水瓶座の時代

1 aquarius

水瓶座の時代

1962年2月4日と5日の間、肉眼で見る事の出来るつの惑星の全て - 太陽、月、水星、金星、火星、木星、そして土星(i.e. 日月火水木金土)は、水瓶座のサインを通過中で、それは数千年毎に1度起こる事でした。これは、水瓶座時代の公式な始まりだったのでしょうか?

1962年の水瓶座の中におけるつの惑星のコンジャンクション
1 chart2

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それぞれの時代(i.e. 牡羊座の時代、魚座の時代、水瓶座の時代等々)は、おおよそ2,000年強なので、しかしながら、一つの占星学的な時代から、もう一つの時代への移行(カスプ)は、200年から500年程続く事が出来ます。
http://www.librarising.com/astrology/misc/feb1962.html

・・・(今までの)魚座的な影響に後退する期間があるのは明らかですが、1962年をもって、責任(時代)は水瓶座に移行しました。牡羊座から魚座への、公式な移行は、紀元前7世紀の大いなる魚座のコンジャンクション(連結)とキリスト教の誕生と共に始まりましたが、牡羊座的なローマ帝国は西暦476年まで死滅しませんでしたので、私達が完全に、魚座の影響を振るい落すまで4、5百年かかるかも知れません(i.e. カスプ)。水瓶座は、真実、自由、そしてブラザーフッド(兄弟愛)の時代です。それは西暦4,000年、またはそれ以降に、今度は山羊座の中で、肉眼で見える惑星達の、更なる大いなるコンジャンクションが起こる時に、山羊座の時代によって続かれるでしょう。

カスプ(cusp)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9_%28%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%29


サインが天球上の黄道を角度で12等分するのに対し、ハウスは地球上の観測地点から見て黄道を太陽が通過する時間に合わせて12分割するものである。このため、ハウスは観測地点の緯度や時刻に大きく左右される性質がある。ホロスコープを作成する際には天文暦などにある室項表からハウスの境界(カスプ)を割り出す必要があり、(サインの角度が一定なのに対して)ハウスの角度はそれぞれ異なっている。

そして、1962年から50年後の、2012年12月21日(冬至)に・・・

木星(ジュ・ピーター)の時代から土星(サターン)の時代へ
そして2013年2月の教皇ベネディクト16世の最後の演説

「・・・何よりも、きわめて重要な使命を果たすよう招かれた枢機卿のため、新しい使徒ペトロ(ジュ・ピーター)の後継者(サターン/土星)のために祈ってください・・・」

「・・・教皇ベネディクトの退位が象徴しているのは、木星の統治(魚座が春分点にある時代)が終わり、土星の統治(水瓶座が春分点にある時代)が始まった事です。

歳差運動において、ゾディアックの12の星座は、時計回りにとてもゆっくりと移動します(72年毎に1度の角度)。春分点が、一つの星座から、その隣の星座に入るまで、2,000年以上かかります。

・・・上の図において、7時の位置にある水瓶座が、現在、9時の位置(春分点)まで移動したと言う事です。その図の中で、8時の位置にある魚座は、過去2,000年強、9時の位置にありましたが、徐々に、ゆっくりと、時計回りに移動し、今は10時の位置に入りました。」

注:以下の図においては時計回り。
11 Rulers
旧約聖書に描かれる神、ヤーウェイは、火星(Mars)。新約聖書に描かれた神、イエスは木星。現在は、水瓶座が春分点にある、土星(サターン)が統治者の時代。

アスペクト

Planet Watcher
日々の惑星の位置

http://planetwatcher.com/

2015年9月23日
UTC = Coordinated Universal Time = グリニッジ標準時間(英国)
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彗星ヘール・ボップ+RD95

ヘール・ボップ彗星
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%97%E5%BD%97%E6%98%9F


1 Halebopp031197


妄想と迷信
「多くの文化で、彗星は悪いことの前兆であると歴史的に見られてきており、大きな疑念を持って見られていた。ヘール・ボップ彗星が発見されてから最接近するまでに非常に長い展開があったことと、それ以前の数十年間見られなかったほど大彗星であったためかもしれないが、この彗星は多くの奇妙な信仰や理論の主題となり、その出現が引き起こしたパニックの度合いにも特筆すべきものがあった。

1996年11月に、テキサス州ヒューストンのアマチュア天文家のチャック・シュラメックが、羽毛のように見える少し長く伸びた天体この彗星のCCD画像を撮影した。彼のコンピュータ掃天プログラムがある恒星を識別しなかったので、シュラミックはラジオ番組アート・ベルに、彼がヘール・ボップ彗星に続いて来る「土星状の天体」を発見したと発表するように電話した。遠隔透視の提唱者であるコートニー・ブラウンのようなUFOファンたちは、それは彗星に続いてやって来る宇宙人の宇宙船だとすぐに結論付けた。実際には、その天体は単に8.5等の恒星であるSAO141894であり、シュラミックのコンピュータプログラムに出なかったのは利用者の選択が間違って設定されていただけだった。しかし、伝えられるところによれば、シュラミックはそれを指摘されても自分の間違いを認めるのを拒んだ。

後にアート・ベルも、その発見を確認しようとした匿名の天体物理学者からその天体の画像を得たと主張した。しかし、ハワイ大学の天文学者であるオリビエ・エノーとデービッド・トーレンは、持ち出された写真は、彼ら自身による彗星の画像のコピーを改竄したものだということを示した。

数ヵ月後の1997年3月には、カルト団体であるヘヴンズ・ゲートが、この彗星の出現を彼等の集団自殺の引き金として選んだ。彼らは、自分達がこの世の天体から彗星に続いて来る宇宙船に旅立つために出発するのだと主張した。」

Our Busy Solar System What Is NASA Hiding? Get Ready For What’s Coming!
私達の忙しい太陽系 NASA は何を隠している? これから来る事に準備して!(2003年のインタヴューより:)
http://www.jmccanneyscience.com/spectrummay2003.htm


マッケニー: ・・・ヘール・ボップ彗星に戻りましょう。同じものをまた見た、チャック・シュラミックは、ヘール・ボップにコンパニオン(追随している天体)があると言われている事を聞きました。だから彼は、アマチュア級ですがとても良質な望遠鏡と共に彼の裏庭に出て、ヘール・ボップの写真を撮り始め、そして彼はそのコンパニオンの写真を撮りました。

彼はそれらを、彼がよく知るアート・ベルに送り、そして(ラジオ)番組の途中でアートが、「チャック・シュラミックが、たった今、ファックスを送ってくれました」と中断する事は珍しくありませんでした。チャックは私に、番組中に、どの様にしてアートに連絡すれば良いのかの方法を教えてくれました。それにはあるコツがありました。アートは秘密のファックス番号を持っていました。もし私が何らかの間違いとか、何であれを聞いた時、私もまたそうする事ができ;私は急いでファックスを書いて送る事ができ、そして次の瞬間、彼(アート)はそれについて(番組で)語っていました。

ですから、兎に角、チャックは、彼が撮影した写真をアート・ベルに与え、彼(アート)はそれらを(ネットに)投稿しました。それと同時に、コートニー・ブラウンは、私達は後に知ったのですが、ハワイ大学からの、35ミリ・スライドの(写真の)幾つかを得ていました。ですが彼は、それらを何処から入手したのかを教えませんでした。彼にはそれらの写真を何処から入手したのか、明かしてはならないと言う個人的な約束がありましたが、それらをアート・ベルに与えました。

ですから其処には、コートニー・ブラウンのコンパニオンの写真があり、そしてチャック・シュラミックのコンパニオンの写真があり、そしてアート・ベルはそれらを、彼のウェブ・ページに投稿しました。

さて、その数時間後に、ヘヴンズ・ゲート自殺殺害と共に、カリフォルニアにおいて、39人の人達が自殺したとされました。政府が介入し、彼等のウェブ・サイトを削除し、その代わりに、真新しいウェブ・サイトに入れ替えました。これはたった今行われている事で - それが削除される前に、人々は彼等のサイトのキャプチャーをする事ができたので、それらは今、(ネット上で)入手可能です。ですが、何であれ、それはまた別の話しです。

ですがその時、政府が介入して、次の日には全国的なニュース・キャンペーン(プロパガンダ/扇動/洗脳)がありました:「ヘヴンズ・ゲート・カルト・グループの気違いの人達は、ヘール・ボップ彗星と共に来る宇宙人の船に行くために、彼等は皆、綺麗なテニス・シューズをはき、ローブを身にまとい、(西洋)おかゆを食べ、彼等が宇宙人達に会うことが出来る様に、自殺しました。」

それは事実ではありませんでした;事実は:政府がそれらの人達の全員を殺したと言う事でした。そして彼等(政府)が彼等(ヘヴンズ・ゲート)を殺害した理由は、何故なら彼等がとても大規模なソフトウェアの企業と競争にあったためで、ヘヴンズ・ゲート・グループは皆、(ソフトウェアの)プログラマーだったためです。彼等は、政府が解読/潜入する事の出来ない暗号化のソフトとファイアーウォールを製作していました。

さらに細かく言うと – 彼等は、政府に、彼等が解読/潜入出来る(i.e. 裏口)彼等の暗号化のソフトとファイアーウォール(i.e. プロミス・ソフト・ウェア)を売っていたとても大規模なコントラクター(i.e. 軍産複合体)と競争していました。

何であれ、ヘヴンズ・ゲートのもう一面は、彼等が唯単に、何年もネット上で、彼等が大きな彗星が来る事を予想し、米国中から賛同者達を募っていた事でした。それ(彗星)は宇宙人達を有し、そして宇宙人達に会いに行き、そして彼等はこの(新たな)生活へと超越する予定でした。実際に、彼等は自殺願望など持っていませんでした。彼等の信仰は、変格(覚醒)するために(i.e. ヘルメス/グノーシス的な思想)、彼等は、宇宙人達と共に長期間において生きるために、彼等の体の健康を素晴らしい状態に保つ必要がありました。それ(彼等の思想)がどうだったであれ、彼等は(集団的な)自殺願望などは持っていませんでした。

ヘヴンズ・ゲートの方程式のもう半分は、ヘール・ボップが現れた時に、彼等がこう投稿した事でした:「これです、皆さん;これが私達の待っていたもので、私達は皆、出会いに行きます。」 - そして彼等の(サイトの訪問のカウント数の) - カウントは天文学的で - 彼等は恐らく、仕事を止め彼等に賛同する50万人程の人達を有し - その多くは若い人達で、大学生や高校生の年代でした。それらは、彼等が募集していた種の人達でした。その後、彼等のウェブ・ページの「訪問数の数字」が、屋根を突き抜けました。政府が介入し、彼等を殺害したのはその時でした。

翌日に、ニュースの一斉報道(プロパガンダ/扇動/洗脳)があったのはそれが理由で、全ての新聞の第一面でした。そして彼等(政府/マスゴミ)は、アート・ベルが、コンパニオンの写真を投稿したために、彼をやり玉に上げました。彼等は39人の殺害を、彼(アート)のせいにしました。彼等はチャック・シュラミックを豚焼きにしました。コートニー・ブラウンは教師としての職を失いました。彼は天文学の博士でした。アート・ベルはそれらの39名の死の責任があると、公の場で非難されました。そして NASA がしゃしゃり出て来てコンパニオンなど無いと言い、そしてコンパニオンが無いと証明するハワイ大学からの写真を産出しました。

でも、(マッケニーの)ミレニウム・グループは、一人の男を送り込み、彼はその写真を分析し、そして彼等(ハワイ大学/ NASA )が産出した写真は、異なった望遠鏡からのもので、それらが改竄されていたと証明しました。彼等(ハワイ大学/政府/etc.)は、写真からコンパニオンを削除していました。コートニー・ブラウンが持っていた写真は、彼等がそれらを用い、分析してみると、それらの写真を唯一撮れたのは、ハワイ大学によって運営された、大規模な軍部の望遠鏡の内の一つであると証明されました。

ですから、兎に角、私はアート・ベル・ショー(ラジオ番組)に出演していて、これ等の全てがオン・エアーで出てきました。そしてアートは:「待ってくれよ!どう言う事だ?私達はやり玉に挙げられて、誰しもが豚焼きにされて、私はそれらの写真を投稿したために、39人の人達の殺害の責任を負わされて、そして今、貴方は、それらの写真が本物で、写真を改竄したのは NASA だったと言っているのですか?!」彼はこう言いました:「今すぐ、それを私に証明して下さい!」彼は激怒していました。彼には沢山の非難がされたので。

そしてウィットニー・ストリーバーは、彼が最初にそれ(彗星とコンパニオン)について聞いた時、ロンドンの幾つかの観測所に連絡し、それらの観測所の全てで、コンパニオンについての話題に誰しもが関心を持っていましたが、NASA はそれらの全てを封鎖し、それらの話題の全てを反転させる能力を持っていたと語ります。ですから、それがアート・ベル・ショーでした。私達は、オン・エアー中に、彼が悪用されたと、彼に納得させる事が出来ました。私はそれについての講義をしようと思っています。

マーティン: 「除外された(殺された)」人達のリストがあり、そして明らかに NASA はデータを改竄し、データを隠しています。貴方は特に NASA の背後の、この様な悪魔的な知識の隠蔽についての、論説、または情報を持っていますか?

マッケニー: はい、それはとても明らかで;私はこれを長い間知っています。

マーティン: それについて、話す事は出来ますか?

マッキニー: 勿論です。NASA は科学者達の集合体です。私達は常に、彼等がスペースシャトルなどを造る、エンジニア達だと考えがちです。NASA は NSA (国家安全保障局)によって所有され、運営されています。NASA を操作するもう一層が、NASA の上に存在します。

1990年代に、CIA から NASA に来たドナルド・ゴールデンと、彼の役割は NASA を秘密化する、または蓋をする事でした。彼が何をしたのかと言うと、彼がやって来て最初にした事は – NASA のトップから底辺まで、右も左も – 基本的に、NASA の非公開の同意に署名させる事でした。

NSA は、既に存在する統治的な政府の一部として、世界的なレベルで操作を行っています。彼等は今、一つの世界の政府(NWO)を語っています。NWO は既に存在し;彼等は唯それを今、公にしたいのです。今起こっている全ては、それについての事です。ですが NWO は、随分前から存在しています。

マーティン: この全ての背後にいるのはイエズス会ですか?

マッキニー: (笑い)イエズス会ですか?

マーティン: そうです。

マッキニー: ヴァチカンは、世界規模の政府において大きな一部ですが、その全体ではありません。それは中世の時代と相変わらず、王族と、手下の人々(貴族)の集団の子孫達で、そして実際に、更に昔まで遡ります。ある人達は実際にそれが(古代)エジプトの神官カルトまで遡ると信じます。ですがそれは、全く世界規模の状況で、文字通り貴方は、何百も、何百ものそれに関連した血族達を有し、そして彼等はとても金持ちで;彼等は、彼等の国々において操作を持ち;彼等はこの世界の国々の全ての中にいます。彼等の国々の中で、彼等は政治、マネー、そして銀行業を操作し;ですから、それはそれらの人達のとても大規模な蜘蛛の巣が必要です。

NSA のために、これ等の人達は、クリントンブッシュの様に、とても若い時から、物事を操作するための、オぺレーティヴ(役者)として引き入れられています。

マーティン: 操り人形ですね。

マッケニー: 彼等は公人で、特定の量の自由範囲が許されています。それらのグループの中には、沢山の内輪もめがあります。ですが NSA は – 丁度 CIA の様に - 国家的なものではありません。それらは、本当は、外側から操作されています。そしてそれは、ナチス・ドイツから出てきたグループです。

マーティン: 私はたった今、ナチスを口にする処でした;それは私の元々の問いでした。

マッキニー: はい。ブッシュと、彼の閣僚の半分は、ナチスからの直接の子孫達です。

マーティン: 私達はその全てを公表したので、私達の読者/視聴者達はそれを良く知っています。貴方はそれを言う事によって、誰かの気持ちを傷つけないでしょう。

マッキニー: ご存じの通り、この様な事を人々に伝えると、知っている人はあまり多く無く、そして彼等はこう言うでしょう:「何を言っているのですか?」彼等は手掛かり(知識)を全く持っていません。

マーティン: それは実際に、私達の読者/視聴者達にとって、共通の認識です。

マッキニー: 彼等は、勿論、宇宙が資源における最後の開拓地であると気付いています。宇宙の操作は、彼等が行っている全てにおいて不可欠です。それは最後の開拓地です。

ですが宇宙は特別です。現在、その他の事が行われています。ですが、私達はこれにおいて先走りし過ぎです。

ヘール・ボップの時に戻りましょう。彼等は知っていましたが、これは何故、海軍天文観測所の主任だったハリントンが - 海軍が其処の多くの物事について責任者なのは本当ですが - その他の多くの物事と同様に、それらの人々の全ては、コンパートメント(小箱)化されて働いていて、ハリントンがそうだった様に、(知識)制限的に働いています。彼は海軍天文観測所と、其処の天文学者達の主任だっただけで、監督では全くありませんでした。其処の書類の上に、彼の名前があると言う事実だけでした。

マーティン: 惑星 X (i.e. ヘール・ボップ)に関する NASA の恐れとは何ですか?それはシュメールアヌンナキに関係がありますか?それとも、何か他の事でしょうか?

マッキニー: 私は其処までは言いきれませんが、定期的にやって来るこの大きなもの(マッキニーによると、「地球の月よりは小さいが、その質量は地球の4倍」/「地球との、100万マイル以下の接近で、かなりの規模の大災害を、地球上で引き起こせる。」)があると言う知識は古いものです。それは、ヴァチカンの様な、それらのグループの多くの中における、とても高レベルな秘密です。

私が意味するのは、ヘール・ボップが現れてヴァチカンが最初にした事は、アリゾナに世界級の観測所を造り、天文学者達を雇った事です。一体、何故でしょう?

