンの売買人達と奴隷商人達の個人的な階級のためのマネーの鋳造と発行の関係で;そして最後に、

4. 寺院と、占星学とその関連した従装具の全て:宝石、神聖な幾何学、寺院のための地球の格子(レイライン/龍脈)、神官-魔術師達、預言者達等々との関係です。


様々な国々におけるこの個人的な階級と寺院の間の関係は、それらの神官(官僚)達に対して、腐敗的な影響力をそれぞれ一致的に行使しました:

「・・・個人的な人々の間、そして個人的な人々と国家の間の流通における銀貨の成長と共に、ジグラット(寺院)において彼(神)の下部(神官)達を通した神々からの完全な経済的操作で、彼等(神官達)のクレジット、または抽象的なマネーの創造の権力を使い、商人達が個人的な取引が出来ないものが迂回するのは、必然的に明らかでした。彼等(商人達)はまた彼等の遠距離の採掘場の事業の操作を通して、以前は献身的だった神官階級を個人的な所有物(資産)の誘惑で苦しめさせる事ができ、そして遠い場所における武器の製造の操作を通して、彼等が選択したのが誰であれ、破壊へと向かわせるために、好戦的な人々を武装化させる事が出来ました。」³⁵¹

此処において巧妙に示唆された流動性に着目してもらいたいのは、その様な階級との、様々な寺院の神官階級とのその関係を通してまた、その影響下にある様々な国々の戦争の政策が影響され、そしてそれらは頻繁に、宗教戦争の口実によって行われるかも知れないと言う事です。³⁵²

学者 T.B.L. ウェブスターを引用しながら、アストルは長文でこの流動性についてコメントします:

「そのアララクの粘土板はまた、鍛冶屋へと分配された銅を記録しますが、それが籠、または矢じりを造るために使用されるのに加えてでは無く;そしてそのアッシリアの王は、地元の技師達によって釘へと造られるために、銅をマリへ送りました。2つの場所における材木加工師達が、二輪馬車工場のための150個の車軸と150個の円材の配達を受けたというパイロスからの報告は、武器の製造のための材木の配達についてのウガリット文献と、アララクにおいて馬車の構築のために、大工達に対して配達された木材のノートと比較されるかも知れません。私達は此処でまた、パイロスからのリストを造り、製造された木製の製品のリスト、様々な場所において人々(恐らく市長達)によって受け取られた入れ物のリスト、そして象牙の商品のノートで、それらに含まれるのは鍛冶屋達、革職人達、建具屋達、そして車大工達でした。」³⁵³

「故に、ウガリットとアララク(の街)において銀本位制としてのマネーの概念が存在していた様に現れ、そしてまた、存在していたのは、半-大量生産のものの様に現れる方法の下における、特質的で個人的な武器の製造を含む、組織化された産業でした。(銀貨の様な)個人的に発行されたマネーのこの早期の時代、そして成行き的で個人的な産業、特に武器の製造に献身していたものが、特定の地域において好戦的な人々の大規模な移動に一致していて、太古のオリエント(中東)として知られる生活のパターンの下で長く生きた太古の帝国の崩壊に一致したのが、重要でないわけではありません。征服してきた人達には、最良の武器が必用でした。最良の武器は個人的な産業から入手可能だった様で;そして個人的な産業は、順を追って、その支払いにおいて、銀、またはゴールド、もしくは奴隷であった労働力を必要としていました。その両方は、戦争の結果として入手可能でした。故に、現代においても全く同じではありませんが、平行線で、より多くの戦争は、より多くの産業で、マネーの創造者達の帳簿の商品のための、より多くの必要性でした。故に、全ての何よりも産業とその追随する一つの形状、またはもう一つの形状における奴隷制をデザイン(計画)する操作が、より絶対的に成り、個人的なマネーを創造する権力でした。」³⁵⁴

言い換えると、その手掛かりは、始めからそこにあり、誰もそれに気付いていなかっただけなのは、メソポタミアの大規模な戦争を行う帝国は、個人的な武器の製造と、個人的なマネーの発行に拘わっていたためでした。この事実は私達が進む際に、唯一大きく成り続けます。

ですがその様な大規模で、そして金融的な関心は、冠(王室)と寺院の間の関係へと、唯一無常にも繋がって戻ります。著名な歴史家、クリストファー・ドーソンは、示唆をはらんだ単純性と共にその関係を概要します:

「元々国家と寺院のコーポレーション(企業/協力)は、広く広まった商業的な関係を確立するために必要な安定性と資源/財源を有する、唯一の(集合)体でした。寺院の従者(神官)達は、その他の街々において供給の確保を彼等に可能にした、クレジット(信用貸し)の手紙を用意され、遠くへの任務へと送り出されました。更に加えてその寺院は、それを通してマネーが金利付きで借りる事が可能で、そして彼の穀物(収穫)を担保として、農夫がローン(借り入れ)を出来る、そのコミュニティーの銀行でした。故にその第三ミレニウム(紀元前3,000-2,000年)の間にメソポタミアにおいて、交換の基準として貴金属に基づいた、通常のマネー経済が成長し、それは個人的な資産と実業を刺激し、本当の資本主義の発達に繋がりました。その寺院と宮廷は、そのコミュニティーの経済的な生活の中心のままでしたが、それらの横の側(副業)とそれらの屋根の下で、多くの面を持った活動が発達し、それは自由な工芸師達と商人達のギルド、そして個人的な資本主義者の個人的な事業においてその表現を見つけました。」³⁵⁵

簡単に云うと、この階級の存在の事実は、信頼される歴史家達によって、否定されていません。そしてこの交換(貿易)の国際的な延長が見過ごされるべきでは無いのは、その貿易がウルの街から「知られている世界全体を超えて」延長したと知られているためで、「それは確実に遠く、ヨーロッパまで届き、クレジットの手紙、為替手形、「支払いの約束(小切手)」の方法で行われ、主要産物の必要性の定義において支払われ、(恐らくその年度の収穫の季節の)大麦の評価における銀の定義において表現されました。」³⁵⁶ この状況の状態は明らかに、様々な国々の寺院との連合における、何らかの銀行業と商人の階級の国際的な規模を示唆します。ですがどの様な階級がどの様に台頭し、王室のマネーの鋳造、価値の統制、そして発行を乗っ取ったのでしょう?

2.太古のバビロンとエジプト

この問いの答えのために、その時代の2つの大規模な軍事的、そして金融的な勢力の詳細な検証が必要と成り:エジプトとバビロンです。此処までに記述された様に、バビロニアのマネーは元々、国庫の供給過多(財政黒字)の上で引き出されたクレジットの手紙として流通していた粘土板に構成されていて、そして故にマネーとしてのその発行は、王室によって厳しく操作されていました。ですが直ぐ上述にも記述された様に、ある時点において - 紀元前3世紀、または4世紀程早期に、実際に³⁵⁷ - それらの粘土板の隣には、その価値がまた、国庫における大麦、またはその他の主要産物の定義において固定された、個人的な発行の流通している銀貨でした。実際に、実際の小切手の使用もまた含んでいた、バビロニアのシステムの使用はとても広く広まっていて、バビロニア自体に対するアッシリアの攻撃の後に、ギリシャの都市国家の幾らかの、寺院と採掘の部門において、バビロニア人達が働いているのを人は見つけます。³⁵⁸ 言葉を変えると、バビロンに対する攻撃は、その他の国々において、その商人の銀行業の階級を分散させる役割を唯一果たし、そしてその分散と共に、バビロニアの事業と銀行業の実施は拡張されました。

a. バビロニアのマネーの権力からの早期のエジプトの独立

エジプトのマネーの権力が検証されるべきなのは、すると、このコンテキストにおいてなのは、既に記述された様に、エジプトが太古の世界における最大級で、最も産出的なゴールドの採掘場 - ビシャリー採掘場を - 操作していたためです。此処においてもまた人は、平行線的な発展とその示唆の全てに気付きます:

「ブレステッドによると、「古王朝」の時代における大規模な事業において、固定された重さのゴールドと銅の輪が流通されていて、そして(「銀行業」、またはそれがもっと良く知られているかも知れない、個人的なマネーの創造と統制の、研究者に対して十分に重要な様に)「石の重りが既に、その様な輪におけるそれらの同等(の重さ)によって印されていました。」石の上に記録されたそれらの「支払いの約束」のマネーとしての流通は、その世襲(家業)的な商売が個人的なマネーの創造であった、秘密裡の同胞団の活動の可能性を鋭く示唆します。」³⁵⁹

