バッター・アウト

2 Years Of Abenomics Later: Joblessness Jumps As Retail & Household Spending Slump
2年間のアベノミクスの後:小売業と家庭消費がスランプ(減速)し、失業/非雇用がジャンプする(ゼロ・ヘッジ)
http://www.zerohedge.com/news/2015-02-26/2-years-abenomics-later-joblessness-jumps-retail-household-spending-slump


3本の矢の代わりに・・・
最初のストライク - 日本人の非雇用は、予想を遥かに超えて、過去半年で最高に成り・・・
1Japan3 0


2番目のストライク - 小売業の販売が年度2%下落し - 予想のほぼ2倍の悪化で - そして消費税増税の衝撃と同等で・・・
2Japan1 0


第3のストライク - 家庭消費が、年度5.1%崩壊し - 10か月連続の下落で・・・
3Japan2 0


バッター・アウトなのですが・・・

日経(株価)はこうで
4Japan4 0


ですから、全ては問題無しです!
1アホ晋三
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これは、世界基準通貨の将来にとって、最も重要な表でしょうか?(ゼロ・ヘッジ)

Is This The Most Important Chart For The Future Of The World's Reserve Currency?
これは、世界基準通貨の将来にとって、最も重要な表でしょうか?(ゼロ・ヘッジ)
http://www.zerohedge.com/news/2015-02-25/most-important-chart-future-worlds-reserve-currency


世界基準通貨としてのドルの地位の未来に関して、最も重要なチャートは、更なる世界的で軍事的な戦争が必然的の現れる様な今、米国が酷く借金に埋もれている事実で・・・

GDP に対する米国連邦政府の借金
1US debt


・・・または、米国が破綻していないと言う幻想を保つために、上に見せられた借金の、実質的に無制限のマネー化、その行程においてS&P (株価)を記録的な高値にしていて・・・

1918年以降の連邦準備銀行のマネタリー・ベース
2fed monetary base


・・・もしくは、新たな借金において加えられた全てのドルは、僅かな影響力しか無く、あまり経済的な成長に効果が無い?

1952年以降の、米国の名目上の GDP 負わされたクレジット市場の借金
3credit vs GDP

単位:兆ドル

実に、「最も重要な表」は上述のいずれかも知れませんが、しかし、私達の見解において、米国のドルが世界の基準通貨としてどれ程長く保たれるかを決定するのは、文字通り、そして比喩的に以下です。

1946年以降の米国陸軍の規模
4size of us army

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これが、世界が今日面している最大の問題:9か国が300%を超える(政府の)借金と GDP の比率を有している(追記=Read more)

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「我々は、第4の矢が必要」日本の製造業の PMIは(予測された52.2を逃し)2月に51.5に留まり、新たな発注と雇用が減速したので、2014年7月以来の最低水準まで落ち込んだ


"We're Gonna Need A 4th Arrow" Japanese Manufacturing PMI Misses, Slips To 7 Month Lows
「我々は、第4の矢が必要」日本の製造業の PMIは(予測された52.2を逃し)2月に51.5に留まり、新たな発注と雇用が減速したので、2014年7月以来の最低水準まで落ち込んだ(ゼロ・ヘッジ)
http://www.zerohedge.com/news/2015-02-19/were-gonna-need-4th-arrow-japanese-manufacturing-pmi-misses-slips-7-month-lows


PMI = Purchasing Managers' Index(購買担当者指数)

スリップしている PMI・・・
2abesucks.jpg


同時に産出/製品価格は転げ落ち・・・
3abesucks.jpg


「しかしながら、(政府/ダマスゴミの)景気回復の報告とは裏腹に、雇用の成長は2月に、2カ月連続で弱まりました。」

そうこうする間、 - あたかも誰かがギリシャの脱退が全く関係無いと世界に信じてもらいたいかの様に・・・日銀の強気が(投機筋を)怖がらせるので、日本の株価と円は全くデカップル(分離)しています。
4abesucks.jpg

1fukuskeletons.jpg
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BRICS




第1回東方経済フォーラム[内容:プーチン大統領の基調演説]




1brics.png

人口:29億9800万人(世界人口の41.6%)
GDP:15兆8,000億ドル(世界合計の19.8%)

輸出:3兆1900億ドル

輸入:2兆9500億ドル

貿易総合:6兆1400億ドル(世界合計の16.9%)

BRICS のグループは、ブラジル、ロシア、インド、中国、そして南アフリカを含む、発展途上の世界最大の市場の経済です。

その総合された GDP は、先進国が過去10年に60%発達したのに対して300%以上成長しました。

情報源:BRICS サミットのウェブ・サイト
http://brics6.itamaraty.gov.br/


スプートニクJP・ラジオ(ポップアップ)
http://jp.sputniknews.com/popup/radio/


国際通貨基金(IMF)と世界銀行(WB)は、BRISC連合の強化と、アジアインフラ投資銀行の設立と関連した国際金融システムにおける変化を認めざるを得ない(スプートニクjp)
http://jp.sputniknews.com/opinion/20150521/360015.html


BRICS銀行の創設がもつ意味:IMF/世銀はなぜ嫌われるか
http://blogos.com/article/92130/


ロシア国家決済カードシステム「NPCS」、JCBと業務提携で合意(モーニング・スター)
http://www.morningstar.co.jp/msnews/news?rncNo=1626324


ロシア中央銀行が国内のクレジットカード代金決済のために独自に創設した国家決済カードシステム「NPCS」は7日、日本のクレジットカード大手ジェーシービー(JCB)との業務提携で合意したことを明らかにした。ロシアのニュースチャンネルRT(電子版)などが伝えた。

 合意に基づいて、NPCSとJCBは共通で使える提携カード「ミール・JCB(Mir-JCB)」を発行する。ミール・JCBカードを使えば、カード所有者はロシア以外の海外ではJCBカードとして全世界のJCBの決済ネットワークにアクセスできる一方で、ロシア国内ではミールバンクカードとしてミールの決済システムでの使用が可能となる。

 この新カードは16年から発行される予定。これまでも、15年2月には国営天然ガス大手ガスプロム傘下のガスプロムバンクが同様に、JCBカードを発行する最初のロシアの銀行となっている。

 ロシア中銀はNPCSを立ち上げたあと、5月にはNPCS決済用クレジットカード「ミール」を暮れごろに発行する方針を明らかにしていた。現在、ロシア国内の銀行10行が同カードの採用に関心を示している。他方、JCBカードはアジアを中心に世界19カ国で発行され、190カ国で利用が可能となっている。加入者数は8900万人、うち海外が2000万人となっている。
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神々の格子 第3部:メソポタミアの「ピラミッドの人々」

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル207ページ、オン・ライン電子籍:241ページより:

シュメール、バビロン、そしてギリシャのピタゴラス派とプラトン派の原理

「未来の哲学の言語を創造するにおいて、プラトンはそれでも太古の言語を語り、それは言うなれば「ロゼッタ・ストーン」を体現していました・・・それは、その昔、(言うまでも無くその他の多くの顧客の中で)そのテクニカル(技術的/専門的)な言語を鋳造し、ピタゴラス派へともたらした、肥沃な三日月(三角州)の何処かの「ピタゴラス的な」造幣局から由来します。」
ジョージオ・デ・サンティラーナとハーサ・ヴォン・デチンド、
ハムレットの水車、311ページ。

「太古の宇宙学は、天界をスケール(音階)と暦(カレンダー)に調和させるために、少なくとも十分な数字理論と、少なくとも十分な音楽理論を必要としました。
アーネスト G. マクレイン
不変量の神話:リグ・ヴィーダからプラトンまでの、神々、数学、そして音楽の起源、14ページ。

神々の格子 第9章:プラトン、ピタゴラス、そして洞窟の物理学:

ヴィーダ、メソポタミア、そして球体の音楽


世界グリッド・システムの根底にある物理学の調査が、メソポタミアを検証する事無しで完全に成る事が出来ないのは、エジプト、シュメール、バビロン、そしてインドの文化が出会ったのが、正に太古の中東の交差点においてであったためです。実際に、メソポタミアの文明と、太古の(インドの)ヴィーダ的な文明との、奇妙な関連性についてコメントした著者は少なく無く、そして幾分かの正当性と共に、メソポタミアの高度な知的要素と宇宙学は、東洋(インド)の遺産の御蔭であると言う事が出来るかも知れません。天体的な運動が、並外れた度合で、数字理論音楽に関連させられたのは、其処(インド)においてでした。

私達がこれから見る様に、プラトン自身の数字的なコードの大部分は、順を追って遡ればメソポタミア文明のに起因する、ピタゴラス主義の御蔭でした。そのグリッド・システムと、それを下書きした宇宙学の正しい理解は、故に、「大河の間」の文明が、その発達、特に、音楽の発達に持った、膨大な影響力を考える事無しでは出来ません。この理解において、アーネスト G. マクレイン博士の研究以上に、権威があり重要なものはありません。

参考文献:
音楽と色のピタゴラス理論


A. シンボルと音楽的なコードの統一された意図

私は、私の以前の著書の中で、私が「シンボルの統一された意図」と呼ぶ概念について、長く述べましたが、i.e.(つまり)、太古の神話とは、それらの神話を元々創造した社会と類似した発達の状態まで、科学が先進した時に解読する事が出来る、科学技術的な情報の膨大な量を暗号化する様にデザインされた、複数の段階の構造の、慎重に構成されたものであると言うアイデアです。この「神話的な創造」は、長い年月を耐え抜ける形状における、科学技術的な情報の、神聖化と配信の方法を求めていた、宇宙戦争後のエリート、またはエリート達の、意図的な行為であったと言うのが、私の仮定でした。もしデ・サンティラーナとヴォン・デチンドのハムレットの水車、またはアーネスト G. マクレインのピタゴラス派のプラトン不変量の神話の様な研究が、ある意味指標であるならば、その政策が大いに成功的であったのは、それらの神話が、北欧からポリネシアまで、豊富な天文学的、幾何学的、そして音楽的なデータを暗号化するためです。

A. シンボルと音楽的なコードの統一された意図

1.最初の物理的な統一としての音楽と、パンテオン(万神殿)の音楽的な意味


太古の神話において機能している、この複数段階の、殆ど超自然現象的なシンボリズム(シンボル化/象徴化)に気付いたのは私だけでは全くありません。(インドの)ヴィーダ的な文献の中のこの現象にコメントする際に、マクレインは、同時的に機能している、表現法の、少なくとも4つの「言語」、またはモードを観測します:

1)非-存在の言語(Asat)

2)存在の言語(Sat)

3)イメージと生贄/犠牲の言語(Yajna)、そして

4)体現(Rita)されたヴィジョン(Dhih)の言語です。

それらの4つの言語は、主に音のモードにおいてそれら自体を組織化する感覚/意識の表現です。

それは、根底にある、共通のスピリット(霊)的、そして哲学的な伝統を示唆する、インドのリグ・ヴィーダからバビロン、エジプト、そしてギリシャまでの、類似した数字と、類似した秩序の再発です。実際に、マクレインにとって、音楽が「哲学的な統合を投影させる一つの力」だったのは、音楽が最初の物理的な統一であったためです。この音楽的なコードは、ヴィーダ的な伝統において、太陽、月、惑星を、インドの万神殿にリンクさせる聖歌と音楽的な数秘学としてそれ自体を体現し、「それにおいて息子達は、彼等自身の母達を創造し、そして全ては数えられます/説明されます。」

それらの音楽的で数字的なコードを解読する努力において、プラトンは、マクレインにとって、「より早期の文化の、さらに不透明な科学」への、ある種のロゼッタ・ストーン(翻訳機)です。それらの文化の全てにおいて、ヴィーダが何よりも古く、そしてその神話と聖歌は、実際に、音楽的な科学のコード(暗号)でした:

「ヴィーダ的な人が大切にした数字は、音楽的なスケール(音階)の変化的なチューニング(調整)を定義/決定します。その聖歌はポエム(詞)的に数字を表現し、神々とデーモン達の階級によって「セット(グループ)」を分別し、そしてトーン(音)的、そして算数的な関係を、生き生きとした性的、そして空間的な隠喩と共に描写します。ヴィーダ的な関心は、ギリシャのチューニング理論において集中の中心に成った、それらの不変性でした。詞人達が、彼等自身を整数、または自然的な数字に制限させ、そして全てのトーン(音)的なコンテキスト(文脈)において、一貫的に可能な限り最小限の整数を使用したために、ピタゴラス的で数学的なハーモニクス(和声学/倍音)の方法によって、私達がそれらの構造を再発見する事を、彼等は可能にしました。」

私達は今、「シンボル(象徴)の統一された意図」に関連した意味の、蓄積された段階に、「神々」の新たな理解を加えられるかも知れません:

1)最も平凡な段階において、神々は、実在の「人々」または人類と交流する存在を体現し

2)第2に、より深い段階において、神々の名前はタイトル/称号的で、惑星、またはその統治者、もしくはその統治している一族を代理しているかも知れず;そして私達が此処で有するのは、これに加えて、

3)第3の段階において、神々の階級の名前はまた、特定の数学的な関係によって派生される音のセットを体現します。

此処に手掛かりがあるのは、私の著書、宇宙戦争の中で見られた様に、メソポタミアとエジプトの文献から浮上する、更なるもう一つのフォーミュラがあるためです:

山々 ≈ 惑星 ≈ 神々 ≈ ピラミッド で、其処で ≈ のシンボルは「関連している」を意味します。

私達は此処で、このフォーミュラに新たな構成要素を加えられるかも知れず:山々 ≈ 惑星 ≈ 神々 ≈ ピラミッド ≈ 音楽です。ですが何故、音楽を、山々、ピラミッド、そして惑星に関連させるのでしょう?