マーティン: 手掛かりですね。

マッキニー: その後彼等は2つ目を造りました。ですが、何が興味深いかと言うと - 彼等はヘール・ボップがその大きな物(i.e. ニビル/惑星 X )だと考えたので、ヘール・ボップが離れた(通過した)後でさえだった事です・・・

The Real Deal Ep # 95 James McCanney on Planets, Comets and the Electric Universe
リアル・ディール第95話 ジェームズ・マッケニーによる惑星、彗星、そして電気的な宇宙について(フェッツァー教授)


・・・通説的な科学は、(冥王星の)天候が太陽光の注入によって原因されるとします・・・が、私達の太陽系において冥王星が位置する処において、唾を吐く価値のある太陽光など存在せず・・・太陽は(地球から見た)平均的な恒星(星)よりも多少大きく見えるだけで・・・私の天候の説明は、それが厳密にその惑星の周りのプラズマ効果によるもので、太陽光とは殆ど拘わりが無い事を説明します。これは興味深く成って来ていますが、以下の写真を見てみて下さい:

1 Styx
オリジナル                        映像処理後          (冥王星の)月の軌道

上の彗星運動をご覧下さい。真ん中の写真は、塵の雲の尻尾と渦を見せます。冥王星が何故、彗星の運動をするのでしょう???私が説明した様にこれが彗星のための主要な地域なのは 1)それは太陽的なキャパシター(蓄電器/コンデンサー)の外側の地域の丁度内側で、そのキャパシターをディスチャージ(放電)しているためで、そして 2)私のプラズマ放電彗星のモデルの中で表された様に、太陽風の圧力によって押さえられた塵のガスと分子の種々の豊かな供給があるためです。以下の写真に見れる様に、その他の恒星類の周りの中で形成している惑星類と共に、それらの同じ雲を、私達は見る事が出来ます。貴方は、以下のこの恒星の周りの星雲的なイオンの雲の中で形成している彗星が見えますか???これは、私の最も初期の研究からのもので、いつも通り NASA は、私の最も初期の予測を「発見」し、確認しています。彼等が冥王星のデータを得た時、彼等がどれだけ「驚いて」説明出来無いかに注目して下さい。もし彼等が写真を改竄せずに公表すればですが・・・貴方の様な疑う事を知らない一般大衆に、2、3の綺麗な写真を公表する際に、彼等が隠す電磁的な効果の様なその他のデータの全てを想像してみて下さい・・・何故、ハル・ウィーヴァーが NASA の頂点に君臨するのかの理由は・・・彼がデータ改竄の専門家だからです・・・ジム・マッケニー

2 Ngc2392


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キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第22章

CHRISTIANITY: AN ANCIENT EGYPTIAN RELIGION
AHMED OSMAN
キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第22章
アフメド・オスマン著

パート3

第22章: メシア/救世主的な信仰の根源


近代のキリスト教を形造る重要な影響の一つは、2つの神学、イスラエライト派とエジプト派の融合でした。「オーソドックス(主流派)」のキリスト教の台頭に対して、彼等(イスラエライト/エジプト)によって成された貢献を理解するために、より早期の人々が信じた事を、私達が理解する事が必用と成ります。アケナーテンとしてのモーゼスの教えの中心にあったのは、唯一で一つの神の存在でした。エジプト人達は、多数の神々(i.e. アヌンナキ)を信仰しましたが、メシア(救世主)的な信仰、永遠の命の約束、そして洗礼の儀式の救い(i.e. 覚醒)は、大昔からのエジプト的な概念でした。

エジプトの救いの信仰の土台は、エジプト人達が、彼等の王達(i.e. 天孫達)に帰属さた、神聖な本質でした。(紀元前27世紀の)第4王朝から、王(ファラオ/神官王)は宇宙的な神、ラー(真昼の太陽)の人間の息子として見解されました。王の行動は、彼の父の命例の現実化として見られました。神、ラーと、王の間のこの特別な関係はその統治者の人生における3つの主要な出来事 - 彼の神聖な誕生、彼の即位の際の彼のアノイント(オイルを塗る儀式)、そして彼の死後の復活(i.e. 太陽の復活)において体現されました。

王の神聖な誕生は文献の中だけに記述されているのでは無く、Deir el-Bahari の女王、Hatshepsut の死者の寺院の中央の柱の北の城壁と、アメンホテップ3世によって建てられたルクソールの寺院の広間において見つけられる場面(壁画)にも見られます。ドイツのエジプト学者、ジークフリード・モレンツは、彼の著書エジプトの宗教の中でこう指摘します:

「繁殖と誕生の両方の場合において王は、国家的な神(アムン-ラー)と、統治しているファラオ(神官王)の間の統一から派生すると描写され:神は、ファラオの変わり身(代理)において、故に祝福された女性に近づいている様に表されます。その絵と文章は、その場面を繊細な詳細と共に描写しますが、性的な統一の行動の上に、正直に基づけさせます。其処には古代ギリシャ時代後期の、イエス(太陽)の奇跡的な誕生(復活)のキリスト教的なアイデアに繋がった、とても特徴的な、美的でスピリット的な扱いは全くありません。」

王の即位の際に、その統治者は、神聖な王的役職の責任者に成りました。即位の儀式に含まれていたのは、水による清め(洗礼)、アノイント、王族の衣装の装着、役職のセプター(王杖)の受諾、彼の頭の上に2つの地(黒と赤)の王冠を置く事、そして彼の決められた王族的な名前と称号の宣言でした。王は、オイルでアノイントされるのでは無く、神聖なクロコダイルの脂肪で、アノイントされました。此処において私達が見つけるのは、メシアと言う言葉の元々の語源です。メシェ(MeSeH)は太古のエジプトにおけるクロコダイルのための言葉で、そして2匹のクロコダイルのイメージは、ソヴリン(主権)の称号のために使用され、王の即位の時に、王に与えられました。

アレクサンドリア
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その統治者の人生における最後の決定的な出来事は、彼の死と復活でした。彼の即位において、神聖な世界に入った事によって王は、彼の死の時において、人間の世界に帰属する事を終えました。彼は、エジプトの黄泉の国/下界の神である、「オシリスに成った」と言われました。死の瞬間から、オシリス-王は、神々と共に、(一つの/統一的な)永遠のスピリット的な存在を分かち合うと信じられました。

私が既に指摘した様に、死において、スピリット的な要素は、肉体を離れる間、もしその肉体が安全に保たれ、魔術(化学)的なフォーミュラによって保存されれば、未来のある時点においてそれ(スピリット)が戻ると言うのは、エジプトの信仰の本質的な部分でした。それは何故、エジプト人達が、ミイラ化のためにその様な加工を施し、彼等のお墓を安全にしたかの理由です。オシリスの信仰は、ピラミッドの建設者達の時代であった、紀元前27世紀まで遡られました。彼は太古の王の一人として見られ、彼の第2の人生を否定するために、彼の体をバラバラにした、彼の弟セトセット/サンセット/夕日)によって、(新約聖書のイエス/太陽と同じように)金曜日に殺害されました。しかしながら、彼の妻アイシス(Isis)は、彼の体を再び揃い集める事に成功し、そして魔術的な儀式を使い、彼の体を再び再結集させ、(再びイエスの様に)3日後(i.e. 冬至からクリスマス)に彼を生命へと甦らせましたが - 地上においてでは無く、黄泉の国においてで、其処で、物理的/身体的に復活し、彼は死者の神で、裁定者と成りました。

幾つものピラミッドの埋葬の室の壁に刻まれたピラミッド文献は、オシリスの神官達による暗唱/朗読を含みます:「これは、オシリスよ、貴方の息子です。貴方は、彼が繁栄し、そして生きた原因に成りました。彼は生き、この王は生き・・・彼は消滅したのでは無く・・・彼は持続し、この王は持続します。」学者、J. グイン・グリフィスは、彼の著書オシリスと彼のカルト(信仰)の起源の中でこう述べます:「これらの言葉、そしてこれ等に似たその他が、人間の歴史においてとても重要なのは、それらが死後の生命における信仰の、文学/文献における、最も初期の表現であるためです。」

当初、永遠の生命の約束は、高価な埋葬の儀式を出費出来た、王族達と貴族達に限られていました。しかしながら、第18王朝の後期におけるツタンカーメンの死に続く時代から、セラピスのカルトの台頭において、オシリス神学における変化の長い行程が結果し、その(セラピスの)信仰者達は、もし彼等がその神における信仰を告白し、入門の儀式を経験すれば、ミイラ化の必要性無しで、永遠の生命の約束に、参加出来る様に成りました。その結果として、貧乏人にも金持ちにも開かれていたセラピスの信仰は、エジプトにおける最も人気のある宗教と成り、そして最終的にその国家の公式な宗教として、その他のカルトと入れ替わりました。

セラピスの信仰は元々、エジプトの2人の神々 - オシリスと、それからその名前(セラピス)が派生した、メンフィスの神聖な雄牛(i.e. 牡牛座)、アピスに基づいていました。元々(牡牛座の時代に)、メンフィスの太古の神プターに関連させられていたアピスは、後にオシリスに関連される様に成りました。その頃より、アピスの雄牛の死(牡牛座の時代の終わり)は、重要な出来事に成りました。彼は、国中から彼のためにお供え物をもたらした信仰者達の集まりの前で、公式な葬儀が与えられました。アピスの雄牛は、彼が死んだ直後に、彼は生まれ変わったと言う感覚において、永遠の生命を楽しんだと信じられました。神官達は、額、首、そして背中の上の黒い点で確認出来る、アピスの代理のために、周りを探しました。彼(代理の子牛)が見つけられると、通夜は喜びへと入れ替わられ、そしてその神聖な子牛は彼の母と共に、頭を下げた信仰者達に囲まれ、メンフィスの彼の神聖な牛小屋に入れられました。

彼が死んだ時、アピスの雄牛は、メンフィスのセラペウムの地下の回廊に埋葬されました。それは、自主的な修道僧達によって奉仕され、奇跡的な治癒を受ける事を望む病人達によって訪れられた「サナトリウム(療養所)」を含みました。

セラピスのカルト(信仰)は、キリスト教-以前のエジプトにおける、プトレミー(プトレマイオス)王朝から時代設定されます。アレクサンドリアの街は、(ヨーロッパ南東の太古の国だった)マケドニア(現在のマケドニアでは無く、ギリシャ北東のマケドニアの)王、アレクサンダー(アレクサンドル大王)によるエジプトの征服の後に、彼によって、キリスト教時代の3世紀以前に確立されました。それはその後、紀元前30年に、(それ以前に、彼女自身の兄弟、プトレマイオス13世を死へと追いつめた)クレオパトラ(7世)が、彼女の愛人、マーク・アントニー(マルコス・アントニウス)と共にローマ(帝国)に対する反乱が、アクティウムの海戦における敗北に終わった後、彼女の胸を毒蛇に噛ませる事によって自決した時まで、プトレマイオス家によって統治されました。

その間の世紀の間、プトレマイオス家の首都であるアレクサンドリアは、文明化された世界の国際的な街で文化的な中心と成り、その名声は、ローマの政治的な優越性が確立された後でさえ保たれました。彼等の軍役の代償として、豊かな農地が与えられた、ギリシャ-マケドニアの退役軍人達、アジア人達、ユダヤ人達、シリア人達、そしてリビア人達の大規模な移民がエジプトに到着しました。これらのコミュニティーは、エジプト人達、そしてお互いと婚姻し合い、その伝統と宗教的な信仰が融合した文化に繋がる社会を創造しました。この融合の初段階の行程において、プトレマイオス1世ソーター(紀元前304-284年)は、ヘリオポリス(の街)のエジプト人の神官、マネトの手助けと共に、(時にはサラピスと呼ばれる)国家の公式な宗教、セラピスのエジプト的な信仰を紹介/組織し、彼の多文化的な国民達の信仰を統一しました。

プトレマイオス1世ソーターは、ギリシャ-ローマの世界(帝国)全体を通して、エジプト的な文化を広げるための、疲れ知らずの貢献者でした。その結果として、神セラピスのカルトはアレクサンドリアからギリシャ、そしてイタリアまで短期間に広がり、時の経過と共に、オシリス、彼の妻アイシス(Isis/イシュタル/マリア/乙女座)そして、彼等の鷹-頭の息子、ホルス(朝日)によって構成される「神聖な」一家として表現される様に成りました。キリスト教時代の最初の世紀の前半において、そのカルトはローマにおける断然的に人気のある宗教で、それは紀元前105年まで早期に、セラピスの寺院を有していました。入門の儀式の後に、男性同様に女性が受け入れられる、黄泉の国/下界についての神秘と、アイシスの神秘的な儀式を含む、オシリス(信仰)の特徴の多くを受け継いだセラピスの魅力は、それらが信仰者達に提供した(スピリットの)不死の、はっきりとした約束に上に、主に基づいていました。アイシス自身は、全ての女性達の試練を苦しんだ、悲劇の聖母的な人物として見られました。

当時の権力者達は、より偏見的な見解を取りました。エジプトに関する全ての物事は、マーク・アントニーとクレオパトラの反乱の後、ローマの権力者達の間で特に不人気でした。西暦19年に、(皇帝)タイベリアスが、軍事年齢のフリードメン(元奴隷達)をサルディニア島に追放した時、それらにはセラピスの信仰者達と同時にユダヤ人達も含まれ、そしてその皇帝はアイシスの寺院を破壊し、彼女の像を、テベレ川に投げ入れさせました。しかしながら、彼女とセラピスの信仰は生き残り、早期のキリスト教の発達の、重要な要素に成りました。

セラピスとアイシスのカルトは、キリスト教の台頭において生き残っただけでなく、西暦2世紀において実際に、人気を増しました。新たな聖域(寺院など)が数多く建設された事が知られており、それらの遺残の2世紀と比較すると、奉納的な(壁画などの)記述が大々的に増えました。キリスト教とペイガン(異教徒)のカルトは、キリスト教時代のこの初期の段階において心地よく(争い無く)同時に存在しており、頻繁に入れ替え可能として見られていました。キリスト教徒達は、キリストとセラピスを区別せず、そして頻繁に両方を信仰しました。西暦134年に、アレクサンドリアに訪問した後、皇帝ヘイドリアンは、彼の年上の義理の兄、セルヴィアヌスに手紙を書き、その中でこう非難しました:「我が親愛なるセルヴィアヌスよ、では貴方はエジプトを讃えるのですか!私は噂の流布によって影響された、気まぐれで扱いにくいその国を、頭の天辺から足元まで知っています。その中で、セラピスの信仰者達はキリスト教徒達で、そして彼等自身をキリストの司教と呼ぶ者達は、彼等の誓いをセラピスに対して結びます・・・家長自身がエジプトを訪れるといつでも、彼は人々によってセラピスを信仰させられ、その他によってはキリストを信仰させられます。」*

西暦1世紀におけるイエスの人生、苦悩、そして死の説明が広まり始めると直ぐに、この2重の知覚を理解するのは簡単でした。彼とオシリスの逸話はとても似ていました(着目されるべきは、セラピスが、オシリスとホルスの両方の特徴を融合させ、そしてアイシスとの関係において、それらと入れ替わった事です)。両方が、男達と女達が、不死を確かにするために頼る事の出来る救世主として表されました。オシリスと彼のカルトの起源の中で、学者 J. グイン・グリフィスは、ミイラ化によってその体が保存されたオシリスと王族と貴族の場合、死は眠りの一種として見解され、予測/意図されたのは、保存された体が再び立ち上がる事だったと指摘します。**

* 新たな考古学的な発見は、セラピスの修行者達が、テラピュータエ派の様に治癒者(医者)だった事を表します。(紀元前165年に)メンフィスのセラピス信仰に入門した修行者達に対する言及がパピルス(紙)の破片の中に見つけられました(Acad. Des Inscript. Et belles-letters, mem. present. Pardivers savants, 1st series, ii 1852, pp. 552ff.; Bibliotheque Imperiale, notices et extraits des mss., t. 18. 1858, pp. 261ff.)「セラピスに憑依された」と言う名前で知られていたこれらの隠遁者(世捨て人)達は、寺院、またはそれらに属した建物に住んでいました。セラピスが治癒の神であったために、彼等は治癒(治療)を得る為、または潜伏期の儀式による神託(診断)を得るために集まりました。明らかなのは、故に、修行主義/禁欲主義が、修道院主義の遥か以前から、エジプト的な生活の中へと入っていた事です。幾らかの学者達は、西暦3世紀中頃におけるエジプトのセノビ主義の創立者、パコミヌス自身が、セラピスの修道僧であったとさえ主張しました(E. Revillout, Revue Egyptol., 1880, p. 160; G. Grutzmacher, Pachomius und das Ulteste Klosterleben, pp. 39ff.)ボハリックの方言で書かれたコプト派の文献の一つによると、キリスト教セノビ派の創立者、聖者パコミヌスは、セラピスの修道僧で、それはまたアラブ語の文献(Annales du Musee Guimet, xvii. 6ff., 342ff.)の中において確認されます。西暦391年のセラペイム(の街/寺院)の破壊の後、セラピスの神官達はその神が天界に上昇し、キリスト教教会に加わったと宣言しました(ケンブリッジ古代の歴史、v.13、1998年、635ページ)。


** 人間は、物理/肉体的なものと、スピリット的なものの、2つの要素によって構成されるとエジプト人達が信じたので、ミイラ化は、彼等によって始められたものでした。もし彼等が、物理的な体を保存出来るなら、未来におけるいつの日か、カー(KA)のスピリットは、それに戻るとされました。それは何故、彼等が、彼等の死者達をミイラ化し、安全なお墓を建て、それらの中に保護的で魔術的な呪文を書いたかの理由です。高価な埋葬の費用を出費出来たのは王族と貴族達だけだったので、死後の生命を望む事が出来たのは、彼等だけでした。キリスト教がとても大人気に成ったのが何故なら、対照的にそれが、復活したキリスト(i.e. 太陽)の信仰における洗礼を受けた誰しもに対して、死後の生命の約束を提供したためでした。しかしながら、死後の生命におけるこの信仰は、主にエジプト独自で;その他の太古の国家はそれを有していませんでした。ヘブライ族は、死は生命の終わりと信じ、モーゼスもアケナーテンのいずれも、死後のスピリット的な生命について、全く述べませんでした。これは、ヘブライ族であれ、その他の太古の人々であれ、ミイラ化を行わなかった事を説明します。

彼は続けてこう述べます:「同時に私達は、目の前の体が死後に再び立ち上がる、または信じる者達には新たなエーテル的な体が与えられると言う感覚において、体に応用された復活のキリスト教的な教えを良く知っています。これらの感覚の前者は、オシリス的な信仰に近いです。これに関して、復活と言う言葉の使用は、全体的に誤りではありません。実際に、眠りと死の比較はまた、エフェシアンズ5:14の様に、キリスト教徒の思考/教義において、時々、見つけられます:「眠れし貴方よ、死から立ち上がり、そしてキリスト(太陽)は貴方にを与えるでしょう。」