実際に、バビロンとの平行線は殆ど一致的なのは、その後者が交換の単位として粘土板を使用し、その間、エジプトが、貴重なブリオン(貴金属)におけるそれらの同等の価値(重さ)と共に印された石の重りを使用したためです。ですが同様に重要な違いもまた存在し、バビロンの場合においてそれらの粘土板は、ブリオンにも続いたマネーの発行以前からマネーとして流通していて、そしてその様なマネー(粘土板)の価値は、国庫における蓄えの条件(財政黒字)において明言されていました。ですがエジプトと共に、人が発展の後の段階を見つけるのは、表現されたその石の価値が、国庫における供給の蓄えの条件では無く、ブリオン自体の定義においてであったためです。端的に、マネーの概念が<i>退化させられそしてそれと共に、産業、または創造力の結果、i.e. 製品(またはサービス/労働)としての何らかの実質的な価値は言うまでも無く、マネーの統制と発行の国家と王室の特権に対する目に見える関連性は、殆ど全くありません。

そしてエジプトにおけるこのマネーの退化、i.e. その支払いのための約束が、本当の製品(または労働)の評価価値において表現されたブリオンよりもむしろ、ブリオンの評価価値において表現された事実、加えて傭兵の警備のそれらの国際的な分遣隊を共にしたエジプトのビシャリー採掘場の存在の事実は、とても重要で、そして - その巧妙さのために - 頻繁に見過ごされた点に指摘します:

「結果として、その最も初期の年月のエジプトの帝国は、バビロニアのマネーの権力から独立して存在している共通市場で、献身して指導された統治者の意志からその強さ(正当性)を派生させているとして上手く描写される事が出来るかも知れませんが、出来事の一連は、戦争におけるその最善の奉仕のためにそれが得たそれらの譲渡を通して、国際的なマネーの権力がエジプトの生活の準-構造を再-貫通し、そして、もし操作では無いにしても、より早期な時代に「古王朝」の崩壊を招いた、通常の場面の背後からの影響力を行使するのに、それ程時間はかかりませんでした。それにおいて流通していた金属のマネーにおいて同等量を示唆している石の重りが、流通していた同時代の硬貨の粘土板の複写と殆ど同じ方法で存在していた期間である、第六王朝の終わりの年月の間の千年前に、それが掌握していた、隠された権力の地位を取り戻したと、妥当に考えられるかも知れません・・・」³⁶⁰

異なった言い方に入れると、エジプトは、一度は国際的なブリオンの売買人達の権力の影響力の下にあり、その影響力を追い出す事に成功しましたが、千年近く後にそれ(国際的な権力)は、再建されました。

活動している共謀者達

a. 経済的、そして軍事的な独裁政治(専制国)と現代の類推:スパルタとギリシャの暴君達


ですがどの様に、正確に、人は、太古の時代においてその様な国際的なマネーの権力が存在していたと知る事が出来るのでしょう?アストルの答えが驚きなのは、それが両方とも同時代で単純であるためで:人は特定の古代の戦争との連動において、機能している隠れた手を理解するために、様々な国々の経済的な活動と政策を見るだけで十分です。そして、マネーの権力と、その専制(独裁)政治からの独立を保つ事にかたくなな国家の間のこの戦争の最善の例は、アテネとその連合国達と、スパルタの間のペロポネシア戦争です。アストルと彼の情報源を長文で引用するには価値があります:

「古代の時代におけるギリシャと小アジアの暴君達について、博識な教授、Heichelheim はこう記述しました:

『それらの暴君達は、その殆どの部分において貴族自体のメンバー達で、彼等は、彼等の同格達を転覆させ、そして彼等の国(都市国家)の全体を一時的に従わせるために、彼等の時代の新たな政治的、そして経済的な可能性を利用してその地位を達成しました。その暴君達は頻繁に、彼等の敵達に対して優位性を得るために、彼等が支配した地域へと硬貨経済のパターンを紹介する事を余儀なくされ、またはその発展を、少なくとも公式に推薦させました・・・』

「(人は不思議に思うでしょう:誰によって余儀なくされたのか?と)

『・・・その土地の農夫階級の地位を安定化させ、そして国家の経済を拡張し立て直すために、マネーと製品の中央的な分配において、部分的に傭兵達、護衛達、そして様々な政治的な仲間達に向けられ、そして部分的に、拡張的な建設の計画と整備(公共事業)のために支払われた賃金の形状において、大量の貧乏な人達(一般大衆)に、間接的に向けられるのが、暴君の経済の特徴です・・・』³⁶¹