その問いへの答えは、の「音楽的な原始物理学」の、マクレインの解読の慎重な熟考から浮上します。放っておけば、無限的で混沌的な数字の連続/羅列に、秩序のヒエラルキーを加えるのは音楽です:

「私達が調査しているのはすると、実際には数字理論の領域で、それにおいて音楽がその問題を設定するのは、音楽的なパターンが、純粋な数字理論がそれらに与えない、顕著さへと、特定の数字を昇進させるためです。音楽的な価値/数値は数字の場にヒエラルキーをもたらし:私達が表わす様に・・・偶数は音階のマトリックス(母体)を定義し「女性」で、奇数は「トーン(音)の子供達」でその母体を満たし、「男性」で、そしてより小さな数字は、より大きな重要性の間隔を定義します。」

または、レネー・シュワラー・デ・ルービッツを真似て言うと、音楽は、数字が象徴化する機能を体現します。

太古の神話的な文献において特定の数字的な関係が実際に行っているのは、言葉を変えると、音階的な連続の混沌を、技術開発可能な秩序へと、減少させる/整える試みにおけるチューニングのシステムを定義する事です。これが何故そうなのかは、単純な描写の方法による、少々の説明を必要とします。

全ての音楽的な音(i.e. ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ)は、その上下に無限に延長する、倍音の自然的でハーモニック(音階)的な連続/継続を有します。問題は、それぞれの「倍音」、または「ハーモニック(調和/和音)」が、より高く行く(高音に成る)際に、その原則に対して、間隔的な関係において減少する事です。もし人がピアノの前に座り、静かに「 C ()」の音を押し、そしてそれから一音階低い「 C 」の音を鳴らすと、人はこの静かに押された「 C 」の音()が、鳴らされた音と共に同情的なレゾナンス(共振)で振動しているのを聴きます。此処で、5番目の隣の「 G ()」に移動し、そして実験を繰り返してみて下さい。「 C 」の音を鳴らす間、「 G 」の音を静かに押して下さい。再び人は、静かに押された「 G 」の音が、鳴らされた音「 C 」と共に同情的に振動しているのが聴こえます。再び、4番目の隣まで移動し - 間隔が減少している事に着目し - もう一つの「 C 」の音を静かに押し、そして2音階下の「 C 」を鳴らして下さい。再び、静かに押された「 C 」は振動するでしょう。

この行程を繰り返すと必然的に、ピアノの鍵盤上に存在しない音に辿り着きますが、それは「 C ()」の自然的なハーモニックの連続/継続に存在し、そしてその音は A ()と B ♭(シのフラット)の間の隙間にあります。そしてその間隔が減少し続ける際に、鍵盤上に存在しない音がもっと更に加えられます。私達の近代音楽、特に鍵盤楽器は、曲ごとに立ち止ってキーを再調整しなくても、あらゆるキーの音楽において、鍵盤上の1音階の中の12音が機能する事を許す様に、人工的に技術開発された倍音の連続へと変更されている、またはチューン(調整)されています。

プラトンは、彼のリパブリック(共和国)の中で、この「同等の変更」を、政治的な哲学としてコード化しました:「純粋な間隔を変更する必要性は、整数の比率によって決定され」、つまり、それぞれの音のための、その無限の倍音と共に自然的に起こるハーモニックの連続は、プラトンのリパブリックの大いなるテーマであると言う事です。彼の例え話的な形状において、「市民」は音階の音にモデルされ、「彼等に借りがあるものを正確に」要求してはならず、「その都市のために何が最良か」を頭に入れておかなければなりません。つまり、調和的な方法において、お互いに機能する事を彼等に許すために、彼等が少々の数学的な調整の対象に成る事に意欲的でなければならないと言う事です。

数字12は此処において鍵で、それがメソポタミアと、その「60進法」的で数字的なシステムへと直接指し示すためで、そのシステムは私達が見る様に、そのチューニングの問題を解決し、そしてそれらの文化によって保持され、ピタゴラス派を通して継承された秘密を解くにはもってこいでした。それがまた指し示すのはゾディアック12のハウスで、そしてそれと共に、音楽と天文学の間の関連性は、徐々に視野の中へと近づきます。

B. 音楽、錬金術(化学)的な媒体、そして天文学

(インドの)ヴィーダ的な伝統は、「音の発光的な本質」への言及で溢れています。実際に、光のための単語(svar)は、音のための言葉(svara)に類似しています。これは、私がその他の場で観測した様に、私達が恐らく、物理学における失われてしまった知的洗練を目撃していると言うもう一つの手掛かりで、「音-光」のアイデアはまた、「電気-音響」として理解される事が出来るためで、i.e.(つまり)、エジプトのエドフ文献の中で語られた「音の眼」を思い起こさせる、媒体(エーテル)における経度的で電気的な波(縦波)です。

その物理的な媒体の一貫性は、古代人達のマインドにとって、天界のサイクル(周期)的な一貫性において表現され、そしてゾディアックの12のハウスを通る長い周期を通った歳差運動によって表現されました。12は、すると、球体の音楽的なハーモニー(調和)を表現するための選ばれし数字に成ります。私達は、再び、ピアノの前に座り、完璧な4番目(ファ)と5番目()の音の輪を通して奏でる事によって、これを実証出来るでしょう:

四度圏(アセンディング/上昇して行く)

1)C (ド)
2)F (ファ)
3)B♭ (シのフラット)
4)E♭ (ミのフラット)
5)A♭ (ラのフラット)
6)D♭ (レのフラット)
7)G♭/F♯ (ソのフラット/ファのシャープ)
8)B (シ)
9)E (ミ)
10)A (ラ)
11)D (レ)
12)G (ソ)
13)( C ) (ド)
(上記の図を下から上に読むと)下降している五度圏

1Godoken.png


再び、私達が弾く音は、自然的な倍音の連続では無く、ゾディアックの12のハウスを通る、歳差の天体的な運動にハーモナイズ(調和/一致)する様に数学的な調整の方法によって変更された、または「いじくられた」結果です。マクレインが明言する様に、「太古の宇宙学は、スケール(音階)と暦(カレンダー)と共に天界を調和させるために、少なくとも十分な数字理論音楽理論を必要としました。」その音楽的な例えは、リグ・ヴィーダにおいてポエム(詞)的に表現されています:

「12のスポーク(舵輪)によって形成され、

「時間の長さによって、弱められず、

「天界の周りを転がる、

「この車輪/歯車は期間の秩序。

「12は 外縁/輪縁/ゾディアックで、そしてその車輪は単一です。」

この天文学的でカレンダー的な一致が更に顕著なのは、もし人が C メジャーの音階の白い鍵盤、C, D, E, F, G, A, B (ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ)を弾くと、それらのつは、1週間の七日を体現するだけでは無く、ヴィーダ的な伝統において、人のリシ達、または人の賢者達を表すと理解されるためです。

リグ・ヴィーダはまた、私達がアンコール・ワットと、ヴィシュヌーの3重的な自己-体現と共に関連して発見した、主要な「3重化(三位一体)」を知っていて、そして語ります:

「その神々は、この世界の創造よりも後、

「それが存在へと何時現れたのかを誰が知る?」

つまり、神-音の増幅の全てはその最初の3重化に続くと言う事です。

ですが、すると、もし私達がサード、または3の力(3倍)を取り、そしてそれらを「三度圏」の周りで辿ると何が起こるでしょう?その結果が不可解なのは、もし私達が再び C (ド)から始め、メジャーのサードを辿ると、私達は以下を得るためです:

1)C (ド)
2)E (ミ)
3)G♯/A♭ (ソのシャープ/ラのフラット)
4) C (ド)

私達は、四度圏と五度圏の12の等間隔の音を派生させるには足りな過ぎます。言葉を変えると、太古の文明によって向き合われた主要な数学的で、音楽的な問題は、神-音の2つの「セット(集合体)」をどの様にして、調和的な全体/一つにまとめるかと言う事でした。

これは、太古のチューニング・システム(調整方法)の「女性」と「男性」(i.e. 陰陽)の思考に、私達を必然的に導きます。

男性(奇数)と女性(偶数)の数字と、物理的な媒体(エーテル)

音楽的な輪のイメージは、(インドの)ヴィーダ的な文学に付きまとったものでした。

「その神々の二輪馬車は実際に、「車輪の無い車で・・・思考的に形成されました」(10.135.3)。その天体/天界的な民族/種族は、「歌い手達によって彼等の唇から造られ、」そしてその同じ歌い手達が「その二輪馬車を運転するために「言葉によって馬具をつけられた馬達を、彼等のマインドと共に形成し、その光の/軽い車は全ての方向に動きました(1.20.1-3)。その車自体について、私が推理するに、音の輪における回転と反回転への言及において、それは、馬達が馬具をつけられた車の軸の「両方の側で機能する」と私達は聞かされ、故に「全ての方向に回転する」です(10.102.1と10.135.3)。」

言葉を変えると、太古の宇宙学の中の見解における物理的な媒体(エーテル)の主な特徴は、その回転/旋回的なフリクエンシー(振動率/周波数)で、其処から結果する「音楽」でした。

此処においてフリクエンシーが鍵なのは、それがどの様にして、そして何故、古代人達が、チューニング(調整)の題材について、数字の整数と比率の全体を通して対処したのかと言うためです。貴方が巨大なパイプ・オルガンの前に座っているとしましょう。貴方の前にあるのは、貴方の左側の、最も低音の「 C (ド)」の音から始まる、その色々な鍵盤上の5音階(オクターヴ)です。貴方は8フィートのストップを引き、言うなれば、Prinzipal(主要な?)ストップです。そのストップのノブの上にあるのはフィートの記号に続かれる数字の8で、故に8’です。これが意味するのは、そのパイプが、その口からその先端まで正確に8フィートの長さで、そして「 C (ド)」の音を奏でると言う事です。一音階上に行くと、そのパイプは、正確に4フィートの長さで、そして同様に続きます。

私達は故に、8:4の比率を有し、それは2:1に減少でき、それは更に2に減少出来ます。2は故に、あらゆる音の音階に割り当てられた太古の数字に成ります。それは「女性(陰)」的な数字で、そしてこれと共に起こるのは更なるもう一つの問題です:

「数字の2は、マトリックス(母体)である音階を創造すると言う感覚において「女性」で、その中において全ての音は産まれます。それ自体によっては、しかしながら、それは「不毛のサイクル(周期)」のみを創造出来ます。ソクラテスの隠喩(例え)において、2による操作と分離(割り算)は、私達の音の曼荼羅(マンダラ)の中へと新たな音を決して紹介する事が出来ません。音楽的な算数において、2の力(2±n)は、サイクル(周期)的な本性を派生させ;つまり、それらが音階的な周期の音楽的な関係を不変数にすると言う事です。」

私達は以前に、どの様にして創始的な無が、ヴィシュヌーの創始的な三位一体の現れへと、それ自体を3重化させたのかを検証しました。

マクレインはこれと同じ事を述べ、そして私達が此処で遭遇するのは、私達の以前の形態的な分析の、音楽的な応用です。「リグ・ヴィーダの意図的な生命の開始地点は、非-存在(無)であり、「創始的な混沌の分離化されていない全体」、Asat であると、マクレインは観測します・・・故に、その性別的な隠喩はその構図の中に入って来ます:

「神聖な統ー性(i.e. 神)が中性/両性的であると言うのは、多くの太古の神話のテーマで、母の存在無しで、分離の行程によって、娘である「2」を産出します。神は「1」ですが、彼は、女性的な原則であり、全ての母である、彼の娘「2」を通して以外は繁殖出来ません。」

ですがこれは、私達がアンコール・ワットについての私達の形態的なコメントの中でも見た様に、厳密には正確ではありません。最初に産出されるのは数字のでは無く、共通の表面を分かち合う、「分別化された無」の2つの部分に一致する、数字のです。その2つの部分の共通の表面は、オクターヴ・マトリックス(音階の母体)の形態的なシンボル(象徴)に成り、その部分はそれによって定義されます。

2つの部分と、中央の共通の表面の例え


古代人達によって使用されたであろう数字的な比率に置き換えると、創始的な統一性は、一度分離化されると、創始的な「3重性/三位一体」を派生させ、そして2は、1+3=4/2=2である、2の平均です。言い換えると、私達の「太古の形態的な隠喩」はまた、音楽的な隠喩でもあると言う事です。奇数は故に「男性」的な数字で、1,3、そして特に5を含み、それらの数字、3と5が、音階的な「母」、または母体の中で音の分別化を派生させるためです。これにおいて、「女性」的な原則は定義されますが、世界が発達し、それ自体を分別化させたのは、独占的に男性的な要素の上においてでした。故にプラトンは、父(聖父/神)を、その姿を元に子孫/人類が産み出されたモデルとして定義出来ました。此処から私達が必要な唯一の父達は、「3」と「5」で、(プラトンの)リパブリックの中でずっと後にそれらが意味されたのと正しく同じように、リグ・ヴィーダの中で意味されている様に現れます。3の力(3±n)、そして3と5の倍数は、私達の現代の、同等に調整された半音階の11の音を定義します。

ですが何故、太古の宇宙学的-音楽的なシステムは、女性と音階を同一化し、そして男性を(音的、そして形態的な)多様性へと派生を与えた分別化の行程と同一視したのでしょう?私達が恐らく、此処において、それらの太古の文明の遺産として後継され、洗練された科学的な知識の度合の、もう一つの手掛かりの前にいるかも知れないのは、現代の遺伝子学が既に知っている様に、女性は唯一、女性の性別的なクロモサムを有しますが、男性は両方の性別のクロモサムを有し、男性、または女性のどちらかの子供を生物学的に繁殖することが出来るためです。男性に存在し、女性の中に無いのは、言うなれば、潜在的な中性/両性性です。これは、音楽的な音の派性において、分別化を産出する奇数のそれらの算数的な比率の、「男性性」の割り当てを説明するかも知れません。