キリスト教の脇に沿った太古のエジプトのセラピスのカルトの生き残りはまた、カルタゴ、アテネ、そしてローマにおいて教育されたプラトン主義派のルシウス・アプレイウスによる想像的な小説、黄金のロバの中でも特に鮮明です。その本の1956年版の彼の前書きの中で、アングロ-アイリッシュの詩人、故ルイス・マクニースは、西暦120年頃に生まれたアプレイウスは、「対立している神秘主義の宗教(宗派)が、人々の支持のために争っている時に、両方の世界に足を踏み入れたのは自然的で、その間、伝統的なペイガン(異教)主義と論理的な哲学は取り残され」、早期の教会の神父達は、「彼を忌み嫌いました」と記述しました。

彼の小説は、アプレイウスが魔法によってロバに変えられてしまった後の様々な冒険と失敗を描写しましたが、それ(彼)はその本の終わりに、アイシス(Isis)とセラピスの慈悲深い介入によって、人間の形状に戻されました。その女神(アイシス/イシュタル/マリア/乙女座)はアプレイウスの前に現れ、彼女が数多くの名前 - ミネルヴァ、ヴィーナス(金星)、ダイアナ、プロセルピナ、セレス、ジュノ、ベロナ、ヘカテとして知られ - 「そして太古の教義のあらゆる種に精通するエジプト人達は、彼等の正しい儀式によって私を信仰する事に馴れていて、私を女王アイシスと呼びます、」と説明します。

日の出の後、アプレイウスは、「セラピスに献身したトランペットの演奏者達」を含む集いの宗教的な儀式に参加するために行きましたが、様々な神官達の内の一人は、「エジプト人の技法の様に描かれた容姿(絵)を一面に持つ、丸い底の入れ物(壺など)を持っていました。偉大な神官がアプレイウスを人間の形状に戻した後、彼(その神官)は彼(アプレイウス)にこう伝えました:「見よ、ルシウス、貴方は女神アイシスの神意によって、とても大いなる悲惨さから解放されました・・・貴方自身をこの神聖な秩序(宗教)の一部とし・・・宣教の自主的な首かせ/責任を取りなさい。」

アプレイウスは、彼がどの様にローマへ旅し、其処における彼の最大の望みは「ソヴリン(主権者)の女神アイシスに、日々、私の祈りを捧げ・・・ローマの人々によって、継続的に尊敬される事」で、そしてアイシスと同時に「全ての女神達のソヴリンの父である」オシリスの宣教師に成る事によって、彼の宗教的な拘わりを強化する事であったと説明しました:「私は頻繁に、夜に行われたセラピスの生贄に出席し、それは私に大いなる安心を与えたものでした。」最後に、「偉大なる神、オシリスが、彼自身の本質以外の何ものでも無い形状で、夜の間に私に現れ、私の教義のため故に、私を恨む、悪意ある人達の悪口と妬みを恐れず、宮廷において私が宣教するべきであると、命令しました。」

アプレイウスはまた、復活の約束が、アイシスの儀式に含まれていた事を証明します。それらは神秘主義/信仰者達が、彼等の死後において、その女神に出会い、崇拝する事を約束しました。これは、次の世界においてキリスト教徒達が神に出会うと言う彼等の約束との、明らかな平行線でした:「心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る」(マタイ5:8)。

「オーソドックス(主流派)」のキリスト教が広まると、後に、コプト派の教会の中でキリストを表すために使用されたのと同じスタイル(技法)の巨大な像を含んだ、アレクサンドリアの、プトレミー(プトレマイオス)1世によって建てられたセラピスの寺院は、セラピス信仰の中心に成りました。彼女の息子、ホルス(朝日)とアイシス(Isis)の絵は、キリスト教徒達によって、マリア(マリー/水/海)と彼女の息子、イエス(太陽)の肖像画と同一視される様に成りました。セラピスのカルト(信仰)の、入門の祝いの一部であった洗礼の儀式はまた、教会によってキリスト教の入門の儀式の一部として応用され、今日まで残っています。

1950年のエジプトの考古学のジャーナルの中の記事において、英国のエジプト学者、サー・アラン・ガーディナーは、エジプトの洗礼が、後のキリスト教の洗礼の類推であると見られるべきであると主張しました。彼は36個の場面を指摘し、そのうちの一つはヴァチカン博物館にありますが、それらは異なったファラオ(神官王)達が、水によって儀式的に洗礼されているのを表します。類似した表しは死んだ貴族達、または(彼等がオシリスと一つに成ったと言う意味で)オシリス化された王達のお墓における、葬儀の儀式にも見つけられます。洗礼のそれらの2つの形状の間の類似性について、サー・アランはこうコメントしました:「両方の場合において、水による象徴的な清めは、正しく、正式な宗教的な生活/人生への、入門の儀式の役割を果たします。」

Deir-el-Bahri の Hatshepsut の寺院と、ルクソールのアメンホテップ3世の寺院の彼等の神聖な誕生の場面は、赤子が洗礼されている場面を見せます。その追随する文章はこう読めます:「貴方のカー(魂)と共に純粋であり・・・貴方は[永遠に]生き続け給え。」それらの場面の全てにおいて、洗礼された人の頭の上に、水差しから注がれた水は、エジプトの生命の象徴である、アンクの流動として描かれました。

洗礼の実施において、神聖な生命を与える要素であり、また、繁栄、繁殖/実り、そして家族の健康を確かにすると見解された、ナイル川の毎年の夏の氾濫の水を、可能な限り使用するのは、風習でした。エンジニア/科学技術な複雑化の発展と共に、その様な「生きている水」 - つまり、祝い/儀式において使われる鉢/洗面器へと流れる - 流れている水が通る、パイプのシステムを配管する事によって、象徴的なナイル川の氾濫を創造する事が習わしに成りました。

西暦6世紀までに成ってでさえ - セラピスの信仰者達として - キリスト教徒達は、ナイル川の夏の氾濫の水が、特別な性質を持っていると考えました。十分に近くに住んでいた者達は、ナイル川の毎年の上昇が始まると、祝福と水の収集のために、その川の土手に集まりました。遠くに住んでいた者達は、実際の川の代わりとして鉢に貯めた水を祝福しました。「生きている」水を使う重要性は、早期のキリスト教徒達によって保たれました。最も相応しい水は、湧水、川、または海において見つけられる水と考えられました。キリスト教の広まりと共に、しかしながら、洗礼を屋外で行う事は、次第に珍しく成りました。ですが、洗礼的な水が流れることが出来るパイプのシステムを配管する事によって、「生きている」水を使う、古いエジプト的な風習が保たれるために、努力が成されました。

後の世紀において、キリスト教徒達は、洗礼の儀式のための「生きている」ナイル川の水の重要性の、太古の伝統を忘れてしまいました。そうであれ、使用された水は「聖水盤」の中に含まれ - 流れる水、または泉の象徴で - そして「生きている水」の象徴は、洗礼されている人の頭の上にそれを注ぐ事によって保たれています。

オベリスクは - 元々、太陽信仰に関連した太陽の象徴(日時計)でしたが - それらの早期の世紀の間のキリスト教の教会の第2の変形として描写されるかも知れないものと、太古のエジプトの信仰の間の共通性の更なる示唆を供給します。エジプトから輸送された(盗まれた)オベリスクは、世界における8か所に比較して、13本がローマで見つけられます。ローマ的なコレクションの最大のものは - 100フィート以上の高さで、400トンを超え - ローマのラテラノ地区の大聖堂の、サン・ジョヴァンニ広場の中に立っています。その巨大なオベリスクのための石は、その18世紀前に、アスワンにおいて、トトメス(トート・モーゼス)3世(デーヴィッド)によって採掘されました。その首都が上エジプトのテーベであった国家神、ラーとアムンの信仰の間の進行している融合の期間において、オベリスクは、それが主要なカルト(信仰)の物体であった、近隣のカルナックの大いなる寺院において立てられました。

ラテラノのオベリスクは、大コンスタンティンのキリスト教への改宗の14年後、西暦326年における彼による、ローマへの贈り物(盗み物)でした。コンスタンティンは、ローマにこのペイガン(異教)の象徴を送る事と、彼のキリスト教の信仰の間に表される矛盾を全く知覚しませんでした。新カトリック大辞典は、彼が死ぬまで「無敵の太陽(制圧される事の出来ない太陽神)」の伝説を彼の貨幣と建造物に使用し続け・・・それ処か、無敵の太陽は、ヴァチカンの聖者ピーターの下で発見された(西暦250年)、大霊廟の中の - アポロの形状におけるキリストの容姿として - アポロ-ヘリオス(太陽神)としてのキリストにおいて証明される様に、キリスト教徒的な感覚において、キリスト教徒達に応用されました。」

その巨大な大きさを考慮すると、コンスタンティンが西暦337年に死んだ時、ラテラノのオベリスクは、アレクサンドリアの港までしか運搬されていなかったのは驚きではありません。それは、西暦357年に、大コンスタンティンの息子であったコンスタンティン2世がそれを送るまで、その後も20年間、其処に留まりました。同時代の歴史家、アミアヌス・マルセリヌスによって記述された最終的な輸送の説明は、彼の活動によってその皇帝が、宗教的な中心を、エジプトからローマに移そうとしていた事が鮮明に示唆されています:「コンスタンティンは・・・その巨大な物体を、その土台から[引き離し]、もし彼がこの素晴らしい物を一つの寺院から取り、ローマ - 言い換えれば世界全体の寺院において奉納すれば、神聖冒涜を犯していないと、正当に考えました。」

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サタニズム

MUST WATCH! "Synagogue of Satan" (Full) by Andrew Carrington Hitchcock 1936-2006
サタンのシナゴーグ(悪魔の会堂)



ネオ・シオニズムの悪魔論理と行為について
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_satanismco.htm

 「ネオ・シオニズムの悪魔論理と行為について」と題したが、正確には「ユダヤ人の歴史的な悪魔論理と行為について」とすべきかも知れない。この場合「ユダヤ人一般」が問題なのではない。ユダヤ教ないしタルムードその他律法に胚胎する選民主義とそれによる徹底した自己都合的正義の振り回しを問題にしている。これに被れると、「悪魔論理と行為」を誘引し始め、それが為に「ユダヤ人が排斥される」という負の歴史に漂うことになる。過去はそうであったが、2005年初頭現在は違う。その彼らの論法と行為が世界を席巻している。この辺りを本稿で考察したい。

【「ユダヤ人は果たして被害民かー通説にれんだいこが疑問するー」】
 ユダヤ人に対する現在の通説的理解は、「悲劇の流浪の民であり、中世の数百年間ゲットーに押し込められ、賎業に従事させられ、第二次世界大戦ではナチスにより民族大虐殺の悲劇に見舞われ、戦後母国イスラエルをパレスチナに建国したものの在地パレスチナ民との軋轢が絶えない可愛そうな人たちである」ということになろうか。この見地から、「ホロコースト」が語られ、「アウシュヴィッツ」が語られ、「アンネの日記」が読まれ続けている。

 しかし、公正に見れば、ユダヤ人のそのようなプロパガンダは神通力を失っている。今やイスラエルは加害者として立ち現われており、米英ユ同盟(テロリスト)を結成し、世界を席巻しつつある。その過程で、ユダヤ人達による人類史上最も残虐な侵略、殺戮が繰り広げられている。

 イスラエル建国以来のパレスチナの民の悲劇を見よ。「パレスチナ人に残虐の限りをふるうイスラエルの蛮行」には目に余るものがある。ブッシュの国際法を全く無視した聖戦論法を見よ。米英ユ軍の戦術核兵器の開発及び使用の実態を見よ。その他悪の限りの残虐兵器を見よ。アフガン戦争でのガンタナモ監獄、イラク戦争での無差別爆撃、市民殺傷、病院・モスク襲撃、アブグレイブ収容所の惨劇、都市ファルージャでの蛮行を見よ。人道法の悉くを蹂躙しているではないか。

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 これらにイスラエル諜報機関モサドが深く関与していることが知られつつある。その例証には事欠かない。

 「なぜ、自らの被害の歴史に学んで他民族にも優しくなれないのか」という疑問が生まれつつある。皮肉なことに、その余りの酷さに「ユダヤ・ナチズム」なる造語が生まれている。ナチズム観は精査を要すると思われるので、正確にはズバリ、ネオ・シオニズムと云うべきだろう。

 この現象から思慮すべきは、「ユダヤ人は通説で云われるような果たして被害民としてのみみなされるべきか」ということであろう。極東の一隅で自前の文明を保持してきた日本は、西欧史上のユダヤ民と近接民族との血で血をを争う軋轢を知らない遠方民族である。故に、疎い面と客観的に評し得る両面の見方ができよう。その史観でもっての「ユダヤ人問題へのアプローチ」こそ望まれているのではなかろうか。

【「ユダヤ人の歴史的サタニズムと如何に対決すべきかーれんだいこが賢考するー」】
 れんだいこは、ユダヤの民一般をして原罪的に批判しようというのではない。古来よりこの民のに立ち現れたサタニズム(悪魔主義)を的確に認識しようとしているに過ぎない。その指導者グループの思想も、その中に分け入ってみれば複雑に分岐しており対立している。問題は常にサタニズム派の方が勝利し、よからぬ策動に日々明け暮れてきたという歴史にこそある。

 優秀とされるユダヤ人の頭脳が落ち着く先はいつもこのサタニズムである。それは何もユダヤ人に限ってという訳ではないが、その教義及び理論体系と実践が組織立っている点で、他の民族のそれは足元にも及ばない。それほど究極のサタニズムを体現しているのがユダヤの頭脳である。その概要は、「タルムード考」で考察する。

 サタニズムにどう立ち向かうべきか、究極的にはユダヤ人自身が解決することだろうけれども、現下の米英ユ同盟のサタニズムに対してはもはや一刻の猶予も許されない。そういう訳で、れんだいこがこの問題を素描する。

 ユダヤ人が自前国家を維持していた時に於いては、強権政治で近隣地域を簒奪侵略し絶え間ざる戦争過程にあった。その例証には枚挙の暇が無い。ユダヤ人が離散民族として有る時に於いては、各地に散ったその先々で当該国家の生き血を吸ってその国家及び文明を衰退させてきた。その例証にも枚挙の暇が無い。いずれにせよ、他の民族間のように相容れながら存立しあうということが根本的に出来ない独裁民族であることが判明する。

 これを文明的に如何に解決せんか。ユダヤの民は、手前勝手な処方箋を示している。それによると、賎民ゴイムの特性は治癒し難きをもって、選民ユダヤの民が世界を征服し諸民族を組み敷く時に解決すると。つまり、世界征服永久革命論を唱えている。しかし、彼らが描く政治体制は、一部の有能指導部による祭政一致世界であり、控えめに表現しても戯画的なそれでしかない。とても実現する訳でもなく、実現したとしてもトンデモ世界が待ち受けているだけという代物である。

 我々は、ユダユ処方箋に対して如何なる代替物を対置すべきか。それが人類史上の課題である。その昔も今も、人類はこの問題で悩ませしめられている。過去、これを鋭く問うたのがイエスであった。西欧史上その後において、イエスに比すべき者は生まれていない。そのイエス教義が、西欧諸国でキリスト教として受容され体制化してきた。この間、ユダヤ教徒は社会の隅に追いやられてきた。約一千年間この状態が続く。今になって思うに、これは、独特の悪しきユダヤ式サタニズムを封じ込める賢明な処方箋であった。

 この仕組みが崩れた時から近代が始まる。近代から現代は、独特の悪しきユダヤ式サタニズムの復権過程であり、現代は彼らが栄耀栄華しつつある時代といえる。過去と違うところは、現代サタニズムは科学を駆使し、その威力を存分に発揮させて彼らの願望を実現させようとしているところにある。従って、これに抗するには、抗する側にも科学を操る能力が居ることになる。しかし、この方向にもワナが仕掛けられており、無間地獄に陥る可能性がある。

 さすれば如何にせんか。それを問うのが本稿の眼目である。れんだいこは、サタニズムの内容が深いだけにそれに代わる救済思想としても又深くなければならぬと考える。そういう観点から見渡して、中山みきのかんろだい思想に注目している。かんろだい思想とは何か。一言で言えば「たすけあい」である。これについては、「かんろだいの理」で考察する。

NHKイルミナティ・フリーメーソンが用いるサタニズムの進化論を洗脳 & タルムードの「ゴイム
http://blog.goo.ne.jp/deep_meditation/e/e207ca976076e0c51252521898217e0c

 ダーウィンの進化論は、唯一絶対神である創造主に反逆するカルト・悪魔であるイルミナティ・フリーメーソンのサタニズムである。

 毎週日曜日の19:30~19:58にNHK総合にて放送されている「ダーウィンが来た・生きもの新伝説」。私は視聴してはいないが、子供からお年寄りまでが揃って視聴できるゴールデンタイムに、その様な大々的なタイトルを付けて放送するのは、これもマスコミを使った一つの「洗脳」である様に思う。

 進化論は、人間が単細胞生物から進化し、且つサルやチンパンジーから進化したものという理論である。あたかも考古学や科学によって立証されたかの様なイメージを、世間の多くの人達はマスコミ等によって洗脳されて持たされている。

 もしもその事が正しいのであれば、人間の尊厳と言うものは存在しない。人間は他の動物・獣と同等、或いは先祖が単細胞生物由来故にそれらよりも下等動物となる。

 ユダヤ教の教典「タルムード」においては、ユダヤ人以外の異民族の事を「ゴイム」、つまりと書いてある。それ故、「タルムード」は多民族の人権を認めていない。他民族を人間として見ずに獣として見ているからである。カナンの地のヨルダン川西岸地区とガザ地区のパレスチナ自治区のパレスチナ人が虐げられているのは、タルムードにおいてはユダヤ人以外の人権が存在しないからである。旧約聖書を読まないタルムーディック・ユダヤ人は、パレスチナ人を「ゴイム」(獣)と見ているのである。しかしパレスチナ人こそが本物のユダヤ人なのである。

 その様に、タルムードと進化論は同様である。タルムーディック・ユダヤ人を含むイルミナティ・フリーメーソンは超エリート意識を持ち、創造主なる神に反逆して、自分達が世界を支配するものと考えている。

 その進化論に対しての反論となるのが、遺伝学の祖であるグレゴール・ヨハン・メンデルが数多くの実験を通して裏付けを取り発表した「メンデルの法則」。学校の教科書にはどちらも載っている。