アストルは、以下の様にコメントします:

「上述の Heichelheim 教授の明言は、暴君達の全てが最も繁栄した、紀元前650-500年の期間に『新たな政治的、そして経済的な可能性』が存在した事を示唆し・・・するとその問いは『新たな政治的、そして経済的な可能性』が何であったか?に成り・・・その答えは直ぐに到達され:アルゴス、アテネ、そして紀元前680年にフェイドン王が最初のギリシャの銀貨を鋳造させたアエジアの様な港から、新たな銀貨、またはそれについての約束(契約)に対してカツラから娼婦達までの彼等の商品を売った、高級品の商人達を推進した、国際的な銀のブリオンの売買人達のエージェント(手先)達の活動から、それらは派生しました。その好機(新たな可能性)は、明らかに、その街、そしてその活動の全てと所有物、そしてその人口をマネー化する事において補佐した者達のものでした・・・」³⁶²

その都市国家の「マネー化」の結果 – そしてその人口のそれぞれの一員達を(現代の用語を使用すると)「人的資源」の地位へと降格させる事は – Heichelheim 教授によると、全く予測可能で、1980年代後期と1990年代の「自由貿易」の同意と、それらを採用した産工業化された(先進国の)社会の上のそれらの大災害的な効果を不気味にも思い出させます(そして思い出してもらいたいのは、Heichelheim は、その様な主張が提供されるずっと以前の、1940年代に記述していて、そして古代の時代を述べていた事です!):

「その貴族階級は、土地を持たない商人達と製造者達に平等(階級)を与える事を拒否し、農夫達は金持ちによってしいたげられ、借金をする事を薦められ、奴隷化と追放へと降格させられ;奴隷達は自由労働と競争し始めました。野心ある個人達は、設立された政府を転覆させるためにこの不満を利用し、スパルタの顕著な例外を除いて、ギリシャの街々の全てにおいて、彼等自身を暴君として確立しました。」³⁶³

ギリシャの都市国家のその他が、スパルタとの戦争を行うとは、スパルタの何がそれ程、重大だったのでしょう?

アストルはそれを「とても簡単に」述べます:

「・・・スパルタとローマが太古の時代に、そしてロシアが現代において行った様に、国際的なマネーの権力を拒否した国家は、完全で軍事的な自給自足を確立する準備を行わなければなりませんでした。」³⁶⁴

人が、アストルのリストにナチス・ドイツを加えるかも知れないのは、(現代の)ロシアや古代のスパルタと同様に、その第三帝国(ドイツ)の政府が、マネーの発行権をその政府へと取り戻しただけでなく、軍事とエネルギー(電力)の専制(国有化)の政策もまた始めたためです。³⁶⁵

ですから、ギリシャのその他の都市国家を激怒させるために、スパルタは、正確に、何を行ったのでしょう?その答えは複雑で、少々の寄り道を必要とします。(哲学者)プラトンとアリストテレスの両方は、マネー(通貨)は、国家の法律によって(法貨として)定義される限りにおいて唯一価値を有すると鮮明で;言い換えると、彼等の両方が、マネーを発行し、その価値を統制する権力は、個人的では無く、国家の特権であると間接的に認識し、そしてこれは、彼等の時代までに、個人的なマネーの発行が既に確立されていた実施であったにも拘らず、でした。³⁶⁸ 故に、その暴君達の都市国家と、彼等の銀貨の発行を人が見た時、人は慎重に偽装されてはいますが、明らかな隠された手を認識します:

「ギリシャにおける最も早期の硬貨が、本質的に地域的な流通だったと言う証拠は、銀のマネー(銀貨)が国際的な陰謀の一部だったと言う、以前に概要された構図を全く変えません。アテネとサモス、シフノスと Corcyra、そしてその他一つか二つを除いた全てのギリシャの(都市)国家は、彼等の硬貨のための銀のブリオンを国外から会得し、それは必然的に、ブリオンを扱う事に特殊化したそれらの売買人達と、彼等が取引する事を必要としました。ブリオンにおけるその様な取引は、供給の源泉が少なく、遠距離に散らばっていたために、そして、彼等の採掘の活動の成功に不可欠だった奴隷の労働力を、可能性が高い、低いは別にして、彼等自身が扇動した、戦争的な活動において勝利的な人達から、奴隷労働とそれらの購入のそれらの供給をまた、操作する事の可能な唯一のその様なグループであった、小規模で高度に秘密裡なグループの手の中にありました。」³⁶⁹