何故、「男性」的な数字に、その様な顕著さを与えるのでしょう?そしてそれらは、何のその他の数字を派生させるでしょう?その答えは、再び、本質において宇宙学的です:

「男性的な奇数が、それらの女性的な音階の「ダブル」の上に優先権を取るのは、それらが神 = 1 の近くにあるだけでは無く、恐らくそれらが、その神聖な統一性の、統一性の原則に沿って厳密に準-分離化/割り算される事を許すためで;もし私達が、ギリシャの音楽的な理論が伝統的にした様に、2つの連続的な整数にそれらの派性的な比率を限定すれば・・・するとそれぞれの奇数は(奇数性自体が統一性の要素の結果ですが)、より以前の超-特定的な比率のための、算数的な平均として機能し、そしてその同じ原則に沿って、それを準-分離化/割り算させます。私達はこの準-分離化/割り算を以下の表に表せられます:

1      2
2   3   4
4 5 6 7 8
8 9 10²⁸ 

この音楽的-形態的な隠喩が示唆している事を慎重に着目してもらいたいのは、明らかにそれが - 太古の世界観に関する「女性的な」原則である - 「純粋な一神教」と、「純粋な多神教」、または太古の世界観に関する「男性的な」原則のどちらか、または2択に限定されていないためです。その隠喩が一般的な対峙の上の酸の滴りなのは、人が目撃しているのが、「中性/両性的」な両方で、統一性と多様性の両方を囲むもので、そして慎重に考えられた形態的で、そして音楽的な隠喩において、その2つを関連しようと試みているためです。

輪の音楽的な隠喩がまた、「天の川のかき回し」の背後にあるのは、私達がアンコール・ワットで見た様に、宇宙の多様性がヴィシュヌーの元々の「三重化」または分別化によって創造された緊張から派生したためです。音楽的な用語で理解された、回転/旋回であるフリクエンシー(振動率/周波数)の用語が鍵です。言うまでも無く、その回転と旋回の運動は、亜原子の粒子を分別化するにおいて重要な概念で;私達が第13章の中で見る様に、それらの太古の隠喩には、更により深い意味があるかも知れません。全てのこの宇宙学的な形態性と音楽を意識自体へと関連させる、ヴィーダ的な教義に次元さえもが存在するのは、拡張された意識を与える神々の魔術的な食べ物で、飲み物であるソーマが、まず最初に、数字の理論の構成として、音楽的な経験を見識へともたらすためです。

音楽的な見識から、しかしながら、ヴィーダ的な哲学は統一から派生している2つのサイクル(周期)、つまり、三度圏と五度圏を決して完全には和解させません。言い換えるとそれは決して「女性的な」音階と、その音階の中の「男性的な」音を、完全には統合させず、そして故に音階、音階のあらゆる種の数が派生させられる事ができ、それらの全てはヴィーダ的な宇宙学の立ち位置から、同等に有効です。その統一を効果的にさせる試みと、「同等の調整」またはチューニングの、私達の現代のシステムは、その算数の60進法と共に、メソポタミアにおいて行われました。

D. 60進法的なシステム、音楽、そして宇宙学

有名なシュメールの「神々の地」、ディルムンを、「ヴィーダ的なインド以前の、ハラッパ文化」に位置付けたのは、実際に、有名なシュメール学者、サミュエル・ノア・クラマーでした。そのメソポタミアの文明がその絶頂期に届いた当時、しかしながら、ヴィーダ的で数学的な腕前は、膨大な洗練性へと成長していました。

「アブラハムの時代の以前の - 三千年前のバビロンにおける計算の技術が - その30世紀以上後の、早期のルネッサンスの数学の多くの要素と、既に比較出来る事を学ぶのは驚きです・・・(私達が数多くの複製を有する)「逆数、倍数、二乗、二乗根、三乗、三乗根、二乗と三乗の合計・・・指数関数、実質的な計算のための数字を与える係数・・・そして四辺形と輪、等々のエリアを与える様々な計測学なテーブル(表)を所有する事によって、簡単にされました。ピタゴラスの定理は、「ピタゴラスよりも1,000年以上前に」バビロンにおいて知られていました。√2の非論理性の発見のための基礎は、古代ギリシャ人達によって、もっと後に明らかに再発見されたのと、正に同じ算数的な形状において、整えられました。サレス、またはピタゴラスによって発見されたと言う、伝統的/通説的な逸話は、「完全に非歴史的」として捨て去られなければならず;私達がピタゴラスの成果として教えられた多くは、バビロンに起因すると再認識しなければなりません。」

マクレインにとってのその示唆は、重大で、これが意味するのが

「ヘブライの聖書(i.e. 旧約聖書)は故に、その最も古いページが記述された千年以上前に、音楽と数学の原理を熟知した、セム(語族)的な文化の産物です。比較的に後期のキリスト教圏の文明が気付いたよりも、遥かに大々的な規模の、数学的な例え話の舞台は整えられた、」と言う事です。

実際に、私達が目撃する様に、この数学的で音楽的な隠喩のヘブライ版は、「山の神」の、メソポタミアから後継された音楽的で数学的な隠喩を、編集し、そして逆様/裏表にしようとする試みの段階を構成します。

この音楽的で数学的な例え話において、私達の時代の19世紀において、対数的な計算が派生し、紹介されるまで、数字全ての整数の、その60進法的なシステムは、恐らく世界がそれまでに知っていた音響的な算数のための、最も便利な言語だったのでしょう。此処においてまた、一旦停止し、注目されなければならないのは、このシリーズの以前の著書、遺伝子、巨人達、怪物達、そして人々の中で観測された事で、つまり、太古の寸法/測量のシステムは、そして特にシュメールの60進法的なシステムは、天文学的、そして測地学的な測量/寸法に基づいていて、言葉を変えると、人が目にしているのは、数字化の音楽的なシステムだけでは無く、天文学的で、測地学的なものです。正に文字通りに、その3つは分離させられる事が出来ず;人は文字通りに惑星の音楽、媒体(エーテル)自体の音楽を目撃しています。その音楽的な優位性/便利さは、2,5、そして6の倍数に基づいた比率、30:60の様に、12音のその他を派生させている3と5の力(3と5の±n)と倍数に基づいた、音階的な母体(マトリックス)と男性的な数字(奇数)を派生させる「女性的」な偶数の使用を、人が取得する事を許すためです。また、着目してもらいたいのは、その比率が3:6に単純化される事が出来る事で、それは女性的な数字、2(i.e. 1:2)まで単純化されることができ;そして60:5は、勿論、12で、音階の12の音を与え、そして、メソポタミア人達のための、ゾディアックの12のハウス(星座)を与えます。簡潔に云うと、調和的な全体性において、宇宙学、音楽、数字理論、そして物理学の全てが出会うのは、その60進法においてです。

ですが「神々」自身と、そして私達のフォーミュラ、「山々 ≈ 惑星 ≈ 神々 ≈ ピラミッド ≈ 音楽」についてはどうなのでしょう?何故、神々は、山々と音楽に関連される様に成ったのでしょう?

実際に、メソポタミアの数秘学的な神話における、3人の主要な神々、エア/エンキ、エンリル、そしてアヌは、全て数字的に、そして故に音楽的に関連させられていて、エア/エンキは40の数値を有し、エンリルの数値は50で、そしてアヌの数値は60で、それは、60進法のシステムにおいてまた、創始的な統一性、または1の代理です。音楽的に表現すると、もし人が原理的な音 - 例えばこの場合、D (レ)の音を - アヌに割り当てると、エンリルが代理するのは、それから3つ隣の上下の音(f か b / ファかシ)で、そしてエア/エンキは4つ隣の上下(A か G / ラかソ)で、そしてエンキから、すると、四度圏の輪の全体、そして故に12音の全てが派生させられます。それらの3人の神々の比率が40:50:60、または4:5:6である事に注目して下さい。それらから、上記された私達の四度圏の輪と同様に、「音的な宇宙」の12音の音階の現代的な全てが派生させられます。

もしこの全てが、複雑で不透明の様であるなら、それは更に複雑に成る直前で、「シンボル(象徴)の統一された意図」の究極的な例において、数字的-音楽的な例え話が、大洪水以前の王達の、王達のリストのベロッソス版において体現されるためです:

王          統治期間          60²=3600による割り算
アロロス        36,000         10
アルパロス       10,800          3
アメロン        46,800         13
アムメノン       43,200         12
メガラロス       64,800         18
ダオノス        36,000         10
ユードラケス      64,000         18
アメンプシノス     36,000         10
オパルテス       28,800          8
ヒスソロス       64,800         18
合計         432,000        120⁴⁰

その合計が、典型的なメソポタミアの60進法的な数字、3600で割り算された時、120で、12のハーモニック(調和/和音)で、再び私達の12の音階的な音である事に着目して下さい。

この全てが、私達の音楽的な音の輪に、どの様に関連するのかを理解するためには、私達は、その数値が40である、エア/エンキをより詳細に検証しなければなりません。これがどうしてそうなのかを理解するために、頭に入れておく事が大事なのは、全ての数字が音楽的に見解された時に、数字の60との比率において見解されると言う事ですが、メソポタミア人達は実際にはその2番目の数字を記述しませんでした。故に、エンキの数値40は、本当には40:60、または2:3で、12音を派生させるにおいて本質的で音楽的な関係で、その様なものとして、エンキはまた、アヌの「長男」で、つまり、「最初の奇数で、よって男性的な整数」です。「甘い水/穏やかな水」の神として、エンキは「(古代)ギリシャのポセイドンのシュメール版」で、そして故に複雑にアトランティスの伝説に関連しています。

音楽と、より高度で次元的な幾何学(立体性):
音楽的な山々の、音楽的な神々


エンキは、彼の数値、2:3と共に、故に3と5の力(3と5±n)と倍数のための隠喩(例え)で、そして私達がその問題の要点に来るのは、それらの力がグラフ化された際に、「数字的な山」が結果するためで、私達は、「単純化出来ない」整数のマクレインのグラフと、マクレインが音的な「ジグラット」と呼ぶもの、またはその結果する山々を観る事によって続けます。

マクレインの「音的なジグラット」

オン・ライン電子書籍の254ページ参照:
単純化出来ない整数/音的な逆数/全音階的なスケール(音階)の秩序(順番)
図表をクリックすると拡大/縮小します。

同様に、その数値が50であるエンリルはつまり、比率のメソポタミア的な仕組みにおいて50:60と言う事で、そしてマルドユックは25に位置し、両方がそれ等自身の数字的で音的な山々を派生させます。

マクレインの、山のバビロニアの神々
同220ページ参照:
マルドユック/ピックアックス
    山の上の神

音の「ピックアックス」の形状と、(「逆様の山」の点線のよって体現された)それらの逆数に注目してもらいたいのは、もし人が、ピックアックスにおいて派生された音を体現するマルドユックの山の数字が、数字1における派生地点を共有出来る様にその山をその横に回転させると、私達はこれを得ます:

双子の頂上のマシュ山の、マクレインの図表
同221ページ参照:
3⁻ⁿ/5⁻ⁿ/5ⁿ/3ⁿ

それぞれの方向に伸びている横線(地平線)の上に私達は、元々の統一性を有し、その最初の「3重化/三位一体」は、横的、そして縦的に3と5によって体現され、そして横的に3の力(3±n)が無限へと延長され、縦的に5の力が無限へと延長され、そしてそれらの間に、3と5の倍数がある事に注目して下さい。

もし私達が、それらの音的な山々の延長されたヴァージョンを、お互いに重ね合わせると、私達はとても親しみのある、そしてとてもバビロニア的な形、「ダヴィデ(デーヴィッド)の星」の類推を得ます:

音楽的なバラモンと、バビロニアの「ダヴィデの星」
同221ページ参照:
音的な逆数/音楽的な「ブラーミンズ(バラモン)」
単純化出来ない整数/半音階的なスケール(音階)の秩序(順番)

この全ての重要性は、マクレインの見解において、音楽と数学のコードが、一神教の派性において必然的な役割を果たしたと言う事です:

「一神教は、その神として、(実際にバビロニア-シュメールの記述において大きなとして記述された)大いなる神、60では無く、単純化出来ない統一性自体を取り、つまり、その複数性/分別化が、数字の多様性の全てを創造する一性で、その統一性唯一が素数を準分離化(割り算)する事ができ、全ての創造の運動的な媒体です。」

そしてそれらの中で、私達が前章で見た様に、数字の3と5が最初の2つで、そして音楽的な隠喩において最も重要な素数です。

言い方を変えると、太古の数学者達は、幾何学者達が回転/旋回と呼ぶ事を行っていて、もう一つの隠喩的な山との関連性を明かしていて、ピタゴラス主義の神聖なテクトラティスです:

マクレインの、一神教の音楽的な進化
同222ページ参照:
ヘブライの一神教/ギリシャの理論主義
ピタゴラス派の神聖なテクトラクティス

私達は、ピタゴラス派のテクトラティスの中に体現された、秘儀的、そして物理的な原則の全てについてのコメントは、第12章まで取っておきましょう。現時点で注目されるべきは、音自体の音楽的な輪と同様に、私達がアンコール・ワットで発見した、音楽的で形態的な隠喩に私達は戻りましたが、此処でその隠喩が追加的な豊かさを得るのは、特定の数字的、そして音楽的な機能が、元々の創始的な「3重化/三位一体」または分別化に、割り当てられたためです。