 規範となる聖書には、この様に書いてある。

  旧約聖書・創世記1章24~28節
     「ついで神は、『地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ』と仰せられた。するとそのようになった。
    神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
    そして神は、『われわれに似る様に、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。
    神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
    神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」。

 上記26節の「われわれ」とは、唯一神である創造主の内に複数の人格=位格(ペルソナ)が存在する為である。天の父である創造主とその子イエス・キリストと聖霊というペルソナが存在するが、三位一体で唯一の神と言う事である。

 この世界、宇宙、地球、人間、自然は偶然に出来たものでは無い。創造主によって全てが創られた。それぞれの両親の間から子供が生まれるが、両親が人間の身体を形作っている訳では無く、その各種機能を付与した訳でも無い。心臓を人間が自分で動かしている訳では無い。全てが創造主によるのである。

 「進化論」は、イルミナティ・フリーメーソンが聖書の真理を破壊する為に用いているものである。進化が間違いメンデルの法則(遺伝子)が正しいのである。人間は最初から人間であって、種と種の壁を通る事は出来ない。

 NHKをはじめとしたマスコミは、イルミナティ・フリーメーソンに使われている。

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日本の選民主義
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キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第21章

CHRISTIANITY: AN ANCIENT EGYPTIAN RELIGION
AHMED OSMAN
キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第21章
アフメド・オスマン著

パート3

第21章: 福音書


4冊の(教会に)正式に認められた福音書は、私達が見てきた様に、イエス(太陽)の人生、苦悩、そして死(冬至)を、西暦1世紀において配置する事を通して、それによってローマの教会(ヴァチカン)が、それ自体の権威を正当化しようとした行程の一部でした。この行程は、順を追って - オーソドックス(主流派)のキリスト教徒に成るために、信じる事が必用であるもの - 使徒信経のための土台を供給しました。それらの4冊の福音書は、マヒュー(マタイ)、マーク(マルコ)、ルーク(ルカ)、そしてジョン(ヨハネ)の名前が与えられていますが、それらが最初に書かれた時点と、それらが最終的にその教会によって受け入れられた(認められた)時点の間に、多大な編集の作業(改竄)が起こったのは明らかです。

使徒言行録の書と II ティモシー(テモテの手紙2)の中で、バルナバスとポールの同行者として名前を上げられるマークは、4冊の正式に認められた福音書の、最も最初の書の著者として、聖書的な学者達によって考えられました。正確な日付けは知られていませんが、学者達は一般的にそれを、西暦1世紀の最後の25年に位置付けます。マヒューとルークの両方が、マーク(の記述)とその他の源泉(情報源)に頼ったので、それらが彼の後に年代鑑定されるべきであると受け入れられました。マヒューは西暦2世紀の前半に年代設定されました。ルーク的な言及、特にイエスの生誕に関連しているものは、その世紀の後半まで、教会の神父達の記述の中には一切現れず、その同じ時代において、4人の福音書の著者達の中で、最も歴史的に関心が無かったジョンによって続かれました。

英国の政治家であり、ギリシャ語の学者で、マヒューの福音書のギリシャ語の文献を翻訳したエノク・パウエルは、西暦1世紀の終わり以前でさえ、それが大々的な「編集(改竄)の対象であったと注目しました。1994年にイェール大学によって出版された彼の著書、福音書の進化の中で、彼はこう述べます:「根底にある文献は、神学的、そして論争的な意図と共に過度に再編集され、そしてその結果的な編集版は、その後現存する福音書を産出するために、根底の文献と共に再融合されたと、マヒューは明かします・・・パイレートの面前の裁判は、2番煎じの複製で、その高神官の面前の裁判からの資料の再-利用で、それの中からそれは製造されました。」

1967年にワシントンの米国カトリック大学によって出版された、新カトリック大辞典は、殆どの「聖書的な記述は、最終的な出版の前に、多大な再編集と改竄が行われました。故にその著作権は、以前に考えられたよりも遥かにグループ活動的でした、」と認めます。それらのどの部分が、誰によって記述されたのかを確立する事を試みるよりも、西暦2世紀の終わりに台頭し、その1世紀の後に「オーソドックス(主流派)」として受け入れられたヴァージョンに集中する事は、問題/題材を単純化します。

皮肉にも、最初に知られている新約聖書の正典/教会法令集(通常、「オーソドックス」として見解され、受け入れられる聖書的な働きのリスト)は実際に、ローマの教会に対する対峙者達の主要な一人である、マルシオンと言う名のグノーシス派によって編集され - そしてマルシオンの法令集の内容と、彼に個人的に起こった成り行き以上に、グノーシス派の信仰と、台頭してきた権威的な「オーソドックス」の教会の間の衝突の、より鮮明な構図を与えるものは、何もありません。

マルシオンは、西暦2世紀の前半において、最も活発で影響的なキリスト教の宣教師でした。彼についての私達の主要な - 殆ど唯一の - 源泉(情報源)は、彼と同時代、またはそれ以後の彼の政敵である、「オーソドックス(主流派)」の神父達、殉教者ジャスティン、イレナエウス、テルトゥリアン、そしてエピファネウスの記述に由来します。彼等はまた、記述された新約聖書の最初のヴァージョンであると私達が知る、マルシオンの法令集について私達が知るものの源泉でした。

元々、小アジア(トルコ付近)のポンタスから来たマルシオンは、一人のキリスト教徒として、西暦130年代にローマに来た様です。数年間の内に - 約西暦140年頃に - 彼の見解は、ローマの教会(ヴァチカン)をとても激怒させたので、彼は追放されてしまいました。これは全く驚く事ではありません。彼は、キリスト教の信仰として、早期のローマの教会の聖書の重要な要素を形成した、旧約聖書を受け入れませんでした。彼は、ピーター(ジュピーター/木星)では無くポールを、キリスト(オイル)が彼の福音書を託した唯一真の使徒として認識し、そしてエルサレムの使徒達を偽りの使徒達として却下しました。加えて、彼は「オーソドックス(主流派)」の教会が真の福音書を改竄し、腐敗させ、グノーシス派だけがその純粋な形状を保ったと考えました。

マルシオンの法令書は2つの部分によって構成されました:一つは大部分においてルーク(ルカ)の福音書と一致するキリスト(オイル)の福音書で;もう一つは今日の新約聖書の中で見つけられるポール(パオロ/サウル)の14通の手紙の内の10通の使徒の福音書です。宣教師/神父の仕事を扱うポールの4通の手紙は、ティモシー(テモテ)への手紙1と2、タイタス(テトス)への手紙と、ヘブライ人への手紙、そしてローマの使徒への手紙の最後の2章において除外されます。彼はまた、ガラテア(ケルト)人への手紙と共に、彼が使用した手紙の順序を変え、シナイ(半島)で行われたポール(サウル)の改宗と、エルサレムへの2度の訪問を最初に位置付けました。その結果として、彼は破門されただけで無く、ルカの福音書から、彼のグノーシス派的な信仰と共に一致しなかったあらゆる詳細を「排除」したとして、その後非難されました。

マルシオンの福音書の中で、ポンティス・パイレートと同時代に、イエス(太陽)が生き、苦悩し、そして死んだと言う言及を一切見つけません。欠如している主要な詳細に含まれるのは:お告げ;マリアとジョセフのベツレヘムへの旅;イエスの誕生の日付けと場所;ナザレスへ行く途中の、その一家のエルサレムへの訪問;イエスが12歳で、寺院において宣教した際のエルサレムへの回帰(サイクル);洗礼者ジョン(ヨハネ)の宣教と、彼のイエスの洗礼;荒野における、サタンのイエスの誘惑;イエスが宣教している間のイエスの母と兄弟の訪問;その上に教会が建てられるであろう、「岩/ペトロ/ミネラル/いしずえ」としてのピーター(ジュ・ピーター/木星)の重要性;ヘロッドがイエスを殺害する事を望んでいると言う、パリサイ派の内の一人からの警告;12人の使徒達に、彼等がエルサレムに行く事をイエスが伝えた事;オリーヴの山を通ったエルサレムへの旅;最後の晩餐;オリーヴの山の上でイエスが一人で祈った事;イエスの逮捕;ピーターの3度に及ぶ彼の否定;パイレートが彼を解放しようと望んだ際のユダヤ人達の彼(イエス)の非難/有罪判決;磔(神経交差);そしてイエスの物理/身体的な復活(i.e. 冬至/クリスマス)です。これらの全てと、その他の詳細はまた、ポールの記述と同時に、ナグ・ハマディにおいて発見されたグノーシス派の福音書から欠如しています。

(教会からの)追放にも拘わらず、マルシオンは彼の宣教の働きを続けました。早期の教会の神父、殉教者ジャスティンは、彼を記述した最初の人でした。西暦150年頃に記述していた彼は、マルシオンが多くの国々の人達を弟子にし、教え続けていた事を認めました。しかしながら、マルシオン自身の信念と、ルークの福音書を一致させるために、彼がそれを改竄したと言う非難が晴らされるまでに、1,700年以上が経たなければなりませんでした。18世紀の終わりに学者達は、マルシオンの働きが大々的に短かっただけでなく、ルークの福音書のあらゆる例よりも以前に現れた事に基づいて、この理論に挑戦しました。彼等は故に、西暦1世紀において、イエス(太陽)の人生の「オーソドックス(主流派)」の見解と成ったものに一致させるために、マルシオンの法令書を加えたのは、ルーク的な著者達だったと言う結論に辿り着きました。

マルシオンの法令書の2番目の要素 - ポール的な手紙、そしてポールだけが真の使徒であると言う彼の教えは - 更にもっと証明する事が難しい問題でした。早期のキリスト教の指導者として、今でも覚えられているポールは、教会の多くの分派にとって、人気のあった人物で、そして彼の手紙/使徒書は、ローマ自体においてさえも、広く流通されました。その状況において、ポールのグノーシス派的な見解だけを元に、彼を否定する事は可能ではありませんでした。彼の手紙は故に、西暦2世紀の後半において、段階的に確立された、教会の「オーソドックス」な新約聖書の法令書の中に含まれました。しかしながら、私達が以前の章で目撃した様に、早期の教会にとって、ポールの役割は、ピーターに比較されると小さいと強調する事が、その部分的な目的であった、使徒言行録の書が同時に現れました。

非-ポール的な文献を紹介した、最初の「オーソドックス」のリストは、西暦2世紀の後半において産出されました。西暦180年に、彼の異端者達に対する本を書いていた、リオン(フランス)の司教、イレナエウスは、当時、ローマにおいて法令書的として見解された、22種の記述をリストしました。それらに含まれたのは、4冊の福音書(マヒュー、マーク、ルーク、ジョン)、使徒言行録の書、そして(ヘブライ人への手紙を含まない)ポールの13通の手紙でした。イレナエウスはまた、「聖書はこう言う」と言うフォーミュラ(形式)と共に、ヘルマス(i.e. ヘルメス)の羊飼いと呼ばれる書を記述し、今日の法令書には無い、キリスト教的な記述が当時、聖書として受け入れられていた事を示唆します。

この本の初めに簡単に述べられた、西暦3世紀の素晴らしい神学者、オリジェンは、少々異なったリストを作成しました。これは、教会の偉大な歴史家、エウゼビウス(西暦260-340年)によって収集されたもう一つのリストに続かれましたが、オリジェンのリストからは大分異なっていました。エウゼビウスはその本を3つの部分に分け:(4冊の福音書、使徒言行録の書、ヘブライ人への手紙を含まないポールの13通の手紙、ピーター1、ジョン1、啓示書を)認識し;(ピーター2、ジョン2と3、ヘブライ人への手紙、ジェームズとジュードに)反論し;そして(未だに流通にあったヘルマスの羊飼いを含む、数々の本を)間違い/嘘だとしました。

それに何も加える事も、削除される事も出来ない、現在の「オーソドックス」の法令書(聖書)は、エウゼビウスによって編集された知識と反論において構成された27冊の書から成っており、そして私達が見た様に、西暦397年に行われた、北アフリカのカルタゴ(の街)における第3委員会によって、正式な認識が与えられました。更にもっと最近の時代においては、1945年においてナグ・ハマディにおける、隠されていたグノーシス派の図書館から発見されたトーマス(タムズ/テムズ)の福音書でさえ、ヴァチカンによって異端的であると否定されました。

4冊の(正式に教会に認められた)福音書は、キリスト(オイル/太陽)が死に、復活(i.e. 冬至)し、キリスト(太陽)が再び現れる(昇る)と言う、基本的なキリスト教のメッセージを宣教するためにデザインされた、仮の歴史的で、仮の福音書的な働きとして、2段階に分けて検証される必要があります。

私達がイエスによるサイモンの名前の変化の最初の説明を有するのは、マーク(マルコ)の福音書の中においてで:「そして、シモンにはペトロという名を付けられた」(マルコ3:16)とされます。(ギリシャ語でペトロスである)ピーターは「石/ミネラル」を意味するペトラから派生します。この報告された名前の変化は、マヒュー(マタイ)によって、彼のローマ教会の設立の説明において使用されます:「・・・あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる; 陰府(地獄/黄泉の国/下界の門)の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける: あなたが地上でつなぐことは(何であれ)、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれるでしょう・・・」(16:18-19)。一応、もしイエスがパレスチナに住んでいて、アラマイック語を話していたなら、何故彼が、彼の主要な弟子達に、ギリシャ語の名前を与えたのか、説明出来る人は誰もいないと指摘するのは妥当でしょう。

この本の第2部において私達が検証した歴史的な不正確さ - ヘロッド王と神官カイアファスの時代、そしてイエスが「ポンティス・パイレートの下で苦悩した」と言う主張は - イエス(太陽)とピーター(木星)を同年代と確立するための結果でした。ジュダス・イスカリオットによるイエスに対する裏切りの奇妙な説明もまた、キリスト教時代の早年におけるガリリー(の地)の政治的な出来事に、その根源がある様に現れます。そのナレートは、キリストが、彼の逮捕の数日前からエルサレムにいて、その寺院の中で宣教していた事を私達に伝えます。ユダヤの権力者達は、故に、彼等が望むいつであれ、彼に手を伸ばすことが出来ました。彼等(ユダヤの権力者達)が人々の怒りを恐れたと主張する事によって、彼等の失策を正当化するのが可能では無いのは:イエス(太陽)が逮捕され投獄された(冬至の)、たった1日後に、それらの同じ人々が、彼が解放される事を拒み、代わりに彼が磔(神経交差)にされる事を要求したためです。あらゆる(使徒達の)手紙の中で、ジュダスを裏切り者として記述するものは全く無く、この行いの彼への帰属は、その出来事の後の解釈であった事を示唆します。

利用可能な証拠の上で、ポールの手紙の中で、彼によって1度も記述され無いジュダスは、西暦6年においてローマ人達とエルサレムの権力者達に対して徴税についての政治的な反乱を導いた、ジュダスと言う名前のガリリー人の、ユダヤの指導者の特徴に基づけられている様で、その年は、ルークの福音書によると、マリー(マリア)とジョセフ(ヨセフ)が、イエスの生まれた処である、エルサレムにおいて(徴税の)登録のために言った場所です。ジュダスの反乱の時代から、ガリリーは、ローマとエルサレムの両方の権力者達(i.e. 官僚達)に対するその対峙(反感)において悪名高いまま(i.e. 有名)でした。マルコ(マーク)がイエスの使命(宣教)をガリリーに位置付けたのは - 彼は、彼の終わりに出会うまで、ジュデアには現れませんが - 何故なら当時の政治的な現実として彼(イエス)と権力者達の間の争いを受け入れやすくするためでした。しかしながら、マークは地理的な場面にあまり詳しく無く:ガリリーの主要な街の記述は見つけられず、地理的な背景の説得的な記述は全く無く、そして学者の G. A. ウェルスは、彼の著書、イエスは存在したのか?の中で、「ガリリーとの繋がりは、そのでっち上げのために、薄いままで;丁度、エルサレムの権力者達との対峙が、効能性が低いままだったのと同じです、」と指摘しました。

更に加えて、イスカリオットは、ジュダスが帰属した位置を示唆していると取られました。これは、その正しい意味ではありません。その一致するギリシャ語の動詞が「配達する/達成する」を意味するので、その単語は、裏切りの逸話の中で、唯一、形容辞/通名として使用されるので、「配達者/達成者、ジュダス」です。この意味は、シリア語の skariot が、ヘブライ語の sikkarti の同義語の通名で、「私は配達/達成する」である事実によって強調されます。

それらの福音書の福音伝道的な要素に関して、拘わっていた著者達の全ては、彼等が描写していた出来事の目撃者達であった事が不可能で、彼等の説明のために、より早期の共通の源泉(文献など)と、様々な伝統(言い伝えなど)に頼ったのは明らかで:イスラエライト族とエジプトの伝統であり;旧約聖書の預言的な書の中のメシア(救世主)的な言及であり;エッセネ派の行いと彼等の信仰で;エルサレムにおけるユダヤ-キリスト教徒達のコミュニティ-に対するポール(サウル)の言及であり;(偶然かどうか、新約聖書の著者達のいずれにも、全く記述されていませんが)(i.e. 牡羊座の時代の)終わりの日々が近いと宣教した、洗礼者ジョン(ヨハネ)の人生と苦悩で;(私達が以前に見た様に、「源泉」のためのドイツ語 Quelle からの)イエスに帰属させられた源泉の収集、Q であり;キリストの再来(太陽の復活)を見たと主張した洗礼者ジョンの弟子達であり;ジュダスの(税金に対する)反乱で;エジプトから到来し、オリーヴ山の麓で彼の弟子達を集め、エルサレムを破壊すると脅かし、その寺院の神官達(i.e. 官僚達に対して反乱した預言者の説明で;そしてイエス・キリスト(文字通り、太陽オイル)の死と復活を通した救い(冬から春に成る自然界の法則)に関してポールによって宣教された、確立されていたグノーシス派の神学/教義で、生命の象徴であるエジプトの十字架、アンクによって表されました(これは後に、更に詳しい詳細において思考されます)。