様々なギリシャの都市国家において、それらに供給が不足していたブリオンにおいて、そのブリオンに基づいたマネーを発行する事が決定されると、それらの都市国家は、ブリオンの売買人達自身の影響下に益々入りました。ブリオンに基づいた硬貨を発行する事を拒んだ一つの国を除いて。

スパルタです。

故に人が此処で、スパルタがその人口の全体に課した、よく知られた厳しさと軍事的な訓練の理解の根底を有するのは、もしスパルタが、その他のギリシャの都市国家を汚染していたマネーの権力から、彼女自身を独立に保つためには、彼女の軍隊が最高でなければならなかったためです。故に アテネもスパルタも「勝利もしなければ、敗北もしなかった」戦争である - 悪名高いペロポネシア戦争には、隠された、そしてもっと実質的な目的がありました。その戦争は、両方の強力なギリシャの都市国家を「疲弊させ、そして彼等の横たわった体の上で、この同じ冷笑的なマネーの権力は、彼等の奴隷達の鎖を引っ張りました。」³⁷⁰ ペロポネシア戦争の目的の本当の根底にあったのは、「trapezitae、または現代の用語における銀行家達によって完全に操作された、ギリシャ世界に渡る個人的で共通なマネーの市場を確立する事でした。」³⁷¹ 結果的に、「スパルタと・・・後のローマから判断すると、太古の時代において、それ自体が(人工)操作の対象に成る事によって、貴金属のマネーに内在的な、あらゆる民族、または国家のステータス・クオ(現状維持/安定性)に対する破壊力の、何らかの多大な理解があったようです。³⁷²

b. バビロン、ペルシャ、そしてマネーの創造

国際的な場面上のマネーの権力の活動と隠された方向性の更にもう一つの、そしてより説得的な例は、バビロンとペルシャの場合において与えられます。再び、アストルを長文で引用するには価値があります:

「とても頻繁に、世界規模の覇権を創造する事を目論む、個人的なマネーを創造する権力の、わざとらしくメダル(冠)をつけられた代理人以上の何ものでも無く成った王達と皇帝達と呼ばれる、王族的な権力の完全な腐敗の明らかな証拠が遡って辿る事が出来るのは、アッシリア、新バビロニア、そしてペルシャの時代です・・・彼等(王達/皇帝達)は主に、一般大衆の忠誠が自然的に向かって傾く方向において、全てが健全では無いと気付かせないために、または生命の樹自体の根元を蝕んでいる破壊的な勢力が発見されないために、人々の目を向けさせる集中点として必要であり続けました。紀元前2500年まで遠く遡っても、アッカド(の街)のサルゴン(王)は、メソポタミアの商業的なコミュニティーのために、Ganes の街を制圧するためにアナトリアに進軍し;恐らくローン(貸し出し)の上の利息の支払い、または元金の払い戻しを強要するためでした・・・彼が、彼のソヴリン、ミードの Astyages を打倒した、紀元前550年まで、些細なペルシャの王子でしか無かったサイラスの成功の理由の一つは、紀元前546年におけるリディアのクロエサスに対する彼の勝利の状況から鮮明です。

「クロエサスは、国際的なマネーの権力のエージェント(手先)によって管理された彼等の資産を取り押さえ、そして国家による金融的な発行(i.e. 通貨発行権)を完全に取り戻した事によって、国際的なマネーの権力を激怒させました。その他の王子達が、類似した行動を取る事をさせないために、彼(クロエサス)を血祭りに上げなければならず、そして意欲的で野心的なサイラスは、明らかにこの目的のために選ばれた者でした。ブリタニカ百科事典の第9編集の中のセイス教授のバビロニアについての記事によると、クレオサスは、(聖書の)ダニエル書のベルシャズザルの父、ナブ-ナフアの下の、彼のバビロニアの連合の到着を待たずに、サイラスとの戦いに慌てて挑みました。しかしながら、それらの出来事の、より現実的な解読は、サイラスの傭兵の兵士達と、最善の武器の供給の組織化の両方を通して、サイラスの台頭の資金援助者だった国際的なマネーの権力が、14年後のバビロンの兵糧攻めの様なその他のサイラスの事業(戦争)におけるその他の出来事において主要な影響力だったと言う事です。この影響力の御蔭で、クレオサスの勢力との合流に向かうナブ-ナフアの進軍がサボタージュされた間、クレオサス自身も、サイラスとナブ-ナフアの両方の意図と強さについて、誤った情報が与えられました。