不変量の神話:
リグ・ヴィーダからプラトンへの
神々、数学、そして音楽の起源
アーネスト G. マクレイン著

http://www.ernestmcclain.net/MythsOfInvariance_SansCartoonsOPTIMIZED.pdf


1.バビロニアとヘブライの大洪水の年代表

そのグリッドの太古の物理学に対して見解されなければならない、もう一つの背景があり、そしてそれはアトランティスと大洪水自体のプラトン的な例え話で、それはマクレインが、ユーモアと正確性の多くと共に、「オールスターの出演人と、噴水のショーと、驚きのシーン(場面)、そして悲劇的な結幕を伴うピタゴラス的で大規模なオペラです、」と説明するものです。ですが、此処においてでさえ、人は、その文脈の中のコード(暗号)を見つけます。

例えば、ヘブライとバビロニアの大洪水の間には、隠された一致があり、その一致は、より深い数字的なコードを指摘します。比較神話学の有名な学者、ジョセフ・キャンベルはこう述べると、マクレインは観測します:

「・・・バビロニアの神話における、大洪水の創造からの、432,000年と、ヘブライの説明におけるアダムの創造からその大洪水までの、1,656年の間の一致を発見しました。それらの数字の共通の要素は72で、そして1656/72は23であると、キャンベルは指摘します。さて、1年365日のユダヤ的な年の23年に、うるう年のための5日を加えると、8,400日、または1,200週間に同等ですが、72倍にされると、ユダヤ週刊における1,656(=23x72)で、86,400(1200x72)を産出します。ですが、数字、86,400は432,000/5で、i.e. 大洪水までの1週間、5日のバビロニア的な数字です。故に、それらの異なった大洪水の年代表/歴史には、必然的な違いが全くありません。」

言い換えるならば、その大洪水の比較的な最近さについての、保守的で聖書学的な学者達の通説的な見解が、三角帽へと投げ入れられる(疑問視される)のは可能で、メソポタミアの神話における古さにおいて同一基準的なコンテキスト(文脈)、または年代表的な枠組みにおいて、更にもっと昔に、その大洪水が起こったと言うのは可能です。

2.バビロニアの数学:より高い次元的な物理学への手掛かり?

このコンテキスト(文脈)において、太古のシュメールとバビロンの60進法の、より詳細な検証が必要で、様々な数字が万神殿(パンテオンにおいて)色々な神々に割与えられるためです。ですがメソポタミアの数字にはもう一つの手掛かりがあり、その手掛かりは、奇妙にも、より高い-次元的で幾何学(立体)的な物体の、近代的で数字的な認識に良く類似していて、「60進法のシステムにおいて、450,000は、2,5として書かれ、2x603+(5x602)を意味し、恐らく、マルドユック=25の酷評でしょう。着目してもらいたいのは、このシステムにおいて、{2,5}におけるそれぞれの数字が、60の力(60±n)のある機能に関連した数字に成る事です。人は、{8,0,0}など等々の様な数字を持つことが出来ると、マクレインは記述します。

この認識に注目するのは重要で - 例えば x 3や x 2の - 数字の二乗化や三乗化は、勿論、2次元、または3次元において、物体を描写している幾何学的な機能であるためです。故に、上記された{2,5}への着目は、より抽象的に、{x,y}として書かれる事ができ、その最初の数字が60の力で倍数され、そして2番目が60の力の二乗によって掛け算されるので、実際の数字はこの様に見えます:

{(x ・ 60³) + (y ・ 60²) } = n 。

私達は故に、この認識、{x,y,z}が延長していると想像する事ができ、そしてそれぞれの数字が倍数される、e.g.(例えば){(x ・60⁴) + (y ・60³) + (z ・ 60²)}と共に60の力(60±n)を延長させ;言葉を変えると、太古のメソポタミアの認識においてまた、可能性の領域にある{8,0,0}の様な認識は、3乗よりも大規模な60の力を体現していると理解されるかも知れず、つまり、4次元、またはそれ以上の次元における物体の、幾何学的で数字的な体現です。

可能な限り簡潔に明言すると、太古のメソポタミアの数字的な認識の正に構造が示唆するのは、4次元、またはそれ以上の、空間的な次元において物体を描写するための、基本的で数学的な技術です。実際に、私達が第13章の中で発見する様に、4次元、またはそれ以上において物体を表現するための幾何学(立体性)的な技術は、19世紀において、正に同じ認識的な慣習(i.e. 通説化)が使用される様に成りました!

これに含まれるのは、更にとても示唆的な暗示で、注目されるべきはシュメール-バビロニアの神々が、その様な認識において表現されるかも知れないためです。言い換えると、その神々は、超-次元的な存在、または物体としての物理と宗教の特徴的/特定的な統一として描写されます。「シンボル(象徴)の統一された意図」の上の、この新たな捻りに、物理的な媒体(エーテル)の、この原始物理学的なエジプトの解釈に関連して、そして宗教的な神話学への、その関連性について、この本の次の部分で、私達は再び出会います。私達が発見したのは、しかしながら、太古のヴィーダ的なインドの神話と同様に、メソポタミアに共通な遺産で、そして私達は、メソポタミアの神話と、メソ・アメリカのものの間の暗示的な平行線に出会いました。それは、マクレインの言葉を借りると、インド、メソポタミア、エジプト、更にメソ・アメリカにおいて、人は、「音楽的な詩人のマインドの中における、神々の誕生を見る事ができ、そして音楽、数学、そして形而上学(哲学)の間の完璧な統一性を保つ伝統の継続性を発見します。プラトンと共に、最終的な一歩は取られ、天界的なハーモニー(調和)の物理学と、神々は、社会的な技術開発と政治的な理論へと変格されました。太古の、古典的な世界は、言い換えると、それらの暗示を、完全には理解していなかったかも知れないし、その神話が記録していた科学技術を、実行において再現出来なかったかも知れませんし、その神話が記録した行いに釣り合う程の科学技術を派生させたとは言え無いかも知りませんが、それが後継した、この音楽的であり物理的で、形而上学的な示唆の全てを、素早概要しました。

メソポタミアの音楽と、微細構造定数(fine structure constant)

ですが、音楽的な数秘学のこの全ては、実際に、更にもっと、より深い物理学の、失われた知識の種をその中に含む遺産を、古代人達が受け渡していた何らかの手掛かりなのでしょうか?

事実、その様な手掛かりの一つがあり、それは驚きです。

(古代)ギリシャ人達は、上述された様に、この音楽的-形而上学(哲学)的な遺産を、準を巡ってピタゴラス派とメソポタミアから得た、プラトンから後継しました。人がまた指摘出来るのは、プラトンの「アトンティス的な対話」、ティメウスクリティアスにおいて、(古代)エジプトの影響力があったのは、また明らかだと言う事です。これらの全ては順を追って、プラトンによって、政治的な理論、社会的な技術開発として、多くの対話の中にコード化されました(納められました)。アトランティスとアテネを含み - 異なった数字的な線に沿って、様々な「街々(要塞都市/ポリス)」が検証されました。「最高」の街の音楽的な均整を神聖化させようとするこれ等の試みにおいて、プラトンは、カリポリスの街を彼の

「絶対的な最高」の街と提案し - 彼の「天体的な街」とし、彼の惑星的なモデルにおいて、妖婦(妖精)達によって唄われた全音階的なスケール(音階)とし - その全音階的なスケールのために必要な7つの数字(i.e. ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ)は、11音の全てを産出しました。

    384/432/486/512/576/648/729/768
上昇 D / E / F♯/ G/ A/ B/ C♯/ D
下降 D / C/ B♭/ A/ G/ F / E♭/ D⁵⁷

ドC、レD、ミE、ファF、ソG、ラA、シB

マクレインは、この音階的で数字的な仕組みの中の、その最大の「遺伝子的な要素」は3⁶、または729であると観測します。

その数字 - 729が - 物理学の全てにおいて、最も重要な数字かも知れないのは、それが微細構造定数の少数的な係数であるためで、典型的に1/137の少数的な数値が与えられ、そして通常、偶然にも、そして恐らく皮肉的にとも言えますが、ギリシャの文字、アルファ、α よって表され、人が1を137で割り算する事を行うと、その結果は0.00729927007で、729のハーモニック(調和)とほぼ同じであるためです。

勿論、この係数の、有一、一つの派生の存在は、(古代)ギリシャ人達 - または、彼等がそれらの知識を後継した者達が - この数字のその重要性に気付いていた事は意味しません。ですが私達が、エジプトについての次の部分で発見する様に、古典的な時代(i.e. ヴィーダ、メソポタミア、エジプト、そしてギリシャの文明)の、それらの文化に先行するとても高度な文明が何であれ存在したと言う、強力で示唆的な証拠があり、その文明は、私達自身の時代における、数千年後の(再)発見以前に物理学の機械性のそれら、そしてその他の、定数の存在を把握していました。

微細構造定数の数字的な数値の保存が、特に音楽的-政治的なコンテキスト(文脈)において、それ程重要なのでしょうか?その答えは、その定数の、深遠にミステリアスな本質の中にあります。1916年に、物理学者、アーノルド・サマーフェルドによって最初に発見されたその定数は、本質的に無次元の定数で - 効果的に、数学的な用語におけるスカラー、または「純粋なマグニチュード(度合/規模)」で - 寸法/測量の全てのシステム、または単位において同じ数値を有し、そして電磁的なカップリング(対化)の強さを測っています。ですが問題なのは、その定数がその他の物理学に、グローブの様に「当てはまる」間、それ自体の起源はとてもユニークであり不可解で、物理学者達を、それ以来困惑させてきました。フェインマン程の物理学者が、その殆ど神話的な本質と、その最初の発見以来の物理学者達にとっての魅力のために、コメントせずにはいられないと感じた程でした:

「50年以上前にそれが発見されて以来、それは謎のままで、才能ある理論的な物理学者達の全てが、彼等の壁にこの数字を貼り付け、そしてそれについて心配(関心)してきました。貴方はすぐさま、このカップリング(対化)のための数字が何処から現れたのかを知りたいでしょうし:それは π 、または恐らく、自然的なロガリズム(対数)の根に関連しているのでしょうか?知る人は誰もいません。それは物理学の大いなる忌まわしい謎で:人による理解が無いままに、私達に来たマジック的な数字です。貴方はその数字が「神の手」によって記述され、「私達は、彼がどの様に彼の鉛筆で綴ったのかを」知らないと言うかも知れません。私達は、この数字をとても正確に測量するために、どの様な種のダンスを実験しなければならないかを知っていますが、秘密裡にそれを入れる事無しで、この数字が出てくる様にするには、コンピューターで、どの様なダンスを行えば良いのかを、私達は知りません!

言葉を変えると、物理学、数学、そして幾何学の定数の殆どとは異なり、微細構造定数の幾何学的な機能は不透明であると言う事です。それは多くを説明しますが、それがプラトン(の記述)において起こる、音楽的なコンテキストを人が思い出さなければ、それ自体の土台は不明瞭のままです。

20世紀の初期の記述において発見された、物理学の定数の係数のこの少数的な土台が、2,000年以上以前に存在していたと言う事は、それらの記述が、太古の高度な、とても洗練された文明を示唆しているかも知れないと言う事です。

太古の文献において、時代錯誤的に、たった一つの定数を排出している事は、しかしながら、立件を構成しません。もし人が、明らかに古代の文献において、量子力学の類似した定数に出会ったなら、その案件はより確かに成り、そして少なくとも世界グリッドの構造の幾らかは、膨大で世界規模の超-次元的な機械の一部、または「ギア/歯車」を構成すると言う示唆は、より強く成ります。

驚くなかれ、人は、ギザにおける、その機械の中心において、そしてエジプトの砂漠の中に埋もれられ、そして最近に成って発見されたばかりの、更にもっと古い構造において、正にその様なものを発見する事が出来ます。

補足記述:226-229ページ、オン・ライン電子書籍:262-264ページ


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主権、BIS、日銀、etc.