イエスの生誕の地としてベツレヘム(パンの家)を名付けたのは、単純に、旧約聖書の預言の一つが達成されたと証明する望みの結果でした。ユダヤ人達によって、ジュデア(パレスチナ)のベツレヘム(太陽神経叢)で生れたと信じられたデーヴィッド王の子孫としてキリスト(オイル)が生れるであろうと言う、根強いユダヤ的な伝統がありました。故に、イエスのネイティヴィティー(誕生/天宮図)の説明を供給したマヒューとルークの両方が、彼の誕生地をベツレヘムとして与え;マヒュー(2:5)は、彼の明言の補佐として、ミカ(5:2)を引用します。

フランス人の学者、P. L. Couchoud は、彼の著書イエスの謎の中で、著者の目的に相応しいなら、時制(過去形/現在形/未来形等々)が変えられた、イエスの生と死の福音書的な説明において見つけられる主な出来事の多くの、旧約聖書の根っこ(語源)を辿りました:

処女(i.e. 乙女座)の懐妊。「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエル(イマニュエル)と呼ぶ」(イザヤ7:14)。

ベツレヘムにおけるイエスの誕生。「まことに、主は彼らを捨ておかれる/産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は/イスラエルの子らのもとに帰って来る・・・」(ミカ5:2)

東の星。「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏(セプター/王杖)がイスラエルから立ち上がり(昇り)・・・」(民数記24:17)。

賢者(マギ)。「シェバの人々は皆、黄金と乳香(線香)を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる」(イザヤ60:6)。

エジプトからの脱出。「まだ幼かったイスラエル(ヤコブ)をわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」(ホセア11:1)。

情熱。「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった」(イザヤ53:5)。

2人の泥棒達の間の磔(神経交差)。「罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった」(イザヤ53:12)。

天罰。「打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」(イザヤ50:6)。

イエスの最後の叫び。「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか・・・?」(詩編22:1ではなく2)。

磔(神経交差)。「(直訳)彼等は私の手と、私の足を貫いた/または、口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる」(詩編22:16)

彼の衣服のためのくじ引き。「わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く」(詩編22:18ではなく19)。

十字架における場面。「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。』」(詩編22:7-8ではなく8-9)。

イエスの誕生の逸話においてでさえ、私達は福音書(新約聖書)がその内容のために、どれだけ旧約聖書に頼るかの、もう一つの例を見つけます。旧約聖書はイエスの誕生の詳細を一切供給しないので;マヒューは故に、モーゼスの誕生の周りの出来事の、旧約聖書の説明を応用し、ファラオ(エジプトの神官王)の代わりに、(ローマの代官)ヘロッドに「2歳以下の全ての子供達」を殺す事を命じさせ、その際にモーゼスはナイル川のほとりの繁みの中で見つけられましたが、イエスは飼い葉おけ(i.e. 太陽神経叢)に寝かされました。

イエスの使命の本質は、イザヤの唄(聖歌)の中にまた反映され、それをクムランのエッセネ派は、彼等の先生の公正さに言及していると解釈しました。第一人称において讃美歌を含んでいる死海書の文献の一つである聖歌の巻物の中において、「その讃美歌の作者(その先生)は、1世紀後にキリスト教の著者達がそれらをイエスに応用する様に、イザヤの従者の唄を、繰り返し彼自身に応用しました。」例えば、その讃美歌の製作者とイエスの両方が、彼等自身をイザヤが(61:1-2において)こう言う人であると宣言します「わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために・・・主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め・・・」(ルーク4:16,22の中で繰り返されます)。讃美歌の巻物の中で、その聖歌の製作者は繰り返し、「悲しみの人で、痛みと病、軽蔑と拒否によって圧倒された」様に現れます。クムランのエッセネ派は、洗礼者ジョンの様に、(牡羊座の時代の)世界が終わりに来た時の、裁定の日に再来する救世主(i.e. 魚座の時代)である、アノイント(オイルを塗る儀式)をされたキリスト(魚座/オイル)を語っていました。新約聖書がどれだけ延長的に、旧約聖書に頼っているのかは、1904年程早期に、ニューヨークにおいて出版された、ドイツ人の学者、アドルフ・ヴォン・ハルナックによる歴史的な研究、(西暦の)最初の3世紀における、キリスト教の広まりの第1巻の全体の章の題材でした。彼はこう記述しました:「旧約聖書は、それ(キリスト教/新約聖書)が、本の宗教に成る寸前まで、影響力を及ぼし・・・新約聖書は全体的に、教会の使命と実行(宣教)において、旧約聖書と同じ役割は果たさず・・・旧約聖書から、イエスの現れと歴史の全体は、何百年も、更に何千年も以前に預言されていて」 - 私は「記録されていた」と言いますが - 「地上の全ての国々から構成される新たな人々(i.e. 覚醒した人々)の確立は、正に始めから預言され、そして準備されていました。」

正式に認められた福音書を記述した4人の福音書伝道師達はいずれも、彼等自身が描写した出来事の、実際の目撃者達では無かったと、現在では受け入れられる様に成りました。しかしながら、彼等は、紀元前3世紀の、アレクサンドリア(の大図書館)において産出された、旧約聖書のギリシャ語版の翻訳を含み、様々な源泉(文献)が利用可能で、そして使用しました。更に加えて、彼等の福音書の多くの要素は、文字通りに解釈される事を意味せず、むしろ象徴的で例え話的でした。彼等の主な関心は、キリストについての隠された真実の宣言でした。この理由のために、福音書の文章は、それらの元々の形状において、歴史的なデータも、地理的な位置も含みませんでした。歴史的な設定を供給するために、その様な詳細が、教会の編集者達によって付け加えられたのは、後の事でした。これは、正式に認められた福音書の中に見つけられる、歴史的な登場人物も、地理的な位置も全く含まない、ナグ・ハマディにおいて発見されたグノーシス派の福音書からも鮮明です。

今日、4冊の福音書を含む新約聖書のコピーは - ギリシャ語だけでも5,000種あり - 西暦2世紀から16世紀まで、数千種存在します。全ての特徴において、全く同様な2冊はありません。最も早期の時代のキリスト教教会の流動的な状態は、その多種多様性の殆どが、西暦2世紀、または3世紀に由来する事実において反映されています。書生達は時に、彼等の宗教教義を、それが欠如している文献に加える、または対照的な見解を補佐すると取られる文献を変形(改竄)させる事によって、「オーソドックス(主流派)」の信仰として台頭してきていると見られたものに沿う様に、彼等の文献を書き換え(改竄)しました。旧約聖書の27冊と新約聖書によって構成される現在の「オーソドックス」な法令集は、何も加えられることが出来ず、何も削除される事が出来ませんが、西暦397年に開かれた北アフリカのカルタゴの第3委員会まで、正式な認定は受けていませんでした。

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感謝の手紙

サントスの最新のラジオ・インタヴュー
http://www.blackkatenterprises.com/archives/Vinny-Eastwood-32k-101315.mp3

リンクを右クリックでダウンロード可能。

1 565572295n

親愛なる仲間達へ、

7週間、私が刑務所に入れられていた間、善いエネルギーと良心的な願いを送ってくれた、美しく、心優しい人達に、心から感謝します。私は9月22日以後、解放され、それ以来、刑務所で与えられた粗雑な食べ物、精神的、感情的、そしてスピリット的な害から解毒して、治癒し、そして良好な健康へと回復する事に勤めました。私が思うに、私は未だ数週間必要で、その後に私はシンクレティズムにおける活動を再開したいと思います。私は信じられない程のサポートと手助けを与えられ、それは本当に私が耐えて、気持ちを強く保つ助けに成り、それについて私は本当に感謝しています。

私は、私の経験から、沢山の分かち合うためのものを得て、そして私はインターネットのラジオを使ってそうしたい(分かち合いたい)と思いますから、近い将来、情報と新たな素材をリリースするでしょう。

このフェースブックのページはシンクレティズムに献身するので、此処に投稿するのは私だけでは無く、過去1年ぐらいにおいて、皆さんも気づいた様に、その他の仲間達も此処に投稿します。

魂の進化が低級で頭の弱い物質主義者達が、獣(システム)に奉仕し、命令に従い、私達に対して、そして私達の自由に対して、フェースブックを通して攻撃する事を、私はありがたく思わないので、私はその他の仲間達程、定期的にフェースブックは利用しません。彼等(パシリ達)のご褒美は、彼等の日頃の行いに相応しく、彼等はこの宇宙的な法則からは逃れられず、全ては時間の問題です!そうなるまで私達は、このメディア(ネット)を使い、真実を公表し、そして嘘を暴露しましょう。永続的な栄光に向かう途中の私達 - 真実を探求する者達は - 真実と愛は永遠なので、決して気を落とさなければ、私達は勝利するでしょう。貴方の行う全ての事において、真実と愛を裏切らなければ、栄光的で、永続的な未来は間違いありません。

この惑星地球において、それぞれのレベルで、多くの人達が覚醒しているので、私達は素晴らしい物事のすぐ目の前である事に、私は自信を持っています。私達自身に欠けている事を、私達が正そうとするので、私達の周りの世界も改善し"as above, so below, as within, so without" で、この法則に間違いはありません!

近い未来において、素晴らしく、新しいものを分かち合える事にワクワクしています。

Omnia Vincit Veritas

サントス。

https://www.facebook.com/santos.bonacci/posts/705212676246644?fref=nf

Music by Santos Bonacci


1 5509056175443687057n

「私達が本物で、私達が神の息子達(子供達)です。
私達は光によって産出される、光の子供達です。
私達は光に戻り、私達は光に奉仕します。
私達は真実に奉仕し、そして真実のために生きて、死にます。」
- サントス・ボナチ


amazarashi 光



サントス・ボナチ
http://chilledvodka.blog.fc2.com/blog-category-2.html


UniversalTruthSchool.com
宇宙的な真実の学校
http://universaltruthschool.com/


Syncretism Radio Archive 2015
シンクレティズム・ラジオ・アーカイヴ2015
http://astrotheologyradio.com/albums/syncretism-radio-archive-2015/


MrAstrotheology
ミスター宇宙神学(ビデオ)
https://www.youtube.com/user/MrAstrotheology/videos


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Moon, Mooney, Money・・・Lunacy

MOON, MOONEY, MONEY・・・LUNACY
http://forum.davidicke.com/showthread.php?t=280620


マネーの起源を調査していたら、幾つかの興味深い関係を見つけました。紙幣以前には、貨幣が使われていました。幾つかのとても古く、珍しいコインを観ている内に、私はパターンに気付き始めました。それらの幾つかは、20,000ドル位で売りに出されていました。それらのコインの出処は、世界中からですが、ある一つの共通のテーマがありました・・・

1 mooney1

デーヴィッド・アイクが月について明かした事を頭に入れておくと、マネー(money)、またはムーニー(mooney)の本質は、完璧な意味を成します!マネーは、「表面上の価値」で受け取られ、大衆にとってその闇の側は、決して明かされません。丁度、月(moon)と同じ様に、私達は「表面上の価値」だけを見て、その闇の側は常に私達から隠されています。コインと言う単語は、以下の意味があります:

中期古英語:古フランス語の coin から、「楔(くさび/wedge)、角(corner)、打ち抜き型(die)」、coigner から「(貨幣を)鋳造する事 to mint」、ラテン語の cuneus から「楔」。その元々の感覚は柱石(基本/cornerstone)で、後に「アングル(角度)、または wedge(楔)で(quoin と綴られ);中期英語の後期にその用語はマネーをスタンプするための打ち抜き型を意味し、またはその様な打ち抜き型で産出されたマネーを意味しました。マネーは何を行うでしょう?気違い(LUNA-tics)の集まりを創造します!

「月と銀貨の間の関連は古いもので、太古の昔話と神話の一部です。(そして勿論、ニール・ゲイマンの著書、アメリカの神々の中の鍵の要素です。)月は空の中の銀貨の様に見え、そしてその光は銀色っぽいです・・・」

「・・・その国家の産出のレシートとして発行された事で、そして故に借金を造らない発行だった事です。国家の誠実さは、存在へと実に呼び出された、天文学的-金融的な神官階級によって代理/体現され(信用創造され) - 現代の口調を使うと - 「通貨」の発行は、頻繁に寺院に関係させられていました・・・)
- ジョセフ P. ファレル

「・・・これらのカルトの子孫達は、現在の世界システムの統治者/支配者達です。彼等は、私達が殆ど見たり聞いたりしない「世界を超えた」人物達です。公の舞台で私達が頻繁に見る人々の指導者達は、これらのプルートクラシ―(金権政治)的な「超階級」に雇われた単なる手下です。そのカルトとは、以下に続くもので、最初の4つが最も重要です:

ステラ―(星々/星座的)、ルーナー(月的)、サターニアン(土星的)、ソーラー(太陽的)・・・」
- マイケル・タツァーリオン


1 moon


月について非常に興味深い情報があります。イギリスの研究者が書いた、誰が月を造ったのか、という本の概要が以下のサイトに書かれています。以前、月はレプティ(リ)アンの宇宙船という情報を目にしたことがありますが、ナイト氏の解説でも月はやはり人工構造体だということが分ります。しかし誰が月を造ったかについては驚くべき答えが書いてあります。月とは本当に不思議な物体です。それに必ず同じ表面しか向いていません。非常に精密な動きをしています。地球上は満月に色々な影響を受けます。精神的にも身体的にも影響を受けます。本当に不思議な物体ですね。

(概要)
イギリスの研究者クリストファー・ナイト氏の著書:誰が月を造ったのか?について。

月は地球に非常に近い場所に位置しており宇宙で最も不思議な物体だと考えれれています。

ナイト氏は仲間と共に非常に熱心に月の研究を行い、その研究結果を本に書きました。

ナイト氏が調査した結果分かった月の実際の姿とは:

月は他の惑星のように固い中核部がありません。月の内部は空洞もしくは非常に低密度になっています。また、月の質量濃度は月の表面のすぐ下に点在していおり、初期の月宇宙船を大破壊しました。月は地球の表面から持ってきた物質で作られています。月の表面には浅い穴が残されており水が満たされていました。現在、これをパシフィックと呼んでいます。46億年前に地球が出来たころに、地球の岩が月に運び込まれ、素早く月が造られました。月は構造的にも非常に奇妙であるばかりでなく超自然的に機能しています。月のサイズは太陽の400分の1で、太陽と地球の距離の400分の1の所に位置しているため、上空では太陽と同じサイズに見えます。そのため太陽と月が重なると皆既食と呼ばれる現象が起きます。これは当たり前のように考えがちですが宇宙では最大の一致と呼ばれています。

さらには月は上空の太陽の動きと酷似しています。地平線上で月の昇る地点と沈む地点は太陽のそれらと全く同じです。ただ夏至冬至が逆になります。月も太陽も逆ではありますが同じ地平線上の位置から昇って沈みます。例えば、月は真冬に太陽と同じ地点から昇りますが、太陽は真夏にそこから昇ります。なぜ月がこのように太陽をマネるのかについての論理的根拠は何もありません。しかし地球に住む人間にとっては意味深いことなのです。

5000年以上も前に使われた非常に高度な測定システムとは、質量、次元そして地球の動きを基にしたものです。太陽系の全ての惑星と月には何等かのパターンがあるかどうかを調べた結果、月は太陽以外とは一致性がありませんでした。

つまり、月は地球と太陽の関係に倣った特殊なユニットを使って製造されたことが考えられます。見れば見るほど、全てが一致しています。

石器時代に使われた配列と測定システムは月の上でも完璧に機能します。それはいったいどのようなシステムなのか、どのようにして古代人がこのような知識を得たのでしょうか。これまで文明が何回も滅亡しても繰り返し同じシステムが使われてきました。

オックスフォード大学のソム教授が特定したものは、巨石場と呼ばれる存在です。西ヨーロッパに点在する石器時代の構造物の基となった精密な測定器(ストーンヘンジなど)があります。古代の人々がこのような知識を持っていたことは驚くべきことです。彼らは地球の回転を基にこのような非常に精密な線形ユニットを作ったのです。これらの容積と重量ユニットは今日でも使われています。

月は自然にできたものではなく、地球上の生命維持のために設計された可能性が高いのです。月は我々人間に独特の恩恵を与えてくれています。我々にとって月は生命維持のインキュベーターなのです。地球の進化のどの段階においても、月のサイズ、質量、距離が変わってしまっていたとしたら、地上には知的な生命は存在できなかったでしょう。科学者らも人間は月のお陰で生きていられると言っています。

月は地球を丁度良い角度で安定的に保ってくれる安定装置の役割があり、地上には四季を生み出し、世界中を水で満たしてくれています。月が無ければ地球は金星のように死の惑星となってしまいます・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51857449.html

月の謎

月は一般の人が考える以上に異質な天体である。
いや、すでに天体とはいえない代物なのかもしれない……


◆月の大きさ

 月は地球にさまざまな影響を与えている。潮の満ち引きを起こす潮汐力がよく知られているが、他にも地球で発生する地震や火山噴火との関係も指摘されている。月が地球にさまざまな影響を与えていると考えるのには一つの根拠がある。それは地球の衛星としては不釣合いなほどの大きさである。実際の大きさではない。惑星と衛星の関係として考えた場合のバランス比のことだ。太陽系最大の衛星である木星の衛星ガニメデは直径5280キロ、直径3476キロの月よりもかなり大きい。しかし、母惑星との質量比では、ガニメデが1万3000分の1であるのに対して月は81分の1である。
 
 同じく、木星の衛星カリストは1万7000分の1、土星の衛星タイタンは4000分の1――と、いずれも母惑星に対して数千から数万分の1の質量しかない。太陽と惑星の関係にしても同じだ。太陽系最大の惑星である木星でも質量は太陽の1000分の1しかない。単なる大きさとは考えないでほしい。子天体の質量が母天体の数千分の1以下しかないという事実は、そのまま惑星形成時の宇宙法則に関係がある以上、月の起源が他の衛星とはまったく異なっていることを示唆しているのだ。ただし、冥王星の衛星カロンだけは、月と同じく母惑星に対する子惑星の質量比が異様に大きい。(別項『冥王星の謎』参照)

◆月の起源

 月の起源に関する仮説としては1975年に発表された衝突説(ジャイアント・インパクト説)が、現在最も有力である。これは、40億年以上前、火星ほどの大きさの惑星が地球に衝突し、その際地球の軌道上にはね飛ばされた破片が凝集して月になったという説で、月の石の調査後に発表された。しかし、衝突説でもすべてが説明できるわけではなく、決定打とはなっていない。 わたしが支持しているのは捕獲説である。これは、かつて月は完全に独立した惑星だったが、地球の重力場に入ってきて補足されたとするものである。口で言うのは簡単だが、天文学的な確立である。それでもなお、わたしがこの説を支持するには理由がある。しかし、話題が外れるのでここでは詳細を避ける。あえて結論だけを言うならば、月は本来衛星ではなく、れっきとした惑星だったということだ。

◆月震の謎

 アポロ12号が行った初めての人工月震の実験で思いがけないことが起こった。月には地震が起こらない。しかし、月の内部構造を知るためにはどうしても月に地震(正確には月震)を起こす必要がある。そのため、アポロ12号では、着陸船に乗りこんだ宇宙飛行士が司令船に帰還した後、月着陸船を月面に衝突させて人工的な月震を引き起こした。そのとき信じられないことが起こった。震動は月面に設置した月震計で計測したが、なんとこのとき月面は1時間近くも震動し続けたのだ!!この事実にNASAは驚いた。何かの間違いではないかと思い、アポロ13号と14号でも第3段ロケットや月着陸船を月面に衝突させる実験を行った。
 
 しかし、どの場合も月は3時間以上震動が続いたのだ。研究者たちは、地殻の裂け目の影響や、月の岩石は歪みが少ないためといった仮説を提示しているが、月の内部構造と月震の関係を無理なく説明できる説はいまだにない。しかし、これも単純に考えればよいのだ。月震の震動パターンは、初期微動から次第に振動が大きくなってピークを迎え、波動を維持しながらゆっくりと消えていくという形を取る。これはちょうど中空の釣鐘が示す震動パターンと同じである。それなら、月の内部構造も釣鐘のようになっているのではないか?すなわち、月の内部は空洞になっているのだ!!