「サイラスは勝利を収め、クレオサスは完全に打ちのめされました。故に彼の「相応しさ」と、彼の金融的な後ろ楯の政策を推進する彼の意欲を証明し、その約14年後の、比較的に簡単なバビロンの征服は、サイラスのために用意されました。」³⁷³

誰が、バビロンの比較的に簡単な征服を準備したのでしょうか?更に重要な事に、誰がその大規模なペルシャの戦争マシーンを資金援助したのでしょうか?

その答えは、アストルによると、聖書的なものでした。「着目するために興味深いのは、」と彼が観測する様に、

「その街へのペルシャ軍の侵入の直後に、『イスラエルの子供達(ユダヤ人)』は、彼等が故郷と考えた処へ戻る事が許され、彼等の国家的な生活の再開、そして、勿論、その心臓部であった、彼等の寺院の再建に向かって、あらゆる補助が彼等に与えられました・・・バビロンの街に入ったほぼ直後に、サイラスによってヘブライ族に与えられた特別な容認は、恐らくバビロニアの商業的、そして銀行業的な組織の善意を通してのみ得る事が可能な、最も良質で軍事的な道具の購入に向けられた金融を通して、そしてその街の中の軍事的な準備の状態等々の、ヘブライ人達が彼に一貫的に供給したかも知れない情報を通して、彼が彼等の多大な補佐を受けた事を確かに示唆します。

「その表向きの職業が何であれ、バビロニアのマネーの権力は、その見解において完全に国際的で、ジグラットの太古の信仰、そしてマルドュックの崇拝、そして当時のウル(の街)におけるネブチャドネズザルによるジグラットの再建築の意図された影響に向かって、完全に非-同情的(無関心)だったと、妥当に理由づけられるでしょう。もし、より早期のアッシリアの時代において、その様なマネーの権力がヘブライ人達では無かったにしても、後のイスラエライト的な連合のメンバー達を通してそれにリンクされる事が可能かも知れず・・・新バビロニアの時代においての国際的な金融において強力な、ヘブライ族の影響力の存在の事実は、妥当な提案の様です。

「ヘブライ人達は・・・もしそれがそう呼ばれる事が出来るなら、バビロニアのマネーの産業において特に高い地位へと台頭したのかも知れず、モーゼスの訓戒によると、彼等の故郷においては禁止されていた、マネーの両替師の技のそれらの秘密裡の実施を、当時、学ぶ様に成ったのかも知れません。」³⁷⁴

実際に、アストルが指摘する様に、パレスチナに帰郷していたヘブライ人達は、エズラの勅令の下で、彼等の外人の妻達と離婚する事を余儀なくされました。教義的、そして民族的な純粋さを再建するために意図された宗教的な法令として確かに説明出来る間、国際結婚の実施自体が今日まで、国際的な銀行業の階級の特徴で、そして故に、エズラの法令自体が、バビロニアにおける奴隷化の間にヘブライ人達が実際に、国際的なマネーの権力に侵入した指標であると、アストルは記述します。³⁷⁵ ヘブライの宗教と実施のこの「バビロニア化」の更なるもう一つの指標があり、そしてそれはタルムードとラビ制の存在で、ヘブライ人達とユダヤの人々に今日まで応用された象徴、Mogen David、またはダビデ(デーヴィッド)の星です。この象徴自体が、ヘブライでは無くバビロンが起源で、そして私達が次の章の中で見る様に、「秘密を保っている」同胞団に相応しい象徴です。

C. その陰謀がどの様に機能したのか

隠された国際的なブリオン-売買人達、戦争商人(金融-軍産複合体)達、奴隷商人達、そして採掘場の管理人達の明らかな手を、人が最も鮮明に理解するのは恐らく、太古の時代、そして様々な文明における、ブリオンに基づいたマネーの個人的な発行の発展の実際の歴史においてなのは、殆ど不変的に、そのパターンが同じであるためです。