主権国家の必要条件(モンテビデオ条約)

・永住的な住民
・明確な領域
・政府
外交能力

「国家は、それ自体の銀行業システムを所有せずに、主権に成る事は出来ないと言う事です。」

世界統一通貨を発行しようとする、BIS (国際決済銀行)の企み

・通貨発行権 → 主権

・世界統一通貨=日本国民の主権消滅

確信犯:日銀の黒田
1BISdirectors.jpg

PROBLEM → REACTION → SOLUTION

問題をあえて造り出し
世論の反応を扇動し
解決策を提案する。

この場合、それぞれの国々の政府を借金漬けにし、「何とかしろ」という世論を造り出し、世界統一通貨発行と言う解決策で、一旦リセットする事を提案する。各中銀の会長達(BIS)が新たな「貴族」と成り、殆どの人々は、「新封建制度」における(賃金/借金)奴隷にされる。

「・・・ 今日、建国記念日そのものを分裂的に方や称え、方や批判するのが流行である。それは日の丸、君が代、菊花弁に対しても然りである。しかしながら奇妙なことに日の丸、君が代、菊花弁は皆な出雲王朝系の産物である。国旗としての日の丸、国歌としての君が代、家紋としての菊花弁は、それを悪用した者善用した者により醸し出されるものが違う訳で、それ自体としてはそれぞれ秀逸なものである。こう考える必要があるのではなかろうか。

 建国記念日、日の丸、君が代、菊花弁そのものを批判するサヨ、称えるウヨ論理式は実は一緒である。裏で操る者がいて繋がっていると考えた方が良い。我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている。
2015.2.11建国記念の日に思う
http://6616.teacup.com/rendaico3/bbs/362


円の支配者
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神々の格子 第8章 永続的な借金/債務の中の人類

神々の格子 第8章 永続的な借金/債務の中の人類

ファレル博士&デ・ハート博士の神々のグリッド、EPUB ファイル185ページ、オン・ライン電子書籍:215ページより:

アステカとアンセルムの異例さ:
推理的な科学技術、経済学、そして物理学


「・・・要するに、(あたかも彼について何も知られていなかったかの如く)キリストを視野から外したままにすると、それが証明するのは、完全成る理性によって、彼無しではどんな人も救われないと言う不可能性です。」
アンセルム、カンタベリーの大司祭(没1081年)

この、そうで無ければ、球体の天界的な音楽には、不調和があり - 不協和音で、韻律(リズム)無しでは未解決のまま宙に浮いた停止で、結論に全く届かない、耳障りな形における終わり無き迫奏(ストレット)で - そしてそれは血塗られた生贄、またはメソ・アメリカとその他の場の場合、血塗られた人間の生贄です。

何故、この行為が、そのグリッド上の幾つかの場所と、幾つかの文化において派生したのかは、謎のままですが、私達が前章で見た様に、幾つかの手掛かりがあります。

恐らく、アステカのもの以上に、しかしながら、その行為と同一視される文化は、他には無いでしょう。それは、それ自体を、社会と文化の中への、道徳的な醜さと矛盾/不適切さとして侵入し、それにおいて - マヤ族と同様に - 場違いの様で、説明出来無い程、血塗られた醜さです。ハンコックとファイーアは、この酷い異常さを、人が出来うる限り、喚情的な言葉でとらえます:

「中央アメリカにおいて、その遺跡とその過去を探索しようと試みた旅人達は、大いなる、そして酷い謎/ミステリーの直感によって取りつかれ、帰りました。暗い悲しみがとばりの様にその土地全体を覆い、そしてその歴史の知られている部分は、説明出来無い矛盾に満たされています。

「一方で、其処には、崇高でスピリット(霊)的なアイデア、深い哲学的な伝統、そして驚く程に芸術的であり、科学的で、そして文化的な達成の、疑う余地の無い証拠があります。もう一方で、16世紀の初めまでに、メキシコの峡谷において、精神障害的な邪悪の、胸の悪く成る様な行為が制度化され、そして毎年、悪夢のような残虐性と共に、アステカの帝国は、100,000人に上る程の人々を、人間の生贄として捧げました。2つの間違いは、1つの正解には成らず、1519年の2月、海賊であり、冷血な殺人者達であった、スペインのコンキスタドール(征服者)達が到着しました。何であれ、彼等の介入は、全くもって物質的な強欲によって動機されていましたが、アステカの悪魔的な生贄の儀式に終わりをもたらす、ハッピー・エンド的な副作用を持ちました・・・

「彼等の説明/記録が明かすのは、殺人の中毒に成った精神障害的な文化の暗闇で、それはまた驚く程の偽善的で、人間の魂の不死に関する太古の教えを崇拝すると主張し - その教えは入門者/会員達に、英知を探求し、「公正で、控えめで、平和を愛し・・・そして他者に向かって同情的に成る事を強く薦めると主張しました。」

しかしながら、私達がこれから見る様に、生贄を実施した一つの文化と、行わなかったもう一つの文化との衝突と言うよりむしろ、生贄に関しては、それぞれがお互いに、膨大で概念的なパラレル(平行線)を有する2つの文化の衝突で、そしてその衝突において、更なる異例が浮上するのは、その両方の文化が、殆ど全く同じ方法において、生贄を思いついただけでは無く、同様な目的を満たすために、彼等がそれを考え出したためです。

1.ケツアコアトルの元々の教え

アステカの主要な神はケツアコアトルで、マヤのククルカン、そしてインカのヴィラコチャ同様に、白い肌で、青い眼の、髭を蓄えた、「文明化する神」で、アステカ人達に文明の基本を教えた者でした。マヤ族の「ソヴリン(主権)の羽の生えた蛇」と同じく、ケツアコアトルは、羽の生えた蛇でした。過去の黄金時代においてメキシコを統治し、彼は文明の芸術/技術を教え、そして彼がまた、はっきりと、疑う余地無く規定したのは、生き物が決して傷つけられてはいけない事で、そして更に重要なのは、人間が決して生贄にされてはいけない事でした。唯一、生贄が許されたのは、特定の時期の様々な植物、果実、そして花々でした(i.e. お供え物)。もし人が、この概念を旧約聖書の枠組みの中へ位置付けるなら、ケツアコアトルは、「より相応しい」動物の生贄を捧げたアベルとは対照的に - 神に植物の捧げものだけをおこなった - 旧約聖書のカインに相当するでしょう。カインとアベル

私達が目撃しているのは、言葉を変えると、全ての可能性において、共通の比喩で、象徴的なモチーフ(題材)で、一つの特定の地域の特徴的なものでは無く - この場合(旧約聖書の場合)、太古のヘブライ人達ですが - もっと更に広く広まったアイデアで、両方の場合において、生贄の最も初期の種は、殆ど血塗られてはおらず(i.e. お供え物)、その後、血塗られたものによって入れ替えられたためです。実際に、アステカに関して言うと彼等の文明は - 海をまたいだ古代エジプト人達の彼等の文明の見解の様に - 全てはケツアコアトルから受け取った遺産でした。

あたかも惑星上で広まり、はっきりと異なった文化の中で広まった、共通のモチーフのこのアイデアを強調するかの様に、人はまたケツアコアトルと、意外にも、エジプトの神、オシリスとの間の幾つもの奇妙な平行線を観測する事が出来ます。オシリス同様に、ケツアコアトルは棺桶の中に埋められ、その後、彼は復活し、星に成るために天界へと上昇(アセンド)します。

ですがどうして、アステカ人達は、その様な共通性から、人間の生贄の行為を派生させたのでしょう?1956年に、ラウレット・セジョーンは、残された膨大なアステカ文化の遺産から引き出し、人間の生贄の用具と実施の全体は、酷く誤って理解された隠喩で、入門/入会に儀式の隠喩がアステカ人達によって文字通りに受け取られたためであると結論しました(i.e. 宗教の原理主義過激化)。故に、「心臓の切り出し」は、死において魂が体から「切り離れる」事のための隠喩で、「心臓/こころの動揺」は、物理的な体と五感からのスピリット(霊)的な分離の隠喩である、等々と結論しました。スピリット的な行程のためのそれらの隠喩の全ては、アステカ人達によって大々的に間違って理解され、そして生贄の儀式の一部に成ったと、セジョーンは主張しました。

もしこれが事実であるなら、それはマヤ人達とインカ人達によっても、大々的に間違って理解された隠喩でした。加えて、セジョーンが完全に正解では無いのは、アステカ自体の明言が示唆するのが、もし間違った理解が含まれているとしたら、それは彼等に起因するものでは無く、むしろ、その間違った理解は、古い秩序が転覆させられ、それに入れ替えるために新たなものが紹介された際に、意図的に(正反対に)教え込まれたと言う事であるためです。再び、その年代的な進行は、文明化の神、ケツアコアトルの元々の秩序で、植物、花々、そして穀物のお供え物から、血塗られた人間の生贄への、その後の移行でした。

奇妙にも、生贄の彼等の行為はまた、洪水にも何か関係がある様で、私達が前章で見た様に、ノアが洪水の後に、血塗られた生贄を行ったためです。その洪水は、アステカの宇宙学(宇宙感)において、順を追って彼等の5つの太陽、または人が好むなら、5つの世界の時代の教義に関連しています。それらの時代のそれぞれは「太陽」で、そしてそれらは様々な大災害によって終わらされ、そしてそれぞれが生命と人類の再確立(復活/再生)を必要とします。

最初の太陽は、全ての生命と共に、文字通りそれ自体を飲み込み/消費し尽くしました。これは、太陽自体の破壊によって続かれました。二番目の太陽の時代は、による破壊によって終わり、全ての生命と太陽自体が強烈な風によって破壊されました。三番目の太陽の時代は、火の雨によって終わらされました。四番目の太陽の時代は洪水によって終わらされ、最後で五番目の太陽の時代である、現代がもたらされました。

この時点において、アステカの創造と歴史である、コーデックス・チマルポポカによると、太陽が4日間、動く事を拒否しました:

「すると、その神は、「何故、彼は動かないのだ?」と言いました。その後、彼等はつるぎの隼を送り、それは行き、それが太陽に質問しに来た事を、太陽に伝えます。それは太陽に、「その神々は、「彼が何故、動かないのかを尋ねよと言っている、」と伝えます。

「すると太陽は、「何故?何故なら、私が求めているのは、彼等の血で、彼等の色で、彼等の大切な実質であるためだ、」と言います。

・・・

その後、全ての神々は一つに集まります:Titlacahuan, Nuitzilopochtli, そして女性/女神達、Xochiquetzal, Yapalliicue, Nochpalliicue です。そして其処、テオティファカンにおいて、彼等は全て生贄的な死において、死にます。ですからその後、太陽は空へと昇りました。

言い換えると、天界的な機械(歯車)が壊れてしまい、停止し、そして - 特にテオティファカンにおいて - 神々自身の生贄によってのみ、再起動させる事が出来たと言う事です。アステカの宇宙学に関する限り、生贄は、物理学に親密に関連していました。ですが再び、何故なのでしょう?

2.奇妙な明言、人間の支払い/代償、そして2人のエリート達
a. 異例で儀式的な平行線


人が、コーデックス・チマルポポカをより詳細に読み取ると、その謎は深まるだけです。例えば、アステカ版のトゥーラ、トゥール、または彼等が其処から来た、海を渡った土地、トーランの破滅の説明の直前の、儀式的な血の生贄における、王、セ・アキャトルの寺院への奉納の説明があり、人によっては、それはとても親しみがあるものです:

「さて、400の Mixcoa であった、セ・アキャトルの叔父達は、完全に、彼の父を憎んでおり、そして彼等は彼(父)を殺害しました。

「そして、彼等が彼を殺した時、彼等は彼を砂の中に入れました。

「すると、その王のハゲワシは彼に、「彼等は貴方の父を殺害しました。彼が横たわるのはあそこで、彼等は、彼を埋めました。」と言いました。

「ですから、彼は其処に行き、彼を掘り出し、そして彼を、彼の寺院、Mixcoatepetl に置きました。

「さて、彼の父を殺害した彼の叔父達は、Apanecatly, Zolton, そして Cuilton と呼ばれ、そして彼等は、「彼はどうやって、彼の寺院を奉仕するのだろう?もし、兎と蛇しかいないのなら、私達は怒るだろう。豹、鷲、が相応しいでしょう。」と言いました。そして彼等は、彼にこれをそう伝えました。

「いいでしょう。そうしましょう、」とセ・アキャトルは、彼が、彼等に伝えたと言いました。

「その後、彼は豹、鷲、そして狼を呼びました。「叔父達よ、来てください。人々は私が貴方達を使って、私の寺院に献身しなければならないと言います。ですが、貴方は死にません。むしろ、貴方は、私が、私に寺院に奉納したものを食べ - それらは、以前に、私に叔父達でした、」と彼は言いました。そして、彼等の首の周りに縄が縛られたのは、ですから、はっきりとした実質的な目的が無いものでした。

・・・

「すると、彼の叔父達は激怒し、そして彼等は出て行き、Apanecatl が先導し、急いで登りました。

「ですがセ・アキャトルは立ち上がり、磨かれた鉢で、彼の頭を砕き、そして彼は転げ落ちました。

「すると彼は Zolton と Cuilton を捕えました。それからその動物達は、(火/かまどに)息を吹きかけました。その後、彼等は、彼等を生贄にしました。

「・・・そして彼等が、彼等を拷問した後、彼等は、彼等の胸を切り裂きました。」

もし人が、あまり詳しくないのなら、人は、フリーメイソンリーの最初の3階級の儀式を読んでいると錯覚するかも知れないのは、それらの間に私達が、以下の共通の要素を発見するためです:

1)メイソン的な儀式において、寺院を建てているのは、タイアーの王、ヒラム・アビフで、そしてアステカ版においては、セ・アキャトルで;

2)メイソン的な儀式における彼の「3人の護衛」は、ジュベロ、ジュベラ、そしてジュベルムで、アステカ版においては、Apanecatl, Zolton, そして Cuilton で;

3)寺院は、両方の場合、人間の生贄によって献身され、メイソン的な儀式においては、彼の3人の護衛による、王ヒラムの殺害で、そしてアステカの場合、丁度真逆で、彼の3人の護衛の、王による殺害で;そして

4)拷問は、胸の切り裂きによって続かれ、それは再びメイソン的な儀式を思い起こさせ、それにおいてコンパスの先が、入会のために、入門者の左乳首に押し当てられます。

メイソンリーのブルー・ロッジの儀式は、疑う余地無くとても古いのですが、そのエコーが、メキシコの峡谷のアステカの文化の中にあり、そして生贄において関連しているとは、どういう事でしょう?これと、ケツアコアトル(そしてククルカンとヴィラコチャの)オシリスへの奇妙な類似は、偶然の領域からその様な一致を外し、私達が目撃しているのは、残された文化の遺産によって、異なって理解された共通の文化的な継承の名残の、分類的な証拠へと位置付けます。

2.奇妙な明言、人間の支払い/代償、そして2人のエリート達
b. 巨人達と人食


これは、新大陸の生贄と、旧大陸の伝説の間の、唯一の奇妙な平行線であるだけではありません。其処にはもう一つの奇妙な関連性があり、今度は人食的な巨人達の伝説においてです:

「今は、トーランにおいて、人々はもう、いなくなりました。

「フエマックは統治者でした。その二番目(右腕)は Necuametl, 三番目は Tlaltecatzin, 四番目は Heitzilpopoca と呼ばれました。その4人は Topilzin が去った時に、背後に持ち上げられました。そして、Nonoalco の統治者は Huetzin と呼ばれていました・・・

「さて、其処で、ある予知が彼に訪れました;彼は巨人である、白金の髪の男を見ました。そして人々を食べていたのは、正に、その者でした。

「すると、トルテック人達は、「おお、トルテック人達よ、人々を食べているのは誰だ?」と言いました。

「そして彼等はそれを罠にかけ、それを捕えました。そして、彼等が捕えたのは、髭の生えていない少年でした。

「すると彼等は、それを殺しました。そして彼等がそれを殺した時、彼等はそれの中身を見ました:それには心臓が無く、内臓も無く、血液もありませんでした。

「そしてそれは酷く匂いました。すると、その匂いを嗅いだ誰しもがそのせいで死に、(ただ単に)通りすがりの、その匂いを嗅がなかった人も死にました。そして数多くの人々が死んで行きました。

「その後、彼等はそれを引っ張ろうとしましたが、それは動きませんでした。そしてその縄が切れた時、倒れた人々はその場で死にました。そしてそれが動いた時、それと接触した全ての人達が死にました。それは彼等の全てを食べ尽くしました。」

これは、旧大陸からの、人食を行う巨人達を指摘する記録の平行線であるだけでは無く、アステカのコンテキスト(文脈)において、その逸話は、神々のための、焼かれた生贄としての、「料理」された人々の、文字通りの試食である、人間の生贄自体の実施に、ある意味、関連していると言う暗示的な示唆で;私達に伝えられるのは、その「巨人」が開かれた(解剖された)際に、血液も、心臓もありませんでした。生きている人々を食べたその巨人は、心臓(こころ)の無い機械でした。

c. ケツアコアトル、生贄支払、そして「魔術師達」

私達は今、コーデックス・チマルポポカの中に記録された、アステカ文化における人間の生贄の問題を、直接検証します。その一部において、その記録は、1487年、またはアステカ人達が、葦8年と呼ぶ年に、アステカの首都、Tenochitlan のピラミッドの頂上において、約80,400人の捕虜が、生贄にされたと明言します。実際に、その数が驚く程大きいので、人は、アステカの侵略の計画の大部分が、生贄の被害者達を、一貫的に供給するための、知覚された「必要性」によって、本当は推進されていたのではないのかと、疑わずにはいられません。

しかしながら、その同じコーデックスは、アステカ人達自身によって、彼等の文明を基礎づけたと考えられたケツアコアトルは、それ(生贄)を禁じたと、とても鮮明に記録します。以下の話しは、その起源を伝え、そしてそれと共に人は、そのアステカ版のメイソン的な儀式と、そして寺院への献身/奉納への、更なる洞察を得ます:

「そのトルテック人達は、Netlalpan と呼ばれる場所で、(戦闘を)行っていました。そして彼等が捕虜を捕えた時、トルテック人達が彼等の捕虜の生贄を始めたので、人間の生贄が始められました。彼等の中で、そして彼等の中心に、その悪魔、ヤーオトルは一緒に続きました。そのまっただ中で、彼は彼等に人間の生贄を行う事を扇動しました。

「するとその後また、彼は人間の皮を剥ぐ行為を始めました・・・それから彼は、Ziuhcozcatl と言う名前のトルテック人に、その革を着る様にし、そして彼はトテックの皮を着た最初に成りました。

「実際に、以前に行われていたあらゆる種の生贄が始められたのはその後です。それは、その名前がセ・アキャトルであった、最初のケツアコアトルの時代と彼の権威の下では、人間の生贄を行う事を絶対的に拒否していたと伝えられ、関連されるためです。以前に行われていたそれら全ての物事が始められたのは、正に、フエマックが統治者であった時でした。それらを始めたのは悪魔達でした。ですがこれは、紙の上で、その他の処にも記述されています。そして其処において、それは聞かれます。

「・・・フエマックは、人間のストリーマー(流れ/流動)を生贄にし、故に支払を行いました。」

此処において、注目すべき3つの事があります:

1)生贄は支払と考えられ、i.e.(つまり)何らかの借金/負債で、そして故に、示唆されている概念は、その理由が何であれ、支払われなければならない借金/償いで;

2)生贄は、元々の社会秩序ではありませんでしたが、後の時代のある時点において、悪魔達によって制度化され;そして、

3)それは、ヤーオトルと言う名前の、特定的な一人の悪魔によって制度化され、その名前は「ヤー」と言う語源を含み、その名前と人物像において、生贄にされた動物の香りにとても喜ぶ、旧約聖書の最初の5冊、トーラの、「ヤーウェイ」に瓜二つです。

また、私達が続ける前に、注目されるべき最後の事は、「ケツアコアトル」と言う名前が、称号的な名前であると、アステカ人達によって理解されていた様に現れる事で、それが人の名前であると同時に「役職」的な名前で、そしてその役職が、その本質においてマヤ族の「羽根の生えた蛇」の描写に類似する事です。

「悪魔達」が生贄の制度化の背後にいたと言うアイデアは、以下に更に強調されます:

「兎年7年(1018年)。此処で人間の生贄は始められました。当時、兎年7年に、大規模な飢餓が起こりました。トルテック人達は7匹の兎にされたと言われました。それは7年間の飢餓で、その飢餓は、多くの苦しみと死をもたらしました。

魔術師達が、フエマック自身の子供達を徴用したのはその時で、そして行き、彼等を Xochiquetzal の水と、Huizco と Xicocotl の上に置き、故に小さな子供達で支払を行いました。人間のストリーマー(流れ)の生贄が行われたのはそれが初めてでした」

私達は既に、コーデックス・チマルポポカの中に記述された、アステカの王達の一人、フエマックに出くわしましたが、私達が今、此処で学ぶのは、人間の生贄の行為の背後にいるもう一つの存在で、悪魔達に加えて:魔術師達です。言葉を変えると、アステカの神話が示唆しているのは、私達が、入門したエリート達の活動を目撃している事です。そして再び生贄は、支払いとして言及されています。故に、その支払いを要求しているのが、その「悪魔達」であると言う結論を避ける事は難しいです。

しかしながら、人間の生贄に言及する、そのコーデックスの中の全ての示唆的な文章の中でも、特にある一つが、その示唆の重要性のために、その他全てを卓越します。

「さて、ケツアコアトルの人生の間に何度も、魔術師達は彼に人間の支払いをさせようと、人間の命を取らせ様と、彼を馬鹿にしたと伝えられ、関連させられます。ですが彼は、常に拒否しました。彼が同意しなかったのが何故なら、トルテック人達である、彼の人民を、彼が大いに愛したためでした。彼が殺した蛇、鳥、そして蝶が、常に彼の生贄でした。

「そしてこれと共に、彼はその魔術師達の忍耐を試したと伝えられ、関連させられます。ですから彼等が彼を馬鹿にし、揶揄し始めたのはその後で、魔術師達は、ケツアコアトルを悩ませ、そして彼を追放したいと言いました。

「そしてそれは現実に成りました。それが起こった事です。

「・・・

その後、彼等はケツアコアトルがどの様にして離脱したのかを伝えます。それは彼が、人間の支払い、人間の生贄について、魔術師達に従う事を拒否した時でした。その後、その名前が Texcatlipoca, Ihuimecatly, そして Toltecatly であった魔術師達は、彼等の間で相談しました。彼等は、「彼は、彼の街を離れなければならない。私達が其処に住みましょう、」と言いました。

この文章が重要なのは、その中に人が、浮彫に成ってきている奇妙な話の、はっきりとした概要を見つけるためです:

1)ケツアコアトルに体現される、「古い秩序」が、人間の生贄を制度化する事を拒んだ事で;

2)3人の魔術師達に体現される「新たな秩序」が最終的に、ケツアコアトルに彼の街を見捨てる事を強要し、そしてそれを乗っ取ったと言う事です。それらの3人の魔術師達は、王、ケツアコアトルと共に、生贄によって寺院に献身/奉納する、(メイソンの)ヒラム・アビフの逸話のアステカ版かも知れず、恐らく、もう一つの変形を体現するものかも知れず;

3)生贄は再び「支払」、借金として言及され、そしてその行為を制度化する事へのケツアコアトルの拒否は、恐らく、彼が始めから、借金と支払の概念全体を受け入れなかったと言う事実の示唆です。

簡潔に云うと、人が目撃しているのは、2つのイデオロギー(思想)、2つの概念で、膨大で「宇宙的な機械」の中の人類の位置で、それぞれ、ケツアコアトルと魔術師達に体現される、「より古い」ものと、「より新しい」ものです。それらの魔術師達は所々、「悪魔達」と呼ばれ、そして特にその内の一人、「ヤーオトル」は、その実施の背後にいました。

この全ては第5の太陽の、洪水後の世界に起こり、ですから最後に一つの事を注目するのは重要です。その洪水の後、その神々は、「テオティフアカンの「スピリット(霊)のオーブン(かまど)」の炎から、新たな太陽」を創造します。生贄の概念は、言い換えると、アメリカ大陸の全てにおける世界グリッド上の最も神秘的な遺跡などに深く結びついていて、それはまた、太陽と天界的な機械(歯車)自体の、再創造と再活性化の概念にも結び付いています。

ですがテオティファカンにおけるそれらのアイデアの示唆を私達が検証する前に、アステカ人達が直面した文化における、生贄、支払、そして借金の概念の、より詳細な検証が必要です。

カンタベリーのアンセルムの Cue Deus Homo

コンキスタドール(侵略者)が来た、西ヨーロッパ全土を渡って、生贄は全ての村のチャオペル(社)、教区の教会、管区、修道院、そしてヨーロッパの大聖堂において行われました:ミサ(集会)における生贄です。加えて、それらのチャペル、教会、そして大聖堂の多くが、世界グリッド上の場所に位置する、元々のペイガン(非ユダヤ-キリスト教の土着信仰)の社、または信仰の中心地の上に建てられたと証明する事は難しくありません。端的に、ミサにおける生贄は、超越的で錬金術的な行為として理解され、現世的なパンとワインをキリストの天界的な体と血へと変える全質変化で、それは磔において聖父である神に生贄にされました。それは、生贄が実際にに存在する様にした行為でした。

その2つの文化は、両方ともある種の生贄を実施し、故にお互いに衝突し合った時に、スペイン人達は実際の人間の生贄を行っていたとは殆ど言えませんが、西洋のラテン・キリスト教圏の信仰の根底にある神学的な教義を詳細に検証すると、その2つの文化を分離している、広い概念的な海(溝)など存在していない事を明かし、むしろその真逆で、両方の文化の行為と信仰の背後の言語と概念化は、同じでした。

西洋のラテン教会にとって、キリストの生贄にまつわるアイデアの布置(コンステレーション/星座/座標)は、11世紀の神学者で、カンタベリー(大聖堂)の大司祭、アンセルム(Ⅰ033-1109年)の、Cue Deus Homo、または何故、神-人と題された書において、最も完全にはっきりと明言されました。その中で、敬神の言語の表面の下に隠されている冷血さと共に生贄借金/原罪、そして支払/償いの「理論」が鮮明に述べられました。

キリスト自身でさえ、膨大で生贄的な「機械」の歯車でしか無いと言う最初の示唆は、Cur Deus Homoの最初の数行に見られ、正にその文章がこの章の題辞を形成し:「・・・結局、(あたかも彼については何も知られていなかったかの如く)キリストを見解の外に残すと、それが証明するのは、完全成る理論によって、彼無しであらゆる人が救われる不可能性です」と言う事でした。言葉を変えると、一度キリストが見解から外されると(蚊帳の外にされると)、するとそれは、それにおいてキリストが単なる「必然的な歯車」であるとされる、生贄の機械の土台を形成する「絶対的な理論」です。

幾つかの選別された文章を読むと、これを鮮明にさせます:

1.借金/償いと意志

Cur Deus Homo (何故、神-人)は、アンセルムと彼の生徒/弟子、ボソの間の対話の形に設定されています。私達は、アンセルムにとっての、生贄のロジック(論理)を、Cur Deusの第9章における、その大司祭と彼の生徒の間のこのやり取りと共に、私達の検証を始めます:

ボソ:・・・彼(キリスト)が死んだのは、彼自身の同意であったとはどう言う事で:そしてこれが意味するのは何で:「彼は死に際でさえも、従順にさせられ」;「そのために神は彼をとても高く昇進させ」;「私(キリスト)は、私自身の意志を行うために来たのでは無く」;そして:「彼(神)は彼自身の息子(キリスト)を救わず」;そして:「私(キリスト)が意志する/行う様にでは無く、貴方(神)が意志する様に」とは、何を意味するのでしょう。

アンセルム:従順の要求において彼(キリスト)が行った事と、彼が苦しんだ事、そして従順によって要求されませんでしたが、彼が、彼の従順を完璧に保ったために、彼に負わされた苦しみの間の違いを、貴方は正しく理解していない様に、私には見えます。

・・・

その人は、故に、この従順を、聖父である神に、人間性を神に、借金/借りし、そしてその聖父は、彼からそれを取りました。

ボソ:・・・彼の従順における彼の辛抱強さのために、死は彼に負わせられ、そして彼はそれに耐えましたが;私は従順がこれを要求しなかったのがどうしてか、理解出来ません。