◆月の海の謎

 月には『海』と呼ばれる、見た目に黒っぽい模様の部分がある。広いところで5000万平方キロ。レアメタルを大量に含んだ溶岩性物質で覆われている。ちなみに、レアメタルとは宇宙船や超音速偵察機の材料に使用されるほど融点の高い金属物質で、耐熱性に優れた非常に堅い金属のことである。こうした溶岩性物質をつくりだすには4000度もの高熱が必要である。しかし、月面の火山活動や隕石衝突時の熱エネルギーだけでは、「海」そのものの生成起源について、明確な説明をつけることができないのだ。
 
 そもそも、レアメタルは非常に重い物質であるため、惑星形成時代に核付近にまで沈んでしまうはずである。星の内部を構成するような比重の重い金属物質が、地表に大量に存在しているなど本来なら絶対あり得ないことなのだ。ここにルナー・オービーター5号が観測した興味深い調査報告がある。それによると、月の周回飛行を行った際、月の海の部分にさしかかると必ず下から引っ張られるという現象が起きたというのだ。これは、非常に重い金属物質が月の海を形成している証拠である。月の海は質量集中地帯(マスコン)であり、そのため重力異常が起きているのだ。

◆月の核の謎

 高温の金属核をもつ天体の大多数には、必ず磁場が存在する。一方、月にはまったく磁場が存在しない。では、月には核が存在しなのかといえば、それは違う。アカデミズムによると、金属核はあるが、非常に小さなものなので磁場をつくりだすことができないのだという。しかし、奇妙なことがある。月の岩石には、地球に匹敵するような強い磁場の痕跡が見られるのだ。地球の磁場は液状の鉄の地核の中を流れる電流によって生じる。しかし、先ほど言ったように、アカデミズムの推測によると月にはごく小さな金属核しかないという。それならば、月の内部は鉄が溶けるほど高い温度だったことはないはずだ。
 
 天文学者による説明は二つある。一つは、月はもともと寿命の短い放射性元素を含んでいて、それが最初の100万年ほどの間に強い熱を放射していたというもの。その熱が月を溶かし、中心部に沈み込んだ溶けた鉄の小さな核を作り出しそれが磁場をつくったと説明する。もう一つの仮説は、当時、月が生まれたあたりには強い磁場が存在していて、月はその磁場にさらされていたというものだ。しかし、これももっと単純に考えてよい。すなわち、かつて月には磁場を生みだすほどの高温で巨大な金属核が存在した。しかし、あるとき失われた。月になんらかのカタストロフィーが襲いかかり、月の構造をまったく変えてしまったのだ。

◆クレーターの謎

 月には数多くのクレーターがある。クレーターとは隕石の衝突や火山爆発によって、天体の地表にできた穴のことである。月の場合、火山活動がないので、クレーターはすべて隕石によってできたと考えられている。しかし、隕石性のクレーターのわりにはおかしな点が多々あるのだ。隕石性のクレーターは衝突時の爆発エネルギーによって形成されるため、クレーターの直径と深さは比例関係にある。しかし、月のクレーターは直径の巨大さのわりに深さが非常に浅いのだ。月面において一番標準的なクレーターの深さは約6キロである。いや、どんなに巨大なクレーターでも深さ約6キロで統一されていると言った方が正しいだろう。例えば、直径298キロのガガーリンクレーターは深さ約6キロ、直系1300キロもあるマーレ・オリエンターレクレーターでも、深さは約6キロなのだ。
 
 こんなことは普通の天体では絶対にあり得ないことである。そう、普通の天体なら。実は、月とまったく同じ特徴を有する天体が存在している。それが木星の衛星であるガニメデやエウロパだ!!1996年、木星の衛星エウロパの地殻が氷で形成され、内部に膨大な量の熱水が詰まっていること、同じく木星の衛星ガニメデも同じ構造の天体であることをNASAが認めた。あまり知られていないが、こんなことは数多く飛ばした木星探査機によって、と(っ)くの昔に判明していた。その手に詳しい天文学者たちなら何をいまさら、という感じで公式発表を聞いていただろう。エウロパやガニメデのような氷衛星に隕石が衝突するとどうなるか?もちろん、とてつもない爆発が起きて、クレーターが形成されるだろう。しかし、すぐに消えてしまう。
 
 なぜか?衝突時の大爆発で溶けた氷がクレーターに流れ込み、再び凍ってクレーターを埋めてしまうからだ。だとすれば、月も氷衛星だと考えることができる。ただし、月の場合は深さ約6キロの表層が月の外殻である氷の層を覆っている。ゆえに、クレーターの大きさにも関わらず、深さが約6キロどまりとなるのだ。人工月震による月内部構造調査の結果、地震波の速度が地下24キロ地点から異様に加速されることが分かった。このことは、表層が別の物質で二層に分かれており、さらに表層深部(地下24~70キロ)の基本構造が、分厚い氷層によって形成されていることを示唆している。おそらく、6キロまでが宇宙塵や隕石によって形成された月の表層であり、それより深部が砂と氷が入り混じった混合層で形成されているのだろう。

◆結論・・・
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/227.html
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キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第20章

CHRISTIANITY: AN ANCIENT EGYPTIAN RELIGION
AHMED OSMAN
キリスト教: 太古のエジプト的な宗教: 第20章
アフメド・オスマン著

パート3

第20章: 鍵の守り人達


西暦1年の終盤は、対立するコミュニティー(宗派)を統治し、混乱している信仰に一定の秩序をもたらそうと試み、権威(命令系統)を確立しようとした「司教達(官僚達)」の台頭を目撃しました。キリスト教徒達に対して最初の警告の矢を放ったのはピーターの4代目の後継者とされる、最初の司教達の内の1人であり、ローマの司教であった、クレメント(西暦90-95年)でした。

クレメントは、教会の指導者達(官僚達)が、「地上の統治者達」として、神によって任命され、故に人々は、言うなれば、彼等(官僚達)が「信者達」と呼ぶ者達の上で、命令と判断を行う権力と共に、その王国への鍵を与えられたので、司教達と神官達(i.e. 官僚達)の権威に屈するべきであると主張しました。

コリントの使徒への手紙の最初に、彼はこう記しました:「使徒達は私達のための福音書を、主、イエス・キリストから受け取り・・・彼等は、彼等の最初の実りを、信じられるべき司教達とディーコン(助祭/ゾディアックの10度のアングル/エンジェル)として任命しました。」司教達は、順を追って、彼等の後継者を任命する事が出来ました:「私達の使徒達は、私達の主、イエス・キリストを通して、司教の役職の名において、紛争が有ろう事を知っていました。この理由のために、故に、完全なる事前知識を受取り、彼等は事前に述べられた人材達(司教達)を任命し、そしてその後、継続性を供給し、もしそれらが眠りに落ちる(役に立たない)と、それらの役職に、新たな人材を任命しました」(I クレメント:44)。(此処において、使徒の名前 - ポールもピーターのどちらも - 上げられていません。)ローマにおける教会(i.e. ヴァチカン)は、この様な方法で組織化した最初で、その例は続く世紀において、その他の分派によって続かれました。

「司教達(官僚達)」は、彼等自身の権威を確立するための正当化が必用でした。彼等がポール(パオロ)に頼る事が出来なかったのは、何故なら彼が、キリストとの出会いは物理的では無く、スピリット的であると、はっきりと明言したためで、そして彼は、彼が確立した教会において、神官階級(官僚)を、全く確立しなかったためです。

ポールの手紙は彼が、ジェンタイル(異邦人)達と同時にユダヤ人達に宣教(教える)に際して、邪悪な世界へと生れた救世主の概念の彼の紹介/教えにおいて単純に、エルサレムの使徒達から異なっていた事を鮮明にします:「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(ガラテアの使徒への手紙1:3-4)。神によって任命された救世主(苦悩している従者)が既に生きて、生贄にされたと言う信仰は、私達が目撃した様に、紀元前6世紀において記述していたイスラエライト族の預言者、イザヤによって最初に発せられました。しかしながら、復活(i.e. 冬至)のイザヤの解釈は、苦悩している従者(イエス/太陽)に限られており、エッセネ派も、サイモン(ピーター)も、イエスの復活(クリスマス)を、人類のための救済/贖いとして表しませんでした。キリスト(オイル)において信じる者達の復活(再生/覚醒)について最初に語ったのは、グノーシス派の福音書と、ポールの手紙でした。

加えて、ポールは「十字架(i.e. 神経交差)の神学」を明確にしました。彼の十字架はローマの処罰の十字架では無く、エジプトの十字架、アンクで、それは生命の象徴であり、死ではありませんでした。最初の3世紀の早期のキリスト教徒のコミュニティーは、主に彼等の象徴、アンク、または魚(i.e. 魚座/キリスト)を使い、それは紀元前4000年からの、上エジプトのアビドス(の街)のお墓における復活(i.e. 冬至)を示唆していました。アンクはまた、アケナーテン(モーゼス)の時代から、太古のエジプトの寺院の城壁とお墓の彫刻に見られ、其処において太陽の光線は(主)アテンを象徴し、王と女王へと向けられ、彼等に生命の鍵であるアンクを、彼等の手に分配しています。早期のキリスト教徒達が、その象徴(アンク/十字架)を、死に対するキリスト(オイル)の勝利のサインとして応用したのは、永遠の命の象徴としてのアンクの肯定的な重要性のためでした。

サイモン(ピーター)も、エルサレムの使徒達、ジェームズもその他の12名の使徒達も、十字架/アンクを、キリスト、または彼等自身のコミュニティーの象徴として語っているのを引用された事は一度もありません。実際に、縦の棒が、より短い横の棒に重なるローマ-ラテン(i.e. ヴァチカン)の十字架が、一般的なキリスト教の信仰の象徴として - 新約聖書の逸話を通して - 確立されたのは、西暦5世紀以後の事であって、十字架の上のキリストの体が体現されたのは、それ以後の世紀においてでした。

エジプトのアンクの、肯定的(陽的)な重要性は、ポールの十字架の神学が、イエスの苦悩と死に集中せず、彼(太陽)の復活(冬至/クリスマス)と永続的な生命(スピリット)の約束に集中した事に反映されました。アンクは生きているイエスを体現し:「生きているのは、もはやわたしではありません。キリスト(オイル)がわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(ガラテアの使徒への手紙2:20)とされ、それは「内なる神」のグノーシス派の概念を強調します。

ポールの代わりとして、「司教達(官僚達)」は故に、彼等自身が育成する事を望んだ命令系統/社会階級において組織化されたエルサレムの教会の、「ピーターと呼ばれるサイモン」に着目し、そして後継の彼等の使徒的な流れを確立するために、ピーターが投獄から奇跡的に脱出し、彼の人生の後期をローマで過ごし、其処で彼は最終的に殉職し、そして彼はイエスと同年代で、彼(イエス)によってキリスト教教会の代表として任命されたと言う、ピーターの伝説を創造(i.e. 捏造)しました。

ピーターへの最も早期の聖職的な言及は、ローマの司教であったクレメントによって成されたと言われます。西暦95年に彼は、その文献が都合良くこう与えられているコリントの使徒への手紙を書きました:「嫉妬と妬みのために、教会の最も公正な柱が迫害され、死刑に処されました。私達は、非公正な嫉妬のために、1度でも、2度でも無く、何度も強制労働させられ、故に彼の証言をした後、彼の約束された栄光の場所に逝った、善き使徒ピーターを、私達の眼に焼き付けましょう。嫉妬と争いのために、ポールは彼の例によって、忍耐強い我慢の結果を指摘しました。彼が7度囚われた後、彼は追放され、投石の刑にされ、東と西において宣教し、世界全体に公正さを教え、西洋の最も遠い国境に届いた後、彼の信仰の全体であった崇高な名声を彼は勝ち取りました・・・」

ピーターと呼ばれる誰かの死は記録されていますが、彼がローマを訪れた、または其処で殉職したと言う示唆は全くありません。更に加えて、「ピーター」と言う名前ははっきりと記述されておらず:最後の2つの文字「ER」がその文章に無いので、連想によって供給されています。その様な状況において、その言葉の意味は不鮮明です。その逸話が更に発達させられたのは、西暦160年以後の事でした。コリント(ギリシャの街)の司教、ディオニッソスは、エウゼビウスは教会の後の歴史の中で、こう述べたと引用しました:「ピーターとポールの両方が、私達のコリントで教え、私達の創始者達であり、イタリアにおいて同じ場所で教え、同じ時に殉職しました」(i.e. 捏造)。

西暦3世紀の初期の年に成ると、ピーターのローマへの旅と殉職の伝統は、補佐する証拠が全く無いにも拘らず、確かであると確立され、ですから今日までもそう信じられています。幾らかの現れた気休めは、ピーターの殉職の直前に、ローマにおいて書かれたと、キリスト教の学者達が年代鑑定する、聖者ピーターの最初の手紙によって供給されます。しかしながら、更に最近の研究はその手紙が、西暦2世紀の間に、他の誰かによって書かれた事を示唆します。最後から2番目の1行:「バビロンである教会は・・・貴方によろしくと・・・」(5:13)の中の特定の言葉は、その正当性に疑いを投げかけます。此処で、「バビロン」は、ローマのためのコードワード(隠喩)として受け取られますが、私達は - メソポタミアとエジプト(古代のカイロ)の街々を意味する - バビロンと言う名前が、ローマの司教達によって、ローマの隠喩として使用された例を、新約聖書の中、または当時のその他の文献の中にも、一切見つけません。バビロンがローマのためのコードネームだったとする証拠として挙げられた早期のユダヤ的な記述、シビライン(Sibylline)の預言は、西暦2世紀の最後の25年に年代鑑定される、典型的なペイガン(異教徒)の預言です。ローマに対する熱烈な毒舌に溢れ、その街に起こるであろう処罰を預言する、その書の第8巻に、特別の重要性が与えられます。此処で再び、その文献の中で、バビロンがローマと同義語であると示唆するものは、何もありません。

教会の初期において、ピーターをキリスト教教会の代表に任命したとするイエスを、ピーターと同年代とするキャンペーン(宣伝)は、ポールの重要性を過小評価するキャンペーンと共に追随されました。この2番目のキャンペーンは、使徒言行録の書の現れと共に、西暦2世紀の最後の25年において、文字通りの/文献的な形状が与えられました。伝統的に、西暦2世紀に年代鑑定されるオリジナル版の著作権は、正式な福音書の3冊目の著者、ルーク(ルカ)に帰属させられ、そして(それは) - 文献、または口述の情報に基づいた、パレスチナにおける早期の教会の歴史と、ルカが同行したと言われる、ポールの後の宣教的な旅の説明の - 2つの部分へと分けられています。

使徒言行録はしかしながら、西暦170年と180年の間に記述していた、リオン(フランス)の司教で、早期の教会の神父達の内の一人であった、イレナエウス(西暦130-202年)によって、初めて記述されます。その出来事とその書の間の1世紀の隙間に加え、ポールの手紙と使徒言行録の中に表された逸話の間の多くの矛盾は、先の世紀(19世紀)において学者達が、ルークがポールの旅の詳細の幾らかを貢献したかも知れない間、その書(使徒言行録)は、「ピーターと呼ばれたサイモン」と、彼のユダヤ-キリスト教教会の重要性を強調するために、西暦2世紀において、その他の文献から引き出され、大々的に編集されたと言う結論に至る様に導きました。ノッティンガム大学(英国)のキリスト教神学の教授、A. T. ハンソンは、彼の著書、再検証版の使徒言行録の中で、「使徒言行録が、西暦170年以前に、キリスト教徒達によって認識され、広く使用されたと言う事を、私達が絶対的に確かだとする事は出来ません」と指摘しました。

使徒言行録の書の最も早期のコピーであるアレクサンドリア文献と、西洋文献として知られる後のギリシャ語の文献の間の比較は、特にポールを過小評価して位置付けようと意図された、編集行程が起こった事を明らかに見せます。その行程はポールの改宗の2つのヴァージョンにおいて、特に顕著です。使徒言行録の書は、ポールの「アラビア」への訪問について、全く触れません。代わりにそれは、エルサレムの教会をポールの信仰の源泉として彼をリンクさせる形状において、ポールの改宗を表します。ポールが見つけたあらゆるキリスト教徒達を逮捕し、裁判のためにエルサレムへと連れて行けと言う命令と共に、彼がエルサレム(パレスチナ)からダマスカス(シリア)へ向かった際に、彼がイエスと出会った詳細を、私達が見つけるのは此処においてです。彼(サウル/ポール)のヴィジョン(目からうろこ)の後、彼はユダヤ-キリスト教徒であるアナニアスによって洗礼された(9:18)と言われ、そしてダマスカスにおいてユダヤ-キリスト教の使徒達と数日過ごした後、「直ぐに彼は、彼(イエス)が神の息子であると、シナゴーグにおいてキリストを宣教し」(9:20) - つまり彼(Saul/Paul)は、ユダヤ-キリスト教の使徒達が彼に教えたものを宣教したと言われます。

第9章は、ポールを殺害するための、ユダヤ人達の計画を目前にして、どの様にして彼がエルサレムへと逃れ、最初はキリスト教徒達によって拒まれましたが、バルナバスによる使徒達への紹介の後、ポールが彼等の社会に受け入れられたのかを説明します。彼は、彼の命に対する新たなユダヤ人達からの危険のために、彼自身の説明が明言する様に、彼は、シリアとシリシアでは無く、特に彼の生誕地であるタルサスへと逃れる原因に成るまで、福音書を宣教するにおいて、彼は、彼等(使徒達)を活発に補佐しました。

ポールの改宗の2つの説明と、それらを説明する動機の間の矛盾は、ドイツ人の学者、エドワード・ゼラーによって、彼の権威的な著書、使徒達の言行録の中で分析されました:

「その説明は、ガラテアの使徒への手紙の中の、使徒達自身の明言と共に、部分的にでも調和させる事は不可能です・・・[彼/ポールの]アラビアへの旅について、使徒言行録が全く沈黙しているだけで無く、そのためにあいている部分を一切与えません。もし彼(ポール)が、ダマスカスにおいて、キリスト教徒達と共に幾らかの間、最初に旅をして、福音書を宣教し始めたとして、その他の者達との事前の会議無しで、彼の改宗の直後に、彼がアラビアに行ったと、どうしてその使徒達は言えるのでしょう・・・?

[使徒言行録によると]エルサレムにおいてポールは、彼がしばらくの間知り合いに成っていた、使徒達の前へともたらされました。ガラテアの使徒への手紙の中で、その使徒自身が、彼はセファス(ピーター)に会う為にエルサレムへ行きましたが、その他の使徒達については、主の兄弟であるジェームズ以外は出会いませんでしたと、真面目な断言と共に強く主張します。ガラテアの使徒への手紙の説明は全ての人間的な権威からの、ポール(サウル)の独立性と、特に創始の(エルサレムの)使徒達の全ての影響からの独立性を証明する事を、公然と認める目的を有しました。ですがこれは、正に使徒言行録の著者が求めていたものではありませんでした。彼のナレートは故に、真逆に計画され、始めからポールが、12人の使徒達と、ユダヤ人達と、親密な関係であったとします。

故に、アラビアへの旅に関する沈黙で;故にその使徒(ポール)の改宗と彼のエルサレムへの最初の旅の間にあった3年間の短縮で;故に、この街(エルサレム)における彼の旅の延長で;故に、ポールが本当に使徒として出会った2人の使徒達の延長で;故に、ガラテアの使徒達には知られていなかった、使徒達との素晴らしい交流で;故に、それ自体が不可能な、エルサレムにおける福音書の宣教です。

その中において、後の説明が矛盾する、間違いなく歴史的な特徴の全てが、一つで同じ動機によって単純に説明された時、これ等の矛盾の原因は、その正に動機の中に求められるのは、正しく最も高い度合の可能性です。」

その同じ行程の、その他の例を挙げるのは可能です。例えば、バルナバスはその教会のライバルの分派の指導者でしたが、使徒言行録の書は、アンティオーク(の街)において教会を確立するために彼を送り込んだのは、エルサレムの使徒達であったと主張します。エルサレムの委員会のその説明においてまた、ジェンタイル(異教徒)達に宣教する権威をポールに与えたのは、エルサレムの使徒達であるとされますが、彼(ポール)自身の説明は、その権威を与えたのは彼等(エルサレムの使徒達)では無く、唯単に、彼の手紙のその他の場所で繰り返されているメッセージを私達が見つける様に、彼が既にその他の源泉からそれ(宣教する権威/許可)を得ていた事を認識するだけで:「記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、異邦人(ジェンタイル)のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません・・・」(ローマの使徒への手紙15:15-16)。

エドワード・ゼラーはまた、ポール自身の説明から矛盾するのとは別に、彼の改宗の使徒言行録の説明は、それ自体を「不信」へと露出する幾つもの内的な矛盾を含んでいると指摘しました:

「[ダマスカスへ向かう途中の道における、彼の改宗とされる時点で]ポールの同行者達について、(使徒言行録26:14では)「 私たちが皆地に倒れたとき・・・」と言われますが、(使徒言行録9:7では)対照的に、恐怖におののいてポールが地に伏せた間、彼等は驚いて立ち尽くしたとされます(「同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた」)。その2つは和解されることが出来ません・・・

同じ人達について、彼等は実際にポールに語りかけた声を聞いた(9:7)と言われますが、姿は見えず;(22:9においては)、対照的に、「一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした」と言われ・・・更にもっと重要な事に、ヴィジョン(26:16-18)において現れている、イエスに帰属された言葉の幾つかは、(9:15において)アナニアスへのイエスの演説とされ、22:15,21においては、ポールの2度目の登場における、部分的にアナニアスと、部分的にイエスの演説とされます。」

ポール自身の説明と、使徒言行録の書のヴァージョンの間の矛盾への合理的なアプローチは、私達が以前に目撃した様に、ヘイデルベルグの神学の教授、マーティン・デベリウスによって、彼の著書、ポール* の中でまとめられました。サイモン(ピーター)の実際の西暦44年における死として解釈された、第12章における彼の逮捕と投獄の説明の後、私達は - サイモン(ピーター)の逮捕と投獄の前に処刑されたとされる - ジェームズが、その後のエルサレムの委員会における、エルサレムの使徒達の代表として現されているのを見つけます。これは、もしサイモン(ピーター)が死んでいたのなら、理解可能な出来事でしょう。しかしながら、その会議(委員会)の責任者としてジェームズが登場する数節前に、私達はサイモン(ピーター)が、いまだ健在であると伝えられ - 彼は、彼を嘘つきとする役割しか果たさない言葉を、彼の口で言わされます。彼は、使徒達と長老達にこう言ったと引用されます:「議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。『兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人(ジェンタイル)が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです』」(15:7)。これは、サイモン(ピーター)についての、真実であるはずがありません。彼は、新たな契約 - 「洗礼を受け、私の訓令を守れ」は - モーゼスの法を守る、割礼(奴隷の印)を受けたユダヤ人達にのみに応用可能であると教えました。その全ての証拠は、「ピーターと呼ばれるサイモン」の名前が、この時点において、未だに健在であると言う、神話の一部として付け加えられた事を指摘します。
エルサレムの会議の後、サイモン(ピーター)の名前は、その逸話から全く消えて無く成りますが、その間ポールは、彼の2度目と3度目の宣教の旅に出ます。使徒言行録の書は、どの様にして、彼の最後の回帰において、彼がエルサレムへと戻り、其処で彼が暴動的な集団(ユダヤ人達)によって、寺院を汚染したと非難され、殺される寸前だった時に、ローマの兵士達によって彼が逮捕された事を描写します。彼は、カエザリア(の街)のローマの代官、フェリックスの監督下で拘留されました。ローマの市民として、(ローマ)帝国の裁判所で裁判される彼の権利をポールが主張した時、彼がローマへと送られるべきであると判断され、その旅は、彼を乗せた船が途中で難破したので、数か月かかりました。

その書の最後の節は、ローマにおける裁判に実際に面する代わりに、どの様にしてポールが「自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(28:30-31)のかを描写します。ですが、ピーターがローマに住み、最終的に其処で殉教したと言う、後の伝統にも拘らず、私達はこの信仰を補佐する証拠を、新約聖書の中に、全く見つけません。

ローマにおけるポールの日々についての使徒言行録の書のナレート(筋書)は、「ピーターと呼ばれたサイモン」が其処にいた、または以前にいたとは一切示唆せず、そしてローマの教会(ヴァチカン)へのポールの手紙は、この教会が「ピーターと呼ばれたサイモン」と、何らかの拘わりを持っていたと言うヒントを全く与えません。それ処か、私達はポールの最終的な死の正確な詳細は一切有しませんが、キリスト教時代の最初の世紀における出来事の、私達が有する最初の記述された証拠である、教会の点在した分派へのポールからの様々な手紙が書かれた直後の、西暦64年、または67年において、キリスト教徒達に対する、多彩で狂暴な、帝国的な迫害者、(皇帝)ネロの手によって行われたと言う、西暦2世紀の伝統が存在していました。

* 「使徒言行録の中に表されたポールについての情報は、自伝的では無いので、頼りに成りません;そしてもしそれが、手紙(またはポール)の明言と明らかに矛盾するなら、それは2番目の場所をとるべきです(手紙/ポールの明言が、優先されるべきです)。」


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エノク書

They know that the heavenly luminaries change not their paths; that each rises and sets regularly, every one at its proper period, without transgressing the commands, which they have received. The(n) behold the earth, and understand what is there transacted, from the beginning to the end of it.
彼等(人々)は、天界的な発光体(i.e. 太陽系の惑星)が、それらの通り道(軌道)を変えず;それらのそれぞれが、それらが(神から)受け取った命令に逆らわず、それぞれの正しい期間に、定期的に昇り、そして沈む事を知っています。地球を見て、始まりから終わりまで、其処で行われた事を理解しなさい。
- エノク3:2


1It happened after the sons of men had multiplied in those days, that daughters were born to them, elegant and beautiful.
それは、人々の息子達が当時増え、彼等に気品ある、美しい娘達が産まれた後に起こりました。

2And when the angels, (³) the sons of heaven, beheld them, they became enamoured of them, saying to each other, Come, let us select for ourselves wives from the progeny of men, and let us beget children.
そして、天界の息子達である天使(エンジェル/アングル/アヌンナキ/天孫)達が、彼女等を見た時、彼女等に恋をして、お互いにこう言いました。さあ、私達は、人々の子孫(娘)達から、私達自身のために妻を選び、そして私達は子供達を授かりましょう。

(³) An Aramaic text reads "Watchers" here (J.T. Milik, Aramaic Fragments of Qumran Cave 4 [Oxford: Clarendon Press, 1976], p. 167).
アラマイック語の文献は此処で、「ウォッチャー/観測者達」と読めます。

3Then their leader Samyaza said to them; I fear that you may perhaps be indisposed to the performance of this enterprise;
その後、彼等のリーダー、サムヤザは、彼等にこう言いました;私は貴方が、この計画の行いに乗り気で無いかも知れない事を恐れます。

4And that I alone shall suffer for so grievous a crime.
そして、私だけが、とても重大な犯罪のために、苦しむ事に成るかも知れません。

5But they answered him and said; We all swear;
ですが彼等は彼に答え、そしてこう言いました;私達は皆、誓います;

6And bind ourselves by mutual execrations, that we will not change our intention, but execute our projected undertaking.
そして私達は、私達の意図を変えず、私達の計画された行いを実行すると、共通の呪いの言葉によって、私達自身を縛ります。

7Then they swore all together, and all bound themselves by mutual execrations. Their whole number was two hundred, who descended upon Ardis, (⁴) which is the top of mount Armon.
その後彼等は皆一緒に誓い、そして皆が彼等自身を、共通の呪いの言葉によって縛りました。彼等の全体の人数は200名で、アルモン山の頂上であるアルディスの上に降臨しました。

(⁴) Upon Ardis. Or, "in the days of Jared" (R.H. Charles, ed. and trans., The Book of Enoch [Oxford: Clarendon Press, 1893], p. 63).
アルディスの上、または「ジャレッドの日々(時代)」

8That mountain therefore was called Armon, because they had sworn upon it, (⁵) and bound themselves by mutual execrations.
彼等がその上で誓い、彼等自身を共通の呪いの言葉で縛ったので、その山は故に、アルモンと呼ばれました。

(⁵) Mt. Armon, or Mt. Hermon, derives its name from the Hebrew word herem, a curse (Charles, p. 63).
アルモン山、またはヘルモン山は、その名前をヘブライ語の言葉、へレム、呪いから派生します。

9These are the names of their chiefs: Samyaza, who was their leader, Urakabarameel, Akibeel, Tamiel, Ramuel, Danel, Azkeel, Saraknyal, Asael, Armers, Batraal, Anane, Zavebe, Samsaveel, Ertael, Turel, Yomyael, Arazyal. These were the prefects of the two hundred angels, and the remainder were all with them. (⁶)
これらは彼等のチーフ(隊長)達の名前で:サムヤザが彼等のリーダーで、ウラカバラメエル、アキベエル、タミエル、ラミュエル、ダネエル、アズケエル、サラクニャエル、アサエル、アルメルス、バトラエル、アナネ、ザヴェべ、サムサヴェエル、エルタエル、トゥルエル、ヨミャエル、アルジャエル。これらは200名の天使/天孫達の監督官達で、その他全ては彼等と共にいました。

(⁶) The Aramaic texts preserve an earlier list of names of these Watchers: Semihazah; Artqoph; Ramtel; Kokabel; Ramel; Danieal; Zeqiel; Baraqel; Asael; Hermoni; Matarel; Ananel; Stawel; Samsiel; Sahriel; Tummiel; Turiel; Yomiel; Yhaddiel (Milik, p. 151).
アラマイック語の文献は、これらのウォッチャー達の、より早期のリストを保存します。

10Then they took wives, each choosing for himself; whom they began to approach, and with whom they cohabited; teaching them sorcery, incantations, and the dividing of roots and trees.
その後彼等は妻を娶り、彼等自身のためにそれぞれが選び、それら(彼女等)に接近し、そして彼女等と同棲し;彼女等に魔術(科学)、呪文(言霊)、そして根と木の分別(薬術)を教えました。

11And the women conceiving brought forth giants, (⁷)
そして妊娠したその女性達は、巨人達をもたらしました。

(⁷) The Greek texts vary considerably from the Ethiopic text here. One Greek manuscript adds to this section, "And they [the women] bore to them [the Watchers] three races–first, the great giants. The giants brought forth [some say "slew"] the Naphelim, and the Naphelim brought forth [or "slew"] the Elioud. And they existed, increasing in power according to their greatness." See the account in the Book of Jubilees.
ギリシャ語の文献は、此処においてエチオピア語の文献からとても大きく異なります。ギリシャ語の文献の一つはこの部分にこう加えます、「そして彼女等[女性達]は、彼等[ウォッチャー達]に3種の民族を産み - 一つ目は大きな巨人達でした。その巨人達はネフィリムをもたらし[幾らかは「殺害した」と述べます]、そしてネフィリムがエリオウドをもたらしました[殺害しました]。そして彼等は存在し、彼等の偉大さ/大きさに沿って、彼等の力/権力を増大させました。」ジュービリー/ヨベルを参照して下さい。

12Whose stature was each three hundred cubits. These devoured all which the labor of men produced; until it became impossible to feed them;
その姿は、それぞれ300キュービッツ(13.7m)でした。それらは、人々の労働によって産出された全てを、それ以上彼等に食べさせるのが不可能に成るまで、食べ尽くしてしまいました。

13When they turned themselves against men, in order to devour them;
人々を食べ尽くすために、彼等が、彼等自身を人々へと向けた時;

14And began to injure birds, beasts, reptiles, and fishes, to eat their flesh one after another, (⁸) and to drink their blood.
そして次々と、それらの肉を食べ、そしてそれらの血を飲むために、鳥達、獣達、爬虫類達、そして魚達を傷つけ始めました。

(⁸) Their flesh one after another. Or, "one another’s flesh." R.H. Charles notes that this phrase may refer to the destruction of one class of giants by another (Charles, p. 65).
彼等の肉を次々と。または、「お互いの肉を」R. H. チャールズは、このフレーズが、巨人の一つの階級による、もう一つの階級の破壊を意味するかも知れないと記述します。

15Then the earth reproved the unrighteous.
その後、地球は不公正と非難されました。
- エノク書第7章

1Moreover Azazyel taught men to make swords, knives, shields, breastplates, the fabrication of mirrors, and the workmanship of bracelets and ornaments, the use of paint, the beautifying of the eyebrows, the use of stones of every valuable and select kind, and all sorts of dyes, so that the world became altered.
更に加えてアザジエルは、剣、短剣、楯、鎧(i.e. 戦争)の作り方、鏡の細工、そして腕輪と装飾品の加工、絵の具の使い方、眉毛の化粧、貴重で、選別されたあらゆる石(宝石)の使い方、そして全ての種の染料を人々に教え、故に世界が変化させられました。

2Impiety increased; fornication multiplied; and they transgressed and corrupted all their ways.
不信心が増え;姦淫が増殖し;そして彼等は道を外し、彼等の道の全てを腐敗させました。

3Amazarak taught all the sorcerers, and dividers of roots:
アマザラクは魔術の全てと根っ子の分別を教えました。

4Armers taught the solution of sorcery;
アルメルスは魔術の解決を教え;

5Barkayal taught the observers of the stars, (⁹)
バルカイエルは星々の観測者達を教え、

(⁹) Observers of the stars. Astrologers (Charles, p. 67).
占星学者達。

6Akibeel taught signs;
アキビエルはサイン(星座)を教え;

7Tamiel taught astronomy;
タミエルは天文学を教え;

8And Asaradel taught the motion of the moon,
そしてアサラデエルは月の運動を教え

9And men, being destroyed, cried out; and their voice reached to heaven.
そして人々は、破壊され、泣き叫び;そして彼等の声は、天界まで届きました。
- エノク書第8章

12:4 そして見よ、ウォッチャー達は書生である私を呼びました。

12:5 そしてその主は、私にこう言いました:公正さの書生、エノクよ、崇高な空、そして彼等の神聖で永続的な持ち場を放棄し、女達と共に汚染された、天界のウォッチャー達に行って伝えなさい。

13:5 そして彼等は皆、恐怖に脅えました。

13:9 そして見よ、私に夢が来て、そしてヴィジョンが私の上に現れました。私は倒れて/落ちて、私が天界の息子達に伝え、彼等を非難する事が出来る様に、処罰のヴィジョンを見ました。私が目覚めた時、私は彼等へ行きました。皆が、リバノスとセネセル(¹⁷)の間にあるオウベルセヤエルにおいて一緒に集まって立ち、彼等の顔を覆い、泣きました。

(¹⁷)リバノスとセネセル: レバノンと(ダマスカスの近くの)セニル。

13:10 私は彼等の前で、私が見たヴィジョンと、私の夢の全てを伝えました。

13:11 そして天界のウォッチャー達を非難する、公正さのこれらの言葉を口から発しました。

15:9 The spirits of the giants shall be like clouds, (²⁵) which shall oppress, corrupt, fall, content, and bruise upon earth.
巨人達のスピリットは、雲の様に成り、それは地上を圧迫し、腐敗させ、堕落させ、高慢にさせ、そして傷めるでしょう。

(²⁵) The Greek word for "clouds" here, nephelas, may disguise a more ancient reading, Napheleim (Nephilim).
此処における「雲」のためのギリシャ語は、nephelas で、更に昔の読み方、Naphaleim (ネフィリム)を、誤魔化しているのかも知れません。

22:6 その後私は、私と共にいた天使、ラファエルにこう言って尋ねました。天界に届く声で訴えるのは、誰のスピリットですか?