・・・

アンセルム:・・・彼(神)が、そのために彼(キリスト)が死に出会ったそれを強いた時に、その聖父は、彼に死ぬ様に命令したと、実際に言えるかも知れません・・・そしてこれは、それを達成できる者が他にいなかったので、人の救いを心から熱望した、その息子と共にとても役に立ち、あたかもその聖父が、彼に死ぬ事を命令した様で;そして、故に、「その聖父が命令を彼(キリスト)に与えた様に、彼はそう従い、そして、死に際してでさえ従順のままで、その聖父が与えたコップから、彼は飲みました。」

注目してもらいたいのは、「それを達成できる者が他にいなかったので、」と言う奇妙な明言で、その明言を多くの解釈者達は、人間の意志の不十分さと弱さと、罪を犯さない事に対する無能力さに言及していると取ります。キリストは、「完璧な人」として、恐らく、この弱さから苦しまず、完璧な従順を提供する事が出来るのでしょう。

ですが、これがアンセルムの論議を縮小させるのは、これが、彼の考えている、「絶対的な理性/理由」だけでは無い為です。

借金/借り、支払/償い、そして満足/返済

その「完全な理性/理由」は、Cur Deus (何故、神)の第12章において、借金/借り(i.e. 原罪)、支払/償い、そして満足/返済についてアンセルムが言わなければ成らなかった事によって明かされます:

アンセルム:私達は、彼(神)から取られたオナー(誇り/敬意)の支払い/償い無しで、慈悲の身によって神が罪を取り除く事が正しいかどうか、戻って考えてみましょう。

・・・

ですが、もし、罪が償われない/支払われない、または罰せられないなら、それは法の対象では無く成ります。

此処で、支払/償い借金/原罪の概念は、更に完全に定義され:それは人によって神から取られたオナー(誇り/敬意)のための支払い/償いです。

これは、第19章の中で、更に説明されます:

アンセルム:よって、満足/返済無しで、つまり、その借金/借り/原罪の自主的な支払/償い無しで、神はその罪(原罪)を罰する事を見逃す事も、もしくは人が罪を犯す前(i.e.生まれる前)に、彼が有していた幸せの様な幸福を、その罪人(i.e.人間)は会得する事が出来ないのは;人はこの方法において立ち直せられない、または人が罪を犯す前の状態(生まれる前の状態)に戻る事が出来ないためです。

ボソ:・・・もし私達が、私達の借金/借り/原罪を支払う/償うなら、何故私達はそれを取り払う様に神に祈るのでしょう?神は、既に支払われた/償われたものを要求することによって、不公正ではありませんか?ですがもし、私達が支払/償いをしないなら、それは不作法なので彼(神)が出来ない事を、彼(神)が行うであろうと、私達は無駄に嘆願するのでしょう?

アンセルム:支払わない/償わない人は無駄に:「お許しください」と言い;支払う/償う人が嘆願するのは、何故なら、祈りがその支払い/償いに正しく関連しているからで;神は、人に何の借りもありませんが、全ての生き物達は、神に借りがあるためです・・・

此処で、「借金/借り」と「支払/償い」の言語が完全に目の前に現れましたが、注目してもらいたいのは、つまり、アンセルムの論議の暗黙的な理論(ロジック)において、神と人の両方が、より高いロジックの機械の中の歯車としてとらえられていて、それは原罪/借金/借りのための、罰と満足/返済を要求している、抽象的な正義です。この点が見誤れ無い様に言うと、アンセルムが本当に言っている事は、本質的/内在的な許しは全く無いと言う事で、血を流す事無しで、許しのフィアット(代理)は全く無いと言う事です。

この恐ろしいロジックは、第20章から23章にかけて、更により詳細にされます:

アンセルム満足/返済は罪悪に比例するべきであると、貴方は疑わないと、私は考えます。

・・・

貴方が神に借り/借金のある、あらゆるものを解釈する時、貴方の過去の罪に関わりなく、貴方はこれを、原罪のために貴方が負う借金/借りとして考えるべきではありません。ですが貴方は、貴方が口にした全ての物事の一つ、一つに対して、神に借り/借金があります。

ボソ:本当に、それらの物事の全てにおいて、私は神への私の借金/借りのあらゆる部分を支払う/償うとは、言えもません。

アンセルム:ではどの様にして、貴方は、神に、貴方の罪を償う/支払うのですか?

ボソ:もし正義において、私が罪を犯さない時に、私が、私自身と私の力の全てにおいて、神に借り/借金があるなら、私の罪/原罪のために、私が彼(神)に支払える/償えるものは何も残っていません。

アンセルム:では、貴方はどう成ってしまうのでしょう?貴方はどの様にして救われるのでしょう?

・・・

私達が、キリストの到来が人の救いにとって必要か否かを調査すると提案する時、あたかもそれらが存在しないかの様に、(私達は)キリストと彼の宗教を横に置きます。

(第21章)

・・・

アンセルム:故に、もし貴方が、その責任の量よりも大きな何かを継ぐない/支払わ無いなら、貴方は満足/返済させず、それは罪を犯す事から、貴方を躊躇させるでしょう。

此処で、暗黙のロジックはやっと明かされ、人類は、人が返済する/償う事の出来ない借金/原罪を負い、更に、その借金/借り負うのは人類なので、人は返済しなければ/償わなければ成りません

そしてこれは、アンセルムの「生贄の機械」のロジックの中心に繋がります。

無限の借金/罪、無限の支払い/償い、そしてアンセルムによる、キリストの(自己)犠牲の、内在的な理論

人類が、結果的に罪/謝金/負債を負うのは - 上記にも見られる様に - 神への冒涜として見られるためで、神自身の様に、無限であると人が崇敬するためです。

このために、その無限の借金/原罪は、人が、彼自身においてそれを負ったので、無限の支払いによって、「支払わなければならず/償わなければならず」、または「満足させられなければならず/返済されなければなりません。」そして故に、私達はCur Deus Homo, 何故、人-神の神髄に来るのは、Cur Deusの第2書の第6章と7章において明言された様に、神(キリスト)が人間に成る事によってのみ、抽象的な無現の借金/罪を支払い/償い、満足/返済させることが出来ます:

アンセルム:ですがこれは、神以外の宇宙の全てより偉大なる何かである人の罪のための、神への代価を除いて、これが効果的に成る事は出来ません。

ボソ:その様に、それは現れます。

アンセルム:加えて、神の所有における物事以上に貴重な、何らかの彼自身のものを、神に与えられる彼が基調なのは必然的です。

ボソ:私はそれを否定する事が出来ません。

アンセルム故に神以外にこれを達成出来るものはいません。

ボソ:それはそう現れます。

アンセルム:ですが、これをすべきは人以外の何者でも無く、そうで無ければ人は、満足/返済を行えないためです。

ボソ:それよりも公正なものは無い様です。

(第7章)

アンセルム:・・・神がそれを行わないためで、何故なら彼(神)には支払わなければ/償わなければならない借金/罪が無いためで;そして人がそれを行わないのは、何故なら、彼がそれを行え無いためです。故に、神-人がこれを行うには、この支払/償いを行うために、その同じ存在が、完璧な神、そして完璧な人間に成る事が必然です。

そして、これ等の明言と共に、アンセルムは、神、人、そしてキリストを、正義と犠牲の非個人的な機械における、大規模な歯車を「説明」する、ある種になぞらえます。アンセルムはその論議に「勝利し」、そして彼の弟子、ボソはその本の第2巻の第8章の中でその教義をまとめあげます:

ボソ:・・・そして貴方は、数多くの、そして肯定的な理由によって、人類の再構築は成されるべきでは無く、人が、人の罪(原罪)のために、彼が神に負った借金/罪を支払う/返済する事無しで、再構築される事は出来ません。そしてこの借金/原罪はとても大きすぎて、その借金/原罪を支払う/返済する事が出来るのは人以外にはいない間、そうすることが出来るのは神のみで、;ですからそれを行える彼は、神と人の両方でなければ成りません。そして故に浮上する必然性は、神が彼自身の person (法人)の中へと人を取り込まなければならない事で;ですから彼(人)は、彼自身の本質において、借金/原罪を支払う/償う宿命にありますが、そうする事が出来ず、神の person (法人)としてのみ、そうすることが出来ます。

これが何を意味するのかを、一時停止して、慎重に考えてみましょう。アンセルムの見解において、神は銀行家、そしてキリストは人と言うよりも、帳簿を均整させる生贄/出資の行為でしか無く;そしてキリストの人生と教えのその他の要素の全ては、実際に、この優先的で生贄/出費的な必然性の、単なる表面でしかありません。この見解において、生命自体でさえ、一つの借金/借りであり、これが明かすのはアンセルムのロジック(理論)の過ちで、もし生命自体が借金/借りであるならば、生命の借金/借りを支払う/償うために、人類は「神を讃える」事が全く出来るのであろうか?と言う事に成ります。

アンセルムには、勿論、更なる過ちがあり、そしてそれは道徳的なもので、それが聖父である神に、彼への敬意に対する無礼を満足させるために、彼自身の息子(キリスト)の、拷問による死を要求させる事で、その行為は、人間のレベルでさえ「愛の神」には公正、または相応しく無く、そしてその行為は、人間の父達でさえ行う者は殆どありません。

私達が扱っているのは、端的に言うと、神への敬意をその金利として、そして人類をその上の元金と担保にする、ある種の閉ざされた「経済的で神学的」なシステムです。

機械(歯車)における、メカニズムとしてのこの人類の見解と共に、私達はアステカの、テオティファカンに戻り、可能で物理的な関連性の更に詳細を検証してみましょう。

C. テオティファカン

テオティファカンは、アメリカ(大陸)におけるギザと呼ぶのに相応しいかも知れません。その巨大な太陽のピラミッドと、月のピラミッドは、メキシコの峡谷を圧巻し、そしてそれらの名前自体が、両方とも地元の先住民達の逸話の中で触れられ、そしてアステカ人達がその峡谷に移り住んだ時に、彼等によって取り入れられました。テオティファカン自体の名前は、「神々の都市」を意味します。実際に、皇帝モンテズマ自身が、太陽のピラミッドは、「地球の現在の時代の始まりにおいて、創造が開始された場所を印す元々の創始的な丘」と考えました。これにおいて、アステカ人達は、ギザにおける彼等のグレート・ピラミッドが、創造の創始的な丘を体現すると考えた、(古代)エジプト人達にこだまします。

言葉を変えると、テオティファカンのピラミッド、特に太陽のピラミッドは、創造自体の宇宙的な行程に、原理的に結びついていると考えられました。アステカ人達にとって、エジプト人達と同様に、それらは、何らかの基本的な感覚において、最も高い、形態的な段階において、創造と破壊の宇宙的な行程の物理学を操作している機械(歯車)であると理解されました。

しかしながら、アステカ人達にとって、エジプト人達とは異なり、その操作は人間の生贄の野蛮な行為を通して達成され、その行為は神官達によって監督され、ナフアトルの伝統によると彼等は、ピラミッドに関連した不死アセンション(上昇)の儀式の一部として、生贄を指導しました。より詳細な検証に進む前に、考えてみる価値があるのは、何故生贄が、ある意味、ピラミッド、不死、そして媒体(エーテル)の操作に関連していると考えられたかです。

私達は既に、ピラミッドがメソ・アメリカ人達によって、何らかの基本的な形状において、創造の宇宙的な行程である物理学に直接リンクした機械であると理解されていた事に注目しました。私がまた、私の著書、宇宙戦争の中で記述した様に、太古の科学技術の幾らかは、緊密な連結、またはそれらの所有者達との、実際の物理的な接触においてのみ、使用可能、または使用可能と知覚された様です。また知られているのはアステカ人達が特に、その行為(生贄)の - 知覚されたものが何であれ - あたかも、どうにかして、それら(生贄)に関連した全くの数と感情的なトラウマが、その効果を強化するかの様に、無茶な積極性としか表現のしようの無い方法で、人間の生贄を行った事です。アステカとマヤの伝説を私達の手掛かりとして取ると、そのグリッドの発達の期間のある時点において、物理的な媒体(エーテル)上の、意識への直接の効果があると理解し、そして大規模な人間の生贄の実施を通して、文字通りにそれを「トラウマ化」する、または「ショック」させようと試みていた、エリートが浮上した、または恐らく単純に、それ自体を表せさせたと、私達は結論出来るかも知れません。

テオティファカン自体に向くと、注目されるべきは、その遺跡がとても古い事で、そして構築の幾つもの時代の跡を残している事です。問題なのは、誰がそれを建てたのかを誰も実際に知らない事で、または本当に、何時建てられたのかを知らない事です。事実、コンキスタドール(スペイン人の征服者)達がその遺跡を発見した時、

「その大いなる儀式的な中心を誰が建てたのか、その建築士達は何処から来たのか、そして彼等は何処に行ってしまったのかを、彼等(スペイン人達)に伝えられる者は、誰もいませんでした。彼等が学ぶことが出来たのは、2世紀前に、メキシコ人達がその峡谷に辿り着いた時に、その神秘的な都市が、土と植物に覆われ既に放置された状態で発見したと言う事だけでした。」

テオティファカンの遺跡を覆っていたのは植物の存在だけでは無く、だった事が示唆するのは、アステカ人達がその遺跡に辿り着いた時、それがずいぶん長い間放置されていたと言う事です。