22:7 彼はこう言って答えました。これは、彼の兄、ケインによって殺害されたアベルのスピリットで;そして彼(アベル)は、地上から彼(ケイン)の種(子孫)が破壊されるまで訴えるでしょう。

22:8 彼の子孫が、人類の子孫から、消滅されるまで。

http://reluctant-messenger.com/1enoch01-60.htm

ライガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC


ライガー(Liger)は父がライオンで母がトラの雑種動物である。現在の野生下においてライオンとトラの生息地は主にアジアとアフリカに分断されており、例外としてインドのギール野生生物保護区が両種が共生する地域として存在するが、野生においての交雑は現時点で確認されていない。その全てが人工飼育下で生まれた個体である。無事に成獣となった個体について、その性格に温和、獰猛と正反対の評価に分かれるが、これは人工的な交雑種ゆえに調査対象の絶対数が少ないことに所以する。

左がメスで、右がオス
1  Liger couple


特徴

個体差はあるものの、顔形はライオンに近く身体には淡い縞があり、雄に少量の鬣(たてがみ)があるケースが多い。また、身体が大型化する傾向があり、元となる種が平均100 - 200kg程、最大亜種でもシベリアトラの300kg前後が限界なのに対し、交雑種はそれと並ぶか、はるかに大型となる400kg以上に及んだ個体も確認されている。しかし、本交雑種は先天的な疾患(特に心臓、腎臓、視覚関係)や、後天的にも骨の発育不全、各種の癌、骨腫等の病気を患うケースが多く、成獣となる6歳前後まで生存できる個体は少ない。この傾向は大型となる個体には特に顕著に表れることが知られており、このような事態が相次ぐことからも倫理的に問題視され、21世紀現在では研究目的以外での飼育、作成はほぼ行われていない・・・

・・・なお、ライガーとは逆に父がトラで母がライオンの場合はタイゴン(Tigon)と呼ばれている。その特徴はライガーとは逆に、体色等にトラの影響が強く現れ、また小型化する傾向がある。ただしこちらの交雑種においても前述の疾患が発生しやすいことが報告されている・・・

ライガーとの雑種

ライガー、タイゴンともに雄は全く繁殖力を持たないが、雌にはまれに繁殖力のある個体が発生しライオンやトラとの間に子をもうける場合がある。しかし、さらに生まれた子は雄雌共に生殖機能が無いために以後の繁殖はできない。なお、その場合はライオンが父、ライガーが母であればライライガー(liliger)と言う風に、両親によって呼び名が異なる。

巨人の書
「・・・著名な書生[エノクに...]そして彼は私達のためにその夢を解釈するでしょう。其処で彼の仲間オーヤが宣言し巨人達に言いました。私もまた今夜、夢を見ました。おお、巨人達よ、天界の統治者が地上に降りて来て[...]そしてその夢はその様に終わります。[そこで]巨人達[と怪物達]の全員は恐ろしく成り・・・」
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蜘蛛の巣の構造 V

The David Icke Videocast: Where Wisdom Begins - We Know Nothing
デーヴィッド・アイクのビデオキャスト: 英知が始まる処 - 私達は何も知らない


英知とは、どれだけ少ししか、私達が知らないのかを認める事。

無知なれば、傲慢に成るべからず。

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聖書は愚か者達(無知)を奴隷にし
賢明な者達を聡明にするためにあります。
- サントス・ボナチ

教会に入り込んだ蜘蛛の巣

Edward Heath fixed it for Jimmy Savile to receive OBE and attended Paedophile Information Exchange meetings
エドワード・ヒースは、ジミー・サヴィルが OBE (Officer of the Order of the British Empire/大英帝国士官勲章)を受け取るために工作し、そして小児性的虐待の情報交換のミーティングに出席した(デイリー・ミラー/英国の一般大衆紙
http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/edward-heath-fixed-jimmy-savile-6220604


ジミー&テッド
1 Edward

WOW! Former Prime Minister Ted Heath "ALLEGEDLY ACCUSED" Of Child Abuse FINALLY!
うわっ!元総理大臣のテッド・ヒースが、やっと小児性的虐待のために「訴えられる」(ケヴ・ベイカー)


‘Sir Edward Heath abused my 14yo friend,’ Jimmy Savile’s nephew alleges
「サー・エドワード・ヒースは、私の14歳の友人を性的虐待した。」とジミー・サヴィルの甥が主張します(RT)
http://www.rt.com/uk/311865-edward-heath-saville-nephew/


品位を失ったディスク・ジョッキー、ジミー・サヴィルの甥は彼の友人が、1970年代のパーティーにおいて、元英国首相、サー・エドワード・ヒースによって、性的虐待を受けたと告発します。

その叔父(サヴィル)が5歳から75歳までの間の500人以上の被害者達を性的虐待した、ガイ・マースデン氏は、彼の友人が14歳の時に、ヒースによって性的虐待をされたと主張します。

彼の叔父がマースデン氏を、中央ロンドンの小児性的虐待パーティーに連れて行き始めた時、彼は13歳でした・・・

The David Icke Videocast: Child Abuse And The Elephant In The Living Room
デーヴィッド・アイクのビデオキャスト: 小児性的虐待と居間の中の象


Hello and welcome to this video cast for the subscribers to the David Icke.com.
こんにちは、そしてデーヴィッド・アイク.com の加入者達のための今回のビデオ・キャストにようこそ。

Well, it's been another week in Britain, when the Westminster VIP, paedophile scandal has come to the fore. We've had the government documents, revealing that there were great concerns about well-known political figures in the 1980's during Margaret Thatcher administration, but nothing was done.
さて、英国における今週は、ウエストミンスター(国会)の大物の小児性的虐待スキャンダルが噴出した更なる週に成りました。1980年代のマーガレット・サッチャー政権の間の、良く知られた政治家達について大規模な不審があったのに、全く何も成されなかった事を明かす政府の書類がありました。

We had the confirmation that the Thatcher cabinet secretary, Lord Armstrong was warned about a particular MP with regard to paedophilia, by MI5. But, nothing was done.
私達はサッチャーの閣僚の幹事、アームストロング卿が、MI5によって、特定の国会議員の小児性的虐待に関して警告されていたと言う確認を得ました。ですが、何も全く対処されませんでした。

We had Australian television documentary, exposing more about the Westminster paedophile elite. And, we've had a victim who has named people with regard to a cover-up of Kincora Boy's home abuse scandal, in Belfast.
私達はオーストラリアのテレビのドキュメンタリーが、ウエストミンスターの小児性的虐待についての、更なる暴露をしたのを観ました。そして、私達はベルファストのキンコラ少年孤児院における性的虐待スキャンダルに関連して加害者達を名指しした一人の被害者を有しました。

Kincora was where the boys there, were horrifically abused, from the 1950's to the 1980's, in Belfast, Northern Ireland. And, 3 of the people that are named, are Lord Mountbatten, a massive royal insider, of course, and mentor to prince Philippe and prince Charles.
キンコラは、北アイルランドのベルファストにおいて、1950年代から1980年代にかけて、其処にいた少年達が酷い性的虐待を受けた処です。そして名指しされた3人の人達は、勿論、大物の王室のインサイダーで、フィリップ皇太子とチャールズ皇太子の先生であるマウントバッテン卿です。

Anthony Blunt, a Russian spy, who was another major royal insider, very close friend and associate of the queen mother, and surveyor of queen's pictures. And also, in the list, is sir Morris Oldfield, former head of MI6.
ロシアのスパイであり、もう一人の王室の大物インサイダー、アンソニー・ブラントは、女王のお母さんのとても親密な友人であり、関係者で、そして女王の写真の検査官でした。そしてまた、そのリストにいたのは、MI6の元長官、サー・モリス・オールドフィールドでした。

And, they're named in this context in the cover-up of Kincora. And yet, it is no accident, that Mountbatten, Blunt, and Oldfield are all named as paedophiles in my books.
そして、彼等はキンコラの隠蔽のこのコンテキスト(文脈)において、名指しされました。そして更に、マウントバッテン、ブラント、そしてオールドフィールドが、私の著書の中で小児性的虐待者達として全て名指しされたのは偶然ではありません。

And, also this week, we've had the exposure of a major child trafficking ring, being run in the United States, by Child Protection. And it might be worth considering, what you would like to control, if you want an unceasing supply of children for your paedophile ring.
そしてまた今週、米国においてチャイルド・プロテクション(未成年者保護)によって運営されている、大規模な子供密輸組織が暴露されました。そして考えてみる価値があるのは、もし貴方が、貴方の小児性的虐待の組織のための止まる事の無い子供達の供給を確保したいなら、貴方は何を操作したいであろう、と言う事です。

What would you want to control? You'd want to control those who controls children. And that's why, there are so many paedophile scandals, involving Child Care Centres, run by government.
貴方は何を操作したいでしょう?貴方は子供達を操作する者達を操作したいでしょう。そしてそれが何故、政府によって運営された子供保護センターを含む、そんなに多くの小児性的虐待のスキャンダルがあるかの理由です。

And, why there're so many scandals involving Child Protection, Social Services. And it might be worth asking too, in regard, and in light of what is coming to attention now.
そして何故、社会福祉であるチャイルド・プロテクションを含む、そんなに多くのスキャンダルがあるかの理由です。そして尋ねる価値があるのはまた、今、注目へと明るみに訪れているものに関して、です。

Why it is that staggering numbers of children are being taken world wide from loving parents. And, taken into care by Child Protection for the most spurious, luducrous excuses, and reasons.
足がよろめく程の数の子供達が、世界中で、愛情を注ぐ両親達から、取り上げられています。そして、最も偽りで、馬鹿げた言い訳と理由のために、チャイルド・プロテクションによって保護へと取り入れられています。

What we are looking at here, and I've been investigating and exposing this, since way back in 1990's, we are looking at a global web. And, it's a part of much bigger web, with ambitions to centrally control human race, and we are moving that way all the time. But, that's another topic for another day.
私達が此処において目撃しているのは、そして私は1990年代以来、これを調査して暴露してきていますが、私達が目撃しているのは世界的な蜘蛛の巣です。そして、それは人類を中央集権的において操作するための野望を持つ、もっと大きな蜘蛛の巣の一部で、そして私達は、常にその方向に進んでいます。ですが、それはまたの日のもう一つの題材です。

But, there's a web too, globally, of paedophiles. Elite paedophiles, as they like to think of themselves. And also, Satanists. And at the inner core level, the web of paedphilia, and the web of Satanism come together as one.
ですが、小児性的虐待の、世界的な、蜘蛛の巣もまた存在します。彼等が、彼等自身をそう考えたい様に、エリート達の小児性的虐待者達です。そしてまた、サタン主義者達でもあります。そして内側の中核の段階において、小児性的虐待の蜘蛛の巣と、サタン主義の蜘蛛の巣は、一つのものとして、一緒に成ります。

And, all over the world, it's going on. In the United States where the Bush family, father George Bush is a notorious paedophile, for anyone who wants to investigate.
そして世界中で、それは行われています。ブッシュ家がいる米国において、ジョージ・ブッシュ・シニアは、誰か調査してみたい人がいるなら、悪名高い小児性的虐待者です。

And, in this country, while all this information has been coming to public attention, and we've had the Jimmy Savile scandal, this BBC entertainer and disc jockey who has been exposed as RECORD-BREAKING paedophile.
そして、この国(英国)において、これ等の情報の全てが一般大衆の注目へと訪れる間、私達はジミー・サヴィルのスキャンダルを有し、この BBC の芸能人で DJ は、新記録的な小児性的虐待者であったと暴露されました。

While all of this has going on, there's been an elephant in the living room, that is not being questioned. And it's not been highlighted anything like as much as it should be.
この全てが起こっている際に、居間には(大きな)象(明らか過ぎる嘘)がいて、それは問われていません。そしてそれは、それが焦点を当てられるべき程、焦点が当てられていません。

And that, is the British royal family. I would, strongly, suggest that it's no accident, that Lord Mountbatten was a paedophile, and involved, therefore, in the cover-up, of Kincora.
そしてそれは、英国の王室です。私は、マウントバッテン卿が小児性的虐待者で、そして故に、キンコラの隠蔽に拘わっていたのは偶然では無いと、強く、提案します。

Nor an accident that, according to Jimmy Savile himself, it was Lord Mountbatten who introduced him to the inner circle of the royal family, in the 1960's.
ジミー:サヴィル自身によると、1960年代に、彼を王室の内輪に紹介したのもまたマウントバッテン卿であったのは、偶然ではありませんでした。

And throughout the period, from then, till up to close to when he died, in 2011, Jimmy Savile was an inner circle bosom-buddy of the British royal family, and close friend, not only of Mountbatten and Philippe, but also of prince Charles.
そしてその期間を通して、その当時から、2011年に彼が死んだ直前まで、ジミー・サヴィルは英国の王族の大の仲良しで、そしてマウントバッテンとフィリップの親密な友人だっただけでなく、チャールズ皇太子の親密な友人でした。

So, let's start to ask the first question. Why would a disc jockey, and the later years, an aging disc jockey, be the bosom-buddy of the British royal family? Why?
ですから最初の問いを尋ねてみましょう。何故、DJ が、そして後に、年老いた DJ が、英国の王族と大の仲良しなのでしょう?何で、でしょう?

Why would the queen mother, indeed the queen, be such a close friend of Anthony Blunt, a Russian spy, and notorious paedophile? And, one other thing, that, has not come out about Jimmy Savile, which is extremely fandamentally relevant to all this what's going on, is that he wasn't just a paedophile.
何故、女王のお母さんが、実際に女王が、ロシアのスパイで、悪名高い小児性的虐待者である、アンソニー・ブラントと、その様に親しい友人なのでしょう?そして、もう一つ言うと、ジミー・サヴィルについて(未だ)出て来ていませんが、この起こっている全てに関係している極度に原理的なものは、彼が唯の小児性的虐待者だったわけでは無い事です。

He was a procurer of children for the rich and famous. And that's why, he was able to be protected from all investigation, and prosecution, for decade, after decade, after decade.
彼は金持ちと有名人達のための、子供達の売春周旋屋(ポン引き)でした。そしてそれが何故、何十年も、何十年も、何十年も、彼は全ての調査と告訴から守られる事が出来たのかの理由です。

Because this web looks after its own. And the web, the paedophlie web goes into royalty, it goes into politics big time, it goes into judiciary, goes into the media, goes into all these things.
何故なら、この蜘蛛の巣が、それ自体の仲間を守るためです。そしてその蜘蛛の巣は、その小児性的虐待の蜘蛛の巣は、王室の中へと入り、政治へと大々的に入り、それは司法にも入り、メディアへと入り、それらの物事の全てに入り込みます。

And, therefore, we must ask this question too. Not only was he an insider, of the British royal family, Jimmy Savile... to the extent that he was used as a mediator between Diana and Charles when their marriage was breaking dawn. WHAT?!
そして、故に、私達はこの問いもまた、尋ねなければなりません。彼は英国の王族のインサイダーだっただけでなく、ジミー・サヴィルは・・・ダイアナとチャールズの結婚が、壊れて行った時に、彼等の間の仲介役として使われる程でした。何てこった!

He was also a close friend of Margaret Thatcher. The Prime Minister of Britain, through all this period... of clearly colossal paedophile activity, within her government.
彼はまた、マーガレット・サッチャーの親しい友人でした。彼女の政府内の明らかで大規模な小児性的虐待の活動の、この期間の全てを通して・・・英国の首相でした。

And all this is just coincidence? These are expressions of the web, and how it works. And if people think what's come out already is amazing, well, strap bloody in, because it's hardly started yet.
そしてこの全てが、唯の偶然でしょうか?それらはその蜘蛛の巣の表現/体現で、そしてそれがどの様に機能するかです。そしてもし人々が既に露出した事に驚いているなら、まあ、シートベルトを着用して下さい。何故なら始まったばかりだからです。

Jimmy Savile was actually asked why he was so close to the royal family. And one of the thing he said, one of the reasons he gave, is that he works deep-cover. And so he did.
ジミー・サヴィルは実際に、何故彼がそんなに王室と親しいのかを尋ねられました。そして彼が言った事の一つは、彼が答えた理由の一つは、彼が深いカバーで働いたと言う事でした。そして彼はそうしました。

It was Savile who was providing children for the rings, including Prime Minister, Ted Heath, the predecessor as leader of the Conservative Party to Margaret Thatcher, the man I exposed in the Biggest Secret a long time ago, back in late 1980's.
随分前の1980年代後期に、私が最大の秘密の中で暴露した男であり、マーガレット・サッチャーの前任として、保守党のリーダーで、(英国)首相であったテッド・ヒースを含むその組織のために、子供達を供給していたのはサヴィルでした。

And the same person, one of them, one of the sources that told me about the British royal family, and their involvement in Satanism was the same person who told me about Jimmy Savile connection to the royals, and his love of paedophilia and necrophilia. Sex with dead bodies.
そしてその同じ人、彼等の内の一人、英国の王族と、彼等のサタン主義への関わりについて私に伝えた情報源の一人は、ジミー・サヴィルと王族の関係、そして彼の小児性的虐待と、死体との性交である、ネクロフィリアへの彼の情熱を伝えたのは、その同じ人でした。

This is why he used to volunteer to be a porter in the hospitals, because he had access then, to the mortuary. And, there are many sources that have given me, chapter and verse, about true nature of the British royal family.
これは何故彼が病院の雑用係としてボランティアしたかの理由で、何故なら、そうすれば、彼は遺体安置所に出入りすることが出来たためです。そして英国の王族の真の本質について、章と節を私に与えた多くの情報元があります。

And if it all came out was taken seriously, there will be a revolution in the morning.
そしてもし、出てきた全てが真剣にとらえられれば、朝に成る頃に革命が起こるでしょう。
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