マヤの文献、アステカの神話、そして儀式的な行為から、この遺跡の古さについての大まかな協力証言的な補佐があります。ピーター・トンプキンスは、アステカ人とマヤ人達が、子供の生贄の究極的な実施者達であった、フェニキア人達との、何らかの接触から、人間の生贄の行為を受け継いだかも知れないと注目します。考古学者、ヒュー・フォックスの研究を引用し、トンプキンスは、旧大陸における生贄の行いは、大洪水の後に、神々をなだめる試みと、再びの大災害を避ける試みに関連して派生し、そのアイデアの関連性は、明らかに、マヤ族とアステカ族の考えにおいても機能していたとして注目します。マヤ族のトロアノ・コーデックスは、紀元前9937年に、「三日月型に東へ向かって、カナリア諸島まで伸びる、」大西洋の島を水没させた大いなる大災害を語ります。その日付と既に記述された、紀元前10,500年の日付けの親密な近さは、再び、人が目撃しているのは世界中に広がる共通の文化的な遺産である事を示唆しています。

テオティファカンの太陽のピラミッドがその昔、ソヴリン(主権)の羽の生えた蛇である、ケツアコアトルに奉納されていたのが殆ど確かなのは、20世紀初頭に、メキシコ人の考古学者、バトラスが、その遺跡の発掘をしていた際に、そのピラミッドの周りから数多くのが描写された貝殻を発見したためです。

しかしながら、太陽のピラミッドに関しては、更により深い謎があり、その構造が何らかの、機械-の様な機能のために考えられた事を示唆するものです:

「公表されていない第5段階(第5層)からの発見は、全く十分に説明されていません。太陽のピラミッドが、1906年に、バトラスによって最初に調査された間、彼と共に調査していた考古学者が、第5の層の上を覆っていた厚いマイカ(雲母)の層を報告しました。この物質は明らかに、その再構築の際に運ばれた様でした。

「偶然にも、「マイカの寺院」がまた、太陽のピラミッドから死者の道を通った南方、約350メートルの地点で見つけられ、其処では今でも、地元の警備が、マイカの塊に覆われた床を、草のパネルを通して人(観光客)に見せています。マイカは2つの特別な特徴を有し:高い電気的な抵抗と、速い中性子への不透明性です。故に、それは絶縁体、または核反応の調整器/減速体として機能し、それが浮上させる問いは、テオティファカンの2つの異なった部分が、何故マイカに覆われていたのかと言う事です。」

それらの特質に加えて、マイカはまた、キャパシター(蓄電器)の産出にも使用され、そして高ヴォルテージの機械の絶縁体としても利用される事です。

太古の時代においてマイカが、現代のもの以外の目的で使用されたかも知れない間、太陽のピラミッドにおけるその存在に加えて、その構造物の古さの可能性は、その存在が何らかの機能的な目的を果たしたと言う可能性を、人が簡単に否定出来ないと言う事でしょう。この場合、3つの可能な性質があります:

1)電気的な絶縁体としてで;

2)キャパシター(蓄電器)にけるダイエレクトリシティー(誘電/静電)としてで;そして

3)核反応的な調整器/減速体として、です。

それらの選択肢を与えられると、恐らく最初の2つの使用はその構造物の構築者達によって意図されていたと、人は推理するかも知れませんが、私達はこの構造と、その可能で機能的な目的についての更なるコメントは、グリッドについての未来の続巻のために、残しておきましょう。

ムンクが、テオティファカン-ギザの平行線がとても親密であると着目するのは、ギザの3つの主要なピラミッド、マイセリヌス、セフレン、そしてグレート・ピラミッド自体が、正しくテオティファカンの複合体の月のピラミッド、太陽のピラミッド、そして「ケツアコアトル」の類推であるためです。そしてそれらの3つの主要な構造物と共に、それらの場所の両方が、殆どの人達が知る様に、オリオンの「ベルト」の星座の星々のパターンに沿って配置されています。私達の目的のために、私達は一つの推理を行い、一つの事に注目します。私達が第13章において論議するその推論は、私達が、超-次元的な物理学を技術開発するために、デザインされた機械を見ていると言う事です。私達がその推理を一度仮定すると、ある事が直ぐに続き:ギザとテオティファカンは、同じ基本的な設計図に沿ってデザインされ、つまり、それらが何らかの方法で、お互いに対化されたオシレーター(振動器)であるかも知れないと言う事です。

ムンクは、テオティファカンにおける、最も大規模な構造物である、太陽のピラミッドについてある重要な観測を行い、そしてそれらは、私達が「超-次元的な技術開発」を目撃していると言う私達の推理に直接関係します。技術開発者、ヒュー・ハーレストン・ジュニアの詳細な描写を利用した、この構造の側面図の一見が必要です。

[ヒュー・ハーレストンの、太陽のピラミッドの側面図:オン・ライン電子書籍の201ページ参照。全ての寸法がメートル法である事に注目して下さい。]

そのピラミッドが、ティカルの「寺院」と同様に、意図的にずらされている事に注目して欲しいとムンクは述べます。そのずれは、しかしながら、第2テラスの段階において起こり、そして5つのテラスの全ては、下部の2つのテラスを除いて中心化(直線化)されています。面と角を数えるムンクの方法に続くと、これは以下の興味深い数字を与えます:

1)中心化されたテラス     2

2)ピラミッドの1側面の面     6

3)テラスの数     5

4)1側面のずれた面     4

それぞれの数字を取り、πで掛け算し、お互いに掛け算し合い、e.g. 2π x 4π x 5π x 6π すると、23,378.18184を産出し、一般の角度の寸法に入れ替えると、19度から41度に翻訳されます。これは、勿論、私達が超-次元的な構造を扱って入ると言う、私達の最初の手掛かりなのは、最初のプラトン的な固体、テトラヒードロン(四面体)が、球体によって周囲を囲まれ、自転的な地軸上に頂点を有し、どちらの自転的な軸に第4の頂点が位置付けられるかによって、北、または南の緯度の、19度47分において接触している、その他の3つの頂点を持ちます。そして私達が第13章において見る様に、これは超-次元的な幾何学(立体性)への、深遠な手掛かりであり、3つの空間的な次元(3次元)以上において行われる幾何学です。

テトラヒードロンと19度47分
1Hawaii195Grid.jpg

此処で私達が、しかしながら、ムンクに対して幾つかの異論を唱えなければならないのは、テラスの間には違いが無いためで、幾何学(立体性)者にとって、その両方は同じであるためです。加えて、私達が彼の数字を4によって掛け算しなければならないのは、その構造に4つの側面があるためです(テラスはその構造全体に延長するので、1つの面として数えられ、ですから私達はそれらを4によって掛け算しない事を頭に入れて下さい)。

私達は調整された数字の、以下の表を得ます:

1)中心化/直線化された面(i.e.面とテラス)     10

2)ずらされた面(i.e.面とテラス)     19

3)合計された面(i.e.全ての面とテラス) 29

私達が数えているのは、基本的な構造の面だけで、階段などから加えられる面は含まれない事に着目して下さい。此処で、2つの更なる数字がこのリストに加えられるべきで:エッジです:

4)角、または頂点の数     44

5)エッジの数     78

私達が第13章の中で見る様に、これ等の種の数字は、コンパウンド(合成/化合)と呼ばれる、超-次元的な物体の奇妙な種を強く示唆しますが、私達がまた見る様に、ある問題があります。ですがそうであれ、これ等の種の数字は、それらがどの様な種の機械であったのかについての、更なる推理をする事を私達に許し:それらの数字において体現された面、エッジ、そして頂点の数によって、それらの物体は、それらのレゾネーター(共振器)としての、より高い-次元的な物体の3-次元的な類推として構築された様に現れます。

もしこれが、純粋なサイエンス・フィクションの妄想の逃避の様に聞こえるなら、それはそうでは無く、私達が利用してきた図表を描いた数学者、ヒュー・ハーレストン・ジュニアが、テオティファカンの音楽的、そしてテトラヒードロン(四面体)的な性質と、物理的な媒体(エーテル)との、その関係について、同じ事に気付いたためです:

「テオティファカンの設計/配置における角度と遠近図は - 上の天界の大空間と共に沿った - 融合された天地の枠組みを表す様に、ハーレストンにとって現れ、卓越した数学者の仕業である様でした。ハーレストンにとってテオティファカンのメッセージ(遺言)は、時間と空間を見る新たな方法、宇宙からの何らかの新たなエネルギーの源泉、私達の科学が未だに発見していない何らかの新たなフィールド・ファーブリック(場の繊維/エーテル)を指し示していました・・・

「一度、テオティファカンにおける研究者が、1/3, 1/7, 1/9, 二乗、そして二乗根が基本的で数学的な道具であると学べば、次の段階は2つの単純で幾何学的な固体:球体四面体の関係を理解する事であると、ハーレストンは述べます。

「テオティファカンの複合体の中へと取り組まれた、四面体的な幾何学への手掛かりを、ハーレストンが見つけるまでに、少々時間がかかりましたが、彼は最終的に、太陽のピラミッドの次元においてそれを発見しました。(その頂点を北極とすると、その底辺が赤道で、そしてその周囲の長さが円弧の1/2に同等な)北半球のとても正確なスケール・モデル(縮小モデル)であるケオプス(クフ)のピラミッドとは異なり、太陽のピラミッドはその様なシステムには当てはまりませんが、しかしながら、地球の表面全体をとても正確に与えます。」

これは何故、そうなのでしょう?何故なら私達が既に見た様に、19.5の四面体的な数字が既に、面とπのその数と言った形で、その構造の中において、ほぼ正確に現されているためです。ですがそれがまた含まれている、もう一つの方法があります:

「奇妙にも、または偶然的に、四面体と球体の間の関係は、バックミンスター・フラーの研究の中心を構成し、彼は、彼の著書シナジェティクス(共同作用)の中で、四面体が宇宙のための、基本的で数学的なブループリント(青写真)を与えると主張します。

「彼が「アイソトロピック・ベクトル・マトリックス(等方性ベクトル母体)」と呼ぶものから、フラーは√9/8の定数を得て、それは1.065066で、ハーレストンの1.059の定数に非常に近く、実質的にテオティファカンの複合体にもそれは上手く当てはまります。」

テオティファカンの中へと取り入れられたこの四面体的な余剰物を、ハーレストンは見逃しませんでした:

「全ての生きている生命体の物質的な体がそれから造られている、基本的な構築の土台である - 炭素の原子は均整な四面体であり、そして水の分子が四面体的な構造に一致する特徴を指摘し、テオティファカンによって伝えたられた原理的なメッセージは、物理的な宇宙が、振動のスケールにおいて、原子のミクロ的な段階から、銀河のマクロ的な段階まで四面体的で、人がそのほぼ中央に位置すると、ハーレストンは結論しました。ピタゴラスとプラトンによって提案された様に、人は故に、宇宙の幾何学を解読し、その計画における彼の役割の知識を回復する道具が、彼の中に組み込まれています。

それらの数字、9と8、そしてそれらの神秘主義者達、ピタゴラスとプラトンに私達は次の章において再び出会い、そしてマイクロコズム(小宇宙)と、四面体的な寺院であるこの大宇宙における、仲介者としての人の特徴的な地位については、エジプトに関連した、この本の4番目の部分においてコメントする多くの機会があるでしょう。

この物理学の全ての真ん中付近の何処かにある人の地位は、しかしながら、この物理学の理解を恐らく有する何者かによって何故、人間の生贄が実施されたのかの、最後の重要な手掛かりを示唆し、それは意識自体の類推的な本質で、古代人達が信じた物理的な媒体(エーテル)の見解の類推で、とても小さなものと、とても大きなものの物理学の中間に立ち(位置し)、人自身がそれらの物事の全ての、自然的で、そして最も効率的なレゾネーター(共振器)であるためです。意識とのそのインターフェイス(接触面)を通した媒体の上に、権力と影響力を実施する事を意図する者達にとって、残忍性と生贄によってその(意識/媒体)の中に誘発させられた衝撃と感情的なトラウマの道具化を通して、人類を選択した事は、ある意味、捻くれたロジックと、捻くれた音楽の現れです。

ですが、そのロジックがどれだけ本当に捻くれているのかを見るためには、(インドの)ヴィーダから、メソポタミアとエジプトを通してエコーしてきた、元々の音楽が今、見識へともたらされなければなりません。

補足資料:オン・ライン電子書籍、239-240ページ


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電気的な体をハックする

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嘘つき

嘘つき
2liars all arounds 2

「・・・それらのロスチャイルド傘下の世界シオニスト主義者達は、ボルシェヴィズム、ファシズム、ナチズム、マオイズム、テロリズム、そしてネオ・コンサーヴァティズムを含む、世界を悩ました多くのイズム(~~主義)を開始させた明らかな記録を持ち、彼等のお得意な「分断統治」のアジェンダ(目的)を更に進めるために、それらがお互いに対して衝突する様に仕向け、そうする間、世界シオニズム主義者達は、右から左へ盗みまくります。

「それらの様々なイズムを創造し、実体化させる事で、世界シオニスト主義者達は、彼等の組織化された犯罪カバールを使い、工作され、事前計画された争い上の、巨大で詐欺的な、事前計画された戦争を造り出しました。それらの戦争は、何億人もの兵士達と、女子供を含む市民達の痛ましい死、負傷、外傷、そして身体傷害に結果しました。例えば、第二次世界大戦において、少なくとも5,500万人が死亡し、それらの殆どは民間人でした。

1917年のロシアにおけるボルシェヴィック(共産主義過激派)革命には、目に見えるもの以上のものがありました。

「世界シオニスト主義者達は、2,000万人を超える罪の無いロシア人達を大虐殺するために、そのマインド・セット(思考回路)が(「悪魔の寺院」または純粋な悪魔主義、もしくはカバラ主義としてよく知られる)純粋なバビロニア・タルムード的である、カザール人達を使用し、ボルシェヴィズムを創造し、利用しました・・・」

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